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NHKの朝ドラ、大阪に夫婦モノを作らせたらヒット間違いなし、という都市伝説みたいなものがあるらしい。現在は「まんぷく」。テーマソングはドリカム。この歌、何度聞いても何と歌っているのかさっぱり分からない。ところがこの曲をコーラスでやる事になり、楽譜をもらって、やっと詞が分かった。歌というとおおかたの歌詞は聞いて分かるが、音階は譜面を見て初めてはっきりするパターンだと思っていたが、この曲はその逆である。出だしは「丸まってる・・」で、ここはまあ分かるが、「飛行機雲ぼんやり眺む 心ここにあらず」のフレーズはどれだけの人が聞き分けているのだろう。まあその能力が私にないだけかも知れないが。「頑固で面倒で腹も立つけど」は自閉症を育てている人にとっては「ああ、自分の生活だ」と感じる事だろうと思う。まことにこの通りで、ルーチンから外れる事を極度に嫌う頑固ぶり。いつもと同じものが同じところにおいてないと騒ぎ出す面倒くささ。「これくらいわからんか」と腹も立ってくる。が、逆に「ここさえ押さえておけば」が分かれば(分かるまでがしんどいにしても)それなりに扱える。最近BDレコーダの調子が悪くなり、自閉君がうるさく言うようになってきた。もう7年くらいにはなるのでそろそろ壊れ時ではある。TVの方は10年物だ。こっちもあぶないが、ともかくリモコンで停止、早送り、巻き戻し(物理的にはそうじゃないが)をバンバン切り替えるので接点の傷みは普通の家庭の100倍くらいあるんじゃないかと思う。だから調子が悪いのが本体なのか、リモコンなのか切り分けが難しい。まあ電池を疑うのが一番だが、それを覚えると1日「電池、電池」と言ってくるから腹も立つ。そこで同じメーカーのならまあ互換性のある操作だろうと考えて電気屋に行ったら、もう撤退しているという。財閥系でもそうなのか!仕方ないのでP社のを買ったが、交換しても元のリモコンを使うという。TVのリモコンとレコーダのリモコンが違って、入力を切り替えて操作・・この面倒くささがなんとも表現できない。コミュニケーション障害、自閉症の核心だ。ともかく写り、録画が出来るようにして寝たら、早朝にたたき起こされた。見ればすべての結線を引き抜いている。視覚優位とは言うけれど、結線までは論理の世界になる。彼が出来るのは「型はめ」のレベルだ。アンテナ端子は捻じ込み型とはめ込むだけのがあるが、芯線の保護を考えればはめ込み型はやめた方がいい。ねじ込んでプライヤで手で回せない程度にしめておく方が絶対安全だ。
2019年01月31日
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明石市長の「火つけて燃やせ」が駆け巡った。用地買収が思うように進まない故の発言だったらしいが、やはり乱暴だ、とは思う。しかし通常録音なんかしない環境でも録音がされたということは「壁に耳あり」である。この頃は録音機も小さくなり、背広の内ポケットなんかに入れていたら全く分からない。スマホにも録音機能がある。いつでもどこにでも録音機のある可能性を感じながら生きて行かねばならないとは、まことにしんどい世の中だ。明石市は早くから子育て支援を前面に押し出し、今では転入超過が続いているそうだ。神戸まで新快速なら20分ばかりで行けるので便利だ。以前に息子が住んでいた時も、「チャイルドシートが無料で貸してもらえる」と喜んでいた。乳幼児はあっという間に大きくなってしまうのですぐに買い替えねばならないが、借り物で済ませられた。その市長がパワハラ、放火教唆となるとマスコミは放っておかない。厚労省の統計不正発覚以来、マスコミもあまり信用できないと思うが、うがって考えれば春の統一地方選挙で現職を落とすためのトラップかもしれない。本人も対立候補も知っている訳ではないのでまことに無責任な発言だが。先に音楽祭の反省会があり、演奏時間を超過した団体に「しばらく出場は遠慮してもらいたい」旨の話を事務局がしたところ、「芸術なんだから多少時間がオーバーするのは認めよ」と逆ギレされたという報告を聞いた。思わず「バカじゃないの」と言ってしまったが、ここだけとらえて公表されたら誣告罪か何かに問われる可能性もあるかも知れない。監視カメラが犯罪防止に役立つ時代の流れかも知れないが、窮屈にならない事を願う。
2019年01月31日
