全37件 (37件中 1-37件目)
1

みかん農夫の、7月のまとめ今年は天候不順のため、梅干づくりですが、いまだに土用干しの機会を待っています。関東は、すでに7月19日に梅雨明けが発表されたんですが、それまでの7月上旬は、梅雨が明けたような快晴の暑い日が続いていたのですが。ようやく7月16日に赤ジソが手に入ったので、漬けてあった梅に加えました。ところが、それからすぐに、天候が梅雨のような曇りがちの日がつづくようになりました。梅雨の時期に戻ったかのように。おかげで、今だに漬けてある梅は土用干しが出来ずに、いまだに晴れ間を待ち続けています。この7月のみかん農夫ですが、この時期が旬のバレンシアオレンジ、ブルーベリー、ミョウガの三点を収穫してきました。東京・多摩の団地では、朝市が開設されています。毎月の第一・第三土曜日に、産直野菜を団地に住んでいる人たちに販売しています。当方の小田原産のこの三っの作物も、この朝市に出品するようにしています。小田原の早川で収穫したものを運んできて、右側の一角に見えますが、並べて販売しています。ところが、自然の農産物の収穫というのは、人の都合には合わせてくれないんですね。二週間も間を置くと、旬の時期を越してしまうものが出てきてしまうんです。このため、当方としては、定例日以外の土曜日にも、独自の朝市を開かざるをなくなりました。この7月の朝市ですが、1日、8日、15日、22日、29日に朝市を開きました。ようするに、当方は、毎週土曜日に開くようになっていたわけです。これはなかなか大変なんですよ、「あぁ、疲れた」なんて言ってられません。自然が、旬のものを適時に提供するためには、もっと働きなさい、そのように動くようにと、指示しているんですね。このミョウガ畑も豊かでしょう。とくに、このミョウガは、収穫してから3日以内には、消費者の手に届かなければ、その鮮度のある美味しさを味わってもらうことは出来ません。しかし、そうかといって、この時期の暑い日の朝の団地商店街のお店です。大量に収穫してきて並べたとしても、通る人影も少ないし、それほど、一気にたくそんの需要があるわけでもありません。残れば、その分を、毎週、私が責任を取って食べなければならなくなります。この需要と供給とのかねあいは、難しいものがあるわけです。こうしたわけで、販売するために、6月29日、7月6日、14日、18日、21日、28日でしたが、三点の収穫のために、東京と小田原・早川の間、往復160キロを通ってきました。移動+炎天下の作業ですから、たいへんです。しかし、農作業は、この収穫と販売だけではないんですよ。その他にも、草刈りの難行苦行の仕事があり、ミツバチの飼育があります。6月2日に、ミツバチの二群が、みかん園に移住してきました。これは、その片方の群れで、元気な方の巣箱の様子です。巣箱を見ていると、近頃は、キイロスズメバチが近づいてくるようになっていて、ミツバチたちは、集団で羽音を立てて、追い返していました。しかし、問題なのは、もう片方の群れなんです。少し前から巣門の前に門番がいなくて、みていると元気がなかったんです。7月28日には、巣箱の中を鏡でのぞいて見たんですが、巣箱の中にミツバチはおらず、中の巣はむきだしでボロボロの状態、こちらのミツバチの群れは壊滅しちゃっていたんですね。以上が、みかん農夫の7月の様子です。しかし農夫はこれだけで終わるわけにはいかないんです。この農事仕事だけでくたびれて、終わり、というわけにはいかないんです。一つは、今の政治の問題です。この7月では、2日に東京都議会選挙がありました。また、24日・25日には、国会では、衆参予算委員会が中継されました。これらは、政治とくらし、私たちの進路がかかってますから、このまま放置しておくわけにいきません。今は地に堕ちている政治ですが、これを国民の声が生き、道理ある政治にかえるためには、あと一つの努力が必要です。当方としては、しっかりと動向を追跡するようにしました。もう一つあります、こうした事態をかえるための学習です。当方は、去年の3月で会社勤めを退職して、少しは時間がとれるようになりました。この時間をつかって、農夫と学習の二足のわらじをすすめているわけです。これまもブログで、学習の成果について発信してきてましたが、ブログにはその記録が残りますから、このところ、以前の年の同日の発信について、ふり返るようにしています。そうすることによって、見えてきたことがあります。当方の探究している課題が、日々のいろいろな多彩な関心のなかにも、ある程度系統的に、追及している課題が見えてくるわけです。一つの柱は、科学的社会主義の古典学習です。唯物弁証法と唯物論的歴史観を学ぼうとしています。基本には、『フォイエルバッハ論』がありますが、その元になっている若き日々の生の材料に当たっています。この間で見ると、『独仏年誌からの手紙』、『ヘーゲル法哲学批判』、『聖家族』、『ドイツ・イデォロギー』等を学びかえしています。もう一つは、日本における問題です。日本において、戦前戦後の歴史の中で、科学的社会主義の理論がはたした役割、業績ですね。近代史の中でプロレタリア文学運動が誕生し広げられてきたように、哲学でも、経済学でも、法律でも、歴史学でも、また自然科学でも、そのこれまでの先人の業績を確認する必要があります。今では、ごく自然で、普通なあたりまえなものとなっている面がありますが、現在というのも、今政治が示しているように、歴史の過程なんですね。自然にまっていたんでは変わらないんですね、邪道が幅を利かしているようでは、それを正さなければ国民の願いは実現しないんですね。この点では、この間に、夏目漱石「現代日本の開化」・「私の個人主義」、憲法問題研究会「憲法読本(上)」、『宮本顕治著作集』第六巻、『蔵原惟人評論集』第十巻対談編 などを読んだり、読み返したりしました。面白いことに、これまでは、1970年前後の、私などが学生時代に直接体験する時点の、それ以前と前とでは、なにかの大きな仕切りがあるように感じていたんですが。ところが、少し見方が変わってきました。戦後史には、戦後史をつらぬいている本質的な一貫性があるし、近代には近代としての基本的な課題があります。その中の現在なんですね。この歴史のなかでは、敗戦直後に一部の人たちが主張していたことが、ないし、戦前に弾圧されたなかでも命がけで主張していた人たちがいましたが、その苦労して努力してきた中身が、それを主張していた人たちはすでに亡くなっていますが、今日の社会が直面している問題の中で、そのことが新たな国民的な意義をもっていること。それが今日、新して輝きをはなちだしているということが、そうしたことがあるものなんですね。現在というのは、過去においてに問われていた歴史問題ですが、それが果たされる時、解決されるべきとき、そうした時でもあるということなんですね。以上、7月の農作業と学習です。
2017年07月31日
コメント(0)

3年前、マルクス『聖家族』(1844年)に挑戦してましたマルクスが、新しい哲学と歴史観をつくりだす過程で、この『聖家族』は重要な著作だと思っています。3年前になりますが、まだ職場は継続雇用でしたが、以前に比べて多少の時間が出来たこともあって、これまで、積み残しにしてきた本をひっぱりだして、挑戦しはじめていました。そうした一冊が、マルクスのこの『聖家族』だったわけです。この『聖家族』は、「マルクス・エンゲルス全集」の第2巻にあります。当時マルクスは、「ライン新聞」を退いてからヘーゲル法哲学の批判をしています。そして1843年10月パリに移ります。ドイツの専制政治はその活動を許さなかったんですね。そのパリの地で『独仏年誌』を出しましたが、その地での本格的な探究は、この『聖家族』が示しています。やがて、1845年の『ドイツ・イデォロギー』で、新たな唯物史観を発表することになりますが、これはその前の時点です。『聖家族』という題名ですが、これは青年ヘーゲル派のバウアー兄弟などにたいする皮肉です。彼らの観念論の見地に対するあてこすりです。それは分かるんですが、この論文はなかなか理解しにくい作品なんです。分かりにくい論争的な文章が、218ページもつづくわけですから、私などが読み通すのは容易ではありません。私などには、言っている中身は、多くは「霧の中」で、よくはつかみきれていません。今回も、自分なりの理解の「中間報告」のつもりなんですが。この本への挑戦ですが、3年まえが初めてではないんです。6年前の東日本大震災の年、定年退職して継続雇用になった年でしたが、2011年6月26日でしたが、その時にも挑戦していました。その時のレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201106260000/この時は、とにかく全体を通読するようにして、この中にある、これは大切だと思うポイントを、ランダムにメモしてみたんです。どのような課題が論じられていたか。基調は、青年ヘーゲル派の思弁的方法に対する批判なんですが、そのメモからピックアップしてみると、1、プルードンを通して、経済学やプロレタリアートの役割の問題があります。2、ヘーゲルの思弁的構成や歴史観の問題、それへの批判があります。3、フォイエルバッハの功績、唯物論に立って批判を始めたことへの評価があります。4、政治的解放と人間的解放の区別、フランス革命における宗教問題の解決があります。5、イギリスとフランスの唯物論の歴史的な形態について。少なくとも、こうした中身が含まれています。この一つ一つのテーマは、大きな問題ですね。これらをマルクスは、本当に短期間に集中的に学んで、検討していたんですよ。それは人類の未来を拓くためのすばらしい意気込みですが、短期間に、おそるべき、一所懸命な努力だったと思うんです。よくは分からない『聖家族』ですが、それが確かに伝わってくるんです。私などは思うんですが、これらの問題というのは、国は違っても日本の近代史がかかえていた本質問題だと思うんですよ。しかも、戦後の日本でも、現代の日本でも、やはりしっかりした理解が求められている問題で、今日的にも問われている問題だと思うんです。ちなみに、ロシアのレーニンですが、その著作に『哲学ノート』にありますが、その中に1895年の25歳の時ですが、この『聖家族』の中身を学びとろうと努力しているレポートが残っています。各国の近代化にとって、共通の問題なんですね。さて、3年前の『聖家族』の学習について、ですが。これは、6年前も同様なんですが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』に関係しています。これが、そのレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201407300000/ここでは、フォイエルバッハに対する評価の問題がありました。マルクスは、どの点でフォイエルバッハを積極的に評価したのか、この問題です。この本で論争の相手になっているのは、青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)のグループですが。その思弁的な弁証法を批判したんですね。「思弁」というのは、屁理屈をこねて言いくるめる、といった意味もあるとおもいますが、そうしたことから様々な問題をきたしていたようです。マルクスは、この「序」でいってます。「バウアーに対し批判するのは、ドイツ的思弁一般のナンセンスが、頂点に達しているからである」「われわれの叙述は、その対象によって制約されている」「これとは独立した著作で、われわれの積極的な見解を、それとともに最新の哲学的・社会的教義にたいするわれわれの積極的態度を述べるつもりでいる。」(P5)この文章の叙述が分かりにくいのは、論争している相手が分かりにくいことをいっているからだ、と。積極的な哲学的・社会的見解とそれに対する態度は、別の著作(『ドイツ・イデォロギー』か)で述べる、と。この青年ヘーゲル派への批判のポイントに、唯物論の問題がありました。ドイツの観念論の圧倒的な伝統のなかから、ポツリとフォイエルバッハが意識的な唯物論をもって、思弁を批判する形で登場したわけです。マルクスは、直ちにその唯物論を評価して、その見地にたって、青年ヘーゲル派の思弁的弁証法を、その観念論の基本がもつゴタゴタとした問題点を批判していったわけです。「哲学が現存状態の抽象的表現であるとの意見は、はじめて哲学を思弁的神秘的経験とよび、また、そうであることを証明したフォイエルバッハのものである。」(第四章 P37)8か所でフォイエルバッハについて述べていますが、これはその一つです。このあと、1845年『ドイツ・イデォロギー』では、積極的見解の唯物論的歴史観をまとめて提起するが問題となるわけですが、それはまだ少し先の問題です。ここでは、青年ヘーゲル派の、ヘーゲルの思弁的弁証法を、その問題点を正すことが問題だったんですね。その中に、唯物論のイギリスやフランスにおける歴史形態を研究する作業があったし、このことは、フォイエルバッハによる唯物論の新たな提唱を、さらにすすめることだったし、それが唯物弁証法の理論を明確にする問題だったんですね。この先、フォイエルバッハとの分岐になる点です。それにしても、このマルクスの『聖家族』は難解な著作です。いくら弁解したとしても。だけど私などからしたら、ドイツ古典哲学の著作はほとんど難物だらけです。しかし、「難物だ」、「難物だ」と、いくらぼやいていても、それに挑戦しないことには、理解は進みません。簡単な解説書でお茶を濁す程度では、実際の攻略は出来て無いわけですから、心からの得心は出来ない訳です。そうした中で、マルクスの『聖家族』ですが。これは簡単ではありませんが、しかしまったく理解できないというわけではないと思います。実際、私などの理解ですが、もちろん多くは霧の中ですが、それでも前々回に比べれば前回が、前回に比べれは今回の方が、少しですが認識がすすんだと思っているんです。なかなか本格的に、挑戦することは出来ないのですが。それに、日本の哲学者の人たち中には、戦前から真摯に挑戦した足跡があると思うんですよ。「唯物論研究会」などの活動もあったわけですから。この中でも、いろいろ探られていただろうと推測しています。なかなかこれまた、それを読むことは容易でないのですが、おそらくそれらの業績の中には、今日の常識的になっていることの基礎を確認することが出来とおもっています。それにつうじれば、より問題が見えてくると思っています。今後の課題です。まぁ、以上が、以前のレポートを読み返してみての感想です。
2017年07月30日
コメント(0)

