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みかん園の2月は草取り作業の始まりです春分も過ぎて、2月も後半になると草取り開始です。今年のみかん栽培ですが、これまでとは、だいぶ様子が違ってきているんですよ。もちろん、自然のサイクルは同じなんですが、仕事始めの、みかんの木の樹冠下を草取りして、中耕作業が始まりだしています。放っておくと固まりがちな土ですから、中耕して通気性のある土壌に改良しています。まもなく、あと少し暖かくなれば、元肥の肥料を施肥しますから、その下作業でもあります。苗木なんかは、繁茂して来る雑草に覆われちゃいますから、なにも雑草を育てるために肥料をまくわけではありませんから。草取りは、苗木の生育の促進にとっては大事な手入れになっています。そこまでは、例年とたいして変わりはないのですが。この時期は、中・晩柑が収穫できるんですが、今回から、早川園の柑橘類が販売できるようになったんです。この時期の柑橘ですが、これはレモンです。レモンの木には刺があって、簡単には収穫させてくれません。真鶴園は、5個くらいしかならないんですが、早川の「だんだん園」は、違うんです。さらに、これは私など初めてですが、文旦です。ザボンともいいます。大きな、大きな果実です。グレープフルーツに近いでしょうか。この収穫もあるんです。この他にも、早川の「だんだん園」は、自然豊かですから、金柑や清見、湘南ゴールド、甘夏、日向夏と、続いていきます。これは、真鶴園の清見の木です。鳥に取られないようにネットを被せてあるんですが。清見は、宮川早生とネーブルを交配させたオレンジ系です。とてもジューシーで、美味しいんですよ。ということで、これまでの年は、この時期は、草取りがもっぱらだったんですが、今回は違うんです、早起きして出かけて、午前中のうちに草取りして、そのあとには、時々の柑橘の収穫があるんです。それを搬送してきます。なんたって、生産物は販売が重要でしょう。去年の暮れからですが、多摩の団地で、朝市が開かれるようになったんです。販路の目途がひらけたんです。朝市の一角で、「早川・真鶴みかん」もならべさせてもらっています。何しろ野菜は、地元の農家が作ったもの。新鮮でとれたて、美味しくて安いと、好評なんです。月に2回の朝市ですが、すっかり恒例になりつつあります。みかんの方も、その都度、並べさせていただいてるんですが、なんだかんだと言っているうちに、品切れになったりして、「今日は、レモンはもうないのか」「金柑はないのか」などの声もあり、これまでとは、だいぶ様子が変わってきました。生産者にとっては、うれしい状況が定着しつつあります。同じような作業をしていますが、ということで、今年はいつもの年とは、だいぶ様子が変わっています。
2017年02月28日
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またしても、宮本百合子「現代の主題」を読みました一見すると行ったり来たり、人間の認識はラセン的です。 たった数日前に「現代の主題」を読んで発信したばかりなのに、今回、その 次の作品へすすむ前に、念のためと読み返してみたんですが、なんとなんとまた発見です。 1、「現代の主題」で、百合子が一番言いたかったことは、なんだったのか。 昭和の14年間もの長く続いた軍国主義、治安維持法による国民生活の取り締まりにより、国民精神は歪み委縮されられた。百合子がこの論評を書いた時は、まだ敗戦から一年余でしたから、この問題は現実的だったんですね。癖のように傷跡が残されていること。この事態を確認することが問題ではあるとおもいますが、重点はもっと具体的なんです。それが、敗戦の1年余をへた時点で、それがどのように足かせになっているか。 本当に日本の自由と民主主義を前にすすめるには、どの様な問題があり、どのような努力が必要か、それを1946年8月26日時点で検討したということだったんですね。 2、この評論には、当時(終戦の1年後)の雰囲気がよくとらえられていると思うんです。 近代の日本の歴史がもつ封建制の特性の問題ですが、この点は「歌声よ、おこれ」の論点の一つでしたが、その時点よりも問題の展開が広く深められています。さらに問題は、過去の歴史分析だけではないんです、それが戦後1年余の社会状況において、どのように影響しているか、その現れを捉えられていることです。 あちこちで聞く言葉ということで、こんな世間から聞こえる声から問題に入っていきます。 「民主日本の扉が開かれることになって、・・・新鮮なおくりものを期待していたところ、その現実には案外に飛躍性が現れてこない」とか、進歩を論じた論文に「その文章の行間をつらぬく気迫において、何かが欠けていてものたりない」とか、そうした声を検討するところから問題を検討していっている。 そうした声の底には、野蛮がもたらした精神の萎縮や、今でも癖として、民主主義への懐疑などの形で現れていることを分析していっているんです。さらに、 「歴史の必然性についてはもう分かっている、なにかそれを実感できるようにしめしてくれ・・などの本願他力の心理的要求が」ひろくあると指摘しています。この自主的批判的な姿勢が弱く、ものごとを他力本願に見がちな風潮があるというんです。これは、69年前の社会の意識分析ですよ。どうやら今日でも、歴史的に形を変えて引き継がれているようです。 また、こんな具体例な若者たちの例も引いて問いかけています。 「今日の若い世代にとって、恋人たち」にとり、親から言われた結婚話ではなく、当人たちの駈け落ちの自由論があるが、「駈け落ちが、愛を主張し、その主張によって行動する解放の方法として、現実に訴える力をもっているだろうか」と。 現実問題として、食べ物や、収入や住まい、失業の問題はどうするのかと、具体的な諸条件を対置して、若い人たちに考慮をうながしています。 これは、今日のテレビ文化、芸能がはやり、豊かな社会が氾濫しているなかにも、現実性として響くと思いませんか。 3、さて、「現代の主題」で、宮本百合子が提起している結論ですが。 最後の部分にありますが、その結論部分を抜粋すると、次の様な点です。「それは、ひたすらに一人前の青年であろうとすることである。日本の民主の段階はここにある」「わたしたちの精神が自身面している歴史の波瀾のうちに美と詩と慰謝とを見出しうるのは、わたしたちの精神がしっかりとその脚の上に立ってゆくべき一筋の現実の道をそこに把握し確信したときである。私たちの善意が強力な構成をもったときである」と。前回、この作品を紹介した時に、こうした一番肝腎な点が、大事な側面が抜けているところに、至らざるところがあります。認識のラセンの問題があります。 4、 2月23日付『赤旗』に治安維持法に関する記事が出ていました。「読者の広場」の欄ですが、 安武ひろ子さん(神戸 88歳)の話が掲載されていました。 戦時下の昭和18(1943)年、鹿児島で俳句の同人誌が弾圧されて3人が送検された。 1980年に、安武さんは国会で質問したそうです。当時鹿児島県の特高課長で事件を指揮した人に、「特高時代を反省しているか」と。 これにたいする答えですが、「当時は治安維持法があった時代でございますので・・・」だったそうです。 なにも治安維持法の有無を聞いたのではない。問題は、今日の憲法の下の民主主義社会にあって、普通のなんでもない同人誌までも弾圧するようなことは、今日から見たら誤りではなかったのか、これが安武さんの質問です。 これは奥野元法相の『私だけの責任ではありません』とでも答えたら、まだしもなんですが。そうではなくて、「時代一般がそうだったから、やむをえない」とこたえているわけです。やむなしと答えているんです。ぼやかして。これは奥野氏だけではないんです。歴代の自民党の閣僚は、戦前の治安維持法による取り締まりについて、反省を公言できていないんですね。そもそもアジア諸国への侵略戦争についても反省が出来てないんです。口が裂けても反省を言わないだけじゃない、その根本に肯定論があるんです。そうした人たちだから、憲法論からなにから、前世への追憶があるんです。弁護士や法曹界が反対する「共謀罪」法案成るものもまたぞろ同じです。形を変えて、くりかえし、くりかえし通そうと狙っているんですね。ここに今の日本の政治の現実があります。これまでのようには、ごまかしで言いくるめられませんよ。 5、結論です。私などにとって問題は、戦後の空白感をうめるということが、出発点だったんですが。宮本百合子は1951年には亡くなっています。すでに、この文章が書かれてから70年がたったわけですが。問題は、今日の問題です。ここで提起された事柄ですが、その後の歳月を重ねてきたことで、はたしてクリアーできたかということです。 宮本百合子が指摘していた問題ですが、それから70年たった今日でも、形こそは多少変えてますが、依然としていまでも、いや今まさに綱引きの最中にあるということです。 ですから、私などの空白をうめるためにも、この10編の文芸評論をはやく通読すること。いや以前に通読したことになってますから、今日的なラセンとして理解するようにすること。 「わたしたちの精神がしっかりとその脚の上に立ってゆくべき一筋の現実の道をそこに把握し確信」すること、それはこの課題の一歩なんですね。これを、私なりに、今果たしておくことが必要だということなんですね。
2017年02月26日
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真鶴と早川で草取りをしてきました2月25日は、真鶴と早川で草取りをしてきました。陽も日中が少しのびて、寒さも底を過ぎつつあります。この時期のみかん園は、草取りと土壌改良です。真鶴園の草取りは3ラウンド目だったんですが、終了しました。これが最後の草取りで、宮川早生の小木でした。やれやれ、草取り作業は終了です。このあとは、もう少し気温が高くなってから、樹冠下の中耕したところに元肥を施肥をする予定です。今日は、真鶴園を済ませた後は、昼頃に早川の市民みかん園に移動です。ここでも、同じように、みかんの木の樹冠下の草取り始めただしたわけですが。ところが同じ草取り作業でも、真鶴と早川とでは、だいぶ様子が違うんですよ。これは、作業を始める前の小木の状況です。自然になじんでいますが、これなら樹冠下の草取りなんて、簡単に出来そうに思うでしょう。ところが、違うんですね。次の写真は、草取り作業を終えた小木の様子です。樹冠下を中耕しようとして、その刈った草を根回りによせたんですが、その量が、真鶴と比べると、尋常な量ではないんです。小木によせようとすると、小木の基幹が刈り草で埋まっちゃうくらいになるんですね。それだけ雑草が密集していて、雑草天国の状態なんだということです。早川園では、今日は8本の木を草刈りしたんですが、まだ、半分の木が残っているんですが。これ以上、根をつめると、ヘトヘトになっちゃって、今日予定していた金柑やレモンの収穫に支障が出ますから、残余の草取りは、次回に残すことにして、今日はここまでとしました。早川園の作業を終えた景色です。ふーっと、深呼吸したくなるでしょう。この景観のすばらしさは、最高の宝ですね、諸々の疲れを癒してくれます。もっとも予定の作業が終わらないことには、この景色を見ようなんて気持ちは、とてもおこらないんですが。この写真の中央に、小田原城も見えてますが、わかるでしょうか。何しろここは、一夜城が築かれた石垣山の東側斜面ですから。豊臣秀吉が天下統一の最後の戦-小田原・北条氏攻めで一夜城を築いたところです。きっと、秀吉もこすした景色を見下ろしていたんですよ。「兵どもの夢のあと」で、その城郭の跡がそのまま残っていますし、石垣山はみかん畑になっています。そのために、歴史の跡が、そのまま、しっかりと保全されているわけです。これだけ、自然が保全されていて、相模湾の暖かい潮風もあたり、日当たりもよいわけですから、雑草の方も、それだけたくましく繁茂してくるんですね。まぁ、しばらくの間は、この雑草との根競べです。真鶴と比べても、この後の草刈りの回数が多く、何回も何回も草刈りが続くわけです。自然の多産さは、みかんだけという都合はいかず、雑草も繁茂させるということです。この先は、もう今回のように鎌を手段にしていては仕事になりません、みかん園全体の草刈りは、エンジン式草刈り機の活躍するところになります。これがないと人間は負けちゃいます。機械がない頃はどうしていたのか。まあ、春のみかん園の作業ですが、これが新年度の仕事始めです。
2017年02月25日