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過炭酸ナトリウムと言うのは酸素系漂白剤なのだが、初めてこの名を聞いた時、炭酸が2価の酸でナトリウムは1価なのにどうやって過炭酸になれるのかと不思議で仕方がなかった。調べてみるとなんの事はない、炭酸ナトリウムと過酸化水素の混合物という事だった。この名前を見たのは外資系の化学洗剤を扱うJ&J社の風呂釜洗浄剤だった。原材料としてはあと界面活性剤が主なもので、これなら過炭酸ナトリウムだけでもいいんじゃないかと思った。この洗浄剤が結構高く、きれいにはなるもののちょっと不満に思っていたら、通販でも入手できるという。J&J社の商品はちょっと特殊な容器にはいっているのだが、結局のところは温湯に溶かす事になる。うちの風呂にはポンプがついているので環流するのは簡単な事だ。価格的には半額以下なので試してみた。充分湯あかは取れる。ぞっとするほど取れてくる。界面活性剤がはいっていないので泡はまったくたたない。それだけに余計に汚く見える。湯あかは皮脂・蛋白に微生物が生えているものと勝手に推測しているが、たぶんそれを熱交換器からはがしているのだろう。同じように洗濯機の槽もはがしとれる。少し時間はかかるが、いかにもカビの生えたような塊がふわふわと浮いてくる。塩素だとステンレスを傷める事があるが、酸素なら大丈夫だ。もちろん洗濯物の黄ばみ取りにも使えるし、これ一つでいろいろな商品の代わりに使える。原材料を見る事で出来るコストダウンもある。
2019年01月29日
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全豪オープンに優勝して、いろんな話題で引き合いに出されている。二重国籍らしいが、参議院で蓮紡氏をそのことで叩いた人も今回は静かなようで。黒人系の血を引くとの事で、肌の色についてのスポンサーとの軋轢もあったようである。ただ、私自身は「うわーよく焼けてる子やな」と言う認識しかなかった。現役時代の沢松奈生子、杉山愛両氏も黒かったのを覚えている。サッカーの澤氏もそうだった。そもそも人類発祥がアフリカだと言われている。当時の原人がどのようであったかは知る由もないが、歩くしか移動手段のない時代だ。メラニンの生成能力が高い事が種の保存には必要だったのだろう。それが高緯度の方に移動するにつれ、日差しが弱くなり、メラニン生成能が低い形質の個体でも生き残れるようになったと考えるのが自然ではないだろうか。日本人の島国根性のせいか、異質なものを排除する傾向が強いと思う。3才でアメリカに渡ったというのはそんな背景があったのかも知れない。「日本語で感想を言ってくれ」と要求したマスコミ記者がいたらしいが、この頃のマスコミの劣化を示す象徴のようでまことに情けない。たぶん、英語での応答を聞く能力に欠けていたのではないか。新聞でも変な表現が校正を通り抜ける時代、猛省を求めたい。世界を転戦する中で、「日本語が話せる」ことは地球上の1/50を対象にした時にしか役に立たない。英語の方がはるかに役に立つはずだ。日本初の世界ランク1位だそうだ。マスコミも見習って欲しいもんだ。忖度記事ばかり書いていたって仕方がないんじゃないか?それにしてもリターンエースのすごい事。よくあんなところに打てるもんだ。
2019年01月28日
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子供が大きくなってくる頃、携帯電話の普及が始まった。通話だけだったのが高機能化し、写メの時代がやって来た。合わせてデジカメが(この名称、実は登録商標だという)普及した時期でもある。私は携帯電話での撮影が下手だった。ある程度当を得ていると思うのだが、支えている手(支点)よりも外側にスイッチがあるという事は、力のモーメントから考えても、非常に手ブレが起きやすい構造だと思う。前方のものを撮るのにその方向にボタンを押すのだから当然だ。カメラの場合には前の被写体に対して、横または下(直角)に押すのだから、しっかり構えれば光軸に影響を与える事は少ない。そんな訳でコンパクトデジカメを主にオークションで手に入れるようになった。現在も時々使っているのがこちら。かなりキワモノ的な形だが、コニカミノルタ(今はソニーが吸収したと思う)のZ2だ。当時はまだ400万ピクセルで大きな顔が出来ていた。1000万台のピクセルと比べても拡大しないと差はあまり分からない。ファイルサイズを小さくできるので、SNS程度なら充分に使える。レンズはF2.8で30-380mmとなっている。このクラスとしては明るかったのではないかと思う。単三電池で使えるし、ファインダーのあるのが気に入った。さすがにモニターと自動切り替えではないが。この機械に限った事だと思うが、何かの拍子にレンズの枠が外れて、レンズがころりと落ちる事がある。非対称のレンズでよく設計してあると思うのだが、もし落ちて割れたら、同時にこのカメラとはお別れだ。落としてもいいようなところ(主に山)に持って行くが、なかなか紛失しない。他にオリンパスのカルディアも持っていたが、こちらは日食をとっていた時に倒れ、あえなく昇天してしまった。デジカメの出現のおかげでレタッチが出来るようになった。写してみてから手を加えるという写真としては本末転倒な時代がやって来た。フェイク写真も撮れる訳だから。
2019年01月27日
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今冬最強といわれる寒波がやって来て、わが家の周りも雪化粧。柚子の実が寒そうである。晴天になったので午前中にはとけてしまう。庭木にもこのくらいの雪が風流というものだろう。豪雪地帯の方々には申し訳ないほどの雪だ。
2019年01月27日