夏祭り準備最中での朝市でした7月29日(土)、独自の朝市を開きました。今日と明日は、多摩市の団地では夏祭りなんです。夕方からの夏祭りの準備で、みなさんは朝から大忙しでした。当方は、午前9時から11時までの独自の朝市を開きました。板のテーブルの上に並べられたのは、昨日早川から収穫してきた産物で、最終段階のバレンシアオレンジ、それと、今が盛りのブルーベリーとミョウガです。定例の朝市日ではありませんが、自然の生育は、人の都合には合わせてくれません。自然の都合に合わせて、当方だけで独自に朝市を開いた次第です。今日、7月29日と、30日は、多摩市の永山団地の夏祭りなんです。祭りの会場を準備するために、朝から関係者は大忙しです。天気は曇りでしたが、朝はクマゼミもミンミンゼミも大きな声で鳴き出しました。最近は、東京でも、クマゼミが鳴くようになっているんですね。あさから、公園の広場では、盆踊り会場の設営がすすめられていました。会場を準備する人たちはたいへんです、汗びっしょりの大忙しでした。当方の朝市は、この祭りの「前座」です。祭りは夕方からですが、当方は、午前9時から11時まで、お店を開きました。お客さんの姿が見えませんが、お客さんがいる時は、応対しているために、カメラまで手が回らないんです。写真から見ているだけだと、お客さんの姿が見えないので、心配になりますが。大丈夫なんです。今日用意したものですが、バレンシアオレンジは完売しました。ミョウガが3パックと、ブルーベリー4パックが売れ残りましたが、大方は売れました。残ったものをどうするか、これは、販売・消費の許容範囲内まで来てますから、問題なしです。これからひと休みして、そからその後で、どうするか考えることにします。
2017年07月29日
コメント(0)

『蔵原惟人評論集』第10巻対話編について『蔵原惟人評論集』(新日本出版社)は、全10巻で、1979年に刊行されました。私などは、戦前戦後の日本文学について、ほとんど読めてないんですが、それでも、現在を知るうえでは、大事な一つの分野だと思います。蔵原惟人氏(1902-1991年)は、文学のよい紹介者であろうことは感じているんですが、下地のない私などにとっては、この『評論集』は、一つ一つの作品に関心はあったとしても、実際に目を通すのが大変です。ましてや全10巻ですから、とてつもない広大なものと感じがちなんですね。一人の人の生涯の主要な作品集ですから、そうそう簡単に読めるものではありません。それで、一つのとっかかりとして、この最後の第10巻の対談編に注目しました。全部で7本の対談がおさめられていますが、「対談」なら、堅苦しいものではなくて、その人となりの味が出ていると思ったからでしたが。その1番目は、「『明治百年』と日本近代文学」で、3人の方たちとの対談でした。1968年11号『民主文学』に掲載されたものだそうです。それから、順次、7番目の「杉本良吉のこと」(1975年2月号『文化評論』掲載)までと、続きます。一つ一つの対談で、話がはずんでいるんです。その興味をわかせてくれるんですが、その内容について、紹介したくはあるんですが、とてもとても私などにその力はありません。ただ、それらが大きなものを紹介しており、引き寄せてくれていることは明らかなんです。それは、日本の近代文学のなかにプロレタリア文学がどのように出て来たのか。なんたって当事者ですから、治安維持法の弾圧の中でも、見失うことなく探り続けた精神なんですね。当時としてどのような具体的な問題にぶつかり、活動の前進をつくってきたのか。それらが戦後の民主文学に、その成果がどう引き継がれているか、これが7本の対談の基調にある問題です。本人は、くり返し話してきたから、もういい加減に解放してほしいとも言ってますが。これが、1970年前後に語り合われている。いわば、後世へおくる遺産、遺言なんですね。私などが学生時代のころです。私などは、もちろん当時、こうした対談が行われていたなんてことは、まったく知らなかったんです。それどころじゃなかったんです。しかし、いま読むとわかるんですね、何故、その対談が必要だったか。その時代の空気というか、要請されたいたということが。ここで語られていることというのは、日本の民主主義運動における労働者の役割ということなんですよ。すなわち、私たちが今あることの、歴史的な過程が、それを切り開いてきた努力が、語り合われているわけです。今の基礎にある問題です。もちろん、その中身が大切なんですが、それは簡単に紹介できるものではありません。出来るくらいなら、苦労は無いわけです。この7本の対談編ですが、巻末についている「著作編年目録」とともに、この『評論集』全体に踏み込んでいく上での、最良の案内書になっていると思います。これを紹介しないというのは、宝の持ち腐れだし、歴史評価の怠慢というものですね。だいたいこれは、現代を生きる人たちに贈られた数々の宝を、これらの対談によって紹介されているんですね。今日的な意義を感じるので、今さらですが、紹介させていただきました。
2017年07月27日
コメント(0)

『更級日記』の燃える富士山ですこの「みかんの木を育てる―四季の変化」ブログですが、2008年の9月から始めました。東京・八王子市と神奈川県真鶴のみかん園との間を、片道80キロを往復して、みかんの手入れをしています。その途中の楽しみに、富士山の姿を見ることがあります。平塚と小田原からですが、四季折々の姿が見れます。富士山といえば、それを感銘をもってながめた作品に、『更級日記』があります。以前にそれを紹介していました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/200907260000/日本の古典文学なんて、学校以来50年以上ひらいたことはなかったんですが、これも富士山がつないでくれた一つの縁ですね。『更級日記』は、「女性の一生」を描いた4章だての作品です。第一章が東海道の旅行記ですが、任地の千葉県から京都へ帰る途中のこと、駿河を旅しているところに富士山がでてきます。関東からは遠く小さかった富士山ですが、間近かに大きく見えたんですね。「夕暮れは火のもえたつも見ゆ」活火山の様子が、片ことですが、書かれています。1020年の9月下旬のころのことだそうです。
2017年07月26日
コメント(0)

7月24,25日、衆・参の予算委員会を見ましたこれはいくらなんでも、見捨ててはおけないでしょう。戦争法を強行し、共謀罪法も押し通した内閣です、憲法改悪を本気でやろうとしている内閣です。議会の多数におごって、国民世論を蹴飛ばし、暴走しつづけている内閣です。そのごまかしの尻尾が、ついにつかまえられたんですから、これは確認せざるをえません。「加計学園」学部新設で、お友達への便宜供与、政治の私物化の問題です。「丁寧に説明する」とした予算委員会でしたが、本当に真相は語られたでしょうか。24,25日の午前9時から午後3時まで5時間、2日間の10時間にわたって注視したんですよ。説明を求めてきたのに、「説明する」というんだから、つき合ったんですよ。しかし、とんでもないくわせものでした。一例ですが、四国の役人が首相官邸を訪ねて、そこで新設できる心証をえたことが報告されてるんです。もちろんまだ決定されてないことなんですよ。それで工事まで始め出していた。7月24日の衆院ですが、このとき首相官邸で応対した人は誰か。その人とされる秘書官は、来客者とあったのか? (24日質疑をつたえる25日付「赤旗」)「あったのか?」この質問一つをめぐっても、「私の記憶にありません」。様々な事実から何度も何度も問われても、エンドレステープのようにが繰り返されました。「あっていません」じゃないんですよ、「あった記憶はありません」なんですよ。このさりげない答弁ですが、この違いがわかりますか。上記の報道によると、7回ものやり取りだったそうです。だいたい、一秘書官が、官邸の主人の許可もなくして、勝手に来客に応対するなんてことは、ありえないじゃないですか。この秘書官は、指示をうけた誰かを、必死でかばおうとしているんですね。何回、何回ものやりとりから、そうした関係が浮き出てきたんですね。ふつう、あらゆる時代劇やドラマは、最後には必ず真相がわかって、それで見ている側のモヤモヤは納得し癒されて終わるものですが、この現実の国会、政治の世界というのは違うんですね。今回も政権の姿は、自ら仲間をかばいあって合理化し、自分からすすんでは真相を語ろうとしないんです。隠しようのない事実を突きつけられても、「記憶にありません」と。こうして指摘される歪みの問題を避けて、一般的必要論を繰り返す。そんな、やりとりに10時間もつき合わされたんですよ。 (25日質疑をつたえる26日付「赤旗」)私などは、普通の生活でのやり取り感覚ですから、国会での質疑は理解しにくいんです。ましてや、5時間、5時間の10時間ものやり取りですよ。ふつう人間の集中力というのは、何時間も持ちっこないんです。しかし、あらためて新聞というのはたいしたものです。もちろん新聞も、各新聞によって、その力は様々だと思いますが。今回感じたんですが、取材が、個人ではなく集団の注意力で、長時間の質疑を追跡しています。しかも、市場に働く人が、ものの鮮度を直ちに見極めて、目利きをするように、さりげない質疑のやりとりから、その背後にある重要な関係をキャッチするんですね。それにより、隠されている関係が、あぶりだされてくるんです。今回の10時間の観想です。一方で、あくまでしらを切って、お仲間を守り合おうとする政権があります。正直に語ろうとは、絶対にしない、お仲間です。おうかがい質問をして、窮地の政権に、へつらいと助け舟をおくる質問者もあります。他方、これに対して、かぎられた事実から、真相の全体の姿を明らかにしようとする質疑が行われています。この結果ですが、「丁寧な説明で」これまでの疑惑は、はれたか? とんでもない。すすんでは、絶対に真実を語ろうとしない、政治家の習性を見せつけられました。公の政治というものを、個人的な知り合いへの便宜に使っている姿が、より明確になりました。今、このおごれる政権がすすめている政治ですが、一方で、日本の自衛隊を海外の戦場にだすための国内体制づくり、憲法改悪のもくろみが、強引さの背景に太くあります。他方では、そのおごりは、お友達への個人的な便宜供与の政治でもあります。この災いの政治は、今回の質疑によって、ますます国民に見抜かれることとなっています。一刻も早く、この政治を取り除くことが、その政治を変える方策が、力が、求められているということです。
2017年07月26日
コメント(0)

『蔵原惟人評論集』第十巻 対話編を読んでます7月24日、25日、衆参の予算委員会の質疑を見ました。その感想は、別に紹介しましたが、質疑の様子は、今の事態を変えることが求められています。さきに共産党創立95年講演会を紹介しましたが、私などは、今という時を、歴史的にとらえる必要を感じています。この『蔵原惟人評論集』も、その一つです。この第十巻対話編は、1970年前後におこなわれた7編の対談からなっています。今を知るうえで、参考になるんですよ。この中身を紹介したいところなんですが、今日は国会質疑につきあわされ、くたびれました。それは別の機会にします。
2017年07月25日
コメント(0)

小林多喜二ゆかりの七沢温泉「福本館」真鶴・早川を往復する時に、その途中、北側に大山を見ます。大山は、落語の「大山詣で」にでてくる、大山阿夫利神社のある霊山です。その山のすそ野に七沢温泉があります。数軒の宿があって、その一つに福本館があります。これは6年前のことですが、やはり、そのときも、草刈り仕事でくたびれていたんでしょう。この日は農作業はお休みにして、この福本館へ、立ち寄りの温泉をかりるべく訪ねました。これが、福本館の正面玄関です。七沢温泉は、10軒くらいの宿がある、山あいの静かな温泉なんです。この七沢温泉の「福本館」をめぐって、一つの新たな事実が明らかにされました。戦前の治安維持法による国民監視が徹底していたころのこと、作家の小林多喜二は、特高警察に追われていたそうですが、この宿にかくれて滞在し、文学作品『オルグ』を書いたんだそうです。追及されていた多喜二を泊めるわけですから、それが分かれば宿の側も処罰されます。それでも、療養しながら執筆する多喜二を守っていたんですね。ずーっと長らく、そのことは秘密にされてきたのだそうです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201107230000/神奈川県の七沢温泉には、疲れをいやす温泉があるとともに、戦前から、民主主義的な気骨ある人たちがいたということなんですね。多喜二が、その時逗留した建屋ですが、道をはさんだ向かい側にあります。今でも当時のままに、大事に保全されていました。
2017年07月23日
コメント(0)

多摩の団地で朝市をひらきました今日、7月22日は、多摩の団地で独自の朝市を開きました。朝市の定例日ではないのですが、農産物は旬が大事ですから、定例日を待っていては、せっかくの美味しい時を逃してしまいますから、無理は承知でも、独自の朝市をひらきました。午前8時45分、朝市の準備完了です。朝の商店街は、人けがあまりないんですね。今日も、朝から暑い日差しが照り付けていました。この場所は、団地の北側ですから、日陰で涼しい風が吹いてくれてます。しかし、なにしろこの熱さですから、表に人通りが少ないのは当然です。私だって用事でもない限り、この暑さの下、外を出るなんてことはありませんから。しかし、そこは良くしたものです。人がまったくいないというわけでもなくて、なかには、歩き疲れて休憩していってくれる人もいますから。午前9時から11時の営業時間の間には、そこそこの商談が成立します。これが、店さきの様子です。販売の農産物は、バレンシアオレンジ、ブルーベリー、ミョウガの3品目です。それに、サービス品として、みつばが並べられました。予約者のための受付簿も用意しました。まぁ、即席の直売所といったところです。大体、販売は、3つの部分に分かれます。1、この場で販売すること、これが基本です。もちろん売り切れれば、それが一番良いのですが、見ての通り、人通りが少ないことですから、商品は売れ残ります。2、残ったものは、事務所の前に、無人販売の形で置かせてもらっています。これが、一日を通すと、けっこう売れて無くなっていくんですよ。しかし、それだけに残りのすべてを託しては、虫が良すぎます。3、残ったものの半分については、当方が出張して販売するようにします。以前に買っていただいた方のつながりがありますから、その人たちにひと声をかけるようにして、届けるようにしています。やはり野菜は鮮度が命ですから、ただお客さんを待っているようではダメなんですね。この暑い陽気の中、みつばなどが示すように、すぐにしなびてしまいます。それで、午前中に営業したあとは、午後にはひと休みをするようして、その後、夕方に、もうひと踏ん張りです。数軒のお客さんですが、そのお宅に届けるようにしています。こうしたことで、本日の独自の朝市でしたが、なんとか、夕方には予定した販売を終了することが出来ました。
2017年07月22日
コメント(0)

