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みかん園の5月のまとめ 職場を退職して1年2カ月が過ぎました。 この間に退職後の3つの仕事が見えてきました。 1、早川と真鶴の産物を、都会の人たちに届けること。 2、週に一度の、地元クリニックの送迎運転。 3、余暇の時間をえて、遅ればせながら読書の手習いを。 これまでも、2001年から真鶴のみかん園との間を往復してきていました。 主要な産物の温州みかんは11月と12月ですが、その収穫はこの2カ月で終了します。他の時期は草刈りに行くだけだったんですが。 いくら私有財産の自己責任といっても、450平米の草刈りに、75キロも離れた遠隔地に、休日のほとんどをさいて草刈り作業に行っていたわけですから、道楽にもほどがあるというもの。 執念は、みかん園を草ぼうぼうにして、荒廃させるわけにはいかないということでしたが。 これにたいして、新たな展開があったのは、一昨年の11月3日でした。早川の知人が、みかん園の園主なんですが、市民みかん園をすすめてくれました。 「せっかく、八王子-真鶴間を往復しているなら、途中の早川でひと手間するのも同じ経路の内じゃないか」と。 だいたい、一般には農業者というのは自分の畑の草取りで忙殺されて、へとへと。周りの人たちとの交流機会はうすくなりなりがちです。日々、雑草を相手にしているようなものですから。そうした私にとって、早川は広々とした自然のみかん園ですから、その一角を体験させてもらうのは、みかん栽培の仕方を知るうえで、貴重な機会だったんですね。いわば「文明開化」のようなものでしたから、二つ返事で市民みかん園を貸してもらいました。 それから2回目の5月が過ぎました。 この間に、同じ5月でも、その5月の様相が大きく変わりました。 私などの「みかんの木を育てる」ブログは2008年から続いていますが、それをみると、以前の5月については、2009年から2015年までは、労働といえば、草刈りくらいで、あとは真鶴のみかん園の観照的な紹介くらいが、せいぜいだったんです。 ところが「文明開化」で、去年の2016年から大きく変わりました。 この4月-5月には、草刈りに加えて甘夏の大きな収穫と販売活動がはじまりました。 毎週、毎週、ピストンのように八王子-真鶴間を往復して、早川の甘夏を都会に届けるようになったわけです。 なにしろ地味豊かで、樹も大きな早川のみかん園ですから、真鶴と同じ産物であっても、生産量・取り扱い量が桁違いなんです。甘夏で見れば、真鶴の40個にたいして2000個ですから。 くわえて、歴史的に農家が培ってきた自然の豊かさです。産物の多彩さです。 今、現在は、梅、ビワ、日向夏、ノブキ、ウド、みつばを出荷していますが、 ちょっと前までは、青島、ネーブル、レモン、伊予柑、湘南ゴールド、タケノコ、お茶を採りました。もちろん、この中のいくつかは、真鶴のみかん園でも作っています。しかしそれは個人で楽しむくらいなんです。わずかなもので、完全に自分自身の楽しみ、道楽の域でした。 これにたいして、豊かな早川の産物がくわわると、これまでとは品物の種類でも出荷する量においても大違い、たとえていえば日本と世界全体くらいの違いですから。 こうしたことで「早川と真鶴の産物を、都会の人たちに届ける」という仕事が始まりました。これは大仕事であり、大忙しです。これは基本的には、近郊農業と都会とを結ぶということですね。神奈川県西部のみかん業は、1970年代まではアルバイト料を払って出稼ぎの人たちの力をかりていた時代もあったようですが、今はそんな収益なんぞありませんから、あくまで自分個人で出来る範囲での体力勝負ということになります。 私などは去年の時期のことですが、目くらめっぽう欲望と自然の収穫に突っ走ったこともあって、5月に1週間入院する羽目になりました。体がついていかなかったんです。もう若くはないんですね。今年は、それは繰り返さないということです。 八王子-真鶴・早川間の往復回数ですが。 3月 4月 5月 一昨年 5回 5回 7回 計17 去年 10 10 6 26 今年 7 8 11 26 こうした動きをみてみると、いまは危険ラインにあるということです。 大体、収穫してきている物の、扱い品目と量が、自然の豊かさそのものに迫ろうとしていますから、土台勝ち目のない挑戦であることは間違いないんですが。 この往復には、一往復が180キロ、ガソリン代と高速料で、3,000円はかかりますから、この月々に7-8万円がかかっています。この交通費を賄うだけでも、続けるためには相応の事業展開が必要だということです。いくら生産があっても、市場が無ければ、ものごとは回りません。この間の変化のもう一つは、東京の住人が、早川の産物を、求めだしてくれていることです。生産あっての消費ですし、消費があっての生産なんですね。 東京の消費地と、早川・真鶴の産地を結ぶということですね。 さて、これからは、梅雨の初めまでは梅のシーズンです。 小田原方面は、名だたる梅の産地でもあります。 いまは青梅で梅酒用に、もう少しして熟してくれば梅干用に、梅を採ります。 くたびれて欲張って、木から落ちない程度に、サルはけっして落ちませんが、人間の方は落下することがありますから、身体と相談しつつ、さらに収穫・出荷をしていきます。
2017年05月31日
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5年前の『精神現象学』序論への挑戦フェイスブックは、1、2年前の同日の発信をバックアップしてくれます。その関係で、さらに過去の発信を調べたら、こんなものが出てきました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201205300000/5年前の挑戦です。すっかり忘れていましたから、たいしたことではないのですが。それでも、これは、今もって必要とされているテーマです。関連して紹介すると、1、マルクスの『経済学哲学手稿』の中に、「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」という小論があります。これも、この時に学習したんですが。ヘーゲルの弁証法に対する批判が、ここで展開されているんですね。後にエンゲルスが『フォイエルバッハ論』で紹介してくれていますが、そのオリジナルな原典が、この小論です。もう一つ、紹介したいのは、日本の哲学者の小論です。2、真下信一著『時代に生きる思想』(新日本新書 1971年10月刊)の中に、「私の古典-ヘーゲル『精神の現象学』-」という小論があります。この真下氏の小論は、ヘーゲルのこの難解な書を手近かに引き寄せてくれました。具体的な中身は忘れましたが、真下氏の実感ある紹介だった印象が残っています。日本の哲学者の努力には、大事な宝があちこちに散らばって存在していると思います。私などの素人から見ると、しっかりとその業績を評価する仕事は、みえていません。光る宝はバラバラな状態で、知る人ぞ知るといった状態です。なかなかまとまった形を与えてくれるようにはなっていません。
2017年05月30日
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早川へ、梅とビワの臨時収穫に行ってきました5月30日は、関東は暑い日差しが照れつけました。そうした中、梅とビワの臨時の収穫で早川へ行ってきました。これは、午前5時44分に小田原サービスエリアからみた富士山です。今日の関東は、気温30度が予想されるので、午前4時27分に八王子を出発して、早め早めに作業を終えるようにしました。今回の早川行きは、臨時に飛び込みでくみ込んだ収穫です。先週末・土曜日の単独の朝市は無事に完売したので、ヤレヤレとほっとしていたんですが。5月29日(月)朝、地域の図書館の涼しいところで蔵原論文を読んでいたんですが、そこへ朝市の事務所から『青梅の注文3袋が来ている』との連絡が入りました。そもそも単独市は、自然のサイクルに合わせて、供給側の都合で開催したものでしたが、今度は逆です。この連絡は、この時期は梅酒づくりの梅やビワについて、需要の側の要請なんですね。昨日、買い物でホームセンターに寄ったんですが、野菜の直売コーナーがあって、そこで驚かされました。ビワが出ていたんですが、良いものでは5個で250円の値段がついていました。なみのもので、15個くらいで400円でした。「へぇー、ビワって、こんなに高いんだ」と、私などは認識を新たにしました。当方のビワが、味・価格ともに、評価を得たのは、庶民の経済感覚として、明らかな比較の根拠があったんですね。そんな見聞をした直後のことでもあり、ましてや需要による連絡でしたから、だいたい時期物の梅もビワは、早川の木には沢山なっていることですから、こうなれば、「疲れた」なんぞ贅沢なことは言ってられません。ただちにあくる日に臨時の収穫を組み入れることになったしだいです。これは、本日の午前6時53分、早川の市民みかん園からの様子です。作業に入る前に、市民みかん園を見るようにしたんです。サトイモの発芽が12株でありました。イノシシがいたずらで、芽の出た種芋を食べるわけでもなく、掘り出して放置してありました。それを埋め戻しておきました。キウイの木ですが、枝先に花が咲いていました。これだけの花にすべて実がつくわけではありませんが、花がつかないことには、実はならないことも確かですから。去年は、実が、たった4個しかならなかったんです。ついで、日向夏の収穫をしました。あまり実は目立ちませんが、これは今回の収穫前の様子です。今朝の収穫は、この木から2.5コンテナを収穫したんですよ。まだ、少しですが、残っています。肝腎の梅とビワの収穫ですが。このみかん園の園主も収穫作業に力を貸してくれました。大きな木に登っての収穫だったんですが、もう汗びっしょりの状態での必死の作業でした。おかげで、写真のことなど忘れてしまったんですね。当事者になったため、肝心のビワと梅を収穫している写真はありません。この他に、ウド、ノブキ5束、みつばを少し、これらを収穫して、午前11時55分に帰途につきました。帰ってからは、梅とビワの袋詰めしての出荷作業が待っているわけですが。その本日の出荷ですが、ビワ21袋、梅20袋、ウド4束、ノブキ5束、みつば少々でした。
2017年05月30日
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蔵原惟人著『現代民主主義と日本の文化』を読んでます私は、唯物論の哲学、日本のマルクス主義哲学の著作を学ぼうとしていますが、前回紹介した『唯物論哲学入門』(森信成著 1972年)の一つをとってみても、個々の文芸作品について、その評価するのに批評基準が問題になります。文芸批評の基準ということが問われてくるわけです。それで、また、以前に読んだ本のホコリを払うことになりました。今回は、蔵原惟人著『現代民主主義と日本の文化』(大月書店 1970年5月刊)です。この本は、発売された1970年頃に入手しました。遠い昔のこととなりましたが、大学に入ったばかりのころです。本を開くと、所々に鉛筆で印がついてます。20歳の頃、40数年前に読んだはずなんです。その当時は、中身の理解については、性急でもあり、ほとんど記憶がないんです。しかし、文芸批評が問題になっていたことは、記憶していたんです。著者の蔵原惟人氏ですが、私は高校の卒業を前にしていたころ、知人が蔵原著『芸術書簡』を貸してくれました。文芸というものに縁のなかった私に、知人が知的なアドバイスをしてくれたんです。なにしろ、関東平野の西部の片田舎で、スポーツに明け暮れしていた高校生のころです。もちろん日本共産党とか、治安維持法とか、国政とか、ほとんど政治は知らなかったんです。そうした中で、この時に『芸術書簡』で蔵原惟人氏という人の存在を知りました。この著作は、古今東西の文芸について、博学というか、必死で学習しているんですね。私などは、文芸作品については、ほとんど教科書に出て来る以外は、知らなかったんです。初めて知る未知のひろい文芸世界です、分からないなりにも、なにかを感じさせられました。この書簡が、治安維持法の獄中で書かれたものであったことを知ったのは、もう少しあと、とはいえ激動のなか、ほどなく、社会が見えてきたからだったんですが。そんな縁で、大学の書籍コーナーで、蔵原著『現代民主主義と日本の文化』を手にしました。以来、40年余ぶりにになります、今、こうして読み返すのは。これは、1960年代後半に書かれたものですが、文芸作品はどの様な基準で評価されるべきか、が問題になっています。私などが、今回、問われている問題が、ここで探られていたんですね。この本で、私は、あらためて驚かされているんですが。この本が出たのは終戦から25年目の時点です。今は、それを入手してから50年の倍近くが過ぎてしまいました。戦後5年目の1950年に生まれた私などとしては、当時終戦というのはかなり以前のことと思っていたんです。また、その時点では、現行の憲法や社会というものは、自然なものとして、完成された既存の社会と見えたんですが。既存の文芸や政治も同じくです。今日の時点に立って、あらためて読み直してみると、違うんですね。当時というのは、自然な社会どころか、完成された既存の世界どころか、そうではなかったんですね。