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いやはや、「椿姫」6日の公演から早くも二週間経ってしまった。一応最後まで感想だけは書いておかないとと思うのですが、もう既に記憶が大分薄らいでる・・のであくまで「てきと~」な私個人の感想であるということでお許し下さい。さて、「椿姫」第2幕2場(最終場面)は、照明が素晴らしく美しくて、マルグリットの寝室を美しく出現させることに成功していました。暗闇の中、僅かに残された家具類が光に当たって輝く光景は、ちょっとうまく言葉に出来ないくらいに美しかったです。マルグリットは財産を差し押さえられ、困窮し、既に病は重く、後は死を待つばかり、という悲惨な状況です。髪を降ろし、部屋着姿のザハロワが踊る姿は本当に美しく、ただただ見惚れるばかりでした。今回ザハロワは全ての場面で丈の長いドレス姿で、本当に美しく似合っていて良かったんですけれど、脚が見えないのがファンとしては少しばかり残念なところではありました(まぁ、今の時期のザハロワは若干ふっくらしているとはいえ)。この場面でも長い部屋着姿だったのですが、身体のラインが透けて見えるような素材だったので(え~、上手く説明出来ないです、こんな言い方でよいのでしょうか?)それが嬉しかったですね。丈が長い衣装なので脚なんか殆ど見えないのですが、プロポーションが写し出されるような素材だったので、彼女の美しいラインを堪能することが出来ました。しかし裾の長い、引きずるような衣装だったのであれで踊るというのはすごく難しそう。一歩間違えば裾を踏んづけて転んじゃいそうなデザインで。あれでずっと踊るのかなぁと思っていたら、さすがにそれはなかったですね。アルマンから会いに行くという手紙を届けられて?慌てて鏡に向かうマルグリット。身づくろいする姿が可愛かったです。こんなに困窮し、病に臥せっていてもやっぱりアルマンには綺麗な姿で会いたい、というマルグリットの気持ちがよく伝わってくる。というか、その前にマルグリットが昔を回想して踊るシーンがありましたけどその時も鏡に向かって、昔(第1幕に)着ていたドレスを身体に当ててみたりするシーンがあり、華やかなりし昔の象徴であるドレス(そのドレスは彼女がアルマンと初めて出会った時に着ていた思い出のドレスだ)を愛しそうに眺めるマルグリット、というかザハロワ、の姿が印象的でしたね。何度も言うようだけど、人間っぽい(という言い方も変かもですけど)ザハロワの姿がすごく新鮮で。おとぎ話の世界のヒロインではない「お姫様」ではない「ひとりの女性」としてのザハロワの姿が今回はすごく印象に残りました。回想の中で「あの」ブランコも登場し、それを見つめるザハロワ、じゃないマルグリット。幸せだったあの日々。マルグリットにとってアルマンと田舎で過ごしたあの日々は、決して忘れることの出来ない人生で最も幸福だった日々。その思い出を宝物にして、彼女は今、決して不幸なのではなく、むしろ幸せなんじゃないか、とさえ思える。この最終場でのマルグリットは、私には「不幸」には見えませんでした。あの素晴らしかった日々を宝物にすることが出来た彼女は、きっと本当に幸福だったに違いない、と。唯一不幸に見えたのがかつての高級娼婦としての暮らしを回想した時で、着飾った人々の群れが彼女の周りを取り囲み、輪になって踊り続けます。忌まわしい過去を怯えたような眼で見るマルグリット。この辺りもまぁ「マノン」みたいではありましたが、なかなかよかったと思います。彼女にとって幸せだったのは、高級娼婦として華やかに暮らした日々なのでは決してなく、あくまでアルマンと共に過ごした、田舎での質素な暮らしだったのですね。しかし、すみません。私があまりにザハロワばかり観ていたせいだと思うのですが、いつこの場面にアルマンが現れたのか、思い出すことが出来ません。なんかいつの間にかそこにいた、ように思うんですけど。それはよいとして、アルマンの父まで現れたというのは一体なんだったのか・・この三人によるパ・ド・トロワがありましたよね。プログラムによると牧先生なりの思いがおありになったようで、それでこのような踊りが創られたそうですが、正直要らないんじゃないかなぁ、アルマンのパパは(笑)。この場面はやっぱりアルマンとマルグリット、二人きりの方が絶対よいと思う。まぁそのうちパパはいなくなっちゃったから別にいいんだけどね。