全29件 (29件中 1-29件目)
1

スズメバチ用に、美味しいカクテルをつくりました10月初旬は、二ホンミツバチのの養蜂にとって、一番の試練の時です。去年の今ごろは、初めての養蜂でしてが、見事に失敗してしまいました。かなり順調に思えて、胸を膨らませていたんですが。しかし10月9日、ミツバチを迎えて一か月半がたっていましたが、この日、暗転してミツバチは巣箱から逃げていってしまいました。「みかん園でミツバチを飼う」構想は、天国から地獄へ、はじけました。その原因は、はっきりしていないんですが。この日、いつも通り巣箱のふたを開けたんですが、その途端に、ミツバチは乱舞しだして、まったく手が付けられませんでした。とうほうからしたら順調だと思っていたんですが、実際には、ミツバチたちにとっては大きなストレスがあったようです。乱舞になすすべを知らず、結局、ミツバチたちは逃げて消え去ってしまいました。このミツバチの逃去にいたる状況、要因をふりかえってみると、1、この日、巣枠がスムシの加害によって、短期間に一転してボロボロになっていたこと。2、巣箱を空けたら、巣門の内側にミツバチが山のようになって死んでいたこと。(スズメバチとの喧嘩か、セイヨウミツバチとの喧嘩か、農薬の被害か、原因はわかりません)3、しばらく前から、執拗にスズメバチの襲来が続いていたこと。これの複合原因があって、結果としてミツバチたちは、「こんなところには、いられない」との結論になったということでした。そして、またその悪夢の時が近づいてきました。今回も、スズメバチ(キイロスズメバチ)の襲来が、執拗になってきています。防御用のネットをくぐり抜けて、巣門に張り付いている状況が見られました。現在は、二度目の挑戦です。再び、悪夢の時期が近づいてきました。前回同様に、このところキイロスズメバチの襲撃が、執拗度を高めています。それで、今回はスズメバチ用にカクテルを作ってみました。右がブドウカクテルです。中ほどがバナナカクテルです。左が、ブドウ・バナナミックスカクテルです。中味は、果実+日本酒+酢+砂糖です。これらは、スズメバチ対策なんですが、はたして、どれがスズメバチの好みか。明日、この3種のカクテルを試してみようと思っています。
2014年09月30日
コメント(0)

温州みかん以外の柑橘類の紹介 当方のみかん園は、神奈川県西部の真鶴にあります。9.27(土)は12時半まで草刈りなどの作業をして帰って来たのですが。夕方まで、御嶽山が噴火したのを知りませんでした。以前に木曽福島を宿に、バスで御嶽山の途中まで行ったことがあります。あらためて「東日本大震災以降、地震や火山の動きには注意が必要だ」と、火山予知連でしたでしょうか、記者会見で発言しています。そうした中ですが、今回は、栽培の中心になっているは温州みかんですが、それ以外に栽培している柑橘を紹介します。 当方は、2001年2月からみかん園を管理するようになりました。 まったくのみかん栽培の無縁者が、その時から始め出したのですが。 最初は、伸び放題の雑草抜きから、作業は始まりました。 当時の記録を見ると、2004年3月にユズとキンカンの苗木を植えてますから、 初期の右往左往・ドタバタが、少しは落ち着いてきたのが3年後ということです。 そのころから、空いている箇所に、何かしら苗木を植える試みが始まっていたんですね。 今収穫が始まりだしたスダチも、そうした1本です。 1、スダチ 1本だけなんですが、土地柄にあっていたようで、よく果実をつけるようになってます。 2、湘南ゴールドもあります。 これは、この地域のJA西湘が地域ブランドにしようとしている品種です。知人が紹介してくれたので、 去年植えてみました。苗木の育成がしっかりしていたので、2年目にして摘果するほどたくさんなりました。 3、日向夏もあります。 日向夏は一昨年がたくさんなり、去年はゼロでした。隔年結果を強く示しています。なんとか毎年少しでも収穫できるように、今年は半分を摘果しました。 その他にも、4、「はるみ」、5、レモンです、6、甘夏、7、ポンカンが実をつけています。 また、今年は裏年の木として、伊予柑、清見、キンカン、八朔などがあります。それぞれ各1本ずつですが、様々な柑橘類を味わえるようにと、植えてあります。
2014年09月29日
コメント(0)

早生みかんが、すこしずつ色づいてきました9月27日の早生みかんです。秋の日差しを受けて、徐々に色づき出しています。このくらいの色づきのみかんが、八百屋さんの店頭には並んでいます。それは「極早生」の種類のはずです。当方は以前それに刺激されて、このくらいで収穫したことがあるんですが、失敗でした。早すぎでした。当方の早生みかんでは、もう少し色づかないと、酸っぱいんですね。やはり最終判断は、自分の舌で味を確かめてから収穫するのが肝心なところです。おそらく早生みかんの収穫は、10月下旬か11月初旬くらいと思います。それと、当方の早生みかんは、今年は全体として裏年です。5本の早生みかんのうち、4本が今年は裏年です。ほとんど実をつけて無いんですね。お休みです。従って、今年はせいぜい味見をする程度の収穫です。普通温州みかんの方はどうかというと、これも似たような傾向になっています。早生ほど極端な現れではありませんが。普通温州みかんの果実というのは、未だ青々とした状況です。こちらは、12月に入ってからの収穫です。これが当園のみかんの中心です。この木は特徴的です。左側の上部は果実がついていますが、右側はほとんど葉ばかりです。1本の木の中に、それぞれの枝によって表と裏が分かれています。ふつうは木全体で表か裏をしめしますが、こうした木もあるわけです。木の具合によって、さまざまな個性が出てきます。前年の表裏、日当たりの違い、剪定などの手入れなどにより、また、カミキリムシの加害など、病害虫の影響により、木の体調に、したがって実のつき方に違いが出てきます。もうここまで来ると、一年間の成績発表の様なもので、もはや手直しはききません。当方の予測では、収穫は去年の半分とみていますが、はたしてどうなりますか。
2014年09月28日
コメント(0)

9.27、ついにネットの中にまでキイロスズメバチが入る9月27日は、神奈川県西部も素晴らしい秋晴れでした。午前8時3分、小田原からの青の富士山です。秋晴れで、空気が澄んでいるのでしょう。こんなに、雪のない鮮明な富士山を見れるのは、珍しいんですよ。今回の遠出の主題は、みかん園の周辺の草取りでした。草刈り機の性能を、平地や土手などの様々な地形で試しています。この間の草刈りで、みかん園内の主な部分の草刈りは終了しています。今回の対象は、みかん園の周辺部分です、土手の草刈りです。主要な部分は終了していますから、この方は、少しずつ、あせらずに進めていきます。今回、根周りを草取りしたみかんの木です。見上げれば、たくさん果実をつけていました。こうした木がたくさんあれば、栽培技術もたいしたものなんですが。意図的ではなくて、たまたまの偶然なんですね、みかんをつけてくれたのは。まぁ、そこが、にわか農夫の技量というものです。ところでミツバチの方ですが。草刈りをしていて巣箱を見たら、ネットの外に、複数のキイロスズメバチが来ていました。キイロスズメバチが複数でいたのは初めてです。いつもこれまでは、1匹の単独行動だったんですが、今回は2匹がまつわりついていました。それだけでなく、もっと問題なんですが、防御用のネットの内側にまで入り込んで、巣門から入ろうとする気配もしていました。これはゆゆしきことで、こんなことは初めてです。いったいどこから入って来たのか?ただちに手網を使って、順次2匹を2匹とも駆除しました。ミツバチの方は、これで少し安心したと見えて、巣門に出てくるようになりました。スズメバチの危険があると、ミツバチは巣門から表には出てきません。キイロスズメバチの脅威がなくなったとみえて、巣箱の入り口に顔を出すようになりました。出入りも活発になりました。巣箱の周辺は平穏さをとりもどしたようです。もう一つ、落ち着いて入り口をみたら、スムシが巣門の外に捨てられていました。今日の最初に巣箱を見た時には、それは無かったんですが。やはりこの時期は、スズメバチとスムシ、この2つの脅威が問題です。ミツバチが、なんとかこの危機から自身を、巣箱と群れを守り切ってほしいものです。
2014年09月27日
コメント(0)

