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東京・多摩センター駅前は桜が満開です3月31日、通勤の帰り道の多摩センター駅前です。桜が満開でした。 まだ、パソコンが思うように操作できなくて、苦慮しています。いろいろ模索してます。まずは、桜の満開の景色をお楽しみください。
2014年03月31日
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新たに見つけた蒲鉾ですこれが新たに小田原で見つけた蒲鉾です。 小田原には蒲鉾屋さんがたくさんあります。今回、新たなお店との出会いがありました。 それが鈴松蒲鉾店です。小田原駅は時々通るのですが、名産品売り場の前では、蒲鉾店が、かわるがわるお店が出ているのですが、そこで知りました、初めて聞く店の名だったんですが。そこで、先般お店を訪ねてみました。小さなお店ですが、1892年(明治25年)の創業だそうですから、120年という歴史をもつお店ということです。 手作りで「むかしながらの味」を守って、保存料を使わないというこだわりを大事にしている、とのことです。やはり、小田原の蒲鉾は奥が深そうです。(もっかPcを更新してます。XPがサービス終了ということで、新たな機器に投資をしたのですが、操作に慣れるまでに、時間がかかりそうです)
2014年03月30日
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日向夏に、小さな芽が出ています3月29日、はやくも日向夏の小木で芽吹きを見つけました。まだ、剪定もしてなかったんですが。桜の花が咲きだしていますが、そのころ、みかんの木には新芽が出始めます。まだ芽を出したのは、この日向夏の小木以外にはなし、この木だけです。他のみかんの木は、まだ芽を出してはいないのですが。この日向夏は、一昨年はたくさん果実をつけたのですが、去年はまったくのゼロでした。表年と裏年が極端に出ていて、去年はまったく実をつけす、がっかりでした。しかし、今年は蓄えてきた力の為か、ひと足早く芽吹きを始めています。ことしは実験してみようと思っています。それは、一つの主枝について、その果実を全部摘果してみることです。木が全体として隔年結果をすることは、一昨年と去年で示したんですが、はたして、一本の木で、同じ年に表年の枝と、裏年の枝が出来るかどうか、この点を、それが可能かどうか試してみようと思っています。未だ発芽したばかりですから、この芽が葉の芽か、それとも実の芽なのかわかりません。おそらくは葉の芽でしょうが、もう少したつと丸い実の芽が出てくると思います。さて、今回も小田原から富士山が見えました。みかん園に向かう途中でのこと、午前8時20分でした。左肩の稜線だけが光が当たって白く鮮明に光ってましたが、あとは薄い雲に覆われていました。全山白一色だった富士山でしたが、ここへきて所どころ地はだが出てきたように感じます。また、途中の中津川ですが、朝7時38分の橋げたの温度計は12度でした。2月に通った時は、0度とか1度がざら、日によってはマイナスの朝もあったんですが。ここへきて3月の下旬からは、5度を超えて、ついに二ケタ温度を見るようになりました。ここにも一段と暖かな春の到来を感じさせてくれます。桜が咲きだし、みかんの芽が出だすのも当然だと感じる気候の変化です。いよいよ、草木がいっせいに「萌え出ずる春」の季節の到来です。
2014年03月30日
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東京でも桜のつぼみが開き始めました 3月28日夕方の京王線多摩センター駅前でのこと。桜の枝で、つぼみが開きはじめていました。東京では、数日前に開花宣言がされたとのこと。このところ日中はかなり暖かくなりました。それでも、まだ朝晩は寒い。全体としては、まだまだつぼみが大方なんですが。この暖かさの中で、桜は徐々に開花を始めています。京王線に並行して乞田(こった)川が流れていますが、その川沿いに、桜の木が植えられています。東京の満開は4月1日ころとのことですが。そのころは、街灯でライトアップされて、桜並木になります。桜の木の下は、花見の宴でにぎやかになります。いよいよ桜の季節、もうあと少しです。
2014年03月29日
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「草原の風」-モンゴル写真展を見てきました今、新宿でモンゴルの写真展が開かれています。会場は、東京・新宿駅東口の直ぐ向かいある「コニカミノルタギャラリーC」です。期間は4月3日まで、午前10時半から午後7時。最終日は午後3時までとのこと。モンゴルと言えば、大相撲で鶴竜が、一昨日の3月26日に横綱に昇進しました。これで3人の横綱が活躍することになりましたが、3人ともモンゴル出身です。モンゴルという国については、ジンギスハーンの名くらいは知っていますが、ほとんど知りません、いったいどんな国なのか。この写真展は、モンゴル大使館が後援してくれているとのです。モンゴルという国の一端が、この写真展で感じられるんじゃないでしょうか。ありました、案内状の写真です。主宰者の写真家・夏目安男氏ですが、1950年生まれで、当方の大学時代の1年先輩です。日本リアリズム写真集団理事とのことですが、写真家としての腕前は相当なものです。先般も地域新聞に、東京の街の風景が連載されていました。その彼がモンゴルに13年前から毎年夏に出かけていたのだそうで、今回はその紹介でした。なるほど! 写真に撮られている人たちの表情ですが、公式的な写真の中にも、どことなく自然な表情を感じさせる人も、ところどころにいます。日本人の表情と似ていて、重なるものがあります。モンゴルは、総人口が281万人とのこと。国土の80パーセントが草原だそうで、人口の半数の人たちが遊牧生活をしているとのこと。展示されていた写真は自然が芽吹きだしている、1年で一番素晴らしい夏期とのことです。日本では広さの象徴は海原ですが、モンゴルではやはり草原だそうです。標高は1500メートル、リンドウやエーデルワイス、アザミ等の花が咲き。どういうわけかブルーの色が人々に大事にされているそうです。草原の広がりは、ちょっと向かい側にある山でも、そこまで行く間には、東京の山手線の直径分の隔たりがあることが多々あるそうです。その草原に飼育されている家畜は、羊が1928万頭、山羊が1965万、牛が260万頭、ラクダが28万頭、馬が222万頭とのこと。ようするに、動物たちの数の方が、人の数よりも多いわけです。そして7月には「ナ-ダム」というお祭りが全国的にあるそうです。そこでは、弓技・相撲・競馬の3種の競技が行われるのだそうです。横綱白鳳や「スーホの白い馬」が出てくる背景となることが、歴史的につづいているわけです。しかし、冬は零下30度の世界だそうですから、たいへん厳しい世界でもあります。この写真展をモンゴル大使館が後援してくれているには、こりがモンゴルという国を知る機会にもなっているということではないでしょうか。なにより写真家の目がとらえた写真で、暖かなポリシーがあります。その撮りためた傑作集の数々を観賞できる機会です。交通圏にある方たちには、ぜひ一見されることをお勧めします。
2014年03月28日