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『歌声よおこれ』から「作家の経験」を読む 宮本百合子の『歌声よ、おこれ』(新日本文庫)は、文芸評論集ですが、戦前の3作と戦後の7作が紹介されています。この「作家の経験」は、戦後の3番目で、1946年11月11日に執筆され、47年1月の「展望」に掲載されたそうです。 P101から119までの19ページ分で、41段落からなっています。 当方は、文学をほとんど読めていません。せいぜい学校の教科書に紹介された作品の名前くらいしか知らないんですね。 それが、どうしたことか、この大海に乗り出しつつあるんです。きっと、現在を知るためには、ある程度は文学の歴史についても知らなければならない、と感じさせられたからでしょう。この宮本百合子の『歌声よ、おこれ』をヒントにして、文学の世界に船出しようと思っている次第です。 今回の「作家の経験」ですが、これは、宮本百合子が終戦から1年余が過ぎた1946年11月という時点に立って、自身の体験から戦前のプロレタリア文学について、その経過と成果を紹介しようとしている作品です。 何故、そうした紹介が必要なのかということですが。治安維持法の弾圧で解散させられバラバラにされた認識状況を、まとめようとしているんですね。 1931年の満州事変以降、日本の民主文学運動が置かれた状態ですが、次の様な状況だったことが紹介されてます。 第3段落「惨憺たる日本の現実は、十何年かの昔、日本文学の発展途上に提起されていたいくつもの重要な課題について、その後今日まで、一度もまともにとりあげ話しあう折を与えずにきた。」「日本のプロレタリア文学運動が凶暴な嵐に吹きちらされた1932年以来、当時、未熟なら未熟なりの誠実さで論じられていた諸課題が、討議されているさいちゅうであったその姿のままで、ちりぢりばらばらに、今日文学のあちこちに存在している。」 弾圧によって、議論されていた様々な問題が、バラバラにされたまま敗戦をむかえた。今日(1946年)まで、10数年にわたって、議論するどころか、その存在が、禁止されてきたんですね。その後遺症を引きずったままだったんですね。 日本のプロレタリア文学運動がまとまりだしたのは1928年頃からだそうで、「唯物弁証法的創作活動の問題」、「世界観の問題」、「前衛の文学の問題」などの問題が取りあげられていたそうです。文芸の評価の基準も問題になっていたそうです。 私などには、どういうことか、わかりませんが。当事者の説明です。当時は、客観的な批評ということも、「外在批評」といった言葉で提起されていたというんです。なんと、これじゃぁ、分からないはずですね。これも歪みの現れですね。又こんな指摘もあります、「当時の文芸批評は、すべて主観に立つ印象批評であった」と。私なども、感想や意見をいうことがありますが、評価の仕方にいろいろあるというんです。対するに、「評価の社会性」などという言葉も出てきますが・・・。まぁ、戦前の文学活動については、何かしら学ぶべき問題があるけれど、それをつかむには、それなりの努力が必要だということです。 さて、この評論の後半ですが。第19段落「こういうあらましのいきさつを経て、今日の私たちは、民主の日本を建設するという課題に当面しているのである」と。ここからが、本題なんですね。 戦前のプロレタリア文学運動の成果を、どの様につかんで、それを今日にどう生かすか、これが後半の問題であり、中心テーマです。 そのタイトルは、「世界観について」と題されています。 この中で、「文学と政治の問題」「リアリズムの問題」とか、いろいろ述べています。 だいたい、全体はそういった組み立てです。それほど簡単には、私などが、それらの中身を理解することは出来ません。それが出来るようなら、ものごと苦労は無いわけです。私などは、これらの文学の世界を、この知らない大海のなかに、これから、この小論などをヒントにして、少しずつでも探ってみたいと思っています。まずは、とにかく、この宮本百合子の10作の文芸評論を知るところからですが。
2017年02月24日
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宮本百合子著「現代の主題」を読んで「現代の主題」は『歌声よおこれ』(新日本文庫)のなかにある一作です。 1946年8月26日に書かれた評論で、『世界』46年10月号に掲載されたものとのこと。 文庫にして16ページ分と短いものですが。 私はこの作品を、2年前の2015年5月8日に読んだことになっているんですが、その読んだ日付が書かれているんですが、ところが今回読んでいて、初めて内容を知るような感じなんですね。これはいったいどうしたことか。おそらく、認識がラセン的にすすんでいるもの、とでもしておきましょう。 ともかく、前回読んでいた時は、戦争法が国会の焦点として緊迫していた時でした。いったい戦後日本の再出発としての国民的誓いはどうなっていたのか、そんな問題意識が『歌声よ、おこれ』を再び手にさせたように思います。 やはり「歌声よ、おこれ」が、宮本百合子による戦後の最初の出発の呼びかけとして、印象的だったんです。それは治安維持法が廃止されて2カ月後の、1945年12月の執筆だったんですね。 その時いっしょに、今回の「現代の主題」も読んでいたはずなんですが、意識が氷の上を滑るように、それに比べて意識に刻まれなかった。こちらは、終戦から1年を経た時点で、その社会状況をふまえて書かれたものだったんですね。 「現代の主題」は、こんな問いかけから始まっています。 「平和・民主の一周年を迎えたという晴々とした歓喜の表情は、おたがいの目のうらにきらめいているだろうか」と。 そして「率直にいって、日本の初々しい民主の精神は苦しんでいる。わたしたち一人一人のうちに、民主の精神は、唐突なその目覚まされかたと同時に感じていた混乱、疑惑を、今日まだ十分に整理できずにいる」と自己問答をしています。 この評論の主題ですが、そうした国民の戸惑いはどうしておきているのか。どのような問題があって、それを打開していくにはどのような努力が必要なのか、これがテーマなんです。 昨今、私たちが直面している問題ですが、平和民主の憲法をもつ国で、どうして戦争法などが強行されるといった事態がおこるのか。時も状況も違うんですが、今回読んでみて、共通する問題があると感じるんです。この点が、今回初めて読むような新鮮な感じをもった点です。 ここでの百合子の認識ですが、分析といってよいと思いますが、日本の近代史がもっている歴史的特質について、「歌声よ、おこれ」でも分析していましたが、ここではその点をさらに深めていると感じます。 夏目漱石の業績とともに限界について指摘しています。白樺派についても分析しています。プロレタリア文学運動についてもふりかえっています。これらの検討の一つ一つがすごいんですよ、私などの文学史の空白をうめていく大きな刺激とも、ヒントともなるものです。 それをもたらした社会の封建的特徴ですが、 「日本の権力の半封建の野蛮さが、人間性をどれほど歪め終わらせたかという現実を、細かに眺めるとき、こころは燃え立つばかりである。なぜなら、人間性をそのように畸型なせむしにした権力は、よしんば急に崩壊したとしても、けっしてそれと同じ急テンポで、人間に加えられた抑圧の痕跡、その奇形は癒されないものとしてのこされているからである。」 と、歴史的に見ての、現瞬間の問題点を分析しています。 その傷跡が、戦中派の人たちや、若者たち、それぞれのこころにどのような歪みをあたえているかをとらえようとしています。それを観察し分析しているんですね。 そして、この歴史的な歪みを克服していくために、近代社会がどのような努力をしてきたか、科学の力がどのような役割をはたしていくか、すごい視野で考えているんです。唯物史観からみた社会における文学についても述べています。大きな、根本的な視野を提起しています。それが日本の民主的な発展に役立つはずだと、歴史な見通しを述べています。 この評論は、終戦の一年後に書かれた社会評論ですが、ここで宮本百合子は、戦後の民主的改革の複雑な展開を追跡しているんですね。本当の民主的な発展を切り開くには、そこにはどの様な課題があり、どの様な努力が必要か、それを探りつつ、そして説いているわけです。 私は、そこには現代に通じる問題があると思うんですよ。戦後の時点より、はるかにしっかりした、70年の努力の蓄積があると思うんですが。しかし、他方では、前時代にあこがれているような人が、政治の責任者なんですから。政治の仕組みもあって、それがまかり通っているわけですから。終戦直後とは別な意味で、やはり前にすすむ上での歯がゆさがあるわけですが。それは形こそ違っていても、同じような歴史的な制約の中にあるということです。その意味で、頑張れとエールが送られているのを感じさせられるんですね。 この評論「現代の主題」ですが、今ではなかなか見ることは出来ないと思いますが、その気になって探せば、不可能ではないと思います。 当時のインパクトもすごかっただろうと思いますが、現代においてこそ、多くの人たちが読んでほしいものと感じている次第です。きっと今をすすめる力になると思いますよ。
2017年02月23日
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今日は診療所の送迎運転でした多摩市の永山駅の近くに診療所があります。当方は、週に一日、そこの利用者さんの送迎運転をしています。今日は、午後から、3組の利用者さんの送迎をしてきました。多摩市は、多摩ニュータウンの団地が多くある街ですが、多摩丘陵の山並みを造成して街が出来ていますから、街のあちこちに、上り下りの坂道が多いんですね。健常者はそれほど不自由は感じないと思いますが、高齢者や体に支障のある人たちにとっては、なかなかたいへんです。まして、診療所に通う人たちにとっては、交通事情は大変なんですね。それで、診療所の「友の会」の事業として、送迎車の運行を始めました。今日は、午後から3人の方に利用していただきましたが、やはり、公共交通をたよりにた通院では、身体事情からして大変なんですね。私などにしてみれば、みかん作業で遠距離の畑を往復しているわけですから、それに比べれば、週一日の、送迎運転くらいは、お安い御用なんです。それで喜んでもらえるなら、お互いになによりなんですね。ところで今日は、送迎運行を終えて、車を駐車場に返していたところ、駐車場を貸してもらっているお宅の方と立ち話になりました。「そうか、あんたの車に積んである箱は、みかんの作業用なのか。うちにもデコポンと金柑の木があるんだけど、手入れはどうとたらよいのか」とのことでした。地域で動いていると、これまで知らなかった人たちとの新たな出会いや会話があるものですね。
2017年02月22日
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日本民主文学の精神を示す「歌声よおこれ」宮本百合子の「歌声よおこれ」は、1945年12月に書かれました。 サブタイトルは「新日本文学会の由来」、翌月に創刊される雑誌のために書いたものだそうで、文庫本にして8ページと、短いものです。是非、じかに読んでほしいのですが。 一、まず、これが発表された当時の社会状況についてですが。 私などは、1945年8月15日が終戦ですから、その日を期して日本社会は大きく変わったと思っていたんですが、実際はそう単純ではないようです。 1945年9月3日には、山崎巌内相が記者会見で「特高警察は現在なお活動を続けており、・・政府体制の変革、とくに天皇制廃止を主張するものは、すべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕する」と述べています。それが10月4日の新聞に掲載されたとのこと。 同じく3日、岩田法相は「司法当局としては、現在のところ、政治犯人の釈放の如きは考慮していない、かかる犯罪人を刑期より前に釈放することは裁判を無効にする」として、釈放を拒否したとのこと。この間の9月26日には監獄に入れられたままの哲学者・三木清が獄死したことが問題になります。日本社会の現実は、まだ変わっていないことがあきらかになったんですね。 この事態にGHQが動いて、10月4日にポツダム宣言にもとづき「政治的民事的及宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」(指令)を日本政府あてに命令したんですね。 この指令により、ようやく治安維持法違反で囚われていた政治犯が獄中から釈放されたわけです。 こうした錯綜した過程の中での、呼びかけだったんですね。戦前の露骨な反動勢力が政権からおろされたばかりのころで、まだ体制も維持され逆流も強いころだったんですね。 二、百合子は、はじめの方で、社会の全般について述べています。 「この数カ月間の推移によって、過去数十年、あるいは数百年、習慣的な不動なものと思われてきた多くの世俗の権威が、崩壊の音たかく、地に堕ちつつある。その大規模な歴史の廃墟のかたわらに、人民の旗を翻し、さわやかな金槌をひびかせ、全民衆の建設が進行しつつあるとはいいきれない状態にある。なぜなら、旧体制の残る力は、これを最後の機会として、これまで民衆の精神にほどこしていた目隠しの布が落ちきらぬうち、せいぜい開かれた民衆の視線がまだ事象の一部しか瞥見していないうち、なんとかして自身の足場を他にうつし、あるいは片目だけ開いた人間の大群衆を、処置に便宜な荒野の方へ導こうと、意識して社会的判断の混乱をくわだてているのであるから。 自由という名は耳と心に快くひびくが、食糧事情の現実は、わたしどもの今日に、飢餓と大書してそびえ立ってる。」 社会状況を知ると「この数カ月間の推移によって」は、反動勢力との緊迫した対決の最中にあることが分かります。まだ現在の憲法は出来ていません。