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著者高田高史さんのこれまでの著書は、レファレンス事例がほとんどだったのですが、今回の『図書館が教えてくれた発想法 』はどのように図書館で、読みたい本を取得するかという、利用者目線の内容でもありました。が、何分にも物語として面白い!彼の著書の中に出てくる図書館は、神奈川県にある架空の市、あかね市の公立図書館。で、今回は、ここで夏休み中の短期アルバイトをした彩乃ちゃんの日記で、展開されていきます。彩乃ちゃん、いわくつきの21歳。子どもの時図書館で絵本を借りていたなぁという思い出があるものの、どこまで図書館から足が遠のいていたねんと突っ込みどころ満載に設定されています。が、とってもここの職員の方、とりわけ伊予さんは出来た方で、毎日10分間、彩乃ちゃんに、図書館での調べもののコツをレクチャーすることになります。おそらく、普段から図書館を利用している人にとっては、このレクチャー内容は無意識のうちにしていると思いますので、この著書をマジメに読むと疲れます(笑)。ちょっくら、私のように図書に関わる仕事をしている人にとっても、同様ですが、レファレンスがらみになると、人それぞれのやり方があるので、この伊予さんのものは参考になることは請け合いです。で、何を視点に読むかというと彩乃ちゃんは一体どのような人物なのか、どのような人間像なのかというのを模索しながら読むと飽きません。21歳のわりには、伊予さんの対応は高校生くらいの扱い。彩乃ちゃんのようなキャラクターでよく、アルバイト採用されたなと思いますが、フィクションですので、そこから素直に突っ込んでいけば、どんどん、物語の世界に埋没していけます。また、実際にここで取り上げられる図書については、出版されたものばかりなので(絶版も含む)、ここから読みたい本や自分と相性の良さそうな本に出会える機会は多分にあり。このような楽しみ方が乙ではないかと思っています。そして、最後に彩乃ちゃんの正体が分かるわけですが(ミステリー小説でもないのに、妙になぞめいている)、すごくずっこけます。え~、そう来たか~。と言うわけで、彩乃ちゃんに是非会うべく、この本を手にしてみてください。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月30日
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先週、本に関わる行政のことで上司との意見の食い違いにより、その後ちょっとどころかかなり悶々とした日々。その一つには「東日本大震災」のことも含まれています。ただ、食い違いというのは「視点が異なるということ」に尽きると言うこと。それだけはようやく脳みそのだけでなく、体の中から理解できるようになりましたので(ここまで、どれだけの時間を要したか:汗)、「考えてみます」と一度下がりました。で、ふと思い出したのが、こうの史代さんの新刊『日の鳥』。確か東日本大震災がテーマだったはず。と言うことで、本屋さんに行って入手しました。てっきり漫画だと思ったのですが、スケッチでした。そして、タイトルの「日の鳥」。音だけだと、手塚治虫の「火の鳥」をイメージしてしまうのですが、ページをめくるとそこには何ともおどけたような「鶏」がいらっしゃるだけでした。確かに「鶏」は「日の鳥」だ~。このスケッチは著者が震災後5ヶ月目から幾度となく被災地を巡って、スケッチしたもの。しかし、それを著者が巡ったのではなく、「日の鳥」が巡るような視点でその風景に「日の鳥」を入れ込んでいます。「日の鳥」はこの震災で妻とはぐれ、彼女を探しているわけです。スケッチ自体は、彼女特有のボールペンかもしくは鉛筆書きに近い状態です。そのため、じっくりとスケッチを眺めなくては詳細が掴み取れない部分もあります。でも、なんていうんでしょう。逆にそれがその東日本大震災の切なさを感じ取ることができます。「哀しみ」とか「驚き」とか「不安」とか、全てを奪ったことに対するこれまでの形容とは全く異なる感情。少なからず私にとってはそれが「切なさ」でした。それがこの作品にはしっくりくる感じです。また、これは5ヵ月後から、2年半後までがスケッチされており、それも同じ地域でのものもあり、時系列的にその場所がどのような道をたどっているのかというところも、分かります。それが、また「切ない」。決してそこには明るくなる兆しが私には感じ取れません。なんで、あれから3年も経っているのに、このような感情が沸き立ってしまうのか。「本」という一冊の中にこれだけ凝縮されているとなると、現場はもっと想像を絶する「今」があるはずです。その「今」を表わす「言葉」というのは、やはりきれいごとではないだろうということを痛感させられました。そういえば、手塚治虫作品の「火の鳥」も決して明るい内容ではありません。ある意味、そこにあきらめと悟りをあえて、心にひらかせるような感じです。この作品もまさにそんな感じ。カバーを外すと、手塚治虫の「火の鳥」を彷彿させるようなそれが飛んでいる姿が現れます。そんなことを感じて、はて「本」の行政トップとのことが再び思い出されます。現場と机上では、どうしても見えない壁がそこにあるのかなぁ~。溝が埋まるヒントよりも、更に気持ちがちと乖離している自分がおりました。やれやれ。もっと、読み込まなくては上司の気持ちに近づけないのかなぁ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月29日
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手のひらサイズの写真集の多くに「詩」や「格言?」、「戯言」が掲載されている中、『おやすみ動物園』は、それがありません。究極の脱力系写真集。まじに動物達、みんな眠ってます。気持ち良さそう~。全国の動物園をまわって、動物達を撮っていた時に紛れ込んでいた眠る彼らをまとめただけなのかもしれませんが(ってプロに対して失礼発言だわ~)、それで十分。眠っている顔って人をこんなにも幸福感を与えてくれるんだということを知りました。お猿さんも狐さんも、コアラさんもライオンさんも、ふくろうさんも穏やかに眠っています。そういえばウチの息子の寝顔も穏やかだわ~。↑ 息子が我が家に来て、4ヶ月目の頃の寝顔♪にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月28日
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図書館関係の本では、ここ最近高田(浅野)高史さんの著書にはまっております。今回読んだのは『図書館のプロが教える〈調べるコツ〉』。以前に読んだ『図書館のプロが伝える調査のツボ』の一つか二つ前のシリーズ。シリーズを遡っている状態です。結論から言うなれば、前回の方が、レファレンスがマニアック(笑)。今回は割合、一般的なもので、おそらくプロじゃなくても、調べきることができるだろうなというものが多かったような印象。ただ、前回のものよりはインターネットをフル活用というわけではないので、その辺りが時代の流れであり、レファレンス技術のアップということになると考えれば、これが刊行された2006年頃はここに掲載されている質問もかなりの難易度だったものと思われます。その中で、質問よりも、その過程にある内容に目が点になったものがあります。質問は、「西暦1872年12月31日を日本の旧暦に換算すると?」というもの。(p97~102)日本の旧暦とはいわゆる「元号」だったらという話。で、目が点になったのが、この件。明治5年と明治6年の間に太陽暦への改暦があったようで、暦が複雑になっていました。えっ、そんなことがあったの????すみません、無知で。本書の教えによると、明治5年12月2日(火)までは旧暦(太陰太陽暦)だけど、その翌日(明治5年12月3日になるはずだった日)から新暦(太陽暦)に変更され、明治6年1月1日になった。わずか、29日を残していきなりですか~。政府の懐事情がさびしくて、給与を1ヶ月分渡さないですむから、事を急いだという話まで載っていました(笑)。てな話を高校生の娘にしたところ、「知ってるし~」っと一蹴。授業で習ったそうです。私習わなかったけど~。それともその時寝てたのか???????高校生で学ぶべきところをうっかり抜かすと、それから20年以上経過して無知が露呈されるという結果が待っていると言う事例でした。ちゃんちゃん!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月27日