ヨーゼフ・ディーツゲンの著作を読んでます ディーツゲン(1828年-1888年・60歳)は、ドイツ生れの、なめし革職人の哲学者です。 この人物については前々から気になっていたんですが。 ディーツゲンの名前を知ったきっかけですが。 エンゲルスの「この唯物論的弁証法は、われわれが発見したばかりでなく、不思議なことに、その他になお、われわれとは独立に、またヘーゲルとさえ独立に、ドイツの労働者ヨーゼフ・ディーツゲンもまた発見したのである」(『フォイエルバッハ論』第4章)、の指摘です。 このように評価されるのは、どうしてなのか。どの様な著作を書いているのか。 当方の手元には、前々からその著作があります。 1、復刻版岩波文庫『人間の頭脳活動の本質』(小松摂郎訳 1991年刊)と、 2、『哲学の実果』(改造出版社 山川均訳 昭和4年)、この2冊です。 前者は1869年5月刊、後者は1887年3月(シカゴにて)刊行です。 フォイエルバッハの流れでもありますが、確かめてみたくなりませんか。それで、ほこりを払うことにしました。 ディーツゲンは、一人の職人・労働者なんです。その人が「独学によって唯物論的弁証法を発見した」と評価されてるんですから。 そう評価された根拠が、この著作にある。それが今に残っていて、吟味できるんですから。 彼はいったいどのように唯物論的弁証法を説いているのか。 ディーツゲンを知る上で、『マルクス・エンゲルス全集』があります。そこには、28か所出てきます。 その中心は『人間の頭脳活動の本質』の手稿をめぐる評価なんですが、 マルクスとエンゲルスは、この点で1867年-68年に意見交換しています。 その批評が、読みにくい本を読み解いていくヒントになると思います。 その中には、マルクスのディーツゲンあての手紙も1通、抜粋ですが、紹介されてます。 「・・・経済的な重荷を首尾よくおろせたら、『弁証法』の本を書くつもりです。弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんと出てはいます、ただし神秘的な形態で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることなのです。・・・」(1868年5月9日) マルクスは、ヘーゲルを読むようにと、暗にすすめているんですね。 ディーツゲンの2著作ですが、実際にこれを読もうとしても、そうそう簡単には受け付けてくれません。読み込むこと自体がなかなかたいへんで、理解するには苦労しています。 これから、そのいくつかを紹介できたら、と思っています。
2014年09月26日
コメント(2)

ミツバチがスムシを排除していました 9月23日、恒例ですが巣箱を見たのですが。またしても巣門にスムシが捨てられていました。 前回もきれいにしたはずなのに、今回もまた捨てられていました。最近、ミツバチにより排除されるスムシが目立つようになっています。 それで、巣箱の中をチェックしてみたのですが。それぞれの巣枠には、一見しただけではスムシはみつかりませんでした。 つぎに巣箱の床を見たところ、「いた、いた」、スムシがいました。 巣から落とされたものでしょう、大きなスムシが床に転がっていました。 きっと、小さなスムシが巣穴あたりにいるということです。今回も当方は、床の掃除をてつだいました。 しかしこの日は、まだまだ続いていました。しばらく草苅り作業をしたあとで、再び巣箱を見たら、 またしても巣箱からスムシが運び出されようとしていました。 ミツバチが自分の体ほどあるスムシを、巣の外に運び出そうとしているんです。 巣箱の中から巣門の外へ、さらに被せてあるネットの外へと、運び出してました。 ネットの外へ運び出し、どこかに捨てに行きました。それで、被せてあるネットを注意して見たところ、 ほかにもありました。 この時期は、スムシの急な大量発生に注意が必要です。 過度に増殖すると、ミツバチは駆除をあきらめて、巣箱を放棄することもありますから。 去年10月9日の経験がそれでしたが、ミツバチは逃げ去ってしまいました。 今回見ていると、ミツバチは発生したスムシを、自分たちの力で巣箱の外に排除してました。ミツバチが元気なら、スムシを抑えることが出来るんですね。 前回の苦い経験から、スムシの発生がミツバチの逃去に通じると思っていたんですが。人間がミツバチを助けようとスムシ退治するのは、あくまで補助的なものであって、 それが無くてもミツバチ自身が基本的に自分たちの巣を守っているわけです。すごいですね。 さらに、その捨てられたスムシですが。 おそらくクモと見ましたが、餌にしようとくわえていました。 捨てられたスムシが、他の動物のえさにとして、始末されてたんです。クモだけではありません、小さなアリも捨てられたスムシに群がっていました。 自然の力はたいしたものです。ゴミは散らかしっぱなしではなく、きれいに後始末されているわけですから。この輪廻は、自然循環は、人間も見習わなければなりません。
2014年09月25日
コメント(2)

早生みかんが色づきのきざしです9月23日、早生みかんが色づき出しました。まだほんの兆しでしかありませんが。朝晩の冷え込みを感じるようになり、日中の暖かさとの寒暖の差が大きくなると、早生みかんは色づき出します。色づくといっても、未だ兆しでしかないのですが。それでも、いよいよみかんの収穫のシーズンが近づいてきたということです。当方のみかん園は、真鶴の海岸線から少し離れていて、人家にかこまれてますが。先日、訪ねた早川のみかん園ですが、そこは、ここに比べるともっと大きな規模で、もっと自然にも接してます。相模湾の潮風と、太陽の恵みをいっぱいに受けれる自然条件になってます。これがそのみかん園からみた景色です。手前側が一夜城の石垣山で、そこにみかん園が広がっています。正面の街は小田原市で、拡大すると正面には小田原城もみえてます。(大河ドラマもそろそろ豊臣秀吉の小田原・北条氏攻めにすすむところですが。この景色をみながら、秀吉は小田原城の包囲をしていたんですね)9月13日でしたが、竹やみかん園によせてもらった時でしたが。相模湾に接した、すばらしいみかん畑でしたが、「今年は早生みかんがはやくも酸味が抜け始めている」と味見をさせてくれました。これが今年最初のみかんでしたが、まさしくみかんの味でした。それは一週間前のことです。確かに酸味が抜けだしていて、実全体も柔らかくなっていて、早くもみかんを美味しく楽しめる段階にきていました。「この夏からの気候により、みかんは早くも秋が来ていると錯覚してるんじゃないか」例年と比較して、園主が語っていた感想です。当方の早生みかんを調べてみたんですが、まだそこまではいっていません。この違いは何なのか。自然条件の違いでしょうか、それとも栽培技術の違いでしょうか、もしかすると極早生と早生との、種類の違いだったのかもしれません。いずれにしても、あと少しです。たのしみな、一年の苦労が姿かたちに実る季節が、もっともすばらしい時が、いよいよ近づいてきています。
2014年09月24日
コメント(0)

