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藤壺の宮は、― けはひ、しるく、さとにほひたるに、あさましう、むくつけう思されて、やがて、ひれ伏し給へり。「見だに向き給へかし」と、心やましう、つらうて、ひき寄せ給へるに、御衣をすべし置きて、ゐざりのき給ふに、心にもあらず、御髪の、とり添へられたりければ、いと心憂く、宿世の程おぼし知られて、いみじと、おぼしたり。 ― 同上 源氏の君の気配が、あざやかに、さっとそよいだお香の匂いでわかったので、宮は浅ましくも恐ろしく思われて、その場に伏しておしまいになった。「せめてお顔を見るだけでも、こちらに向けて下さったら」と、情けなくもつらくて、宮を引き寄せられると、宮は上の御衣を脱ぎ滑らせて、いざり逃れようとなさるので、源氏の君は思わず宮の御髪も衣といっしょに掴んでしまわれたので、宮は側を離れることも出来ず、何とつらい宿世の業であろうか、と思われて、例えようもなくお嘆きになる。 ここで、源氏が御衣といっしょに藤壺の宮の髪の毛まで、いっしょに掴んでしまったというのは、あきらかにかつて彼が空蝉に上衣だけ残して、まんまと逃げられたという記憶があるからで、御帳台の内のすさまじい情景を描きながらも、紫式部はその滑稽さも見逃しません。― をとこも、こゝら、世をもてしづめ給ふ御心、みな乱れて、現心(うつしざま)にもあらず、よろづの事を泣く泣く恨みきこえ給へど、「まことに心づきなし」と、おぼして、いらへも聞こえ給まはず。 たゞ、 「心地の、いと悩ましきを。かゝらぬ折もあらば、聞えてん」と、のたまへど、つきせぬ御心地の程を、言ひ続け給ふ。 ― 同上 男は、ふだん、俗世の決め事を慮って平静にしておられたお心が、すべて乱れてしまい、正気とも思えない状態で、さまざまな恨みごとを泣きながらおっしゃるけれども、宮は「本当に分別のない方」と、お思いになって、ご返事もなさらない。ただ、「気分が本当に悪うございます。このようでない折であれば、お話もしましょう」と、おっしゃるけれども、君のほうは尽きない想いのたけを、かき口説き続けていらっしゃる。 という具合で、結局一晩中、二人の押し問答が続くのですが、― 明け果つれば、二人(藤壺に近侍する女たち)して、いみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの心苦しければ、 「世の中にありと聞こし召されむも、いと恥づかしければ、やがて亡せはべりなむも、また、この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」 など聞こえたまふも、むくつけきまで思し入れり。 ― 世が明けはなれたので、命婦と弁は二人して、君にどうしてもお帰りになるように申し上げるし、宮の半ば気を失ったような御様子なども、おいたわしいので、君は、「この後私が世に永らえているとお耳に入るのさえ恥ずかしく思われますので、すぐにも死んでしまうかも知れませんが、それもまた後生の障りになることでしょう」 などとかき口説かれる様子も、不気味なほどに思いつめておられる。(円地文子訳、新潮文庫) このあたり、源氏の語る言葉は、ほとんど意味不明で、思いつめたままFreezeした男の姿が浮かび上がります。これと似た情景が「宇治十帖」の匂宮と浮舟の最初の出会いにもあって、その時は名も知らぬ美女を見初めた匂宮が、いきなり彼女を捉まえてモノにしようとする。侍女が必死になって邪魔して二三時間押し問答した、というのですが、結局両方とも「実事」はならず、夢見心地で家に帰ることになるのです。 さて、似たようなシチュエーションですが、源氏と匂宮とではどこが違うのでしょうか?― つづく ―
2009.03.31
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いわば完全な不意打ちに合ったかたちの藤壺の宮ですが、彼女としては東宮の後身とすべき光源氏ではあっても、こんなこともあるかもしれないと、― なほ、このにくき御心の止まぬに、… いと、恐ろしければ、御祈りをさへせさせて、「この事、思ひ止ませたてまつらむ」 ― 同上 宮は、今もなお、源氏の君の煩わしいお心が無くならないのを、… たいへん恐ろしく思われて、ご祈祷までおさせになって、「この源氏の君の懸想心が、二度と起りませんように」と、思っていたところに現われたわけで、当然必至に避けようとする、対する源氏は、― 男は、「憂し、つらし」と、思ひきこえ給ふ事、限りなきに、来し方行く先、かきくらす心地して、現心(うつしごころ)失せにければ、明け果てにけれど、いで給はずなりぬ。 ― 同上 源氏の君は、宮のつれなさが、たとえようもなく「悲しい、つらい」と思い詰めること尋常でなく、今までのことやこの先のことなど、どこかに行ってしまったかのような心地で、正気を失ってしまい、とうとう朝になってもお出でにならない。 この場合、逢う瀬の翌朝に、男が女の家を出て行かないというのは、当時重大なルール違反であったようで、近侍の女房たちは、やむなく彼を塗籠(ぬりごめ)に押し入れる。「塗籠」とは三方が壁で一方だけに入り口がついた、今の押入れのようなところで、物置や寝室に使ったそうですが、語感からいうと、何だか座敷牢みたいな感じがありますね。 以下、彼は塗籠の隙間から外の様子を探る、ということになります。 宮は悩みが深く、熱も出てきたので、女房たちは立ち騒ぎ、兄の兵部卿も来て、祈祷の僧の手配をしたりなどもする。 近侍の女房たちは、宮の病に気を使って、源氏がまだ塗籠に隠れていることを云わない。宮は夕方になってやっと熱も下がったのか、昼の御座に出てこられたので、人々ももう大丈夫かと引き上げる。 そこで、 ― 君は、塗籠の戸の、細めに開きたるを、やをら押し開けて、御屏風のはざまに伝ひ、入り給ひぬ。めづらしく嬉しきにも、涙は落ちて、見たてまつり給ふ。 ― 同上 源氏の君は、塗籠の戸が少し開いているのを、やおら押し開けて、屏風の隙間を伝って、宮の部屋にお入りになった。久しぶりの宮のお姿(昨夜は夜に忍んだので、姿を見ていない)を見て、めずらしくも嬉しくもなって、思わず涙を落としながら、ご覧になっている。 このあたり、乱暴狼藉の張本人でありながら、子供のように泣いている。まさしく「現し心」を失った男=オスの姿ですね。このとき源氏の心に去来したものは、なぜか藤壷の宮が紫の上とそっくりだ、という想念で、よく考えてみると、これは順序が逆で、藤壺とそっくりだということで、紫の上を強引に拉致してきたのに、こんどは宮が紫の上に似ているという、このへんも彼の自己チューぶりが、いささかの滑稽感をもって描かれています。 源氏の狼藉は、まだ続きます。そして、― 心惑ひして、やをら、御帳の内にかゝづらひ入りて、御衣のつまを、ひき鳴らし給ふ。 ― 同上 源氏の君は心乱れて、そのまま御帳台の内にお入りになり、宮のお召し物の端を引き動かされた。― つづく ―
2009.03.30
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故院の喪中であるにもかかわらず、藤壺の宮が里の三条の実家に移ったのを見計らったように、光源氏は女房たちの手引きも介さずに、いきなり彼女の部屋に忍び込む。 この間、彼は人目の多い宮中でも、例の内侍の君(朧月夜)との逢う瀬を重ねているわけで、いくら根が好き者の光源氏とはいえ、いささか常軌を失した感があります。これはあきらかに、右大臣派の専断する世に対する、あてつけめいた心理が働いているのです。 当然のことながら、承香殿の兄君に、逢引きの部屋から出るところを、目撃されたりもするのですが、このころの源氏には、何となくDesperate(捨てばちな、自暴自棄の)な気分も混じっているようで、いつもほど用心する気配というものが感じられません。当時の逢引きには、必ず手引きする女房たちがいて、絶対秘密という情事はありえないのですが、それと政敵に見られるということは、おのずと意味が違います。 しかし面白いのは、こうして敵方の御殿に忍び込んで、結構人にも見られているのに、いっこうに右大臣や大后の耳に入らないということで、このあたり右大臣の家中でも、その臣下はうるさいボスを煙たがって、いちいち報告しないという、典型的な「町内会の論理」の組織であることが強調されます(それが完全に露見するには、右大臣本人が目撃しなければなりませんでした)。 