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昨日,今日と同じネタでブックトーク全4回。お題が「おおきなかぶ」。これからブックトークとして話を構成させますか!?と言うわけで,ロシアの昔話を前半に持ってきました。>そして,ここで登場したのがこちら。↓それからゆるくなぞなぞ。もちろん,ロシアの昔話で行いました。そして,話をこちらに振り,トロール(トロル)を持ち出して,ノルウェーの昔話へ。こんな感じでまとめてみました。魔女や妖精(妖怪)は子ども達にとってツボのようです。今回は昔話だけど,視点はそちらです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月26日
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1週間前のこと。構音障害の子どもの指導にあたっている方から、指導時、音読させる本を選んで欲しいという依頼がありました。構音障害とは、発音が上手く出来ないことで、例えば、「た・ち・つ・て・と」が本人はそのように発音していると思っていても実際に発声されるのは「ちゃ・ち・ちゅ・ちぇ・ちょ」になっていたりすることです。何を隠そう、私もかつてそうでした。と言っても、当時は専門家に指導を受けたわけでなく、それが構音障害だということも知らず、大学時、授業でこのことについて学んだ時に「あれはそうだったのか」と気づいた次第。なぜ、自分がそうであるかわかったのかというと、小学校の発表会の練習時に、やたら何度もその部分を先生からやり直させられた記憶があるから。ちなみに、私の場合「だ」を「ら」と、発音していたようです。自然に私のように治る人もいるようですし、専門家の指導を受けなければならない人もおり、それは症状の度合いによってそれぞれです。さて、指導者が今回私に依頼してきた理由は、いつも指導に使っている教本を音読させるのがあまりにもつまらないから(笑)。選書の条件としては、●センテンスが短いもの。●音読していて楽しめるもの。●「あいうえお」など言葉あそびに限定しなくてもいい。具体例としては、『しゃっくりがいこつ』をこの指導者あげられました……ってすごくこの指導者マニアック(爆)。 そんなわけで、選んだのが以下の通り。指導者の評価は「GOOD!」。この中には個人的に購入して、指導の常備本としてずっと手元に置いておきたい本も何冊もあったそうで、またそれが分かった時お知らせします!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月25日
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今回の『生命とは何だろう?』は、高校生の部の課題図書です。著者の長沼毅さんは私がここ最近、雑誌やwebサイトなどでひっかかってくる生物学者です。タイトルだけだと、哲学的な内容かと思われますが、彼は生物学者で、生物学的、いや生態系的に「生命とは?」ということを論じているのですが、案外哲学的な視点も多く、生物と哲学の融合か?と少し脳みそをぶるんぶるんと振り回してくれる内容になっています。例えば、第一章「われわれはどこから来たのか」にはこのようなフレーズが書かれています。それまでは存在しなかった「生命」という現象がどのように始まったのかは、専門家である生物学者にもわかっていません。そもそも、何をもって「生命体」と呼ぶのかも実は判然としないのです。「わかっていません」と言い切り、「何をもって」と語るあたり、哲学的な書き方に聞こえてきます。そして、続いて、生命の定義や特徴については後ほどお話ししていきますが、たとえば38億年前の地球に、どこか遠くから異星人がやって来たことを想像してみてください。海の中にある極微小の「袋」を発見したとき、彼らはそれがほかの物質とは違う生命体だとすぐにわかるでしょうか?(※これらの文章前に、地球で最初の生物は小さな「袋」のようなものだろうという話が出てきます)私たちは、目の前にあるものが生物か非生物かを、直感的に判別できると考えています。テーブルの上のコップを生き物だと思う人はいませんし、地面に生えている雑草を石ころと区別できない人もいません。(p11~12)このような問いかけそのものは哲学にありがち。こんな感じで最初は哲学と生物学の間を行き来しながら、気がつけば最後には進化論の話へすすんでいくのが本書です。第2章が表題になっている「生命とは何だろうか?」というもの。ここでは、人工生命はつくれるのかという話題にまで話は広がっています。(倫理的な話はここでは出てきません。あしからず)そして、最後が前述した「進化論」の話。ここまで来ると完全に生物学の話であり、生態学の話となります。「進化論」となると、ダーウィンですが、このことも踏まえた上で、現在の定説など極め細やかに語られています。本書を読んでいると、科学は日進月歩で「今」を知りたい場合は、最新の書に限るなぁというのをつくづく感じさせられます。しかしです。「あとがき」が再び、THE・哲学(笑)。もう、ついでに引用しちゃいます(爆)。しかし、そもそも、「生命とは何か」という問題に対し、人間は答えることができるのでしょうか。人間自身が「生命」の一部でしかないのに、果たして全体を理解することなどできるのでyそうか。やはり、生命の全体像や本質を知るには「神の視点」のように、生命とは離れたところから客観的に眺める必要があると、私には思えます。つまり、「生命とは何か」という問いを、人間が答えることはできないのではないかと。(p163)この部分が「課題図書になる所以」だなぁと思わず納得してしまいました。このように、問いを投げかけられると、読み手としてはそれを考えざる得ないではありませんか。ただ、どうなんでしょ。高校生の課題図書よりは中学生の課題図書の方がよかったかも。思春期の悶々とした時に、理論的に書かれた生物学の中に、このような問いがあったら意外性があって、素直に考えてみたりするかも。まぁ、哲学は永遠のテーマですから、中学生も高校生もあったものではないのですが……。もっと言えば、これがとても分かりやすい文章なので、高校生課題図書というのがもったいないとも思ったのです。こねくりまわした論述文よりは断然いい!!!!さて、この著者の問いに対して、高校生はどう応えてくるのでしょうか。審査発表が楽しみです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月24日
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本書『自分を育てる読書のために 』は公立中学校で学校図書館司書をされていた小幡章子さんの実践集。「はじめに」で彼女は、本来ならば、中学生、高校生から大学生にかけての時期こそが、本を読むということをとりわけ大切にしてほしい時期なのです。 ~略~ 中学生から大学生にかけての時期には、読書をする週間が身についているということが、非常に大きな意味を持ちます。その後は本から離れて生きる人たちにも、少なくともこの時期にだけは、読書に親しんでほしいのです。小学校における読書の推進は、それに向けての準備として行われるべきであって、小学校中学年で早くも燃え尽きてしまうような読書に子どもたちを追いやるのは、とんでもないまちがいだと思うのです。彼女の「小学校中学年で早くも燃え尽きてしまうような読書」という指摘は案外的を得ているのかなと思います。正確に言うと、「燃え尽きる」というよりは、「もう大丈夫」という安心感?小学校高学年になると、それまで追い立てるように学校図書館に子ども達を向かわせていた線路が、行事や教科の時間増でぷつりと切断されてしまう、そんな現状を見てきています。それはここまで図書館に通ったから子どもだけで大丈夫という一面があるような気もするのです。しかし、発達段階によって子ども達の読む本は少しずつシフトしていきます。その時、ぷつりと切断されてしまうと、そこで停滞したり、後退したり、落っこちたり(笑)、上手くそれをジャンプして自分で新たな道を切り開く子どもも出てきますが、まさにそこが格差になっていく第一段階かと。シフトする中に上手く手助けをする人がいれば尚いいでしょうが、それが出来なくとも図書館に通う回数を「高学年だから」という理由で減らすのはやはりいただけないのかと思うわけです。と、最初は著者にふむふむと寄り添って読めていたのですが、実践記録に入ると少し私のイメージするものと実践が異なってきました。もしかしたら、この実践活動が全てではないと思うのですが、生徒たちに手渡す本の多くがいわゆる海外の「名作」というもの。しつこいくらい私は書いていますが、名作を与えることに否定はしませんが、そればかりだと、やはり偏りが生まれると思います。現代の物語を読んで、今と言う社会を客観的に見る。名作を読んで、今の時代と比較する……そんな視点が中学生くらいになると必要ではないのかなぁ~。そして、更には日本文学と海外文学を読み比べてみるとか。大人が手渡すのであれば、そのあたりバランスよくという必要性を感じています。本書ではそれが見受けられなかったのが、ちょっと残念な一つ。もう一つ残念だったのは、生徒たちは実は完全に「本を読まない」生徒ではないということ。携帯小説なり、ノベライズなりはそこそこ読んでいて、実は「読む」ということに関して、土台が実は出来ている生徒ばかり。まぁ、本という形態のものを手にすることは出来ている子です。それなら、上手く、しかも図書館のプロが誘導すれば、確かに実践集のようになる可能性もあります。が、本当に本を道具として手渡してあげなければいけない子ども達は、本に「一切興味がない」子ではないのかなぁということ。読まなければ、読まないで済むのですが、図書館のプロとしては、その辺りを押さえる必要性があるのかなという印象。もし、その辺りが紹介されていたら、良かったんですけどね。そうなると、おそらく携帯小説やラノベ、ノベライズをあまり低く評価することはなくなると思うのですが(苦笑)。もちろん、著者は子ども達に本を手渡すときのものを全て熟読しており、自分のものとして語っていると言う点は、最低限のプロとして必要なことであるということは再認識できました~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月23日
