全30件 (30件中 1-30件目)
1
今日で9月も終わる。寒かった先週末、風呂場にはマットを敷き、湯船に保温用のシートを入れた。寝床にも毛布を追加し、パソコンの時間はひざ掛けを掛けるようにし、綿の入った半纏も引っ張り出した。庭ではムラサキシキブ、ワレモコウ、ウメモドキ、ヤブコウジがそれぞれ可愛い実をつけている。でも南天だけは実が青いままだ。しばらく前から咲いている萩は、そろそろ散る頃だろうか。明日からは10月。季節は一気に秋へと向かうだろう。 昨日の勤務後、急に思いついてコンビニへ行った。ひょっとして東北楽天のチケットが買えるかも知れない。理由はないのだが、何故かそんな気がしていた。先週の土曜日に40分も待って買おうとした時は、さっぱり画面が進まなかったために断念したのだが、何と最終日である7日のソフトバンク戦のチケットが買えてしまった。 ついでに4日の西武戦のチケットも買った。明日1日の日ハム戦のチケットは既に購入済み。この3試合がKスタでの今年の見納めになるだろう。7日の最終戦は相当混むだろうなあ。レフトの自由席なので、きっと座席に座れないかもね。相手は5位を争っているソフトバンクだが、ひょっとしたら試合前に王監督への花束贈呈が見られるかも知れない。 ひょっとして、とシューズのインソールを確認した話は昨日も書いたが、今日はそのインソールを入れ替えてみた。幅の狭いAの2足のシューズにはNBのゆったりしたインソールを入れる。これは足が痛まなくて良い感じ。底が厚いからこれからもレースや練習に履けると思う。 次に土踏まず部分を切り取ったAのインソールをNBの2足のシューズに入れる。NBのシューズはゆったりしてるため、多少インソールに厚い部分があってもさほど足に響かないようだ。ただし2足とも軽いため今後はレースには使わず普段履きや作業用にしようと思う。フルマラソンだとどうしても軽くてスピードの出るシューズを履きたくなるのだが、足への負担を考えてこれから買うのは全て底の厚いがっちりしたシューズにしようと思う。これ以上故障が続けば走れない期間が長くなり、老後の楽しみが半減するからだ。 昨日実行したもう一つのことは、庭の柿を枝ごと切り取ったことだ。植えてから今年で11年目になる我が家の柿は一応甘柿なのだが、この辺りが甘柿の北限らしくあまり甘さを感じず美味しくない。今年はこれまでにないほど実をつけたので、それを良いことに皮を剥いて干し柿にしようと言う魂胆だ。40個ほどの柿を4本の紐で縛り、早速ベランダに干してみた。果たして美味しい干し柿になるかどうかは分からない。「秋田内陸」へ行った走友達の情報は別の機会に紹介することにしよう。<9月のラン&ウォーク>参加レース:DNS 走行回数:0 走行距離0km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:230km 月間累計230km 年間走行距離:1434km 年間総計:3074km これまでの累計:64、596km
2008.09.30
コメント(8)
足に出来た種子骨を疲労骨折したスポーツ選手の例が、トライアスロンの第一人者だった山本某選手だ。私が骨折した8年前とほとんど同じ時期に彼も骨折したようだ。プロの彼はスポンサーとの関係から常に上位の成績を取る必要があり、長く休むことも出来なかった。1年間は痛みの様子を窺いながらのレースだったが症状が好転せず、結局手術に踏み切ったようだ。一方の私は主治医から手術をしないで様子を見ることを進言され、この後足掛け5年間ほど苦しむことになった。私が経験した3度の疲労骨折に関するデータを参考までに示しておきたい。<1回目>発生年月日:平成11年12月28日(55歳)発生の状況:25km練習時の18km地点(舗装道路)負傷部位:右第1中足骨発生後の対応:痛みを感じつつそのまま家まで7kmを、ゆっくり走って帰る。予兆:走り出して3km辺りからシューズの違和感と痛みを感じていた。シューズ:NBの4Eサイズ。紐の通し穴が変則的なもので、緩かったため紐を堅く縛った。通院と治療:1週間後に整形外科へ。レントゲン撮影の結果痛みは種子骨のためで走っても良 いとの診断。痛みが激しくなったため別の病院でMRI撮影し、疲労骨折と判明。 最初の医者の誤診が症状を悪化させ、長引かせた原因。結論から言えば、手術をし た方が早く治ったと思う。骨折の影響:100km完走出来るまでに5年かかった。<2回目>発生年月日:平成19年1月3日(62歳)発生の状況:25km練習時の23km地点(舗装道路)負傷部位:右第5中足骨発生後の対応:直ちに走るのを止めてシューズの紐を緩め、残り2kmをほとんど歩く。予兆:18km付近で最初の痛み発生。シューズの紐を緩める。シューズ:NBの4Eサイズ。軽くて底が薄いタイプ。紐の通し穴は普通のもの。通院と治療:接骨院へ1週間通院し電気治療。約3週間まったく走らず完治。骨折の影響:その月の月末にあったフルマラソンで完走。(厚めのシューズ着用)<3回目>発生年月日:平成20年8月30日(64歳)発生の状況:65kmのレース中。60kmまでのいずれかの地点。15kmまでは砂利道。 それ以降は舗装道路、勾配のきつい登山道、木道など。負傷部位:左第1中足骨発生後の対応:そのまま60kmの関門までラン&歩きで到達。予兆:全く感じず。シューズ:42kmまではAのワイドタイプ(底厚)。それ以降はトレイル用シューズ。通院と治療:疲労骨折と自己判断し通院せず。発生後1週間冷湿布し、4週間全く走らず。骨折の影響:2度のハイキング、厳しい肉体労働のためか未だ痛みあるも、発生直後よりは痛 みが薄れる。 こうして見ると、最初の疲労骨折は種子骨の発生、シューズの形状が偏平足へ過大な負担となったこと、医師の誤診などが複合したのが5年間満足なランが出来なかった原因となったようだ。2回目は最初の経験生かされ最少の影響で済んだ。そして今回は老化や残業による疲労も若干関係したように思う。 今日の帰路にふと考えたのだが、今回の疲労骨折の主たる原因はやはりシューズにあるとの結論に達した。NBの4Eサイズに対して、Aのワイドはシューズの幅が狭く、インソールの「土踏まず」部分が3mmほど厚かった。それが「土踏まず」へ過大なストレスを掛けていたのだと思う。ご存知の通り偏平足には土踏まずがないため、ちょっとした「突起」でもストレスと痛みの原因になるのだ。早速インソールを取り替えてみたら、足の痛みが薄らいだ。メーカーの違いやモデルの変化など、シューズのちょっとした変化が偏平足には強い影響を与えることを今回改めて認識した。 ランナーにとって最大の「味方」であるシューズが、場合によっては最大の「敵」にもなり得る。恐るべしシューズの影響。今後シューズを選ぶ際はデザインだけに目を奪われず、自分の足に最もしっくり来るものを慎重に選ぼうと思う。たとえ時間がかかって店員に嫌がられたとしても。
2008.09.29
コメント(6)
昨夜は遅くまでK-1を観、風呂にも入らずに寝た。今朝の起床は5時過ぎだったから、睡眠時間も5時間ほど。「秋田内陸ウルトラ」に出ている走友達はもうスタートしている。果たしてみんなはどんなレースを展開しているのだろう。 前日の土曜日、出発する走友達を見送りに行った際にO川さんに言われた。私の疲労骨折の原因は夏場の疲れ過ぎではないかと。7月の「沖縄本島縦断走」、8月の「薬莱山とお足マラニック」。そして「立山登山マラニック」に出て、連日の残業もあって体が疲弊していたことは事実だ。だが疲労と疲労骨折との間に、直接的な因果関係は無いと思う。 今回「立山」を走った後で痛みを感じ、自分では疲労骨折と判断した。その前に経験した2度の疲労骨折と同じような症状だったからだ。今回整形外科や接骨医に行かなかったのは、疲労骨折の場合は3週間ほど走らずにいるとヒビが入った箇所がひっつき、痛みが去れば再び走れるようになると確信してのことだ。 だが、今回は怪我からまる4週間経っても痛みが引かない。「立山」以降、妻と2度痛い足を引きずりながらハイキングしたこと、骨折した左足に負担がかかる残業を続けたことが原因かも知れない。残業は仕事なので避けることは出来なかった。ハイキングは避けることは出来たが、妻の機嫌は損ねただろう。(笑) 今回の疲労骨折の最たる原因は、私の足が偏平足であることだ。アーチが低いために走るとかなりの重さが加わり、それが長距離ともなれば大きな負担になるのは間違いない。まだ筋力がある若いうちは持っても、加齢に伴って筋力が落ちると足のアーチにかかる負担がさらに過大になり、引いては疲労骨折になるのかも知れない。 「立山」では1時間短縮された制限時間を何とかしようと、前半の砂利道を自分としては結構速く走ったと思う。足に負担がかかったとすれば、あの時しか無いように思う。底の薄いシューズが扁平足に悪影響を与えた原因と考え、今日は新しいシューズを買いに行ったのだが、ふとそのシューズを見て考え直した。立山で走ったそのシューズは結構底が厚いのだ。 だとすると、シューズが足に合わなかったのだろうか。偏平足にはワイドとか4Eサイズのシューズじゃないときついし、履いただけで足が痛くなることもある。立山で履いたシューズもワイドサイズなので、足への負担は少ないはずなのだ。そうなると考えられる原因はただ一つ。「種子骨」が出来ていることだ。 「種子骨」は負担がかかる足に発生し易いもので、ピッチャーの肘に発生する「ネズミ」(=遊離軟骨)みたいなものだ。ストレスを受け続けると「偽関節」のような骨が出来る。それだけでも痛いのだが、まれに「種子骨」にヒビが入ることがある。そうなると痛みはさらに増す。私が初めて経験した右足の疲労骨折がまさにそれだった。<続く>
2008.09.28
コメント(4)
昨夜のKスタは寒かった。雨はパラパラと降った程度だったが、風が冷たく感じられてあるもの全てを着、さらにポンチョを被った。首には田中マー君のタオル。それでも寒くて、途中からはたこ焼きをつまみに熱燗を飲んでいた。 試合は田中の好投で始まった。いつもなら立ち上がりがイマイチなのに、この日は気合が籠もった投球で三者凡退。その裏、フェルナンデスがヒットで出た後、セギノールの2ラン。早くも投打が噛み合った。2回はリックの3ラン、4回には山崎が3ラン。4回までに13点を取り、先発全員安打を達成。しかも残塁は0と言う効率の良さ。田中の9勝目が早々と決まり、西武の優勝をアシストしてしまった。 今朝は最低気温が11度もなかったようだ。蔵王には初雪が降ったとか。8時半ごろ仙台市体育館に行く。「秋田内陸ウルトラ」に向かう走友を見送るためだ。私が疲労骨折で行けないことを知らない友が驚いていた。ここ2年間開催されなかった秋田へ行きたいのは山々だが、まだ足が痛く走ったのはわずか数歩。昨夜の楽天の応援でもまだかなり痛かったくらいだ。 明日の秋田は天気が良くない感じ。風が吹けば夕方は寒くなるだろう。特に80km地点を過ぎた辺りからの田圃の中の道は風がきつい。これまで完走9回のM仙人とO川さんは「クリスタルランナー」に王手を掛けている。何とか達成して欲しいものだ。私は「秋田」とは何故か縁がなく、まだ完走は4回だけ。それも2回の疲労骨折が関係している。 H口さんは父君の四十九日で参加を見合わせた由。S水さんは今回が初ウルトラだが、10月から東京へ転勤とのこと。良い思い出を作って欲しいものだ。私が秋田へ行けないことを知って大崎市のT田さんがメールで慰めてくれ、今回も「佐渡島一周」の写真をたくさん添付してくれた。ありがとうねT田さん。今回は無理と分かったために早々と不参加を決めたが、いざ見送る段になるとさすがに寂しさが募った。 3台の車が出発した後コンビニへ直行し、10月4日以降の楽天のチケット(雨天中止分)を買うとしたが、画面がなかなか進まない。きっとチケットを買おうとする人が多くて、混雑しているのだろう。発売前から40分間も待っていたのだが諦めて帰宅。10月1日(水)開催分を買ってあり、これが今年の最後の観戦になるだろう。その日は中4日で田中が投げると言う予測もあり、彼の10勝目が楽しみだ。 午前中は畑と庭の草取り。そして大根と葉物に追肥を施し、大根には土寄せをする。3時からテレビで楽天対オリックスの試合を観戦。放送時間が終了した後はパソコンとラジオでの観戦。9回裏フェルナンデスの2塁打で追い着き、11回裏またもやフェルナンデスの2ランホームランでサヨナラ勝ち。今パリーグで最も勢いがあるのが我が東北楽天なのではないか。ただし、力を出すのが少し遅かったようだが。
2008.09.27
コメント(0)
間もなくKスタへ行って来ます。今夜はわが東北楽天対オリックスの一戦。先発は田中マー君です。今夜も含めて今シーズンの登板は2回か3回でしょう。今日勝てば9勝目のはず。空模様がおかしいので雨が心配ですね。今日の日記は改めて明日書き直そうと思っています。メンゴ!!
