全31件 (31件中 1-31件目)
1
<贅沢な犬> 第3日目の食料について補足しておこう。辺戸岬から名護市までのコース上にはコンビニが少ないと考え、出発前に食料を調達しておいた。お握りが3個。これは出来るだけ長持するよう、筋子、昆布、梅干入りのを各1個ずつ選んだ。バナナ3本。これも手軽に食べられるため重宝したはずなのだが、食べたと言う実感が乏しかった。大きなアンパン。これは結果的に一口しか食べなかった。オレンジジュースは飲んだ覚えがあるのだが、スポーツドリンクを飲んだ記憶はうっすらとしかない。この他、別途持って行ったお菓子や梅干のうち口にしたのはチンスコウを1個だけ。第2日目に比べて食欲があまり湧かなかった。かなり疲れていたのだと思う。 ともあれこの日の行程でコンビニを見たのは2軒だけ。しかも、結果的にそこへ寄ることはなかった。北部で目立ったのは各集落の「共同店」。おそらく住民が資金を出し合って作ったお店で、唯一の万屋として集落の人々に重宝されているのだろう。だが私が走ったのは日曜日で、どこも閉店していたようだ。役立ったのは2つの「みちの駅」。ここで「さつま揚げ」や「味噌汁定食」を食べたことで休憩を取り、かつ水分と塩分の補給が出来て良かった。こうしてみると、出発前にお握りなどを仕入れ、リュックに入れて走ったのは正解だったと思う。 朝6時頃、私はホテルを出て再びヒンプンガジュマルに会いに行った。枝から無数に垂れるまるでヒゲのような気根(きこん)。それらが束になって地上に着くと地中の養分を吸い上げ、台風などで幹が倒れないように支える役割を果たす支柱根に変わる。樹高は20mほどもあろうか。国指定の天然記念物だけあって堂々たる風格。あれほど見事なガジュマルは沖縄でもそうはないだろう。さすがに妖精でも棲みそうな風情だった。 幸地川に魚が群れている。とても水がきれいだ。「鮎はいますか?」と近くにいたオジーに訊ねると、ウナギは良く獲れるが鮎はたまにしか獲れない由。ふ~む。とすると群れていた魚は鮎ではなくハヤだったのだろう。沖縄原産の琉球アユは水量の激減と川の汚染のために絶滅し、奄美大島から逆に移入したのだが、それでもなかなか増えないとか聞いた。 海岸沿いにホテルへ戻る。コンクリートで固められた海岸。その岸壁を一部壊して親水公園化する工事をしてるようだ。わざわざ大金をかけて自然海岸を無くしておいて、さらに輪を掛けて資金を投入する国の無駄遣い。これは沖縄だけの問題ではないと思うが。 朝食は存分に食べた。3日間の走り旅を終えて、再び食欲が戻ったようだ。お粥を2膳お代わりし、シークァーサージュースも2杯飲んだ。いよいよチェックアウト。那覇へ帰ろうとしてフロントへキーを返すと、マスターが「伝言があります」とメモを渡した。昨夜の8時45分、私を辺戸岬まで送ってくれたMさんが心配して電話をくれたようだ。慌てて彼の自宅へ電話する。無事ゴール出来たことを報告すると初めて安心した様子だった。ゴメンネMさん。昨夜のその時間はホテルを一旦通過し、コンビニで買い物中だったんだよ。 最寄のバス停まで行くと若い女性がいた。「那覇行きのバスにはトイレがあるか」と彼女に尋ねると、急行も各駅停車もトイレはないとの返事。各駅停車は終点の那覇空港まで2時間半ほど、急行はそれより30分早く着くようだ。急行は行ったばかりだし、冒険だがここは各駅停車のバスに乗ってみるか。そこへ一匹の野良犬登場。残り物のチンスコウを与えたが、チンスコウが嫌いなのか見向きもしない。昨日出会った宮城島のトラーと言い、今日のチビ助と言い、沖縄の野良犬は何と誇り高いのだろう。<続く><7月のラン&ウォーク>走った回数:8回 走った距離:193km 歩いた回数:毎日 歩いた距離:180km☆月間合計:373km ☆年間合計:2500km ☆これまでの累計:64、022km
2008.07.31
コメント(4)
<夜のヒンプンガジュマル> 帽子は頭上に戻った。後は名護市のホテルを目指すのみ。間もなく後原(くしばる)を通過。ここはもう名護市の領域だが中心街まではかなり遠いはず。本部半島の山並みが次第に大きく見えるようになった。源河(げんか)川の河口を渡る。この上流のオオシッタイで、地域興しのマラソン大会に出たことがあった。参加賞は手作り味噌や玉子やタンカン(沖縄の柑橘類)などだった。だが後で地図を見たら、オオシッタイは帽子が飛ばされた平南川の上流だったようだ。 羽地内海に浮かぶ屋我地島から古宇利島に架かる橋も見えて来た。私が去って以降、沖縄には離島とつなぐ橋が数多く架橋されたようだ。すべて沖縄振興の一環だろう。真喜屋大川の水が青い。河口から海水が上がって来てるようだ。ちょうど満ち潮みたい。釣り客が数名、川岸で釣り糸を垂れている。 19時15分。ガス欠を感じ、仲尾次(なかおじ)のバス停でお握りを食べる。賞味期限から既に12時間も過ぎているが、最後に梅干入りのを残しておいて正解。あれだけリュックで熱せられたのに、少しも傷んでいない。太腿を何箇所か蚊に刺された。次のバス停で野球の練習を終えた羽地中の生徒がたむろしている。もう黄昏なのにまだ羽地か。これはいけない。この調子だと何時にゴール出来るか分からない。 19時50分。川上の交差点周辺からようやく走り出す。陽は翳って日中よりかなり涼しくなった。田井良(たいら)を過ぎ、第二伊差川の信号を左折。ここを行けば名護市内への近道のはず。思わず足取りが軽くなる。だがアップダウンが意外ときつい。市街地への入り口で真っ暗闇になった。そして歩道の両脇は藪。再びハブの恐怖が脳裏を掠める。キャ~。逃げろや逃げろ。 ようやく明るい繁華街へ。歩行者にヒンプンガジュマルの場所を聞くと、直進して右折せよとのこと。説明を信じてひたすら東行するとオリオンビール名護工場の正門にぶつかった。右折して次の通りに出、少し戻ると闇の中に大樹が浮かんだ。名護名物ヒンプンガジュマルだ。ヒンプンは目隠しの現地名でガジュマルは小さなイチジクのような実をつける。沖縄にはガジュマルの大木にはキジムナーと言う小人が棲むと言う伝説がある。大木の尖端は闇に紛れ、見ることは出来なかった。 20時45分ホテル前通過。第3日目53km11時間40分の戦いはついに終わった。そのままコンビニへ直行し夜食などを購入。部屋でシャワー後、衣類をすべて水洗いし、大浴場で体を洗う。その後遅めの夕食。3日間に亘った140km27時間51分のゴールを祝してオリオンビールで乾杯。この日飲んだのはスポーツドリンク2本、サンピン茶2本、水2本、紅茶1本、グァバ茶1本、日本茶1本(以上500cc入りペットボトル)にカキ氷。前日に比較して摂った水分が少なく、アスリートソルト始め塩分の摂取が少なかったことが苦戦の原因か。この夜は室温を23度に設定し、6時間ほどの睡眠が取れた。<続く>
2008.07.30
コメント(2)
<孤高の犬と風に飛んだ帽子> 浜集落を過ぎると間もなく大宜味村(おおぎみそん)に入る。この村は沖縄の中でも特に長寿なことで有名だ。そして喜如嘉(きじょか)集落の中を歩む。しんと静まり返った家の庭にはバナナの葉のような植物。これが芭蕉で、その繊維で紡いだのが国指定重要無形文化財の「芭蕉布」。とても繊細な生地で昔は王朝に納められ、王族の夏服として用いたとか。 海沿いに「板干瀬」(いたびし)の標識。炭酸カルシュームがセメント化して板状の石になっている珍しい海岸だ。県指定の天然記念物とか。辺土名高校前のバス停でお握りとゼリー状の栄養剤を補給。大兼久集落辺りではついに脚までが痛み出す。名護までの道はまだまだ遠い。昔の人の苦労を考えてみる。食べ物はサツマイモくらいなもの。腰に下げた抱き瓶(だちびん)に入っているのは水だけ。そんな粗末な食料で、テクテク那覇や首里まで歩いたのだと思う。それに比べたら自分は何と贅沢な旅だ。 涼しい集落の道を行くと、役場と大宜味小学校があった。根路銘(ねろめ)集落でグァバ茶を買う。柿の葉も入っているので体には良さそうだ。まもなく国道脇に「みちの駅おおぎみ」が見えて来た。16時15分。腹が減ったし汁も飲みたいので沖縄ソバでも頼もうと思ったら、麺類は全て売り切れとのこと。仕方なく「味噌汁定食」を注文。沖縄風の味噌汁は味が薄い代わり具沢山で、ご飯付きなのだ。 味噌汁の具は豚の三枚肉、豆腐、玉子、レタス、ニラだった。それにゴーヤのサラダと山菜の漬物。箸置きは何と芭蕉の葉を折ったもの。「もしかして芭蕉の葉?」と店の女性に訊ねると、彼女は建物の外を指差した。なるほど指の先には1本の芭蕉の樹。そして海風にそよぐ葉が見えた。ここで立て続けに3杯の冷たい水を飲み干し、味噌汁も全て飲んだ。最後に食卓塩を手に取って舐める。そのお陰で意識が鮮明になった。やはり軽い熱中症になっていたのだろう。 元気を回復して再び歩き出す。海上の遥か遠くに幾つかの島影。伊平屋島と伊是名島は分かるが、その先にも2つの島が離れて見える。あんなところに島があるはずは無いのだが。ほどなく塩屋湾に到着。紺碧の深い海。ここは海神(ウンジャミ)の祭礼が有名と聞いた。塩屋橋をまず渡り、次に宮城橋を渡り終えた時、前方から一匹の犬が橋を渡って宮城島へ歩いて行った。あれは間違いなくトラー(琉球犬)だ。明るい茶色に黒い縦筋が入って、まるで虎のような模様だから直ぐに分かる。野良犬のようだが悠然としたその態度。孤高の犬は静かに視界から消えた。 もう夕方なのだが陽はまだ高く、しかも暑い。頭から水を掛けながら歩いているのだが、掛けても掛けても蒸発し、直ぐに乾いてしまう。平南橋の上まで来た時、突風が吹いた。慌てて頭を押さえたが帽子が無い。下の河原を覗いても分からない。仕方なくタオルハンカチを頭に載せたが、それでは暑さが凌げるはずもない。遠回りして河原に下りてみる。2組の客がテントを張っていた。しばらく捜してようやく帽子が見つかった。やれやれ。安心して川面を見ると魚が泳いでいる。ひょっとしてあれが幻の琉球アユか。<続く>
2008.07.29
コメント(2)