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本日アニマシオンの研修会に参加してきました。これまでは机上での論理的な話の研修しか受けてなかったのですが、今回はひたすら実践!!!!全部で4つ2時間半でびっしり。最初の3つが、『読書へのアニマシオン 75の作戦』から。★作戦55「聴いたとおりにします」★作戦13「誤植」★作戦11「これが私のつけた書名」最後のワークショップは『フランスの公共図書館60のアニマシオン』から。★ファイル11「言葉のない物語」講師の方はこの2冊の出典からほぼ忠実にアニマシオンを行われていました。忠実にするって案外難しいのですが、やはり型を知ってからオリジナリティーを出すということ再認識しました。これ以上の詳細な報告は今回控えさせていただきます。軸となる2冊のそれぞれの「作戦」と「ファイル」番号を見て内容を確認してもらい、それを今回挙げている本でどのように料理したのかご想像ください。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月22日
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木下明美氏HP内「KIMURAの読書ノート」を更新していただきました。(京都で着物暮らしpart2 → 6月20日の記事)今回は『女子読みのススメ』です。「読書ノート」には綴りきれなかったのですが、本書では私一押しの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 』についても取り上げられています。この作品がどれだけ強烈で、社会的な問題を的確に表わしているのかが、実証されたみたいでかなり私としては嬉しいです。本書ではこの作品が「角川書店」からとなっているのが残念ですが(上記の画像のレーベルね)、これが最初ラノベ(富士見ファンタジー)で刊行されていたことを強調して欲しいわ。(本書だけでなく、こそっと色んな場面で取り上げられているんですけどね、実は)それと本日も毒を吐くようですが(爆)、どうしても名作となると、大御所が描かれたロングセラーを上げる人が多いのですが、やはり本に関わる人は若手の現代作家さんについてもきちんと評価するべきだと思います。そもそも、読まないで語るからなぁ~。このような著書がもっと出て欲しい!(一時期は斎藤美奈子さんがかなり鋭い論評を書いてたのに、近頃近代古典の方を取り上げるようになったし~)あっ、昨日は在宅仕事でしたが、久しぶりにまったりとした日。児童文学(主にあちこちの夏のコンクールの課題図書)5冊一気読み。息子(昨日の「徒然」でサッカー観戦していた彼ね)と一緒にごろごろしながら、じっくり読み込むことができて幸せでした。また、今日からビジーモード全開!(なのに、昨日myPCが壊れました:涙)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月21日
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現在、ワールドカップ「日本vsギリシャ」をテレビ観戦しながら、「徒然」を綴っております(笑)。昨日は行政の委託を受けた「親子ふれあい広場」。2歳児対象で1時間ほど親子で様々な活動をします。私はいつものように、アニマシオンもどきを担当。梅雨時ですので、季節感を出すために、製作の題材を「かたつむり」にまず決定。そして、それに見合う絵本探しの旅……。「かたつむり」が主人公ならずとも、そこそこ出演しているお話の絵本って簡単に見つかると思っていたのですが、これがかなり難儀しました。どうしても見つからなかったらプロの手を借りるというのが、鉄則です。自分がプロでも出来ないこと、わからないことはごまんと世の中存在します。そんな訳で、いつも足しげく通っている図書館の司書の方にも一緒に探してもらいました。私も職員の方も、「かたつむり」が出てくる絵本といえばちいさいモモちゃんシリーズの『あめこんこん』を思い浮かべるのですが、これが現在貸し出し中。そうしたら、他には……ないんですよ。3人がかりで、探しまくりました。職員さん最後には、科学絵本というか、ほぼ「かたつむり」の図鑑を持ち出して、「これしか……」と半泣き、苦笑い。とその時です。一人の利用者さんが、カウンターに本の返却をしに、いらっしゃったわけです。そうしたら!!!!!!!!『あめこんこん』がその中にあったんですよ。神さまありがとう!!!!!と言うわけで、今回はこちらを使って、まずは読み聞かせ。2歳児にはちょっと長いかなとも思ったのですが、そんなこと全くありませんでした。全員がしっかり目で耳で聞いてくれました。そして、製作に入る前に、もう一度、「かたつむり」の場面を登場させました。子ども達の喰いつきのいいこと。製作もいつもは15分が限界なのに、今回はなんと詠み聞かせを含めて30分。2歳児にとってこの長さは驚異的な長さです。でも、親子でわいわい楽しみながら製作をしてもらい、そこにはゆったりとした時間が流れており、指導側の私もほっこり。全ては、『あめこんこん』のおかげでしょうか。と書いているうちに、ワールドカップ後半終了。引きわけですね。選手のみなさん、お疲れ様~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月20日
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『情報は1冊のノートにまとめなさい』や『読書は1冊のノートにまとめなさい』の著書が書いた『だから、新書を読みなさい 』を読みました。なんとなく、タイトルで選んだだけでしたので、まさか両者の著者だとは思わず。この2冊は既読だったのですが、私としては「だから?」という感じで共感も余り持てず、わざわざ本にするか~という突っ込みどころ満載ではありました。もし、この両者の著者ということを先に知っていたら、本書は手にしなかっただろうな~。タイトルに改めて目を向けると、同じような雰囲気を醸し出したタイトルであることにも気がつきましたが、後の祭り(笑)。あ~、「後の祭り」と言えば、今年から祇園祭「後祭り」の復活ですね~、わくわく♪でも、気がつかなかったのが良かったです。「新書」についての基本的事項が書かれてあるのですが、新書を遠い存在と思われている人にはうってつけかと。おそらく、「新書」を読まない人というのは、昔ながらの堅苦しい学術書というイメージがあるからだと思います。いまや、そんなこと全くございません。「新書大賞」というものまで出てきているのですから、今や「新書」もエンターテイメント。しかも、レーベルも増えましたし。YA向けなんてほんの10年位前までは「岩波少年新書」しかなく、これって偏った思想にならないか?と勝手に心配をしておりましたが、この業界もレーベルが近年一気に増殖。私としてはいい傾向。しかし、がっつりとした学術的なものを新書で読みたいときには、その中からちょいと探さねばならない状況ではあるのですが、今や私にとっても軽く読めるものになっております。軽く読めるといいましても、分野は多岐に渡り食指があちこちに動きます。本書にも書かれてありますが、どのレーベルでも、新書の並びは刊行順。なので、手にしようと予定していた図書の横にふと全く違う分野のものが並んでいて、かつタイトルがそそられてしまったら、もう儲けモン。これだけで世界が広がるというわけです。こんなようなことが本書には書かれているわけです。新書を読むための足がかりに本書はなるのかなと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月19日