2008.09.26
コメント(0)
朝夕めっきり涼しくなった。第1現場での警備服は半袖だが、それではもう涼し過ぎるように感じる。来週からは長袖にしようと思う。そして来月からは冬の制服に変わるだろう。冬服は新しいデザインのが近く供与されるはず。果たしてどんな服が届くのか楽しみだ。 さて、朝夕の散歩では虫の音がひときわ高くなって来た。畑の大根の苗にはシジミチョウが卵を産みつけようと寄って来る。その大根葉も最後の間引きを終え、追肥と土寄せをするばかりだ。豊作だった夏の野菜のうち最後まで残っていたゴーヤも、チャンプルーとサラダになって目出度く胃の中に納まった。今食べられるのは明日葉くらいのものか。6月に収穫したタマネギはまだ20個以上残っているが、来月には苗を植えることになる。 古い種を蒔いた冬菜と京水菜は立派に発芽した。乾燥を嫌う春菊はこのところの秋雨で、可愛い芽を出している。珍しく妻が苗を買った中国の菜っ葉は虫に食われることもなく、順調に育っている。裏庭のイチジクは熟したのから順次とって、妻と交互に食べている。いつもならヒヨドリに突かれるのだが、直ぐ隣で新築工事をしているためか、用心して寄り付かないのだ。 この夏庭を賑わしてくれたユリやクチナシはとっくに枯れた。夏の名残は朝顔くらいなものか。これは昨年のこぼれ種から発芽したものだ。今咲いているのは、ノボタン、モナラベンダー、ベコニア、シュウメイギク、ホトトギス、ゼラニウム、カイドウ。それに名前を忘れた花が3種ほど。ペチュニアはほとんど終わりのようだ。ボケに実が一つだけついている。そしてつい先ほど、妻が白のホトトギスを新たに持ち帰った。 先日高知の長女に秋刀魚を送った。4kg入りで980円の特売だったのだ。店員の方の話だと20匹以上入っているらしい。先日里帰りした長女に、新米でも送ろうかと言ったら秋刀魚の方が良いとの返事だった。高知では脂の乗った秋刀魚はなかなか手に入らないのだろう。今日の夕方は妻に頼まれて買い物に行ったのだが、別の店で秋刀魚の特売。何と10匹で300円だった。1匹30円也。これでは船の重油代にもならなくて漁師が困るのだろうに。 先月東京で個展を開いた友人からCD-ROMが届いた。バッハの曲に乗って、自作のCGが展開する見事さ。ずっと見ていれば先日の作品も画面に出るのだろうが、何せ1枚を見終わるのに3時間20分ほどもかかる。いくら芸術の秋とは言っても平日にそんな余裕はない。日記を書いたらもう夕食の時間。私にはやはり食欲の秋の方が優先だ。 来年3月に開催される「東京マラソン」だが、3万人の定員に対して226、378人が申し込んだとか。単純計算で約7.5倍の競争率。う~む。これでは3年連続の落選かもねえ。当落の発表は11月中旬に全員宛通知される。さて、今回はどうなる
2008.09.25
コメント(6)
自民党の新総裁が選ばれ、国会で投票の結果麻生太郎氏が新しい総理大臣に指名された。第92代の由。福田前総理の在任期間は365日で、その前の安倍さんより1日だけ短く、短い記録としては6番目なのだとか。一方民主党は小沢氏が代表に再任され、公明党も大田代表が再任されたようだ。これから政局は大きく動き、総選挙へと突入することになりそうだ。太郎と一郎の長男同士が、男の意地、政治家の意地、政党の意地をかけての真っ向勝負。これで日本もいよいよ二大政党時代へと向かうのかも。 スポーツの世界でも大きなニュースが飛び込んで来た。福岡ソフトバンクホークスの王監督が今季限りで監督を辞退する旨の発表を行った。プロ野球人として申し分のない実績。そして真摯で優しい人柄は誰からも愛された。胃がんによって健康が損なわれさえしなければまだまだ監督を続けていただろうに、思うようにならない体と今シーズンのふがいない成績に潔くユニフォームを脱ぐ決心をしたのだろう。プロ野球に入って50年間経つと言う王監督。本当にお疲れ様でした。 さて、パリーグもセリーグも目下リーグ優勝をかけて戦っている真っ最中。パは西武がマジック1まで迫ったが、我が東北楽天が2試合も優勝に待ったをかけたのは痛快。特に昨夜は西武から放出されたフェルナンデスが9回表に逆転の満塁ホームランを放つのだから勝負は最後まで分からない。この首位との2連勝で、5位のソフトバンクに0.5ゲーム差まで迫ったのが嬉しい。目下2位のオリックスの健闘も光る。やはり勝つためには強い選手の補強が必要だと思う。 セリーグは春先からダントツで首位を走っていた阪神が最後に来て急ブレーキ。これを巨人が12連勝だったかで猛追し、いつの間にか首位に並んでしまった。この活躍で原監督は来期も監督を続投することになったようだ。クライマックスシリーズに出場出来る3位を巡って、今後は広島と中日の息詰る戦いが見ものだ。 海の向こうではイチローが8年連続200本安打と言う偉業を成し遂げ、メジャーのタイ記録に並んだようだ。日本人の通算安打記録は張本の3085安打だが、イチローは後8本に迫っているとかで、今シーズン中の新記録達成も夢じゃないようだ。そんな華々しい話題の陰で、NYヤンキースの松井が両膝の手術を決行し、既に退院した由。何とか来シーズンに間に合って欲しいと願っている。 大相撲では横綱朝青龍が2場所連続での休場となった。これで来場所は待ったなし。だが新理事長は優勝を狙えるくらいまで回復してからの出場を容認したようだ。いずれにしても、朝青龍がこれまでのように安閑とはしていられなくなったのは事実。これを機に真面目に稽古に取り組み、さすがは横綱と言われるほど、他の力士の手本になって欲しいと思う。 つい先ほど麻生新総理の記者会見を見た。自分の言葉で新閣僚を発表すると共に、彼らに何を望むかを明言したのも新鮮な試みだった。さらに各社記者からの質問にも臆せず、総理としての明確な意思表示をしたのが印象的だった。これは小沢民主党代表にとっても手ごわい敵になったのではないかと思う。日本の政治はこれからどう変わるのだろうか。
2008.09.24
コメント(4)
さて、近道をして県道へ出たものの困ったことが起きた。飲み水がないのだ。旅館でペットボトルのお茶を買おうとしたがあまりの高さに買うのを止めた。前日マイクロバスで送ってもらった道を戻れば自販機があったのに、近道をしたため目的地まで自販機がないことを覚悟した。どうやらその予想は当たったようだ。まあ良い。リュックの中には梨もリンゴもミカンもある。それを食べれば水分補給になるだろう。 七北田ダムまでの道は長閑で良かった。色づく秋の田。道端の野菊や萩。初めて通る道と初めて見る集落は、まるで桃源郷の隠れ里のように感じる。やがて前方にロックフィル式のダムが見え出した。道は急坂となり雨も強くなった。喘ぎ喘ぎ登り、ようやくダムを見下ろす公園に到着。そこで小休止し、梨を剥いて食べる。早くも喉が乾いたのだ。 そこへ1台の車が停まり青年が降りた。手には釣竿。そしてその先にゴム製のワーム。気味悪がった妻が「何それ?」と聞く。「釣りのためのゴムの虫だよ」と私。どうやらかなり大きいブラックバスが釣れるようだ。青年は柵を乗り越えてダムへ向かい、私達は再び雨の中を歩き出した。 旅館でもらった地図は、コースがはっきり分かるけど縮尺がない。念のために持って来た別の地図と見合わせて多分12、3kmくらいと想定してるのだが、道はくねくねと曲がりアップダウンの連続。その上に雨だ。どうしても目的地が遠く感じる。途中までつけていたラジオも消した。黙々と歩く妻と私。私は雨中のレースにも慣れているが、妻は疲労が増すにつれて気持ちが切れて来たようだ。ついに登り坂で遅れ出す。 「宮城町立大倉小学校白木分校」の標識を見つけたのはそんな時だった。宮城町が仙台市へ併合されてから久しい。それがそのままなのは、合併と同時に閉校されたのだろう。最後の登りを終えて道が下りになった途端に妻の足は速くなり、疲労骨折の左足が痛んで逆に私が遅れ出した。ようやく大倉小学校に着いたのは12時10分過ぎ。そこから定義に向かうバスはなく、仙台行きのバスが間もなく来る。私達はずぶ濡れになった衣服を脱いで着替え、予定を変更して仙台へ帰ることにした。 ハプニングは次々に起きた。バスがダムの堰堤を通って大倉川の右岸に出た時にバス停が見えた。ダムの上が狭いため一方通行で、定義行きのバスは何と川の向こうの道路を通っていたのだ。また熊ヶ根で降りてJRの駅に向かったが、1kmも離れていた上に熊ヶ根で停まる電車は2時間以上なかった。そこは無人駅だったのだ。幸い作並温泉始発のバスが間もなく来て私達は救われ、車中でお握りを食べているうちにようやく体も温まった。 ずぼらな計画で泣いたハイキングだったが、こうして何とか帰宅することが出来た。家に着くと、退屈したマックスが犬小屋の側に大きな穴を掘っていた。まる一日留守番で頑張ったマックスだ。彼を叱ることは出来ない。鍬で穴を埋め、荷物を片付けた後犬小屋に行くと、彼は前よりもさらに大きな穴を掘っていた。<完>
2008.09.23
コメント(2)
駅前を出発したマイクロバスは「西道路」を通り、陸前落合から芋沢、根の白石を経由して旅館へ向かった。最初はどうしてそんな方向へ行くのだろうと思っていたのだが、道路が空いているのに加えその方が近道のようだ。40分ほどで旅館に着くと、係りの女性が迎えに来ていた。てっきり安っぽいバンガロー風の旅館だと思っていたら、本格的な宿泊施設だったようだ。 部屋へ向かう途中の廊下が木の香りに満ちている。敷地内は良く手入れされ、緑が多いのが嬉しい。フロントの女性も感じが良かったし、案内された部屋は広々として気持ちが良い。早速入った温泉も広大で、他に誰もいない。外の景色を眺めながら温泉に浸かるとは、何という贅沢だろう。妻が戻って来て、女湯の方も良かったと言う。深夜0時からは男女の湯が交換になるのが楽しみ。 夕食も好感が持てる内容だった。見た目が美しいけど量は少ないかなと思っていたが、そうではなかった。丁寧に作られた料理。美しい盛り付け。食前酒と地酒で酔いが廻る。妻も大満足し、食後は再び温泉へ行った。すっかり気に入った様子の妻。私もその夜は珍しく1回もトイレに起きず、朝までグッスリと眠ることが出来た。 早朝から温泉に入る。昨夜は女湯だった温泉も結構広い上に、露天風呂の風情が最高だった。妻は男湯から変わった浴槽が気に入ったようだ。朝食はバイキング料理。心が籠もった料理が多くて嬉しい。妻は食後オードブルとコーヒー、私はヨーグルトと杏仁豆腐を少々。妻はこの旅館がすっかり気に入ったようで、また来たいと言う。念のために年末年始の料金を聞いてビックリ。約倍の値段になるようだ。 外は雨。さてハイキングはどうしたものか。妻は私に判断を任せると言う。雨の勢いに一旦は11時過ぎのマイクロバスで帰るとフロントに伝えたが、雨が弱まったのを見て、思い切って定義まで歩くことにした。ただし山道でなく歩き易い県道を行くことにした。女将が「定義までどれくらいかかりますか」と案じている。「分からないけど多分2時間半くらいでしょう」と私。きっと女将は私達の覚悟を確かめたかったのだと思う。 「裏道を行くと近いですよ」と女将はにこやかに見送ってくれた。私は安物のビニール合羽、妻は傘と合羽のズボンと言う出で立ち。念のため熊対策用にラジオを持ち、リュックには鈴をつけている。広い旅館の敷地内で早くも道に迷う。さて、今日はどんな旅になるのだろう。<続く>
2008.09.22
コメント(2)
