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とっても最高にいい文章を書いたと思って、「公開する」をクイックしたらパソコンが固まって、一瞬で書いたものが消えてしまいました(涙)。脱力で本日はかけません……。明日は、勤務があり、夜はそのまま打ち上げに参加なので、パソコン立ち上げられません。というわけで、本日紹介しようと思っていた『「ひとりっ子」の育て方』は、明後日お伝えします(涙)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月30日
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毎年この時期のお題は「アーノルド・ローベル」。「がまくんとかえるくん」のシリーズですね。と言うわけで、スタートは『ふたりはともだち』から!!!!例年は『ふくろうくん』を紹介していたのですが、今年は涙を飲んで不採用(笑)。私に依頼をしてくれる担当者がそろそろ飽きたかと思って、担当者対策!というのは、冗談です。少しは変化をつけなければ私自身成長しないですしね。そして、今回は初めて、子ども達に原書を紹介しました。私の蔵書。10年間本棚に埋もれておりましたが、先だっての本棚片づけでようやく発掘。アメリカに行った時に直接本屋さんで購入したものです。まさか、わが子以外の子ども達に紹介する日が来るなんて~。でも、対象の子ども達がちょっと小さかったので、あまり感動してもらえなかった。原書紹介はもうちょっと大人な子ども達の方がよかったかも~。「どろんこ……」と「ルシール……」の共通性クイズは今年も炸裂!!!アーノルド・ローベル作品を紹介するに、私自身は外せない2作品。そして、最後に読み聞かせをしたのが、『いろいろへんないろのはじまり』。今私にとってはいちばんのツボですね。そうしたら、担当者もこれを私がやってくれたらいいなぁと思ってくれていたようで、おっし!という感じです。でも、この作品、前回読んだ時の子ども達よりも少しばかり下の年齢の子。そうすると、前の子ども達よりも反応は薄っ!!!!たまたまなのかもしれませんが、斜めに絵を見るんですよ。真っ赤のページを見て「ピンクだし~」とか言ってみたり。いやはや(苦笑)。懲りずにまたがんばります。ちなみに、今日出勤したら6月更に1つブックトーク依頼が増えておりました(涙)。新刊の装備やらナンやらが手つかずのまま……、助けて~~~!!!!そして、仕事はお持ち帰り……(号泣)。だけど、今日は速攻で塾に行き、定期テスト前の少年の補習をしておりましたとさっ。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月29日
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本日、いつもよりも1時間早く仕事を上がることができたので、図書館に行った後、そのままふらふらと本屋さんへ。ふらふら本屋は、基本情報調査ですな、仕事の。新刊書を見るのは本屋さんがいちばん手っ取り早いので。選書のための参考に何よりもなりますし。なのに、目に飛び込んできたのは、『おにぎり通信~ダメママ日記~(2) ]』。表面配架になっているし、でも他には見当たりません。つまりこの本屋さんではこの1冊。GW中に我が家の本棚制作をしておりましたときに、この第1巻が出てきて、次の巻が刊行されているのかどうなのか、分からないまま片付けてしまったばかりでした(片付けても、すぐに出てくるところにはあります)。気持ち的には続編を買うことはないだろうという気分が半分。だって、1巻が刊行されたのは、1年前。1年以上も空くなんて考えてもいませでしたので、てっきり1巻で終了したかと思っていましたもん。なのに、この本と目があっちまった!!!!!と言うわけで、気がつくと握って会計にむかっておりました~(汗)。さらにその途中、メディアであれこれと報道されております、とある本。もう、巷には出回っていないのかと思っておりましたら、これもまた1冊、表紙を向けて展示されており……。話題過ぎるくらいなので、チャンスは逃すまい。あ~、本屋は恐ろしいです。「災害は忘れた頃にやってくる」と言ったのは、寺田寅彦(正確にはこのまんまを発言したのではありませんが)。「本は忘れた頃にやってくる(字足らず)」が私のサダメ(爆)。これ以上本を増やしてはいけないと固く誓わされたにも関わらず、ゆる~く突破しております。図書館からもリクエストして本を買わせたばっかりなのに(直前の図書館はそれを受け取りに行ってきました。スタッフから「お待たせして申し訳ございません」と言わしめた私……)。明日はブックトークなので、これから仕込みをせねばならぬのに~。先に読んでしまいましたよ、『おにぎり通信~ダメママ日記~(2) 』。子どもが赤ちゃんの時ってまさに自分はダメ親だよな~ということがそのまま暴露されております。私もかつて、いや、今もそうです。時間に追われている時は、自分最優先の論理で子どもを罵倒します。それは、赤ちゃんでも高校生でも変わりません。本書の帯には「愛はあるのに時間がない!」とありますが、まさにそれは漫画家さんだけではありません。子を持つ親は、とかく追われているのです。訳のわからない魔物に。それをまたこれを読んで実感するのでありました。もう一つ、うっかり購入してしまった本はまた近日中にお伝えします♪にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月28日
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堺雅人さんのインタビュー記事をかれこれ1年くらい前に読んだ時にはじめて「若山牧水」となる歌人の存在を知り、で、彼の高校時代の恩師(伊藤一彦さん)がその研究の第一人者であり、歌人。そして、その恩師と若山牧水について語った本を出しているということを知ったわけです。それ以来、気になりつつ、機会を逸していましたがようやく読むことができました『ぼく、牧水!』。本書から若山牧水がすごい歌人であったことを知ったわけですが、それ以上に面白く読んだのは、彼がかなり中道的といいましょうか、結構いい加減な人であったという人物像が語られていたことです。お2人が中で話されているのですが、中原中也や太宰治は物語的には美しいけど、最後に「死」を選ぶのはうさんくささを感じる部分があるのに対して、若山牧水は最後まで自ら死を選ばないあたりのバランス感覚がいいというところ辺りは、とても彼の生き方を的確に表わしているんだろうなと思いました。それでいて、人妻に恋してこっぱみじん。それなり以上の恋愛はしてるのですが、それで破綻しないのが彼なんですね。パーツを切り取ると、中原中也や太宰治と似たようなことをしているのに、全体をみると一般人に見えるといったらいいのでしょうか。短歌に関して深くないので、よく分からないのですが、それでも作品はすごいらしいです。いやはや。いや、たくさんの短歌が掲載されていました。しかもお2人の会話によどみなく出てくるんですよね。そこから十分に彼のことを知ることができました。それから、本書を読むことで驚くべきことを発見。堺雅人さんは高校時代に演劇部に所属していたらしいのですが、そこで私が陶酔しているいちばんの舞台作「飛龍伝」を演じたとか。すごいわ~。どんな舞台だったのでしょうか。なんでも、当時高校の事務方にソシアルダンスの名手がおり、ダンスはその職員から手ほどきをうけたとか。観たかった~っていうか、今俳優堺雅人として「飛龍伝」を演じてくれないかしら。もう、絶対観覧しに行くもんね~。話は牧水に戻りますが、牧水は生まれた時から両親だけでなく、様々な人の愛をはぐくんで育っているということもこちらでは語られていて、なんでしょ、ありきたりなんですけど、根本的に人が生きていくっていうことはこれにつきるんだろうな~と思いました。だから、自分のバランス感覚というのをゆったりと育てることができたので、とんでもない恋愛をしても作品に身を投じて破綻することがなかったということなんでしょうね。そろそろ、短歌にも目を向けなければいけない年齢になってきたなぁ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月27日
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24日、土曜日に京都市歴史資料館主催の講義を聴講してきました。テーマは上記のタイトルにも書きました「桂川西岸の村々と洛中のつながり」。(← こちらがその資料)現在の地域でいうところの、阪急桂駅周辺というところでしょうか。桂駅からまっすぐ東に向かうと現在は桂大橋がかかっていますが、江戸末期ここには橋がかかっておらず、渡し舟だったそうです。橋を渡ろうとすると今でもかかっているちょっと北の上野橋か、今はかかっていませんが、牛ヶ瀬の土橋(以下:土橋)を渡らなければならなかったようです。で、当時もめたのが、土橋。ここを現在の桂駅西口の人々が渡し舟を使わないで、土橋を使うようになり、渡し舟の収益があがらないことから、お奉行さんに訴えたようです。が、奉行所が調べると、渡し舟を使用料を変えたことが事の発端。てなわけで、奉行所が訴えられた側の言い分を容認したようですが、結局桂駅から桂側に至るまでの一帯の勢力は圧倒的に強かったんですね。西口の方々妥協したりして、渡し舟を使用するようになり、土橋は消滅。ちなみに、西口は山陰街道のいちばん東の端。参勤交代では洛中を横切ることができませんでしたので(伏見経由で大津に入る)、ここが宿場町として発展したそうです。また参勤交代だけでなく、ここから西側の人が洛中に直接入るのもここ。つまり、江戸時代交通の要所だったんですね~。実際に、現京都市内唯一現存する本陣がこの街道沿いにあります。それにしても、この渡し舟と土橋の争いは講義を聴くと、現在と同様に色々な利権が関わり、話が複雑になっているようです。人って時代が変わってもやってることが一緒なのね~ということが分かります。だいたい、渡し舟ってとっても不便。先にも書きましたように、ここより北や南にはしっかり橋をかけているのに、最後まで橋をかけなくて渡し舟で通した桂地域。で、結局その周辺の村々は妥協しつつ、渡し舟の方を使うようになるのですから。権力は強いし、でも頑固だし。結局、この訴訟から2~30年後には他にならって橋をかけているのですが、何てこっちゃという感じです。ちなみに、この講義は京都市資料館が史料として『京郊農村の近代 葛野群岡区事務日誌』編纂を記念してのものでした。この訴訟はなんと11ヶ月で裁決。かなり早いお奉行さんの判断だったようです。 にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月26日