この社会に対する分析はじつに的確ですね、現実の事態をその動きをするどく捉えています。1971年1月に不破さんが「宮本百合子の社会評論について」で、これは百合子没後20周年記念の夕べでの講演なんですが、この箇所が紹介されています。私などは講演をじかに聞いているんですよ。(『宮本百合子と十二年』(新日本出版社 1986年刊行)) 三、主題は、文学者のこうした中での責任と役割についてです。 現実に直面している問題ですが、 「胸のなかには未来への思いがあるんだけれど、すべり出す足がかりがはっきりしない感じがある。今日の日本文学をどこから新しくしていくか、わかっているようでわからない事態があると」。 こうした萎えた状態をきたしているには、二つの要因があると指摘しています。 一つは、明治文化の本質の中にある。明治維新が人権を確立するだけの力がなかったこと。維新から70年余の間、封建的な鎖に絡められていた。一人の社会人としての自我の観念も夏目漱石に不具の頂点を示していると。近代日本には歴史的な弱さがあると指摘しています。「不具の頂点」というのは「私の個人主義」などにも見られますが、日本の市民社会をつくろうとして体(胃)を悪くするまでに、夏目漱石がやっていた活動への積極的な客観的評価なんですね。もう一つは、1918年の第一次大戦後、文学の社会性が取り上げられたが、1931年満州事変とともに「反動の強権は日本における最も高い民主的文学の成果であるプロレタリア文学運動をすっかり窒息させた。そして日本の旧い文学は、これまで自身の柱にしてきた反動精神によって、自身も根底からうちひしがれた」と。 ここで、この1931年以降の戦争にすすんでいく14年間の日本文学の過程を分析しています。この本のなかには、戦中にかかれた評論『昭和の14年間』がありますが、それと同時期の過程について、ここでも分析しています。戦時にむかう中でも理性的な契機はあったけれど、作家の多くはそれを生かしきれなかったと分析的に明らかにしています。独特な高い観点です。同じ時期の過程ですが、戦後の表現は新たな自由民主の社会条件の変化に応じて、戦中の表現とは違って、短くはありますが重点的にはっきりとのべています。 百合子は、さらに、なぜ生かせなかったのか、批判力ができなかったのか、そうした事態をきたしたのか、その原因についても分析しています。 「その原因は、個性と文学の発展の可能の源泉として、日本の民主主義文学の伝統が、積年の苦難を通してたえず闡明(せんめい)にしてきた文学における客観的な社会性についての意義を、会得しなかったからである。文学において謙虚にまた強固に自己を大衆のなかなるものとして拡大しておかなかったからである」と。 こうした指摘は、にわかづくりで指摘できるものではありません。その客観的な社会と文学者、その作品の分析が行われていたからこそ、いえることですね。あの戦時体制の反動抑圧にもめげずに、しっかり努力していたということですね。なかなか哲学的にもしっかり分析がされていて、批判についても論証がされていて、励ましもふくんでいて、立派なものです。 四、この「歌声よおこれ」のしめくくりは、新たな時代に文学者に求められている基本姿勢が、励ましとともに抱負をもって、期待が呼びかけられています。もう紹介が、長くなり過ぎました。要を得た原典が一番でして、それに勝るものなしです。 この著作は、私などの戦後文学の認識の空白をうめていくためのヒントになると思って手にしたんですが、読み込んでみるとそれだけではありませんでした。短い文章だけど、日本の民主主義的な進路を拓こうとして、世界観的な思いをもって人びとによびかけたものでした。この訴え自体が立派なもので、国民的な宝といえる歴史的な作品なんですね。 この『歌声よおこれ』の中には、戦中・戦後の10篇の社会・文学評論がおさめられています。私などは、この機会に、それらをあらためて読み直しておくことの必要性を感じている次第です。
2017年02月21日
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大海への一歩、『歌声よおこれ』です当方の、昨年3月に職場を退職してからの活動ですが、2001年から引き継いだみかん農夫が、一つありました。そもそも、この「みかん栽培の四季」ブログはそれで始まったんですが。これは、真鶴の小さなみかん園を荒廃させないためでしたが、その後、知人の協力で、東京と西湘地域とを結ぶ活動になってます。しかし、みかん園を維持していくだけでは、不十分なんですね。戦後、一般的には小さいながらも自作農となった農家ですが、うちは、そもそも兼業で、自分たちの食べる野菜などを側らでつくる程度でしたが。時は過ぎて、私が50歳の時、みかんの木を手入れするはめになりました。このみかん園も、縁の一つなんですが、日本の戦後史の問題についての検討が必要になりました。2015年9月に、日本国憲法をもつこの国で、戦争法が強行されたのも要因です。今、自分たちが立っている現実を、あらためてとらえ返す作業が、みかん栽培とともに、自分自身の大きな課題になっています。安倍首相とその政権に、自分自身の姿勢を対置してつくるということです。戦後の空白感の問題は、政治家の逆暴走にも通ずる問題だということです。とはいっても、戦後についての歴史認識ですが、1950年生れの私などとしては、戦後の改革後に生まれたものとして、現行の民主主義が、文句なく自然なものとのきらいがあるんですね。敗戦後の大きな社会変化を、現実感をもって受け止めることは、簡単なことではないんですね。そうした折、1945年12月に書かれた『歌声よおこれ』(宮本百合子著)が、新日本文庫版1977年刊行が、手元にありました。これは、以前に読んではいるはずだったんですが。あらためて、戦中・戦後の歴史については、私などにとっては、当時の文学作品についても、社会を実感としてとらえる点でも、大きな空白なんですが。この百合子の文芸評論はちょうどよかったんです。これを参考にして、この大海ともいえる広い対象ですが、その社会を知るために、一歩を始めることにしました。この宮本百合子の文芸評論は、戦中に書かれたものが3編、戦後に書かれたものが7編、計10編が収録されています。ここには、私などの歴史空白を埋めていくための、第一歩としてヒントが示されていると思います。大体、今回の戦争法を、政治家が強行するなんてこと自体が、戦中・戦後の国民的な経験に対して、憲法として確認している成果を蹴飛ばすことですから。一人二人のはぐれガラスが言っていることならまだしもですが、政権とその政治家の多数がですよ、小汚い屁理屈をもって国民がもっている権利を捨てさせようと挑戦してきているんですから。これを漫然として見過ごすようなら、いったい近代の民主主義をどれだけ自分たちのものにしていたか、犬畜生にも失礼だということです。この時のはぐれガラスに対処するには、正確に歴史の重みと経験を再確認して、対置できなければならないということです。科学的にみれば、それらの挑戦は、戦後の常識に対しての非常識な反抗です。もちろん非常識は「ああいえば、こういう」で、政権をあげて屁理屈の鎧兜でかためていますが。この卑劣な言動にたいして、ただ「ひどい、ひどい」と憤慨しているだけでは不十分です。しっかりした正確な中身を対置していくことが重要です。根本的に全体の彼我がどういう位置にあるのか、歴史進歩の流れはどこにあるのか、それらを論証すること、それを国民自身の理性ある声として確認する必要があります。適当に済ますのではなく、そこまでつきつめきらなければなりません。 ということで、せっかくのみかん園を荒廃させないようにしたいと思うことは、それと類似することですが、せっかくの戦前戦後の日本国民の幾多の犠牲により獲得した成果とともに確認することが、その大仕事が、その背景にあるわけです。それには、独特の歴史の単純ではない問題があります。個人の特性の問題には、歴史的な背景があります。それは広大な分野が大海のようにひろがっています。分かっているようでいて、じつはあいまいさをもっている歴史がある。そこをしっかり自分のものにすること。その本当に自分自身のものに仕切れるかどうか、それが問われている問題があります。だいたい、踏み外している大の大人、多数の政治家もいるわけですから。前にある「戦後史の空白」がいくら大きな世界であっても、しかし自分から一歩の足を踏み出さないことには、いくら待っていても、向こうの方から成果や確信はやっては来ません。大洋のなかの小さな船のような、カメのようなささやかな歩みかもしれませんが、それでもこちらから、一歩を始めださなければならないということです。ということで、みかん園の草取りとともに、その一歩を「歌声よおこれ」から、はじめていきます。
2017年02月20日
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春一番の痕と、草取りの続き前回草取りした翌日の17日(金)には、関東にも春一番の嵐が吹き荒れました。本日、2月19日(日)は、真鶴園の、その草取りの続きに行って来ました。みかんの木は、しっかりと根を張ってますから特に問題はないのですが、草取りをすすめてきた先に、春一番の痕跡がありました。ミツバチの巣箱ですが、3箱が無残にも吹き飛ばされていました。ミツバチの方は、去年の10月下旬にスムシに荒らされて逃去しちゃってましたから、たくさんある巣箱ですが、すべて中は空だったんです。もしミツバチの群れがすんでいたとしたら、たいへんなパニックをきたしていたでしょう。巣箱は二重にベルトで固定しておいたんですが、何としたことでしょう。不幸中の不幸ですね。従って、まずは巣箱の建て直しが、本日の優先課題となりました。建て直しを完了、とはいっても巣箱の中はすべて空なんですが。さて、本日の本題は、前回に開始した草取り作業の、その続きです。午前7時から始めて午後11時まで、4時間の草取り作業でした。みかんの木の樹冠の下を中耕し、草取りをしていきます。この草取りの道具は、鎌と備中ぐわ、それとレーキです。中耕することで、通気性のある土壌に土壌改良されますし、もう少し暖かくなれば、そこに元肥を施肥しますから、この中耕は、その下作業でもあります。この作業が、次から次へと続きます。1本の木の草取りで20分くらいかかりますから、成木だけでも14本、それに小木がありますから、同じ作業を何回も繰り返すと、疲れてくるとともに、飽きてきちゃうんですね。そんなときに、時々ですが、モズやキジバトが回ってきます。「どれ、どれ、しっかり中耕したかな」と、餌探しなんですが、やって来ます。この小鳥たちのさえずりと動き、これがしばしの息抜きになるんですね。鳥を見かけると、その姿を撮ろうと思って、カメラを取り寄せに動くんですが、そして鳥にピントを合わせようとして操作していると、チョコマカと枝から枝へと動き回って、結局のところ逃げてしまうんですね。今日は数回試みてからは、二頭は追わずに、草取りに専念することにしました。鳥を静かに待っていればチャンスもあるんですが、そんなことで遊んでいると、本題の草取りが終わらなくなりますから、今日は草取りであり、高枝の剪定でした。順序は逆になりましたが、朝、畑に向かう時の、午前6時20分の富士山です。小田原サービスエリアからです。日の出前の白黒写真のようですが、空に多少赤味が出始めています。あとちょっと待てば、頂上に朝日が当たって、綺麗な朝焼けの富士山が見えるんですが。これも、その日出の時間を待っていると、草取作業の時間が削られますから、パスしました。おかげで、真鶴園の方は、8割方の草取り作業が終了しました。2月中には、すべての場所で、この草取り中耕作業を終わらせます。ヤレヤレですが、本日でその目途が出来ました。
2017年02月19日
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多摩の団地で朝市が開かれました2月18日午前に、多摩の団地で、朝市が開かれました。午前9時からの店開きでしたが、これは、開店した時点での様子です。『ねえ、これはいくらなのよ』『えぇーと、ちょっと待ってください。それはいくらだったかな・・・。カブは3個で150円、大根は200円です』せかされてドタバタの商売風景です。この朝市には、近隣の農家の方たち何軒かから、とれたばかりの、新鮮な野菜があつめられてきます。ゴボウ、小松菜、ホウレンソウ、キャベツ、ネギ、大根、ノラボウ菜、・・・などなど。それが、それぞれ台の上に並べているわけですが。当方が持ち込んだのは、レモンとダイダイでしたが、今回は、月桂樹のおまけつきです。主婦の目は厳しいですが、合格して売れていきます。当方も、今朝は午前9時から売り子役をつとめました。とくにダイダイなどはお飾りでしか知られておらず、一言の解説が必要です。「しぼってとっておけば、いつでもポン酢として重宝するよ」など、その使用価値のPRが必要なんですね。この朝市は、昨年の12月から始まったんですが、毎月2回のペースでひらかれてます。徐々に定着してきているようで、かなり好評です。だいたいこの冬場のシーズンに、これだけ多彩で立派な野菜がならぶんですから、地元の農家の人たちの技もたいしたものです。また買い手の人たちも、『こないだのは美味しかった』とか、『今日は、〇〇はないの?』とか、『これ随分大きくて、これじゃぁ食べきれないよ』とか、『帰りに寄るから、それまで品物をとっておいて』とか、いろいろと、うれしい声が寄せられています。当方の持ち込んだみかんですが、残りは、レモンが2袋とダイダイが7袋になっていました。ありがたいことです。これから、さらに金柑とレモンはもちろん、清見、湘南ゴールド、甘夏、日向夏など、早川・真鶴産の柑橘ですが、時どきに旬の柑橘類をとどけていきたいと思っています。
