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来年はパリオペが「ル・パルク」を持って来日するそうで、あちこちで話題になってますね~。「ル・パルク」自体がどうこうではなくて、お値段の話題が先行してる感でもありますが(笑)。今回名古屋でも公演あるみたいなので、行こうと思えば行けないこともないんですけど多分私はパスするだろうな~、という感じです。東京公演よりはお値段若干お安いとはいえ、それほどまでの大金出してまで観たい作品でもありませんし、パリオペのダンサーに特別思い入れがあるわけでもありませんからね~。来年は私にとっては何と言ってもボリショイです!まだ大分先の話ではありますけど。ボリショイと言えばとうとう一週間を切りましたね、ザハロワの「椿姫」。ものすごく先のことのように思っていたけれど、本当にあと数日で新国もシーズン開幕かぁ。私としては約一年半振りにザハロワに会えるのが、本当に楽しみでならないのですが、一体牧版の「椿姫」がどんな風になってるのか、そしてザハロワがどんなマルグリットを見せてくれるのか、興味深々といったところです。そうそう、ザハロワと言えば彼女、来年の4月にボリショイ劇場で「スパルタクス」に出演、と彼女のサイトのカレンダーに載ってるんですけど、数週間前に見た時には「エギナ」、となっていて仰天したのですが、さっき見たところ「エギナ」の表記は消えていて「スパルタクス」のみとなっていたのですが、一体彼女がエギナを踊るのか、それともあれは何かの間違いだったのかが、今ものすご~く気になってるんです(笑)。ザハロワが「スパルタクス」を踊るとしたらフリーギアに決まってる、と思い込んでいたものですから。それがエギナ・・あのザハロワがねぇ・・ちょっと、と言うかぜんっぜん想像出来ないんですけど~(笑)。私の中でエギナと言えばくどいようだけどグラチョーワで、彼女演じるエギナの色気が滴り落ちるかと思う程の女っぷり、女王様振りが今でも鮮明に頭に残ってたりするので、ザハロワがエギナというのは正直全く想像出来ないんだよね~。アレクサンドローワなんかは似合いそうだと思うけど。けど、ザハロワが天性の女王様キャラであることを思えば、もしかしたら案外良いのかも知れない、薄幸のフリーギアよりも意外にも似合うのかも知れない、とか何とか、どうでもいいことなんだけど、何かいろいろ想像してしまって。いや、彼女が本当にエギナを踊るのかどうかも定かではないのにこんなこと考えてたって仕方ないんですけどね。けど、気になるな~(笑)。ザハロワも今回のマルグリットといいエギナといい(エギナの方は不確かではあるけど)、今までどちらかと言うと評価の低かった演技面での充実ということを考えているんでしょうかね?彼女に足りないものなんて、もう他には無いですもんね。いや、私は今までの、「何を踊ってもザハロワ」のザハロワで十二分に素晴らしいと心底感服しているし、大好きだから別に彼女に演技面での進化を求めようとは思ってないんだけど、「止む」ことを許されないのが芸術家の宿命である以上、彼女も進化(深化)への途を突き進まざるを得ないんだろうしねぇ。他の事では既に「完璧」の領域に達してしまっている彼女が、更に新境地を開拓することになるんだろうか。興味は尽きません。去年は彼女の「白鳥」を観にいけなくなって残念な思いをしたけれど、今回は何事も無く無事に観にいくことが出来ますように!
2007年10月29日
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フェリの引退公演の映像を観ていて思ったんだけど、ジュリエットとマノンというのも、これまた対照的なヒロインですよね~。「愛」に殉じるジュリエットと、「愛」よりも「物欲」、のマノン。マクミランの最高傑作と謳われるこの二つの作品のヒロインは、なんとも両極端な人生を生きる。名家のお嬢様として生まれ育ち、何不自由ない日々を送ってきたジュリエットは、当然「物欲」など殆ど持ち合わせてはいない。欲しいものは何だって手に入れられる境遇にいた彼女にとって、富や栄誉は既に既得権益?だ。今更そんなものを望む必要は全く無い。彼女はこれまでの人生、何一つ、不自由な思いなどしたことはなかっただろう。確かに名家であるがゆえのある種の「不自由さ」は、常に付きまとっていて、それが引き金となってロミオへのあんなにも激しい「愛」を引き起こさせた、とも言うことが出来るかもしれないけれど。けど基本的には、彼女は満ち足りた、幸せな人生を過ごして来たはずだ。貴族階級?の常として、両親との仲はかなりそっけない、「フォーマル」なものだったけれど、それは彼女にとっては生まれた時からの「常識」であり、不幸なことでは全く無い。彼女には実の母以上に彼女を可愛がり愛してくれる乳母がおり、それが上流階級の「常識」だったからだ。大好きな乳母は常に自分の側にいてくれて、ちょっとよそよそしい存在ではあるけれど、立派な両親もいる。日々の生活に不自由なことなどあるはずも無く、彼女は名家の令嬢として、幸せな日々を過ごしてきた。否、幸せ「しか」知らなかった、と言えるのかも知れない。そんな彼女が始めて自分の意のままにならぬ状況に陥る。ロミオとの恋。それは彼女にとって初めて知る、自分の力ではどうすることも出来ぬ八方塞がりの状況だった。多分両親は、別にパリスでなくとも、許したであろう。ジュリエットの結婚を。「ロミオ」でさえなければ。仇敵モンタギュー家の息子でさえなければ。それなのに、よりにもよってその「ロミオ」を好きになってしまった。今現在、彼女の心は完全にロミオへの思いに占拠されてしまっている。他の事など考えることも出来ない。ジュリエットにとって不幸だったのは、ロミオへの恋に落ちた瞬間と、パリスとの結婚を求められる事とが、ほぼ同時発生だったということだ。もしパリスとの結婚を求められている時期と重ならなかったなら、ジュリエットも心に大分「余裕」があったはずであり、従ってロミオとの恋を「楽しむ」余裕さえあったかも知れない。考えてもみてよ。彼女はまだ13歳だ。現代で言うならまだ中学生になったばかりの年代だ。あの頃、私たちも「恋」をしたけれど、それはまだ、「恋に恋する」ような、「恋をする為の恋」のようなものではなかったか?本当の意味での「恋」では、多分なかったのではないかと思う。だからジュリエットの「恋」だって、本当の意味での「恋」だったかどうかは不明だ。パリスとの結婚を求められる時期と重なりさえしなければ、彼女だってロミオへの「恋」を「楽しめた」かも知れないのだ。その時は確かに「恋」をしているつもりだった。初めて知る熱い思いに胸をときめかせ、心弾むような、切ないような、ドキドキするような、私たちが経験した「恋」。けど、それは多分、本物の「恋」では、「愛」ではなかったのだろうと、今にして思う。「恋に恋する」年頃の、ティーンエイジャー特有の、大人への入り口、みたいな「恋」。それだって勿論、素晴らしい「恋」であることに違いは無い。ジュリエットも、そんな素晴らしい「恋」に落ちたのではなかったか?
2007年10月23日
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