今朝の富士山と、草刈りのつづき9月23日午前6時13分、小田原からの富士山です。今日は、絶好の秋晴れでした。そろそろ北からは初氷の便りが来ていますから、富士山の初冠雪も近いということです。さて今日は、草刈り機2号のテストです。みかん園の入り口の草刈り作業でした。これまでの鎌だけでは、1労働日を覚悟していた労働量でしたが。立ち作業で片付くこともあり、グングンはかどりました。お隣のよう壁がありますから、ここでは、ビニールひもを回転させる方式の草刈り機が適当でした。バッテリーの持ち時間は30分くらいなんですが、その30分間で、予定していた範囲がすみました。あらためて、同じ面を草刈りするにしても、鎌と草刈り機では、効率も疲労度も雲泥の差を実感しました。これまでは、鎌一本ですから、地面に這いつくばって長時間の草取りでしたから、少しやっただけでも汗びっしょり、完全にヘトヘトでした。それが、草刈り機のおかげで、たった30分間でささーッと作業が片付きました。全部立ち仕事ですから、体への負担もはるかにすくなくてすみました。これが本来の機械化による作業改善ですね。おかげで、みかん園全体に目を配る余裕が出来ました。片付けもありますし、みかんの小木の摘果や枯れ枝の切り落としもあります。みかんの木の様子の観察もありますし、ミツバチの世話もあります。もちろん、未だ細かな箇所の草取りはのこっていますが。しかし主要な部分の草刈りについては、これで終わっています。今回の草刈り機を導入したことで、草刈り作業での体への負担は大幅に改善されました。これで、みかん園の管理の、今後の継続の見通しが出てきました。なんといっても、草刈りが一番の難行苦行でしたから。体力の限界を感じさせられてきていましたから。「やれやれ」といったところです。
2014年09月23日
コメント(2)

ミツバチの使われてない巣を処分したつもりでしたが 9月20日、草刈り後にはもう一つの作業がありました。ミツバチの巣箱の中で、使われていない巣枠を処分することでしたが。 まず掃除をした後で気がついたんですが、巣門の外に、何やら白いものがありました。それはスムシの幼虫でした。 ミツバチ自身がスムシを除去していたんですね。やはりスムシが発生していた。ミツバチが元気だと、自分でそれを運び出しているんですね。 しかし、昨年は、このスムシの大発生して、巣の大方がボロボロにされていた。ミツバチが巣から逃げる原因になりました。 だから、再びそうした事態をきたさないようにスムシの発生に注意しています。 巣箱の床を掃除したら、小さなスムシがでてきました。 これは、床にいたため、たまたま掃き出されたんです。 巣を注意して見ると、巣の穴の中にもスムシがいて、かなりの速さで動いていました。 分かりにくいんですが、中央の部分にいます。動いていたので気がついたんですが。ある程度なら、ミツバチとスムシは共存しているようです。今回の課題は無駄巣の処分でした。これが、無駄な使われてない巣と思っていた巣ですが。しかし、スムシを撮影したつもりの写真を後で見たら、茶色の巣ですが、巣穴の中には肉眼では見えにくいのですが、ミツバチの卵があったようです。 後でアップしてみると、小さな白い卵らしいものが写っていました。 しかし、後の祭りです。 現地ではそれが見えずに空洞の無駄な巣とみてしまいました。 後で拡大してみると、茶色の巣は、子育ての最中か、または子育ての予定区域だったんですね。 半ばを残しはしましたが、半ばを処分してしまいました。無駄巣とみて処分したのは、今後の大事な部分だった。どうやら余計なことをしたようで、大きな失敗だったようです。
2014年09月22日
コメント(0)

団地の草取りで草刈り機を試してみました 9月21日(日)、団地のにぎやかな声で目が覚めました。 そうでした、今日は年に2回の団地の草取り日だったんです。 当方は、昨日の草取りに行ってきた疲れで、寝ていたんですが。日頃のみなさんの行いが良いものと見えて、天気はすっかり秋晴れでした。 310戸が総出でかかると、魔法のような力が働いて、団地全体がすっかりきれいになります、気持ちの良いものです。 約1時間の共同作業を終わって片付けていたら、芝のテラス面の草がかなり残っていました。 さもありなん、です。ここをひとが鎌で草刈りするのは大変なことです。 雑草がすくなければ、おわる見通しがあればなら、挑戦する気も置きますが。繁茂が盛んだと、1時間の人力でで終わらせるのは、といも無理です。当方は、これまでそれをいやというほど体験してきていますから。 それで昨夜到着したばかりの草刈り機2号ですが、これをそこでテストしてみることにしました。 そこへ管理組合の役員の方もやって来て、「操作はむずかしいのか?」 「作業はあぶなくないのか?」と、関心を示してくれて、 ついに実地に試してみることになりました。 当方が、1週間前の9月13日に体験したのと、同じような感想を持ったようです。草刈り機の2号は、ナイロンのひもが回転して草を刈りますから、かなり安全です。メーカーカタログでは、標準小売価格が、14.4Vで27分で、24,200円。18Vならも45分で、39,300円です。草刈り機を1基導入することで、共同作業で及ばない難行苦行が片付くならば、管理組合としては、魅力的なことだと思いますが、はたしてこの提案は、採用されるでしょうか。
2014年09月21日
コメント(2)

2日目の草刈りに出かけました午前7時19分の富士山、小田原からです。薄い雲がありますが、天気はなんとか持ちそうです。雨さえ降らなければ、強い日差しは無いので、草刈り日和です。気候も涼しくなり、これまで先延ばしにしてきた分を、草刈り機の力も借りて、片付けてしまいたいところです。これが今回の成果です。これまでの鎌だけだと、ほぼ1日かけて、ヘトヘトになっていたのが、荒くはありますが、2時間くらいで、それほどくたびれずに済みます。これが草刈り前の状況です。根の周りはやはり鎌をつかいますが、そのまわりは草刈り機の活躍です。草刈りの負担を軽減しないと、年寄りの体力では無理があると感じていた近頃でしたから。『求めよ、されば与えられん』といったところでしょうか。次が、作業の結果です。鎌だけだと、1本の木の草取りで30分。疲れてくると45分くらいはかかりました。以前だと、一日が終わるとヘトヘトでしたが、それが4日間は必要だったんですね。気が重くなるはずです。それが、1回のバッテリーの稼働時間は30分なんですが、広い部分は機械で済みます。その後で細部について鎌で草取りをしていきます。以前に比べれは、時間的にも、体の負担からしても、楽勝です。草取り作業は、まださらに続きます。まだ細かな部分では、手が入っていない部分も多々ありますし、また、この草刈り機が使えない、石ころ交じりの通路やようへき接した部分などなど。まだまだ残っています。それでも、主要な部分はすでに片付きましたから、ここまで済んでいれば、あとはもうひと頑張りです。
2014年09月20日
コメント(0)