早川・石垣山へ収穫に行ってきました今年の関東の梅雨明けが、7月19日に発表されました。その前から連日、関東は夏のような日差しが照りつけています。7月21日(金)に、早川の石垣山に収穫に行ってきました。バレンシア・オレンジ、ブルーベリー、ミョウガ、この三品が対象です。なるべく朝の涼しいうちに、作業を済まそうとして、早めに八王子を出発して、午前6時には早川に着いたのですが。朝、到着した時に、石垣山からみた小田原の景色です。日出は午前4時40分くらいですから、太陽はすでにのぼっています。まずは、ブルーベリーとバレンシアオレンジの収穫からです。これが、バレンシアオレンジの木ですバレンシアオレンジは、原産地は名前の通り、スペインだと思いますが、早川の柑橘類の収穫では、年間サイクルの一番最後の品目に位置しています。温州みかんの11月-12月からすれば、反対側の時期の収穫になります。すでに、午前8時前後には、陽射しが強力になっていましたから、汗だくの状態だったんですが、ブルーベリーの収穫を前後に入れました。同じ単一作業をずっと続けていると、飽きてきちゃうんですね。それと、今日はミョウガを収穫することにしていたんです。ヘトヘトの疲労困ぱいになっちゃうんじゃなくて、このミョウガ分の体力を、残しておかなければならなかったんです。これがミョウガ畑です。地べたを這いつくばって、発芽したミョウガを見つけるわけです。茎をかき分けて、地面から顔を出したミョウガの芽を探すわけです。まだ、私などはミョウガの収穫になれてませんから、芽を見つけるのは大変です。地面の下からミョウガが顔を出し、そこから白い花を咲かせているのがわかるでしょうか。ミョウガは、見つけるのが遅いと花を咲かせるんですよ。花を咲かせて、「私は、ここにあり」と存在をアピールしだします。本当は、これでは後手なんです、花を咲かせる前に収穫すべきなんですが。まぁ、仕方ありません。ということで、早川園の収穫作業は、午前10時15分に終了しました。この後、私としての本来の作業が待っていました。ただちに真鶴のみかん園に移動して、ミツバチの観察と草刈り作業が待っていたわけです。真鶴のみかん園には、二ホンミツバチが二群いるんです。一つの群れが、この間ずっと、元気のなくて心配していたんです。このところ、いつも巣門には守衛のハチがいなくて、全体がひっそりしていたんです。これが、その巣箱なんですが。今回、新たな事態がありました。チョット分かりにくいんですが、黄色のゴミが落ちてます、ミツバチの動きの痕跡があったんですね。くわえて、金網の中の巣門の所に、3匹の門番のハチがいました。これは、この間の巣門が無防備だった状態からしたら、画期的なことです。みると、ゴキブリやアリもうろついているし、スムシの繁殖も見られたんです。「もう、この群れはダメなのかな』と心配していたんですが。なにしろ、ずっと巣門には蜂が見当たらず、静寂の状態だったんです。今回、3匹の門番がいたことは、少しですが、今後への希望を感じさせてくれました。さて、もう一つの群れの方ですが、こちらの方は、巣門の様子から、一見してこの群が活発なことがわかります。前回、この巣門のまわりを、キイロスズメバチが飛んでいたんですよ。これは、そうした外敵に対する備えでもあり、威嚇しているんだとおもいます。これなら大丈夫です。簡単にはスズメバチも近づくことは出来ません。これだけたくさんの蜂たちが、活発に巣門を警備しているんですから。これなら、スズメバチの方が逆に熱殺で退治されちゃいます。以上で、本日の遠出の作業は、すべて完了しました。予定していた作業を終えて、明日の朝市用の作物も積んであります。もうクタクタでしたが、午前11時19分に帰途につきました。
2017年07月21日
コメント(0)

共産党創立95年講演から、私などの目標です7月19日に共産党創立95年講演会がありました。不破さんと志位委員長、二人の講演がありました。インターネットによって、誰でもいつでも見れるわけですが。私などは、講演を聞いて目標をたてました。今後、空手形にならないように、紹介しておきます。これを機会に、読書に、次の6冊を加えたことです。1.「自由と民主主義の宣言」、2.蔵原評論集の対話編、3.宮本顕治『党史論』の3冊です。1925年成立の治安維持法ですが、「国体の変革をたくらむもの」を取り締まるとして、確かに共産党を中心的存在とみなして、そこを対象に、弾圧したことは確かなんです。しかし、それだけじゃない。民主主義主義者から、宗教家、学者、自由主義者と、たてつく者とみなされたものは、ことごとく取り締まられていったわけです。しかし、その本質は、天皇に逆らうものすべてを対象に、徹底的に取り締まられたんですね。問題の性質は、国民の民主主義的な目覚めを、草の根かき分けても、弾圧しつくしたんです。不破さんにして、終戦は小中学校のことだったそうですから、いまや直接にその時代を体験した者は少ないわけです。しかし、日本の近代史は、明治の自由民権運動、そして大逆事件からして、脈々として民主主義を抑圧した社会体制は、注意してみれば、その傷跡が残されています。戦後世代として、「自由と民主主義の宣言」は、その民主主義的性格と共産主義との関係をあきにかにしたもの。「党史論」は、その歴史記録です。今からすれば、時が角を取りますから、淡いものに見えるかもしれませんが、そうしたものです。また、蔵原惟人対談集ですが、これは日本の当面する問題が民主主義的性格であり、民主的共同が必要だということを論じたもの、それと、日本共産党がソ連・中国の大国主義的横暴たいして、そこには自主的な立場をつくり出した歴史的活動が記録されているのではとおもっています。この点を確認してみたいと思っています。この他に、あと3冊を上げてみました。4.『戦時下の唯物論者たち』、5.「真下信一著作集」から、6.「憲法読本」です。学術団体としての「唯物論研究会」、その面々による座談会ですが、また真下氏の著作ですが、当時の治安維持法による野蛮な民主主義抑圧の様子がリアルに語られています。先に国会では「共謀法」が強行成立されましたが、推進者たちはまともには答えよとしませんが、戦時下にその猛威を体験した人たちは、内心にたいする勘ぐりによる取り締まりひどさを、自身の体験から警鐘乱打してきていたんですね。その傷跡が記録されています。そして「憲法読本」(岩波新書 1965年刊行)。これは、1965年の時点で、それぞれの道の有識者が、様々な角度から26本の憲法論を書いています。戦後の憲法問題の歴史的な経過を、あらためて学ぶことが出来ます。今問題になっていることは、ことさら思想としては、新しいものではないんですね。学術論としては、すでに50年前に、よく切り結んで問題の本質が議論されていた。それがよく分かるんです。新しい面といえば、当時でもごく少数の変わり者の見解でしかなかった考え方が、いまや小選挙区制によって内閣総理大臣になったことで、国家公務員でありながら、さかんに改憲の旗振りをはじめたことですね。総理大臣がそうしたことをやっているんですよ。この安倍氏の言動は確かに異常なんですが、それを「異常だ」「異常だ」と叫んでいるだけでは、かわらないんです。都議会選挙が示したように、行為による批判が必要なんです。そのために問題は、憲法の民主的原則への国民合意にたった民主的政権を作り出すことです。この共同は、今の新しい課題ですが、その基礎は「憲法読本」の中にも、仕上るべき民主的共同の思想があると思うんですよ。以上、不破記念講演を聞いて、私なりに少なくともこれだけは、今読んでおくことが必要と感じている書籍なんですが。もちろん、過去を読書で詮索しているだけでは、前へ進むことは出来ません。しかし、これらの問題というのは過去のことではないんです。今しっかりと解決することがもとめられている、時々にしめされていた日本の戦後史の本質的宿題なんです。それらがいっせい立ち上がって、今こそ、私たちにたいしてその根本的な解決を求めている、そうした問題として読み取らなければならないと思っています。
2017年07月20日
コメント(0)

2年前に、真鶴をドライブした時の一コマです過去帳がバックされるのは学習だけではありません。義母との旅が、フラッシュバックしてきました。義母が、群馬県から一カ月弱の間でしたが、慣れない東京にやってきました。せっかくの機会でしたから、真鶴方面へもドライブしてきました。これはその時の一コマです。小田原の酒匂川を越える時には、二宮金次郎の「わらじをつくり・・」と歌が出てきました。また、熱海海岸を走った時には、「熱海の海岸散歩する、寛一お宮のふたりづれ・・」『金色夜叉』の歌です。若かりき頃の、学生時代の想い出の話も、一緒に出てくるわけですから、ドライバーとしては、耳新しいことでしたが、聞き流すしかなかったんですが。さながら、小田原方面を、つぎつぎと歌でつずる青春談義のドライブでした。真鶴では「まるなか」で昼食したんですが。お店の心意気で、いろいろな相模湾の地魚だしていただき、堪能できました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201507180000/また、こうした機会が出来たら、最高ですね。健康であれば、そうしたこともいつか出来ことですから、楽しみにしています。
2017年07月20日
コメント(0)

『憲法読本』(1965年刊)を読んでますどうしたことか、長らく埃をかぶっていた本なんですが。1965年刊行の『憲法読本』(岩波新書)を読みつつあります。この本を読むことの必要性は、以前から山々だったんです。ところが、どうしたわけか二の次、三の次と、これまで先送りされてきました。この本は、憲法問題のさまざまな問題を、上巻14篇、下巻12篇の計26が取り上げられています。あらためて認識を新たにしたんですが、1965年にこの本が出されているということです。私は、1950年生れですから、中学時代、オリンピックやビートルズが来日した頃のこと。その当時、社会は戦後20年にあって、こうした憲法論議が行われていたんですね。率直に言って、これらの26名の知識人は、在野におかれていて、当時の政権からして粗末にされていた人だと思うんですよ。だから、良心の叫びとしてこの「憲法問題研究会」をつくり、こうした基本問題を再確認すべく本を出したんだと思うんです。私などは、当時は中学生だったわけです。その後、中学時代の同窓会もありました。しかし思い返すと、新憲法についての一般論はあっても、当時こうした議論が行われていたなどということは、ノウ天気なもので、まったく記憶にありません。当時の社会科の先生方が、どの様な立場に置かされていたか、当時の恩師は、すでに今はこの世にはいません。もはや議論して確かめることは出来ない訳ですが。まだ、私などは、上巻の7篇しか読めていませんが、この本は、一つの一里塚です。1965年当時の、日本国憲法についての日本社会の議論を確認させてくれます。今日問題とされる憲法「改正」論ですが、この亡霊が、歴史的にみて、どの様にでてきたのか、1965年の社会状況のもとで、当時の学者・知識人の良心が、どの様に見ていたか。現在の事態を知る上で、いや歴史的な断固とした審判を下すうえで、客観的で良心的な、憲法論にとっての遺産になっていると思います。現在というのは、これまでの歴史の宿題を、断固として果たすことなんですね。
2017年07月19日
コメント(0)

この時期、みかん農夫はヘトヘトです今日も厳しい暑さですが、真鶴・早川へ行ってきました。当然、ヘトヘトになることが予想されましたから、すこし早起きして、過去の学習を紹介してから、『宮本著作集第六巻』を紹介してから出かけました。午前5時16分、平塚から見えた富士山です。午前6時半に真鶴園に着いたんですが、今回の真鶴園の主題は、ミツバチのケアーです。前回は、たった一週間でスムシが毛布をかぶるまでになってましたから。今日は、日陰時間を多くするため巣箱の位置をずらせました。それと、ダニ対策で、ギ酸パテを天井部分に設置しました。こちらのミツバチの群れは、相変わらず活発でした。小脇に花粉を抱えた働き蜂が、帰ってきます。入り口の金網ですが、これはスズメバチの接近を防ぐためのものですが、案の定、今回、キイロスズメバチが、巣箱のまわりに来ていました。キイロスズメバチを見たのは、今季は今回が初めてだったんですが、ダニと、スムシとスズメバチ、三つの障害がそろいました。ここまで作業しただけで、すでに全身汗びっしょりだったんですが、ただちに、ここを切り上げて、早川園に移動です。本日の主題は、早川園での収穫です。今が旬の、バレンシアオレンジ、ブルーベリー、ミョウガの収穫でした。ところが、早川園の作業は写真がありません、もうバテバテで、写真どころじゃなかったんですね。予定はあくまで予定でして、なかなか予定通りにはいかないんですね。早川園の最初は、市民みかん園を見回りしたんですが、1、イノシシの仕業ですが、発芽した里芋を掘り起こして食べていました。今回は2株、以前からすると15株、半分くらいやられています。2、次に、キウイの枝が伸びだしていたので、その枝切りをしました。それを放置しておくと、養分が果実の方には回らずに、枝に行っちゃうというんですね。3、さらに見ると、全体として雑草の繁茂が活発に始まりだしていたんです。これは予定にはなかったんですが、急きょ草刈りを実施しました。この暑さと雨が重なって、草がグイグイ繁茂してきているんですね。数日置くだけで、腰くらいに伸びて、はるかに手間が大変になっちゃいますから。以上は、まったくの予定外のことだったんですが。キウイの剪定と草刈り、この二つをやったらもうヘトヘトです。またしても着替えをしなければ、全身がずぶ濡れで身体にくっついちゃって、よろず作業が、動きにくくなるんですね。それで、着替えして、日陰にあるベンチで休憩したんですが、すると接着剤でくっ付いたように、椅子から腰が立とうとしなくなるんです。とにかく、やっとのことで、バレンシアオレンジですが、2籠分を収穫しました。ミョウガとブルーベリーはもうダメです。とても体が動いてくれません。ぐちゃぐちゃした、おしゃべりで時を過ごすことになります。早川園の園主さんが、これみかねて、自身が収穫した分なんですが、「もっていっていいよ」と、提供してくれました。この時期は、午前9時を回ると陽射しが強くなって、効率がガクンと落ちるんです。冷たい水が、かかせないし、それが何よりの最高の飲み物になります。しかし、それを飲むと、今度は大汗をかいて、ずぶ濡れになりますから。今日は、午前10時30分でしたが、タオルが投げられました。これ以上は無理です。人間、欲望も大事なんですが、ここまでくると命の問題になってきますから。それで、本日の真鶴・早川での作業をきりあげて、帰ってきました。だから、早朝に『宮本著作集第六巻』を紹介しておいたのは、正解だったわけです。帰ってからでは、紹介するなんてことは、とても出来る状態ではありませんでしたから。朝のうちだったから出来たんですね。しかし、思うんですよ。人間、ただ行動作業しているだけではだめなんです。同じく、外野席でただ「批判」的なことばかり言っているのも、これまただめなんです。私たちは、もっともっと働きつつ学ぶことを、正面にしなければならない。なおかつ、それに加えて、それらのことを発信しなければならない。発信しなければ、自他ともに何を働いたのか何を学んだのか、分からなくなる訳ですから。人間が前進するためには、やはりここにこだわる必要があるとおもっています。
2017年07月18日
コメント(0)

