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「ルグリと輝ける仲間たち」全幕特別プロ「白鳥の湖」。いや~、すごい企画ですね。こんなキャスティングを見せられたら、もうこれは観に行くしかない(笑)。特に第1夜(ガラ)と第3夜は魅力的過ぎ。ミリアムちゃんとドロテちゃんのオデット&オディールの競演(まさに文字通り競演、ですね!)が観られるなんて~!第3夜のドロテちゃんのオデット&オディールもすごく興味あるし、これはもう予想外の嬉しい驚き。チケット取れるかどうかが一番の問題かも知れないけどね。ルグリ・ガラ、大阪公演のチケットは既に発売になってるけど、出遅れてしまった私はいまだにチケット購入出来てなくて・・ぴあやイープラスで時々席を表示させてはみるんだけど、ろくな席が出てこない。ホールに直接電話してみたけど、端の方の席しか残ってないみたいで、購入出来ずにいる。購入した後で、良い席が戻ってきたりしてたら最悪だもん。とは言え、大阪では1回しか公演がないから、キャンセル分を期待するのは無理なのかなぁ?こうなったら東京まで観に行ってしまう、という手もあるけど、う~ん、毎度のことだけどお金が・・・けど「白鳥」を観たいなら、東京公演のセット券を購入した方が絶対良いような気がする。オレリー&モローの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」が観たいから、大阪公演も観に行きたいんだけど。そうそう、なんとフェリの引退公演もあるそうで、これまた悩ましい・・しかしなんだってまたこんな時期に~!と叫びたくなりますね(笑)。フェリの踊りを観られる最後の舞台なんだろうから、チケット代がお高くなるのもある程度仕方が無い、とは思いますが・・しかしそれにしても2万2千円はちょっとなぁ・・この月の末にはボリショイ&マリインスキーのダンサー達によるガラ公演もあるし・・あ~、もうめまいがしそう(笑)。いずれにせよ、今年の夏はまたとんでもないバレエ鑑賞月間となりそうです。
2007年03月28日
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ジゼルのことを「内向的」云々と書いていましたら、どうしてもそれとは対極にある1人の女性のことが頭に浮かんできました。ニキヤです。「ジゼル」と「バヤデルカ」は話の内容が似ていて云々、という話は前にも少しだけ書きましたけど、やっぱりこの2作品は、ストーリー的には合い通じるものがあるけれど、ヒロインそのひとのキャラクターというものが、やっぱり決定的に違っているんだよね、と私は思います。「社会的弱者」であるジゼルとそうでもない(これまた繰り返しになりますけど、全く持って私個人の主観です)ニキヤ。「内向的」なジゼルに「外向的」なニキヤ。恋人の裏切りを知って命を落とすほどの衝撃を受けても、その悲しみを決して「外」に向けることなく、自らの内にひたすら蓄積していって、遂にはその悲しみの重さに耐え切れずに死んでしまうジゼルと、恋人が眼の前の女性と婚約したことを知って衝撃を受けるも、あくまで恋人は自分のものだと主張するニキヤ。挙句の果てにはナイフを持ってお姫様に襲い掛かるという「暴挙」にまで及んでしまうほどの「攻撃性」を持ったニキヤ。いや~、考えてみれば恐いですよ。ニキヤは危うく「殺人犯」になるところだったのですから。もちろん「設定上」そんなことにはなるわけがない、とわかってはいますがね。もちろん、この時点でのニキヤは恋人の裏切りを直接ソロル本人から聞いたわけではありませんから、目の前でアルブレヒトの不実を見せ付けられたジゼルとは状況が違いますけど、またソロルは聖なる火に対しニキヤへの愛を誓っている、という「切り札」を持つニキヤと、「何もない」「何も持たない」ジゼルとは、これまた状況は大きく違う。しかしそうした諸事情を考慮に入れても、やはり際立つのはニキヤの性格の激しさ、強さでしょう。そして相手がお姫様であろうと、自分の納得のいかないことに対しては徹底的に反抗する、自らの「主張」を述べる、という極めて「外向的」なニキヤの姿です。