昨日の夕方から妻と温泉に行って来た。日頃仕事で忙しい妻は、特に秋口になると心情的に野山へ出かけたくなるようだ。私は仕事の合間に、ウルトラマラソン始め、家庭菜園、野球観戦、ブログへの文章掲載など色んな趣味をこなしており、1人でも決して退屈することはない。妻も2つの美術クラブに所属し、月に3回は絵を描いているので満足と思うのだが、どうもそうではないようだ。 野山を歩いて秋の景色を眺める。温泉に入る。バス旅行へ行く。末っ子の妻はそんなことを私と一緒にしたいようだ。この春から私は残業続きでクタクタだった。そんな中で走ったウルトラマラソンは途中リタイヤが多く、しかも「立山」では左足を疲労骨折してしまった。そんな状況でも妻の願いは変わらない。「立山」から帰った週末に早速ハイキングに行くことにした。 バスで終点の秋保森林公園まで行き、そこから秋保大滝まで歩こうという計画だったが、疲労骨折から間もない左足は激しく痛んだ。森林公園の位置が分からなかったため、まさか距離が14km以上もあると考えてなかったのだ。 妻と私は黄色く色づいた田圃を眺め、野の花を楽しんだ。ノアズキ(野小豆:別名ヒメクズ=姫葛)と言う野草の花が珍しかった。秋保大滝植物園へ初めて入り、お寺近くの売店で見つけたナツハゼと言う樹が、よほど買って来ようと思ったほど気に入った。帰りには再び秋保に寄り、共同温泉に入った。 今回の案は山の温泉に一泊し、翌日ハイキングするもの。温泉は私の痛む足にも良いと思ったこともある。行き先は泉ヶ岳の中腹の「やまぼうし」と言う宿にした。何年か前に走った「エンジョグinみちのく」のコースの直ぐ側にあることも、マイクロバスが迎えに来ることも知っていた。青葉城近くで駐車し休んでいるのを、帰宅ランの際に良く見ていたからだ。 計画を話すと妻も大賛成。早速電話番号を調べて料金を訊ねると案外高い。再び妻の了解を得てようやく予約。金額が張るものは、先ず我が家の財務大臣に相談するのがルールだからだ。問題の第一は愛犬マックス。彼にまる一日留守番をしてもらうためには、出かける前にまず十分散歩させて生理現象で苦しまないようにすること。次に前もって翌日分の餌を与え、飢えないようにするのが肝心だ。 第二は山の天気をどう判断するか。台風13号の影響でコロコロ変わる天気予報が実に厄介だった。幸い土曜、日曜とも曇りの予報にはなったが、用心のために私はビニール製の雨合羽を、妻は傘と合羽のズボンを持った。靴はトレッキングシューズにした。後は宿泊の翌日どのコースを取って最終目的地の定義(じょうげ)まで行くかだ。以前一度だけ走ったことのある山道か。それとも初めて通る、七北田ダム経由の県道か。<続く>
2008.09.21
コメント(0)
時期を失してしまった感があるが、気になっていた走友達のレースに結果について記しておきたい。まず私が走った8月の「立山登山マラニック」だが、地元のランナーであるテラさんから書き込みがあった。私がコースの途中にある私設ASでスイカを美味そうに食べている様子が地元のテレビに放送された由。確かに撮られた記憶はあるが、まさか映ることはあるまいとタカを括り、悠然とスイカを賞味していた。でも、あそこでゆっくりしたため関門に捕まった訳ではない。 書き込みしてくれたテラさんは、称名ASには9時30分を少し過ぎた頃に着いたようだ。朝4時のスタートだから、ここまで約5時間30分ほどかかった計算だ。私はここに着いたのが10時6分だから、既に36分差をつけられている。そのうえ八郎坂を登り切るのに1時間40分も要した。 テラさんが室堂の関門に着いたのが12時40分。制限まで悠々20分を残している。そして長袖シャツに着替え、さらに上下とも登山用の雨具を身に着けた由。これは彼が所属する「いたち川RC」の掲示板に彼自身が書かれている。このしっかりとした雨対策と寒さ対策こそが雄山頂上への完走と安全を勝ち得た要因だと思う。今後の対策として是非参考にして欲しいものだ。掲示板にはテラさんが「立山」に備えてかなり走りこんでいたと、多くの仲間が書かれていた。見事な完走の陰には、やはりそのような努力があったのだ。 「立山」ではウォークの部に出られていた雲峰師匠だが、その後「東海道53次ウォーク」に出られたようだ。535kmもの距離がある同レースだが、4クールに分かれ、全部で13ステージの予定だそうだ。まだ確認していないが、ひょっとしたら既に帰宅されているかも知れない。それにしてもほとんど家を留守にして全国を歩いている元気さは、一体どこから来るのだろうか。 「京丹後100kmウルトラ」に出場された長野の走るナースさんは、直前の負傷にも関わらず、見事完走されたようだ。それも87km地点の関門通過はわずか2分前で、ゴールも制限の4分前だった由。当日の猛暑で60km過ぎからはヘロヘロ状態だったと言う彼女。それでもゴールを目指したのは、結核の身でシベリアから帰還した父上が上陸した舞鶴の「引揚記念館」を見学し、心に期するものがあったからだろう。感激も一入のゴールシーンが目に浮かぶ。 206kmの長丁場である「佐渡島一周」の情報が入った。秋田のJunさんは522kmの「川の道」で傷めた足の調子が悪い中、35時間17分の記録で6位になったようだ。レース前にはかなり不安を抱いていた様子の彼だが、果敢に自己最高記録を狙ったのは立派の一語。目下完走記を書き始めているようで、楽しみながら読ませてもらおうと思う。 我が宮城UMC代表として参加されたT田さんのメールと宮城UMCの掲示板への書き込みから、ようやく様子が分かって来た。今回は夫婦岩にあるホテルをスタート地点とした時計回りのコースに変わっているが、いつものように写真を撮りながらのランで合計304枚の写真を撮ったと言うからビックリだ。昨年のように幻覚も見ることがなく、残念とはいかにも彼らしい感想。41時間28分でのゴールだったようだ。 一方、今回はASを手伝うと話していたK藤さんも、最後まで走られたようだ。T田さんから送られた写真の中にK藤さんに似た人が写っていて、世の中には良く似た人がいるもんだと驚いていたのだが、掲示板への書き込みで納得。彼女も昨年の記録を大幅に塗り替えての完走の由。たった一人での長旅は辛かったと思う。本当にお疲れ様でした!! 新潟港で銀のねこさん(新潟のK斐さん)が彼らを出迎えてくれたことも写真などで分かった。因みに彼女は確か妊娠7ヶ月に達する頃だと思う。かつての走友に迎えてもらった選手達は、さぞ励みになったことだろう。そして来週末は多くの走友が「秋田内陸」へ向かう。残念ながら疲労骨折の痛みが残る私は参加できそうもないが、走友各位の敢闘を祈っている。少しでも早くアンヨが治って再び走ることが出来るよう、今日は夕方から妻と近郊の温泉へ出かける予定。
2008.09.20
コメント(6)
今日は早番勤務と遅番勤務を交代してもらって、市が実施する健康診断を受けに行った。もちろん職場の健康診断も間もなくあるのだが、郵送されて来た市の健康診断の方が中身が濃いので、そちらを受けることにしたのだ。それに年度内に65歳になるからか、わずか千円で前立腺がんの検診も受けられると言う。これは行かない手はないだろう。会社へは検診結果のコピーを届ければ良いだけだ。 受診可能な病院名の中に、比較的近所の病院の名があった。私は現在高血圧の治療である病院に通院している。そこの病院が職場の健康診断を受診した病院だったからだ。ところがそこはかなり遠い。症状が比較的安定しているので、わざわざそんな遠い病院へ行くこともないだろう。今回の健康診断の受診をきっかけに、近所の病院を「掛かり付けの医者」にしたらどうかと言う思いもあった。つまりこれからの余生を、新しい病院と付き合おうとしたのだ。 幸か不幸か、その病院はかなり混んでいるらしい。先生が人気があるのだろうか。交通の便が良い場所に立地していることは間違いない。そこで7時20分ごろには病院に行って待っていた。残念ながら7時50分にならないと扉を開けないことが分かった。当然私が一番乗りだった。スポーツ新聞でも読もうとしていたら、奥さんの診察券を出しに来た老人がしきりに話しかけて来てとても読めない。 しかたなく話しに付き合う。最近心臓の手術を受け、本人もこの病院に薬をもらいに来てるのだとか。年齢は72歳。その割にはとても若々しい。血管がドロドロの血液で塞がっていたとか。それでバイパス手術を受けたようだ。手術を機会にタバコも止め、今はとても調子が良いと言う。これまで通院していた医者が3人とも、亡くなったり病気で病院を閉鎖したためにこの病院へ来たとか。この病院の本来の専門は消化器内科。私も小父さんも循環器系統の病院が良いのだろうが。 ようやく受付を済ませ、検査のための採尿が始まったのは9時前だった。2時間近く待った上、朝から何も食べてないためフラフラの状態。もちろん愛犬との散歩もいつもどおり済ませている。採血は簡単に済み、しかも「前立腺がん」の検診も兼ねて、たった1本の採血で済むと言うから助かる。心電図を撮り終え、最後に医師が問診しながら再度の血圧測定。会話がかなり横柄な口ぶり。私の職業が警備員と知ってのことだろう。これから長く付き合うことになると考えていただけに、少し残念な気持ち。 着ていたTシャツからマラソンの話になり、私がウルトラマラソンの話をすると、少しずつ態度が変化して来た。2週間後に検査結果を聞きに行くことになる。検査はそれで終わるのではなく、「眼底出血」を見るために眼科へ行くように指示される。こうなりゃ続けて眼科へ行くしかない。ところが普段5時半ころから摂る朝食が今日はまだ。これではとても体が持たないと思ってコンビニの店内で味噌汁を飲みながら弁当を食べた。妻には検査の後、家に帰ってから朝食と言っていたのだが。 眼科にも大変な数の患者。それも老人が多い。3月に耳鼻科に行った時も患者が多かった。街中の耳鼻科や眼科がこれだけ混雑してるとは思いもかけなかった。眼科の方は比較的簡単に済んだ。優しい感じの女医さんだった。ここともいずれは付き合うことになるかも。検査結果は先ほどの病院に送られ、料金も無料とのこと。ようやく帰宅したのは11時過ぎ。金曜日ということもあって疲労が出たのだろう。果物とお菓子を食べたら、眠気がして1時間以上も眠ってしまったようだ。 それから愛犬との2度目の散歩を早めに済ませて自転車で遅番勤務に急ぎ、9時前に帰宅した時にはすっかり草臥れ、ごく簡単な日記しか書けない状態になっていた。そんな訳で、昨夜書いた文章は全面入れ替えた。今日9月20日(土)は妻と近郊の温泉に行く予定。その前に家の片付けをし、改めて今日の分の日記を書く積りです。
2008.09.19
コメント(4)
昨日、私が仕事へ行っている間に長男は三重に帰ったようだ。私の書斎には彼がかつて遊んだ大量のゲーム機とそのソフトなどが、段ボール箱に山のように積まれていた。妻が少し片付けて欲しいと言ったことは知っていた。彼の答えは「あまり煩く言うと、もう仙台へ帰って来ないよ」だったそうだ。 息子とは一昨日、Kスタへ楽天対日ハム戦を観に行った。球場へ行く前に私は彼の分も含めて夕食を買って、リュックの底に潜ませていた。球場への飲食物の持込は禁止されており、厳しいチェックがあるからだ。彼は途中で何か買い物をしていた。そして球場に着いてからも単独で行動していた。 彼が隣の座席へ来たのは、試合が始まって暫くしてからのことだ。Kスタの様子をカメラで撮影していたのだとか。手には海鮮丼、手羽先の唐揚げ、ポテトフライ、それにビールを持っている。全部自分の分だけだ。私は仕方なくカツどん弁当と彼のために買った腹子めしを食べた。Kスタへ行きたいと言う彼のためにわざわざ内野席のチケットを買ったのに、御礼を言うわけでもない息子。自分が食べたいものだけ買って来た息子。途中の店で買ったのは、紙パック入りのコーヒーだった。それだと持ち込めることを知っていたのだ。 熱心な中日ファンの息子は、そのために東京の仕事を辞めて、名古屋に近い三重で仕事を見つけたのだ。ゲーム機に埋もれた筑波時代。そこでの職場は私の友人に特にお願いして採用してもらったのだが、自分で自分の仕事の範囲を狭めた結果リストラの対象になって、一時仙台へ戻って来たことがあった。 4千グラム近い胎児だった長男は妻が出産に手間取ったせいかチアノーゼ状態で生まれ、泣き声も上げなかったようだ。その時に脳への酸素供給が遅れたわけでもないだろうが、彼は人に比べて理解が遅い面がある。人とのコミュニケーションもさほど得意ではないが、今はそれなりに仕事をして収入を得ている。 ゲーム機、中日への応援、食べ物など、彼の拘りは強い。野球に対する知識も豊富だが一面的で、何事も「オタク」っぽい感じが否めない。果たしてそんな息子にも嫁の来手があるのかどうか。仙台に帰って来る積りがあるのかどうか。自分自身の老後も含め、間もなく30半ばになろうとする息子が人生設計をどう考えているのか等等、親の心配はどこまでも尽きない。 試合は岩隈の好投で楽天が勝った。ジェット風船が乱れ飛ぶ光景を携帯で撮り続ける息子。自転車を飛ばしての帰宅後、息子がポツリと言った。「好きなのだけ食べてたらメタボになるね」。私は彼に言った。「たくさんのお土産をありがとう。三重に帰ったら体に気をつけてね」。言いたいことは山ほどあるけど、どんな生き方をしても悪事にだけ手を出さなければそれで良い。そして健康であることもだ。 山と積まれたゲームソフトや中日ドラゴンズの応援グッズ。それらは家庭ゴミの袋に詰め替えられて、いよいよ明日の朝、ゴミ収集所に持って行く予定だ。愛犬との夕方の散歩の時にススキを数本切って来た。それに裏庭の萩と花壇のワレモコウも切って、花瓶に飾って見た。季節はもう秋。今夜は息子が大事な物を少しでも整理したことを祝って、妻と2人秋の草花でも眺めてみよう。