話は別ですが、爾来、男=オスの生理というのは、なかなか御し難いところがあって、これは私のかつての上司の話ですが(もう時効でしょう)、辣腕の営業部長だったのですが、「英雄、色を好む」の典型のような人で、仕事の調子の良いときは、色香のほうも大いに盛んで、さまざまな噂が本社のしかるべき筋?から聞えてくる。 ところが驚いたとことに、調子がはかばかしくない時とか、締め切り間近かの営業会議の当日とか、要するに大いにストレスにかかった朝など、これはご本人が云っていたことなので間違いないのですが、かならず奥さんとコトを済ませてくるというのです。お相手する奥さんも平日の朝まだきから、たまったもんじゃなかったと思うのですが、まあ二人で~ビデオも観るという、仲の好いご夫婦でしたから、あまり揉めることもなかったのでしょう(それを聞かされる部下たちの気持ちを察して下さい)。 男=オスというのが、いったいいかなる時に異様に性欲を亢進させるものなのか、もちろんそんな統計など、まともにあるわけがありませんが、少なくとも大いにオスとしての存在感があるときと、逆にその存在感が危機に曝されたときには、恋人とか愛人とかの有り無しに関係なく、性欲だけが異様に増進する、ということはあるようです(早い話、上の営業部長の場合、相手は十数年来の奥さんという、はなはだ手軽な相手でコトは済んでいるのです。失礼!)。 源氏の君も、ひょっとすると生まれて初めてのストレスを、大いに感じていたときなので、普段と異なり性欲だけが異様に亢進している状態(普段は恋人・愛人といった相手がいることによって、懸想しているのであって、性欲だけがかってに亢進しているわけではない)であったかと思われ、朧月夜との連日の逢引きも、たんに右大臣派へのあてつけで済ませるわけにはいかない側面があったでしょう。 そんな状態の源氏が、― いかなる折にかありけむ、あさましうて、ちかづき参り給へり。心ふかく、たばかり給ひけむ事を、知る人なかりければ、夢のやうにぞありける。 ― 同上 どうした折を窺われたものであったろうか、思いもかけず御帳台の内に忍び入っておしまいになった。よくよく心を配って企まれたことで、お手引きした女房さえなかったので、中宮は夢のうちのことのように思召された。(円地文子訳、新潮文庫)― つづく ―
2009.03.28
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「町内会の論理」とは、私的利害と公的な利害が、ごちゃまぜで施策に反映されて、首尾一貫した政りごとが行なわれず、恣意的な指示や決め事が連発される状態をいうのですが、あえて誤解を覚悟で云えば、「女の論理」が反映される世界といっていいでしょう。 私憤をあえて抑えて、ごく政治的に敵をも取り込む度量というのが、「企業の論理」なのですが、右大臣派にはその心の余裕がないのです。このあたり紫式部は左大臣派と対照して、なかば戯画的に描いているのですが、政界のトップに躍り出た祖父右大臣が「いと急に、さがない」性格であれば、「御心、いちはや」い母大后が私怨を公事に持ち込んでくるのは当然の成りゆきで、そうした時必ず現れてくるのが、時の権勢に寄り付いていくお追従者たちなのです。上達部・殿上人などが皆、我が身の先行きを思い嘆き、惑うのは当然でありました。 そしたら、なぜそんな「さがない」性格の右大臣の「御心、いちはや」い娘から、「なよびたる」朱雀帝が生まれたのか、ということになりますが、これは今どきでも、厳しい教育ママのしつけに反抗するわけでもなく、なかば世間からドロップアウトしたような「なよびたる」息子たちが、ときどき現われることからみても、それほど不自然なことではないでしょう。 同じ桐壺帝の血を引きながら、母が世俗の権門の一つである右大臣の娘、かたやはさしたる高貴な身分でもなかった桐壺更衣と、腹違いの兄弟である朱雀帝と光源氏では、どうも高貴なる血筋に対する意識に違いがあるようです。あらわには描かれませんが、私は光源氏の性格には貴種の血筋に対する、過剰な意識とこだわりがあったかとも思われ、それはこのあと見ていく「賢木」の帖での振るまいかたにも、色濃く出ています。この二人、結構仲が良いのですが、世事にかんして主導権を握っているのは、終始光源氏のほうで、何だかどちらが弟なのか、分からなくなってくるときがありますね。 さて桐壺院の崩御にともなって、まず故院のお気に入りだった、例のアダなる大年増、源の内侍が退任して、あとに弘徽殿の大后の妹にあたる朧月夜の君が、朱雀帝の内侍に入ることになる。 内侍司(ないしのつかさ)という女官だけの役職、Wikipediaによれば― 天皇に近侍し、奏請と伝宣(内侍宣)、宮中の礼式等を司った。天皇の秘書役 ―とありますが、時代が下るにつれて天皇の侍妾(公的な妾?)としての性格も持っていたようです。 朧月夜の君とは、云うまでもなく右大臣派の女でありながら、源氏と不実のアバンチュールを楽しんでいる仲で、今でもその思いは変わらない。これもまた当然、大后にとっては気に入らないことなのですが、そのあたりをあまり気にするふうでもなく、逢う瀬を重ねるという、この朧月夜の軽さ加減は、たんに彼女が若い(男たちにとっては、素敵じゃないか、ということですが)ということだけでなく、何やら右大臣一族通有の気質とも取れますね。 さて藤壺の宮は、故院が彼女に強力な後身がないことを心配して、弘徽殿を差し置いて中宮に取り立てたものの、院がいなくなれば、かえって宮中にいると何かと大后の風圧が重荷になる。そこで彼女は宮中を出て、兄の兵部卿の住む実家に里下りことになるのですが、その場合何といっても、彼女にとって心配かつ不安なのは東宮(実は源氏との不義の子)の行く末です。彼女としては、かつて世間最大の禁止を破って、その子まで宿した当の相手ですが、さしあたって我が子である東宮の後身としては、その光源氏を頼るしかないというところが、彼女のつらいところではあったのでした。― つづく ―
2009.03.27
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弘徽殿の大后(こきでんのおおきさい、おおきさき)、この物語の最初から敵役として登場して、このあとも結構しぶとく源氏につきまとう。何だか韓流ドラマ「チャングムの誓い」の終生の敵チェ・ソングムを思い出しますが、日本の仇というのは韓流ほど強くないのですね。恨(ハン)の文化と手弱女(たおやめ)の違いというか、向こうでは倒されても倒されても、簡単には崩れない。 こんなことをしゃべりたくなったので、昨日はUPできなかったのです(韓国に負けてたら、やっぱり書けないでしょう)。絶対的善としてのチャングムに対する、圧倒的な悪として立ちはだかるチェ・ソングムという、なかば以上戯画化(私にはそう見えます)されたその存在感は、ちょっと日本のドラマにはないもので、この度外れた恨(ハン)の底深さというのは、この国独特のものですね。チャングム自身が、母と恩師の復讐だけを生きる証しとして、途方もないがんばりをするのですが、チェ・ソングムに対して、最後まで「赦し」のような感覚が彼女の中に現われてこないのが、日本人の私としてはヤッパリ違うなあ、と思ってしまうのです。 このあたり微妙な問題なので、別の機会に触れることにしたいと思いますが、その根底にフィンランドやアイルランドあるいはハンガリーなどと同じような、大国の狭間にある国家・民族の悲哀とか、度外れた感情の激しさのようなものを感じざるを得ません。 さながら白雪姫に対する魔の女王のごときチェ・ソングムの迫力なのですが、弘徽殿の大后や、その父の右大臣はそれほどの大物ではなく、はなはだ小市民的な描きかたをされています。 恨みが積もり積もっているとはいえ、それへの対処の仕方が、はなはだ子供染みて、いわゆる政治的配慮という度量に欠ける。ここで光源氏を左大臣派から、切り離すチャンスも確かにあったはずなのですが、そのあたりの度量の狭さというのは、光源氏にもすっかり見通されているので、ある種滑稽感をもって描かれることになります。― 祖父大臣(おほぢおとど)、いと急に、さがなくおはして、「その御まゝになりなむ世を」、「いかならむ」と、上達部・殿上人みな思ひ嘆く。 … 帝は、院の御遺言たがへず、(源氏を)あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心、なよびたる方に過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし。母后・祖父大臣、とりどりにし給ふ事は、え背かせ給はず。世のまつり事、御心にかなはぬやうなり。 ― 同上 祖父の右大臣は、たいへん気短なうえに、分別のない人でいらっしゃるので、「その御心のままになされたら、どんな世が」「いったいどんなことに」と、上達部・殿上人など皆思い嘆いている。 … 朱雀帝は、桐壺の故院の遺言を違えず、源氏を弟君として慈しんでいらっしゃるが、お若いうえに、御気質が、お優しいほうに傾きすぎて、気強いところはお持ちでないのであろうか。母后や祖父大臣が、さまざまに執り行なわれることには、お逆らいにならない。世の政ごとは、お思いどおりにはならないようである。 「御心、いちはやく」「いと急に、さがない」母后や祖父大臣が、世事の万端を取り仕切れば、どういうことになるか、今ふうに云えば、「企業の論理」ではなく「町内会の論理」が、幅を利かすことになるのです。― つづく ―