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リストラの話ではない。寒さも本格化した。平地でも昼過ぎから雪が舞い始め、5時ごろには2kmばかり離れた山が見えなくなるほどの降り方になった。天気予報通りだ。「犬は喜び庭駆け回り・・」と言うが、私は猫になる方がいい。しかしいやでも外に出なければいけない時は、「首のつくところを守れ」つまり、首、足首、手首の防寒をきちんとするのが望ましいという。首は一番体温を奪われやすいところだ。マフラーがいいのだろうが、何かする時には邪魔なのでもっぱらネックウォーマーを使っている。手首はあまり特別なものは使わず、長袖シャツとか手袋。あと、レッグウォーマーは勤めている時によく使っていた。女性用が多いけれど、男物もある。ただ色が少ないのでおおかたは黒になり、複数もつとペアが識別しにくいのが難点。年をとると、冷えた時に足腰に来る。神経痛も引き起こす事がある。痛い目に遭うよりも暑い思いをする方がマシである。座骨神経痛は1週間は痛い。今、空は晴れている。明日の朝凍らねばよいが・・・橋がよく凍結する。
2019年01月26日
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統計のとり方がまずいという事を各報道とも、「不適切」と言っているが、その規則を削除したとか隠ぺいの意志があったとかなかったとかを内輪の人間がやっていたという。どこをとっても「不正」と言う方が適当であるように思う。「お役人だなあ」と嫌味を込めて言う時には「融通が利かない」「型通りの仕事をする」と言うニュアンスが込められると思っているが、「不正な仕事」となると役人とは言えないではないか。「役立たず」「背任」位の言葉しか一般企業では使われない。不正をやったら遺憾もくそもない。あるのは「懲戒」だけだ。それをまた内輪の人間の調査結果なんて自浄能力のなさを露呈しているに等しい。見て見ぬふり、となれば組織犯罪だ。物事をうやむやにするのもお役人か?「不適切」という言葉自体、不適切な表現である。ニュースで見た範囲では小泉進次郎氏の意見に近い。
2019年01月25日
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大学の卒論段階になると学会発表の資料作りを手伝わされる。私の場合、微生物や酵素を相手にする講座になったので、蛋白の電気泳動とか抗原抗体反応の結果を写真に撮る仕事を言いつけられた。現像から焼き付けの仕事である。面倒ではあるが結構楽しませてもらった。現像液を作り、暗室や暗箱の中で現像や定着を行い、ネガが出来れば焼き付け機にかけてまた現像する。引き伸ばし機の感光時間、現像液の処理時間などきわめてアナログ的で、面白かった。ついでに下宿の娘の写真など撮ってやって焼き付け、喜ばれた?ものである。ちなみに当時は彼女は小学生。この時にネオパンFなどという低感度フィルムに巡り合い、その意味を知った。やがて卒業・就職・結婚となるのだが、結婚前に先輩から「カメラ、持ってるか?」「古いのですけど」とPENの事を話すと、「それはまずいな。新婚旅行の写真がまずいと、後々何を言われるか分からんぞ。俺のOM-1を貸してやるから持って行け」はあ、そんなものかと両方持って出かけたが、でき上がった写真は天と地ほどの差があった。そりゃそうだ、15年前とはいいながら5000円ほどのカメラと、進んだ1眼レフが同じレベルである訳がない。女房主導で妊娠を機に「まともなカメラ」を買う事になった。同僚のカメラを借りていくつか撮って見たらニコンがどうも趣味に合いそうなのでニコンF2を買うつもりでカメラ屋に行ったが、価格が折りあわず、女房が渋い顔をする。その時に勧められたのがニコンFEだった。操作も簡単で絞り優先だからボケ具合も比較的簡単に対応できる。何より軽い。「これなら奥さんも・・」ある意味舐められたもんだが、晴れてニッコールレンズを使える環境が出来た。オリンパスPENはこれ以後、失職となる。しかし「まともなカメラ」は後々の出費も「まとも」である。社外品の状況が分からないのでストロボは純正品。出産の勢いがなければ買えたかどうか。ついでクローズアップレンズとテレコンバータ。この辺はどうも生物部以来の趣味のようである。それから少しおいて、28mmf2.8の広角を手に入れた。この時には写真屋が何を勘違いしたか、f3.5の値段で売ってくれた。もう時効だと思うのであえて書くが。子供が大きくなって運動会を理由に300mmを買うが、さすがにニッコールではなくシグマで。さて、この後は長男が鉄オタになり、事実上撮り鉄に没収される形になった。こちらも仕事で写真どころではなくなってしまったのでしばらくお休みに。長男は10才頃から一眼を持つ事になってしまった。(続く)
2019年01月24日