2008.09.18
コメント(4)
<獣医の欲望> 軟式用のテニスボールは柔らかい。そのためにひしゃげながらマックスの口から飲み込まれ、胃に到達してしまったのだろう。堅いボールなら飲み込まれる恐れはなかったのだが、軽く考えた私が浅墓、完全な不注意だった。マックスはそのまま手術のために2日ほど獣医さんのところに入院して、手術を受けることになった。 手術が済み、術後の経過が良かったマックスは退院出来る事になった。引き取りに行くと喜んで尻尾を振り、あっという間に診察室内の植木鉢におしっこをした。きっと2日間、我慢をしていたのだと思う。ほとんど散歩の時にしかおしっことウンチをしないマックス。だから相当に苦しかったはずだ。 料金を支払った後で獣医が言う。「開腹したら肝臓が黒ずんでいました。これは餌が粗末なせいですから餌を変えてください」と。私達は反論した。「今与えてる餌はブリーダーから推薦された米国のものです。良くない訳がありません」。1袋5千円近くする餌のせいで、マックスの毛並みには光沢がある。原料も厳選された高品質のものなのだ。獣医は立場を利用して、自分が推奨する餌を買わせようとしていたのだった。 そのほかのこともあって不信感が募り、一時期他の獣医に代えたことがあった。でも人気のある他の獣医からはもっと高額な料金を要求された。幸い数年前ごく近くに新しい獣医が開業したこともあって、マックスを手術した獣医の態度が急に良くなった。大事なお客を奪われては大変と、愛想よくなり法外な請求もしなくなったのだ。 マックスの通院は年に2回。2月には7種混合ワクチンを注射。そして5月にはフィラリアの薬6回分をもらいに行く。そして市が行う狂犬病の注射が4月にある。車のない我が家ではすべて徒歩での受診で、結構距離も遠い。幸い私もマックスも毎日の散歩で鍛えてるせいか、それが少しも苦にならない。 今でこそ落ち着いているが、幼犬の頃のマックスは獣医や狂犬病の注射が嫌いだった。きっと獣医や注射の実施場所が近づくと、仲間の鳴き声や匂いで察知するのだろう。ある時は首輪が抜けて「脱走」し、危うく車に轢かれかかったことがあった。首輪が緩かったのだ。必死になって捕まえ、直ちに新しい首輪を買ったのは言うまでもない。 ともかく、マックスと暮らした10年の間には色んな出来事があった。そしてその都度、私達とマックスの絆が強くなったのだと思う。今は家族同様の1匹の犬。マックスの話を書き出したらきりがないのだが、きっと読者は退屈なことだろう。次回はマックスの冒険談を中心に紹介しようと思う。ただし、「マックスシリーズ」の合間に、折に触れて他の話題を入れようと思うので予めお断りしておきたい。<続く>
2008.09.17
コメント(4)
昨日の夕方、妻が私の部屋に来て長男がなかなか帰って来ないと言う。それに愛犬のマックスもだ。「きっと散歩だからそのうち帰って来るだろう」。私は何の心配もしてなかった。ようやく日記を書き終えて居間に行った時には、辺りは真っ暗になっていた。そのうち物音がして、1人と1匹は帰って来た。 長男は足の甲に怪我をし、マックスは背中が濡れているようだ。小雨でも降ったのだろう。私はそう思っていたのだが、長男の話を聞くと山の中で迷子になったとか。長男がこの家に住んだのはわずか7ヶ月程度。その間に出歩いたのはごく限られた範囲。山の近くまでは前に行ったことがあるらしいのだが、そこからマックスが急に引っ張り出したのだとか。長男は慌ててリードを放し、マックスは喜び勇んでドンドン前に進み、あっという間に小川に飛び込んだようだ。 長男は内心慌てたものの、マックスが川から上がるのを待っていたそうだ。そして再び見知らぬ方向へ行ってしまい、歩いていた人に道を訊ねたとか。何とか知ってる道に出て、ようやく帰宅出来たと話す長男。彼が履いていったのは、台所の外に置いていあるサンダル。これで山道を上り下りすれば、足が傷つくのは当たり前だ。真っ暗の知らない道を歩いて、さぞかし長男は不安だったのだろう。 マックスもやけに興奮して、なかなか犬小屋へ入ろうとしない。とうとう昨夜は玄関に入れた。夕食を済ませ、長男が自分の部屋に入ってから、ようやくマックスは落ち着きを取り戻した。長男はマックスが下痢をしたとも言っていた。それは川の水を飲んだからだ。 マックスはラブラドルレトリバー種のオス犬。彼らの先祖はカナダのラブラドル半島で漁師の手助けするために海に飛び込み、ロープを咥えて岸まで引っ張って来るのが仕事だったとか。だから物を咥える力も相当のものだし、水を見たら直ぐに飛び込もうとする本能を持っているようだ。普段離れて暮らしている長男は、彼らの習性を良く知らなかったのだ。 そのマックスは今日が10回目の誕生日。人間の歳に直すと56歳に相当するとか。さてマックスが我が家に来た経緯について記しておこう。当時、花嫁修行のために家に帰っていた長女が、彼と離れて暮らす寂しさから犬を飼いたいと言い出し、福島の山奥に在るブリーダーから譲ってもらったのがマックスだった。何故か目と目が会い、すっかり気に入ってしまったのだ。本当は生後1ヶ月は母犬や兄弟犬と一緒の方が良いらしい。ところがマックスはその少し前に我が家へ引き取られた。 キャンキャンと煩く鳴くマックス。赤ちゃん犬が急に母親や兄弟から離されたのだから無理も無いのだが。ともかくそうしてマックスと私達の暮らしが始まった。幼犬の頃のマックスはとてもやんちゃだった。家の周囲をグルグル走り廻り、成長するにつれて今度は色んなものを齧り出した。屋外のコンセント、空調機の配水管、給湯器の外部配線など。それに彼が走り廻ったことで枝をへし折られた植木も数多い。 あまり煩く騒いだために強く叱ったことを後悔したのは、平成10年11月の長井マラソンに行った時だったと思う。彼が我が家に来てまだ1月も経ってなかった時だ。ラブラドルレトリバーの幼犬には変な習性があるが、小石を飲み込むのもその一つ。初めてそれを見つけた時はビックリ仰天したものだ。ある時。軟式ボールを咥えたまま走っていたのだが、いつの間にかそのボールが見えない。3日間ほど後に下血したため獣医に行くと、レントゲン写真の胃の部分に白いボールがくっきりと写っていた。<続く>
2008.09.16
コメント(4)
今朝の起床は4時頃。祝日なのでもっと眠っていたいところだが、今日は娘と孫が帰る日。結構早い時間に私が空港へ見送りに行く予定だったため、目覚めてしまったのだと思う。妻は3時から起きていたと言う。いつものように愛犬との散歩を済ませ、妻と朝食を摂る。妻は今日から仕事だ。朝食を食べずに空港へ向かうと言う娘達のために、お握りを作り始める妻。 そこへ長男も起きて来た。いつもなら昼ころまで眠っているはずなのだが、やはり気になって目が覚めたのだと思う。そもそも今回長男が帰省したのは2人の姪に会えるからだと妻が言っていた。そんなことで、空港へ送りに行く役が急遽私から長男に代わった。レンタカーのガソリン代を払ってやろうと長女に話すと、既に前夜妻からお金をもらって満タンにしたとか。 起き出した2人の孫の着替えと支度が終わると、慌しく4人は車に乗り込み空港へ向かった。車の中から振られる可愛い手。予想外の別れになったが、これもまた人生の決まりごとかも知れない。3日間騒がしくも楽しませてくれた孫達。彼女達の日記帳に、昨夜は私もほとんどひらがなで感想を書いた。 3人が去って、我が家は急に静かになった。娘達の3年ぶりの里帰りは、あっと言う間の出来事だった。喧嘩しながらでも夫婦で暮らしている我が家はまだ良い。夫君の実家におられるお母さんは病弱で、孫達が帰るとうつ状態になると言う。夫君を早くに亡くされた上、一人っ子の長男は転勤で家にいない。長い間可愛がっていた猫も死に、本当の一人ぼっちになって本当にお気の毒だ。 妻は仕事へ行った。私は気持ちを切り替え、愛犬を庭に放って畑を耕し始めた。昨朝、畑を片付けた際に最後の収穫。まだ若い15cmほどのゴーヤが10本以上採れた。それに僅かなミニトマトとピーマンも。耕した後に堆肥と石灰を撒いて畝を整え、東側の畑には昨年の秋に余った京水菜と冬菜の種を蒔き、南の畑には春菊の種を蒔いた。2本の畝はタマネギ用に残す。10月にならないと苗が販売されないからだ。 畑仕事と併せて植木鉢の植え替えもした。この夏、挿し木していたゴムの木は掘り上げて植木鉢へ。これはいずれ私の部屋に置こうと思う。妻がもらって来た何鉢かのシャコバサボテンは、大き目の植木鉢にまとめて寄せ植えにしてみた。花が枯れたガレージ付近の植木鉢にも、花を植え替える。 空港から帰った長男が、大量のゲーム機とソフトを始末し出した。長女は子供の頃に使っていたピアノの教則本を始末して行った。どうやら妻に整理するように言われたようだ。時々帰省する2人の息子は、我が家を物置代わりに不用品を置いて行く。だからたまに始末をしないと整理がつかないのだ。引き抜いた野菜の残骸も含め、大量のゴミを私は集積所に運んだ。 昨夜の夕食のメニューは塩竃で買った岩ガキとホヤ、長男が送ってくれた松坂牛のステーキ、それに妻の手作りの筑前煮などだった。さすがに1枚3200円したと言うステーキは美味しかった。今夜の夕食はそれに比べればぐっと質素になるはずだ。 明日からは私も仕事が始まり、残業になるはず。2人の孫がもたらしてくれた至福の時が去り、いつもの日常が戻るだろう。明日は愛犬マックスの10回目の誕生日。そして夜は長男に付き合い、Kスタへ東北楽天対日ハムの試合を観に行く予定だ。
2008.09.15
コメント(6)
昨夜、夕食時にビール2本を飲んだ長男は、そのまま朝まで爆睡したようだ。よほど疲れていたのだろう。一方、長女は風呂に入らず、近くの温泉に行ったようだ。妻と2人で「体の具合でも悪いんだろうか」と心配していたのだが、「ただ温泉に入りたかっただけ」とか。そう言われてみれば徳島、香川、愛媛には温泉があるが、高知県には温泉がなかったかも知れない。 今朝はいつものように起き、いつも通り愛犬と散歩し、皆の起きる前に一人で朝食を済ませた。おかずは冷蔵庫の中の余り物で十分。食べ終わる前に起き出した妻が味噌汁を作ってくれた。朝食後は古新聞、古雑誌、ダンボール箱、雑紙など子供会の資源回収ごみを出す。 その後庭に愛犬を放ち、畑の始末。孫娘たちも起き出して、恐る恐る愛犬に近づく。3日目にしてようやく犬に慣れてきたようだ。嬉しそうに跳ね回る愛犬。愛犬を放したのは、生き物と触れ合う楽しさを孫達にも知って欲しいと思ってのこと。2人の孫娘に収穫を手伝ってもらったミニトマト、トマト、インゲン、ゴーヤの支柱と苗を抜き、すべて始末する。合わせてピーマンとナスの苗も抜いた。 私以外の朝食はパンだったようだ。洗濯などを済ませてから娘の運転する車で松島へ向かう。湾内を遊覧船で一巡りしようという試み。妻と幼かった頃の長男、長女は乗ったことがあるようだが、記憶はないみたい。2人の孫は高知の桂浜で乗ったことがあるとか。私は松島湾の遊覧船は初めての経験だ。静かな湾に浮かぶ数多くの島それぞれに趣がある。2年生になる孫娘はもらった図面と島を熱心に見比べていた。船尾からウミネコに餌を与えたのも面白かったようだ。 巡航の途中で雨が降り出したが、幸い港に着いた時には雨は上がった。前夜妻の姉から聞いた塩竃市にある評判の寿司屋に立ち寄る。さすがに有名店のようで、順番を待ってる人が店の内外に。大人4人は最上級の握りと散らし、上の孫は廉価でワサビ抜きの握り、下の孫はお子様寿司にした。全員アサリの味噌汁付きで、それに私と長男はビール。遊覧船も寿司もすべて私の奢り。最近残業が多かったために懐具合が少し良かったからだ。 帰宅したら洗濯物が雨でびしょ濡れだった。明日の朝早く帰宅する娘は早速荷造りにかかる。お土産を買い過ぎ送る荷物が多くて大変とこぼす。その送料も気前良く私が出してやることにした。自由になる小遣いを自分で稼いでいるありがたみを感じるのはこんな時だろうか。長男とは明後日、東北楽天と日ハムの試合を観に行くことにしている。これも私の奢り。 夕刻、長男が三重から送った宅急便が届いた。何と中身は分厚い「松坂牛」のステーキ用6枚ほど。かつて出張先のオーストラリアで500gのステーキを食べ残したことがあるが、多分それに匹敵するだろう。娘もたくさんのお土産を持って来てくれた。妻の姉からはそのお礼にと、仙台名物の牛タンをお土産に届けてくれた。折りしも明日は敬老の日。爺さん婆さんにとって家族の里帰りによって孫の顔が見られるのは、何にも優るプレゼントだろう。