<集落を歩く> ごく短い座津武(ざっつん)トンネルを抜ける。狭い歩道は注意を要するが車が通らないので心配はない。宇嘉集落の手前に沢があり、崖から水が流れ出している。沖縄では珍しい風景だ。その付近に小さなバンガローが建てられ、岩手ナンバーの車が停まっている。様子からすると岩手出身の人が気に入って別荘にでもしたようで、とても不思議な感じがした。 10時45分、辺野喜(べのき)集落で小休止。お握り、バナナ、梅干を食べ、オレンジジュースを飲む。そのままベンチで眠ろうとしたが果たせず、再び灼熱の国道58号線をひたすら南下。佐手(さって)と謝敷(じゃしき)は集落内を通ってみた。少し遠回りだが、所々に日陰もあって助かる。建物の陰で涼んでいる老人。いわゆるヤンバル(本島北部の通称)は典型的な過疎地。この辺の現金収入は何なのだろうと考えた。 謝敷では「兄ちゃん、お茶でも飲みな」と屋敷内から声。ここは確か走ろう会の先輩であるT事務長の故郷のはず。「ええっ?」思わず声を出したが、そのまま通り過ぎた。集落の一角に沖縄民謡「謝敷節」の石碑。幹の皮が黄色い染料になるフクギ並木が美しいこの村を讃える歌のようだ。ひっそりとした集落にドブの臭いが漂う。きっと下水処理がなされてないのだろう。 与根には新しいトンネルが出来ていた。歩道も広くとても明るい。それにひんやりして気持ちが良い。思わず走り出す私。古いトンネルは曲がりくねった海沿いにあった。ここは私が沖縄を去った後に完成したようだ。集落の中にまたもや民謡「与根節」の石碑。昔の難しい言葉だが恋の歌のようだ。与根川の上流には職場の演習林があったはず。12時40分、道端でアンパン、ゼリー、チンスコウを食べる。 辺土名は国頭村(くにがみそん)の役場が置かれている最大の集落。名護市からここまではバスが何本か通っているようだ。そしてこの先の過疎地へは村営のマイクロバスを運行しているようだ。村一番の繁華街には飲み屋が数軒連なり、夜はここで村の衆が飲んでるのかと思うと、とても愉快な気持ちになった。 「みちの駅国頭」に「クンジャンサバクイ」の石碑。クンジャンは国頭の現地名。サバクイは元来捌理(さばくり)と呼ばれる琉球王朝時代の村役人の総称なのだが、かつて王都である首里城を建てた時に国頭地方の山林から建築用の丸太を切り出したお祭りの意味に転じている。かつて私も、再現された祭りで木挽きの様子を首里城近辺で見たことがあった。 みちの駅で休憩し、カキ氷とチキアギを食べる。チキアギは練った魚肉を「搗き揚げ」たものでさつま揚げのこと。これが巨大でとても美味しい。小片をガチマヤー(腹ペコの猫)に与えているうちにすっかり元気回復し、意識がはっきりし出した。もしここで休まなかったら、きっと熱中症になっていたに違いない。<続く>
2008.07.28
コメント(2)
<沖縄人の来た道> 夜半何度も目が覚めた。特にウルトラマラソンなどの旅先では、大抵は寝不足になりがちな私だ。疲れているのに眠れないのは神経が昂ぶっているせいだろう。結局この夜眠ったのは合わせて5時間くらいだろうか。朝になって鏡の前に立つと眼窩が落ち窪んでいる。それに酷い吐き気と頭痛。 ロビーで新聞を読み、6時半に食堂へ。食欲が湧かないが食べなければ走ることは出来ない。無理して色んな食材を皿に取り分ける。だがご飯を止めお粥を選ぶ。それもさらっと1杯だけ。いつもなら2杯は飲むジュースと牛乳をミックスしたものも、この日は全く飲む気が起きなかった。食後も少しベッドで休む。時間が来てフロントに鍵を渡しに行ったものの、吐き気が治まらない。よほど体調が悪いのだろう。慌ててコンビニに行き、栄養ドリンクを飲む。 その間にMさんが迎えに来ていた。鍵は既に預けてあるのに私の姿が見つからず、Mさんは慌てて捜したようだ。早速第3日のスタート地点である辺戸(へど)岬へMさんの車で向かう。そこは沖縄本島の北端で、交通の便がないためだ。車中、Mさんと色んなことを話した。私は1月にMさんの故郷である宮古島を走ったことなど。彼は定年退職後も再雇用され、仕事の傍ら創立40周年になる職場の記念事業の一環として、沖縄の未来につながる子供達の詩を選定していることなど。彼は本来の業務もさることながら、詩人としての名声が高い人だ。 1時間ほどで辺戸岬到着。岬の石碑の前で記念に写真を撮るMさん。「これが遺影になるかもよ」と私。「熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいよ」と彼。石碑は沖縄の日本復帰を祝ってのものなのだが、Mさんに「本当に日本に復帰して良かったのだろうか」と訊ねると、「経済的には良かったんじゃないですか」との返事。 ペットボトルに水を満たし、自販機でサンピン茶を2本買いリュックに入れる。「お土産を買って来なかったので、ガソリン代にして」とお金を渡しても「冒険を援助したいので」と受け取らない。そんなやり取りの後、9時5分に第3日目のスタートが切られた。車の中から写真を撮る彼。「職場の皆さんにもよろしくね」と私。ゆっくり彼の車が私を追い越し、ついに見えなくなった。最後の一人旅だ。今日は名護市のホテルまで慎重に走ろう。 向かう道の先に安須森御嶽(あすもりうたき)が見える。絶壁の上にある聖地だ。この島にいた頃、私はそこへ登ったことがある。「ここは私達が神と交信する聖地です。汚さないでください」と立て札が立っていた。粗末な香炉のほかには何も無い拝所。360度見渡せる崖の上から海に向かって拝むオバー達。シンプルだが厳かな沖縄の原始神道の姿だ。 沖縄人の祖先であるアマミキヨとシネリキヨの夫婦神が初めて上陸した地点がこの辺戸岬とされる神話が残されている。岬の真下の海中には洞窟があり、そこには人が暮らした痕跡があることが琉球大学理学部の木村教授達の調査で分かっている。また岬の上にある宇座(宇佐)遺跡からは縄文後期の土器が発掘されているが、これは鹿児島の市来式土器と同じ系統のようだ。いずれも沖縄人(うちなんちゅ)の遠い祖先がどこからこの島へ渡って来たかを示唆するような話だ。 私は今来た国道に出ず、直進して「茅打ちバンダ」と呼ばれる絶壁上の名勝に向かった。そこにも宇座第2遺跡と呼ばれる貝塚があるようだ。崖の上からオーシャンブルーの東シナ海が望めた。麓の宜名真(ぎなま)集落まで慎重に降りる。武見集落まで来ると容赦ない真夏の太陽が私の走りをストップさせた。スタートしてまだ数キロしか来てないのに、これは大ピンチ。果たして今日の旅が最後まで続けられるのか。<続く>
2008.07.27
コメント(2)
<ハブに怯える> 「ラマダルネッサンスリゾート」、「ムーンビーチ」、「タイガービーチ」、「サンマリーナ」。そんな横文字のリゾートホテルや海水浴場が続く海岸に、突然「おんな売店」の看板を発見。「さて、どんな女性を売ってるんだろう?」。もちろんこれは冗談。村の名前が恩納(おんな)なのだ。 南恩納でついにガス欠。1軒の売店に飛び込みお握りとトマトを2個ずつ買う。店には2人のオバーがいて、私が宮城県から来たことを知ると、福島で地震が起きたことを教えてくれた。椅子に座り、クーラーが効いた店内で黙々と食事を摂る。トマトには持参の塩。そして牛乳も飲んだ。これでようやく元気回復。17時30分。外はまだ暑いけどそろそろ気合を入れて走るしかない。 間もなく自転車に乗った外国人の少女達と出会う。その発育の良さに驚く。少年は何と浴衣を着ている。そのうち姿が見えなくなった。きっと米軍海兵隊恩納通信所の家族で、村役場周辺での夏祭りにでも行っていたのだろう。自転車に乗った男2人にも出会った。薄汚れた服装で時々道端のペットボトルなどを拾っている。富めるアメリカの子供達と対照的な島の貧しい住民。 名嘉真(なかま)集落付近の岸壁で魚釣りの人。釣れるのはタマンと言う肉厚の魚のよう。19時15分頃ようやく名護市へと入る。幸喜集落付近で真っ暗になる。対向車のライトで足元が見えない。藪の中で「キャッ!」と何かが鳴いた。あれは野ネズミか。ハブの餌は野ネズミとか聞いた。「耳」の傍から赤外線のようなものを発射して相手の距離を測るハブは自分の体長くらいはジャンプする。ハブの毒は猛毒。もしも咬まれたら30分以内に血清を打たないと死んでしまう。見えない闇の恐怖に戦慄が走る。 許田で沖縄自動車道と合流し、高架の下を駆け抜ける。これだけ照明が明るいとハブの危険は少ないはず。夜釣りの人に訊ねるとホテルのある東江まではまだ5kmほどある由。一難去ってまた一難。思わず気落ちして歩き出す。国道を突っ走る暴走族。今夜は本部の海洋博公園で花火大会があるとか。時間は20時を遥かに過ぎた。きっとホテルの人も心配しているだろう。名護湾の向こうに本部半島と伊江島がくっきり。瀬底島大橋まで照明に浮かんでいた。せめてもの空元気で、両手を振って歩く。 21時06分ようやく名護のホテルへ到着。第2日目65kmの旅に要した時間は13時間11分。この日飲んだのは、結局サンピン茶7本、ウッチン茶1本、ウーロン茶1本、紅茶1本、コーラ1本、ビール1本だった。このほかにドリンク剤1本、アイスキャンディー3本、水も2本は飲んだろう。那覇から送ったリュックは無事届いていた。チェックインを済ませ、シャワーを浴び、休む暇なく遅い夕食の買出しに行く。<続く>
2008.07.26
コメント(4)
