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梅とラッキョウは価格はいくらなのか 梅とラッキョウの収穫が近づいています。それはすでに東京の八百屋さんでも店頭に並びだしています。 いったい、その価格はいくらなんでしょう? 5月30日、職場の帰りに、その価格をリサーチしてみました。 東京・板橋区の志村坂上の八百屋さんでのことです。 梅は、小田原産の白加賀で、1キロが850円でした。 青梅ですから梅酒用です。 初物ですから、まだ値段はかなり高い。 それとも今年は裏年のため、全般的に品薄で割高なんでしょうか。 当方も、梅の木があって、実をつけてくれます。 去年は豊作だったんですが、どうも今年は少なさそうです。 これは神奈川県西部・真鶴ですから、梅の産地・小田原の近くです。 これから梅酒と梅干づくりを楽しみにしています。 もう一つ、ラッキョウです。 ラッキョウは2種類が店頭に出ていました。 鹿児島県産のドロラッキョウが450円。 鳥取砂丘のラッキョウが700円でした。 ラッキョウは、鳥取砂丘の特産品として有名なんですね。 砂丘のようなところでも立派に生育するんですから、すごいものです。ともに太くて大きな出来で、すばらしい。 ラッキョウの栽培は、当方の定番にもなっています。 何たって砂丘でも出来るくらいですから、どこでも栽培できるわけです。 ラッキョウは失敗しらずで、素人でもいっぱしの農夫気分を味わせてくれます。 もっとも、「エシャレット風ラッキョウ」で、かなり細めなんですが。 梅とラッキョウ、購入したとすれば、このくらいです。買った方が、交通費と草取りの汗もいらないので安上がりなんですが、なにも安いだけがものづくりの絶対的な価値基準ではありません。苦労して自分で育てたものは、何よりの得難い最高のものです。梅とラッキョウ、ともに収穫は6月、もうすぐです。
2014年05月31日
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梅雨が近づき、みかん園は草刈りの時です この時期の課題ですが、みかん園に限りませんが、 梅雨の間近なこの時期は、ひと雨ごとに雑草が繁茂してきます。 とくに日当たりのよいところは、なおのこと繁茂してきます。その草刈りが、ひと苦労となります。 雑草の生育は、元気そのものです。 草は繁茂していきますが、それにまだ太刀打ちできていません。 それがこれからの作業です。まずは、小木の根回りの草取りから始めて、 つぎに、日当たりのよく、成長著しい部分の草刈りに臨みます。 5月24日、みかん園に向かう途中、この時期の富士山です。 小田原から見た富士山です。 鮮明な姿の富士山とはしばらくお別れです。その様子は梅雨が近いことをしめしています。 それは草木が喜ぶ季節です。 人はだいたいこの時期のジメジメした季節を敬遠するものですが、 草木にとっては、この時期が一番生き生きとして、生命力に富んだ時となります。 これから休日農夫は、この草取りと草刈りの労働に汗を流すこととなります。 草刈り作業-みかんの木を育てるためには、この難行苦行は避けて通れません。 ほんの10分間でも草刈りすると、もう全身汗ビッショリになるんですが。 一度にはとても無理なんですが、体力と相談しつつ、 何回かに分け、地面に這いつくばって格闘することとなります。 まぁ、これが秋に美味しいミカンをつくるためには、 この時期に取り組まなければならない大仕事です。
2014年05月30日
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ねんのため、ミツバチの分蜂に備えて 神奈川県西部・真鶴のみかん園に二ホンミツバチが移住して一か月がたちました。 4月26日に千葉県市川市からやってきたのですが。 この一年は、無事にこの地に定住してくれることが最大の目標です。 真鶴で同じように二ホンミツバチを養蜂されている方が2人います。 そこではいずれも、この4月下旬から5月中旬にかけて分蜂がありました。 当方は来たばかりですから可能性は少ないですが、念のため分蜂対策をとりました。 当方の分蜂対策ですが、 第一は、『待ち箱』を設置したことです。 もっともこれは、去年9月にこの春用に用意していたのですが。しかし、その時は肝心のミツバチが、移住1か月半にして逃去しちゃったんですね。 第二は、キンリョウヘンを置いたことです。 待ち箱の隣に置いておきました。 かりに分蜂があったとしても、私などがいない時でしょうから、すべてはキンリョウヘン頼みといったところです。 第三は、補虫網をつくったことです。 分蜂した時に立ち会えて蜂球をつくっていたら、この網で捕獲しようというものですが。まぁ、そんな機会はなかなか出会えないとは思っていますが。特製品で原価は1000円以下で出来ました。 第四に、分蜂についての予備知識です。 当方が参考にしている著書が何冊かあります。 その一つ、『二ホンミツバチが日本の農業を救う』(久志冨士男著 高文研 2009年6月刊)です。 その中から、分蜂にかんすることをピックアップしてみました。 1、3月下旬から5月末までが分蜂の時期。 最初の一年はミツを採ることは考えず、ハチに親しむことを目的にすること。 2、次の年にはそれが分蜂するので、待ち箱を四、五箱準備する。 3、元気な群れは3,4回分蜂する。嬢王蜂の分蜂のあと、5日ないし7日で長女の嬢王蜂が分蜂する。 4、午前9時から午後3時までのまでの間。 5、分蜂し枝に下がったのに、待ち箱に偵察蜂が来ない場合があるが、遠くに移動しようとしている場合で、20パーセントくらいがそうなる。 6、オオスズメバチは秋の気配が感じられるようになると来出して、いったん現れると毎日来て、11月末までつづく。 7、一般に二ホンミツバチは分蜂により三倍に増えるが、一年後には三分の一にもどる。嬢王蜂の寿命が二年半で、三分の一は寿命がつき、三分の一がオオスズメバチに滅ぼされるから。こうした、まわりでの具体的な経験と、ベテランのアドバイスを参考にして、みかん園へミツバチが定住してくれるよう努力していくということです。
2014年05月29日
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梅シーズンを前に、梅ジャムづくりです 梅酒を飲んでいると、つけてあった梅がたくさん残ってしまいます。 この時期、その梅をつかって、梅ジャムづくりをしています。 これが梅の年間サイクルの最終段階です。今年も6月の、梅の収穫月が近づいてきました。昨年の6月に収穫した梅ですが、毎年梅は、梅干と梅酒づくりにあてています。その梅酒ですが、年がかわって1月に解禁しています。 問題は、梅酒を飲んだ後に、つけてあった梅がたくさん残るんですね。これをどうするか、ということでした。 当方は、その梅を使って梅ジャムづくりをするようにしています。 今回は、その梅ジャムづくりを紹介します。 1、はじめに漬け梅を煮立てて、アルコール分を飛ばします。 2、それから種を除いて、果肉を集めて煮込みます。 そこに果肉の正味の2割くらいのグラニュー糖を加えます。そのグラニュー糖の量はお好みですが。 焦がさないように混ぜながら、グラニュー糖は何回かに分けて加えます。 それにレモンの果汁を少し加えれば、なお結構です。 30分くらい煮立てるようにすれば、 梅ジャムの出来上がりです。 梅は、万花にさきがけて、早春に花と香りを楽しませてくれます。そのころ、1月-2月は、みかんをつかって、みかんジャムづくりでしたが、 そのみかんの花が咲く5月には、梅酒の梅をつかって、梅ジャムづくりです。うめとみかんは、季節が反対ころになりますが、ともに、花とかおり、そして果実を楽しませてくれます。
2014年05月28日