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『3.11あの日を忘れない』全5巻一気に読了!東日本大震災の時のことを漫画で表わしたもので、作者は巻ごとに違います。それぞれの作家さんがそれぞれの思いを込めて表わしています。第1巻は、飯館村の村立の本屋さんと仙台の漫画館再生の話。第2巻は、陸前高田、第3巻は南相馬、第4巻は気仙沼、第5巻は場所が限定ではなく、それぞれの家庭の話となっています。第1巻はやはり本に関連してきますので、のめりこんで読んだのは確かなのですが、個人的には第4巻には特別な感情が入ってしまいました。気仙沼での話と書きましたが、これはフリーアナウンサー生島ヒロシさんの弟さん(生島淳さん)が原作を担当しており、自分の家族に起こったことを描いています。これを私は以前文章として読んでいるのです。それが今回は漫画となって再び出会い、文章とは異なった感情を持ちました。文章は確かに想像力を働かせます。しかし、想像はしょせん自分の知識の範囲でしかできません。そのため、再度漫画で生島淳さんの思いを目にして、そこにもっと深い悲しみがあったことを知ることとなりました。絵だからこそ表現でき、伝えられる役目があるということを改めて認識したわけです。先日、子ども達に読んでもらうために本をあれこれ選んでいたのですが、戦争関連の本の前で上司が、「戦争を子ども達に伝えるのには、まず漫画だ。漫画だとすぐに手にしてくれる。そこから平和について考えてくれればそれでいい。いきなり文章だけのものを提示したって、戦争をすでに身近に感じて否今の子には難しい」ということを私に話してくれました。おそらく、この東日本大震災に関してもそう。子ども達が自然に手に取りやすいのは漫画。ましてや、関西の子ども達は、直接的な被害にあったわけではありません。それでも、自分と同じ年齢の子ども達が、悲しい状況に出くわした、それだけでもまずは「知る」というのには、絵や写真というのがかなり活きてくるのではないかなあと読みながら感じました。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月25日
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学術書なのかなぁと思いつつも、図書館で借りてみました『図書館のプロが伝える調査のツボ』。これが全然違っていました。レファレンスの事例集ではあるのですが、フィクション仕立て。架空のあかね市立図書館のスタッフに起こる調査以来を実際の資料を持ち入りながら、それぞれの事例を短編小説のようにして描いています。しかも、ここのスタッフ、キャラ濃い!(笑)。どんどん物語の世界にはまっていきます。事例は「風の竪琴という楽器について知りたい」というわりあいありふれたものから、「社是や社訓の調べ方」「電話番号の市外局番が導入された経緯は」「『ふきずり』おちう資料を見たい。俳句関係の本だと思う」などなど、ただ、これが載っている本を教えて~というものばかりではありません。そうそう、私がレファレンスで学んだ時も、調べることができない禁忌のものとして、「競馬や宝くじなど直接ギャンブルに関わるもの」(実際に番号予測をしてあげるという意)とか、「個人情報に関わるもの」etc幾つかあったのですが、それ以外のものは基本依頼があったら探すというのが図書館に関わる人の職務でもありました。私もとある文章がどこからの出典なのか1ヶ月近くかかって調べてもらったことあったな~(結果昭和の時代の検定教科書の書き下ろしで、それを実際に図書館側が取り寄せて見せてくれました!)。本書の中で面白かった事例は「落ちていた正誤表」。あかね市立図書館の通路に「正誤表」がぱらりと落ちていたのをスタッフが発見。「正誤表」をもとに、どの本に貼られていた「正誤表」なのかを調査するというもの。「正誤表」からキーワードを探し出して、あらゆるOPACを駆使してその本を見つけ出します。ネットだけだと、もちろん、それが確実に正解なのかわからないので、幾つかの候補まで絞ってから、実際に館内の資料を目でみて照合。そこから「正誤表」に書かれているページが実際に、その言葉が掲載されているかと最終チェックという段階を踏みます。これ、究極のレファレンスのやり方だなぁと感心しながら読みました。そして、現在最初にレファレンス依頼があったら、まずネット検索というのが定型になっているようです。ネットでしぼり込み、絞れなかったらネットから各種他の図書館、もしくは大学や研究室、博物館、個人が開放している文庫などのOPAC、ネット上の共同データベース、そして自治体が公開している白書などで検索していきます。これも、昨年だったか講座を受けた時に、主要なOPACを教えてもらったなぁと遠い目。国立国会図書館でも所有していない、郷土資料がまとめられてその地方の史料館にあったりもするようです。それを、ネットを駆使して遠い別の地方からそれを探し出す、図書館員の姿はカッコいいというよりは、もはやマニア。利用者の依頼のためのはずなのに、見つけ出せなければ自分が「負け」という根性すら伝わります。いや、実際私も調査していて、どうしても踏むことが出来なかったときのイライラ感。途中から本来の目的を忘れて、何が何でも見つけ出してやるという根性論に発展するのが、このレファレンスの業務と言っても過言ではないでしょう。その辺りの感情の移り変わりも本書では再現しています。私の仕事にもレファレンスをしますが、本書はレファレンス業務でありながら、選書をする時のヒントもたくさん隠されていました。利用者がどんな本を望んでいるのか。タイトルや著者名を示してくれるのでしたら、楽ではあるのですが、もっとざっくりとした抽象的な本のリクエストなどの時、より利用者の好みを絞り込む必要性があります。それはかなりレファレンスに近いものがありました。そして、レファレンスをするということは、まずスタッフ側にキーワードとなる言葉をてんこもりに知識として知っておかなければならないということ。本書の事例に「一つ目の国はどこにあるのか」という依頼があったようで、当初スタッフは「ひとつめ」を必死で検索かけていたようです。しかし、「一つ目小僧」は出てきても、「国」はヒットしません。そうしてブツブツスパイラルに杯ってしまていた司書ののぶえさんが休憩時間に「一つ目」とつぶやいたところ、上司が「それ、『いちもく』って読むんじゃないの?」と声をかけていき、突破口がひらかれます。さらには、他の同僚が、「日本の江戸時代というくくりがなければ、一つ目というと古代のギリシア文学に『キュクロープス』がある」なんて言ってきます。「キュクロープス」……、知りませんわ、私。もう、検索技術もさることながら、脳みそにどれだけ引き出しをもっているかというのもレファレンスする側には必要と言うのを特と見せ付けられてしまうのでした(汗)。私自身は、図書館系の仕事をするようになって、格段にレファレンス能力下がりました(爆)。思い起こせば、まだ仕事がちらちらとしかなくて、ほぼ一日パソコンで遊んでいる時のほうが、検索能力高かったなぁ~。ネットの世界は数珠繋ぎになっていますので、あれやこれやとリンクを辿っていき、新たな知識を手にしていました。ネットサーフィンもあながちムダではありません。それに今以上に本を読んでいる時間があったしな~。忙しさが全てを後退させる????ただの言い訳ですね(笑)。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月24日
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一昨日、昨日と3回公演のブックトーク。今回のお題は「読み物系」……ってなんてざっくりな(笑)。担当者が変わってお題に宿題を与えるような方が消え去り、ちょっと淋しい思いだったのですが、新たな担当者は別の意味で手ごわいです。ようは、絵本以外のじっくり腰をすえて読めるようなものなら何でもいいということなのですが、さすがにこれだとブックトークを観る子ども達との齟齬が出来すぎます。というわけで、さすがに担当者に食い下がりました。で、担当者が口にしてきた作品が『ゆうすげ村の小さな旅館 』。ふむふむ、それでは、この作品の作家さんを枕にして、枝葉を伸ばすことにしました。今年度は私が勝手に「海外作品」に主軸を置くとしていますので、国内作品と海外作品、それぞれ紹介しました。というわけで、以下そのラインナップ!海外の作品は読み物系ではありますが、子ども達がとっつきやすいように、昨年紹介した『ふたりはともだち』の作者アーノルド・ローベルと同じくらいの文字の量で現代の子どもの姿をがっつり描くスウェーデンの作家、ウルフ・スタルクを取り上げました。そして、最後に読み聞かせ!『いろいろへんないろのはじまり』。アーノルド・ローベルと言えばちょっと小型でセピア色の雰囲気をもたす装丁が日本では印象的ですので、まったく雰囲気の異なる装丁のこの絵本は最初私自身手にした時、衝撃的でした。また、中の絵もインパクト強い!子ども達には耳でお話を聴いて、目は絵ではなく、「色」を見て!とあえて声がけしました。読んでページをめくるたびに子ども達から大歓声!心の中でガッツポーズでした(笑)。にほんブログ村(↑ ぽちっと押していただければ嬉しいです)