2017年02月18日
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新ライン新聞の「フランスの6月革命」論評に注目です当方は、政治過程について『フランスにおける階級闘争』を読んできました。1848年のフランス革命が、政治闘争について一つの典型を示すと思ったからですが。1970年代の学生のころに、読んだことはあったんですが、まぁ、それはひろい読み程度で、論述そのものをとらえることは出来きてませんでした。1848年のフランス二月革命に続いて、三月にドイツ革命がおきて、マルクスは、追放措置がとけて、ベルギーのブリュッセルからドイツのケルンにもどる。そこで「新ライン新聞」を発行しだしたわけですが。6月24日夜10時、「パリからの報道」として、パリの第一報が掲載されます。「新ライン新聞」6月25日付、第25号です。それから、パリの動向を追跡していきます。主に執筆したのはエンゲルスですが、「6月23日の詳報」(26日付 26号)、「6月23日」(28日付 28号)、「6月24日」(28日付 28号)、「6月25日」(29日付 29号)などです。「6月25日」の報道の締めくくりですが、「歴史は、彼ら、プロレタリアートの最初の決定的野戦の犠牲者たちに、まったく異なった座席を与えるだろう。」と結んでいます。マルクスは、6月29日付 第29号に「6月革命」という論評を掲載しています。私などが注目したのはこの論評なんです。そのマルクスの論評の書き出しです、「パリの労働者は優勢の敵により圧伏された。が、彼らはその敵に屈服したのではない。彼らはうちやぶられたが、しかし彼らの敵は敗北している。」その根拠となる事柄ですが、この論評の中に展開されています。この論評自体は、全集第5巻のP128から132の5ページ分と、短いものですが。その内の2ページ分は、1850年の『フランスにおける階級闘争』第一章の6月革命の部分に、そのまま使われています。まったく、歴史的な検証にたえ、正確な報道だったことの証です。マルクスたちはリアリストです。そこにはすこしも希望論や願望的などの憶測はみられません。フランス・パリで起きている事態を、様々な報道から客観的につかみ、報道しています。労働者の立場にしっかりと立って、それに連帯する立場で報道しています。二月革命の時に、すべての人たちによりとなえられた友愛ですが、それが空文句だったこと。その真実が、相対立した階級ということだった。そしてその表現がこのおそるべき形を取った内乱であり、労働と資本との戦いであった、と。この論評は、この革命は全体として、新たな社会的な意義をもつところとなった、それがマルクスの言いたかったことかと思います。この論評の結びの言葉です。「この平民、彼らのために、そのけわしく暗い額に月桂冠をまきつけてやること、これこそは民主主義新聞の特権であり、これこそ、その権利である。」と、マルクスは結んでいます。注目される、歴史的な論評だと思いますよ。私などは思うんですが、このフランスの階級闘争の経験は、1850年の1年後には『フランスにおける階級闘争』に、そして1852年には『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』にまとめられています。やはり、フランスの政治過程というのは、様々な意味で歴史的教訓をもっているとおもいます。それは、今日でも、たいへん参考になる問題を提示してくれているとおもいます。それを知りたくて、引っ張りだしたんですが。納得です。そして、同時にまなぶべき点ですが、これらの著作は唯物論的な歴史観によって一定の社会史を描いた「最初の著作」とされていますが、それは大きな歴史的な世界観と、その国のある時のリアルな状況評価との、両方の認識をすすめる契機となっていること、この歴史観を学ぶという点も大事だと思います。ついでなんですが、レーニンもこの二著作について大事にしています。1916年11月30日付のイネッサ・アルマンドへの手紙ですが、レーニンがマルクスのこの「六月革命」を読めたかどうかは分かりませんが、しかし少なくとも、「マルクス主義の全精神、全体系は、おのおのの命題を、a.歴史的にのみ、b.他の諸命題と関連させてのみ、c.歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求している。」との根本的な指摘ですが、これは、この著作と1895年エンゲルスの序文が、そのもとにあることは確かだと思います。
2017年02月17日
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みかん栽培の新年度のはじまり2月16日、いよいよ今日から、みかん栽培の新年度が始まりました。みかん園に行く途中ですが、午前7時56分の富士山です。小田原厚木道路の小田原サービスエリアから見えた富士山です。みかん栽培の新年度最初の作業ですが、それはみかん畑の土壌作りから始めます。これが、真鶴園ですすめている途中結果です。みかんの木の樹冠の下を中耕しているんですが、同時に草取りをして、基幹の側に取った雑草を寄せるようにしています。真鶴園では、午前8時半から10時半まで、6本を済ませました。午後からは早川園に移動して、やはり同じ作業です。みかんの木の樹冠の下を草取りをしながら、固まりがちな土壌を中耕していきます。通気性のある土壌にすれば、みかんの木の根が活性化して、木が元気にまるんです。早川園は、午後1時から2時までの1時間の作業でした。この中耕作業をしていると、雑草の下からミミズが出てくることがあります。ミミズは、雑草のはった地面の下で、寒い冬場を越してきたのかと思います。数は少ないんですが、ときどき見かけます。このみかん畑の中耕作業をしていると、時々、小鳥たちがやってきます。あちこちを循環しているかのように、時々やって来ます。この鳥はモズでしょうか。「なに?」とふり返りました。全体の姿からしてスズメ科であることは確かですが、スズメにしては身体が大きいし、尾が長い。モズじゃないかと思いますが。私などが作業していると、そのすぐ近くまでやってきます。おそらく、耕した後に出て来るミミズを狙っているものと思われます。だから、この作業を歓迎してくれているように、近くにやって来ます。これが本日の、仕事始めの作業だったんですが。まだ、すんだのはごく一部ですから、しばらくはこれが続きます。並行して、剪定作業もしているんですが、密集した枝や、高くなり過ぎたえだを縮めています。さて、本日の早川の「市民みかん園」の全景です。これが、「市民みかん園」の全景です。みかんの木が、真鶴の密集園と違って、早川園ではゆったりと、のびのびとしています。当方は、この3月には、数本の苗木を、新たに植えるつもりなんですが。左側の枝は、キウイの木です。正面のボックスの左側に実をつけているのは、甘夏の木です。その右はお茶の木です。両者の間にの、左側にある緑のネットですが、これは湘南ゴールドの木です。この早川の「市民みかん園」は、秀吉のつくった一夜城の石垣山にあります。あたり一帯がみかん畑ですから、たいへん多彩で豊かな山です。自然と歴史の景観が、乱開発されずにしっかりと保全されているんですね。そして、そこからの景色が最高なんです。写真の中央には、小田原城が見えています。中耕作業に疲れてくれば、少し手をとめて、景色を眺めるようにすれば、もうそれだけでも、たくさん深呼吸したような、よい休憩になります。まだ、この草取り中耕は、全体の4分の1くらいがすんだだけですから、この作業に、あと4回は通わなければならないということです。くわえて、まもなく剪定や施肥もはじまります。そして月がかわれば、清見や湘南ゴールドの収穫も始まります。こうして、新年度のみかん作業ですが、今日を第一歩として、新たな循環作業がはじまりました。はたして、今年はどの様な恵みを与えてくれるでしょうか。
2017年02月16日
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トクヴィル『フランス二月革命の日々』を紹介します当方は『フランスにおける階級闘争』を読みましたが、この1848年のフランス革命について、面白い本を知りましたので、紹介します。トクヴィル著『フランス二月革命の日々』(岩波文庫)です。マルクスの論文「フランスにおける階級闘争」ですが、マルクスは1845年2月3日にパリを追放されて、ベルギーのブリュッセルに転居している。1848年2月のフランス革命の報道を知ったのもブリュッセルの地でだったんですね。1848年3月にはドイツ革命があって、追放がなくなり4月11日にはドイツのケルンに移った。ケルンの地で「新ライン新聞」を発行し、ヨーロッパの革命の動向を報道する。結局反動が勝利して、1849年5月18日には赤刷りの終刊号、第301号まで発行した。その後、1849年8月26日にイギリスに亡命して、生涯をそこで過ごす。そのイギリスで、1850年1月から雑誌『新ライン新聞。政治経済評論』を発行したんですね。ですから、フランス革命については、その時期はケルンで情報を集めて、イギリスに亡命してから、フランスの政治革命について分析し、まとめたんですね。それが「フランスにおける階級闘争」(1850年)だったんですね。ですから、じかにフランス革命の現場を体験したものではなかった。それでも、そこが優れたところで、すぐれたフランス革命史をのこした。それは、1850年に書かれた、フランスの1848ー1850年10月の歴史をまとめです。ようするに、同時代の歴史の分析だったわけです。現地で体験した人でもかけない、フランス革命を分析した作品でした。それに対して、今回のトクヴィル『フランス二月革命の日々』ですが、第1部から第3部まで、付録も含めると、482ページもあります。全体が大部だったので、それで私などは、ずーっと二の足を踏んでいたんですが。今回、一つの機会ですから、第2部の「6月事件」についてだけですが、読んでみました。P236-288でしたが。すると、これが面白いんです。トクヴィルという人は、一つのポリシーがあるんですね。「他の人の言ったことを信用して、それを語ることはやらない」(P234)と。ようするに、現場で自分が直接に体験したことしか書かないという主義なんです。面白いでしょう。風聞などは極力認めず、自分自身が見たり聞いたりしたことしか受け付けないんです。全体を認識する上からすれば、狭さになることもあると思うんですが、権威であるとか、風説などについては、極力排除しようとする態度なんです。これって、一種の唯物論ですよね。本当にそれがつらぬかれているかは、まだ部分しか読んでないので、分からないのですが。ですから、1848年の6月事件に関しても、自分で現場を直接歩いての、生の報告なんです。一点ですが、その記述を紹介しましょう。「わが国でこの60年の間にあいついで起こったこの種のすべての出来事のなかでも、この事件を際立たせていることは、それが政府の形態を変えるという目的は持たなかったが、社会の体制を変えることを目的としていたという点である。真実のところ、この闘いは政治闘争ではなくて、階級の戦い、一種の奴隷戦争であった。」(P236)これは、正確ではないと思うんですが、やはりこれも政治闘争であり、その独特の形だと思うんですが。そんなことよりも、トクヴィルのこの本の重要性ですが、それは具体的な現場の生の様子を紹介してくれていて、それが「一種の奴隷(労働者)との戦争だった」との特徴づけをしていますが、それが、実際に現場を歩いて自分が接した労働者にかんする記述からして、一種の戦争だということが見えてくるんですね。トクヴィル自身は、ブルジョア議会の議員ですから、労働者とは反対側にいる人なんですが、それでもリアリズムというんでしょうか、事態の様子を直接に客観的に自分の眼でとらえようとしている。そこには、立場は違いますが、この事件を知るうえでの貴重な客観的な記録になっていると思うんです。一種のルポルタージュなんですね。まぁ、全体を読まないと、著作の全体としての評価は出来ないとは思うんですが、ごく部分を読んだことからですが、そんな感想をもちました。
2017年02月15日
