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今日は大晦日。平成20年(2008年)も今日を残すだけになりました。この一年、読者の皆様にとってはどんな年だったのでしょうか。爺にとってこの一年は怪我と残業に苦しんだ年でした。正直言って2回大怪我をした時は、もう走るのは無理かと諦めたこともあります。それがゆっくりとでも、再び走ることが出来るようになり感謝しています。来年はさらにスピードが落ちるでしょうが、それでもウルトラマラソンに挑戦したいと言う気持ちに変わりはありません。 そしてこの一年は、全国のブログ仲間の素晴らしいブログと出会った年でもありました。私はランニングと同様、自分が書く文章についても強い拘りを持っています。こちらも加齢と共に物忘れや言葉を忘れることが多くなり、中には不適切な表現があったかと思います。どうか日頃の失礼をお許し願います。 また、様々な分野のブログを毎日のように覗かせていただき、どれだけ感銘を受け、刺激を受けたか分かりません。真剣に生き、それをブログに文章として残されている仲間達。繁忙のため、なかなか書き込みをすることは出来ませんが、心の中で感謝しております。こちらもどうぞお許しくださいませ。 この一年、ほとんど毎日のように文章を書きました。書かなかった日は、きっと数日だけだと思います。多分1回平均3千文字近く書いてるはず。そんな言葉の洪水と、良くお付き合い下さったと感謝しています。来年もまた自分が感じたことを書き続けたいと思っています。どうぞよろしくお願いしますね。 最後に新しい年も、読者の皆様にとって素晴らしい年になることを心から願って、結びとします。健康で佳い年をお迎えくださいませ。<年末のメモ>12月27日(土)吹雪 妻と一緒に年末の買い物12月28日(日)吹雪 妻と一緒に年末の買い物12月29日(月)強風 ガラス窓掃除後自転車で兄宅へお歳暮を届ける12月30日(火)晴れ 2階部分を掃除 植木鉢30個移動 ランニング 次男帰省12月31日(水)雪 風呂掃除 正月飾り ブログ仲間、走友への挨拶廻り<今月のラン&ウォーク>今月の走行回数:9回 走行距離:99km ウォーク回数:毎日 距離:172km 月間合計:271km 年間走行距離:1709km 年間合計:3905km これまでの累計:65,422km
2008.12.31
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< ランニング編 その4 > 8月のレースである「立山登山マラニック」の制限時間が11時間になったことを意識したのは、富山へ向かう列車の中。何気なく発したO川さんの言葉で、これは大変なことになったと実感。前年どおり12時間の制限でも、距離65km、高低差3003mのコースはきつい。まして加齢と連日の残業による疲れとで、マラニックの部への参加は今回を最後にしようと決めていた。それが1時間短縮と言う考えても見なかった事態。さて、時間を稼げるとしたら前半の常願寺川堤防しかないだろう。 レース当日、浜黒崎の海水に手を浸したランナーは、常願寺川の堤防を突っ走る。水溜りのある真っ暗な凸凹道だが、それを物ともしない。やはりどのランナーも考えることは一緒だった。H多夫人と前後しながら立山への登り坂を走る。地鉄立山駅のASを通過。激坂に苦しみながらも称名の滝ASも何とか通過。だが八郎坂には魔物が棲んでいたようだ。 ここは3kmで500mを登る登山道。前日の雨で濡れた岩が滑る。間違えば深い谷底へ落下するのは必定。そこまでで精力を使い果たした私の体に明らかな異変が現れた。20回もの眩暈の度に休憩を余儀なくされ、降り出した雨で一層岩が滑りやすくなる。6回ほどよろけた時に、どうやら足を捻ったようだ。昨年は約1時間でクリヤー出来たのに、今年は1時間40分掛かるほど難儀。室堂の関門通過は不可能だと悟る。 立山黒部アルペンルートは雨。標高が高まるにつれ気温がどんどん下がり、氷雨が体温を奪う。合羽は着ているものの、汗で濡れた体が温まることはない。1時間20分遅れで標高2450mの室堂に到着。この悪天候で3003mの雄山山頂にあるゴールまで行けたのは半分以下だったようだ。頂上はさらに寒くて4度ほど。風が強かったため氷点下に感じたそうだ。そして遭難騒ぎもあったようだ。8月と言えども天候に左右される過酷な一面がある山岳マラソンの怖さを知った今回のレースだった。 帰宅した翌日から足が痛み出す。通常の筋肉痛ではなく、疲労骨折のような重苦しい痛みが取れない。もし疲労骨折なら3週間ほど走るのを止めれば治るはず。ところが1ヶ月経っても痛みは引かない。9月の予定レース「秋田内陸」を欠場し整骨院へ通院。見立てでは靭帯損傷かもとのことで、マッサージと理学療法を受けた。だが軽快はしても鋭い痛みが残った。 芋煮会でY子さんに勧められ、ようやく整形外科を訪ねたがとんだヤブ医者だった。専門のスポーツ整形外科医を訪れ、ついに病名が「左後脛筋腱鞘炎」と判明。生来の偏平足が加齢と走り過ぎでアーチが下がったうえに、発生した「種子骨」が邪魔になって腱が炎症を起こしていたのが原因だった。注射1本で症状は治まったが、アーチを補強するためインソールを作る必要があるとのこと。 10月の「布引高原ウルトラ」はパスし、新しく作ったインソールで臨んだのが11月の「つくばマラソン」。受け取ったのがレースの5日前だから無謀な試みは承知の上。早くも10km地点で右足に痛み発生。堅いシリコン製のインソールが摺れて巨大な肉刺(まめ)が出来たのだ。この場は予備のインソールで凌ぎ、何とかゴール出来た。その後インソールは調整に出し、摩擦熱を防ぐ工夫も加えていただいた。 こんな調子で、今年のレースは散々な結果になった。だが、これが私の現実の姿。加齢は待ってくれない。走歴が長くなれば障害も出るし、いつかはスピードも落ちる。それでも一日も長くランニングを楽しめるよう体力を維持し、挑戦する心を失わないでいたいと思う。たとえどんな無様な姿になろうとも、ランニングの素晴らしさを味わいたい。それが私の切なる願いだ。
2008.12.30
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< ランニング編 その3 > 7月の中旬に私は沖縄を訪れた。長年の夢だった沖縄本島を自分の足で縦断するためだ。この計画を沖縄の友人に話したところ、「真夏の沖縄を走るなんて自殺行為」と驚かれた。冬に走れれば楽だろうが、4日間も家を空けるのは困ると妻が言う。仕事を持つ妻にとって冬季の愛犬との散歩はかなりの負担になるためだ。 初日は走友に車で摩文仁平和祈念公園まで送ってもらい、そこをスタートして那覇市内まで走った。ここはNAHAマラソンのコースだから9回は走っている。だが夕方と言えども7月の沖縄では気温が32度ほどある。でもそれは地上1mで風通しの良い百葉箱の中の温度。直射日光に熱せられた道路は40度にもなるだろう。その熱風の中を22km。約3時間の戦いだった。 第2日目は那覇から国道58号線を北部の名護市まで北上。朝の8時半過ぎには早くも32度に達する暑さ。休憩時にビショビショの靴下を脱いで道路に干すと、あっという間に乾燥するほど。65kmのうち走れたのはわずか3分の1くらいか。13時間11分かかって、名護のホテルへ到着したのは夜の9時前だった。途中の暗がりではハブの恐怖に脅えたっけ。 第3日目は沖縄勤務時代の部下が車で北端の辺戸岬まで送ってくれた。そこをスタート地点にして名護まで南下する計画。ヤンバルと呼ばれる島の最北部は公共の交通機関がない。食糧と飲み物を入れたリュックを背負い走り出したのだが、走れたのは最初の8kmと最後の10kmだけだった。 連日の猛暑と疲労でフラフラ状態。始終頭から水を被って歩いていたが、途中記憶が薄れた部分があるのは、きっと軽い熱中症に罹っていたのだと思う。53kmを11時間40分で踏破。140kmの旅は3日間、合計27時間51分で何とか無事にクリヤー出来た。私にとっては生涯記憶に残るジャーニーランになった。 8月の第1土曜日にあった「薬莱山とお足マラニック」は、宮城UMC公式行事の練習会。私が所属する南仙台走友会は仙台市体育館前を早朝3時半に出発するのが恒例で、距離は約55km。気温は例年に比べて低く、とても走りやすい状態だったにも関わらず、私の体には重大な異変が発生した。 35km辺りでスピードが落ち、45km辺りでは眩暈と吐き気。そしてゴール後には下半身から上半身に及ぶ強烈な痙攣。走友の話によれば私の顔面は蒼白だったと言う。真夏の沖縄での長旅。そして7月末から始まった過酷な残業。それらの疲労と睡眠不足が私の体に異変を生じさせたのだろう。それが如実に現れたのが8月のレース「立山登山マラニック」だった。<続く>
2008.12.29
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< ランニング編 その2 > 3月のレース後私は整骨院へ通い、マッサージと理学療法を受けた。だが4月のレースにはどうしても間に合わなかった。予定レースはエコジャーニークラブ主催の12時間走。東京の葛西臨海公園を会場にして真夜中の0時にスタートする大会だ。参加したちっちさんの話によればスタート直後から猛烈な雨が降り、寒さもあって大変なレースだったとか。 5月のレースは「仙台鉄人会10時間走」。会場の台原森林公園は3kmの周回。だが1周のうちに50mのアップダウンがある厳しいコースだ。自転車と地下鉄を乗り継いで会場へ向かったが、既にスタートは切られていた。慌てて着替えを済ませ、10分ほど遅れて1人だけのスタートになった。 だが、走り出した途端に感じた違和感。まったく足が伸びないことに愕然とする。両膝を傷めた後神経痛が出るようになり、スピードが落ちてしまったのだ。それでもゆっくりペースで何とか24周することが出来た。この厳しいコースを10時間近く、72kmも走り通せたら立派なもの。これなら100kmの完走は無理としても80kmくらいは走れるかも。私にはそう思えた。トンネルの先に少し明かりが差し込んで来たようだ。 6月のレースは「いわて銀河」の100kmの部。前夜祭の会場で会った秋田のJunさんには「完走は無理だと思うけど、何とか90kmは行きたい」と話していた。レースは予想通り厳しいものになった。スピードが出ない上に35km地点から10kmほどの間、悩まされ続けた股関節の痙攣。原因は神経痛で長距離の練習が出来なかったためだろう。後はどこまで我慢して行けるかだ。 冷風の吹く魔のトンネルを無事通過。50kmの部との合流地点までの長い下りを気持ち良く走れ、66.5km地点のレストステーション(第2関門)へ到達。だが徐々に残り時間が少なくなり、73.3km地点のぎんが高原(第3関門)通過は制限のわずか12分前。この前後から気温が急上昇し、被り水はおろか飲み水の無いASも出て来た。こんな中での制限時間との戦いはきつい。80km過ぎからの下り坂で歩いているT田さんを追い越す。彼は直前の「野辺山」で足の爪を傷めた由。 最後の気力を振り絞っての力走。だが念願の90kmまでは行けず、その手前にある86.3km地点の第4関門で捕まった。制限に19分遅れでは到底無理な話。でも制限時間がもう少し緩ければゴール出来る自信はあった。5月開催と6月とでは気温が違う。レース後、飲み水の不足とASの食べ物、制限時間の延長についての意見をブログに書いた。思いがけずそれを事務局の方が見てくれ、次回から制限時間が1時間延長されることになったのが嬉しい。<続く>
2008.12.28