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みかんの花が散った後のみかん園です 神奈川県西部、真鶴のみかん園の様子です。 今年のみかんの花のピークは5月14日頃でしたかが、 すでに花びらは散りましたが、5月24日、その後に「玉に抜く」幼果が残っています。 花びらは散ってしまいましたが。その木です。この木は、花を全体につけていた木です。つい2週間前には、この花びらは散って、今はもとの濃緑色の木にもどりました。 緑色の幼果は、葉の緑色に包まれて目立たなくなっています。 それでも近づいて見ると、幼果をたくさんつけているのが分かります。 この幼果が全部育つわけではありません。「ジューンドロップ」といって、生理落果があり大半は落ちてしまいます。 その時期をくぐり抜けたものが、秋に向けて肥大化を始め出すわけです。 『万葉集』には、こうしたみかんの様子をうたった歌がたくさんありますが、 この「玉に抜く」幼果をうたった歌もいくつもあります。 巻八・1502 五月の花橘を君がため 玉にこそぬけ散らまく惜しみ 大伴坂上郎女 巻十・1967 かぐわしき花橘を玉に抜き 送らむ妹にみつれたもあるかこの時期のみかんの機微をよく観察しているでしょう。愛着のほどがつたわってきます。 ところでこの時期は、梅雨も近づいて、ひと雨ごとに雑草が繁茂してきます。 この時期は草取りが大事な仕事になります。 大仕事の草刈りが待っています。ここで手を抜くと、野菜でも、みかんの苗木でも、雑草に埋もれてしまいます。 「みかん栽培」というのは、とどのつまり草刈り作業なんですね。 すでに日中は、夏日になっていますから、 この時期の草取りは、ちょっと動くだけで、もう汗びっしょりの難行苦行です。 さて、5月24日の、春本番の富士山です。 みかん園に来る途中に、平塚から見たものです。春霞がかかってボヤーとしていますが、雪がかなり減ってきたことが分かります。
2014年05月27日
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小梅を使って、最初の梅酒仕込みです いよいよ梅のシーズンが近づきました。 5月24日、小梅が早くも収穫の時となりました。 小梅は受粉用ですが、他の梅より一足早く収穫時をむかえました。 去年の小梅の収穫は、失敗しました。「梅の収穫は6月」と予定していたら、 小梅に関しては、それでは遅すぎて、大方を落果させてしまいました。 今回、小梅については、期日にこだわらず、実状を見て収穫することにしました。「小梅は、他の梅に比べて収穫時が少し早い」ということです。数日の違いで、なくなってしまいますから。昨日・25日、その小梅を使って、梅酒に仕込みました。これが今年最初の梅の収穫作業となりました。 ところで、この時期は、梅の枝にカイガラムシやアブラムシが繁殖し始めます。それは雑草以上に急速に繁殖しますから、注意が必要です。小梅の枝のある個所で、カイガラムシとアブラムシを見つけました。黒い大きめの虫は、1センチくらいですが、これは益虫です。アブラムシを食べてくれているのですが。 なるべく薬剤を使わないようにしているんですが、 これらが広がると、梅の実が使い物にならなくなりますから、 ピンポイントで駆除しておきました。 これから、6月に入ると本格的な梅の収穫です。 南高、豊後、白加賀などは、これから実が大きくなりだします。やはり梅というのは、梅雨の時期が収穫期なんですね。ひとは梅雨のジメジメした時期を嫌いますが、植物を見ていると、ひと雨ごとに見違えるように生き生きとしていきますから、農夫はその到来を楽しみにしています。待ちどおしくもなるから不思議です。 そのひとつ、雨を待っているシソです。 梅干しづくり用に、赤ジソを種まきしておきました。やはり、梅干しづくりにはシソがかかせませんから。この時期シソも、水が欠かせません。雨がなければ、水をはこんで、まかなければなりません。雨は、その手間をなくして、寝て待つだけにしてくれます。雑草を取りさえすれば、ひと水ある度に大きくなっていきます。梅干しづくりの役者たちが、今そろいつつあります。
2014年05月26日
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5.24ミツバチの様子 5月24日、真鶴では、みかんの花の季節が終わりです。二ホンミツバチを飼っている三か所を見ることが出来ました。まずは、当方のミツバチたちの状況です。 朝一番でもミツバチたちは黄色の花粉を小脇に抱えて帰ってきていました。今回は、思い切って巣箱のふたを開けてみました。 前よりも巣が大きくなって、4枠目でも巣作りしていました。 側面からは新しい巣がみえました。 4月26日に移住して4週間目になりましたが、 順調に新たな環境に適応しているものと見ました。 次に2番目は、真鶴半島の中ほどのSさんのミツバチです。Sさん2年目ですが、この春は大きなドラマが続きました。分蜂してミツバチの群れが増えたんです。これは重箱式の巣箱です。㋄16日に分蜂して1週間でこれだけ巣を大きくしたのには、びっくりでした。 Sさんところでは、冬を1群が自然の中で越してきたんですが、4月26日には分蜂してきた巣玉をとらえたのに始まり、5月1日には自分のところが分蜂して3箱になりました。また、5月16日にさらに4群目、こうなるとSさんは立派な養蜂家です。 もう一人のIさんの養蜂所を訪ねました。 やはり真鶴半島の中央部で、二ホンミツバチを飼われています。 「ちょうど今日は巣箱の中を見ようと思っていた」と、 内検、巣箱を開けて巣枠の様子を調べてみました。 こちらは巣枠式の巣箱を使ってます。ですから、巣枠を1枚1枚を取り出せるんですね。上部の薄い黄色が貯蜜の巣部分で、その下の黄色の濃い部分で子育てをしているんだと思います。やはりたいへん活発で、 巣枠は4枚目くらいまで巣づくりがすすんでいました。 どれが嬢王蜂か、当方としては目を凝らしたのですが・・・、分かりませんでした。お二人のミツバチ飼育の様子は、当方としては大変参考になります。当方の目標は、この1群がみかん園で1年間を無事に過ごしてもらうことです。お二方の様子を見させてもらい、必要な手当てと問題が見えてきます。近々、巣枠を取り出して、その様子を確かめてみるつもりです。
2014年05月25日
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さっそくキイロスズメバチがやってきました みかん園にミツバチが移住してきて4週間がたちましたが, そのミツバチにはいろいろな障害があります。 その一つは、スズメバチです。 これは、キイロスズメバチです。 小屋にまぎれこんできました。ここで蜂蜜づけの作業をしたのですが、その香りに誘われたんでしょう。 さっそく1匹、翌週にはさらにまた1匹と入り込んできました。 まだ、ミツバチの巣箱の周辺でのスズメバチは、 10メートルくらい離れて、キイロスズメバチが飛んでいるのを見ました。 この時期は、まだミツバチに手を出すような事態にはありませんが。 しかし、去年の経験からすると、 9月を過ぎるようになると、おもにはキイロスズメバチでしたが、オオスズメバチも含めて、ミツバチの巣箱の周辺をうろつくようになります。ミツバチ自体や巣箱の内の蜜を狙って、執拗にやって来るようになります。そうなると、対処しなければならなくなりますが。 今回のキイロスズメバチは、まだ偵察飛行の悠長な段階です。それでも、早速にして周囲に登場しだしたということです。
2014年05月24日
