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森宏一著『哲学とは何か』で感じたこと森宏一氏(1901年-1993年)は、気骨ある唯物論哲学者です。難しいことを言う人かというと、必ずしもそうではないんですね。最近知ったんですが、戦前の治安維持法の抑圧の下で、「唯物論研究会」で学術と同会を最後まで支えた人の一人でした。その森氏の著書『哲学とは何か』(合同出版 1976年刊)を読みました。読んだといっても、まだ後半の三節を読んだだけなんですが、「ドイツ古典哲学」「ロシアの哲学思想」「マルクス主義哲学」の三節を読みました。それにより感じたことの二点を紹介します。一つは、ロシアの革命的民主主義の哲学者ゲルツェンを紹介した部分です。ゲルツェン(1812年-1870年)は「ロシア社会主義の父」とされる人の一人ですが、同じくロンドンに亡命していたマルクスですが、その評価には問題点も含んでいました。『哲学とは何か』P236-7 ゲルツェン著「科学におけるディレッタンティズム」(1842-3年)での観念論を批判している部分の紹介です。「ディレッタンティズムとは、科学の畑をさまよって、眺め、そこにあるものを自ら取り上げて研究するのではなくて、眺めて頭におさめていたものを、今度は頭であれこれと解釈する態度を意味している。すなわち、実在している現実を立ちいって研究せず、これを出発点としないこと、これはとりもなおさず生活のうちに入りこまずに頭のなかだけで考えるに過ぎない観念論のやり方なのである。したがって、真に事物の本性を明らかにするには、実践生活の中で当面する現実、人間の意識に対立し外的に存在する現実、これを相手にしてこそしめしだされるものを明らかにしていく態度が必要なのである」と、森氏は紹介しています。私など、昨今の世相を見ると、しばしば感じるんです。テレビは総コメンテーター化というか、事柄につうじる努力をちっともせずに、口先だけで「・・・ではないかとおもう」とか、やたら感想程度のことを、批判的なポーズでもって言いっぱなして、それで自分が高みにあるかのような。これって、たいへん無責任です。放送局の無責任な姿勢そのものだと感じます。「ディレッタンティズム」というのは、他人ごとではないんですね。当時のロシアだけでなく、今日の日本でも、ものごとに対する姿勢そのものとして問われているんですね。この指摘ですが、森氏自身の生きる姿勢によって、照らし出さらた問題であり、現代に生きる私たちへのプレゼントとして読みました。もう一つ感じた点ですが、このこととも関連するんですが、先人の評価が弱いと思うんです。文学でも哲学でも経済学でも法律学でも、日本の歴史的な先人の遺産をしっかり評価することが大切だと感じている点です。身近にあった人物ややってきた業績に対する評価が弱い。たしかに一過性的な口先の評価というのはあるんですが、それはお世辞としての類なんですね。中身の歴史的内容や今に生きる意義をしっかり評価すること、流れとして批評活動として社会の認識に据えることが大事だと思うんです。何か自分が新しい一点を考案したかのように、独創的な発案をしたかのように、述べている人もよく見かけますが。しかし、それらはたいがい歴史の一コマなんですよ。先人の業績があり、それにチョットを加えているだけなんです。独創性には歴史的認識の裏付けが必要なんです。その位置を明らかにすることによって、客観的な社会的な流れを促進する一コマになってくるわけですから。ところが、勘違いして、なにか全くの独創的なことをやっているかの如く錯覚して、結局多くの歴史的な宝の持ち腐れをやらかしている。科学の、日本の歴史遺産を欠落させている。これではせっかくの人々の歴史的な努力が、ものごとの基礎が無視されることになり、もったいないかぎりです。これは、森氏がドイツ古典哲学について紹介しているくだりで感じたんですが、ここで、難解とされるヘーゲル哲学について、簡単に短いんですが、分かりやすくその内容と意義を紹介してくれていました。もちろん歴史的な制約はありますが、造詣のある立派な紹介として読みました。これが知られていないのは、もったいないですね。ともかく、まだ『哲学とは何か』の全体を読んだわけではないのですが、その一部分を読んでいて感じさせられた事柄です。
2017年04月30日
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再度、この時期の自然です4月28日は、タケノコ掘りの招待で、早川の石垣山に行ってきました。記録によれば、今回で私が参加したのは3回目でした。これまでは観戦者にとどまっていたんですね、今回は、カメラを置いて、タケノコ掘りに参加してきました。しかし、小田原・早川の自然は、この時期はそれだけじゃないんです。一つは、お茶の葉の生育です。みかん園の境界には、よくお茶の木が植えられています。今年は、生育が少し遅くで、それでも5月の6日以降には製茶工場が稼働します。真鶴のお茶は、距離は15キロくらいしか離れてないのに、生育が早川より少し早く進んでいます。当地の「足柄茶」の、新茶の季節が近づいているということです。農協は、期間限定ですが、これらにたいして製茶工場を稼働してくれます。二つ目は、甘夏の収穫です。4月上旬から始めた甘夏の収穫は、今回で7回目。今回は、170個を収穫しました。甘夏の収穫は、今回で山場を越しました。これは、収穫したあとの甘夏の木です。まだ、300個くらいは木についていると思いますが、黄色が目立たなくなり、常緑樹が復活しつつあります。この時期、みかんの木には、早いものには花芽が目立つようになってきました。甘夏は、多くの場合のように、果実を採って実がなくなってから花が咲きだすのではなく、大きな果実をつけたのと同じときに、同じ枝に併存して花が咲くんですよ。これって、不思議ですよね。それと、収穫時期が様々に異なるさまざまな柑橘の果実ですが、花が咲く時というのは、5月のゴールでウィークのころと共通で、同時なんです。これも不思議ですね。『万葉集』には、ハナタチバナをうたった歌がたくさん残されています。文化勲章もその花を模したものだそうですが、むかしから尊ばれていたんですね。みかんの花の時期には、みかん園周辺には、清楚なよい香りがただようんですよ。癒しの香りですが、今年ももうすぐです。最後は、待ち人来たらずのことです。当方は、みかん園でミツバチを飼うことを目指しているんですが、昔、小さい頃、そうした養蜂家の方が、近くに住んでいたんですね。ところが、3回挑戦して、みかん園に定着させようとしたんですが、3回とも失敗してしまいました。キンリョウヘンをおいて、二ホンミツバチが来るのを待っているところなんですが。話に聞いていたのとは違って、これまで、一向にやってきてくれません。みかんの木には、せっかくこれから花がたくさん咲くというのに、アシナガバチは巣づくりをしようと、再三一生懸命がんばっているのに、肝腎のミツバチの方はいないというのは、さびしいものですが、今は仕方ありません。春の神奈川県西部のみかん園ですが、自然がたくさんの宝物を提供してくれていて、昨今の政治世界とはおお違がい。こちらは、人に優しく、めぐみぶかい。これが、自然と社会のあるべきそもそもの自然な姿だと思っているんですが、そのためには、社会の成り行きに任せず、もっと努力が必要だということです。
2017年04月29日
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早川の石垣山で、タケノコ掘り4月28日、早川の石垣山でタケノコ掘りをしてきました。みかん畑の広がる石垣山では、この時期、タケノコ掘りが楽しめます。私などの習慣には、タケノコはまったく無縁で、新手の経験だったんです。先乗りして、足場の整えてくれていた人たちが、『あるある、タケノコがいっぱいある』と、しきりに言っていました。わたしなどは、はじめは目が慣れてないので、チョコンと頭を出しているタケノコですが、これを確認することが出来なかったんです。たしかに、地中にはそこかしこに宝があるようで、それぞれが掘り始めていました。私などは、先乗り者が、タケノコのある位置を目印してくれていたので、まずは、そこから掘り出しに挑戦です。しかし、ほとんどは地中にあるわけですから、どの様に掘り出したらよいのか、下手に力任せに鍬入れしたら、せっかくのタケノコを壊してしまいます。それで、大ベテランから、タケノコ掘りのコツの手ほどきを受けました。上手にタケノコ掘りをする秘訣です。1、周りを掘って地下茎の根の向きをつかむこと、2、地下には「し」の字に根が張っているから、その元の方に鍬を入れるようにすること、3、竹の輪を丁寧に切るようにして、テコを使うのは最後の段階だ、と。そのように、注意して丁寧にほらないと、肝心な部分がかけてしまう、とのこと。見ていただけでは分らないもので、やはり独特のコツがありました。人間の欲というのは、大事なもので、ほどなく、私などにも、そのコツがつかめて、掘り出せるようになりました。いやぁ、この時期、竹林の地中には宝がいっぱいあるんですね。目が慣れてくると、そこかしこに、にょきにょきと頭を出しています。ここにも、そこにも、またこっちにもと、まさに桃源郷は宝の宝庫でした。当方も、この様子を知って、紹介するだけのつもりでしたが、鍬を手に、時間いっぱい、タケノコ掘りに汗を流す羽目になりました。収穫したタケノコは、さっそく米ぬかを混ぜて、ゆで上げていました。タケノコの湯で揚げは、柔らかく美味しくするには、2時間は必要とのこと。みんなで昼食と懇談している間に、大きな鍋でゆで上げていました。今日は、早朝には雨も降ったようですが、陽が昇りだすとともに、きれいに青空が広がりました。当方は、この後は、甘夏を収穫してきました。早川の石垣山は、知れば知るほど、自然の宝がいっぱい隠されています。
2017年04月28日