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<ランニング編> ’07年(平成19年)の目標として掲げたのは毎月ウルトラマラソンかフルマラソンに出場し、そのすべて完走することだった。1月早々に右足が疲労骨折すると言うアクシデントに見舞われたものの、月末の「勝田マラソン」(フル)を何とか完走し、結局それ以降予定したフルマラソン8回とウルトラマラソン4回を全て完走することが出来た。最長のレースは9月の「佐渡島一周」の206kmだった。63歳にしてこの快挙。自分もまだまだ捨てたものではない。そう思ったものだ。 今年の目標として掲げたのは、色んな形のウルトラマラソンに参加し、楽しむことだった。そんな目標を掲げた理由は、先輩達の姿を見たりして多分64歳と言う年齢がウルトラランナーとして満足に走れる最終段階に近づいたと感じていたからだ。そこでウルトラレース8回とフルマラソン1回への参加を予定し、沖縄本島西海岸を縦断するジャーニーラン1回を企画した。果たしてこの1年、それらのレースを当初の目論見どおり楽しむことが出来るのだろうか。 1月の予定レースは「宮古島ワイドー」。距離は100kmのウルトラ。宮古島のレースは初めてだが、大阪勤務時代の出張で島を訪れた際に、当時の平良市から狩股集落方面へ走ったことがある。海宝さんが主催する前日の「宮古島遠足」(100km)は、気温が27度と言う猛暑の影響で、完走率がかなり低かったようだ。だが幸いにして私が出たワイドー当日の最高気温は20度。適度の風も吹き、ランナーにとってはとても走りやすいコンディションだった。 絶好の気温、体調の良さ、前半抑え気味に走ったペース配分、大勢の仲間達の応援など好条件が重なり、結果は12時間02分45秒での完走。後少し速ければ自己ベストと初の11時間台突入と言う、私にしてはかなりの好記録だった。走りながら宮古島の素晴らしい景色を眺めることが出来たし、島の歴史や文化にも触れることが出来、良い思い出になった。新年早々良いスタートが切れたとこの時は思っていた。 2月はお休みし、3月の予定レースは「24時間チャリーティラン」。海宝さん主催の大会で会場は東京のお台場。船の科学館周辺の公園内を走る。かつて南極観測に寄与した「宗谷」も岸壁に係留されており、1周1.5kmの周回コースだ。そしてランナーが走った距離に応じて、エントリー費から小児がんで苦しむ子供達に寄付されると言う趣向の大会なのだ。 大会には他に6時間走や12時間走もあり、我が宮城UMCの仲間が大勢参加していたし、星峰さんご夫婦やちっちさんご夫婦もボランティアとしておられたため少しも淋しくはなかった。ただ、コースには曲がり角が8箇所あり、そのうち左折5回右折3回を繰り返すのが厄介だ。中には鋭角に曲がる箇所があり、夢中で最短距離を走り続けたことが次第に私の両膝に負担をかけていた。スタート後2時間辺りから感じ出した痛みが、時間の経過につれさらに増幅されて行く。 それでも仲間の走る姿や、ボランティアの方々がサービスしてくれる暖かいASに励まされて、私はレースを続行していた。さすがに夜間は体育館内で2回少し横になったが、眠れずに再び歩いたり走ったりした。大崎市のS藤さんとT田さんが一睡もせずに走り通す姿の神々しさ。東京と言えども夜の海辺は寒い。それに風が強いのだ。痛みに耐えながらの周回。初めての24時間走だ。せめて20時間くらいは走らないと恰好がつかないだろう。 だが、結局はその我慢が悪い結果となった。ゴール時間の4時間前に競技を終了。20時間のうち4時間は休憩した計算。痛む足での周回数は76回。距離114kmでのジ・エンドだった。この時の無理が祟って両膝を痛め、走れるまでに1ヶ月を要することになった。また、それ以降神経痛に悩まされ、元々無かったスピードが一層衰えるという悲惨な「おまけ」もあった。年頭に掲げた目標だが、早くも暗雲が行く手を阻み出したようだ。<続く>
2008.12.27
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クリスマスイブの夕刻、高知の長女からもう一つ荷物が届いた。箱の中身はミカン。そして長女と2人の孫の手紙も入っていた。妻はクリスマス、お年玉、誕生日のお祝いとしてお金を送り、3人の子供達へもそれぞれ小遣いを送ったようだ。加えて長女には少しまとまったお金を送金したと話していた。手紙はそのお礼。長女は思いがけない出来事に驚いていたようだ。 子供達の将来を考えて、出来る時に出来ることをしておこうと言うのが妻の考えだ。本懐ではないが、私も特に反対はしなかった。お金なんてのは自分達が苦労して蓄えるのが一番。若くして両親を失い、貧乏だった私はそう考えるのだが、両親それぞれから生前のうちに結構まとまったお金を受け取っていた妻は、子供達にもそうするのが自分の義務と感じていたようだ。 元女優の飯島愛が亡くなった。享年36歳の若い死。死後1週間経った遺体は、相当腐敗が進んでいたと言う。厳しい言い方だが、死は決して美しいものではない。死因は不明。まだ十代の頃から様々な遍歴を重ねて来たと言う彼女。腎盂炎の持病があったようだし、様々の悩みを抱えていたとも聞く。何があったかは知らないが、余りにも早過ぎる死だと思う。生に対する執着心が持てない理由があったのだろうか。 入院した同僚の代わりに遅番勤務に来てくれた若い主任。直接顔を会わせず引継簿の上だけの連絡なのだが、これまで横浜や青森の現場でプラントの開発を担当して来た技術者だと知った。原発などで特殊な装置の試運転もするのだそうだ。我が社には清掃、警備、設備関係の部門があり、空港での検査や電話交換などの業務も担当していることを知ってはいたが、電力会社や原子力関係施設などへ進出していたことには正直驚いた。 地元の国立大学卒業者も何人か採用している我が社。彼らがいずれ社を背負って立つホープであることは間違いないが、なぜちっぽけなビル管理会社へ入社したのかと、かねがね疑問に思っていたのだ。昨日から第2現場の清掃の手伝いに来てくれている若者は、国立の工学系単科大学を中退した由。やはり設備担当として入社したのだが、見習いの今は色んな現場へ派遣されている模様。 そう言えばこの夏、第2現場のビルへ若いお嬢さんが手伝いに来ていた。まだ20代の清楚な美人が清掃担当とは驚く。「もっと相応しい仕事があるだろうに」と話したら、「自分は勉強と人間関係が苦手なので」と彼女。どんな仕事でも良い。真面目に取り組めば何かが得られるはずだ。大学中退の気弱な青年もそうだが、人間悲観して死ぬくらいなら、泥だらけでも生きた方がどれだけ素晴らしい経験が出来ることか。 私の2人の息子もしかり。今は若い人がなかなか希望を持ちにくい世の中だ。非正規雇用者の大量首切りなどがその代表。日本の将来を支えるべき青年が喜んで働き、高齢者が邪魔者扱いされないような社会。それが本来の姿ではないのだろうか。今日は仕事納めの日。朝からの吹雪で寒い一日だったが、夕刻から再び吹雪になった。来年こそ、何とか明るい年になって欲しいと強く願う。
2008.12.26
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<仕事編> 今年の思い出深い仕事と言えば、やはり第2現場での残業に尽きる。春先にも何日か残業はしたのだが、7月末から10月半ばまでほぼ3ヶ月に及んだ残業は体に堪えた。第2現場で私はシュレッダー作業を担当していた。それがテナントの移転に伴って、通常の数倍もの量が連日裁断に廻されて来た。そのほか県内や東北各地から届くものもある。 空調が効き、換気が行われている室内での作業ならどれだけ楽だろう。ところが担当する現場は元々ゴミの集積所だから空調など思いも及ばない。茹だるような室温、耳をつんざく騒音、段ボール箱のずっしりとした重量。空気が悪い上に時々排気ガスまで侵入する環境。それに機密文書には、何故か大量の異物が混入している。 通常は1時間の仕事を長くて3時間半ほどこなした。滴る汗。連続で作業するため次第に指、腕、肘、腰などが痛くなる。また紙は意外に鋭利で、切れると大変な痛みだ。毎日どんどん文書が出されるため休むわけにも行かない。1日8時間勤務の相棒は隙があればサボろうとし、私が勤務を終えて帰った後はのんびりしていたようだ。 パートの私が強い責任感を感じて仕事をこなしているのに、常にマイペースの彼。それでも私は少しでも仕事が進めば良いと考えていた。疲労と睡眠不足でフラフラの毎日だったが、第1現場での警備員としての任務に影響が出ないように気をつけていた。 そんな中で走った「沖縄本島西海岸縦断」140km、「薬莱山とお足マラニック」55km、「立山登山マラニック」65kmはとてもきつく、熱中症、強度の痙攣、連続する眩暈などに襲われ、立山では左足底部の腱鞘炎のため60kmでリタイヤする羽目になった。 シュレッダー作業が無くなった第2現場では、その後清掃業務に就くことになった。それはそれで結構厳しい仕事だ。一方「本職」の警備関係では、今年2本の論文を提出した。1つ目が労務災害関係で、2つ目が警備員としての心構えだった。いずれも2千文字程度のものだが、私は心を込めて執筆した。果たして審査の結果どんな評価が与えられるかは不明だが、会社の上層部に読んでもらえただけでも十分と思っている。要は真剣な想いが伝われば良いのだ。 体はきついし社会的な評価は低い仕事だが、私は来年もこれらの仕事を続けたいと願っている。いや、出来れば何とか70歳まで頑張り、マラソンの経費を稼ぎたいと言うのが本音だ。そのためにも健康第一。これからもウルトラランナーのど根性を見せたいと思う。
2008.12.25
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壮絶な打ち合いだった。昨夜のWBCフライ級世界タイトルマッチ。チャンピオンの内藤と挑戦者の山口が11ラウンドまで、互いに一歩も譲らぬ戦いは一時も目が離せない状況だった。結果はチャンピオンがTKO勝ちだったが、挑戦者の気力も凄かった。共に妻子持ち。どうしても勝ちたいと言う両者の気迫が、画面から伝わって来た。 今朝の出勤時、裏道を急いでいると前方から見慣れた顔。走友会のD堂さんだった。夜勤明けで帰宅途中とのこと。昨夜の出勤途中に自転車で転んだと同氏。今朝は道路が凍っていたため、用心して自転車を押して歩いていたそうだ。私も数年前に凍った道で自転車ごと転倒し、大怪我をしたことがあった。寒い朝は特に気をつけないと危ないねえ。 第1現場のビルに着くと、既に管理会社のM氏が出勤していた。屋上の熱交換機が故障して警報が出たため、警備会社から呼び出された由。前日の休日はテナントの改修工事があって、やはり出勤したとか。若い責任者が昨日から13連休を取ったため、この年末年始は何かあれば全て彼が対処せざるを得ないのだ。 彼の両親が最近離婚したことを知った。父親はパチンコに深入りして借金を重ね、職場を解雇されたのだとか。ずいぶん前から家にはお金を渡してなかった由。そのため家と土地を売り払って別の場所に引越し、婿だった父親は家を出されたと彼はあっけらかんと話してくれた。 彼の父親ではないが、アメリカ発の不況と円高が進んだせいで、このところ解雇される非正規雇用者が急増している。私達が勤務する宮城県内の警備業界でも、そんな人を対象に250名ほど正社員として採用することにしたようだ。だが、警備員として勤務できる現場がそんなに増えているようにも思えない。こうなると、同じように不安定な立場に在る我が家の長男、次男のことが気がかりだ。 乏しくなった愛犬の餌を近くの量販店で買って来た。国産の最高級品だが、米国産の高い餌と2対1の割合で混ぜて与えるようにした。最近急に寒くなったため、夜は玄関の内側で過ごす愛犬。それでも犬小屋よりは暖かいようで、すっかり喜んでいる。週末の大寒波襲来に備え、畑の大根40本ほどを抜き、数本を除いて全て土の中に埋めた。これも冬越しの備えだ。 仕事から帰宅した妻の手にはたくさんの食料品。その中に小さなショートケーキが2個あるのを発見。夫婦しか居ない我が家のクリスマスはとてもささやかだが、それもまた良し。高知の長女から宅急便が届く。中身は妻の好物の煎餅のようだ。 さて今夜はクリスマスイブ。聖なる夜を皆さんはどう過ごされるのだろう。世界には満足な食べ物すらない国もある。そして戦火に脅えて逃げ惑う国もある。せめて今夜くらいは、世界中で平和な一時を過ごせないものだろうか。メリークリスマス。皆さんにとって素晴らしい夜になることを、心から願っています。
2008.12.24