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群馬の湯宿温泉に泊まりました 5月20日-21日に群馬に行ってきました。 宿泊は、以前にも紹介したことのある湯宿温泉の金田屋旅館でした。 この方面に来た時は、よく利用させてもらっています。 金田屋旅館のホームページです。 http://www.yujuku-kanetaya.com/ 群馬県にはたくさんの温泉がありますが、 湯宿温泉は、三国街道沿いにある湯宿を中心にした小さな宿場町です。今回は車だったので、周辺をドライブしてみました。 この街道をさらにすすむと三国峠を越えて、新潟県の越後湯沢に通じていました。群馬から新潟への県境に近いんですね。歴史ある街道です。谷間には、わずかですが残雪が残っていて、峠の道は、新緑が「萌いずる」の、はじまりだしたところでした。 湯宿温泉は、その三国街道沿いにありますが、車の幹線道路と、生活道路が別になっていますから、 車の騒音もなく、いたって静かな温泉中心の小さな集落です。 ゆっくり温泉を楽しめるし、宿の人たちのサービスも暖かですから、 のんびり、ゆったりとひと時を過ごすには、いち番なんですね。 私なども、この夜は9時間もぐっすりと寝させてもらいました。 湯宿温泉は、街全体が温泉を大事にしています。 この集落の中に、いくつも共同浴場があります。 金田屋旅館のすぐ向かいにも、共同浴場の一つがありました。 これらの共同浴場は、地域の共同管理になっているようですが、町の人たちはもちろん、 ふらっと立ち寄った人たちでも、 一声かければ鍵を借りれて、利用できるようになっています。群馬はやはり温泉が豊かだということを、この湯宿温泉も示しています。
2014年05月23日
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群馬・高崎で前方後円墳-八幡塚古墳をみてきました 5月20‐21日、上さんの郷里の群馬に行ってきました。 その途中、前橋インターをおりて、「かみつけの里博物館」(群馬県高崎市井出町1514)に寄りました。 あいにく、行った日が火曜日だったため、休館日だそうで中を見ることは出来ませんでした。 この博物館は、「保渡田(ほとだ)古墳群」のなかにあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B8%A1%E7%94%B0%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4 解説してくれるはずだった博物館は見れなかったのですが、 その代り博物館のすぐ向かい側にある古墳の一つ、「八幡塚古墳」を見ることが出来ました。 この八幡塚古墳は、前方後円墳で、元の形が復元されて現地保存されていました。 古墳の長さが102メートルとのことですから、かなり大きな古墳です。 すぐ近くに「二子山古墳」「薬師塚古墳」と、3つの大きな前方後円墳があるんですね。 「前方後円墳」というと、私などの認識では、奈良や大阪の関西のことで、「あずまえびす」とされた関東では、せいぜい防人に駆り出されるくらいのへき地で、関東には前方後円墳などはないもの、とおもっていたのですが。 実際はちがうんですね。この群馬県高崎市あたりにも、前方後円墳をつくる勢力、文化があったんですね。五世紀後半から6世紀前半ころに造られたのだそうです。 それ以上のことは知ることは出来なかったのですが。 この八幡塚古墳の周りには多くの埴輪が埋められていたそうです。 特にとりまく堤の一角からは、人物や動物の埴輪が50体以上もかたまって出てきたそうです。 それが復元されて並べられていました。これがその案内プレートです。そこは、鎧をつけた人物がいたり、お相撲さんや、弓で狩りをしている人、鞍を置いた馬や、シカや水鳥、などさまざまな埴輪で、当時の生活を伝えてくれるものなんですね。 お相撲さんがいるのがわかりますか。この古墳によったのは、当方にとっては、たまたまでした。近くに群馬出身の「歴女」がいるんですが、 そのつれづれの散策によっての古代の歴史発見でした。
2014年05月21日
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ラッキョウとシソ、ミニ菜園の草取り 5月17日、ミニ菜園の草取りをしました。 この時期の雨は、植物にとっては大喜びです。 一雨ごとに植物が繁茂しています。 ラッキョウとシソのミニ畑ですが、すぐに雑草の畑となってしまいます。これはラッキョウの畑です。 何度も草取りをしてあるのですが、それでもどこに肝心のラッキョウがあるのか、分からなくなります。今回もラッキョウの草取りをしました。草取りした後は、寄せ土をして水撒きをしておきました。おかげでラッキョウ10株とニンニク2株が引き立つようになりました。こうしておけば、この時期の雨は天の恵みとなります。 ラッキョウは鳥取砂丘や高知の砂浜でも育つくらいですから、どのような環境でも、ほとんど失敗しらずの作物です。 6月が収穫の時ですが、その時が近づいてきました。 八百屋さんの店頭には、立派なラッキョウが並びはじめています。 もう一つの栽培は、赤ジソです。春分の日のころに、シソの種まきをしたのですが。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201403240000/この間に植え替えをしたのですが、ここも、今回は草取りをしておきました。 先日、植え替えをして、間隔をあけておいたのですが。 間引きした芽を捨てるのがもったいないので、分散させるように植え替えしたのですが、どうも間引きで植え替えしたものより、間引きで残った方のが、成長力が強いようです。これも、こうしておけば、雨は大歓迎です。 この赤ジソは、梅干づくりに使おうと予定しています。その相方の梅の方はどうかというと、葉の影に実は隠れていますが、梅の実は、今徐々に生育しつつあります。これから6月になれば、梅雨の時期に入っていきますが、 つゆは「梅雨」と書くように、梅の収穫の時となります。6月の梅雨の雨の中で、梅の実は収穫の時期となります。この赤ジソの成育が、葉の収穫が、梅の収穫と、うまくタイミングがあってくれればよいのですが。はたしてどうなるでしょうか。
2014年05月21日
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前進座の五月公演『お染の七役』を見てきました もとの演題は『於染久松色読販』、「おそめひさまつうきなのよみうり」と読むそうです。 5月18日午後、前進座の五月公演、国立劇場でした。 日本共産党後援会の観劇会に参加させてもらいました。 日ごろは草取りの休日農夫としては、文化的なことは珍しいのですが。 原作は、鶴屋南北という人で、江戸時代の文化文政時代に活躍した人だそうです。 http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/2/2_08.html 江戸時代の文化、歌舞伎が今でも楽しめるというのですから、 すごいですね。 表題は「お染の七役」とありますが、 話の筋は、商家の娘・お染が、丁稚の久松に恋するというものですが、ゆすりの悪役が、失敗する場面もあります。 お染役の河原崎国太郎が、ゆったりした流れの中で、同じ役者が久松をはじめ、瞬時に七人の人物に早変わりするんですね。 何度も変身していて、全部で二十数回も早変わりしたとのことです。 この早変わりが見事で、からくり人形の変身ようでした。それでいて全体は、ゆったりと優雅な歌舞伎をたのしませてくれるんですから。「なるほど」と納得でした。 当方、歌舞伎を観賞するなどということは、めったにないのですが、 河原崎国太郎という人は、ずーっと以前に見たことがあります。それはお父さんの代の国太郎さんだったんですね。何を見たかは忘れたのですが、風貌の記憶はあります。 今は若手の河原崎国太郎に変わっていました。 ちっとも知らなかったんですが、1998年に今の六代目河原崎国太郎に引き継がれたのだそうで、その16年前の襲名披露演目が『お染の七役』だったのだそうです。 今回の観劇では、座席が花道の近くの六列目ということでしたから、 音曲部屋での演奏もすぐ近くで、歌いや三味線がベンベンとなまで響くように伝わってきました。 また花道での演技は、ほんのすぐ近くでのことですから、役者の表情の迫力も伝わってきました。 花道の側を振り向いたり、相手方の舞台正面を見たり、首をキョロキョロ180度以上を何度も回転させるところとなりました。 とくに花道の役者さんは間近かでしたから、表情や息づかいが、生ならでわの迫力で伝わってきました。 「ここちよく眠気にさそわれる」どころではなく、がっちりと向き合わされてしまい、こっちもあっちもと全体をみようとして振り回されました。 まぁ、これもなまの舞台公演ならでわの魅力であり、楽しさでした。 やはり生の演劇は、素晴らしいですね。優雅なひと時でした。