2009.03.25
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「源氏物語」のおしゃべりの途中ですが、今日はやはりWBC二連覇ということで、その話はお休みです。 いろいろ言いたいことは山ほどあるのですが、まあとりあえず「侍ジャパンおめでとう!」と言っておきましょう。 それにしてもイチローの「神が降りてきた」というのは、いいですね!こうした場面では、やはり普段の実力に加えて、何かそれを越えたもの、球場全体を支配する、得体の知れない何者かが、舞い降りてきて決着を付ける、そんな気が強くします。 これはまた三年前に、荒川静香さんがトリノのスケートリンクで、かもし出したオーラとよく似ていて、当時地元の新聞に「彼女は、まるで氷をコントロールしているように見えた」でしたか、載っていたそうですが、これは彼女がではなく、彼女に乗り移った何者かが「氷を支配していた」ので、彼女がリンクに上がる前、周囲を完全にシャットアウトして身を荘厳(しょうごん)して、出番を待っていたというのも、云わば「氷の神様が、彼女の身体に舞い降りてくる」のを、静かに受け入れるためでした。 その後の彼女を見ていると、ますますトリノのリンクにいた彼女が、そのフリープログラムの時だけ別の人になっていた、という思いが強くするのですが(これは別に、今の彼女をくさしているわけではありません。舞い降りてきた神を、その身体の隅々まで、呼び寄せることができる人は限られているし、またそんなことは一生に一回あるかないかでしょう)。 イチローが、いつも判で押したように、バッターボックスに入る前、屈伸運動を繰り返すのも、相撲の四股や仕切りと同じで、やはり土俵(バッターボックス)に入る前に、身体にある種の神が舞い降りてくるように、身を荘厳しているのです。 試合の内容とか、細かなことは、それこそ挙げていけばキリがないくらい、今回のジャパンは不甲斐なかったのですが(はっきり言えば、今日の試合にかんして言えば、岩隈とイチロー以外全員丸刈りでしょう)、とりあえずそれもこれもすべて、このシリーズ最悪だったイチローのための、お膳立てだったのか、とさえ思えてしまいますね。彼自身が「今回の一打で、また何か新しいものを見た」と言っているのは何やら暗示的で、ことさらに冷静さを保って、インタビューにも気の利いたシャレ以外の質問には、ほとんどまともに答えない彼にしてはめずらしい。今シーズンの彼が、今までの短打量産型ヒッターから、多少変身するのかと、久しぶりで楽しみになってきました。 それにしても、しぶとい韓国、現地のアメリカ人やヒスパニックの野球ファン、技術やパワーを超えた意地のツッパリ合いのような、この試合を観てどう思ったでしょうね。ある種の人は「こんなのスポーツやない」と思うかもしれないし、おそらく大半の人は、「たかがオープン戦の一イベントにすぎないのに、なんでこんなに勢力を注ぎ込むしんどい試合をするんやろう?シーズンはこれからなのに」と思っているでしょう(実際一シーズン終わったような感じですね)。 韓国という国民性は、前にも少し触れかけたことがありますが、そういう意味での「神懸り的しぶとさ」は、日本よりはるかに色濃くもっている国です。これについては、また別に話したいと思っていますが、半島の歴史と文化というのは、日本と驚くほど異なっていて、しかも奥が深いと私は思っています。 まあしかし、とりあえず今日は良かった!「侍ジャパン」は、とても偉かったですよ。
2009.03.24
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さて、光源氏が御息所と最後の睦み逢いを行なっていたころ、宮中は桐壺院が重い病に伏せっていて、何やら騒がしくなっているのです。「賢木」の帖は、なかなか世知にたけた桐壺院の崩御によって、にわかに世情が流動的になる。これまで桐壺院のあつい信任を得て、権勢を振るってきた左大臣派が勢力を失い、変わって弘徽殿の大后の子、朱雀帝を擁する右大臣派が世を治める形となって、光源氏も何となく居心地の悪い状況となってくるのです。 このあたりの世俗の争いは、女の口にすべからざるところとばかり、紫式部は多くを語りませんが、こうした政治的背景は多少示唆するでだけでも、当時の読者はすぐ理解できたでしょう。実際にこういうことが、あったかどうかということではなく、こうした場合、誰が強くなり誰が弱っていくのか、といった当時の宮廷の力学を知っていなければ、誰もこの貴族社会を生きていくことは出来なかったのです。 そうした世俗的な動きを背景にしながら、この帖でいちばん光が強くあたっていると思えるのは、私は藤壺の宮だと思います。いわば光源氏の女遍歴の原点ともいうべき、藤壺の宮は実はこれまで多くを語られることがなかったのでした。前にも何度か触れましたが、六条御息所(あるいは朝顔の宮も)と並んで、彼を焦燥と畏れを伴った、際限のない女あさりに駆り立てたであろう人物の一人なのですが、第二の密通で不義の子を宿して以来、本編では語られることがなかったのです。 その理由もまた前に触れましたが、六条御息所については、これまで散々しゃべってきたように、結構登場の機会が多く、また「賢木」の帖で一つの大きな締めくくりの場を与えられているので、源氏との最初の逢う瀬が描かれていなくても一応納得させられるのです。しかし藤壺の宮については、帝の后というもっともハードルの高い相手であったがゆえ、紫式部もさすがにちょっと、これまでは遠慮があったのかもしれません。それともちろんパトロンである藤原道長の政治的思惑もあったでしょう。 しかしここへ来て、彼女はやっと藤壺の宮について、描ききることを決心したというか、覚悟を決めたかに思われます。 桐壺帝崩御後の世情といえば、― 院の、おはしましつる世こそ、はゞかり給ひつれ、后の御心、いちはやくて、「かたがた、思しつめたる事どもの報いせん」と、おぼすべかめり。事にふれて、はしたなき事のみ出で来れば、… 世の憂さに、たちまふべくも、思されず。左の大殿(おほいどの)も、すさまじき心地し給ひて、ことに、内裏にも参り給はず。 ― 同上 故桐壺院の御在世の時代は、さすがに遠慮されていたものの、弘徽殿の大后のご気性は、おそろしく短気で、「前々から積もり積もった恨みを、いっきに晴らそう」と、思われるのだろう。(源氏は)何かにつけて、不愉快なことばかり起きてくるので、… 世がつまらなく、人と立ち交じることも、お考えにならない。左大臣も、はなはだ面白くなく、ことさらに内裏に参内することもなさらない。 右大臣の娘で、故院の最初の奥さんであった弘徽殿の大后、息子を東宮(現朱雀帝)に仕立てて、右大臣派の勢力拡大を狙ったものの、故院の源氏への思わぬ寵愛や、東宮妃ともくろんだ左大臣の娘の葵の上を源氏にとられて、はなはだ不愉快だったうえに、さらに後から入内した藤壺が中宮となって、皇子(実は源氏との子)を生み、次の東宮に御せられる、とあっては、彼女ならずとも相当腹ふくれる思いはあったでしょう。― つづく ―
2009.03.23