2014年05月23日
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木下明美氏HP内「KIMURAの読書ノート」更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 5月21日の記事)今回は『時をつなぐおもちゃの犬』。「第60回青少年読書感想文全国コンクール」その3です(笑)。作品自体は知ることが多く、決して悪くないです。でも、これを小学生の課題図書にするにはちと難点と思われる作品。戦争をテーマにした作品を課題図書にするなら、この作品よりページ数の多い『弟の戦争』の方が断然、小学生にも理解しやすいです。う~ん、ページ数が少ないとか、装丁が小学生向きとかまさかとは思うのですが、そんな理由で課題図書にしたわけではないですよね。選定理由が書かれたものを読んだのですが、たいしたこと書いてありませんでした(ここに引用したかったのですが、その文章が掲載されている記事を職場に置き忘れてきてしまいました:汗)。たいしたこと書いていないのが本音なのか、建前なのか、真意を知りたい今日この頃(苦笑)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月22日
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今日、明日と3回同じネタで、ブックトークを行っています。明日が終わってからこのブックトークの詳細はお伝えするとして、今日はいち早く、そのブックトークにのっけることができなかった作品の1つ『きりぎりすくん』をご紹介。きりぎりすくんが旅をするのですが、その旅で出会う人たち(生きもの達?)との交流が1話ごとに描かれています。1話1話を取り出して読んでも面白いですし、通して読むことでまた異なった世界が見えてきます。きりぎりすくんの出会う人たちは、とってもはたから見て変わり者です。きりぎりすくんがそれと違う考えを示すと、怒り出す人も多々。それでも、きりぎりすくんはマイペース。そうして、そこで1話の話は終わります。通してみると、変わらぬきりぎりすくんと、更にはこの変わった人たちを受容しているきりぎりすくんがいます。でも、受容していると読者にはあんまり思わせるような描き方ではなく、なだらかに時間が流れています。1話1話だとそれが短い話でまとめられているので、案外そっけないくらい。どのような人達に出会い、そしてきりぎりすくんはその中をゆるやかに通り過ごしていくのかというところが読みどころだと思います。相変わらず哲学的な書き方が上手すぎてしびれます。ちなみに、これが没ネタになったのは、時間的な問題。そして、あえてこれをアーノルド・ローベル作品としては没にしたのは、もっと年齢層の上の子どもや大人にあえて深読みして読んでもらいたかったから。小さい子にはそこまでの要求はできませんし、かと言って根源的なところをわざわざ口にするのもいかがなものかと思い……。それでも、時間的にゆとりがあったら、取り上げていたでしょう。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月21日
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夫に将来ここにあるホテルに泊まらせて~とポイっと手渡したのが『セレブリティ御用達極上のスイートルーム 至福の時がすごせる部屋』。一応じっくり夫、目を通してくれたようです。そして、ひと言「ムリ、ここに掲載されているのそそられない」と一蹴されてしまいました(笑)。中身を改めて眺めたのですが、確かに「そそられません」。国内ではユースに、海外でもビジネスホテルに毛が生えたくらい(防犯的には安全なところの最安値?)のところに泊まる我が家ですから、このようなところはかえって憧れもなく、そそられないんですね~。もっと読んだらきらめくかと思ったのですが、甘かったです。とりわけ「お城」なんて……。ここは泊まるところではなく、見学するところですね、少なからず我が家にとっては。参考までですが、お城ではレオナルド・ディカプリオとキャメロン・ディアスが逃避行したイタリアのポラッツォ・サッソが掲載されいます。そもそも、洋画に興味がないので、ピンとこないです(爆)。ちなみに、本書に掲載されているホテルと言うのは飛びぬけて高いわけではありません(まぁ我が家には十分高嶺の花ですが)。本当のセレブは私的には日本円で1泊10万円くらいのところでかつ極上感を味わえるところを選んでいるとのこと。なので、このくらいの価格帯のものが掲載されています。1泊100万円というのは、公的な時(つまり、自分がお金を出してなくて、依頼者が提供しているもの)なのだそうです。う~ん、となると1泊100万円という部屋を持っているホテルのは、政府や大企業の上にあぐらをかいているということなのでしょうか。そのあたり、どのような構造になっているのか、まったく分かりません。人生で1度くらい夢を見てみたいという方、または、、我が家のように心底貧乏性でない方には一度目を通しても差し支えないのではないでしょうか。そして、是非旅立ってみてください!!!!にほんブログ村
2014年05月20日
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『ちきゅうがウンチだらけにならないわけ』は、中学年の課題図書。ちょっとデフォルメされたフレンチブルドックのぼくが案内人(犬)で、彼の「ぼくはウンチをひとにひろってもらうけど、カラスはウンチをひとにひろってもらわない。~略~ なんでウンチをしたまんまなんだろう?」という問いかけからスタートします。フレンチブルドックはキャラクター化されていますが、他の動物達はかなり写実的に表現されています。そして、必ずそこにはウンチが描かれているのが、他の本との大きな違い。写実的な画でありながら、ぽろっとウンチがついていることでくすっと笑いが出てしまいます。ダイナミックなゾウのウンチの説明から始まりますが、ページをめくるとそれぞれの動物がどのような状態でウンチをするのか説明されています。ナマケモノはウンチをする時だけ木から下りてくるそうで、それは祖先のメガテリウムという恐竜のなごりだとか。ここに描かれている動物達ざっと50以上はあるでしょうか。その後は、タイトルにもなっていますし、ブルドックの疑問を解決すべく、ウンチの核心に迫ります。色々な形にウンチは変わって、みんなの役に立つということが結論。でも、最後に再び、ブルドック君の疑問。「だけど、ぼくのウンチはごみばこにすてられ、ひとのウンチはみずにながされてしまう。 だれかのやくにたっているのだろうか?」ふとこの台詞で4月に見学に行った下水処理施設を思い出しました。あそこで、ウンチだけでなくて様々な汚物は分解されますが、完全100%きれいな(いわゆる不純物のない)水にはしません。大腸菌こそないものの、それなりの有機物を交えて川に放水します。その微量の有機物を含んだ水がまたプランクトンの餌になり、それぞれ連鎖されて、人や動物、はては地球の必要なものに変わって行きます。ってことは、役に立っているんですね。役立てるにはかなりのエネルギーを必要としていますが(苦笑)。さて、子どもたちはこの作品をどのように料理していくのでしょうか。楽しみです。 にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月19日
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内田センセー方の巡礼部があちこちのパワースポットを巡った軌跡をまとめた『聖地巡礼Beginning』読了。そもそも「聖地」って何よというところから、本書は始まります。聖地のひとつの特性として”動かせない”ことがあげられます。いま私たちの社会では、お店に行かなくてもほしいものが手に入ります。通信手段を使えばいいわけです。でも、」聖地は家にいてもやって来てくれません。足を運ばないとどうしようもない。また”コピーしてもダメ”というのも特性でしょう。ルルドの泉とまったく同じものを日本につくっても、誰も巡礼しません。コピーが焼くに経たないので、結局、実際にその聖地に行くしかない。(p17)上記は同行の釈徹宗さんの言葉です。そして、誰もが共有できる物語がそこになくてはならないと続き、旅行会社の設立には宗教団体が関連するという興味深い話と続きます。そして、「聖地」と言えば宗教いわゆる寺社仏閣をイメージしますが、それ以前からその場所は「聖地」だったとも語られています。つまり、その土地そのものに求心力があり、その上に宗教関連のものが創建され、いかにもそのものが「聖地」になっているようにみえるということ。なので、仮に宗教がらみのものが移動してしまっても、またその土地には別の「聖地」ができるという。それに関して釈さんと内田センセーはこのような会話をしています。内田:「そこしかない」という場所なんでしょうね。カトリックの聖地なんてだいたい巨石の上とかですからね。