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昨日でようやく仕事納めな私。これから5日間のお休み……だったはずなのですが、元旦から来客が入り、肉体を休めることなく仕事始めに入りそうな予感。そんなわけで、この「徒然」年内は本日で。年明けは4日から再開します。で、最後の話題がまさか『天声人語』になるとは、私自身驚きです。私が受け持っている塾生の一人がとある私立高校を専願で受験することが決まりました。そこの高校は毎年国語の入試問題に「天声人語」を取り上げます。で、その塾生、なんと「天声人語」を知らなかった!いや、これ自体はとかく驚きません。「天声人語」って何?と聞かれたので、新聞の第1面の下の方に記者がその日の出来事を様々な著書や他の事項から思いを巡らせながら書いたもの。朝日新聞のそのコラム欄が「天声人語」で、読売新聞なら「編集手帳」、京都新聞なら「梵語」。名前は違うけど、ほぼ同じもの。と答えかけたら、「新聞取っていないから分からない」と言い始めました。思わず「取ってないの?」と問い返したら、「誰も読まないから」だそうで。実際に新聞を取らない家庭が増えてきたとは知識として知っていたもののこんな身近に……。慌てて、塾長に新聞を借りて第1面を見せたのですが、きょとんとした顔。塾生「で、これはどういう意味があるの」と問う。「天声人語」に意味を問うのか~~と絶句。その後も多大なるコミュニケーションをとった結果、「天声人語」ではどのような問題が出るのかということだったらしいのですが、もうそうなったら、「とりあえず、過去問を解いたら分かる」としか。どこまで受け身なんだかね~。決して悪い子ではないのだけど。昨年度中3生の中にもここの高校を受けた生徒がいますが、さすがに「天声人語」の存在くらいは分かっていたし、小論文対策をした生徒も、全く文章が書けない生徒だったにも関わらず、「天声人語」の意味は問われなかったぞ。更にこの生徒は「天声人語」の存在は知らなくても、新聞の第1面の下にあるというと、イメージだけは掴めていたし。いやはや、1年ごとが1つの時代のプレートになっていて、前の年の常識が使えないということをしみじみ感じたのでした。(赤木かん子さんは10年が1つのプレートとおっしゃってますが、もっと時代のプレートは短いわ)年内、国語に関しては過去問をせず、基礎固めに終始していましたが、年明けからの過去問対策。まだまだ、私が想像を絶するような発言が飛び出す予感。ふんどしを締めなおして頑張りましょう。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月30日
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今日で塾の冬期講習年内は終了。ようやく仕事納めという感じです。小学部ではこの時期世界の昔話の読み聞かせをやっているということは書いてますが、前に紹介した「世界のなぞかけ」は大きい学年。小さい学年には少し短めの昔話を普通に読み聞かせしています。その一冊が『3びきのくま』。言わずとしれたロシアの昔話ですが、この工藤有為子さんの文章は、舞台を北海道にアレンジしています。そして、熊たちが発する言葉はアイヌ語。昨日の「徒然」から偶然にもつながっております。昔話を再話という形でなくこのようにアレンジしてしまうのは、本来は異論があるかと思います。でも、今回はもしかしたらありえるのかなと思いました。実際にこの昔話がアイヌ民族にも似たような形で伝えられているかというと、それはよく分からないのですがアイヌ民族の方々は北海道を中心に住んでいるとは言え、更に樺太、国後など広く住んでいました。今でこそ、ロシア領となっていますが、それもこれも戦争がきっかけだったとはいえ、ロシアがお隣の国だったから。そして、その気候や風土はロシアと一緒。深い森に生活している熊たちは安易に想像できます。ここまでが、ロシア民族。ここからがアイヌ民族と線引きできないグレーゾーンがこの辺りにはあって、昔話や文化が混ざりあっていてもなんらおかしくないのかなぁと思うわけです。もちろん、私は専門家ではないので、それは安易な発想とお叱りをうけるかもしれませんが。しかし、このような作品が生み出されている限り、作者や画家のあべ弘士の中にもそのような思いがあったのではないでしょうか。この昔話で語られる深い森のくまがアイヌ語を発していてもなんら違和感を抱きません。ロシアの風土が案外近いところにあるということに気づかせてくれる1冊にもなります。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月29日
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本が増殖してどうにもならなくなるので基本本は図書館で購入してもらうのですが、本屋さんを巡っていて目に留まり気が付いたらレジでお金を払っていたのが『アイヌの世界を旅する』。アイヌ民族の存在に気が付いたのは、私が小学生の時。それ以来、私の中では何かがくすぶり続けています。そして、それが事あるごとに顔を出し、揺さぶりをかけてきます。その度に丁度目の前にあった本を手にしてしまいます。で、ある程度知っていると思って本を目にするわけですが、案外というか、何にも知らないということに付きつけられるのです。まぁ私にとってはよくあることですが。今回も、あれまぁという感じ。北海道お呼び北東北にかつてはアイヌ民族の人々が住まわっていたということは「知っていました」。なにせ、その地名がアイヌ語で呼ばれている箇所もありますし、北海道に至ってはほぼそれで占められます。でも、なぜか現在アイヌの方々が住んでいるのは、平取と阿寒湖周辺という認識にごりごりと凝り固まっておりました。なんででしょうね。ステレオタイプすぎます。本書ではまずそのことを氷塊してくれました。道北にも道南にも今でもアイヌの人々は息づいていて、しかし、道東とは異なった文化を形成しているということがここでは丁寧に記されています。そして、北海道各地にあるアイヌの文化財が展示されている施設の紹介も加えられています。