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みかんの年間カレンダーですJA湯河原で「フルーツカレンダー」の載ったチラシをいただきました。これにより、おおよその目安ですが、一年間の各種柑橘類の食べごろの時期が分かるかと思います。ここにもある通り、今は早生みかんの終わりの時期です。これから、藤中などの普通温州みかんの収穫に入ります。これまで真鶴園では、早生と普通温州みかんの収穫で、作業は終了していたんですが。数年まえから早川のみかん園「だんだん園」が柑橘類を提供してくれるようになりました。早川のみかん園は、たいへん自然の豊かなみかん園なんです。おかげで、このフルーツカレンダーの全体を、だいたい提供できることになりました。ここにはぬけている、9月のスダチ、11月からの金柑とレモンもあります。彼岸の頃の栗もありますし、12月のキウイやユズもあります。梅雨時の梅もありますし、タケノコもあります。初夏のフキやウド、ミョウガもあります。秋のアケビもあります。早川のみかん園は、このカレンダー以上に自然豊かなんです。少なくとも、カレンダー掲載の柑橘については、温室のもの以外は答えられるんです。早川は、自然の宝の宝庫なんです。景観も史跡も最高の土地柄なんです。私などは、数年前までは、真鶴みかんだけの、年末の期間限定の提供だったんですが、いまでは、ガラッと状況が変わりました。なにしろ一年のほとんどの期間を、8月をのぞきさえすれば、だいたい、なんらかの柑橘類が提供できることになっているわけです。そのおかげで、農閑期の温泉のたのしみが遠のいてしまいましたが、しかし、そんな贅沢なことは言ってられません。これは余生のライフワークになっていますが、都会の自然の産物を必要としている人たちと、この早川・真鶴の自然とを、どの様に結びつけるか。みかんと地魚と温泉です。時代や社会の形は変わってゆくにしても、この自然的な課題はつねに続いていく課題です。形態は変わってゆくにしても、その結びつきを探るテーマは永遠の課題です。この一年というのは、初体験として、相次ぐ柑橘の年間サイクルに追われましたが、これをこれから他の人たちに紹介していくためにも、まずは、自らの頭と体にしみこませることが肝腎になっています。そして、みかんの年間カレンダーからすると、今が第二年度の始まりです。
2017年11月30日
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2017年11月のみかんの収穫です温州みかんの収穫期は、11月と12月が山場なんですが、いよいよその収穫が佳境に入りつつあります。当方のみかんの栽培は、神奈川県西部の真鶴・早川でおこなわれています。これは早川のみかん園から見た景色です。真鶴のみかん園は、10数年前に引き継いだ時には24本の成木がありましたが、カミキリムシの加害により、今では9本に減ってしまいました。真鶴のみかん園は、衰退と消滅傾向にあったんですね。不足がちだったみかんの提供でしたが、新たな助け舟が現れたんです。知人が小田原・早川で、みかん園「だんだん園」を営農しているんですが、みかんの不足分を提供してくれたことと、みかん園の一角を貸してくれたんですね。おかげで今は、真鶴園と市民みかん園、「だんだん園」提供と、3つから提供しています。今回、3つからのみかんの供給の、11月度の結果が出ました。 2015年の収穫 2016年の収穫 2017年(真鶴+市民園+早川) 10月20日 +1c 10月24日 0.2c+ +1.5c10月29日 2c 10月31日 0.5c+ +1c11月1日 1c 11月4日 1.8c 11月4日 0.3c 11月7日 3c 11月7日 1c + +2.8c 11月10日 0.3c 11月10日 2c + 2c +0.2c11月12日 2c 11月13日 0.3c 11月13日 3c + 2c +3c11月17日 4c 11月18日 0.8c 11月17日 3c11月21日 4c 11月20日 2.5c +2c +3c11月22日 5c11月23日 6c 11月23日 2c 11月24日 1.5c+1.5c+1c11月28日 7c 11月26日 0.5c 11月27日 3c+ +3c 11月30日 5.5c 合計 2015年 2016年 2017年 16.7+7.5+16.5 計35.8コンテナ 計9.7コンテナ 計 40.7コンテナこの表が示していることですが、みかんの収穫が11月下旬から、いよいよ本格的になってゆくことを示しています。みかんは隔年結果がありますが、全体としては、去年が裏年で今年が表年ということです。真鶴園に早川園が加わったことで、みかんの供給に制限がなくなったことを示しています。去年の収穫は、はじまりが遅かったことも特徴でした。この傾向のまま絶対的に収穫が落ち込むのではなくて、12月になって、急速に成熟が進みだしたわけで、そうなると、12月末の終わりは決まっていますから、短期間に収穫することになり、大わらわの事態が待っていたわけです。次の写真は、真鶴園の成木の1本です。手前には、今年カミキリムシに枯らされた木があります。ということで、これから12月末の大みそかまで、温州みかんの収穫と販売が続きます。もちろん、その先も、中晩柑の収穫が続いていきますが、湘南ゴールドや清見、甘夏などの各種の柑橘が続きますが、それでも、やはり主要な柑橘は、年末までの温州みかんになっているわけです。その温州みかんの収穫は、これから12月の佳境にはいります、猫の手も借りたいほどの状態に、いよいよ入っていきます。
2017年11月30日
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「ロシア革命100年後の真実」を注目してます再放送だそうですが、本日(11月29日)の深夜に放映の番組に注目しています。2017年の今年は、ロシア革命(19017年)から100年目なんですね。新聞のテレビ番組表を見ていたら、再放送のようですが、「ロシア革命100年後の真実」との番組が予定されているのを知りました。当方は、この時間は起きている時間のギリギリで、限界かと思いますから、おそらくは、その時間帯で直接に見ることは出来ないとおもつています。それでも、このテーマは、注目しています。現代史を理解する上で、その課題をつかむ上で、ロシア革命は大事な問題です。はたして、どの様な角度から、ロシア革命が紹介されるか注目している次第です。
2017年11月29日
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今年も、みかんの収穫が佳境にはいりましたこのところの朝晩の寒さが、みかんの成熟を促進しています。美味しいところを、上からは鳥が、下からはイノシシがねらっています。鳥獣被害により取られたくなかったら、こまめに採りに来るようにと命じられています。例年、この時期は、みかん農家にとっては、猫の手も借りたいほどの忙しさとなります。1970年代以前なら、東北の雪国の農閑期の人たちが出稼ぎに来ていたんですが。昨今のみかん農家は、人を雇うほどの余裕は、どこの家にもありません。核家族の、家族による収穫が一般的な姿です。一個一個のみかんをハサミで採るわけですから、だいたい、1時間で20キロ入りコンテナを1つか1つ半位の収穫でしょうか。一日に6コンテナくらい収穫すれば、もう十分ヘトヘトになってしまいます。とくに、私などの場合には、八王子-真鶴間の、片道70キロを往復するわけですし、東京に持ち帰ってから、そのみかんの袋詰めの作業がありますし、販売活動があります。これが、この時期は、一週間に2回転することが、みかんの収穫テンポとして必要になっているわけです。収穫(生産)は、販売(消費)されてこそ、一つの循環が完了するわけです。従って、収穫したその翌日には、みかんの宅配作業を済ませなければなりません。それが、順調におこなわれないと、みかんはあふれ出してパニックになるわけです。さいわい、毎週の土曜日には、団地の朝市がありますから、20袋くらいは営業時間のうちに、20袋は平時のうちに販売することが出来るんですが。それ以上は、卸し業として、流通販売に託すことになります。一般農家は、収穫したみかんを農協にだしさえすれば、あとは農協がやってくれますから、収穫作業に専念できるんですが、当方のみかんは、無農薬ですし、農協基準には合いません。従って万事は、販売しきるまでのすべては、自前の作業にかかっているわけです。「命がけの飛躍」というやつは、どんな大企業でも当方の零細企業でも同じで、実際問題としてなかなか大変なことなんです。しかし、さいわいなことに、しっかりと生産・流通につとめるようにすれば、都会には必ず、美味しいみかんを求めてくれる人がいますから。しかしね、この時期は、もうこれだけで、ヘトヘトです。これだけで、一週間のうちの5日間が消えちゃうわけですから。従って、例年、この11月-12月の時期は、この体力勝負のうちに日々が過ぎていきます。実際、ブログの過去帳を見ると、分かるかと思いますが、この時期の学習レポートは減っているわけです。ほとんどが、このみかん作業で体力の限界に挑戦しているわけです。こうしたことが、売れっ子タレントなどの状態なのか気持ちなのか、全然違うんですが、しかしどこかで共通性もあるように感じています。しかし、そこが問題だし、問題があると思うんです。人間、カロウ死的な労働に身をすり減らす、これだけでは生きている意味がありません。人が働くということは、受動的な義務労働ではありませんから。自分の社会的状況をみきわめ、少しでも改善しようとすることこそ肝心です。自由への合理的な探究が、人類史の根本には必要なんです。このためには、どんなに忙しくても、せめて自分の今の歴史的立ち位置を明らかにして、自分が今何を努力しているのか、その課題を探らなければなりません。そのためにも、古今東西の学術文化の学習が必要になるわけです。歴史・社会観がもとめられるし、ここの分野の学習が必要になります。教条ではなく行動の指針として、学なべなければ、老人性偏屈症におちいります。少なくとも先人の到達点について、自由な批判的学習が必要になります。どんなにくたびれたとしても、それがかかせない必要事になるわけです。それが保持されてこそ、今を生きている証をくわえていけるというわけです。しかし、とくにこの時期は、限定されることは確かなんです。まとまった著作、何百ページもの本を読むには、この時期は不適当なんです。それには、それなりのおちついた時間が必要になるわけですが、毎日が、ドタバタしている今の状況では、現実問題として、それはなかなか難しいんです。従って、この時期の在り方として、割り切ることにしました。ある程度の、起承転結のまとまった学習を、二足の草鞋として追及するのではなく、なにかあるまとまったものを、完成させるようなものを、追及しようとするのではなくて、たとえ一点の問題意識であっても、今後への探究材料として記録して、ためておくこと。せめて、週サイクルの往復状態に戻れたときに、それを探れるようにしておくこと。どうやら、これが私などのこの時期の現実的なスタイルのようです。すなわち、行動しながらの学習、一点の問題意識でもそれを大事に記録しておくこと、それが、この時期の無理のない過ごし方、二足の草鞋の形態のようです。気軽に問題意識だけでも、たとえランダムでも、書き溜めておくようにすること。当面を、この形で行くことにします。
2017年11月28日