今への橋渡し『宮本顕治著作集』第六巻4年前ですが、『宮本顕治著作集』第六巻を読んでいました。この第六巻には1962年から1974年に書かれた19の論文が載っています。これは私自身にとって、不思議な感慨を起こさせてくれる巻です。現在への橋渡しをしてくれるものなんですね。これがその時のレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201307180000/私などは1969年に高校を卒業して都心の大学に通うようになったんですが。神奈川県西部、小田原の高校というのは、今にして思えば、のんびりしたもの。世間の風というか、日本や世界の動きへの理解というのは、わずかなものでした。それが、1969年4月から法政大学へ通うようになって、大勢の人の行き交う世界、政治や経済、社会が激しく揺れ動いている中へ、そこへ通うだけでも、くたびれてしまうようなところへ置かれたわけですね。もっとも、学園の窓から眺めている、ただそれだけのことなんですが。人間、現在の自分の置かれた状況を知るというのは、簡単なことではありません。歴史の流れのなかで、多少となり、自分が感覚的に知れるのは限られています。この著作集は、歴史に学ぶ世界と、直接感覚した世界とが交差しだす所です。もちろん直接感覚したとはいっても、理解できたということとは、それは別なんですが、それでも大事な交差があることは確かです。だから、私にとってこの著作集は、現在への橋渡しを感じさせてくれる、不思議な、面白い本です。
2017年07月17日
コメント(0)

早川のミョウガの畑です7月も中旬にはいって、ミョウガの収穫が始まりました。所は、小田原・早川の石垣山です。これが、そのミョウガ畑です。なかなか見事なミョウガ畑でしょう。この暑い時期には、冷そうめん等には、ミョウガがよく合います。これまで当方は、ミョウガはすべて八百屋さんで購入していたんですが。パックに入ったものしか知らなかったんですが。この石垣山のみかん園の畑には、みごとなミョウガ畑がありました。細い道をぬけると、その先にはこの畑が広がっていました。まるで桃源郷の様なんです。ここで先日、ミョウガの収穫の手ほどきを受けました。タケノコと違って、眺めているだけではダメなんですよ。同じように地下茎で生えてきますが、ミョウガの方は、地上に頭を出しているのは、ごく一部分なんです。地中にあるといってもよいくらいです。タケノコだと、地上30-40センチと発芽して、遠くからでもすぐに目立つんですが、ミョウガの方は、そうはいきません。四つん這いになって、地面の上の茎と草をかき分けて、手の感触で探します。私などは、前回、初めてのミョウガ採りをしたんですが、最初、ただ上から眺めて探していたんですが、それでは見つかりませんでした。もう一度、同じ場所を、手探りで探したところ、少しは見つけれるようになりました。地下茎からわずかに顔出ししたものを見つけるには目たてのなれが必要なんですね。なにごとも修行が必要なんですね、簡単であるわけがありません。じつは、市民みかん園の方にもミョウガはあったんです。繁茂してくる雑草の中にあるのがミョウガの茎だとは知らなかったものですから、去年は、バンバンと十羽ひとからげで草刈りしていたんですね。今にして思えば、なんとも無知というのはもったいないことをしたものです。ということで、今年は、初めての出荷であるわけですが、この7月後半からは、都会の人たちにミョウガを提供していきます。7月15日の第一回は、9パックの提供だったんですが。これから、どのくらい出荷できるか、楽しみなところです。
2017年07月17日
コメント(0)

「津波ものがたり」(山下文男著)を読んで近くの図書館で借りたんですが、山下文男著「津波ものがたり」を読みました。この本は、1990年に刊行された本ですから、2011年の東日本大震災よりも前にだされたものです。東日本大震災の経験をした私たちは、津波の恐ろしさを心に焼き付けられました。しかし、この本は、その体験をした後でも、より一層読まれる必要があると思います。6つの話からなり、中学・高校生向けに読みやすいように配慮されて書かれています。著者は、明治29(1896)年の三陸大津波の、岩手県大船渡市での具体的な話を聞かされて育ったそうです。また、小学校3年の時に、1933(昭和8)年の津波を実際に体験しているんですね。本の終わり掲載されている「大津波の略年表」ですが、記録に残る22の大津波の様子が紹介されています。著者の体験した1933年の津波については、次の様に書かれています。「1933(昭和8)年3月3日 M8.1三陸沿岸など震度は5を記録したが震害はなく、大津波。岩手、宮城、青森の三県で死亡・行方不明者3,008人。家屋流失4,917戸、倒壊2,346戸、浸水4,329戸、船舶流失7,303隻。高波は綾里湾で28.7メートル。田老では戸数362戸中358戸が流出して全滅。唐丹村本郷、綾里村白浜、港なども全滅。津波はハワイからチリに達し、「TUNAMI」が国際語になった。昭和三陸地震・津波」思うのですが、人間は嫌なことは忘れたくなるもののようです。まして、大きな被害をうけても、10年、20年と月日がたつと、それだけ未経験者も増えるわけですから、津波の危険に対する受け止め方もうすれるきらいがありそうです。そうであるからこそ、この本が1990年に著者によって書かれていたことは、重要な警告だったと思います。この事実を真剣に考慮していたら、2011年の震災による被害も、少しは違ったものになったと思います。とくに、国や、東京電力の原発を推進してきた責任者たちにとっては、なおのこと重要なんじゃないかとおもいました。まだ、遅くない、今からでも、この危険性を、よくよく考慮すべきだとおもいます。いや、国民の圧力で、絶対に、彼らに考慮させなければなりません。私なども、東日本大震災までは、地震と津波については、深刻な体験はありませんでしたから、「また例によって、津波数十センチくらいの結果で、気象庁のおどかしじゃないか」くらいしか、受けとめていなかったんですね。軽視があったんですね。しかし、この本を読むと、日本はくり返し、大きな地震と津波の体験をしてきたことが見えてきます。その道の人たちは、こうして警告をしていたんですね。ましてや、2011年の東日本大震災を経験したら、正面から問題を考慮しなければならないはずです。一つは、それぞれが自分の身近に引き寄せて、具体的に考えてみる必要があると思うんです。「地域セクト」といったつもりではないのですが、私などの生活圏での知らなかったことも、この本の紹介している中で、注意をひきつけられる箇所がありました。1、P17 関東大震災(大正12年・1923年)のとき、神奈川県の根府川谷で発生した山津波は有名です。膨大な土石流があっという間に川下を襲い、川ぞいの民家や700人余の人命をひとのみにしたほか、進行中の貨物列車を押しながしてしまいました。」2、P76 関東大震災では、津波のことは、いっぱんにはあまり知られていませんが、実はこのときも、相模湾岸や房総海岸に津波が押しよせ、とくに静岡県の伊東や熱海では、6メートルから12メートルもの大津波によって大被害をうけています。」3、P81 関東大震災の津波は、あれは9月1日の昼のことだから、湘南海岸には、いまのようにおおくはなかったろうけど、やはり海水浴客がいたようだ。そこに津波が押しよせてきて、鎌倉の由比ヶ浜で百人内外、江の島では約三百人が波にのまれてゆくへ不明になったときろくされている。」4、P84 神奈川県の真鶴海岸にいったとき、漁師さんが話していたけど、海岸にあそびにきているのに、「津波に注意」の立看板があっても、立ちどまって読む人が、ほとんどいないと、なげいていたよ。」この4か所の記述は、私などの日常の生活圏でのことですから、地縁の関係で特別に紹介したまでですが、より大きな問題として、危険性が警告されている東南海沖地震ですが、これとの関係でも注意しておく必要があるかと思います。終わりにある「大津波の略年表」ですが、その中には、1854年12月23日(安政元年)のM8.4(安政東海地震)1854年12月24日(安政元年)のM8.4(安政南海地震)江戸時代末に起きた二つの連続した地震についての被害状況が紹介されています。これは、江戸時代にしてこれだけの被害ですから、今は当時とは比較になりません。原発やガス水道、鉄道などのライフライン、国民の人口密集などを考えたら、もしも現状で足踏みしているだけだとしたら、とんでもないことになります。この本は、それを示唆しているんですね。とにかく、誰しも一度は、この本に目を通しておくべきだと思い、紹介させていただきました。
2017年07月16日
コメント(0)

今年も梅干づくり7月16日、本日、漬けてあった梅に、赤ジソを加えました。赤ジソは、一昨日に早川・真鶴で、昨日の朝市で群馬から用意できました。当方は、今年も梅干づくりをしています。「なーんだ、梅干か」なんて声が、どこからか聞こえてくるような気がします。私自身も、数年前まではそうでしたから、それは当然のことかと思います。梅干は、日常のごくありふれたものですから。グルメ嗜好の現代人にとっては、いたって地味な梅干は、まともな対象にはなりにくい。はては、「あんな酸っぱいもののどこがいいのか」「年寄り臭い」との声もあります。これも、10年余前までの私などの想いでしたから。人間というのは、歳をとって来ると少しは考え方が変わるものです。今の梅干の評価ですが、日本の昔の人の暮らしの知恵で、芸術品だと感じています。かわれば、かわるものなんですね。こういう変化は、文句ありません。梅干づくりというのは、日本の四季の自然変化をたくみに生かしています。今年は、天候不順で、赤ジソの葉が生育する前に梅雨明けしそうで、順序が逆になってしまいそうで心配したんですが、ことなきをえました。6月14日に漬け込んであった梅に、本日赤ジソを加えることが出来ました。梅の収穫は、文字通り梅雨入りした頃の6月初旬です。小雨の降りそうな梅雨の時期に収穫して、青梅は梅酒に、黄熟したものは梅干用にと、6月の前半でしてたが、それぞれ漬け込んでおきました。今日は、漬けたあった梅干用の梅に、塩もみした赤ジソを加えたわけです。やはり、赤ジソをひと手間加えて、赤い梅干にした方が、美味しそうなんですね。これで、仕込みは完了です。こうして梅が赤く染まるようにして、梅雨の明けるのを待ちます。ことしは、早くも梅雨明けしたような暑い天候になっていますが、それでも、まだ梅雨明け宣言はもう少し先です。やがて、梅雨が明けて、からっとした快晴の日々が続くようになれば、いよいよ天日干です。天ざるに広げるようにして、「三日三晩の土用干し」で太陽の陽にあてて乾燥させます。そうすれば、梅干しは出来上がり、マイ梅干の完成です。これだけのことですから、梅干づくりはいたって簡単です。梅のほかに、必要な材料といえば、塩と赤ジソだけです。あとは自然です。材料は何とも質素な2品です。注意していれば手軽る手にはいります。梅干ですが、北条早雲は、家臣に梅干しの携帯を家訓に残したそうですが。箱根八里の山越えには、梅干入りのお結びが必需品だったそうです。なにしろ、弁当やお結びに入れれば、ご飯が痛むのを防いでくれます。疲れた体には、適度の塩分補給にもなり、働く人にはうってつけなわけです。しかも1年でも2年でも保存がきくんですよ。むしろ「梅干しは3年物が美味しい」といわれるくらいですから。私なども、おばあさんの井戸端会議には、茶うけに漬物とともにだされていました。子どもからしたら、「年寄りの、年寄りっぽい趣味だ」と馬鹿にしていたんですが、自分もその年まわりになってみると、その価値が分かるようになるものなんですね。マイ漬物の味比べ、ぜいたく品ではないけれど、話のネタになります。まぁ、自分自身も歳をとって、周りめぐってきたということですが。しかしその頃には、自然の輪廻で、仕方ないのですが、作り方を聞きたくても、その匠のおばあさんは、もはやこの世にはいない。どうやって作るのか、さっぱりわからなかったんですが。まわりには、聞くべき人がいなくなっていたんですが。しかし、窮すれば通じるものなんですね。近くの図書館で、梅干の作り方を紹介してくれている本をみつけました。これが、私などの梅干づくりの虎の巻なんです。これまで料理に疎かった私ですが、これさえあれば、忘れたにしても、そのノウハウがいつでも直ぐにわかります。私などがつくった梅干ですが、以前であれば神さんですが、「台所をちらかすばかりで・・・」と、ブーブー文句ばかり言って、「つくっているところを見たら、とても食べる気がしない」なんてくそみそだったんですが。最近だと少し変わりました。あいかわらず評価は無言ですが、絶対に口に出しては言いませんが、小分けしておいた梅干の瓶ですが、その中身が少しずつ減っていきます。市販の梅干を買う様なことはなくなりました。実際に、手作りした梅干ですが、これは、市販のものよりもしっとりとしていて、適度においしいんですよ。さぁ、今年の梅干づくりですが、赤ジソも加えることも済みました。あとは梅雨明けをまって、土用干しを待つばかりです。この先人の暮らしの知恵を、素晴らしい季節の応用ですが、私などは、多くの人にすすめています。この梅雨の時期が、うっとうしいどころか、楽しみなものになるんですから。とにかく、梅干づくりは、私などにも出来るくらいで、ごく簡単なものなんですよ。
2017年07月16日
コメント(0)