そして、教科書には載っていない歴史として、時代の区切りがアイヌの文化にもあり、それは日本(和人)との区切りと異なることも判明。本書によると、日本が縄文文化を形成している時は、北海道もそれと同様なのですが、日本の西側が弥生文化が形成されるようになるとここで文化が分かれていきます。(東北地方もまた独自の文化を一部形成しているのですが、そこは固い)それが続縄文文化。いわゆる日本という組が古墳文化を迎えると、北海道は続縄文文化と共にオホーツク文化が生まれてきます。そして、奈良・平安時代には、オホーツク文化と擦文文化。鎌倉・室町時代は擦文文化。江戸時代以降はアイヌ文化期というのが本書でのアイヌ民族の歴史年表となっています。言われてみればごもっともで、何分にも日本は縦に長い!この情報化社会の波に飲み込まれた現在でも、私が住まう京都と北海道では気候が雲泥の差。実際に住んでみるとよくわかりますが、温暖気候で育った私からすれば、北東北の気候は「ここは日本か!?」と思わせるほどのものでした。暖房器具という文明の利器が揃った今でもそう思うのですから、今から2000年前って都のあった京都と北国をまとめてしまっていた方が暴挙だったと、本書を見て知ったわけです。本書はムック本ですので、画像もとてもきれいです。もともと、旅の本としてゆるく作られたのかもしれませんが、意外にもがっつりアイヌ民族について学べる本となっています。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月28日
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私の図書関係の職場の多くの本は、対象年齢YA以下です。しかし、時々明らかにYA以上の本が紛れております。その中の1冊が『まちの幸福論』。著者がどこかで見た人だなぁ~と思っておりましたが、『日本のカタチ2050』の共著のお一人でいらっしゃいました。著者の山崎氏は本来は建築肌なのですが、学生時代に「モノ」を形づくることに違和感を抱くようになり、恩師などの助言から今の「コミュニティデザイン」を生業にするようになったそうです。この辺りの経緯が本書の前半で細かく書かれています。では、この仕事はどのように行われるのかというと、著者自身がコミュニティという場所をデザインするのではなく、あくまでも主体はそこに住まう人たち。その人たちが自分が住まう場所をどのようにしていきたいのかということをサポートしていくのが彼の仕事ということになります。その事例として東北大学の学生を中心として被災した自分たちの土地をどのように変えていくかというワークショップが取り上げられています。これはNHK「東北発☆未来塾」の番組の一つだったようです。ここで、いや本書全般でも彼は、被災したから「孤独になったのか」、「繋がりが分断されたのか」と問いかけています。震災でそれが顕著に見えるようになっただけで、それ以前からずっと日本ではそのようになっていたと語っています。「震災」という理由を加えてしまうのではなく、そのような現象が以前からあったことをきちんと把握した上で、今後の自分たちの「まち」をどうしていきたいのかということを考えてほしいと投げかけています。そこからこのワークショップが展開されるわけですが、彼の学生への突っ込みはすごい。世間一般的に語られていることに対しては容赦なく、「否」と伝えています。実際にここに住んでいる人でしか考えられない、ステレオタイプでないものを引き出そうとするその情熱は熱いを超えるものを感じました。学生たちも夜を徹して考え、思考をフル回転しています。最初は既成の枠から抜け出せない学生も、徐々にそこから外れていきます。と言っても、まだまだ知識や体験が大人よりも少ない彼ら。机上の空論で終わらせないように、足りない部分はすでに実践している地域に行って現地調査をして、自分の土地に持ち帰りアレンジしていく……その過程がページ数に限りがあるとは言え、読み手に十分に熱意が伝わってきます。そして、本書の最後に著者は「コミュニティデザイン」の仕事は生活者の幸福だと締めくくっています。自分たちの住む場所の将来像、それは決して悲観的なものではなく、幸福になるための道しるべであるということ、それが前書につながっていたのだということ、これ、順番を逆にして読んだらもっと納得できたかなぁ~とちょっとだけ残念な気持ち。でも、こうして立て続けで読めたのは、やはり意味があったということなのだと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月27日
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今日も昨日に引き続き、「世界のなぞかけ昔話」シリーズから子どもたちになぞなぞを出したのですが、昨日と一転して、当てられまくり。あまりにも瞬時で答えたので、2つ読み聞かせしたんですけどね。そのうちの1つを紹介。今日も第1シリーズより。エチオピアの昔話です。むかし、おとうさんと3人のむすこがいました。おとうさんは年老いて病気になり、もう自分の命も長くないと思ったので、3人のむすこを部屋によびました。「この家と農場を、3つにわけるのはむずかしい。 そこでおまえたちのうち、いちばんかしこいものに、すべてをゆずりたい。 テーブルの上に金貨が3枚ある。 ひとり金貨1枚で何かを買ってきて、この部屋をいっぱいにしてみせたものに、家と農場をあたえよう」1番上のむすこは、すぐさま市場へでかけ、荷車いっぱいのわらを買ってきました。2番めのむすこは、しばらく考えて~市場へでかけ、ふくろにつまった羽毛を買ってきました。末むすこは、考えたあげく、小さな店へでかけました。そして、2つの小さなものを買い、ポケットにいれて帰ってきました。その夜、おとうさんは3人をよび、買ってきたものをみせるようにいいました。1番上のむすこは、床に藁を広げてみせました。でも部屋のひとすみがうまっただけでした。2番めのむすこは、ふくろをふって羽毛を広げました。でも部屋の半分がなんとかうまっただけでした。さいごに末むすこがにっこりわらって、ポケットから2つの小さなものを取り出しました。やがて部屋は、あるものでいっぱいになりました。「よろしい。 