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みかん園にイノシシ対策を実施しました自然の豊かな早川のみかん園ですが、ここでは、イノシシによるみかんへの加害が広がって、イノシシ対策が、今や、一般的に欠かせなくなっています。11月27日(月)、イノシシの侵入を防ぐため、ネットをはりました。早川のみかん園では、イノシシによるみかんの被害が問題になっています。イノシシの背が届く地面から80センチくらいの範囲で、熟して垂れ下がったみかんが、かなりの範囲でむしり取られているんです。地面に落ちているのは、すべてイノシシの仕業です。これまでに、イノシシ捕獲用のオリを設置してあるんですが。このオリは設置場所を農協に申請する手続きが必要なんです。オリのなかには、イノシシの好物が色々おいてあります。ほぼ毎日、イノシシが饗宴を繰り広げている場所の、この通路の位置に置いてあるんですが。敵もさるもので、なかなか用心深くて、この仕掛けに簡単にはいってはくれません。そこで、今回は、みかん園の周辺にネットをはったしだいです。さながら、万里の長城のようになっています。このネット柵は、オリのところだけは、イノシシ用に通路のすき間を開けてあります。イノシシとの知恵くらべの感がありますが、はてさて、どういうことになりますか。ところで今週は、週の後半に雨が予想されています。いったん雨が降ると、それから1,2日間はみかんの収穫が出来なくなります。ですから、その分、念のためもあって、本日みかんの収穫をしてきました。真鶴で3コンテナ、早川で3コンテナの収穫でした。みかんは、ここへきて、朝晩が冷え込んで、昼夜の寒暖の差が大きくなっています。この自然条件が、みかんが成熟を急速に促進しているんですね。今朝、午前6時44分に、平塚から見えた富士山です。青の富士山です。水平線に雲がかかっていたため、その雲に太陽がさえぎられて青の富士山になってました。さらに走って、午前7時に小田原パーキングエリアから見えた富士山です。太陽が雲の上まで昇って、富士山の様相がかわりました。この富士山の雪景色ですが、ここにも朝晩の冷え込みだしているのがうかがえます。「白い富士山は綺麗だ」なんて悠長なことは言ってられません。みかんの成熟が、一気に進みだしているからです。この冷え込みと、寒暖の差が、成熟を急速に促進しているからです。従って、いまやそれに対応して、どこの農家も家族総出による収穫で大忙しです。どこのみかん園にも、収穫したみかんコンテナを満載したトラックが横付けされています。この一週間くらいの変化なんですが、みかんの成熟が急速に進みはじめています。いまや、どこの農家も黙々としてはさみをいれているはず、きっと猫の手も借りたいくらいに、てんてこ舞いになっているはずです。当方もおなじです。収穫-搬送-販売、このサイクルがすべて支障なくすすんで回転が出来るんですが。いよいよ週に2回転するテンポがもとめられている次第です。
2017年11月27日
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大杉栄、山川均氏の『自叙伝』を読みました何がきっかけだったか、大杉栄氏と山川均氏の『自叙伝』を読みました。そのきっかけは、この間のプロレタリア文学の歴史をさぐっていたことから、蔵原惟人-江口渙-大杉栄-山川均、この歴史的つながりにあったかと思うのですが。両氏の名は、日本の社会主義思想、運動の草分け的な存在ですから、もちろん、その名前くらいは知ってはいたんですが、自叙伝がほこりをかぶっていたんですが、あらためて、それをひも解いてみることにしました。それは、1、大杉栄『自叙伝』『日本脱出記』(岩波文庫 1971年刊) 2、『山川均自伝』(岩波書店 1961年刊)、この二冊なんですが。ともに、日本の近代の社会問題に対し、最初はすぐれた批判をしているんですよ。それぞれの当事者による生の自叙伝なんです。二人とも、人として日本社会の問題に対して、すぐれた理性と批判をもっていたんですね。それぞれの活動は、当時の国家権力からきびしい弾圧の対象とされます。当時の社会は、治安維持法により、言論表現や活動が厳しく規制されていましたから、当人たちの主張は、ここでも十分に自由には述べているわけではなかったはずなんですが。日本の歴史では、「ボル・アナ論争」と呼ばれる問題がありますが、私などは言葉としては知っていても、その中身はほとんど知らなかったんですが。この二つの著作を読んで、ある程度ですが、その中身が見えてきたように思います。大杉栄は社会に対する批判家なんですが、ある時期からアナーキストになっていくんですね。それから数年のうちにですが、関東大震災のどさくさに国家権力により虐殺されてしまいます。彼に影響を与えた幸徳秋水ですが、彼も大逆事件をでっち上げられて謀殺されています。山川均氏ですが、彼はその『自伝』の第三部に出てきますが、(これは、彼の著作ではなく、山川氏の死後に、座談会での発言をまとめたものですが)戦前の社会では、日本共産党をつくることが、時の権力により弾圧されて、その結果、山川氏としては、戦前の状況下では日本で共産党をつくるのは無理とする立場にかわる。そして、労農派といわれる集団をつくっていくんですね。この『山川均自伝』の終わりの方ですが、日本の終戦後の社会動向が書かれています。敗戦後の日本ですが、山川氏は、昭和20年12月に「民主人民戦線」を提唱したんですね。その世話人会をつくり、準備会をつくろうとしたんですが、その時の、こんな体験と感想を語っています。「ところが社会党がなかなか態度をきめない。(1946年)2月の20日過ぎだったか、世話人会には人を出さない、その上執行部にいるものは個人的にも参加してはならぬという決定をした。・・戦前の無産政党時代から三反主義と言って、共産党を資本主義やファシズムと同列に置いたわけですが、それが多くの人にはこびりついている。その時分にはまだそういう言葉はなかったが、いわゆる「一線を引いて」いたわけですね。そして共産党を恐れる、一緒にやれば結局食われるだけだという―総同盟(労働組合の団体)にも交渉に行ったのですが、松岡氏にしても理屈も何もない、ただ食われるの一点張りで-。・・・ 総同盟も日農も同じ態度をとった。それで社会党の決定の翌日か翌々日、社会党側の参加なしに世話人会を成立させたのです。」(P450-451)当時、山川氏は病によって、活動は制限されていたんですが、その戦後の社会運動の中での、山川氏のじくじとした思いがそこで語られています。これはいわば山川氏の遺言であり、こうした事態を現代において繰り返してはならないとの思いが伝わってくるのは、私などが勝手な解釈でしょうか。両氏の自叙伝ですが、その全体を紹介する力は私にはないのですが、それは、客観的、批判的な検討が必要であるとも感じるものなんですが、しかし、日本の社会運動の歴史を学ぶ上で、それなりの、一つの材料になっていると私などは読みました。
2017年11月26日
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11月25日の朝市を終了しました11月25日の朝市ですが、11月20日に収穫したみかんを完売しました。今回の小品は、みかんとレモン、ユズ(本ユズ、花ユズ)、キウイ、でした。中心になる早生みかんについては、お昼頃には用意したすべてを完売できました。小粒の摘果してないみかんや、果皮に汚れがあるみかんについては、売りものにはなりませんから、味見用に皮をむいて、中身を提供したんです。体感的に中身に問題がないことを実感していただいています。今回も、『一般の淡白なみかんより、この酸味のある甘さのが、昔ながらの味で美味しい』、『小粒みかんの方が、かえって味が濃くておいしい』とか、中には『味見などしなくても、前に食べてわかっている』などと、こちらが宣伝しようとする前に、相手の人の側から言い出す人まで出てきました。いやいや、うれしいことです。とうぜん、そうした人は、まだまだ一部の人ですが、出てきています。どうやら小田原・真鶴みかんの味が、少しずつですが、定着しだしているようです。
2017年11月25日
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5年前、ヘーゲル『哲学入門』に挑戦してました5年前の学習がバックアップされてきました。ヘーゲルの『哲学入門』に挑戦していたんですね。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201211240000/これが初めての挑戦ではないんですね。それ以前にひろい読みした、むかしの文庫本もあるんですが。いずれにしても、あまり記憶に残っていないところを見ると、これはギムナジウム(日本の高校生くらい)の教程ですが、私などは、跳ね返されていて、まだまだ卒業出来ていないということです。しかし、これもまた、重要な学習対象であることは確認しています。
2017年11月24日
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今季10回目のみかんの収穫11月24日(金)は、今季10回目のみかんの収穫にいってきました。早生みかんの収穫は10月20日に始まりましたが、約1カ月の間に、収穫で10往復したわけです。すなわち、ほぼ毎週、2往復していることになります。完熟ミカンを収穫するには、これくらいの頻度が必要なんですね。今回、途中の富士山の姿ですが、もうすっかり雪化粧をしてました。午前7時7分、平塚から見た富士山です。さらに近づいて、午前7時22分、小田原から見た富士山です。これまでは、山肌にジグザグの登山道の線が見えていたんですが、もはや完全に雪に埋もれて見えなくなっています。本日の10回目の収穫ですが、まず、真鶴のみかん園で収穫してから、早川のみかん園へ。二つのみかん園での収穫でした。次の木は、本日収穫した早川の市民園のみかんの木です。この枝からは、2割方を収穫しました。全体として、かなり色づいてきてはいるんですが、ここまできて、早やもぎをしたんでは、せっかくの努力が画竜点睛を欠くことになります。気持を抑えるようにして、くれぐれも早やもぎをしないように慎重を要します。熟したみかんを狙って、すその方はイノシシにもぎ取られ、上からは鳥たちがつっつきだす、多少、動物たちに先を越されたにしても、そのくらいの果実の方が美味しさは確かなんです。動物たちが太鼓判を押してくれたあたりが、やはり熟しているんです。試食してみればよいのですが、その都度試食もしていられません。お腹がいっぱいになるし、味覚もマヒしてきますから。もちろん試食もしますが、視覚で判断できるのが、大事なんですね。さて今日は、石垣山の農家を訪ねたついでに、石垣山の写真を撮ってきました。前回の写真展の時に、戦前の石垣山の様子の写真を紹介しましたが、私の推測では、これは、だいたいその場所と同じ対象を撮っていると思うんですよ。撮っている角度は違いますが、客観的対象は同じだと思うんです。ここに住む農家の方に写真を見てもらったんですが。今お住まいのすぐ隣には、二階建ての小屋があって、当時そこでは養蚕もしていた、とのことでした。今では、その小屋はなくなっていて、竹林が大きく広がっています。みかんの畑の方は、引き続き今でも山の斜面にあって、農家の人たちが手入れをしています。その石垣山から見た、小田原と相模湾です。毎度おなじみの相模湾の景色ですが、富士山の雪と同様ですが、毎回見るごとに海の色が違っています。今日の収穫ですが、本題のみかんとともに、レモンとユズを収穫してきました。これから今晩のうちに、明日の朝市用に、準備の袋詰めです。
2017年11月24日