2008.09.14
コメント(4)
里帰りしたのは3年ぶりと娘が言う。そうか、昨日のブログには2年ぶりと書いたけど、どうやら私の記憶が違っていたようだ。すると前に来た時、上の孫娘は4歳で、下の孫娘は2歳だったことになる。下の孫娘に「爺さん」の記憶がなかったのも無理はない。 娘が少しやつれている。2人の子供の世話に夫の世話。時々は仕事も入れているようだが、体のことが心配。でも言葉がすっかり土佐弁になっている。四国で娘が最初に住んだのは徳島県。これは私の転勤によるもの。それから何年か後に愛媛県。これは大学の所在地。不思議なことに私も1年後娘と同じ大学に転勤し、家族が一緒に過ごしたことがあった。 就職したのが香川県で、一時花嫁修行で我が家に帰っていたものの、高松で結婚生活を送り、夫君の転勤で再び愛媛へ。ここは夫君の出身地でもあり、私の7番目の任地でもあった。そして現在は転勤で高知県。グルリと四国を廻りながら暮らしている娘。企業戦士の夫君も忙しそうで大変だろうが、まずは健康第一で暮らして欲しい。 昨夜、2人の孫娘が夕食の準備を手伝ってくれた。まだ7歳と5歳だが、女の子は男の子とは明らかに違う。今朝は私と一緒に畑から野菜を摘む手伝い。庭には蚊がいて刺されるのだが、2人とも良く頑張っていた。防虫スプレーでも効かず、私が買っておいた虫刺され用の薬が役に立った。 朝食後、娘の希望で妻方の墓参りに行った。娘は妻方の祖母の記憶はないものの、長生きし、自分の結婚式に四国まで来てくれた優しい祖父の思い出が今も強く残っているのだろう。その後妻方の実家に挨拶に寄り、私を除き皆で空港まで長男を迎えに行った。彼らが帰宅したのは夕刻。聞いたらいつもの通り、長男が2人の姪のために玩具を買って上げたために遅くなった由。 長男の帰省は2年ぶりくらいか。仕事のストレスからか、相変わらずのメタボ体型。私とはろくろく話をする訳でもないが、家に帰って少しは寛いでいるのだろう。彼らが帰宅するまでの間、私はビールを買いに行った。今夜は家族で円卓を囲み、ビールで乾杯することになるだろう。 階下からは下の孫が練習するピアノの音が聞こえる。上の孫娘は先ほど練習を終え、私がブログを書いてる部屋へ顔を出した。台所では妻が包丁を振るう音。そして娘の声も。手持ち無沙汰の長男は、愛犬と散歩に行ったようだ。散歩は既に私が済ませたのだが。玄関に散らばった大小の靴。それらは久しぶりに集った家族の証。家族。同じ血に繋がる者。そして生命の不思議さ。小さな孫の成長は、爺婆の老後の大いなる楽しみだ。
2008.09.13
コメント(2)
階下からピアノの音が聞こえて来る。最初は下の孫娘の拙い音。そして暫く後に、今度は上の孫娘のしっかりした音が。我が家にピアノの音が響くのは2年ぶりのこと。あの時ピアノを弾いたのは上の孫娘だけだったが、その彼女も7歳になった。1週間の肉体労働の疲れも、疲労骨折の足の痛みも忘れさせてくれる音楽の力。それが孫の弾くピアノならなおさらのこと。まさに癒しだねえ。 今日定時で帰宅すると、留守中に宅急便と書留を届けに来た形跡があった。今朝方、妻は空港まで娘達を迎えに行き、帰りがてら買い物と食事を済ませて来ると言っていた。久しぶりに冷やし中華を作って昼食とし、食後に運送会社と郵便局に電話。書留は多分来年65歳になるため、国民年金関係のものだろう。これは明日でも構わないが、宅急便は娘が高知から送ったもの。これが今日中に届かないと困ると思い急いで連絡した。 昨夕、走友会のKさんへ断りのメールを送った。先日「秋田内陸」へ行く際の集合時間と集合場所について案内をもらっていたのだが、左足に痛みがある状態で秋田へ向かうのは無謀と判断したからだ。1週間もすればかなり痛みは薄らぐだろうが、それでも走れるのはゆっくりペースで、せいぜい10kmくらいのものだろう。 疲労骨折はこれで3度目。最初の時は整形外科の医者が大丈夫と言うので走っていたらさらに悪化し、別の病院でMRIを撮って初めて骨折と判明した。あの時の無理が響いてその後5年間ほど影響が残り、思うような走りが出来ない時期が続いた。苦い思い出だ。8年後の今回はさらに老化が進んでいるだけに、なおさら無理は禁物。3年ぶりに開催される秋田への思いは強いが、残念ながら断念せざるを得ない。 秋田に関しては、前々から予約してある角館の旅館や、既に決定しているであろう配車にも影響する。お世話役のKさんや一緒に行く仲間達には大変な迷惑を掛けてしまうが、今はただ謝るしかない。皆さん、済みませ~ん!! さて今日の未明、秋田のJunさんは車で新潟へ向かった。明日スタートする「佐渡島一周」へ参加するためだ。春先の「川の道」で傷めた足の調子が悪いと言っていたJunさん。その後には「秋田内陸」が控えているだけに、あまり無理をして欲しくない。宮城UMCの仲間である大崎市のT田さんもJunさん同様に、「佐渡島一周」、「秋田内陸」、「越後くびき野」の3連荘。走りながら得意のカメラで撮影する離れ業は、きっと今回も健在だろう。 先日「立山」で一緒だった宮城UMCのK藤さんは、「佐渡島一周」ではエイドを手伝われる由。そして「秋田」と「越後くびき野」は100kmの部への出場だが、共に50kmずつ走れば合わせて100kmになると笑って話していたっけ。 長野の走るナースさんは、「丹後100km」に向けて今日か明日出発するようだ。先日ブログを拝見したら、テニスで膝を強打し怪我をされたとか。でも、舞鶴には戦後外地から引き上げて来られた父上の思い出があるため、どうしても参加したかったのだとか。あまり無理しない程度に走って来てくださいね~!! 宮城UMC仲間のT脇さんは「鶴岡100km」へ行かれたと、M仙人が掲示板に書き込みしていた。まだ若かりし頃、何度か「鶴岡」へ参加していたそうだが、再び制限11時間の厳しいレースへ挑戦しようとする意気込みが凄い。走友達のそれぞれの挑戦に拍手を送り、それぞれが無事スタートラインに立て、かつ無事帰宅出来ることを祈っている。 ブログを書いているうちに、いつしかピアノの音も止んだ。台所からは何だか良い匂いが漂って来る。妻と娘が仲良く台所で夕食の支度をするのも久しぶりのこと。今夜は安心してぐっすりと眠れそうな気がする。たまにはこんな週末も良いものだ。さて、夕食のメニューは何だろう。そして2人の孫と一緒の夕食はどんなだろう。
2008.09.12
コメント(2)
「立山の始末記」を夢中になって書いてるうちに、ずいぶん日が経ってしまった。その間に国内でも我が家の中でも、実に色んな出来事があった。その最たるものは何といっても福田総理の突然の辞任表明だろうか。総裁選に立候補する5人の候補者も出揃い、民主党の小沢代表が再選されたニュースなどどこかへ吹っ飛んだ感がある。 しかし2代続けて最高主権者の内閣総理大臣が任期途中に辞任するなど、どう考えても尋常とは思えない。投げ出した当の本人が国民に対してお詫びする気持ちなどないのだからどうしようにもない。また後継者選びが何だか人気投票みたいに報じられるのも変だと思う。日本がどうあるべきかよりも、自分の党が選挙で勝つための方策の方が優先されているように思うのは私だけか。 大相撲の世界では大麻に汚染された外国人力士が3人も解雇され、理事長や所属する部屋の親方が辞任したり降格することになった。新理事長の元横綱三重の海は、今回の事態を重く見て、特に外国人については入門前から日本の言葉や文化などを教え込むような改革を断行するようだ。甘ったれた朝青龍などにも厳しく注文をつけるとのこと。大いに賛成だ。問題が起きてもなかなか責任を取らなかった前理事長の元横綱北の海にとっては、今回の辞任は無様な最後となりこれまでの相撲人生に汚点を残したのではないか。 つい最近では、北朝鮮の金正日主席が死亡したとか、脳の病気で重態になったとのニュースが飛び交った。真偽のほどは分からないが、既に同主席は数年前に死亡しており、今回病気で倒れたのは2番目の影武者だとの説も在るようだ。またごく最近北朝鮮に拉致されたと考えられる同胞もいるとの報道もあった。どうもあの国はイマイチ良く理解できない国だ。 そんな大それたこととは別に、我が家でも幾つかの出来事があった。隣家との境界線問題がようやく解決して、隣家の息子さんの家の工事が始まったこともその一つだ。痛い足を引きずって妻とハイキングに行ったこと。忙しい中、Kスタへ楽天の応援へ行ったこと。畑の夏野菜を始末しつつあることなどについては、いずれ改めて書きたいと思う。 私宛に「ねんきん特別便」が届いたことも大きなニュースだが、約42年間支払い続けた年金の掛け金に記入漏れがなかったのは何よりだった。夏の終わりに曇りや雨が続きジメジメしていたが、ほぼ1ヶ月ぶりに仙台に夏日が戻ったのもつい最近の出来事だ。 私が勤務する第2現場のビルでは、明日から一部引越しが始まる。そのビルでの私の仕事は当分の間続きそうな気配だが、一緒に働いている仲間も含め、その後の勤務先がどうなるかはまだ分かっていない。 そして何よりのビッグニュースは、高知で暮らしている長女が2人の孫を連れて明日里帰りをすることだろうか。明後日にはそれに合わせて三重の長男が遅い夏休みを取って帰省する予定のようだ。何かと忙しくなりそうだ。そして私もいつもとは違って、父の顔や祖父の顔をすることになるだろう。2年ぶりに孫に会える明日が待たれてならない。
2008.09.11
コメント(10)