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昨日妻に頼まれて郵便局へ行った。クリスマスを控え、3人の子供に送金するためだ。既にそれぞれに対して特定の品物は送っているのだが、それとは別に送りたいのだそうだ。妻が働いて得たお金なので文句を言う筋合いではない。一方の私は何も出来ないが、元気で暮らしているのが何よりのプレゼントだと自分で思っている。親が歳を取り病気になることほど、子供に心配かけることはないからだ。 天皇誕生日の今朝はゆっくり起きた。昨夜は遅くまでギアナ高原とアマゾン川関係の番組を観ていた。朝食後はまず庭木を剪定する。気になっていた梅、柿、イチジク。それに山椒と萩も思い切り短めにした。紐で縛って3つの束を作る。ごみ収集車が行ってしまったのが残念。菊、シュウメイギクなどの枯れた茎を切り、イチジクの根元に積む。 10時半。ランニング姿に着替え、ゆっくり家を出る。幸いなことに愛犬は大人しく見送ってくれた。今日は久しぶりに長距離の練習をする予定だ。仕事へ行った妻には「ランニングに行くので、台所の鍵を開けて置くように」とメモを残す。近所の神社の境内でフユザクラが咲いている。薄い白の花が儚げだ。動物病院の前を通りかかると駐車した車の中にM井さんがいた。ワンちゃんが乳腺炎で手術し、5万円ほどかかったとか。 そして、3月の「八丈島一周」にはたくさん仲間が参加しそうだとのこと。M井さんと私の他に、O川さん、E名さん、H多さん、K藤さんが参加予定とか。私はこの朝、4月の「かすみがうらマラソン」のエントリーを済ませたが、「八丈島」は今週の金曜にエントリーし、飛行機の切符も手配しようと思うと話した。M井さんの4月のレースは「長野」で、「八丈島」は来年1月に申し込みと飛行機の切符を手配する予定とか。 M井さんの奥様ともお会いして挨拶を交わすことが出来た。そこから名取のゆりが丘方面に向かう。再調整したインソールの調子も上々で、登り坂も全く気にならない。それに天気が良いため半袖でも汗をかく。山の上から太平洋を一望し、走友会の練習コースを黙々と走る。ザル川や地下鉄の終点付近で、土地や道路の整備が進んでいた。 23kmを2時間25分ほどで走り、家に入ろうとするが鍵が掛かっている。台所もダメ。こんなことが無いようにメモを残したのに、一体どうしたことだろう。見かねたお向かいさんが梯子を貸してくれた。それを登って結露を乾かすために開けた2階の窓からようやく家へ突入。これではまるで泥棒みたい。愛犬が不思議そうな顔をしている。とんだ災難だった。 着替えを済ませて遅い昼食。そして午後は果樹や花の咲く木の根元に堆肥を撒く作業。空模様が怪しくなって来たため、早めに愛犬の散歩を済ませ玄関に入れる。帰宅した妻に、鍵のことを話すと、いつもより慎重に戸締りをしてしまったようだ。まあ、たまにはこんなこともあるさ。 それより気になるのは、先日NAHAマラソンの報告をいただいた大崎市のT田さんからのメール。その中に宮城UMC仲間であるM黒さんが還暦を機に、那覇に住まいを移すと話していたことが記されていた。全身真っ黒なM黒さんだが、沖縄でもっと黒くなりたいわけではないだろう。さて、一体どんな心境だったのかを直接彼に訊ねてみたいものだ。
2008.12.23
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先週の木曜日のこと、私が勤務するビルに県知事が訪ねて来たようだ。勤務時間が終わっていた私は野次馬になるのも躊躇われ、わざわざ玄関まで出向くことはしなかった。その日の夕方のニュースによれば、知事が来訪したのは昨今の厳しい経済状況に鑑み、とある経済団体に対してより一層の雇用促進を依頼するためだったようだ。若い知事の奮戦振りには好感を覚えた。 先週山越えで帰宅ランをした際、動物公園周辺の山林を伐って工事をしていた。どうやら龍の口渓谷という深い谷に、新しい橋を架ける際に必要な部材運搬用の工事みたい。路線名は「川内ー旗立線」とある。地下鉄東西線の青葉山駅や動物公園前駅の工事も着々と進んでいるが、それと合わせて道路も整備するのだろう。日赤病院からひより台へ直進する道と、そのための新しい橋を架ける工事も予定されてるとか。自宅付近でも道路工事が進んでいて、今後どう変化するか楽しみだ。 金曜日には病院へ行った。血圧降下剤をもらうのと血糖値を再検査してもらうためだった。血圧は良好。家で測る時も腕を心臓の高さまで上げるようにしたら、血圧がかなり低くなった。血糖値は仙台市の標準値が厳し過ぎたせいで、たくさんの人が今回引っかかったと医者が言う。折角ヤーコンを食べるなどの努力をしたのだが、特に心配はないのだそうだ。何と人騒がせな話なんだろう。 土曜日と日曜日は朝から年賀状を書いていた。現役当時に比べれば出す量は半分ほどだが、それでも大変な作業には違いない。これで年末の恒例行事も無事終了。日曜日は京都であった高校駅伝を観(聞き)ながらの作業だった。男子は最終区間で佐久長聖が仙台育英を抜いてトップになった。あの勢いの差には驚いた。留学生を交えず、新記録での初優勝は立派の一語。昨年同タイムで仙台育英に敗れ、生徒達が必死に敗因を考えたのが生きたのだと思う。 昨日は妻の2度目の忘年会。今回は油絵の仲間達とのものだったようだ。夕食は一人で食べた。おかずは全て残り物だが、その中にカボチャの煮つけがあった。それを冬至カボチャに見立てていただく。風呂に入っていつものように早めの就寝。妻が帰宅したのは知っていたが、再び眠りに就いたようだ。きっと年賀状を書き上げた疲れが出たのだろう。
2008.12.22
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< 映画編 > 今年観た映画は何本だったのだろう。いずれも妻と観たのだが、記憶に残っているものを記しておこう。映画の楽しさが分かったので来年はもっと観に行きたいと思っている。吉永小百合主演の「母べえ」は、戦争の悲惨さを一つの家庭の歴史を通じて訴える内容だった。だがそれだけに、戦争のリアルさが乏しかったように感じた。優しい映画だった。洋画の「奇跡のシンフォニー」は、特異な音楽の才能を持つ孤児が彼の奏でる音楽によって未知の父母を探し当て、初めて家族として巡り合うと言う夢のあるものだった。もっくんと末広涼子主演の「おくりびと」は、人の死に際して「死に化粧」などを施して、あの世に送り出す特殊な職業のお話。舞台は山形の庄内地方で、鳥海山の雪景色が秀逸。実の父を送り出す主人公と、ようやくそんな職業を理解した妻の姿が印象的だった。竹中某と吉永小百合主演の「まぼろしの邪馬台国」は、同名の歴史書を書いた民間の歴史研究家宮崎康平とその妻の話を映画化したもの。歴史そのものに対する視点よりも、夫婦の結びつきを中心にストーリーが展開する。< 読書編 >今年読んだ本は5、6冊だと思う。そのほとんどが歴史関係の専門書。中には購入してから30年ぶりに読了したものもある。読書時間が短い私だが、それでも読書は大切だと思う。今年買った本は4冊。それも全て歴史の専門書だった。今読んでるものは研究者の著述でないため表現が簡明だが、これまでにない視点で書かれ、なかなか勉強になっている。< 美術展など >今年観た美術展は少ない。まず春先の「河北美術展」。これは主として東北に拠点を持つ美術家の作品展といった存在。作品数が多いため、玉石混交と言った印象も受ける。東京で開かれた友人の個展、妻が出品した2つの美術展なども観た。来年はもっと多くの美術展を観たいと思う。< 博物館の特別展 >今年観た特別展は、先日紹介した「平泉展」だけと言う寂しさ。古代東北史に関する特別展も2箇所ほどであったのだが、夏の疲労で行けなかったのが残念だった。ただし、「太白歴史塾」と言う講座を5回受講したのが最大の収穫。これは仙台市にある「郡山遺跡」に関するもので、大学の歴史担当教官などの専門家が講師だったため、新しい知見を得られたのが嬉しい。郷土史に対する認識が深まった感じ。これについては改めて紹介したいと思っている。
2008.12.21
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< 旅行編 > 3月15日(土)南三陸町の温泉ホテルに1泊 ここは万石浦と言う入江に面した静かなホテルだった。食事内容もサービスも施設設備も並。翌朝牡鹿半島方面に走りに行ったが、3月1日(土)から開催の24時間走で傷めた両膝が治り切っておらず、走後痛みがぶり返したのには参った。結構厳しい山道を走るまでには回復してなかったようだ。3月23日(日)お雛様とべに花温泉へ 山形県の村山地方に伝わる古い雛人形を見学するツアー。天童市とか尾花沢市周辺の旧家が所蔵する雛人形はどれも格式があった。昔から伝わる古い人形などを祭りの際に公開する風習は、全国各地で見られるもの。宮城県だと丸森町の斉理屋敷が特に有名。べに花温泉も施設が新しくて気持ちが良かったっけ。5月24日(土)栗原市温湯温泉へ M交通の温泉バス企画。温湯は秋田へ抜ける街道沿いにあり、江戸時代に伊達藩の番所が置かれていたところ。古い番所が今でも残っている。温泉は文字通りさほど熱くない。元々は寒湯と書いて「ぬるゆ」と読むくらいぬるい温泉だ。山道を秋田方面に向かって10kmほど走り、途中でフキを収穫した。この数日後に未曾有の大地震が発生。私が走った周辺で何人かの方が亡くなった。合掌してご冥福を祈りたい。道の駅でヤーコンの苗を購入し、畑で栽培したのも良い思い出だ。8月16日(土)桃狩り 福島市にあるフルーツライン周辺の観光果樹園で前年に引き続き桃狩り。種類は確か「紅月」が中心だった。樹上の桃は大きいけど堅い。予め収穫した桃をいただく。これがジューシーで実に甘い。私は5個ほど食べた。高知の長女などにもそこから発送してもらった。食べごろは1週間後が適当なようだ。そこから山越えで会津に抜け、薄皮饅頭やバイキング方式の昼食をいただいて満腹。9月20日(土)仙台近郊の温泉に宿泊 泉ヶ岳中腹の温泉宿に一泊。ここは仙台駅までマイクロバスが迎えに来てくれる。料金は結構高いが施設が新しく、料理は心が籠もった抜群の味。温泉も新しい上に広々として、とても気持ちが良かった。男女の浴槽を深夜に交換するため、両方の風情を楽しめた。翌日雨の中を、定義ダム方面まで12kmのハイキング決行。立山で傷めた足には少々過酷だったかも。10月18日(土)八幡平から玉川温泉へ 好天の岩手山と紅葉の八幡平を愛でてからアスピーテラインを秋田県側に抜け、有名な玉川温泉に入浴するツアー。さすがに頂上部は落葉してたものの景色は最高。酸性が強くて肌がピリピリする玉川温泉に驚き、末期がんの患者も治ると評判の岩盤浴に再び驚く。源泉は強酸性の熱湯。その周囲から噴出す蒸気と独特の放射性物質が効果抜群のようで、全国から湯治客が絶えないのが納得出来た。11月2日(日)裏磐梯の五色沼散策 まず会津のホテルでフランス料理を戴いた後に、裏磐梯の五色沼を散策するというのが売りの企画。料金もあってフランス料理はフルコースではなかったみたい。それに小さなパンがちと不満。でも五色沼の紅葉は最高。関東などからのバスが殺到して大渋滞。折角だから全コースを歩きたかったけど、時間不足のため同じところを往復したのが残念。12月6日(土)宮城蔵王高原の温泉へ一泊 まだ本格的なスキーシーズン到来前のせいか、とても安い料金での一泊旅行だった。仙台市内は晴天でも、さすがは宮城蔵王。標高1100mで50cmほどの積雪に驚く。低料金の割には夕食にアワビ、カニ、フカひれスープが出て大満足。バイキング方式の朝食も結構内容は良心的。妻は5回も温泉に入るなど、今年最後のバス旅行を十分に楽しんだ。この他に私はレースで全国各地へ出かけているし、妻は写生や美術鑑賞などで旅行している。また、ボタン園鑑賞を兼ねた神社への参拝ハイキングなど、我が家は1年を通じて結構旅を楽しんでいる方だと思う。来年もこの調子で大いに旅をしたいものだ。
2008.12.20