彼女は悲しみや狼狽、怒りといった様々な感情を全て「外」に向けて表出します。ジゼルのように、自らの「内」だけに思いを溜めていくのでは全くない。ソロルとガムザッティの婚約式での彼女の舞も、極めて「アピール度」が高く、彼女はさまざまな思いをこの踊りに込め、「外」に向けて思いを表すのです。愛する人と他の女性との婚約式という、ニキヤにとってはこれ以上ないくらいに悲しく、絶望の状況の中での舞なのですが、それでもここに至ってもニキヤは「アピール」することを忘れないのですね。いや、別に意図してそうしてる訳ではないのでしょうが、意識せずともそうなってしまうというところに、一番その人の性格、性質というのは表されるものです。ニキヤは正しく「外向的」な人だと、言えるのではないでしょうか。「内向的」の極めつけのようなジゼルとは、やはり対極にある人だ、と私には思えます。ニキヤは結局この後毒蛇に噛まれて死んでしまうわけですけど、ガムザッティ父娘の陰謀が無ければ、当たり前のことですが無事生き長らえて、そして案外けろりとして生きていくのではないでしょうか?彼女はジゼルのように悲しみの重さに耐え切れずに死んでしまう、なんてことには先ずならないでしょうし、感情を、喜びも怒りも悲しみも、「外」に向けて表出することの出来る「外向的」な人です。「外」に出すことが出来れば「楽」なんです。出せないから苦しいんです。ジゼルはニキヤのようにはなれなかったから死んでしまった。「出す」ことが出来ればジゼルも死なずに済んだだろうに、ジゼルはニキヤのようには振舞えなかったし、またニキヤもジゼルのようには決してならなかったであろう、「内向的」なジゼルと「外向的」なニキヤ。実に面白い2人のヒロインです。
2007年03月25日
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既にご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、冬に来日予定のキエフ・バレエはびわ湖ホールでも公演予定とのこと、今日初めて知りました。ヤッタ~!う、嬉しいよ~。12月8、9日と「白鳥」「くるみ」を上演してくれるとのこと。ここのバレエ団は前回、前々回とびわ湖ホールでも公演してくれたから、多分今回も、と思ってはいましたが、やっぱりちょっと不安だったの。招聘元も光藍社さんに変わっちゃったしね。まぁ「ライモンダ」は初めから諦めていましたので、「白鳥」と「くるみ」、2演目も上演してくれるだけで有難いです。特に私の場合、「くるみ」なんてこんな近場で公演でもしてくれない限り、先ず観には行かないであろうと思われるので、やっぱり有難い。「白鳥」が観られるのはもちろん嬉しいし。しかし12月はモスクワ音楽劇場の公演もあるし(こちらは東京公演しかないみたいですが)、「白鳥」三昧の日々になりそう。「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ・2007」なる公演もびわ湖ホールで上演予定みたいです。私はギエムには殆ど関心はないので多分観には行かないと思いますが、それでも地元で観られるというのは有難いことですよね~。つくづく思いますわ。
2007年03月19日
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今回コジョカル&ルグリの「ジゼル」を見て思ったこと、それはアルブレヒト=プレイボーイという設定の方が、私はより好きかもしれない、ということ。昨年夏に観たマラーホフ@アルブレヒトのような純愛型も良いけれど、この物語って、アルブレヒトはプレイボーイという設定の方が、ジゼルの悲劇とか孤独がより強調される感じで私は好みかも。何ら躊躇することなく恭しくバチルドの手に接吻するところとか、それを見て真相を知ったジゼルに詰め寄られても完全無視!を決め込むところとか、いや~、実に素晴らしい(笑)。それでこそアルブレヒト。私は結構好きです。そうなんだよね~。アルブレヒトは貴族なんだ。