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再び、野蒜(ノビル)を採りました 引き続きみかんの小木の根周りの草取りをしています。3月26日は、雨が降り出しそうだったので、朝の短時間での2本だけの草取りだったのですが。やはりそこで、野蒜(ノビル)が所々に生えだしているのを見つけました。この時期は、雑草がひと雨ごとに繁茂してきます。ちょっとした間に、苗木などは雑草に埋もれちゃう場合もあります。せめて、小木の樹冠の下だけは草取りをするようにしています。草取り作業は、鎌とねじり鎌を使って、地べたにはいつくばっての作業です。単調な作業を、何本も繰り返さなければならないので、あきちゃうんですが。今回はすこしちがいます。所どころで野蒜が見つかるからです。こっちにもあった!と、あちこちで発見しました。なにか草刈りをしているんだか、野蒜さがしているのか、わからなくなります。おかげで、単調な作業だった草取りが、その中で宝物さがしをしているような、この目的がくわわると、広い範囲の草取りも苦痛にならなくなるから不思議です。野蒜は、春の草取りの応援団になっています。野蒜の球根は、まだ大きいものでも1センチ弱です、小さいのですが、親球根の脇に、小さな子どもの球根もついています。この時期は、雑草が繁茂するとともに、野蒜も生育していくようです。採取は、生育の塊り中で、大きい球根だけを取るようにして、小さな球根は、土に埋め戻すようにしています。草取りが楽しみになってくるような気がします。
2014年03月27日
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今年も梅ジャム作りの時になりました毎年、この時期になると梅ジャムをつくっています。今年も、3月25日に、最初の梅ジャム作りをしました。この材料となる梅ですが、去年の6月に収穫した梅は、梅干づくりと梅酒に仕込んでありましたが、梅酒については、年が明けたこの1月に解禁して、梅酒を楽しんでいます。問題になるのは、梅酒を飲んだ後に残るたくさんの梅でした。この残ったつけ梅をどうするか、これが悩みだったんですが。その解決に、藤巻あつこ著「梅干・ウメ酒・うめ料理」(主婦と生活社刊)がヒントになりました。それが梅ジャム作りでした。梅ジャム作りは、いたって簡単なんですよ。1、梅酒で残った梅を、お湯で煮詰めてアルコールを飛ばします。2、梅の種を除いて、グラニュー糖を加えて煮る、ただそれだけです。梅酒の梅を使う場合は、すでに砂糖がしみていますから、砂糖は大していりません。今回は、梅の果肉は正身で1100グラムでしたが、グラニュー糖は100グラムから200グラムでしたから、2割弱でした。当方の場合、中華鍋で8分くらい煮てから、焦がさないように弱火にして、砂糖を加えては5分くらい煮る、これを2回くらいくりかえして、出来あがりです。梅酒を飲んだ後の残りもののつけ梅を、他人にあげるのは失礼ですが。梅ジャムにしさえすれば、りっぱなプレゼントになります。まぁ、こうすれば、自然な循環作業が可能です。(原子力発電も、こうした後始末の循環が出来るようになるまでは、危険な残留物を山積みしている現状では、稼働過程の問題をコントロールできない状況では、再稼働やのめりこみは、やめるべきです。国民世論はそうなっているのに、政権は再稼働しようとしている。ジャムとは関係ないけれど、自然循環としては同じ問題です。自然循環が出来ていないのに、危険な汚物を発生し続けているのに、今回の事故の経験から、国民がやめるべきだと意志表示しているのに、政権の方向は、再稼働にねじれさせようとしている。どうしてそうなるのか、どうしたら本当に変えれるのか、現在の政治の大問題です。この問題を正視した解明が、もっともっと日の目に出てきてしかるべきです。やっぱりジャムとは関係ありませんが、そう思います。)
2014年03月26日
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苗木の添え木を手直ししましたそろそろ雑草が繁茂する季節となりました。3月22日、植えつけてから間もない小木のまわりの草取りをしました。やれやれ、樹冠の下を草刈りして、施肥をしました。しかし、葉の色がおかしいと思いませんか。肥料が足りないのか、病気なのか…、葉の色が黄色っぽく薄い。よくみたら、その原因が分かりました。この針金が成育した基幹に食い込んで、養分の流れを妨げていたんですね。苗木を調べてみたら、こうしたケースがあちこちにありました。園芸店でつけられた札の針金の場合もありました。テープの場合もありました。添え木を当てた時に固定するために使ったしゅろ縄が原因の場合もありました。せっかく苗木がすくすくと成育しようとしていたのに、それをギュウギュウと締め上げて、基幹に食い込んでしまっていたんです。急ぎ総点検して、桎梏となっている箇所を解きました。苗木り基幹は成育するのを考えて、ゆるやかに固定するのが大切だということです。
2014年03月25日
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赤ジソの種まきすでに梅の花は散って、そのあとには緑色の幼果がついています。これから6月の実梅の収穫に向けて、実が育っていきます。その6月は、恒例で、梅酒・梅干しづくりを予定していますが、梅干しづくりには赤ジソがかかせません。3月22日(土)には、最寄りのホームセンターで種を購入して、ただちに赤ジソの種のばら撒きをしました。種まきを終えた後で、種袋の裏の説明書を読んだら、1、種まきする前に一昼夜水に浸したほうがよい、と。2、浅箱などにばら撒きして発芽させ、それを植え付けしたほうがよい、と。しかし、すでにじかに畑に、ばら撒きをしちゃった後だったので、後の祭りでした。この注意書きは、次回にまく時に生かしたいとおもいます。今回、赤ジソをばら撒きしたところですが、前回、大津の苗木を植えた所の、すぐ手前です。急きょ、鍬で掘り返した、2平米弱の即席のミニ畑です。種袋の説明書きによると、発芽までの日数は15日から20日だそうで、乾かないように水やりをするように、とのこと。本葉3~4枚になったら植えつけるようにとのことです。(間引きして、間隔をあけるようにとのことでしょう。)この他にも、去年シソを栽培した場所でも、自然に落ちた種から、今回もいくらかは発芽すると期待しているのですが。去年は、八百屋さんのシソにたよらずに、品薄でしたが自前のシソに徹しました。さて、今年のシソはどうなることでしょうか、うまく育ってくれるでしょうか。梅干づくりには、やっぱり赤ジソは欠かせませんから。
2014年03月24日
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はじめて野蒜を採りました「野蒜」の葉は、だいたい知ってはいたのですが、雑草の中に生える野蒜は、なにやら不案内なものでもあり、これまでは、それらしきものでも、まったく手を出しませんでした。ところが、先日、千葉県から真鶴半島にやってきた方が、野辺に生えだした野蒜に、しきりとこだわっていました。「これはおいしいんですよ、味噌をつけて食べれば最高です」といって、まるでこれが目的で来たかのように、野辺を探索していました。シャベルをもって、あちこちで小さな野蒜を掘りだしていました。それがきっかけだったんですが、今回、みかん園を注意して見ると、日向の雑草の間には、あちこちに野蒜が生えていました。そのむかし、当方の家族の食卓にも、いつの時か野蒜がだされていました。この二つがつながりました。そして、これがその結果です。これまでは、草取りしていても雑草扱いだったんですが。雑草の草刈りと一緒に、草刈りの対象だったんですが。またひとつ、新たに自然の恵みを発見しました。野蒜は、あちこちに小さな塊りになって生えています。