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ジョルジュ・サンド著『愛の妖精』を読むサンド作『愛の妖精』(足沢良子訳 岩崎書店 世界少女名作全集5 1973年刊)を読みました。一作を読んだくらいで、理解もへったくれもないのですが、少なくとも、読みっ放しにするよりかは、多少はましかとも思います。フランスのジョルジュ・サンド(1804年-76年 72歳)の、1849年の作品です。訳者の解説によると、1848年2月革命では人道主義・社会主義に立っていたそうです。6月のパリの市街戦で労働者は鎮圧され、サンドも故郷のノアンへ帰った。動乱ですさんだ人々の心を、物語を書いて慰めようとした、とのこと。フランスの文学をほとんど知らない私ですが、この作品からは、フランス人の女性のデリカシーというか、繊細感というか、そうしたものを感じさせられました。今、大統領選で、声高に排外主義を唱えている女性候補がいますが、同じ女性でも、だいぶ印象が違います。この中にこんな部分があります。「もし悪魔がいたとしても安心している。悪魔が私たちの魂を神様の手から奪うなんてことはけっしてできない。この世は神様のものだから。世の中や人を自由にする力は、神様だけがもっているのだから」私の勝手な解釈ですが、ここには、汎神論というか理神論的な、一元論の考え方をもっているように思います。政治的な逆風の中でも、社会進歩の客観的な行程を、愛の妖精のような存在を通して、人々を励まそうとしている、・・・などというのは、これはあまりに根拠の薄弱な、勝手な走りすぎの感想ですね。全体として、ショパンやリストたちが、どこかその魅力にひかれたということが、少しですが分かりそうな感じがしてきます。か弱き人であっても、社会の偏見にもめげずに道理ある信念を大切にしようとしている生き方を、ジョルジュ・サンドは、そんな崇高さをも感じさせる精神を、ささやかな形で表現したものではないでしょうか。やっぱり、材料不足ですね。ほんの一作からの、走りすぎの憶測的な感想です。
2017年04月27日
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「甘夏に青カビが出ているのがある」4月27日、甘夏について「青カビが出たのがある」との苦情がありました。せっかく購入していただいたのに、まことに申し訳ありませんでした。フキの方は、しおれないように水に浸しておいたんですが。甘夏の方は逆で、果皮の乾燥が必要なんですね。それを一緒にしておいたのが良くなかったようです。甘夏の方は、収穫する前日に雨など降ったりした場合は、要注意でした。一見乾いているようでも、そうでないものが含まれてしまう。それに加えて、採る時に、ヘタに切り枝が残っていると、隣の果皮を傷つけちゃう場合があるんですね。そうならないように、採り方にはよく注意はしているつもりなんですが。一個の部分が痛むと、すぐ取り除くようにしないと、傷みが広がっちゃうんですね。よく注意はしているつもりなんですが、それでも出てしまう場合があります。不快な思いをさせて申しわけありません。もしも、傷物が出た場合ですが、ちゃんとしたものと交換するようにしていますので、はやめに、お知らせください。申し訳ありません。
2017年04月27日
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私などの尊敬できるひとり-哲学者の森宏一氏人間というのは、時として信頼を裏切る人もいますが、私などがこれまで右往左往してきた中で、この人は信頼できると思っている人を紹介します。その一人は、哲学者の森宏一氏(1901年8月21日-1993年2月9日)です。すでに死去されているんですが。森宏一氏の名前を知ったのは、古典作品の訳者としてでした。1、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(新日本文庫 1975年)2、レーニンの『唯物論と経験批判論』(新日本文庫 1979年)古典の翻訳というのは、いろいろな方によってなされているはずです。それなりの学術的な内容がないと、翻訳の委託もされないだろうし、時代のなかに作品として、長く残らないと思うんです。たまたま、手元にあった二つの古典の訳者が、森氏だったんですね。それもさることながら、最近になってですが、戦前の「唯物論研究会」にかんする座談会を、読むことがあったんですね。3、『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年)4、『戦時下の唯物論者たち』(青木書店 1982年)この二つの座談会を読んで、その存在が浮かび上がってきたんですね。戦前の日本では民主主義的運動は、治安維持法によって弾圧されたのはご存じのとおりです。プロレタリア文学運動がそうだったように、哲学分野での唯物論研究会もしかりです。野蛮な思想の取り締まりに対して、民主主義と学術を守って頑張った存在があった。敗戦により逆立ちした関係は正されたんだけれど、あらためて、唯物論研究会などのはたした役割、内容、活動の意義について、その弾圧は誤りであったことを、明確にすべきなんですね。それがなっていないんですね。関係者によっても、中身の先駆性や今日的意義を明らかにする試みがされました。これらの座談会は、それなんですが。それは、基本が説かれているくらい。全体性の解明や継承は、今日に、戦後世代に残された宿題なんですね。この二つの座談会は、当事者たちが検討している貴重な議論であると見ました。この議論の中で、唯物論研究会に関しては、発言の中身からして、森宏一氏の重要な存在、役割があらためて再認識させられました。それまでは、私などには、森氏は訳者としてしかその名前を知らなかったんですが、地味な存在で、印象としては個人として目立つ存在ではなかったんですが、その座談会をとおして、気骨ある唯物論の哲学者だったことを知りました。唯物論研究会を最後まで守ろうとした人だったんですね。こうした戦前からの気骨ある哲学者は、何人かいると思うんですよ。ところが、私などはそうした歴史に疎かった。その疎かった背景には、私などの学ぶに怠慢だったということもありますが、もっと大きな社会的な状況がありそうです。戦前、戦後の哲学に関しての評論が、歴史評価が、全体として少ないんですね。これじゃぁ、せっかくの学術遺産が霧の中に埋もれてしまいます。その道の見識者は、もっとしっかり文芸評論を示してほしいとおもいます。なぜなら、今、憲法すらも粗末にする風潮があるでしょう。邪道が政治世界にもまかり通るのは、憲法にしても、文芸にしても、正論がわきに押されているからです。もっとむねをはって、貴重な価値ある遺産を評価する厚い論陣がはられるべきです。森宏一氏について、私などが知っている範囲は狭いものですが、それでも、大事な業績を残された方だと感じてきます。その全体を語れる有識者が、世間にはたくさんいるはずなのに、それが見えないということは、なんとも、もったいないことです。邪道が横行するのも、自らを恥としないのも、こうした関係があるからなんですね。
2017年04月26日
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お茶摘み、6年前の体験です新緑の季節となりましたが、それはお茶摘みの季節です。みかん園の土手には、崩落を防ぐため、お茶の木が植えられているのですが。今年も、八十八夜(5月2日)が近づいてきました。今年は、春先の冷え込みもあって、少しですが生育が遅い。これは今年の4月20日の時ですが、お茶摘みまで、あと少しのところまで来ています。お茶摘みといえば、6年前の体験が思い浮かぶんですね。神奈川県の西部でも、2011年3月11日の原発被害が発生していたんです。これは、6年前の、2012年4月25日のブログです。JAの指導で、お茶の木の「中切り」が行われたんです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201204250000/この神奈川県西部の地域は、「足柄茶」の産地となっています。静岡ほどの大規模な栽培ではないにしても、なかには、かなり本格的にお茶づくりをしている人たちもいます。当方は、少しだけ、自家消費を楽しむくらいなんですが。そのお茶づくりをしている全農家に対して、お茶摘みの時を目前にしてですよ、初めてのことですが、JAから全農家への講習会への招集があったんです。それが、良いお茶をつくる講習会ではなくて、すべて切り捨てるための講習会だったんです。いっせいに、枝の元の方から全部切り捨てるように、との指導だったんです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201204120000/放射性セシウムをふくんだ風が、海の方から吹きつけたのだそうで、この年のお茶っ葉については、全部捨てろとのことでした。福島原発からどのくらい離れてますかね、それでも事故はこの始末です。当然、東電に損害賠償の責任がありますが、そけは形式的なもの。それにはめんどくさい手続きをとらなければなりません。しかし農家には、この時期には、そんなことに手を割く暇はないんですね。今日も、佐賀県知事が、玄海原発の再稼働に同意などとの報道があります。「過ちをくりかえすな」とは、どこかで聞いたことがありますが、今、政治をして、その責任を果たさせるには、もっと大きな国民の力が必要です。原発共同体の利権のもたれ合いに、国民の生活をゆだねるわけにはいかない!それが、6年前のささやかですが、大きなお茶の体験です。
2017年04月25日