おまえだけが、部屋をいっぱいにすることができた。 いちばんかしこいおまえに、この家と農場をぜんぶゆずるとしよう」末むすこは何を買ってきたんだろう?どうやって部屋をいっぱいにしたのかな?(p33)今回も国語的な問題をチョイスしています。答えは、この記事の最後に記しておきます。どうぞ、みなさんも少し考えてみてください。このように、世界の昔話を読んでいくと、今とかなり当時(何百年、何千年前)の様相が異なることが分かります。その典型がアフリカの昔話で、今は砂漠化した場所が多くなっていますが、昔話が語られている時代は、アフリカも肥沃な土地で緑が青々としている情景が語られていることが多いです。実際このエチオピアの昔話も「農場」が話題になっています。今のアフリカの現状を知るには、このような昔話から掘り下げると案外近道なのかもしれません。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)昔話の答え ↓ ↓ ↓ ↓ ↓昔話の答え。末むすこが買ってきたのは、マッチとろうそく。明かりで部屋をいっぱいにした、というわけさ。(p34)
2014年12月26日
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本日より塾の冬期講習が始まりました。小学部での読み聞かせ、この時期は世界の昔話。しかし、小5のクラスはつぶがいい意味でも悪い意味でも揃っているので(笑)、今回はただ読み聞かせをするのではなく、頭をひねってもらうことにしました。5日間ともお世話になる本は「世界のなぞかけ昔話」シリーズ。今日は第1シリーズより、アルメニアの昔話のなぞかけを取り上げました。短いので全文引用します。むかしあるところに夫のおかあさんといっしょにクラスおよめさんがいました。およめさんは、ヒヨコマメが大こうぶつで、台所にあったヒヨコマメを毎日すこしずつちょろまかしては、こそっりと炒って食べていました。ふくろのなかのヒヨコマメは、いつもまにか半分になってしまい、それを知ったおかあさんは腹をたてていいました。「どろぼうは、よめにちがいない。この家で、よそものはよめだけだからね」おかあさんはかしこい人でしたが、若いおよめさんも負けずおとらずかしこかったので、すぐに自分がうたがわれていることに気づきました。あるひ、およめさんが、おかあさんといっしょに家のそうじをしていると、ゆかにヒヨコマメが1つぶおちていました。そこでおよめさんは、ヒヨコマメをひろいあげ、たったひとこといっただけで、自分がぬすんだのではないと思わせることに成功しました。さて、なんといったのかな?(p21)国語的な問題をチョイスしています。言い回しの問題です。これを言われると確かにぬすんだのではないとうっかり思ってしまいます。答えは、この記事の最後に記しておきます。どうぞ、みなさんも少し考えてみてください。子どもたちは、理由が分からずうっかりと正当を言い当てました。だけど、偶然だったので、理由を少し考えさせました。=====他に今日は百人一首についてのレクチャー。この時期になると、子どもたちから塾の時間内に百人一首大会の声があがってきます。ただ、やるだけだと塾的には弱いので、今年は第1~10番まで覚えてもらうことに。全員が合格できたら、百人一首をすることにしました。そして、授業では第1~10番までの意味や鑑賞や歴史的背景を人物ごとにレクチャーしているところです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)昔話の答え ↓ ↓ ↓ ↓ ↓昔話の答え。「これ何かしら?」ヒヨコマメがどんなものか知らなければ、ぬすめるわけがないからね。(p22)
2014年12月25日
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連日、来客が多くて「徒然」の更新ができません(涙)。明日から再開しますので、今しばらくお待ちください!!!! にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月24日
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木下明美氏HP内「kimuraの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 12月20日の記事)本年最後の読書ノートは『日本のカタチ2050 「こうなったらいい未来」の描き方』こちらは予測するものではなく、35年後の日本をみんなが生活しやすくなっているには、どのような思考を持ち、どのように行動すればいいかということ、そのグランドデザインの描き方が書かれています。偶然にも本書の共著のお一人の本が今手元にやってきていて、びっくり。また、今年中に紹介します!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月21日
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占いをめちゃくちゃ信じるかというと、かなり怪しいのですが、それでも石井ゆかりさんが語る少し先の未来は私の指南書のようになっています。いつも「筋トレ」というサイトは覗いているのですが、先月「3年の星占い」というシリーズが刊行され、思わず購入してしまいました。しかも、価格が抑えられていたため、家族分ウハウハしながら購入したら、娘から「興味ない」とあえなく撃沈。しかも、「無駄遣い」と諭された上、「これ3つの値段で、トリンドル玲奈の写真集が買えたのに~」とトリンドル玲奈さんに負けてしまった星占い。娘も夫もこのようなものに非常にクールなのを忘れておりました。そんなこんなでこの3冊は私の布団に持ちこんで、ひとりで3人分を読んで幸せに浸っております。いいんです。書籍って所詮個人で楽しむものです。それを忘れていた私がいけないんで~す。ちなみに、本書によるとこれまで密かに培っていたものが芽を出すのが来年後半なのだそうで、それを期待して私は精進します!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月19日