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ソフォクレス『オイディプス王』を読んで5年前のものですが、ソフォクレス『オイディプス王』を読んだ感想がバックアップされました。かつてもそうだったんですが、この時期というのは、みかんの収穫で体力勝負になってますから、いろいろ読みたいものはあったにしても、現実にはなかなかままなりません。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201211230000/確か文庫本で読んだはずなんですが、目下、何処かへ散歩に行っちゃっています。いくら探しても、見つからないのですが。数少ない、ギリシャへの旅だったんですが。この作品ですが、私などのうっすらとした記憶でしかないのですが。人間が必死になって何かにむかって探究しようとする。それは、社会的な事柄としてさけられない性格のことがらなんだけど。その先には、運命というか、宿命というか、当人としては知らない悲劇が待っているわけです。観客の方は、舞台の観察者として、ある程度は感じとしては予測しているわけですが。その予感が、現実となって観客をも深刻な問題に直面させられる。自由に探究していったはずのことが、結果として悲劇の事態が待っているわけです。人として、さけられない必然的な力が、そこへと押しやられていくわけです。古代ギリシャ世界にとって、国王というのは権威ある、至上の存在だと思うんですよ。しかし、その国王を題材にして、国王もしょせんは人間でしかないじゃないかとの話。これって、すごいことじゃないでいすか。当時の社会の中で、これだけの悲劇作品がつくられたわけだし、公衆の集まる舞台において、実際に演じられもし、称賛されていた。ここにも、古代ギリシャの主人公としての市民の力が、古代の民主主義的な力というものがあるのではないでしょうか、などと。私などは、勝手ながら想像している次第です。現代の日本ですが、材料はふんだんにあるんですが。それだけの客観的な社会的ドラマを作るだけの見識や勇気が、まったく薄弱なんですね。そうした人は、足を引っ張られ、仕事を干されちゃうんですね。そうした仕掛けで、国営放送局化して客観的な追及力をうしなった事業体があるし、ゴシップ面からあれこれのコメンテーターのおしゃべりに民放局の多くが流れされている。ギリシャ悲劇のこの作品ですが、素朴ではあっても、人々のありうる真実をとらえた、社会派的な作品であり、今日でも、大きな鏡ともなる作品じゃないかと感じている次第です。
2017年11月23日
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野党と市民の共闘はこうして守られた第48回総選挙の経過を検証する特集記事が出ました。11月20日付「しんぶん赤旗」の2面-3面ですが。「突然の逆流安倍首相が臨時国会で審議を一切しないまま衆議院を解散すると表明(9月25日)してから2日後の27日、民進党サイドから突然、日本共産党に対し驚くべき知らせがもたらされました。『総選挙での民進党の候補者は、基本的に希望の党の公認で出馬する。選挙後には参院議員も含めて希望の党に合流する-』こうした内容を、前原誠司代表が翌日(28日)の両院議員総会で提案するというのです。」この瞬間に、その時点では、これまで戦争法以来積み重ねられてきた野党と市民の共闘は、うち捨てられたんですね。戦争法をみとめること、憲法改悪をすすめること、そうした希望の党への合流というのは、野党と市民の共闘を投げ捨てることを意味してました。これまでの政治では、議員の頭数を合わせることで多数派をつくり、それによって結局は国民に悪政を押し付けてきた、そうした日本の政治史があるわけです。戦争法でも、小選挙区制度でも、安保条約でも、大事な問題をそうやって押し通してきた歴史があるわけですが。この特集記事ですが、こうして、国民の声は、無残にかき消されるかに見えた、その時から、10月10日の公示までの、たった13日間の激動の日々でしたが、野党と市民の共闘を再構築する努力が、どの様におこなわれたのかを検証して、まとめているわけです。政治というのは、スリルとドラマの要素をふくんでいるんですね。瞬間の突発的事態への対応の問題であり、そこで、一歩対応を誤ると、とんでもないことになっていた。改憲派同士の二大政党のづくり、改憲政権と改憲野党第一党をの事態がつくられかねない事態の展開があったわけです。この記事にありますが、さいわいにして、壊された共闘を選挙活動を動きだしながら新たな形で再構築していったわけです。それはたいへんドラマチックな展開ですが、国民の願いを背景に、主体的な努力により、共闘の再構築へと政治の事態を動かしたんですね。いわばその綱渡り的な努力が、実を結んだことが、この特集記事にまとめられています。あらためて、すごい展開の13日間だったことが確認出来る、政治史にとって記念すべき特集記事になっています。
2017年11月22日
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おどろきでした、昔の石垣山の写真11月19日に、箱根板橋に出かけたんですが、近くに松永記念館があることを紹介されて、訪ねてみました。それがどのような記念館なのか、私などは知らなかったんですが。しかしそこで、驚くべき一枚の写真をみつけました。この写真の景色ですが、どこか見覚えがあったんです。私などは、今、早川の物産をあずかつて多摩の団地に提供しているんですが。その預かり先の農家の景観と、写真とがどことなく似ているんです。もちろんこの写真は戦前のものですして、そのままではないんですが。その後、車が通れるよう農道もつくられ、畑に人の手が加わっていますから、そのままではないんですが、しかし、似ているんですね。こんど、行った時に農家の方に聞いてみたいと思っています。それと、もう一つむかしの人について感じた点があります。私などが子供のころ、お爺さんやおばあさんを見ていた時に、その風貌からして、生活様式からして、人としてへだたりを感じていたんですが。なにか敷居の高さの様なものを感じていたんですが。今、自分がその歳になってみて、少し違っていたんじゃないかと思うようになりました。確かに風貌は、背中も曲がり、白髪もふえ、はしわもの顔に変わっていたんですが。しかし、気持ちとしては、それほど以前と変わってはいなかったんじゃないかと。自分が歳をとってみて、何となく感じていることなんですが。かつてみた相手の歳に自分がなってみて感じるようになったんですが。それほど、抱いていた違いはなかったんじゃないかと。若かりし頃も、それから歳をとってからも、たいして変わってなかったんじゃないかと。残念ながら、おじさんやおばあさん、父や母については、それは確かめれません。それらの人たちは、みなあの世に行っちゃってますから。しかし過去の記憶というのは強情なものです。目を閉じれば、すぐに小さいころに見た姿が浮かんでくるんですね。遠くかすかなものでしかなく、材料は乏しいんですが、懐かしく浮かんでくるんですね。実際には、その間には長い幾年月の生活経験があるわけですから、人となりに変化がくわわっていることも、これはこれで確かなことなんですが。たしかに、時代社会は、人をそれぞれの生活方向に押し立てていくわけですから、それぞれ生活の形も風貌も、人を変えていくこと、これも確かなわけですが。しかし、変化と違いばかりではないように感じています。亡くなってしまった人たちについては、確かめることは出来ないんですが。それは、しょうがないですね。だいたい人は自分自身の姿は見れない訳で、相手の人の風貌の変化は分かるんですが、自分については自覚が無いんですね。他人については、変化がまず第一に目に飛び込んでくるんですが。だけど、最近感じるんですが、その変化の基礎には、どこか同じような原理が働いている。変化している面だけじゃなくて、人の気立てとか、心持ちなどのどこかに、歳月をへだてても変わらないものがあるような、そんな気がしてくるんですね。それを最近感じるんですが、これっておもしろいものですね。もしかして、世代の違いというのは、原始の人ですらも、ある角度からすると、共通性があるのではと。それは、人間として共通な時空を超えた営みとして、人生観を解く鍵かもしれません。ようするに、変わりゆくものの、強力な懐かしさなんですが。これは貴重なものですね。
2017年11月21日
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早生みかんの収穫を基本的に終了しました11月20日(月)、早生みかんの大方を、収穫終了しました。今週は、時々に雨の予報が出ていますから、早生みかんの大方を収穫するために、出かけてきました。午前7時6分、平塚から見えたの富士山です。雨が降るのが近いことを、この富士山にかかる雲が示しています。今週は、いつ雨が降ったとしてもおかしくありません。雨が降れば、みかんの木が濡れて、収穫作業はできなくなるんです。そのため、本日中に早生みかんの大方を収穫しておこうと、出かけてきたわけです。次の写真は、今朝の早川の市民みかん園からの様子です。早生みかんが色づいていて、小田原城と相模湾は、白黒写真の様で、やはり天気は、あやしい雲ゆきにあります。この市民園の早生みかんの木を収穫しました。次は、収穫を完了した木の様子です。今年は、この早生みかんの木は、表年で、成り年だったんです。摘果もしてませんから、小粒のみかんがたくさんなったんです。すべての果実を採りさること、みかんの「枝おろし」が、今は一番の手入れとなります。次は、市民園の収穫の、次に対象としている木です。すでに熟している果実も中にはあるんですが、まだあと少し置いて、全体的な成熟を待っています。ところが、木の枝の裾の方を見て回ると、すでのこの木のみかんですが、部分的には成熟しているということの、お墨付きが与えられていました。これは、イノシシがパクリと食いちぎった、その痕なんです。イノシシが、みかんの成熟したことを、教えてくれているんですね。イノシシは地面から50センチ位の、自分の口が届く範囲の完熟ミカンを荒らしています。美味しいみかんを、イノシシが食べるのか、それとも栽培者が確保するか。草刈りなどの一年の苦労が、ここで収穫できるか、イノシシに食い荒らされるか、今、そのことが問われているわけです。それで今回は、イノシシの下からの視線で見るようにして、地面近くに垂れ下がった完熟ミカンですが、これを重点的に採るようにしました。除草剤を使っていない、この市民園は、イノシシの絶好な饗宴の場になっています。イノシシは熟したみかんを食いちぎるだけでなく、地面の下のミミズを取ろうとしているんでしょうが、地面のあちこちを、水田を耕すように穴を掘っていて、この市民みかん園の地面全体を、周囲の畑に比べて、激しく掘り返しています。今日のこの木の収穫は、イノシシが背伸びして届きそうな高さ、地面から高さ50センチ位までの完熟ミカンを採るようにしました。もっとも、上の方からは、鳥たちが完熟ミカンを狙っていますから、次は、上から見て、おいしそうに完熟したみかんを取るようにしたいと思っています。要するに、美味しくなったみかんを、下からはイノシシ、上からは鳥たちがねらっています。みかん農夫は、のんびりと休息していたら、苦労の成果をもっていかれてしまう。キチンと収穫しに来るようにせよと、動物たちに尻をたたかれている次第です。
2017年11月20日
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降旗哲郎氏の写真展を見てきました11月18-19日(日)、故降旗哲郎氏の写真展『人間交差-昭和40年代の小田原駅』が箱根板橋でひらかれ、見に行ってきました。私などは、これまで年賀状の写真でだけしか、降旗氏の写真を知らなかったんですが。この小田原駅は、私などが高校の3年間を、毎日利用していた駅だったんです。展示された写真には、当時この駅を利用していた様々な人たちが写っていて、かつての様子が、これらの写真によって、いろいろよみがえってきました。2012年に降旗哲郎氏は亡くなったとのことですが。写真家として、主に人物をとおして時々の社会を撮っていたようです。この展示のなかに、小田原駅の最終電車が終わった後のホームの写真がありました。すでに人けもほとんど無く、電気も暗くなり、寂しく人がいなくなるホームの様子です。私なども、1969年の大学一年の時を思い出しました。当時、法政の市ヶ谷から帰る時、友達と話したりしていると遅くなるじゃないですか。シンデレラじゃないけれど、帰りの最終電車は、東京駅を22時7分くらいの東海道線の下り電車だったんです。「やっと帰っえれるか…」と思う反面、この電車を乗り過ごしたら小田原止まりの電車しかない、これが真鶴まで帰れる最終だったんです。だから、ほっとすると同時に大変緊張したんですね。この当時の最終電車の心境を思い出させてくれる一枚でした。古い小田原駅の駅舎をめぐっては、人それぞれに、懐かしい思い出があると思うんですよ。今の小田原駅は、モダンな近代建築の駅舎に変わっていますから。しかし、目を閉じれば、浮かんでくるのは、小便小僧がいた改札口の駅舎なんですね。この時代の流れは、大勢の観光客をむかえるうえでも、逆らいえない変化なんですが。写真展の会場は、箱根の旧東海道の街道沿いにありました。ここは、前はお醤油をつくっていた工場だったそうです。その建屋の一部で、原料の大豆を入れていた蔵とのことでした。かつての小田原駅を通して、人々の交差する姿が記録されていました。いろいろな方が、つぎつぎと会場を訪れていて、写真を通して新たな「人間交差」をつくっていました。私なども貴重なひと時でした。忘れていた事柄を今に懐かしくよみがえらせてくれた写真展でした。