これは清見のネットの裾のところですが、ここにも生えていました。当方がみかん園の自然にかかわりだしたのは2001年の2月からです。ですから13年になります。みかん園を管理していた父が亡くなったからですが。それは自然の知識を教えてくれる人が、家族ではいなくなったということだったんですね。引き継ぎはなし、すべては白紙からの出発となりました。その後、手さぐりでなんとかみかん栽培について学んでいますが、みかん園には、その他にも、さまざまな人の工夫と自然のめぐみをみつけました。今回、野蒜が新たにまたひとつ加わりました。野蒜は、古来から季節のたよりでもあったし、むかし我が家の食卓にのせられたのを記憶していました。当時大人たちは珍重していたけれど、子どもには分からなくて、手を出さなかったんですが、なぜ野蒜がそれほど珍重されていたのかが、今にしてようやくわかりました。春のたよりだし、たいへん美味しいことが。3月22日平塚、午前7時半の春の富士山です。春霞も無く、青空に白い姿が鮮明でした。朝、みかん園に向かう途中の景色ですが、富士山の景色で、その日の天候がわかります。この景色もどことなく春の気配です。
2014年03月23日
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いよいよ清見の収穫のはじまりですみかん園の3月下旬は、そろそろ清見の季節のはじまりです。もっとも当方には、清見の木は2本しかないのですが。3月22日には、1月から掛けてあった鳥よけのネットをあけました。網をかけておいたのは正解で、地面には鳥の食べかすが散らかっていました。まぁ、少しくらいなら文句は言わないのですが。これが、今回の収獲です。清見の木は、小木の10年生くらいなんですが、これが、1本の木から、4分の1くらいを収穫したものです。持ち帰って、さっそく試食してみました。「おいしい!」、とても新鮮でジューシーです。農家だと清見は収穫してから、少しおいておくと思いますが、試食した限り、すでに十分に食べごろになっていました。この春の時期は、みかんの手入れとしては、剪定やくさかり、施肥の仕事が待っていますが、その難行苦行の副賞は、この清見オレンジです。
2014年03月22日
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ルター「ローマ人への手紙講義」を読んでルターの「ローマ人への手紙講義」ですが、これは1515年11月から1516年9月まで、早朝に週2回のペースでおこなわれた講義です。訳書としては、次の2冊で読んでいます。1、中央公論社『世界の名著 ルター』(昭和44年刊)と、2、講談社『人類の知的遺産 ルター』(昭和57年刊)ですが、ともに笠利尚氏の訳です。ともに抄訳で、全体からすると15分の1くらいだそうです。一、一つは「神の義」ということの理解の問題があります。当方は前に、晩年のルター「ラテン文著作集」第一巻序言(1545年刊)で「ローマ人への手紙講義」のころを回想した文章を紹介しました。それは「人類の知的遺産」の解説で今井晋氏が紹介しているものですが。ルターは当初、「神の義」ということを、一般に理解されているように律法と同じように〈人を裁くもの〉と理解していたのを、自身悩んだすえに〈福音において神の言葉を信仰することによって与えられる恵み〉だと理解するようになり、それを確信するようになります。その問題が、この「ローマ人への手紙講義」の主題としてあります。たとえば、1・7の解説で「神の義は、ただ福音において神の言葉を信じる信仰によってのみ啓示される」(『名著』P410)。3・22「義は、ただイエス・キリストを信じる信仰によってのみあたえられる。」(同 P419)と説かれています。私などには、何故こんなことが重大な問題になるのか。分かりにくいのですが。「福音」とは福音書のこと、つまり『新約聖書』のことです。そこに一番大切な神の義があるということ、イエスの教えが一番大切なんだ、と。そうだとすると一般には社会的にも権威がある教団の教えというのは絶対的なものではないということになります。それは、その限りでは一つの考え方ともとれますが、もっと議論が社会的に鋭くなっていくと、中世を通じてつくられていた教団の権威ある組織との間で対立するまでに広がる可能性をもっている見解だということです。エラスムスも『聖書』を大事にする点では、ルターと共通だということです。二、ルターは、パウロの「ローマ人への手紙」を解説するかたちで講義をしていますが、その途中に「補遺」として自らの意見を立ち入ってのべています。 ルターは、既存のあり方への批判をもっています。「補遺」の中で「これらすべてのスコラ神学者の奇怪な見解は、彼らが罪とは何であり、赦しとは何であるかを知らなかった点に根ざしている。こうなったのは、かれらが罪、そして義を、魂のきわめて微細なある種の動きに限定してたからである」。(「遺産」P151)また「十字架の聖遺物を外面的に最高に尊崇して、苦難や不幸を避けたり憎んだりする者たちは、未熟で子供じみた者、いや偽善者である」と。(「遺産」P154)さらに「今日、我らの神学者や高位聖職者たちは、「キリストの十字架の敵」をトルコ人とかユダヤ人とのみ解しており、これはロイヒリンに反対するケルン市民の書、教皇たちの教書、また教書についての法律家たちの注釈に見られるとおりである。ところが神学者や高位聖職者こそ、もともと「キリストの十字架の敵」なのだ」と。(「遺産」P154-5) 引用は限られますが、ルターは帰結として、辛辣に既存のあり方を批判していきます。この批判の流れの中に、1517年の95カ条の、命題27「献金箱の中に投げ入れられたお金がチャリンとなると、魂が煉獄から飛びあがると、ひとに説教している人たちがいる。」が出てくるわけです。三、もう一つの問題は、人間の意志の自由の問題です。8・28くらいから後に出てきます。これはこれで、エラスムスとも論争になってます。「人間の意志の自由」は、今につながる哲学の大事な問題です。しかし今回は、まだ、その中味にははいれません。 以上です。
2014年03月21日
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今、品川正治氏の残した著作を読んでます先日、知人と話していた中で、品川正治氏の著書が話題になりました。品川氏は昨年8月29日に亡くなっています。経済同友会の副代表幹事をされた方でもあり、名前だけは知っていたのですが、その著書はまったく読んでいませんでした。まず、最近だされた『激突の時代』(新日本出版社 2014.1.20刊)を読んだんですが。財界人にしてはずいぶん大胆な発言をしています。戦争を体験した者として、憲法9条の大切さを主張しています。その中味は信念のことですから、紹介したくてもしようがないんですね。著者の発言そのものが、最高の力を持っているからです。私などが紹介や解説など出来るものではないんですね。とにかく、これを読んだら、品川氏の他の著作も読んでおく必要を感じさせられました。この本を読んだ数日後に、別の知人が品川氏の本をもっていました。『戦後過程』(岩波書店 2013年9月刊行)、これは『世界』に連載されたもののようですが。すぐに借りちゃって、読ませていただきました。この本も戦争から返って、戦後の歩みが丹念に書かれていました。時代と状況に、どの様にかかわったのか。世界は別でも9条へ信条がつたわってきて、読みごたえがありました。目下、『戦争のほんとうの恐ろしさを知る 財界人の直言』(新日本出版社 2006年7月)を読んでいます。初めの方に戦争の生々しい、恐ろしい体験が出てきます。当方は戦後生まれですから、戦争というのは想像でしかないのですが、あえて今語られていたのは、今の政治がおかしな、誤まりを正したいとの思いによっています。憲法9条が尊い犠牲の上に建てられたものだし、日本の宝だということが伝わってきました。私などには、氏の言っていることの全部が納得できるわけではないのですが、それでも、大切な主張をされていた方だということはわかります。経歴に紹介されている著書は、全部で8冊くらいですから、この機会に、読んでおきたいと思っています。