2014年05月20日
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みかんの表年の木と裏年の木ですが みかんの花の様子から見た、表と裏の木をみてみました。 前にも5月9日に蕾のつき方から、表年と裏年の木の違いを紹介しましたが、 今では、開花の状況からも、それを見ることが出来ます。 これは、表年の木です。遠くから見ても、花が見事なことがわかります。 こうした木が見れるのを心待ちにしていました。 遠くからでは花はわかりにくいので、枝に近づいて見てみました。 花はよい香りをただよわせていて、安らぎを与えてくれます。 やっぱりみかんの花は素晴らしいですね。しかし、今年はこうした木が2本しかない、少ないんです。 他方、こちらは裏年の木々です。 早生の木ですが、まったく花がついていません。 去年は、かなりたくさん実をつけた早生ですが、樹上で完熟させようとして、おそい時期まで果実を木につけておいたのですが。 それがよくなかったようです。樹勢が回復できなかったようで、その反動が今年に来ました。 極端なくらい、蕾をつけていません。 いつまでもならせておくのは、木にとってはよくないということです。 早生の木だけではありません、普通温州の木もそうなんです。わずかな枝に、わずかな花をつけただけです。木全体には、花の数が少ない。 みかん園の全体をみると、早生の木で表が1本で、あとの4本は裏です。普通温州の木は、2本の木だけが表年で、他の多くは裏年のようです。 ようするに今年は、当園に関しては裏年だということです。地域的にも一般的な傾向がありますが、それ以上に当方の場合は、素人栽培では、それが極端に出てくるということです。おそくまで、たくさんの実をつけていた問題、管理の仕方が問題だったようです。 甘く完熟したみかんを提供しようとしたために、その反動をきたしたようです。 みかん農家では、摘果などでみかんの数を調整して、木の負担をへらすようにして、極端な表裏にならないよう管理を工夫しています。そこが、プロと素人との技の差というものでした。当方は、摘果などには手が回らないのですが、これからは三分の一くらいの木を表年にしよう、3年はかかりますが、これが反省から出てくる目標です。
2014年05月19日
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みかんの花びらが散りつつありますみかんの花をたくさんつけていた木でしたが、5月17日には、その木の下に花びらが散りだしていました。花の季節が峠を越したようです。『万葉集』巻十五・3779 我が宿の花橘はいたづらに 散りか過ぐらむ見る人もなしに 中臣宅守 今年は、5月7日に最初の開花を確認しましたから、10日間くらいが、花の季節ということになります。しかし、まだまだ、これから咲き出す蕾もありますし、花の香りは、あたりにただよっています。しかし、それでも全体から清楚な純白感は消えています。散りかけた枯れた花弁がまじっているからです。そうした枝先の花を見てみると、花弁は茶色に枯れていて、散りはじめています。しかし、そこが自然のすごさですが、花びらの中心には小さな緑の幼果が生まれています。やはり『万葉集』から、大伴家持の歌の一つです。 我が宿の花橘は散り過ぎて 玉にぬくべく実になりにけり 巻八・1489万葉の人たちはたくさんの花橘の歌を残しています。御所の正殿にも橘の木を植えたりしています。私が数えても52首はあります。 花の移り行きをよく観察していたことが、それらの歌から伝わってきます。政治の有力者にして、花橘をめでその機微をとらえて、正直に想いを残していたし、それが残っているんですね。昔と今とは、単純に比較はできませんが、ペラペラと、軍事力をしきりに行使したがる人などと比べると、あるべき姿勢のボタンが掛け違っています。
2014年05月18日
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巣箱の隣にキンリョウヘンを置きました5月17日、千葉の松丸農産さんからキンリョウヘンを分けてもらいました。これが、本日の長旅による結果です。キンリョウヘンというのは、ランの一種です。ミツバチが、この花の香りが大好きなんですね。そこで、待ち箱の一つの隣に置くようにしました。その待ち箱の置かれている位置です。隣のみかんの木は、今が満開です。今年は花をこれだけ全面的につけた木は2本だけなんですが。そのうちの1本の木の下に、その待ち箱を置いてあるのですが。ミツバチたちが、この満開のみかんの花のなかを、花から花へと、活発に花粉を集めに飛び回っています。花の命は短く、あと一週間くらいで花弁は落ちちゃうんですが。景観としては、取り合わせはよいのですが、これだけでは、ミツバチは木の下の待ち箱に来てくれません。やがてミツバチたちは、分蜂するはずなんですが。実際、真鶴半島の中央部で養蜂されている方のところでは、すでに紹介しましたが、4月26日と、5月1日に分蜂しています。当方の場合、常駐しているわけではないので、分蜂が起きたときには、キンリョウヘンの力を借りて、隣の待ち箱を住まいとして選択してもらうために、こうした手立てを講じたわけです。うまくいくかどうかは、分からないのですが。ピンボケの写真ですが、これがキンリョウヘンです。ランの一種だと思います。このキンリョウヘンの花のだす香りが、ミツバチたちが大好きなんだそうです。今、ミツバチたちは、せっせと花粉集めに飛び回っていますから、そうした分蜂が起こるのは、まだ先だと思っているんですが、それがいつかは、わかりません。もしもの場合に備えて、今回の対処をしたわけです。今日は、早朝5時発で八王子から千葉へ、そして千葉から真鶴へと、190キロの長旅だったんですが。途中の小田原SAからは、富士山がよく見えました。午前9時7分の富士山です。富士山の全体が真っ白だったころと比べると、ここへきて大分雪が溶けました。宝永山から下側は、大方の雪が溶けて、火口の形がわかるようになりました。下界の気温が初夏を思わせるように暖かくなってきたことを、富士山の雪の様子が示してくれてます。
2014年05月17日
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ミツバチの巣箱を紹介します みかん園に置いた巣箱で、ミツバチの活動が始まっています。花の花粉を集めて、ミツバチが巣箱に帰ってきています。 前回紹介したように、今はみかんの花のシーズンで、ミツバチたちは、大忙しです。そのミツバチの住まいですが、当方には2種類の巣箱が、全部で5つ置いてあります。このうち蜜蜂が住んでいるのはひと箱で、あとの4つは待ち箱です。 いつミツバチが分蜂しても大丈夫なように、住まいを用意しているわけです。 これがミツバチたちの新居です。これとは別に、久志冨士男氏の考案による重箱式の巣箱があります。去年、『我が家にミツバチがやって来た』(久志冨士男著 高文研刊)を読んでいたら、そこで紹介されていたので、さっそく取り寄せました。近くの材木屋さんで、板を入手して類似のものをつくってみたら、材木の板取の関係で、二つも出来てしまい、全部で久志式が3つになってしまいました。この間、久志式を改良して、中身を巣枠式に変えてみました。もともとは重箱式の巣箱で、見ての通り3段のものでしたが、これだと、一段分ずつしか対処できません。かりに蜜がたまったとしても、一段ずつを単位に取らなければならなくなります。それでは、ミツバチたちにとっても大事になってしまいますから。もっとも、すべては「取らぬ狸の皮算用」ですが。 そこで、この重箱式巣箱をつかって、全体の枠組みはそのままに、3段を固定して、中身を巣枠式に改造してみました。これがその中身です。 もちろん中はまだ空家です、待ち箱ですが。こうして、重箱式を巣枠式に改造したわけです。これなら、巣枠の一枚だけでも取り出せますから、大きく壊さなくても、蜂蜜を採取できるはずです。こうして、いつミツバチが来てもよいように、新たな巣箱の準備だけは、用意してあるというわけです。