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宮本顕治対談集『人生・政治・文学』を読んで宮本顕治対談集『人生・政治・文学』(新日本出版社)は、1977年3月5日に出されたもの。第一部で6名、第二部で6名の、計12本の対談です。春のこの時期、旬のみかん仕事などで、ドタバタ動き回っている当方ですが。どうしたわけか、だいぶ以前に読んだこの本を、読みかえすことになりました。というのは、宮本百合子の戦後の社会評論を読んで感じたことですが、今日、私たちがぶつかっている問題の本質が、そこに語られていたと感じたんですが。今回の宮本顕治対談集も、それに輪をかけたものだったんです。いちばん古いものは、「文学と政治」(加藤周一氏と 『展望』1949年4月号」)です。一番新しいものは、「身辺のこと、政治のこと」(清水義汎氏と 『週刊現代』1977年1月6日号)つていで「日本の風土にふさわしい科学的社会主義の道」(飯塚繁太郎氏と 『文化評論』1976年10月号)ですが、この他にも、60年代のが2本、70年代のが7本と、いずれも個性と内容のある、フレッシュな対談です。私などが、ついつい引き込まれてしまったのは、百合子評論と同様に、戦後日本の本質問題、課題が語り合われていたからですが、一人ひとりの対談の相手によって、多彩なテーマで、多岐な問題分野に及んでいるんですね。しかもそれぞれの話が弾んでいて、笑いが絶えない。くわえて、新生面を開こうとしている創造的な対話になっていたからです。この本が刊行されたのは、40年前のことですから、すでにかなりの古書となっています。今、この本を手にしうる人は、ほとんどいないでしょうね。せっかくですから、中身について、幾つか問題を紹介しましょう。1、今、国会では共謀罪が問題になっていますが、「戦犯暗黒勢力の時代逆行の陰謀許さず」(韮沢忠雄氏と 『赤旗』1976年2月22日) 宮本氏自身が治安維持法で獄中で生死をかけた当事者の体験による発言です。戦後国民が勝ち取った民主的自由は、様々な形で時代に逆行する勢力と対決して、その上に今があることが語られています。70年代を知ることで、現在というものが良く見えてきます。2、日本における科学的社会主義を、創造的に発展させようとの精神に注目ですね。「日本の風土にふさわしい科学的社会主義の道」(飯塚繁太郎氏と 『文化評論』1976年10月号)「自由で寛大な社会主義」(江口宏氏と 『サンデー毎日』1974年6月16日号)「「自主独立路線」のうちとそと」(松本清張氏と 『週刊朝日』1966年12月23日号)これらの対談の相手ですが、飯塚繁太郎氏は読売新聞解説部長、江口宏氏は毎日新聞編集局次長などですから、当時のジャーナリストは、気骨と良識のある個性派でしたから、ズバズバと社会的に関心のあった問題に、率直なやり取りによって、核心的な議論がさわやかに展開されています。まあ、テーマからして、簡単に片付くものではなくて、歴史の過程です。現在では、先人の努力により、基底なものに変化・定着したものとして見れるものもありますし、引く続き、新たに課題として展開しているものもあることを見て取れると思います。
2017年04月24日
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桃源郷でフキを採ってきました早川の石垣山は、みかん畑だけではありません。4月23日は、甘夏とともにフキを採ってきました。春のこの時期は、フキが旬です。日本人は、独特の苦みのある味と、その香りを、昔から楽しんできたんですね。多摩の団地に、お試しでフキをだしたところ、大変に好評だったんです。大体、野辺に生えているフキですから、みかん園では珍しいものではありません。他方、都会の生活者には、春の味と香りで、珍重してくれる人がいます。この二つをつなぐのが、当方の役目の様です。草の伸びた、ひと一人が通れるくらいのけもの道ですが、その細い道をぬけると、窪地に小さな畑が広がっていて、まるで桃源郷です。もう大きく、硬くなったものもあるでしょう。これじゃぁ、逆立ちしても採れ切れませんし、運びきれません。こうして採ったフキは、10本くらいの束にして、車に積んで、どんどん都会の団地の人たちのもとへ運びます。これだけ生えていると、お金の問題じゃなくて、無駄にしないことが大事なんです。そうはいっても、資本主義社会ですから、東京-真鶴間をいち往復すると、ガソリンと高速料で3000円がかかりますから、せめてこの交通費くらいは、続かせるために、埋めたいと思っているんですが。朝、6時39分、小田原厚木道路の小田原サービスエリアから見えた富士山です。同じ場所から、富士山が見えるたびに撮っているんですが、同じ富士山が、その都度自然状況が違って、異なる姿になります。今日も真鶴園では、ミツバチの巣箱を改造したんですが。今日は珍客がありました。ミツバチ用の重箱式巣箱を干しておいたところ、アシナガバチが巣づくりを始めようとしていたんです。アシナガバチの女王蜂も、最初は一匹での巣づくりをするんですね。何事も、最初の仕事始めは大変なんですね。せっかくの仕事始めですが、アシナガバチの為の巣箱じゃないので、濡れた草むらの中において、巣づくりの場所を他にかえてもらうようにしました。二ホンミツバチが来てくれたら、大歓迎なんですが、なかなか人の目論見通りにはいかないものです。しかし、春本番で、蜂が動き始めたことは、これは間違いないということです。
2017年04月23日
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フキと甘夏を完売しました4月22日(土)、多摩市の団地でフリーマーケットが開かれ、当方も、一昨日に収穫したフキと甘夏、レモンを並べました。何しろ、この団地のフリーマーケットに出すというのは、初めてのことです。当方が甘夏を並べた場所のすぐ近くには、八百屋さんもあるじゃありませんか。遠慮して八百屋さんにないフキを前面に出すようして、甘夏は二つ、三つの袋を並べただけだったんですが。駐車場に車を置きに行っていた間に、『味見はないの?』『どこでとれたの?』すでに2,3人のお客さんが品定めをされていました。お客さんに対しては、説明しなければなりません。遠慮もしていられません。ドンドンと味見用の甘夏を提供させてもらいました。試食してもらうのが一番なんですね。それに、団地のみなさんは、フキも甘夏も今が旬だということは、よく知っていました。出品は、午前9時から搬入して準備をはじめたんですが、ドタバタしているうちに、用意したきた甘夏20袋、レモン10袋、フキ20束でしたが、午前11時15分には、すべて完売してしまいました。団地の人は、目が高いですね。これなら、もう少し用意しておけばよかったんですが。初めての出品としては、これは上出来だと思います。
2017年04月22日
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真鶴半島は、箱根山の溶岩によって出来たこの4月2日に、箱根・入生田にある県立地球博物館を見学する機会がありました。去年の3月に退職した職場の「退職者の会」が、当地にやってきたんですね。生活者は、日ごろの生活圏については、まったく疎かったんですが。これまで伝聞していた一つのことが、この博物館を見れたことにより、納得する所となりました。「真鶴半島は、箱根山の溶岩によって出来た」との点です。一、真鶴半島の成り立ちが、地質学的に証明されていたんです。真鶴の名産になっている小松石ですが、これも溶岩の産物だったんですね。「本小松石溶岩グループ」がそれを示していましたが、岩石の違いは、溶岩流の違いに寄っていたんですね。二、箱根山とその周辺の絵図を見れば、さらに明らかです。箱根山は、大涌谷など今に残る噴火のあとがありますが、そうした中心部のほかにも、外輪山の外側のすそ野でも噴火があったということです。三、その箱根山火山が、現在の形をつくるまでの歴史経過が開設されていました。現在のだいたいの形が出来たのは、約3000年前の噴火によるものだったんですね。そこの周辺に暮らしている人たちは、自分たちの自然環境が出来たいきさつについて知らないと思います。私なども、地球博物館がそこにあることは知っていましたが、今回「退職者の会」が見学をしなければ、そこに足を踏み込むことはなかったんですから。生活者にとって、地球博物館を見学することなどは、なかなか機会が無いと思います。私なども、偶然にめぐってきた機会でした。四、もう一つ、貴重な映像写真が展示されていました。上空からみた、宇宙から見た真鶴半島の映像です。富士山-箱根山-真鶴半島の位置関係がわかります。これによって、富士山が箱根山によって視界がさえぎられていることがわかります。また、地上から見ると、三浦半島と房総半島の区別が、なかなか識別しにくいのですが、その地理関係が分かります。もう一つ、実際に三浦半島を見て、江の島がどこにあるのか、わからないのですが、今回宿泊してみたら、夜になると江の島の灯台の明かりが点滅することでわかるんですね。昼間には燈台の明かりは見えませんから、なれていないと江の島の位置は分かりません。源頼朝は、真鶴の岩海岸から房総に逃れたわけですが。石橋山の旗揚げで敗れて、普通なら自害するところ、そんなことはせずに、小舟で、相模湾を横断して、房総の千葉に逃亡したこと。それから2カ月後が、富士川のたたかいですから、すごい時代と個人の変化です。この九死に一生を得たことで、新たな時代の転換が始まったんですね。ものごと、どんな逆境であってもあきらめることなく、新しい時代にむけて頑張れと、この航空地図が示しています。
2017年04月21日
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早川で甘夏とフキを収穫してきました4月20日、真鶴と早川のみかん園に行ってきました。午前6時25分、小田原サービスエリアから見た富士山です。今日の真鶴園ですが、1、ミツバチの巣箱の改造作業を完了しました。この巣箱の原型は、久志冨士男さんという方が考案されたものです。久志さんは、すでに亡くなっているんですが。その原型に、巣門と天板に手を加えて、完成させました。これで、今回の巣箱改造の基本作業を完了することが出来ました。2、その他には、甘夏とノビルの収穫です。これは、そのノビルです。ノビルは、私が見極めが出来る数少ない野草の一つです。3、その他では、お茶の葉の生育状況を確認してきました。5月2日が八十八夜です。例年だと、この日を前後して、ゴールデンウィークあたりで茶摘みをしているんですが、今年のお茶の生育は、少し遅くれているようです。今日は、JAの事務所に寄ってきたんですが、明日、当地のJAのお茶の関係者で、生育状況と収穫予定の検討会が開かれるとのことです。それをふまえて、製茶工場の稼働日がいつになるか決まるんですね。いずれにしても、茶摘みの時期が、間近に近づいてきているのは確かです。その他、JAでは直売所をのぞいて、生産物の価格をリサーチしてきました。まず、甘夏の価格です。甘夏は、4個が200円で販売されていました。つぎは、フキです。これはノブキでしょうか、かなり細い。一束、150円から200円の束にして売られていました。その他、いろいろな産物が並んでいましたが、当方が、目下扱っているのは、この甘夏とフキです。東京で販売するに際し、値付けの基準として、リサーチさせてもらっています。このJAの後は、早川のみかん園に移動しました。今日の本題なんですが、甘夏とフキの収穫をしてきました。甘夏200個とフキ400本。今日はこの二つの収穫物を車いっぱいに積み込んで帰ってきました。