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高倉健さんが亡くなって1か月余り。ファンですかと問われたら、そのようなことを意識したことがなかったので「NO」なのですが、それでも大御所が亡くなったという意味においては、意識せざるを得ません。亡くなってから、ふと思い出したのが彼が児童書をかつて刊行していたなぁということ。職場をあさってみたらありました『南極のペンギン』。誤解していたことが一つ。健さん、この本で物語を書いていたと思いこんでいたのですが、エッセイでした。主に海外での撮影先で出会った人々のことを淡々と記しています。一つの見出しに対してページ数は3,4ページ。しかも児童書ですから、1ページあたりの文字数も少ないです。しかし、そこに健さんのお人柄が散りばめられているというのか、本当に朴とつな方だったんだろうなと思える文章になっています。「不器用ですから……」という言葉が彼の訃報と共に何度もアナウンスされていましたが、本書でも「不器用」な雰囲気を醸し出しながらも、出会った人々のことを真摯に向き合いながら綴られているのが印象的です。また、この短い随筆の中では、撮影の過酷さもあらわされています。表題にもなっている「南極のペンギン」では、南極大陸で遭難しかけた話の方がメインのようにも思えました。これが1つや2つじゃないんですよ、過酷な話が。体をはって俳優業をされていたんだなと思いました。休む間があったのでしょうか。高倉健さんの後を追うかのように、同じ時代を築かれた菅原文太さんも亡くなられました。彼らが亡くなったということそのものよりも、そのような方が亡くなるのを耳にして何か感じてしまう年齢に私もなったんだなぁということに気が付かされました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月18日
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今年もAクラスになんとか潜りこんで個人的には満足しておりますカープ。で、何故だかここ最近カープ本に目覚めてしまい幾つか乱食い。その1冊が『カープ・ストーリー』。一昨年のシーズン、16年ぶりのAクラス入りをした時のカープの状況を伝えたものです。更にその前のシーズン、3位にいたのに、最後の最後になってひっくり返されBクラスだった悔しさからの出発。そこからAクラス入りの種まきが始まるそこから細かく書かれています。……にしても、著者もそうですが、カープファンて高望みをしてないのが、いいんだか、悪いんだか。地元にいてくれればそれだけでいいんですよね。(私は地元から離れていますが)いちばん本書で印象的だったのは、クライマックスシリーズが甲子園で行われた時のアルプススタンドの描写。あれは、私もテレビの映像や新聞の写真でみましたが、応援席が真っ赤。その時々の試合シーンよりもやはりファン一体となっているそこに、カープが包まれているというのが何よりもカープのすべてを象徴していると感じました。その後の東京ドームも然り。今シーズンは3位になったもの、燃え上がることなくあえなく敗退してしまいましたが、メジャーにいった黒田選手も活躍できる状態のままカープに戻ってきて有終の美を飾りたいとメディアを通して伝えていますし、来シーズンはこれまで以上のドラマを見せてくれるのではないかなぁと思うわけです。そして、本書以上の物語が綴られた著書が生まれるのではとも期待するわけです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月17日
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赤木かん子さんの講演内容のほとんどが盛り込まれた『先生のための百科事典ノート』。講演時に赤木かん子さんは、「メモを取らないで聞いて!今からする話は本に書かれてあるから、それ買えば済む」とおっしゃったんですね。普段は、職業病ごとくメモをしていたのですが、あえて鉛筆を手から離してじっくりと聞いてみました。それは「自分の本が売れる」というジョークもあったのでしょうが、なるほど、活字になっているものをやまとことばで語られるのを聴いて、再度この本を読むと、かなりしっくりくるものがありました。今回指摘されなければ、口語がどれだけ熟語抜きで話されているか、そして熟語をどのようにかみ砕いて分かりやすく伝えるのか、考えが及ばなかったと思います。そして、本書。私自身、幼いころからリアル系と空想系両方とも読む人で、物語をよみつつ、かたや家にある百科事典や図鑑をかたっぱしから読んでいました。しかし、百科事典の構成やら効用などはさらさら考えたこともなく。身近に接していたものでもこんなに知らなかったのか~と。とあるものを調べるときはまず、百科事典を手にすることが謎を解くためのいちばん近道だと赤木さんは最初に語っています。それは、項目のいちばん最初の一文が、その項目の定義になっているからなのだそうです。、実際に講演会でも簡単なワークショップをしたのですが、そこでは、それを確認するものでした。定義されたもの以下がそれに関する簡潔な説明。実際に調べたい項目をより詳細にそこから見つけ出すことが可能となるのが、定義以下ということになります。また、定義以下は自分が知っている知識が正しいかという確認作業にもなると赤木さんはここで伝えていますし、最後は新しい知識を得るのもこの定義以下。ここで詳細な項目に検討をつけると、他の関連図書にも手を広げやすい。ここまででわずか4ページなのですが(ちなみに、1ページ17行しか本文ありません)、もう目から鱗でした。興味深い点といえば、百科事典の歴史についてもふれられていることでしょうか。後半は報告書の書き方に内容が移ってくるのですが、この2点だけでもこの本の価値は高いというもの。いかに自分に知識がなかったか!?タイトルには「先生」とありますが、とりわけ「先生」限定じゃなくても十分に機能する本です。百科事典を見直すきっかけになりました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月16日