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Start35で一番問題だったのは感光しやすいことだった。子供の事で不慣れなせいもあったのだろうが、ロールフィルムをきつく巻けなかったのではないかと思う。終わりのところは確かシール止めだったので、この辺も甘かったのだろう。www5e.biglobe.ne.jp/~clenssic/camera-start35.html にスタート35の資料を見つけた。フジペットのような裏ぶたを開けるようなカッコ良さはなく、違いを見せつけられた私はまともなカメラが欲しくなった。父はもちろん反対したが、度重なる攻勢で「通知簿で5を5つ以上とったら買ってやる」と言う約束を取り付けた。これは実は非常に困難な課題だった。国語・算数・社会・理科はどうにかなるかも知れないが、図画工作は酷評されたおかげですっかりやる気を無くしていたし、運動はこれまた走る事以外は全くダメだった。キャッチボールはへたくそ、鉄棒やマットも話にならない。ところが5年生からは家庭科が加わった。針仕事だ。この時の先生には感謝するしかない。「5」をくれたのである。かくてめでたく?オリンパスPENを手に入れた。この時父の相談役になってくれた讀売新聞のKさんが買ってきてくれたのである。裏ぶたは底へ引き抜いてパトローネをセットするから、光がはいる心配はない。F3.5にY1のフィルターをつけて晴れた日は8の絞り、暗い時はもう少し開けて、シャッタースピードは1/100で使いなさい、と教えてくれた。露出計なんかついていないから勘だけである。失敗しながら覚えるしかなかったが、画像のシャープさは確実に上がった。しかし別の問題が出てきた。このカメラはハーフサイズなので撮れる枚数は多いが焼き付け料が半端無くなる。父の命令で撮る分にはお金を出してくれたが、自分のはその合間になる。フィルムの消費は年に2−3本という有り様、いつ撮ったのか分からない写真が多かった。撮った時のデータを控える訳でもないのでどんな撮り方をしたのか、結果が出る頃には全く分からなくなっていた。中学受験で姫路市の中学校に通う事になった。この学校にはカメラを持った中学生なんていくらでもいる。中にはニコンFを持っている奴さえいた。ここでベタ焼きをすれば安く上がるんだよ、と言う事を教えてもらった。現像の時に頼めば無料でやってくれるから、その中のいいのだけを選んで後日焼けばいい、と言う訳だ。これは大いに助かった。カメラ屋も多く、その中には上級生の実家もあった。しかし、私は写真部ではなく、生物部にはいった。顕微鏡写真を撮って見たかったのだ。生物部にはペンタックスSVという立派な一眼レフがあった。昆虫の撮影にも使われていた。そういう写真の撮り方を教えてもらった。ぐだぐだ書いてきたが、生物部でこういうつきあい方をした事が大学で農学部を選んだ事につながったのかなと思う。この間、オリンパスPENは実に堅牢に活躍し、大学を卒業してから結婚するまで使っていた。約15年間、全く故障知らずだ。シャッターがB-1/250,絞り3.5-22と言う数字の意味は分からないまでも、この2つが写真を撮るカギだという事を学んだ機械である。(続く)
2019年01月23日
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たまたまだが、探し物をしていてニコンFEをみつけた。今はオリンパスEM10なのだが、写真を始めたきっかけというのは何だったのか、思い出せる限りで文字にしてみようかと思った。なんで写真がいいのかというのは、たぶん小学校3年生の時の担任のいじめとも思える図画の酷な評価だったと思う。「へたやな」たしか、3年生から絵の具を使うようになった。2年生までは多色クレパスでいろんな色使いができたのに、水彩絵の具は10色そこそこだったように思う。山を写生すれば緑色しかなかったのでその色しか使えなかった。混ぜて色を作るとか、濃淡を付けるとかいう事は知らなかったのだ。これはたぶん教師の方に責任があると今でも思い出す。当時はもちろんカラー写真なぞ一般的ではなく、モノクロだったので「写真なら手間もなくて描けるじゃないか」と考えたのである。また、当時従姉が仕事で家に下宿していたが、彼女が二眼レフを持っていて、時々触らせてくれたので機械ものの興味はあった。とはいえ昭和35年頃だから、カメラなんて恐ろしく高かったに違いない。「僕もカメラ欲しいなあ」なんて言ったのだろうが、小成り金だった伯父が、ある時「これやるよ」とカメラをくれたのである。ずんぐりした変なカメラだったが、それがスタート35と言うのであった事は後に知った。12枚撮りのフィルムが100円位しただろうか。35ミリフィルムに裏紙がついて、番号が裏の赤い窓から見えたので何枚とったかが分かる。最後は巻き取りきるような仕組みだった。フィルムメーカーが「ミノリ」というところだった。性能的にはあまりいいものではなかったと思うが、とりあえずは誰かの顔がきちんと写るのだから、すごいと思った。たぶんレンズは1枚で、収差補正もなかったのだろう。「何かが写る」レベルだったが、うれしかった。反面、焼き付けに1枚10円と言われた。これは子供にとっては大変な金額だ。祭りとかお年玉で100円札をもらって大喜びする時代、この道楽はとんでもない金食い虫だと悟った。小学生向けの雑誌広告に富士フイルムのフジペットが載っていた頃だった。同級生が「僕、持ってるで」「見せて見せて!」学校の帰りに彼の家で見せてくれた。ずっしりしたボディ、緑色のジャケット、大きな組み合わせレンズ、ファインダー、巻き上げや巻き戻しハンドルなど自分のとは大違いだ。私のは樹脂ボディで軍艦部をねじ止めし、ファインダーはただの穴、巻き上げは一方通行。光ははいりやすい構造だし、なんともお粗末だった。彼は庄屋の旧家、こっちは小作だからベースが違ってはいたが。う〜ん、金持ちは違うな!を実感した。以下、またいつか書きます。明日かも知れない。