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『生活保護vs子どもの貧困』読了。前半は「生活保護」について、「適正化モデル」と「人権モデル」の両方の立場が書かれてありました。「適正化モデル」というのは、いわゆる、市民目線といいましょうか。貧困の原因は社会構造にあるのだから、とにかく困っている人には生活保護を受給しましょうというもの。これが度を過ぎると、不正受給が起こります。「人権モデル」というのは、逆にお役所目線。貧困の原因は個人にあるのだから、本当に必要な人にだけ受給するというもの。しかし、これが度を過ぎると、北九州市で起きた「おにぎり食べたい」と書き残して亡くなった事件になります。この二つについての双方の意見が行政の言い分、日弁連の言い分として明確に記述されていて、比較するのにとても分かりやすく知ることとなりました。ただ、どちらにもマイナスとプラスのものがあり、それをどのようにして歩み寄っていくかというのが今後の課題であり、しかし、その中で筆者は「統合モデル」を提案していました。そういえば、誰だったかな~、何かの記事で読んだのですが、この不正受給の問題に対して、お金を受給するということは、100%必要な人にだけ渡せるということはまずない。だったら、ある程度の不正受給は必要経費と思い、その不正受給率をどの程度にしておくかということを考えながら制度を作った方がいい。不正受給の心配をして、必要な人に行き渡らずに生命の危険を脅かすほうが問題だ……という内容だったと思います。おそらく「統合モデル」というのはそれに当てはまっていくのではないのではないでしょうか。そして、なるほどと思ったのが、パチンコやお酒で生活保護を使い果たす人に、果たして受給が必要なのかという問い。これに対して、筆者は、このような人に生活保護を廃止してしまうと、この人たちの結果は、(1)死ぬ(2)罪を犯して刑務所(3)ホームレス(4)精神的な症状の悪化による入院のいづれかの道をたどると言っています。昼間から飲んだくれている人を雇ってくれる職場はないし、それらの人はまともに仕事ができない人だというわけです。そして、この4つの道は、どれも社会に不利益を与えると指摘しています。(1)は自殺に追い込む社会政策は間違っているし、(2)の刑務所の方が生活保護よりも一人当たりの税金がかかる。(3)はホームレス増加による治安悪化で警察官の多数配置。(4)の精神病院入院コストは月40万円。理不尽なようですが、結局生活保護費がいちばん安くあがるというわけのようです。人間生きていると矛盾だらけというその際たるものを感じたりします。筆者も福祉畑にいながら、このような矛盾を感じたこともあるそうです。それでも、このような人がやってはいけないことをやらないように法律が歯止めをかけているということも、綴っています。さて、本書はこれだけでは終わりません。本書の半分を費やした「生活保護」ですが、これは序章にすぎません。本当に言いたいことは後半。「生活保護」よりも「貧困」に目を向けようということが筆者の言い分。私が保育士の資格を得た後に更に児童福祉関連の法律が制定されておりました。「子ども貧困対策法」(保育士試験は、その年4月に施行された法令が試験範囲になるというもの。試験は8月。4ヶ月で新法令を脳みそに叩き込まなければなりません。近年毎年のように児童関連の法律が改正されたり、制定されるので、脳みそに詰め込む量が半端ではありません。その代わり、試験に落っこちた年は、その3月までは、勉強しなくてもいいという話にもなります:爆)法律にはじめて「貧困」の名がついたものです。この法律は超党派も超党派、右も左も全党派が完全一致して作られた法律だそうです。「貧困率」がOECD内でかなり高いというのがここ最近ようやく認知されてきましたが、ひとり親家庭になると、なんと貧困率は50%を超えます。そして、もっと驚愕のデータはひとり親家庭の中で親が働いているのと、そうでないのとでは、なんと働いていない方が、わずかですが、貧困率が低い!OECD内でこのような逆転現象が起きているのは、日本だけ。そういえば、所得の再分配を行うと、一気に貧困層が増えると言うのも日本。社会制度ちょっと間違ってませんか?と思わずにはいられません。(だいたい、130万の年収に対して、国民保険と国民年金で年間だいたい30~40万円も持っていかれるのはやはりおかしい)筆者は生活保護は現在の日本の貨幣価値や物価状況から試算しているので、生活保護費が高いということはありえない。それは、最低賃金が低すぎるのだということも指摘しています。逆転現象が起きているのも、まさにこのことからでしょう。と話を戻りますと、貧困は親のそのまた前の親からのスパイラルになっていることが多いので、そこからの脱却はまず「教育」。進学率など数値目標を掲げています。実際に法律が施行されることによって、自治体が各々動くことが可能になったようで、官民一体になって貧困家庭の子どもの教育の場を提供しているようです。その事例が本書で示されています。アベノミクスと騒がれていますが、私の周囲は少なからずその恩恵にあずかっている人を見ることがありません(自分も含め)。そもそも、雇用の緩和で非正規雇用が拡大したのも、貧困層を生み出す要因ですが、民間の会社に「非正規雇用はやめよう」とアナウンスしているわりに、行政関係で非正規雇用で働いている人の多いこと(自分も含め:爆)。専門職の非正規雇用を求人する行政って一体ね~。と最後は再び、心のうちを思わず吐き出してしまいました(涙)。あっ、タイトルが「vs」となっていますが、全く双方が対立している内容ではありません。「&」に置き換えても全く差し支えないです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月18日
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内田センセーのブログやツイッターを読むのが日課になっているので、今更なのですが『街場の五輪論』読みました。内田センセーファンだからというわけでは全くなく、私自身今回の東京五輪招致全く興味なかったです。むしろ、日本でやらなくてもいいよ~、つまりは反対派になるのかな?と言うか、何だか東京五輪って東京だけで盛り上がってて、関西にいると蚊帳の外って感じでした。それだけの感想だったのですが、嫌悪感に変わったのは、現首相の(当時もそうか~)あの一言。「東京は安全です」現在国語を教えている身としては、あの助詞「は」はとても気になります。いえ、おそらく国語を教えてなくても、日本語をしっている人なら、「は」は限定の副助詞「は」で、それ以外(つまり、この文脈でいうと「東京」以外)は安全じゃないよぉ~と言っているのを同義語。しかし、本当に「東京」は安全なのかというと怪しい。ホットスポットが23区ないにあったくらいだし。せめてオブラードに包むのならまだしも(まぁ、それでもいただけないけど)、あのように国民のトップがはっきりと海外に向けて、「東京は」と限定してアナウンスする無神経さにもう、口あんぐりなのです。世界のお偉いさんがそのニュアンスが分からないということはないと思います。それでも、東京に決まったのは、おそらく「テロ」が起こる可能性が少ないからだろうというのが、内田センセーの見解。内田センセーは更に、その「テロ」攻撃を受けないのは憲法九条があるからだと語っています。九条のおかげと断定できるかどうかは、分かりかねますが、確かにあの招致合戦の頃、テロに襲われる確率は他の名乗りを上げていた国よりも低かったと思われます。おそらくIOCはテロよりも「原発」を選んだのだと思います。7年も経っていたら、原発も薄まっているかもしれないし、もしかしたら、オリンピックの2週間程度しか選手も行かないからそれほど身体に影響もあたえないだろうという皮算用かと。テロだと1発で死傷者続出ですから。……ということをもしIOCが考えていたとしたら、余計に首相の発言が気持ち悪い。日本をIOCに売った感も否めない。とまぁ、本の感想というよりは、これにかこつけて、ちょっとたまったものを吐き出しただけです(爆)。じゃぁ7年後、オリンピックを観ないのかと言えば、また別問題です。これが私のいい加減なところで、機会があるのなら観戦してもいいのかなというのは、脳みその別のところの働き。そんなところで、揺れ動いている自分がいます。あっ、もし7年以内に、関東周辺で再び大地震があったらどうするんでしょうか?「想定外」もしくは「1000年に1度」で逃げ切るのでしょうか?関東には被害が出ないけど、日本国内で東日本大震災レベルの震災が起こったら?「東京は安全です」と再び、限定の副助詞「は」を用いるのでしょうか?にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月17日