釈:そう考えると、聖地を意図的にプロデュースしても、なかなかうまくいかないんでしょうかね。内田:意図的に作り出すことはできないんじゃないかな。プロデューサーが一発当ててやるつもりである場所を選んで「ここを聖地にしよう」という場合にも、実際には複数の選択肢のうちから選び出しているわけでしょ。だったら、その選択にはすでに霊的な感受性が働いているはずだから。釈:なるほど。自分の意志でやっているつもりでも、実はその場に呼ばれているとか。(p18~19)この後の、巡礼の中でも解説があるのですが、確かに「聖地」は上書きされているところが多いです。例えば、いわゆる天神さんと言われている場所は基本菅原道真を祀っているところですが、それ以前から別の神さまが祀られていたところで、わざわざ別の神さまのところに道真をまつる必要があるのかといえば、本来はそれをよけて新たな天神を作ってもいいはずなのに、そうではない。まさに「呼ばれている」でありその土地の地場というか求心力がそうさせているのだろうなとお2人の会話を呼んでふむふむと感じたのであります。私としてはピンポイントではそんなに感じることはないのですが、京都に住み始めて、のべ12年。京都は、間違いなく土地に守られているなという実感があります。いちばんそれを感じるのは「台風」の時期。必ず直撃すると予報では伝えてくるのに、ほぼ外れます。記憶の新しいところでは、昨年の桂川氾濫の時くらいでしょうか。それでも、振り返れば、要のところはぎりぎりのところで氾濫せずに保たれていたように思えます。「結界」が張られているというのは、このようなことをいうのじゃないのかとよく知人と口にしています。面白いお2人の京都に関する会話では、京都は現在「景観法」で新しく建てられるものに関して色やら高さやら制限されているけど、それは自分たちが「守ろう」としているように見えて、実は土地そのものが京都の人に意識的に働きかけているという話はなかなか興味深いものがありました。今年から祇園祭は後の巡行も再開しますが、これは市長の一存ではなく、実は京都の地場が市長を借りて行動に起こさせたものなのでしょうか。とすれば、市長は、京都の地場のイタコかも知れませんね~。案外そう考えると面白いかも(笑)。150年ぶりの大船鉾の復活も京都の人たちの念願だったというよりは、地場の思い。そうそう、昨日の報道では今年190年ぶりに「鷹山」の囃子を復活、2020年をめどにこの「鷹山」も復活させる動きとなったようです。(その記事はこちら)京都が原点回帰に動きだしたのは、土地のパワーが上がってきたのかもしれません。と考えると、ますます京都は面白い!本書では、大阪、京都、奈良を巡った記録になっておりますが、これ読むだけで私も同じ道をたどりたいと素直に思って嶋します。そこは「聖地」でもありますが、日本史の足跡でもあり、それを体感できる場所でもあるようです。京都では私の大好きな六道珍皇寺も内田センセー方は巡っておられました。ちょっと得意になりたいのは、センセーたちは冥界への井戸を遠くから眺められただけでしたが、私はこの真横に行ったばかりか、冥界から出てくる井戸がこの側に発見された時の公開に出くわし、こちらの井戸もまじまじと拝観することができてます。これはかなりの自慢!!!!(笑)このお寺に関しては、内田センセーより私は「呼ばれて」いるぞ~!!!!内田センセーのツイッターではすでにこの3都だけでなく、あちこちの聖地を巡られている様子。続きを読むのが楽しみです。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月18日
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『日本の医療この人が動かすvol.2』読了。海堂さんが医療従事者に話を聴くBSの番組をまとめたものです。vol2でも、諏訪中央病院の鎌田医師や川崎病発見した川崎医師などなど、一般的に有名な方から表舞台にはめったに現れないものの、今の日本の医療の発展に貢献されている方12名が取り上げられています。その中で一見異色だったのがヨシタケシンスケさん。はい、私が好きな『りんごかもしれない』の作者であります。『りんごかもしれない』が出版された時、私は正直、「ついに海堂さんの挿絵の人が本を出したんだ」と思ったくらい、海堂作品では身近な挿画者。なので、本書に登場しているのには、何ら違和感がなかったどころか、案外嬉しかったりします。そして、ここで海堂さんの挿画を手がけるようになった理由が語られていて、私としてはほほぉ~とご満悦。縁とか「必然性」という言葉がぴったりのお2人であります。しかし、ヨシタケさんの話はここにとどまらず、横浜の病院でイラストのボランティアを長くされていることも紹介され、海堂さん絡みでなくても、医療の側に寄り添っている人であることが分かりました。何でも、ここの病院でお母様が読み聞かせのボランティアをしていたとか(12年前に鬼籍に入られております)。そして、その息子(ヨシタケさん)がイラストレータであることをしった病院関係者が、病院内にイラストを書いてくれないかという依頼をしたそうです。彼の手がけるイラストは寝たきりの子ども達でも楽しめるように天井からモービルがぶら下がっているもの。つまり、平面ではなく、立体的なものを院内に施しています。実は彼、専門は立体造形なのだということも本書でしることとなりました。それを知れば、『りんごかもしれない』の作品が生み出されたこともめちゃ納得できました。あれ、平面に書かれていますが、視点はあくまでも立体的です。ますますヨシタケさんの作品に期待をするのでありました。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)本書を読んでいると、一歩を踏み出すとその先には更なる広い世界がまっているなということをつくづく感じます。
2014年05月17日
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昨日は「書庫」の本。そして、本日は「書斎」の話、『ミニ書斎をつくろう』。もう、わくわくでページをめくりましたよ。そして、奈落の底に突き落とされました(涙)。本書は、いまページを開いている男性読者のあなたに、「ミニ書斎をつくろう」と提案するものです。(p9)いや、ページを開いているのはれっきとした女です、私!施主である世帯主の男性から最近よく、「狭くてもいいから自分の書斎がほしい」と要望されること。世の男性たちはいま、自分たちが自由に使えるスペースを自宅に持ちたいと切望しているようです。これは実に喜ぶべき傾向だと思います。なぜんら、私は以前から、「家には男が一人きりで趣味に没頭できる書斎が必要だ」とずっと考えてきたからです。(P11)男性の要望がなぜ、「世の中の男性」になるのでしょうか。で、著者は「書斎」について広辞苑での定義を記しています。【書斎】(個人の家で)読書や書き物をするための部屋(p15)よしよし、広辞苑ではあくまでもこれらをするための部屋という定義。なのに!そこで、私は、個人住宅を設計するにあたって、「書斎」を次のように定義し直しています。「書斎とは、その家の主(世帯主である夫や父親)が専有できる、趣味や仕事など好きなことに没頭するための独立した部屋である」ポイントは「世帯主である男性が専有できる部屋」であって、「好きなことに没頭できる部屋」であること。(p15~16)なぜ、そこで「男性」という言葉を入れ込んで定義し直す??????団塊ジュニア世代意向の人々が、ちょうどマイホーム取得世代に差しかかりました。彼らは、わが国の少子化が信仰するなかで生まれた世代ですから、子ども頃からきちんんと子ども部屋が与えられ、それまでの世代以上に親から大切に育てられた世代でもあります。つまり、自宅に自分の部屋があるのが当然な世代ですね。こうした人々がマイホームを建てようと考えたとき、やはり自分のはやがほしくなるのではないでしょうか。それが世帯主の男性の場合には「マイ書斎」になるわけです。(p22)男性だけじゃなくて、女性も子ども部屋を与えられた世代だけど~。で、続いて、長年住宅建設にかかわってきて、私は以前から、「男性にはこもりたがる習性がある」と感じてきました。個人住宅を背っ稀有する際、施主のご家族一人ひとりにお話をうかがうと、女性(妻・母親)が明るく開放的な空間を好むのに対して、男性(夫・父親)はとかく狭く薄暗い空間を好む傾向があるからです。(p22~23)すみませんね~、我が家逆ですわ。我が家の世帯主は広々とした空間に自分ひとりで独占したい、超自己チューな男です。自分の寝室に引きこもることも私の方で提案してあげるのですが、一切拒否され、私の方が寝室で引きこもって読書しております、はい。まぁ、実際私は昔から自分の机以外の環境で勉強できませんでしたし、読書は自分の寝床と相場が決まっておりました。布団に包まって読むのがいちばん落ち着きます。閑話休題。しかも、その後、男性が仕事で疲れて休日ソファーでごろごろしていても、心理学的にもそれは精神が休まっていない……だからこもってゆっくりできるスペースが必要なのだ……と力説されていますが、いつの時代の話をしてるんでしょって感じです。今や共働きのところが多く、女性だってごろごろしたい!男性がソファーで精神が休まっていないのなら、女性も同じでゆっくり引きこもってリラックスできる場所は欲しい。それとも、女性は引きこもらなくても精神が安定しているのでしょうか?というわけで、一事が万事こんな調子で思わず投げつけてしまおうかと思った、私にとってはかなり稀有な本でありました。「男性が」「夫が」「父親が」を連呼しなければ、DIYを使っての書斎作りなど、目新しくはなくてもちょっとした発見のできる本ではあるんですけどね~。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月16日