<それぞれの成果> 帰宅した翌日から立山の始末記を書き始めた。60km地点標高2450mの室堂まで走った疲れ、再び始まった残業の疲れ、左足の痛みと戦いながらの作業は、それでも10回分の大作になった。パソコンの前に飾られた参加賞の手ぬぐい。そこには海抜0mから3003mまでのコースを懸命に走る選手の姿がある。それを見ながら気力を奮っての作文だった。 TANさんの帰宅の翌日のHPには、早速「立山登山マラニック」に関する紹介が載っていた。大会要項から転載した内容に加えて、実際に参加した彼の経験を踏まえて、「大会の情報」、「案内」、「私の場合」、「気づいたこと」など細かく記載されている。今日改めて見たら、さらに内容が充実していた。「立山」を目指すランナーにとって良い案内書になると思う。 亀仙人さんのHPには、数日して「立山」のレースの模様が写真入りで紹介されており、その中に懇親会の時の同氏と私が写った写真が載っていた。嬉しく眺めていたのだが、今日覗いたらその部分がもう無くなっている。きっと私に無断で掲載したのが拙いと判断されたのだろうが、私は特に気にしてなかったのだが。(笑)それはともかく、彼の書かれた文章の中に、「来年の課題が分かった」とあったはず。今回室堂で終わったレースを反省し、既に来年の作戦を練っているところが並みのランナーと違うところだ。 途中でお会いした地元ランナーの方からは、ブログへ書き込みがあった。今回は還暦記念の参加だったそうだ。初参加で初完走は立派の一語。それも時間短縮と気象条件が悪い中での見事な完走だ。よほどこの日のために練習を重ねて来られたのだと思う。富山県では昔から一度は立山の頂上に立つのが男子の証とか。彼はそれを海抜0mの海から走って実現したのだ。 走る歌人、雲峰師匠のHPには今回参加した際に詠まれた短歌数点が数日前に掲載された。そのうち何点かを以下に紹介したい。このことは師匠の了解を得ていないが、心の広い師匠のことだ。きっとお許しいただけると思う。 ぽつぽつと落ち始めたり標高の 二千五百の雨の冷たし 高原に降る雨冷たしゴールなる 雄山山頂ガスに覆はる 土砂降りを簡易合羽にわれ濡れて 着替へに苦戦す手が悴(かじか)みて 手袋を嵌めむとするが悴みて 萎えたる指に力が入らず 抜きて行くビニール合羽の剛の者 透けてランパンランシャツが見ゆ 閂(かんぬき)が下りて閉ざせり山頂の 神社のお祓ひ山小屋の中 私の成果は何も無い。ただ自己満足の駄文を書いただけだ。それでもTANさんからは、「立山」に挑戦しようと思ったのは昨年私が書いた完走記を読んでと聞いたし、地元富山のランナーも同様の時期から私のブログを訪れてくれていたように思う。パソコンの知識に疎い私は、とても他の方のような内容のあるHPを作る事は出来ないけど、文章に関するひたむきさについては自負している。一過性のブログが、何かのお役に立てれば嬉しいと思う。 今日さる方のブログを読んだら、あの日の山頂はかなり悲惨な状況だったようだ。気温は3度。低温と酸素不足による高山病の症状。カップ麺を食べて暖を取ろうとして山小屋に殺到するランナー達。頂上手前で意識が無くなりながらテレビ局のインタビューに答えていた人。友のザイル確保で辛うじて下山できた人。救助しようにもヘリコプターも飛べないほどの悪天候。室堂では元気だった人も3003mの頂上へ向かったことにより、体力と体温を奪われ意識が朦朧とした人も多かったようだ。 果たして1時間制限時間を短縮したことがランナーの安全につながったのだろうか。逆に悪天候と相まってランナーの心を追い込み、無理な登山を強いた面はなかったか。どうやら私の左足の痛みの原因は疲労骨折から来たもののようだ。これは過酷なレースによる負傷とは言わない。きっと加齢による筋力の衰えと、蓄積疲労からのものと思う。これで楽しみにしていた3年ぶりの「秋田内陸」への参加に赤信号が点った。 色んなことがあった今年の「立山」だが、それでも素晴らしい大会であることだけは間違いない。自然を舐めてはいけない。そして山の天候を軽く考えてはいけない。万葉の時代から、人は立山を神と畏れ、敬い続けて来たのだから。<完> 立山に降りける雪を常夏に 見れども飽かず神からならし 大伴家持TANさん、亀仙人さん、雲峰師匠のHPへは、それぞれ上のブックマークを開けば辿り着くことが出来ます。
2008.09.10
コメント(12)
<立山よさようなら> 翌朝、空はからりと晴れ上がった。窓の結露がすごい。きっと外と室内の温度差が大きかったのだろう。6時半から食堂へ赴き早めの朝食。私は大きな皿2枚に様々なおかずを取り分けた。たんぱく質も野菜も十分に摂れて満足。 廊下で愛知のH川さんにバッタリ。「Aさんって若く見えるけど70歳を超えてるの?」と彼女。昨夜の懇親会で私が記念品のTシャツを受け取ったのを見ていたのだ。「残念ながら仲間の代理だよ」と私。前日のレースで脱兎のごとく八郎坂を駆け上った彼女だったが、結局弥陀ヶ原のASでリタイヤした由。次のレースを訊ねると翌週トライアスロンの予定との返事。ウルトラマラソンにヨガにダンス。それに加えてトライアスロンまでこなすスポーツウーマン。道理で足の筋肉が鍛えられていたわけだ。 少し外へ出てみる。雷鳥沢にはたくさんのテントが張られていた。今日は絶好の登山日和だろう。地獄谷に行こうとしたが思い止まり、雷鳥荘の裏側から覗き込むだけにした。早めに荷物をまとめ室堂へ向かう。O川さんはリュックを背負って地獄谷経由で室堂へ向かった。血の池を見下ろす稜線に色鮮やかなリンドウの花。そしてみくりが池には、雄山の姿が逆さまに写っていた。 室堂平周辺にはミヤマトリカブトやウメバチソウの花々。この一帯には130種類の高山植物が自生しているようだ。「立山玉殿」の湧き水をペットボトルに汲む。この水はアルペンルートのトンネル工事の際に湧出したのだとか。晴天の今朝は雄山山頂が良く見える。一旦富山駅行きのバスに荷物を置いてからお土産を買いに行く。 9時。5台のバスは次々に発車した。見送るスタッフの手には「来年の出会いと再会を念じて」と書かれた横断幕があった。「制限を1時間短くしておいて来年も再会したいと言われてもなあ・・」。私の唇からそんな憎まれ口が漏れた。心なしか松原委員長の表情も昨年より硬いように見えた。主催者として制限を1時間早めたことをどう判断しているのだろう。山岳救助隊が出動したことを考えれば、室堂でレースを打ち切る選択は出来なかったのか。そして来年の制限も今年のままなのか。それでは「立山」は一部のエリートランナーだけが対象になるのではないか。 バスは大きく蛇行しながら昨日苦しみながら走り、歩いたアルペンルートを下る。秋晴れの空に映える立山連峰。そして眼下に広がる富山平野。O川さんもTANさんも共に寡黙だった。TANさんは富山駅からサンダーバードで大阪へ出、高松へ帰る。熟女3人組は「越中おわら風の盆」の踊りの練習を見る予定と聞いた。 10時45分富山駅北口到着。予定より3時間も早い列車で新潟へ向かうことが出来た。富山駅では白海老の酢漬けとホタルイカの沖漬けをお土産に買った。車中でビールと早めの弁当。ラッキーなことに新潟から仙台へは2便早いバスに乗ることが出来た。 長距離バスの中でもO川さんは室堂までしか行けなかったことを残念がっていた。でもきっと来年は頂上まで行けると思う。何故なら彼が制限に間に合わなかった原因はトイレが混んでいたのとコースを知らなかったためだからだ。 予定より4時間早く帰宅した私は早速泥まみれのシューズを洗って干し、雨に濡れたTシャツなどを水洗いして洗濯機に放り込んだ。荷物を片付け、夕食を食べ、ようやくブログにレース結果を書き込んだのは9時過ぎだったろうか。まだレース時の緊張が残っていたのか、その夜も眠りが浅い私だった。<続く> 予告:いよいよ明日が最終回の予定です。
2008.09.09
コメント(0)
<宴と走友> 17時20分食堂へ集合。テーブルには私達宮城UMCの仲間5人と雲峰師匠、香川のTANさんが並ぶ。皆に永年の走友であるTANさんを紹介。TANさんと雲峰師匠は名刺の交換。TANさんは前から師匠のHPを見ていた由。また熟女3人組と師匠は、前夜立山駅付近のペンションで一緒だった由。師匠は毎年「エンジョイジョガーinみちのく」に参加されており、親しくさせてもらっている。ウルトラにつながる縁は不思議なもの。激走を労い、さっそくビールで乾杯する。 疲れた体にビールが染み渡る。高い山の上の宿泊施設の割りには、案外豪華な夕食とも言えようか。かなりのエネルギーを費やした一日。それを埋めるべく余さずに食べる仲間達。疲労が心配されたH多さんも、用意されたメニューを完食出来たようだ。飲むほどに酔い、満腹してようやく落ち着いた私達だった。一旦部屋へ戻り、再び温泉へ入る。 8時からの懇親会には、雲峰師匠とTANさんと私の3人だけが出席した。私はブログの材料探しと、制限を短縮した結果を開催者がどう評価しているのかを知りたかったのだ。もちろんこの時点で完走率が極端に低かったことや、頂上部でランナーが山岳救助隊のお世話になったと言う情報は知らなかったのだが。 松原委員長の挨拶に続き成績発表。マラニックの部男子1位は7時間09分のU田氏。女子は8時間19分のO戸さん。ウォークの部男子の1位は4時間51分で女子が6時間40分とのこと。距離が30kmで標高差2500mもあるウォークの部はルール上走ってはいけないことになっているが、タイムが少し速過ぎないか。 引き続き昨年10回記念大会の上位入賞の副賞としてブルネイの「キナバル登山マラソン」(注:名称は不確か。標高4094m)へ参加したランナーから、レースの概要が報告された。2人はベテランの部とエリートの部に分かれてレースを楽しんだ由。次にレース参加者中最高齢者への記念品贈呈があり、マラニック女子の部でH多さんが授賞されたが、寝ていた本人に代わって私が記念品のTシャツを受け取るハプニングもあった。 「取材」を終えて雲峰さん達のテーブルに移り、日本酒を飲んでいるところへ千葉の亀仙人さんが訪ねて来られた。朝のスタート時には緊張の面持ちだった同氏も、レースを終えて安心したのか穏やかな表情になっていた。私の背に手を廻し、私も彼の肩に手を置いてカメラに納まった。スピードランナーの彼も、室堂の関門を僅かの差で通過できなかったようだ。その彼が長野の走るナースさんから私によろしくと言伝を頼まれた由。私にとっては何にもまして嬉しいニュース。一度もお会いしてないナースさん。メッセージ、本当にありがとうございま~す♪ その夜、私は3度トイレのために起きた。用心はしていたが、ベッドから降りるはしごがその都度きしんだ。後日知ったのだが、雲峰師匠もトイレのために4、5度起きたとか。それに私も含めて何人かがいびきをかいていた。女性達はきっと眠れぬ夜を過ごしたのではないかと思う。師匠の懐中電灯が時折光を放つのが気になりながらも、いつしか深い眠りに落ちて行った。<続く>
2008.09.08
コメント(4)
<レース後の走友達> 早く風呂へ入って体を洗い、そして心行くまで暖かい温泉に浸かりたい。だが風呂場はもの凄い混みようとのこと。仕方なく乾燥室へトレイル用のシューズを乾かしに行く。乾燥室の中は大変な数の雨具やシューズで溢れていた。早く冷えた体を暖め、早く濡れたシューズを乾かしたいと言うランナーの気持ちが良く分かる。 部屋へ戻って暫く話す。室堂の関門にわずか15分遅れただけのO川さんは、さすがに元気がなかった。足もまったく痛んでないだけに悔しい思いが募るようだ。室堂へ向かう途中氷雨に濡れてとても寒く、私同様にビニール袋に両手を突っ込んで歩いていたと話す彼。かなり手前のホテルを室堂と間違え、何とか間に合いそうとぬか喜びをした途端、周囲のランナーにゴールはまだ先と教えられ、戦意喪失したそうだ。 私より1時間も早く雷鳥荘に着き、既に入浴を終えた彼は、2段ベッドに身を横たえながら何かを考えているようだった。翌日、からりと晴れ上がった遥か上空に、前日どうしても辿り着けなかった雄山山頂がくっきりと見えた。ゴールの位置を彼に教えようとしたのだが、彼は決してその方向を見ようとはしなかった。それだけ悔しい思いが強かったのだと思う。 一方ウォーク組のK村さんとK藤さんは比較的元気そうだ。それでも寒かった頂上は登頂者にとっても過酷だったようだ。標高3003mの雄山山頂。氷雨による低温は急速にランナーの体温を奪い、低い気圧はランナーの体調を悪化させる。後日雲峰師匠から頂いたメールによれば、雄山神社の扉には閂(かんぬき)が掛けられ、神主による御祓いは少し下の小屋の中で行われた由。 心配なのはH多さん。一度部屋へ顔を出したきり、とんと姿が見えない。彼女が部屋へ戻ったのはずいぶん後になってからのことだ。1時間短くなった制限時間は、今回が最後と臨んだ彼女にも相当の無理を強いたに違いない。頑張り屋の彼女のことだ。きっと頑張り過ぎて体調を崩し、仲間に心配をかけまいとの気遣いから体が落ち着くまでどこかで隠れていたのだと思う。 突然雲峰師匠が部屋へやって来た。お互いに顔を見合わせて驚く。何と言う奇遇。「山頂では会わなかったね」と師匠。「今年は1時間短いですからね。もうマラニックは無理なので次回からはウォークの部にします」と私。それにしても雲峰さんは元気だ。2度の手術を受けて、なお闘志満々。月の内どれくらい家を空けてランやウォークの旅に出ているのだろう。 香川のTANさんも顔を出した。ずいぶん早く私を追い越して行ったのだが、やはり室堂の関門に捕まったようだ。それにしては様子がさばさばしている。かつて任地だった九州で数多くの山に走って登った彼。今回初めて「立山」を体験し、コースの概要と制限時間の厳しさとを身を以って知り、十分納得できたのだと思う。17時20分から一緒に夕食することで合意。 ようやく風呂へ向かう。風呂の入り口で会った東京のK島さんに、大浴槽の奥に在る展望風呂にも入ったか訊ねたが、良く理解できなかったようだ。洗い場で先ず体を洗い、階段を登って展望風呂へ。一部開いた窓から地獄谷の硫黄の匂いが入って来る。雨に煙る地獄谷の風景。浴槽に冷え切った体を沈める。ふ~っ。やはり天然温泉は良い。完走は無理だったものの今年も健康で立山に参加し、素晴らしい眺めが見られただけでも嬉しい。浴槽は各地の言葉でレースの厳しさを語るランナー達で溢れていた。<続く>