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こうしたシチュエーションに持ち込めば、源氏にとって女性をものにするのは、手もないことなので、御息所もどうせそんなことだろう、だから何もかも身を任せるわけにはいかない、だから後になって余計しんどくなる、ということは分かっている。分かっていても、我が身もすでにサカリモードに入ってしまっているので、後でどれだけつらくなろうと、当座の快楽に酔いしれることを止めることを、彼女の身体は許さないのです。 この種の愛欲の嵐は、他の女性でも多かれ少なかれ、この物語では描かれているのですが、それにしても御息所の制御できない情欲の強さは突出していて、紫式部はあるいは仏教用語で言うところの、人(生き物)がいかにしても消すことが出来ない「劫火」を彼女に見たのかもしれません。「物の怪」だの鳥居だの、一種古代的な罪深いイメージに彼女が包まれているのも、人間がもともと備えている情欲(これがなければ、人間は種族を維持できません)の原初的で、やっかいな強さを表現するためだった、とも云えるのです。 私には人間の根源的な、消すことの出来ない「業」の烙印を、これほど明瞭に示した「六条御息所」という個性は魅力的ですね。それと、そういう彼女を見い出した紫式部にも、あらためて敬意を評さざるを得ません。 手もない逢う瀬といえども、源氏にとってもこのたびの御息所との睦み逢いは、普段よりは切ないものだったでしょう。というのも彼女にかんしては、ひょっとすると逢う瀬は今回で最後になるかもしれない、という焦燥感があるからです。爾来、浮気というのは(この場合、今日的な意味での浮気とは、ちょっと違いますが)、次いつ会えるか分からない、ひょっとするとこれが最後の出会いかもしれない、という不安定感が、いやでも愛欲を激しくさせるのです。 そういう意味で、この場面の二人にとって、夜明けという時間の経過は残酷なものと映るので、― 思ほし残すことなき御中らひに、聞えかはし給ふ事ども、まねびやらむ方なし。やうやう、明け行く空の気色、ことさらに、作り出でたらむやうなり。… 出でがてに、御手をとらへて、やすらひ給へる、いみじうなつかし。風、いと、冷やかに吹きて、松蟲の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、… くやしき事多かれど、かひなければ、明け行く空も、はしたなうて、出で給ふ。道の程、いと露けし。女も、え心強からず、名残あはれにて、ながめ給ふ。 ― 同上 お互いにさまざま胸に秘めた思いを、残すことのないまでに、語りつくされる中味を、文字に書き表わすことは出来ない。次第に白んでくる明けがたの空の気配は、ことさらに作り出したような風情である。… 立ち出でられるときに、(御息所の)お手をとらえて、ためらっていらっしゃるご様子は、とても優しい。秋の冷たい風が吹いて、松虫が鳴きからしたような声なのも、何となく折り知り顔な様子で、… 悔いる思いは数限りないとはいえ、今さらどうしようもないうえに、どんどん明るんでくる空を見るにつけ、周囲にも気兼ねするので、(源氏は)出て行かれる。その様子は、ひどく涙ぐんでいる。女も、とても心強くはいられず、これまでの名残を惜しむように、うっとり空を眺めていらっしゃる。 紫式部は性愛作家ではない(その手の作り物語は、他にたくさんあるようです)ので、睦み逢いのディテールは省かれているのですが、男女のそれぞれの状況からみて、相当激しい愛の交歓が繰り広げられたことは間違いありません。― つづく ―
2009.03.21
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サカリの点灯した光源氏の心内を知ってか知らずか、御息所の心中は例によって揺れに揺れまくる。源氏のたび重なる消息文に対して― 「いでや」とは、おぼしわづらひながら、いと、あまり埋れいたきを、「物越しばかりの対面は」と、人知れず、まち聞こえけり。 ― 同上 「さあ、どうしたものか」とは、思い惑ってはいるものの、あまりにも引き籠っているだけでは(源氏に失礼だろう)、「御簾を隔てての対面ならば」と、人知れず、お待ちしておられた。で、現実に光源氏が野々宮を訪れると、 「いさや。こゝらの人目も見苦しう、かの、おぼさむことも、わかわかしう、いで居んが、今更につゝましき」と、おぼすに、いと物憂けれど、情けなう、もてなさんにも、たけからねば、とかううち嘆き、やすらひて、ゐざり出で給へる御けはひ、いと心憎し。 ― 同上 「さて、どうしたものか。周囲の女房たちの目にも見苦しいし、娘の斎宮がどう思うことか。若やいで立ち居出るのは、やはり気兼ねが多すぎる」と、思われて、おおいに悩まれるが、さりとて(源氏に対して)つれなく応対するほどの、心強さは持ち合わせていないので、あれこれ悩んだ末、心落ち着かせて、結局いざり出ておいでになるご様子は、たいへん奥ゆかしい。 紫式部は「いと心憎し」と遠慮して書きますが、彼女の腰の決まらなさは、この文章のゆらゆらした書きかたに、つぶさに現されているので、彼女がもし本気で拒否するつもりなら、返事もしないし、もちろん絶対会いもしない、という断固とした行動が必要なのです(宇治十帖の浮舟は、門口に立つ薫に対して、ついに返事もせず、もちろん会いもしませんでした。「源氏物語」に出てくる男も女も、何となく優柔不断な女性的なイメージが強いのですが、丹念に読むと決してそんなことはなくて、紫式部の描く、特に女性たちは多様性に満ちています)。 御息所のあいまいな気息が、結局、光源氏を無用にじらせ、サカリに火をつける。いったん注連縄の前に立たせたら、殿中に上がらさざるを得ず、お座りになったら会わないわけにはいかず、会えば声を交わすだけで済まないことは、彼女も分かっているはずですが、もうそのころには御息所の心にも火がついているわけで、このあと世にも切ない逢う瀬のシーンが繰り広げられることになります。― 月も入りぬるにや、あはれなる空をながめつゝ、うらみ聞え給ふに、こゝら、思ひ集め給へるつらさも、消えぬべし。やうやう、「今は」と、思ひはなれ給へるに、「さればよ」と、なかなか心うごきて、おぼしみだる。 ― 同上 月も山陰に入ったのか、ものあわれな闇空を眺めながら、源氏がさまざまにかき口説かれるのをお聞きになっていると、これまでの積もり積もったつらい思いも、消えてしまうのだろうか。ようやく「今回は伊勢に行こう」と、決心されたはずなのに、(こうして会ってしまうと)「それでも(源氏の君への思いは断ち切れない)」と、またしても心が揺らいで、思い乱れている。― つづく ―
2009.03.20
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須佐之男命の凶暴な振るまいの根源が、かつては地上を支配していた母性原理の発露たる男=オスの「子宮帰求願望」であることを、もし紫式部が見抜いていたとすれば(想像ですよ)、それが同時代の平安の世では、どういう現れかたをするのか、彼女は仏教的倫理が建前として社会の表面を覆っていなかった、神話時代の人間たちの振るまいを、ある程度頭に置きながら、この物語を書き進めたのではないかと思うのです。鳥居や注連縄そしてその中に住まう御息所や朝顔の宮が、この物語の中でも特異的な印象を与えるのはそのためでしょう。 話は別ですが、かつて私は奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)や、三重県の伊勢神宮などいわゆる古神道(原始神道)の形態について、あれこれ夢想にふけっていたことがあり、なかばヨタ話ですが、鳥居とか注連縄とは結局、女性性の象徴ではないかと思ったりしていたことがあります。とくに桜井にある大神神社は三輪山そのものを神体とした自然崇拝(Animism)の特色が顕著で、鳥居と注連縄を通して仰ぎ見る自然というのは、明らかに女性性への思慕ないし畏れと映ったのでした。 この場合の畏れとは、自然性が具有する人智を超えた豊穣と祟りに対して抱く、古代人通有の感情であり、それは同時に女性性が具有する、出産という自然性に対する畏れでもあります(そういえば、奥さんのことをかつては「山の神」とも言ったりしましたな)。 日本神話というのは、そうした古代的な母性原理の記憶を色濃く残しながらも、形としてはこの世が男性原理の天皇支配の社会に、次第に再構成されていった過程を現しているので、天照大神に対する高御産巣日神(タカミムスビノカミ)や、例の海幸山幸(ウミサチヤマサチ)に出てくる豊玉媛(トヨタマヒメ)に対する父の海神(ワタツミ神)などは、その再構成の過程(神話が天皇制の正統性を証するために再編成された段階)であとから付け加えられた男神だと思われるのです。 まあしかし、このあたりは完全に私の妄想で、本題の「源氏物語」や紫式部とは関係ありません。 こうした畏れというのは、結局、男=オスという存在が、身体感覚としては自然性から、なかば追放された存在として感じられることを意味するので、出産の痛みと歓びという、女性が持つ自然性の身体感覚には、ついに絶対に近づくことが出来ないという、男として生まれたときからの原初的な一種の喪失感でもあるでしょう。。 こうした場合、源氏=オスが取る行動というのは、怨嗟をともなった願望という、はなはだ矛盾する振るまいとなって現れるもののようで、これは今どきの男=オスでもよく見られることです。 ここでこんな「男の深読み」をして、立ち止まっているというのは、実はこのあと御息所につづく、藤壺の宮との常軌を逸した逢う瀬を考えるためでもありました。 注連縄の外に立たされたままの源氏の心中には、このようなイライラ感が、その底に流れていたかと思われるので、― 「こなたは、簀の子ばかりの許されは、侍りや」とて、のぼり給へり。 ― 同上 御息所本人が、奥からいざり出てくる気配を感じるやいなや、「こちらは簀の子の上ぐらいは、お許しいただけるのですか」と言って、そのまま(殿中まで)上がってお座りになった。この時点で源氏の思考回路は、すでに回復不能な原始脳にスイッチが切り替わっているのです。― つづく ―