<沖縄の2つのシンボル> 宜野湾市大山でスピードランナーに遭遇。良く鍛えられた足であっという間に過ぎ去った彼は、きっと県内でもかなりの実力ランナーなのだろう。結局2日目までに遭遇したランナーは彼だけだった。間もなく右手に広大な普天間基地が見え出す。湾岸戦争当時は素早く着陸と離陸を繰り返す「タッチアンドゴー」の訓練をしている軍用機が、職場の上空を旋回していたのを思い出す。 しばらく基地が続くため、もう右側の歩道を走っても日陰はない。それに自動販売機も皆無。仕方なく交差点で国道58号線を横切り、左側の歩道へと移る。10時40分、北谷(ちゃたん)町北前のコンビニでビールとアイスバーで喉を潤す。国道の向こうはキャンプ瑞慶覧(ずけらん)に変わる。正午。嘉手納基地に到達。ここにも広大な飛行場があり、2月の「おきなわマラソン」時には基地内の一部がマラソンコースになる。私もヤンキーガールからキャンディーを手渡してもらったことがある。 12時10分、コンビニ前で大休止。冷やし中華、ソーメンチャンプルー、梅干を食べ、肝機能を高めるウッチン(ウコン)茶を飲む。軒下で裸で食事中、偶然にも目の前に宮城ナンバー車が止まる。運転手さんは宮城県大崎市出身で、奥さんが利府町出身とのこと。奥さんの両親が昨年から沖縄でダイビングスクールを経営しているのだが、彼も義父の仕事を手伝うために沖縄へやって来た由。こんな風に、沖縄の魅力に取り付かれて内地から移り住む人が結構多いのだ。 読谷(よみたん)村に入ると17年前とは様子が違う。通称「象の檻」と呼ばれた米軍の対中国電波傍受用の巨大なレーダーが無くなっている。それに補助飛行場が跡形も無く消え去っていた。13時30分、読谷村喜名のコンビニでアイスキャンディーを食べ、栄養ドリンクを飲む。ここを左折すれば残波岬と世界文化遺産の一つの座喜味城へ行ける。円形の城壁が美しい城だ。 恩納村への緩い登り坂が苦しくなり、ついに歩き出す。夕方が近いはずなのに太陽は容赦なく頭上から照りつける。だが今日のゴールは遥か先。ようやく下り坂になり恩納村へ入る。ここの海岸線は長く、かつ小さな岬が多いため景色の変化が激しい。沖縄本島でも随一の観光地だろうか。基地と並ぶ沖縄のシンボルである巨大なリゾートホテルが林立する浜辺は、ほとんどがプライベートビーチだ。幽かに本部半島が見え出す。
2008.07.25
コメント(0)
<熱い道にはサンピン茶が一番> 沖縄第2日目の朝食はホテルでしっかり摂った。これが今日一日の元気の源になるはず。食後、ロビーのパソコンで自分のブログを確認すると、新潟の銀のねこさんが書き込みをしてくれていた。第1日目の報告を書こうとキーボードにタッチしたが、どうやら「かな変換」にセットされているようで字を拾うのが大変。「沖縄」と打つだけで5分も掛かる始末。ローマ字で打つ手もあるが、ここは諦めるしかない。 今日のランニングに不要なものを入れたリュックサックをフロントに出し、宅急便で名護市のホテルまで今日中に着くように依頼する。少し心配な面もあるが信頼するほかない。2日目の服装は半袖Tシャツとランパンにした。帽子はひれ付きのもの。首には水を含んだパルプ製の布。これは首を冷やすためのもの。長い道中を考え、膝にはしっかりとテーピングを施す。もちろん紫外線防止用に日焼け止めも。 ウエストポーチにはアスリートソルト、ヴァームの粉末、塩の小袋、クエン酸入りの小袋、サングラスが入っている。そして腰には小さ目のタオルハンカチ。小型のリュックに入れた食料はピーナツ煎餅、醤油味の煎餅、一口羊羹、甘納豆。これらは自宅から持参した。ちんすこうと黒砂糖は前夜購入。沖縄の道を走るのには地元の食べ物も必要と考えてのこと。頭から被る水はペットボトルに2本用意。地図とボールペン、財布はチャックつきのケースに入れ、濡れないように工夫。 小型のリュックは別にあったが、長い間走ると背中が汗でびしょ濡れになるのが難点。そのため今回軽くて走り易いものを購入した。結果的にこれが大正解。とても快適に走れて助かった。やはり長い距離を走り歩く場合は装備が最大のポイントになると思う。 7時55分、第2日目のスタートだ。先ずは国際通りを北上。ここは戦争での壊滅的な被害から急速に復興し、奇跡の1マイルと呼ばれた街。那覇市で一番の繁華街でNAHAマラソンのコースにもなっている。安里交差点から左折し崇元寺前を通過。この寺は琉球王朝の霊廟で、美しいアーチ型の石門だけが辛うじて残っている。泊港から右折し、国道58号線へ。 米軍の管制下にあった時代、戦車が通れるよう片側3車線と広く堅固に造られたこの道。日本復帰時には苦労したようだ。本来国道は2つ以上の県にまたがるもの。ところが沖縄は島のため、他県とつなぐ道はない。そこで当時の大臣が地図を広げ、海の上に赤線を引いて「これが国道だ」と宣言したとか。沖縄初の国道誕生の逸話だ。また右側通行の米国式から左側通行の日本式への切り替えも大変だったようだ。 出来るだけ日陰になるよう右側の歩道を走る。那覇市を抜け浦添市へ。左手にキャンプキンザーが見え出す。最初の米軍基地だ。平成元年に赴任し、初めて参加したマラソンがこの基地内を走るハーフマラソン。だがスタートしてわずか300mで私は走るのを止めた。足に肉離れが起きたのだ。参加賞の英語のロゴ入りTシャツは、沖縄勤務時代の貴重な練習着になった。 浦添市屋富祖(やふそ)を通過。ここのスナックへは職場の仲間と訪れ、泡盛を飲んでは沖縄の歌を歌ったものだ。とても優しいママだった。左手に沖縄電力の高い煙突が見え出す。牧港の銀行前で最初の休憩。気温は既に30度を越え、走るのが苦しくなって来た。自販機でサンピン茶(ジャスミンティー)を買う。香りが良くて沖縄の風土に良く合ったこのお茶が私は大好きだ。結局この日は名護まで6本のサンピン茶を飲んだと思う。<続く>
2008.07.24
コメント(8)
<早くも熱中症か> ヒメユリの塔前を通過。ここはNAHAマラソンの25km地点だから、摩文仁からスタートして4km走ったことになる。走ろう会の先輩だったT事務長が毎年私設エードを開いてくれる場所なのだが、当然今日は誰もいない。たった一人で南部の道を走るのは不思議な気持ちだ。サトウキビの葉が風に揺れる。 長い坂を下り、ようやく南部病院前を通過。左手に名城ビーチを見ながら糸満までの下り坂をゆっくり走る。暑い。やはり沖縄は夏の日中に走る所ではないようだ。糸満ロータリー手前で花に散水していた小母さんに頭から水をかけてもらう。水までが生温い。白銀堂前を通過。ここは沖縄では古い神社の一つで、糸満ハーリー(舟の競漕)のスタートの合図をする場所。 西崎の橋を渡ると干潟にシャリンバイに似た白い花。マングローブの花を見たのは初めてのこと。手に取るととても良い香り。マングローブはオヒルギ、メヒルギなどの水生植物の総称で、マングローブと言う名の木がある訳ではない由。与根入口を通過。ここは初のフルマラソンだった20年前に、両足の痙攣で暫く倒れていた苦い思い出がある魔の35km地点。我那覇から空港へ向かう新道へは左折せず、直進して那覇市内に向かう。 ここは第9回大会頃までの旧コース。坂道が続いて苦しいのだが日陰になるので新道より走りやすいはず。名嘉地の坂道の途中にマンゴーの実が鈴なり。実にはネットが被されている。そろそろ食べごろなのだろう。沖縄ならではの風景だ。赤嶺周辺で急にガス欠を感じた。走り出してから2時間を過ぎている。その間エネルギーを摂っていないのだから無理もない。慌ててコンビニに駆け込みお握りを買う。甘くて美味しいアンダーミソ(油味噌)入りのお握りを店先に腰を下ろしてぱくつく。 小禄で新コースにぶつかり、坂を下ってNAHAマラソンのゴール地点の奥武山運動公園に入る。周囲の柵がすっかり取り払われて自由に行き来出来るようになっていた。グラウンド脇から壷川橋を歩いて渡る。国際通りの入り口で迷うのもいつものこと。ようやく那覇一番の繁華街に入り、最後の力を振り絞ってホテルまで走る。22kmの道のりを3時間ちょうどでのゴール。最後は吐き気とめまいに苦しんだ。初日から軽い熱中症の症状が出たようだ。これは明日以降の長旅では熱中症に要警戒。侮るととんでもない結果になりそうだ。 夕食は平和通りの花笠食堂で「沖縄定食」を注文。エビフライ、刺身、モズク、ラフティ(豚の三枚肉の煮物)、おでん(大根、昆布)、沖縄ソバ、野菜サラダ、かきあげの天麩羅、赤飯のセットで1100円也。これに定番のオリオンビールを追加。食事を終えて国際通りに出るともの凄い熱風。夜の9時近いのにこの暑さは異常だ。夜中喉の渇きを覚えて何度か目覚め、ポットに入った冷水をすべて飲み干す。やはり体が干上がっていたようだ。<続く>
2008.07.23
コメント(4)
<沖縄本島縦断のスタート> Hさんを待つ間、私はホテルの前で沖縄の熱風に身を曝していた。仙台空港で2時間。那覇への機内で約3時間。そしてモノレールの車内とホテルでも、ずっと涼しい風を浴び続けていた私の体は冷え切っていたからだ。これから始める沖縄本島縦断の旅。沖縄の走友が「真夏に走るのは自殺行為だ」と真剣に警告してくれた、体感温度40度にも感じると言う「熱い道」を走り出す前に、少しでも体を慣らしておく必要がある。3年間沖縄に住み、この島の暑さは嫌と言うほど知っている積りだが、果たして体がどれだけ覚えているかどうか。 Hさんの車は約束の時間を15分過ぎてようやくホテルの前に着いた。彼に会うのは昨年暮れのNAHAマラソン以来。「国際通りが混んでいて、安里から15分かかりましたよ」。いつも通りの人懐こい声。「で、スタートはどこにしますか」。「摩文仁お願いします」。彼の質問に私はそう答えた。 先日彼に電話した際は、スタート地点を喜屋武(きゃん)岬にしたいとお願いしていた。本島南端の喜屋武岬から北端の辺戸岬を目指すのはシンプルな考え方だ。だがその後考えを変えた。沖縄戦の激戦地だった喜屋武岬にはきっと何もないはず。その点観光客が多い摩文仁平和祈念公園ならトイレも売店もあるから、スタート前に水分補給も出来る。それにそこはNAHAマラソンの中間地点で、これまで10回も参加してる私は那覇までの距離感が掴めると思い直したのだった。 Hさんは私をスタート地点まで送った後、地域の夏祭りの実行委員会へ行くとのこと。平成元年に沖縄に赴任し、当時職場の走ろう会の世話人だった彼とはもう20年以上の付き合いになる。その走ろう会も最近は低調とのこと。忙しい彼は私の3日間の走り旅のことを心配しながらも、摩文仁平和祈念公園から引き返して行った。さらば友よ。君の心からの警告と心配はきっと忘れないよ。 トイレを済ませ、ガジュマルの木陰で軽く体を動かした後、私は第1歩を踏み出した。夕方の4時半。これから長い長い旅が始まる。太陽はまだ高いが暑さはさほど感じない。きっと空調が効いた車に乗っていたせいだろう。リュックを背負わない今日だけはランパン、ランシャツ姿にした。せめて初日くらいは軽やかに走りたい。いよいよ公園の裏門から国道331号線へ出る。 だが何かがおかしい。汗も出ないし、道路の様子がどうも変なのだ。理由は直ぐに分かった。これまでここを走ったのは全てNAHAマラソンの時。走り易かったのは交通規制をしていて、広い車道を走っていたためだ。それが今回は狭くて凸凹のある歩道を走るのだから違和感があるのが当たり前だった。間もなく紫外線の害を防ぐために塗った日焼け止めの下から、じっくり汗が噴出して来た。これで一安心。発汗作用が正常じゃないと、熱中症に罹り体温の調節が困難になるからだ。喜屋武岬の遥か彼方に、真っ青な東シナ海が静かに身を横たえていた。<続く>