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という訳で、昨日の続き。赤木かん子さんのお話を聴講したわけですが、演題は「報告書のかきかた」。いわゆる「調べ学習」の際の書き方をどのようにして大人は子どもたちに指導していくかという話でした。彼女が言うには、今の学校教育では、報告書だけじゃなく、読書感想文や作文など、いわゆる「書く」という課題において、そのノウハウを子どもたちに伝えないで、いきなり「書け」と原稿用紙を渡している。このことは、ナンセンスであるということでした。それはもっともな話なのですが、このことは学校側だけの問題ではなく、大人も子どもたちに対して、何も教えてないままに「書け」ということを言っています。私は小論文も教えていますが、原稿用紙の使い方はまぁできる子はできていますが、このできている子さえ、何を書いたらいいか分からないと最初とまどいます。なので、懇切丁寧に一から教えるわけですが、調べ学習が学習指導要領から明記されるようになって10以上の経過を得ますが、やはりこの部分というのは、抜け落ちていて、それだけでなく、これらを学んできたという積み上げもないので、右往左往です。しかし、ノウハウを教えると最初1行しか書けなかった子が入試前には800字程度は小論文として呈を成すほどになります。マニュアル化するとオリジナリティーがなくなるという意見もありますが、基本がなくて、オリジナリティーはかけません。そのような基本に立ち返ることにできる話でした。また、「人から聞く」ということは「本を読む」より分かりやすいかという説明。話し言葉はやまとことばなので、そのまま理解できると。それに対して熟語などは、漢字熟語といえども中国からの輸入品。漢語を一度やまとことばなに変換して思考させるという作業があります。そのため、伝わりにくいという話。ここから、この漢字二字熟語が明治以後作られたという話に移行していきます。ここでは西周や森鴎外、夏目漱石などの話がでてきて、これぞ私が日々塾生に伝えている話とぴったんこ。かなり嬉しくなりました。音読みよりも訓読みとはこのことです。熟語は分解すれば理解できる!また、文科省が作成している教科書への批判もありました。私も一時これについて批判したことあるのですが、関係者から「教科書はその専門の方が知恵をしぼって作成しているので、そこに意図があるから間違っていない」という類のことをおっしゃいました。が、今は全国の学校図書館に行脚されている赤木さんですが、深く入り込んでいない人がこのようにおっしゃるのだから、教科書が全て正しいとは言えないということを身をもってしってしまいました。赤木さんは全国各地の学校に赴いた時には、実験的なこともされるていますが(子どもたちを継続的においかけたり)、そこで出会った子どもたちの傾向などをきちんとひも解きながら、お話されていました。横に並んだ時はすごく小さい人なのですが、人前にでると肥大化するくらい大きく見えるかたです。今の仕事に情熱をかけていらしゃることが分かりました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです
2014年12月15日
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本日、私の仕事上のバイブルを執筆され、更にあちこちの教育現場に赴いて実践されている赤木かん子さんの講演を聴講してきました!一度お目にかかりたかった~。もうそれだけで心ウキウキ、お目目キラキラですぅ。が、本日はちとこれからもバタバタしますので、その内容についてはまた明日。今日はこちらを購入して、赤木さんにサインをいただきました~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月14日
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本日の……ってほどではないのですが、職場から借りてきてずーーーっと我が家で眠っておりました『くまさんはおなかがすいています』。私このようなほんわかしたタッチの絵好きです。なので、思わず家に持ち帰ったのもその理由。見返しから素敵です。淡いタッチのくまさんの穴ぐらと木漏れ日。絵本全体から優しさが溢れ出ています。くまさんが冬眠から目覚めたところから物語は始まります。長い眠りから覚めたくまさんはおなかがぺっこぺこ。あたりの草をぺろり。そうすると地面はまるはだか。でも、まだくまは、おなかがすいています。続いてはいちご。でも、まだくまは、おなかがすいています。こうして同じフレーズが繰り返されながら、くまさんはどんどん食べていきます。そして食べるごとにお友達が増えていきます。で、こんなにほんわかした絵と物語なのに、しっかりとオチがあるのです。ウイットにとんでいるってこのようなことを言うのではないでしょうか。このオチはぜひ自分も目でご確認ください。海外作品ならではかなと思います♪にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月13日
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私の中では書評家なのですが、本人がその肩書は違うということなので、とりあえず、私の好きなフリーライターのお一人、永江朗さんの『消える本、残る本』を読了。タイトルにははっきり「消える本」と書いているのですが、中の書評はじっくり読まないとどれが「消える本」なのかさっぱりです(笑)。上手くオブラートに包んであるんですね。でも、ただ「消える」というのではなく、そこに丁寧に理由が盛り込まれてあります。当然と言えば当然なのですが、その理由すら褒めているのか、皮肉っているのか敏感にアンテナを立てなくてはなりません。それがかえって上手い!私なんて単細胞だから、こんな時ははっきりと否定的なフレーズを書いてしまいます。文章を書く参考になります。と、お勉強的な話はここまでとして、実際に幾つかの本の紹介でははっと気が付かされものがあります。その本の作者や著者がそこまで思っているかはともかくとして、そのように考えるとかなりすっきりと腑に落ちるものがいくつかありました。