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「書斎」や全てを配架できる「本棚」すら夢のまた夢なので「書庫」なんてもってのほかなのですが、やはり憧れます。なので、ここ最近あちこちの書評に取り上げられていた『書庫を建てる』は当然のようにげとっ。最初に書庫の内部がカラーで公開されているのですが、私が愛すべき『図書館の魔女』や『GOSICK』に描かれる図書館と同じではないですか~。つまり、螺旋階段を中心に添えて、壁が全て本棚。もう、くらくらしてしまいます。よだれをたらしながら、それに見入ってしまいました。が、本文を読んでびっくりです。書庫建築の話はこっちにおいておいて、話のメインは「イエ」制度の話。つまり、なぜ「書庫」を建築するかというところになるのですが、それが今なお根強くのこる「慣習」、いや、世間はどうであれ、個人に根深く一度は考え、そして切っても切り離せなく、こだわってしまう「家」という鎖が根源なんですね。「墓」の問題であり、「仏壇」の問題であり、「土地」の問題であり、「相続」の問題etc。私にとっての「書庫」はあくまでも「個人」だけの話であり、趣味の範疇なのに、人によってはそれが「イエ」につながっていくとはちょっと暗澹たる思いにもなりました。がっつり、著者の家族史です。そして、書庫はその著者の「イエ」を鎮魂するための祈りでありました。施工過程ももちろんあり、あくまでも建築関係の書物であり、今後書庫を建てることがあれば十二分に参考になる資料ですが、やはり分類するとなると「社会学」でしょうね~。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月15日
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恐ろしいくらいにブックトークの以来が舞い込んできています、いやはや。今回のお題は、<植物>。難題ではないですが、こうも抽象的ですと、幅が広すぎてそれはそれで悩みます(次回なんてもっとすごく抽象的)。しかし、出発点は必ずと言っていいほど、毎年平山和子さんの『たんぽぽ』。今回も例にもれず、ここからスタートして欲しいと依頼者側の希望。と言うことで、今回は90%を「たんぽぽ」でブックトークしてみました。前半は、こちら。そして、間でこちらを読み聞かせ↓そして、学研の『植物』を使ってゆるい図鑑の使い方。そして、写真の図鑑と比較してみたのが、絵で書かれた図鑑『野の草なまえノート』。これら全てが「たんぽぽ」を教えてくれる本ばかりでしたので、最後は「たんぽぽ」が主人公の物語を一つ読み聞かせ、『やさしいたんぽぽ』。ちょっと絶版なのがおしいです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月14日
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本日は、職場で選書会。恐ろしくたくさんの本を本屋さんが持ってきてくださったので、私自身は吟味することなく、セッティングなどでてんてこまい。なので、画像でごまかします。 ↑ 付箋があるのが、「買って~」とアピールされている本です。 ↑ 机に並んでいるだけでは納まりきらず、ダンボールにもドン!!!!!↑ 超人気の『マンガ世界の偉人』は、似たようなものがすでにあるので、却下。 しかも1冊が高いんだ~。全8巻を揃えたら、それだけで予算の半分を占めてしまう(汗)。 ↑ と思えば、全く人気のない一画があったりね~(涙)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月13日
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カフェイン中毒の私は、1日4~5杯は珈琲を飲みます。まだこんなに働きづめではなかった時は、もっとひどくて自宅の玄関前を通ると珈琲の香りが常にしていると、友人・知人そして見ず知らずの方から言われたものです。珈琲を愛飲し始めたのが高校生の時。当時から砂糖入りのものが口にあわず、ブラック一辺倒。カプチーノとの出会いは、15年前。先輩母から牛乳をあわ立てたものを飲ませていただいたのがきっかけ。それ以降、私も泡だて器を購入してカプチーノとブラックの二刀流。当時は泡だて器も1000円くらいしていたのが、今や100均で購入できるようになり、カプチーノが日常に浸透したことが分かります。そうなると、是非とも挑戦したくなるのが、牛乳で描いた可愛い絵。というわけで、図書館で借りてみました『スマイルデザインカプチーノ』。基本となる丸の描き方から、竹串、スプーンの扱い方をきっちりと最初に押さえてあります。そして、まずは「クマ」さんから。最終的にはココアパウダーを用いたデザインまで懇切丁寧です。もちろん、読むだけでなく、やってみました(笑)。 ↑ カップの口が小さすぎて、注いだ時点で、すでに絵どころの話じゃありませんでした(涙)。 おまけに、泡が大きすぎて、すぐに泡がしょぼ~んとしてきました。↑ そこへやってきたのが、うちの馬鹿息子。 牛乳の下は中毒になってしまう珈琲だ!!!!! 必死で阻止しようとする私の手……。↑ でも、結局ぺろ~ん……。とまぁ、こんな感じで無残にも失敗に終わりましたとさ……。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月12日
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刊行されて以降、ずっと書店では平積み状態。そして、図書館でも長い間予約件数がかなり多かったように記憶している『置かれた場所で咲きなさい』が、図書館の棚にようやく鎮座されておりましたので、借りてみました。ありがちの「人生訓」・「自己啓発本」なのだろうなと話題になってからもあまり私の中では興味がありませんでした。それでも、今回借りてみたのには理由があります。著者の渡辺和子さんが、「ノートルダム清心学園」の理事長と言う肩書きだから。なぜ、この肩書きが理由になるのかといいますと、私が中学生の時に通っていた塾に、ここの高校に入学した友人がいたからです。その衝撃はとても大きかった!と言うのは、高校受験というのは、自分の受けられる学区内の公立高校、そして、その公立高校が残念だった場合の私立高校(もちろん、同じ市内)と相場が決まっており、県を超えて、私立の学校が第一志望で、しかも合格したら寮生活をする……という発想が私にはなかったのです。今は、京都と言う都会に住んでいて上記のことは当たり前の世界ですが、一地方都市ではまず、ありえないことで、その時のカルチャーショックというのは、果てしなかったのです。振り返れば、本当に井の中の蛙だったなぁなんて思うのですが、そんなわけで、個人的にこの学園に興味があったわけです。予想通り、「人生訓」であり、「自己啓発本」であることには間違いなかったです。しかし、案外私は興味深く読むことができました。私自身、キリスト教をはじめ、宗教関係にはまったときに、かなりの資料を読んだのですが、それはキリスト教の背景だったり、その大枠での解釈だったり、宗教比較のような本ばかりでした。いや、正確に言うと、本書を読んでそれに気がついたわけです。本書では、彼女の人生経験を語る時に、時折聖書の一節を引用しているのですが、その引用部はどのようにそれを読み取ればいいのか、書かれてありました。振り返れば、聖書そのものの一つ一つをどのように読み取っていくかという関係の本はこれまで読んでいませんでした。聖書には、求めなさい。そうすれば与えられる。と言う言葉があるのですが、これを字面だけで解釈したら、自分の欲望にまみれていても、与えてもらえると勘違いしそうです。実際に、そうなのか?と思ったりもしました。だから、一神教のキリスト教って、誰でも神の御加護が受けられるのかと考え、そうなるとこの宗教って理解不能……と私の思考はこの方向に進んでいってしまうのでした。が、あきらかに違っておりました(爆)。「求めなさい」」には「何が」を考えなければならず、その「何が」はキリストに倣う生き方なのだそうです。そして、「与えられる」というのは、「自分がしたこと」が「与えられる」。つまり、「キリストに倣う生き方をしながら、自分がして欲しいことを自ら他の人に与えていたら、自分にもそれがきちんとかえってくる」というのが、「求めなさい。そうすれば与えられる」のキリスト教的解釈だったのです。短縮しすぎ!(苦笑)。そんなわけでして、全てのページがそうなわけではないのですが、この部分を拾い集めるだけでも、立派な聖書入門書となり、興味深く読めるのです。私は本書で、聖書の一端をのぞき見ることとなったのですが、その解釈の仕方は結構仏教と共通するなと感じました。実際、渡辺和子さんは本書でこのように記しています。宗教というものは、人生の穴をふさぐためにあるのではなくて、その穴から、開くまでは見えなかったものを見る恵みと勇気、励ましを与えてくれるものではないでしょうか(p74)聖書が身近に感じる1冊でありました。にほんブログ村(↑ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月11日