2014年05月16日
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みかんの花が満開になりました5月14日、今年もみかんの花が満開になりました。去年に比べると、今年の開花は1週間から10日くらい遅いのですが。みかん園の全体としては、今年は裏年で、花をつけている木が少ないのですが。その中で、とくに2本の木ががんばっていて、こうして見事に花をつけています。今、当たり周辺には、みかんの花のよい香りが漂っています。今年の花の季節の特徴は、二ホンミツバチが、新たに加わってくれていることです。みかんの花の間をミツバチが飛び回って、大活躍をしてくれています。ミツバチは、すっかり花粉集めに集中していますから、人が近づいても、おかまいなしですから、カメラのシャッターチャンスが、たくさんできます。見ていて飽きることはありません。ミツバチが花粉を集めるときに、みかんの花の受粉をしてくれているんですね。花々の間を細かく飛び回ってくれていますから、きっとこの木は、いつも以上に小さな実がたくさんついてくれると思います。結果が楽しみなところです。みかんの花粉を集めたミツバチですが、黄色の袋を両方の小脇に抱えて、巣箱に帰ってきます。この時期は、働き蜂は大忙しです。次々と、花粉を抱いて帰って、さっと巣箱の中に消えてゆきます。そして、別の蜂が花粉を求めて、次々と飛び立っていきます。じつに働き者です。このミツバチたちは、みかんの花が咲く直前、4月26日に移住してきました。ゴールデンウィークで道が混み始めた初期のころでした。その苦労の甲斐がありました。移住してから、ほどなくみかんの花が咲き出しましたから、じつに良いタイミングでした。みかんの花の季節は、きっとミツバチたちにとっても最高の季節だろうとおもいます。当方としても、この時期に間に合ってくれたので、ほっとしています。問題はこれからですね。まもなく、みかんの花の季節は終わります。当方が提供できるのはそこまでなんですが。春はその他にもいろいろな花々が咲いていると思いますから、きっとミツバチたちは、いろいろな仕事場を見つけ出してくれると思います。この地にミツバチたちが定住してくれたら、最高なんですが。当方としても、遠路出かけるのに新たな張り合いがわいてくるんですが。
2014年05月15日
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『矢内原忠雄-信仰・学問・生涯-』 (岩波書店 昭和43年刊)を読んで 5月13日朝のニュースでは、「安倍首相は憲法解釈で、集団的自衛権の行使を認める有識者懇談会の報告を受けて、その夕方に政府方針を指示する」ことが報道されていました。 第二次大戦の結果によりつくられた日本国憲法の平和原則を、首相見解によって戦争が出来る国にかえてしまおうとの動きが突っ走ろうとしています。 そうした折も折、『矢内原忠雄-信仰・学問・生涯-』を読みました。戦後日本の憲法の平和民主の原則が、どのような国民の議論の中でつくられてきたのか。 この『矢内原忠雄』にも、そうした精神が刻まれているのを感じました。 矢内原忠雄は1893(明治43)年愛知県に生まれ、1961(昭和36)年に68歳で亡くなっています。内村鑑三の流れを継ぐ無教会派のキリスト者だったんですが、帝国大学の経済学部教授でもありました。国を挙げて戦争への流れにあった時、この戦争は不正であり、日本は敗北すると主張したことで、帝国大学から辞職させられたんですね。戦後は東京大学の総長を務めています。 どうしてこの本が、手元にあるのか、経緯は忘れたのですが。 この本は、693ページ、のべ153人の接点のあったひとたちが、矢内原忠雄が死去した後に、その人柄と業績についてを語られたものを集めたものです。全集の月報に寄せられたものもふくめて、1968年(昭和43年)に刊行されています。それぞれの人が矢内原忠雄の側面を語っているんですが、そこにはその時点の有識者の貴重な意見が表明されています。 当方の最近では、矢内原氏の『余の尊敬する人物』(岩波新書 昭和15年刊)の冒頭にある「エレミヤ」を紹介したんですが、その時は著者の人となりはよくわかってはいなかったんですが、これを読んで、あらためて全体を読み直してみたくなりました。 この本の「まえがき」で南原繁氏が書いています。「彼の死後、祖国は種々の点において変貌を遂げつつある。その最も憂えられるのは、敗戦を境として、われわれが一旦誓った精神的変革と自由の理念の後退、ないし退嬰である。新しい民主政治の体制には必ずや新しい精神が盛られなければならない。(この書や全集が日本の再建に役立つことを願う)」と。 最後に矢内原恵子夫人が語っています。「戦争たけなわで国を挙げて勝利をうたう時、戦争の不正を、そして必ず日本が敗北することを、ちまたにさけびました。」これらを書いた人たちの多くは、おそらくすべては、今はこの世には生きていないと思います。では、ここで語られている憂いというのは、今日癒されただろうか。精神は変質したか。 この本に述べられている精神は、新しい民主政治の体制に必要な糧となるとの指摘は誤っていたか。 今日、安倍首相や、その手盛り「有識者」の報告がだされようとしています。 それは同じ言葉の「有識者」だそうですが、国民的にそう評価されている人たちでしょうか、それともお手盛りの人たちをかき集めたものでしょうか。「有識者の答申」なるものを形式的につくって、「私だけの意見ではないよ」と言いたいんでしょうが、これが日本国の最高責任者としての振る舞いだというんです。 やはり本書の「憂い」は生きているし、あたっています。ただしその憂いは大きく具体的になっているいるのですが、それだけではありません。その他方では「新しい政治と体制」を探る力も、その後のさまざまな経験を経る中かで、憲法の変節を許さずに来ました。そして、今日、二つの力が鋭くぶつかり合っています。 あらためて先人の努力に学ぶという点で、戦前戦中の国民体験を知る上でも、なによりも、今という時代を知る上で、ここに寄せられている諸見解は、大きな糧となると感じています。
2014年05月14日
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新茶が入りました 5月3日に茶摘みをしたことはすでに紹介しましたが、その後です。 わずか2.3キロの摘んだ茶葉でしたが、その後ですぐに製茶工場に出しました。 そして5月5日には、ついに新茶が出来上がってきました。 出来たお茶はほんのわずかなものですが、それでも新茶です。 それを小分けにして、みかん園でお世話になっている数人にプレゼントしました。 それは早いに越したことはないんですね。新茶は、やはり出来立ての味が、なんといっても一番ですから。 当方も、その味を確かめながら楽しんでいます。 新茶ですが、新緑の香りがただよってきて、そこがまず違います。 飲んだ後には、舌にジーンとしびれるような余韻が残ります。 やはり、この時期ならではの味で、お茶の中でも絶品です。 早く届けたのは正解でした。残念ながら、わずかに人に、ほんの少量ずつなんですが。 新茶の入手ですが、誰しもいろいろな方法でしているとおもいます。当方としては、出来うれば生産者と知り合いになって、そこから入手するのが、これが何と言っても一番新茶につながる確かな方法だと思うのですが。生産者は、美味しい新茶を提供しようとの心意気をもっていますから。 当方が新茶を知ったのは、静岡県の「茶摘み交流会」に参加したことによります。これも前に紹介しましたが。 お茶摘みやお茶づくりを、そこで初めて体験できたんですが、 参考までに、そこを紹介しておきます。 「人と農・自然をつなぐ会(無農薬茶の会)」杵塚敏明さん 〒426-0134 静岡県藤枝市滝沢1416-3 電話045-639-0033 http://www.munouyakucha.com/ ここでも新茶の注文を受付していますから、お試しください。