そして、その貴族の彼にとって、村娘ジゼルとのことは、やっぱりひと時の「恋」でしかなかったんだよね。ジゼルを心底から愛し、愛と社会的制約の間で揺れ動くとか、そんな「迷い」なんてものは一切なく、ただ「今」を楽しむ、というか。今現在はジゼルという少女が可愛くて、彼女と一緒に過ごすひと時を楽しいものと思っていた、その彼の気持ちも真実ではあったろうけど、それはあくまで「期間限定」の恋でしかない。いつかは必ず彼はジゼルから去って行く。多分、何の未練もなく、「良心の呵責」に責め苛まれることもなく。そんなアルブレヒトと、ジゼルとの間にはとてつもなく大きな隔たりがある。ジゼルにとってアルブレヒトへの恋は全てであり、恋の喜びで今は幸福の絶頂。しかし彼女はまさに「白昼夢」を見ていたわけだ。あまりに儚く、脆い「恋」。その「恋」の実体を知ったとき、彼女の繊細過ぎるような魂は崩壊してしまう。身体が弱かったせいか、母親からはちょっと過保護ぎみに育てられ、世間の冷たい風に曝されることなど、今の今まで一度だって無かった。そんな彼女が初めて経験した人生の試練。しかし彼女の魂はその「試練」に打ち勝つことなど出来なかった。彼女は悲しみを反芻するかのように、その悲しみはただひたすら彼女の「内」に向かって行く。こういうところに、ジゼル自身の性格というか性質というものが表されているようで面白い。彼女は自己を崩壊させてしまうのだが、彼女の悲しみは、「外」には向かってはいかないのだ。もし彼女がもっと激しい性格の持ち主だったとしたら、悲しみを、いや怒りを「外」に向けて行ったのではないかと思う。アルブレヒトに食って掛かるとか、バチルドに対して「アルブレヒトは私のものです!」と訴えるとか、もっと「攻撃的」な行為に及んだはず。いやむしろそういう行為に及んだ方がある意味「自然」、と言えるのかも知れない。ジゼルとアルブレヒトの関係においては、誰がどう見てもアルブレヒトが「加害者」で、ジゼルは「被害者」なのだから。あるいはアルブレヒト&バチルドは貴族なのだから、村娘ジゼルにそんな「畏れ多い」行為は出来ない、と言われるかもしれない。けど、この場面においてジゼルは正気を失っているのだから、そんな世間一般の常識とか理屈など、彼女は最早考慮する必要は無い。むしろ「心のままに」、最も自分に「素直」でいられる場面なのだ。と言う事は、この狂乱の場でのジゼルこそ、「本当の」ジゼル、と言う事も出来るのかも知れない。その「本当の」ジゼルがしたことは、自己を崩壊させてしまうことだった。悲しみを唯自分の中に溜め込み、そのことによって自分を亡くしてしまう。極めて「内向的」な人だったのではないかと思う。ここで言う「内向的」とは文字通り「内=自分自身に向かう傾向」という意味であり、いわゆる「大人しい」「内気」とかいう意味ではありません。同じ意味でもしジゼルが「外向的」な人であったなら、このような「悲劇」は起きなかったかもしれない。「他人のせい」にしていればこんな「楽」なことはないですからね。アルブレヒトを責め苛むことが出来たならジゼルはどんなにか「楽」で「救われた」ことでしょう。しかし彼女にそれは出来なかった。この後ウィリになったジゼルも終始一貫アルブレヒトを救おうと、守ろうとしますが・・その萌芽は既にこの狂乱の場において見られるもの、とも言えそうです。
2007年03月16日
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今回コジョカルのジゼルを観て、私彼女のジュリエットがすっごく観たくなってしまった。コジョカルは本当、そのまんまジゼルだけど、そのまんまジュリエットでもありそうじゃないですか。今回の放送では何より彼女の演技に感動したし、なにせ「ジゼル嫌い」の私がもう自分でも驚くくらいすんなりとジゼルの気持ちに共感出来たくらいだからな~。ジゼルを踊るために生まれてきたような人だね、なんて見ている最中思ってしまった。狂乱の場での彼女の演技はもう最高。「眼」だけで悲しみを表現できる人だね~。まぁこれは劇場で実際に生で観ていたとしたらここまで詳細に顔の表情とかはわからなかっただろうけど、でもでもやっぱり素晴らしい演技には違いない。