2017年04月20日
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『資本論』を読むチャンスの様です雑誌『経済』は、本年1月の「変革の時代と『資本論』」に続いて、5月号に大特集「『資本論』第1巻150年」の特集号を刊行しました。どうやら今が、『資本論』を学習する上での、一つの好機となっているようです。私などの『資本論』とのかかわりですが、『経済』5月号に石川康宏氏が、「自宅の本棚に、『経済』の1967年臨時増刊号が残っていました。」「ぼくがこれを手に入れたのは、1975年に入学した大学の生協書籍部でのことでした」と書いていますが、私などもほとんどこれと同じ状態なんですね。学生時代は、第1巻を読めたくらいでした。その後、社会人になってから、学習サークルを作って、第1巻を、1994年8月から96年11月にかけて、2年4か月、53回かけて学習しました。第2巻は、1997年3月から98年7がつまで、32回で学習しました。第3巻は、1998年8月から2001年10月まで、62回かけて第52章「諸階級」を終えました。まぁ、中身の理解力というのは、市井の面々のことですからあやしいものですが、とにかく、この大著を終わりまで踏破したことが、努力賞だったと思っています。当時は、ワープロは使い始めてましたが、インターネットもブログもありませんでした。だから、自分たちで簡単な通信記事で報告集をつくる程度だったんです。第3巻を終了したころ、私も含めて仕事場が変わったこともあって、学習会はその活動を終了したんですね。以来、この中身にかえることもなく、今日まで来たんですが。マルクスは、1867年4月2日に『資本論』第1巻を書き上げたとのことです。いまから150年も前の著作ですが、日本では明治維新の直前、薩長同盟が出来た頃なんですね。そのころ書かれた本が、現代社会も視野にして、社会の本質をとらえているというんですね。最近、近隣でも『資本論』の学習がすすめられていると聞きます。今回の二つの『資本論』第1巻刊行150年の『経済』特別号が刊行されました。今現在の、初心者の学習のもっとも配慮された「学習の誘い」の書だとおもいます。私などは、このブログとインターネットが学習会の場なんですが、複数の人が直に顔を合わせるということは、もはや出来なくなっているんですが、この機会に、ふたたび『資本論』学習をテーマの一つにしたいと思っています。
2017年04月19日
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4年前の学習、『宮本顕治著作集』第5巻を読んでフェイスブックの刺激による学習の過去帳ですが、4年前の今ごろは、『宮本顕治著作集』の第五巻を読んでいました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201304090000/宮本顕治氏は1908(明治41)年10月17日に生まれて、2007(平成19)年7月18日に98歳で亡くなりました。私などは、1969年に東京に出てきて、はじめてその存在を知ったのですが。やはり戦前の半封建的な社会にあって、日本の戦争反対と民主主義革命路線を掲げ続けた。治安維持法の最高刑は死刑です、獄中12年間の暴虐にも節を曲げずにいた稀有な存在です。同時代者というわけではありませんが、私などと30余年を生きて重なる人です。宮本百合子の戦後の社会評論の中には、戦後日本の本質問題がとらえられているように、宮本顕治氏の著作集の中にこそ、日本の基本的な本質問題を読み取ることが出来ます。社会問題というのは、社会の一定の諸条件の中で、問題は形を変えても同じ本質が現れてきます。エンゲルスいわく、「その時期はドイツが1848年の革命を準備した時期であったのであり、それ以来、我が国でおこってきたすべての出来事は、1848年のつづきにすぎず、この革命の遺言執行にすぎないのである」(『フォイエルバッハ論』より)だから、現象は新たなものでも、本質問題は、亡くなられた方の著作集の中にとらえられていることが、多々あるんですね。日々の現象は、多岐の問題において、派手な取り上げ方をされて、私たちに自転車操業的に迫ってきますが、本質は系統的なわけです。同時に、これは私などの主観ですが、宮本氏の特徴ですが、それは獄中の過酷な条件を耐え抜いた力でもあると思いますが、世界観的な基本姿勢をもっていたということですね。いつ、どのような努力により、それが身についたのかはわかりませんが、著作集で見た限り、戦前の文芸評論にも基調が見られます。いつから身についたのか、ということは分らないのですが、結果論的に見て、おそらく戦中の試練、戦後の「50年問題」の試練は、それが基本にあったからこそ、くぐり抜けれたのでしょう。私などが1969年に演説会などの話を聞いた時には、そんな問題は意識に登らなかったんですが。今にして思えば、その時点までに、そしてその後においても、世界観的な前進が行われていたということです。そのことを感じさせられる著作集でした。この著作集から何を学びとれるのか、それは、それぞれの人に問われているわけですが。この点で、まともなシンポジウムも、討論や議論を聞いた覚えがないんですね。私などが、4年前に、あえて感想を発信したのには、そうした思いがあったからでしたが。せっかくこうした宝があるのに、それを持ち腐れにしているようでは、後世はまったくのなまけものだと言われても、仕方ありませんから。
2017年04月18日
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マルクスのヘーゲル哲学批判についてフェイスブックをやっていると、過去の発信が「思い出」として自動的に再現してくれます。それを機会に、さらにさかのぼってみると、5年前の今ごろですがこんな学習をしていました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201204140000/まだ根本的に底をついたものにはなっていませんが、少なくともマルクスが、ヘーゲル哲学をどの様に批判しようとしていたか、その点は、見えてくるかと思います。このマルクスの『経済学哲学手稿』ですが、1844年当時に刊行しようとしたんですが、結局は刊行できなかったんですね。ずっと草稿のままお蔵入りしていたわけです。おそらくエンゲルスは、きっとマルクスが亡くなった(1883年)後で、遺稿集の中からこれを見つけたんですよ。なにしろこれは、唯物弁証法の発見するための努力を記録したこの草稿でしたから、あらためて問題の重要性を感じたんだと思います。スタルケの本は、確かに一つのきっかけではありましたが、あくまで、目的は新しい世界観がどのように発見されたか、若いころの考察についての紹介です。しかし、なにしろ原文はゴタゴタしていて、そのままの形では一般にはなじまないと思ったでしょう。それで、1886年に「フォイエルバッハ論」を新聞に発表したんですね。現代人にとっても、何が問題であるかを理解しやすいようにして。だから、『フォイエルバッハ論』を一般的に念頭において、1840年代のオリジナルを確かめておくとの学習課題があったわけです。あくまでこれは、私などの推測によるものですが。これは、ものごとに臨んでの基本的な姿勢の問題であり、一般的にではあっても、社会発展に対する見通しをふくんでいる。そのことを理解するのが基礎的課題です。しかし、それはあくまでそれは基礎です。レコードを聴くように、その名文句を繰り返しているだけでは、人としてなまけものです。その方法・見通しをもって、それぞれの人の生きている、社会状況と課題を明らかにすること。この作業は、その時代と社会全体の人々の努力にかかっているし、それは時代の共同作業です。そうした成果や歴史を、真摯に吸収する努力が求められている。しかし、その上で一番肝心なのは、その人自身の、自分自身の問題です。こうした基礎の上に、自分自身の生き方を、努力の目標を、役割を明確にできているかどうか。他人を批判することは、自分自身を明確にする上で大事だし、比較的に容易なんです。他人のことは、対象として、よういに見ることができますから。それに対して、難しいのは自分自身へ役割・責任への自覚なんでしょうね。社会的にひどい状態というのは、確かに対象の問題ですが、しかし、どこかで自分自身ともつながっていますよ。その係わりが見えてくれば、自分がやらなければならないことも見えてくるかと思います。歴史的な課題を前進させる努力は、自分の努力ポイントをたてることでもあるんですね。えぇっ? いったいなんの話だったでしょうか。
2017年04月18日