2014年05月13日
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みかん園でのミツバチ昨日の紹介で残したミツバチの写真です。いくらでも紹介したくなるのが、この半月間です。まだみかんの木は、開花が始まりだしたばかりですから、これからです。ただ、大勢としては、今年は裏年のようで、花の数は少ないのですが。その中を、熱心に、無我夢中で活動しているミツバチは、なぜか癒しの力をもってます。毎年、花の時期にミツバチを見かけていました。西洋ミツバチなら4キロ圏、二ホンミツバチだと2キロ圏だそうですが、どこかちかくで、ミツバチを飼っている方がおられるのでしょう。しかし、今年はみかけるのは二ホンミツバチですから、当園のミツバチかと思います。この4月23日に、神奈川県環境農政局農政部から通知がとどきました。「蜜蜂転飼調整結果について」です。去年の8月に「蜜蜂飼育届出書」を東京都に出しておいたのですが、「養蜂振興法」で、届け出することが求められているからでした。もっとも、去年は、10月初めには逃去してしまって、空き家になってしまったのですが、今回のリベンジには、ぴったりと重なりました。 これからミツバチと共生できるミカン栽培をめざします。
2014年05月12日
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みかんの花の中をミツバチが今年もみかんの花が咲く季節になりました。5月10日、神奈川県西部の真鶴のみかん園でのことですが。みかんの花から花へとミツバチたちの活躍が目立ちます。これは二ホンミツバチです。これまでミツバチは、たまたま見かけるだけでしたが、ミツバチと共存できるミカン栽培が目標にできたらと、思ってはいたのですが。去年の7月に、千葉県の養蜂家の方との知り合えてから、具体的になりました。去年、8月21日に最初の移住をしてきたのですが、いろいろな問題があって、10月9日に逃げてしまいました。今回は、是非とも、みかんの花の咲く前にと、この4月26日に、二ホンミツバチが移住してきました。そしていま、みかんの花咲く中をミツバチが飛び回っているわけです。これまでは、みかんの花の咲くのを見ることが楽しみだったんでが、今回からは、それとともに、花から花へとミツバチが働く様子を見ることが加わりました。これが、なんとも心を癒してくれるんですよ。五月晴れのみかん園では、花の香りがただよい始めています。その花の中を、ミツバチたちが一生懸命に働いてくれています。近くに人の気配がしても、全く関係なし、無我夢中で花粉を集めています。その様子は、いつまでも見ていたくなるような魅力を持っています。癒しの力をもっています。これがミツバチたちの新たな住まいです。ミツバチたちはこの巣箱に、小脇に黄色の花粉をいっぱいかかえて帰ってきます。さっと、中に消えちゃうので、なかなか写真に撮ることがむずかしいのですが。やっと、後姿ですが、とらえることが出来ました。当方にとって、みかんの花の季節は、待ちに待った最高の季節ですが、きっと、ミツバチたちにとっても、きっと同じかと思います。この新たな世界を喜んでくれて、定住してくれたら、最高なんですが。この巣箱の中ですが、底板を掃除したついでに、中の様子を見させてもらいました。右端が給仕器ですが、もちろんこの花粉の時期ですから空です。次の巣枠の3枚から4枚目にかけてが、目下の生活スペースです。この4枚のうちで、ミツバチたちの子育てや蜜の貯蔵を始めだしています。あとの3枚の巣枠は、生活が広がった時用の予備のものです。千葉から移動してきた時に、安定させておくために、釘で巣枠が固定されていましたが、今日は、釘を抜いて、全部ホチキス止めにかえました。それと、巣箱の底にたまっているゴミを掃除しました。まだ移住してから2週間ですが、その第一歩が始まったばかりですが、いよいよ「ミツバチと共存するミカン栽培」が、実際に動き出しています。ミツバチと人は、古代エジプトや『聖書』にも出てくるくらいですから、歴史があります。他方では、レイチェル・カースン『沈黙の春』の状況もあります。これから、有害な農薬使用をやめることとか、いろいろな問題で、状況の改善や対応が求められていくとおもいますが、なんとか「ミツバチと共存できるミカン栽培」を探っていきます。
2014年05月11日
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シソの植え替え5月7日、連休の最終日はシソの植え替えをしました。3月22日に種まきしてあった赤シソでしたが、バラ撒きでしたが、かなりむらがありました。しま状にかたまって生え出していました。そこで草取りをしながら、2本くらいずつに植え替えをしました。これがシソ畑ですが、2平米くらいです。この時期は、一雨ごとに雑草が繁茂してきますから、しっかり草取りをしておかないと、すっかり草に埋もれちゃいます。あとは水撒きして、見守りだけです。このシソは、6月の梅干し用です。一方、その梅の方はどうなっているか、上の写真は、豊後です。小木ですが、これまではヤニ果がかなりでたのですが、いまのところ、順調に育っています。次は、南高梅です。こちらは、若葉の影に実が隠れがちですが、これも若葉の中で順調に育ちつつあるようです。ウメも、表年と裏年があるようで、去年は実をたくさんつけた木は、今年は実が少ないようです。全体がどうなっているかは、葉に隠れているのでわからないのですが。ウメは、梅雨の6月が収穫の時ですが。梅酒と梅干し用です。シソの生育が、梅の収穫にタイミングがあってくれれば幸いなんですが。
2014年05月10日
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表年のみかんの木と、裏年の木のちがい みかんの木は、いよいよ蕾がふくらみ出して、花の季節を迎えようとしています。 この時期は、今年のみかんの収穫量をある程度占えます。みかんの収穫は11月・12月ですから、まだ半年以上先ですが、 そもそも花が咲かないことには果実はなりませんから、蕾の付き具合で暮れの収穫を予想することが出来るわけです。 これは今年は表年の木ですが、その枝です。全体に白い蕾が目立ちだしています。その木の全体です。 小さな蕾が木全体についています。この木は、去年が表年で、果実はあまり尽きませんでした。昨日紹介したみかんの花ですが、この木から見つけたものです。蕾を注意してみてたら、今年最初の開花をみつけたわけです。 これが今年一番最初に開花した一つです。いくつかの枝先で、開花が始まりだしたんです。他方、同じときに蕾がほとんどついていない木があります。 いくら注意して探しても、ちっとも蕾がみつかりません。 新緑の若葉だけが目立つわけです。 なんども見たのですが、やっぱり蕾が見つかりません。これが、今年裏年の木なんですね。みかんの木は「隔年結果」と言って、表年と裏年とを交互に繰り返えす性質をもっています。去年出来が良かったからといって、毎年そうだというわけではないんですね。翌年は、よく実をつけた木は、お休みするわけです。どちらが多いかで、その年の大勢が見えてくるわけです。 しかし、なかにはまだ生育の遅れている木もあります。木の置かれた位置によっては、木々が密集していて日陰になりがちな木などは、 ある程度、時間的に遅れて蕾がつくということもあります。今のつぼみの様子だけでは、分からない部分もありますが。 それでも、表と裏のある程度の全体的な様子は、今の時点の認識として予想できるし、しておかなければなりません。 この見立ては重要なんですよ。なにしろ、この秋の、みかんの収穫予想につながります。出荷量の大枠に、概数にかかわってくるからです。 その点からすると、どうやら今年は、全体としては裏年傾向にあるようです。