今の戦後70年からふりかえってみれば、戦後5年目は混乱の冷めやらぬ頃、大学の入学時の25年目というのは、混乱した事態から戦後のある程度の形ができ、考え方がまとまって来る、それでも大きく見れば、「創生期」を過ぎたころだったということじゃないですか。この論文集に見る蔵原氏ですが、この戦後の混乱の余韻をのこす時期に、新たな文芸評価の基準を確立しようとして努力していることが見えてきます。そういった時点だったんです。それが見えてくると、私などの青春時代の学園生活というものが、自然の成り立ちどころではなくて、当時がもつ歴史性というものも見えてくるんですね。当時、私などは気がつかなかったことなんですが。蔵原氏の論文集は、戦後の複雑な事態、さまざまな混乱があちこちにあって、その中にあって評価の基準を探り、実際に批評活動を展開していっていたんですね。この12編の中の一つ、「民族的民主的文化の発展のために」(1965年3月15日講演)から、一か所を紹介します。「私は外国の進歩的な文化は、積極的にこれを学ばなければならないと言いました。同時に、盲目的な外国崇拝とはたたかわなければならないと言いました。このことは、社会主義国の文化についても言えると思います。・・私たちが学ぶべきものは非常に多いことは言うまでもありません。しかし、社会主義国のものはすべて良く、またそれをそのままの形で日本に移植できるというふうに考えるものがあれば、それは誤りであります。もともとよその国の文化というものは、それを学ぶことが出来ても、そのまま移植することはできないのであります。その国の風土にあったものだけが、その国に根づいて発展することができるのであります。」(P60)こうした考え方というのは、1970年代にはいって、よりしっかり開花して広がっていきます。今日では当たり前の考え方のようになっていますが。こうした開拓的な創造の努力の中から、基礎的な思想がつくりだされてきたんですね。「自主独立の立場」と言われるものですが、ソ連や中国の対立や、社会主義国の干渉攻撃などが加えられてきた。下世話にあった私たちなどには、現場のやり取りの状況は知る由もありませんが。その後、さらに激しくなっていったんですね。しかし、この一文を見ても、問題の兆のうちに、対処する立場が準備されつつあったということです。いま、私などが問題としているのは文芸評価の基準ですが、これも関係してきますよね。こうした事情を明確に知るためには、こうした日本共産党の歴史を調べておくことが書かせないということです。日本は、大国の隣にあって、自主性を確立するためには、いろいろな試練をくぐってきたこと。そのことは、文芸批評の基準の確立にとっても、自主的で批判的な姿勢が大事になる。政治は文芸にも関連していたんですね。そうした見地が欠かせないというのが、日本の位置だったんですね。今だって、もの言えない政治が続いているわけですから。といったことで、文芸評価の基準を明確にして、共同の仕方を明確にして、それによる個々の作品評価を積み重ねたいと思っています。
2017年05月29日
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森信成著『唯物論哲学入門』をよんで(つづき)森信成著『唯物論哲学入門』(新泉社 1972年5月刊行)を読みました。著者は、1971年7月に著者は亡くなっているんですが、この本は、亡くなる直前の5月から6月にかけて行われた4回の講演を、まとめたものだそうです。私は1969年に法政大学に入学したんですが、当時は、もちろん著者も、この本も知りませんでした。前回、5月22日付で、この本を読みだした時に、ブログで一度紹介したんです。今回は、理解したかはともかく、通読してみての感じたことです。私などは、この間に、文学の分野で、戦前のプロレタリア文学を戦後にどのように引き継ぐかが問われたように、哲学の分野で戦前の唯物論研究会の成果をどの様に引き継ぐかが、問われていたとみて、当時の関係者の人たちの座談会などを見てきました。今回の森信成氏ですが、戦後日本にマルクス主義哲学を志向した人のひとりです。私などには、そう簡単に、その人物となり業績なりが、評価ができるものではありません。ここでは、気づいた一点だけ紹介しておきます。この本の第四講のはじめに書かれているんですが。著者は、「戦後日本の25年を通じて、マルクス主義哲学にある混乱は、その根本原因は、唯物論と観念論のとらえ方の不十分さにある」と見ているんですね。こうした観点から、戦後の哲学の歴史をとらえる見地に立っていたんですね。ここに森信成氏の考え方が示されていると思います。私などには、今回この本を読んでいて感じるんですが。一人の人物について、たかが一作の著作を読んだくらいで、その人の全体を評価するなどということは出来ません。おこがましい。なによりも現時点で一番大事な問題というのは、今の政治が、戦後民主主義を否定して、戦前社会に引き戻そうとする潮流との対決にあると思います。そこに一番の判断基準があって、たとえ宗教者であっても、哲学者であっても、それと対決しようとする人たちとは、お互いを理解しあって、手を携えるべきとの、共同の基準があると思うんです。あくまで、その共同の基本に立ったうえで、それとは区別した個別の検討課題として、戦前からの哲学探究の成果をどうみるのか。また戦後の哲学者、今回の森信成氏などの個々の人たちの見地をどうみたらよいのか。どういった点で一致しうるのか。それらを探究していくことが課題になっていると思っています。
2017年05月28日
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旬のみかんと山菜は完売しました5月27日(土)、今日の朝市は、定例日ではなかったのですが、旬のみかんと山菜が、「今日、開設せよ」と指示していました。それで、朝市の定例日ではなかったんですが、お店を開きました。これは、午前9時27分、準備を完了したお店風景です。右側から山菜、中央は日向夏と青梅。左側は、味見用の梅酒とキャラブキです。昨日届けておいたビワですが、すでに売り切れていて、ここに姿はありませんでした。それにしても、朝の商店街は閑散としていて、前回の失敗した経験もありますから、どうなるか心配していたんですが。お店も締まっているし、人影もあまりなし。だいじょうぶでしょうか。中ほどに黄色のみかんのコンテナがわかりますか。これが直売の店開きした時の、午前9時27分の状況です。商品の中身を紹介すると、まずは旬の山菜の、1.みつば、2.ウド、3.ノブキです。たらいに、分かりやすいように、それぞれ一品ずつ並べました。ついで、果実類です。すでにビワの7袋は売切れてないのですが、主力の4.日向夏と、5.青梅です。昨日持ち込んだのは、みつば10束、ウド6束、フキ14束、ビワ7袋、日向夏25袋、青梅10袋だったんですが。これが、午前9時過ぎに開店して、昼の12時27分には、ご覧のとおり。フキの3束とミツバ3束をのぞいて、売り切れちゃったんです。残りのフキ3束は、持ち帰ってキャラブキでも作ろう、などと思いつつ片付けていたところ、「何が残っているんですか」「もうないんですか」「今度はいつやるんですか」「キャラブキはどうやってつくるのか」「梅酒と梅干しはどうやってつくるのか」自転車でやってきた人、布教活動を終えて帰宅途中の宗教者など、足を止めてくれて、さらに話がはずみ、とうとう残っていたフキとミツバも、完全になくなってしまいました。本日の自主朝市に用意していたものすべてが、完売してしまいました。それだけじゃないんです。次の土曜日の「朝市には、ビワ、ウメ、ウド、日向夏をもってきてほしい。」と、さらに、「梅干とキャラブキをつくるためのレシピをかならず持ってきてほしい」、とうとう、こんな注文まで受けてしまいました。また、「ビワが美味しかった。形こそ見栄えはしないが、味がいい。お店のビワは形はいいけど、淡白でこんな味はしない。」「梅酒を作ってみたいので、必ず次回には持ってきてほしい」などの声もありました。今日は、朝、市を始めだした時には、殺風景で心もとなかったんですが、徐々に、少しずつお客さんが見え出し、ポツポツと商品も売れてゆき、結局、完売する所となりました。おまけに、「次回の朝市には、早めに来るようにするから」と、要望や約束まで交わす羽目となりました。これは、旬の作物が、人を引き付けだしているんですね。次回も、連続して、頑張る羽目になりました。
2017年05月27日
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早川の収穫には、雨の支障はありませんでした5月25日、東京の天候は梅雨を思わせるような雨模様でしたが、午前6時35分、早川に向けて出発しました。今日の収穫予定は、雨でもあり、最低限フキとミツバの予定でしてが。東京と神奈川県西部とは65キロくらいですが、天候には差がでます。午前9時の早川は、地面に雨が降った気配なし、これは、作業を終えたみかん園から見た、午後3時半の小田原です。中央から少し左側に小田原城が見えています。ようするに、にわか雨はパラついても、収穫作業には支障がなかったわけです。今日は、5月27日に、独自の自然の生産性に即した朝市を計画しています。人間が設定しているスケジュールでは、自然の旬は合わせてくれないんですね。今が旬の朝市を、自然に即して開催してみようというものなんですが。今日は、そのための収穫です。本日の収穫ですが、1.まず最初に、ミツバを収穫しました、2.次いで日向夏を収穫です。日向夏は、東京の雨からして収穫をあきらめていたんですが、小田原の現地の天気ははずれていました、わずかな雨の幕間ですが、収穫できました。3.ついで、ウドの収穫。前回にかんがみてウドは柔らかい茎の部分だけを収穫、これならまだ楽しめます。4.次いでノブキの収穫。ここまでは予定の範囲内でした。当地の「だんだん園」の園主は、それに加えて、新たにビワと梅をすすめてくれました。5.これがそのビワの木です。中央にあって、実をつけているのが、そのビワの木です。それをアップしたものですが。このビワは初めての収穫ですから、売れるかどうか、サンプル的に収穫していたんですが。一夜城のレストランからの帰り道で、農道をくだってきた2人の女性が、当方の収穫作業を見ていて、「みごとなビワですね」と声をかけてくれました。ビワを試食に提供したところ、「おいしいから、ぜひ分けてほしい」というんですね。「おいしくて、食べて生き返った気がする」というんですね。横浜から来られたのだそうです。こうして、うれしい評価をいただき、初めての商取引が成立しました。売れるかどうか、思案していたんですが、後ろ押ししてくれました。少し自信を持つことが出来ました。さらにもう一つ、6.青梅の収穫です。左側の、枝が伸びている気が梅の木です。今、青梅が収穫時になっているんですね。遠くからではわかりませんが、綺麗な立派な青梅がついています。真鶴にも梅の木はあることはあるんですが、それはあくまで自家消費用で少量なんです。それに対して、今回の、こちら早川の梅をみると、この木の自然力がたくましくて、生産力がはるかに大きいんです。今、収穫する青梅は、梅酒用なんですが。何たって、小田原は梅の産地ですから、みかん園の所々に梅の木があります。小田原方面は、梅の一大生産地なんです。ここもその一部です。梅の実の朝市への登場ですが、ビワと同じく、出品するのは、今度の5月27日(土)が初めてなんです。今回、はじめてお試しとして、団地の朝市に登場するわけです。やはり今回、収穫していて感じるんですが、それぞれの果実は、その旬という時が限られているんですね。一週間の間で、果実の盛りの様子がガラっと変わって、過ぎちゃうんですね。人の都合などは、自然の生育サイクルにとっては、まったく関係ないんです。人が自然に合わせるようにしてこそ、その恵みを味わえるんですね。人間も自然の一部だということです。おそらく、この10日間くらいが、ビワと青梅との勝負所なんですが。はたして、この関係を東京の団地の人たちは、分かってくれるでしょうか。5月27日と、6月2日が、自然の供給の焦点になっています。当方は、自然の代弁者として、1.日向夏、2.ビワ、3.青梅、4.ノブキ、5.ウド、6.みつばを用意して、独自の団地の朝市を開きます。はたして、初めてのことでもあり、どうことになりますか。
2017年05月25日