で、是非とも彼女のジュリエット観てみたいわ。これだけの演技が出来る人ならジュリエットもきっと素晴らしいだろうと思う。私は彼女の「マノン」を観て、実際すご~く良かったと感服したのだけど、マノン以上にジュリエットは似合うだろうし。コジョカルのマノンは私が理想とするマノン像(バッセルやフェリのような)とはちょっと方向性が違うような気もしたのだけど、それでも素晴らしい舞台だったもの。ましてジュリエットなら、と思わずにはいられない。あ~、次回のロイヤルの来日、どっちかの演目を「ロミジュリ」に変更して貰えないかな。それだったら多分全キャスト観に行きたくなっちゃうだろうけど(笑)。それにしてもジゼルの喜びと悲しみを私までもが感じることが出来たというのには、自分でもやっぱり驚き。それには繰り返すようだけどやっぱコジョカルが「少女」に見えた、ということがすごく大きいと思う。そうなんだ、ジゼルってまだ「少女」だったんだよね~、そこんところを考えにいれなきゃこの物語を理解することは出来ないんだ。ジゼルがバチルドのドレスの美しさに感激して彼女のドレスに思わず触ってしまうところなんかも、「少女」の行動だと思えば理解が行く。「村娘」ジゼルが生まれて初めて見た素晴らしいドレスに心を奪われる・・そんな彼女の心理も少女の頃多分誰もが抱いたであろう?「お姫様願望」の一種だと思えば分かりやすい。ジゼルにネックレスをあげたりして優しいバチルドも、感激したジゼルがその手に口づけしようとしてもそれは許さない、という辺りに、厳然たる「身分の違い」が存在しているという事実を教えてくれて興味深い。はぁ~、ジゼルって、本当に文字通り「社会的弱者」なんだね~・・よく「ジゼル」と「バヤデルカ」は話の内容が似ているとか言われるけど、確かに私もそんなふうに思わないでもないけど、やっぱ両者が決定的に違うのって、主人公であるジゼルとニキヤが、一方は完全に社会的弱者であるけれど、もう一方はそうでもない(私の勝手な持論によると、ですけど)、というところにあるんだと思う。ジゼルには「何も無い」。それはもちろんあくまで「社会的には」ということであるけれど、彼女はバチルドに対抗出来うるようなものは何一つ持ってはいないし、そもそも「対抗」なんて言えるだけの立場にもないのだ。彼女は完全に蚊帳の外だ。あまりに無力で、どうすることも出来ない。真実を知った彼女に出来たこと、それは絶望の中、自らを崩壊させてしまうこと、それしか出来ることはなかったのだ。
2007年03月07日
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昨夜の「ジゼル」、いや~、素晴らしかったですね。前評判が高かったのでそれなりに期待はしてましたけど、正直想像を遥かに越える、素晴らしい舞台であったことに感動しました。何よりも何よりも、とにかくコジョカル!素晴らしいです!今回彼女のジゼルを観て、私初めて「ジゼル」という作品を理解できたように思いました。何度も書いてるとおり、私はこの作品をあまり好きではないんですよね。いや、好きとか嫌いとか言う以前に、きょ~みもない、と言ってしまったほうが正しいのかも知れません。その理由については過去にいろいろ書いてることですので割愛しますけど、でもでも昨夜のコジョカルのジゼルは、私に初めてこの作品の「命」というか、あ~、ジゼルってこんな女の子だったんだな・・ということを初めて「リアリティ」をもって実感させてくれた、そんな「貴重な」ジゼルだったと思います。コジョカルは見た目からして「ジゼル」そのもの、妖精のように可憐でとにかく可愛らしい。15歳くらいに見えるしその「少女」のように見える、ということがものすご~く効果的だったと思う。なにせ私がこれまで全幕で観たジゼルって、ザハロワとヴィシニョーワの2人だけで、この2人はとてもじゃないけど「少女」には見えなかったし、ただ一度の恋に破れたという「だけ」の理由で死んでしまう、という設定には無理があるとしか思えなかった。事実ザハロワは心臓が悪いということをかなり強調していたし、恋に破れたショックの余り正気を失い死に至る、というよりは心臓病による死、みたいに見えた。