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マルクス『フランスにおける階級闘争』第四章について マルクスの『フランスにおける階級闘争』(国民文庫)を読みました。私は、この本をだいぶ以前に読んでいたはずなんですが、あらためて今回読んでみて、拾い読みをしていたことを感じたのと、読みっ放なしにしておくのは、やはりよくないと感じさせられています。 この本は150年以上前に書かれた本ですが、序文からですが、「唯物論的な理解方法をもちいて、今日の歴史の一時期を、一定の経済上程から説明しようとした最初の試みであった」ことを、自分が理解できているかという問題なんですね。 また、訳者の解説からですが「この本で分析されていることは、・・まさに戦後のわが国の歴史を読む思いさえする」との感想を引いていますが、本質をとらえるということは、現代の政治関係をも見えてくることなんですね。問題は、私たちはそこから何を学ぶかということが問われているわけなんですが。 さて今回は、第四章「1850年の普通選挙権の廃止」です。 P151から169の19ページ分で、32節あります。マルクスの1850年春から経済学研究の余暇を得て、10年の経済史学習の成果がこの4章には反映している。1850年に1850年のフランスのことを書いているわけですから、同時代のフランスについての歴史書なんですね。第1節は序論で、エンゲルスが1895年に本書をまとめたことの紹介です。当方は、5つの点を重点にしぼって、書き抜きをしたんですが。 一、5節 「恐慌や好況が、大陸ではイギリスよりも遅れて現れる。ブルジョア社会が経過する循環局面は、大陸では二次的な形態で現れる。ブルジョア的身体の心臓部におけるよりも、その末端部分において、より早く暴力的な爆発が起こらざるをえない。」 6節 「全般的な好況の場合は、ブルジョア社会の生産力が、その諸関係の中で発達しうる限り、本当の革命は問題にならない。そうした革命は、二要因、近代的生産力とブルジョア的生産形態が矛盾に陥る時期にだけ起こりうる。新しい革命は新しい恐慌につづいてのみおこりうる。しかし、恐慌が確実なように、革命も確実である」 エンゲルスが1895年序文で指摘していた経済史研究の成果がここにもありますが。同時に言ってます、この点が1.2.3章の叙述に「加えなければならないただ一つの本質的な訂正だった。」性急な形では、革命は起らないという点です。また「前の諸章での事件の解釈も、因果関係についても、全然変更すべきものがなかった」と。 マルクスはリアリストなんですよ、有利も不利もあくまで関連を追跡しているんです。エンゲルスは、1895年、それが書かれてから45年が過ぎた後の時点でも、それ以上の把握の正確さをもった著作はないと、あらためて指摘しているんです。 まぁ、この点を、私たちが現代において確認できるか、理解できるかという問題なんですね。 二、ついで、第14.15.16節ですが、 議会の多数派の秩序党は、普通選挙権を廃止して、出版規制法を通します。 前回第三章で見た「合法性がじゃまになる」ということです。新聞発行に高い保証金をかけて、草の根の出版を出来なくさせたんですね。いろいろなフランス・ブルジョアジーの悪知恵が紹介されています。それらは、近年の私たちにとって、他人ごとではない事柄です。 三、ここで、国民議会の立法権力と大統領の行政権力との間での抗争関係が分析されています。 26節 大統領の任期が1852年に切れるというんですね。 ボナパルト大統領としては、憲法で定められた任期を延ばしたいんですね。もっとやっていたい。 憲法上、本来なら「憲法にしたがった解決をするなら、1852年5月にボナパルトが辞職して、この国の全有権者による新大統領選挙をおこない、次いで新大統領就任後の2,3カ月以内に改正議会により憲法を改正する」というのが、道理ある解決の正道なんですが。 しかしブルジョアジーはそれが出来ないんです。議会多数派の秩序党ですが、各党、各派閥が、選挙でいっせいに競い合うなどということは、政治的現状全体を脅かすことになる。押さえつけてある人民を再び刺激してしまう。眠らせた子をおこしてしまう。そうなると、混沌と無政府状態と内乱がおこりかねない。それを危惧して、どうしても避けたかったと分析しています。 こうして、ブルジョアジーは妥協の方策を探った。結局、憲法に違反して大統領権力の任期を延長すること、それにより立憲共和制を救おうとした。「強大な秩序党は、恥ずかしながら、にせボナパルトという、こっけいで凡庸な、嫌いな人物をとりあげざるをえなかった」と分析しています。 四、こうした中で、もう一つの問題は、ルイ・ボナパルト大統領の統治の仕方の問題です。支持基盤づくりの問題です。 27節 ボナパルトは、ルンペン・プロレタリアートの御用組織「10日会」をつくって、お雇いの応援団として、引き連れて歩いたというんですね。あやつり人形的な演説をやらせたり、いろいろな都市での歓迎ぶりを組織したりして、連中をつれあるっていたというんです。 28節 さらに軍隊を味方にひきつけようとした。そのために、派手な大観閲式(オリンピック)をおこなわせ、にんにく入りのソーセージとシャンパンと葉巻で兵士を買収しようとした。軍隊には自分に歓呼するように演出までさせたというんですね。 これは、あくまで、フランスの歴史の話なんですが。歴史というのは似ているんでしょう。 五、さて、「落ち」はどうなのか。落語じゃないから、落ちはないのですが。 31節 マルクスは歴史過程についての分析で締めくくっています。 再開される国民議会は、険悪なきざしのもとで始まる。 人民を抜きにしたコップのなかの嵐がおこるだろう。そして、本質的に古くからのゲームがつづくにちがいない。 いくら一部の派閥が騒ぎ立てても、結局の解決策として大統領の任期は延長され、現状は維持されて、共通の敵・国民に対する弾圧は引き続き徹底的におこなわれるだろう。 しかし最後には、経済関係自身がふたたびある発達点に到達して、新しい爆発が生じて、これらの争い合う諸党派全部を、彼らの立憲共和制もろとも、吹き飛ばしてしまうだろう。これがマルクスのしめした歴史の法則的発展過程の予測です。こうして締めくくっています。 以上、第4章のフランスの政治史についてです。ほとんど書き抜きでしたが、政治の本質をついた注目すべき著作であることは確かです。
2017年02月14日
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岩波ブックレット『民主主義をあきらめない』を紹介します当方は、このところ最寄りの図書館を利用させてもらっています。そこの方が、集中して読書が出来るんですね。それで、チョコチョコと利用させてもらっています。そこには新刊本の紹介コーナーがあるんです。そこで見つけたのが、この岩波のブックレットNo937『民主主義をあきらめない』でした。刊行されたのは、2015年10月7日なんですが、そもそもは、2015年5月6日に「鎌倉・九条の会」の主催した「憲法のつどい2015 鎌倉」によるものとのこと。以下の三人の講演からなっています。1、「グローバル時代の救世主、それが日本国憲法」(浜矩子) 同志社大大学院教授で、国際経済が専門とのこと。2、「集団的自衛権はなぜ間違っているか」(柳澤協二)3、「これは民主主義ではない」(内橋克人) 経済評論家で、「鎌倉九条の会」の呼びかけ人2015年5月6日といえば、戦争法が9月19日に採決される前ですから、国民の危惧が広がりだしていたころですね。この三人の講演にも、そうした危惧が強く出ていますが、それぞれ専門の観点から、戦争法の問題点をついているんですね。ブックレットですから、全体で71ページという短いものですが。私などは、その中でも、とくに柳澤協二氏の話に注目させられました。柳澤氏については、前から新聞などのコメントを見て、その名前については知っていたんですが。あらためてその経歴紹介に注目させられました。小泉、安倍、福田、麻生と、歴代の政権で、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を務めてきた方なんですね。つまりこれまでの自民党政権の安全保障政策の基本をすすめてきた人、歴代政権の防衛を担当してきた官僚の責任者だった方なんですね。そうした方の発言だったんですね。新聞記事で見た限り、その多くは一点についてのコメントでしたが、こうした講演ともなると発言の趣旨は同じでも、主張全体からの重さがちがって聞こえてきます。その人の考え方や、その意見の背景、歴史的にとりまいていた関係などが、起承転結・全体観がある程度見えてくるんです。この講演を読みながら、そうした感じがしてきました。これはその発言の冒頭部分です。『私自身は変わっていないんです。あなたたたち(安倍政権)が変わったということなんですけど』『それなりにストレスも覚えながら、しかし、これは言わないと、まさに税金で官僚をずっとやらせていただいた、その官僚としての職業的な使命感から今、発言しているんです。』これを前置き、立場からして、自身が担ってきた防衛政策から、今の安保法(戦争法)が、どの様に変わろうとしているかを明らかにしているわけです。一般の学者や研究者とは違って、重い提起です。その中身については、私などは、これからよくよくその内容をつかまなければならないという状況なんですが。この三人の講演ですが、それぞれが伝えようとしています。現在の日本がどの様な道にすすみつつあるか、これは日本の民主主義にとって、国民の今にとって、重要な問題なんだということを指摘して、警鐘していると思います。これをどう受けとめるか、私たちの問題ですね。
2017年02月13日
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相模湾の地魚を賞味してきました2月12日(日)、今日は、みかん仕事も農閑期として、骨休みとして、真鶴の地魚を賞味するのを目的にして、行ってきました。豪雪のたよりも流れていましたが、小田原方面の空は真ったくの快晴で、海も穏やか、キラキラと輝いてました。三浦半島から房総半島、伊豆大島から利島まで、くっきりと見えました。勤労感謝のお刺身の盛り合わせでしたが、めずらしい「ヤガラ」という魚が出てきました。口の細長い魚がそれです。こんなストローのように長いくちばしで、どのように餌をとっているのでしょうか。たいへん不思議な姿です。今日の相模湾の地魚ですが。1.ヤガラから時計回りに、2.メアジ、3.イナダ、4.ヤリイカ、5.イトヨリ、6.ホウボウでした。これで二人前なんです。これが、我が家の慰労会なんです。食事処は、「マルナカ」でした。そのホームページです。http://www.ryokan-marunaka.co.jp/お昼時は、お客さんがいっぱいで、お店の人は、てんてこ舞いしていました。それもそのはずですね。この地魚を味わえば、またいつか着てみたくなるものです。眺めるだけでも、きれいなもりつけで、輝いているんですが、なんたって、とりたての、さばきたての鮮度抜群です。ここでしか味わえない美味しさです。当方としても、日ごろの感謝として、この料理の紹介するわれですが、その案内のし甲斐があるというものです。さあ、寒さの底も過ぎ、いよいよ、みかん作業の新年度の仕事が始まりだします。
2017年02月12日
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マルクス『フランスにおける階級闘争』三章を読んで 当方は、唯物論的歴史観を学習テーマの一つにしてきました。 去年プレハーノフの『史的一元論』に挑戦したのもその一つでしたが、12月にマルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』についで、(理解は怪しいですが、努力賞ですね)目下は、『フランスにおける階級闘争』をすすめています。 本日、その第三章を読んだところなんですが。 最近とみに感じるんですが、本を読みっぱなしにしておくと、新たな対象に当たるごとに、すでに読んだものが次々に記憶から消えていきます。だから、たとえメモくらいだったにしても感想を残しておくようにしておきたいと思います。たまると、なおより大変になりますから、一歩一歩が大事なところです。 第三章は「1849年6月13日の結果-1849年6月13日から1850年3月10日まで-」ですが、今回の対象にしているのはこの章です。読んでいて、参考になりそうな点をピックアップしてみました。 第一は、全体的な状況について、概観です。 フランスは1848年2月革命によって、憲法制定国民議会が出来ますが、数か月後の6月事件で労働者は鎮圧され一掃されました。新たに大統領をもつ第二共和政となります。 12月20日にはルイ・ナポレオンが大統領に選出された。こうしてフランスは、立法国民議会の立法権と、行政権をもつ大統領という、ともに国民から選挙により選ばれた二つの権力が並立する共和国となりました。 ここからが、この章の要点ですが、 第二に、議会野党の少数派・山岳党による議会反乱がありました。 1849年6月12日に山岳党(野党の少数派)は、議会において議会与党の多数派に対して、 人民の武装蜂起するぞとの脅かしにより、ナポレオンの選出を取り消させようとした。 議会の多数派と少数派の関係を、議会的反乱によりひっくり返そうとした。377対8票で弾劾案は否決された。6月13日の3万人の街頭デモは、軍隊により蹴散らされた。 この小ブルジョアの抵抗を一掃した時から、連合王党派の立法的独裁が既成の事実となった。 第三に、国家財政の大きな赤字が革命前から引き継がれて、この負債から逃れるための方法について、マルクスは述べています。