2017年11月19日
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今日の朝市は、みかんとレモン、ユズです11月18日(土)、今日は多摩の団地の定例朝市でした。昨日収穫してきたみかんと、レモンとユズを出しました。みかんは、これまで大・中・小をミックスにして出していましたが、それぞれを分けて、少し価格に差をつけて出すことにしました。小粒みかんは、1.2キロで200円です。写真の左側にあるものですが。だいたいこんな小粒みかんは、一般の商業ルートにはのらないんですよ。農協などでも、規格外として受付してくれないと思います。だから、小売りのテンポには出てこない訳です。ところが、味の方は、濃くておいしいんです。ミニトマトならぬ、ミニみかん・一口みかんです。この間、その味をこの朝市でも、ミックスして袋に入れたり、別に味見用として試食していただいて、その味を実感していただきました。このため、なかにはポツポツと、「小粒が美味しい、小粒はないの?」という消費者もでてきました。こうなると、規格外どころか、廃棄どころか、「ミニの一口みかん」とのことで、当方の販売ならではのブランド品になりました。また、その他では、今回が初物として、レモンとユズが登場しました。ここへきて、陽気が冬のように寒くなりました。商店街の人通りも少なくなり、なにかと足早な季節になりました。「寒くて大変ですね」なんて声もかけられるんですが。ところがみかん農夫の身となると、内心では少し違うんですよ。この朝晩の冷え込みがはじまり、この日中は秋晴れで暖かくなると、みかんが色づき、美味しくなるんです。それがみかん成熟の自然条件なんです。だから、農夫は内心ではニコニコとしてきて、「よい季節になった、いよいよみかんの季節だ」なんて、喜びすらも感じてくるしだいです。ものごと、存在条件によって、自然の見方も変わってきます。その社会的存在によって、気持すら変わってきます。もちろん、風邪なんてひいてはいられません。「風邪なんて、たるんでいる証拠だ」、「さぼらずに収穫に来い、来ないなら鳥の方にあげちゃうぞ」と、みかんによって、この時期は尻をたたかれている次第です。
2017年11月18日
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旬の野菜がいっぱいです東京・清瀬の佐々木農園から、11月17日にとれたての野菜が届きました。大根、ネギ、春菊くらいは、野菜音痴の私にもわかるんですが、あまり手にしたこともない珍しい作物も含まれています。同じ芋でも「安納いも」、かぼちゃでも「南部一郎かぼちゃ」、「島ちゃ菜」「ラーマティラーパ」だそうです。ちゃんと、その作物のいわれと、使い方のコメントも、簡単な「取説」もついているんですから。なんたって、数年前まで会社の役員として毎日忙しく働いていた人なんですよ。その人が、冬に向かう野菜の品薄なこの時期だというのに、このりっぱな野菜づくりとは、りっぱな作物を収穫しているとは、どうしたことでしょう。これを自前の力で栽培しちゃっているんですから、おどろきです。どうして、短期間にこんな技能をマスターしたんでしょうか。道楽農夫くらいなら、私にも経験があるんですが、いちばん簡単な野菜を、みかん園のすき間に栽培したことがあるんですが。雑草に埋もれて、虫に食われて、見るも無残な散々なものでした。八百屋さんに並んでいる野菜を見るにつけて、農家の人たちの技を、あらためて再認識させられました。私などは、その苦労をあきらめて、みかんに専念することにしたんですが。佐々木さんのはたけづくりは、根性が違いました。職場でもそうでしたが、そこでも新たな世界に挑戦されてましたが、粘り強い福島県人の、農家の血でも、引いているんでしょうか、いまや、この野菜づくりでも、栽培をマスターして出荷できるほどになっています。第二の人生ですが、どうやら新境地を開拓されたようです。これらの野菜が、そのことを示しています。
2017年11月18日
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多摩の一行がみかん狩りをたのしみました11月17日、多摩の一行21名が、小田原・早川でみかん狩りを楽しみました。遠路、マイクロバスで石垣山のみかん園まで、出かけてきてくれたわけです。豊臣秀吉の一夜城跡を見学してから、みかん狩りをしました。ところがですよ、そのみかん狩り様子ですが、その肝心な様子を写真に撮るのを忘れてしまったんです。みかん園を案内しているうちに、うっかりしてしまいました。なんともまぁ、残念なことです。一行は、その後で真鶴へ移動して地魚を賞味しました。お店の方が、お魚を紹介してくれたんですが、小ダイ、カンパチ、ホウボウ、カサゴ、メアジ、イサキ、キンメ、イナダ、でした。それと、キンメの煮付けです。なかには、お酒を禁止されている方もいて、そうした方にとっては、酷なことだったんですが。この料理には、お酒がつきものですよね。周りの方が、ビールやお酒をおいしそうに飲んでいる中で、運転手さんのほかにも、じっと我慢をしている方がいました。当方は、一行とここで別れました。一行は、隣町の湯河原の温泉へ。当方は、真鶴のみかん園に移動して、みかんの収穫でした。明日は雨だというので、今日中にある程度収穫をしておきたかったんです。濡れちゃうと収穫はできないんですね。それに、明日は、団地の定例の朝市の日でますから、そこに提供するみかんを用意しなければならないわけです。これが真鶴のみかん園の木です。真鶴園のみかんの木はおおきくて、脚立を使って、木に登っての収穫です。だから、一般の人のみかん狩りには適していないんですね。木から落ちる危険がありますから。早川のみかん園の方は、違います。みかん狩りがしやすいように、木の高さを低く抑えてあるんです。これは、本日、朝一番の収穫です。これは、本日の一行の中で、みかん園に足を踏み入れれない方たちのための、お土産用です。ということで、本日は、東京の消費者が、早川のみかん農家の様子をじかに体験してきました。参加者は、この中で、園主さんに対して、様々な疑問・質問がぶつけられていました。「どういうみかんが、美味しいみかんなのか」「一本の木にも、成熟したものと未だ熟してなのがあるのか」「一本の木のなかに、大きいみかんや小のみかんがなっているのか」「木のすそにある食いちぎられた痕ですが、これはイノシシの仕業だったのか」「みかんの木にも、今食べごろの木と、まだ早い木だとか、いろいろな種類があるか」などなど、交流がひろがっていました。これまでは、都会の消費者としては、朝市に並べられたみかんを買って食べるだけでしたが、今回で、ほんの少しですが、これまでより、生産者が直接に顔をあわせ交流できたようです。これが、本当は一番大事なところなんですね。さぁ、これから明日の準備に入ります。
2017年11月17日
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「音楽好きな仲間たち」コンサートが開れました11月16日、町田市鶴川にあるホールで音楽会が開かれました。私などの旧友の一人に、歌を趣味にしている人がいます。今日は、その「音楽好きな仲間たち」によるコンサートでした。フランスのシャンソンを基調にしたものでしたが、中年の人たちよる歌ですが、伴奏も舞台づくりも本格的なステージだったんですよ。それがシャンソンですから、人間的な味が独特にでていて、楽しませてもらいました。これは、日野美子門下生の発表会とのことでした。演奏会中の写真は、出演者の集中と緊張を妨げますから、遠慮していたんですが、これは、すべて曲目が終わり、最後のあいさつも終わった時のもの、みなさん「やれやれ」「やったぞ」と、ほっとして退場する時の一枚です。今回撮れたのは、たったこの一枚だけだっんですが。当方も、芸術の秋ですから、連日みかん仕事に追われるばかりが能じゃありません。一つくらいは芸術を楽しむ機会をもとうということで、出かけてきました。本当は明日は、多摩の一行がみかん園にやって来ます。それにともなう明日の準備があることはあるんですが、それが頭にちらついてはいたんですが、それはそれとして、とにかく、このひと時を楽しませてもらいました。
2017年11月16日
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芥川龍之介が自殺したわけは芥川龍之介の「トロッコ」が舞台としていたのは、当方の故郷でした。5ページの作品ですが、みかん園や海岸線、鉄道建設など、郷愁を掻き立ててくれます。なかなか、私などにとっては、地縁のためか、素晴らしい作品だと思うんですよ。ところが、その芥川龍之介ですが、周知の通り1927(昭和2)年7月に自殺してしまった。どうして彼は自ら命を絶つなんてことになったのか、なぜそういうことになったのか。それは、当時においても一つの謎だったと思います。この問題に迫ろうとした二つの作品があります。一つは、宮本顕治氏の『敗北の文学』(1929年作)であり、もう一つは、松本清張氏の「芥川龍之介の死」(『昭和史発掘2』1965年刊)です。宮本顕治氏は、1908(明治41)年-2007(平成19)年ですし、松本清張氏は、1909(明治42)年-1992(平成4)年ですから、二人は同世代なんですね。事件から約1年半後の、ほとんどすぐ後に、20歳代の宮本氏が『敗北の文学』を書き、戦後の20年を経て、50歳代の松本氏が書いたのが『芥川龍之介の死』でした。なぜこれを、私などが、今ごろに当たろうとする気になったのか? 誰かが、1920年代の社会と現代の社会とが似ていると指摘していました。今の社会ですが、非正規労働がひろがり、社会保障が削られて、国民が将来への不安を大きくしている。若い人たちが、自殺願望をやり取りして、殺されてしまう事件もありました。全体として、おかしな方向が、様々な形で目につくような最近です。どうしたらこの生活の先行不安を、この大問題を変えていけるのか。なかなか見通しの立たないような現実の流れがあると思うんです。お先真っ暗ななかに流されるのか、それとも事態を変える契機をつかめるか。その点が、かつても問われていたのでしょうし、今日も問われていると思います。私は、この二つの作品は、面白いと思うんです。50歳代の社会派の作家は、さすがです。それこそ男女関係も含めて、芥川に関する社会関係の様々な材料を集めています。これが出来るのは戦後民主主義があったればこそ、その社会があるからこそだと思うんです。他方、20歳代の青年は、当時入手しうる材料はごく限られていたと思うんです、にもかかわらず、問題の核心の一端をついて、的確に批判していると思います。私などは、ざっと二つの作品を通読しただけですから、材料をとらえるのが不十分ですから、確かなことは言えないんです。しかし、それでも、あくまで直観的になんですが、感じます。この問題は、現代においてこそ、しっかりとらえることが大切だ、と。シャープで正確な批判的精神をもって、多岐な社会的材料を総括的批判をすることが、端的に言えば、宮本氏の精神でもつて、松本氏の多岐な材料を吟味することが必要だ、と。私が、それをやれているわけではありません。課題として感じているだけで、今後の課題としていることなんですが。それは、今を生きる人にとって、自分自身の姿勢を明確にする上で大事なことだと思います。