例えば、大平光代さんの『だから、あなたも生きぬいて』。これは漢字にルビがふっていますが、私はルビがふってあると「子どもたちにも読んで欲しい」もしくは「子どもたちも読める」、つまり対象が児童以上というふうに思っていました。しかし、永江さんはこのように書いています。いまドロップアウトの底の底にいる不良少年、非行少女たちの多くは、小学校卒業程度の読み書きもできない。その彼らに読んでもらうためには、しつこいほどのルビが必要なのだ。(p108)なるほどなぁと思います。大平氏のその後、その前後メディアで見受けられる様子からして、自分のことを美談にするとか、それでのし上がるとかそんなものではないと感じていましたが、この著書を上梓したのもかつての自分と同じ立場にいる人たちにメッセージを届けたいという思いがいちばんだったのだとようやく気が付きました。おそらく、私のような凡人には読んでもらおうとは思っていなかった……。ただ、あいにくというか皮肉なもので、彼女が願う(いや、永江氏が推測する)対象にはこのようにベストセラーになればなるほど、手に届かなくなるような気がするんですよね、もっと深読みしてしまうと。難しい課題だと思います。私が共感したものは、「シンプルライフ」推奨本。明らかに、これは永江氏皮肉っております。想像するにおそらく「消える本」でありましょう。「シンプルライフ」って結局のところ庶民にはできないんですよ。本書でも指摘していますが、自宅に何もなくても一歩外にでれば、おしゃれなカフェがあったり、質のいいブティック(っていう言葉はもう死語か!?)があったり、これらのインフラがそろっていて、かつこれらを使えるような経済力がないと。これらの本からにじみ出てくるのは、自分は富裕層にいるという嫌味汁。……と私が書くとあからさまなのですが、永江さんはこれを上手く言いまわしております。そんなところを本書は楽しんでいただけたらと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月12日
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早いものですね~。ブックトークに関しては本日が仕事納め。お題が最後に相応しく(?)「昔話と言い伝え」。「言い伝え」って昔話じゃないかと思われるでしょ。出題者の意図としては半分正解で半分は不正解。昔話とは別で「日本語の言い回し」として昔から伝わっている言葉。たとえば、「春の七草の覚え方」とか「30日以下の月の数え方」とか。これをブックトークにするんですから、今回は最後にして難問奇問でした。そこで、このお題をお正月に絡めて構成してみました。以下に列挙します。ブックトークといいながら、今日は本文を読むことが多かったな~。「いろはうた」を紙に書いてみんなで音読したり。来年はどんなお題が待っているでしょうか。わくわく♪にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月11日
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今年も残りわずか。ブックトーク依頼も今年は今日、明日で最後です。そんな最後になって久しぶりに難関なお題がやってきました。今日のお題は「森山京とクリスマス」。語呂はいいんですけどね。森山京さんの作品の中からクリスマスバージョンだけピックアップすればいいようなものですが、そもそも彼女の作品がブックトークをする程の数があるのか?そして、私が勤務する場所にそれだけのものが用意されているのか、甚だ疑問。そんなわけで、彼女の作品の中からクリスマスにかかわる者を2点。そこから派生して広く大きくクリスマスを取り上げていました。扱った作品は以下に!この流れは緩急がついてて案外気に行っています。最初の作品はタイトルでクイズ大会もしてみました。さて、明日は有終の美で終えることができるでしょうか。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです
2014年12月10日
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上橋菜穂子さんのエッセイ『明日は、いずこの空の下』を読了。様々な土地の民族研究が土壌となって書かれているファンタジーとは全く一線を画するおとぼけたエッセイでした。いや、これらの旅が間違いなく彼女の根幹を流れているのは分かるのです。しかし、研究者とはかけ離れたその言動にすっかりイメージが崩れ落ち、肩の力が抜けてゆるく読むことができました。そもそも、世界をまたにかける民俗学者でありながら、超方向音痴で、しかも英語がかなりの苦手だったとか。苦手だからこそ多言語を話そうとせず、英語圏一点勝負だったので、オーストラリアをメインにしたとか。そんな話がつらつらと書かれています。旅の話は彼女が高校生の時から始まるのですが、彼女の母校が香蘭女学院だということにも個人的にはびっくり仰天。私かつてこの沿線に住んでおりまして、学校が車窓から見えていたのですが、田舎育ちの私としては、なんて高貴な名前の学校だこととうっとりしたものでした。そして、その電車にはこの学校の生徒さんが乗っているわけですが、どこをとっても校名のイメージにぴったりのお嬢様方。東京のすごさを見せつけられたといいましょうか、自分のこれまで全く知らなかった世界が開けたといいましょうか、そんな学校の卒業生だったということにもう、私は眩暈を感じました。そして、旅を通してこの学校の生活についても書かれているのですが、それは田舎の公立とは似ても似つかないハイソサイティーな世界が繰り広げられていることに、うっとりもするのです。そんな彼女が綴るファンタジーの世界、エッセイはしっちゃかめっちゃかですが、なるほどと思ってしまうわけです。彼女のギャップがかなり魅力的なこのエッセイ。恐らくファンの方はすでに既読だとは思いますが、まだのかたは是非!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月09日