一つは国家の支出を制限すること。行政機構を縮小すること、もう一つは国家が借金をつくらないよう努め、富んだ階級に臨時税をかけることで予算の均衡をはかること。しかし、政権与党の秩序党の存立条件に係わるから、国家の変革なくして国家財政の変革は行えないこと。こうした関係を指摘しています。 第四に、ここがレーニンが問題にしたところですが、 「労働者の革命というのは、どこでも国家の壁のうちでは、解放されない。フランス社会内部の階級戦は、諸国民の相対峙する世界戦争に転化する。その解決は、世界戦争によってプロレタリアートが、世界市場を支配している国民の先頭に、イギリス国民の先頭に駆り立てられる瞬間にはじめてはじまる。」 ここに、注(75)がありますが、この解釈の仕方にも歴史的な歪みがあると思います。ロシア革命を主導的にすすめるには、ここの指摘を検討するのは避けられなかったんですね。 「マルクス主義の全精神は、おのおのの命題を、1.歴史的にのみ、2.他の諸命題と関連させてのみ、3.歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求しています」との、イネッサ・アルマンドへの手紙(1916年11月30日)は、「祖国」「民族」などの問題とともに、革命論の問題なんですね。ここでの問題検討に関連して、考察されていると思います。 第五、フランスの農民の問題が検討されています。 フランス革命により農奴解放が行われて、農民は自営農民に変わったんですが、その農民が資本主義の発展の中で、どの様な状態の変化にあっているのか。フランスの全人口の三分の二を農民人口は占めていた。その人たちの意識についても検討しています。 これは、『ロシアにおける資本主義の発展』の分析とも重なるし、私などは問題意識の範囲を出れませんが、戦後日本の農地改革とその後の今日の問題とも重なっていると思います。 第六、各種の社会主義論の特徴が指摘されています。 第七、最後です。普通選挙権の問題です。 憲法の基礎にある普通選挙権により政権についた秩序党でしたが、とうとうそれを最後には邪魔にし出すという問題です。 『息の詰まりそうな合法性の鉄環を断ち切らなければならない』、秩序党の誰の演説からの引用でしょうか紹介しています。それを意訳しています「われわれの独裁はこれまで国民の意思によって成立していたが、今やそれは民衆の意思にさからって強固にされなければならない」 エンゲルスが1895年の序文で解いているのは、この基本の歴史的な現代版なんですね。 それから100年以上がたった今日ですが、また戦後70年が過ぎた日本の今日ですが、これは現在の状況を考える上でも、意味深長な分析・指摘だと思いました。(エンゲルスの1895年序文については、不破さんが『古典教室』第三巻で紹介してくれてます) 以上、第三章で重要と感じた点でした。
2017年02月11日
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文部科学省の「天下り」問題について人間の認識というのは、目の前にニュースを見ていても、通過することがあります。文部科学省という教育を司る官庁で、今、天下り問題が明らかになりつつあります。2月7日には衆院予算委員会集中審議が行われました。文科省OB元人事局長が文科省退職者の仲介をしていたわけですが。一般財団法人「教職員生涯福祉財団」から700万円。保険代理店から約500万円。明治安田生命保険から約1000万円の給与をうけてやっていたという。そりゃぁ、退職者もこの世で生きていくわけですから、年金と退職金を取り崩すだけでは不安なことは確かです。適度な継続雇用とか、再就職はありうると思うんですよ。しかし、明らかになったことは、そんな常識的なことではありません。『朝日新聞』に、問題の経過を追ってみました。1月19日朝刊38面 文科省天下りあっせんか、人事課が早大に履歴書 同日 夕刊1面 文科省次官辞任へ。前局長の早大への「天下り」 1月20日朝刊 「天下り」あっせん、次官辞任・幹部7人処分へ 同日 総務省・再就職等監視委員会が調査結果を発表した。 (1/20 通常国会が開会) 1月21日朝刊35面 OB暗躍、天下りがシステムに、キーマンのOB 1/23 文科省は職員9名で調査班を発足 1月24日夕刊 24日代表質問「安倍内閣で天下り禁止が骨抜きに」(蓮舫) 1月25日朝刊1面 早大が依頼してOB仲介を装う、三者分の想定問答用意 1月26日夕刊 26日午前の衆院予算委員会で民進党の参考人の求めを与党拒否 1月28日1面 事務所費を文科省補助金団体が負担 2月1日朝刊35面 文科省仲介役に秘書出向、人件費900万円をもつ 2月2日35面 文教協会解散へ 2月3日35面 前次官が文教協会人事に関与(後任がおり「退任の意思があるか」) 2月6日夕刊1面 仲介役支援を文科省が提案か 6日、文科省は調査報告を発表、事務所費や秘書給与を負担 2月7日 1面 あっせん体制は文科省主導か 14年1月「文教フォーラム」設置 嶋貫和男(67歳) 2009年7月文科省を退職後に仲介を本格化、 2面 文科省、仲介役を丸抱え、生命保険会社顧問を収入源として提案 2008年末に国家公務員法改正からOB頼みが強まる (1/7 衆院予算委員会) 同日夕刊1面 あっせん体制は次官に報告されていた 6日発表の「再就職支援業務について」(2013年9月11日付) 11面 天下りの仲介役を淡々と謝罪、前事務次官・前川も謝罪 民進党小川淳也議員「月2日勤務で1000万円なのか?」『その通り』 (2/7 衆院集中審議で証言) 2月8日朝刊1面 歴代4次官が関与私は感じるんですが、この人たちは、国民の教育を司る実質的な最高責任者たちですよ。しめしがつかないじゃありませんか。松本清張の「文部官僚論」の、その今日版が明らかになりつつあるということです。問題は、この責任者たちは脈々とした流れを引き継いできていたし、その官僚たちによって、どの様な教育内容と体制がつくられて来たか、この検証です。思いつくことでも、教育委員会を任命制にかえて統制し、教科書裁判では教育内容の国家統制が問題になり、教職員組合を敵視して、教員から人権を奪って締め付けてきた。子どもと、その親が、一番の被害者です。教育の荒廃には、教育者を追い出し、教育をゆがめてきた文部官僚に大きな責任があります。この問題は、戦後の教育行政の全体の根本にかかわっているわけです。しかし、こうした官僚の実際は、たんに文部科学省だけの問題ではありません。現在の各省庁の全体にわたりますし、なによりも、官僚たちだけの問題ではなく、それは政・官・財の癒着した構造にこそ問題があります。それにどっぷりとつかっている安倍政権には、ポーズはとったとしても、自己改革などできません。自分たちがそうした体質によりつくられているからです。今は、野党を励まし、メディアを励まし、国民的な監視が働いてこそ、政・官・財の事態の構造的な問題の実態解明が進むし、根本的に問題を正していく道が見えてきます。それは簡単なことではありませんが、かくされてきた問題が口を開けたんです。今、国民が正せなければ、その体質化がさらに進むということです。しっかりとした追及ができてこそ、公正な政治に正してゆけるということです。そうしなければ、国民生活は踏んだり蹴ったりがもっとひどくつづいていきますよ。
2017年02月09日
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ご一読を! 松本清張著「文部官僚論」どうして松本清張全集の31巻があったのかわかりませんが、手元にありました。今、文部官僚の天下りが、ぱっくりと口を開けて、さらけ出されました。月、二日間の出勤で1000万円が、退職後の仕事だというんです。国民の教育にたずさわって来た責任者たちなんですよ、これが。この松本清張の本の中に『現代官僚論』があり、その中に「文部官僚論」があります。今を知るうえで、歴史構造を知るうえで、これを是非、お読みいただきたいんです。その「文部官僚論」は、1963(昭和38)年3-4月「文芸春秋」に掲載されたものだそうですが。今では、この作品を見ることのできる人は、ごく限られていると思います。そのために、紹介したいんですが。その1963年当時の、まさにその時点までの、文部官僚と教育行政の歴史をまとめているんです。戦前の軍国主義の国家づくりには、文部官僚も大きな責任があるでしょう。しかし、軍人や政治家については戦争責任を問われましたが、官僚の方は音沙汰なし、風見鶏だったんです。教科書は黒墨で消されても、末端の教育者は反省する人はいても、文部官僚の方は、首をすくめてやりすごしただけだったんです。戦後の改革ですが、昭和21年の米教育使節団の報告がなされ、教育でもGHQ主導の改革が行われますが、教育改革では、軍国主義的な文部官僚は、南原繁などの学者・教育者の下にしたがいます。しかし、徐々に主従の関係が変わります。昭和27年にGHQ指導が解かれると、学者肌の人たちは文部官僚により行政から追い出されちゃうんですね。そして、従来の文部官僚が教育行政を仕切るようになりました。松本清張は、その構造と歴史的推移を、一つ一つの事実を追跡しています。これは小説家の勝手な推測による創作的な作品ではありません、実際の文部官僚の戦前からの経歴と、一時は鳴りを潜めた文部官僚が復活して、文部行政から戦後民主主義を追放していく歴史をあきらかにしています。彼らが、如何に教育をゆがめてきたかを、そのためにどう手をうってきたかを、追跡しています。何故に教師は管理教育に引きづりこまれたのか。ここにその社会構造を知るべきですね。そして、それぞれが声を上げるべきときですね。松本清張という人は、社会派の民主的リアリストですね、よくぞこれらを追跡したものです。問題になっている文部官僚の天下りについても、当時において、今明らかになって来た構造的と同じです。類似している事実を追跡しいてます。今問題になっている事態が、いかに歴史的に根深さがあるか、この作品が示しています。さらに政治家と文部官僚との癒着、財界との関係も追跡されています。その文部官僚は、教育行政の指揮している人たちです。彼らは、教育内容をかえ、教員を管理統制化してきたんです。それは、戦後民主主義を換骨奪胎で、壊し続けてきていたんです。松本清張は、それらの事実を構造的に、かつ歴史的に追跡していますが、私たちは、全体の教育について、とらえ返す必要があります。白紙委任で任せておくわけにはいかないんです。こうした提起をしている作品ですから、今日、一般にはこの作品を、自然な形では目に出来ないことは、だいたい推察できます。よほど目的意識的に探そうとしない限り、手にすることは出来ないかと思います。しかし、今日の事態にてらして、あらためて感じます。この作品は、当時の現実に肉薄していること、それは今につながる大事な勇気ある作品だとおもいます。当時はまだ、戦後民主主義の気骨ある人が、社会派作家がいたということなんですね。その精神は、いまを知るうえで、参考になると思うんです。いま、その文部官僚の腐敗がさらけ出されています。しかし、これをトカゲの尻尾きりでおわらせようと、構造的な力が働いているはずです。国民の側からすれば、それを許さず、国民主権の民主主義を国家に通して行かなければならない。そうするためには、私たちに事態の構造的把握と、今以上の何かの努力が必要なんですね。やはり歪められてきた管理教育全体についても、あらためて構造的把握が必要です。事態を変えるには、ちっぽけな正義感だけでは、たりません。それだけでは、はぐらかされ、うち消されてしまう、そうした大きな病的な社会的構造が、歴史的に厳然と居座っているんですね。こんなことも清張は言ってます。「昭和38年現在、公務員は中央と地方をあわせて340万人、国民の30人に1人。しかし、事務次官、局長、有力な係長などは、約1700人だ」と。それと、一部政治家が結びついているわけです。本当かどうかは、わかりませんが、そういっています。今は大事な機会です。文部官僚の腐敗が口を開けたわけですから。これを正す力が必要です。現代の日本国家に国民主権の民主主義を通してゆくために、くりかえしますが、この松本清張の作品ですが、社会の構造と歴史、問題の大きさを示唆してくれています。この気骨ある社会派による作品ですが、今の事態を変えていくために、是非、ご一読をすすめます。
2017年02月08日