2008.07.22
コメント(2)
第4日目:7月21日(月) 朝食後ホテルをチェックアウト。長距離バスで那覇市へ移動。お土 産など買い物後、モノレールで那覇空港へ。ANA464機で仙台へ。帰宅後、早速愛犬と 散歩。 沖縄のホテルではいずれもパソコンが不調でブログの更新が出来な かったため、簡単にメモを残しました。「感想記」は明日以降書き始める予定です。どうぞ お楽しみに~。 さて、明日からまた仕事だ~!! 改めて、皆さん応援ありがとうございました。
2008.07.21
コメント(12)
第3日目:7月20日(日)最高気温33度 体感温度40度ほど 名護市のホテルに友人が迎えに来てくれ、沖縄本島最北端の辺戸岬 まで送ってくれた。 そこから9時5分にスタート。この日は連日の疲れで朝から吐き気に苦しんだ。 名護のホテルへリュックを背負い、53kmを11時間40分かかって辿り着く。 途中頭痛がし始め、何度も休憩する。2度ほど熱中症の症状が出た が、無理せず水分やエネルギーの補給に努めたせいか何とか事なきを得る。 途中、国道58号線から外れて小集落内の道をあるく。色んなハ プニングに遭遇。結局この日走ったのは全体の5分の1ほどか。 20時45分ホテル前を通過。私のことを心配した友人がホテルへ電話をくれたようだが、 ちょうどその時は遅い夕食の仕入れ中だった。 3日間の合計 距離140km 走行時間27時間51分。体はガ タガタになりましたがとても満足しています。皆様の応援を心から感謝しています。
2008.07.20
コメント(0)
○第1日目:7月18日(金) 糸満市摩文仁平和祈念公園~那覇市松尾 約22kmを3時間ちょうどで走破。 最高気温は32度ほどだが体感温度は40度。走後吐き気とめまいを感じる。 ○第2日目:7月19日(土) 那覇市のホテルから国道58号線をひたすら北上し名護市のホテルへ。 距離65kmほどを13時間11分かかってようやく辿り着く。このうち 走ったのは半分ほど。残りは歩き。最高気温、体感気温は前日と同様。最後は ガス欠になる。恩納村から先がやけに遠かった。
2008.07.19
コメント(0)
いよいよ沖縄行きの当日になりました。昨夜は何度も目が覚めて困りました。きっと沖縄行きのことが脳裏に深く刻まれ、神経が興奮しているのでしょう。何度もそれをなだめ、6時間ほど眠れました。これでかなり疲労が取れた感じです。 沖縄へは1冊の本を持って行きます。もう7ヶ月ほど読んでる(リュックに入れてる)沖縄の歴史に関する本なのですが、専門書のためになかなか進みません。と言うより、きっと私の読書時間があまりにも短かすぎるのでしょう。重たくて大変だけど、沖縄への想いが一層感じられて良いかと思っています。 那覇のホテルに着いたら直ちにランパン、ランシャツ(今日はリュックを背負わないので)に着替えてロビーへ行き、そこで友人と会います。そして島の南部へ向かい、いきなり走り出します。友人は用事があって忙しい中、私を今回のスタート地点まで送ってくれるのです。沖縄の暑さはどんなのでしょう。今日のランは21kmから25kmほどの予定。明日からの走り旅に備え、体を慣らしておくためでもあります。 たるさんが書いてくれた南の島のイメージ。Junさんが走る時にいつも感じている風。今回わざわざメッセージを寄せてくれた全国の走友の想いを胸に、暑い暑い沖縄本島を隅から隅までテクテク走って来ますね。4日ほど留守にしますがヨロシク~!!沖縄からのブログの更新はちと無理かもね。では皆さん、ご機嫌よう♪ 行って来ま~す。 皆さんへのご訪問は少し時間をくださいね~
2008.07.18
コメント(2)
ようやく今週の仕事を終えた。先月末から33.5時間の残業や4連続の勤務体制にも何とか耐えた。そして妻の旅行中には弁当まで作った。今日内科の定期診察を受けたら、血圧がかなり上がっていた。やはり疲労が蓄積していたのだと思う。 女医に最近の勤務状況と明日からの沖縄行きのことを話すと、血圧については「体は正直ですね」。そして縦断走については「くれぐれも熱中症には気をつけて」とただそれだけ。常に最も有効と思える助言をしてくれるこの女医は医者としての資質に優れ、人間としては優しい人だと思う。後は今夜ぐっすり眠り、沖縄に向かう機内で静養できたら140kmほどの沖縄本島縦断走に耐えられる気力と体力は維持できるのではないか。 心配していた台風は先島諸島から中国大陸へ向かいつつあるようだ。このため明日は「晴れ時々雨」、明後日は「晴れ時々曇り」に予報が変わった。きっと苦戦するだろう。サングラスと日焼け止めクリームは不可欠だ。沖縄の友人2人ともそれぞれ連絡がついた。名護市のホテルにも電話を入れ、予約されていることを確認した。2年前のNAHAマラソンでは、ツーリストを通じて申し込んだホテルが二重に予約を入れていて、結局泊まれなかったことがあったためだ。 後の心配は那覇のホテルから名護のホテルまで宅急便が一日で着いてくれること。そしてお金が何とか足りること。私の旅はいつもギリギリの予算。今回も妻から1万5千円ほど借金した。極力無駄な出費を抑え、ケチケチ作戦で行くしかない。 第2日目、第3日目の朝食はホテルでしっかり摂ることにした。本当は比較的涼しい早朝にスタートした方が体は楽なのだが、そうなると予めコンビニ弁当を調達することになる。だが暑くて食べ物が傷みやすい沖縄では、必然的に「揚げ物」料理が多くなり胃に負担をかける。ホテルだとバランスの良い食事に加え、果物や牛乳なども摂れるため、体調維持のために良いと考えてのことだ。 第2日目の那覇~名護間にはコンビニもたくさんあると思うので特に心配はしていない。問題は名護~辺戸岬間(実際は岬から逆走する予定)の約45km。ここにはほとんど店はないと考えた方が無難。そのためカロリーメート2種、ゼリー状の栄養剤、梅干、ピーナツ煎餅などを持参する予定。後は現地でお握りと飲み物を補充する。また「被り水」を入れるために空のペットボトル3本を持って行く。当然リュックを背負うことになり、肩や背中が擦れないよう半袖Tシャツを着るつもり。塩分補給のためにも、マラニックの途中に沖縄ソバなど食べられたら最高なのだが。後は成り行き任せ。幸運を天に祈ろう。
2008.07.17
コメント(8)
そもそも私が沖縄本島を縦断走しようと考えたのは、昨年の11月くらいだったと思う。たまたま翌年(つまり今年)のカレンダーを見ているうちに、年末の27日(土)から31日(水)まで休めることに気づいた。私は定年後さるビル管理会社に再就職し現在警備員を勤めているのだが、一人勤務のため自由に休暇が取れない状態にある。それが5連休まるまる休めるのは嬉しい。それを有効に活用して何か出来ないかと考えたのが、自分の足で走って沖縄本島を一周すると言うものだった。 思いつくと直ぐに夢中になり、どうすればそれが実現できるかを考えた。コースの取り方にもよるが、100km以上の距離を3日間連続で走れば1周は可能だ。だが果たして私の脚がそれで持つかどうかは分からない。そんなことで幾つかの案を練った。ネックは島の北部。つまりヤンバルをどう走り切るかだ。北部の大部分を占める国頭村はほとんど僻地に近く、しかも集落がポツリポツリと離れている。特に太平洋に面した東海岸はちょうど「越後くびき野」の山岳コースと似たような起伏が延々と続き、しかも宿泊施設は限られている。これは是非とも沖縄の友の力を借りる必要がある。早速私は手紙を出した。 また、2つのリゾートホテルを使えば何とか走れそうだと考え、勇んでツーリストへ出向いた。だが、リゾートホテルの1泊の料金は5万円以上もするとの返事。2泊だと11万円以上。私は6千円台のビジネスホテルで十分なのだが、北部の東海岸に該当する施設はない。それに飛行機代も年末料金になるとか。それでは沖縄本島1周ではなく縦断走ならどうかと案を練り直す。 予算的には厳しいけど何とか実現できるかもと、妻に「一生に一度のお願い」をしてみた。だが返って来た返事は「却下」。ホームヘルパーをしている妻は年末年始が特に忙しい。休めるのは元旦のみ。例年は年末の大掃除や買い物などを私に頼むのが常。そんな時に旦那は「自分だけのロマン」を追って5日間も家を留守にする。私に代わって愛犬の散歩を厳寒期に引き受けるのも辛いようだ。「連続で留守にするのは4日間まで。それも寒い時期は無理」。それが妻が示した妥協案だった。 8月は「立山登山マラニック」、9月は「秋田内陸」へ行きたい。それに秋口だと沖縄は台風のシーズンになる。そこでカレンダーを見直すと7月にも連休があった。1日休暇を取れば3泊4日のスケジュールは何とか確保出来そう。問題は暑さだが止むを得ない。本島一周が「大作戦」なら「本島縦断走」はさしずめ「中作戦」。総距離は135kmから185kmほどだろうか。 それにしてもどんな日程が組めるのか。名護から島の北端である辺戸岬までの公共交通はない。この間約45km。往復だと約90km余。東海岸ほどではないがヤンバルの西海岸でも集落と集落の間がかなり離れており、コンビニはあっても1つくらいだろう。焼け付くような暑さの中をリュックを背負って90km以上走るのはかなりきつい。復路はヒッチハイクで車を止めて乗せてもらうか。沖縄のMさんから計画がその後どうなったか問い合わせるメールが届いたのはそんな時だった。
2008.07.16
コメント(2)
