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もう10年以上前になりますが、某政府系金融機関に出向して、3年間 アフリカ の関係の仕事をしました。おやじの昔話ですが、そのころ行った国で普通あまり行くことのない国、二度と行かない国について少し紹介してみたいと思います。
一つ目は スワジランド 。この国の名前やアフリカのどこにあるか知っている方はほとんどいないのではないかと思います。南アフリカの右上よりの端にくっついてる、人口80万人くらい(当時。今は100万を超えている)の王国です。この国は南アに三方を囲まれていますが、同様に南アに四方を囲まれた「 レソト 」や以前南ア領だった北西側で南アに接する「 ナミビア 」とともに、完全に南アの経済圏に入っています。私は南アのヨハネスブルクから空路で小さな飛行機で入国しましたが、南ア経由で行くしか方法はないと思われます。首都のムババネというところは小さな町ではありますが、結構こぎれいなところで、一般の方がアフリカについて持つような未開な印象は全くありません。
この国はスワジ族という部族が大半で、白人が若干います。政府の役人と何回かミーティングをしましたが、スワジ族の人はほとんどDlamini(「ラミニ」と言うような発音)という姓の人ばかりでした。現地語には「 クリック・サウンド(粘着音) 」といって、息を吸いながら発音する音(説明しにくいですが、舌を少し巻いて犬猫を呼ぶときのあの音に似ています)があります。南アやジンバブエなど南部アフリカ地域の言語で出てくる音ですが、普通耳にする音ではないので違和感がありましたが、 音声フェチの私 にとっては生でこの発音が聞けて感動ものではありました。
この国での思い出は入国のときです。 アフリカの他の国でも入国の際にスーツケースを空けられたことは一度もありません でしたが、めったに来ない飛行機の入国審査の列の先頭になった私はいきなり荷物を空けられることになり少々びびりました。 スーツケースのふたの裏に日本の「エ●本」が入っていたからです (なぜエ●本を持っていたかは気にしないでください)。でも、ふたの裏のファスナーで閉まるポケットの中なので、まずここまでは見ないだろうと思っていたら、全部開けてきます。係員は目ざとくエ●本を取り出し、高く持ち上げて「これ何?」と聞いてきます。私は言葉を失いましたが、後ろに7~8名並んでいたので恥ずかしいやら、どう対応したらいいのかわからないやらでいたところ、係員から「別室に来なさい」と言われて、小さな部屋に通されました。
ここで係員から、「お金払えばもって行ってもいいよ。いらなければここに置いていけ」みたいなことを説明され、私は当然「いらない」と答えたところ、意外とあっさりと、かつにっこりしながら係員は私を解放しました。一瞬別室行きになったときはどうしようかと思いましたが、 もしかしたら彼らはきれいな日本のエ●本を欲しかったのかもしれません。今度行く機会があったらたくさん持っていってあげたいと思います 。
さて、再度入国審査のところに戻ると、同じ飛行機で来た10数名は誰もいなくなり、たまたま途中でこの日同じ飛行機に乗った日本人の人が心配して待っていてくれました。「何があったのですか」と聞かれて「いやあ、ちょっとした問題が・・・」とお茶を濁しました。10年以上前なので今はそんなに厳しくしていないかもしれませんが、 この国に行く機会のある方、エ●本を持ち込むときは、スーツケースに入れるよりも手持ちのカバンに忍ばせた方がいいかもしれません 。
この国の人は みんな穏やかで、基本的にみんな優しそうでした 。たいした産業もなく、南アからの観光などで経済が成り立っている感じなので自然とそうなるのでしょう。 中国様とは全く対照的です 。ちなみに、スワジランドは当時(今もそうだと思いますが)中国ではなく、台湾と外交関係があって、「中華民国」名義で道路などの経済援助が行われていることを示す看板を何箇所かで目にしました。リゾート系のホテルに2泊して、役人とのミーティングのほか、国王から信頼を受けて技術専門家として長期滞在している当時70歳前後の日本人の方に会ったり、山中のダム現場の見学などをしましたが、今でもとても印象深く記憶しています。
この感じで少しアフリカの昔話シリーズをしてみたいと思います。続く。
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よろしくお願いします。
アフリカンフェア2013@横浜 2013.06.01
アフリカンフェア2008 2008.05.31 コメント(2)