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大伴家持のみかん賛歌大伴家持(718年-785年、67歳)は、『万葉集』の編者とされていますが、彼は、みかんについて歴史的な歌を残しています。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/200810230001/当方のブログというのは、そもそもの出発点は、みかん栽培の紹介でした。どこかで、これを紹介していたことは記憶していたんですが、それは2008年10月23日のブログでした。その年の9月に、ブログをはじめたばかりの時に紹介していたんですね。大伴家持というのは、今でいう内閣総理大臣級の有力者かとおもいます。そうした人が、みかんについてですよ、こうした歌を残しているということは、意外なように感じませんか。しかも、歴史や事実に即して、記録を大切にしているんですよ。この元となる題材は、『古事記』や『日本書紀』に題材があるわけでが、それに家持自身による、みかんに対する認識や愛着をそえていますね。家持の時代、その置かれた条件というのは、単純ではなかったと思います。彼は727年に大宰府に左遷される旅人に同行しています。そこで梅見の宴の歌も残しています。また、746年には越中(富山県)の国守として下ってますし、その最後は、陸奥の国・多賀城で亡くなっているんですよ。貴族のなかの名門とはいえ、単純な人生ではなかったことが見て取れますが。そうした人が、その中で、『万葉集』を編纂し、こうした歌も残している。もちろん具体的なことは知る由もありませんが、とにかくすごいことだと思います。少なくとも現代の政権担当者に比べると、はるかに物事に対し正直に歌っています。あれこれ誤魔化すのではなく、事実を踏まえて率直な気持ちを歌っていると思います。国家や、政治の上に立つものの、最低限に求められていた資質じゃないでしょうか。そう私などは、これまで勝手にさう思っていたんですが。とにかく、これは、みかんに対する名だたる貴族による賛歌として聞きました。これは、歌った人の思いのほどは分からないのですが、ともかく、みかんにかかわる人たちにとっては、大事にしたい、歴史的な励ましの歌になっていると思います。一年を通してのみかんの魅力を、彼なりの目と実感により紹介してくれています。
2017年05月24日
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山ウドの直売市は失敗でした5月23日、陽射しもきつくなり夏めいてきました。今回は、真鶴の日向夏の完全収穫と、早川の山ウド収穫のため出かけてきました。午前6時10分、途中の平塚から見た富士山です。かすんでいます。そこに富士山があると分かっていないと、見逃してしまうでしょう。今日の本題の一つは、早川の山ウドです。朝市でのウドですが、当初の「へぇー、これがウドか」から、前回は、山ウド5束が完売になり、話題に上りだしたのですか。当方としては、酢味噌和えに加えて、葉の天ぷらを試そうと思ったのですが。みかん園の園主のいうことには、『ウドの旬は、もう終わり。だんだん大きく、硬くなって来るから』『必要なら、全部どうぞ』とのことでした。それで、この日は特別に『ウドの即売市』を開くことにしました。はやめに作業を完了して、直ちに新鮮なウドを提供するとの目論見です。安くて、今年最後のウドを、ドンドン販売しきるとの魂胆だったのですが。この目論見は、ウドのお店を開くところまでは、たしかにいったのですが。早川の石垣山、ウド畑を午前11時25分には出ましたから、東京の団地に午後1時30分到着。ご覧のように、いつも朝市をしている場所ですが、採ってきたばかりの、16束のウド、7束のノブキ、3束のミツバを並べました。はりきって、「さぁいらっしゃい」といきたかったんですが。ところが、お客さんが、まったくといっていいくらい、ほとんどない。これは当たり前なんですね。お知らせもなく、平日で、日中の陽射しが一番きついときですから、外に出ようなんて人は、よほどの用事がある人くらいなんです。くえて、「はやくたため」とばかり、ビュー、ビューと、自転車が倒れるくらいの強い風が吹き出したんですね。だいたい、自分自身がもうくたびれきっちゃってますから、たまに足を止めてくれるお客さんもあるにはあるんですが、奇人のもの売りにたいして、「これなあに」とくらいですから。いつもなら弾むはずの「講釈師」の話が、今回については、いっこうにはずまず、尻切れなんです。「よーし」と決断です。今日のところは、もうお客さんを待っている商売はやめた、と。ゆっくり気長に待っているだけの気持ちと体力が、自分の側にないんですね。旬の山菜のプレゼントのつもりですが、これでは商売として成り立ちません。こうなれば、本旨のとおりです。旬の野菜は、新鮮なうちに、知人にプレゼントすることに切り替えました。ということで、今日は、目標8軒の知人へのプレゼントの届けです。プレゼントといよりも、これは押しつけですね。もらう側は、有難迷惑なウドとノブキになってしまいますが、これも仕方ありません。まぁ、新鮮なうちに野菜を提供するには、こうした経験もありうるということです。産直商売が成り立つには、ただ良いものがあっただけではダメで、やはり売り手の側の体力と、相手のお客さんなどの諸条件が必要だということです。ただし、自然の旬の産物というのは、人の都合などは配慮してくれないことも確かで、人の方が自然に合わせていくしかないこと、これも確かなんですね。当方としては、ウドの葉の天ぷらを試すのが、今回の目的の一つだったんですが、当日は、こうした状況でしたから、とてもそれを試す状況ではなかったのですが、はたして、葉が萎びないうちに天ぷらを試すところまで、気分を持ち直せるでしょうか。
2017年05月24日
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『唯物論哲学入門』(森信成著)を読んでます私などの学習の柱建ての一つ、哲学の学習の続きです。当方の5月は、「甘夏と山菜の朝市」の販売で忙しかったんですね。何と言っても野菜や果物というのは、季節ものですから、たてこみました。なにしろ旬のものを、適時なうちに提供しなければ、意味がなくなります。早川へ収穫にでかけては、東京へ搬送してきて、袋詰めし、朝市での販売といった具合で、生産-流通-消費と、三週にわたって、週サイクルの回転で大忙しでした。しかし、農夫は、それだけに忙殺されているわけにはいかないんですね。憲法改正だとか、共謀罪法案だとか、農業破壊だとか、目が離せません。それとともに、退職後の手習いが問われているわけです。農夫と学習の両立です、これを両立させることが肝腎ですから。今回の哲学は、森信成著『唯物論哲学入門』(山本春義解説 新泉社 1972年5月刊)に当たっています。これは、だいぶ以前に、古書店で手に入れたものですが。あらためて、ほこりをはらっています。私などは、1970年ころに、はじめてマルクス主義哲学というものを知りました。1969年4月に法政大学に通うようになって、社会が見えてきたんですが。当時は、唯物論哲学というのは、一つのまとまった流れとして見えたんですが。最近、いろいろ学んでみると、必ずしもそう単純ではなかったようです。だいたい、一番の問題は、治安維持法です。戦前・戦中には「唯物論研究会」をはじめ学術活動が、弾圧されつくしたことです。学者研究者は討議も出来ずに、バラバラなまま、取り締まられたんですから。禁圧されつくされた空白の7-8年があるんですね。1945年8月15日で、歴史の審判は下ったんですが、その後遺症は、文学もそうですが、大きく傷跡を残したんですね。今回、いろいろ読んでみると、1960年代も、その後半になってからですよ、関係者が、「唯物論研究会」の業績などを討議して、確認しているくらいですから。これが、それを検証するための討議を掲載した本です。しかも、それを見てみると大変だったんですね。「マルクス主義哲学」については、敗戦後のさまざまな思想が渦巻いたんですね。さらに、スターリン批判や、ソ連や中国の共産党対立なども関係して、唯物論哲学の分野でも、たいへん複雑な状況だったようです。1969年に大学進学で、神奈川の片田舎から、東京に出てきた私などには、そうしたことは一向に知らなかったわけです。学園のなかでは、議論どころか、つかみかかって来る連中もいたりして。わたしなどの、せいぜいの古典学習などは、一般的で古代ギリシャのようなものでした。それでもって、当時の具体的な議論や荒波に立ち向かっていったんですからね。今回、この『唯物論哲学入門』(森信成著)を見てみると、これは、1972年5月の刊行なんですね。7月には著者は亡くなっていた。不思議な縁ですね、私などの学生生活の最中じゃないですか。もちろん、当時は本も著者も、私などはまったく知らなかったんですが。『空想から科学へ』や『フォイエルバッハ論』は読んでいましたが。哲学の状況は知りませんでした。それからめぐり巡って、今ごろになって、45年もたってからですよ、当時の議論に関するこのページを開いている次第ですから。(この本を、以前に、1994年1月に、私は一度読んだことになってますが、いいかげんなものだったんですね。その中身についての記憶が無いんです)まぁ、これから読んでみて、中身を理解できるかどうかは、まだ分かりませんが。一般的な期待なんですが、「唯物論研究会」についての二つの討論会をよみましたが、当事者の人たちによる率直な議論を読んだわけですが、それからして、単に外国から機械的に輸入されただけの哲学ではありません。機械的な傾向も無くはないと思いますが、それだけではありません。日本の哲学者たちは、苦労して独特の探究や考察があると思っています。もちろん、それは単純じゃなくて、理解し難い複雑な問題も沢山あるはずですが。そうした諸成果を、よく学ぶことも、現代の大事な課題だと思っているんです。とにかく、私などは、歴史的な成果や評価については疎いんです。それを課題として、今からでも、正面に据える必要があるんです。これは、あくまで学術の問題ですから、自由な意見交換が、戦前とは違って、保障されているわけですから。ましてや、ブログやフェイスブックといった意見交換の手段もあるわけですから。すすめていけば、議論する人たちも出てきて、いろいろな成果が期待できると思うんです。ということで、これから哲学について、66の手習いですが、目下は『唯物論哲学入門』(森信成著)を当たります。もしどなたか、この本について、感想やアドバイスをいただけたら助かります。
2017年05月22日
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キャラブキの味比べ5月18日に採ってきたノブキ13束でしたが、20日の多摩の団地では、朝市がありました。その結果ですが、甘夏20袋、日向夏20袋、ウド5束、ノブキ13束を、そのすべてを、完売することが出来ました。その時に、味試しとしてキャラブキを用意しました。そのうちの半分は、自分の楽しみ用にとっておいたんですが。これが、それなんです。これを見て、ふと思い出すことがありました。もう60年くらい前のことですが、神奈川県の西の片隅の村でしたが。お年寄りの、おばあさん連中が、3人-4人が集まってきては、それぞれの手作りの逸品を持ち寄って、いろいろ井戸端会議をしてました。当時、小学生の私などは、その会話はわかりません。せいぜい断片的な言葉が、わずかに記憶に残るくらいなんですが。その際、こうしたいろいろな手作りを持ち寄っては、その味の品評会をしたり、それぞれの近況や、周りでの動き、諸々の愚痴話をかわしていたんですね。私などは、ペチャクチャとやっりだしたのをみては、「また、はじまった」と、とても付き合えるものではありませんから。どこか、自分の世界へ遊びに出かけていったと思うのですが。しかし、こうしてキャラブキが並んでいるのをみると、いつしか年はめぐりめぐって、自分もその年寄り達くらいの歳になっちゃったということです。この60年間に、世の中も、時代社会も変わってしまいましたが。お茶を楽しむなんて、茶のみ仲間の会話を楽しむなんてことは、ないのですが、そこそこの機会をつくっては、やはり手作りの作品の味を品定めしだしています。まぁ、みかんの出来ぐあいが、味が、一番多いい話題ですが。だいたい昔は、キャラブキなんか、箸をつけるなんてことはなかったんですが、今回の朝市は、キャラブキの品評会になりました。1、早川の人の作は、サンショウやシイタケも入っていて、薄くちの味で、フキの素材のかおりが引き立っています。さすがです。2、当方のは、分量を間違えて、水分を飛ばすためにしっかりと煮込みました。これはこれで、佃煮風で、私の第一作としては、まずまずです。キャラブキの味を楽しみつつ井戸端会議なんてことは、帰らざる河です。もはや昔の様に自営農家をまもるなんて政治は無くなってしまったんです。これまでの民主主義を守るには、誤魔化し常習とする政治と対決せざるを得ない。やはり、平和と歳のすすみゆきは、だてには過ぎてないことを示さなければなりません。なかには、時計の針を戦前・戦中に巻き戻したがっている、自己中心者もいますから。きっと、このぬかるみは、前にすすむためには通りぬけなければならないことなんですね。一歩一歩、今日の価値というものをたしかめる、反面材料なんですね。安倍氏のような面々が、出て来るだけの下地があるわけです。そこが問題なんです。「安倍がひどい、ひどい」というだけでは、済まないんです。今という時の歴史過程を、しっかりととらえて、それを前にすすめれる力を示していくときなんですね。えっ、何の話でしたっけ。
2017年05月21日