今日は早番と遅番の両方を兼務することになった。もう一人の相棒が急に休むことになったためだ。係長からはさらに残業を頼まれた。こちらの方は断った。「係長、そんなに働いたら死んでしまいますよ」と。兼務だけでも大変なのに、その間も働き続けたら沖縄行きどころではない。おまけに今日と明日は妻が上高地と高山へ旅行へ行って不在なので、食事の支度や愛犬との散歩などもすべて自分がする必要がある。 ともかく沖縄行きの体力を温存しておくことが今は最も重要。それに「心」もそうだ。灼熱の沖縄本島を南端から北端まで走り切るという強い気持ち。それを忘れてはいけない。そんな時、岩手のたるさんが書き込みをしてくれた。私の沖縄行きで「元ちとせ」のさる歌をイメージしたと。ありがたいことだ。良いイメージを持つことはとても大切。 どうしたことか、昨夜私のブログを訪ねて来た「足跡」の一つに、沖縄の離島久米島の果物園のブログが遺されていた。覗いてみると熱帯の植物や果物の写真が満載。優しい言葉がその写真を補足している。ふ~む。これは癒されるなあ。今日はとても忙しくブログを更新する暇もないと思っていたのだが、早めに目覚めたのでこんな時間帯に書いている。 昨夜は沖縄時代の部下であり、沖縄を代表する詩人の一人であるM原さんの自宅へ電話した。メールの返事がなかなか来ないからだが、留守電になっていた。連絡が取れないと果たして島の北端へ辿り着けるか分からない。名護市の先に公共の交通機関がないからだ。心配になってパソコンを開くと、彼からのメールが届いていた。 第3日目の宿へ何時に迎えに行ったら良いかを確認する内容だった。そして本当に私が沖縄の灼熱の太陽の下を走るのか、自殺行為じゃないのかと書かれている。先日届いたH氏からの手紙にも全く同じ心配が書かれていた。沖縄の友よ、君らの心配は良く分かる。だが私の脳裏には細長い沖縄本島を隅から隅まで自分の足で走り通すイメージが残されている。君らに心配をかけないよう、しかも元気で島を走るよ。こうなったら心配ばかりしていても始まらないからね。 たるさん、久米島の果物園さん、沖縄の良いイメージを私に与えてくれてありがとう。沖縄の友であるM原さん。メールでの連絡ありがとうね。これで心配が少し減ったよ。何しろ沖縄ではどんなハプニングが起きるか分からないからね。
2008.07.15
コメント(6)
先日行った理髪店で、若いスタッフに「もみ上げがありませんね」と言われた。「え~っ?」私は内心驚いた。短いけどちゃんともみ上げはある。今時の若い人の感覚だと、私のはもみ上げに入らないのだろう。私は変に長いのや、尖端が細くなってるのや、もみ上げから耳の脇まで真っ直ぐに剃られた「髪型」は好きじゃない。何だかヤクザっぽく感じてしまうのだ。 長いもみ上げが頬のヒゲと一緒になった人がいる。一般的に髭と書くのは唇の上に生える口髭で、顎に生えるのが顎鬚。頬のは髯と漢字では識別しているようだ。ただし、簡体字になった現代の中国語でどう表記しているのかは知らない。東京の髭カクさんはどうだったかな?現在70歳になる彼は昨年片道約550kmの「トランスエゾ」を往復したことを最近になって知り驚いている。あの温和な表情をした髭カクさんは、今でも現役の大変なウルトラランナーだったのだ。 走友のY田さんからメールが届いた。今月初めにあった「磐梯高原」の結果を問い合わせた私のメールにようやく気づいたようだ。彼の話だと55km地点で走れなくなり、ASで暫く休んでいたようだ。その後ビールと漬物で復活し、14時間06分でゴール出来たとか。あの日は真夏日。猪苗代湖周辺では暑さも最高潮に達していたのだと思う。今週末に迫った私の沖縄行きを心配して、あまり無理をしないようにとメールは結んであった。 いつもブログを拝見しているばーこさんが書き込みをしてくれた。彼女は大阪近辺にお住まいのようだが、美しい花の写真と温かい言葉で溢れている日記は、とても優しく癒される内容だ。たまたま先日覗いたら、幼い頃にホウセンカの花でつま先を染めて遊んだことが書かれていた。私はそれを読んで大層驚いた。何故なら沖縄にも同じような情景が出てくる歌があるからだ。てぃんさぐぬ花や てぃみさちに染(す)みり 親(うや)の諭(ゆ)しぐとや 肝(ちむ)に染みり「ホウセンカの花は指先に染めて遊びなさい。でも親が諭してくれたことは心に染めなさい。」意味はそんなことだ。てぃんさぐは手の先、つまり指先のこと。元歌はテンポが速いのだが、むしろゆっくり歌った方が歌の趣旨が良く生きると思う。因みに歌詞の2番は 夜(ゆる)走(は)らす舟(ふに)や にぬふぁぶす目(み)当てぃ 吾(わん)生(な)ちゅる親(うや)や 吾(わん)ど目(み)当てぃ夜間航行する舟は「にぬふぁぶす」=子(ね)の方角にある星=北極星が頼りだけど、私を生んでくれた親は、私だけが頼りなのだと言う意味。読んでお分かりのように、この歌は自分の親を大切にしなさいと言う教訓。沖縄の人々の切なる想いが伝わる内容だ。 沖縄行きがいよいよ今週の金曜日に迫った。金曜日から日曜日にかけて3日間連続で走る予定だが、いずれも曇りで最低28度最高32度の予報。沖縄本島は東シナ海に浮かぶ南北に細長い島。天気予報は那覇市内のものなので、特に北部の天候は当てにならない。「怯(ひる)まず迷わず突き進め ただ己を信じ・・」。これは我が東北楽天の正捕手である藤井選手への応援歌の一節だが、沖縄行きを目前して不安も迷いもある自分自身への応援歌にしたいと思っている。
2008.07.14
コメント(2)
昨日の朝引き抜いた京水菜を上げた近所の方から、夕方になってカレイ5匹をいただいた。息子さんが釣って来たものと言う。物静かな息子さんは40近いと思うのだが、まだ独身のよう。両親と一緒に暮らし小さな畑も趣味で耕しているみたいだ。もう一軒からはアワ饅頭と栗饅頭をいただいた。尾瀬沼へ行った帰りに奥会津で買ったのだとか。邪魔になって抜いた野菜が美味しいものに化けて、何だか申し訳ないような気分だ。 深夜0時頃暑さで目覚め、風呂場で水シャワーを浴びる。ついでにパソコンを覗いているうちに再び体がほとる。寝室の戸を開けるとかなり涼しい。蚊も入ってないようで刺されないのが助かる。何しろ私は血液型がO型で、汗かきで新陳代謝が激しい。肥満体ではないが体は小さくはない。こんな私がアルコールでも飲もうものなら、たちまち蚊の餌食になる。私は蚊が最も好む体質をしてるそうだ。 今朝の食卓には前日いただいたカレイの塩焼きが出た。小ぶりだがとても美味しい。きっと釣りたてで新鮮だからだろう。朝食後、古新聞、古雑誌、段ボール、雑紙を町内の資源回収場所に運ぶ。ペットボトルや空き缶などはゴミの日に出してリサイクルに回り、牛乳パックや発泡スチロールのトレー類は近所のスーパーへ持って行く。そして生ゴミと愛犬のウンチは裏庭のコンポスト容器で堆肥になる。我が家のゴミは小さな袋一つにも満たないほどの量で治まっている。 庭のカボチャに幾つか花が咲いている。雌花を開いて見ると底に雨水。それを振るい、雄花の花粉をつける。受粉出来ずに小さいまま腐った実もあった。キュウリが1本実っている。今年の初物だ。前日にはピーマン1個を収穫済み。トウモロコシの穂にも花が咲き出した。実から伸びた1本1本の「ヒゲ」に花粉がかからないと中の実も実らないとお向かいさんが教えてくれた。ゴーヤの黄色い花や濃紺のナスの花も咲き出した。アマゾン原産の根菜であるヤーコンの茎も伸び出した。トマトも今年は順調に育っている。 「お父さん、どう?」妻が私に訊ねる。「何?」と聞くとノーブラなのだそうだ。自転車で12kmほど先の隣の市にあるショッピングモールへ出かけるのだが、暑いからそのスタイルにしたそうだ。確かに服の模様でノーブラには見えないが、妻にしては大胆な発想だ。汗ダクダクになって着いた店は確かに広くて商品が豊富だった。帰路は山沿いの道を通って帰った。普段から帰宅ランで背負っているリュックからは濃厚な汗の臭いが漂う。 昼食は冷やし中華にした。私が麺を茹でているうちに、妻が具材を用意する。合作の冷やし中華を妻は美味しいと言って喜ぶ。夏はやはり酸っぱいものが食欲をそそる。汗かきの私には弁当にも梅干が必要。さて今日も楽天は岩隈で負けた。これでKスタでの6連戦は5敗1分けで終わった。これでロッテと入れ替わって5位に転落。予想外の苦戦にきっと野村監督も頭を痛めているだろう。我が家のスローライフが楽天にも伝染した訳ではないのだろうが。
2008.07.13
コメント(10)
昨夜の楽天対千葉ロッテ戦は、青山と唐川の投げ合いだった。朝刊を見たら先発が田中でなかったことが分かり、しかも夜は雨になりそうなこともあって一旦は行くのを止めようと考えたのだが、思い直して久しぶりにKスタへ行ってみた。金曜日ということで観客はさほど多くは無かったが、不思議なことに親子連れが多かった。 8回表1アウトまで0対0の接戦。だがロッテに犠牲フライで1点を取られ、9回はリックの判断ミスでランニングホームランで3点を追加され試合は終わった。その裏の攻撃を観ず、私は雨の中を帰って来た。楽天も結構ヒットの本数は多いのだが決定打が出ない。あれではなかなか勝てないだろう。 今朝は雨の音で目が覚める。大変な大雨。だが、暫くして雨が上がり、太陽が差して来た。愛犬と朝の散歩。朝食後は明日の廃品回収に備えて古雑誌などを纏める。その後、畑のインゲンに支柱を施し、京水菜を抜いて近所に配る。株が育ち過ぎてキュウリなどの成長の邪魔になり出したからだ。その後、妻は3ヶ月ぶりに愛犬のシャワーにかかる。気配を察して逃げ回る愛犬を何とか風呂場に抱いて行く。 蒸し暑い日差しの中、自転車で出かける。来週の金曜日にはいよいよ沖縄へ走りに行く。そのために必要なものを買うためだ。スポーツ店ではテーピング用テープ、小型の軽いリュック、カロリーメート。そして薬局では湿布薬とワセリン。ついでに理髪店で散髪。帰宅後は持って行くものを揃える。暑い沖縄でどんな服装で走るかを熟慮しながらの準備。まかり間違えば命取りになる沖縄本島単独縦断走。必ず生きて帰って来るためにもシュミレーションは必要不可欠。 昼食後はテレビで楽天対ロッテ戦を観戦し、走友会の練習は欠席。まだかなりの疲労が残っているためだ。さて、Kスタでは今日と明日の試合はチケットが売り切れとか。だが田中の調子がイマイチ。守備の乱れもあり序盤に大量点を奪われる。それでも田中は9回途中まで投げた。結果は5対7の敗戦。これで田中は6勝6敗とタイ。6勝目を上げてからずっと足踏みが続いている。やはり「2年目のジンクス」は生きているのか。 話は変わって、私のブログで3万件目にヒットしたと、昨夜kopandaさんが書き込みをしてくれた。どうも有り難うございます。そしてわざわざの報告、恐れ入ります。彼のブログはとても人気が高く、確か先日14万件ヒットを実現したはずだ。毎日欠かさず知的な情報を流し続け、かつ情報の出典を明示される誠実なkopandaさん。そんな方が「今後の活躍を祈ります」と書き込んでくれるとは。私にとっては嬉しいハプニングだった。