団地で定例朝市が開かれました7月15日(土)、今日は午前9時から、団地の定例朝市でした。群馬と地元多摩の農家からの新鮮野菜と、当方の出品した作物が並べられました。シイタケ、トマト、キュウリ、ナス、ニンジン、玉ねぎ、トウモロコシ、ゴーヤ、空心菜、マクワウリ、オクラ、・・・などなど。いずれも農家が手塩にかけた新鮮で、立派な品々で、しかも、たいへん安いんです。当方はというと、そうした品々の片隅に、バレンシアオレンジ12袋、ブルーベリー14パック、ミョウガ9パック、それと真竹3束、ノブキ3束、それと注文のされていたウド、それにサービスの、みつばとハーブをならべました。いずれも、昨日、小田原・早川の石垣山から収穫してきたものです。当方の販売は、午前11時には完売しました。当方の商いは、どちらかというと、少ない品を並べて、予約を取るというものでしたが。何しろ、この暑さです。途中からは、早く終わらせて、暑気払いでもしようとの心理が働いてしまったので、少ない品々ですから、完売したのはとうぜんでしたが、肝腎の予約をとることが、どうも執念が弱かったようで、取れずじまいでした。しかし、バレンシアオレンジ、ミョウガ、ブルーベリーは、この時期の旬でもあり、売れ行きは上々で、予約をとるまでもないとのことの様です。問題は、この暑さです。炎天下での収穫ですから。くわえて、搬送と販売作業ですから、もう汗びっしょりです。買いに来る人たちの確かな要望を感じるから、それだからこそやれることなんですね。そうでなければ、この陽気のこと、ビールでも飲んで寝ているところなんですが。さぁ、ひと休みしたら、また来週の前半には収穫に行ってきます。それは、バレンシアオレンジ、ミョウガ、ブルーベリーなどですが、これらが、「旬のうちに収穫に来い」と指示しているからです。いくら暑くても、採りに来きて汗をかかないならば、このおいしい自然の恵みはあげないぞ、と言ってます。何着もの着替えとペットボトルには冷たい水を用意して、全身汗まみれになる作業に、また行ってきます。
2017年07月15日
コメント(0)

「私の個人主義」で漱石を再認識しました去年の今ごろ、気がついたんですが。夏目漱石という人の、時代社会を見つめる力ですが、それが、ちっとも古くなくて、たいへん今日的だということを感じました。これが、その時に発信したブログなんですが。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201607140000/「個人」と「人」との違いですが。個人というのは、人には様々な個性、特性がありますが、そうした全体ですね。それに対して「人」といった場合、ただの抽象的な一般性なんですね。この違いは、一見すると似たような言葉ですが、「個人として尊重される」(日本国憲法第十三条)と、「人として尊重される」(自民党の憲法改正草案)ですが、尊重の中身が大きく違ってくることが分かりますか。多様な個性をもつものとして、人のもつそれぞれの中身がが尊重されるのと、他方はそんなことは頓着せずに、人としての一般性が尊重されるとのこと。さりげない言葉ですが、尊重の中身が大きく違ってきます。多様な個性を持つ人と、ただの一般的な人との違いです。現在の憲法論で問題とされる一つとしてのこの問題ですが。夏目漱石が、イギリス留学で体験した近代民主主義の魂ですが、本国の日本の現実との間で、大きなギャップを感じた。漱石は日本の形だけの民主主義という問題を、真の民主主義の在り方との関連で、真剣に深刻に問題を感じるようになるんですね。大逆事件のでっち上げで、幸徳秋水らが罪をでっち上げられて死刑に処せられた、この事件も国家の誤りを感じているんですね。もちろんそうしたことは、公然と口にできる様な状況ではありません。自分自身の死をも覚悟した病気から、多少の小康状態の中で、彼は全国を講演して回るんですね。なにがそうした行動に突き動かしているのか、そこが問題です。この「私の個人主義」も、貴族や皇族、財界人の子弟が学んでいる学習院で、そうした場で体制の関係者も多々いる中で、思いのたけを、慎重に、しかし妥協することなく語っているんですね。そして、その中で、聞き耳をたてさせているんですね。思うに、今日、私たちは、民主主義の思想を学び、引き継ぎ前進させることが課題であるわけですが、夏目漱石のこの講演「私の個人主義」は、当時の状況の下で、記録されている内容ですが、樋口陽一氏や小林節氏が『「憲法改正」の真実』(集英社新書)などで紹介しているように、たいへん今日的な問題だということです。私などにとっては、夏目漱石に対する認識ですが、この面でこれまでのイメージとはちがって、新たな人間像、今日的に問題になっていることを、あの時代の中でもがいて、それを語っていたという、近しい人として見えてくる次第です。講演は、短いものですし、若い学生を相手に、分かりやすく配慮されたものですから、まだ、お読みでない方は、是非一読されることをお勧めします。
2017年07月14日
コメント(0)

今日はミツバチに刺されてしまいました7月14日、真鶴のみかん園で、ミツバチに手を刺されてしまいました。手の甲の、小指の元あたりですが、刺されてしまいました。手の右側半分が、かゆくなっていて、はれ上がっています。小さなミツバチの、外敵への必死になった防衛的反撃です。今日は、早川で収穫作業を終えた後、真鶴のミツバチを観察しに回りました。今回の見回りしたことは正解だったんです。というのは、二群のうちの、元気のないB群ですが、今回、巣箱をチェックしたところ、底板部分にスムシが繁殖していました。このB群は、6月23日にミツバチに覆われていた巣が、露出している異変に気づきました。原因は不明ですが、ミツバチの数が減っているわけです。養蜂家の方のアドバイスにより、6月26日に巣箱の天上にギ酸パテ、ダニ防止剤を置きました。6月29日に、鏡をいれて巣箱の中をチェックしたんですが、とくに変化はありませんでした。7月6日には、まだスムシの気配はなかったんですが、念のために巣箱の基底部分を新しいものと交換しておきました。それから1週間、今回、14日、スムシが毛布をかぶるようにして繁殖しだしていました。前回に、基底部分を交換したことからすれば、この繁殖は短期間に異常な変化をしたわけです。今回、チェックに来たことは正解だったわけです。再び、今回、巣箱の基底部分を、洗浄処理した元のものと交換しておきました。ミツバチの数が減っているため、スムシに対する防御力が弱まっているんですね。それで、次にもう一つのA群の巣箱をチェックしたんです。ミツバチに刺されたのは、この時だったんです。こちらの巣箱の巣門は、かなりの数の門番のハチによって守られていました。念のため、巣門を開いて、スムシの気配が無いか調べてみたんですが。その時に、この巣門を守っている一匹に刺されてしまったんですね。考えてみれば、これだけしっかりミツバチたちが巣門を守っているわけですから、外的に対する防御は大丈夫じゃないかと、後から落ち着いて考えれば、察することが出来るんですが、その時は、その前の巣箱のスムシ繁殖のケースを見たばかりでしたから、確かめたかったんですね。さいわいにして、まったく異常はなく、たくさんのミツバチたちが巣を守っていました。当方が巣門をひらこうとして出したた手を、ミツバチに刺されてしまったわけですが、まぁ、それは痛たかったんですが、また、ミツバチの防衛力の検証でもあり、「よし!」ということでした。今も手は、かゆく、腫れていて、チクチクと痛いんですが、この痛さですが、ミツバチの防衛活力の証明でもありますから、「よし」ということなんですね。この真鶴は、二ホンミツバチにとって、新天地なんですが、これから、スムシにしても、スズメバチにしても、多くの障害が待ちかまえています。すでに翻弄された群れも片方ではあるわけですから、ここからが勝負です、それぞれの二ホンミツバチの群れたち、「がんばれ!」です。
2017年07月14日
コメント(0)

6月2日以来の読書について(7月13日) このところ関東も連日暑い日が続いています。おかげで、私なども、ボーっとした日々が続いているんですが。この間に6月23日告示、7月2日投票の東京都議会選挙がありました。連続した早川での収穫と、東京の団地での朝市がありました。 さて、学習のまとめなんですが、6月1日で止まってました。その時は、前の5月について、1.古典、2.文学、3.哲学、4.政治論でまとめていましたが、 今回はその続きの、6月2日から7月14日までです。 この間は、以前の学習したことの再学習が加わるようになっています。 というのは、フェイスブックですが、以前の年の同日に発信したものを、自動的にバックアップしてくれるんです。おかげで、過去数年の読書を読み返すことが出来るんですね。その過去帳も新たに加わっています。 今回の学習テーマの整理ですが、次の3点でまとめてみました。 1.古典-唯物論的歴史観、2.日本の社会諸科学、3.自分の直接的課題、この3点です。 1、古典の基礎学習、唯物史観の学習ですが、 『フォイエルバッハ論』を基本にして、その元になる1840年代の『ドイツ・イデォロギー』などの原点を当たっていました。この点で、以前の学習がバックアップされてくるので、直ぐに再学習が出来るわけです。唯物史観とは何んなのか、その中身をどの様に学ぶかです。 この思想は、『ドイツ・イデオロギー』につづき「アンネンコフへの手紙」が重要におもいますが、さらにその理論は『経済学批判』の「序言」へと発展せられていきます。 この思想を基礎にして、近代史を『共産党宣言』で、資本主義論・経済学を『資本論』など、マルクスの代表的著作に成果がまとめられているわけですが。 この基本思想をどの様に生かすかの問題ですが、レーニンの理論と実践の活動が、一つの事例として示してくれています。この点は、不破哲三さんが『レーニンと『資本論』』で探っておられますが。 2、日本における社会科学の各分野での成果の問題です。 直接のきっかけは、戦後文学論争史だったんですが。日本での探究史があります。 一方には戦後民主主義を否定して以前に復古したがる面々がいます。しかし、国民の多くはこの70年の平和民主のあゆみを積極的なものと評価していると思います。 戦後の日本は、この両方の問題をあわせ持って進んできたと思うんです。そして、今どちらの側にすすんでゆくのか、国民的な判断が問われていると思うんです。 当初、文学の分野で探っていたんですが、それは戦後だけでなく戦前、さらには近代史の文学史の探究までもと対象が広がりました。過去を今日的にどのように評価するかの問題です。その成果を学ぶことが、現在の文芸評価の基準としても問われていたんですね。民主的共同の基準でもあります。 しかし、ことはそれだけでは済みませんでした。日本の哲学の歴史についても、「唯物論研究会」の業績・成果の理解などが問われます。憲法をはじめ法律学でも、また経済学の分野でも、日本の先人の努力はどの様な成果を残したのか、大まかにでも学ぶ必要を感じて来るんですね。 日本の社会の諸科学での業績をつかんでこそ、現在という位置がみえてくる。そして今何が問題なのか、課題が見えてくるということです。 3、もう一つ、自分自身の67年の課題の問題です。 「汝自身を知れ」、これが一番難しいことかもしれませんが。 2008年9月からブログを初めて、その都度の自分自身の状況とみかん農夫の活動を発信してきました。自分の課題というのは、なにか頭の中から考え出すようなことではなくて、ここでぶつかってきた課題と問題の中にあると思うんですね。 一般的な目標としては、真鶴・早川のみかん農業と、住んでいる東京の生活者(消費者)とを結びつけること。そして出来ることなら、みかん園での二ホンミツバチの養蜂を定着させること。 この目標を中心に、諸般の活動をすすめています。 ここには農業論もあります。生い立ちもふくめた面々の交流もあります。遠く離れてきた郷里ですが、その魅力を再発見する問題もあります。彼の地の自然豊かな恵みを都会の生活者にかえしていくこともあります。これらを通じて今の日本の農家をめぐる政治論・農業政策論の問題もあります。 これらを、その時々は一つのことしかできませんが、全体として、この3つを並行的に進めていくということです。これが目下の課題です。 今回は、この約1カ月余の学習の文献をまとめるつもりでしたが、それらを通しての中身について、ということになりました。
2017年07月13日
コメント(0)

「学者の良心にかけて廃止を求めたたかう」7月11日、「共謀罪」法が施行されましたが、12日付『赤旗』に村井敏邦・一橋大学名誉教授(刑法学)の意見が掲載されました。村井教授は、6月13日参議院法務委員会で参考人として警鐘発言をされた方です。あらためて、この時点にたって、その見解を述べています。それは、ごく簡単には、この「共謀罪」法が、戦前の治安維持法などに対する反省からたてられた、心を処罰してはならないとする行為主義、法律で犯罪と定めていない行為は処罰しないとの罪刑法定主義など、新憲法によりたてられた原則を破壊していること、この問題を指摘しているわけです。そして「学者の良心にかけて廃止を求めたたかう」と述べているわけです。この発言は、重いですよ。(是非、じかにこの村井談話をお読みいただきたいんですが)私などは、この間、もやもやしていた問題と、この談話はかさなるるものとして、いわば、その問題へのある種の回答する発言として読みました。戦後生まれの私などには、この間モヤモヤするものがあったんです。安倍晋三、彼の人は1954年生れですよ。私などよりも若いんです。私などのモヤモヤは、戦前の治安維持法の猛威がどのようなものであったか、それが実感的には分かりにくいように感じていたんです。しかも、戦後世代の中から、どうして、安倍氏のような考え方をする人が出てきて、なおかつ、国政の責任者におさまっているのか。不思議じゃありませんか。だから、法相ですが『(治安維持法は)法律としては、適法である』などとの答弁ですが、こうした発言が、平然となされて、それを罷免することも出来てない事態ですから。根本に、現内閣のめざす憲法改悪と戦前への回帰のもくろみが、心棒としてあるわけです。それだから、憲法の平和・民主の原則にたいする破壊が、手を変え品を変え問題になるわけです。今回の東京都議会選挙も、それが基本として問われたわけだし、東京都民としての審判がくだされたわけです。それにしても、今の社会状況は、国政全体としては、多数議員がこうしたヌエの状況ですから、自然な素朴な感覚として、治安維持法などの実際が分かるものではないし、ねじ曲がっちゃうんですね。ここにモヤモヤしていた感覚の元がありました。しかし、私などにとって、戦前の社会は、まったくの無縁な世界ではないはずです。私などが生まれたのは、敗戦から5年目でした。変わってから5年目でした。今にして思えば、当時の大人たちは、子どもたちには暗い生活はなるべく見せないようにして、それは早く忘れるようにして、新しい世界をつくろうというのが、戦争後しばらくの意識だった。おそらくこれが、当時の国民の一般的感情だったんじゃないでしょうか。きっと、そうした保護下にあったんで、気がつかなかったんですね。しかですよ、それでも「求めよ、されば与えられん」です。たしかに自動的に知識が与えられるわけではありませんが、しかし、ちょっと注意してみれば、当時も今でも、その痕跡はありありなんです。そうした目で、見まわした最近の事例です。その1つ、1965年4月、憲法問題研究会が『憲法読本』(岩波新書)を刊行しています。私などは、まだその全体は読めてませんが、日本の知識人が憲法を解説したものです。その第9章「自由」ですが、民法の末川博氏が、書いています。それは、自分自身の戦前の痛苦の体験からして新憲法の自由について書いているんですね。短い文章ですが、戦前の社会というものを、具体的に明らかにしています。戦後の新憲法の民主主義を、自由を、太く明らかにしてくれてます。また、その2つ、1979年11月に刊行された「真下信一著作集第4巻」ですが、その冒頭に「ヒューマニズムの擁護」が掲載されています。これもまた、真下氏自身が体験した治安維持法による弾圧の体験をリアルに紹介してきれています。この体験を二度と許すまじとの痛恨の思いを込めて。これらは、手元にあった、ほんの2つの例でしかないのですが。注意しさえすれば、これは国民すべての体験ですから、こうした事例というのは周囲に無数に散在しています。山ほどあります。森羅万象です。いくら、隠そうとしても、無視しようとしたとしても、この国民体験を消すことは出来ないんですね。しかし、このことへの反省ですが、それは現政権が示すように、今現在、正当な位置づけを与えられるには至っていません。それどころか、再びあの時代を、と追い求めている事態ですから。そこなんですね、今まさに問題なのは。事柄を見分ける見識を国民自身がもつことで、ヌエの誤魔かしの勢力をあばかなければ、私たちは、まだ戦後民主主義を卒業できる力をもてていないということです。明治以来、先人が目指した近代民主主義を、前に体現することが出来てないということです。しかし、今現在がその歴史の節目にあること、このこともまた確かなことではないでしょうか。これは現代を生きているものならでわの経験です。日本の近代の民主主義の成果を確認して、新たな一歩をふみだすこと、そのためには、気持ちを若くして、その成果を学びとらなければならない。批評家としてではなく、努力してスクラムを体現しなければならない。そうしたことを、私たちは、今、日々新たに体験しつつあるわけです。
2017年07月12日
コメント(0)