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<園芸・家庭菜園編> 去年のクリスマス時には、ワイルドキャッツと言うランを3000円で買った。翌年も花を咲かせるのは難しいと花屋が話していたが、まだ枯れず何とか生きている。今年は万両を買ってみた。宝船と言う種類で樹高は20cmほどだが、大きな実をたくさんつけている。値段は900円。この冬は室内で楽しみ、春になったら地植えにしようと思っている。 今年の春先にクリスマスローズを3種類買って庭に植えた。ずいぶん長持ちする花だった。仙台ではクリスマス頃には咲かず、春先から初夏くらいまで咲くように思う。3種類とも花芽が見えないので咲くかどうか。野草園でもらって来たシラネアオイもいつの間にか見えなくなった。夏に雑草と間違えて抜いたか、それとも地中で眠っているのか。 大文字草など妻がもらって来た花もある。狭い庭じゅうに色んな木や草花を植えてはいるが、悲しいかな知識と技術が足らないためダメにするのも多いような気がする。それに色んな方のブログで毎日のように草花を楽しませてもらっているが、直ぐに名前を忘れる。その程度の趣味だが、それでも楽しい。 今年は梅がたくさん生った。これは妻が梅干にした。9月に里帰りした長女と孫達が、美味しいと言ってくれたほど上手に出来た。我が家の甘柿はさほど甘くないため、早めに採って干し柿にした。寒くなる前だったため、中にはカビが生えたものもあったが、私は30個ほどは食べたと思う。イチジクも豊作で、ずいぶんワイン煮やジャムなどにした。これは大部分妻が食べたはず。 野菜ではまずタマネギの成績が良く、大きめのを100個ほど収穫。地中に埋めた前年の大根が春まで持ったのも凄い。夏野菜のトウモロコシ、トマト、キュウリ、ゴーヤなど全て豊作だったのは、天気に恵まれたせいだろう。初めて栽培したのがヤーコン。これは地震で大きな被害があった大崎市の花山で2本の種芋を買ったもの。晩秋には20本以上の収穫。血糖値を下げる効果があると聞き、ほとんど私が生のままサラダにして食べた。 階段やガレージ周りの植木鉢の花は、今年はさほど入れ替えをしなかった。春は越冬したベコニアに買ったものを加えたが、それらが秋口まで次々に咲いてくれたからだ。今植木鉢で咲いているのは葉牡丹、パンジー、ヴィオラ、スノーボール、ナデシコなどだ。今年掛かった園芸、家庭菜園関係の経費は1万3千円余で済んだ。例年に比べてかなり安上がりの部類。私の小遣いから出すのが我が家の約束事なので、これにはとても助かった。 大したものはないけれど、季節ごとに庭先で花を眺めることが出来るのは大いなる楽しみだ。妻にとってはそれらを切って、室内に飾るのが嬉しいようだ。安上がりの楽しみだが、それでも十分に心を潤してくれる。この一年、あちらこちらと何度も木を植え直した。家を建ててから11年。ようやく庭らしい感じになって来た。さて、この冬は思い切ってイチジクを剪定し、タマネギの一部を移植しようか。こんな楽しみを私に与えてくれて感謝。来年も大いに楽しみたいねえ。
2008.12.19
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<東北楽天イーグルス編> 今日は12月18日木曜日。今年も残すところ2週間になりました。そして私が働くのは後5日間だけです。いよいよ年の瀬も押し迫りましたので、そろそろ今年の思い出を記しても良いのではと思っています。今日はその第1弾。Kスタで応援した我が東北楽天の思い出から書き始めることにしますね。 昨年は確か23回ほど応援に行けたのに今年は17回に止まりました。これは7月末から、残業が続いて自由時間が少なくなったのと、体が疲れてとても応援に行けるような状態でなくなったからです。東北楽天も最初はかなり好調でしたが、夏場から負けが混み出し、終盤はビリ争いと言う悲しい状態でしたね。まずはKスタへ行った日を挙げてみます。3月29日(土)先発田中 対日ハム戦 7-2 ☆3月30日(日)先発朝井 対日ハム戦 3-1 ☆4月5日(土)先発田中 対西武戦 ★ 負け投手青山4月12日(土)先発田中 対オリックス戦 3-0 ☆4月26日(土)先発ドミンゴ 対ソフトバンク戦 ☆4月27日(日)先発田中 対ソフトバンク戦 5-0 ☆5月17日(土)対西武戦 3-2 勝ち投手川岸 ☆5月21日(水)先発朝井 対中日戦 1-3 ★6月3日(火)先発田中 対阪神戦 11-4 ☆6月16日(月)先発田中 対巨人戦 0-3 ★7月1日(火)先発朝井 対千葉ロッテ戦 2-7 ★9月3日(水)先発朝井 対オリックス戦 2-4 ★ 会社の互助会で観戦9月16日(火)先発岩隈 対日ハム戦 6-1 ☆ 長男と観戦9月26日(金)先発田中 対オリックス戦 13-1 ☆10月1日(水)先発田中 対日ハム戦 0-17 ★10月4日(土)対西武戦 4-3 勝ち投手川岸 ☆10月7日(火)先発田中 対ソフトバンク戦 1-0 勝ち投手佐竹 ☆ ざっとこんな調子で、私が観た17試合の結果は11勝6敗の好成績でしたよ。データが残っていない試合もありますが、私は田中マー君が好きなので、(もちろん彼の背番号入りのユニフォームを着ての応援です)Kスタで彼が先発の試合はなるべく観るようにしています。 やはり田中が5勝1敗とダントツで、次いで朝井の試合が多くて1勝3敗、21勝を挙げてパリーグのMVPや数々の賞を受賞した岩隈が先発の試合は、たった1回しか観てないのは驚きです。これはローテーションの関係で、岩隈の次の日が田中だと、どうしても田中の試合に行くからでしょう。 さて、パリーグの新規球団である東北楽天も設立後4年目になり、ずいぶんファンも増えました。球場へ来るファンも様々。特に若い女性や子供の姿も良く目に付きます。きっとそれだけ球団が新しいファンを掘り起こすために努力し、様々なイベントを企画して楽しませているせいでしょうね。その点メキシコへ武者修行へ行ったのか、楽天名物のマスコットであるカラスコの勇姿が見られなかったのが残念でした。 また、選手の中では礒部や吉岡などのベテランの起用が減り、中村、内村と言う育成上がりの若い選手の活躍が目立った年でもありました。シーズン後はその吉岡などが戦力外になってしまいました。今季の後半に加わったセギノールが大活躍し、来季は中日からFA宣言した中村紀洋が新たな戦力になる一方、明るい性格のホセ・フェルナンデスを放出。何とも厳しい結果になりましたが、これも常に勝つことを求められるプロの世界だからこそでしょうね。 来年は新しいユニフォームが届くはず。これを妻に着せて、何とか一緒に応援に行きたいと思っています。ありがとう東北楽天のイヌワシ戦士達よ。来年こそ栄光に向かって突っ走れ~
2008.12.18
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義肢製作所で再調整してもらったインソールを、今日の帰宅ランで早速試してみました。前に比べたらずっと良くなりましたね。改良点と考えられるのは、1)不要部分を削ったため足の指が痛くないこと。2)削ったため左右の土踏まず部分に感じた圧迫痛がなくなったこと。3)インソールにクッションを重ねたため、摩擦熱を感じなくなったこと。4)さらにクッション性が高まったことでしょうか。 これで来年もレースに出られそうな予感がして来ました。そこで来年出たいレースを考えてみました。足の調子もさることながら、ウルトラマラソンには大変な経費がかかります。それらの計算をしておく必要もあります。そして私自身の来年のテーマは、「ウルトラマラソンでのリタイヤを楽しむ」です。完走したいのは山々ですが、結果的にリタイヤでも楽しめれば十分といった心境で臨もうと思っています。さて予定を以下に記しましょう。 凡例 エ=エントリー料 交=交通費 宿=宿泊費、食費など 計=経費合計 練習会 1月11日(日)東北ブロック新春M(フル) エ3.5千 交1千 宿5.5千 計1万円 同夜は新年会を兼ねる3月14日(土)八丈島一周エコジャーニーM(65km) エ9.5千 交6万 宿2万 計約9万円4月19日(日)かすみがうらM(フル) エ4千 交5千 他2千 計1万1千円5月17日(日)仙台鉄人会10時間走 エ2千 交8百 他7百 計3500円5月30日(土)エンジョグinみちのく 30~35km 計5千円6月14日(日)いわて銀河(100km) エ1万4千 交9千 宿1万 計3万1千円 (2千円返却)7月4日(土)磐梯高原(100km) エ1万5千 交4千 宿1万 計2万9千円8月2日(日)薬莱山とお足マラニック (55km) 計3千円8月29日(土)立山登山マラニック ウォークの部 (30km) エ1万6千? 交2万 宿1万2千 計4万8千円9月 日 佐渡島一周(206km)エ2万1千 交1万2千 宿1万3千 計4万6千円<もしくは>9月27日(日)秋田内陸(100km) エ1万5千 交6千 宿2万 計4万1千円10月25日(日)布引高原(84km) エ6千 交4千 宿8千 計1万8千円11月20日(金)~23日(月)沖縄本島東海岸縦断100~150km 計約11万円 こうして見るとウルトラマラソンがいかにお金がかかるかが分かるでしょ?私がまだ働いているのも、実はその経費を稼ぐためなんですよ。近場のレースは安くて助かりますが、こんな時は貯め込むチャンスですね。以上は予定ですが、足の状態さえ良ければ、ほとんど決定みたいなものです。9月は秋田内陸か、まだ日程が不明の佐渡島一周かのいずれかに参加します。もし佐渡になれば、きっと最後の挑戦になるでしょう。こんな風にレースを計画してるときが一番楽しいですね。さて、来年のレースではどんなことが待ち構えているのでしょうか。
2008.12.17
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先週の土曜日は、所属する走友会の忘年会がありました。会場はK野事務局長のお世話で今年も同じ場所。ここは広くて静かで、料理は美味しい上に安い料金でサービスしてくれるので最高なんですよね。会員から多数の差し入れも机の上に並んでおりました。同事務局長の司会、F田会長の挨拶、K山長老の乾杯の音頭で早速宴会へ突入。私は早めにE名さんがNAHAマラソンへ参加したお土産の泡盛をいただきましたよ。 何と言っても今年一番の話題は、県下駅伝大会での好成績。何しろ昨年はブービーだったのが、確か12位ほど順位を上げたのですからね。走った選手の方はもちろん、応援に駆けつけた仲間も大感激だったようです。ずいぶん速い人も入って来たようだし、これで来年も期待が出来そうですね。 今年の我が走友会、仲間がいろんなところへ行きました。オーストラリアのゴールドコーストマラソンが一番遠かったのでしょうか。沖縄では宮古島、久米島、沖縄本島などのレース。M仙人が走った鹿児島の屋久島も遠い方ですね。250kmの「萩往還」から10kmのレースまで、仲間が走った距離も様々でした。そんな仲間の活躍を久しぶりに聞き、とても刺激になりました。 私自身は2度の大怪我で4ヶ月近く走れない日が続いたのと、夏の残業による疲労も重なって、なかなか走友会の練習に出られませんでした。出られたのは2月の新年会兼総会、4月のお花見、5月のエンジョグinみちのく(直接の行事ではないのですが)、6月の蔵王エコーライン練習会、10月の芋煮会、そして今回の忘年会くらいかな。何とか来年は色んな行事や練習会に数多く参加したいものです。 仲間と話したことの中で印象深かったことを幾つか上げておきます。まずレースですが、来年3月の「八丈島一周」へ出ようという人が何人かいたことです。私も参加を検討中なので、とても心強く感じました。9月の「佐渡島一周」に出たいという仲間もいました。これも足の調子を見ながら参加するかどうか決めたいと思っています。まあ私の場合は「先立つもの」の計算からしないといけないのですけどね。 1月の宮古島、10月の久米島、そして12月のNAHAと沖縄を3度走ったE名さんが、外反拇指のため靴屋でインソールを作ったと言う話にはとても興味が湧きました。私も今後その必要が生じる可能性があるからです。そのうち詳しく聞きたいものです。招待選手として久米島へ行ったY子さんの話は強烈でした。 初めは偏平足でなかった彼女が長く走るうちにいつしか偏平足になり、私同様不要な骨が幾つか発生しているそうです。そのために怪我したことも私と一緒。違うのは彼女が目下ドクターストップに遭ってることです。彼女が背中を押してくれたために、ようやく整形外科に診察に行き、注射で症状が改善された上に矯正用のインソールを作ってゆっくりとでも再び走れるようになった私。 走れないことの辛さが分かるだけに、苦しむ仲間の姿を見ると何とかして上げたい気持ちになります。長く走っていれば色んなことが起きるのが当然とは言え、現実をどう受け入れ、どう戦うかですね。まだまだ元気な長老達の「生き様」を参考にしながら、これからも何とかしぶとく食らいついて行きたいもの。そんなことを考えさせられた今年の忘年会でした。よ~し、来年こそ元気で頑張るぞ~!!