ミツバチの巣箱にも秋の気配がしてきました 9月17日は、みかん園の草刈りが中心でしたが。この時に、ミツバチの巣箱の掃除をしながら、様子を見てみました。 離れた場所でオオスズメバチを見かけたし、スムシの発生にも注意が必要ですから。 さいわいにして、いまのところ問題はありませんでした。 注目されたのは、出入りするミツバチです。帰って来るミツバチですが、黄色の花粉だんごを抱えたものが増えているということです。 7-8月のミツバチは、花粉を抱えたものが少なかったんです。それで、給餌器に補給をするようにしていたんですが。 なにしろこの時期は、みかん園には花がまったくありません。 せいぜい周辺の木々にヤブカラシの蔓が巻き付いているくらいです。 しかしミツバチの動きからすると、周辺には秋の花々が咲き始めているようです。 巣箱のふたを開けてみると、給餌器の方はほとんど減ってないんですね。 ミツバチにとって、自然界での花粉や花蜜の食糧が、確保されているということです。 これらは、みかん園の周辺では、秋の花の季節が始まりだしているということです。草刈りしている身には、周囲には花などはほとんど見えないんですが。ミツバチはどこからか、確かに花粉を集めて帰ってきています。 巣枠の様子を調べてみたのですが、 この巣枠は、直近の8月16日に、蜂蜜を採った巣枠です。 これはその時の様子ですが、 貯蜜部分の三分の二を採ったのですが、それから約一カ月がたちました。 そのあたりですが、今は子育て室として復活しだしているようです。 まだまだ、秋は入り口です。これから、秋の花のシーズンになれば、 ミツバチの活動も活発になるでしょう。蜂蜜を採るのは、春と秋の花の季節です。 秋は、去年失敗しています。明と暗、両方の面があります。両方の可能性を見ながら、対応をするようにしています。明の採蜜ですが、 採蜜をしてやった方が、ミツバチにとっても活動スペースが広くなることもあります。そうした秋の楽しみな時が近づいてきました。草取りがすんだら、また少し蜂蜜を採取してみようと思っています。
2014年09月19日
コメント(0)

草刈り機を使うことにしました みかん園の草刈りは、これまで10年余をずっと鎌一本でやってきていたのですが。 終日、地面に張り付いての草取りが、数日間が余儀なくされていたのですが。 転機になったのは9月13日の巣箱の置場づくりでした。その時に、知人の畑での草刈り機を体験して、「これだ!」と。当方も草刈り機を採用することにしました。 翌々日には近くのホームセンターで、4万円を投資して入手しました。 今回、9月17日は、さっそく現地でその草刈り機をテストしてみました。 次は、草取りを始める前の雑草の状況でしす。 この大作業を始める決断がつかないうちに、この夏の雨で、一段と繁茂していて、「どうするんだ」といったところでした。これは早生ミカンの部分です、「どうする」でした。今回はこの早生みかんの部分を、草取りしました。大体、全体の三分の一です。 これが、本日、草刈りした結果です。 草刈り機には、1、バッテリーを使う充電式のものと、2、混合ガソリンを使うエンジン式のと、二種類がありましたが、当方はバッテリー式の方を選択しました。 稼働時間が30分くらいと短いのですが、音が静かなんですね。 当方のみかん園は、周りは住宅ですし、全体で125坪と狭い畑ですから、この方が適当だと判断しました。 これまで草取りは、とくに日当たりのよい草原部分は、直射日光ですから敬遠気味だったんですが、今回草刈り機を使って見てみると、そここそがうってつけでした。 どうやらおかげで、そうした部分が苦にならなくなりそうです。 細かな草取りは、みかんの木の根回りや、木々の間隔が狭い個所などは、これまでどおり鎌を使っての作業となりますが。 それは全体からしたら限られた部分です。広い難所が片付いていれば、メリハリが効いて、そこでの手作業の草取りにも集中力がでてきます。 「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」 まだ不慣れで、自由に使いこなせるわけではないのですが。しかし、これが現代の農業では、ごく当たり前のことだったんですね。 これまでの13年続けてきた難行苦行の草取り作業は、まったくの手探りで始めた手入れでしたから、かつての記憶によったものでした。 おそまきながら、これで大きな負担から、かなり解放されそうです。
2014年09月18日
コメント(6)

ミツバチ飼育に失敗した去年の経験から ミツバチの第一回目の飼育が失敗したのは、去年の今頃でした。 昨年8月21日に初めて二ホンミツバチがみかん園にやってきました。順調と思ってましたが、10月9日には逃げられてしまいました。 それは突然でした。 『おかしい』と思い、蓋を開けたら乱舞でした。 巣枠はボロボロでした。 スムシの仕業でした。内側にはミツバチが山になって死んでいました。 スズメバチも原因してました。主にはキイロスズメバチでしたが、ミツバチを襲っていました。 こうして昨年の第一回目は失敗でした。今回は第二回目、4月26日からです。 去年の今ごろをみてみました。(2013年8月21日、初めてミツバチがやってきた) 2013年9月14日 キイロスズメバチが巣箱の周りに来ていた。巣箱にはネットが張ってあるので、直に巣箱に近づくことはできないけれど。9月18日 台風18号が通過したが、巣箱は大事なし。 ミツバチが巣門でスムシを外に出そうとしていた。スズメバチは見かけず。9月21日 まず巣箱の床を掃除してから、給餌をした。 スムシが3匹いたが、繁殖する兆しはなし。スズメバチの動きもなし。9月28日 スズメバチを2匹、スムシを3匹駆除した。(この時点までは、障害に対処しながらも、ミツバチ飼育は順調だと見ていた) 10月2日 千葉の養蜂家の方の所へ、 来年の分蜂へ備え継箱をとりに行く。この日は台風20号が来てたので そのまま帰宅。次ぎが10月9日でした。 いよいよ今年も問題の時期が来ました。 一見平穏で順調そうでも、一寸先は闇ですから、 今度こそは、注意のうえにも注意して、この時期を乗り越えるということです。
2014年09月17日
コメント(0)

秋の味覚-栗をいただきました 秋の夜長の季節になりました。 八王子の団地でも「リーリー」「リッ、リッ、リッ」虫の音がにぎやかです。 鈴虫かコオロギか、 声の主が何なのか、残念ながら分かりませんが。 先日、9月10日に、川越の知人が栗を送って来てくれました。 ふっくらとした、立派な栗です。 『今年は豊作だった、めしあがれ』と。自宅の庭で採れたものだそうです。 ありがたい! さっそくゆでてみました。 形も立派ですが、味がまた甘くていけます。 これなら八百屋さんにおいても十分通りますね。 当方には、栗の木はありませんから、 この贈り物は貴重なプレゼントです。 秋の味覚です。この時期ならでわの味を楽しませてもらいました。
2014年09月16日
コメント(2)