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東日本大震災関連でこれまで読んできた本のほとんどが、そこで「頑張る」人や「前を向いている人」を取材したものが多かった。テレビにいたってはそれしか扱っていないと言っても過言ではない。『津波の墓標 』を書いた石井光太も『遺体』では、そこで懸命に亡骸を弔う人の姿を取材して上梓しています。しかし、本書『津波の墓標』は、正直読んでいて辛くなってきます。いや、こっちが大多数の現実で、メディアで報道されているのは、ホンの一握りの美談であることを思い知らされるのです。「序」で著者はこのように記しています。これから私が書く無数の物語は、一つひとつがまったく違う意味と重みを持つものになるだろう。私はそれらをムリに一つにまとめて意味づけをしてしまうより、ありのままに書き綴ることで複雑さと重さと生々しさをそのままつたえたいと思う。きっと読者がそれを通して得られる感情こそが震災の現実であり、私が長らくまとめられなかった理由でもあるはずだからだ。(p5)第一部では、震災が起こってすぐに現地入りして目の前で繰り広げられていた状況を綴っていますが、もうなんと言いましょうか、これまで私が聞いていた話を思いっきり覆される風景がそこに繰り広げられています。亡骸を前に、声を荒ぶる人。遺体を収容しようにも、硬直が起こり、遺体を思うように引っ張り出せない状況。木にぶら下がった遺体の描写。第二部では、避難所での様子。そこでは、緊迫した人間模様がありました。いさかいがとどめなく起こり、そして略奪。津波でなくなった身内を受け入れることなく、精神的に病んでしまった人々。被災者でありながら、復興ボランティアに力を注ぐ余りに、ばらばらになってしまった家族。その果ての離婚。DNA鑑定による不信感。そして、震災格差を生み出しています。お互い被災者でありながら、どちらが幸いで、不運なのか、値踏みをしている現実。そこには、負のスパイラルが明確に記されています。救いようがないというのは、このことなのかもしれません。いや、間違いなくあの震災は救いようがないものだったのです。しかし、報道されるのは美談ばかりで、何においても前に進んでいると思って……思わされていました。この震災はノンフィクションではなく、現実です。救いようのないところに、光を見出すのは案外簡単なのかもしれません。それよりも大多数の闇をどのように捉えていくのか、それを示す方が現実的であることを思い知らされます。闇が当たり前すぎて、つい美談を追いかけてしまいますが、そちらの方が虚構、もしくはマイノリティーで物語を紡ぎやすことを覚えておかなければならないのだと感じました。実は、あれから3年強、何も進んでいないと認識するほうが正しいような気がしました。それを考えると被災した人、被災場所は中央から置いてけぼり、いや、斬り捨てられているような気すらしてきました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月16日
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私の現在推しシリーズの一つにキャスリン・ジル&ジョン・ジルのコンビが描いた「自然スケッチ絵本館」シリーズがあります。このシリーズの中の『は虫類のこと』と『両生類のこと』は以前ブックトークで子ども達にも紹介しました。これが、なぜお気に入りなのかといいますと、どのシリーズも17画面で構成されているのですが、右側が写実的な絵。そして、何より左側に書かれた説明書きが素晴らしい。たいていが1文。多くても3文でタイトルのものを説明しているのです。例えば今、手元にある『海のこと』。最初の画面はこのように記されています。海は巨大な塩水の集まりで、地球の大部分をおおっています。もちろん、子どもに分かりやすく説明しているものなので、漢字にはルビがふられています。そして、第2画面。世界中の海はつながっています。このようにして17画面で「海」とは何なのかを教えてくれるわけです。この本の素晴らしいところは巻末にこの17画面を縮尺したものを6ページで再度掲載。メインでは1文で記していたものを、「解説」としてもう少し詳しく説明しているのです。最初の1画面が解説では、地球の71パーセントは海です。海水には塩分があります。この塩分のほとんどは、陸からきています。土や岩に含まれている塩分が水に溶け、川から海へ流れ込んだのです。海底火山からも、塩分が加わります。アホウドリの仲間は、エサの小魚やイカをさがしながら、一生の大部分を海上で滑空してすごします。南極海にすむワタリアホウドリが翼を広げたときの幅は歳代3.5メートルで、その幅は世界中の鳥のなかで最長です。なぜ、解説でアホウドリのことが出てきたかというと1画面の絵が大海原にアホウドリが飛んでいる様子が描かれているのです。こちらの解説も全てふりがな付き。しかしながら、この解説を全て読むと、子どもに向けてよりも大人が読んでもかなりしっくりくる内容になっています。子どもに上手く「海」を説明するために知っておいたらいい知識が網羅されています。この解説部分が間に合わなければ、本文の方だけ読んでおいても、損はない……というか、小さい子にはこの程度で伝えればいいというのを教えてくれます。全部で16巻。自分で揃えるのは金銭的にしんどいですが(笑)、勤務先の書棚には全部揃えても損はない本だなぁ~と思っています。一度、図書館などで手にしてみてください。はまると思います。ここ2~3年勢いよく海外のこのような科学絵本が邦訳&出版されているような気がします。これまで海外モノといえば、読み物系がほとんどだったのですが、このような分野の邦訳が増えて私的にはありがたい。正直、日本のものとはまた一線を画していて、かなり出来がいいような気がします。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月15日
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先月はスタッフとして参加できなかったあっとまーく・かふぇ。昨日は何となく久々な気分。1ヶ月間があくだけで、赤ちゃんだった子がすっかり大人びて見えてしまい、子どもの成長の早さにびっくりです。わが子の時はそんなこと全く思う暇さえなかったのですが。今回は生後半年くらいのBABYちゃんたちに遊んでもらいました(笑)。で、いつものようにお昼ご飯前の読み聞かせ。昨日は『いろいろごはん』を読みました。いつもよりも他の団体の行事などと重なり参加者はすごくすくなく、しかも大きい子で2歳だったので、どうなるかなぁと思ったのですが、ごはんが変化していくのをじーーーーっと見てくれました。声がけは、「みんなのお弁当にも入ってるかな?」でも、鮭茶漬けなんて入ってないでしょと読みながら自分で突っ込んでみたり(笑)。0歳児もしっかり聞いてくれたので、満足でした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月14日
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うちの娘は私でもやらない本の買い方をします。それが「じゃけ萌え」。「じゃけ買い」というのは私もよくやります。表紙の画を見て、触指が伸びるというもの。「じゃけ萌え」はその派生的なものでしょうか。例えば、本でも漫画でも1巻で完結しなかった場合、大抵の人が1巻から購入するはず。しかし、うちの娘は「萌え」た巻のみをさっさと購入して、その巻を読んでから面白かったら、1巻から購入というもの。間を読んで、そこで楽しいかどうかを判別するなんて~。一つの才能ですわ。この買い方は私にはできない(汗)。で、娘が今回「萌えて」、購入したのが、『シュガー・ソルジャー』の第3巻。もともと、幼稚園のお誕生日会で「うさぎになりたい」と壇上で発表したくらい、うさぎ好きですから、これにそそられるのはよく分かります。が、いきなりこのジャケットの3巻のみをあっさり買ってしまうというハードルの低さ。昨夜、布団で読んでいたみたいですが、まだ感想を聞いていません。これは、まさに第3巻のみで娘としては終わってしまうのか、1巻から購入することになったのか、乞うご期待!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月13日
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今日はブックトークデー。お題は「算数」。ブックトークをする中で、算数関連の本を入れ込んでやったことはあるのですが、全てを「算数」関連で行うのは初めて。もうね~、どのように組み立てれば7~8歳児の子ども達が楽しんでくれるか悩みましたよ。そうしてたら、急に神降臨。ブックトークの構成ってぎりぎりにならないと浮かんでこないのが、常な私。それでは行ってみよう!まず、子ども達には何も言わずに『ひとつ』の読み聞かせをしました。その後で「算数」というお題を明らかにします。それからのブックトークは以下の通り。最後に『100万ってどれくらい?』を読み聞かせ。「1」でスタートしたこのブックトーク。最後は「100万」(本書では1兆まで取り上げられているのですが)で、締めるあたりが、まさに神降臨。紹介した本は全て分類「410」の数学の棚からのもの。「算数」と言えば、難しい公式やら計算が入った本を子ども達もどうしてもイメージしがちですが、見た目は一般読み物「913」の棚に入っていても何ら遜色のないものに、子ども達も触れることができたようで、ブックトーク終了後、この棚に群がっておりました。まずまずかな?にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月12日