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今日も多摩の団地で、恒例の朝市が開かれました5月20日、東京・多摩市の団地で朝市が開かれました。この朝市は、毎月に2回、第一と第三の土曜日の、午前9時から開設されています。この5月は、第2週の13日の土曜日に、フリーマーケットがありましたから、土曜日には、3週にわたり連続しての朝市の開催となりました。今日も、午前9時から朝市が開かれましたが、これは、朝市の準備の様子です。当方の今回は、甘夏、日向夏、ノブキ、山ウド、みつば、の5品目を並べました。試食用のミカンとともに、キャラブキ、ウドの味噌和えも用意されました。だいたいフキなどは、本来なら日本全国どこにでもあったはずのものですから、列島改造のころ失われてしまった自然ですが、それを再発見するということでもあります。今回は、団地の方で、秋田県出身の方との会話がありました。「昔は、フキなどは家のまわりに、いくらでも生えていたものです。この団地のまわりで、今でも見かけますよ」と。眺めているだけでは観照ですから、試食してもらおうとキャラブキを用意したのですが、考えることは共通していて、3種類の個性的なキャラブキがもちよられてきました。キャラブキの3種類は、1、サンショウやシイタケも入った絶品の本格的なキャラブキがありました。これは、美味しくて、立派な商品に仕上がってました。2、次は、手軽に、美味しく出来あがったオーソドックスなものでした。「よし、私も作ってみよう」と、気持ちを誘うものでした。3、第三は私のつくったもので、フキの分量を間違えて佃煮風になりました。まぁ、これはこれで、お茶うけにいけると思うのですが。ノブキを前にして、これらのキャラブキの味比べをしてもらったわけですが。また、ウドにしても、しかりです。前回のバザーでは、ウドは売れ残ってしまいました。名前は知っていても、手が出なかったんですね。それで、今回は少なめで、2本一束にして、5束を用意したんです。同様に、ウドの味噌和えの試食用を用意して、味見してもらったんですが。今日の天気は、真夏の様な強い陽ざしがさしてきて、透き通るようなウドの味噌和えが、涼しさを感じさせてくれるんですね。よくしたもので、試食用の味噌和えが終わるころには、5束のウドは完売してしまいました。みかんの方ですが、甘夏は、今シーズンの最後のものを20袋用意したのでが、昼頃には、17袋が売れて、残りが3袋と完売の目途が立ちました。さらに、これからは日向夏(ニューサマー)なんですが、これも20袋を用意したんですが、お昼くらいまでに、14袋が売れました。日向夏については、「(バザーの)前回もらったけど、美味しかったよ」などの声もあり、私などが当地で出品するのは、日向夏というのは、比較的に新しいものなんですが、買い求めてくれる人たちができるなど、希望者が広がっているのを感じます。この朝市ですが、多摩市の農家と群馬の農家が、生鮮野菜をならべています。そのわきの方に、早川産のみかんと山菜を一緒に並べているんですが。これらの農産物は、団地の人たちの需要に合致してきています。利用者が、少しずつ定着し、新たな方も少しずつ増えてきていますから。現在の、朝市の方は、第一と第三の土曜日の開催ときまっていますが、私などのみかんと山菜などの提供は、あくまで季節ものだし、旬の時期の限定品です。これは、日向夏の木ですが、そして、これはウドですが、農産物というのは工業製品と違って、旬の時期という根のがあるんですね。残業して、増産できるというものではありません。また、いつでも採れるというわけでもありません。自然の生産力に、基本的に人の方が合わせるしかないんですね。自然の方が、今は、フキとウド、日向夏で頑張れと指示しているわけです。従って、早川へ旬の品物を採りに行けて、私などの体力と身体の都合がつくうちならば、この団地の朝市ですが、今が旬の「みかんと山菜」市について、毎週の土曜日(午前中)に、朝市を開設してみようか、などと考えています。私などは、ほぼ毎週、早川(真鶴)と多摩市(八王子)の間を往復しているわけですから。今は、難行苦行の草刈りの仕事に、往復の遠出をしているわけですから。その途中ですから、うまく時間配分すれば、収穫と搬送は可能と思っています。その都度、ドカン、ドカンと大きな仕事をするのではなくて、毎週の帰り道にチョコッとした収穫仕事をするようにして。細くて持続する型の「土曜のみかんと山菜市」方式へ移行するということです。多分に、自分の体力と相談して、様子を見ていくことになるかと思いますが、これから、週サイクルで早川の産物を運んでみようと思っています。
2017年05月20日
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インターネットで国会議論が見れるつい最近に、参議院での共謀罪法案審議において知ったのですが、最近では、インターネットで国会論議の状況が見れるんですね。私などの古い頭では、国会論議というのは、1、テレビニュースか、限られたテレビ中継によって。2、新聞の報道によって、3、図書館などで、議事録によって。こうした方法でしか、その中身を知ることができなかったんですが。少なくとも、1970年代においては、そうでした。ところが今日では、インターネットの普及により、新たな手段を提供してくれていました。本日、5月19日付の新聞には、衆議院の憲法審査会が、18日に開かれたこと。会長と6会派の代表が討議したことが、数行の要旨として報じられています。この中で、最近の安倍首相の会見発言に対しても議論されてます。しかしこの新聞の要旨では、議論の、発言の中身を知るうえで制約があります。全体の限られた紙面ですから、それは仕方ないことですが。従来は、そこまでだったのですが。インターネットは、この議論そのものを紹介してくれていたんですね。参議院だけでなくて、当然ですが、衆議院でも提供されていたんです。http://www.shugiintv.go.jp/いつからこうした公開が行われるようになったのか、私は知らないのですが。これは、国民が国会の具体的な様子を知ることができるという、大事なことですね。この18日の衆院憲法審査会というのは、実際は何時間もの会議ですから、そのものの全部を見るというのは、よほどの人でない限り、時間もなく不可能なんですが。しかし、各会派の公式な、重要な議論が交わされていることは確かなんです。私などは、少なくとも、新聞の要旨から注目される発言について、聞いてみたんですが。問題の安倍首相の改憲発言についても、ここでも議論が交わされてますから。この中の、赤嶺政賢議員(共産)の発言は、すばらしい正論で、国民の良識だとおもいます。中川正春議員(民進)の発言は、憲法と法律の基本をふまえた見識が示されたと思います。きっと、問題発言も展開されているかと思いますが、全体を聞く時間がありません。しかし、いつでも、生で聞くことは出来るんです。これは、さながら、この憲法審査会の傍聴席で聞いているかのような情報提供です。インターネットが、民主主義に、国民主権に役立っていているということです。国民の知る権利にとって、国会議論を具体的に知ることのできる方法として重要ですね。もう一つ、共謀罪法案に関して紹介します。5月16日に衆議院の法務委員会で、参考人の意見陳述が行われました。法律の専門家の人たちによる重要な発言ですが、一般の新聞では、数行の紹介であり、そういう陳述があったことが分かる程度です。ところが、この方法を使えば、やはりこの法務委員会を傍聴しているようになります。加藤健次弁護士(自由法曹団幹事長)や海渡雄一弁護士(日弁連共謀罪法案対策本部副本部長)の陳述などは、発言のそのものを聞けるわけですが、その道の重要な専門家の発言なわけです。こうした意見を考慮せずに、ひたすら数で押し切ろうなんて政治は、中身からしても、やり方からしても、今や衆愚政治に突き進んでいるんですね。この各意見陳述がどうであったか気になっていたんですが、この方法を使って、報道を生の状況に置いて確かめることが出来ました。こうして、国会の動きが、大方の会議の状況が、これで具体的に知ることが出来ます。良きにつけ、悪しきにつけ、その公的な会議を、リアルな事実で知ることが出来るということは、ものごとを、国の政治の実際を、私たちが正確にしって、判断できるようになる、そして、あるべき形に意見をもてるようになる、これって大事なことですよね。
2017年05月19日
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キャラブキとウドの酢味噌和えをつくりました当方は、小田原の早川で、みかんやフキ、ウドなどを採っています。それを東京へ運んで、団地の朝市に出しています。これは、雨に降られてしまった5月15日の小田原城です。この日は天気予報がはずれて、午後からのはずが、朝6時半ころから雨が降り出しました。茶摘みを予定していたんですが、それをウドとノブキ採りに切り替えました。雨が降ってきては、草刈りとこのくらいしかできないんですね。この収穫は出荷用ではなくて、自家用で試作品用です。これからどの様な食材が、どの様にして作られるのか、試してみる為です。これは、山ウドです。地面を少し掘ると白い茎部分が出てきます。茎の皮をむいても、黄緑色の柔らかい部分が採れます。葉の先の若葉は、天ぷらに使えるそうなんですが。水につけておいたんですが、2日置いたら葉はしおれてしまいました。茎を使って、酢味噌和えを作ってみました。インターネットで、「ウドの料理法」から造り方を知ったんですが。どうです、この透き通るようなウドの緑色がきれいでしょう。味の方は、「まずまず」でした。もう一つ、ノブキの方ですが、早川は、山菜の宝庫なんですよ。これから一束を採って、それをつかってキャラブキをつくってみました。ノブキを1k使った場合の、調味料の作り方でしたが、どうやらフキが少なすぎたようです。味の濃い、佃煮風になってしまいました。喉が渇きますが、まずまずの味です。やはり山菜は、素晴らしい食材に変わります。これまでは、「茹でるだけで、おいしいよ」くらいしか紹介できなかったんですが、これからは、もう一歩つっこんで、「酢味噌和えに」「キャラブキに」と。押し出しに力が加わります。ものごと、一歩踏み込んで事柄を知れば、それだけ話に力がこもります。悪政を暴露すねことも、それを民主的に転換させていくことも、きっと同じ関係があると思うんですよ。ただ「ひどい」「ひどい」といっているだけでなく、それが、どの様に具体的にひどい被害をもたらしているか。この悪政をかえる民主的な共同が、周りでどのように広がっているか。一歩踏み込んだ、自分の腹からの言葉にすることが必要です。そのように語れるようになれば、ただテープレコーダーのよう、固定したきまり文句のくり返しではなくて、周りの人のこころにも、響き合えるような、聞く人の魂を揺さぶるような、そんな変化がつくれると思っているんですが。ことがら自体は、そうした事態にあるわけですから。えっ、何の話でしたっけ。
2017年05月18日
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『唯物論研究会事件と天皇制』(1989年刊)を読んですでにこの本の感想は5月11日に紹介したんですが。その後も国政が動いています。新聞で、昨日・5月16日に衆議院での共謀罪法案についての参考人発言を読みました。新聞のことですから発言の要旨でしかないんですが、しかし本質的は同じで、分かるんです。戦争法、憲法9条改正、共謀罪法案、・・・これらは自民・公明などの、今の国会議員の多数が、力をもって強引にすすめようとしている道です。他方、国民は、2015年9月19日に国会周辺にしめした意志、5月3日の憲法集会でしめした意志、・・・くり返し国民の意思を示してきています。 今、この二つが拮抗しているんですね。 私など前回、「空虚」な感じを紹介したんですが、それは、現在の政権が主権者の意思に対して、聞く耳をもたない、馬耳東風の受けとめ方からきているんですが。しかし、怒らなければならない時です。 この現在の社会状況が『唯物論研究会事件と天皇制』という本を呼び戻したんですが、それは宮本百合子の「歌声よ、おこれ」をはじめとする戦後の社会評論が引き寄せたのと同じですね。これらの著作が示している事柄は、それらが今日的な意義を持っていること。現在、何が問われている問題の本質をついていて、それに対して苦痛な体験から打開の方向を示している点が大事な点です。 ようするに、この本にしめされているように、日本の国家政治は、この民主主義の問題に対して正面から向き合えていないこと、過去の戦争と民主主義弾圧の道に根本的な反省をしていないということです。それを懐かしんで、ふたたびそうした社会に国民を引き込みたいということです。これにどう対処するか、私たちの姿勢が問われているんです。 他方、逆にそうした全体から見えてくることがあります。 日本の近代史のなかには、民主主義と科学的な良心を掲げて、治安維持法の野蛮な弾圧にも屈せずにたたかい続けた人たちがいたということ。この事実が今日、新たに光り出しているということなんですね。 私は、同じ線上で読み直していた中で見つけた言葉なんですが、 「『資本論』を10回読んだって、(確信というのは)それだけでは、生まれるものではない」 これは、『宮本顕治文芸評論集第二巻』の「共産主義とモラル」(1947年)からなんですが。 治安維持法で12年間の監獄の体験からくる独特な発言ですが、金言だと思いませんか。 学ぶという姿勢を、その一面を喝破しているんですね。もちろん読むのが無駄だといっているのではありません。問題は、どの様な読み方が必要なのか、確信をつくっていくにはどういうことが大事なのか、この問題を指摘しているんです。 