2008.07.12
コメント(2)
ずいぶん朝早いのですが、今日はもの凄く忙しくなるため朝のうちに簡単な日記を書いておきますね。 1つ目は園芸の話です。先日さる方のブログを観て、私が「スグリ」ではなく「ユスラウメ」ではないかと書き込みをしたところ、別の方がひょっとしたら「ニワウメ」ではと書き込まれ、なるほど!と感じたことを日記に書いたところです。ところが元々のブログの方が念のために調べたら何と「ヒョウタンボク」と言う名の植物であることが判明しました。 写真を良く観ると、なるほど瓢箪のように実が2つ必ずひっついています。世の中には変わった植物があるものですねえ。おまけにその実は毒性が強く、食べられないとか。スグリやユスラウメなら食べられますが、「美味しそう!」と思って食べたら大変なことになるところでしたね。本当の名前や生態が分かって良かったのですが、それにしても写真を送ると何の植物かを判定してくれるところがあるとは、こちらも驚きました。 2つ目は沖縄の走友の話です。先日手紙を送ってくれたH氏のところへその日のうちに電話してみました。氏曰く。今の季節の沖縄で日中作業する時は、10分毎に休むのだとか。長い間島に住んだことで沖縄の人は本土の人よりも汗腺の数がずっと多いのです。暑さに適応するために体がそう変化したのでしょう。そんな沖縄の人の忠告ですから、来週沖縄で走る時には十分気をつけたいと思っています。 最近の沖縄のニュースで、ある高校が建て替えのため目下プレハブで授業をしているのだとか。ところがプレハブのためクーラーが無く、体感温度は40度にもなる日があるとか。これでは学生も教師も授業どころではありませんね。なにしろ持って行った弁当が腐るとのことです。早くクーラーをつけてやらないと、弁当だけでなく人間が参ってしまいますよ。 このところなかなか勝てない我が東北楽天。昨夜も負けて、悲しいかなとうとう「借金生活」に戻ってしまいました。パリーグの第4位に陥落です。今夜の先発投手はまだ確認していませんが、きっと田中か岩隈のどちらかでしょう。週末で体が最高に草臥れている金曜日ですが、今夜は残業と愛犬の散歩を済ませた後、急遽Kスタへ応援に行くことにしました。そんなわけで、帰宅が遅いため早目の日記になったと言うわけです。楽天頑張れ~っ!!
2008.07.11
コメント(0)
一昨日、大阪道頓堀の食い倒れが閉店した。その時の女将の挨拶がとても爽やかで印象的だった。閉店の理由は客離れのようだが挨拶では一言もそのことに触れず、永年の愛顧に対する感謝の言葉のみ。あの名物人形「食い倒れ太郎」も、今後の繁栄を願って道頓堀のために役立てたいとのことだった。「使い回し」や「産地偽装」で倒産した船場吉兆の女将の引き際とはまるで好対照だ。商売はかくありたい。信用なくして商売は成り立たない。人間引き際に真実の姿が出ると思う。 イタリアのフィレンツェにある何とか大聖堂への落書きが少し前に問題になったが、先日落書きをした岐阜女子短大の学長と当人である女学生1人が、大聖堂を訪れお詫びをしたようだ。大体にして世界文化遺産に登録された建築物に落書きをする神経が理解できない。聞けば岐阜市とフィレンツェ市は友好都市のようだ。それなら一層のこと落書きなど出来ないはず。 女学生は何かに役立てて欲しいと10万円を寄付したとか。それが爽やかなのではなく、あの大聖堂では岐阜市が先の大戦で空襲を受けた日に、岐阜市の平和と市民の平安を祈って毎年鐘を突いてくれているということだ。そしてフェレンツェ市長が「もうこれで十分です」と、快く学生を許してくれたことだった。その寛容な態度には心服させられた。だが、今後も落書きをする馬鹿な日本人が出てこないかと私は密かに心配している。 世界文化遺産と言えば、日本が登録を申請していた「平泉」が落選したようだ。日本では初めての落選の由。平泉が申請したコンセプトは「浄土思想」みたいだが、仏教の哲学が理解されるのは無理だったのだろうか。個人的には「石見銀山」よりも優れた文化遺産のように感じるが、これは東北人の僻目だろうか。 爽やかでない事件が大分で起きた。教育界を取り巻く疑念。教師の採用試験を巡っての収賄事件が教育を推進する立場にある県の教育委員会そのものが舞台だったのには驚いた。一頃、教師は「聖職者」と呼ばれていたのだが、現在ではそれもすっかり地に落ちたようだ。自分の息子、娘を教師にするために賄賂を贈る。そんな不正で教師になっても事件が明らかになれば当然辞めざるを得ない。むしろその方が不幸だろうに。 採用試験結果を不正に操作したため、本来合格すべき人が十数人いたとか。また不正合格には「議員枠」まであったとか。県会議員、教育委員会、校長や教頭など教育の現場まで巻き込んだ今回の事件は、舞台が舞台だけに子供達に与える影響が少なくないように思う。教育界に不正が蔓延るようでは日本もお終いと思うのは私だけだろうか。
2008.07.10
コメント(2)
今週から第2現場に助っ人が来た。午後から私のシュレッダー業務を手伝ってくれると言う。学年は私と同じでもう直ぐ65歳になる方。初めての仕事なので仕方がないがとてもマイペース。私は血圧が上がるくらい疲れているので、そんな調子の人でもいれば少しは楽になる。今日は50kgほどの袋を40個ほど運ぶのにクタクタ。 その仕事が終わってから妻に頼まれた用事へ。ある美術展に出していた絵の搬出に行くのだ。会場へ行って妻の3点の絵を懸命に捜す。3時から搬出手続きの説明。それが終わってようやく絵を箱にしまう。額縁つきの油絵3点は結構重たく、バス停まで歩くのが大変。乗るまでと降りてから合計で2kmほど歩く。これも妻への点数稼ぎと思えば我慢も出来る。 帰宅すると手紙が2通届いていた。1通は「海宝ロードランニング」から来年の「宮古島ウルトラ遠足」などの案内。これは別なレースに参加するため出る予定はない。もう1通は沖縄の走友からのもの。いつもと違って文章がもの凄く硬い。実は先日別の知人からメールが来て、私が予定していた「沖縄本島縦断走」がその後どうなったか問い合わせがあり、それに関するものだった。 メールをくれたのは沖縄時代の職場の部下。そして手紙をくれたのは職場の走友。2人で相談し、何か援助したいとのことだったが、先ずは高温下で走ることへの懸念が書かれていた。体感温度40度の中を長時間走るのは自殺行為そのもの。何とか涼しい時期に変えられないかと。そしてくれぐれもニュースにならないようにとのこと。現地で暮らしている人達なので至極当然の心配だと思う。 具体的な援助は第1日目のスタート地点までの送り。彼らの予定と飛行機の到着時間が少しずれるためH氏には遭えないかも知れない。第2日目の運送業者によるホテルからホテルへのリュック搬送については、業者名と料金が記されていた。これだけでも身軽に走れるのでとても助かる。そして第3日目は私が予定していたスタート地点を変更し、島の北端にある辺戸岬までM氏が車で送ってくれる由。これも片道だけで済みそうなのでとても助かる。 もしこのまま実現すれば、初日20km(ダメな場合は26km)、2日目63km、3日目47kmで合計130km~136km程度で治まることになる。具体的なイメージが掴め、ずいぶん気持ちが楽になった。 実はレース中に熱中症になったことが2度ある。最初は三重県の「伊賀上野忍者道マラソン」。これは主催者がコースを短めに間違え、給水所に水がなかったための出来事。30度を超える暑さなのに体温のコントロールが利かなくなり、寒気がし出した。この時は田圃の水を顔や腕にかけて、なんとかゴール出来た。 2度目は一昨年の「奥武蔵」。これは朝から気温が30度ほどあり、最高気温は36度だった。大量の発汗で体の塩分が足らなくなり、頭痛、吐き気、両足へのもの凄い痙攣が起きた。この時以来、夏のウルトラマラソンには「アスリートソルト」と塩の小袋を欠かさず持参するようになった。 本気になって私の体を心配してくれた沖縄の友の友情に応えるためにも、何とか「安全第一」で3泊4日の旅を終えたいと願っている。無論自分自身や家族のため、職場に迷惑をかけないためでもあるが。縦断走の成功より体の安全を最優先させ、無事帰宅することを心がけたい。出来れば来週の残業は減らしたいがどうなるか。そして沖縄に旅立つ前に、内科の診察を受けておこうと思っている。
2008.07.09
コメント(2)
つい最近ある方のブログに書き込みをした。園芸を趣味にされている方だ。ほぼ毎日のように覗かせてもらっているのだが、ある時載っている写真が「スグリ」と紹介されていた。スグリと言ってもフィギアスケートの選手ではない。可憐な実をつける植物だ。だがどう見てもスグリには見えない。実の形も、色合いも違っている。 それでお節介にも「ユスラウメ」ではないかと書き込んだ。実は確かにユスラウメそのもの。昨年までは我が家の庭にもあり、実はジャムにしたので確信があった。だが葉の形が少し違うようにも思えた。翌日その方のブログを訪れたら、私が「ユスラウメ」ではないかと書き込んだことが紹介され、さらにそのことについてどなたかが「ユスラウメではなくニワウメだろう」と書き込みされていた。 その方の書き込みによれば「ユスラウメ」の場合は葉にギザギザがあるが、写真のものにはギザギザがないとの指摘。さすがは園芸愛好者だけあって、観察が鋭い。やはり「餅は餅屋」だ。結局私の書き込みは間違っていたわけだが、私はそれで良かったと思っている。本当は「スグリ」ではないと思った方もおられたのだろうが、ひょっとしたら遠慮して書き込まなかったのかも。恥をかくとか思わずに、一つ真実が分かったことで良しとしよう。 話は変わって、ある方が私がランナーと知って一冊の本を紹介してくれた。その著者である作家もマラソンをすることで名前を知られている。本を薦めてくれたのは善意からだったと思う。でも私も走り始めてから30年目を迎え、ランニングに寄せる思いはその作家に劣るとも思えない。これまで参加したレースは100を超え、ウルトラマラソン歴も10数年になるので、自分ではその有名作家より多くの経験を重ねて来たように思う。 またレースの都度完走記も書いて来た。作家と違う点は文学的には比較にならず、文章も拙いと言うことだろう。「餅は餅屋」とは言えないまでも、長年一つのことを続けていれば例え趣味の類であったとしても、自分なりの考え方や信念は持っている積りだ。ただ人間歳を取ると頑なになり易いのが欠点。十分反省する必要がある。 一昨日、私はサミットのことについて書き、サミットに反対している人達が入国していることにも触れた。そして「反対する人達に何らかの手当てがあるようにも見えない」と書いた。本当はサミットに賛成でも反対でも構わない。世の中には色んな考えの人がいて当然だし、どんな主張も自由だと思う。だが政治家は当然政治を動かすことが出来、世界に対して重要な情報を発信出来る立場にある。だからこそ自分の力を存分に発揮して欲しい。私が望むのはそれだけだ。このところは一旦餅は餅屋に任せて見ようではないか。ただ私達も強い関心を持って見守って行きたいと思う。