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私の仕事の一つに、サポートの必要なおこさんへの本の提供というものがあります。担当者や保護者の方からその子の発達に応じたリクエストに応えて本を選書してお届けするというものです。先日は、鉄ちゃんのお子さんを持つ保護者を通して、そのお子さんをサポートしている担当者から依頼がありました。依頼を具体的に記しますと、鉄道ファンなので、そこから本を手にして字を覚えて欲しいというもの。なので、下のラインナップでそろえてみました。いちばん上の段の画像は、本物の写真本です。まずはここからスタート。そうして、十分に楽しんでもらい満たされたら、電車が主人公の創作絵本という風に論理的には移行するはず(笑)。このタイミングは個人でまちまちでなんともいいがたいところですが、そこら辺りに転がっていれば興味も持ってくれるかな?という淡い期待。本物の写真のみだったら、「創作でもいいや~」という一瞬のタイミングを逃してしまうことになりますからね~。なので、このような依頼の場合は、基本、実写のものと創作のものと2種類用意して提供しています。この後で「パンダ」依頼もありました。結果は大うけだったとか(笑)。こちらも機会があれば、また公開しま~す。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月11日
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私があこがれている本関係の人の一人、永江朗さんの著書『不良のための読書術afb』。(← 私の手元にあるのは単行本)いや~、これまで私が読んだ永江朗本の中ではいちばんブイブイ言わせています!!!17年前の本なのですが、未だに書いている内容古くないですし。(ニフティーサーブのパソコン通信あたりが書かれてあるのは、時代を感じさせますが)そもそも、「不良」って人が呼ばれるのは、やっている人が少なくてそれが反社会的なわけなのですが、読書が不良かどうかはともかくとして、本好きってマイナーなものだったのねというのは、以下の文章で開眼。笑えました。そもそも本というのは、作られる数が少ない。大江健三郎の場合は知らないけれども、いま芥川賞クラスの作家の文芸書は、初刷り5000部から一万部程度と言われている(※木村註 これは17年前から現在もさほど変わってないようです)。もっと地味な作家はもっと部数が少ない。専門書になると、2000部から3000部ぐらいしか作られない。100万部を超えるとミリオンセラーといわれる。100万部というのは、出版会ではとてつもない数字だ。作ろうったって作れるものではない。年に1,2点、出るか出ないかだ。これをテレビの視聴率に換算するとどうなるだろう。本を読んで理解できる年齢の人口をおよそ一億とすると、100万人が読んだとしても、たったの1パーセントでしかない。テレビの視聴率ならたちまち放送打ち切りだ。(p17~18)確かにこの文章を読むとマイナー、マニアックな趣味だと思います。が、年間8万冊出ていますから、テレビが年間8万番組あるかといえばそうではないと思いますので、1億人が8万冊に分散されると、テレビでいうところの視聴率は低くなるのは当然であります。なので、この文章にレトリックがあるな~とは思いますが、私の周囲調査では、読む人とそうでない人が極端に分かれますので、全体的に平均値をとるときれいな曲線が生まれるとは思えませんので、マイナーと言ってもいいのかも。そんなこと言っていたら国民の80%以上が好んでいる趣味があるのかという論議になってしまいます。ありゃ~。でも、そんなこと有無をいわせない勢いがあるのが、本書。永江さん自身不良になった気分で書いているのがよく分かります。何より爽快なのは、こちらでしょう。(略)いつだって多数派につくのが楽ちんなのだ。だが、多数派はいつも間違える。親や先生の言うことをよく聞き、一所懸命勉強するマジメなよい子ばかりのなかで、ひとりだけ不良でいることはどんなに大変なことか。しかし、楽安道はいつだって間違っている。マジメなよい子にならない方法、つまり不マジメでいいかげんな不良になるには、本をたくさん読むことだ。本には毒がある。「この本は真理の書だ。この本に書いてあることだけが絶対に正しい」なんて妄想を持つと、たいまちマジメで危ないよい子になってしまう。そこで、毒は毒をもって制す。いろんな本を読めばいいのである。そうすると、さっきまで真理だと思っていたものが、嘘・偽りに見えてくる。いろんな意見の間を、あっちへフラフラ、こっちえhウロウロしているうちに、人はだんだん不良になっていく。肝心なのは、常にフラフラ、ウロウロしていることだ。その意味で、悪書追放運動はある人達にとってはたいへん正しい。「悪書」を見せない、読ませない、買わせないと、子供達を純粋無菌培養していけば、きっと命令どおりに素直に人殺しでもなんでおやってのける、マジメでよい子ができあがることだろう。(略)不良になるために、本をたくさん読まなければならない。しかし、うっかりしていると、こういうゴミだのくずだのをつかまされてしまうのである。ババを引かないためには、本を見る目、選ぶ目を養わなければならない。(p4~5)ちょっと前の検閲問題(苦笑)のことを思い出してしまいました。その前にも「発達段階に適した本を」という論議があったのですが、この「発達段階」というのは一括りにはできるはずがなく、ここの成熟度は異なります。そうなった場合、書店であれ、図書館であれ色んな人が利用するのですから、「発達段階」にあわせたとしても、どの段階に焦点をあわせるのかという疑問が生まれてきます。金太郎飴のように輪切りにできるはずがなく。そして、教育的配慮とはどの場面を指すのか。更にいえば、案外大人的な発想の「悪書」が配架されてあったとしても、子どもは本能で避けていたりします。そうそう、昨夏『はだしのゲン』が問題になりましたが、確かにあれを小学校低学年が読むときつい劇画です。が、その学齢の子たちはまず手にしません。本能であの手のタッチが受け付けられないんですね。あの画を受け入れる低年齢の子がいたとしたら、その子は精神年齢的にすでにその年齢を超えていると判断できます。そのような子は読めばいいんです。それから「悪書」の基準も実はあいまい。大人が考える「悪書」と子どもが思う「悪書」は全く別だったり。そうなれば、子どもの時から本能に従って、手広く読ませとくに限るかなぁ~と思ったりします。まぁ、不良にさせるにはまさに永江さんが主張される手法が手っ取り早いのではないのかな?本書では不良としての読み方「ゴダール法」が紹介されています(笑)。斜め読みの究極法(爆)。訓練しなくてもバカバカ読んでいたらそうなりますって。という感想を持ってしまう私はやはり不良!?後半は「不良」から少しずつ話がずれていきますが、マニアックな読書人にはあるあるネタ満載です。タイトルをまじめに取り込むよりは、あるあるネタとして読むとめちゃ笑える本です。で、「あるある」と思えたらすでにあなたは「不良」です!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月10日
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医療の現場で3Dプリンタが使われ始めているのを報道で知ったのが、半年前くらい。そうこうしているうちに、これで拳銃を作成&実射して捕まった人がつい最近。それでも、この方は大学関係者だったので、まだまだ業界の方々のモノというイメージだったのですが、一般向けにすでに刊行されておりました『3Dプリンタがわかる本 』。一般向けと言ってもプリンタじゃなくて、解説本がと言うことですよ~(笑)。と思ってとりあえず図書館で借りて読んでみたら第3章には「家庭用3Dプリンタ」について書かれておりました。家電で売られているんだそうです。いや~、時代に取り残されているわ(汗)。本書は第1章では、このプリンタの基礎知識の説明。主に活用方法が掲載されています。私が驚愕した事例は生まれつき指がない息子に家庭用の3Dプリンタで義手を製作したもの。これはアメリカでのエピソードですが、ここまでこれが近くに存在しているのかという、驚愕。この父親がもともとパソコンに強い人なのか、エンジニアであり、さくさくと作り上げただけなのか、ど素人でも、トリセツ見ながらできるものなのか、そこまで言及されていませんでしたので分かりませんが、案外本当に身近なのかもしれません。第2章では3Dプリンタサービスを行っているオンラインサービスが列挙されています。主に画像を3Dの立体にしてくれるというものですが、子どもが描いた絵が模型になるというのは、子育て世代にはくすぐられるのではないでしょうか。ちなみに、前述した第3章。お安いものではなんと価格6万円台から。組み立てキットだと2万円台からあるそうです。お値段的にもめちゃ身近~。とは言え、うちにすぐにこれがやってくるとは到底思えませんが……。こんな記事を読んでいる方の中には、ほくそ笑んでいる人もたくさんいらっしゃるんだろうなぁ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月09日