2009.03.19
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光源氏の怒りというか、イライラの原因は直接的には三つほどあって、1. 六条御息所の伊勢下向が、明日あさってにも迫っている2. 嵯峨野の野々宮まで、わざわざ出向いているのに、直接対面しないという御息所のつれなさ3. 「物の怪」等に現われた御息所の気息を、じかに逢って少しでも和らげる、ということが今だにできずに、そのままであるといったところでしょうか。こうした源氏の心中にあっては、黒木の鳥居や注連縄は、おおきな夾雑物と映るので、私は「古事記」上巻の須佐之男命(スサノオノミコト)が、高天原で繰り広げる乱暴狼藉を思い出してしまいます。 伊邪那岐命(イザナキノミコト)が、死んだ奥さんの伊邪那弥命(イザナミノミコト)に追いかけられて、黄泉国から逃げ帰って、禊ぎを行なったところが、左の目から天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右の目から月読命(ツクヨミノミコト)、鼻から「建速須佐之男命」(タケハヤスサノオノミコト)が生まれ、天照大御神は高天原を、月読命は夜の食国(おすくに)を、須佐之男命は海原を分担して治めるように宣したが、須佐之男命だけが、それに肯んぜず、母の伊邪那弥命の住まう「根の国」に行きたいといって、泣きわめく。 その泣きわめくさまは、青山を枯らし河海まで泣き枯らしてしまうほどで、たちまち世界はサバエなす災いに見舞われる。怒った父の伊邪那岐命に追放された須佐之男命は、姉の天照大御神へ挨拶にと高天原に上がるが、そこでもまた天照大御神の営田(みつくだ)の畦(あぜ)を壊し、溝を埋め、大嘗(おおにえ)の神殿に大便をまき散らすなど、大暴れが収まらず、ついには― 天照大神、忌服屋(いみはたや、神聖な機を織る家)に坐(ま)して、神御衣(かむみそ、神に献る御衣)織らしめたまひし時、(須佐之男命は)其の服屋の頂(むね)を穿(うが)ち、天の斑馬(あめのふちごま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて墮(おと)し入るる時に、天の服織女(はたおりめ)見驚きて、梭(ひ、機織り器のシャトル)に陰上(ほと、女陰)を衝きて死にき。 ― (古典文学大系、岩波書店、()筆者)という段になって、とうとう天照大神が天岩戸に籠り、世界が闇に閉ざされるという仕儀になります。 この須佐之男命の怒りというのは、古今さまざまな解釈があるようですが、その根っこの動機がどうも「母の国に帰りたい」、という男=オスに通有の子宮帰求願望から来ているのではないか、というのが私の観測です。彼は葦原の中つ国で国造りの基礎を行い、子孫の大国主命に後を託した後、結局ちゃんと母の棲む「根の国」の主に収まっているのは、それを暗示しますね。 もちろん光源氏は荒ぶる神話時代の英雄ではなく、同時代の平安期の大宮人ですから、須佐之男命のような直截な乱暴狼藉には及ばないのですが(今の社会から見れば、ずいぶん乱暴かつ自己チューな男ですが)、紫式部が「日本紀」に通じていたことを考え合わせると、彼女が光源氏=オスに同じ心理的側面を見い出していたと、言えなくはないようです。 男=オス(光源氏という命名は、限りなく光り輝く男子という普通名詞に近いのです)通有の心理とは、前にも触れましたが、女性なるものが本来的に具有する自然性への畏れと憧れ、といったものでしょうか。かつて古代農耕社会において支配的であった母性原理(地母神崇拝)は、奈良の律令制を経て、形のうえでは父系社会に取って代わられたものの、実体的な子育てや相続が母方の里で行なわれていたように、まだまだ平安の社会では生きていたのです。 この制度的、あるいは倫理的には仏教によって、表向き罪深いものとされた母性原理が、内実的には作動している社会にあって、この相克は結構鋭く現われたと思われるので、鳥居と注連縄は源氏にとって、表向き隠された原理が図らずも顔を出した象徴と映ったのではないか?― つづく ―
2009.03.18
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この朝顔の宮、初めは本筋とあまり関係がないように見え、また印象にも残らないので、ついついうっかり失念してしまいそうな女性なのですが、実は「帚木」の雨夜の品定めのあと、源氏が空蝉に懸想したとき、彼女の家の女房たちが、源氏が朝顔の宮に送った懸想文の歌を伝え聞いて、あやふやに口ずさんでいる、というところで彼女は登場しているというか、示唆されているのですが、ほとんどの読者はそんなことは気にもしないで、通り過ぎてしまうでしょう。 そののち例の「葵」の帖で、いきなり父の式部卿といっしょに、車の中から勅使姿の凛々しい光源氏を眺める、という場面に姿を現すのです。このあとも本筋に入ってくるわけではなくて、はなはだ存在感に欠ける。ところがそののちずうっと下って、藤壺の女院が死亡した後、彼女のために「槿(あさがお)」という帖がもうけられて、源氏とのやりとりが詳しく語られるので、たいていの読者(少なくとも私)は、「この人、誰やったかいな」ということになるのです。 紫式部は、このように最初痕跡だけの「仄めかし」だけに止めておいて、後になっていきなり大きくスポットライトを浴びせるということを、例えば「玉蔓」のようによくやるのですが、話し上手の伏線の張りかたとして、うまくいっている場合と、唐突過ぎてすっかり戸惑ってしまう場合があるように思えます。 今回、朝顔の宮に触れたのは、御息所が娘の斎宮を伴って伊勢に下向するのと関連して、朝顔の宮もまた時期はズレますが、賀茂神社の斎院であったことで、源氏の愛した幾多の女性群の中でも、独自の光芒を放っているように思ったからで、神社神宮が平安中期すでに仏教によって、社会通念的には片隅に押しやられ、むしろ罪深い地として理解されていたというのは、西郷さんの話と絡めて前にも触れましたね。 「槿」の帖は、主題としては六条御息所や藤壺がすでに亡くなって、源氏が我が身の若いときを思いやるよすがとしては、朝顔の宮しかいなくなっていた、という懐旧の情を表わすために、もうけられた帖のようにも見えますが、今回の話は、それとは別に彼と彼に仮託した紫式部の、神社神宮に対するこだわりにかんするものです。 「黒木の鳥居どもは、さすがに、神々しう見渡されて、わづらはしき気色…」という他とは異なる一種気後れするような印象というのは、その後の光源氏のイライラした態度へ、あるいは間接的に反映しているかに見えるので、― (御息所が)身づからは、対面し給ふべきさまにもあらねば、(源氏は)「いと物し」と、おぼして、「かやうのありきも、今は、つきなきほどに、なりにて侍るを、思ほし知らば、かう、標の外(しめのほか)には、もてなし給はで。いぶせう侍る事をも、明らめ侍りにしがな」 ― 同上、下線()筆者 御息所の返事は、人伝てばかりで、ご自身は対面される様子もないので、源氏の君は「たいへん不愉快だ」とお思いになって、「このような忍び歩きも、今のような身分となっては、難しくなっているのを、お思いくだされば、このように注連縄(しめなわ)の外に立たせたままで、応対なさるのはやめて下さい。胸にたまっていることも、今宵、はっきりと明らかにしたいのですから」― つづく ―
2009.03.17