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多摩と真鶴・早川を、みかんで結ぶ今日は、この時期の柑橘の収穫で、真鶴・早川に行ってきました。途中、朝6時44分、日出の直後の富士山です。小田原厚木道路の平塚サービスエリアの入り口から見たものです。職場を完全退職してから、1年がたとうとしていますが、大体の新たな生活パターンが見えてきました。本日の遠出ですが、この時期の柑橘の収穫です。真鶴園ではダイダイ、早川園では金柑とレモンを収穫してきました。この橙ですが、ダイダイといえば正月のしめ飾り。そのくらいにしか、利用するすべを思いつかないんじゃないですか。私も、せんだってまでは、そうだったんですが。ところが、違うんです。果汁を絞ってペットボトルにでもいれておけば、いつでも、ちょっとかけるだけで、簡単にポン酢が出来るんです。味と香りを引き立てる、良い調味料になることがわかりました。井原西鶴も、どこかで、年の瀬に橙が引っ張りだこになって、高価なものになったことを書いていました。どこでだったか。だいだいは、ばかに出来ないんですよ。これが、本日、橙を収穫した真鶴のみかん園です。カミキリムシによって、みかんの木の真ん中の一列が、3本が、ぽっかりと枯らされてしました。みかんの木を、これを機会に世代交代させていきます。はっきりしているのは、新たに植える苗木ですが、その木が、枯らされた木の太さになる時は、私などは、もうこの世にはいないのですが。それでも、身体が続く限りは、前に進むということです。さて、この間に、素晴らしい変化がありました。昨年の11月から、早川のみかん市民園をかりれるようになりました。また、昨年12月から、多摩の団地に農家直売の朝市がたつようになりました。真鶴のみかん園は、450平米に成木が14本ありますから、個人の胃袋では、いくらなんでも食べきれません。販売するには、ある程度のまとまった収穫の量が必要です。さらに、みかん農夫は栽培だけで手いっぱいで、販売まではなかなか手が回らないんですね。こんなジレンマが漠然と覆いかぶさっていたんですが、この「市民みかん園」と「団地の朝市」のおかげで、もやもやしていた問題の、パズルがとけだしたんです。おまけに、『酸味が少しあるみかんの方が、私は好きだ」なんて、西湘みかん独特の味を愛好していれる人たちが、少しずつ出てきたりしてくれて。先日、2月4日に、早川のみかん園・「だんだん園」の園主が、多摩にやって来ました。この朝市の視察に、遠路、出かけてきてくれたんです。なぜ売れるのか、どういう人たちに需要があるのか、知らなければなりませんから。これは、あらたな出会いの始まりです。多摩の団地の消費者と、早川・真鶴のみかんの生産者ですが、そこには距離にして70キロのへだたりがあるんですが、結びつき出したんです。一方で、真鶴・早川でつくられたみかんが、東京・多摩の朝市で販売される。他方で、多摩の人たちが、みかん狩りと地魚、温泉で、早川・真鶴・湯河原に行楽に行く。だいたい早川方面は、秀吉の石垣山の一夜城跡があり、頼朝の旗揚げの石橋山の歴史舞台でもあります。みかん狩りに合わせて、相模湾の新鮮で多彩な地魚を堪能できるし、近くで、ゆっくり、のんびりと温泉も楽しめるんです。二つの往来が始まっているんです。どうやら、私などの余生の仕事のひとつが、ここに見えてきました。都会の人たちに、彼の方面のみかんと歴史、行楽を紹介することです。また、みかんを丹精込めてつくってる人たちの美味しい味を、団地のそれを求めている人たちに提供していくことです。まぁ、世の中をひっくり返すような、大それたことではないんですが、しかし、安倍政権がすすめる農政とは対照的なことだというは確かです。どうやら、この1年間でみえてきました。これが、これからの私の仕事の様です。
2017年02月07日
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日本の民主主義の歴史、自由民権資料館を見る2月4日、知人を案内して町田の自由民権資料館を見てきました。ここは多摩が誇れる、日本の民主主義を拓く運動の資料館です。「そちらにある自由民権の資料館を、見たいんだけど」知人の方からリクエストがあったんです。それで、今回、あらためて回ってみたんです。多摩は明治10年代の自由民権運動の中心の一つでもあったんですよ。この施設も、民権家の村野常右衛門が1883(明治16)年につくった道場「凌霜館」の地です。職員の方から、展示資料を解説していただきました。幕末には横浜が開港して、欧米諸国との貿易がはじまります。全国から八王子に集められた絹などの産物が、ここを通って横浜に運ばれた。商品交換するとなると近代の知識や文化が欠かせなくなります。この片田舎でも、大きな自由民権運動が巻き起こっていったんですね。1889(明治22)年の大日本帝国憲法や、翌年の第一回総選挙が行われましたが、それに先んじて、1879(明治12)年には第一回県議会選挙と県議会がひらかれます。国会開設、憲法制定、言論の自由などを要求した自由民権運動ですが。ここに展示された資料はすごいんですよ、多くの貴重な資料が集められています。この神社ののぼりは、この近くに住んでいた指導者の石坂昌孝(まさたか)がかいたもの。お酒を5升のんで、力を込めて書いたんだそうです。これだけの字を書くと、一字で筆がだめになるくらいだそうです。その近くに住んでいて、この地にある歴史の宝を知らないなんてことは、じつにもったいないことですよね。今の東京都と神奈川県の境界にしてもそうなんです。この三多摩の地が神奈川県から東京に移管したのは、単に水利問題だけじゃないんですね。民権運動への対策でもあったんです。もう一つ、感じた点があります。自由民権運動は、大きな妨害との闘いでもあったんですね。当時、集会は、事前に発言内容の届け出が義務付けられていたそうです。警察の許可が必要なんです。少しでも届けと違ったことを話すと、立ち会っている警察官から『弁士、中止』だそうです。その通り話していても、聴衆がざわつき出すと、それだけで『弁士、中止』でそうです。要するに、立ち会っている警察官の胸先三寸の判断で、『中止』にさせられたんですね。こんなことが考えられますか? でもそれが歴史の事実なんです。こうした線上に、1910(明治43)年に大逆事件がでっち上げられ、1925(大正14)年に治安維持法がつくられたんですね。「第一条 国体を変革し、又は私有財産制度を否認すること目的として結社を組織し、又は情を知りて之に加入したる者は、10年以下の懲役又は禁固に処す」これがどんどん拡大解釈されて、警察の「疑いあり」との胸先三寸だけで、共産党はもちろん、野党や、学者研究者、多喜二などの文学者、はては自由主義者から宗教家まで、たてつくやつはどんどん取り締まっていったんですね。この歴史的な事実が、厳然として存在しているわけです。その原型が、すでに自由民権運動の、この時代から始まっているんですね。「讒謗律」「新聞紙条例」「集会条例」と、次々に民主主義を否定する法律が出てきています。これらの法律について、たとえほんの一つでも日本国政府は反省してますか。戦後の政権政党は、これの反省をまったく口にしてないんですね。憲法が、人権規定を詳しく書き込んでいるのは、それを再現させないための配慮からなんですね。常識的に憲法に縛られてますが、踏み破りたがる指導者がいるんですね。その憲法の配慮は当たっているんです。今またしても、この国会に憲法を覆す「共謀罪」を出そうとしているんですから。それが無くても、犯罪は現行法で取り締まれるんですよ。それなのに、あの手この手で、安倍政権はやってくるんですね。内心を処罰する危険があるとの指摘に、「妄想されている」(安倍首相)などと言ってますが、歴史に無反省な人が、いくら口先でそんなことを言ったとしても、信じられないんですね。いくらでも実績があります、しみついた体質なんですから。「憲法を守る」といいながら、戦争法を強行する。そして、自衛隊を海外の危険な地に送りだしているわけですから。戦後の民主主義をひっくり返したがっている人ですから。さて、ここの展示室には、案内文が添えられていました。その付録にあった年表をみていると、以上のような現在と歴史への危惧が連想されてくるわけです。まあ、現在の問題というのは、この自由民権運動の民主主義を守り発展させようとした努力と、それを抑えようとした力、そうした対立の歴史の延長線上にあるということです。今という社会を、いろいろ考えさせてくれる「自由民権資料館」でした。
2017年02月06日
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世界最大級の発掘資料じゃないでしょうか2月4日、知人が、団地の「朝市」を見るべく、遠路出かけてきました。せっかく70キロを旅してきたわけですから、この機会に、多摩市の周辺の見どころについて案内したんですが。今回は、その一つの紹介です。多摩の歴史探訪ですね。まず、昔から多摩に住んでおられる方を訪ねて、当地の郷土資料について、貴重な品々を見せていただきました。これは残念ですが、個人のお宝に係わるものなので、割愛します。ついで、多摩センター駅の近くにある「東京都立埋蔵文化財センター」を見学してきました。ここの資料もすごいんですよ。総面積3,000㏊の多摩ニュータウンですが、住宅がつくられる前に広大な面積の遺跡調査が行われました。当文化財センターでは、「1966年(昭和41年)から40年間かけて、290㏊、770か所の遺跡を発掘調査してき」たわけです。290㏊の面的な調査なんて、これだけの広い面積の発掘調査が行われたなんて、古今東西聞いたことがないでしょう。ふつう、ありえないことが行われたんです。この貴重な、奇跡的な遺跡発掘の調査が、1969年から2000年頃にかけて行われたんです。それらの遺跡には、1番から964番までとおし番号が付けられて、それぞれの調査記録が残されているんですね。その結果、当地の古代人の生活状態ですが、それまで以上に、具体的事実が明らかになったし、なりつつあるわけです。そうした調査結果が、ここに展示されているわけです。じつに膨大な発掘資料です。展示場には、その一部ですが、時代順に整理されて展示されています。古代人の生活が、その展示品された発掘品によって、伝わってくるんですね。たくさんの土偶が展示されています。縄文人というのは、なかなかの芸術家ですよ。遊び心もあったようで、豊かに暮らしを楽しんでいる多彩な土偶を残しています。これは稲城市平尾の第9遺跡から出土した女性の土偶ですが、4,000年前の縄文時代後期のものだそうです。暮らしだけに追われていたとしたら、こんなものは造らなかったと思うんですが。こうした土偶が、たくさん展示されているんです。このセンターの施設の外庭ですが、「縄文の村」となっています。ここは、実際の第57遺跡を保存しながら、発掘された時代時代の特徴のある住居と、その環境を復元しています。当時の樹木が再現されているんです。その中の一つですが、これは、八王子市堀之内の第796遺跡、その住居の復元だそうです。防虫・防腐のためだそうですが、ちょうど中の囲炉裏では火焚きが行われていました。屋根とひさしから煙が出ていて、なにか実際に人が住んでいるような雰囲気でした。この住居は、4,500年前の縄文中期後半のものだそうですが、敷石がされてました。床が土間ではなくて、石でフローリングされていたわけです。当時は、大きな村をつくって、安定した定住生活をするようになっていたとのこと。この時代のこうした居住跡が、275軒も発見されているそうなんです。次は、この時代に使われていた縄文土器ですが、館内に展示されていました。縄文時代中期の後半、4500年前ころのものだそうです。館内の展示ですが、時代によって土器がちがうそうで、この時代の土器が分類されていました。縄文時代に、土器は、かなりこった装飾がされるようになったり、また、薄手のシンプルな機能的なものにかわっていったり、その時代によって、形やデザインが変化してゆくことがうかがえます。私などが、だいぶ昔ですが、学校で教わったのとは違って、15,000年前ころには、土器が登場していたそうです。今は縄文時代が、一万年も昔にさかのぼったということです。ところで、普通、こうした遺跡の埋蔵品の現物は、ガラスケースの中に納まっていて、私たちが、実際に現物をさわるなどということは出来ないようになっていると思いますが。ここはちがっていて、現物の土器を手にもって体感できるようなコーナーもありました。これは本物なんですよ、ずっとりとした重さを感じました。この土器を実際に手にして、実際に使っていた人がいた人たちがいた、そんなことを想像すると、実物ですから、重さは同じですから、なんとなく使っていた人の気持ちにタイムスリップするような、不思議な感じがしました。大体、ここで紹介したことは、入り口で配られていた案内のチラシによるものです。最初、当方が埋蔵文化センターを知ったのは、1990年代だったと思うんですが、当時、ここには縄文文化しかないとされていたのが、新たに「旧石器が発見された」、稲城の若葉台から出土したとのことが話題になり、その見学会も、大きく新聞やニュースで話題になったりしていました。今回みたら、いくつも旧石器時代の石器が展示されていました。また、ブログを始めてからも、約6年前でしたが、この埋蔵文化財センターについて紹介したこともありました。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201104160000/それから、今回まで大分時間がたちました。どうやら、実際の発掘による新発見の話題の方は、最近ではほとんどなくなって、現在は研究者が発掘された資料から、調査、分類、検討・研究をしているようです。話題になることもへって、静かな研究の時期にあるようです。しかし、当地の膨大な豊かな発見によって、日本の縄文時代像が、古代史が変わったはずです。どの様な点で、その認識が新しくなったのか、また変わりわりつつあるのか、この点について、聞いてみたくなりますが、それは、今度行った時に質問してみます。