2014年03月20日
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みかんの木の植え替え3月19日(水)、みかんの木の植え替えをしました。カミキリムシの加害により、枝が枯れ出しいてたので、植え替えは避けれなくなっていたのですが。早川の知人が分けてくれた温州みかんの「大津」の苗木ですが、鉢から地面に移しかえました。元の木は、枯れ込みが進行しているのを、昨年12月の収穫の時に気づいていたのですが。前回来た時に植え替えすることを決断して、主枝を切り払って株を抜きとりました。株を抜き取るのは、木の根が四方八方に張っているので、なかなかの大仕事でした。嵐の中でも、大きな木をささえてビクともしないくらいですから、大地に根をしっかり張っていました。しかし、主枝を切って断面をみてみると、健全な枝はひと枝だけでした。残っていた他の2本の主枝は、やはり枯れはじめていました。ここまで枯れ出していると、木全体がダメになるのは時間の問題でした。やはり今回植え替えを決断したのは正解だったということです。この木のある4本の列のみかんの木は、これでみな枯らされてしまいました。植え替えですが、前回株抜きした穴には、堆肥と腐葉土を土に混ぜておきました。挿し木をしてある台木が、少し地面から出るように植え付けしました。苗木に主柱を立てて、水をたっぷりとかけておきました。苗木の両側にあるのはミツバチの巣箱です。まだミツバチは住んでいません。昨日の春一番で、巣箱の中にはひっくり返ってしまったものもありました。蜂はいないので大事にはなかったのですが、いたら大変でした。はやく苗木に大きくなってもらって、防風林の役目も果たしてもらいたいものです。
2014年03月19日
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ミツバチが花粉を集めに活動開始です真鶴半島には自然がよく残っていますが、あちこちの花の花粉をあつめにミツバチが活動を始め出しています。これはニホンミツバチですが、お腹に黄色の花粉をかかえて、巣箱にかえってきました。ミツバチの活動はかなり活発です。ひっきりなしに出入りをしていました。真鶴半島には、当方の知っている範囲では、2軒の養蜂家がいます。その内のもう一つの一軒のSさんは前に紹介しましたが、http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201402270000/その時は、梅は咲いていても、未だ陽気が寒くて動きが鈍かった。しかし、3月16日、今日は活発になっています。これが、今回のTさん方の巣箱です。3月16日に、管理者の依頼によって、巣箱の様子を観察させていただきました。巣箱の中には、巣板がならべてありますが、その三分の一、中には半分くらい、巣が広がっていました。ことしは、2月が寒かったのですが、ミツバチの動きが鈍かったのですが、今回も、風が強く吹いて、海には白波がたっていたのですが。それでも、日中の温度は大分暖かくなってきました。この暖かさと、梅や菜の花が咲きだしたことで、ミツバチたちもが活動を開始しだしています。ようするに、当地にも春が来ているということです。当方は、昨年10月にミツバチに逃去されてしまって、まだ、ミツバチの巣箱は空き家となっています。なんとか、みかんの花咲くころ、5月連休ころまでには、巣箱の住人を迎えたいと思っているのですが。
2014年03月17日
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枯らされたみかんの木ですが今、真鶴のみかん園には、植替えをしなければならない木があと1本あります。この春には、みかんの木1本をすでに植えかえしています。さらにもう一本を、今切るか、来年に延ばすか、悩んでいます。後ろにある木ですが、カミキリムシによって基幹部分をボロボロにされちゃっています。数年前までは、たいへん良く実をつけてくれていた木だったのですが。今や、基幹を加害され、木全体としても半身不随の状況にされてしまいました。先週、3月12日に早川の知人のみかん園でのこと。新たに造成した畑に苗木の植え付けるのを、少々手伝いながら、その仕方を見させてもらいました。生きた実地の研修をさせてもらいました。その時に、みかんの苗木を一本いただきました。温州みかん「大津」の苗木です。この苗木を枯らされた木の植え替えに使おうというわけです。当方にとっては、「大津」の苗木は貴重です。「大津」の木だと分かっているものを植えるのは初めてなんですが。みかん園はすでに満杯で、こうした時でもないと新たに植えるスペースはありません。今季はすでに1本植えかえしています。この方は「青島」でしたが、苗木は近くの園芸店で入手できました。悩めるのは、今回のボロボロにされてしまった木ですが、それでもまだ少し生命力を保っているからです。半身不随ですが、まだ少しは実をつける力が残っています。なにしろこれまでにたくさんのみかんをつけてくれた木ですから、まして30年以上の太く育った木ですから、その木を切り取るということは、忍びがたいものがあります。一時期に2本も切ってしまうのはどうしたものか...、割り切って、今植え替えするか…、それとも少し延ばして来年にしたらどうか...、ここで切るべきか、来年に延ばすべきか、それが問題です。もっか、気持ちがゆれているところです。
2014年03月16日
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雪国でのみかん栽培の経験を紹介します「みかんの木を雪国でも育てられないか」、この挑戦をされた方がいます。冬にはたくさん雪が降りつもる土地柄での経験です。その方がその栽培経験を、3月11日にブログされてました。それはたいへん大事なことと思います。今回は了解を得て、それをそのまま紹介させていただきます。http://plaza.rakuten.co.jp/momotaro1188/diary/201403110000/当方は、関東平野の南部、小田原の近く、真鶴で小さなみかん園を手入れしています。おそらく、この辺がみかんの産地としては北限にあたるとおもいます。「産地」というからには、農協などの農家がかなりのまとまった量を生産・出荷しているということです。個人でなら、みかん栽培をしているケースは、東京の大都会の中でも、ところどころで見かけますし、東京・板橋区でも、稲城市でも、黄色のみかんをたくさんつけた木を見かけることがありますが。みかんの産地としては、湯河原、真鶴、根府川、早川、小田原あたりが北限かと思います。この地域では、みかんを栽培することは、自然に一般的になっていますから、それが特定の自然条件を前提にしていることなどは、あまり意識することなどは少ないのですが。今回の経験は、雪国でもみかん栽培は可能か? それを実際に挑戦された結果ですから、注目したわけです。この2月に、その東京でも、2月8日と14日の二回、まれな大雪が降りました。