2019年01月22日
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披露宴の食事というのは当たり外れが大きい。私の時には父のなじみの料亭から弁当のような形で運んでもらったが、友人に呼ばれた時は同じホテルならほぼ同じメニューでまあお仕着せというか、シェフ一任みたいな感じだったが、今は複数のメニューからコースをカスタマイズするらしい。2つの料理を比較してどちらにするか決めるのである。例えば肉ならばフィレにするかロースにするかという選択だ。先方のご両親も一緒に、まあ最終判断は新郎新婦にゆだねられるのだが、その背中を押すようなものだ。食品会社の技術者として働いていた私は料理から原料をある程度推定することができる。ぶっちゃけてしまうと身も蓋もない話になってしまうのだが、ホタテでなぜ貝の味がしない?とか、ゼリーというがこれは寒天を混ぜないと出来ないよね、みたいなことを仕事にしていたのでおよそ人には好かれない。まさか本人の前でそんなことはできないのでどっちの料理が一般受けしそうか、インパクトがあるかで評価して行った。相手のご両親がどう感じたか、ちょっと心配だ。
2019年01月22日
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肩が痛い時に「できるだけ動かしなさい」と医者に言われたが、水平に腕を上げた時に痛むのが固定化してきた。肩を動かせと言われても何をすればいいのか・・・右利きなので右は何でも動かすせいか、痛む事は少なくなってきた。同じように左を使うのは至難の業。テレビで肩のこりの治療として腕立て伏せの運動をやっていたのでやってみたが、長年の鍛練不足で、途中まで肘を曲げてゆっくり下ろすのができない。どすんと胸から落ちてしまう。もちろん高校の頃はわけなくできていた事だ。どうしたものかと考えていて、高校の時に体育教師がひざをついた腕立て伏せを指導していたのを思い出した。これなら何とか継続できそうだが。これにしても結構しんどい。もちろん若い時には「こんなもの運動になんかなるものか」とバカにしていたものである。かの三浦雄一郎氏も「小学生に抜かれるようになった」ことから筋力復活に努め始めたそうである。私も見習ってこの運動をやって行こうと思う。アコンカグアの登頂にはドクターストップがかかったという。ちょっと残念だ。
2019年01月21日
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娘の結婚式が近づいて来た。娘の衣装は別にして、こっちにも女房の言葉が飛んでくる。「モーニングはどうする?」私のモーニングは合い夏物らしい。父の遺品を手直しして、少し大きくしてもらった。これを息子の結婚式に使ったのだが、この時は5月だったのでこれですませたが、3月では少し早い。「そうかわらへんやろ、寒い中に立ちん坊でもないから使えば?」「冬物とは色から違う」彼女の父は洋服を仕立てていたので、この辺は圧倒的に詳しい。あと何遍モーニング着るかなあ。母親の葬式位なもんかな。新調はもったいないな。レンタルで2万というから、これも決して安い訳ではない。新調だと6万以上するそうだ。「いまのやつは私の葬式で遺体にかけて、燃やしてしまえ」息子は体が大きいのでもう次は使えない。とんでもないところに話が飛んだが、こういう「誂えもの」は実際始末に困ると思う。どうせなら焼いてしまう方がすっきりしてよかろう。「生前そう言っていたので・・」は強力な切り札だ。「もしかしたら私が先かも知れへんで」と女房。「それならもう1回いるな。いや、その頃には儂ももう足腰あかんかも知れんな」娘は笑っていたが、息子が聞いたら「その役、自分に回ってくるのか!」と思う事だろう。結局レンタルを使う事にした。所詮コスプレなんだが。
2019年01月19日