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雨が降りだす前に、甘夏とふき採りでした4月17日(月)は、雨が降りだす前のひと仕事でした。午前6時6分、小田原から見えた富士山です。西から低気圧による雨が接近しだしています。いつ雨が降り出しても、文句は言えない事態です。今日の作業は、西から迫ってくる雨との競争でした。午前6時35分、真鶴のみかん園に着きました。ここでの中心課題は、引き続きミツバチの巣箱の改造作業です。久志冨士男さん、この方はすでに亡くなっているんですが、ミツバチの愛好家です。この方の考案した重箱式の巣箱ですが、私はこれまで巣枠式を追及してきたため、重箱式巣箱を巣枠式に改造してきたんです。それを今回、もとの重箱式巣箱にもどすよう改造しなおしているわけです。それの方が二ホンミツバチの自然の習性にあっていると感じたからなんですが。午前10時半、雲ゆきが怪しくなってきました。天気予報が当たっていました。巣箱改造は、8割方の改造をすませて、直ちに真鶴園を後にしました。もう一つの主題、早川園の甘夏の収穫ですが、これは、雨が降り出すと収穫が出来なくなりますから。さいわい、天気の崩れは、予報のとおり夕方に伸びました。わき目もふらずに、甘夏を150個収穫しました。ヤレヤレです。ここまでくれば、あとの残余の仕事はおまけのようなものです。おまけの第一は、サトイモの種芋の植え付けでした。今回、新たに13個の種芋を植え付けしました。以前にサトイモについては、すでにそこそこの植え付けをしています。ですから、きっとこの冬は、自給できるはずです。八百屋さんを通して、他の農家の世話にはならずに済むはずなんですが、どうでしょうか。さらに、おまけの第二は、フキの収穫です。5日前のこと、真鶴園で巣箱の改造をしていたら、電話が入りました。早川園の園主からでしたが、「お花見しているんだけど、こないか」との誘いでした。これが、その会場だったんです。自然の桜の景色ですが、これが最高なんですね。ところが、それに対して、当方は風流を解しませんから、お花見どころか着いたそうそう、野草の解説を注文したんですね。春の山菜の解説を求めたんです。まあ、今回も、その延長線上なんです。花より団子で、土手に生えている山菜が貴重だと感じている次第です。この土手に、フキがたくさん生えているのが分かるでしょうか。これは、今回収穫したあとの様子です。それでも、まだこれだけ生えているんですから、まだまだ一頑張り出来るんですが。売れないことには、あだな努力になりますから。とにかく、早川園は、まさに「宝の山」ですね。前回試しに収穫して、4月15日に多摩の団地の朝市で、このフキを提供しようしとたんです。すると、朝市の始まる前に、欲しい人が出てきて、すぐに無くなっちゃったんですね。提供する人の気持ちもわかるし、たちどころに抑えられる気持ちもわかります。都会人の自然の山菜を求める気持ち、四季の香りを求める気持ちはよくわかるんです。フキは、春の山菜として、独特の苦味があって、春の季節感を味あわせてくれますから。一方では、都会では、季節感から求めている人がいるのに、他方、産地では、雑草とまでは言わないまでも、放ったらかしにしている状況を多々見かけます。この季節感ある貴重な自然の作物を、「なんと、もったいない」と感じる当方としては、予測と、現実は合致していました。当方の定年退職後の、余生ですが、この都会人と、近郊の自然や農家の産物とをつなぐこと、これが余生の仕事と感じています。このフキについても、8本を一束にして100円にして、この旬のうちに、これを、ジャカジャカと都会に提供しようとしている次第です。都会にも喜ばれるし、農家にとっても貴重な現金収入になりますから。ところで、この季節感を楽しんでくれる人たちですが、この世知辛い今の世ですが、はたしてどれだけいるか。それは知りません。が、とにかく、当方としては、楽しみの機会だけは提供したいと思っています。甘夏にしても、フキにしても、それらの美味しい旬の時というのは、限られています。時が勝負なんですね。あれこれの、政治のふがいなさにあきれ怒れることも、それはもちろん当然なんですが、それによって、桜の満開を見逃すように、これらの旬を味を、うかつにも通り逃すとしたら、これは人生もったいないですね。日本の四季の素晴らしさを見逃すなんて、来年もあるかどうかわからないのに、あほな政治に翻弄されるなんて、もったいないことです。もちろん怒らずには済みませんが。小田原、真鶴は、都会のすぐ近くにある貴重な自然です。この義憤をいだくのは当然ですが、それにより宝を見逃すなんてもったいないことです。
2017年04月17日
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甘夏の出荷が始まりましたもうすでに動き出しているんですが、この時期は、甘夏の出荷です。写真は、4月10日のものですが。本当は、5月をまって出荷するつもりだったんですが、完熟して落果するものが出だしているんですね。これが、早川園にある甘夏の木です。最初に、4月6日に味見用に30個収穫したんですが、その味は合格でした。4月10日には、二回目として100個を収穫。4月13日には、三回目として190個を収穫しました。収穫は、雨でぬれていては、傷みやすくなるので収穫できません。天気の具合を見通しながら、収穫開始です。これだけ大きな木ともなると、せいぜい160個くらいずつしか採れません。収穫したものを搬送しなければならないし、販売もしなければなりませんから。販売しなければ収穫出来ない訳です。流通がパンクしてしまうわけです。ということで、今が旬の甘夏の出荷が、いよいよ始まりました。
2017年04月16日
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日本共産党の街頭演説会が開かれました4月15日午後1時から、八王子駅北口で街頭演説会が開かれました。清水ひで子都議会議員が、市場問題をはじめとする都政問題について。築地市場の問題ですが、これまで移転を推進してきた自民・公明ですが、自民党は危険物質の出ている豊洲へ、あくまで移転を迫っているし、公明党は小池都政にすり寄りつつ豊洲移転をすすめようとしている。清水都議は、専門委員会の案にも示されたように、これまで自公都政で放置されてきた築地市場を整備してこそ、安心安全で、市場関係者の営業もまもれる道だということを述べていました。また、小池都政に対して、議会の論戦をつうじて、都民の要望に応える方向が出てきており、是々非々の立場ではあっても、今回の予算案に賛成する立場に立ったことを報告していました。 また、衆議院東京24区・八王子選挙区候補者の飯田みや子弁護士も、「安倍首相にくっついている自民党の現職議員には負けられない」と。この街頭演説会には、小池晃共産党書記局長・参議院議員が、今の国の政治について報告の演説をしました。国有地を大幅にまけて払い下げした森友学園、安倍首相夫婦のかかわりについて。追及により見えてきた様子について報告しました。当方は、写真を撮るのにやっとで、それぞれの演説を、うまく伝えられないのが残念ですが。まぁ、この写真によって中身をさっしていただけると、何よりなんですが。
2017年04月15日
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赤ジソの発芽昨日も紹介したんですが、赤ジソが発芽しだしています。真鶴と早川にも種まきをしてあるんですが、露地栽培では、生えそろわないと、発芽がなかなか確認できません。それで、別に団地のベランダにも、ポットに種まきをしておきました。ポットへの種まきは、3月28日に10ポット、29日に10ポットの、全部で20ポットにまきました。それが、4月12日でしたが、最初に発芽しだしたのに気がつきました。それが、昨日に紹介したピンボケ写真です。本日、4月14日に、あらためて注目してみたんですが。3月28日にまいた方は、10ポット中、6ポットが発芽していました。上側に並んでいるのが、発芽しだしたポットです。また、3月29日に種まきした方ですが、こちらは、10ポット中、4ポットで新芽を確認できました。地面の中から、小さな芽が出て来るというのは、なんとも不思議です。これまで赤ジソは、路地に直播きをしていたんですが、もう、5年くらいはやってきたんですが、いっこうにうまく育てれないんです。「種をまきさえすれば育つ」なんてものじゃないんですね。かなり雑草取りはしていたつもりですが、耕して土づくりもしてきたんですが、それでも、ごくわずかしか発芽しなかったり、発芽しても雑草に埋もれてしまったりで、結局、育てれなかったんです。それで今回は、一つの別方法を、ポットへの種まきもしてみたんです。おかげで、少なくとも、発芽すること自体は、しっかり確認できました。ポットでしっかりと生育したら、それを路地の畑に移植するつもりですが。はたして、赤ジソはうまく栽培できるでしょうか。それにしても不思議ですね。ほんの小さな、黒茶色の丸い種粒をまいただけですが、それから15日目にして、双葉の緑の葉が出てくるんですから。植物の発芽というのは、生物の生命というのは、不思議な現象ですね。現代は格段に機械や科学技術が進歩してきた時代です。農業工場をつくつたなどのニュースも伝えられています。人は、適当な条件を整えて生育を促進することは出はるかもしれませんが、それでもしかし、生命現象そのものを、生育そのものをつくりだすことは出来ません。自然法則を知って応用は出来ても、自然法則自体はつくれません。農家の栽培というのは、基本的には、この育てるということなんですね。なかには「付加価値の高いものをつくり、外国に輸出すればよい」なんて、トンチンカンな調子のよいことをいってる人もいますが。これは農業の本質も全体も見ていません。1パーセントもない特殊な一部分をもって、農家全体のモデル事業にしようなんて、本当に現実的だと思っているんでしょうか。どっかのシンクタンク・ペーパーの引き写しじゃないでしょうか。それを国家の中心政策として「イケイケドンドン」としゃべくっているわけですから。他の諸外国で、「後は野となれ山となれ」なんて農政をしている国はありません。日本だって、戦後の農政はこうではなかったはず、いつからこんな農政に変わってしまったのか。自然の栽培の営みというのは不思議に現象にみちていますが、それとは別の意味で、日本政治の農政も、また不思議です。自然や農家を生かしていくのとは、まったく違う農業政策が強行されているんですから。こんな事態をいつまでも許していたら、原発と同じで、国民生活は無茶苦茶にさせられます。みかんの木だって、植えてから8年-10年たたないと、基本的収穫は出来ません。10年先を配慮しないと、農家はやっていけない訳です。その場しのぎはダメです。自然や農業を大事にする政治に、まっとうな政治に早く変えるようにしないと、農家だけでなく、国民生活事態が、大変なことになるし、なりつつありますよ。
2017年04月14日