で、最後死に瀕したマルグリットとアルマンのパ・ド・ドゥが踊られるんだけど、う~ん、なんか今となってはどんな踊りだったのか、全く思い出せない・・何と言うか、この二人のパ・ド・ドゥって、この作品中何度か踊られるけど、どれも正直似たような感じの踊りばかりで、そりゃあザハロワとマトヴィエンコが踊るのだから悪いはずはないし、その場面場面ではそれなりに良いとは思えるんだけど、なんか「後に残る」ものがあまりないと言うか。美しいことは美しいんだけど、振り付けがありきたりで、はっきり言えば物すごく平凡。この最後の場面においてもそれだから、「椿姫」の悲劇に相応しいか、と言われれば正直全然、とさえ思える。マルグリットはひたすら美しく死んでいき、残されたアルマンが呆然と立ち尽くして幕が降りる。観ている最中はそれなりに素晴らしいと思えたんだけど、今になってみるとマルグリットの最後という最も盛り上がる筈の場面が思い出せないというのは、これはちょっとど~なんだろうか。二人のパ・ド・ドゥは「マノン」~沼地のパ・ド・ドゥの始まりの振り、デ・グリューが瀕死のマノンの身体を持ち上げる、あの写真なんかでもよく見る有名な振りと同じ振りで始まるんだけど(え~、記憶違いだったらすみません)あの劇的な沼地の場面とは違って全然印象に残ってないのね。勿論私の記憶力が悪いという、決定的な要因もあるのですが、それにしてもマルグリットはマノンのように「生」への執着を見せることもなく、ただひたすら美しく死んでいく。まぁそれはそれでよいとも思うけど、またこれまでのこの作品の流れから言ってもこの場面だけいきなり劇的になったらちょっと唐突と思えるかも知れないけど、それにしてもこんなに「記憶(こころ)に残らない」最後で果たしてよいのだろ~か?観てる最中はそんなこと思わなかったのですが、それは私がザハロワが好きで、ひと時も眼を離せない状態だったからであって、もしザハロワのファンじゃなかったり、またザハロワ以外の人がマルグリットであったとしたなら、観ている最中でも不満を抱いたかも知れない。いくら「美しい詩」とは言っても心に残らなければ、心に刻み付けられなければ、それは「成功した作品」とは言えないでしょう。私は美しいザハロワが観られただけで満足だけど、それではザハロワファン以外の観客には受け入れては貰えないし、またこの作品でのザハロワの演技、表現力には眼を見張る程のものがあっただけに(事前にあまり期待していなかった、というのも大きいとは思いますが)、こんな終わり方では勿体無い、と思いましたね。このザハロワならば、「美しさ」以外のところでも観客を唸らせるだけの力を持っていたと思うし、マトヴィエンコは言わずもがな、ドラマティックにアルマンを好演していたのだから、最後のシーンはもっと劇的に盛り上げても良かったんじゃないかな。私はこの作品の1幕はかなり気に入ったので、2幕をもう少し工夫して頂ければ、と思います。淡々と「美しい詩」を語って行って、最後バーン!と盛り上げて終わる、という形でも良かったんじゃないか?と思いますが・・
2007年11月20日
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ザハロワ@マルグリットの素晴らしさに大満足の1幕でしたが(マトヴィエンコも勿論良かった!)2幕が始まって直ぐに、思いっきり白けてしまった。あのディヴェルティスマンは一体なんだってあんな場面に挿入する必要があるのでしょう?「椿姫」の世界ぶち壊しなんですけど~!と元々キャラクター・ダンスが好きではなく、クラシック作品においてさえ速く終わらないかな~、なんて思ってしまう私のようなタイプには、あのディヴェルティスマンはちょっと長過ぎた。一組や二組ならともかく、ああも延々と出てこられては・・新国のダンサーの皆さんが上手なのはわかったけど(というかそれは前からわかってた事だけど)、もっと違う形でダンサーの魅力を伝えることも出来たんじゃないか?と思う。「椿姫」の世界に相応しい形で、新国のダンサーの踊りを観客に見させるということもアイデア次第ではいくらでも可能だと思うのだけど。けど、初日はこうしてかなりの違和感を感じてしまったのだけど、2回目となると慣れたのか、「そういうもの」と予めわかっていたからなのか、それなりに楽しむことが出来たんですが。やっぱり新国のダンサーの皆さんは本当にお上手!