2017年11月15日
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文豪たちとの細いつながり当方は、文学というものを、ほとんど読んでないのですが。そのか細いつながりを、5年前の過去帳がバックアップされてきました。芥川龍之介の作品「トロッコ」です。1922(大正11)年2月の作で、5ページくらいの短い作品です。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201211130000/芥川の「トロッコ」は、伊豆に住んでいる恩師から紹介されました。2013年に『伊豆の旅』をしたのですが、その下準備をしていた時のことでした。みかんと海岸の景色、鉄道を、書きこんでくれていたんですね。そこは、今でもみかんの収穫のために、現実に往復しているんですが、しかしここには、私などには、こころのなかの郷愁の世界として描いてくれてます。この「トロッコ」と対象が似ている作品に志賀直哉の「真鶴」があります。これは、1920(大正9)年8月の作品ですから、1年半前にかかれた作品です。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201609270000/私などが推測するのに、この二つの作品には、志賀直哉(1883明治16年-1971昭和46)と芥川龍之介1892明治25年-1927昭和2年)との間には、直接にあったのかどうかは知りませんが、重なる交流があるように思います。私などは、これまで文学作品というものを読む習慣がなかったんですが、みかんと郷愁という共感が、二人の文豪へ接近する刺激を与えたくれたわけです。ところで、この作者-芥川龍之介については、一つの謎があります。なぜ自殺しちゃったのか、という点です。宮本顕治氏が、若い青年のころに『敗北の文学』(1929昭和2年)を書いて、この謎ときに挑戦しています。私などには、人が自ら死のうとする気持ちが、そうした行為につきすすむということがわからないのですが。だから、『敗北の文学』はすぐれて論証的な評論なんですが、私個人としては、理解することが良く出来ていないんですね。しかし、人によっては、その時代と今現在の時代が似ていると、言う人もいます。不合理で野蛮な時代錯誤な政治がまかりとおっていて、多くの国民はそれに甘んじている。当然、心ある人たちは社会を変える必要性は感じている。どうやったらそれを本当に変えれるのか。政治は国民生活をいたるところで踏みつけにしている。このはざまにあると思うんです。そして、自分自身もそうした社会から隔離されているわけではありませんから、そうした生活・精神のふみつけにされる状況がある。自暴自棄になる必要はないし、なんとか打開を模索しようとあがいているわけですから。この努力ですが、どんなに不十分でも、直ぐに報われなくても、自分自身の努力に自信を持つようにして、やけっぱちになってはならないと思うんです。おそらく、こんな点も大事な問題になっているかと思いつつ、芥川の問題と、現在の問題を探って、この謎解きをしたいと思っています。一寸の虫にも五分の魂です、自分として自分なりに出来うることを探す。当時も今も、問題だらけの社会と政治の状況があり、当然、不安はあると思うんですが、何も自殺することはない。どうしたら社会はより良く変わるのか、そのなかで自分の努力を生かせるのか。これを探るところに、人としての努力というものがあるんじゃないでしょうか。これが、郷愁とともに芥川龍之介が提起している、古くても、新しい問題、私などへの宿題となっている問題です。そして、宮本評論の中身を、現代に吟味しようとする問題です。
2017年11月14日
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早生みかんを8コンテナ収穫してきました 11月13日(月)は、夕方は雨が降るとの予報でしたから、その雨が降り出す前に、早生みかんを収穫してきました。朝の富士山ですが、平塚の午前6時40分です。続いて、小田原の午前6時55分です。 富士山は、前回・11月10日は雲の中で見えなかったんですが。その雲は、雪だったようです。今回の富士山には薄い雪化粧です、登山道がジグザクな線になって見えてます。 早川のみかん園には、午前7時23分につきました。午前中は早川園で収穫し、午後からは真鶴園に移動しての収穫でした。早川の市民園では、早生みかんですが、2コンテナを収穫し、みかん園の園主が収穫した3コンテナを預かりました。真鶴園では、3コンテナを収穫しました。従って、全部で8コンテナの収穫です。今日は、カメラのバッテリーが、途中で切れてしまって、写真は、富士山と真鶴園の収穫のみになりました。次のは、真鶴園で午後に収穫したものです。今年の真鶴園は、早生みかんが表年でした。小粒ですが、なかなかおいしいんですよ。先日までは、まだ甘さが弱くて、いまいち味がのっていなかったんです。夏場の雨がちな低温が影響していました。しかし、ここへきて秋晴れの日が時々あるでしょう、これで巻き返しています。今回試食してみたところ、かなり甘さが出てきていました。早やもぎしがちなのを、じっと我慢して、熟しだすのを待っていたんです。みかんが成熟しだしたのはこの数日のはずです、待っていた甲斐があったというものです。このほんのちょっとした違いで、提供するみかんの味が雲泥の差になります。 真鶴園のみかんですが、全体としては、カミキリムシの加害により、収穫量がかなり減っています。ですから、今年のこの早生みかんの収穫は貴重なんですね。当方は、摘果作業までは出来てませんから、大きさは小粒なんですが、それでも味の方は、まずまずのところまできてますから、ヤレヤレです。早川園からの提供もありますから、なんとか、出荷量としても、なんとか空手形は出さずに済みそうです。もちろん収穫は始まったばかりですから、全体はまだ見えてはいません。すべてはこれからで、あと1カ月半の温州みかんの収穫ですが。はたして12月末をどの様に迎えているか。無事に迎えられるでしょうか。
2017年11月13日
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4年前、『宮本顕治著作集』第八巻を読みました『宮本顕治著作集』全10巻ですが、2012年7月15日の第一巻刊行に始まって、2013年12月5日の第十巻まで、この間に2カ月に一冊のペースで刊行されてました。4年前になりますが、私などは、2013年11月の今ごろ、その第八巻を読んでいました。これは1980年代の後半から84年までに発表された13本の作品からなっています。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201311110000/今回、あらためて本体を読み返すことはできていませんが、前回読んだ過去帳がバックアップされたので、これを読みました。この感想を読み返して、二つ印象がありました。一つは、外交について、核兵器廃絶への道をひらいた問題です。1984年12月に宮本・チェルネンコ会談が行われました。ここで核兵器廃絶への道やその他の問題で日ソ両党の共同声明が発表されたこと。予備会談をかさねて、意見の違いを粘り強く議論を交わして、ついに合意にたっしたこと。このあたりのことが、この巻の後半の8本くらいに紹介されています。この努力ですが、世界政治を核兵器廃絶の方向に前向きに動かしたことが示されています。これに比較して、数日前のトランプ大統領が来日ですが。安倍首相は、ゴルフと焼肉のしてもてなしをしたわけですが、北朝鮮への圧力一辺倒の行使に共同し、米国からの新たな武器購入などを約束してしまう。日本をますます危険な道にもって行こうとしています。世界の流れにも反した、まったくの追随ぶりを世界にしめしました。二つの会談ですが、これらをくらべると、今の日本政治の危険な道へのめりこもうとする状態が、対象的に浮き彫りです。もう一つは、戦前戦後の日本政治の中で、日本共産党がはたしてきた役割ですね。いわば歴史のなかでの社会的評価、総括の問題です。とくに、前半の三本は、ここに焦点があると思います。中でも、「『宮本顕治評論選集』第一巻のあとがき」ですが、これはかなりの力作です。この間、私などは、プロレタリア文学運動について、少しですが、その歴史に当たってきました。蔵原惟人氏、江口渙氏なども、すこし当たってきました。しかし、ここでプロレタリア文学運動の今日の時点に立っての総括が試みられています。1930年代の文学活動といえば、過去の歴史のようにとらえがちですが、ここでは、それを今日の到達点から見ての、引き継がれている問題として、今日的な精神としてまとめられているんですね。過去のことがらですが、今に引き寄せてくれていて、古くないんです。4年前に読んだ時は、ただ新たに刊行されたものとして読んだわけでしたが、今回、あらためてこの過去帳をひらいたことはさいわいでした。この間の手探りしてきたこともありますから、あらためて読み返してみようと思っています。
2017年11月12日
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単独の朝市は、完売で終了しました11月11日(土)に、多摩の団地で、単独の朝市を開きました。昨日、早川・真鶴から収穫してきたものです。朝市は、午前9時から始めましたが。左から、アケビ、かりん、おまけのみつば、試食用のミカン、みかん40袋、そしてゆず、と秋の果物がならびました。とても明るくてカラフルな出店となりました。今回で、かりんとアケビについては、シーズン終了です。当方の、これからの中心は、みかんです。今日の朝市は、お昼過ぎに、用意したすべての品を完売することが出来ました。ところで、みかんといえば、最近の傾向ですが、ひたすら甘さが追及されています。四国や九州から、甘い早生みかんがトラック便で運ばれてきます。大東京のお店の大方は、それれらの南国の早生みかんが並べられています。それは綺麗だし、甘くておいしいんですよ。そうした中にあって、小田原早川・真鶴のみかんですが、東京の市場には、どこにも見ることはできません。しかし、これは貴重なんですよ。食べた方から、「昔ながらのみかんだ」との感想を聞くんですが。そうなんです、これが1970年頃までは全国に一般的に出ていました。その味は、南国産の早生みかんとひと味違っていて、単純な甘さではないんです。酸味が少し残る中に、甘さが浮き立ってくるという、刺激的な味なんです。それが特徴なんです。南の方面は、収穫が早いうちに採れる、高い糖度のみかんということで、わざわざ木を植え替えまでして、そうした早生みかん一色にしちゃったんですね。それが、みかん競争での、時代の傾向だったんです。しかし、早生みかんというのは、果皮が薄くて傷みやすい、収穫してから時間をおくと、味が淡白な甘さ変わっちゃうんですね。そうしたみかん社会の一般傾向の中で、真鶴・早川みかんですが、今、光りだしています。酸っぱい中に(酸味の中に)甘さが引き立っているという、絶妙な刺激的な味なんです。もちろん、全部のみかんがそうだというわけではなくて、完熟しているもので、なおかつ新鮮なものが、そうした味がするんです。私などが、追及しているのはその味なんですね。それを提供することをめざしているんです。みかんには摘果して大きさをそろえる作業がありますが、遠距離農夫の当方には、その摘果をしている時間はありませんから、大きさについては、小粒みかんもあるし、大きいのもあり、全体が不ぞろいなんですが、それぞれのみかんには、すべてに、それぞれの味の個性があります。いちいち試食することはできませんから、それを目でみただけで、だいたいの味を見分けれるようになったら、そうなったら、たいしたものです。みかん愛好者の中でも、そこまでいけば、それこそ通なんですが。もっか、その勘を修行しているところです。ということで、今季も、出荷作業が始まりました。誰はばかることなく、名だたる産地にもちっとも引け目など感ずることもなく、早川・真鶴の温州みかんの美味しさを提供していきます。これから、少なく、とも年内いっぱいは、温州みかんを提供していきます。「甘酸っぱいみかんだよ! 昔ながらのみかんの味を、めしあがれ」と。もちろん、みかんは年内で終わりではなく、年を越して来年になってもつづきます。近頃では、様々な種類の柑橘類が、収穫時期が多少ずれた多彩な柑橘が栽培されています。レモンもキンカンも、清見も伊予柑も、湘南ゴールドも、日向夏も甘夏も、早川のみかん園が協力してくれるおかげで、真鶴よりはるかに多彩なんです。それぞれのシーズンに、旬の美味しい柑橘を提供していくつもりです。まぁ、これが道楽みかん農夫ならでわの商法なんですね。