2008.07.08
コメント(2)
実は今迷っている。今日の日記に何を書くかだ。本当は先日終了した5回の歴史講座で学んだことを書きたいのだが、どう書いたら良いか迷っているのだ。歴史だから当然インチキは書けない。かと言って資料を見ながら正確に記述する自信がないし、そんな風に書いても関心が無い人にとっては全然詰まらない内容になると思う。 結局は自分が感じ取ったそのままに書くのが良いと思うのだが、それでもある程度は考えをまとめる必要があるだろう。でもそんな時間が今は取れないし、上手くまとめる自信がない。それでもネタが無くなって来たので、近いうちには書こうと思う。まあそんな訳で、今日はランニングの話でも書くことにしよう。 去年私が立てた計画は、「毎月フルマラソン以上のレースに出て、すべて完走すること」だった。一見大したことがないようにも思うのだが、爺の年齢になればこれが結構しんどい。ネットの走友で同学年の亀仙人さんも実行しようとしたことがあったようだが結局難しかったとか。やはり昨年のうちに実行して正解だったと今になって思う。理由は走力の衰え。年々筋力が衰え、怪我が多くなって来ているように感じる。 それで今年の目標は、「数多くのウルトラレースを楽しむこと」にした。それも来年以降の体力がどうなるか自信がなかったためだ。事実、1月の「宮古島ワイドー」はまあまあの成績だったものの、3月の「24時間チャリティーラン」で思いがけない怪我をしてしまった。3ヶ月近く満足な走りが出来なかったばかりでなく、今も脚が痛む。痛みが出れば当然気力も低下するように思う。 8月の「立山登山マラニック」を申し込んだのは5月中旬。その時点ではまだ「仙台鉄人会10時間走」に参加していない。脚も痛んでいたため申し込みを止めようかと躊躇したものの結局申し込んでいた。その時の体調は最悪でも、3ヵ月後にどう変わっているか分からないからだ。その意味でレースの申し込みには「冒険」の要素があることは確か。 今月はレースには出ない。沖縄本島を縦断するのが7月の目標。それとて完走の確信があるわけではない。今の沖縄本島だと最低気温が28度、最高気温は33度になる。果たしてその暑さに耐えられるのか。果たして脚が痛まずに最後まで走れるか。島の北部つまりヤンバル地方に飲み物や食べ物を売ってる店がどれくらいあるのか。最長で185kmほどの距離を3日間かけて走る。この暑さの中で運動しているのは高校生くらいなものだ。 まかり間違えば熱中症になりかねないし、最悪の場合は命を落とすこともあるかも知れない。日々の肉体労働で疲れた体が、果たして沖縄の過酷な天候に耐えられるのか。でもそれはもう考えないことにする。挑戦する意義もさほどあるわけではない。何故こんな時期に暑い暑い沖縄を走るのかと問われたら、「ただ走りたいから」としか答えるほか無い。何の意義も無い無謀な挑戦。それもまた良し。人間、時には計算を捨て、馬鹿になることも必要だ。
2008.07.07
コメント(6)
昨夜はテレビで特別番組を観た。ただ「世界不思議発見!」と交互に観ていたので、記憶が正確かは分からない。内容は「地球温暖化」や環境問題。ショッキングだったのは北極海に浮かぶ地球最大の島グリーンランドで、氷がもの凄い勢いで解けていることだった。轟々と音を立てて流れる青い水。万年雪と氷に覆われたグリーンランドが解けるようでは、地球の運命もそう長くはないように思う。 ヒマラヤの氷河も年々規模が縮小されているのだとか。その一方で進んでいるのが砂漠化。赤道周辺の熱い空気が舞い降りる辺りが砂漠になるのだが、その熱気の範囲が広がっているようだ。当然アフリカの貧しい国では食料の確保が出来ず、飢え死にする人が増えることになる。それに輪をかけているのがバイオ燃料とのこと。 元々人間の食べ物であるサトウキビやトウモロコシや大豆が燃料の材料になれば、当然食料に回る部分が少なくなり、価格は上昇する。それに日本のコンビニやスーパーからゴミとして出される食料も多いそうだ。例の「賞味期限問題」に関係してるとか。一般的にメーカーでは賞味期限を短めに設定している由。賞味期限が切れる前に売れなかったものを回収するのだから、当然ゴミが増える。だが、それらのほとんどは十分食べられるものなのだそうだ。 日本人は自分が豊かであることの実感は少ないのだろうが、世界には貧困に苦しみ、その日の食料を手にすることが出来ない人々が大勢存在する。豊かな国と貧しい国。腹いっぱい食べてメタボが問題になる先進諸国と、食べられずにたくさんの人が死んで行く極貧の国。 明日から洞爺湖で始まるサミットとそれに今回招待された数カ国で、地球の二酸化炭素の80%を排出しているそうだ。石油業界から資金提供を受けているアメリカの政治家が、これまで削減運動の取り組み不熱心だったことは良く知られている。そんなサミットで重要な取り組みが出来るわけがないと、サミットに反対する人も世界中から日本へ入国しているようだ。 確かに「お祭り」のような感じもあるが、何もしないよりはましだろう。それにサミット反対を叫ぶ人に、地球温暖化を防ぐ手立てがあるとも思えない。食べ物によらないバイオ燃料の開発、食料自給率の向上、代替エネルギーのさらなる開発などが急務のようだ。かつて南極大陸上空のオゾン層破壊が問題になり、フロンガスなどの使用が禁止されたが、あれも二酸化炭素の削減とは無関係なのだとか。 今日も暑い一日だったが、貧しい我が家では網戸で風通しを良くし、「うちわ」で煽ぎ、水風呂に入って涼んだ。そして朝夕の涼しい時間の散歩。こんな方法でも何とか夏を乗り切れるだろうか。さて、「かけがえのない星・地球」の運命は、これから一体どうなるのだろう
2008.07.06
コメント(8)
昨日帰宅直後の血圧は161(上)/100(下)/63(脈拍数)だった。そして今朝の朝食後の血圧は122/83/52。7時間半ほどの睡眠でかなり疲労が取れ、血圧が正常値になったことが分かる。私の場合は血圧が上がっても頭痛がするなどと言うことは殆ど無く、一晩ぐっすり眠れば疲労が回復できるのが有難い。 今日は朝から上天気。気温がグングン上がって夏日になりそうな気配。先日甕に漬けた梅干を玄関の前に干す。このためのザルは先日買っていた。深さは浅いがかなり大きい。それが400円もしない。中国製かベトナム製か分からないが、日本製ではないだろう。 カンカン照りの中、妻と買い物に出かける。居間の敷物が古くなったためだ。3畳ほどの夏向きのが6千円。なかなか洒落たデザインだがこれも中国製だった。自転車にロープで荷物を括りつけ、えっちらおっちら押しながら帰る。緩い坂道に噴出す汗。気温が上がった最近は仕事でも大量の汗をかくが、これもまたトレーニングのうちと思っている。再来週は暑い沖縄本島を走って縦断する予定。これくらいの暑さに負ける訳には行かない。 午後からは走友会の練習へ。参加者は私のほか、F田さん、M仙人、E名さん、K塚さんの5人だけ。暑いせいかと思ったがそうではない。今日は「磐梯高原ウルトラ」にD口さん、O川さん、Y田さんの3人が行っているし、明日オーストラリアの「ゴールドコーストマラソン」のためにK山さん、I藤さん、M井さんの3人が行っている。 「葉山登山マラソン」はきつかったとM仙人。E名さんは足の痛みが引いたとか。F田会長は今日もまた快調に飛ばす。3人は明日、走友会の「サクランボ狩り」に行くとのこと。町内会の草取りがある私は参加できないのが残念。 コースの途中で3人に別れる。ツーリストから飛行機のチケットなどが届くのだ。午前中買い物に行っている間に宅急便が来たが不在で、2度目の配達をお願いした。帰宅後慌ててシャワーを浴び、無事荷物を受け取る。そして愛犬との夕方の散歩。 暑かったこの日は、愛犬を風通しの良い玄関に入れていた。夕方のニュースでは全国的に気温が上がり、中には真夏日になったところもあった由。「磐梯高原」を走った仲間も、きっと猛暑に悩まされたことだろう。
2008.07.05
コメント(0)