いや、プロのダンサーに対して「上手」なんて言うのは失礼極まりないことだとも思うのですが、やはり素晴らしいですよね。唯、本当に惜しまれるのが、やっぱりプロポーションの問題で・・私はザハロワが大好きということからもお察し頂けるかと思うのですが、バレエダンサーに対しては何よりもプロポーションの美しさというものを求めてしまう観客なんですよね。背が高く、手足が長く、頭の小さなダンサーを。ザハロワと比較すれば普通の外国人バレリーナでさえちょっとなかなか満足しにくいところがあるのに、まして日本人は・・上手だな~、と心から感心することは出来ても、綺麗だな~、と思うことは出来ないんですよね、私の場合。そしてあいにくなことに私は、バレエには何よりも「綺麗であること」「美しくあること」を求めてしまう観客なんですよね。私がバレエにおいて観たいのは「異次元の美」、それに尽きるのだと。新国のダンサーのレベルは、多分世界の一流バレエ団のそれと比較しても決して遜色ない、と思うのですが、唯一プロポーションの点においてのみ「バレエ向き」(私の求める)ではないなぁということを、私は日本人バレリーナを観る度に思ってしまうのです。え~、またまた前置きが長くなりました。で、要するに2幕ですが。ザハロワは黒のドレスを着てテューズリー@伯爵と共に登場。ザハロワはすっかり元の「高級娼婦」としての暮らしに戻ってしまっています。しかし思いがけずアルマンと鉢合わせ。驚きの余り手にしていた扇子を落としてしまいます。暫く身動きも出来ずに固まっているマルグリットに対し、伯爵は扇子が落ちたことを知らせます。我に帰ったように急いで扇子を拾い上げるマルグリット。この辺り面白いな~、と思いましたね。普通貴族の男性ならば、連れの女性が何か落としたとしたら、伯爵自身が落としたものを拾ってくれるのではないでしょうか?それを彼はただマルグリットに物が落ちたことを伝えるのみで、自身が拾ってあげようなどという心遣いは、気配さえ全く見せないのです。マルグリットが彼と同じ世界、つまり貴族だったり上流階級の女性だったとしたら、彼はこれと同じ振る舞いをしたでしょうか?否、恭しく拾ってくれたのではないでしょうか?こういうところに、伯爵のマルグリットに対する気持ちが如実に表されているようで、興味深かったです。表面いかに親しげに、対等な関係であるかのように振舞っていても、伯爵にとってマルグリットはあくまで「高級娼婦」。決して「対等」たり得ない存在なのだな、と。まぁ、私個人の穿った見方に過ぎないのかも知れませんが。アルマンは伯爵をカードに誘い、舞台の右手ではアルマンと伯爵の賭けカードが始まります。この辺りも「マノン」でデ・グリューがいかさま賭博をする場面を彷彿とさせ、思わず笑えてくる程でした。左手ではマルグリットがプリュダンスらとおしゃべりに興じていますが、マルグリットはアルマンと伯爵の様子が気になる様子、伯爵も時折マルグリットの方に視線を遣ったりして、なかなか面白い場面でした。いかに「マノン」に似ているとはいえ。カードは何故かアルマンの一人勝ちに終わり彼は伯爵に、勝ったからにはマルグリットは自分のものだと主張します(プログラムによると)。腹を立てた伯爵は館を出て行きマルグリットも後を追おうとしますが、すんでのところでアルマンに腕を掴まれてしまいます。アルマンはマルグリットに変わらぬ愛を伝え復縁したいと言いますが、マルグリットの決意が変わろう筈もなく、アルマンは絶望。マルグリットの腕を掴んで客人達の前で引きずり廻し、先ほどのカードでせしめた大金をマルグリットに対して投げつけます。ショックの余り気絶してしまうマルグリット。しかし、ザハロワ、ここでの倒れ方はもうちょっと「間」を置いた方が効果的だったと思うよ。札束を投げつけられた途端に気絶してしまうのでは、なんかあまりにお芝居くさいというか、台本どおり、って感じでちょっと興ざめ。今回のザハロワは予想以上に素晴らしい演技でびっくりだったけど、ここだけはちょっと気になったな~。まぁそんなこと感じてるのは私だけかも知れないけどね(笑)。
2007年11月12日