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赤ジソの発芽と早川の山菜6月の梅干しづくりのために、3月28日に種まきした赤ジソでしたが、昨日、4月12日に、ポットをみたら小さな芽が発芽していました。自然の力というのは、生命力というのは、すごいものです。いくら人間の科学が進歩したといっても、この発芽はつくれません。農業というのは、作物の栽培というの、工業生産とは違がうんですね。時間外の残業して生産量を確保するなんてことは出来ません。自然法則を理解して、それをある程度利用させてもらうのが、農夫の実情です。今日は、例によって、真鶴で巣箱を改造した後、早川によって、野辺に生えている、春の山菜を教えてもらいました。なんたって当方は、すべてが雑草に見えてしまう、野蛮状態ですから。まずは、1、三つ葉です。2、次いでアシタバです。3、セリです。4、フキです。5、ウドです。6、ミョウガの根です。当方は、草刈りしていて、ミョウガの茎も刈り取ってしまうくらいですから。山菜の知識は、ゼロなんです。これから66の手習い、修行でして、早川のみかん園の周辺の野辺は、最高の学習の場です。
2017年04月13日
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『唯物論研究会』についての2つの座談会今回「唯物論研究会」に関する二つの座談会を読みました。一つは、『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年8月30日刊)で、もう一つは『戦時下の唯物論者たち』(青木書店 1982年11月30日刊)です。それぞれ、以前に読んではいたはずのものですが、今回、あらためて読み返してみました。これは、宮本百合子の戦後の社会評論を読んで感じたんですが、戦後の民主主義文学は、戦前のプロレタリア文学同盟の成果を、より意識的に学び、継承させ、発展させていかなければならない、と提起していました。それと同じように、哲学の分野でも同じことが指摘されています。戦前の「唯物論研究会」の成果を、今日にどの様に継承すべきか、これが、私たちに問われているんですね。この座談会の中で、「唯物論研究会」の成果を探るヒントが指摘されています。それは大事な課題なんです。この座談会を読んで感じるんですが、それはまとまった形に整理されているわけではありません。しかし、それぞれの議論の中に、その中心点は確かに指摘されています。だいたい、大きなテーマですから、そうそう簡単にはまとまるものではありません。しかし、確かに素晴らしい基礎的な成果が、素材が、そこにあることはわかるんです。そして、今日の私たちの唯物論哲学の基礎に、その成果が働いているし、私たちは引き継いでいると思うんですよ。それは、いまのところ、一般的な素朴な確信でしかないんですが。だいたい、この当事者の人たちの座談会というのは、面白いですね。ひとりの見識が、その点を指摘しているんです。その指摘は、それぞれが問題をまとめあげているわけではないのですが。それぞれの意見が、議論の中で、お互いの意見に触発されてます。問題をより鮮明にしてくれていて、理解しやすくしてくれています。この議論は、問題の全体や個々の側面が、よりはっきりと見えてくるんです。私たちが問題を探究したり、問題をまとていくための、そのヒントを提供してくれているんです。この座談会は、後世の私たちに、おおきな大事な宿題を出してくれているんです。今回読み返して、そのことが分かりました。
2017年04月12日
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古在由重著『戦時下の唯物論者たち』を読んで「唯物論研究会」については、私は、一昨日、シンポジウム『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊)を紹介しました。その討論では、戦前の治安維持法が、国民の基本的権利や日本の学術文化を、いかに抑圧し、傷跡を残したか、それが示されていました。その続きで、『戦時下の唯物論者たち』(青木書店 1982年刊)を読んでます。この本は、第一部「唯物論研究会の活動」、第二部「戸坂潤の人と業績」からなってます。今、第一部を読んだところですが。第一部は、次の3点からなります。1、「戦前における唯物論者の抵抗」(1970年8月18日 古在氏の講演)2、「唯物論研究会のこと」(1975年 古在著『唯物論研究』復刻版の月報)3、座談会「唯物論研究会の活動」(1971年1月26日) 出席者-石原辰郎、森宏一、古在由重、伊豆公夫、真下信一今回の、5氏の座談会「唯物論研究会の活動」を読んで感じたことを紹介します。一つは、ここでもやはり治安維持法の野蛮な弾圧ぶりがつたわってきます。これらの証言は、過去の歴史に反省のない国家が、共謀罪などを手にした場合にもつ危険性がうかがえます。かつて行った「みなし犯罪」を取り締まれるようになったら、どの様な人権抑圧を繰り返しかねないか。このことに警鐘をならす意義をもっています。二つには、日本の唯物論、マルクス主義哲学を問題にするとき、マルクスなどの古典から解明することは基本ですが、それにくわえて、日本での探究史の成果からも、それへの評価をもって説明されることが必要だと思います。もちろん私などは、それを課題として必要性を感じるだけで、中身を紹介できるものではないのですが、哲学者はそれを語ることが必要だと感じています。三つに、討論の大事なことを感じます。二つのシンポジウムと座談会は唯物論研究会の業績を紹介してくれています。しかし、私などの戦後生まれのものには、もっと中身について丁寧な紹介が欲しかったですね。残念ながら、当事者たちはあの世に行っちゃってますから、この声は届かないのですが。この二つの討論では、「唯物論研究会」の業績の一端を知るためのヒントを語ってくれています。しかし、読んでいて感じるんですが、人によっては、個人にかえると意識が薄れてしまう場合があるんですね。大御所が個人で語る時、その中に弱きつぶやき的なものが含まれているのを感じさせられました。もっともっと率直に意見交換がかわされていたら、現在につながる問題としても光が当てられていたら、もっと自信を分かち合えたんじゃないかと、もったいない感じをさせられます。最後に、やはり、私としては、これらの討議をヒントにして、「唯物論研究会」の業績や、日本のマルクス主義哲学のあゆみと成果を、もっと学ぶこと。また、世の哲学者の人たちには、そうした中身を明らかにする責任と役割、必要性がある、との要望を感じました。
2017年04月11日
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早川ではキジが近くで鳴いていましたこのところ雨がちな日が続いてますが、今日は雨の切れ間でした。早川のみかん園で作業をしていたら、アヒルのような鳴き声が近くで聞こえました。それはキジの鳴き声なんですね。作業をしていると、直ぐ近くで鳴き出しました。ほかの鳥は、瞬間的に空を飛んで逃げますが、キジはトボトボと歩いて逃げ去ります。自然の豊かな早川・石垣山の象徴です。今日は、真鶴園で引き続き巣箱の改造作業をしました。出来あがった巣箱は、早川のみかん園の第二号待ち箱として設置しました。これで、早川に関しては、予定していた巣箱の設置を完了しました。待っていても、ミツバチはなかなか入ってくれないのですが。置いてなければ、まったく可能性はありませんから、ダメもとです。本日の早川園は、甘夏の第2回目の収穫です。前回、甘夏を味見用とともに、販売用に20個を出したんですが、「まずまず」との評価をえれましたので、今日は、第2回目として、100個を収穫しました。これから、5月末まで、甘夏を出荷していきます。もっとも、収穫は天候次第です。木や足元が濡れていては、収穫は出来ないのですが。今日は、甘夏を収穫したあとに、草刈り前回のつづきをしておきました。当面は、この甘夏の収穫と草刈り作業を、それと、巣箱の改造作業を、週サイクルですすめていきます。
2017年04月10日
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『日本マルクス主義哲学の方法と課題』を読んで この間、『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊)を読んできました。これは、1968年に行われたシンポジウムですが、古在由重、高田求、中原雄一郎、森宏一、吉沢達、司会・河野公平の6人の哲学者による討論です。 これまで途中で、4月5日と7日の2回、感想を紹介してきました。 今回は、全体を読んでの感想です。冒頭で主催者は、「このシンポジウムによって、哲学上の討論がすこしでも活発におこなわれるようになることをのぞんでいます。」と述べています。当時、自分が読むのでいっぱいで、それぞれの方面でどの様な議論がされたのか、知らないのですが。 私が今ごろ、何故、この本を引っ張りだしたのかですが。 この本を読み返すきっかけは、この後半国会に、共謀罪がかけられようとしているからです。現代版「治安維持法」と、法律家の方たちから危惧が出されています。こうした時ですから、あらためて治安維持法が日本社会に残した傷跡を確認する必要を感じているからだったんですが。 この本の第一部は、「日本におけるマルクス主義哲学の成立と唯物論史の課題」と題して、戦前の唯物論研究会の成果を確認しようとしています。 宮本百合子が「歌声よ、おこれ」で、文学の分野での治安維持法の傷跡を語っていましたが、ここでは哲学者たちの傷跡です。 唯物論研究会は、1932年につくられたそうですが、1938年にはメンバーが治安維持法で検挙され、弾圧されちゃったんですね。野蛮な弾圧に抗しての7年間くらいの同会の学術活動だったんですね。 このテーマについて古在由重氏が基本報告し、討論で立体的に語られています。非科学的な日本主義イデオロギーとのたたかいにより日本の唯物論がつくられていったこと、それまでの日本の思想遺産についても検討がはじめられたこと。唯物論研究会については、その業績を森宏一氏がまとめて紹介してくれています。しかし、こうした研究活動が厳しく弾圧されちゃったんですね。民主主義以前の野蛮な状態だった様子がみえてきます。 討議によって、そうした成果や課題、今日に引き継ぐ遺産が、明らかにされています。 第二部は「史的唯物論と現代の思想的課題」がテーマです。中原雄一郎氏が基本報告しています。 この討議を見ると、全体として戦後に哲学を発展させていく問題で、それぞれが深めている努力や成果が語られているんですよ。今日につながる哲学を発展させていく問題が多彩に語り合われています。さすがです、豊かな成果を感じさせてくれます。 しかし他方で、その中には思想的にみると混迷につながる議論も含まれているように思います。私などは、あらためて複雑な思いが出てきます。かつてどんなに大きな歴史的な業績をもった人でも、基本的な世界観の上での原則的な弱点をきたしかねない事態が述べられているんですね。考え方の原則に問題をふくんでいるんです。もちろん大局的な民主主義的な共同をすすめる上では問題はないんですが。 さて、これを読んで、私などは、唯物論研究会がその歴史でつくった成果について、もう少ししっかり学ぶ必要を感じています。基本はここで紹介されてますが、さらに今日に生かしうる宝を詳しく探ってみたいと思っています。