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都市の直下で地震が起きる恐ろしさを見せつけられた1日だった。あれからもう24年たつのかと思うと、本当に時の流れを感じる。兵庫県の西では地盤が比較的固いといわれ、Spring-8もそれを理由に誘致したと聞く。それでも、とにかく長い揺れの地震だった。なぜか揺れる少し前に目を覚まし、ゴーと言うような音がして家がミシミシと揺れ始めた。30秒くらい揺れていたのではないかと思う。恐ろしく長く感じた。動けなかった。当時は地元の食品会社につとめており、この日はローリーに水を積み込んで救援物資として出荷したが、大混雑で普段なら2時間もあればいけるところ、10時間もかかって帰れるかどうかが心配だった。大阪市は何ともない。無事な都市から近いのが物資面ではいくらか救われたかも知れない。近所の店からは保存できる食料品、水、乾電池が消えた。リュック姿が珍しくなくなった。価値観が変わったと思う。「しあわせ運べるように」の歌声が流れるようになったのはそれからまもなくだった。小学校の先生がッ生徒にねだられて作り、鎮魂の歌、希望の歌として全国に広まった。東日本大震災の後にはこの曲の詞を一部変えて歌われ、また「花は咲く」も歌われたが、今一つ好きになれない。やはり「生まれ変わる神戸の町」でなくてはならないし、聞くたびに泣けてくる。倒れた阪神高速も再生し、ゆがんだ歩道も元に戻った。しかしあの悪夢のような日が再び来ない保証はない。どうすれば生き延びられるか、減災できるか、政府が本気で考えているようにはとても思えない。史上最高額の予算、赤字の更なる肥大、そして軍備。再生は遠くなる。
2019年01月18日
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昨日の事だがなんでも「世界遺産の中で結婚式」と言うのが主題だったらしい。花婿が花嫁の白無垢と自分の羽織袴を背負い、富士登山だそうである。五合目を朝に発ち、13時に頂上の神社で挙式をするのをカメラが追う。結果的には2時間ほど遅れての挙式になったようだが、最後は花婿が花嫁の尻押し、と言う事になったらしい。やはり最後はばてたか。女房は「着付けをする人がいるんだ」と驚く。女房とこの番組を見ていて、若い時に大山に登り、爪を傷めて歩けなくなった女房を背負って(まだ結婚前だった)おりた事を思い出し、「あの頃は馬力あったなあ」と談笑する次第。彼女は確か空荷だったと思うが、私のリュックは彼女に背負わせたのか、思い出せないがまあ持って降りた事は確かだ。今は女房だけでも自信はない。山に行くととんでもない事態になる事がある。だからあれもこれもともって行くのだが、花嫁衣装なんぞ運ぶにはちょっと覚悟が必要だろう。ドレスならたいした事あるまいが、和装は大変だと思う。我々はもちろん下界の結婚式場だった。そして40年。もっと重いものもあった。
2019年01月16日
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公園の掃除をしていたら急に雨が降ってきた。薄いジャンパーである程度は防水してくれるが、どうも冷たさを感じるのが早過ぎる。雨宿りで脱いで見てみると、昨日のとんどで火の粉を浴びたらしく、あちこちに穴があいている。中にセーターを着ているので直接肌に触れる訳ではないが、やっぱり寒い。中の綿にもしみ込んできているようだ。セーターも脱ぎ、保温(発熱)ベストを着て、ようやく暖かくなった。こいつは基本ゴム製で、ほとんど風を通さない。それが裏目に出て、暖かい間は汗のたまり場になったが、これから活躍する場面が増えそうだ。朝は寒いが昼には温度が上がってくる。暖冬の所以だが、ここまで風邪も引かずに過ごせている事に感謝。ただし畑の野菜、特に白菜が虫害を受けて穴だらけだ。
2019年01月15日
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正月行事のフィナーレ、とんど焼きである。今年の恵方は東北東との事。スマホのコンパスは360度表示だから、67.5度になるが、真東よりも少し北、と言う認識でいいんだろう。ぱんぱんと響く竹の破裂だが、さすがに目の前での破裂は危険だと思った。今日はほとんど風もなく、昼も暖かかった。子供連れで餅を焼きに来る村人たち。子供が焼け落ちた縄を素手で持って遊んでいたので「火がついてるかも知れないから触っちゃいけないよ」と声を掛けたら、本当に中に火が入っていて、「熱い!」と投げ出した。親は「ほーら、叱られた」別に叱ったつもりはないのだが、こういう対応をする親の方に問題があるんじゃないか。親は褒めるもの、他人は叱るもの、なんて誤った認識をされると、おおきに迷惑である。でもこんな大きな火は絶好の学習の場だとも思う。世の中には見えない火もあって、うっかり手を出すもんじゃないって事。子供は皮膚が薄いので火傷は重度化しやすい。私も中学生の頃、蒸し米の蒸気で火傷し、水疱ができて皮が剥けた記憶がある。蒸気での火傷は特にひどい。人間、そういう目に遭わないと学習できない事もある。しかし「うるさい爺さん」と言われるのは心外だ。消防の仕事をしている人が、なんと鳶口を持ってきていた。今でも消防車に2本ずつ載せてあるのだそうだ。江戸時代の遺物と思っていたが、現役なのである。水を屋根から入れる時に屋根を壊さねばならないが、これが一番なのだそうである。参加者には酒が振る舞われる。しかし酒ばかりと言う訳にもいかず、腹も減ってくる。そこへ女房が餅と焼き魚のむき身を持ってきてくれた。これは多いに助かった。人間、やはり炭水化物を食べると落ち着く。何よりの差し入れだった。
2019年01月14日