ミツバチの巣箱を置かさせてもらった時の様子です 9月13日に2つの場所にミツバチの巣箱を置かせてもらいました。場所は、目前に相模湾が広がる小田原は早川のみかん園です。今回は、その設置した時の様子です。これが設置した2箱のうちの一つです。 手前には、この春に栽培が始まったばかりのみかん園が広がっています。 縁あって当方も、その時にみかんの苗木の植え方を教わりました。 たいしたものです。わずかな期間ですが、すべてがすっかり定着していました。 さて、 どこに巣箱を置いたらよいか、みかんえんの周辺を見させてもらったんですが。 結局、この場所に置かせてもらうことにしました。 背後の木が風雨を多少は守ってくれると思ったからですが。これが、今回みかん畑に造成される前の状態だそうです。 太い切り株があり、雑草は繁茂し、木には蔓がからみついて覆っています。なかなか人を寄せさせてくれません。当地の造成がたいへんな作業だったことがわかります。 当方は、設置場所をつくるため鎌を用意していたんですが、ほとんど歯が立ちません。 園主の友人が草刈り機をもってきてくれて、それで、雑草や蔓を切り払ってくれたんですね。もし それがなかったら、場所の確保はこの日中には終わらなかったかもしれません。草刈り機の力を実感した時でもありました。そのおかげで、約1時間で作業は終了できました。 やれやれでした。あとは、これが台風などの風雨に耐えれるかどうかが問題ですが。 ミツバチですが、ただ待っていても、おそらく来てはくれません。 自然は豊かです、もっと適当な巣づくりの場所はいくらでもありますから。 初めは人為的に移住させてくるしか方法はないと思います。はたして、こんな巣箱に定住してくれるかどうかも問題ですが。 この作業している時に、この地域でのミツバチの話を少し聞けました。 むかしは、この地域でもミツバチを飼っていた方がいたそうです。今でも何人かはおられるようですが、思うことは共通ですね。 また、みかんの花の季節には、季節限定で移動式の巣箱も置かれていたそうです。 しかし、今は外国から大量に蜂蜜が入ってきますし、安く販売されてますから。 結果として、商売的な養蜂家は減ったし、みかん農家はみかん栽培を中心に特化するようになったようです。 当方の計画ですが、まず真鶴のみかん園で、みかん栽培と養蜂を共存させることです。 その先ですが、自然の豊かなこの地ですから、その周辺にミツバチを広げるようにしてみたいと思ってます。
2014年09月15日
コメント(2)

ミツバチの巣箱を知人のみかん園に置かせてもらいました 9月13日(土)、陽気も秋らしくなって、彼岸花も咲きだしています。 この間に作って来たミツバチの巣箱が、ついに完成しました。これは、久志型の重箱式巣箱を巣枠式にかえたもので、今回は蓋づくりと袴づくりをしました。 これらの巣箱は、来年春にミツバチが分蜂した場合に備えての待箱です。 したがって、1、それまで蜜蜂が冬場を越して、居つづけてくれたら、 2、分蜂に際して、分蜂群をうまくと捕えれたら、のことですが。 ようするに、捕らぬミツバチの皮算用です。 午後からは、つくった巣箱を知人のみかん畑に運んで、設置作業をしました。 これがAさんのみかん園に設置したものです。 みかん園のはじの所に設置しました。もう一か所は、だんだん園に置かせてもらいました。 こちらは、翌日に設置する予定だったのですが、 段取りをとろうと連絡したところ、「明日また来るのはたいへんだろうから、これからでもよい」と、ありがたいことでした。二人の知人が協力してくれたおかげで、2つの巣箱を一気に設置することができました。 広いみかん園の中ですから、ミツバチたちにとって、ここは住みよい所だと思います。さぁ、これで来年春のベストの場合を想定しての準備が出来たということです。これで安心して、秋のみかんの収穫作業にかかれます。 もう一つ、この巣箱の設置作業のなかで、貴重な体験がありました。 草刈り機を教えてもらったことです。しかも実際に体験もさせてもらいました。 当方は、これまで鎌一本が草刈り道具だったのですが、 この時も、造成作業のために鎌と立鎌の2つを持って行ったのですが。大仕事になるのを覚悟していたのですが。ところが、知人の2人が、ともに草刈り機をつかって協力してくれたんですね。この草刈り機というものを、実際に使って、あらためてその威力を体験できました。これは当方のみかん園でも、必需品であることを実感しました。 この夏は雨も多くて、今では草は伸び放題になってます。草刈りは難行苦行で、重い腰を上げるには一大決意が求められていたんです。 「これだ!」ということで、目を開かされたんです。さっそく草刈り機を手配することにしています。
2014年09月14日
コメント(2)

京都の旅5 締めくくりは錦市場での買い物でした 「錦市場」というのも、今回初めて知ったのですが。京料理の素材、惣菜のお店がずらり並んでいて、ここへ来ればすべてそろうそうで、にぎやかな市場でした。 ここが今回の京都の旅の締めくくりでした。 一行の多くは、分かれて清水寺あたりに繰り出していきました。 まだまだ見ておきたいところがいっぱいあるというので。疲れも知らず、生き生きとして出かけていきました。 当方は、見たり聞いたりしたい気はあっも、くたびれました。 当初の計画どおりに、錦市場での買い物をして、今回の旅の終了としました。 錦市場というのは、まったく初めてで、美味しそうな惣菜がずらりならんでいました。 通りの両側に、思わず足を止めたくなります。食べたくなります。 これは、京料理の下支え、だしのお店です。 さらに、昆布のお店です。 魚を売るお店もありました。魚市場がそもそもの市場発祥のもとだったそうですが。今回の旅では、ハモとニシンが目につきました。ニシンそばが、京都に着いて最初に注文した人もいました。そのハモの惣菜を売るお店です。 当方も、ちょっとでしたが、この市場でお土産を買いこみました。1つ、2つ、京都らしい惣菜を。 翌日には休日農夫の仕事が待ってますから、これで日程は終了です。お昼ころに、新幹線で帰途につきました。 途中、静岡あたりを通った時に、富士山に注目していたのですが、 残念ながら、富士山はすそ野をみせてくれただけでしたが。 この京都の旅は、3日間とも天気に恵まれました。 ニュースを聞けば、北海道や各所で記録的な大雨が降っていたとのこと。 そうした中で、京都の旅の3日間を無事に、有意義に終了することが出来ました。 やはり幹事さんの企画と準備、案内の努力が大きかったですね。これまで知らなかった、奥深い京都の魅力というものを感じることが出来ました。これが一番の感謝ですね。 それと、3日間とも天候にめぐまれたこと、これもさいわいでした。旧友たちが、元気に顔をそろえたことも、何よりでした。
2014年09月13日
コメント(0)

京都の4 妙心寺に行ってきました 嵐電の嵐山から、電車で移動して妙心寺に行ってきました。 当方は「妙心寺」というお寺は、この旅で初めて知ったのですが。これも京都に詳しい人が案内してくれたからこその新体験です。臨済宗妙心寺派の大本山で、創立は花園天皇(1297-1348)で1337年。全国には臨済宗のお寺が約6000あるそうですが、その内約3500寺が妙心寺派だそうです。その本山であり、お寺といっても、その境内には46もの院があるそうで、その全体です。 これが寺の中心伽藍で、南門から本堂の方向を見たものですが、立派な伽藍です。南側の入口には勅使門もあるんですよ。 その脇に案内板がありました。 妙心寺には46院あるそうですが、その内の2院を訪ねました。 その一つは、桂春院です。 この寺は、織田信長の長男・信忠、その次男・津田秀則により1598年に建てられたものだそうです。ここは茶室です。 もう一つ、退蔵院をまわりました。 石庭といえば竜安寺が有名ですが、ここの石庭もなかなかなものです。入ったところに陰と陽の二つの枯山水の石庭がありました。 これは陰の石庭です。 さらにその奥にすすむと「余香苑」という庭がありました。 「これが禅宗の歴史的な庭園か」と思ったのですが、 後で案内チラシで知ったのですが、この庭は昭和になってつくられたそうです。 昭和の現代につくられた庭園でした。その池には、白やピンクの蓮の花が咲ていました。 当方が、京都に行けたのは、中学の修学旅行いらい数回ですが。 あらめて、私などの知らない名刹がまだたくさんあると感じました。日本の古都・京都には、さまざまな歴史文化があり、今日に続いているんですね。
2014年09月12日
コメント(0)