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今年は早くも「第60回青少年読書感想文全国コンクール」の課題図書が手元に届いています。本の装備をしながら、私もチェック!!毎日紹介できるかは怪しいですが、幾つかでもこの場所で紹介できたらいいなぁ~と思い、今回は高学年の課題図書『マッチ箱日記 』を取り上げます。海外の絵本作品です。この絵本の登場人物設定がまず面白いです。「ひいおじいちゃん」が「ひ孫」に語るものとなっています。「おじいちゃん」が「孫」に語るというのは、しばし色々な作品で目にするのですが、3世代あとの子どもへの対話というのは、ありそうでなかったのではないでしょうか。そして、これはイタリアからアメリカに移民として渡ったときのおじいちゃんの出来事です。(それを「ひ孫」に語る)日本では日本人が移民としてハワイやブラジルへ渡ったという話はしばし見聞きしますが、イギリス人もまたアメリカに「移民」という形で入植していたのですね。いや、アメリカ合衆国の建国時の多くが元イギリス人というのは知識として知っていました。しかし、イメージとしては、アメリカ大陸を発見して、アメリカの先住民インディアンたちを追いやって住み着いたというもので、決して私の中ではプラスのものではありません。そして、それがイギリス人がアメリカ大陸に住み着いた全てだとも思っておりました。アメリカ合衆国建国以降、イタリアからも入植という形でアメリカに夢を託して多くの人々が「移民」していたのですね。それは、アフリカ大陸からつれてこられた「奴隷制」とも異なっています。ひいおじいちゃんは、字が当時かけませんでしたので、マッチ箱に思い出の一片を詰めて、今尚思い出の品として手元に残しています。その一つ一つをひいおじいちゃんが過去を振り返りながら、自分に何が起こったのか、そしてなぜそれを持っているのかひ孫に説明していくのです。それは、「移民」としてイタリアからアメリカに渡るその過程が読み手に伝わります。ここにクルまでにどのくらいかかったのかな?飛行機で5時間か。わしらの舟では、19日間だったよ。毎朝、ひまわりの種をこのマッチ箱に入れて数えたからわかったんだ。『ラ・スタチュー・オブ・リベルタ!(自由の女神)』ってみんな叫んだから、デッキに駆け上がると、目の前にニューヨークがせまっていた。食べ物を売るポートが船に近づいてきた。バナナを買った人が、うちの家族にもひとつ分けてくれた。かぶりついて、わしは、すぐに吐き出したよ。バナナの皮をむいて食べるなんて知らなかったんだ。イギリス、アメリカ間が船でたったの19日間なのか~と私は思わずうなってしまいました。案外近い(苦笑)。アメリカの自由の女神が建立されたのは、1886年ですので、それ以降の「移民」となります。日本人が海外に移民していた頃、イギリスでもアメリカへ……ということは、世界中で大移動が行われていたということなのでしょうか。世界史については、まったくなので、この辺りは皆無。憶測でしか語ることはできませんが、絵本でありながら、様々な問いをこの作品は投げかけてくれます。ただ、小学校高学年の課題図書というとなると、ちょっと話は違ってくるような。「移民」という制度をこれを通して知ることになると思います。ざっくりとでも、脳みそに世界地図が描ける子じゃないと、しんどいかな~。中学校の課題図書でも構わなかったかなとも思います。画は現在をカラーで、ひいおじいちゃんが子どもだったときはセピア色(モノクロ写真が色あせた風)で表現しており、絵だけでも、現在と過去が一目瞭然。写実的になっていますので、ポイントとなるマッチ箱はひときわ目にとまります。大人目線で語ると、このひいおじいちゃん、アメリカで学校に通うことになります。そこで手に入れたのは「文字」。マッチ箱は「文字」に受け継がれ、そしてそれがひいおじいちゃんの仕事に繋がっていきます。「文字」が全てではありませんが、教育から得ることのできる「文字」の必要性というのを最後にどーーーーんと見せ付けられ、「教育」の原点を再認識することになったのでした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけると嬉しいです)
2014年05月10日
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もう1冊「ベルばら」で購入したのが『ベルサイユのばら外伝』。(私が購入したのは、右側の旧版のもの ↑)これは、別の意味ではまりました。オスカルにとって姪っ子にあたるル・ルーが中心の話で、ミステリー仕立てです。完全にフランス革命の「ベルばら」と離れて読んで十分に楽しめます。このル・ルーがかなり第六感が働く能力の持ち主として描かれており、まさに難事件を解決していきます。セーヌ川に手首の入ったトランクが流れ着いたところから物語が始まる2編目は、修道院が舞台となっていて、当時の修道院の様子も分かります(きっと作者の池田理代子さんが時代考証などはきちんと研究して描いたものだと信用しての話ですが)。そして、私たちが当時の様子を他の資料などで目にすることもある拷問のための道具(ヨーロッパのお城などに展示してある)が、一つの鍵となるのですが、これがぞっとします。やはりつい当時の日本の道具と比較してしまうのですが、おそらく日本ではこのような道具の発想はなかったような。自ら刀で切ったり、市中引き回しなどはあるものの、描写するのもイヤになる道具を作って相手を死に至らしめるというのは、ヨーロッパ的な発想のような。同じように首を落とすにしろ、日本は介錯人が自ら首を切り落としますが、ヨーロッパはギロチン。紐を引くというあくまでも間接的なもの。どっちもどっちですが、一つだけ言えることは、自ら首を落とすほうが、誰でもできることではないということ。あの硬い骨をすぱーーーと人の力とそして切り落とせる場所に明確に狂いもなく刃をあてなくてはならないのですから。これもまた職人芸。(こんな職人芸もどうなのとは思うけど)日本の文化を知る一つになり、また海外の文化を知る一つにもなるわけです。金原瑞人さんが「海外文学を読んで~」というわけです。あっ、上記のタイトルから離れてしまいました。純粋にミステリーとして楽しんでもらえれば十分です。私が考えすぎなだけです、はい。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月09日
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宝塚歌劇団が100周年ということで、ここ最近NHKで「ベルサイユのばら」のかつての公演が放映されていたのをしっかりと観てしまった私。個人的には、天海祐希のアンドレがかっこよかったです。で、これを観ながら、ふと「原作ってどうなってたっけな?」と思ったわけです。というのも、原作を読んではいるものの、読んだのは小学生の時で、しかも友だちから借りて読んだだけで、記憶は断片的。もちろん、アニメも観ていましたが、こちらも同じ状況。確実に記憶に固定されてしまっているのが、オスカルよりもアンドレの方が好みというだけ。で、逆にフェルゼンなんて、誰よ?という、もう「ベルばら」ファンには首をしめられそうな、アバウトさ(さすがに、マリー・アントワネットが出てきている分かっています)。そのようなわけで、今が買い時ではないかと思ってGWに購入したのが『ベルサイユのばら』全5巻。いや~、勉強になりました。フランス革命の時期がいつかもこれではっきり分かりましたし、なぜ起こったのかという歴史的な背景もとりあえずはこれでなぞることは出来ました。この作品は小学生で読んでも何にも役立たないということまで、はっきりとしました。まず、1巻目の最初に気づかされたのが、言語の話。マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐのには、フランス語が話せないといけないというエピソード。オーストリアはドイツ語。日本の国同士の政略結婚は所詮方言レベルですが、こちらは明らかに言語の壁を超えてになりますので、そこに「言語」の問題というのが大きくのしかかってくるということ、うっかり忘れておりました。政略結婚が国存続のためにあり、ヨーロッパは民族が入り乱れていて、王族同士の国際結婚が当たり前というのは、知識としてありましたが、政略結婚のために言葉も学ぶなんてね~。日本の国同士の政略結婚ってすごくゆるく感じてしまいました。あ~、グローバル展開ってこんなことを言うのでしょうか。というか、フランス革命そのものは、フランス国内のことですが、それに対して他の国の貴族が入り乱れたり、国内の貴族が別の国に亡命を案外簡単にしていますが、その時のコミュニケーション手段ってどうなっていたのでしょうか。戦っている時に、共通の言語を意識して話すなんていうようなことはないでしょうし、自国の言葉を叫びながら、他の国の人たちはその空気を読んで理解していたのでしょうか。貴族たちの教養には他国の言葉もあったようですが、それでも恐るべし。日本の場合、他国の言葉を自国のものに取り入れる文化ですので、そのまんまバイリンガル、トリリンガル……という発想はなかったはず、当時は。(今でもあまりそれは変わってないけれど)他国の国も覚えるというそのエネルギーのすごさにただただ目をぱちくり。まさか「ベルばら」からこのようなことを学べるなんてね~。フェルゼンなんて、スウェーデンの人だし~、いやはや。そうそう、宝塚の「ベルばら」に「オスカル編」と「マリー・アントワネット&フェルゼン編」がなぜあるかも原作を読んで納得しました。ず~~っと主役はオスカルだと思っていましたが、これは半分当たって、半分外れでした。オスカルが銃撃に倒れてから、まだ話は続いていたんですね、約1巻分も。マリー・アントワネットもこれ主役だったのね。オスカルの方が男装の麗人ということで記憶に残りやすいのですが、フランス革命を軸にしているんですから、マリー・アントワネットが主役でも何らおかしくなかったわけで、これもまた小学生の脳みそには全く理解不能なところ。作品を読みながら、西暦が出てくるたびに、日本ではこの頃、と横軸を考えてしまうというか、ようやくこの軸を見ることもできました。おそるべし「ベルばら」。そして、これをあっさりと舞台化してしまう当時の宝塚の演出家も素晴らしい!他の劇団がこれを演目にしないのも分かる気がします。他の舞台が想像できないもん。「あい、あい、あ~~い~~」の歌も脳みそでリピートされてしまうし~。というわけで、我が家の本棚「マンガコーナー」に常設される作品に決定!!!!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけると嬉しいです)