2008.09.07
コメント(3)
<雷鳥荘への道> 「連絡がつかなくて心配していたんですよ」とスタッフの人。多分収容バスにも乗らずに最後まで室堂を目指したランナーが誰か分からなかったのだろう。私は制限を1時間20分オーバーしての到着だった。でも昨年までの制限なら20分オーバーで済んだはず。しかも自分の足でここまで来たんだから立派なものと胸を張ることが出来る。テントに入って腰を掛け、水を所望。喉が渇いてカラカラの状態だったのだ。2杯の水を一気に飲む。 次に暖かいお粥。袋に入ったインスタント物だが、中に刻んだ塩昆布と梅干が入っていてとても美味い。今は何よりのご馳走だ。2杯目は半分ほどにしてもらった。隣の席にランナーが座ってお粥を食べ始める。青色のポンチョを着た青年。おそらく彼が室堂へ到達した最終ランナーのはず。彼の苦しみが分かるだけに、「良く頑張ったね」とねぎらう。 暖かいお粥は嬉しかったが、暫く休んだせいで体がさらに冷えて来た。急いで2個の荷物を受け取り歩き出す。バスで着替えが出来ると聞いたが、男女一緒だと困る。何しろ裸になって着替えないと寒くて仕方がない。そこで室堂のバスターミナルへ向かい、最上階へ登った。屋上から室堂平の広場へ出て、雷鳥荘まで歩くのだ。建物の屋上へ出るとウォークの部に出ていたK藤さんが立っていた。どうやらH多さんを待っていたようだ。 「一緒に雷鳥荘へ行こう」と誘うK藤さんに「寒いからまずトイレで着替えをする」と断る。「個室」の狭い空間で真っ裸になる。寒い。思わず声が震える。Tシャツも半ズボンもびしょ濡れ。それを便器の上で絞る。凄い水だ。靴下は泥だらけで絞ると泥水が。乾いたタオルで全身を拭き、順次着衣。靴がびしょ濡れなので靴下は昨日履いたので十分。やはり薄手のセーターを持って来て正解だった。一旦捨てたビニール袋をスポーツバッグに被せ、雨に濡れない工夫をする。 雷鳥荘までの道はアップダウンが険しい。青いポンチョの青年と再び一緒になった。彼が一緒にお粥を食べた最終ランナーだと思う。名前を尋ねると東京のK島さんとのこと。立山を走るのは初めてだがスキーで良く来ており、雷鳥荘の前の急斜面も冬はスキーで降りるのだとか。「頂上まで走ってこの道を歩くと膝がガタガタになってね」と私が昨年のことを話すと、周囲のランナーが一斉に振り返った。きっとこの悪条件の中を頂上まで行けたランナーはどんな奴だと誤解したのだろう。 後日何人かのブログやHPを読んだら、236人の出走者のうち制限時間内に頂上まで行けたのは106人だったとか100人以下だったとか書かれていた。もし106人だったとしても完走率は45%以下だ。中には寒さのあまり頂上で倒れ、山岳救助隊のお世話になったランナーもいたとか。K藤さんの話によれば、頂上から降りて来たランパン、ランシャツのランナーが寒さでガタガタ震えていたそうだ。また室堂の関門をクリヤーしても、体調不良で頂上へ行くのを止めたランナーもいたことを後で知った。 頂上部での体感温度は5度か6度だったと誰かに聞いた。(雲峰師匠だったかも)。それが薄手のランニングシャツでびしょ濡れならば、きっと零度以下にも感じるだろう。そして体温を奪われたランナーの体が硬直することは十分考えられる。ゆっくりランナーの私があれだけ苦しんだのだが、スピードランナーの中にも苦しんだ人がいたのだ。やはり山の天候は甘くない。 深い緑色のみくりが池。赤茶色の血の池。ガスに霞む立山連峰。登り下りが激しい道に無情の氷雨。疲れたランナーにとって、重たい荷物を持っての雷鳥荘への30分もの道のりはさらに過酷な試練となるが、これもまたレースの一部。じっと耐えるしかない。道が川になり、靴の底から容赦なく水が侵入する。 やっとの思いで雷鳥荘に辿り着く。脱ぎ捨てられたビニール袋や合羽。受付を済ませ指定された部屋へ入ってみてビックリ。何と男女が一緒の部屋だった。でも山梨と静岡のランナー以外は皆仲間。雲峰師匠も一緒だったのには驚き。「失礼します」と部屋の外から声を掛けたK村さんだが「はい」の返事が男の声だったのに驚いて「失礼しました」と慌てる様子が愉快だ。「K村さん、ここで良いんだよ」と私。徐々に仲間が集まって来た。<続く>
2008.09.06
コメント(4)
<8月の氷雨> 眩暈による休憩が約20回。よろけた回数が7、8回。意識して山側に倒れたが、もし谷側へ倒れたらもちろん谷底へ転落だ。滑る大岩、足場の悪い泥道。いつの間にか左の足首を傷め、軍手も泥だらけになった。急な坂道の要所要所にスタッフの人。最後の眩暈から立ち上がった時はスタッフの人が心配そうにこちらを見ていた。そして「道路まであと10分ですよ」と。暫く登ると「道路まで2分です。頑張ってください」。今度は女の方だった。雨の中、ランナーのための見張り、ご苦労様です。 山道が緩くなった。両側にはクマザサが茂る。道には雨が溜まり、まるで小川のようになっている。仕方なくその中を歩くと、シューズの底から水が侵入する。このトレイルシューズは川の中も歩けるよう底に小さな穴が開いている。むしろ入った水が出易いよう、穴が開けられているのだろう。やがて緑のトンネルの先が明るくなり、ようやくアルペンルートに出た。ここにもスタッフの人。 さすがに舗装道路は歩き易い。暫くして50km地点の弘法AS。時計を見ると11時58分。去年は1時間ほどで登れた八郎坂が、今回は1時間40分ほどかかってしまった。60km地点の室堂ASまで残り10km。そして高度差は400mほどか。午後1時の制限までに室堂へ着くのはもう無理と諦める。泥だらけの軍手を捨て、雨具代わりにビニール袋を被る。そして頭にはこの日初めての帽子着用。水を飲み、ゼリーを3個ほど口にする。 出発して直ぐ木道へ入る。バス通りよりも安全だからだ。雨に濡れた草が足にまとわりつく。おまけに所々で木道が傾いでいてとても歩き難い。トップグループのランナーが通った時もやはり走り難かったんだろうな。私は漠然とそんな空想をしていた。時々バス通りに出るが、再び木道がありガッカリさせられる。やがて広々とした湿原に小さな池とうが点在。弥陀ヶ原のようだ。バス道路を横切ると53km地点の弥陀ヶ原ASへ到着。 キュウリを3本とバナナ1切れ食べ、ペットボトルに水を補給する。室堂ASまで8kmとか。水も半分で良いかと妥協。そこへスタッフの人が飛んで来て、バスに乗らないかと誘う。「どうしても室堂へ行く」と答えると態度を変え、「雨の立山も良いものですよ」と急に優しい声になった。ポシェットから豆大福を取り出し、歩きながら食べる。次第に手が冷たくなり、ビニール袋の中へと手を引っ込める。風が当たらない分暖かい。こんなことなら泥だらけの軍手を捨てるのじゃなかった。 青いポンチョを着たランナーが後ろから着いてくる。私が走り出すと、彼の姿はやがて視界から消えた。蛇行するアルペンルート。念のため先ほどのASでスタッフの人に、レースが続行されているか確認してみた。時間内に室堂へ着き、雨具を持っていれば雄山山頂に向かわせているとのこと。そうか。そうなるとこのまま室堂へ着いてもリタイヤ扱いだ。それでも元気を出して行こう。しかしどこか変だ。もし弥陀ヶ原ASが資料どおり53km地点なら室堂まで残り7kmのはず。それを昨年も今回もスタッフの人が8kmと言うのは、どう考えてもおかしい。 手を振りながら歩くと寒さも気にならない。時々通るバスの中から乗客が驚いて私を振り返るのが愉快だ。流れるガス。そしてガスが晴れると前方に懐かしい山が見え出す。大日岳に奥大日岳。別山の彼方には剣岳の山容も。やがて地獄谷の奥に一瞬だが雷鳥荘が見えた。道端にホテルが見え出す。去年室堂と間違えた建物だ。黄色のポンチョを着たランナーが足を引きずりながら歩いている。訊ねると股関節を傷めた由。 収容バスが止まり、「乗りませんか」と窓からスタッフの声。手を振って断り、走って見せると車内から驚きの声が上がった。前方から雷鳥荘のライトバン。「大丈夫ですか」の声に、「黄色のポンチョの人が股関節を傷めているから声を掛けてやって」と一言。暫くして戻って来たライトバンには、手を振るランナーの姿があった。大きなカーブを曲がると室堂ASのテントが見え、スタッフの方が数人手を振っている。私は最後の力を振り絞って走り出した。まるでビクトリーランのように。14時20分室堂到着、氷雨の中の戦いに終止符を打つ。<続く>
2008.09.05
コメント(0)
<>山の神の怒り> 常願寺川の支流である称名川に架かる橋を渡って称名滝レストハウス前ASに向かう。H多さんが振り返り「飴いる?」と訊ねる。「いらない。もう他人のことは気にしないで自分のことだけ考えて」と私。昨年の立山帰りの車中で私は彼女を叱った。彼女が称名滝ASでリタイヤしたと聞いたからだ。「簡単にリタイヤしちゃダメだよ。「立山」は出たくても出られない人がたくさんいるんだから」と。時計の電池が切れたことが理由だったようだが、きっと体調も良くなかったのだろう。だが、それ以降のレースで彼女の粘り強いランを目の当たりにし、私は彼女に対する認識を変えた。同時に他人へ気遣いし過ぎるほど優しい人だと言うことも知った。 私の声に押し出されるように彼女は走り出した。称名滝ASまではわずか6kmの距離だが標高は900mあり、立山駅ASからの高低差は500mになる。結構勾配がきつい道だ。それを物語るように称名川の中にある砂防ダムの段差が凄い。去年は30度を越える暑さで、山から湧き出る水を頭から被った。きつい勾配に耐え難い暑さ。初めてのコースに戸惑いながら、それでも山頂のゴールを目指したっけ。途中から立山有料道路が別れ、見上げると対岸の絶壁を沿うようにその道が見えた。 最後のトンネルを抜け、坂道を登るとスタッフの姿。そしてゼッケンナンバーと名前を呼ぶ声。ようやく称名滝のASだ。先ず売店に寄りお茶を買い、それから荷物を受け取る。愛知のH川さんがストックを片手に走り出すのが見えたが、既にH多さんの姿はなかった。袋から軍手、トレイル用シューズ、大福、雨対策用のビニール袋を取り出す。逆に入れたのはカロリーメイトなど。だがポケットの中の懐中電灯を入れ忘れる。よほど慌てていたのだろう。 10時06分に到着したこのASで食べたのは素麺3杯とパンとお汁粉。シューズを履き代える時に足が痙攣した。ここまで来る間にも股関節にも軽い痙攣が来ていた。やはり無理をしたのかも知れない。合計10分の休憩で慌しく出発。橋を渡り対岸へ。いよいよ八郎坂の取っ付きだ。周囲に人がいないことを確かめ、称名滝の方に向かって放尿。この行為がやがて山の神の怒りを買ったようだ。 ここは3kmの間に500m登る急坂。それが数日来の雨で滑りやすくなっている。どうしたことかいつになく胸の動悸が激しい。よろける足。転ばないように踏ん張ると、今度は痙攣が起きる。苦しい坂に難儀しているうち、突然右膝に激痛。思いがけない神経痛の発生だ。これはもう駄目かもと諦めた頃、何とか痛みは治まった。だが一難去ってまた一難、眩暈がし出す。慌てて膝に手を置き頭を下げる。足の筋肉に血流が偏り、血圧が下がって脳貧血になったのだろう。こんなことは初めてのこと。やはり先ほどの放尿が山の神の怒りを買ってしまったのだろうか。 称名滝が見え出す。その左右にも細い滝。3本の滝を見るのは初めてのこと。やはり降り続いた雨で水量が増えているようだ。その滝に時々ガスが掛かる。昨年と違って今回は景色を楽しむ余裕がない。山道の所々で崖崩れ。谷側に滑ったら命を落とすか大怪我をする。繰り返し起きる眩暈。後ろのランナーに道を譲り、休むこと20回ほど。去年はたった4回しか休まなかったのに。悪いことに心配していた雨まで降り出した。万事休す。もはや時間内完走は絶望か。<続く>