2008.12.16
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つい先日、仙台市博物館に行った。展示していたのは「特別展平泉」。サブタイトルが「みちのくの浄土~世界遺産登録をめざして~」とある。ご存知の通り平泉は古代東北に燦然と輝く、藤原氏が約100年間に亘って栄華を誇った都だ。果たしてどんな内容の展示なのだろうと胸をときめかしせての探訪だった。 私が初めて平泉を訪れたのは4年ほど前のことだ。岩手県出身の高橋克彦が書いた小説「炎立つ」を読み、俄然興味を持ったのがきっかけだった。小説には安倍氏と源頼義が戦った前九年の役と秋田の清原氏と源義家・藤原清衡連合軍が戦った後三年の役、さらには源頼朝が弟の義経と彼をかくまった藤原氏を撃ち滅ぼすまでの長大な歴史の流れが描かれていた。 敵味方に別れ、たくさんの命が失われたことを悔やんで初代清衡が建てた中尊寺。第二代基衡が手がけ第三代の秀衡が完成させた毛越寺。秀衡が手がけ第四代の泰衡が完成させた無量光院、第二代基衡の妻が建立した観自在王院と、往時の平泉には大伽藍が立ち並び、美しい庭園と相まってさながら浄土のようであったと言う。 今回の特別展では、紺色金銀字一切経、金色堂の諸仏や須弥壇、福島県会津の勝常寺の薬師如来などの国宝や、岩手、山形、宮城、福島に散在する古い仏像、中尊寺の仏画や仏具などを観ることが出来た。まさに俗に言う藤原三代の栄華を目の当たりにした感じ。当時治めていた「奥六郡」から産出した金、名馬、漆、和紙、北方交易による特産品などで得られた富で、都にも負けないほどの繁栄ぶりが良く分かった。 発掘中の柳之御所跡が当時の政庁である平泉館と想定されたことで、国指定の史跡として保存されることが決定したことは実に嬉しい。経塚のある金鶏山を基準にして作られた都、平泉。古代の東北にあれほど高い文化都市を築き上げた藤原氏の政治体制には正直驚いた。かつて東北の民は蝦夷(えみし)として都人から蔑まされた。その末裔が天皇から陸奥守を任ぜられるまでの地位に登り詰めたのだ。 それが第四代泰衡の浅慮で頼朝に口実を与え、あっと言う間に攻め滅ぼされてしまった平泉。みちのくに花開いた浄土も、その大部分が地下に眠ることになった。それでも私達は、現代まで残されたものから往時を偲ぶことが出来る。この平和を願う藤原氏の精神性が世界遺産に認定されなかったのは「浄土思想」が理解されなかったのか、はたまた進め方に問題があったのか。 ともあれ、東北人の祖先の偉大さを感じた今回の特別展。現存する東北で一番古い仏像が、仙台市太白区長町1丁目の「十六夜観音」に安置されたものであることを最近知ったのだが、その仏像も今回拝観することが出来た。現在発掘中の郡山遺跡もこの近辺にあり、これでますます古代東北史への関心が深まった私だった。
2008.12.15
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気になる身近な人々のことを紹介していたら、5回ものシリーズになってしまった。私が書こうとしたのは単なる悪口ではない。人間にはいろんな「顔」があると言うことだ。良くも悪くも全てが神ならぬ人間の営み。業と言っても良いだろうか。そんな人間が私は好きだ。だからこれからもきっと、人間のいろんな面について関心を寄せ続けるだろうと思う。 さて、そんな人間模様について書いているうちに色んなことがあった。先ずは入院した同僚に代わって3回遅番勤務を行ったこと。そのうち2回は早番も兼務。お陰でクタクタの1週間だったが、いつ何時自分の身に同じようなことが生じないとも限らない。これからも健康第一で行きたいものだ。 来年の年賀状が完成した。残念ながら今年は完走したレースが少なく、ゴール時の写真も限られている。そこで5月に走った「仙台鉄人会10時間走」の写真を使った。宮城UMCの新しいTシャツがきれいに映えている。3月の怪我の後の第一戦と言う意味でも、とても印象深い思い出だ。 早くも来年6月の「いわて銀河」のエントリーを済ませた。アーリーエントリーの期限は確か今月いっぱいのはず。来年は制限時間が14時間に延長されるこのレース。アンヨの状態がイマイチなので完走出来る保障はないのだが、ともかくエントリーしなければ何事も始まらない。最も状態が悪かった時は、もう2度と走れることはないだろうと諦めていたのだが、ゆっくりとでも再び走れるようになったことが嬉しい。何とか走り切ってキャッシュバックの2千円を受け取りたいものだ。 故障で走れなかった9月の「秋田内陸」だが、先日事務局から葉書が届いた。12月23日(火)の18時10分からNHKがレースの模様を全国放送する由。「100kmにかける~秋田内陸100キロマラソン」がその番組。私は最初の放送を観たが、あの再放送だと思う。3人のランナーのレースを中心に紹介されるはず。前回観られなかった方は必見ですよ。なお、来年のレースは既に9月27日(日)開催に決定しているようだ。 「つくばマラソン」で調子がイマイチだったインソールを、診察を受けた病院で義肢製作所に手渡し、再調整してもらうことにした。ランナーのインソールを作ったのは初めてと言うこの会社。シリコンが堅いことは認識していたが、長い距離を走った際に強烈な摩擦熱が生じることは初耳だったようだ。削って欲しい箇所も詳しく説明したが、摩擦熱が生じないよう何らかの工夫をしてくれるとのこと。病院に届くのは来週の火曜日だが、果たしてどんな仕上がりになってるか。 そんな訳で、先週の2回の帰宅ランはいずれも医療用インソールなしで走った。右足は大丈夫だったが、故障中の左足に痛み発生。すっかりアーチが下がってしまった左足には、着地の際の衝撃が強過ぎるのだろう。問題があるにしてもあのインソール無しでは、もう長い距離を走れないのが事実。何とかあれに馴染むしかないのか、それとも他にも方法があるのか。今後のランニング人生を少しでも長引かせるためにも、色々考えないといけないねえ。
2008.12.14
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ムベという植物をご存知だろうか。ムベはアケビ科の植物で秋には可愛い実をつける。だが、普通のアケビと違う点がある。まずアケビが落葉するのに対して、ムベは冬でも葉が緑、つまり常緑なのだ。またアケビは実が裂けるのに、ムベは裂けないまま。実の色は赤褐色。初冬の陽だまりに緑の葉と赤い実が映えるムベはとても美しい。近所の2軒の家でこのムベを植えている。昨日の散歩の際ムベの実を1個失敬し食べてみた。淡い甘さで、まさに「むべなるかな」と言った味だった。 晩秋に出来る桃をご存知だろうか。秋田県の鹿角市で作られている「かづの北限」と言う桃がそれ。この地では元々リンゴ農家が多かったのだが、全国の出荷時期と重なって価格が急落。そこで数戸の農家が川中島白桃と言う収穫期の遅い品種に目をつけ、栽培を始めた由。今では栽培農家が160戸まで増え、糖度11%以下の桃は出荷せずに品質を保っているとか。だが温暖化の影響で他の産地と競合しだし、さらなる品種改良を目指している由。 11月に収穫する梨をご存知だろうか。栃木県のニッコリと言う品種がそれ。これも他の生産地と出荷がダブらないよう、新高と他の品種を掛け合わせて作ったもの。大きくて甘い上に、とても日持ちが良いのだとか。地元「日光」と甘くてニッコリすることからのネーミングとか。年を越せるため高額で取引され、栽培農家もニッコリ笑っているそうだ。 品種登録に失敗したリンゴの話をご存知だろうか。青森県の農林試験所が20年もの年月をかけて開発したリンゴの新種だが、何と県の担当者が確か農林水産省だったかに提出する資料に添付する印紙の請求を忘れ、申請期日が過ぎたため無効になったとか。原因は若い女子職員の怠慢。その考えられないミスで青森県人の期待の新種が世に出る機会を失ってしまった。わずか6千円の収入印紙のために、20年間の苦労と恐らく数億円以上もの損害を被った関係者の嘆きはいかばかりだろう。 地球温暖化の影響で、北国仙台でも20年後にはミカンの栽培が出来るようになるとの話は前に書いた。ところが先日自転車で帰宅途中に、さる家の庭にミカンが生っているのを発見した。国道286号線の西多賀歩道橋近辺のお家だ。茨城県の筑波山中腹や栃木県の東部山中でミカンの栽培をしていることは知っていたが、我が郷土仙台でミカンが生るとはビックリ。今朝の散歩では柚子が鈴なりに生っているお家を発見。果物が生る庭って本当に良いですねえ。
2008.12.13
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<着ると言う行為> 初めて会った時から「何てキザな奴」と感じた男。スーツを着て、チラチラと私の方を見ながら通り過ぎる男の正体は、隣のビルの清掃夫だ。元はこのビルで清掃の責任者をしていたようだが、引き抜かれて隣のビルに移ったのだとか。でも何でスーツ姿なの?それもさほど似合っている訳でもないのに。ひょっとして、彼は清掃夫と言う職業に劣等感を抱いているのかも知れない。別に職業や服装に拘らなくて良いないんじゃないの。普段着のセーターで通勤する無精者の私にはそう思えるのだが。 さて、私が乗る始発のバスに、毎朝途中から乗り込んで来る小母さんがいる。年齢は不詳だが、60代半ばだろう。濃い目の化粧。セットされた白髪のない頭には髪飾り。イヤリング、指輪も一見豪華で、服装はいつも身奇麗。センスも良いし時には艶やかな和服姿のことさえある。「お水」関係かとも思うのだが、そんな女性が始発のバスに乗るはずもない。正体不明のこの小母さんは一体何者? ビルの前を通り過ぎる若い女性。あれは何と言うファッションか知らないが、いかにも飛んでる服装。靴下は左右違った柄だし、唇にはキモいピアス。もっともキモいのが頭。髪がピンクに染まったかと思えば2週間後にはブルーに染まり、ある時はシルバーになった。そしてまたピンクからブルーへと凄まじい変化。あれだけ脱色と染色を繰り返していたらそのうち禿げるのではと、他人事ながら爺さんは余計な心配をしている。<意外な一面> 第2現場の設備の人と、たまたま犬の話をした。「我が家で飼ってるラブラドルは、手足に水かきがあるんだよ」と私が言うと、「ほ~う。オオカミみたいだね」との返事。「オオカミに水かきがあるとどうして知ってるの」との問いには、「読んだ本の中に書いてた」とのたまう。意外や意外。我が社の社員にもこんな物知りの人がいたとは。後で聞いたら彼はかつて○○公社と呼ばれていた企業をリストラされ、我が社へ入社した人なのだとか。道理でねえ。 パンチパーマの彼の仕事は役員車の運転手さんで、元自衛隊員。強面の彼を見ると通行人が避けると本人が言う。でも本当は一滴の酒も飲めない優しい人なのだ。その彼の会社で先日ボーリング大会があった。ビルの前に大型バスが迎えに来たが彼の姿は見えない。なぜ参加しなかったか後日訊ねたら、「優勝すると拙いので」と一言。意外や意外。何と彼はボーリング種目へ出場した国体選手だったのだ。ふ~む。世の中には意外な人がいるもんだ。 第1現場で清掃をしているお婆さんは今年69歳だが、我が社の職員ではない。そのお婆さん、とにかく若い。いつもにこやかで動作は機敏。あれなら70を過ぎても働けること間違いなし。若さを保つために色んな食品を試しているようだ。白内障の手術後は眼鏡も不要になり、一層若々しい容貌に。その彼女、自宅のベランダでわざわざ遠方から取り寄せたミカンの木を栽培してる由。その葉を毎年食べに来るアゲハのためなのだそうだ。意外や意外。若々しく上品な婆ちゃんは、夫婦で夢を紡ぐ人でもあったのだ。 <好評の?シリーズも本日で完了で~す!>
2008.12.12