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ザハロワは、恋の喜びを謳い上げるシーンがとても良かったと思います。長い腕としなやかな上半身が凄く雄弁に恋をしたマルグリットの気持ちを物語っていました。この辺りも嬉しい驚きだったな~。くどいようだけどこんなザハロワを観られるとは思っていなかったので。アルマンの熱情に絆されてマルグリット自身も彼への恋に落ちていくシーンや、別荘での愛の暮らしで見せるマルグリットの喜びに浮き立つ心とか、上半身での表現が特に見事だったと思う。ザハロワってこんな「恋する女」の顔も出来るんだ~、というのが正直な感想かな。勿論いかに「恋する女」と言えどもザハロワらしい気品というか気高さは少しも失われてはいないんだよね。「恋する女」なんだけど「女」になり過ぎるということはない。この辺りも「椿姫」のイメージにぴったりで、私的には好感度大でした。アルマンの留守中、一人残ったマルグリットが彼から贈られた詩集を手にし、愛おしそうに頬ずりするような場面がありましたが、この辺りもマルグリットのアルマンに対する心情がすごくよく伝わってきてとても良かったです。つかの間の幸福はしかし残酷にも直ぐに破られる時が来ます。アルマンの父から息子と別れてくれるよう、頼まれるマルグリット。最初は抵抗?していた彼女でしたが、アルマンの父から彼女自身の「過去」を持ち出されると、もうどうしようもない訳です。彼女の体を通り過ぎて行った幾人もの男たちの幻影に打ちのめされるマルグリット。自分自身の「過去」が仇になって今の自分に襲い掛かってくる。この現実の前にマルグリットはなす術もなく頭を垂れるしかありません。マルグリットのおでこにキスして去っていくアルマンの父。アルマンの父だって別に全然悪い人なんかじゃないのに、子を思う親としてはこのような振る舞いに及ばざるを得なかった。己自身を省みて、そしてアルマンの将来を思う故に、マルグリットもまた、彼と別れる決意をする。彼への別れの手紙を書き出すマルグリット。この辺りもまた、話の展開速いな~、と思ってしまいましたが、まぁよしとしましょう(笑)。結局事情を知らないアルマンが激情の赴くまま踊り狂った後(でしたっけ?)幕が下ります。ここまでの一幕の出来は、私としてはとても良かったと思いました。何と言っても主役二人が素晴らしかったし、舞台美術も美しくとても素晴らしかった。音楽もなんとなく古風でおっとりした感じで(え~、正直あまりよく覚えていないです・・)「詩的」な世界を形作っていたと思います。そうなんですよね~、この牧版「椿姫」って、要するに「美しい詩」なんですよ。「ドラマティック」ではない。ここが、ノイマイヤー版との決定的な違いでしょう。ノイマイヤーの「椿姫」はそれはもうドラマティックですので、あれが刷り込みとなっている方には、正直あまり面白いことはないのかも知れない、と思います。私は正直、あのノイマイヤー版は名作中の名作で、「椿姫」を主題としたバレエがこの先いくら制作されたとしても、あれを超えるものは多分絶対に出ては来ないだろう、と思っていましたし、また牧版「椿姫」そのものに対して過分の期待を抱いてはいませんでした。と言うか新制作がどうのこうのなど、殆どど~でも良かったのです。「ザハロワを観る為に」行ったのですから。だからザハロワが想像以上に「マルグリット」だった、それだけで嬉しくて私としては大満足な訳で、「椿姫」という作品の出来云々については二の次三の次、だった。あのノイマイヤーを超えることは絶対にあり得ない、と思っていましたし、完全に「別物」と割り切っていた訳です。なので、こういう「椿姫」があってもいいんじゃない?あくまで詩的に美しい「椿姫」があっても。くらいの感覚でいます。ドラマティックであることだけがバレエではないし、こんな「ポエジー」な世界に浸ることが出来るのもまた、バレエならでは。ザハロワの清らかな美しさにはこちらの方の「椿姫」の方が合ってるようにも思えたし。とは言え、予想以上の演技を見せてくれたのでノイマイヤー版も結構いけるかも?ちょっと背が高いのが問題かなぁ。
2007年11月09日