だいたい世界観的な確信をつかむというのは、基本中の基本問題じゃないですか。かつてそうだったように、これをあくまで正面から問い続けることが必要なんです。 ようするに、近代の日本の歴史のなかには、安倍政治の流れもありますが、それとは対照的な国民のために政治を役立てようとする流れが、脈々として流れているということです。 その中の一つとして、若い哲学研究者たちによる「唯物論研究会」の探究でした。『唯物論研究会事件と天皇制』ですが。それはさまざまな人たちからなっていて、それぞれの人たちが当時の政治社会の暴虐に抗して、探究しようとした努力や、屈服を強いられた様子ですが、それが、50年を経ての当事者たちの証言として残されています。貴重な発言集なんですよ。 それは難しそうな研究じゃないかと感じていたんですが。そうでもないんです。 私などは、この間、この線上で『日本マルクス主義哲学の方法と課題』『戦時下の唯物論者たち』なども読みました。それについても紹介しましたが、これらの中の座談会を注目しているんです。 それは、今日的な意義と課題を分かりやすく語ってくれています。宿題が出されているんですよ。 けっして「正しい答え」を見つけようというのでありません。当人たちは、当時喧々諤々度議論しているんですが。要するに、ものごとの探究の方法を、その仕方を探っているんですね。 それは、私たちが今日の時代社会にあって、各人がそれぞれの立場によって直面している問題は違うわけです。もちろん専門的な問題を理解するには、それぞれの知識が必要ですが。がしかし、どこにあっても、それぞれの分野での基本的な態度が問題になっていると思います。しっかり事柄を獲得するうえで、生きていくうえで、これらのなかには大事な、貴重なヒントがあると思っているんです。私たちにとっても、そこに視点をあてれば、たいへん身近かな問題だと思いますよ。 そして、今日、逆にこれらから私たちがそれらを学ばなかったとしたら・・・、きっと後世から「怠慢だ」と指摘されても仕方がないと思います。なぜなら、その気になれば、学べる自由があり、その材料もチョッと工夫しさえすれば手に入るんですから。日本の歴史的な宝の持ち腐れは、もったいない、というか怠慢なことなんですから。
2017年05月17日
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参議院の審議が公開されていました 共謀罪についての参議院審議の共産党・田村智子議員の感想がきっかけでしたが。https://www.facebook.com/tomoko.tamura.5076/posts/838617379622775?comment_id=838647842953062&reply_comment_id=838840432933803¬if_t=feed_comment_reply¬if_id=1494882973180927参議院の審議一般が、インターネットで、すべての委員会の審議の具体的な様子が、公開されていたことを知りました。これがそのアドレスです。 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.phpこれは、当たり前といえば、当たり前なんですが、しかし、テレビや新聞で紹介されているのは、ごくごく要点だけでしょう。せいぜい一問一答として紹介される程度です。こうした報道からは、せいぜい誰それの質疑があったくらいしか分からなかったんですが。ある面では、まだその紹介があるだけ、まだましといったことでしたが。これからは、気になる質疑については、このインターネットを使えば、ライブ中継で、その具体的なやり取りを、見ることが出来るかもしれません。私は、初めてアドレスの紹介を受けて知ったのですが。だから、まだ、真偽のほどは十分には分からないのですが、福島瑞穂議員と金田法務大臣との質疑の様子は、確認できました。もしも、すべての参議院のやりとりが閲覧できることだとしたら、国政の民主主義的な公開として、たいへん重要なことだと思います。国政のリアルな実際を、国民が知ることが出来るわけですから。
2017年05月16日
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認識不足により、茶摘みを失敗しました5月15日朝、東京は明るい曇り空だったので、早川園へ茶摘みに出かけたのですが、天気予報では、午後3時ころから雨が降るとのことでしたが。早めに初めて、降りだす前に終わるつもりで出かけたんですが。実際は、午前の早いうちから雨が降り出してしまい、せっかく摘んだ茶葉でしたが、労働のすべて捨てざるをえなくなりました。今日は、午前中の早いうちに茶摘みを済まそうと、構えて出かけたんですが。一昨日のバザーも無事に終えれたし、今日こそは、茶摘みをして、新茶を届けようと構えていたんですが。茶葉が伸びてきていることは、分かっていましたから。東京の午前4時半の出発するとき明るい曇りで、帰ってきたお昼過ぎには、晴れ間ものぞきそうで、問題なしなんですが。65キロ離れた小田原方面は違っていました。午前6時半ころから、なんと小雨が降り出してきちゃったんですね。オイオイ、天気予報さん、これじゃあ話が違うじゃないか。ぼやいても仕方がないんですが。にわか雨くらいかとおもい、茶摘みを初めて駕籠の半分まですすんだ時でした。ついに、シトシトとした雨になってしまいました。茶摘みの天気ですが、茶摘み歌では「日和りつづきの今日この頃を・・」と、五月晴れの中で行われることとなっています。それは分かるんですが、シトシト雨については歌詞がありません。今回の小雨が降り出してしまったことで、心配になって手を止めて、知人に問い合わせしてみたんです。「多少の雨くらいなら、製茶工場は受け付けてくれるかどうか」と、午前7時には、すでに茶摘みは籠の半分まで進んでいたんです。それ以上早くは、いくら何でも電話できませんから。すると、『だめだよぅ、濡れていちゃあ。持って行ったって突き返されちゃうよ』『朝露だったとしても、濡れてちゃだめだよ』『乾かそうったって、その間に醗酵してきちゃうから、使い物にならないな』と。心配が当たりました。私のこれまでの茶摘みは、5月のゴールデンウィーク、五月晴れの日にしていたんですが。それが、これまで、とくには考えることもなく、当然にしてきてたんです。ところが、今年の早川園は、それよりも生育が少し遅かったんですね。地理的なのか、春先の低温のせいかは、わからないのですが。それで、天気のめぐりあわせが狂ってしまったんですね。より基本的には、雨天の場合はダメだという強い認識がなかったんですね。これまでは、五月晴れの中に収めるようにしてましたから、問題はなかったんです。結局、今回は、手痛い失敗を体験させられる所となりました。やはり、茶摘み歌のとおり「日和続き」が大切だったわけです。午前7時には、かなりの茶摘みをしてしまっていたんですが、そこで手を止めて、農家のプロに問い合わせしたのが正解でした。もしそのままで突っ走っていたら、摘み採った全部の茶葉がパーになるところでした。何とも、新米農夫というのは、石につまづくことで、頭をぶつけることで、一般の農家にとって、「当たり前」とされる知識を、一つ知る所となるんですね。「今日の天気では、茶摘みは出来ない」ことを、それを突き付けられた時の、がっかりした時の景色です。水墨画のように小田原城が雨雲にかすんでいました。山の方では、鴬のやつが「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ」と鳴いていたんですが、この時ばかりは、ばかにされているような声として聞こえました。結局、茶摘み作業を切り替えて、小雨の中でも出来る3つに移動です。1、草刈り、2、赤ジソの植え替え、3、ウドとノブキ採りに切り替えました。この時期の雑草の繁茂する様子ですが、これは、お隣のみかん園です。みかんの木より雑草の方が高くなっています。お隣の園主の方が、駐車スペースのまわりを草刈りしていたんで、つい先日、あいさつしたばかりなんですが、この始末です。みかんの手入れとは、とどのつまりは、草刈りです。この時期は、一雨ごとに繁茂してくるわけで、何回も草刈りが必要になるんです。とくに、早川は自然が豊かですから、その分、雑草の繁茂する力もすごいんですね。当方は、先日、知人をみかん園にむかえることもあって、足元が埋もれないようにと、すこしだけかっこをつけておいたんですが、それでも、手をぬいて放置すれば、すぐにこうした状態になってしまいます。今回も、茶摘みが中止になってできた時間ですが、その草刈りです。少々やけっぱちな草刈り音でしたが、エンジン音をふかせて、ストレス解消です。これでも草刈り作業したんですよ、分かるでしょうか。しかし、今回のこの雨が降ったことで、直ぐにまた息を吹き返すでしょうが。正面から左側のみかんの木ですが、草刈りしたことで、その存在が引き立つようになりました。みかんの花が、木の枝いっぱいに咲いているのが分かるでしょうか。下草を刈った後で、近づいて花の様子を見てみました。すごいでしょう、花、花、花です。このみかんの木から、花の清楚な香りが辺りいっぱいにひろがっていました。この香りですが、茶摘み失敗の気落ちをも、癒やしてくれる力をもっているんですよ。「ウジウジしてるんじゃない」と、くさくさを消してくれる香りがただよっていました。残念ながらブログでは、この匂いをお届けすることは出来ないのですが。こればかりは、現代技術をもってしても、現地に足を運ぶしかないのですが。今、みかん園は、みかんの花の時期、真っ盛りの時になっています。さて、お茶摘み作業ですが、あらためて仕切り直しです。なるべく早めに、都合のつく日に、今度こそ、晴れ間の時間をみて、再挑戦です。
2017年05月15日
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みかんとフキは、バザーで、ほぼ完売できました5月13日は、あいにくの雨天でしてが、東京・多摩市の団地でフリーマーケットが開催されました。当方は、紹介したように、日向夏やフキなどを用意したんですが。午前10時に、この時点では小雨でしたが、バザーが始まりました。小雨でも空は明るくて、午前10時の開会時点では、問題はないかのように見えたのですが。最近の天気予報は当たります、昼くらいにはかなりはげしい雨になりました。この主催者によるフリーマーケットの開会をつげるあいさつです。このフリーマーケットは、「第1回さつき祭り」として準備されました。多摩ニュータウンの団地で、永山団地というのは、一番の歴史ある団地です。団地住民は時代の波を受けつつ、暮らしやすい街づくりへ手作の模索と挑戦をしています。このフリーマーケットも、その一つなんですね。フリーマーケットや朝市は、以前から開催されているとのことですが、「さつき祭り」としては、最初の開催だそうで、当方も、朝市にはこれまで参加してきましたが、フリーマーケットには初めてでした。それで、天気が云々ではなくて、初めての参加ということで、前日には、協力者の力をかりて、みかんや山菜取りをしてくるなど、雨の場合も想定しつつ、早めに、早めに準備をしてきました。午前9時くらいからでしたが、天候の具合を気にしつつも、バザー関係者による設営準備が始まりました。この時点では、天気に希望が持てそうだったんです。小雨は上がりそうだったので、アーケードの外側にテントを設置していったんですね。晴れてくれば外のテントで、雨が降ってくればアーケードの下と、両にらみの準備でした。準備段階では五月晴れを想定して、かき氷まで用意していたんですが。案内のチラシにも記載されてましたから、主催者は肌寒い中でも公約実現でした。当方はというと、日向夏と甘夏、フキとウド、ノビル、みつばと、前日の二人がかりで収穫してきた早川の産物を、旬のみかんと山菜を並べました。日向夏などは39袋、フキはノブキや秋田ブキで25束以上、それに、ウド、ノビル、みつばと、かなりの品ぞろえと数量だったんですが。これは、始まった当初のものです。身は一つなので、お客さんに販売している最中の写真はありません。次の写真は、商戦を展開していた最中に、暇を見つけての様子です。日向夏、甘夏、三宝柑を試食してもらうために、屋台のように席が出来ました。立ったままでの試食ではなくて、落ち着いて腰かけて試食をしてもらいました。食生活に、ひと味季節の香りを添える、フキ、みつば、ノビルなども紹介しました。早川の生産者にキャラブキをいただいてたんですが、その半分ですが、「百聞は、ひと味にしかず」、ちょっと試食していただいて、納得していただきました。商戦に集中していて、あまり意識にはなかったんですが、写真を見ると、かなりの雨が降っていたんですね。あらためてみると、土砂降りじゃないですか。こんな条件の中でのフリーマーケットだったんですね。当方は、試食用の甘夏と日向夏、キャラブキの提供に大忙しで、代金はというと、「バザールでゴザール」じゃないですが、それぞれが、置いてある大きなざるに投げ込むようにしてもらって、というのは、大勢をあいてに、いちいち細かく対応が出来なかったんですね。しかし、たいしたものです。財布の中の1円をかきあつめて払っていった人も何人かいたんですが、バザーを終えて、帰ってから集計してみたら、代金の端数がピシッとそろってました。用意したものの想定金額と、ザルの集計金額とわずかな残りの品は、合致していたんですね。これは、驚きですね。庶民というのはなんと律儀なものじゃないですか。国や何か、どこかの世界の連中とは、大違いだったんです。ということで、午後3時に店じまいしたんですが、用意したみかん山菜などの全体の97.69パーセント、21,395円の売り上げとなりました。代金は100円や300円の硬貨がほとんどですから、ずっしりと重いんですよ。きっと生産者にとっても、場所を提供してくれた人にとっても、もちろん消費者にとっても、それぞれが、「三方一両の得」になったものと思っています。だいたい商売というのは、こうあらねばなりませんね。今日は、小雨降る寒い中ですが、きっとひと仕事した後のビールは美味しいはずですよ。この味は、安倍首相の絶対に知らない味ですね。