2014年05月09日
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みかんの花が咲き始めました 5月7日、神奈川県西部、真鶴町のみかん園でのこと。 みかんの花が、ついに咲き始めました。 去年より一週間くらい遅いのですが。 みかんの花が咲いている…♪ いよいよ、みかんの花の季節です。 みかんの花は、細長い花弁をした5弁の花です。 まもなく、枝いっぱいに花々が咲きだすと思いますが、 満開になると、よい香りが辺り一帯に漂います。 「清楚な香り」と表現されてます。 当方は、この時のために、今年4月26日にミツバチを迎えました。 花の咲く時までに是非迎えたい、とねがっていたのですが、 その念願がついにかないました。 わきに黄色いものを抱えていますが、集めてきた花粉です。 このミツバチが、本当にこれから定住してくれるかどうかは、分からないのですが。 去年は「逃去」(とうきょ)といって、10月初めに逃げられちゃいました。 ミツバチたちの方にも、この地が住みよいかどうか、選択権があります。いまのところは、つつがなく新世界に適応しつつあります。 この10数日間、ミツバチの巣箱を観察していると、その働きぶりには、もろもろの疲れを癒やすものがあります。 働き者なんですね、あちこちから花粉を抱いて帰ってきては、また飛び立っていきます。 これからみかんの花が咲き出すと、もっと、もっと忙しくなるはずです。 みかん園にとっては、前半の最も素晴らしい時に入りつつあります。 ところで、みかんの花は昔から人々に愛されてきました。 『万葉集』に「はなたちばな」の歌がたくさん出てきますが、 これは『古今和歌集』からの一首です。 「さつきまつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」 〔巻第三・139 よみ人しらず〕 そういえば、文化勲章の授与は11月3日ですが、 その勲章は、5月に咲くみかんの花を形どっているのだそうです。
2014年05月08日
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筍(タケノコ)掘りに行ってきました この笑顔、子どもも大人も同じです。タケノコ掘りの苦労の産物です。 5月5日、早川の「だんだん園」でのこと。毎年この時期、タケノコ掘りを企画してくれています。当方は、今回が初参加でした。 当方にとっては、竹というのは、厄介な印象がありました。 みかん園に地下茎で侵入してくる厄介な存在でしかなかったのですが。 しかし、この日ばかりは違いました。 同じ竹でも、種類と所によっては、その評価は天と地の違いです。 この時期ならでわの、貴重な食材の収穫でした。 当方も、初めてのタケノコ掘りでしたが、簡単そうでいて、やはりコツが要りました。大地に根を張るものを取るのは、そうそう簡単ではありません。この家族は、力を合わせて、頑張っていました。タケノコを掘りだした後は、さっそくそれをゆでて、参加した人たちの交歓です。「やったぞ!」と、大人も子どもと同じような笑顔です。当方も、帰宅してから皆さんの苦労の成果をいただきました。私は炊いたり、煮たりはできません。上さんの技ですが。やはり、タケノコご飯は最高ですね。自然の豊かさを実感させてもらいました。このゴールデンウィークの、最高のひと時でした。
2014年05月07日
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みかん園のミツバチ その25月5日、二ホンミツバチが引っ越ししてきて10日が過ぎました。この新たな環境に、ミツバチは順調に適応しだしているようです。巣箱に帰ってきたミツバチは、黄色い花粉を両脇に抱えています。前回のスムシやスズメバチによる逃去のことがありますから、楽観するのは禁物なんですが。当方が巣箱に近づくと、数匹が出てきて、「お前はだれだ?」と、当方の顔近くを威嚇するかのように飛んできます。しかし、おとなしい二ホンミツバチのことですから、゛まぁまぁ゛といったところ。そして、この巣箱の防衛係は、また元に帰っていきます。ミツバチを見ていると、疲れが癒されます。植物のみかんとも違って、喜怒哀楽が刻々と感じられるからです。 ところで、この2,3日間、新たなパソコンが異常をきたしていました。写真ソフトの操作が、取り込みが、うまく出来なかったんです。今日は朝から、カメラとパソコンのサービスに相談していたんですね。さすがに技術者というのはたいしたもので、いろいろ操作をして修復してくれました。とこが当方には、どこがどう悪かったのか、さっぱりわからないんですね。これまで操作が、いいかげんな適当なものだったんです。それでも何とかなっていたのですね、たまたまうまくいっていたんですね。トラブルのきっかけは、ミツバチ画像をたくさん取りすぎたことからでしたが。昨日から自前でなんとか修復しようとしたんですが、結局、多くのデーターを消してしまいました。とにかく、基本的な接続と、操作の仕方を教わって、なんとか修復がはかられました。これで画像も順調に取り込みはじめたんですね。XPから8.1への移行は、当方には猫に小判なんですが。これでブログ操作が落ち着いてくれれば、やれやれなんですが。
2014年05月06日
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タケノコの炊き込みご飯です今、タケノコが旬です。頂いたタケノコで、さっそくタケノコご飯をつくりました。5月5日、早川のみかん園「だんだん園」に出かけました。毎年、タケノコ掘りの集いを開いてくれてます。その様子は後日紹介することとして、まずはタケノコご飯です。この写真だけでも美味しさが伝わってくるでしょう。たまたま、同じ日の夜に、新潟へ出かけている知人から「青野筍」が届きました。上越市の特産タケノコだそうです。小田原市と上越市とが、たまたま重なりましたが、今、全国各地でタケノコが地面から顔を出しだしているようです。これもまた、春の便りの一つです。
2014年05月06日
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みかんとミツバチ その1みかんの木に花のつぼみがつき出しました。そのみかんの花の咲く前に、4月26日に、期待していたミツバチが、ついにやってきました。これがミツバチの巣箱です。この後ミツバチは、新たな環境で奮闘しています。四方八方、周囲の花々から花粉を集めて帰ってきています。黄色い花粉を、お腹に抱えて帰ってきます。ミツバチの動きはすばしこく、ピンボケなんですが、 ミツバチたちが、しきりに出はいりしている入り口ですが。今、この巣箱の中がどうなっているか、気になるところですが、今回、巣板を2枚追加したんですが、その時に巣箱のふたをとったんですが。その様子です。 ミツバチのこの群れは、3000匹はいるそうです。1匹の嬢王蜂を中心に、多くの働き蜂は花粉をもとめて外に出かけています。今の時期の、みかんの蕾の状況です。例年だと5月の連休のころは満開なんですが、今年は、開花が少し遅いようです。 この花が咲くのを、ミツバチとともに、楽しみに待っているんですが。きっとミツバチは、周囲に花を見つけて、花粉を集めていることでしょう。きっと次回は、花粉をいっぱい抱えて帰ってきたミツバチを紹介できると思います。