北国の冬のきびしさのミニ版を経験したわけです。東京・八王子でもかなりの積雪があり、その積雪の様子から、みかん園を心配したのですが。さいわい小田原方面の海沿いは、雪は降ったとしても、大して積もらず、ほどなく解けて消えていました。大事はありませんでした。桃太郎さんのブログを見ての、私なりの勝手な感想ですが、一、北の雪国でもみかん栽培は、絶対的に不可能ではないけれど、だいぶ手間がかかりそうです。鉢植えにしているのは、雪にうもれるのを避けるために、移動できるようにした為でしょう。やはり栽培とすれば、露地栽培が出来ないと、自然に定着したものとは言えないと思います。だとすると極寒と積雪に耐えさせるためには温室栽培となりますが、はたしてそれまでしても、よいみかんができるかどうかは、わかりません。二、仮にうまく実がついたとしても、鳥が味を覚えると、きっと鳥害も発生するかと思います。鳥たちにとっても、食料が乏しくなる時期ですから、かっこうの標的にされてしまいます。人間が収穫をする直前に、美味しくなりつつあるみかんを、勝手についばまれちゃうわけです。関東南部の小田原方面では、1月中旬には果皮の薄いみかんには、防鳥ネットをかけるようにしています。もしかけないと、ヒヨドリやメジロに、美味しくなたところを、ほとんど食べられてしまいます。三、栽培の基本問題ですが、土地柄にあった種類を選ぶことが大事ですが。柑橘類のなかでも、寒さに強い耐寒性のある品種を選ぶということでしょう。桃太郎さんの経験によると、どうやらユズと夏ミカンは、寒さに耐えれそうです。おそらくキンカンもいけるかもしれません。ただ、雪が降る前に収穫できないとダメだという制約があります。四、それと小木のころは、樹木自体をしっかり育てることが大切です。木が大地に根付くまで、果実のほとんどを(全部を)、摘果する必要もあるかと思います。木が小さいうちに果実に全体の栄分が集中すると、木がやせ細って葉を落としてしまい、せっかくの木が、アレヨとアレヨと目前で枯れてしまうからです。一つの経験を成功させるには、1,2回の失敗がつきものですし、いろいろな曲折をへてなんとかものにするには、5年、6年とかかるかとおもいます。みかんの木は、苗木を植えてから、10年くらいは最低でもかかりますから。当方、60代の農夫としては、1本の苗木が生育して、何とかものに出来た頃には、自分自身が、もうこの世にはいないかもしれません。そうであっても、やはり挑戦は、出来るところまで続けるということですが。当方としても、カミキリムシに枯らされた1本を植え替えしようとしています。これは、3月12日に早川の知人から分けていただいた「大津」みかんの苗木です。基幹をボロボロにされてしまった成木があります。しかし、太く育ったみかんの木を簡単に切ることは出来ません。もう一年間は手入れして、来年に植え替えをしようと思っています。従ってこの苗木を、1年間はポットで育てて、来年の植え替えに備えようと思っています。苗木を見て感じるのは、自分としても、植えた木にしても、二度とはない試みだよということ。確実に30年後にはこの世にいないということですが。それでも、一歩でも二歩でも、ベターな状況をつくるためにがんばるということです。
2014年03月15日
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カミキリムシの幼虫を20匹も駆除しました梅の花散る3月、この時期はみかんの剪定や苗木の植え付けの時期です。3月12日(水)のみかん園行きは、初期の目的は剪定をしに来たはずだったのですが。みかんの木を見回りだしたところ、急きょ方針を変更しました。剪定の為に枝ぶりの上の方を見るつもりが、基幹のチェックの下の方に集中する羽目になりました。みかんの基幹をカミキリムシが加害している痕跡を見つけたからです。みつけた! これがカミキリムシの幼虫で、大きくなった2年生ものです。太さは5ミリ、長さは2センチくらいあります。どんなみかんの解説本をみても、「今の時期のカミキリムシ対策が必要だ」などは出てきませんが、当方は、夏場のカミキリムシの成虫対策とともに、今の時期の幼虫対策こそがが肝心だと思っています。みかんの木を見まわして、枝のこんな異変があったら、要注意です。本来は常緑樹で新緑のみかんの木が、この中央の枝の場合、黄緑いろになっているのが分かるでしょうか。もっとも、こうした枝先が異変をきたし出した木というのは、すでに後の祭りです。その枝はすでに幼虫に加害されて、半ば死んでしまったために異変を生じているわけです。そうなる前に、そうした結果をもたらす、カミキリムシの幼虫の加害を止めなければなりません。みかんの木の基幹を注意して、こんなささくれ症状が出ていたら、まさに要注意です。当方はねじれ鎌をつかって、みかんの根周りを除草するようにして、その時に基幹をチェックするようにしています。ねじり鎌とナイフが道具です。こうした樹皮のひび割れ、ささくれを見つけたら、その部分をナイフで削り取るようにしています。すると樹皮の下から、必ずといっていいくらいに、カミキリムシの幼虫が出てきます。いた! 大きな幼虫が顔を出しているのがわかりますか。こいつが樹皮にひび割れをきたさせた原因です。もちろんカミキリムシ対策としては、樹皮の表面が白くなっているように、昨年の6月には基幹部分に殺虫剤を塗布してあります。それでも、それだけではカミキリムシの防除は完全ではないということです。先の幼虫は大型でしたから直ぐに見つかりますが、カミキリムシの幼虫は、大型の幼虫だけではありません。大型は少なくて、むしろ小型の幼虫がその周りにきっともっとたくさんいるはずです。いた! 中央部にいるのが分かりますか。大型がいた個所のすぐ近くです。この幼虫は中くらいの大きさで、もっと小さいものが多くいます。卵から返りたてで、活動を始め出したばかりの幼虫が多くいます。太さは1ミリないし0.5ミリで、長さは1センチないし5ミリくらいの小さな幼虫です。注意して良く見ないと、大変小さいので見逃しがちですが。この時点で駆除できていれば、みかんの木も大事ないのですが。次の写真ですが、この早生みかんの枝からは、小さな幼虫が10匹出てきました。やはり枝の先の方が、黄緑いろくなり、弱まっているのが分かると思います。オレンジ色の基幹部分から10匹もの小さな幼虫が出てきました。オレンジ色は、癒合剤です。樹皮をナイフで削った後は、木を保護するために、癒合剤塗るようにしています。この3月12日には、全部で6本の木から20匹もの幼虫を駆除しました。その内の3匹が大型に成長した幼虫でした。大型の幼虫が見つかる木は、枝先が対外黄緑色に弱まっていて、枯れ初めていました。急きょ方針変更して、カミキリムシの駆除対策に当たったのが分かると思います。これを見逃していたら、みかんの木は、1,2年後には枯れ出していたはずです。くわばら、くわばら、です。以上、カミキリムシの幼虫駆除の経験です。くりかえしますが、みかんの木が枯らされるのを防ぐために、この今の時期こそが、カミキリムシの幼虫を駆除する時期だということです。ぜひこの時期に、みかんの木の基幹をチェックしてみることをお勧めします。
2014年03月13日