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HPプリンタofficejet7000を使っている。インクジェットでA3が刷れるのはありがたいのだが、やはりインクは高い。そこで互換インクを使うが、何本かに一度マゼンタが「カートリッジ不検知」と言うメッセージを出して動かなくなる。カートリッジのチップに何かしかけがしてあるのだろうと思うが、不思議に黒や黄、シアンがエラーを出した事がない。交換した時に、「純正ではないものがセットされている」と言う警告は出すけれど、そのまま使える。それをプリンタを止めてしまう処理まで持って行くのはどうもマゼンタらしい。(あくまで個人の推測)実際にマゼンタだけを純正品に交換すれば何もなかったように動き出す。更に、純正品をはずして互換品に交換しても動く。プリンタのシステムが分からないので理由は分からないが、そんな不思議なプリンタだ。もう1台、Canonのプリンタを持っているが、こっちは多色カートリッジなので更に容量が少ない。プリントヘッドごと取り換えるから信頼性は高いというが、インクも高い。トータルならHPの方が安いのではないかと思う。HPはCanon,Epsonほど売れていないが、オールドタイマーには懐かしい。Mac初期のDeskwriterである。モノクロで価格も高かったが、日本の製品とは比べようもなくきれいだった。これよりもきれいなのはレーザだけではなかったか。Laserwriterは100万円以上した時代の話だが。しかしofficejetももう10年近くになる。そろそろ壊れ時かも知れない。
2019年01月13日
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障害者雇用のごまかしやら消えた年金やら、いろいろと過去に傷をもつ省庁が今度は「不適切な手法による統計」だそうだ。私も労災のお世話になった事があるので(不休災害・通勤途上)少しくらい関わっているかも知れない。が、マスコミ報道が本当ならば事務次官は辞職か免職ものだろう。謝るだけで責任を取らないのが日本の政治の特徴だが、大臣の「ごめんなさい」で今回も終わるのだろう。官僚はほとんどが東京大学卒だというが、東京大学に合格しようと思ったらそれなりの受験勉強をしなきゃいけないが、これは同時に「捨てるものを決める」事だと思う。東京大学はある意味「手抜き」を教えているようなものではないか。50年ほど前に「東大解体」を叫んで全共闘が安田講堂を占拠し、入試ができなくなった事がある。今日のようなていたらくの卒業生を出しているなら、東大解体論は意外と正しい主張だったのかも、と今更ながらに思い出した。官僚の不正を自浄できない政権も政権だとも思うが。
2019年01月11日
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遅い年賀状が届いた。早世した同級生のお母さん、大学の合唱団の後輩からだった。もう亡くなってから20年になる。しっかりした筆遣いで、まだまだお元気にされているようだ。私の母と同い年だったと思うが、母は既に息子の顔が分からなくなっている。時々思い出すようだが。その場の話は出来るので、「まだしっかりしたもの」と近所では言われているが、ものの5分ですっかり忘れている。今年94歳だから無理もないが、どうかするとこっちが追い越しかねない。大学の後輩は高校の校長を辞し、大学の非常勤講師をしているが脊柱管狭窄との事で腰痛に悩まされているとか。この歳になるとやはり「痛い、辛い」がシェアされる。元日に届く年賀状はありがたいが、遅く届くのはそれなりの理由があるのだろう。ぎっしりと詰まった字にも風合いがある。さて、14日にはとんど焼きが行われ、正月の一連の行事が終わる。もう半月済んでしまった。一月は去ぬ、二月は逃げる、三月は去る・・・娘の結婚式がやって来る。女房はご祝儀の懐紙を買いに行き、買った商品を忘れて帰ってきた。こっちの方が危ないぞ。
2019年01月10日
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年に1度くらい小さなコンサートを開こう!ということで「2万円でコンサート」を試みる事になった。ホールのロビーを借りて、ステージや人件費を使わなければ何とかなるのだが、自団の演奏だけでは30分ぐらいで終わってしまうので、あまりにもお客に悪い。そこで団員の関わりがある女声合唱団と男声合唱団に出演を打診したら両方とも承諾してくれた。私は混声なのでこの日は男声、混声、女声合唱を聞いてもらえる。5月にやる、と言う事で既に会場も手配してあるが、曲の仕上がりが大問題だ。それにせっかくなので合同もやりたい。曲をどうする?印刷物、情報収集、やらなきゃいけない事がたくさんある。これから新年会だが、どうも役員会に変わりそう。飲み食いしながらこんな話題を語れるのも幸せかも知れない。
2019年01月09日
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白梅、水仙が庭をにぎわすようになりました。明日から寒くなるらしいけど。