2014年05月08日
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ガイダンスも本日で千秋楽。いちばん小さい子たちだけが2回のガイダンスを受けました、それが本日。ガイダンスの枕として選んだ本が『うしはどこでも「モ~!」』。これは担当者からも「とにかく本が楽しい」ということが伝わるものを読んで欲しいという要望があったため。日本の作家さんだとあれやこれやと思い浮かべることができるのですが、何分にも私の今年度の課題は「海外作品」。なので、本棚をうろうろしました。案外「楽しく笑える」本に巡りあうことができず、難儀しました。ひとえに、私の海外作品に対する知識が少ないだけなのですが、ここまで少なかったのか~と再認識しました。それでも、これを見つけたときはしめしめ。この作品は世界の動物の鳴き声を集め、その違いを比較したものです。それだけだと、面白さが伝わらないのですが、比較しつつ、合間に「うし」がでてきて、「でも、うしはどこでも『モ~』」というフレーズ。これが子ども達を虜にする一つ目の要素。そして、もう一つが、翻訳の良さ。この訳は、海外でRAKUGOの公演を行っている桂かい枝さん。訳が関西弁なんです。最初は、動物の鳴き声よりも、「なんだって」や「なんだよねぇ」という語尾に大笑い。そのうち、鳴き声の違いの面白さにも気がついてきて、そちらも大笑い。日本での鳴き声と、うしの場面は子ども達一斉に言ってもらい、参加型にしました。これを再び読みたいという子ども達もいたのですが、この1冊で4回公演(私が:笑)を行わなければならなかったので、貸し出すことはできませんでしたが、単純でかつ笑えて(でも、密かに知識本だったりします)、海外作品というテーマにはきちんと沿えていたのではないかと思います。最後にこれを訳したかい枝さんのコメントを一部引用しておきます。この作品を訳した想いが綴られています。世界中でRAKUGO公演を行って感じることは、世界にはたくさんの国や言葉、文化があってそれぞれを大切に尊重し合って平和が成り立ってるということ。この絵本の中には、いくつかの国での動物の鳴き声が出てきます。動物は世界中で同じように鳴いていて、犬には外国も日本もないのですが、その鳴き声を言葉で表現すると、異なる国や言語、文化があることをお話しになるきっかけになればとてもうれしいです。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月07日
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『インフェルノ』が本屋さんでは平積みなっているのに、今頃読んでおりました『パズル・パレス』。『図書館の魔女』が上下巻で慌しい中読みきれたので調子づいているというのもあったりします(笑)。感想をひと言で表わすとしたら「勝てんわな~」。これの意味するところはですね、第2次世界大戦時、技術的に全く日本がアメリカに追いついていなかったという理由と同じ。この作品は日本での出版は前後していますが、実際はダン・ブラウンの処女作のようです。なので、執筆しているのは2001年。その時に、全通信を傍受・解読している国家安全保障局(NSA)のことを書いているのですから、やっぱりアメリカには勝てないよな~という感想になるわけです。しかも、あとがきを読むとこの作品を書くきっかけとなったのが、ダン・ブラウンが作家になる前教師をしていた時に、そこの生徒が政府批判のメールをお友達に送ったところ、翌日シークレット・サービスの人がメールを送った生徒のところに来て事情を聞いたという出来事に遭遇したからだそうです。つまり、執筆した2001年以前の話。もしかしたら20世紀の時点でのことなのかもしれません。だとしたら、今回のこの作品の内容が全て絵空事とは思えませんでした。もちろん、技術的な話をしているだけで、倫理的なことはまた別です。そして、もしかしたら日本も技術的にはアメリカと同じなのかもしれませんが、倫理的なことを最優先して思いっきり隠しているというお国柄とも解釈も少ししています。それでも、ここ何年かのIT犯罪のことを振り返ってみると、これらの技術はやはりアメリカが上なのかな~とも思ったり。この作品だけで全てを判断するわけではないですが、そう思わせる内容であったことは事実です。さて、物語としてはどうだったかというと、『ダ・ヴィンチコード』シリーズの方が私は好きです。最初の作品だったからというところもあるのかもしれませんが、少女マンガの構成のように感じて、途中で少々飽きてしまいました。NSAのスーパーコンピュータ「トランスレータ」に解読不能の暗号が入り込み、これが無限ループに入ってしまいます。これを停めるにはこの暗号製作者が一緒に作成したキーワードが必要なのですが、このキーワードを見ず知らずの他人に手渡し作成者は死んでしまいます。で、このキーワードの行方があと一歩というところでまた別の人の手に渡るわけで、この辺りが、少女マンガのよう。彼氏と上手くいきそうで、また邪魔が入るというあのパターン(笑)。昔話の繰り返しはすきなのですが、なぜか少女マンガ的な繰り返しはどうしても好きになれないのです。とは言え、かなり大風呂敷を敷いた内容だったので、どのように収めてくるのかはとても気になったため、途中でイライラしながらもやめることができなかったという罪深い作品でした。そして、作者の知識の広さと深さにはまたまたやられました。日本でいうところの森博嗣氏と荒俣宏氏を併せ持つ作家?いや、伊坂幸太郎氏と井沢元彦氏でもいいんだけど(笑)。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月06日
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2月の引越し以降懸案事項になっておりました本棚。ついに着手!そして完成!このGWはそのためにあったといっても過言ではありません。<Before> <After> 我が家には本棚は1つしか存在せず、巨大なスチール棚が2つ。これを本棚化しなくてはなりません(笑)。スチール棚は奥行きがありすぎるため、どうしても前後の二重構造になってしまいます。二重構造のままただ本を並べると後々に取り出しにくくなることが以前の経験で分かっていますので、間仕切りをすることになりました。この間仕切りに使用したのが、引越しの時に使ったダンボール!これが計算されたように、ぴったり収まりました。そして、間仕切りはこのまま私風の各本のコーナーにしました。自己満足のコーナーを勝手にご紹介。 ↑ こちらは海外の原書を集めたもの。私が実際に海外に行ってきたときに購入したものや、知人から頼んで贈ってもらったもの、そして古書店でどうしても魅了されたもののいずれかが収集方法。いちばん多かったのがドイツ語の絵本。ドイツの友人のおかげ。多謝。日本語のものが混ざっているのは、その原書の日本語翻訳版。いわゆる、日本で出版されたものですね。このコーナーには、他に英語、フランス語、クメール語の原書があります。できれば、他の言語のものも集めたいです。読めるわけではありませんが、並んでいるだけで幸せ♪↑ こちらは、教育学の本のコーナー。でも、半分がシュタイナー関連本になってしまいました。改めてよく集めていたわと関心。でも、自分の中でのいちばんやりたかったことは、『MOMO』の原書と日本語訳のものを並べて配架すること。もちろん、原書はやはりドイツの友人の協力のおかげ。あっ、つぎは『はてしない物語』の原書が欲しいぞ → ドイツの友へ(笑)。自分で国内の大型書店の洋書コーナーにいけば簡単に入手できるのでしょうが、それは何だか違う気がします。そんなに簡単に入手できたら、コーナーにするほど愛着は沸きません。何せ、日本語以外の言語を読めない私。だからこそ、並べて幸せ感を持つには、簡単に入手してはいけないと本の神さまが私に呼びかけるのです(本当です)。↑ こちらは、戦争関係のコーナー。戦争系にするつもりはなかったのですが、青森在住中に入手した「八甲田雪中行軍」関連、こうの史代の本、そして恩師から譲り受けた『サンダカン八番娼館』を表舞台に出したかったという理由。で、それに見合う本を数多いダンボールから探索しておりましたら、戦争関連のラインナップとなったわけです。↑ 蔵書全てを並べきることはできないので、眠っていただいた本もたくさんあります。でも、いつでも即取り出せるように、不織布に入れて、スタンバイ。その中には、内田センセーのものもたくさんありますし、自分の思い入れの文庫、娘がかつて読んでいた児童書もあります(『大地の子』は戦争コーナーに復活させようかな?)。 ↓ コーナーとしてはもちろんマンガもありますし、息子のために猫本コーナーも(笑)。スチール棚は先にも書きましたように2つですので(画像では、死角になってしまってますが)、コーナーもかなりの数になっています。まだ、空のコーナーもありますし、これから蔵書が増殖の予感もします(笑)。ともかく自画自賛、他の人にとっては何が嬉しくて、楽しいのか理解不能と思われますが、まぁ私がこの本棚で出来具合で幸せになっているということをあきらめて納得していただければそれで結構です(爆)。予定より早く片付いたので、残り2日の休みは再び読書三昧♪にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら、嬉しいです)