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やはり、遅咲きの梅-豊後が満開でした3月12日、神奈川県西部の真鶴では、豊後の花が満開でした。梅の木があるのは、みかん園の片隅なんですが。やはり、遅咲きの豊後が、今満開の時を迎えていました。豊後の花はピンク色が特徴です。手前にある柑橘は清見オレンジで、鳥よけにネットを被せてあります。その後ろにある豊後は、今が満開です。青空にピンク色の豊後の花が、良く映えていました。枝にびっしりと花がついていました。その花をアップしてみました。枝が見えなくなるほどに花々がついて、たいへんにぎやかです。3月8日に来客があったんですが、この木を紹介するのが漏れてしまい、残念なことをしちゃいました。さて、南高にしても白加賀にしても、すでに今は花の盛りを過ぎました。すでに多くの花びらが散っています。そして花の中央あたりをよく見ると、黄緑色の小さな幼果がつきだしているのが分かります。梅は、花の季節が過ぎて、これからいよいよ幼果の季節に移ります。花びらが散ると、葉の芽が芽吹きだします。こして若葉が広がりだし、それが木全体を覆っていきます。その若葉の中で、梅の実が大きくなっていって、6月になると、その実梅が収穫の時期になります。今年の梅は、これまでのところ順調です。
2014年03月12日
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遅咲きの豊後は、今どうなっているでしょうか関東の梅まつりは、そろそろ幕切れです。3月8日には、小田原の梅まつりは終了していましたし、当方の梅も満開の時期を過ぎて、花びらをあちこち散らばらしていました。ところが、その日、見ようと思っていたんですが、見損ねてしまった木がありました。遅咲きの梅、豊後です。最初に目に入ってきた梅が、かなり花びらを散らしていたので、そのながれで、遅咲きのはずの豊後の花を確かめるのを忘れてしまいました。これは、2月22日の豊後です。2月22日の時点では、他の梅は、南高にしても白加賀にしても満開になっていましたが、遅咲きの豊後だけは、まだこうしてつぼみの状態でした。「あと、すこし」の状態だったんですが。3月8日には、遠来のお客さんを案内して、その後の豊後の様子を確かめるはずでしたが、残念、結局それを見るのを忘れてしまいました。清見を味見したり、その他の柑橘の様子を紹介したりしているうちに、いつしか、豊後のことは、忘れてしまいました。遅咲きの梅を紹介しそこねちゃいました。明日はみかんの剪定作業に行く予定ですが、明日こそは、まず第一に、豊後のその後の様子を確かめたいと思っています。『万葉集』巻第五・849 残りたる雪に交じれる梅の花 早くな散りそ雪は消えぬとも
2014年03月11日
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みかん園へ、東京より来客がありました3月8日(土)、みかん園に遠路来客がありました。当みかん園は、いまの時期はシーズンオフですが、遠路はるばる東京から真鶴まで来ていただいたわけですから、やはり、当地の地魚を賞味していただきたいもの。これが今回のお刺身です。せっかく見ごたえがあったのに、残念ながらピントがあっていません。今回、だされた真鶴の地魚ですが、1.ヒラメ、2.ホウボウ、3.ムツ、4.ウマヅラ、5.アジ、6.タイ、7.イワシそれに、イカとカレイの揚げ物でした。いずれもさばき立てで、鮮度は抜群です。この味を賞味していただきたいんですね。食事どころは、いつもの「まるなか」でした。この日は、土曜日ということもあって、とくにお昼どきは予約の人たちで満席でした。そのホームページです。http://www.ryokan-marunaka.co.jp/さて、今回の真鶴とその近郊案内ですが、1、もちろん、主題のみかん園です。これはみかん園の入口の梅の木です。この写真は少し前に撮ったものですが。梅の花は、満開をすぎて、花びらを散らしていました。香りは、まだ漂っていました。もう一つは、今どきのも柑橘で、清見です。鳥に取られないようにネットを被せてあります。今回、清見を試食してみたのですが、とてもジューシーで、まずまずの味になっていました。そろそろ収穫時に入ってきました。2、ついで、湯河原温泉です。真鶴自体は温泉はないのですが、ここまで来た以上温泉です。近くには、箱根でも湯河原でも、良い温泉がたくさんありますから。ただ、この日は土曜日でしたから、真鶴道路は車の渋滞が始まっていました。東京圏から伊豆や箱根方面へ向かう車で渋滞してしまうんですね。ですから当方は混雑をさけて湯河原温泉を利用させてもらいました。3、最後に、帰り道ですが、小田原の曽我梅林に寄りました。その様子は、一昨日に紹介しましたが。おだわら梅まつりは終っていました。梅園の中央にある模擬店はすでに店をたたんでいましたが、梅の花の方は、まだまだ十分に楽しめました。これが今回のみかん園の案内、地魚と温泉と梅見の、ツァーの様子です。
2014年03月10日
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晩年のルターの回想-『ローマ人への手紙講義』のころエラスムスが『平和の訴え』を出したのは1517年初めころですが、同年の10月31日、ルターは宗教改革のきっかけとなった『95カ条の提題』を提起しました。このルターの提題の基礎には、その前にルターが行なった三つ講義がありました。『詩篇講義』(30歳 1513年8月から15年10月まで)、『ローマ人への手紙講義』(1515年11月から16年9月まで)、『ヘブライ人への手紙講義』(1516年10月から17年3月まで)、この三つです。当方は信仰とは無縁ですが、ルターの提題には面白い部分もありますが、分かりにくい。 命題27 献金箱の中に投げ入れられたお金がチャリンと鳴ると、魂が煉獄から飛びあがるという人たちは人間の教えを説教しているのである。 命題36 真に痛悔したキリスト教徒はだれでも、免償状がなくてもその人自身にふさわしい、罰と罪の完全な許しを得ている。これらはわかりやすいのですが、全体はなかなか分かりにくい。前に『詩篇講義』を読んだ感想を紹介しましたが、これもやはりわかりにくいものでした。そうしたことで、エラスムスに続いてルターについて調べています。もっか、『詩篇講義』につづいて、『ローマ人への手紙講義』を読んでいるんですが、『人類の知的遺産 ルター』(講談社 昭和57年)も、その材料の一冊です。この本の解説で、今井晋氏が紹介しているんですが、ルターが晩年に講義をしていたころに得た悟りを回想している文章を目にしました。今回、紹介するのは、そのルターの回想の抜粋ですが、注目すべきものがあると思います。「はじめ『ローマ人への手紙』第一章を読んで「神の義は、その福音の中に啓示され」とあるのをみて、『神の義』という語を憎んだ。なぜなら私はすべての教会学者などのならわしに従って、これを哲学的に、すなわち神がこれによって義(ただ)しくあり、そして罪人と義しくない者とを罰するところのいわゆる形相的もしくは能動的の義として解するように教えられていたからである。この義にして罪人を罰する神を私は愛さなかった。むしろ憎んだ。それは私はまさに全然一点の非難もない修道士として生活していたものの、神の前に立ってはまったく平安なき良心を抱いてみずからを罪人としてかえりみ、みずからの償いの行いによって神の融和を得られるという信頼にどうしても達し得なかったからである。こうして私は神にむかって憤りを発し、秘かに誹謗するのではなく仰々しく呟いて呼ばわった。惨めな永遠に失われた罪人たちは原罪のゆえにあらゆる種類の禍害を加えられた「十戒」の律法によって呵責されるというのでは足りない。否、神はさらに福音によって古い苦痛の上に新しい苦痛を積み重ね、またその福音によってその義とその怒りとを我々の前に置いて脅かそうとされるのだと。