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くやし~い!!!限定版を逃してしまいました『ピアノの森(24)』。「のだめ」もかなり限定版をゲトできて、CDやらDVDを視聴しながら漫画に浸ってたんですけどね~。ううっ、悔しい。でも、漫画だけでも十分な迫力。カイくんがオーケストラとピアノを奏でるなかで、照明が落ちてしまうのですが、それが逆に幸いしてカイくんが弾くピアノの森に審査員も聴衆も魅了されるという24巻。たった1冊で時間の流れは20分くらいなので、娘が「相変わらず進まないね~」と苦笑してましたが、スポーツ系の漫画なんか、5分が1冊だったりしますから、随分進んだとも言えます(笑)。しかも、スポーツはどちらかと言うと生ですと速さを要求するものが多いため、1冊5分だとコマ送りを見ている感覚になりますが、音楽は音楽そのものの時間にきちんとのっかているような気がします。それがスポーツ系と音楽系の違いなのかな?なんて、思ったりしました。巻末は次の意外な展開への序章。24巻のハッピーエンドで物語は終焉に向かうのかと思っていたんですけどね。でも、それでもいい方向に話は進んでいくような期待感もあり、次の1年後を楽しみに待ってたりします。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月08日
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昨日今日と同じネタでブックトークデイズ。お題は「森山京と説明文」(笑)。お題だけ見ると、とってもかけ離れているように思えるので、文科省刊行(爆)出版物を中心において、その物の「2つの秘密」として紹介してきました。森山京さんからは、『一さつのおくりもの 』でスタートしました。この作品のまず一つ目の秘密が隠されているのですが、ありがちなようでなかなかない発想だと思います。コアなファンなら知っていることなのかもしれませんが、なかなかこの秘密については目立っているけど、それ以上深追いはしないで流すという傾向ではないでしょうか。私はこの本ではなく、もう一方の方の詳細が知りたくてネット検索で追いかけていたら、この本にたどり着きました。「情報」をどのように使いこなすかといういい事例ではあるのですが、対象の子ども達が小さすぎてそこは封印。「読むと2度美味しい」という言葉でこの本の楽しさを伝えました。そして、森山作品を2点紹介。それからもう一つの秘密が『どうやってみをまもるのかな』。説明文として引き続き、以下の作品を紹介。そして、最後に『おらんうーたんのおうち』を読み聞かせ。物語作品と科学的読み物の両方を紹介すると、実は小さい子ども達ほど科学的読み物の方に喰らいついてきます。今回はそれがとっても顕著にあらわれました。「パンダの手には…」はどのシリーズでも盛り上がり(いや、のこり2冊は表紙を見せただけなのに)、「両生類…」の方もリアルな画で、見方によっては「気持ち悪い」という反応があっても良さそうなのですが、ブックトーク後の本の争奪戦と言ったら(笑)。発達段階においても、今日対象となった子ども達はまだまだ空想の世界よりは、目の前の身近な世界が全てですので、このような反応と言うのはとっても教科書通り。「動物さん」達が仲良く何かやっているという物語が子ども達は「好き」というのは大人の勝手な妄想に過ぎません。もしかして、本好きに意図的にさせようとしたら、小さい頃は福音館がだしているような「こどものかがく」シリーズを手渡してあげるほうが効果的なような気がします。来週は長くブックトークをしていますが、お題が初の試みとなるものです。むちゃぶりの担当者もさすがに、お題に煮詰まったようで、以前からやってみたかったお題を私の方から提示させていただきました。上手くいけばいいなぁ~。その報告はまた次週!!!!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月05日
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いや~、『美味しんぼ』「福島の真実」の内容が不適切だとか、事実に基づいていないとか物議を醸し出していますが、あの丁度最中には、正直気持ち的には「やれやれ」感が強くて、その取り上げられている箇所とか、そもそも新聞記事すら目にもしませんでした。なのにね~、『おにぎり通信(2)』と共にひょっこりたった1冊だけ表向きに展示されてあったのが『美味しんぼ(110) 』だったんですね。これ、買え!!!って神さま言ってる????うっかり買ってしまいましたよ。で、読んで思うところあり、でもね~、とりたてここで紹介するという気にもあまりなれなかったな~。これを読んで自分で考えたり、思ったりすることはありましたが、あまりにもメディアで取り上げられすぎていて、自分が改めて紹介しなくても、おそらく色んな意味で売れ行きはいいはず(苦笑)。でも、ようやく重い腰をあげて、ちょっくら思うところを書いてみることにしました。というのも、何だか、本日私似たような境地になってしまいましたもので(笑)。この作品がどうこうというのは、やはりないんです。書いてあることが事実か、どうかを白黒させることも私はないですし~。でもね、たった一つの作品を取りざたして、「風評被害」が出るとか「取り下げろ」というのはやっぱり違うと思うんですよ。『はだしのゲン』のことが昨年問題になりましたが、根源はまさにそれじゃないのかな~。これが事実かどうかは、読み手がどう捉えるかだろうし、これだけ読んでこれをう飲みしてしまう人もいるだろうし、これ以外の図書や情報を読みつくした上で、「事実だ」と判断する人も逆のことを唱える人もあるだろうし。そもそも原発の問題って、日本で報道されていることと、海外でされていること全くと言っていいほど逆だし。仮に海外で報道されていることが事実だとしたら、もうめっちゃ日本は隠蔽しているわけで、そうだったら、そっちの方が問題だし、海外の方が尾ひれをつけているなら、こんなたった1作品を糾弾している場合じゃなくて、もっと海外メディアに「お前達が報道している真のデータを見せろ!!!!」とかアナウンスして、日本の安全性を浸透させなきゃいけないし~。てか、この作品と似たようなことを書いてある本に対してはスルーしているのに、なぜこれが????という違和感。まぁ、人気作品だから影響力は大なので、それを畏れてという大人的な発想はよく分かりますけど。1冊叩いておいたら、まあ大丈夫?それでも、この作品はすでに110巻目。この部分だけ切り取って判断するんじゃなくて、110巻を全て読みながらその流れに対してこの部分がどうなのかという捉え方をするのが、筋じゃないのかなぁ~。部分を切り取って叩き潰そうとするのは、本に対する冒涜。私はそこに怒っています。というのも、先にも書いたように本日同じようなことがわが身に降りかかる!!!!まぁ、私は本を出しているわけでなくて、いわゆる選書の仕方というところに話はなるんですけど、ちょいっと気になる本があるから、その内容把握のため、それ提出して~って感じで通達を受けました。内容把握したかったら自分で書店に行ってちらっと読んでくればいいじゃんと思うわけ。それで、内容的に問題があるなら、「自分は読んでみて、ここが問題だと思うからちょいと本の配架やめとって~」と言われたら、私は素直にそうでっか~と言って配架をやめるでしょう。本のタイトルで勝手に妄想して検閲みたいな通達には少々いらっとしてしまいます。これも本に対する冒涜だわ。どの本が検閲にひっかかっているかは、秘密ですが(ってその中の一つもこれもまた『はだしのゲン』的なもの。やれやれ)、その1冊に綿矢りささんの新刊が入っていることだけは暴露いたしましょう(笑)。あのタイトルを見て「綿矢りさ」とピンとこないのにも唖然としますが、やはり今はネットでタイトル検索かけると画像と共にあらすじが出てくるのですから、その辺りは押さえてもらわないとこっちの手間が増えるだけです。だってね~、もうこの検閲にひっかかっている作品出払ってるんだもん(爆)。綿矢りさ作品は発注中のままだったかな?結局、検閲ってあの戦争時そうでしたが、大抵の場合、お上の都合が悪いことが書かれている場合にそうするわけであって、今回の「美味しんぼ」に関しても政府がコメント出してくる辺り、読まなくとも、「政府にとって都合の悪いことがかかれてある」という判断材料になってしまい、となると、作品の方が「事実」という公式が成り立つわけなのよね~。あぁ、これって作家海堂尊さんが自らのサイトで、本屋大賞をラインナップだけで大賞をあてるということをやっていましたが、その公式とほぼ一緒かも(笑)。と同時に、1冊つるし上げということは、この作品が国民の皆様に影響力がある作品ということを知らしめたわけで、他の巻の売り上げに貢献することになるのかな?(実際、私買っちゃったし~)メディアリテラシーが大事……なんて、現在では教育業界でも情報の授業が盛り込まれていますが、検閲されてたら、リテラシーもあったもんじゃない(反面教師にはなるのかな?)。自分で情報を選んでいくことできないじゃん(プンプン)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月04日