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ところが「賢木」の帖の冒頭は、光源氏と六条御息所の最後の逢う瀬から始まっているので、源氏のみならず作者の御息所への思い入れはやはり相当深い。これは源氏が葵の上の死後に、御息所に送った消息文の内容が、ずいぶん気を使った内容とはいえ、結局おおいに彼女の心を傷つけるものであったので、そのまま伊勢へ下向させて、表舞台から退場というのでは、救われないという紫式部の思いもあったでしょう。 いずれにしても野々宮での二人のラブシーンは、全編を通じても最も美しい場面の一つと思うので、引きますと、― はるけき野辺を、わけ入り給ふより、いと物あはれなり。秋の花、みな衰へつゝ、浅茅が原も、かれがれなる蟲の音に、松風すごく吹き合はせて、そのこととも、聞きわかれぬ程に、物の音ども、たえだえ聞こえたる、いと艶なり。 ― 同上はるばると広い嵯峨野に分け入り給うと、はや、ものあわれな風情が一面に漂っている。秋の花はみな萎れて、浅茅が原も枯れ枯れに淋しく、弱々しくすだく虫の音に、松風のすごく吹き添うなかを、何の音とも聞き分けられぬほどたえだえに楽の音色の聞こえてくるのが、得も言えずなまめかしい。 (円地文子訳、新潮文庫)で、その野々宮の邸はというと、― 物はかなげなる小柴を大垣にて、あたりあたり、いと、かりそめなめり。黒木の鳥居どもは、さすがに、神々しう見渡されて、わづらはしき気色なるに、… 外には、さま変わりて見ゆ。 ― 同上 形ばかりの小柴垣を外囲いにして、あちらこちらに板屋の見えるほんとうの仮普請である。黒木の鳥居がいくつかあるのは、さすがに神々しく見渡されて、そぞろに気後れする有様で… 、よそとは変わった風情に見える。 (円地文子訳、新潮文庫) 斎宮の伊勢下向を直前にして、野々宮は仮普請ではあるが鳥居など施してあって、他とは異なる風情を示している。ここでまたしても、神域を侵すという例の「掟破り」が始まるわけですが、光源氏には何か神域ないし神宮に対して、たんなる英雄の「掟破り」というに止まらず、何か彼固有の執着のようなものを感じます。 これまで、実は取り扱いに困って触れないできたのですが、のちに桐壺院の崩御の折に、賀茂神社の斎院に選ばれ、父の桃園式部卿の死によって里下りした娘、朝顔の宮に対しても、彼はさかんに懸想しているのです。話が煩雑になるのを避けるために書かなかったのですが、上のような理由で、また「男の深読み」を始めなければなりません。― つづく ―
2009.03.15
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「賢木」の帖は、前にも触れましたが、「源氏物語」序盤の大きなくくりをなしていて、これまで少しずつ登場してきた人物たちが、桐壺院の死によっていっせいに動き出し、読み手にとっては長編小説(Grand Roman)のダイナミズムを堪能できる大きな見せ場となっています。 短編小説(Novel)的な話し上手の冴えを見せてきた紫式部ですが、登場人物たちが作者の意図とは、ある程度関係なく自由に動きまわっている(呼吸している)というのが、長編小説の醍醐味であるとすれば、ここへ来て彼女はその感覚に気づいたのではないか、というのが私の感想です。 「小説とは何か」という定義は、とくに20世紀以降諸説あって一概には言えないのですが、例えば短編小説というのが作家の話し上手(プロットの巧みさ)を生命とするのに対し、長編小説というのは、語り口よりも人物造形が丹念になって、自ずから人物が動き出すように見える、言い換えると物語の中に、現実とは別の独立した時間が流れている(「小説的時間」があるかないか)かが、短編と長編を分けるものさしかなとも思ったりしますが、これも一概に云うことは出来ません。 しかし例えば、最近ちょっと流行っている「カラマーゾフの兄弟」とか「ユリシーズ」など、明らかに独自の小説的時間が、その中に流れていることを感じざるを得ないので、現実の人物があのように何十ページにもわたって、延々と会話を続けるなどということはありえないし、中年男のまる一日の出来事と想念が何千ページに渡って描かれても、もちろん誰も現実のこととは思わない。要は現実ではありえないのに、その本の中には別の世界、別の時間が夢のように明晰に間違いなく存在する、ということを認められるかどうかが、こうした長い長い物語を享受するうえで、読む側の大事な態度だと思うのです。 夢を見ているあいだ、人はそれを現実と思って見もし聞きもして、その実在を疑わないでしょう。それなのに目が醒めてみると、あれェ夢だったのかとばかり、非現実の世界として片付けてしまう(意識世界から消去する)。しかし意識世界の背後をグルッと取り囲む「無意識の世界」では、抗いようもなく私たちは一つの(夢を見たという)体験を経ているので、体験の結果というのは否定しようがしまいが(否定ということが、すでにその存在を認めていることになるでしょう)、私たちの次の行動や感覚あるいは思念に影響を与えているはずです。古代人は夜見る夢をうつつの世界とは別だけれども、うつつとある種の回路でつながっている、一つの現実(体験)として捉えていました。この話はもう少し後ですることにします。 そういう意味で、小説を読むというのは、ある意味「覚醒時の夢(Vision)」を体験する行為と言ってもいいので、長いこと読んでいた本を閉じたとき、朝起きたときの何となく寝ぼけたような、感覚の混乱をときに感じることがあるのは、この二つが心理的には近い部分があることを示しています。 しかし、今どきの映像文化というのは、こうしたいわば「覚醒時の夢」の氾濫と言ってもいいので、私たちは知らず知らずのうちに、否応なくある一つの方向に、行動や感覚や思念が傾斜してしまうということはあるのです。これは誰かが意図的にやったとか、仕掛けている(CMはすべてそうですね)ということではなくて、「覚醒時の夢」を無批判に受け入れてしまうという発想や考えかたが、ちょっと危ないんじゃないの、ということなんですが、皆さんはどう思われます? 小説に限らず、他の読み物でもいいのですが、優れた読み物というのは、往々にして安易な読書を受け付けない特質があります。目下の話題である「源氏物語」なども、その最たる読み物の一つだと思いますが、ちょっと油断していると、今書かれている内容がいったい誰のことなのか、たちまち霞んでしまって、いつの間にやら字面をなぞっているだけで、何にも頭にVisionが浮んでこなくなる。ところが、少し手間隙をかけて丹念に誰の話か追跡すると、きちっとまるでジグソーパズルの破片がピタッとはまるように、全体が動き出すのです。 「源氏物語」は五十四万ピースのジグソーパズルですね。全体の破片がはまったとき、どんなVisionが私たちの前に現われるのか?さて…。― つづく ―
2009.03.14
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それにひき比べて、源氏の君はいやに落ち着き払って、何となく心はすでに他にいっている感じなのですが、葵の上が死亡したのが車争いの後、夏ごろだとすると、半年近く自邸には戻っていないことになりますね。 「葵」の帖の終わりは、自邸に戻った光源氏が、久しぶりに紫の上と対面して、その成長ぶりにちょっと目を見張る、結局少し早いかなとは思いつつ、彼女と新枕を共にするという場面で終わるのですが、紫の上は父の身代わりとも思って頼っていた彼が、実はそういう魂胆であったかということで、ショックでしばらく寝屋から出てこない。このあたりのやりとりはしかし、今までこの帖で御息所の物の怪や、葵の上の死を見てきた、私たちには何となくホッとする場面でもあるので、源氏自身、紫の上のグズがりようにはまともに対処せずに、面白がって何やかやとなだめすかしている。ようするにまだまだ子ども扱いなのです。 この場面はすさまじかった「葵」の帖と、次につづくさらにドラマティックな「賢木」の帖の間の中間部といっていいので、例によって紫式部はこうした緩除部を挿入して、呼吸を整えているように思えます。もちろん紫の上にとっては源氏と彼に仮託した作者のなぐさみものにされて、それどころではない騒ぎなのですが。― いかゞありけむ、人の、けぢめ見たてまつり分くべき御仲にもあらぬに、をとこ君は、とく起き給ひて、女君は、更に起き給はぬ朝あり。… …「かゝる御心、おはすらん」とは、かけても思し寄らざりしかば、「などて、かう、心憂かりける御心を、うらなく頼もしき物に、思ひ聞えけむ」と、あさましう思さる。 ― 同上 その辺りはどういうことであったのか、…もともと一つ御帳の内にお寝みつけになっていて、人の目にはいつからともはっきりお見分け出きる御仲合(おんなからい)ではないのであるが、男君だけが早くお起きになって、女君はいっこう起き出していらっしゃらない一朝があった。… …このようなお心がおありになろうとは、ゆめにも思いがけなかったことなのに、どうして心底から分け隔てなく頼もしいと思ってばかりいたのであろうと、女君はわれながら浅ましくお思いになるのだった。(円地文子訳、新潮文庫、()筆者) それにしても紫式部の描く、少女や娘たちの振るまいや心理の動きは巧みで、これはやはり実娘の賢子を育てた体験や、あるいは宮廷の彰子に伺候したとき彼女が18歳ほどであったことから、思春期の少女たちの振るまいや考えかたなどは、ごく自然に理解できたのでしょう。 今どきのネットやケータイ情報に浸りきりの若い人たちは知りませんが、年長けて今や人生に自信満々の女性といえども、初めての折だけは、「何でこんなこと、せなあかんの!?」と皆さん思うそうですから、紫の上が、その後しばらく恐ろしく機嫌が悪くなるのはしかたがない。源氏のほうも別段あわてるわけでもなく、むしろ怒っている彼女の姿がかわいらしく見えたりもする。 だから男は野蛮!ということになりそうですが、かつてはこれらの試練を女はみんな通過して行ったわけで、彼女の場合はむしろ源氏という、云わばその筋のプロが相手で幸せだったのかもしれない。 これは「源氏物語」とは関係ないのですが、男=オスにとっても実は初めての時というのは、結構大変な緊張を迫られるので、結婚初夜に失敗するケースというのは案外多いんじゃないですか。好いか悪いかは別として、かつては先輩(父親ではありません、年上の仲間)に連れられて、その筋のプロのお世話で女を知るということがあったのですが、今やいいかげんな情報だけが氾濫して、男にとっても女にとっても自づから体験して知るという機会がむしろ減っているように見える、そのぶん異性交遊に素人同士の危険がかえって増しているのではないか、と思えるときがあるのですが、それはまあ別の話。― つづく ―
2009.03.13
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さて、葵の上死亡後の左大臣家の様子はというと、祖母の大宮が悲嘆にくれて、寝込んでしまうのはしようがないとしても、父の左大臣の意気消沈ぶりが、多少おおげさすぎるのではないかとも思えるのですが、これはやはり彼女の死が、左大臣一族の存亡に拘わることでもあったからでしょう。 このあたり、当時一般的な通い婚という独特の婚姻制が、影を落としているので、いくら契りを結んだとはいえ、男が通わなくなれば、たとえ子供をもうけていたとしても、嫁の一族のほうの立場は不安定になる。平安時代、系図としては男系社会なのですが、相続や子育ては基本的に嫁方(里方)が行うという、古代以来の農耕社会の母系形態が残っていて、今回のように嫁が死亡するということは、自動的に婿が通わなくなる蓋然性が高い、つまり光源氏との縁が切れる、という不安があるのです。 息子(夕霧)がいるじゃないか、という話になるのですが、この後ずうっと先まで夕霧は左大臣家の祖母、大宮の元で他の娘や息子たちといっしょに育てられるので、明らかに皇族ではなく世俗代表の左大臣家の血筋を引くのです。光源氏も実子(しかも一人息子)であるにもかかわらず、案外冷めた対応をしているように見えるのは、もちろん彼自身の個人的な思い入れ(その中味はひょっとすると「源氏物語」全体の主題とも、あるいは関係してくるのかもしれませんが、今は触れません)もあるのでしょうが、当時の社会通念としてはそれほど不可解なことではなかったでしょう。 左大臣としては、将来帝になるかもしれない光源氏に、いわば先行投資のつもりで、一人娘の葵の上を添い伏しの嫁として源氏方に送り込み、さらには息子の頭の中将を常に接近させることで、関係の強化に努めてきたわけですが、ここへ来て彼女の死亡という思わぬ事態に途方にくれている、という構図になります。 この左大臣の不安は結局杞憂に終わるのですが、桐壺帝の信任を得て、政界に権勢を振るった左大臣としては、光源氏の胸先三寸で一族の繁栄が左右される、つまり主導権が握れない状態というのは、耐えられない事態だったでしょう。喪中のために長く左大臣家に逗留していた源氏方の家臣が、年が明けていっせいに引き上げていくのを見守る一族の姿には、その意気消沈ぶりが鮮やかです。引き籠っていつまでもジメジメしていられないと、源氏は桐壺院へ参上しようとする、― 御車さし出でて、御前などまゐり集まるほど、折知り顔なる時雨(しぐれ)うちそゝぎて、木の葉さそふ風、あわたゞしう、ふきはらひたるに、御前に侍ふ人々、物、いとゞ心細くて、少し、ひまありつる袖ども、うるひわたりぬ。「世さりは、やがて、二条の院に泊り給ふべし」とて、さぶらひの人々も、「かしこにて、まち聞えむ」となるべし、おのおの、たちいづるに、…又なく物悲し。 ― 同上()筆者 御車を引き出して、御前駆(おさき)などが参り集まる頃に、ちょうど折り知り顔の時雨が降り過ぎて、木の葉を誘う風があたりをあわただしく吹き払うと、お前にお仕えしている人々は何とも心細く、少しは乾くひまのあった袖がまた誰も皆濡れてしまうのであった。 夜はそのまま二条の院(源氏の自邸)にお泊りになると仰せ出されたので、お側付きの人々もあちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ支度をして左大臣邸を出て行くので、…この上もなくもの悲しい。(円地文子訳、新潮文庫、()内は筆者)― つづく ―
2009.03.12
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さて、葵の上の死までで頓挫している、この「葵」の帖に戻りますと、特徴的なのは、その後に語られる光源氏、六条御息所の心情と左大臣家の悲嘆ぶりです。 葵の上の葬儀から法事にかけて、光源氏は左大臣家で忌み籠りしているわけですが、源氏への思いを断ち切れない御息所から、しばらくして消息を聞く手紙が届く。源氏としてみれば、陣痛に苦しむ葵の上に、ありありと現われた御息所の幻視が、強く印象に残っているために「しらじらしい喪中見舞いなことよ」と思いながらも、ふっつりと音信不通にしてしまう気にもなれない。― 「過ぎにし人(葵の上)は、とてもかくても、さるべきにこそ物し給ひけめ。何に、さることを、さださだと、けざやかに見聞けむ」と、くやしきは、わが心ながら、なほ、えおぼし直すまじきなめりかし。 ― (山岸徳平校注 岩波文庫、下線筆者)「亡くなった葵の上は、どう手を尽くしたとしても、そういう運命だったと思うのに、何でまた私は葵の上に取り憑いた、物の怪の正体を、紛れもなく見もし、聞きもしたのだろう」と、悔しく思われるのは、自分の心とはいえ、今なお御息所への気持ちを思い直さないためであろう。 というわけで、結局あれこれ考えた末に、返事を書くのですが、添えた歌に― 「とまる身も 消えしも同じ 露の世に 心おくらん程ぞ はかなき かつは、おぼし消ちてよかし。…」 ― 同上、下線筆者「生きるも死ぬも、いずれは同じ露のような人の世で、心に執着を持つのは、はかないことです どうか、あまりひたむきにお考えぬきになりませんように。…」と、暗に御息所の生霊が現われたことを仄めかす。彼としては恨みというよりは、御息所の執着心の強さをたしなめる意味も含んでいたでしょう。手紙を受け取った御息所は、― 里におはする程なりければ、しのびて見給ひて、ほのめかし給へる、けしきを、心の鬼に、しるく見給ひて、「さればよ」と、おぼすも、いといみじ。 ― 同上、下線筆者お邸に居られるときだったので、忍んでご覧になると、源氏が仄めかしておられる生霊が現れたという話で、(葵の上を打ちかなぐる夢を見たり、髪の毛や衣が芥子の香りに包まれたような)当時の我が心の悩みを鮮やかに思い出して「ああやっぱり」と、思われるのもまことに辛い。 ここで大事なのは、源氏も御息所も「御息所の生霊」の存在を認めているとはいえ、それを御息所本人の実体とは分けて捉えているということで、だからこそ葵の上の死は「とてもかくても、さるべきにこそ…(どうしようもない運命)」となるし、御息所に対しては、強すぎる情欲と嫉妬は、あなた自身では制御できない性質のもので、そうなると本人は知らずとも、危害を他人にも及ぼすことがある(かもしれない)から、「かつは、おぼし消ちてよかし。(あまりひたむきに、何かにつけて、お考えなさいますな)」となるのです。常識的には夕顔にも葵の上にも取り憑いて、呪い殺したのが紛れもなく御息所本人であるとなれば、いくら好き者の光源氏とはいえ、再び逢ったり手紙を交わすなどということは考えられないでしょう。 「物の怪」言い換えれば身体から「あくがれ出でた魂」は、あくまで本人のコントロールの及ばぬもの、つまり実体とは別のものという捉え方が、当時の一般的な考え方だったので、源氏はその後も御息所と消息を通じることができたのです。― つづく ―