漱石「現代日本の開化」は、今日的です去年の今ごろですが、夏目漱石の講演「現代日本の開化」を読んでしました。7月11日に、初めての野党共闘による参議院選挙結果が判明して、次の7月14日都知事選挙の告示にすすんでいく、そうしたおりでした。これがそのレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201607110000/どうして、夏目漱石の講演「現代日本の開化」(1911(明治44)年)を読むことになったのか。私は夏目漱石については、その作品をほとんど読んでいませんでした。せいぜい、遠く以前に学校の教科書か何かで、「坊ちゃん」を読んだくらいでした。国民的な文豪としての名前くらいは知っていましたが、そのくらいしか知らなかったんですね。ではどうして、その夏目漱石を、あらためて読もうとしたのか、そのきっかけとなったのは、私の戦後文学の空白状況を埋めようとして、宮本百合子の「歌声よ、おこれ」(1945.11)を、再び手にしたことによります。それは『「憲法改正」の真実』(樋口・小林対談 集英社新書)にも出てきたんですね。今、戦後民主主義を確かめてみることを、安倍首相の言動が、反面教師として、その作業をせよと指示してくれているわけです。この「歌声よ、おこれ」の中ですが、「西欧の近代文学の中軸として発展してきた一個の社会人として自立した自我の観念も、日本ではからくも夏目漱石において、不具な頂点の形を示した。」との評言がありました。はじめは、それが何んのことを言っているのか分らなかったんですが。この百合子の社会評論を読むうちに見えてきました。その批評が言いたいのは、日本の敗戦に際して、多くの文学者・知識人の人たちが、新たな民主的な進路をひらく立場がはっきりしていない問題点を指摘していたんですね。そして、その原因が、戦前・戦中の治安維持法などによる徹底した民主主義への弾圧にありますが、さらにそれは近代日本の70年が全体としてしっかりとした立場をつくりきれなかった日本の近代史そのものにある問題でもあるといった指摘をしていたんですね。歴史の総点検が必要だということです。もちろん、安倍のような考え方の人が総理大臣になる世の中ですから、それらの認識は、待っていても誰かが与えてくれるものではありません。「もとめよ、されば与えられん」ということです。岩波文庫に三好行雄編『漱石文明論集』(1986年刊行)がありました。その筆頭に講演「現代日本の開化」(1911年)があったわけです。夏目漱石がこの講演「現代日本の開化」などで提起したことですが、その近代の日本社会の歴史のなかで、漱石は胃を壊すほどにもがいているんですね。その直面した事件や体験、それで苦闘したんですね。そこには貴重なものがあります。近代民主主義を日本に定着させるための苦しみだったんですね。がしかし、それは、十分に発展させられることも、多くの人たちの共通認識になることもなかったんですね。こんなことは、それまでの「文豪としての夏目漱石」像では、ちっとも紹介されていなかったことです。この日本の近代史における民主主義を根づかせるための問題を指摘していたんですね。宮本百合子の批評は、その点で夏目漱石の努力を評価していたんですね。その問題は、「歌声よ、おこれ」が示していますが、戦後の出発点にあたって、その変動する中でまさに問題が問われていたんですね。しかし問題は、私たちのことなんです。私たちにおいても、昨今の体験が示してくれているように、今日に、今現在にいたっても、なお引きずっている問題なんですね。そうした点からすると、私などが夏目漱石に対する認識が曖昧だったことですが、そこには、個人の怠慢の問題もありますが、同時に、曖昧にしたままにしておくことをよしとする社会風潮も、またあったんですね。そこには、当然な要素もあったんですね。私たちが、今を民主主義的な方向に、その一歩を前にすすめるためには、もちろん、安倍首相の実際への批判の必要ですよ、それは欠かせませんよ、しかし、それだけでは足りません。もっと根本的に、戦前、戦後の歴史に、日本の民主主義が直面してきた問題です。その相剋した対立ですが、これをリアルに学ばなければならないということです。歴史的な近代民主主義を学び、それを発展させる知恵と力を、私たち自身が、自分のものにしなければならないということです。夏目漱石の講演「近代日本の開化」ですが、すでに、あの時代にあって、そうした課題を示してくれていたわけです。
2017年07月11日
コメント(0)

農作業は、今日はお休みです九州地方の大雨による災害ですが、被災された方たちは大変ですね。それを直視しつつ、それぞれの所で活力を発揮しなければなりません。それにしても、関東方面のこの日々の暑さは何としたことでしょう。当方は、今日はお休みです。7月6日に半日間の農作業で遠出してきたんですが。8日(土)には、搬送した作物を、多摩の団地で朝市したんですが、もう、ヘトヘトでした。もう体の方がひと休みしろといってました。これが、その早川の市民みかん園です。中ほどに物置ボックスがありますが、その手前が当方が手入れしているみかん園です。眺めている分には、自然の緑豊かで、景色もきれいなんですが。それが、ここで働くとなると、見方が変わってきます。午前9時を過ぎると、陽射しも強くなってきて、見ての通り、日陰らしい場所が無くなりますから、炎天下でたいへんなんです。目下は最低限の草刈りをしてありますから、今のところはまだしもなんですが、しばらくして、ひと雨でも降ると、雑草がたちどころに繁茂してきます。当方としては、この時期は、みかん園の園主の方の畑の方から、今が旬の真竹、ノブキ、ブルーベリー、ミョウガ、オレンジなどを収穫しています。それを、東京・多摩の団地に出荷してやりたいのですが。この暑さでは、それが思うようにはいきません。何しろ農夫は身体が資本ですから、炎天下の作業だけで、バテバテになっちゃうんですね。その上に搬送と販売がありますから、たいへんなんですね。へたばちゃったら、元も子もないんですね。したがって、この日々は、自分の体とも相談して、無理は禁物なんですね。また、真鶴には、自分の小さなみかん園があります。この方にも、立ち寄って、手当することが求められてます。これがそれなんですが。こちらは、草刈りもありますが、カミキリムシが成木を狙っています。この列は、枯らされちゃって、何とか小木に植え替えしたんです。その時に抜いた株が、まだ始末できずに残っています。こちらの方は、今は収穫らしいものは何もないのですが、この6月から、再び二ホンミツバチの養蜂を試みています。これもまた、簡単ではないのですが。これがこの時期のみかん農夫の状況です。しかし、思うんです。いくらくたびれているからって、これだけで終わらせるわけにはいかないんです。現代に生きる農夫ですから、近代と戦後の日本社会の宿題のなかでの、この営みですから、農夫の作業とともに、今の歴史を一歩すすめるための準備-学習があるんです。私などの目下の仕事として、この二足の草鞋があるわけです。せっかく今を生きているわけですから、これをすすめること。これが、流れのなかの一コマとして、結節点になっているわけです。
2017年07月10日
コメント(0)

2年前、唯物論的歴史観を学習してました2年前のことですが、『ドイツ・イデオロギー』で唯物論的歴史観を学習していました。歴史社会にたいする見方の問題ですから、いたって基本的な問題です。誰でも何らかの形で、意識してなくても、はたらいている歴史観の問題です。もちろん、今でも基本的な探究テーマなんですが。じつは、一昨日に紹介しましたが、その前の2011年7月にも、同じ服部訳『ドイツ・イデオロギー』を学習していました。この二つを比較してみると、同じ対象でも、テーマがちがっていました。6年前の時は、唯物論の問題です。フォイエルバッハもふくめて、マルクスは、それ以前にあった唯物論を、この『ドイツ・イデオロギー』において、新たな形に前進させていたんですね。それが問題の焦点でした。しかし、この時においても私などは、問題のまわりをうろついてただけでした。つい最近、真下信一著作集「1 学問と人生」を読む機会がありました。この中に、「カール・マルクス その人と思想」の小論が載っていました。これは1977年3月にNHKラジオ「文化シリーズ」で放送されたものだそうです。ここで、この唯物論を前進させた問題が取り上げられていました。哲学者の真下氏は、自身の体験として戦前からドイツ古典哲学を学んで来られた方ですが。1929年、30年(昭和4,5年)頃は、まだ『ドイツ・イデオロギー』は日本で訳されておらず、世の中に知られてなかったそうです。1929年ころ戸坂潤らと読書サークルをつくってマルクスの哲学をまともに学習するようになった。そこでこの新たな唯物論を知ったわけで、その時の感動を語っています。取り巻く状況と、その探究が紹介されています。端的には、それまでの唯物論は、対象をただ客観的なものとして、観照においてとらえていた。対象にはたらきかけ、変えていく新たな唯物論が提起されていたと、当時の問題意識を紹介してくれていました。今でも新鮮な問題なんですよ。しかし、今回はその先の問題です。唯物史観の問題です。社会論、歴史観の問題です。今回の2年前のレポートですが、つぎのようなものでした。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201507090000/ここだったんですね、マルクスが初めて唯物論的歴史観を提起した個所というのは。ここで取り上げた節の前ですが、第6-14節では、所有の歴史的形態についてのべています。「部族的所有」、「古代的共同体所有」、「封建的な身分的所有」ですが。マルクスは、すでに、大まかに歴史社会の発展過程がとらえて、描き出していたんですね。その封建的所有の中から今日の社会が生まれてくることを示唆しているんですね。それを述べたうえで、この歴史に対する見方を、歴史観を述べているんです。だいたい、マルクスは、自身の哲学や唯物史観そのものについて、正面からまとまった形では、あまり述べていないんですね。有名な『経済学批判』の「序言」がありますが。しかし、あまりその理論を正面からは述べていません。しかし、その後の著作をみれば、『共産党宣言』『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』『資本論』などなど、そのすべての著作の基礎には、この歴史観があり、研究方法があるわけです。そこに、私たちの確認しておくべき一つの課題があるんですね。それはともかく、この歴史観の発見は、私たちに課題を提起しています。1つ、その後、この歴史観はどのように磨き上げられていったか、この問題があります。この歴史観につうじるためには、それを確かめておく作業というのは欠かせませんから。先の確認しておくべき課題ですね。もう1つ課題があります。マルクスは、第19節で指摘しているんですが。この歴史観というのは、歴史を切り分ける処方箋や図式を与えるものではない、と。歴史観の考え方を知ったとしても、実際の研究には困難がある。過去や現在の資料をまえにして、それを観察したり整理したり叙述する段において、困難は生ずるんだ、と。そして、その困難を除去しようと人は努力するんですが、その方法を実際に扱おうとする人たちの時代、時代の、生活過程や行動の研究によって、明らかにされていくものだ、ということを強調しています。そのことの意味ですが、それは同じ問題でも、時代、時代によって、光が当たられる側面が、見えてくる側面がかわってきます。テープレコーダーによる記録のように、同じことを繰り返し、くり返し聞いていればおのずと分ってくるといったものではなくて、時代も対象も、さらに認識しようとする人自身も変わってくる。時代とともに人間の努力によって、新たなより豊かな側面をとらえていく。人の持ち場によって、テーマも独特のものがある。歳相応にも新たな問題が出て来る。だから、人間はつねに新たな努力しなければだめなんだ、怠けていてはダメなんだ、と言っていると読みました。以上、『ドイツ・イデオロギー』の2年前の学習を読んで、感じた問題です。
2017年07月09日
コメント(0)

朝市は、早めに店じまいしました7月8日(土)、東京・多摩の団地ですが、独自に朝市を開設しました。第一と第三土曜日には、定例の朝市が開かれて、地元の多摩や群馬県から、新鮮で多彩な野菜がならぶのですが。本日は、その合間の、独自の朝市でした。これが、その全景です。九州では前線の大雨で、多大な被害が出ているのに、関東は逆でして、昨日でしたか、10パーセントの給水制限が始まったそうです。耳の遠鳴りかと思っていたら、ニイニイゼミも鳴き始めて、真夏を思わせるような陽がそそいでいます。独自市の品物は、真竹とノブキです。大体、こんな暑い時に外に出る人は限られてますし、よほどの用事がないと、外に出る気はしませんから、この地味な、みすぼらしい、商いは低調でした。目にした人は少ないのですが、新商品が並んだんですよ。これからが旬の、ミョウガとインゲンです。注文を取るのが、今回の中心でしたが、かねてからブルーベリーの注文に、加えて3パック目が、ほかに、ミョウガの注文が、2つありました。しかし、何たって今日は暑いのと、人が少なくて暇だったこともあり、2時間の営業を頑張ったんですが、午前11時には店じまいして、休憩をとることにしました。
2017年07月08日
コメント(0)