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4日、6日と観て、昨日の夜帰宅しました。いや~、本当に観に行けて良かったです!正直ザハロワがどんなマルグリットを見せてくれるのか、全然想像出来なかったのだけど、意外にも良く似合ってた。というか、本当に「マルグリット」だったと思う(私的には)。私は「椿姫」って、生の舞台では一度も観たことないし、有名なノイマイヤー版も映像で2、3回しか観たことない。「マルグリットとアルマン」にいたっては生の舞台は勿論、映像でさえ一度も観たことない。なので、「椿姫かくあるべし!」という強固な思い入れというか思い込みというか、そんなものが一切ない状態だったのね。だからその分、まっさらな気持ちで舞台に臨むことが出来た。それも大いに与って力があったと思います。けど何と言っても今回の舞台では今まで知らなかったザハロワを観られた、という気持ちが大きいです。今まで彼女のことは、クラシック作品でしか観たことがなくって、こういう「人間的」なザハロワを観たというのは本当に初めて。クラシックでの、生ける芸術品のような、一分の隙もなく完璧に整えられたあの天上の美のようなザハロワが私は好きで好きで仕方が無いのだけど、こういう「人間の顔をした」ザハロワも良いですね~。「鎮座まします」って感じの芸術品のようなザハロワに感情移入することなんて絶対に出来ないけど(注・だからこそ、良いのですよ~、私はもともとバレエの主人公に対して感情移入したいタイプの観客ではありませんので)今回のマルグリットにはちょっとほろっとしてしまうところさえあった。特に別荘での幸せの場でのザハロワが良かったな。本当に観ているこちら側の緊張も解けるというか、二人の恋人たちの幸せに、なんだか微笑みかけたくなるような、ちょっと泣きたくなるような、そんな気分にさえなってしまった。え~、前置きが長くなったけど、ザハロワは私が思っていた以上に「マルグリット」だった。登場時の白い衣装が本当に素敵で、ザハロワの椿姫のイメージにぴったりだった。清らかなゴージャス感、とでも言うのでしょうか。光り輝いているのだけど、その「輝き」はあくまで清らかなんですよね。無色透明のダイヤモンドの煌きのよう。ザハロワらしい硬質な美しさで輝きまくっているのだけど、それはあくまで「色の付いていない」美しさなんだよね。何色にも染まらないという美しさ。そんなザハロワにあの白の衣装(シルク?)はすごくぴったりだったと思う。高級娼婦とはいえ貴婦人のような気品、気高さを持っていてこの姿にならば、アルマンもそりゃあ一目惚れしてしまうだろう、理性も何もかも捨ててこの人と共に生きて行きたい!と思ってしまうだろう、と観客に思わせるだけの説得力は十二分にあったと思います。「香りの無い」椿を愛したというマルグリットに、ザハロワのあの姿はぴったり嵌っていて、本当に美しき高級娼婦だったと思う。パーティーを心から楽しんでいるのだけど、どこか儚げでもあり、夢のような幻のような、そんなザハロワのマルグリット。いやいや、こんなマルグリットを見てしまってはアルマンの心はもうすっかり彼女のもの。「恋の奴隷になりました」的に絶望的なまでにマルグリットに心を奪われてしまったアルマンと、彼の情熱に打たれ、パリを離れる決意をするマルグリット。愛おしそうに部屋中の家具に触れて行くマルグリットの姿が印象的でした。けど、話の展開速いな~。いきなり侍女がスーツケース?を持ってくるんだもの。コートを被せたりして。等々、突っ込みどころは結構あるのだけど、まぁそれは置いといて(笑)。と言ったそばから何だけど、どう見てもこれはバレエ「マノン」からの引用だろ、と思ってしまう所が結構あったなぁ。パーティーでの酔客とマルグリットの友人の娼婦?との踊りなどレスコーとその恋人の踊りそのものに思えたし、極めつけは椅子に腰掛けたマルグリットに対しアルマンが思いの丈を訴えるシーン。これってマノンに対するデ・グリューと全く同じじゃん。いや、まぁ別にいいんだけどね。良かったから。とまぁ結構突っ込みたくなる所もあったけれど、基本的には良かったです。と言うか、正確にはザハロワとマトヴィエンコが良かった、と言うべきなんでしょうが。特にザハロワは、初めてこういう「人間的」な役を演じているのを観て、すごく新鮮だったのと、意外にも良く似合っていて嬉しい驚きだった、というのが大きいです。マトヴィエンコの方は4年前にデ・グリューを観ていたので、ある程度は想像出来ましたが、美しくて高貴な若者が、マルグリットと出会ってしまったがゆえに激情の赴くまま突っ走ることになる、そんな若者像を熱演していたと思います。この二人のつかの間の幸福が描かれる別荘での場面は本当に良かったです。あのブランコにはビックリしましたが。新国立劇場ならでは、の演出なんでしょうね~。文化会館では無理なんだろうな~(笑)。
2007年11月08日
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