2017年11月11日
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みかんの収穫が始まりだしてますこのブログは、そもそもは「みかんの木を育てる」-みかん紹介が目的だったんですが。やはり、今の日本社会の中にあっての、みかん農業なんですね。当初は自然の発見が、真鶴のみかん栽培の感動が、中心だったんですが。今の政治への怒り、農政(ノー政)への怒りが、あれこれ湧いてきて、その打開のためには「何をなすべきか」、これが比重を占めるようになってます。それはともかくとして、午前4時45分発で八王子を出ました。今回の主題は、真鶴と早川のみかん園での早生みかんの収穫です。雨が降ると、みかんが濡れていては、収穫はできませんから、みかん作業は、日和見主義なんです。八王子を出る時は暗闇で、天気は予報でしか分からないのですが。午前6時27分に、早川のみかん園に着きました。日出の直後のみかん園ですが、農道から見た相模湾です。まずは、最初の仕事は、かりんの収穫です。みかんの木の朝露が消えるまでは、みかん作業はできません。その前に、ひと仕事です。かりんの木は背丈が高いので、収穫が大変なんです。竹ざおをつかって、残りのすべてをもぎ取りました。そうこうしているうちに、太陽もぼり、市民みかん園へ移動しました。まだ、陽が差し出したばかりの市民みかん園です。正面の小田原城にも、まだ陽が差し出したばかりですから、この時点では、素晴らしい眺めを堪能して、気分も多分に余裕があったんですね。みかんの木を見回ると、イノシシがみかんを食べ荒らしているのが分かりました。地面近くのみかんですが、イノシシの仕業ですが、みかんをパックリと食いちぎっていました。イノシシが「この辺は美味しいよ」と、お墨付きを与えてくれているんですが。早速そのあたりから、熟しているだろうみかんを収穫しました。本日の、早川の市民みかん園の収穫です。黄色をした果実がみかんの上に乗っていますが、これはユズです。ビニール袋のなかはキウイです。本日の市民みかん園での収穫は、みかんが2コンテナでした。早川園でのみかんの収穫は、これにて一区切りとして、午前11時半くらいには、真鶴のみかん園へ移動しました。真鶴園でも、みかんが収穫を待っています。私などはこれまで、オレンジ色にみかんが成熟するまでじっくりと待っていたんですが、早生みかんについては、そこまで色づくのは、かえって遅すぎるきらいもあるんですね。今回、その認識の違いに気がついたんです。へたの枝の部分まで色づいていれば、それで十分だったんでする。それで、今回はこれまでよりも対象をもっと広くしての収穫作業でした。今日の真鶴園での収穫です。真鶴園では、2コンテナを収穫しました。今回は、この内から、親戚縁者や恩師にたいして何軒かへ発送しました。主要には、明日の朝市用に、これから袋詰め作業です。それと、従来から販売をしてくれている人たちへの卸しの作業です。収穫は収穫だけではダメで、販売することが出来てこそ、完了できるんですね。ということで、これから、明日のために袋詰め作業に入ります。といったことで、収穫-搬送・袋詰め-出荷・販売のサイクルです。11月、12月は、このサイクルで、大わらわの日々が続くことなります。しかし、この作業だけにかまけていただけではだめなんですね。これだけでは、世の中は変わらない、いや変わるだろうけど、それだけでは緩慢になるということなんですね。みかんの農夫と、67の手習い、この二つでおしていきます。
2017年11月10日
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蔵原惟人著『レーニンの思想と現代』を読む11月4日付のブログで紹介しましたが、先日、知人から蔵原惟人著『レーニンの思想と現代』(青木書店1972年)をいただきました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201711040001/この本は、蔵原惟人氏が1954年から1971年にかけて書いた13本の小論からなっています。3つのテーマがあって、1.現代にレーニンをどの様に学ぶか、2.レーニンの文学論、3.「プロレタリア・ディクタツーラ」(執権)の翻訳と中身の問題、この3つです。この第1のテーマ-現代にレーニンをどの様に学ぶか、ですが。このテーマでは、1.1969年12月「現代の課題とレーニン主義」、2.70年1月「レーニンをいかに学ぶか」、3.70年3月「レーニンの思想と現代」、4.70年4月「レーニンからなにを学ぶか」、5.70年5月「レーニン-その人と生活について」、この5つの小論を掲載しています。ちょうど1970年が、レーニン生誕100年とのこともあって、また1969年の総選挙で日本共産党が前進したこともあって、一方では関心が高まっての、様々にレーニン論がだされたんですね。そのなかには、他方では、暴力革命の指導者とか、自由のない一党独裁とかを、レーニンとその理論に結び付けようとする反共産党の政治論調などもあったわけです。私などは、のんびりした田舎から出てきたばかりで、その渦の中に置かれたわけですから、東京と大学キャンパスに来ると、学校の建物がグラグラと揺れているような感覚を感じさせられたものでした。当時は、これらの小論は本にはなっていませんが、個々にはだいたい読んでいたと思います。「レーニンをどの様に読むべきなのか」、この問題は、大学の学内でも一つの議論のテーマになっていたんですね。だから今回、あらためて懐かしい回想の感じをもって読ませてもらいました。今回もその中から、2か所を紹介させてもらいます。1、「レーニンをいかに学ぶか」から「レーニンはつねにマルクスやエンゲルスに学び、その教えに忠実であろうとしました。このことは彼の多くの著書、たとえば『国家と革命』ひとつをみても明らかです。しかし同時に、かれはマルクスやエンゲルスが、そのことばをいつ、どこで、どういう条件の中で語ったかということをはなれて、そのことばを教条的に絶対化することには常に反対してきました。ここで1916年11月30日付のイネッサ・アルマンドにあてた手紙を紹介して、『マルクス主義の全精神、その全体系は、おのおのの命題を、ただ(a)歴史的にのみ、(b)他の諸命題と関連させてのみ、(c)歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求しています。』このことは、マルクスやエンゲルス、そしてかれレーニン自身のことばも、それが語られた具体的な時代的、社会的な背景からきりはなして、無条件に適用することの誤りを指摘しているのです。」(P76-77)2、もう一つ、「レーニンからなにを学ぶか」から「現在マルクスが死んでから90年、レーニンが死んでから50年近くがたっているのですから、(まるのみにするのではなく)、時代が変わっていることに注意する必要があります。マルクス、エンゲルス、レーニンの著作には普遍的なものと時代的なものがあって、普遍的にものは生きているのですが、それは一般的なものであって、現在の日本の活動にどう生かすかという問題は、われわれが自分で考えなければならないのです。自分で、といっても一人でという意味ではなくて、集団で、民青などの組織やグループで考えるという意味です。同時に自分個人の頭で考えたものでなければ身についたものになっていかないのです。」(P95)ようするに「教条としてではなく、行動の指針として」、生きた精神でとらえなければならない、そうしないと、すべてが今日的でなく誤ったものに見えてくる、ということなんですね。この問題は、レーニン個人の理論にたいして、だけとどまりません。「赤旗」11月7日付には、「ロシア革命100年と社会主義を考える」が掲載されました。いまでは、社会主義のイメージは玉石混交です。ソ連の崩壊、千島列島を占領し続けたり、また力で国境を広げようとしたり、政権への批判を武力で禁圧したり、社会主義の本来は、マイナスであり否定的な本質なんだ、と結びつけられています。だから、個別問題で共闘はしても、「政権協議の相手ではない」などがでてくるんですね。しかし、この記事が示していますが、人類の大きな視野で見て、社会主義の理想と可能性ですが、それは、いくらあれこれの逆宣伝によって消と去ろうとしても、真実と理性があり、現状の苦難がある限り、問題の打開策として注目されてくるんですね。そうしたことの、基本的な考え方の一側面ですが、蔵原惟人さんの『レーニンの思想と現代』に、一つの貢献として残されています。
2017年11月09日
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危険な軍拡路線 2017年11月7日火曜日(これは、前衆議院議員の畠山和也氏(日本共産党 北海道)の発信しているブログ「はたろぐ」からです。) 米国の武器セールスを受け入れる安倍首相--この問題を私は、今年2月の予算委員会で取り上げています(こちら)。 詳しくはリンク先をご覧いただきたいのですが、この時に問いただしたのは、その「買い方」でした。 日本が米国から武器などを買うときは、軍需産業の民間会社から買うルートと、米国政府から買うルートがあります。 私が質問したのは米国政府から買うルート(有償軍事援助=FMS)。 援助どころか実態は、米国が価格や納期、契約解除の決定権まで握る米国優位の契約なのです。 だから例えば、米国が必要とする武器のために、日本には際限なく後回しにされることも理屈上はありえます。 そんな一方的な契約が、安倍政権のもとで急増してきたのでした(グラフ参照。なお2018年度予算の概算要求では4804億円と跳ね上がっています)。 このFMSのなかに、トランプ大統領がセールスを展開したF35戦闘機やオスプレイの購入費用も含まれていて、この制度を見越した発言と思われます。 日米での軍事一体化を進めるのみならず、米国が対テロ戦争以降に国防予算を削減してきたもので、米軍需産業の受け入れ先として日本に押し付けているというのが背景です。 とにもかくにも危険きわまりない軍拡を進め、さらに「死の商人」とも蜜月となる日本外交で本当にいいのか。 北朝鮮情勢を理由にすれば、軍事拡大が何でも可能となる道で本当にいいのか。 結局、日米首脳会談では、北朝鮮問題について外交的解決よりも、軍事的選択肢も認めるということを表明した安倍首相。 国際的にも、米国内部からも、外交・経済的選択肢こそ取られるべきとの声があるのに。 このままでは偶然に弾が一発飛んだだけでも、衝突となってしまうのではないのでしょうか。 国会でただせないのが残念ですが、さすがに武器セールスにまで公然と従う安倍首相の姿勢には批判の声も出てきているし、世論と運動を大きくするために私も力を尽くしたい。 今日は全道地区委員長会議や、道議団・札幌市議団へのあいさつまわりなどなど‥‥明日は稚内市へ向かいます。 【今日の句】 どこまでも ついてく危険な 下駄の雪 追伸 「日本の政界を広く覆っている「日米同盟絶対論」が、軍事費増大の背景になっていると思います。根本からただしていく日本共産党の論戦が、本当に大事だと痛感しています。」 当方のコメント 「国民生活を切り縮めて、軍事費を増やしはじめたのは、第二次安倍政権ですね。この資料は重要ですね。 2012年12月総選挙で自民党119議席から294議席に増えたことで、第二次安倍内閣が誕生し、しかも単独過半数をもつことになったためですが。それは民主党政権への国民の失望が揺れ戻し的に利用されたためです。今回の前原・小池路線の昨日の姿でした。 この間も、大きな視点で見れば、ずっとその枠内にあること。 やっと、野党と市民との共闘が、参議院選挙につつくこの総選挙が、これを本当に変えることへ、その可能性をもちだしたということですね。」