2014年05月05日
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5月2日に参戦してきました、古本まつりの報告をここで一つ。 今年は例年になく大混雑ぶり。2日と言えば、GWですが平日。私自身、平日に行ったのは初めてのことではないかと思うのですが、何が起こったのか!古本まつり。これはお客さんだけでなく、他のところでも昨年とはことなる様相があちこちで見受けられました。その一つが、絵本の洋書が多かったこと。このようにしてコーナー展示までしてあるところも。もう、私のよだれが止まりませんでした。センダックの作品が多かったように思われます。自分の中では禁を犯してまで(自分が購入する設定金額)、購入したいと思わせてくれる作品がてんこ盛りで、どうしたものだか……(苦笑)。そして、今回は私が毎回目的としているペーパーバックの点数が少なかったのも特徴的。しかも、ペーパーバックを扱っている店舗は、投売りではなくて、きちんとした値段設定(汗)。確かに本来はそうではなくてはいけないとは思うのですが、貧乏人の私にとっては、はげ売りになっているものから更に、辺りをつけて購入するのが楽しみで。正規金額で根付されていたら、その楽しみもなくがっかりモードがかなり高く……。なもので、今回はかなり禁を犯しました(爆)。おまけに、禁を犯すしかなかったもので、入手した点数もこれまでになく少なく(苦笑)。その成果がこちら。『ムーミン』だけは購入を悩んだのですが、今年は100周年ということもありますし、私としてはご祝儀買い。しかし、いちばん禁を犯してまで購入してしまったのが、『ぼくがとぶ 』のペーパーバック。まさか、初出が福音館の「こどものとも」だったとは。今は、版権が絵本館にうつって装丁も変わっています。 (↑ 左が購入した「こどものとも」。そして右が「絵本館」仕様)ペーパーバックの方、あまり状態が宜しくはなく、しかも私の中ではかなりの高額(元値の3.5倍)だったのですが、この機会を逸したらいつまたお目にかかれるか、もとい、自分の手中に入るかわかりませんでしたので、禁を犯したわけです。あっ、でも今とても幸せですので、これを購入したのには間違いがなかったと確信。欲しかったけど、購入しなかったのが、こちら。美品でしたが、高額(私の中でです、繰り返すようですが。おそらく適正価格と思われます)だった上、肝心のアイヌ語のCDが欠品になっていたことが、食指をひっこめることとなりました。アイヌの文化の小冊子(カラー)に、代々伝わる民話が書かれた絵本とそれを日本語訳にして解説してある冊子がついていたのですが、CDはその民話を語ったもの。それがないと、どんな発話で語っているのか、分からないじゃないですか~。もしかして、CDがついていたら清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入していたかもしれません(もちろん、更に値が上がったと思われますが)。とまぁ、こんな感じです。さて、夏は恒例の下鴨。今年は、職場の同僚が行きたいと言っておりましたので、時間があえばお誘いしたいのですが、問題は私の隙間時間だ!!!にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年05月04日
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木下明美氏HP内「KIMURAの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 5月2日の記事)久しぶりではないでしょうか、今回はマンガです。しかし、マンガと侮ることなかれ!!!!『祖母さまのお手々はだるまのお手々』。 私は図書館で借りたのですが、本屋さんでは扱っていないようで、取り扱っているのは、この物語の主人公の記念館「大石順教尼記念館」(和歌山県)か、京都のマンガミュージアム(※ 古い情報なので現在はどうか未確認)のようです。本が出版された時の様子が、新聞にも記事となっていました。当時はかなりワイドショー的にセンセーショナルに取り上げられた事件のようですが、全く私は知らず……。でも、事件そのものよりも、彼女のその後の活動を知れば、もっと早くに知っていてもおかしくない出来事なのに、なぜこれまで私のアンテナにひっかかってこなかったのか。(とりわけ、保育士試験の時に触れられていてもおかしくない彼女の活動。なぜそこが扱われていなかったのか?)と、ぶつぶつ言っても仕方のないところで、ともかく今から福祉について再び勉強しなおしです。 にほんブログ村(↑ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月03日
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娘が本屋さんから息せき切って家に帰ってきたのが、1週間前。「めちゃ、おもろい!!!!」それが、『うんこしりとり』。娘は本屋さんで絵本だけでなく、その側で流れるDVDも観たらしいです。それがすごく強烈だったとか。これは、タイトル通りうんこのしりとりです。スタートは、こいぬのうんこで、次のページは、こうしのうんこつまり、単語ではなく、修飾語のついた「うんこ」でしりとりをしているわけです。娘があまりにも興奮して語りましたので、私も興味津々で本日本屋さんに寄ったときに購入しました。私にとってもツボでした。「うんこ」関係の下ネタは案外私も好きでして、しかもこれは強烈なインパクトを与えるだけでなく、只の「うんこ」にも修飾語を与えることで様々な表情を「うんこ」が知らしめてくれるという画期的な本でもあると感じました。おそらく「うんこ」だからこそ、修飾語が活きてくると行っても過言ではないでしょう。私は残念ながら、DVDを観損ねているのですが、これは動画だと更に良さが生きてくる娘は申しておりました。でも、さすがにDVDを購入するのには金銭的に躊躇します(涙)。まぁ「言葉が生きる」本ということで、DVD購入に沸き立つ欲望を押さえ込むことにしましょう!=====本日、京都三大祭の一つ、岡崎に行って参りました。その報告は後日。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月02日
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もうね~、この本のタイトル『写真集 国歌』って、国歌をどのように写真集にするのか、興味津々で図書館で借りましたよ。なんてことはない、世界150カ国余りの国歌が掲載されているものでした。で、国によっては、その国の写真がついてくるってなわけでして。写真集よりも「国歌」めちゃ面白かったです。全て日本語訳となっています。一応、意訳になっているものもあると注釈されているのですが、これを読んでいくと、日本の国歌、平和ですわ。もちろん、解釈の仕方によって、国内でもこの「国歌」問題が取りざたされているのは承知しております。ただ、字面だけでも平和なのってありがたいです。日本の国歌の場合、現代語訳にするとこんな感じ。君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。さぁ、これを覚えておいて他の国歌の字面を追っていきましょう!まず、多くの人が曲調が耳に残っていると思われるアメリカ合衆国!われらが旗 星条旗よ夜明けの空 夕べのもやにつねに見ずや きらめく旗弾丸降る 戦の庭に頭上高く ひるがえる堂々たる 星条旗よおお われらが旗あることころ自由と勇気 ともにあり(p15)もうね、国歌に「弾丸」とか「戦」とかってどんだけ戦うねん。でも、これを読むと案外「闘い」モードの国歌はすごく多くて、日本のような平和的な字面を探し出すことの方がむずかしかったんですよ。大陸はかつて戦いの場であったことを再認識してしまいます。イスラエルは国歌はまさにそうですね。これはめちゃ納得です。ユダヤの胸に 燃ゆるは まことその心 矢のごとく シオンへ飛ぶよ望みは 死せず耐えにし 二千年 自由の土地よ シオンとエルサレム自由の土地よ シオンとエルサレム(p17)闘いモード多すぎますが、いくつか挙げておきましょう。美しい都巴里を持つおフランスゆけ 祖国の国民 ときこそ いたれり正義の われらに 旗はひるがえる聞かずや 野に 山に敵の 叫ぶを 悪魔のごとく敵は血に飢えたり立て 国民 いざ鉾をとれ 進め 進め仇なる敵を ほふらん(p13)フランス革命の時にできたと想像するのですが当たり?地平に及ぶ 祖国は文明の衣に 覆われてふたつの河は 流れたり決意も新たに 進まん(p55)これはイランでした。世界史でも学ぶインダス文明あたりが国歌の元になっているのが想像できます。ヨーロッパではドイツは平和でした。社会主義国の場合「赤」という言葉を用いているところも多くて、これも驚き。バチカン市国は長いのでここに取り上げませんでしたが、これもまた「らしい」国歌。不滅のローマ 殉教者の町なんて、冒頭から始まっています。ともかく、手元においておきたい1冊なのですが、すでに絶版になっているようです。もったいないなぁ~。図書館あたりで一度、手にしてみてください。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年05月01日
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