こうして私は狂い悩める良心をもって悶え、そこの箇所でおもんばかることもなくパウロと共に彷徨し、パウロの意味するところは何であるかを知りたいと熱中して喘ぎ苦しんだ。 最後に神の慈悲によって日夜思いわずらった後、私の注意が「神の義は、その福音の中に啓示され・・・これは、信仰により生きる、と書いてあるとおりである。」という語の〔内的な〕関連に向けられるに及んで、私は神の義を、義人が神の賜物によって、したがって信仰によって生きることを得る-その義のこととして解しはじめ、これが福音によって神の義が顕われるという意であり、すなわち義人は信仰によって生きるとしるされているように恵み深い神が信仰によって義たらしめてくださる場合の受動的な義なのである、ということを悟り、識ることができたのである。 ここに至って私はまったく新たに生れ、ひらかれた門を通って天国に入れたかのように感じた。私には忽然として全聖書が新しい相貌を呈した。・・・『神の義』という語を憎んだ私の憎悪がこのように大きくあっただけに、今私の最も愛好する語としてこれを讚め頌える愛もまた大きい。実際パウロのこの個所は私にとっては天国の門となった。・・・」(1545年刊『ラテン文著作集』第一巻序言の中の文-石原謙訳)以上が紹介されている文章です。ルターは1546年2月18日に63歳で死去していますから、この回想は最晩年にあたるものです。講義をしたころのルターは30歳ころですが、かなり一本気でもあり一徹だったようで、その直後に免罪符を売りつけるティッツェルの行為に憤激して95カ条の論題を提起します。その批判は、ついにはローマ教皇のキリスト教全体を正面から相手にしてまでも論争を発展させることになるわけですが。そこには「思想の自由」の問題があります。この序文は、晩年のルターが、当時をふりかえって、そこでの悩みと、そこからついに得た悟りを紹介しています。その悟りが宗教観を一新させたことが回想がされてます。当方は、もっか『詩篇講義』につづいて、『ローマ人への手紙講義』を読みつつあります。この序文の回想は、なかなか刺激的です。少なくとも『詩篇講義』、『ローマ人への手紙講義』から『ガラテヤ人への手紙講義』へとすすめられたルターの講義は、どの様なことが問題意識としてあったのか。どうして「95カ条の論題提題」へとルターはすすまざるをえなかったのか。やがてそれらは宗教改革という大きな社会問題にまで発展していくわけですが。この観点に注目して、当時のルターの思想や行動、社会の動きを調べてみることが、この時代を、歴史を理解するカギと見ました。それは、今日でも学ぶものをもっていると感じています。
2014年03月09日
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梅の花の季節は終りです3月8日、小田原の曽我梅林によりました。当方の真鶴の梅も終りの時期にありましたが、曽我梅林も、やはり梅まつりを終了して、その別所梅林の中央にあるお店もしまっていました。しかし、梅の花はまだまだ健在でした。なにせ小田原の名産、梅干しの産地となっている曽我梅林です。しだれ梅でしょうか、おそらく花梅です。他の梅林と違うのは、35,000本という広大な梅林です。もちろんそれは、観光用の鑑賞が目的の梅林ではありません。目的は、この地域の歴史的な特産品となっている、実梅の生産です。木の太さが、その歴史をしめしています。6月ともなれば、この木にたくさんの大きな梅の実がついていることでしょう。それは、実梅として出荷されることはもちろんですが、梅酒や、梅干しに加工されます。梅の生産地としては、和歌山県の南高梅や、群馬の梅なども、今日知られていますが、当地の梅は、なんたって歴史があります。東海道を、そのむかし徒歩で旅した人たちは、難所の箱根越えをする時に、欠かさずに梅干しのおにぎりを持って行ったと思います。また、戦国時代には、北条家の家訓に、梅干しを携帯することが奨励されていたと聞きます。そうした歴史を背景にした曽我の梅林ですから、この梅まつりの季節には、一度は足を運んでおきたいもの。去年の梅は、当方ではかなりの豊作でしたが、ことしの梅も、今回の小田原梅林を見た限り、順調に生育しているものとみました。この数年には、300キロも離れた原発事故が影響したこともあったり、それまでは順調だった梅が、幼果のころになって遅霜がおり、寒害が発生したりで、あたりまえの、普通の平年の自然が、アクシデントにみまわれる年もありました。普通でない時期を経験させられたのも、この数年です。小田原も真鶴も、規模は違っても、おなじ地方にある梅のことですから、去年に続いて、これから6月の実梅の収穫まで、大事なく平穏に季節が推移してほしいものです。
2014年03月08日
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みかんの剪定講習会はおあずけとなりました本来なら3月1日(土)に剪定講習会が予定されていたのでしたが、あいにくの天気により、実地の講習会は中止となりました。昨年は「JAかながわ西湘」の主宰によるみかん栽培の「初心者講習会」に参加してきました。すでに時々のテーマで何回か開催されて、参加してきたんですが。この時期は、みかんの剪定の季節であり、今回のテーマはその剪定の仕方だったんですが。残念ながら、今回は天候不順で中止となってしまいました。その代わりに、本日、「JAかながわ西湘」から、講習会用のレジメが届きました。みかん栽培にとって、みかんの木の樹形を適切に整えることは、たいへん大事なことなんですね。当方の場合、みかんの木が大きくなりすぎて、しかも木々が狭い土地に過密している為、大事な太陽の光が、肝心の果実に十分にあたらなくなっています。木が大きいと薬剤散布をするのもたいへんですし、収穫作業も脚立だけでは足りなくて、木によじ登っての収穫となります。よろず木を手入れをするのに、これでは効率がよくないんですね。したがって、良いみかんをつくるには、樹形を整えることが肝心です。そのためには、この剪定のワザをみにつけることが大切なんですね。もちろん、あまたの解説書はだされていますが、それを見たとしてもダメです。知識だけでは駄目なんですね。実演から学ぶことが大事なんですね、やはり、枝の見たて、切除すべき枝の判断、この技能を身につけることが肝心なんです。今回は、そうしたことで、JAの「初心者講習会」は、1年先に延期されました。こうなったら仕方ありません。代わりの方法を探ります。誰か知合いのベテラン栽培者に頼んで、その人が剪定しているのを手伝うことで、剪定の技能を学ぶことで、代わりの剪定講習会を持つようにしたいと思っています。
2014年03月06日
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佐渡のカニが、美味しい職場の同僚に佐渡島の出身者がいます。3月は、カニが解禁とのこと、その方の紹介で、佐渡市赤泊の弥吉丸さんから、カニを送ってもらいました。佐渡ヶ島の南側、赤泊港がカニの水揚げ港だそうです。電車の中で汁や匂いが漏れないように、新聞紙やビニール袋で何重にもくるんで持ち帰りました。関東人にとっては、カニはそうそう簡単には食べれません。しかし、今日は特別です。新鮮な茹でたてのカニを、お腹いっぱい、いただきました。カニを食べるのに、いつも実を取るのに悪戦苦闘するんですが、足の先の方から抜くと、スポッと簡単に実が抜け出てくるんですね。
2014年03月04日