2014年05月05日
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春のミツバチたちは活発でした5月3日にSさんの巣箱を見させてもらいました。これはもともとの巣箱ですが、その様子です。風通し用の窓には、どうしたわけかオス蜂がびっしりと集まってきていました。おそらく中にいる嬢王蜂への、プロポーズのデモじゃないでしょうか。アップして見ると、その数のいかに多いのか、わかるかと思います。中にはメスの働き蜂も混じっていますが、かなりの数のオス蜂が、窓の金網にはりついています。嬢王蜂1匹に対して、これだけのオス蜂が集まってきているんですね。この日の富士山ですが、うっすらと春霞がかかって、全体がぼんやりして見えていました。午前5時、平塚から見た富士山です。すでに日の出していて、頂上には朝日があたっています。この時期は、夏日に近い暖かな日もでてきます。こうした穏やかな日に、ミツバチたちは群れが分かれる-分蜂をするんですね。前回、4月26日に見た時は、元の巣箱とともに、隣の巣箱へのチョロチョロとした出はいりを目にしていたんですが、その時は、別の分蜂群の捕獲があったので、自前の群れも分蜂したかと思ったのでしたが。それは、分蜂する前の偵察していた段階だったようです。5月1日に分蜂があったそうで、もともとの巣箱から半分の群れが飛び立って、20メートルくらい離れた桜の木に巣玉をつくったそうです。これが、その桜の木です。この桜の木の枝に分蜂したミツバチ群が巣玉をつくったそうです。これでは捕まえるのは、なかなか大変な作業だったろうと想像しています。それでも、なんとかその群れを捕獲するのに成功したそうです。結局、Sさんの二ホンミツバチは、年初には1群だったんですが、4月26日に他の所から分蜂してミツバチを捕獲して1群がくわわり、さらに今回、5月1日に自前の二ホンミツバチが分蜂したとで、Sさんのミツバチは3群となり、にぎやかな巣箱の村に増えていました。
2014年05月04日
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本日、茶摘みを完了しました5月3日は、茶摘みを午前中に終わらせました。みかん園の隅、土手沿いに一列のお茶の木があります。今日は早起きして、その茶摘みをしました。午前11時に茶摘みを終了して、摘んだ茶葉を、さっそく農協の製茶工場に持ち込みました。これが製茶工場です。摘まれた茶葉がみかんのコンテナに入れられて、かなり大量に搬入してきた外がいました。この工場の入り口で、持ち込まれた茶葉の重量を計測して、受付してくれます。この人は、6コンテナもの茶摘みをして持ってきました。当方が持ち込んだ茶葉は、2.3キロでした。このコンテナにすると、1個分で、しかも7分目くらいの量でした。今は、管理が厳しいので、製茶工場の中には入れません。以前に、その工程を見させてくれた時の様子を紹介しておきます。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/200905050000/ 次は、製茶の工程の最後、お茶を仕上げて、出てくるとろです。お茶の香りが漂っています。製茶すると、茶葉の重量の八分の一くらいになって、お茶が出来ます。したがって、350グラムくらいのお茶ができることになります。翌日には出来るとのことですが、当方は、5月5日の朝に受け取りに来る旨、申告しておきました。受付のすぐ表側は、一連の工程の最後の出口になっています。お茶の製造工程が済んで、出来上がったお茶が出てきてました。それにしてもすごい量ですね。これだけのお茶を作るには、どれだけの大量の茶摘みをしなければならないか。気が遠くなるような茶摘みです。この出来上がったお茶は、受け取り人がやって来る人を待っていました。とにかくこれで、当方の茶摘み仕事は、無事に終了することが出来ました。
2014年05月03日
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明日は茶摘みに行ってきますゴールデンウィークが始まっています。今日、5月2日は、暦の上では八十八夜に当たります。 夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る・・・♪明日、5月3日(土)は、茶摘みに行ってきます。早起きして、朝のうちに茶摘みを終えたいと思っています。これは、4月26日のお茶の木の様子です。若葉が生えそろいだして、茶摘みの近いことを示しています。当方は、みかん園の片隅に一列あるだけですが、本場、静岡県の茶畑の様子を紹介します。2012年4月29日のブログです。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201204290000/山麓に広々と広がる茶畑は、静岡のお茶の歴史を示しています。ここで教わった、二葉一心の手摘みの茶摘みを、明日は、早起きして、頑張ってきます。
2014年05月02日
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やった! ついに『聖書』を通読しましたちょっと前に、『新約聖書』の方は読んでいましたから、今回、5月1日に『旧約聖書』を目を通したことで、『聖書』全体を通読しました。そんなことを言うと、罰が当たるんですが、『旧約聖書』は、律法(戒律)を守ることが至上のこととされてます。律法を守らないものは、主を信仰しないものは、罰が科せられるということです。現在のイスラエル国が建国される背景には、『旧約聖書』とユダヤ教が、歴史の背景としてあることが、想像されます。「創世記」にはじまり、全部で39の章・1500ページですから、大部なものです。西洋の歴史を知るうえでどうしても読んでおくべき、との必要性のなせるわざでした。今回分かったことは、さらでじかに『聖書』を読みだすことよりも、ある程度、参考文献にあたって、話の輪郭を知っておくことが大事だと感じました。『聖書』そのものから、立体的な状況を知るのはなかなか難しいんですね。たとえば、矢内原忠雄著『余の尊敬する人物』(岩波新書 昭和15年刊)には、冒頭に「エレミヤ」の人物像が紹介されています。43ページくらいの短いものですが、これを読んでおくと、『聖書』の「エレミヤ」が、大変理解しやすくなります。じつは本日、5月1日に『旧約聖書』をいそぎ通読しました。急ピッチに『旧約聖書』を読む必要が生じたのには、事情がありました。それは「エレミヤ」章に関連していました。本の製本の問題ですが、当方が読んでいた『聖書』は、「エレミヤ」の中ほどの30ページ分が欠落していたんですね。そこで「日本聖書協会」に、4月28日に連絡したところ、『本を交換するから、その本を送ってほしい』とのことでした。あくまで、送られてきたら交換するとのことでした。そうなると、読み進むのを途中で中断して本を交換するのか、終わりまで読んだうえで交換するのか、二者択一の事態となりました。それで、理解は不十分でも、とにかく急ぎテンポアップして、終わりまで読んだ上で、本を交換するために、手元にある『聖書」を送るようにしたわけです。したがって、「エレミヤ」に関する部分は、全体を当たれているわけではありません。本日夕方、協会宛に発送する手立てをとりました。そうしたエレミヤの宿題はあるにしても、なんとか駆け足でしたが、この大部な『聖書』を、本日・5月1日、終わりまで通読することが出来た次第です。
2014年05月01日
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