七夕、星に願いをかけますか数日前のこと、大平台の姫之湯で声をかけられました「ほら、中国地方の方も書いていますよ。あなたも、なにか書いてみません?」と。なかなか微笑ましい習慣ですが。無粋な私としては、願い事を書くのはやめておきました。というのも、みんなが力を出し合ったことで、憲法改悪に突き進む安倍政権に、一行に国民の声を聞こうとしない、おごれる安倍政権に、東京都民が、ギャフンという意思表示をしてくれたからです。投票用紙に書きこまれた意思により、まだ道はほんの半ばですが、願い事が、実現できたからです。しかし、まだ、ほんの序の口です。口とは裏腹に、突き進むことしかできないブレーキのない暴走車です。古今東西の民主主義的な社会進歩の力を集めて、ゴミ箱に投げ捨てること、きっぱりとさよならをすること、それが願いですが、あえて短冊に書かなくても、きっと実現させます。(泣きっ面にハチを見るのが楽しみです、とまでは書きませんよ。せっかくのロマンのある笹の葉ですから、それはふさわしくありませんから)
2017年07月07日
コメント(0)

ヘーゲルの概念弁証法について5年前の学習ですが、ヘーゲルの『精神現象学』の「序論」を学習していました。科学的社会主義の学習には、その源泉として必ず出て来るものですが。そのヘーゲルの「概念の弁証法」という考え方について学習していました。その時のレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201207070000/その中からですが、ヘーゲルは学問の方法について、「ただ、概念それ自身の生命に任せればよいのである」「外的に現存在に張り付けられている諸規定も、充実した内容の魂として自ら運動していく」などと述べています。簡単にいえば、概念の弁証法こそが生き生きとした生命をもつ、外的な現存在の規定というのも、この概念によって魂を与えられており、自ら運動していくのだ、と。ようするに、概念の弁証法こそが根本的な動因である、と。外的な現存在は概念によりはりつけられた規定において運動していくのだ、と。踊らされているとまでは言ってませんが、概念と事物の関係をこのように述べています。これがヘーゲルの特徴的な考え方なんですね。これが、エンゲルスが『空想から科学へ』や『フォイエルバッハ論』などで指摘している点なんですね。概念は現存在の動きからとらえたものではなくて、現存在が概念によってはりつけられた動きなんだ、と。面白いでしょう。ヘーゲルは、概念にも、現存在にも、それぞれに内的な魂をもつ動きをみとめています。ただし、概念の弁証法が根本的なもので、それが現存在に魂をはりつけて、運動をなげあたえている。そして自分自身に帰って来る、と。もう一つ、このヘーゲルの客観的な考え方ですが、「真なるものは、本来、その時が来れば、世に浸透していく。これを信念とせざるを得ない」と。時代精神というやつです。なかなか面白い、すばらしい思想家だと思います。哲学者の真下信一氏ですが、「私の古典-ヘーゲル『精神現象学』(『時代に生きる思想』)で、ヘーゲルのこの序言を「2,3の座右の書の一冊であり、生活の伴侶だ」としています。なるほど、との感じがしてきます。ただ、おしいとおもうのは、そうした素晴らしいヘーゲルの古典としての魅力そのものがあまり紹介されないこと。そして、日本の哲学者がヘーゲルに対して素晴らしい研究と評言を残しているのに、そのことが、やはりあまり紹介されていないことですね。まったく、もったいない宝の持ち腐れですね。
2017年07月07日
コメント(0)

新訳『ドイツ・イデオロギー』を学習してました2011年の、6年前の学習ですが、ブログのおかげでふり返ることが出来ます。1996年に刊行された服部文男訳『ドイツ・イデオロギー』(新日本出版社)で学習し返していたんですね。当時は、職場が継続雇用に入ったため、時間がとれるようになったんですね。『ドイツ・イデォロギー』の学習ですが、東日本大震災のなかでした。もちろん主題は、唯物論的歴史観を学ぼうとしていたんですが、この新しい服部訳ですが、マルクスの原典そのものに即して訳そうとしていたんですね。それまでの訳書と比較してみると、これまでとは少し違っています。マルクスの考察していることが、少しですが、より見えてくるんです。これがその時のレポートです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201107070000/当然、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』を横に置きつつ読んでいったんですが。この「ドイツ・イデオロギー」では、私などが読んだ限り、紹介してますが、フォイエルバッハについてふれた個所は、たかだか3点なんです。しかし、この論点は、重要なんですよ。というのは、同じ唯物論の基本に立っているんですが、そこには、マルクスとフォイエルバッハと間に、何と大きな差が出て来ることでしょう。フォイエルバッハは、1848年の激動の社会にたいして、田舎に引き込んで静観してしまった。もちろん見識者ですから、自らの不遇状態に、大きな社会的な不満をもっていたことは、確かだと思うんですが。1843年の『独仏年誌』のさそいに対しても、フォイエルバッハは断ってしまったんです。だから瞬間的なことではないんです。もしも、参加して、議論を共にしていたら、新たな発展のきっかけになったと思うのですが。不徹底な唯物論者は、相変わらず、そこにとどまってしまったんですね。ここのマルクスによるフォイエルバッハにたいする3点の指摘ですが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』ですが、この点を念頭にして、その違いを明らかにするために、そのことも動機の要因となって、書こうとした。そこに核心問題があった。これは、あくまで私などが勝手している推測なんですが。エンゲルスにとっても、若かりし当時の、1843年当時の焦点になっていた問題点です。晩年のエンゲルスですが、1883年にマルクスが亡くなって、その遺稿を整理していて、当時の刊行されなかった、他人の目にはでなかった文章でしたが、テーゼと「ドイツ・イデォロギー」を発見したんですね。そのままでは、だいぶな草稿ですから、あらためてエンゲルスは、それを『フォイエルバッハ論』(1886年)の形で、コンパクトなエッセンスな形にまとめて発表した。それは、世界観(歴史観、社会観)の確立する過程を明らかにすることでもあり、その中で大事な側面を、唯物論者の変革者としての姿勢を、実践的な態度というものを描き出そうとした。あくまで推測ですが。こんな憶測をもって『フォイエルバッハ論』を読むと、これまでとは、またひと味違って見え来ます。私たちの現在にも問われている問題、基本的な姿勢の問題、方法の問題なんですね。「うん、わかっている。前に読んでるから」とか、訓詁学的な解説をして、さも分かっているような態度をとることではないということですね。この方法をしっかり学ぶこと、それは事の始まりです。その観点をそれぞれの人がどう自分自身の置かれている状況の中に生かすのか、それこそが問われるようになるんですね。
2017年07月07日
コメント(0)

7月6日、真鶴と早川のみかん園の一コマです九州では、大雨による被害が報じられています。地震に加えての被害、なんとも、言葉もないんですが。そうした中、7月6日、当方は真鶴と早川を遠出してきました。日本全国、生産活動ができるところは、そこで頑張ることが、めぐりめぐつて、救援にもなるとしか思うしかないんですが。今回の真鶴の課題は、二ホンミツバチの、その後のケアーです。6月2日に移住してきた二ホンミツバチですが、その2群は、明と暗、二つの部類に群れが分かれています。今回、こちらの方は、明の群れです。今回、さらに巣枠を一段をたして、4段にしました。入り口には、ひさしのゲートを設置しました。この新たな手立てが、うまく生育が進む方向に働けばよいのですが。もう一つの群ですが、この方は元気かありません。巣箱の中のミツバチの黄色い巣が、露出してしまっています。ミツバチの数が少なくて、なんらかの異変をきたしています。もっかは、自然の回復力を注視しているしか、すべなしなんですが。真鶴のみかん園では、このミツバチの明暗の二つの群れを注視しているところです。一方、早川の市民みかん園の方ですが。関東は、九州の前線による大雨の被害にくらべると、いたって恵まれています。雨は降っても、この時期の例年の範囲にとどまっています。当方は、みかん園の周辺にサトイモを植えておいたんですが。これは、順調に発芽して、生育している里芋です。雑草にまぎれて草刈りされないように、竹で印をつけてあります。ところが、その一方で、イノシシによる被害があって、これがなかなか大変です。これは、イノシシが掘り返した痕です。せっかく発芽したサトイモですが、すでに、植えたサトイモ全体の半ばほどが、イノシシの被害にあっています。イノシシは、発芽した茎を目当てにして、人が、それを掘り起こすかのように、種イモ部分を掘り起こして食べているんですね。ある程度、サトイモの葉が大きくなれば、免除してくれると期待しているんですが、早川園の園主によると、イノシシもお腹がすけば、ところかまわず、なんでも食べだす、とのことです。実際、近隣の農家では、太陽光を使った電気柵を設置して、守るようにしています。当方としては、とてもそこまでは、設備投資することはできません。はたして、無事に収穫まで行けるかどうか、今後とも注視するしかすべはないのですが。この時期の早川の自然の恵みですが、真竹、フキ、ブルーベリー、ミョウガと、旬の作物が続いています。これらは、早川のみかん園の園主の苦労によりかかっているんですが、当方の独自育成としては、真鶴のミツバチと早川のサトイモ、この二つしかないのですが、無事に生育してくれるようにと、手当てをしている次第です。
2017年07月06日
コメント(0)

「独仏年誌からの手紙」のつづきです去年の今ごろの学習していたことです。マルクスの「独仏年誌からの手紙」(1843年)を読み返していました。思うのですが、そこで検討されている問題は、現代の私たちにとっても本質的な問題でもあると思っています。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201607050000/3日前の東京都議会議員選挙の結果をうけて、都民による総すかん、惨敗を期した自民党ですが、その安倍首相の会見が、今朝の新聞に出ています。その安倍首相ですが、『反省』という言葉は使われていますが、「緩みに対する批判だった」。もっと気を引き締めて、改憲日程をすすめる、と。ここで手直ししたらお終いで、突っ走るしか道はない、と言っているわけです。これって、国民にはありがたくない建前ですし、語ることの出来ない現実との乖離ですね。事態の本質が分かってない、直視することができない、まさに裸の王様ですね。はっきりしていると思います、この手の人は、国民の批判によって強制されないかぎり、自分からは、問題を直視できず、あくまで反動強化にしがみついているということです。だからここからが肝腎なところで、いよいよ歴史的な問題をどう解決するかが、まさに今、問われてているということです。マルクスの手紙に戻りますが、プロイセンを追放されたマルクスですが、この言論・出版弾圧によっても、ドイツの国の社会進歩にとって、避けて通れない民主主義革命の問題があるとみているわけです。それがフランスやイギリス、アメリカでは実現していても、ドイツではまだ果たされていない。ドイツの哲学、政治、宗教が、社会が、ヨーロッパの近代史の中にもっている歴史的課題だ、と直感しているわけです。そのことを、パリの地から『独仏年誌』という雑誌を刊行することで、この論壇の議論を通して、理論的に明らかにしようとしたんです。そこには、2つの態度が見られます。一つは、反動政治によって亡命を余儀なくされた様々な批判者がいたわけですが、共同して反動政治を批判しようとしたこと。ルーゲはもちろんフォイエルバッハにも働きかけています。もう一つは、歴史理論の探究です。社会的な運動の流れそのものの中に、直面している歴史的課題を探ろうとしていたんですね。すでに「ヘーゲル法哲学批判」や「序論」がしめしています。この2つ目の課題が、「唯物論的歴史観」についての探究だったわけです。それは、時代・社会の課題をとらえる方法の問題ですよ。その定式を暗記していればいいなんてことは、誰も思わないでしょうが、歴史探究の方法を探るということとは、同時に近代史を学んで、そこから歴史課題を明らかにしようとする大事な探究課題だったんです。安住することではなく、すすめることだったんです。この「独仏年誌からの手紙」ですが、その途上にあったわけですが、その精神を、基本となる精神を、よく示してると思うんですよ。それは、私たち現代に生きるものにとっても、考慮すべき宝だと思っているんですが。たんに観客席であげつらっているんじゃなくて、各人がもっと真剣に近代史を学ぶようにして、現代のもつ避けがたい歴史的課題を、それぞれにおいて明らかにすること、それは、誰しもが取り組まざるを得ない課題として、共通の問題として明らかにすること、それが私たちに求められていると思うんですよ。これが、「独仏年誌からの手紙」を読んでの感想です。
2017年07月05日
コメント(0)

大平台の姫之湯で久方ぶりの休憩です7月4日は、よろずのことはおいて、箱根大平台です。半年ぶりでしたが、箱根大平台温泉の姫之湯です。東京都議会議員選挙が7月2日の終了して、一つの骨休めです。たいしたことはしていませんが、候補者のみなさんの苦労を思えば、そうそう、のんびりもしていられなかったわけです。今日は、天下御免です。安倍首相や、自民党筋は、シッチャカメッチャカでしょうが、やっていることからすれば、これは、まだまだ序の口です。今の季節は、アジサイです。出山の信号所のスイッチバックですが、アジサイがきれいでした。半年ぶりでした、大平台の日帰り温泉・姫之湯行きは。この間は、例年と違って、団地の朝市が立てこんでいましたから。加えて、都議選が行われていましたから、大平台・姫之湯へは、足が遠のいていました。午前9時半につきましたが、一番乗りで特等室を確保しました。本日、持ち込んだものは、新聞とともに、守屋典郎著『日本資本主義分析の巨匠たち』(白石書店 1982年2月10日刊行)です。この本は、野呂栄太郎、平野義太郎、山田盛太郎の、三氏の著作の意義と内容を紹介したもの。この間に、文学、哲学と戦前戦後の歴史をたどってきましたが、今回は、経済学の分野で、日本資本主義の分析の分野です。著者の守屋典郎氏(1907-1996年)ですが、この本ですが、『社会科学への思索』(青木書店 1975年刊)とともに、日本の経済学紹介をされてました。それは、また別の機会に紹介することとして。今日は、骨休めです。姫之湯は、二階が大広間の休憩所になっているんですが、今日は、その一角の部屋を借りて、温泉と昼寝三昧をきめこんだんです。これが姫之湯の玄関ですが、そこにはアジサイとともに、七夕の笹が飾られていました。笹には、短冊に願いごとが書かれて、つけられていたんですが、なかには、遠く、中国地方の方の短冊もつけられていたとのことでした。今日は、縁者が入院しており、そのお見舞いもあって、午後2時半には、登山電車で下山してきました。
2017年07月04日
コメント(0)