2017年11月09日
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早川のみかん園と周辺を案内しました本日、11月7日の関東は、秋晴れでした。今日は、日ごろ、多摩の朝市を主宰して奮闘している方たちを、早川のみかん園と、その周辺ですが、みかん産地の様子を案内してきました。午前8時46分、小田原パーキングエリアからみえた富士山です。先週は、富士山に白く冠雪した姿をみれたんですが、その雪ですが、このところは一進一退で、今日は消えて夏の富士山に戻っていました。最初に、源頼朝の挙兵の地、石橋山の古戦場へ行きました。その地には、戦いで討ち死にした佐奈田与一をまつった佐奈田霊社があるんですが。本堂では、お寺の住職が一生懸命にお経を唱えていました。以前に来た時とは違って、大枠は元の古式ゆかしい彫刻、らんまなどを残しつつも、基本構造部分は、現代的にリニューアルの、建築補強がされていました。神社も、経年劣化に耐えれるように、耐震補強を加えていると見ました。この後、石垣山の、豊臣秀吉の一夜城をみてから、みかん園の状況を下見しました。当方は、多摩の方々とそこで別れて、本日の作業にかかりました。真鶴のみかん園に移動して、そこでみかんの収穫です。前回来た時は、台風22号が接近していた時でしたが、その後は、とくにこの数日間は、秋晴れが続ていてます。みかんの成熟ですが、ようやく秋らしい陽気ともに、この時期らしい様子になってきました。本日、早川のみかん園では、園主が3コンテナを収穫してくれていましたが、この真鶴園では、本日は1コンテナの収穫でした。太陽の光が当たると、みかんが輝いて見えます。採るべきか、あと少し待つべきか、今日のところは悩ましい迷いが続くんですが、ここまで来て早やもぎしたんでは、せっかくのみかんに対して申し訳ないので、今日のところは、収穫は抑え気味にしました。収穫したみかんですが、直ちに箱詰めしてJAの集配センターから出荷しました。1コンテナは約20キロ入りますから、5キロ箱で4箱分の出荷でした。集配所は、JAの倉庫の一角ですが、今日の倉庫は、これまでとは違って、地域の農家からみかんが沢山集まってきていました。「工場だから、写真は困るんです」と、注意が飛んできましたが、もうその時は、1枚ですが、写真を撮っちゃっていましたから、「すみません」でした。たくさんみかんが集められて、出荷作業が行われていました。だけどこれは、まだまだほんの序の口です。収穫作業が本格的な時期になると、大きなベルトコンベアーの箱詰め機が動き出します。まだ今の時期は、作業者は忙しくても、まだのんびりした手作業の段階です。まぁ、私などが手工業的にやっていることと、中身的には同じことをやっているんですが。そこはJAのブランド品ですから、ハイグレードなみかん出荷の仕事なんですが。これから、ゆっくり走りだした汽車が、徐々に速度を上げていくように、みかんの収穫・出荷作業も、週ごとに本格化して、年内いっぱいは大忙し、大わらわです。
2017年11月07日
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『平家物語』にも歴史の法則性が明日は、知人を、早川のみかん園を案内することになっているんですが、その際、せっかくですから、その周りも案内しようとおもっているんですが。 小田原・早川は、日本歴史の上で、二つの出来事がありました。 1つは、豊臣秀吉が天下統一する際の戦い、北条氏攻め、その石垣山の一夜城跡です。 石垣山はみかん園がある山ですから、その跡はすぐに見れるんですが。 もう1つは、源頼朝が最初の旗揚げの石橋山の古戦場です。石橋の古戦場は、石垣山の隣にあります。鎌倉時代の幕開けとなった戦さ、初戦の負け戦さが、ここを舞台にしてあったんですね。 ここまで案内する時間があるかどうか問題なんですが。とにかく、あらためて今回調べてみました。何がポイントかというと、源頼朝は石橋山で散々に打ち負かされました。しかし、その負け戦さから、わずかな短期間で立ち直って、関東武士の棟梁としての存在を示すんですね。この短期間の変化についてです。なぜ、それは可能だったのか。ここに歴史の法則といったものを感じさせられる、この点なんですね。 その材料、もとになる資料は、『平家物語』と『源平盛衰記』なんですが。 今回は『平家物語』です。 『平家物語』の中で、石橋山の戦いから、富士川の合戦までを拾い出してみました。 1、石橋山の戦いは、『平家物語』巻第五「早馬」に出てきます。 1180(治承4)年8月17日に源頼朝が伊豆役所をおそい、300余騎で石橋山に立てこもった。それを相模国の大庭景親が1000余騎でせめて、頼朝は7,8騎に負けて「大わらわ」になって土肥(湯河原)の椙(すぎ)山へ逃げた。それが福原の平清盛に早馬で知らされた、と。 (平清盛はカンカンに怒って、直ちに追討軍をあつめてくりだす。 頼朝は追っ手をなんとかかわして、岩海岸から千葉の房総へ小舟で逃げるんですね。この岩海岸が、真鶴のみかん園のある地なんです。) 2、その後で、その後の頼朝の消息が出て来るのは、同じ巻第五の「富士川」です。 有名な富士川の戦いです。 平家の追討軍は、1カ月後の9月18日には3万余騎をもって東国に出発する。 途中で軍勢は7万余騎にふえて、10月16日には先陣は富士川の西岸にたっした。 10月23日に、あすは両者が矢合わせする、と申し合わせてあったとのことですが。 富士川の東岸に布陣した頼朝勢ですが、木曽と関東の武士団が20万余騎になっていたそうです。石橋山で「大わらわ」の負け戦さをして、命からがら逃げのびて、それからたった2カ月チョットしか経過してないんですよ。それなのに、頼朝軍は20万の軍勢となって現れたんです。天下の支配者として平清盛が支配していたんですよ。ところが、関東の武士団は、その圧倒的多くが、ここで源氏へと旗がえをしたんですね。 どうしてこの変化は、 この短期間の政治的変化がおきたのか。 たった2カ月余ですよ。ここが問題ですね。結果は、ご存知の通りです。羽ばたきの音だけで、決まっちゃったと言われていますが。なんたって、7万対20万ですからね。その後の「政権交代」は、ここで決まったんですね。 私などが推測するんですが。 平氏は関西の都にあって、関東などの地方には重税や専制的なご都合支配を押し付けていたんじゃないですか。これに対して、関東の武士団の不満が一触即発になっていたのでは。それぞれの関東の武士団が一所懸命になってまもってきた土地ですが、これに対して平氏は勝手に自分の都合でいじくり指図してきた。そこに不安と不満が満ち溢れていた。その事態に対して、頼朝グループは、「あなた土地をあなたのものである」と安堵することを保証したんじゃないでしょうか。 そのために、関東の武士団が暮らしを守る闘いとして立ち上がり、ここを天下分け目の政治的軍事的戦いとして、短期間に変化・結集したんじゃないでしょうか。 根本には経済が原因になっていて、それがこの政治的戦いにつながった。この戦さのきっかけになって、これが社会を突き動かしたんじゃないでしょうか。 これは、私などの勝手な推測です。歴史家の人たちの研究成果を調べてみることで、たしかめる必要があるんですが。 これがあっているなら、日本史のなかに、唯物史観の法則性がはたらいていた例になるんじゃないですか。 この歴史観ですが、今の政治にこそ、つながってきます。安倍自公政権のご都合政治、庶民泣かせの医療福祉の切捨て策、戦争を呼び込もうとする憲法改悪の政治が幅を利かせている。これに対して、全国のしっかりした野党と国民の共同が対立する形で国民運動が広がりだしている。この事態を、より根本的につかむ上で参考になるんじゃないでしょうか。 これからの、野党と市民との共同をしっかりとひろげていく励ましになるんじゃないでしょうか。これが、この地を舞台にした歴史として、私などが紹介したいことなんです。 ところで、最近、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読んでいて、こんな一文を見つけました。これは、そうした関係を示唆しているんじゃないでしょうか。「この革命は、自分の立てた目的が茫漠として巨大なことに驚いて、たえずくりかえしてあともどりするが、ついに、絶対にあともどりできない情勢がつくりだされ、諸関係自身がこう叫ぶ。 ここがロドスだ、ここで跳べ! 」と。
2017年11月06日
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レーニンの読み方について蔵原惟人著『レーニンの思想と現代』(青木書店 1972年刊)が手元にあります。これは、1971年7月までの小論や講演、13本を集めた作品集なんですが。この本は、レーニンをどの様に読むのかということに、一つの焦点があります。この本の「あとがき」(1972年5月1日付)ですが、「私はレーニンを神格化することには反対である。だれよりもレーニン自身が生前そのようなわずかな現れにたいしても断固としてたたかってきた。しかし同時に、レーニンにたいする事実にもとづかない中傷や、ゆがめられた映像にたいしてたたかっていくことを、私たちの義務であると考えている」(P190)とのべています。本のタイトルにもなっている「レーニンの思想と現代」ですが、これは、1970年3月26日に「レーニン生誕百年記念講演会」(文京公会堂)でのものだそうです。いまから、40年以上も前のこと、私は大学一年生の春休みでしたが、その話の中身は忘れてますが、たしかこの講演をじかに聞いたんじゃないかと思います。レーニンの読み方について、大切な点を、厳しくも抜群の暖かさをもって語っておられました。それが、最近のことなんですが、知人が「こんな蔵原さんの本があるんだけど、読むかい?」とのことで、この本を、懐かしい講演もそのなかに掲載してあった本をプレゼントしてくれたんです。当時、1970年のころは、田舎から出て来た私などには、グラグラとゆれているようでしたが。「70年の安保・沖縄」が、ベトナム戦争が、社会問題となっており、革新自治体の広がりや、国政での革新政党の前進もあり、日本の国の政治の在り方がするどく問われていました。その中で、「マルクス・レーニン主義は暴力革命を肯定しており、日本共産党は暴力革命の党だ」などと、様々な反共宣伝・中傷がおこなわれていたんです。そうした中での、蔵原さんの講演でしたが、それはもレーニンの理論の今日的な理解の仕方を明確に説いたものだったんです。二つだけ挙げさせてもらえば、「レーニンはアカデミックな学者でもなく、いわゆる客観主義的な、傍観者的な評論家でもなく、何よりも革命的実践家でありましたから、闘争に必要な場合には、それが当面の重要な一環である場合には、その一面をとくに強調することがよくありました。これは他の問題にかんしてですが、彼は自分でもこう言っています。『経済主義者たちは、ステッキを一方にだけ曲げた、ステッキをまっすぐにするためには、それを他の方向に曲げることが必要であった。そしてこれこそが私のなしたことである』私たちがレーニンのものを読む場合にも、このことを考慮する必要があると思います。』(P21)「マルクス、エンゲルスも同様ですが、レーニンの思想を現在の日本に生かす場合に、私たちは二つのことを考慮する必要があります。その一つは、レーニンの死後、かれの思想が誤解され、意識的、無意識的にゆがめられてきたのを、レーニンに立ちかえって正すことであります。その第二は、レーニンの時代のロシアと世界、それから現代の日本と世界―この二つの時代と二つの世界における条件の相違をはっきりと識別して、レーニンの語っていることのうちの何が現代の日本にあてはまるのか、何があてはまらないのかを明らかにすることです。いいかえれば、、レーニンの理論と実践を教条としてうけとるのではなく、行動の指針として受けとるということであります。」(P25)とくに、蛇足を一つたせば、『国家と革命』というのは、革命論の一般を述べた理論書ではなくて、ロシアの先制国家の遺制が強く残っている国家の下で、その現実的で具体的な条件のもとで、目前に迫っている課題を明らかにしようとした著作です。だから最終章は現実の事態が切迫し展開したことにより書けていないんですね。まさに特定の条件下でステッキを曲げなおそうとしているんですね。そこのところを丁寧に見極めて、十分にしっかりと説いていかないと、なにか全体が誤っているかのごとく誤解を与えかねない、そうではあるまいと私などは感じている次第なんですね。今にして懐かしく、かつての講演ですが、今も大切な観点だとおもいます。あらためてそれを読み返して、やはり感じた点です。