2017年02月05日
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東京・多摩地域を散策しました日ごろ、「小田原・真鶴」のみかん畑について紹介していますが、今日は、逆にそのみかんの提供している先の、消費地についての紹介です。みかん作業に出かける相手先については、何度も紹介してきましたが、その「生産」されたみかんが、どのように「消費」者の手に渡っているか、今日は、運んできたみかんが、東京・多摩での消費される状況についてです。「朋あり遠方より来たる」で、早川の「だんだん園」園主が、早朝の東京・多摩市にやってきました。今日は、第5回目になりますが、多摩の団地の「朝市の日」だったんです。多摩の地元でとれた野菜の片隅で、恒例の「だんだん園」のフレッシュみかんの販売です。今回の柑橘ですが、レモンとキンカン、それとダイダイでした。この朝市で、朝市の時間とそれを前後するようにして、みかんが販売されているんですね。「酸っぱいやつだけじゃなくて、もっと甘い種類はないの?」リクエストが寄せられてます。4月になれば清見や湘南ゴールド、5月になれば甘夏や日向夏が提供できるんですが、それらは、まだあと少し先で、今のところはレモンとキンカンです。それにしても、アメリカ産の輸入レモンではなくて、安心・安全の国産の早川レモンです。無農薬でフリッシュな採りたてで、4個200円と安いものですから、これに勝るものはどこにもなしの、太鼓判のレモン商いです。しかし、せっかく遠路、はるばると出かけてきてくれたわけですから、多摩市の周辺にある見どころを紹介することとなりました。だいたい相手方はよく見えても、自分の側はかえって分からないものなんですね。それで、今回案内した先ですが、1.昔から住んでおられる民家の郷土資料館で、貴重な文化財を見させてもらいました。2.次に「埋蔵文化財センター」で、290㏊770か所の遺跡から発掘した宝を見学し、3.「町田自由民権資料館」で、武相民権の資料を基に、学芸員の方に説明してもらいました。この三つにしぼって見学したんですが、これらは、現在につながっている当地が誇る第一級の歴史的な文化遺産なんですね。日ごろ生活していると、身近な足元にある貴重なお宝を、見損ねているものなんですね。遠方の人の方が良く見ていて、「民権資料館を見たい」等のリクエストをいただいて、そのおかげで、かえって案内した当方が、「へぇー、そうなんだ」となった次第です。あらためて、これらは現在進行形の探究課題なんですが、その最新の状況について、貴重なお話を聞かせていただきました。
2017年02月04日
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私などの共産党の国会論戦を知る方法です今、通常国会の代表質問に次いで、予算委員会の質疑が行われています。そこでは、国民のくらしにとって大事な質疑がかわされていますが、日々働いてしる国民にとって、長時間の中継に付き合える人は、ごく限られると思います。私などは、こと共産党に関してですが、この問題を解決しています。一つは、フェイスブックのおかげですが、その質疑の全体を、インターネットで録画を放映してくれていることです。しかしこれだけでは、数時間もノラクラした質疑につきあうことは不可能です。質問者をはぐらかす答弁にかんしては、各閣僚は鍛えられていてお手の物ですから。「質問に対して、端的に、まじめに正面からこたえろ!」と、イライラさせられます。かつて、スリッパでテレビをたたいた人がいたそうですが、気持ちがよくわかります。そうであればこそですが、もう一つの補助として、「しんぶん赤旗」を利用しています。たいがい、翌日の『赤旗』には、「論戦ハイライト」が掲載されます。これがたいしたものなんですよ。「戦前の旧憲法下の法制であり、現憲法で内心の自由を侵害することはない」これは、安倍首相の答弁で、2月3日付の記事なんです。2月2日に衆議院の予算委員会で、笠井亮議員と藤野保史議員が、共謀罪法案なるものは戦前の治安維持法と同じになるのでは、との質問に答えたもの。ああでもない、こうでもないと、グダグダした答弁の中で、安倍首相は、問い詰められて、問い詰められて、ゴタゴタした答弁のなかで、ポロッとこの一言がありました。普通の社会では、問われた質問には正面からしっかり答えるのが常識ですが、国会の質疑の世界では違うんですね、まったく素直に答弁しないんです。質問されたこと以外のこと以外について長々と答えているそぶりをするんですが、聞かれた肝心な点については、答えない。私などは、最初ははぐらかされてたんですが、質問者が、その尻尾をつかまえていて、問いを繰り返すうちに分かって来たんです。大臣の中には、素直な答弁を意識的に回避する技術を磨いている人がいることを。それが分からないと、長々としたやり取りに、ついていけなくなるんです。だいたい働く国民は、忙しいんですから、そんなはぐらかしのやりとりには、つき合いきれなくなるんですが。ところが、解決したんです。新聞で「論戦ハイライト」の活字をみながら、中継録画をみていると、議論している中身が、核心がじつによく見えてくるんです。論戦ハイライトというのは、核心部分の議事録なんですね。肝腎の箇所を、たいへん正確に、忠実かつ要領よく活字にしてくれています。それは限られた時間に、大変な労力かと思いますが、しかし、そのおかげで質疑の肝心な点がよくわかるんです。長時間が、ほとんど苦にならなくなるんです。以上、共産党の質疑については、こうした方法でカバーできるようになったんですが。しかし、そのほかの政党については、まだよくわかりません。ライブ中継を見れる時は、限られていますから、何とか工夫して、改善してほしい。やっている質疑が、正確に国民に伝わるように工夫してほしいものです。もちろん一般新聞でも質疑を紹介している新聞もありますが、なんたって、長時間の質問内容が、せいぜい一問一答くらいしか紹介されませんから。まぁ、無いよりかはましですが、これじゃあ、せっかくの質問が伝わりません。国会議論を隠してしまいたい人たちにとっては、「しめしめ」でしょうが、国民サイドからすれば、そこの所をなんとか努力してほしいと思います。それが国民に分りやすい政治をつくる大事なことになりますから。
2017年02月03日
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不破哲三著『古典教室』第三巻を読んで その3この『古典教室』第三巻を読んで感じた点ですが、やはりエンゲルスの「『フランスにおける階級闘争』1895年序文」の大きな意義ですね。エンゲルスは、1848年『共産党宣言』の基本思想にたって、その後の発展にたって新たな革命観を提起してますが、この問題の重要性ですね。それは、その後の歴史条件の変化をとらえたことで導き出した新たな見地だと思います。第二の『共産党宣言』ともいえるような、新たな革命観を明確化したことです。それは今日、「多数者革命」との言葉で表明されていますが、現代的にも大切な問題ですね。もう一つ感じた点があります。レーニンの評価についてですが、1、レーニンは、このエンゲルスの「1895年序文」を読んでます。この中で、1916年12月25日のアルマンドへの手紙にもある通りです。(P182)従って、エンゲルスの提起を知っていたとおもいます。ではなぜか。私などは、ある著作にはそれが前提する状況と主要な目的・問題があると思うんです。『国家と革命』が主題とした問題ですが。当時のロシアの社会条件の下で、社会主義革命が問題になる。専制政府による合法性の破壊が、暴力による制圧が行われる可能性がある。それに対して、どのように対処して国民を守るのか、それが問われたんだと思います。あくまで『国家と革命』は、ロシアが直面した問題をどうするか検討したんだと思います。(私などの、あくまで検討課題なんですが。)2、レーニンの対応力ですが。やはりアルマンドへの手紙ですが。1916年11月30日付。「マルクス主義の全精神、全体系は、おのおのの命題を、a.歴史的にのみ、b.他の諸命題と関連させてのみ、c.歴史の具体的経験と結びつけてのみ、考察することを要求しています。」これを、ものごとの基本姿勢にしています。実際、この姿勢で対処しているとおもいます。時、所、状況にたいして、吟味する姿勢をもっていたこと。だから、やがては、新たな対応力をつくり出せたんだと思います。3、この問題は、戦前の日本社会の中でも、やはり似たような問題があったと思います。昭和10年代以降、治安維持法による弾圧体制がさらに強化される。今日でも、政府はその民主主義抑圧を誤りとして反省してませんが、とんでもないことですが。その暴圧の下でも、民主主義的な共同方向を、具体化し発展させるべきだったし、探られた。この明暗の実際関係が、今日でも民主主義的共同を発展させるうえでの宝でもあり、同時に歴史的制約でもあるんですね。(最近『戦後文学論争史論』などで知ったことで、私などの探究課題でもあるんですが)この本は、「古典教室」(学習)とはいえ、なかなか現代的な問題だと感じました。
2017年02月02日
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マルタン著『二月革命』(文庫クセジュ)を読んで ガストン・マルタン著『二月革命』(井上幸治訳 文庫クセジュ 白水社 1954年刊)を読みました。 「二月革命」というのは、1848年のフランスの出来事で、150年以上前のことです。この訳書も1954年刊行ですから、今から50年以上前に出された本です。おそらく、ほとんどの人は見たこともないと思います。 ガストン・マルタンは1866年生れのフランスの歴史学者です。訳者の井上幸治氏(1910-1989年)は、秩父事件の秩父生れの歴史家でした。 どうしてこの本を手にしたか。 当方は、フランスの政治史と唯物史観を学ぶことは、今の日本の政治を理解する上でも参考になると思っているんですね。 それで、昨年末にマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読んだんです。理解のほどは怪しいのですが。そして今、あらためて、それと同じ時代を書いた『フランスにおける階級闘争』を読んでいるんです。 そうした関連で、今回、この本を読んだ次第です。 このマルタンの『二月革命』は、以前に、いつかこの問題で読む機会もあるかと思って入手してあったんですが、長年にわたって、本棚でほこりをかぶっていました。 今回、初めて読んでみて、フランスの政治史、労働者の経験というものを、学ぶことの必要性を感じさせられました。 マルタンの『二月革命』ですが、1848年の2月革命から6月事件にかけてのフランスの様子について、フランス人の歴史家ならでわのリアルさをもって具体的に描いているんですよ。労働者も1848年の2月革命で成立した臨時政府に参加しているんです。しかし、当初2月に確認された労働の権利ですが、その期待が、その数カ月後には、臨時政府(ブルジョア共和制)の展開する政策によって空手形になるんです。それがどのように踏みにじられたか。幻想であったか。幻想に変わったか。メディアによって国民から孤立させられたか。そこのところが良く描かれているんです。 一般にこれまで見た歴史書では、事実と事実がサラッと並べられているだけで、6月事件を生みだす社会の実際的な関連が、私などにはよくわからなかったんです。一般的に6月事件を言葉として知ってはいても、事件がおきる背景は、内容や状況はわかっていなかった。 なぜ労働者は孤立していても立ち上がらざるを得なかったのか、どういう状況で無謀な衝突の結果をきたすところとなったのか。そこが見えてくるんですね。 そこが著者マルタンのこの本の功績ですね。又、訳者が感じたであろう共感なんですね。 今、国会では『働き方改革』が問題になっています。過労死を生みだした長時間労働の問題など、法的な規制が問題になっています。国会のやり取りは、のらりくらりで、だれしも歯がゆさを感じさせられると思うのですが。その基礎には、大企業の配慮をつくす政府の姿勢があります。 この問題なんですね。当時のフランスと今の日本とでは、時代や社会条件は大きく違っています。しかし、日本のやり取りを見ていると、当時のフランスの労働者がおかれた状況というものが、良く見えてくるんです。それは逆にまた、日本の労働者の置かれた状況の歴史側面がよく見えてくるんです。 大事なことは、歴史は無駄にすぎてはいないということです。似たような問題が議論されていますが、しかしここには、当時のフランスと今日の日本とでは、社会の発展した経済的関係がちがっていること。そして労働者を取り巻く国民の意識が、大きく違うことです。マルクスが指摘したかった点ですが、歴史の発展は、今日のような状況をつくりだすよ、との見通しです。ここにあると思うんですが。そして、このマルタンの歴史書は、この点を示唆してくれると思います。やはり注目すべき本だと感じさせられました。
2017年02月01日
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