京都の旅3 天龍寺を見てきました 天龍寺は京都五山の第一で、臨済宗天龍寺派大本山とのこと。 正しくは霊亀山天龍資聖禅寺というのだそうです。野宮神社から竹林を歩いてすぐの所に天龍寺の北門がありました。 創建は足利尊氏(1305-1358、54歳)で、対立した後醍醐天皇が吉野で死去(1339年)し、それを弔うために1345年に建立した寺だそうです。 これが大方丈です。方丈というのは本堂のことだそうで、御座所がつくられていました。ここからが、広い庭(曹源池)を正面に見渡せる一番の場所でした。 修学旅行の学生や外国からの人たち、大勢が広い境内を見学していました。 この寺は8回の大火災にあったそうで、応仁の乱、蛤御門の戦でも焼けたそうです。 伽藍の多くは明治以降のものだそうで、1994年に世界文化遺産に登録されてるそうです。 やはり池を(曹源池)中心にした和風庭園が素晴らしいんですね。 臨済宗ですから禅宗で、山水画を感じさせる庭づくりです。 夢窓疎石(国師)がつくったそうです。中国・元との「天龍寺船」による交易が、その資金になったそうです。 また、広い庭は、さながら植物園です。 『源氏物語』などに出てくる植物の多くは、ここで実物を見ることが出来ます。 これは、「小紫式部」とのことですが、きれいな紫色の小さな実をつけてます。 こちらは「芙蓉」の花だそうです。芙蓉というのは、こんな花だったんですね。 その他にも、ハギ、キキョウ、菩提樹などなど、たくさんあったんですが、 その都度、「あぁ、これが○○なのか」と感心したんですが、その場限りです。 にわか学習では、写真の記録と、名前が結びつかなくなっちゃうんですね。 当方のみかん園の草取り体験からして、 これだけ広い庭園を管理・維持していくのは、じつに大変なことです。 やはり手入れをしていました。注意していると、庭のあちこちでは、庭師の方たちが、 残暑のきびしい陽ざしの下で、汗を流していました。
2014年09月10日
コメント(0)

『源氏物語』の野宮神社をみてきました(京都行 その2) 京都の宿に集合した時に、本番の行程レジメが配布されました。藪から棒でしたが、その中に、野宮(ののみや)神社が加えられていました。『源氏物語』を学べる、一つの場所です。当方、『源氏物語』は与謝野晶子訳と谷崎潤一郎訳で、だいぶ以前に読んだことはありましたが、ただ目を通しただけですから、個々の話は今やまったくの記憶の彼方でした。帰ってから確かめてみると、巻二の賢木(さかき)、榊には、野宮(ののみや)神社が出てきました。 二日目の9月8日は、朝一番で嵐山と渡月橋を散策して、その後、野宮神社に行ってきました。 シンボルの小柴垣と、黒木の鳥居が、歴史を越えて維持されていました。場所は都のはずれ、嵯峨野のうら寂しい、小さな禊の神社というものを見れました。 長編の『源氏物語』は、ほとんどの中味は忘れちゃってます。 この野宮神社は、確かに源氏と御息所との舞台になっていました。 9月7日に光源氏が、娘について伊勢に下る御息所(かつての愛人)を訪ねたんですね。 そのいきさつが解説されてました。詳しい心のやり取りは、原本に当たるしかありません。 すくなくとも、現地を歩いてみての印象です。「嵯峨野という場所が、京のはずれの人里離れた所だということ」、「野宮神社は、竹林の林の奥にある、小柴垣に囲まれた、いたって小さな神社であること」「派手な朱色の鳥居ではなく、質素な黒木の鳥居の神社であること」「源氏が訪ねたのは9月7日だったそうですが、我々が訪ねたのも9月8日で、ほぼ同じころでした。(新暦と、旧暦の違いがありますが)」 現地を歩いたときは、そうしたことは知る由もなく、帰ってから分かったことですが。 京都の神社仏閣は、前回の二条城が示すように大規模で、時の権勢のシンボルが観光名所です。それに対して、野宮神社は小さく質素なものでした。落差が大きかった。これがその 本殿です。 そのわきにあった説明書きです。 嵯峨野のへんぴな場所にあり、いたって質素な社だったのが印象的でした。もちろん当時は、もっと神社も立派だったとは思いますが。境内は箱庭でした。その脇には、つるつるになった石がありました。この岩をさわって祈れば、願い事がかなうとのことです。願いをもったどれだけの人がなぜたでしょうか。『源氏物語』にはこの石はありませんから、その後のアイディアでしょう。 願い事はいっぱいあるようで、石はテカテカに磨かれちゃっていました。 人里離れた嵯峨野の散策は、貴重な体験でした。あらためて『源氏物語』を、全体は無理でも、せめて巻二の「賢木」だけでも、今回の様子からして、読み返してみる必要を感じさせられました。
2014年09月10日
コメント(0)

同窓会で、京都を旅してきました(その1)9月7日(日)-9日(火)、法政の同窓会で、45年来の旧友が京都を旅してきました。なかなか箱根山から西を旅することはないのですが、貴重な旅でした。なにしろ地元の知人が、よくよく準備をしてくれたものですから。これは二条城です。宿となったホテルの近くに、この二条城がありました。早めに集まった人たちで、そこに繰り出したんですね。とうほうにとっては、かなりむかし修学旅行で一度来たことがありましたが、それ以来40数年ぶりの二条城でした。あらためて見てみると、それは御所のすぐ近くにあって、徳川幕府の威信を示すように、本格的なつくりのお城だったんですね。参観者には外国の観光の人たちも大勢いて、熱心に撮影していました。二条城の玄関です。ここから入って、内部を見学しました。徳川慶喜が大政奉還を議論したという広間も現存していました。(内部の撮影は禁止で、紹介できないのですが)ドラマや絵画とは違っていて、諸侯の大名が一堂に会したわけではないんですね。広間が二つ、親藩用の広間とその他の大名の広間があり、二度会議をしているようです。その庭づくりも素晴らしいものでした。しかし、やはりお城なんですね。これが内濠でしょうか。この石垣が、二条城がお城であることをしめしています。ところで、7日の夜でしたが、たいへん風流な体験をさせてもらいました。鞍馬山の貴船神社ちかくでしたが、車は川沿いの細い道をのぼっていきました。やがて、川の上に提灯がともり、座敷がつくられているのがみえてきました。はじめての体験でしたが、こりが川床(かわどこ)料理というものだそうです。これは、まったくの川の上につくられた席亭なんですよ。奥の方で川が流れ落ちているのが分かると思います。まさに天然のクーラーです、これで3-5度は気温が下がっているそうです。京都の夏はたいへん暑いんですが、こんな暮らしの知恵がなされていたんですね。もちろん雨で水かさを増せば水没して、座敷は不可能になります。この川床料理は、6月から9月までの期間限定の、夏の涼とのことです。名物は鮎(アユ)とのことですが。それだけではなく、京都の京都らしい料理が、並びました。この一事がしめしていますが、今回の同窓会の旅は、京都に暮らす人の準備と名案内によって、けっしてふつうでは体験することのできない、風流で贅沢な体験ができました。
2014年09月09日
コメント(0)