疲れた。もうふらふらの状態。今日は金曜日。何とか今週も仕事をし終えた。昨夜は夜中の1時半ごろ目が覚めた。疲れているのにきっと「立山」のことが気になって神経が昂ぶっていたのだろう。1時間ほどパソコンの画面を眺め、何とか眠りに就くことが出来た。結局昨夜は4時間半ほどの睡眠。朝血圧は測らなかったが、きっとかなり高めの数値が出たと思う。 今日は日中雨の予報だったため傘を持って出勤した。バスの中では座席が空いておらず、駅前までずっと立ち通しだった。そのせいだけではないだろうが、第1現場では椅子に座った途端に眠気が出た。眠気を振り払ってビル内の巡回に出かける。 第2現場に向かう途中銀行でお金を引き落とし、郵便局で「立山」のエントリー料金を振り込んだ。金2万5千円也。決して安くはなく、これでもし完走出来なかったら最悪だ。第2現場では午前中1時間半、午後1時間半の合計3時間勤務。その後第1現場に戻ってオーナー側との「安全対話」に臨んだ。 帰宅すると妻が夕食の準備中で、これからカレーを作ると言う。「吐き気がするほど疲れているので麺類が食べたい」と言うと、妻もその方が簡単と言うことで結局具沢山の「冷やし中華」になった。 妻の話では四国の長女から素麺が届いたようだ。先日送ったサクランボのお礼とか。9月には2人の孫を連れて里帰りするようだ。その日に合わせて、三重に住む長男も帰って来るようで、親にとっては何よりの楽しみになった。ただし、妻は20万円近い飛行機代金を送るため大変とこぼす。私も今月、来月と残業代が入ったら、何がしかの援助をしたいと思っている。 昨日は帰宅途中のバスで偶然妻に遭った。美術展に出品する油絵を搬入しに行った由。来週の水曜日の搬出日には私が取りに行くことになった。共稼ぎの場合、夫も何がしか協力する必要があると感じてのことだ。明日は古新聞や段ボール箱など資源ごみを纏め、買い物の手伝いもする。妻は午後から高校時代の友人と会い、夕食も済ませて来るとか。私は走友会の練習に行き、夜は素麺でも作ろうと思う。個人情報丸出しの日記になったがそれもまた良し。 「立山」が選考漏れになったY田さんからメールが届いた。これにめげず、来年も申し込むとのこと。そして仙台~富山間のバスが今春から開通していることまで親切に教えてくれた。来年はきっと選考に受かるために、これからの1年間頑張ろうね。「楽しんで走って来てください」。その言葉で私もO川さんも少し気持ちが軽くなったように思う。Y田さん。君の友情は決して忘れないよ。
2008.07.04
コメント(0)
昨日は珍しく朝のうちに日記を書き、自転車に乗って外出した。この日は「太白歴史塾」の最終回で、いつもは午後からの講義が午前中に遺跡の見学が組まれていたのだ。歴史塾のテーマは「郡山遺跡」と言う古代の官が(「行」の間に吾の字:役所の意味)について学ぶもので、毎回180名ほどの参加があり、見学会にも92名が参加した。 遺跡はJR東北本線の長町駅(仙台の1つ南)の東側2kmくらいのところにあるのだが、爺さん婆さんが4班に分かれ、暑い中2時間半も歩き回り自分の目で遺跡を確かめた。発掘当初は古代の名取郡の役所跡だと考えられていたが、出土品がまるで違っていたようだ。 代表的なのが石組池。唯一の出土例は飛鳥の石神遺跡しかない。そこは服属した蝦夷(えみし)が天皇に恭順を誓う神聖な場所。そんなものが地方の役所にある訳がない。他にもお経を書写するための定規、「学生」と書かれた土器、四方に庇がある建物跡、付属寺院の存在などから、ここは多賀城が出来る前まで陸奥国府が置かれていたと考えるのが妥当との結論になったようだ。 第2期の官がは真北を向いている。その周囲は堀と材木塀で2重に囲われ、蝦夷の襲撃を防御できるようになっていたようだ。正殿跡、石組池の場所はロープで位置が分かるようにしてあった。ここはAさんと言う農家の敷地の中。このお宅が代々農業を続けてくれていたお陰で遺跡を発掘出来たのだ。付属寺院の五重塔跡推定地にはマンションが建っていて、残念ながら発掘が出来ないとか。 遺跡は国指定の史跡になったため、仙台市が周囲の土地を少しずつ買い上げているが、まだ「虫食い状態」のまま。後5年から10年はかかるとか。駅から近い発掘地は官がを造った人々が暮らしていた場所で、やはり溝と塀で区切られていた。ここも蝦夷の襲撃から守るためだったのだろう。詳しくは日を改めて紹介するが、この遺跡は日本古代史を書き直すほど大変な発見なのだ。 現地見学を終え、昼食後第2現場でシュレッダー作業後、第1現場で遅番勤務。帰宅したのは夜の9時近かった。一通の封書が届いていた。「立山登山マラニック」実行委員会からのものだった。中は見ず、まずラジオで楽天対ロッテ戦を聞きながら風呂へ入り、遅い夕食を食べた。その後封筒を良く見るとゼッケンナンバーがある。それで選考されたことを確信した。 ブログを開くと掲示板に亀仙人さんの書き込み。彼も念願かなって選考されたようだ。同学年だが実力者ランナーの彼と、初めて会うことが出来るのが楽しみ。選考に漏れたY田さんには気の毒な結果になったが、まだ若い彼にはこれからもチャンスがあると思う。私は今回が最後の挑戦。申請書にもそう書いた。人気の高いこのマラニックは毎回選考漏れのランナーが数多く出るとか。それらの人にもこの大会の素晴らしさ味わってもらうため、チャンスを上げたいと思ってのことだ。Y田さんの分まで気合を入れて走って来たい。
2008.07.03
コメント(4)
先週末、私はやきもきしていた。応援している東北楽天の試合が気になっていたのだ。金曜日から始まったソフトバンクとの緒戦で破れ、土曜日の先発は田中。9回が終わって2対2のところで田中は引っ込み、勝ち投手の権利はなくなった。前日までソフトバンクには延長で3連敗中。この夜も延長戦に突入し、嫌なムードが漂っていた。 だが引き分け寸前の12回表に楽天はなかなか取れなかった追加点をもぎ取り、ようやく勝つことが出来た。翌日の3戦目ではエース岩隈が先発。球団新記録の20安打を放ち、15点を取ってこの日73歳の誕生日を迎えた老監督に白星をプレゼントした。岩隈はこれで12勝目。セパ両リーグを通じてハーラーダービーのトップに躍り出た。 楽天は目下パリーグの4位。勝ち星がたった1つ先行しているだけだ。これでエースの岩隈と準エースの田中を北京オリンピックに持って行かれたら、勝つのはなかなか容易ではなくなるだろう。各チームも条件は同じだと思うが、球団の歴史が浅く、選手層が薄い楽天にとってきつい戦いになることは目に見えている。 日曜日は雨の中、妻と映画を観に行った。本来ならこの日は栗駒高原温泉に行く予定だった。だがあの大地震で道路は寸断し、あの周辺は大被害を受けた。企画が中止されたのは当然のことだろう。たまたまテレビで「奇跡のシンフォニー」と言う映画の紹介を観て、これにしようと決めた。もちろん妻も喜んだ。 孤児の男の子に音楽の才能があることがまったくの偶然で判明し、その音楽を通じて両親を捜すと言うストーリーだった。余りにも現実離れした設定だが、それなりに楽しめた。普段忘れがちな「夢の世界」に遊ぶことも、映画の大切な役割なのかも知れない。 7月に入って、午後も残業をすることになった。蒸し暑い部屋でのシュレッダー作業は辛い。舞い上がる粉塵。汗が止まらないほどの高温。耳をつんざく大音響。重たいダンボール箱と時々入り込む排気ガス。そんな劣悪な条件下で、書類から紙以外の異物を除去しながらの作業は拷問とも言える重労働だ。 だがそれが私の仕事の一部。監査のため約1ヶ月間作業を中断したために大量のダンボール箱が2つの倉庫に積まれている。それらの山を切り崩すのに、果たしてどれくらいの日数を要するのだろう。連日疲労と戦いながら、日記を書き、時々は帰宅ランをする日々。今はじっと耐えるしかない。 さて、気になっていた「立山登山マラニック」の選考結果が徐々に分かって来た。滋賀のO平さんは参加決定通知が来たとブログに書かれていた。仲間ではどうやら明暗があったようだ。O川さんのところへは決定通知が来たが、Y田さんは残念ながら選考漏れだったようだ。2人から届いたメールでそのことを知った。D口夫妻は締め切り前日に思い出したものの、申し込みが間に合わなかったとか。さて、私への審判はどう下るのだろう。もしダメなら8月は別のレースを捜すか、1人で走り旅をするのも良いかもね。
2008.07.02
コメント(0)
昨日の日曜、岐阜長野県境は猛烈な雨だったようだ。乗鞍岳を舞台に繰り広げられる「天空マラソン」は標高1800mから2600mまでをコースにする、文字通り天空を駆けるマラソンなのだが、悪天候のため距離を半分の12kmに短縮して何とか開催されたようだ。 このレースには長野の走るナースさんと岐阜のよろずやみーこさんが参加された。雨で苦戦したはずなのに、お二人のブログにはそんな辛さは微塵もなく、最悪のコンディションの中でも楽しまれた様子が窺われた。みーこさんはレース後の温泉で肌がツルツルになり女っぷりが上がったとか。一体どんな風になったのか、一度拝見したいものだ。 さて、昨日は山形の「葉山マラソン」もあった。こちらは標高1400m余の葉山頂上まで上り下りする登山マラソンで今回が第1回の開催。土曜日にお会いした時、M仙人は雨で山道がすべらないか心配と話していたが、宮城UMCの掲示板へ雨のことは書かれてなかった。 この大会開催に先立って昨年行われたコース調査には、わが走友会のK野さんが参加されていたようだ。今回ランナーとして急遽参加し、6位入賞でたくさんの賞品をゲットされたとか。また仙台鉄人会のF田さんも故障上がりだったにも関わらず、M仙人同様見事完走された由。第1回のマラソンには主催者、参加者それぞれに苦労があるのだろうが、難関を越えて今後も発展して欲しいと願う。 私も10月には「布引風の高原マラソン」と言う新設のウルトラレースに出ることにした。秋田のJunさんのブログでその存在を知ったのだが、面白そうだと感じてランネットで調べた。スタート地点は福島県郡山市の開成公園。猪苗代湖南方の布引山(標高約1000m)往復で、距離は約84km。エード地点は折り返し点の1箇所のみ。後はコンビニや自販機で補給するのがルール。かなりワイルドな大会だ。エントリー料は6千円。 ひょっとしてY田さんが参加するかもと考えてメールしたら、案の定参加予定との返事。当日の朝3時頃仙台を車で出れば間に合うかもとも。本来10月の予定レースは「いわて北上」のフルだった。だが料金もさほど変わらず、「秋田内陸」から1ヵ月後なので体力も回復しているはずだ。これで1月の「宮古島ワイドー」から10月の「布引風の高原」まで参加レースはすべてウルトラになる。無謀な挑戦かも知れないが返り討ちに遭うのもまた良し。人生計算通りに行かないのが面白い。<6月のラン&ウォーク>レース参加:1回 走行回数:9回 走行距離:197km ウォーク:180km(毎日) 年間走行距離1043km 年間合計2127km 累計63,649km
2008.07.01
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1