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<根暗な夫婦> 第2現場の主任が怒っていた。彼が地下1階の壁を雑巾で拭いていたら、「何で俺がソバを打ってる時に掃除をするんだ」と蕎麦屋の亭主が怒鳴り込んで来たとか。壁の埃が落ちると言うのがその理由。濡れ雑巾なので埃は落ちるはずないのだが、怒りを堪えて「分かりました。今度から早い時間帯に掃除します」と引き下がって来た由。 ある時、主任は床屋の姉ちゃんから義理チョコを手渡されたところを、蕎麦屋に目撃されたようだ。姉ちゃんに好意を抱いていた亭主は、どうもそのことを根に持っていたらしい。聞けば女房も亭主同様とても暗い表情なのだとか。根暗な夫婦が作る蕎麦はとても美味そうには思えないが、今月末でそれも閉店する。来春にはビル全体が解体されるからだ。多額の立ち退き料をもらい、札束を数えながらほくそ笑む根暗夫婦の様子が、何だか目に浮かぶではないか。<婆ちゃん連合> 9月半にビルの中心だった会社が移転し、下請けで掃除をしていた3人の婆ちゃんの仕事がなくなった。移転先の新しいビルには、我が社のクリーンスタッフが既に働いている。一応面接を受けることになり、婆ちゃん連合は作戦を立てて臨んだようだ。これまで同様に事務室内の片付けだけをすると言うのが出した条件。それは拙い。私は咄嗟にそう思った。我が社のベテラン女子職員でも、働けるのはせいぜい68歳まで。それくらい清掃は過酷な仕事なのだ。 70近い3人の婆ちゃん達が担当していたのは室内のゴミ収集程度。一方我が社の女子は主にトイレの清掃担当が普通。立ったりしゃがんだりで疲れるし、第一人が嫌がる仕事だ。「何でもやります」と言っても採用は無理なのに、「これしかやりません」と最初に宣言したのではとても話にならない。諦めた婆ちゃん達は、数百人もの社員一人一人に別れの挨拶をして廻ったと聞いて驚いた。上品な婆ちゃん達だったが、「分相応」と言う世間の常識はどうも知らなかったようだ。<休暇の理由> 日曜日に係長から電話があるとろくなことがない。先日も電話が鳴った。遅番の同僚が入院したと言う。私と同じ歳の彼は昨年の春に採用された。それ以降昨年が3回、今年に入ってから6回同じ理由で休暇を取った。いずれも身内の不幸だと言う。ええっ?と自分の耳を疑う。そんなに短期間に9人もの身内の方が亡くなるの?そんなことは普通あり得ないと思うのだが。 その彼が今度は自分自身の病気で最低2週間は休むことになったようだ。タバコを吸い、酒は大好き。おまけに運動不足で太り過ぎ。胸が痛いとのことなので、きっと心筋梗塞に罹ったのかも知れない。私は常々警備員はウルトラマラソンと良く似ていると感じている。どちらも辛抱が第一。そして健康でなければとても勤まらない。まして一人現場では、自分が休めば必ず他の人に勤務を代行してもらうことになる。自分も今回のことを戒めにしようと思う。<裁断下る> 先日紹介した若い方のサボリの名人。昨日彼の会社は冬のボーナス日だったみたい。ところが彼だけマイナス20%の査定を受けたようだ。給与明細を見た彼は慌てて支店長のところへ掛け合いに行ったが、虚しく現場へ帰って来たと後輩の若者が私に教えてくれた。「やっぱりなあ!」。あれだけサボっていて同じ率のボーナスをもらえるほど、世間は甘くない。常習的な遅刻が上司に発覚したのだから。その彼、今日も省懲りなく居眠りしていたっけ。
2008.12.11
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<欲と嘘> 私が機密文書の裁断を担当していたことは何度か書いた。問題はその機密文書の中身。異物を取り除いて文書だけ裁断に廻されるのが普通だろうが、そのビルではそんな状態ではなかった。クリップで挟んでいるくらいならまだ可愛いもので、事務室の不要品が文書と一緒にダンボールに詰め込まれるのだから酷い話だ。 「異物」のほんの一例だが、磨り減った靴、軍手、お菓子の空箱や包み紙、古いお菓子、戴いた香典返しの品物、ゴム印、壊れたナンバリング、CD-ROM、ビデオテープ、朱肉、バインダー、イベントの横断幕、プラスチックの標識など枚挙に暇がない。これはまさにゴミそのもの。文書も一枚ずつファイルに入ったままや綴じ紐で綴られたまま、輪ゴムで束ねられたままの伝票など様々。 それらのゴミを丹念に取り除きながらの裁断は、気が遠くなるほど草臥れる作業だった。文書にゴミを混ぜて裁断に廻す社員は一体どんな神経をしてるのだろう。またそんな教育をしている会社って何なのだろう。さて、それはともかく、シュレッダー作業も終わりに近づいたある日のこと、倉庫に入ると段ボール箱を開けて、何かを漁っている男がいた。 「何をしてるの」と聞くと「自分もシュレッダーの要員なんだよ」と設備担当のその男。「関係ない。さっさと元通り片付けて!」と私。その男は自分が使えそうなパソコンの部品がダンボール箱に紛れ込んでいないか探していたのだ。これまでの2年半の間、一度も手伝いなどしたことがなかった男の欲の深さと屁理屈に頭に来た私は、思わず自分がパート職員であることも忘れて一喝した。 話は変わって、第2現場の休憩室でお茶を出してくれる女の人がいた。歳はまだ50前か。ある日彼女が私に「社員の人がお土産にくれたの」と言ってチョコレートが入った箱を渡した。早速箱を開けるとどうも様子がおかしい。マカダミアンナッツの脂がすっかり紙に沁みて、どう見ても賞味期限が切れてから3年は過ぎてそうな代物。社員が捨てたのを拾い、食べられるかどうかを私に試させたようだ。 ある時、倉庫内で段ボール箱を開けると新品の空気清浄機が入っていた。丁寧に保証書までついている。驚いて管理会社の所長に確認してもらったが捨てて良いとの返事。暫くしてから休憩室へ行くと、捨てたはずの空気清浄機が作動していた。「どうしたの?」と訊ねる私に彼女が曰く。「私が家から持って来たの。夏は休憩室の空気が悪くなりやすいので」と。傍にはつい先ほど私が処理したダンボールがある。 私と所長との間に何があったかを知らず、新品の空気清浄機が欲しくなった彼女は咄嗟に嘘をついたのだ。古いチョコレートの時もそうだが、直ぐに見破られる嘘をつくのは一体どんな心境なのだろう。「欲しいからもらうことにしたの」と素直に言えば「ああそうか」で済むものを、見え透いた嘘をつくばかりに人格まで疑われることを知らないのだ。 その彼女だが、その後仕事を辞めることになった。姑さんが倒れ、お嫁さんが順番にお世話をすることになったためだ。転勤したご主人と学生の娘さんは千葉県に住み、一人だけ仙台に残っていた彼女。だがご主人の実家である茨城の住所は知らないと話していた。あの自分勝手な女も、きっと今頃になってようやく人並みに苦労していることだろう。
2008.12.10
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<サボる男、無責任男> 第1現場の責任者はまだ若い人だ。それが良く仕事をサボっては居眠りしている。私が立哨から帰って事務室の扉を開ける音で、慌てて起きる始末。誰も来ないと思って油断し、すっかり熟睡しているのだ。ちょっとの間だけ目を開けているが再び眠りに就く。珍しく起きてるかと思えば、今度はネットサーフィンをするか携帯電話で何かを検索。大部分の仕事は入社してまだ数年の若者にやらせている。 その責任者だが、朝の出勤が遅い。2年半くらいで定時に来た試しがない。つまり遅刻の常習犯なのだ。酷い時は30分以上も遅れる。本来なら少なくても始業の10分前には来て着替えをし、定時に仕事を開始するのが普通だろう。だがこの男、自分がやるべき仕事を私に押し付けて来た。契約先の責任者から頼まれれば、嫌とは言えないのが辛いところ。11時半出勤の遅番の時、彼が出勤するのは午後1時ころ。それから昼食を摂り、仕事に就く(=眠る)のは2時からなのだと、後輩の若者は私に嘆く。 だが、彼の遅刻が支店の上司にばれ、ある朝突然課長が事務室にやって来た。遅刻の現行犯を確認するためで、私も事情聴取された。そうとは知らずいつものようにのんびり出勤した彼。まさか事務室で上司が待っているとは。「遅刻は当ビルとの契約違反を意味する」等々懇々と説教され散々油を絞られた彼は、さすがに青くなった。常習的な遅刻の原因は夜遊びだった。帰宅は毎晩0時半ごろと上司に答えていた。 暫くは真面目に出勤し出した彼だが再び遅れ出した。その態度が改まったのは彼が犯したミスで支店長が謝罪に赴くことになった日。その重要な日にも彼は遅刻した。支店長に一喝された彼は、ようやくことの重大さに気づいた。こんな若者と一緒に仕事をする私は、もう決して甘い顔をしないことにした。 この夏私は第2現場でシュレッダーと格闘した。ビルのテナントが移転するために大量の機密文書を処分するためだ。それを見かねた上司が、1人の助っ人を派遣してくれた。その男は1日8時間勤務。一方の私はその現場は1時間だけが正規で、後は残業になる。この助っ人、来た翌日に変なことを言う。初日、私が帰った後ダンボールが全部崩れ、それを積み直すのに30分かかったと。 ダンボールが全部崩れるような積み方はしていないし、万一崩れたとしても5、6分もあれば積み直せるはず。これは信用出来ない男だ。私は心の中でそう思った。この男、私が幾ら言っても処理量が増えない。私が居る時間帯は何とか働くふりをしているが、私が帰った後はのんびりしている感じなのだ。その証拠に本来紙くずが散らばっているシュレッダー室だが、私が出勤すると塵一つ落ちてない。 つまりこの男は機密文書を裁断する代わりに、しょっちゅう室内の掃除をしていたのだ。勤務時間から考えると最低でも3回はしている。1回につき30分かけないとあんなにきれいにはならないはず。掃除は1日1回で良いと言うのを守らないのは、掃除の方が作業よりも楽だからだ。彼がサボるお陰で、この夏私はクタクタになるほど作業をする羽目になった。毎日処理出来ないほど届く段ボール箱。 2ヵ月後、彼は他の現場へ廻された。彼が以前勤務した駐車場では4台の車をぶつけたこと。ダンボール箱回収の仕事を任された別の現場では、上司の目を逃れてサボってばかりいたこと。現在の勤務先でも理屈ばかりこねて、少しも仕事を覚えようとしないこと。彼に関するそんな風評が届いた。やはり初日に感じた私の印象は間違ってなかったようだ。人間は信用が第一。ただし、無責任男の彼にそんな言葉が通用するかどうか。
2008.12.09
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<エロスと人間> 第1現場のビルで警備している時に良く会うオジサンがいる。名前も知らないこのオジサンは元々東京の人。かつては会社を経営していたらしい。その時良く行った赤坂のクラブで働いていたのが当時はまだ独身のデビ夫人で、オジサンも何度か口説いたことがあったとか。 このオジサンは、風采があがらない普通の男だ。ただニコニコして人を惹きつける何かがある。それに話がとても面白い。そもそもオジサンが仙台に来たきっかけは、仕事でとあるデパートに商品を納めるためだったとか。ところが係の店員と仲良くなり、サービス品を大奮発。すっかり女性はオジサンに惚れ、オジサンはそのまま仙台に居ついてしまった由。 飲み屋で昔話などしてると、何時の間にか女性が近寄って来て仲良くなるとオジサンは言う。まだ還暦にはなっていないようだが、そっちの方は達者らしい。3晩連続でもOKと豪語するオジサン。さてそのオジサンも来年の正月には東京に帰ることになった由。今度は東京の女性に惚れられたのが真相のようだ。世の中には摩訶不思議な人がいる。確かにこの世には男と女しかいないが、それにしてもねえ。 先だってまだ整骨院に通っていた時のこと。85歳のお爺さんが整骨院を訪ねて来た話は前にも書いた。料金などを予め確認しに来たようだが、91歳になる妻がとても潔癖なのだそうだ。だから先生が助平な話をすると困ると話していた。「私は助平な話なんかしませんよ」。若い整骨医は真剣に答えていたが、整骨医の中にはむやみに体を触る人がいるのだとお爺さんは言う。 「私達は聖書の研究会をやってましてね」。年老いたクリスチャンの夫婦。91歳になるお婆さんでも、冗談交じりのHな話や心無いマッサージは断固拒否したいのだろう。そのためにわざわざ先生の人となりを自分の目で確かめに来たのかも。「その後あのお爺さんは来ましたか」と受付の小母さんに尋ねたら、まだ来てないとの返事。「先生は決してHではありませんよ」。私は先生に代わって、あの潔癖な妻を持ったお爺さんに証明してあげたいのだが。 ある女性のブロガーがいる。何でも小説家なのだとか。その女性のブログには「これまでに3度検閲に引っかかって掲載禁止になった」とある。何のことかと言うと、その女性が書くのはエロス文学なのだ。他社のブログへリンクして読めるようになっているその小説だが、私が見ても特に過激な表現はない。表現は過激ではないものの、確かにセックスの場面は良く出る。 登場する主人公は決まり切ってバツイチ子持ちの女性。そして男性とのからみも。しかしまあ良く書けると感心するのが、恋愛関係に持ち込むまでの経過。実はこの小説家もバツイチで子持ちと言う経歴の持ち主なのだ。あんな風に恋愛の情景を書けるのはよほど経験豊富なのだろうか。だが再婚相手のご主人は、目下末期がんとの壮絶な戦いの最中なのだ。そんな状況の中で、良くあんな描写が出来ると感心。結局小説家はどんな時でも小説を書きたいのかも知れないね。
2008.12.08