フォイエルバッハ著「ヘーゲル哲学の批判」を読んで (その3 唯物論) フォイエルバッハの「ヘーゲル哲学の批判」(1839年)を読みました。 岩波文庫の『将来の哲学の根本命題』にありますが、全体で55ページの論文です。文章に節を付けてみると23節あります。 これまでに見てきた論点ですが、 1、ヘーゲル哲学を絶対的なものとみる見方を批判していました。(その1) 2、ヘーゲル弁証法について、第12節P149に出てきますが、弁証法を対話や技術ととらえていて、批判的な検討はされていませんでした。(その2) 今回は唯物論についてです。フォイエルバッハは、このヘーゲル哲学批判の主要な論点は唯物論の提起にあると読めます。それがどのように提起されているかの問題です。 そもそもドイツ古典哲学の歴史は観念論の流れでした。その中から、ヘーゲル哲学の中からフォイエルバッハは、唯物論の考え方へ進んでいきます。 しかし、この論文には「唯物論」という言葉はまったく出てきません。内容として唯物論を紹介しているのですが。何故そうなのか問題です。 この論文でフォイエルバッハは唯物論をどのように提起しているか。 第一に、第11節・P146で、問題を提起しています。 「ここでわれわれはヘーゲルの論理学だけでなく、哲学の一般的な問題に当面するのではなかろうか。論理学は、(本源的な対立を古い名前で言いあらわせば)唯名論者と実在論者の争いを超越しているだろうか。」端的に基本的な問題を提起しています。 普通は実在論が唯物論を指していますが、ここでは中世スコラ哲学の「普遍論争」が念頭にあるようで、唯名論が唯物論の現れになっているそうです。 第二に、第18節・P159-161では、フィヒテからシェリングへの流れの中から。 「観念論者(フィヒテ)は、自然のうちにも生命と理性を見たが、それは彼自身が自然のうちに入れたものである。自然は客観化された自我である」と。シェリングは「自然は君の自我であるが、しかし君の別な自我であり、それ自身実在的な、君とは違った自我である」と。 「この対立する基礎には、すでに対立する見解があったと、そこから対立する見解が発展しないわけにはいかなかった。自然哲学と観念論、二つの独立的なもの、二つの互いに対立する真理をもつことになる」と。 ドイツ古典哲学の歴史の中で、自然哲学において自然が精神から独立したものとみる唯物論の考え方が出てきている。宗教論の中で、精神が先か存在が先か、鋭く問われるようになった。 フォイエルバッハは、対立する二つの見解(「唯名論と実在論」、「自然哲学と観念論」)の検討から唯物論に移っていったようです。この前進は歴史としては短期間ですが、大きな画期的な前進だとおもいます。 1841年『キリスト教の本質』、1842年『哲学改革のための暫定的命題』、1843年『将来の哲学の根本命題』と、フォイエルバッハは進んでいきました。 しかし、フォイエルバッハはこの論文では「唯物論」の言葉を一切使っていません。その後の著作をみても、その使用にためらいをもっていたと思われます。当時、唯物論にもいろいろな見解があって、それらを検討し前進させることが求められていたんですが、結局、唯物論を新たに前進させるという課題では、それが出来なかったということです。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』は、それを指摘しています。 さて、今回のフォイエルバッハの「ヘーゲル哲学の批判」は、ここまでとします。 今日でも問われている問題や、必要な検討課題も見えてきます。 また、たちかえる時もあるでしょうが、今回はこれまでとします。
2014年09月07日
コメント(0)

急ぎ、鴨長明著『方丈記』を読んでますこれも明日の京都行の準備の一つです。天気が心配されますが、せっかくですから、荒れなければよいのですが。行く先について調べてます。仁和寺にもよる予定になってます。仁和寺については、その説明書きには『方丈記』と『徒然草』が出てきました。今回は、その『方丈記』による仁和寺の紹介です。この著作自体は、全体として13節、ごく短い作品ですが。『方丈記』は以前にも紹介したことがあります。東日本大震災のときに土壌の液状化が問題になりましたが、すでに『方丈記』の中に、液状化の記述があるとの紹介でした。 http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201104220000/それは、六「大地震」の所でしたが。今回の仁和寺は、五「養和の飢饉」にありました。養和の年号というのは、1181年、1182年です。「仁和寺におられた隆暁(りゅうぎょう)法印という方が、〔この飢饉で〕数えきれないほど死ぬのを悲しんで、死者に出会うたびに額に「阿」の字を書いて、仏縁を結ばせることをなさった。その人数を知ろうと思って、4・5の二か月間、数えてみたら、京都(みやこ)のうち、つまり、一条から南、九条からから北、京極から西、朱雀から東の、道ばたの人の頭は、すべてで42,300あまりもあったという。まして、その前後に死んだ人も多く、また、京の外、河原、白川、西ノ京、その他あちこちの辺鄙な土地などを加えていえば、際限もなかったであろう。ましてや日本全国を調べたら、それこそ大変な数であったと思う。」(講談社文庫 川瀬一馬訳)鴨長明という人は、1155年-1216年・62歳。この作品は、1212年・58歳の時に、したがって晩年にまとめたものだそうです。今回、『方丈記』をざっと駆け足で読んだだけですが、もう一つ、再認識したことがあります。一「序」が、すごいですね。ごく短い文章なんですが、弁証法の思考で表現しています。「行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(まだまだ続きますが)長明の場合は、「無常観」、滅びることのあわれ、といった心境に帰着していくわけですが、そうであっても、自然や人の変化する様子をとらえて、生き生きと表現しているんですね。新たな創造的な側面、ものごとの生まれる側面については、出てこないのですが。それでも、弁証法の考え方というのが、日本の文学史にはっきりと書かれているわけです。ヘーゲル(1770-1831)が、弁証法の考え方を再発見したのとはまったく別です。それよりもはるか500年以上も以前のこと、まったく世界を異にした日本でのことですから。それにもかかわらず、こうした考え方が出てきているというのは、面白いことですね。
2014年09月06日
コメント(0)