2008.09.04
コメント(0)
<登り坂と走友達> 走っているうちに大量の汗が流れ出す。Tシャツも半ズボンもびしょ濡れ。きっと湿度は100%近いのだろう。大日橋の袂に最初のAS。ここは水しか置いてないため寄らない。私はいつものようにペットボトルを持って走っているからだ。亀仙人さんに抜かれたのはこの辺りか。 スタート前、亀仙人さんが走友と話しているのをたまたま聞いた。「富士山や野辺山と比べたらどうですか」と亀仙人さん。「ずっとこっちの方が楽だよ。立山が40kmなのでそこまで5時間で行けたら十分間に合うよ」と先輩の方。「レベルの高いランナーの話は違うなあ」。それが私の感想だった。それにしても立山って立山駅のASのことだろうか。そこまで5時間のペースで行ければ良いのか。一応その情報を頭の中にインプットしておく。 暗かった堤防が少しずつ明るくなって来る。既にたくさんのランナーに追い抜かれた。昨年よりずっとスピードが速い。それに若いランナーが多いような印象。昨年は地元のランナーと話しながら走り、ゴールの雄山がどの方向かを尋ねたりしたものだ。その立山連峰が今日は雲に隠れて全く見えない。 19km地点、第2ASの岩くら雄山神社が見え出す。ペットボトルに水を補充し、急いでバナナとパンを食べ折り返す。前方にO川さんの姿を発見し、ハイタッチを交わす。私よりもずっと前に行ったとばかり思っていたのに、スピードランナーの彼にしてはずいぶん遅いペースだ。橋を渡って対岸へ。そして間もなく登り坂が始まる。いよいよここからが長く苦しい坂道の連続だ。 えっちらおっちら走っていると「どこかでお会いしたことがありますね」と1人のランナー。思わず顔とゼッケンの名前を見る。Pちゃんの仲間のK川さんだった。これまで「磐梯高原」、「奥武蔵」、「越後くびき野」などで一緒だったことがある。今年の磐梯高原ではビールの飲み過ぎで途中リタイヤしたそうだ。「1時間短くなったので」。そう言い残し、彼は走り去った。 「マックスさんですか」。地元のランナーが話し掛けて来た。どうやら宮城UMCのTシャツを見てのようだ。「良く分かりましたね」と私。「良くブログを見ています」。「ひょっとして○○の方?」と企業名を挙げると正解だったようだ。今回が初めての参加の由。「完走記楽しみにしています」。そう言って彼も走り去った。果たして今回は楽しめるような内容の完走記が書けるかどうか。 25km周辺でO川さんに追い着かれる。「どうしたんですか」と彼。「こんなもんだよ」と私。O川さんは雄山神社のトイレで10分以上待たされたそうだ。それなのにもう追い着くとはやはりスピードランナーだけある。颯爽と走り去る彼。暫く走った後で前方に愛知のH川さんの姿を発見。「E子ちゃん」と呼ぶとビックリして振り返る。「仙台のAです」と名乗ると握手を求めて来た。 「良く分かりましたね」。「浜黒崎行きのバスでも見かけたんだけどね。去年雲峰さんの掲示板を見たけどヨガの先生をしてるんだって?」。「ダンスや他にも色々」。「去年はE子ちゃんがペースを教えてくれたお陰で完走出来たんだよ」。「今年も同じくらいのペースだから大丈夫ですよ」。「俺はマラニックは今回でお終い。次からはウォークの部にするよ」。「行けるところまで行きましょ」。「分かった」。優雅な趣味を持つ人なのに、後姿は鍛えられた肉体そのものだ。 H多さんに抜かれたのはどの辺りだったのだろう。彼女も今回が最後のマラニック挑戦と考えているようだ。前になり後になり頑張り屋の彼女と15kmほど併走する。お互いに坂道は苦しい。どちらかが引っ張って先行し、どちらかがその後を追う。坂道の途中にある岩くら寺の私設ASはとても助かる。水とスポーツドリンクで喉を潤す。 再び坂を登り、そして下る。スタッフの人がいる所から右折して立山大橋を渡る。常願寺川の水面が遥か下に見える。そこから立山駅ASまでが遠く感じた。9時06分。ようやく立山駅ASに到着。ここは36km地点で標高は約400m。どうやら亀仙人さんの走友がスタート前に話していた40kmと言うのは違っていたようだ。ここまで5時間6分が経過している。 縁石に腰を下ろして梨とパンを食べ、ペットボトルに水を補給し、塩、アスリートソルト、ヴァーム粉末を混入。休んだのは9分間。H多夫人からもらいポシェットに入れていたお握りを走りながら食べる。今は少しでも時間が惜しい。<続く>
2008.09.03
コメント(6)
<委員長の真意はどこに> 富山駅到着後ホテルでチェックインし、直ちにレースの受付を済ます。今年の参加賞は洒落たランニング用の帽子と日本手ぬぐい。手ぬぐいには「立山登山マラニック」のコースとランナーが雄山山頂を目指す様子が描かれているようだ。昨年は茶色いTシャツだったが、これがイマイチで私は農作業用にしか着なかった。 O川さんからH多夫人がマラニックに出ることを聞いていたので部屋に電話してみた。一緒に夕食をと思ったのだ。ウォークの部に出場のK村さんとK藤さんは、既に立山駅に向かったそうだ。永年の走友である香川のTANさんもロビーに来たので集合時間を話し、4人で夕食を共にすることにした。一旦部屋に行き、第1関門の称名行きの荷物と第2関門の室堂行きの荷物を整理する。 夕食はホテルの隣のビルにある郷土料理店に行った。富山名産の白海老のてんぷら、ホタルイカの沖漬けなどの料理がきれいに盛り付けしてあるセットを注文。そして生ビールで明日の健闘を祈って乾杯する。確かに美味しい料理なのだが、私には野菜分が少し不足しているように感じた。夕食後は翌朝の食糧の買出し。H多さんが気を利かしてお強のお握りを差し入れしてくれた。 翌朝の目覚ましを深夜1時半にセット。ニュースを観て7時半には就寝した。目覚めたのは1時10分ごろか。直ちに冷蔵庫からトンカツ弁当、サラダ、野菜ジュース、お茶を出して朝食。トンカツもご飯も冷え切っているがレースのエネルギーになることを信じて黙々と食べる。ただし、ポテトサラダだと思ったのがマカロニサラダだったのが失敗か。トイレも済ませて身支度へ。 両膝には念のためのテーピング。そして体の擦れそうな部分にワセリンを塗る。下はインナーと半ズボン。上は宮城UMCの半袖Tシャツにした。私には多分暑く感じるだろうが、高度3千mを越える雄山山頂に向かうにはそれくらいが適切との判断からだ。帽子、ポシェット、タオルハンカチを装備し、両関門行きの荷物を手にバス乗り場に向かう。 3時過ぎスタート地点の浜黒崎に向けてバスが出る。車中のランナーは寡黙そのもの。きっと厳しいレースを前に、皆緊張しているのだろう。浜黒崎に到着後、直ちにトイレへ。ここで千葉の亀仙人さんとバッタリ出会う。同学年の彼とは初対面だが、私は彼のおぼろげな顔写真を観たことがある。念のためにゼッケンを見ると、まさしく彼の名前が書かれていた。「亀仙人さん?仙台のマックスです」と挨拶すると、驚きながらも笑顔になった。気がかりだったネットの走友にも、こうして無事お会いすることが出来た。 「立山登山マラニック」スタート前の「儀式」である、日本海の海水に手をつける。松原委員長の開会挨拶。今回から大会がリニューアルされたことが強調される。1時間制限が短縮されたこと。室堂でリタイヤした場合は直ちにゼッケンが外され、雄山山頂へ向かうことが出来なくなる由。それにリタイヤする際は選手自身のサインを求めるらしい。そして宿舎の雷鳥荘へは必ず17時前までに入ること。「リニューアル」は選手にとって不自由で厳しい内容になった。 午前4時スタート。松明を持った松原委員長の直ぐ後ろに付く。少しでも早めに前に出るためだ。思い切って委員長に何故1時間制限を短縮したのかを訊ね、あの厳しい山道で1時間縮めることがランナーにとっては過酷であることを話した。委員長は「早くお酒が飲めて良いでしょ」とはぐらかす。真意がそんなところに無いことは明らかだ。「これまでだと完走し終わった後勝手に行動し、「行方不明」になるランナーが多いんですよ」。確か委員長は小さな声でそんな話をしたように思う。 たとえどんなルールでもランナーはそれに従ってレースに臨むしかない。既に賽は投げられたのだ。砂利道の走りにくい堤防。暗闇の中に浮かぶ数々の水溜り。まるでレースの困難さを象徴するようなスタートだ。もう走友のことなど眼中になく、無我夢中で走る。前へ前へ。<続く>
2008.09.02
コメント(2)
<不確かな記憶> 未明、強い雨の音を聞いた。早朝に目覚め、立山行きの挨拶をブログに書き終えた頃は、雨の音も鎮まっていた。いつものように愛犬との散歩を終え、いつもの時間に傘を差してバス停に向かう。新潟行きのバス待合所でO川さんと合流。バスの中での話はやはり立山の天気についてだった。 私もそうだがO川さんもここ数日来、立山の天気が気になっていたようだ。全国的に天候が荒れ模様で、北陸でもレース当日は100mmほどの大雨になるとの予報。それでも心配しない方が不思議なくらいだ。だが私は意外に開き直っていた。山の天気はどうなるか分からないし、最悪の場合はレースが中止になる可能性もある。 宮城県内では小雨模様だったのが、福島県の会津地方に入ると空が明るくなった。そしてトンネルを抜けて新潟県に入ると、何と青空が見え出した。黄色く色づいている田圃。曇り空と低温続きの宮城県内では稲の生育が心配だったのに、山を越えた日本海側では気温も高そうだ。 だがそんなこととは別に、私の心には新たな心配が芽生えていた。それはO川さんの一言からだった。「制限は11時間ですよね。去年の制限は12時間だったのに」。一瞬「ん?」と考え直す。確かに今年の大会要項には制限が11時間と書いてあった。雄山山頂が15時だと記憶している。だが私が昨年その頂上に到達したのは確か15時15分だったはず。それで完走したのだから制限は16時だったのだ。 「立山」は昨年初めて参加したばかりだが、今年で最後の挑戦にしたいと考えていた。きれいごとかも知れないが、人気の高いこの大会では選考漏れになる選手も多いと聞く。今回参加出来れば2回目。他の人に出場の機会を譲っても良いと思えたのだ。それに本音を言えば、今年の3月に走った24時間走で膝を傷めて以来、坐骨神経痛に悩まされるようになりスピードもガクッと落ちてしまった。私はここらが潮時だと覚悟していた。 12時間の制限でもきついと感じるランナーにとって、制限時間が1時間短縮されることは「絶望」に近い。そうなると時間を詰める場所は、浜黒崎のスタート地点から岩くら雄山神社までの約19km、つまり常願寺川の堤防以外にはない。さらに第1関門のある42km地点で高度900mの称名ASまでも苦しい走りになることは必定だ。何と不確かな私の記憶。そして何と迂闊な資料の誤解。それにしても何故大会要項には昨年と大幅に制限時間が違っていることを明記してないのだろう。それが不思議でならない。 JR新潟駅で新潟ー富山往復の割安切符「北陸往復切符」を購入。2千円以上得をした計算だ。糸魚川を過ぎ、トンネルを抜けて富山県側に入ると空はやはり曇っていた。富山駅が近づいた頃、O川さんに「あれが常願寺川の堤防だよ」と教える。どれだけあの砂利道がぬかるんでいるか。そして、明日はどれだけのスピードでそこを走り抜くことが出来るのか。一抹の不安が胸を過ぎった。<続く>
2008.09.01
コメント(6)
全30件 (30件中 1-30件目)
1