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愛犬には翌日分の餌を与えて家を出た。今夜は雪だと言うが、愛犬は一人(?)でちゃんと留守番をし、この寒空を無事に過ごすことが出来るだろうか。そんな心配をしながら、妻と月に一度の旅行へ出かけた。今回の行き先は蔵王山の中腹にある温泉ホテル。駅へ迎えのバスが来ているはずだ。 だが先に行った妻がまだバスが来てないと言う。そんなことはないだろうと私が見に行くと大型バスがちゃんと待っていた。それも2台だ。妻にはせいぜいマイクロバスくらいだろうとの先入観があったのだ。旅行会社を通じて申し込んだ温泉旅館だが、料金が安かったのできっと人気が高かったのだと思う。 知らない道路を通って大型バスは蔵王エコーラインの入口である遠刈田温泉へ。そしてその少し先の道端で停まり、チェーンを施す。空からは雪。真っ青に晴れ上がった仙台とは大変な違いだった。坂道を登るにつれ、木々の枝や根元の雪の量が増えて来る。滝見台を通過。蔵王権現も通過。激しく降る雪。峨々温泉への入り口を通過。道路の両脇には赤白のポールが立つ。安全のため道路の端を示すものだろう。 ここは走友会の練習会で何度か登ったが、バスで行くのさえ道が急だし、つづれ折りが半端じゃない。ようやく宮城蔵王高原ホテルが見え出す。その先の道路は既に閉鎖されている由。標高1100mものホテルが冬季も閉鎖されないのは、直ぐ裏にスキー場があるからだ。部屋からもスキー場が見え、スノーボードで滑降する人が見えた。今年は雪の降り出しが早くて50センチ以上の積雪があるらしく、例年より2週間スキー場開きを早めたのだとか。 部屋で寛いだ後、温泉へ行く。大浴場と言っても10人ほど入れば満員になるほどの規模。ホテルの水は全て蔵王山からの湧き水とのこと。泉質はアルカリ性単純泉みたいだが、岩手県の認定と言うのが解せない。大浴場の外も雪で真っ白。今夜は吹雪とのこと。 夕食も考えていたより遥かに豪華な内容。妻は料金割り増しの特別料理で、メタボ対策の私は普通のものだが、妻のカニとふかひれスープを半分もらえばそれで十分だった。食後も妻は温泉へ行き、私は部屋でウイスキーを飲んでいた。そして妻が眠った後はK-1ワールドグランプリを観る。土曜の9時からいつも観る番組だけが、この山の上では写らないのだ。 決勝はモロッコの若い選手であるバタ・ハリとオランダのベテラン選手であるボンヤスキーの戦いになった。予想通りの手に汗握る好試合だったが、血気にはやるバタ・ハリが倒れた相手の頭を踏みつける反則で、失格になると言う残念な結果になってしまった。角田レフェリーの毅然たる判定が観ていても気持ち良かった。 朝目覚めると雪上車が道路の雪を除雪しに出動し、スキー場の雪を均していた。一晩のうちにさらに雪が積もったようだ。7時半前にレストランへ。バイキング方式の朝食はとても良心的なもの。これで1泊2食付で6800円とは安い。別に入湯税が150円。4度も温泉に入った妻などは「ただ」みたいなものか。ゆっくり寛げたし、温泉で疲れた体も癒せて満足だった。心配しながら帰宅したが、愛犬はとても元気で助かった。早速散歩に出かける。 さて、サッカーはベガルタ仙台が勝ってJ2の3位となり、J1のジュビロ磐田と入れ替え戦を戦うことになった。帰宅してから観たのは福岡国際マラソン、大学ラグビーの早稲田対明治戦、プロゴルフの日本シリーズ、そして日本相撲選手権大会。今日は何故か自分のブログに入れなかったために、スポーツ番組を観続けていたこともある。さて、明日から大変な仕事を引き受けることになったが、それはまた明日書くことにする。
2008.12.07
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「つくばマラソン」を走り終えて、私はつくばエクスプレスのつくば駅へ向かった。3ヶ月ぶりのレースで体がくたくただった私は、一刻も早く家に帰りたかったのだ。マラソンバスは研究学園駅行きか常磐線の土浦駅行きしかない。構内を歩いているうちに路線バスかタクシーを拾えるだろう。そう考え、ゆっくり歩を進めていた。 だが幾ら経っても車は通らない。それもそのはず。筑波大学の構内ではまだランナーが走っている。車は通行禁止だったのだ。追越学生宿舎の前でバスを待っていた学生に、「今日はマラソンだからバスは来ないよ」と教える。しかし何故バス停に、マラソンによる臨時運休のことを張り紙しないのだろう。 筑波大学病院まで歩けばきっとタクシーが待っているだろう。そう思い直してさらに歩く。スポーツバッグの重さが肩に食い込む。これも我慢。リハビリと思うしかない。かつて勤めた医学図書館の裏口から病院へ向かう。図書館の裏口には巨大なパラポラアンテナ。衛星放送を受信するためのようだ。私がここの創設をした頃とはずいぶん変わったものだ。日曜開館をしてるらしく、建物内に明かりが点っている。 大学病院前にタクシーは1台もいなかった。あてが外れた私は、つくば駅を目指してさらに歩くしかなかった。今は筑波大学に統合された旧単科大学前を通る。かつてここに君臨した女帝のお陰で、私は石川の山の中へ飛ばされた。現役時代最後の頃の話だ。彼女は専門職である私達の人事案を「本社」へ示す実力者だったようだ。 その女帝に私は一度も挨拶に行かないばかりか、さる会議でも彼女の誘いに乗らず演壇の上に上がらなかった。後刻国会で賞賛されたさる大学図書館の創設を担当したのだが、専門職として当然の仕事と思った私は無視したのだ。私が登壇しなかったため、後任の部課長も誰一人登壇しなかった。それを彼女は大勢の人の中で恥をかかされたと感じ、人事で私に報復したのだろう。彼女が人事案件の黒幕と知ったのは私が辞職後のことだ。出世出来なかったのは悔しいが、あの時魂を売らなくて本当に良かったと今でも思う。 女帝の下には私のかつての部下もいた。前身の短大出身の彼が、仕事を辞めて勉強をやり直したいと相談して来た時に、頑張れと励ましたことを思い出す。彼は学士編入して大学を卒業し、さらにはその後開設された大学院に進んで研究者となった。だが筑波大学と統合するに際し、博士号がない彼の処遇が問題になったと聞いた。その彼が今はそのキャンパスで教授になったと聞いたのは、先週の麻雀大会の時だ。彼はさらに精進して博士号を取得したのだ。かつての部下が自分の努力で現在の地位を勝ち取ったのが何とも嬉しい。 色んな思い出のある春日地区を歩いている後ろから何台ものバスが追い越して行った。どれも研究学園駅行きのマラソンバス。もっとも近いつくば駅へは路線バスと競合すると言う理由で立ち寄らないのだろうか。何と不便極まりない運用なのだろう。苦労の末に乗り込んだつくばエキスプレスの守谷駅で誰かが倒れ、治療のため2分間停車するハプニングが生じた。レースで疲労困憊したランナーだろうか。 ようやく座席に座ることが出来たのは、都内の北千住駅だった。そしてお握りを食べることが出来たのは東北新幹線の車中だった。仙台に着くまでにお茶を1本半飲んだ。よほど体内の水分が失われていたのだろう。その夜、両脚が疼いて何度か目が覚めた。久しぶりのレースは、練習不足の脚にはかなり過酷だったはず。 レースの翌朝、水が溜まっていた右足の肉刺(まめ)は、針で刺して水を出した。そして筋肉痛に耐えながらの勤務。それでもレース中の対処が良かったのか、痛みは急速に引いて行った。火曜日は早番と遅番の兼務。水曜日は宮城UMCの忘年会。レースの疲れにそれらの疲労も重なって体はとても辛かったが、再び帰宅ランを開始した。 やはり新しいインソールは指の部分が当たって痛い。それに右の方は土踏まず部分が強く擦れるようだ。このままではウルトラマラソンはとても無理。やはり修整するしかないだろう。義肢製作所は30kmほど離れた郊外の町にある。車のない私だがどうやって連絡を取るか。今日はこれから妻と雪山の上にあるホテルに泊まる予定。温泉に浸かりながらゆっくり疲れを癒し、善後策を考えてみようと思う。
2008.12.06
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何故だか背広を着たい心境だった。いつもとは違った自分でその席へ臨みたい。長い間着なかった背広は少しかび臭い。軽くブラッシングをして準備は終了。背広の上にレインコートを羽織るのも久しぶりのこと。小さなリュックを背負って家を出る。今日は宮城UMCの忘年会。つまり県内のウルトラマラソン仲間の打ち上げの日だ。 バスと地下鉄を乗り継いで会場へ入ると、既にほとんどの人が着席して開宴を待っていた。Kさんに会費を払うとお土産にロールケーキがあるとのこと。名前を聞いたが良く知らない。脱サラした仲間がケーキ屋さんになったのだろうか。大崎市のT田さんが大きく手を振って歓迎してくれた。 M井さん、Y田さんの向かいの席に座る。もう数ヶ月会っていないのにそんな気がしないとM井さん。毎晩私のブログを観てくれているようだ。つくばマラソンのことや新しく作ったインソールのことなどを矢継ぎ早に質問される。先日は仲間と44kmもの練習会をしたM井さんだが、そのうち50kmの練習をするので出ないかと私を誘う。 9月の「秋田内陸」、10月の「布引高原」を2つも完走したY田さんには調子が良さそうだねと祝福。寡黙な彼だがとても嬉しそうだ。そのうちO川さんが到着し私の隣に着席。早速「布引高原」の参加賞を手渡された。代わりに彼が受け取ってくれていたのだ。赤いTシャツは「磐梯高原ウルトラ」の余りもののようだが、7月は「磐梯」に出ず沖縄本島を走った私にはとても新鮮に感じた。 そのうちU海事務局長の司会で会が始まり、M会長の挨拶と乾杯で直ちに宴会に移る。会費が安くて助かるが会場が煩いのが難点。会友一人一人の挨拶が良く聞き取れないのがとても残念。だが新年会で涙の挨拶をしたT田さんの話は少し聞こえた。膝の故障でドクターストップ中の彼女だが、何とこの度ニューヨークマラソンを完走したと言う。これは何より嬉しいビッグニュースだ。悪ければ人工関節になるかもと話していた彼女がフルマラソンを走れるまでに回復したとは。 「屋久島エコマラソン」のついでに日本百名山の宮之浦岳や開聞岳を登ったと言うM会長の話。来年仙台近郊で手作りの大会を開くという仙台明走会の話。明走会のノリピーことK田さんが仲間と結婚した話。来週のNAHAマラソンでは、残り5km地点でウエディングの衣装に着替えて走るとか。またE名さんもNAHAへ同行する話。長い間体調を崩していたA本さんが、とうとうフルマラソンを100回完走したと言う話。 大崎市のT田さんが「佐渡島」、「秋田内陸」、「越後くびき野」を3連覇した話。S師匠の「ネーチャーラン」参加の話。短いコメントではあるが、走友が話す今年の活躍に心が躍った。S木さん、Y川さんは来年「佐渡島」へ挑戦したいので一緒に行こうと言う。私も走ってみたいと思っていたので、是非行きましょうと返事する。やはり走れるのは良い。走れてこそランナーと言うものだ。まして距離の長いウルトラマラソンは、走り終わった後の達成感が全然違う。 各人の挨拶が終わった後、先ず大崎市のT田さんの席へ伺う。私の「つくばマラソン」完走を心から喜んでくれるT田さん。そして堅い握手を何度も交わす。ウルトラ仲間の祝福。これほど私にとって嬉しいことはない。彼の飲みかけの酒を半分もらって乾杯。S師匠は私がつくばで完走するとは正直思ってなかったようだ。それはそうだ。自分自身が信じられないのだから。逆に言えばそれほどまでS藤さんが私のことを心配してくれていたわけだ。大崎グループの暖かい人間性にはいつも何か感じさせられるものがある。 次に故障中の脚で見事ニューヨークマラソンを制覇したT田さんを表敬訪問。今度は私が手を強く握りしめる番だ。この1年、彼女はどれだけの苦しみを背負って来たのだろう。膝と脚を鍛えるため、目下水泳を続けていると語るその目は潤んでいるように見えた。栄光のゴールの陰には、やはりそんな努力が隠されていたのだ。 楽しい集いにも別れの時間が迫る。私は扉の外で新幹線で帰る大崎グループを見送った。一人一人の肩を抱きしめながら。「明日の朝が早いので」とKさんに帰宅の挨拶をした時、彼女が私に言った。「みんな心配してたんだよ」。そうか。何にも役立たない私みたいな男を心配してくれる仲間もいたんだ。その気持ちを大事に受け止めて、これからもずっと走り続けたいと強く願う。有難うね~。宮城UMCの仲間達よ。
2008.12.05