同窓会があり、しばしミツバチとお別れです9月7日から9日までの3日間、京都にて法政大学時代の同窓会があります。そのため、しばし休日農夫は、みかん園への遠出を中断します。まぁ「旅」といえば、年に一度のこのくらいですから、各方面に容赦していただいて、いろいろ見聞を広げてきます。そうしたことで、9月3日(水)のみかん園行きは、ミツバチの巣箱をつくるとともに、全般的に、みかん園とミツバチの様子を見てきました。これがその時のミツバチの様子、巣箱のふたを開けた時の状況です。ミツバチの食糧事情が不足してないか心配していたのですが、給餌器の砂糖水は、ほとんど減っていませんでした。最悪の食糧不足というわけではなさそうです。今回のミツバチ手当ては、ただ各巣枠についてその様子を見て、そのあとで巣箱の底床の掃除をしましたが、それだけでした。心配していたスムシの発生ですが、その気配はまったくありませんでした。しかし、キイロスズメバチですが、この方はやぱりやってきました。今期、6匹目の登場でしたが、つかさず手網をつかって、御用とあいなりました。これはチェックを終えて、巣箱をもとの状態に戻した後の巣門の状況です。これだけ集まっているのは、めずらしい。巣箱の全体には、キイロスズメバチの防止用の網をかぶせてありますが、巣箱の異変を感じて、多数のミツバチが警備の態勢に入ったようです。もちろん特別な危害や、これ以上の異変はありませんから、すぐに平静に戻っていくと思いますが。まぁ、全体として、この時期としては、ミツバチの状況は順調だと見ました。これなら、しばし現地を離れても問題はなしと感じました。今回、補強した待ち箱ですが、これも元の位置に戻しました。なかなか様になっています。もっとも、ミツバチがどう受け止めるかが、問題ですが。この巣箱は、9月下旬に新たな場所に移動する予定です。やれやれ、これで心置きなく同窓会に出かけれます。
2014年09月05日
コメント(0)

9月3日の富士山とミツハチの巣箱づくり 9月3日(水)は、ミツバチの巣箱づくりに出かけました。 天気は晴れ、途中の平塚から見えた富士山です。 午前6時30分です。雪はすっかり消えているようです。下界では、セミがスローモーションの鳴き声となり、夜の鳴き声は完全に虫たちに変わって、秋風を感ずる頃になりました。 さらに走って、小田原から見えた富士山です。 さて、今回のみかん園行きですが、この間につくってきたミツバチの巣箱を完成させるためです。 今の時期は、草刈り仕事ですが、加えてミツバチの待箱をつくっています。 これが、今回つくった巣箱です。 久志型巣箱を改造したものです。給餌器が3つあるのは、他の巣箱用です。これには巣枠が10枚入ります。巣箱とともに、その中に入れる巣枠もつくりつつあります。 この巣箱の原型となった久志型巣箱です。 こちらは、以前につくったものですが、重箱式だったものを、巣枠式につくりかえました。それで4段を固定して、基礎部分に袴をはかせました。この巣箱の中には、給餌器の外に、5-6枚の巣枠が入ります。 これらの巣箱が、蜜蜂にとって居心地が良いものであってくれればよいのですが。これらの巣箱は、来春の分蜂期にむけての待箱用です。気の早い話ですが、みかんが忙しくなると、待ち箱作りどころではなくなりますから。近々、これらは知人のみかん園の片隅に置いてもらう予定にしています。
2014年09月04日
コメント(0)

2014年 8月みかんとミツバチのまとめ この「みかんの四季」ブログは、2008年9月5日に始まりました。 http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/200809050000/ 軽井沢の「発地ベリー園」の知人がブログ発信していたのに刺激されました。 以来、みかん栽培を紹介して、6年になろうとしています。 今年は、新たに二ホンミツバチがくわわっています。 この8月ですが、 一、みかんの木は、少し肥大化した果実が目立ちだしています。 今年の出来はどうか、気になりますが。 今年のみかんは全体的には裏年基調になっています。 早生の木では、成木5本中、4本がほとんど実をつけてません。 それなりに果実をつけている木はたった1本だけです。 普通温州みかんも、おそらく同じ傾向でしょう。しかし、なかには頑張っている木もあります。 こうした木もないと、ガックリですし、大変なことになります。 今年の8月の天候ですが、神奈川県西部でも雨量が多かったと思います。 おかげで雑草の一段と活発に繁茂しだしています。 二、ミツバチの方ですが、移住して来て4か月がたちました。 最初に来たのは、去年の8月21日でしたが、すぐに10月9日には逃げられてしまいました。 その失敗の原因ですが、 1、スムシの急速な発生。2、スズメバチの襲来。3、セイヨウミツバチによる盗蜂との喧嘩。 などいろいろな要因があったと思います。 そして今、前回の問題をきたした問題の時期に入っています。 やはりキイロスズメバチがやってきています。 行くたびに駆除する事態です。今度こそ、この時期を無事に乗り切りたいと思っています。8月のみかんとミツバチでした。
2014年09月03日
コメント(0)

あれっ! まだキンカンの花が咲いている8月30日、引き続きキンカンの花が咲いているのを見つけました。難行苦行の草取りをしているなかでは、一つの清涼剤です。柑橘の花は、一般には5月に咲き、しかも10日くらいですべて散ってしまいます。5月で花の時期は終わり、今はすっかり地味な常緑樹にもどっています。そうした中ですから、今花をつけているキンカンは独特の存在です。今期、最初にキンカンの花に気づいたのは7月23日でした。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201407260000/以来、少しずつですが、花が咲いては、また次のつぼみをつける。それが続いて、今回もまたつぼみをつけていました。しかも、まだまだこれからも続きそうです。花だけではありません、すでに枝先には小さな実もついています。おそらく最初の頃の花の結果でしょう。キンカンの実は、収穫期間が長いんです。おそらく12月ころから4月ころまでは、少しずつですが採れるんじゃないでしょうか。その訳は、この花の咲き方にみてとれます。次から次へと、かなりの長い期間、花が咲きつづけています。キンカンは、むかしは多くの家の庭先に植えられていました。風邪に効くとか、のどに良いとかで、一種の常備薬でした。今では、その時期に、たくさん実をつけたまま放置されているのも見かけますが、むかしは医療機関が身近かになかったこともあって、暮らしの中の手近な療法として、はるかに重宝されていたのではと思っています。
2014年09月02日
コメント(0)

今年の早生みかんは、裏年です みかんの今年の出来はどうか、気になります。 果実のつき具合を見て、予想を立て、手立てをとる段階に来ました。 みかんの一番早いのは早生みかんですが。 だいたい11月3日、文化の日あたりから収穫が始まります。 早生みかんは、当園には成木が5本あります。 8月30日に、あらためてその様子を見たのですが。 大方の木が、さっぱり実をつけていません。これでは、収穫量が減るどころか、ゼロの木もありそうです。 早生みかんは全体として裏年で、今年はお休みです。 しかし、そうした中で、1本だけ実をつけた木がありました。 この木は、毎年コンスタントに実をつけてくれて、隔年結果による表年と裏年の差があまりないんですね。 早生みかんは、その年のみかんの味見用に提供するようにしていますが、 この木のおかげで、なんとか今年も味見用が提供できそうです。 それと、果実の数は少ないのですが、 植え替えした小木に実がつき始めています。 この木は「興津早生」の小木です。 元々この場所にあった木は、カミキリムシの加害で枯らされてしまいました。 2005年2月に苗木を植えてから、9年が経過して、ようやくここまで来ました。 一度枯らされると、いかにダメージが大きいか、それをしめしています。 毎年数本ずつ、植え替えを余儀なくされてます。しかし、それは新たなみかん木への世代交代でもあります。
2014年09月01日
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1