ヴィシニョーワはヴィシニョーワで良かったとは思ったし、それなりに感動もしたけれど、やっぱり「それっぽっち」のことで死にそうには見えなかった。まぁそういう「設定」なんだからしょ~がないよね、みたいな感じで。それに加えてマラーホフ@アルブレヒトの方も、いやアルブレヒトこそ、ジゼルを好きで好きでたまらなくて、心底ジゼルに恋してるアルブレヒトだったから、そりゃあ彼が身分を偽っていて、婚約者までいたと分かっても、なにより彼のジゼルへの想いは「本物」だったのだから、別にそこまで取り乱す必要もないんじゃないの?正気を失うなんてやっぱあり得ない、なんて思えちゃって。元々の設定自体、私は全然好きにはなれなくて、くどいようですけど「そんなことぐらいで死ぬかよ!」という思いをどうしても拭い去ることは出来ないんですよね。なので、私は多分「ジゼル」を観て心底感動したり、またこの作品を本当の意味で「理解」することは出来ないんだろうな、と思ってました。その思いは今現在でも基本的には変わっていない、とは思います。けど・・そんな私でも昨夜のコジョカルのジゼルには心を揺さぶられました。先ほど書いたように、「ジゼル」という、私にはとお~い世界の住人で、決して理解することは出来ないんだろうな、と思っていたジゼルを、初めて理解できたように思ったのです。そしてあ~、そうなんだね、ジゼルってこんな女の子だったんだね・・みたいな、なんかしみじみとした気分に陥ってしまいました。初めてジゼルに共感出来たというか、彼女の気持ちがわかったというか。それは偏にコジョカルの演技に拠るところが大きかったと思います。本当に素晴らしい演技だった~。彼女の容姿がこの作品には有利に働く、という点を割り引いたとしてもそれでも魂を揺さぶられる名演技だったと思う。この作品はやっぱりバレリーナの「演技」に懸かっているのだなぁ、ということを改めて実感させられました。とにかく私が一番心打たれたのは、いわゆるジゼル「狂乱の場面」です。ここでのコジョカル、圧巻でした。身じろぎ一つせず唯立ち尽くすだけのジゼル。ただ虚空を見つめるだけのジゼル。何もしていない、ただ立ち尽くしているだけの彼女の姿。その姿のなんて雄弁なこと!何もしていないのに、彼女の悲しみが、張り裂けそうな彼女の心が、見ている私にもドカ~ンと「来た」のですよね。人間って、あんまり悲し過ぎると涙さえ出ない、って言われますけど、まさにそんな感じ。今の今まで信じていたものが一気に崩れ落ちてしまった、でもどうしてだかいつかこんな日が来ること、心のどこかでわかっていたわ・・・そんなジゼルの声さえ聞こえてきそうでした(もちろん、完全に私の妄想です)。コジョカルのジゼルは1幕の、幸せの只中にあっても、どこか薄幸そうな雰囲気を漂わせていたのですが、気のせいでしょうか?上品で思慮分別もある、育ちの良さそうなジゼルで、でもどこか幸薄そう・・それは恋の相手が「プレイボーイ」タイプのアルブレヒトだったから、そんなふうに思えたのかも知れません。観客はこの2人を観て、先ず「ジゼルの恋は成就しない」ということに一番最初から気が付くはずです。最初から2人の間には大きな「隔たり」がある。それをジゼルは知らないけれど、観客の目からすれば明らかなことですよね。ジゼルはアルブレヒトを本気で想っているけれど、アルブレヒトはそうじゃない。もちろんジゼルを恋しいと思い、今この時点では彼女に夢中といってもいいかも知れないけれど、いずれ彼がジゼルから離れて行くことは明らか。ルグリの、実にノーブルなアルブレヒトはきっと実にノーブルにジゼルを捨てることになるのでしょう。いや、「捨てる」なんて意識も、もしかしたらないのかも知れない。遊びの恋に(でもこの「遊び」は真剣なのですね!真剣に「遊び」の恋もしてみせるのが「貴族」なのですね!)捨てるも何もないのだ。え~、続きはまた。「バヤデルカ」の話もまだ終わってないんですが・・
2007年03月05日
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