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木下明美氏HP内「KIMURAの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 6月2日の記事今回は小学館ノンフィクション大賞受賞作品『運命の子トリソミー』です。「読書ノート」では倫理的な話と生きていくことのつながりしか書く事ができませんでしたが、遺伝子そのものの、自然科学の根源的なことなど考えさせらえる内容でした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月03日
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3月に公開された『ケルベロスの肖像』を速攻で観に行ったのは、以前に報告しましたが、映画そのものはわくわく感でいっぱいで楽しかったのは事実です。ただ、この設定はどこから来たのか、脚本家のアレンジなのか色々想いが駆け巡っていたと言うのがありました。が、『輝天炎上』を読んで合点がいきました。ここから取ってたのね~。海堂作品は追いかけるように読んでいたのですが、一昨年末くらいから激務でかなり読書の手抜きが顕著になってて、海堂作品も後回しになっていました。これが良くなかった、私としては。これを先に読んでいたら、あの映画の脚本がとっても見事に脚色されていることをすぐに理解して、その場でもっとメロメロになっていたと思います。う~ん惜しい!!!!この作品(本書)の方はメインは医学生の天馬君。そもそもドラマにもなった「螺鈿迷宮」自体が天馬君で、医学生がどっぷり事件に巻き込まれるというのを、ドラマではグッチ、白鳥コンビにアレンジしていますので、その後というわけでこの作品が天馬君視点なのは承知のことと言ったらそうなのですが、いや~、天馬くんと彼を取り巻く友人・知人達。そしてグッチ&白鳥を取り巻く、そして東城医大のこれまでの人間関係、事件が何も解決されないまますべてがここにいたるまでの伏線だったということが分かります。海堂さんはどこからこの世界を構築していたのか、最初の「チームバチスタ」から出来上がっていたのか、その過程から見えてきたのか。桜宮市は関東から外れたところにある架空の地方都市のはずなのに、とてつもない大きさを最後の最後になって見せつけ、実在するかのような巨大都市になってしまったような気がします。あ~、これで本当に桜宮市とお別れなのかしら、ぐすん。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年06月02日
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さてさて、記事が消えてしまい脱力してしまった『「ひとりっ子」の育て方』を再び書き書き。我が家の一粒種ももう高校3年生なので、今更ですが、やはりどこか気になるんでしょうね、このような本を未だに読んでしまうというのは。しかし、自分自身は長子長女のため、その関連本は読みますし、夫はまた違った兄弟関係をもっていますので、それに関連した本を読んでいます。と言うことは、なんてことはない、たまたまわが子はひとりだったので、読む本の選択が増えたということなのかもしれません。和田秀樹さんは「受験は要領」とか「数学は暗記」、「まずは学力」というスパっとしたタイトルのために、様々な論議を醸し出しているようですが、私はかなり共感できる部分が多いので、著書はかなり読んでいるほうだと思います。その和田さんがこの度「ひとりっ子」本を刊行されたので、もちろん手に取りました。これまでに出ている「ひとりっ子」本と重なる部分も多かったのですが、それでも開眼した項目があります。その一つが、「きょうだいがいれば人間関係の経験知があがるだろう」というのは、勝手な思い込みです。(p45)というもの。人間関係とはいわゆるコミュニケーション力とも置き換えられるのですが、これは「他人に話す能力」だと著者は言っています。だとすれば、それは兄弟である必要はなく、親でも十分に対応できますし、相手に話をするということは、相手が聴いてくれなくては話はできないということを考えると、子どもの話をじっくり聴くことができるのは、「兄弟」ではなくて「親」の方が適していると論じています。そうそう、鷲田センセーも「聴く力」の方が大切で、話すことを受容される経験があってこそはじめて「話す能力が高まる」ということが彼の著書でも書かれていましたっけ。子どもの話を楽しく聴けるのは確かに親。そして、それはひとりっ子であろうと、兄弟がいようと関係のないものです。そういえば、本書では触れてないですが、よく兄弟関係があるほうが、子ども同士で遊ぶ経験ができるということもよく聞きますが、その場合、兄弟関係があると「兄弟がいない経験」はまず出来ません(長子は一時期それは経験できますが)。兄弟がいるかいないかは、経験値からいうと表裏一体でどちらが経験値が高いかというのは一概にいえないと改めて感じています。和田秀樹さんも、経験値は兄弟の有無よりも家庭のあり方だとおっしゃています。もう一つ、面白い項目がありました。それは国の「ひとりっ子」政策についての話題。中国の「ひとりっ子」政策は有名ですが、日本が一時期真似しようと奮闘していたフィンランド教育の国、フィンランド(っていう言い回しは変だなぁ~)。こちらは中国とは逆で、少子化で人口減のために行われた「ひとりっ子」政策(「ひとりっ子」政策とは全く謳っていませんが)。文章を引用します。フィンランドでは、昔から少子化が問題となっていて、人口減が真剣に危惧される事態になっていますそこで、人口が減っていくならばひとりあたりの生産性を上げていくしかないとして、子どもの教育レベルを引き上げる方向に動いたのです。義務教育の1クラスの平均人数は18人。この数ならば、教師が生徒それぞれの特性を理解し、その子に合った指導ができます。いわば、教師と生徒が、ひとりっ子とそのお母さんと尾案じような密接な関係を築くことによって、おちこぼれを作らない教育を実施したのです。その結果、国際学力比較調査で安定的に上位を占めるようになり、小人口国ながら、IT産業などで国力を維持し続けています。(p152)これが事実であれば、フィンランド教育技術ばかりを追いかけてもどうしようもないということですよね。まず根底には「生産性を上げる」という意識。「生産性」と言う言葉だと、子どもが「物」みたで、いいイメージではありませんが、教育の質を上げて、将来子ども達がきちんとした働きをし、対価を得ることができ、それが「税金」として納められるなら……、しかも、この子ども達の多くが成功して「税金」も高額になるなら、とりあえずたくさんの子どもの数を増やして、それが大人になっても確かな学力を持たず、就職できず、「年金」どころか「税金」も納めることのできなくなるよりは、将来的には少子化でも国そのものは豊かになるのではないかと思うんですけどね~。「税金」を納められない人が増えるということは、言葉は悪いですが、「不良債権」が増幅するだけということです。日本の戦前のような「産めよ、増やせよ」であれば、技術を真似てもそれは似て異なるものということが分かります。フィンランドは人口がそもそも日本よりも少ないから、たくさんの教師を投入することが可能だという意見もありますが、そのような物理的な話ではなくて、根本的な意識が異なるということ、今の日本のお役人にお伝えしたいところであります。本書はそれ以外にも「コミュ力」よりも「学力」という話ももちろん出てきます。確かに、コミュニケーションとは「話す力」ですので、「話す」には「語彙力」が必要となってきます。それは「知識」であり、「学び」の中から生まれてきます。「学力」って教科のみを勉強するイメージがありますが、それも含めて全てのことが「学力」であり、科目をきちんとこなしていくことがその幹がしっかりしていないと、その枝葉が伸びてこないということなんだと思います。 にほんブログ村
2014年06月01日
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