2017年05月13日
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5月12日はみかんとフキでてんてこ舞い多摩市の団地で、5月13日「第1回さつき祭り」があるというので、小田原・早川の石垣山に行ってきました。この時期の旬の山菜とみかんを採ってくるためでした。今回の収穫には、画期的なことなんですが、助っ人が一人ついてくれました。目標は、フキと日向夏を、なるべくたくさん採ってくることでした。1、これが、そのフキ畑です。これは、秋田ブキです。すごいでしょう、フキ、フキ、フキと、こんな状態なんです。今回の写真ですが、収穫に忙しくて、写真を撮っている暇などなかったのです。それで、いずれも以前の写真なんですが、この同じ場所で、今回も収穫してきたんですが。2、次は、ノブキです。今回も午前中は快晴でした。日差しの下で作業するのは疲れますから、日陰のある方へ移動しての作業でした。そして、日向夏(ニューサマー)の収穫でした。残念ながら、その木の様子の写真がありません。今季初めての収穫だったんです。日向夏の木は巨木で、二人がかりで、2コンテナ、280個くらいを収穫してきました。3、次いで甘夏。甘夏は、収穫の最終段階に来ています。今回、40個くらい採ってきました。4、そして、山ウド。数日前に採ったウドですが、もうかなり大きな茎が生育していました。5、そして、ノビル。ノビルは、球根とともに、茎や葉も使えます。玉ねぎ(ニンニク)と葉ねぎを一緒にしたようなものですね。野辺に自然に生えているんです。6、さらに、みつば。野生のミツバですから、大きくなるんですね。「日本のハーブ」と言われるくらい香りがいいんです。サラダでも行けますし、食材に添えれば香りで美味しさを引き立たせてくれます。ということで、午前9時から午後2時まで、過密な収穫作業でした。景色なんて、見ているどころではなかったのですが。小田原の市街地の景色です。こんな景色を見たんですが、バタバタとしてそれどころではなかったので、せめて、写真ででも楽しむとしましょう。石垣山も、この時期は、新緑がとてもきれいでした。作業を終えて帰り支度をしているときに、大勢の子どもたちが、元気に列を作って、一夜城の方から下ってきました。近隣の小学生たちでしょうか、陽ざしも強くなった下でしたから、引率の先生たち共に、ご苦労なことでした。ということで、これから団地のフリーマーケットに行ってきます。天気は小雨です、大きな崩れにはならないと思いますが。客足に多少影響するとおもいますが、どうなるか。旬のみかんと山菜のちからでもつて、大いに販売してきます。
2017年05月13日
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真鶴産の新茶販売が終了できました5月5日に茶摘みした真鶴のお茶でしたが、7日に、お茶が出来上がったんですが、最高の出来でした。手前みそかもしれませんが、その味も新茶の香り、味、色とも最高でした。これまで新茶は、自家消費することですべてを使ってきたんですが、今回、初めて販売してみることにしました。茶摘みすることで、3キロの茶葉が採れたんですが、それを製茶したら750グラムの新茶が出来ました。何事も初めての行為には苦労が伴います。ましてや「命がけの飛躍」行為の、販売をしようということですから。まず、親戚縁者にプレゼントしてから、その他に7袋が出来たんです。これがそれで、50グラム入りで、400円の値付けをしました。当然ながら送料なんか加えれませんから、完全に生活圏の手渡しできる人たちへの限定販売でした。みなさん、このご時世ですから、がま口のひもは固いものですから、ましてや得体のしれない初めての新茶の販売だったんですが。なんとか無事に、5月11日には7袋のすべてを完売することが出来ました。何故、販売にこだわったかというと、新茶は真鶴産だけではないからです。これから、これまた初めてですが、早川の市民みかん園でも、茶摘みをするからです。真鶴のすぐ近くの早川ですが、お茶の生育が、一週間くらいずれて、遅れるんですね。しかし、今度はプレゼントは終えてますから、出来た新茶は、すべて販売用です。あくまで目算ですが、50グラム入りの袋が、25袋くらいは出来るのでは・・・、と想定しているんですが。はたして、この販売は、命がけの飛躍は成功するでしょうか。早川園の茶摘みですが、これは、天候にもよるんですが、5月14から16日の間を予定しています。
2017年05月12日
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『証言・唯物論研究会事件と天皇制』を読んでます憲法記念日とそれ以降の日々ですが、どこか、なぜか空虚にかんじませんか。私自身、そうした感じを持つんですが。憲法記念日への国民世論の流れは、平和民主を堅持せよとの点で高揚したものでした。それにもかかわらず、その後の焦点は「憲法9条に自衛隊を書き加えよ」ですから。このギッャブは、現実です。だいたい、この時期の農夫ですが、若葉の萌え出すみかん園は、自然を相手に草刈り仕事に汗をかかねばなりません。また、八十八夜を過ぎて、今年もお茶摘みをしなければならない日々なんですが、しかし、世の中の動きは、畑仕事をしていただけでは空虚な気持ちになるんですね。それは、自然を相手に汗をかいているだけで足りないということです。同時に、政治社会の動きに対して、精神的にスクラムを組むことが必要なんです。そんなモヤモヤした中で、今回、取り出した本の一つですが。『証言・唯物論研究会事件と天皇制』(新泉社 1989年6月刊行)です。以前にも、この本は読んでいたはずなんですが、中身を忘れていました。昨今の社会状況が、28年前の、この本を引き寄せてくれたんですね。以前には、表紙の「曼殊沙華」なんて言葉は、気がつかなかったんです。この本は、「季報・唯物論研究」編集部編によるものです。いろいろな立場の人たちによる貴重な発言が紹介されています。私などは、唯物論研究会の成果・業績を知りたくて、この本を入手したはずなんですが。今の世相がこの本を引き寄せてくれていると感じています。今、国会で、共謀罪法案がかけられようとしています。なかなか提案者は、正直に提案の意図を語らないのですが。その推進者たちが、心に描いている姿が、ここにあると思います。日本の近代の歴史には、その体験があります。けっして思い過ごしなどではなく、現実としての体験があるんですね。ここに、その歴史的な証言があります。ここにはさまざまな立場の人がいると思うんですが、共通に被害を受けたんですね。はじめは特殊な(スパイの防止)、共産主義者を取り締まるんだと仕立て上げていた。しかし、それは「忖度」です。次々に政権にたてつくものに拡大して取り締まりだした。社会民主主義者を、学者研究者を、さらに自由主義者を、そして宗教者を。国策にたてつくものを、徹底して取り締まった歴史が、ここにあります。その様子が、それぞれが受けた現実の体験が、当事者の証言としてまとめられています。私などが、ふたたびこの本を取りあげたのは、戦争法がきっかけでした。戦争法と憲法がどうして両立するのか。戦争法が憲法を締め上げようとしている。そんな疑問に始まって、宮本百合子の『歌声よ、おこれ』を読みました。文学の方面で、戦後70年の本質問題を見ました。そして、そのことは、ここに哲学者たちが哲学の分野においてうけたのも同じでした。ようするに、戦前・戦中、その時の国家政策-戦争政策にたてつく者は、すべての分野で、徹底的に弾圧され、社会的に取り締まりの対象とされたこと。こうした、強引な野蛮がまかり出ようとしているんですね。それは、様々な学術が、その中身の是非を議論する以前の問題なんですね。問題は、「オレにたてつくのか、どうか」、それが決定的な問題であって、ことがらの事実の真偽を確かめようなどということは、問題にしようとしないんですね。そうした事態がまかり通って、それにより取り締まられた側は、その結果、どの様な目にあったか、ここに証言されています。小林多喜二、戸坂潤、三木清、・・・そうそうたる人たちが、無残な屍が、どの様な中で、おこったのか。それはまったくの別世界のことではないんですね。この関係ですが、最近の国会論議をみていると、よく分かるような気がします。安倍首相の姿勢を見ていると、ニヤニヤした中に、「民主主義なんてどうってことない」-その姿勢が、かつての歴史と重なって見えてきます。この本は、現在の本質に、警鐘を鳴らそうとしていたんですね。この証言集にこめられている思いをよみました。この先人の体験と、その危惧を無駄にしてはならないと思います。農夫は、草刈りをしなければなりません。同時に、懸案の読み解きも必要です。どうしても、いずれか一つを選択することになるんですが。それでも、これらを胸にしつつ、日々の草刈りに当たるということです。
2017年05月11日
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みかん園の新茶を初めて販売してみますみかん園で5月5日に茶摘みした茶葉ですが、5月7日には製茶工場の力で新茶になりました。従来は、知人縁者へのプレゼントで、すべてなくなっていたんですが、早川園のお茶も加わると、自家消費だけでは多すぎます。それで、今回から限定販売することにしました。新茶は、何と言っても香りと味が、その鮮度が命ですから、いつまでも抱え込んでいては、その魅力が失われて、名前だけになってしまいます。冷却保存することも、出来なくはないんですが、やはり、はやく味わった方が、持ち味が引き立つんですね。大体、生産量はたかが知れていますから、販売にまわせる新茶の数は、たいへん限られていはるんですが、真鶴と早川をあわせても、40袋くらいかと思っているんですが。従来の販売網にそうようにして、あくまで限定品ですから、面対面で販売するようにしていきます。さて、どういうことになりますか。
2017年05月09日
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みかんの花にミツバチが来ていました5月8日、真鶴のみかん園でのこと、今年初めて、ミツバチがやってきているのを確認しました。例年に比べて、みかん園でのミツバチの動きが弱い。花から花へとミツバチが飛び交う姿を、今年は確認できなくて、心配していたんですが。やっとその姿を見つけました。今、みかん園は、花の香りがただよい始めています。例年より少し遅いのですが、みかんの花が咲き始めました。この時期、みかん園の仕事の一つは、草刈り作業です。ひと雨降るごとに、雑草の繁茂が始まりだしています。今日の朝一番の仕事は、草刈りです。みかんの木を痛めないように、鎌で基幹の周りの草をとってから、その周辺の雑草を、草刈り機で快音をたてて刈ってきました。真鶴園で、ひと仕事してから、早川園に移動しました。 今日は、近くの小田原に住む幼なじみが、早川のみかん園にやって来ました。小田原方面に住む人にとって、みかん園の景色は、特段にめずらしくはないのですが。しかし、眺め見ているみかん園と、実際に踏み込んで見たみかん園とでは、だいぶ違ってくると思います。ほんのチョット踏み込むと、直ぐ近くの早川ですが、そこには自然のさまざまな宝が現れてきます。みかん園には、今、みかんの花の香りがただよいだしています。お茶の新葉も様々に伸びだして、茶摘みの時を待っています。雑草の繁茂も活発で草刈り作業も大変ですが、赤ジソやサトイモなどの、作物の発芽も始まりだしています。人は、最近の日差しのきつくなった下では、諸々の作業は厳しいもので、無理を強いるようでは、万事長続きしません。他方、作物の方は、そうした条件の中で芽吹き始めだしているんですね。自然の力というのは、すごいものですね。今回、「だんだん園」の園主さんは、芽吹き出している様々な山菜を案内してくれました。山ウド、フキ、アシタバ、ノビル、みつば・・・その多彩さは、私などのにわか農夫にとっては、すぐに認識範囲を超えてしまうんです。聞いたばかりの名前が、もういくつも思い出せないんですね。これは、山ウドです。「うどの大木」との言葉がありますが、食べごろの見極めを教えてくれました。山菜に対する知恵というのは、自然の中に暮らす人々は、素晴らしいですね。長年の蓄積された知恵であり経験が、ごく自然になっているんですね。私などのにわか知恵では、それを知るには、やはり即席で無理があるんです。これはみかん栽培もそうですが、本の知識だけでなく、体験学習が大事になるんですね。幸いにして、現物も、その知識も、直ぐ近くに暮らす人たちが持っているわけです。私などは、西湘地域に生まれたものとして、おぼろけながらの記憶があるんですが。すでに長く故郷や田舎から離れて、忘れちゃっているし、知らなかったんですね。今にして、自然と知識の素晴らしさを感じさせられているんですが、これは遅いですよね。「今ころ、何だ」との気もなくはないんですが。何もしないよりは、少しはましだと思っているんですが。これは、黄砂のせいでしょうか。午前5時43分の平塚からですが。上は青空ですが、富士山のすそ野はかすんでいました。今、この面でも、少しでもその知識と経験を、自分のものにしようとあがいているんですが。これは、西湘の自然と都会とを、農物産を通じて結びつけようとする課題でもあります。「農産物を、海外に売れるものをつくろう」なんて空言よりも、足を地に付けた農業の未来を探る努力こそが、国民も農家とっても必要じゃないんでしょうか。