2017年11月04日
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みかんの、今季初めての朝市でした11月4日は、今季初めてみかんの本格的な朝市でした。幸いにして、用意した23袋を、すべて完売することができました。午前9時からの朝市は、群馬からの白菜やリンゴなどとともに、今季、初めて、みかんを本格的にならべましたが、すべてを完売することができました。早川で収穫した早生みかんです。1.2キロで300円、大体ですが、これは産地の価格です。小田原産のみかんは、産地としては北限のみかんです。八百屋さんには、今、九州や四国の早生みかんが並んでいますが。この西湘みかんは、酸味の中に甘さがある、昔ながらのみかんの味です。淡白な甘さいっぺんとうのみかんではないんです。『酸っぱさの中に、甘さのあるみかんだよ』幸いにして、この味を好む人が、ポツポツとでてきます。生産者としては、赤味が少し出た完熟ミカンしか採らないように努めています。これが、生産者のポリシーとするところなんですね。それでも、もちろん、中には『酸っぱい!』という人いますが、それは、人それぞれの味覚のこのみでもあり、仕方ないと思っています。この味の愛好する人たちをみつけるべく、ひろく働きかけるしか、仕方ありません。今回、もう一つ提供したのは、かりんです。これは新手の商品なんです。ロシア民謡にも「カリンカ、カリンカ、カリンカマヤ」との歌があります。それが、この果実のことであるかどうかは、知らないんですが。もしも同じ果実だとすると、これは北国の果実ですね。これは早川産のかりんですが、当方としては、果実酒用に試してほしい、ということで提供しています。「百聞は、一見に如かず」で、試しとして、一つつけ込んだものを展示しています。その味はどうかというと、一年後までまたないと、まだわからないんですが。まぁ、これは、おまけということで、お楽しみですね。みかん農家の本題はというと、この11月からの早生みかんですし、これから12月いっぱいにかけて、温州みかんの大商いです。今年は、気候不順で、夏の梅雨のような天気と、秋晴れの少なさで、果実農家としては、けっして好ましい条件の年ではなかったんです。しかし、それを補うのは、収穫の仕方です。当方は、みかんが成熟するのを待って、あくまで完熟したものしか採りません。このため、八王子―真鶴・早川間を、週に二往復することも覚悟しています。一括採取も、早やもぎもせずに、赤みがかったみかんしか採りません。このポリシーをまもって、みかんらしい最高の味を届けるようにしていきます。これが当方の、道楽農夫ならでわの、美味しいみかんの秘訣なんですね。ということで、いよいよ今年も、みかんシーズンの到来です。
2017年11月04日
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サンド『愛の妖精』(宮崎嶺雄訳 岩波文庫)を読むジョルジュ・サンド(1804-1876)の『愛の妖精』を読みました。岩波文庫の宮崎嶺雄訳で読んだんですが、この第一刷発行は、1936年9月5日とのことでした。私がこの作品を読むのは二度目なんです。以前、4月27日に「世界少女名作集 足沢良子訳 岩崎書店 1973年」で読みました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201704270001/細かくは突合せしてませんが、足沢訳は、読みやすいように活字を大きくして、少しコンパクトにしてあるようですが、全体として妥協なく、よく原本を紹介していることが、わかりました。私などが、ジョルジュ・サンドの名前をしったのは、マルクスの『哲学の貧困』でした。この著作の最後におかれた、「戦いかしからずんば死、血なまぐさき闘争かしからずんば無。このように、問題は厳として提起されている。 ジョルジュ・サンド」、この一文です。どこからとられたのかはわからないのですが、単刀直入に核心を提起しています。私などは、ジョルジュ・サンドという人の、そのものを知らないんですね。この『愛の妖精』ですが、フランスの農村が舞台です。双子の兄弟がいて、その弟・ランドリーが主人公です。岩波文庫の本カバーに紹介があります。「フランス中部の農村地帯ベリー州を背景に、野生の少女ファデットが恋にみちびかれて真の女へと変貌をとげていく。ふたごの兄弟との愛の葛藤を配した心憎いばかりにこまやかな恋愛描写は、清新な自然描写とあいまって、これをサンドの田園小説のうちで屈指の秀作としている。」まわりは、農村のひとたちの共同体社会でのことです。兄弟の両親ですが、これがフランスの自営農民の家父長制というものでしょうか。著者サンドの特質でしょうか、そのなかでの人間のやりとりをじつに丁寧に、デリケートに描いています。最初は粗野な少女としてみえたファデットが、さながら幼虫がチョウにかわるように変化していく様子が、その会話と人間関係が描かれていきます。この丁寧さと向上性が、ジョルジュ・サンドの魅力なんでしょうね。『ランス文学案内』(渡辺一夫・鈴木力衛著 岩波文庫)による紹介では、ジョルジュ・サンドは、ロマン主義の代表的作家として紹介されています。この作品は1849年の作で、その活動の4期に区分されるうちの第3期田園小説のものとのこと。第1期の作品で、女性の解放、女性の地位向上、女性の情熱の肯定が描かれているとのことです。第2期では空想的社会主義の小説を書いているそうです。残念ながら私などは、目下は、この『愛の妖精』しか目にすることができないのですが。まぁ、これを読んだだけでも、サンドの魅力ですが、少しですが分かるような気がします。フランスの、ある時期、ある場所を、旅してきたような気がします。
2017年11月03日
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2017年10月のみかん作業のまとめ10月はみかんの収穫が始まりだし、自然の秋の恵みを感ずる時期です。今年は、天候不順で晴れ間が少なかったことと、9月28日の冒頭解散で、10月22日投票の第18回総選挙がありました。一、早川の自然は、じつに恵み豊かです。今は、みかんを並べる目前で、本来なら店開きする前なんですが、みかんも色づき始めて、あと少して収穫に入ります。みかん農家に一年の苦労が形になる時期です。本来なら、農閑期もあったはずなんですが、当方は、この一年、昨年の暮れからずっと団地の朝市に、早川の産物を提供してきました。この10月で見ても、手をゆるませてはくれません。朝市への出品をふりかえってみると、 9/29 10/7 10/14 10/21 10/281、ミョウガ ・・24 57 42 22 82、栗 ・・・ 18 12 8 53、スダチ ・・ - 39 8 15 4、柿 ・・・ - - - 15 375、アケビ ・・ - - 15 40 376、みかん ・・ - - 8 15 21みかんの前から、秋の果物を提供してくれているんですね。これらは、スダチ以外は、すべて早川の石垣山の豊かな恵みです。多摩の団地では、10月7日には秋の感謝祭が開催されました。これも朝市のおかげです。普段は静かな多摩の団地ですが、そこにある大きな力を見させてもらいました。二、総選挙の方は、突然の解散・総選挙だったんですが。これは、八王子小選挙区の飯田みやこ候補です。2015年9月に戦争法が強行されてから、日本の政治は新たな動きが始まりだしています。戦争への道、憲法改悪を防ぐためには、国民は政治力をつくらなければならない。安倍自公政治を倒すためには、民主・平和で一致する野党は力を合わせなければならない。共産党を含む共闘というのは、戦前・戦後の政治で初めての動きですよ。国民は、日々の苦難の体験から、新たな道を探り始めているわけです。参議院選挙にひき続いて、この第48回総選挙でも、「希望の党」を選挙目前に立ち上げて、反自民の世論と政治力をかき集めようとして、民進党を吸収して、この間の野党共闘を壊そうとしましたが、できなかった。国民の良識が、新たな共闘づくりということを後ろ押ししたんですね。すべては、これからですが。三、学習は、この選挙とその結果をどうみるか、それが一つのポイントですが。私などは、この間、『ドイツ・イデォロギー』で唯物史観を学習したんですが。エンゲルスは、『フォイエルバッハ論』(1886年)を発表して以降も、書簡の中で、この社会観について、アドバイスをいろいろ残していたんですね。私なども、哲学や、文学もそうですが、政治史も、法律も、社会論も、今の社会の中で、学びかえすことが求められています。「この理論は、教条ではなくて、行動や探究の方法なんだ」と。今年は、『資本論』刊行150年だそうですが、レーニンも「マルクス主義の歴史的発展の若干の特質について」(第17巻1910年12月)で、このエンゲルスの言葉を紹介しています。そして、生かそうとしています。私などが思うのに、マルクスにしても、レーニンにしても、それぞれの時代の制約は免れないと思うんです。人は誰しも時代の子なんです。神様じゃないんです。今日の到達点からだけ評価したら、いくらそうした先人にたいしてでも、正しい評価はできません。肝心なのは、その方法だと思うんです。これは生きているし、それによる努力は人類の宝だとおもうんですね。けなしていた、けなす人の良識が問われることになります。私たちが学んで生かさなければならないのは、まさにこの基本的な方法という点だと思うんです。ところが、スターリンや中国の、また社会主義国の崩壊の、悪しき歴史的の経験によって、科学的社会主義の理論の全体を斜めに見てしまう見方を、あちこちで目にすることがあります。だけど、日本の歴史には、戦前・戦後の先人たちは、自主的で批判的な姿勢で社会主義の理論を扱ってきたこともあると思うんですよ。そうした日本の宝の歴史もあると思うんですよ。その生命力に富んだ事業というのは、今の日本の政治にも見てとれると思うんです。そして、とどのつまりは、今を生きている人たちの肩に、まじめに歴史に学んで国民の苦難を解決しようとする一人ひとりの努力に、すべてはかかっていると思うのです。10月の学習から、感じている点です。
2017年11月01日
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