2019年01月08日
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近所のY電気の正月売り出しの広告だ。クラス10となっているからこれは相当安いはず。秋葉が遠い私にとっては願ってもないお年玉・・という広告を見たのが実は売り出し日の次の日である。夕方になっていってみたが、10枚残っている。だからといって買い占めに走るものでもない。2枚だけ買った。どういう訳か、この町の大手家電販売はこう言う事が珍しくない。昨年はこう言う目玉のファンヒータがあったので女房は嬉々として出て行き、なんと2セット持ち帰った。「これを買う人いなかったみたい。1つ目を車に運んで、もう一回戻ったらまだあって、別の販売員に話をした」そうである。まあ他に買う人がいなけりゃ向こうも売り上げがたたない。やったね!と言う訳だ。SDメモリとなるとこれはひょっとしたら民度が低いのかも知れない。SDだからデジカメやスマホには必需品といってもいいと思うのだが、機体に入ってしまえばそれまでか。追加で買う方が変わっているのかも知れないが、息子は話を聞いて飛んで行き、やはり2枚買ってきた。SDが何であるか、分からない人が多いのかも知れない。高齢化は進んでいる。同じ日、Amazon価格は880円だった。
2019年01月07日
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年中行事で正月の報恩講を迎えるかざりものについてかいているが、制作過程を一度も書いていないのであらためて。まず餅をつく時に、長く延ばして紐のようにし、竹筒に詰めて行き、そのまま固める。竹はあらかじめ割って、再度紐でくくっておく。竹をはずすと、こんなものが現れる。ごく当然の事だ。ちなみにこれは計量が少なかったものだから2つにわけていれたのでこうなる。まあ餅のソーセージ風みたいなものか。羽根つきのは、竹の合わせ目からはみ出したものだ。ソーセージ風の餅を切って行き、円板状のものを作る。これを六角の入れ物に積んで行く。容器に半紙を敷き、角のところに積んでいく。一段目はこんな感じになる。二段目からは、ややずらして橋渡しになるように積んでいく。これは三段目の積み始めだ。ずれて行くところには目をつぶり、やや上を広げて行って数段積む。適当な高さになれば上に大きな餅を置いてフタのようにする。これで完成。こんなのを一対作って飾りにする。ただ、最近は家で餅を作ることが減ったため、落雁を替わりに使う家が増えたそうだ。うちは完全に少数派。もちろん信心深い訳では全くない。
2019年01月06日
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1歳と5歳の孫が12/29からやってきて、今日から嫁の実家に移った。孫はとてもかわいいが、ジジババは非常に疲れる。もう兄の方は20kgを越えているとかで抱き上げる事はできない。妹の方は手づかみでご飯を食べるのが大好き、しかもそれを投げつける。顔中ご飯粒だらけでそこらをなで回るから、ティシュペーパーを持って追っかける事になる。うっかりそばに置いたら今度はティシュペーパーをどんどん引っ張り出す。(そりゃ面白かろう)本当に目が離せない。生後1年になったのでよちよち歩きも始まった。1歳になったら1升の餅を背負わせる習慣が当地にはあるが、彼女にはまだ少し荷が重かったようで、手押し車で運ぶ事で何とか帳尻合わせ。ただ、息子は確かに1歳で背負って歩いた。体力的に上だったようだ。彼らのおかげでにぎやかな正月が過ごせたのは感謝に値する。
2019年01月03日
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とにかく昔から年賀状にとりかかるのが遅く、12月30日以後に出すのが伝統?である。期日厳守?は欠礼状だけだ。これはさすがに準備期間がある程度限られる。そこで一計を案じ、初日の出を撮影して印刷面に使う事にした。これならば元日に作ったという言い訳になるし、遅れても郵便の都合だね、と責任転嫁ができる。初めは撮影直後に印刷し、返事も兼ねて元日に出していたが、次第に元日の夜作製、2日に投函と言う具合に乱れて行く。そしてまた、こう言う時に限ってプリンタがトラブルを起こすのである。今日は2台のうちデフォルトのやつが突然インクを認識しなくなった。互換インクを使うとこうなる事があるのだが、純正を入れるとたいがい直る。これがなぜか、マゼンタでばかり起こるのが不思議。仕方がないのでCanonのサブ機に切り替えたらこっちはインクが少ないというメッセージがでるが、既に店は閉まっており、背に腹は代えられないので強行したら3枚分インクが足りなかった。天罰!?尤もデフォルトのHPのマシンももう10年近く使っている。そろそろ壊れ時かも知れない。2万円はしなかったと思うので、まあ安かったといえるんだろう。もちろん純正インクを注文する。
2019年01月01日
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