2009.03.10
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紫式部の性格を推し測るうえで、清少納言は比較するに格好の人物として、いつも取り上げられるのですが、これは別に清少納言を貶めることにはならないでしょう。紫式部には、そうした無防備さは、ここから先もなくて、自分の人生や内心を探られないように、おそらく意図的に完全にベールで覆おうとしたかとも思われます。しかし「紫式部日記」があるじゃないか、といわれそうですが、これは宮廷日録のような質のもので、何かにつけて「私は~と思う」というように、「我」がすぐ顔を出す清少納言の随筆とはまるきり性格が違いますね。 こうした韜晦(とうかい、自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと)癖は、父の藤原為時の知的性向と教育にもあったのでしょうが、娘時代から兄を上回る才能に注目されながら、為時はそれが必ずしも当時の社会で、女の幸福に繋がらないことをよく知っていたのでした。 とはいえ娘時代には比較的自由に、男の素養とされた漢詩・漢文や日本紀などに触れる機会があったのは、当時の女性としてはきわめて珍しいことであったでしょう。この父は娘に本を読む自由を与える代わり、繰り返し物事を知りすぎることの危うさや、世間を立ち回っていく場合の困難さを、我が身の苦労になぞらえて教え諭したかと思われます。あるいは東宮の副侍読を務めて式部大丞まで出世しながら、帝の退位で散位して10年間、越前の受領に任官するまで、苦労した父の背中から嗅ぎ取るものが、彼女にはあったのかもしれません。 しかし彼女の娘時代から、当時としては比較的遅かった結婚出産までの時期が、中間貴族階級の社会的身分の不安定という当時の時代的状況から敷衍して、まるきり暗く鬱屈した人生であるかのように思うのは早計で、同じような境遇の女たちは彼女のほかにも数多くいたのです。 小倉百人一首の― めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな ―という歌も、娘時代に親友として付き合っていた女友達との、つかのまの再会と別れを謳ったものとされ、彼女特有の屈託はここにはありません。新婚時代の父ほども年の離れた夫、藤原宣孝をからかった歌にも人生的な内省性などなくて、あっけらかんとした印象だというのは、山本淳子さんの指摘されるところでした。 したがって、宣孝との結婚が(多少年上過ぎるということは別として)、そのまま平穏に過ぎて行ったのであれば、いくら彼女に文章や和歌に秀でた才能があったとはいえ、世界に冠たる長編小説を書くに到るというような話にはならなかったはずで、彼女の名は歴史の中にたちまち埋もれていったことでしょう。 というわけで、やはり彼女の人生的な最初の転機というのは、結婚二年ほどの宣孝の急死に始まると言っていいのではないかと思います。当時すでに彼女は一女・賢子をもうけていましたが、一歳の赤子を抱えての夫との死別というのは、ごく一般的に見てもかなりのダメージであったと想像されるのですが、それから中宮彰子の女房兼家庭教師役として仕えるまでの、七年ほどのあいだに何があったのか? しかしこれもまた、傍証資料などであれこれ想像するよりも、彼女の書いたものを読みながら推測していったほうが、実体からかけ離れていくということがないように思われるので、ふたたび本文の「源氏物語」に舞い戻っていかざるをえません。― つづく ―
2009.03.09
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紫式部の文章は、つねに両義性(どっちとも読める文体)を孕んでいるので、これは話し上手の条件の一つとも言えるのかもしれません。早い話、推理小説は文章の両義性で成り立っているようなもので、一義的なら犯人は最初から分かってしまう(物話は最初から成り立ちません)。よく考えてみると日本で最初に発生した韻文、和歌もまた両義性の文学で、掛け言葉や本歌取りといった手法がなければ、これもまた成り立ちません。そして彼女は言うまでもなく和歌の名手でもありました。 枕草子の清少納言が、和歌が苦手といわれ、また彼女が物語ではなく「随筆」に卓越した冴えを見せたのは、紛れもなく彼女の文章が、明晰な一義的文脈に貫かれているからで、この文体は和歌にも物語にも向かないでしょう。 紫式部の文体の両義性という持ち味は、どこから生まれてきたものでしょうか。 話し上手というのは、意地悪い言いかたをすれば、ウソが上手という見かたもできて、今はやりの「オレオレ詐欺」も、あるようなないようなもっともらしい話で、相手を心理的に追い詰めていく。騙されたお母さんが「ウソでもいいから振り込ませてくれ」と銀行員に懇願したというのは、この心理の局面を代表するもので、このお母さんは追い詰められた自分から、お金を振り込むことで心理的に開放されたいのです(その際、息子を助けるとか、かわいそうというのは、実は二の次なので、そばから見ていて「何で騙されるんやろ」と思う大半の人が、この点を見逃しています。だから「私は絶対、そんなことでダマされへん!」と思っているお母さんが、一番危ない)。 宮廷に伺候するときに、彼女が漢字の「一」の字も読めないふりをした、という有名な話は、おおいに暗示的で、清少納言が何かにつけて自己顕示的であったのと対照的ですね。彼女は自分を隠しおおす必要を、何か内心に大きく抱えていたようで、それは「源氏物語」の高い名声に比べて、彼女にかんする逸話がごく少なく、さらに彼女の生涯が薄ぼやけている(生没年もハッキリしない)のに照応しています。 これまた清少納言が、自分の触れたくないことはちっとも書いていないにもかかわらず、書くという行為自体が、彼女自身を自からドラマティックに、露呈させてしまうのと対照的ですね。 清少納言は清原元輔という傍系の貴族の娘で、この元輔という父が、「葵祭り」の折に落馬して冠がとれ、禿げ頭を光らせて、それでもどこ吹く風といったふうで、歩いて行ったという逸話が、今昔物語に伝えられているように、この人は宮中ではヲコ系の人として知られていたようです。伺候するためには自分の形ありさまが哂われるのも厭わなかった、という傍系貴族の悲哀のようなものは、清少納言の娘心を深く傷つけるものがあっただろう、というのは西郷さんの指摘されるところです。 枕草子中、有名な「すさまじきもの」のなかの「除目に司得ぬ人の家」や「大進生昌が家に」など、「ヲカシ」の精神で昇進にかからなかった一族の様子や、小役人生昌(なりまさ)の家に中宮定子が寄宿した折に、小心な生昌をさんざんにからかって、悦に入っている彼女をみていると、「除目…」のほうは恐らく仕官運動に苦労した父の記憶があっただろうし、「大進生昌…」のほうは中宮定子が藤原方の彰子勢に圧されて、宮中を離れた折のことだけに、何とかして定子勢を元気づけようとする彼女の孤軍奮闘ぶりがひとり目立って、かえって辛いところがあるのです。 清少納言は当時からユニークな女性として注目されていたようで、定子が不本意なまま若死にし、彼女が宮中を去って落剥したあとの逸話や噂話が、いろいろ伝えられているというのも、その行動や言動が期せずして、ことごとくゴシップ的な話題になってしまう、というある種の人物性格の典型を成しているからでしょう(今でも脇からの攻撃にまったく無防備で、その結果本人が意識せずとも、やることなすこと喜劇的にみえる人というのはいますね)。 要は、彼女は自己を対自化(客観的に見る)する、という習慣をいっさい持たなかった人なので、内省性などとというのは、彼女の発想からはもっとも縁遠いことがらなのでした。それをして世に稀なほど、一義的で明晰な彼女の文章が生まれたのです。― つづく ―
2009.03.06
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