2017年04月09日
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自然豊かな小田原の石垣山です4月6日に、小田原の石垣山のみかん園に行ってきました。収穫されたレモンをあずかることと、蜜蜂の待ち箱の設置が目的だったんですが。その際、みかん園の園主が、周辺の野辺のあちこちを紹介してくれたんです。これがその一端です。1、みかん園では甘夏が収穫の時期に入ってきていました。そのみかん園のすぐ近くに畑があるんですが、2、アシタバが生えていました。伊豆大島のアシタバが有名ですが、ここにもありました。3、セリもありました。春の七草の一つだそうです。1つ紫色の独特の花が咲いてましたが、毒セリだそうで、似ているから要注意とのことでした。4、菜花の一つ、「カラナ」とか言ってましたが咲いていました。たくさん咲いているアブラナとは違って、やわらかくて食べれるのだそうです。5、シイタケも栽培されていました。この他にも、まだ小さいけれどノブキもあり、ノビルもありました。いろいろと、自然豊かな石垣山の食材となる草たちを紹介をしていただきました。当方は、紹介されるまでは、ひたすら草刈り機でまわしていましたから、せいぜいノビルに注意する位で、あとは十羽ひとからげで、すべては「雑草」としてしか見れていなかったものですら、びっくりでした。いやー、見る人が見ると、ここは自然の宝なんですね。あちこちに生えている草花を知らないと、じつに野蛮で、もったいないことになるわけです。さっそくもち帰って、味わってみました。湯がいた山菜と、焼いたシイタケ、それとアシタバうどんをいただきました。春らしい苦味がほろ良くって、美味しいんですね。これなら、メタボにはならずに済みそうですね。 今回のみかん園は、レモンと甘夏、金柑の収穫があったんですが、それだけでなく、春の野の、自然の富んだ恵みを実感させられました。これは、周辺にある自然の食材に開眼させられたことでもありました。(やはり、食い意地がはっているということですが)長く都会で暮らしてきて、まわりの自然について知らなかったんですが。これまでは、すべてを灰色の「雑草」と見てきたんですが、じつにもったいない生活をしてきたものです。
2017年04月08日
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続『日本マルクス主義哲学の方法と課題』を読んでいて引き続き、『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社)を読んでいます。この本は、1969年8月30日に刊行されたものですが、日本共産党の政治誌『前衛』の1968年10月号、69年2月号、3月号に掲載されたものだそうです。私などは、たまたま1969年4月から大学入学で東京に通うことになったんです。だいたい小田原の高校を卒業した19歳は、哲学や思想は様々な模索の中であり、現実の経済や政治は、ほとんど知らなかった。それは無理もないことです。むしろ、それを学ぼうとして、大学に通っていたんですが。この本を手にしたのも、そうした当時の関心によるものだったと思います。当時の私などには、この中身の理解は、ごく限られていました。だいたい戦後社会を生まれついた自然状態のように感じていて、国家と政治、政党などは、初めて直面したものでしたから。そして、教育や国が、本来あるべき姿から、諸々の逸脱した現実事態があって、それにぶつかって、疑問を感じだしていたんですね。今、このシンポジウムを読み返していると不思議な感覚になります。今日は戦後70年がたちましたが、当時は「すでに24年」でしたが、今からすれば「まだ」たかだか24年なんですね。今や、そこから48年もの歳月が過ぎてしまったんですね。ここで、戦前の唯物論研究会について、その業績を、この時点であらためて確認しようと議論し合っていいます。私などは自然的なものと感じていた事柄ですが、それがそうではなくて、このでは歴史的な成果や役割についてあらためて確認しようとている。戦後24年にして、ここで議論をしあっているんです。最近「歌声よ、おこれ」を読み返したんですが。ここでは文学の分野で、宮本百合子が1945年から50年にかけて、戦前のプロレタリア文学同盟の業績を、どのように評価して、戦後にどう引き継ぐか、を語っていますが。このシンポジウムも基本的には共通の問題ですね、哲学分野と分野は違ってはいても。それを1968年時点でおこなっていたんですね。この背景には、新たな社会主義国どうしの対立の表面化などもあった。あらためて日本における哲学の歴史を検討すること、確認することの必要がおきていたということでしょうか。それも確かに一つの要因になっていたと思います。私などは、自然的な学び方でしたから、文学でも哲学でも、歴史的な今日的事情などは理解していなかったんですが。今、読み返してみると、その基本的な違いの問題が見えてきます。私などの弱点が見えてきます。今、フェイスブックのおかげで、過去の学習を学びかえすことがあるんですが、2015年4月9日に、マルクスの「独仏年誌への手紙」を学習していました。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201504090000/ここで、独断的に世界を先取りするのではなくて、過去にしめされている歴史的な課題の実現にこそ、私たちの問題とすることだ、といったことが述べられています。これが、私のこのシンポジウムのとらえ方の問題、ここでの討論の中身ともかさなる問題があると思うんですね。現在、新たに直面している問題ですが、これには本質的にみると、戦後の日本社会が抱え続けてきている問題です。さらに、問題によれば、近代日本が抱え続けてきた問題にも及びます。今日、解決が求められている問題というのは、そうした歴史側面も持っているんですね。マルクスの「独仏年誌への手紙」とも重なる問題です。私自身にとって、あらためてこのシンポジウムを読み返す作業には、前の時とは少し違って、一つの歴史過程のなかでの今をつかめ、今直面しているのは戦後の本質的問題なんだよ、という問題提起をふくんでいるように感じています。とにかく、何が発見できるか、終わりまで読み返してみます。
2017年04月07日
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いよいよ甘夏の収穫開始です4月6日は、園主のアドバイスもあり、甘夏の味試しをしました。ここにきて甘夏の実が、熟し始めているんですね。木の下には、熟して落果した果実も出てきていますから、そろそろ食べごろです。色づきのすすんだ実を採って、味見をしてみたんですが、合格でした。これは早川の市民みかん園の甘夏ですが。木が大きいので、少しずつ収穫していきますから、もう、そろそろ収穫開始の時です。今朝の富士山ですが、午前5時40分の小田原からのものです。あやしい雲が近づいています。予報では今晩は雨とのこと、天気は下り坂です。今日の本題ですが、一つは、早川園のミツバチの待ち箱の完成です。この間に、これまでの巣箱を、ミツバチが利用しやすいように改良してきているんです。底板にたまるごみですが、それを掃除しやすいように、固定してあった底板を、引き出せるように改善しました。真鶴園で大工仕事をして、出来上がった巣箱を早川園に設置しました。これで、待ち箱としては、ひと箱が完成しました。もう一つの作業は草刈りです。すでに一度は草刈りしてあるんですが、一雨ごとに、雑草が繁茂してきます。ヤレヤレ、雨の降りだす前に、一タンク分の草刈りです。真鶴園では、はやくも小雨が、ほんの少しでしたが、ぱらつきました。それに対して早川園の方は空が明るいんですね、距離にして12キロくらいの差ですが。おかげで市民園の草刈りですが、全体の半分を済ますことが出来ました。くわえて、今回は東京の人たちの試食用に、甘夏を少し(30個)収穫しました。この難行苦行の草刈り作業だけではわびしいのですが、この味見用の甘夏があれば、帰ることも目的が出来て、少し足取りが軽くなります。これから、いよいよ甘夏の出荷の始まりです。
2017年04月06日