「独仏年誌からの手紙」について去年の今ごろは、参議院選挙があったんですが、そのころですが、マルクスの「『独仏年誌』からの手紙」(1843年)を読んでいました。これは、私たちが今読むと、たいへん身近に感じさせてくれるんですよ。当時マルクスは25歳でしたが、啓蒙的とされたプロイセンが専制君主の体質をむき出しにして、批判的な言論・勢力を弾圧しだすんですね。マルクスは反動化するプロイセンから自由なフランスへ移ります。亡命です。仮借なき専制政治への批判、民主主義の実現を、マルクスたちはライン新聞で主張し追及していたんですが、それが出来なくなる。その活動は、言論・出版の自由は、研究の自由は、フランスに移ることによってしか出来なくなったんです。この手紙は、まさにその最中にだされたものです。これが、その手紙などを含む「マルクス・エンゲルス全集」第1巻の目次です。そして1年前のブログです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201607040000/このME全集の第1巻には、ルーゲに当てたマルクスの手紙3通が掲載されています。他方、国民文庫の『ヘーゲル法哲学批判序論』ですが、こちらにはこの3通を含めて、この時に交わされたルーゲ、バクーニン、フォイエルバッハなど8通が載っています。それぞれの考え方が、それぞれに交歓されていて、おもしろいんですよ。何故、これらが身近に感じるか、この問題ですが。反動化している政権に対する批判ですが、如何にしたら底をついた真の批判になるのか、当時、マルクスたちの直面した問題は、この問題です。全集のページで見てもわかる通り、この当時マルクスはヘーゲル『法の哲学』の検討をしています。なぜそんなことをしたのか、する必要があったのか。その問題です。ヘーゲルの歴史観・社会観に対して、唯物論の立場から検討しているんです。この検討の中から、やがてはっきりした唯物論的歴史観がつくられていくわけですが。(後日、『経済学批判』の「序言」で、マルクス自身が当時をふり返っていますが)その過程で、ものごとに対する基本的に態度、原則的な観点が、明確にされているのが、この手紙なんですね。ただ一般的に、「だめだ」「だめだ」などとくりかえしているだけでは足りない、不十分だ。その問題が出てくる歴史過程を、根本的に批判する中から、新たなものが生まれてくる。ここのところが肝腎なんです。この時期のマルクスの学習ですが、前に『聖家族』で見ましたが、その中には、ヘーゲルの法哲学の批判があります。イギリスやフランスの唯物論の探究もあります。フランス、イギリス、アメリカの近代の民主主義についてもあります。ユダヤ人問題、宗教と民主主義国家との問題があります。政治的解放と社会的解放の問題もあります。プルードンなどの社会主義の問題もあります。とにかく、短期間にすごい努力をしているんです。私などは思うんですが、ここで直面した課題というのは、ひろくは近代の日本が直面している問題であり、今現在、私たちが直面している問題に、かさなる本質をもっていると思います。わたしなどが身近に感じるわけは、これなんですね。同時に、真に現状を打開するためには、歪んだ社会を建て直してゆくには、どうするか。わたしたちは、ここで、どの様な努力が必要なのか、このことこそが肝腎な示唆だと思うんです。安直に完全な答えを期待してもダメですよ、そんなものはありえません。ただし、それに接近していく道はあるんです。私たちは、このことを含めて根本的に探ることが求められているんです。そんなことを、ウロウロと探っていたのが、1年前の学習でした。
2017年07月03日
コメント(0)

プラトン「ソクラテスの弁明」を読んでました2010年7月ですから、7年前のことですが、「ソクラテスの弁明」を読んでいました。東京都議会選挙で奮闘されたみなさん、ご苦労様でした。今も続く国の政治は、国民のいうことを聞かず、衆愚政治がまかりとおっています。東京都民のおごりつづけている自民党に対する大きな批判です。このプラトンの「ソクラテスの弁明」ですが、「世界の名著」版では、P409-458の33節・50ページと、比較的に短な作品です。ぺロボネス戦争が終わって5年後の紀元前399年ことだったそうですが。古代ギリシャの都市国家アテネでのこと。民主主義の政治(裁判)が、愚にもつかないことでソクラテスに死罪を言い渡した。プラトンの義憤ですが、この作品により、世界史に事実を刻みつけたんですね。噂をもとに、市民陪審員たちは、誇りある一介の市民を死刑にしてしまった。現代でもおこりえることで、なかなか他人ごととは思えませんよ。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201007040000/当時のアテネの具体的状況とか、裁判の社会的状況というのは、分かりにくいんです。やはり本の終わりについている解説もそうですが、しっかりした解説書が必要になります。有斐閣新書「古典入門 ソクラテスの弁明」(戸塚七郎編 1979年刊)もそうした一つです。この「弁明」の作品そのものは、さりげなくやりとりが書かれているだけです。意見や、評価などについては、極力抑えられて書かれています。それはそうですよね、その社会にあって、判決に異議を疑問としているわけですから。そんな風に書いたら、プラトン自身が罪に問われることになりかねないわけですから。さりげなき具体的な事実を書くことが、せいぜい許された抵抗だったでしょう。しかし、プラトンの気持ちは伝わってきます。当時の社会の決定に対して、そこに込められているストレスというのは相当なものですよ。そうした作品と対比したら、今回の都議会選挙は、痛快な側面をもっています。もちろん、現代とプラトンとでは、時代も社会もちがうことは明らかですが。それでも、今回の東京都議会選挙の前の、国政・都政の状況からしたら、逆に、このプラトンの義憤ですが、それがよくわかるんです。いってみれば、都議会選挙の結果は、都民がおごれる政治に対しお灸をすえたんですね。評論家は、いろいろ解釈するでしょうが、これは間違いない客観的事実です。しかし、問題はこれからなんですね。国政の当事者たちは、今ごろ、何とかこの批判をかわそうと、必死に策動していますよ。反省なんか、やむなく強いられたポーズだけのもの、かっこだけのものでしかありませんから。東京都政だって、当選者の中には、大ぜいの風見鶏の面々が、ぞろぞろいるはずですから。本当に、都民の願う方向に、都政が実際にすすみだすかどうかは、まだわかりません。築地市場の当事者の人たちにとって、その要望が生かされるかどうかは、これからです。まぁ、今回の事態は、最悪の輩が、都民の批判で叩き落されたということ、これは、大切な成果だと思いますよ。半歩の前進です。しかし、本当に、都民がねがう政治方向に踏み出すかどうかは、これからなんですね。ここで、いいかげんだと、民主党政権の二の舞になります。信託をえた小池グループ・公明党ですが、ここからが、都民本位の都政を実行していくかが問われています。すくなくとも、国政で自民党政治を支え続ける公明党は、さらにそれをすすめるというのですから、ヌエというか風見鶏ですね。すべては、これから試されます。
2017年07月03日
コメント(0)

今朝も、朝市は快調でした7月1日、多摩の団地の朝市が開かれました。あいにくの小雨模様だったんですが、人には食生活は欠かせませんから。小雨が降り出したので、商店街のひさしの下にお店を移動しました。お客さんも、傘を下げてのお買い物です。地元の農家からは、玉ねぎ、ジャガイモ、キュウリ、空心菜、ナス、トウモロコシ他です。群馬からは、シイタケ、ブルーベリー、プラム、トウモロコシ、トマトなどが、昨日、八王子の力石で収穫した、ジャガイモとネギもならびました。これだけ新鮮で豊かな野菜が並べば、もう立派な朝市です。当方はというと、今日はいささかお疲れ気味でした。なんたって、このところ連続して、収穫と販売が続いてきましたから。それと、これだけ豊かに野菜が並ぶと、やはりメインはそちらですから。当方の品は、真竹とフキでした。この時期は、早川の産物は、いたって地味だったんですね。その他にあるものは、みつば、セリ、ハーブ(ペパーミント)でしたから。まぁ、他の野菜を買ってくれた人のおまけの品々ですね。それでも、用意した品は売り切れましたから、ありがたいものです。今回の当方へ注文があったのは、赤ジソでした。「前回の梅を梅干用に漬けたので、赤ジソが欲しい。もし、採れるようなら声をかけてちょうだい。もし採れたら連絡してちょうだい」と。じつは私も同じ要求なんです。梅を漬ければ、それは当然に必要になりますよね。これは、梅を売った手前、なるべく入手して、提供する責任があるということです。ところで、昨日の力石での作業では、あまり汗はかかなかったんですが。自然を相手にして、ネギの収穫を手伝ってきたんですよ。それでも、それほどは、汗はかかなかったんですが。今日は違いました。なにしろお客さんを相手にしての商売でしたから。真竹の味噌和え、キャラブキ、ハーブティーなどの料理も事前につくってきたし、なれない野菜の販売で、足し算と引き算をいくつもして、四苦八苦しました。計算の途中で何か話が入ると、直ぐ計算がめちゃくちゃになってしまい、またやり直しです。「だめじゃないの、そんな計算が弱いんじゃ。それじゃぁ商売にならないわよ」など、お叱りもえて、なおのこと混乱して、大汗をかく始末でした。まぁ、疲れていた、とのことで勘弁してもらったんですが。そんなドタバタの朝市でしたが、とにかく手もちの品は、すべて売り切れました。やれやれです。
2017年07月01日
コメント(0)

2017年6月 みかん農夫のまとめ この6月のまとめですが、このところ農夫には、3つのテーマがあります。 第一は、そもそものみかん農夫の仕事です。草刈りと梅の収穫、朝市です。 第二は、都議会選挙(6月23日告示、7月2日投票)、安倍疑惑と共謀罪など政治です。 第三は退職後の手習いです。 第一に、初めに東京都議会選挙ですが、明日の投票日に向けて、運動期間は今日が最後の一日となりました。 この都議会選挙ですが、築地市場問題をはじめ都民の暮らしに直結する選挙です。誰が出たら都民の願いにこたえる都政をつくるか、各選挙区で問われています。同時に、国政の不正腐敗、反動的暴走に対する都民の審判でもあります。明日、7月2日が投開票です。 第二に、この6月の農夫の作業ですが、新しい領域を開きつつあります。 大体、これまでの6月の作業というのは、梅雨のこの時期は、難行苦行の草刈りと梅酒・梅干づくりの梅仕事が恒例でした。草刈りとカミキリムシとでヘトヘトの時期、他人にはみせれない舞台裏の時期だったわけです。 ところが今年は様子が違います。ひきつづき市場が開設されてるし、商談が続いています。 また、6月2日には、山梨県からホンミツバチが移住してきました。あきらめかけていたみかん園での養蜂ですが、ふたたびその可能性が出てきたということです。 去年は、暮れのみかんの後は、4月の甘夏の出荷で、表仕事は終わっていました。ところが今年は、早川の知人のみかん園から、石垣山で採れる多彩な産物が、東京の団地につぎつぎに提供されるようになったことです。これが、次から次へと、多彩な産物が出てきたんですね。これは今年にはいっての、そしてこの6月の新たな展開です。 この6月は、まず梅の出荷がありました。なにしろ、なにしおう小田原の梅ですから、たいへん立派な梅だったんですよ。さらに、 それだけでなく、続いてフキ、ビワ、プラム、ウド、真竹、みつば、セリ、ハーブ、そしてブルーベリーと、次々と豊かな産物が、初めてのことなんですが、提供していただいたんです。 これは、早川の自然の豊かさを示しています。私なども初めてですから、びっくりしているんですが、料理の仕方まで教えてもらっています。 さらに、三つ目には、多摩の団地の朝市ですが、その品々を受け入れてくれたことです。だいたい、いくら豊かな産物がとれても、消費がなければどうしようもなく、宝の持ち腐れになるところでしたが。多摩の団地の朝市は、昨年の12月から始まったわけですが、月に二回の定例朝市でした。しかし、この6月にいたっては、毎週の土曜日に開設したんです。だいたい、梅やビワ、野菜などは、季節もので旬が勝負ですから、二週間もの間隔を置けなかったんですね。熟れ過ぎちゃうし、萎びちゃいますから。だから、毎週、自然に合わせて、朝市も開催するようにしたわけです。それがなんとか、そこそこの販売が出来きたんですね。 まぁ、つきつめれば、早川の豊かな自然の恵みと、都会の団地に住む消費者とを結びつけるということなんですが、その姿が見えてきつつあるようです。そうした6月でした。 さて第三ですが、退職後の学習です。せっかく自由な時間をやっと手にしたわけですから、それを使わない手はありません。 私などの学習ですが、古典と文学、哲学、政治、だいたいこの四つですすめています。 これまで読んできた本ですが、ブログとフェイスブックのおかげで、過去の同日の学習が、この数年に関しては、バックアップされるようになってます。ふり返れるようになっているわけです。 この6月ですが、1、古典では、過去帳からは、マルクス『聖家族』「アンネンコフへの手紙」、ヘーゲル『精神現象学序論』、ルソー『社会契約論』、ハイネ『時事詩』、などのバックアップがありました。 2、また文学では、蔵原惟人「文学と世界観」『現代民主主義と日本の文化』『文学ヘの思索』。 哲学では、真下信一『現代に生きる思想』「ヒューマニズムの擁護「カール・マルクス」。中国の「諸子百家」などが、それぞれ入り口でしかないのですが、当たってきました。 その他、「宗教弾圧」(岩波新書)、「仏種を植ゆる人」です。問題は、現代というものの歴史性をつかむということなんです。日本の近代史がもつ宿題を知る、そこにある成果を学ぶということです。それが、今の憲法破壊の政治の背景をつかむことにもなるし、打開を探るヒントになるんですね。私たちは、過去の懸案事項を今現在はたしつつあるということなんですが。 この読書というのは記録が大事なんですね。読みっぱなしにしておくと、人間の記憶は薄れますし、関心の対象は移って行きますから、多くは忘れて消えていきます。しかし、せめて何を読んだか、題名だけでも記録しておくと、あとで問題によっては必要なことに立ち返えれるわけですから。読みっぱなしはダメです。 以上、この6月のまとめです。
2017年07月01日
コメント(0)
全37件 (37件中 1-37件目)
1