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みかん園の2月、作業のまとめ2月は温州みかんの後片付けでした。昨年のみかんの収穫は、表年でもあり、なかなかの豊作でした。みかんの収穫は、早生みかん19c、普通温州86c、それにだんだん園18c(藤中温州)でした。全部で計123コンテナを収穫。出荷は5キロ箱で450個、10キロ箱10個でした。温州みかんの収穫は12月末までにすべて終わり、1月初旬にはみかんの出荷を完了しました。みかんの出荷を終えた後には、1月上旬時点で、選果落ちしたB・C級みかんが11コンテナの残りました。「後片付け」というのは、この20キロ×11コンテナの220キロについてでした。これは、痛み出すものを除いていけば、かなりのもの(約9割)が利用できました。まずは、ジュース用に使いましたが、今回は新たにジャムづくりのレパートリがふえました。「食品衛生責任者講習会」も受講してきました。温州みかんについては、やはり1月中に使い切るのが望ましいようです。ジャムにしておけば、かなり日持ちすることは確かなんですが。やはりジュースについては鮮度が消えて、味が落ちてきます。さて、2月は梅の季節です。梅の花が、今年も綺麗に咲き始めました。メジロやヒヨドリがやってきています。これは、2月1日、みかん園の入口にある梅の木です。そして、いよいよ梅酒の解禁です。残った漬梅を利用して、梅ジャム作りをすすめる時期になりました。『万葉集』でも、梅の歌にはよく雪が出てきますが、今年は2月8日と、14日の2回、記録的な大雪がありました。やはり相性があるんですね。観測史上の最高記録だそうです。大雪が示すように、2月は寒いので、表仕事は限られました。例年なら、マシン油乳剤を散布して年間サイクルを終了するのですが、今年は、気温が低くなったため1月25日で中断してます。半分が残ってます。そのかわり、数本の木で、カミキリムシの幼虫を駆除しました。幼虫がみかんの木を枯らそうとしています。今回、カミキリムシ幼虫の加害もあって、8番の木を植え替えせざるを得なくなりました。これは、みかんの木が密集し過ぎているため、間伐の意味もあったのですが。大きな切り株を抜いたあとには、青島の苗木を植えておきました。その他の柑橘では、ハッサクと伊予柑、レモン、金柑が収穫時になっています。当方は、わずかしかなく、直ぐに無くなっちゃたんですが。そして、1月中に清見に、鳥よけのネットを張っておきました。
2014年03月03日
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ルターの「詩篇講義」(抜粋)を読んで エラスムスの『痴愚神礼讃』を読んで、2月25日に紹介しました。このところ、関東は小雨がふって、土曜・日曜と足止めです。これは、その副産物でもあります。今回は、同時代者の宗教改革者マルチン・ルター(1483-1546年、63歳)についてです。世界史の教科書には、ルターは宗教改革の項に必ず登場してきます。1、信仰のよりどころを聖書に求めた。2、罪ある人はキリストへの信仰よって救われるとの福音主義をとなえた。3、1517年に「95カ条の論題」を発表して、贖宥状の乱売を批判した。などが紹介されてますが。しかし、実際のその著書にあたるとなると、それを読むのは容易なことではありません。当方は宗教、キリスト教とは無縁なものですが、どれだけ理解できるか、挑戦しています。さすがに新教の代表者ルターで、インターネットにも大勢の人たちが紹介を投稿しています。それらを見ると、あえて紹介することも無いようですが・・・。とにかく当方なりに、ルターの講義-「詩篇講義」を読んでみました。ルターの「詩篇講義」は、1513年8月16日(30歳)から15年10月21日まで、アウグスチヌス派修道院の講堂で週に二回、朝7時から、行われたとのことです。続いて、「ローマ人への手紙講義」(1515年11月3日から16年9月7日)が、「ガラテヤ人への手紙講義」(1516年10月26日から17年3月13日)が、ほぼ連続して、この3つの講義が行われたということです。この3番目の講義を終えた直後の、1517年10月31日にヴッテンベルグ教会の扉に「95カ条の提題」を掲示したわけです。これが宗教改革の始まりとされることです。当方が注目するのは、この3つの講義が、エラスムスの社会風刺とどのように重なっているかと、同時に始まる宗教改革とどの様につながっているか、ということですが。当方の手元には、『世界の名著18ルター』(中央公論社 昭和44年刊)と、『人類の知的遺産26ルター』(講談社 昭和51年刊)の2冊があります。ともに抜粋部分は違ってますが、それぞれ三つの講義が紹介されています。ここでは、『世界の名著』版で「詩篇講義」を紹介します。訳者の笠利尚氏によると、ワイマール版の第三巻・第四巻からの詩篇講義だそうで、ここでは36か所分の注釈が紹介されています。全体の15分の1くらいの抄訳とのことです。そもそも『詩篇』は旧約聖書の1つです。ルターの時代、すでに中世に『聖書』を理解する方法として、四つの意味から理解する仕方があったそうです。P387の注1で紹介されていますが、字義的意味、比喩的意味、転義的意味、究極的意味、この4つです。抜粋の全体を見たかぎり、ルターはそのすべてをキリスト(救世主)に関連させて解説しています。キリストが登場してくることの人間にとっての意味(転義的意味)ということから、そもそものキリストの歴史的意味(字義的意味)を明らかにしようとしています。ルターはいろいろな点を注釈していますが、その問題の一つに「神の義をどうとらえるか」が大きな問題となったそうです。ルターは晩年の回想で、「ローマ人への手紙」で「神の義の啓示は、その福音の中に掲示され...」とあるのをみて、初めは「神の義」を憎んだとのこと。神が正しくて、十戒に加え福音でも自分もふくむ罪びとを罰するものととらえたからだそうです。神の厳しい審判ととらえ、自分自身をさいなんでいたようです。それが悟りを開いて、大きく転換したとのこと。その「神の義」が、「詩篇講義」の、第71節19行目(P401-402)に出てきます。使徒の諸書を理解しようとする人は、つぎの様に転義的に理解すべきである。「真理、知恵、救い、義は、それによってわれらを力強き者、救われた者、義なる者、知恵ある者などにするものである。神の義は、転義的にはキリストを信じる信仰である。なぜなら、ローマ書(1-17)に、『神の義は福音の中に示され、信仰に始まり信仰に至らせる』とあるからである。そして、これが聖書におけるもっとも一般的な用法である。」と。大分きいていたことと調子が違います。どうやらルターは、この時には大きな悟りが開けた後のようです。率直に言って、私などには何を言っているのか、何が問題なのか、さっぱりわかりません。ここの理解の仕方の飛躍において、宗教改革の基礎ともなる大きな転換があったとのことですが、それがどんな転換なのか、私などにはよくわかりません。おそらく問題は、「ローマ人への手紙講義」から「ガラテヤ人への手紙講義」などにすすむに従って、より鋭く、より明確になってゆくでしょうが。それによって、少しは分かってくるかもしれませんが。それは、まだちょっと先のことで、まだ分かりません。エラスムスの社会風刺との関連ですが、冒頭の節からして、律法者は律法による罰則を恐れから、いわば外的強制によるのに対して、キリスト者は自由で、自発的で意欲的なもの、内的なものが大切になってくる、といったことを指摘していますが。やはり随所に重なるものがあると、感じています。今回は、ここまでです。
2014年03月02日
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