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『日本マルクス主義哲学の方法と課題』を読んでこのシンポジウム『日本マルクス主義哲学の方法と課題1』(新日本出版社)は、1969年8月30日に刊行されたものです。私が大学に入学して東京に出てきたのが1969年4月ですから、そのころに入手したものです。第一部「日本におけるマルクス主義哲学の成立と唯物論史の課題」第二部「史的唯物論と現代の思想的課題」この2部から構成されていて、古在由重、高田求、中原雄一郎、森宏一、吉沢達の5名の哲学者によるシンポジウムです。いま、その第一部を読み返したところですが。今、国会では共謀罪が問題になっています。2015年の戦争法の強行以来、くり返しくりかえし、手を変え品を変えて、憲法の国民の民主主義に対して挑戦がされています。国の責任者たるものが、そんなことをくわだてているんですから。おかげで、 私などは、あらためて戦後の来し方を学びかえさせてもらっています。宮本百合子の「歌声よ、おこれ」を読んだのも、その一つだったんですが。1951年に死去した宮本百合子ですが、その戦後の文芸評論で呼びかけていました。昭和の14年間、文学精神は治安維持法により禁圧されてしまった。しかしその自体に対する自覚というものが文学者たちには弱い。その屈服がおきたのは、日本国民が近代史にもっていた制約が関係していると。 「歌声よ、おこれ」は、戦後日本の出発に当たっての呼びかけでした。日本の民主主義よ、しっかりと本物になれと。これは戦後日本の、さらに言えば近代日本がもっている本質的課題を指摘していたんですね。 民主主義はたんに形の上だけではなく、実質を体現できるように、国民の力よおこれ、と。それが、戦後70年、国民がいろいろに紆余曲折、模索してきた問題だったし、ここ最近にきて、ようやく国民自身にとって問題が問題として、見えて来たんじゃないでしょうか。自分自身の至らざるところが、分かってきたんじゃないでしょうか。 今回の、哲学分野でのシンポジウムは、1969年に哲学者5名がかわした討論ですが、ここで哲学者たちが、戦前の唯物論研究会の活動について、そこでなされた業績とともに、治安維持法により禁圧された状況が語られています。何を語っているのか、なぜそんなことを議論しているのか、当時はよくわからなかったんですが。私などは、戦後の1950年生まれで、関東の片田舎で、文学も哲学も社会の動きも、歴史や現実をよく知らない中で、1969年に東京の大学に出てきたわけで、ふり返れば、こうした討論の意味がよく理解できなかったのは、無理もないことでした。しかし、よくもまぁ、こんな本を手に入れたものだし、48年間もなくさずに来たものです。安倍政権のおかげで、この本を、貴重なものとして再読させてもらっています。百合子の社会評論がそうなように、このシンポジウムでも戦後日本の共通の本質的課題が明確にされていたんですね。私などは、憲法は生まれてこの方、ずっとそれ以前からも、自然的なものとして、ずーっとそうだったように感じてしまうといった歴史感覚の鈍さがあるんです。それは違うんですね。少なくとも今、直面する安倍政権の逆流と「戦う」必要がありますし、それは戦争の犠牲の上に勝ち取った国民のもつ民主主義をしっかり守らなければならないということです。そのことの重要性を日々認識させられつつあるところなんです。この歴史的課題をクリアーしない限り、人間の明日への道は開けないということですね。
2017年04月05日
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ディーツゲンの『哲学の実果』についてフェイスブックに連動させていると、1年前、2年前の同日の発信記事が紹介されます。私などは2年前には、ディーツゲンの『哲学の実果』を読んでいたんですね。おかげで、日ごろ忘れていたことですが、簡単に再読することが出来ます。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201504040000/何たって、昭和4年2月に改造社からだされたもので、山川均訳によるものですから。いつどこで手に入れたのか、40円の古本でした。この中で、第12章では「精神と物質、どちらが第一次的か」を問題にしています。ディーツゲンはマルクスのアドバイスを受けて、ヘーゲル哲学を学んだ。これは、唯物論の立場から検討した、その成果です。また、第4章「自然の普遍性について」では、昔のように狂気じみた内観的方法で冥想によってものごとを探究するのではなくて、専門的な研究によって自然に関する知識をえようとしているのが、近年の方法だと。「無限の多様性を概括的一般性においてとらえる。」自然に比べて人間の知識というのは全体に対する部分である限りでは限られているが、しかし、知力もその一部である自然は、人が求めるならば、無尽蔵に明らかにしてくれる。このレポートでは、少なくともこの2点を紹介しています。『哲学の実果』というのは、ディーツゲンが1887年3月に刊行したものです。1888年4月15日に彼は亡くなっていますから、これは晩年の著作なんですね。ドイツ出身のなめし革職人だったそうで、働きながら独学で学んだんだそうです。当時は、マルクスの本などは、一般に手に入るのはごく限られていたはずです。だから、ほとんど独学で唯物弁証法を学びとったというのは、すごい人ですね。哲学の真理が社会的なものであることをしめしていると思います。他方、現代は、書物はそれこそ氾濫しています。その気になれば、マルクスの本は全集としても入手することが出来ます。がしかし、真摯に学びとろうとする努力の方は、どうなんでしょうか。この本も、昭和4(1929)年2月13日に、山川均氏が苦労して翻訳した結果です。先人が苦労して紹介した作品を、宝の持ち腐れには、したくないものですね。
2017年04月04日
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いろいろ発見のあった前職場の旅4月2日-3日、前の職場の退職者の会一行ですが、総会のため、真鶴のみかん園のすぐ近くにやって来ました。会場となったのは、となりの江の浦にある宿泊施設です。自然の景観が、みかん山の中にあって、素晴らしいんですよ。相模湾の景色が、正面に広大に広がっていますから。みかんを狙って、ヒヨドリがすぐ近くまで来ていました。1000回近くも通っていながら、灯台下暗しで、江の浦のみかん畑に車を止めることも、宿泊施設というのも、私などは、全く初めての経験だったんですね。この会場への途中で、箱根登山鉄道の入生田駅にある地球博物館を見学したんですが。ここで、これまで伝聞で聞いていたことですが、新たに確認することができました。それは、真鶴半島は、箱根山の溶岩が相模湾に流れ込んで出来た半島だということです。真鶴が背中の山の奥の方に位置する箱根火山に関係しているというのは、真鶴からは箱根山は見えませんから、生活者にはピンとこないと思うんです。地球博物館にある箱根山の形成過程の解説にそれがありました。箱根山の噴火というのは、中央部の大涌谷あたりだけでなく、外輪山の外側でも噴火していたたようで、その溶岩が流れて真鶴半島が出来たことが、地質の上から示されていました。これでは、真鶴に温泉が出ないのも、あたりまえですね。退職者の会の人たちは、4月3日は小田原城を見る予定になってましたから、わたしは、その方は見てますから、別行動とさせていただいて、真鶴のみかん園で、ミツバチの巣箱の修理、重箱式への手直しをしました。そして、出来上がった巣箱を、さっそく早川のみかん園に設置してきました。さあ、いつミツバチが来てもよいように、まだ一つ巣箱の修理の状況で、まだ改造する対象はいくつもあるんですが、とにかく、ひと箱だけは、迎い入れの準備が完了しました。
2017年04月03日
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治安維持法の傷跡の紹介私が、この間に読んだ宮本百合子の『歌声よ、おこれ』(新日本文庫)ですが、これは、文学の分野での傷跡と、そこからの打開の呼びかけでした。今回は、日本の哲学の分野での傷跡を証言している本の紹介です。以前に2冊紹介しました。 1、『宗教弾圧を語る』(岩波新書 1978年10月20日刊行)2、『証言・唯物論研究会事件と天皇制』(新泉社 1989年6月25日刊行)今回は、それに加えて、3、「日本マルクス主義 哲学の方法と課題1」(新日本出版社 1969年8月30日刊行)を紹介します。気がついたばかりで、あくまで本の題名だけなんですが、中身の紹介は、今後の課題なんですが。いずれも、以前に、一度は読んでいたものです。しかし、憲法下で生まれた私などが、現在の社会を自然的なものとしてみてしまう認識観からして、ここには問題が歴史的な課題として、深刻に討論されていたとの認識が弱かったんですね。まだチョットですが、読み返していみみて、それを感じます。ここには、やはり治安維持法のもたらした日本の哲学者たちにとっての傷跡がある。わたしたちは、それを正視して、理解できるようになった時に、そうした力を持てた時に、はじめて、新たな歩みを始めている実感をもてるようになるのかもしれません。
2017年04月02日
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多摩の団地で朝市が開かれました4月1日(土)、朝は冷たい小雨がふっていました。せっかく桜の花が開き出したのに、冷えびえとしていました。それでも、今朝は団地の朝市です。両手に袋をさげて、いっぱい野菜を買っていただいています。今日の野菜はすごいんですよ、群馬県から立派な野菜がとどいていたんです。レタス、キャベツ、ブロッコリー、シイタケ、ホウレンソウ、サトイモなどなど、どれも立派な作物で、しかも新鮮で、値段が安いんです。どうして群馬の野菜がならんだのか?聞いたところ、世話人の方が用事で群馬県に行ったそうですが、そのときに、現地の農協関係者と交渉して、それで仕入れてきたというんです。どうりで、どれもこれも立派な作物のはずです。産地のプロ農家の人の作物なんですね。この時期は、地元の農家は全体として品物が少ないんです。今は種まきの段階で、収穫物が少ないというんですね。しかし、こちらもたいしたものなんですよ。今回はたいへん立派な長ネギが並べられていました。さて、みかんの方ですが。もちろん、この野菜のわきにみかんも並べさせてもらいました。この写真を見ると、お客さんがまったくいないように見えるんですが。お客さんが来た時は、もうカメラどころじゃなくなっちゃうんですね。野菜やみかんを買っているときの様子を撮りたかったんですが。実際にお客さんが来ると、接客の応対が始まってしまい、もう写真どころではなくなってしまうんですね。今回のみかん販売ですが、文旦、三宝柑、レモン、湘南ゴールドでした。湘南ゴールドは、西湘農協が地域の特産品として開発したもので、多摩でも、今季、初めてデビューしたものだったんですが。だから、ドンドン試食してもらって、実際にその味をためしてもらったんですが。その結果は、「なかなか美味しい」と、口々にうれしい評価をいただきました。おかげで、売れ行きも好調で、今年の収穫はすべて完売してしまいました。今回の販売で、この時期の柑橘として、受け入れてもらえることが実証されました。今回の朝市は、小雨のなかで寒かったんですが、お客さんも、いつもより少なめだったんですが。それでも、この寒さを吹き飛ばすかように、静かだけれど、活気のある朝市となりました。
2017年04月01日
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