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<ランナー魂の復活と栄光のゴール そして来年へと夢は続く> 30.5kmのASでアンパン、バナナ、お汁粉を食べ、水を飲んだ。そして若い女性ランナーを追いかける。このランナーとは25km付近から並走し、抜きつ抜かれつしていた。シャツの背中の文字から察すると、筑波大学の学生でバレーボール部のようだ。彼女が抜くと私が抜き返し、再び彼女が前に出る。ふ~む、何ともしぶとい。彼女と競っているうち、長い間眠っていたランナー魂が再び息を吹き返したようだ。 31km過ぎで右折し、土浦学園線へ。33.5km辺りで再び右折して学園西大通へ入る。高い樹木が西日を遮り、その日陰が涼しい。歩道から声援が聞こえる。快調に飛ばし、思わず歌を口ずさんだのも34km辺りまで。36km地点でついに若い女性ランナーにかわされる。急にスピードが落ち始めた。ほとんど長距離の練習をしてなかったのだから、スタミナ不足もやむを得ない。標識が残りの距離表示になるのが嬉しい。後はゴールまで1kmずつ減らして行くだけだ。 要集落を通過。ここは長男が9年間1人暮らしをしていたところ。間もなく筑波大学構内に入る。もう完走は間違いないが、意に反して思うように足が前に出ない。時計を見誤って5時間台のゴールだとばかり思ったのだが、誤解だと気づいた。ペースはキロ8分台まで落ちたと思うが、何とか4時間40分台で完走出来るはず。これは嬉しい。 かつて働いていた中央図書館に目を馳せながら気力を奮って前進。陸橋のちょっとした登りが苦しい。それでも構内から成田空港行きのバスが出ていることに気づいた。道端に立つスタッフの人に、ゴールが陸上競技場であることを確認。残りは1.5kmほどか。ようやく帰って来た。道路から左折し競技場へ。そして何とか4時間30分台でのゴールを狙って、トラック内を最後の力走。ゴールへと飛び込んだが、残念ながら4時間40分07秒だった。2年前より約30分遅い記録。 チップを返却し、完走賞のエコバッグを受け取り、完走証をもらう。5971位だったが、出場者が1万2千人らしいので半分くらいの順位か。途中で持っていた塩を摂取したせいか、痙攣も出ないで済んだ。暑くもなく風はあったが結構走り易かったレースだったと思う。それにしても8月末の怪我で9月は全く走れず、痛みが起きるためせいぜい8kmまでの練習しか出来なかった割には、良く最後まで走れたものだ。きっとこれまでの経験が生きているのだろう。 良く耐えてくれた左足へ湿布薬を貼り、赤く水膨れになっている右足へはテーピングを施した。今回のレースでは新しく作ったインソールの履き心地を実験したが、もう少し調整する余地がありそうだ。それにシリコンは走っているうちに摩擦熱が生じ、しかもかなり足には痛く感じられることが分かった。また、足の「摺れ対策」用に今後は5本指ソックスの着用なども検討する必要があるかも知れない。 着替え後にテントで食べた天麩羅ソバは、一滴の汁も残さなかった。そして重い荷物を抱えてのつくば駅までの歩行は、きっと疲れ果てた足にとって良いリハビリになったのではないか。ともあれ心配したレースも無事終了し、ようやく私はランナーに復帰することが出来た。当分色んな「実験」は続くだろうが、何とか今後のレースへの目途がついた。よ~し、来年は206kmの「佐渡島一周」にでも挑戦してみるか~。<完>
2008.12.04
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<おしどりランナーの力走を間近に見て> 12km地点の高エネルギー加速器研究機構前を通過。美しく手入れされた構内。その境界に今年度ノーベル物理学賞を受賞した小林誠博士を讃える横断幕が張られていた。同博士はかつてこの研究所にも勤務していたのだ。9km地点辺りまで見えていた日光の男体山が見えなくなり、代わりに筑波山の山容が大きく見え出す。 クリーンセンター前から左折して土浦つくば線に別れを告げ、筑波北部工業団地へ。途端に西風が強くなる。13.5km地点のASでバナナをもらい、以後のASではアンパンとバナナを交互に取る。良く整備された敷地の中に国立公文書館筑波分館が見え出す。そして向かい側の道路をパトカーが通過。早くも先頭グループがやって来たようだ。復路だと既に30km過ぎ。私とは15kmもの差がある。若い選手の中には大学のユニフォームを着た選手も見えた。 つくばに来る前、名古屋のおさるちゃんのブログで彼女もつくばマラソンに出ることを知った。きっとご主人のりゅうたさんも出てるはず。そう思って復路の選手に目を凝らす。和台から再び左折し、つくば真岡線を南下。往路17km(復路29km)付近で疾走するりゅうたさんを発見。順位は30位くらいだろうか。 必死になって「りゅうたさんファイト~!!」とエールを送ったが聞こえたかどうか。後日彼のHPを見たら私の声は届いていたみたい。結果は2時間41分45秒の自己新記録を達成し、「福岡国際」への出場資格クリヤーのようだ。次におさるちゃんを探す。前回走った2年前は走っている彼女の姿を見つけることは出来なかったが今回はどうか。 女子も先頭のランナーがダントツの速さだった。往路19km(復路25km)付近まで来た時、大勢の男子ランナーに囲まれるようにして走っているおさるちゃん発見。胸に「天白川RC」のロゴが入ったユニフォームなので間違いはないはず。こちらも「おさるちゃんファイト~!!」と声を張り上げる。ご主人の掲示板によれば、彼女は誰が自分の名を呼んだのか分からなかったようだ。私が見た時は女子の30位くらいだったが、結果はどうだったのだろう。 夫婦揃って国際大会へ出ている彼らの頑張りを見て勇気をもらった。後で知ったのだが、おさるちゃんは土曜日の朝までの厳しい勤務だったとか。さて、後は自分のレースに打ち込むだけだ。10km辺りで出た右股関節の痛み。そして11kmでインソールを取り替えた右足底の痛み。それらも全く気にならなくなった。中間地点を2時間13分41秒で通過。その直前に4時間30分のペースアドバイザーに抜かれた。時々目印の風船が見えるが、なかなか追い着けなくなる。 豊里庁舎手前の折り返し点からUターン。23km地点のASでペットボトルに水を追加し、塩、ヴァーム粉末を混入。多少のロスは覚悟の上。後半の戦いはこれからだ。25km地点辺りから歩き出す選手やスピードが落ちた選手が多くなる。きっと前半飛ばし過ぎたのだろう。遠慮せずにそれらの選手を片っ端から抜いて行く。これがマラソンだ。それにしても右折する和台交差点までが長く感じる。畑の彼方には筑波山の二つの峰。30km地点の通過が3時間16分ほどか。これは良いぞ。案外善戦してる感じ。<続く>
2008.12.03
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<早くも痛み勃発> 目覚めたのは4時過ぎか。5時になるのを待って起床。小さな音でニュースを聞きながらの朝食。ヨーグルト、ミカン、弁当にインスタント味噌汁。味噌汁の温かさが冷たい朝食を救う。食後に血圧降下剤を服用。 左足、両膝などへ丁寧にテーピング。前日の天気予報では午後から風が強くなると言っていた。9時半スタートだが私の場合は午後も走る可能性が高い。歩き出しても寒くない服装をと考え、下はロングタイツを穿いた。会場の筑波大学まで行くマラソンバスは駅の東口からの発車。コンビニで新聞を買ってバスに乗り込む。 バスが発車したのは7時半ごろか。新聞を読みながら時々窓の外の景色に目をやる。土浦学園線の懐かしい風景。沿道にもずいぶん建物が増えた。40分ほどで大学構内に着き、受付会場のラグビー場へ急ぐ。霜柱が解けたせいか地面がグショグショ。ゼッケンなどを受け取り、男子更衣室に割り当てられた球技体育館に向かう。 時間が早いせいか、体育館にもまだ人影が少ない。じっくり新聞を読んで待つ。頃合を見て半袖Tシャツにゼッケンをつけ、ポシェットに必要なものを入れる。これで用意は完了。荷物預かりは有料で混雑しているはず。スポーツバッグを薄目のウインドブレーカーで包み、体育館の椅子の上に置く。これで少しは安全だろう。 スタート15分前に外に出て軽い準備体操。そしてゼッケン順のスタート位置へ並ぶ。もちろん陸連登録者が前で一般の部が後。以前一般の部は完走予想タイムのプラカードのところに集合する方式だったが、人数が増えた今では大会本部が完走予定時間からゼッケンナンバーを付与しているようだ。因みに5684番の私は5971位でのゴールだから順当だったと思う。 市長の挨拶の後、ピストルがなる。スタートラインまでのロスは3分17秒だった。動かない人並み。だがゆっくり走る予定の私にはちょうど良いかも。筑波大学の構内をほぼ一周。ここは学内駅伝で何度も走った。一の矢学生宿舎前のカラマツ、農林技術センター前のメタセコイヤも大きく育っていた。私が筑波を去ってから、もう25年だ。 7kmくらいで学外へ出、東大通りを北上。道路の左端を走っていると舗装の段差につまづき、慌てて中央に寄る。大学の境界に沿って豊かな植栽が続く。今の季節は山茶花がとてもきれいだ。8km地点で4時間完走のレースアドバイザーに抜かれる。西大通りとの合流地点にも気づかず走っていたのだが、右足が急に痛み出した。これはおかしい。 10km地点を1時間ほどで通過。だが右足の痛みはますます酷くなる。ついに11km付近で歩道に上がり、リュウノヒゲの上に座ってシューズを脱ぐ。これはインソールと当たって肉刺(まめ)が出来た痛みだ。慌ててインソールを取り出し、ポシェットからこのシューズ本来のインソールとありがとう地球さんさんから戴いた健康中敷を2枚重ねて代わりに装着。厚みが左足と異なると走り難いと考えてのことだ。 左右のインソールの材質が違ってしまったが、今日はこれで走るしか方法がない。ロスした時間は3分ほどか。それにしても怪我でアーチが低くなっている左足の方こそ肉刺が出来ても良いはずなのに何故右足が痛んだのか。折角高い料金をかけて作ったインソールだが、今後ウルトラマラソンで使うことは無理かも。暫く考えているうちにあることに思い当たった。今朝左足底部を保護するためテーピングをしたが、そのために右足より摩擦が少なかったのだ。これならひょっとして最後まで行けるかも。<続く>
2008.12.02
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<レース前日の散策> 土曜日の朝、畑の大根を抜き、「大根おろし」を作った。水分がとても多く、醤油を一注しして食べるととても甘くて美味しい。疲れている週末の朝食には最高のご馳走だ。幸せな気分で3ヶ月ぶりのレースである「つくばマラソン」へ向かう。仙台駅で「まるごとホタテ弁当」とスポーツ新聞を購入。 新幹線の座席に落ち着きスポーツ新聞を読むが、大したニュースはない。「はにかみ王子」の賞金1億円到達間近くらいか。次に「ランナーズ」を手に取る。旅先で読む記事は順番通りでなく、面白そうだと思ったのからで良い。のんびり心身を休めるのが目的だからだ。 上野駅で下車し、駅構内の床屋へ入る。髪の伸び具合が気になっていたところに、料金千円の看板が目に入ったのだ。汗っかきのランナーには、レース前に髪を切って少しでも涼しくなるのが助かる。弁当とお茶だけを持ち、残りの荷物はロッカーへ預けた。まず上野公園の広場へ。 なにやらたくさんのテント。近づくと長岡市の物産展だ。噴水の傍に座りホタテ弁当を食す。そこから寛永寺輪王閣まで行き、境内を散策。裏手の墓地に廻ると「三つ葉葵の紋」が入った2つの門があった。さらに行くと東京文化財研究所。その向かいの美術研究所で、明治の画家「黒田清輝」の作品が観覧無料との案内を発見。ここは清輝が遺言で自分の死後、作品を公開するよう付託した建物らしい。有名な「湖畔」はじめ二十点ほどの素晴らしい作品を鑑賞出来た。 東京国立博物館の特別展が「スリランカの美術工芸品関係」であることや、都立美術館ではフェルメール展を開いていることもネットで調べていたが、興味が湧かず寄らなかった。東京芸大の旧奏楽堂を外から眺めて再び広場へ。讃美歌を歌う大勢の人。どうやら宗教団体主催の「炊き出し」に集まって来た人達のようだ。 上野から常磐線で土浦に向かう。土浦駅の東口にあるホテルでチェックインし、地図を持って散策へ。駅前がすっかり変わっている。まだ小さかった子供を連れて買い物に来たスーパーが、今は巨大な建物へと変貌。だが街の様子が寂れた感じで淋しい。土浦城がある亀城(きじょう)公園も閑散としている。玄関が薄暗い市民会館に入り、美術展を鑑賞。なかなかの力作が多かった。 帰路ラーメン屋でウーロンハイを飲みながら、ラーメン、ギョウザ、つき出しなどの定食を摂る。次いでコンビニで翌朝用の弁当などを購入。ホテルの部屋でも野菜サラダをつまみに缶チュウハイを戴く。テーピングの用意など翌日のレースの準備を終え、風邪薬を飲んで寝たのは10時過ぎか。故障中の左足、痛みがある左膝、そして熱がある風邪の症状が心配だ。空調と加湿器をかけて眠るのに慣れていないせいか、夜半3度ほど目が覚めた。<続く>
2008.12.01
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