2017年05月08日
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新茶が入りました5月5日に真鶴園で茶摘みをしましたが、ついに、その新茶が入りました。新茶は、作り立てのお茶の香りがしてきます。一口飲むと舌にしびれるような余韻が残ります。また、その緑色がとてもきれいなんです。5月7日、神奈川県真鶴町岩の製茶工場に、出来上がった新茶を受け取りに行ってきました。これが電車から見える製茶工場です。製茶工場は、JAの共同事業なんですが、今年は、5月3日から本日・7日まで、一番茶が摘まれる期間の限定で稼働しました。当方は、5月5日に茶摘みして、製茶への加工を依頼しておいたんですが。出来上がった新茶を受け取りに行ってきました。これが、加工して出来上がった当方の新茶です。3キロの茶葉は、750グラムの新茶に変わりました。これを小分けして、親類知人へプレゼントするようにしています。それと、今季からは、少しの量ですが、新たに販売も予定しています。さて、次はその製茶工場の入り口です。 右側に販売機がありますが、そのすぐ左にはかりが見えるかとおもいます。二日前にここに茶葉を持ち込んで重量をはかり、受け付けしてもらいました。そして、今日は、ここで、出来上がった新茶を受けとりることとなりました。お茶の木があるのは、真鶴のみかん園なんですが、次は、そのみかん園の入り口です。この一辺にお茶の木が、ひと畝ですが、あるんですね。みかん園への入り口ですが、住宅と住宅との間を通る、たいへん狭い入り口です。しかし、これが私の桃源郷への入り口なんですね。その入り口は、南高の梅の木が立ちはだかって、関所のようになっています。ここをくぐると、その裏側にみかん畑があり、お茶の木の畝があるわけです。奥の方にはミツバチの巣箱も見えるかと思いますが、今はあるじのいない空家です。お茶の木は、この他に、早川の市民みかん園にもあって、去年から、そこでも茶摘みが出来るようになりました。ただ、真鶴と早川とでは、距離にして15キロ、車で20分位のへだたりなんですが、比較的に近いんですが、しかし、お茶の生育にちがいがあるんです。早川の方が、真鶴よりも一週間から10日くらい、遅れるんです。早川の方がゆったり広々として、日当たりもよく豊かなんですが。この生育時のズレというのは大事なんですね。もしも同時に生育し、茶摘みをしなければならなくなると、茶摘作業は大変になるんです。広い範囲を一度に片付けるのは、くたびれちゃうんです。だいたい茶摘みというのは、いたって単調な作業ですから、茶摘み歌なんて、単調な作業にたいし、飽きさせないための励まし歌なんですね。しかし、一人で歌ったとしても、ちっとも励ましにも、慰めにもなりませんから。茶摘みを長時間にわたってやると、あきるし、効率が落ちちゃうんですね。それぞれへ、一点の集中力を発揮して、乗り切るしかすべなしです。出来上がれば貴重な新茶ですが、草刈りなどあれこれ仕事のある中で、単調な作業をこなすにはそれなりの集中力が必要なんですね。新茶を喜んでくれる人をイメージすることなんですね。ということで、これから早川園の茶摘みのタイミングをさぐります。
2017年05月07日
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子どもたちが描いた甘夏です5月6日に、子供の一家がやって来ました。来るたびごとに、孫たちの様相が変わっているんですが。今回、甘夏を描いてもらいました。これは、その孫たちが描いてくれた甘夏の絵です。同じ甘夏であっても、その受けとめかたは、おとなが見た場合と、小さな子が見た場合とでは、かなり違っていますね。率直な気持ちで、暖かさが伝わってくるような感じがしませんか。おとなになると見ることが出来なくなった世界が、ここにはあると思いませんか。今日は、別の体験もしました。今朝、朝市をやっていて交わされたものですが。「もうからないから、こんなのはもう扱うのはやめた」、「10円とか、こんな計算はめんどくさいから、もうやめたい、やってられない」とか。なさけない言葉がでてきました。ものごとの心構えがちがっていると、こんな言葉も出てくるんですね。これもまた、現代社会により体験させられる一つの側面なんですね。「おとなよ、もっとしっかりせよ」、ということですが、それは、今の総理大臣に対し言うべき言葉ですが、それだけではではないんですね、庶民の日常性にも関係していることなんですね。この絵にしめされているセンスですが、この素朴な暖かさですが、この先ざき、現実の荒波にぶつかることでしょうが、それに負けることなく、伸び伸びとすすんでいってほしい。「変な世相に、負けんなよ」そんな気持ちがわいてくるひと時でした。
2017年05月06日
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団地で朝市が開かれました5月6日(土)は、まだ連休の最中ですが、東京・多摩市の団地では朝市が開設されました。当方は、昨日のうちに、早川からの山菜を、甘夏、フキ、みつば、山ウドを、運び込んでおいたのですが。午前8時30分に行ってみたところ、すでにご覧のように並べられていました。ほどなく甘夏は売切れて、みつばの10束も大体売れて、あとはフキが売れればよいのですが。フキは、地元の農家からも出品されてたんですね。当方も、30束も持ち込んだんですから、残っているのは当たり前なんですが。それと、フキを楽しむには、それなりのある種の文化が必要なんですね。私自身も、数年前までは、「なんでこんな苦い野の草を」と振りむきもしませんでした。それが、最近では評価が一変しています。この時期の、若葉の香りとともにほろ苦い味を、注目するようになったんです。フキは、全国各地の、どこにでも、だれもの身近かにあるものです。おそらく、むかしから、人々は大事にしてきたと思いますよ、そんな気がします。フキが疎遠になっている現代人は、私などが考えるのには、自然から切り離されてしまった都会人の姿で、都会の食生活のおごりもあります。その魅力は、春から夏への季節の移り行きを感じさせてくれる素朴なものですが、それを楽しむには、それには自然へのこだわりが必要なんですね。もともとはフキは、そこここの野辺には、どこにでもあるものです。それがもっている力を、あえて「今が旬」と、鈍くなっている都会人にはたらきかけようというわけです。すべては野草でダメもとなんですが。なによりも、これを知らないのは、活用しないのは、もったいないことですから。
2017年05月06日
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真鶴園でのお茶摘み5月5日、真鶴のみかん園で茶摘みをしてきました。ゴールデンウィークの今日は、行楽の車で混雑するので早起きです。真鶴へ向かう途中の、午前4時56分の平塚から見た富士山です。真鶴園に午前6時について、直ちにお茶摘みを開始しました。みかん園の土手の一辺にお茶の木が植えられています。だから、たいした量ではないのですが。この地域では、一般にみかん園の周囲に、お茶の木が植えられています。低木だし、境界のしるしになるし、土手の崩落防止用でもあります。「足柄茶」として、その名が知られています。このお茶の木は、2000年に亡くなった父が植えたものです。私などは、ちっとも知らなかったんですが、あとから分かってきました。この地域のみかん園が一般にお茶の木を植えられていた状況と、父の郷里が、静岡県の函南だったこともあって、職場の休みの時に、いろいろ手を加えてきていたんですね。私などちっとも知らない間に、この畑をみかん園にして、周囲にお茶の木が植えてきていたんですね。今回の茶摘みですが、車が混みだす前に終わらせようとしたんですが、午前6時から開始して、午前9時半までかかりました。これが、その結果です。摘んだ茶葉は、正味3キロでした。ちなみに、2015年5月2日は、1.8キロ。2016年5月3日は、2.1キロの収穫でしたから、今回の茶摘みは、私などとしては、最高の収穫でした。摘んだ茶葉の製茶ですが、それは、当地の農協が、期間限定ですが、製茶工場を稼働してくれています。歴史的、社会的な活動になっているんですね。さっそく、摘んだ茶葉を製茶工場へ持ち込んで、加工を依頼してきました。当方は、父が死去した2000年までは、みかん栽培についても、お茶についても、およそ農耕についてはまったく無縁だったんですね。その時期に、いろいろ模索があったんですね。お茶については、みかんが何とかなりだした頃、その存在に気がついたんですが。その時に、たまたま職場で「お茶摘み交流会」のチラシを目にました。これが縁で、対処の仕方が、徐々にみえてきたんですね。その交流会に参加させてもらって、本場・静岡のお茶づくり農家での、お茶摘みを経験させてもらったんですね。そこから、お茶づくりについて、新らしい世界が開けたんですね。次は、その時の体験です。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201204290000/https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201204300000/縁というのは不思議ですね。みかん畑がつくられていたことも、その土手にお茶の木が植えられていたのも、東京生活をしていた私などは、まったく知りませんでした。ましてや、実際に農作業に係わるなんてことは、2001年まではまったく問題外だったんですが。それまで私は、まったくの独立に生きてきたように思っていたんです。が、実際はそうではなかった。その存在は、生い立ちのもつ社会的な歴史的制約(基礎)があって、その上に、自身の「自由」な活動が展開されていたんですね。父の存在というものが、当人が亡くなってから、そのあとに残った農作業から、迂回するように近く感ずるようになるなんて、遅すぎますね。まってくもって愚かなことですね。仕方なしですが。
2017年05月05日
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早川の山菜、今回はミツバです小田原・早川の石垣山のみかん園とその周辺ですが。この時期の、甘夏以外の、タケノコ、フキと、自然の食材を紹介してきました。今回は、さらにもう一つ、野辺に広がる三つ葉を紹介します。これが、三つ葉の生育している野辺です。ミツバが生えているのが分かるでしょうか。私などは、「これがミツバだ」と指摘されるまでわかりませんでした。いや、指摘されても、ちょっと所を移せば、識別できません。似たような草が、いろいろあるからです。私などは、指摘されなければ、雑草と見て草刈り機で刈りとっていたでしょう。山菜に対する目利きが、まったくありませんから。みかん園の園主が案内してくれました。そして、「この一帯に生えているのがミツバです」と紹介してくれたから、それで、「猫に小判」の目にも、ようやくこれが小判だとわかったわけでして。石垣山のこの野辺には、いっぱいに生え広がっていました。これが自然に生えているんですよ。八百屋さんで見かけた三つ葉よりも、葉が大きくてしっかりしています。ミツバは、サラダに加えて良し、お吸い物に浮かべてよし、とのこと。若草の香りがよくて、それだけでも癒しの効果がありそうなんですよ。いただいたものを持ち帰って、試してみたんですが、タケノコ、フキと、順番がありましたから、中二日置くことになったんですが、水につかっていたものは、十分鮮度が保てました。緑も綺麗で、新鮮でシャキシャキしていて、味が引き立ってました。こういう食材に囲まれていたら、私なども、「太りすぎだ」「メタボだ」なんて、言われずに済みそうなんですが、一口食べたくらいで、生活習慣は変わるものではありません。ヒントですね。とにかく、こうして小田原・早川の石垣山は、「目に青葉、山ホトトギス(とキジ)・・・」で、ゆたかな自然の恵みが、いっぱいあります。
2017年05月04日