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刊行がちと古いのですが、都内の本屋さん巡りの参考になるかと思われる本『ブックショップはワンダーランド』。著者の永江さんとその書店のスタッフさんとの対話集。書店さんのマニアな部分が見えたり、その書店の特徴が語られたり。実際に足を運んでも案外見落としている部分が二人を通して見えてきます。それぞれの対話の最後には書店さん側が推している本も列挙してあり、そうなるとここで扱われている書店がそれぞれ同じ本屋さんとは思えないことが明らかになります。私自身は東京に住んでいた頃足しげく通っていた本屋さんばかりで懐かしく感じながら読みましたが、あれだけ通っていて意識せず、その書店さんの特徴すらスルーしていたという、とある1つの店舗。それぞ、教文館。児童書フロアーだけ意識しすぎていたのですが、ここはキリスト教関連の本屋さんだったんですね。本書を読んで初めて知ったその事実。まだまだ本屋さんの神髄を理解しておりませんでした(涙)。都内の書店さんしか取り上げられていないので、読んでいて要領を得ないところもあるかもしれませんが、そのような場合は、こんな本屋さんもあると、妄想を広げながら楽しんで読んでいただけたらと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月08日
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朝日新聞社の異端児が書き綴っております「プロメテウス」シリーズ第2弾『プロメテウスの罠(2)』ここで印象に残ったのは、青森県六ヶ所村に核燃料リサイクル施設ができることになった経緯が書かれていた章です。実際に青森に住んでいた時に幾度も足を運んでみているだけに、読んでいて切なくなってしまいました。ここにこの施設を押した理由というのが、サンフランシスコのように夜明るい街にしたいという思いがあったというのです。1960年代の話ですが、今でもあの地の夜は暗いです。逆説的に言えば、とても星空がきれいで都会の喧騒を忘れさせてくれる場所ではあるのですが、当時の人々にとっては高度成長期の日本の勢いをそこに感じることができなかったのだと思います。街が活性化するという手段の一つとして、施設建設を選んだということです。そうまでしないと、日本の中心から置いてけぼりにされていることへの焦りがあったのだと思います。そこまでこの地の人々を追い詰めた政府。今でも首都一極集中が問題視されていますが、それは今に始まったとこではなく、もう50年以上前から明確にあったということなのだろうと思います。本書は一つ一つの出来事、背景を丁寧に、かつあくまでも表舞台に出ていない人をクローズアップして、原発の過去、今、今後を考えさせてくれる著書です。やはりこのシリーズ読み続けなければならなそうです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月07日
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今日、塾の生徒(小学生)が「図書館で借りたねん」と言ってみせてくれたのが『動物病院のマリー(1)』。作者を見るとドイツ語っぽい響き。略歴を見るとBINGO!!!!!!ドイツの児童文学でした。……にしても、『動物と話せる少女リリアーネ動物園は大さわぎ!』をはじめとする「リリアーネ」シリーズもドイツの児童文学。これも、動物ものです。ドイツでは動物ものが流行りなのでしょうか。という疑問が浮かんできました。気になるところです。それから、表紙が今の日本の小学生女子の心をつかむものに両方ともなっていること(出版社一緒です)。客層をつかんでいます。これを企業努力というのでしょう(笑)。この表紙がやぼったいものだったら子どもたち手にしなかっただろうな。理由はどうであれ、海外の作品にふれてくれるのはいいことだと思います。私も読まねば!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月05日
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更に赤木かん子さん本『子どもを本嫌いにしない本』。同じ類の本をあれやこれやと読んではいますが、「けっ」と思うものの多く、つまり偽善っぽいというか、きれいごとというか、まぁ私としてはこれまでしっくりくるものというのはなかったのですね。で、赤木さん。例に漏れず、似たようなタイトル本をだしちゃったなぁ~と頭掻き掻き、それでも赤木本は読んでおかなくちゃという思いで読んだのですが、やはり赤木さんでした。素晴らしい!というか、自分の意見と一致でした。類友でしょうか(笑)。中でも、最後の最後、「マンガや映画を読み取る力」ストレートで共感しまくりですので、全文引用します。活字は想像力を育てるからいい、マンガや映画はダメだ、という意見を聞いたときには本当にびっくり仰天しました。そんなことあるわけないじゃないですか!確かにマンガや映画などのビジュアルは、風景描写や人物描写に関しては、全員だいたい同じデータを受け取ることができます。でも、それだけの話ですよ?日本では、ビジュアルを正確に、あるいは深く読み取る能力、というのは必要だと思われていない、というか、あることすら気がついてもらえていないのかもしれません。(p123)そうですよ!映画観てても、なぜそこにその場面や台詞が必要なのか。小物が置いてあるのか、きちんと画面を読み取らなくては伏線はまったくわかりません。ましてや、表にでてこない人物の心のうちは活字以上に案外わかりづらい。だって、活字はきちんとした風景描写がそのまま人物の心情を表していることは今や当たり前のことですが、これは映像の方が難しいと私は思っています。まだまだ、赤木さんは吠えています。引き続き、どぞっ!絵画、を読み解く力だって重要だと思われてないようですから。マンガや映画は考えなくてもいいから駄目だなんてことがあるわけじないですか!確かに画面はぼーっとしてても流れていくでしょう。でもそれは見た!ということになりますか?見えるからといって理解したにはなりません。同じものを見ていても、読み取る力があれば、その作品が意図したとおりにときにはそれ以上に深く読み取ることもできるし、そうやって深く作られているものは数限りなくあるのです。優れたマンガも、優れた映画も、優れた絵画も……。同じスポーツだけど、100メートル走とバスケットくらい、違います。基本的な身体能力は必要だ、ということはもちろんあります。(p124)もう、そうそうとうなづくばかりです。「本」が偉いとばかり、語るとある方々にお聞き願いたいこと言葉!あるスポーツが上手な人は、ほかのスポーツもそこそこできるでしょう。でも100メートル走をしていた選手が、バスケットボールに転向したら……。必要な才能だって、練習方法だって、違うでしょう。どっちが上だ、下だ、というものではありません。文字を読み取る能力があるからといって、ビジュアルを読む力のない人がマンガや映画なんて……というのは、いかがなものか……。画家に「想像力がない!」とはいわないでしょう?日本は一般大衆が絵画展に毎回行列するほど、美術の好きな国えす。きれいなもの、美しいものが好きで、平安時代の昔から、物語にすぐにイラストをつけて、絵巻物を作ったくらい(しかもカラーで!)ビジュアルセンスに優れている国です。いったい、日本はいつからビジュアルを読み取る力、を尊敬せず、育てなくなってしまったのでしょうか?(p125)これもまた政治戦略でしょうか。2000年以降、活字推進運動が高まり、それを正当化するには、仮想敵が必要。それが余計に映像を悪とした……。選挙が近いので、つい斜めに見てしまいます。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月04日
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木下明美氏HP内「kimuraの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 12月3日の記事)今回は『知の孤島』。なんと東京オリンピック開催都市の2020年東京湾沖の人口島が舞台。東大よりも偏差値の高い大学がこの人工島に設立されます。これが今の日本だとあり得ないようであり得そうなのが、ちと背筋寒くなりますが、そんなところを楽しんでいる自分がいちばん怖かったりして(苦笑)。経済が全てだという感覚がこうなってしまうのかと思いつつも、ここで学ぶ留学生が吐露した言葉を目にすると、それでも「学べる」という環境にある日本は類を見ない教育環境を持っていると納得するしかありませんでした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月03日
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「ぼくら」シリーズの宗田さんの子ども時代が書かれた『ぼくが見た太平洋戦争』を読了。何度も経歴を目にしていたはずなのに、宗田氏が戦中の人だというこということがすっかり欠落しておりました。そして、宗田氏は小学生の時に東京から名古屋に引っ越しをされているということで、名古屋の戦時中の様子がつぶさに書かれていました。そこそこ戦争の記録的な著書は読んでいますが、名古屋という場所でのことは今回が初めてだと思います。ここで知ったことは、名古屋は東洋一の海軍工廠だったとか。そのような規模の工廠を持っていたとしても、やはり敗れてしまう時はあっさりと敗れてしまう。いわゆる今でいうところのハード面ばかりよくて、ソフトがおぼつかないという状況でしょうか。作家さんとはいえ庶民的レベルな話。これらの著書をまとめて読んだだけでも、過去の反省というのは簡単にみつかるというもの。でも、政治家の方々はそのあたり目に留まっていないのでしょうか。日本も階層社会に入ってきていますが、いちばん大きな階層は、政治家とその他に分けられるような気がします。その他の生活状況が、家族の歴史が、背景を見ることができない……。なんだか、14日の選挙がいろんな意味で重すぎです。と話は戻りますが、本書から窺い知ることは、この戦争体験というのが、宗田氏の「ぼくら」シリーズの原点となっているということ。「悪い者」「卑怯な者」はあくまでも「悪い」し、「卑怯」。あのシリーズではそれを突き通していますが、まさにその背景は戦争なのだということがよ~~く分かりました。御年86歳。まだまだ語っていただきたいです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月02日
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面白い本を見つけました『絵本から広がるあそび大集合』。アニマシオンはざっくり言えば、絵本や本を使ってゲームをしながら読解力や表現力、コミュニケーション能力などを高める技法。まぁ、これらを高めなくても、ゲームから本が楽しめるようになればそれでOKかなというところがあります。ただ、「アニマシオン」というと聞きなれない言葉だし、何だか「技法」ということで小難しく感じてしまいます。実際、アニマシオンの本は結構難しく書いてたりします。とりわけ、基本となるサルトルの著者なんか(爆)。で、これを手にした時、「アニマシオン」という言葉はありませんが、まさにそれ。でも、面白いし、アニマシオンより単純。ロングセラーとなっている『ぞうくんのさんぽ』を使った事例は、これを読んだ後、積み木を積み上げて遊ぶだけ。絵本からこうして遊びに広げるこの感覚が当たり前すぎて気が付かず、かえって斬新。アニマシオンのようにこねくりまわさなくても、十分に本にも接しています。本書は、この遊びが書かれているだけでなくて、同じ遊びができる類似図書も掲載していますので、同じ遊びをするにしても幅が広がります。対象は0~5歳児になっていますが、十分に小学校以上の子にも対象可能。もちろん、お家でも親子で楽しめます。お家に一冊必需品!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年12月01日
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