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タケノコとノブキを収穫したあとで5月2日のタケノコ掘りとノブキ採りは、前回紹介しました。小田原・早川の石垣山の自然の中で、ひと汗かいてきたわけですが。今回は、その後のつづきの紹介です。これは、タケノコ掘りで、竹林の中に入っていくときの様子です。たくさん収穫したタケノコですが、ただちに、園主の夫妻が、2時間をかけて茹でてくれました。最低でも1時間が必要で、2時間がのぞましいとのことでした。その茹で上がったタケノコをいただいて帰ってきたんですが。当方の料理といえば、せいぜいこの程度だったんです。洗って、ぬかを落としただけ。これだけでも、最高なんですよ。美味しさとともに、小気味よい食感なんです。疲れてひと眠りしているうちに、上さんによるひと手間が入ってました。みごとな高級な料理にグレードアップしていました。これなら料理店に出せるくらいです。さらに、タケノコが出しと醤油で煮つけられていました。早川でも、茹でている間に、美味しい炊き込みご飯をいただいたんですが。その時に、つくつた奥さんに、その作り方をお聞きしました。そのことが、さっそくにして役だつことになったんです。これは、当方の炊き込みご飯の初作品です。もっとも、炊き上がったご飯に、煮たタケノコを混ぜて、少し置いただけなんですが。ご飯を炊いて、かき回したのは私ですから、この出来上がりには、半ば私も係わったというわけです。自分で作ったような気分になって、これがたいへん美味しいんです。みんなが『タケノコ』『タケノコ』としきりに言っている訳が、ようやく分かりました。今の時期ならではの、最高の日本食ですね。日本文化を一つ発見したような心地になりました。もう一つは、ノブキ採りでしたが。これが、そのノブキが生育している畑、というか自然の野辺です。これも早川の自然の豊かさを示しています。一般に八百屋さんで売られているのは秋田ブキです。それも早川に沢山あるんですが、これよりももっと大きい。ノブキの方は、日本の各地の野辺に自然に生えている小ぶりの野生のフキです。これも今回のノブキ採りで初めて知ったんですが、細く小さめなノブキは、茹で上げれば、薄皮をむかなくてもそのまま食べれる。秋田ブキは、薄皮をむいて食材にしますが。だから、ノブキは、丸ごとのまま、キャラブキなどに使われているとのことでした。そんな二種類のフキに違いがあるんですね。さっそく試してみたんですが、どうです、この透き通るような緑色の透明感が綺麗でしょう。当方は、そのままのと、あえて薄皮をとったのと、試してみたんですが。苦味を好む人は、茹で上げたままで柔らかくて、いけますし、薄皮をとると、さらに柔らかく、ほのかな苦味もあって、これまたよしです。ノブキは、小さく細いですから、採るのに手間がかかるんです。農家の人にとっては、このノブキの方をより珍重していると聞きました。それも、分かるような気がします。「なんだ、こんな小さなフキをよこしやがって!」なんて言うのは、この違いが分かってない人なんですね。しかし、フキは短い季節の食材です。時がたつと、そのやわらかさが消えて、徐々に硬めになっていくとのこと。外見は同じようですが、中身が、食感がちがってくるんですね。この時期ならではの食材です。昔から、この野草を大切に求めてきたわけですが、それこそ繊細な視覚であり、味覚ですですね。日本の自然の、四季の中で暮らしてきた人々の、暮らしの知恵ですね。そうした、宝がいっぱいの早川のみかん園の周辺です。多くの人に、この味を、味わってほしいものですね。
2017年05月03日
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ふたたび、タケノコ掘りつい先日、4月28日にタケノコ掘りをしてきたんですが、それを茹でて食べてみたら、みんなが『タケノコ』『タケノコ』という訳が分かりました。私などは、これまで竹は、みかん畑に生え出してくる厄介者だったんです。地下50センチもの深さを、地下茎が侵入してくるんですね。みかん園を荒らす宿敵でした。それが、なんと竹の種類によっては、こうして、旬の味わいとして、楽しめるんですね。これまでタケノコをもらっても、この悪感情がありましたから、対応が粗末でした、ゆでる時間も短かすぎたんですね。今回アドバイスを得て、2時間茹でてみたんです。すると、歯にもやさしく、サクッとした、よい歯ごたえに変わりました。ということで、今回、タケノコに味をしめて、本日・5月2日、ふたたびタケノコ掘りの挑戦に行ってきました。ところは、前回と同じく、小田原・早川の石垣山です。これが、その竹林です。前回は、竹林全体を紹介し損ねたんですが。今回、竹林を歩いて驚きがありました。前回来た時に、ここも確かに通ったんですが、その時は気がつかなかったんですが、この数日間の間に、新しい竹が、ニョキッ、ニョキッと伸びだしていました。前回、通路や足元を整備してくれた道を進みました。竹林というのは、人が手入れをしてないと、竹やその他の雑木が密集してしまうんですね。そうなると、タケノコ掘りでも、足を踏み入れるのが簡単で亡くなりますし、タケノコをとろうとしても、鍬を振り上げることが出来なくなってしまうんですね。やはりしっかり手入れされた竹林でないと、タケノコ掘りも出来ないんですね。適当に、勝手に、いつでも、タケノコを採れるというものではないんです。それと、今回も園主さんが案内してくれたんですが。地面を見る目が慣れてないと、地中から生え出したタケノコを見つけれません。竹林の園主さんの目は、さすがです。私などでは見逃したところでも、「ここにある」「そっちにもある」と見つけてくれます。なかには、「これは残しておいた方がいい」と、竹林の維持にも配慮されていました。私などのタケノコ掘りの写真はここまでです。ここから先の様子は、カメラを置いて、ひたすら掘ることに専念しましたから。案内者から、「ほら、そこにある」「その隣にもあるから」と、どんどん指示がとびました。したがって、今回は掘っているところの画像はありません。そこで、前回の時の様子を紹介します。この地面の下から、ニョキッと頭を出して、生え出してくるんです。この辺は、たかだか4日前ですよ、何人もの目でみて、採りつくしたはずなんですが。それでも、今回、また新たに、いくつもの芽が顔を出していました。竹の力は、すごいものです。人が、竹林を、適度な形に手入れしておけば、その見返りに、すばらしい恵みを与えてくれるんですね。たくさん収穫させてもらいました。さて、早川の自然の恵みですが、タケノコ以外にも、いろいろありますが、今回、あと二つを紹介します。一つは、ノブキです。ノブキがテラス面に沢山生えています。前回は、採るのに夢中になってしまい、この様子を紹介できませんでした。ノブキが、自然にこれだけ大きく、ひろく樹生しているのは、私は始めて見ました。ノブキは細く小形ですが、珍重されているんですよ。秋田ブキのように表面の皮を取らなくても、湯がけばそのまま食べれます。だから、キャラブキなどとしても使われるのは、これだそうです。そのかわり、収穫するのに手間がかかるんですが。もう一枚は、甘夏の木と、その周囲にあるお茶の木です。背後の木は甘夏の木で、手前がお茶の木です。甘夏は、すでに4月初めから8回収穫してきましたが、残りがあと少しとなりました。今回も、50個くらい収穫してきました。今、枝には、花のつぼみがふくらんでいて、咲き出すものも出始めていました。お茶の木の方は、今日が八十八夜でして、新しい茶葉が伸び始めています。真鶴園は連休中に行いますが、早川園は連休後には、いよいよ、「一芯二葉」の茶摘みです。ということで、この時期の早川のみかん園ですが、柑橘類が、甘夏から日向夏へと収穫が移って行きますが、それ以外にも、フキやタケノコ、お茶と、様々な豊かな恵みを与えてくれます。自然というのは、人間が苦労して働きかければ、応分の恵みを返してくれます。そこが、いたってフェアーで、いってみれば「民主的」なんですね。どこかの国の政治のように、民意を誤魔化すなんてことはしません。苦労して手入れをすれば、その分が恵みとして返ってくるわけです。これは自然では当たり前なんですね。自然の中での作物づくりは、精神衛生上、人の健康に良いことを実感させてくれます。
2017年05月02日
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2017年4月、みかん作業のまとめ昨年3月末に介護用具の職場を定年退職して、みかん作業の生活も2年目に入りました。東京・八王子から、神奈川県の真鶴・早川のみかん園を往復しています。一、みかん作業ですが、4月から甘夏の収穫と草刈り作業ですが、これが今も続いています。神奈川県の西部は、豊かな自然が残されています。東京から車で2時間かかるんですが。これが、早川の市民みかん園です。この早川の市民みかん園は、2年目に入りました。左側に甘夏の大きな木が見えますが。この甘夏は、4月から5月中旬までが収穫シーズンになっています。今年は、新たな魅力が加わりました。早川園の園主が、周囲に生えているフキを紹介してくれました。つい先日には、タケノコ掘りも体験させてくれました。これは秋田フキです。ひろくありすぎて、もうとり切れません。もったいないですね、都会にもっと提供したかったんですが、大きくなり過ぎました。私などは、以前はフキは苦さがありますから、敬遠していたんですが、今、歳をとってみると、それは春の香りと味として、貴重なものと感じるようになりました。古来から、日本の人々は、自然をよく知り、繊細だったんですね。今はノブキです。東京の団地に、ノブキを採っては、せっせ、せっせと運んでいます。これは、秋田ブキですが。ガソリンと高速料で、東京-真鶴間の一往復に、交通費が3,000円かかります。当方は生産者兼届ける役目なんですが、もうけばかりを中心に考えていては、もちろん採算は合わないんですが、自然関係をうすくさせられてる都会人に対して、近郊農家からの一つのプレゼントですね。「付加価値をつけて、外国に輸出する」なんて言ってる人とは違います。現実的です。こうした生活が、2年目に入りました。二、もう一つは、社会との関係です。2011年3月の東日本大震災、2015年9月の戦争法が強行から、私などは生活を変えました。社会は、自然もそうですが、成り行き任せだと、とんでもないことになります。社会の中ではたらき、はたらきつつ、学ぶということです。ア、だいたい1950年生れの当方ですが、日本国憲法を自然なものと考えていたんですが。そうではなかった。昨今の政治社会の異常な事態が暴走がそれを示しています。あの震災と原発事故を体験してから、人はそのあり方を、「自然」を学びかえして、その改善をさぐっています。これらの本は、その糸口になったものですが。2015年9月19日を前後して、私だけではなく、人はあるべき形をさぐろうとしている。しかし、現実には、憲法にしても、原発にしても、沖縄にしても、核兵器禁止にしても、農業にしても、現場で人々が切実に求めているものとは、別に逆な方向が押し付けられています。このギャップが問題で、それを正せる力をどうしたらつくれるのか、それが国民全体に問われている問題です。イ、私などには、戦後の社会認識の空白感が、生まれながらの自然感があったんですが、今、その点が、自分自身にとってなぜそうなのか、問題になっています。しかし、そのことは、いろいろ見てみると、私だけの問題ではなかったんですね。一つの要素として、国家の治安維持法などによる国民生活を締め付け期間の後遺症に問題があったんですね。これは私などがさぐったことからの、一つの結論なんですが。ウ、それが、私などは気がつかなかったんですが、日本社会には、文学にも、政治にも、哲学にも、あらゆる分野の戦後史に、その後遺症があるんですね。これは、イギリスやフランス、アメリカなどでは、歴史的に国民が乗り越えてきた問題です。しかし日本では、今、歴史的な課題としている。それが現在意識されだされているんですね。もちろん、先人には夏目漱石、宮本百合子はじめ、それで悩んだり戦った人たちは脈々としているんですが。私などは、蛍光灯ですから、今ごろになってようやくそれが見えてきた。いったい何が問題だったのか、実際の関係が見えてきた次第です。「日本の権力の半封建の野蛮さが、人間性をどれほど歪め終わらせたかという現実を、細かく眺めるとき、こころは燃え立つばかりである。なぜなら・・・」(宮本百合子「現代の主題」1946年8月)あらためて今、根本的に、現在を生きるものに、それが問われているんですね。エ、私などは、日本の文学の世界で最初に気がついたんですが、だけでなかった。哲学の分野でも問われていたし、問われているんですね。最近、そうしたことを残そうとした二つの座談会を読んだんです。そうしてみれば、直ぐ近くに、それぞれの分野に、沢山あるじゃないですか。さらに、それぞれ問題に明確に立ち向かった歴史遺産も、いっぱいあるじゃないですか。しかしそれは、誰も教えてはくれないんですね。求めなければ、開かれないんです。自分自身で確かなものをつかんで、認識するしかないんですね。受け売り的なものが、もっともらしく、氾濫しているんですが。しっかりしてないものは、現実の試練の前に通用しないんですね。結局、各人の、自己の努力が問われている、個を基礎にした連帯なんですね。くりかえしますが、歴史の遺産をしっかり評価できない人は、いくら独創的だとかっこをつけても、結局は前にすすむことは出来ないんですね。以上、4月だけというわけではありませんが、目下のまとめです。
2017年05月01日
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