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門野晴子さんの最新刊(と言っても昨年刊行されたもの))は発達障害の子供でも思春期の子どもたちについて書かれていました『発達障がいと思春期』。発達障害に限らず、障害を持った子どものこの時期のことが書かれた本というのは、学術書を除くと案外少ないと思います。専門家でなく、身内として考えなくてはならなくなり、それを文章でまとめたものなのですが、これは障害の有無にかかわらず、一度親として避けては通れない道なのだなぁとこれを読むことで現実感を増したというのが、正直な感想。というのも、「思春期」とありますが、本書の主軸は「性教育」についてだからです。とりわけ、障害を持っている子は、性被害者にも加害者にもなりやすく、かつ一般の子のようにどこからともなく情報収集をして自分の中で落とし込むという作業が苦手。だから、全く「性」というものに、真っ白かもしくは偏った情報のみがインプットされやすいと書かれています。そのため、一つ一つをその子の理解力に応じて懇切丁寧に教え伝えていっているようです。いや、障害の有無にかかわらず今は情報が氾濫しすぎて一般人でも何がどうなのかさっぱり状態なのは事実。アメリカでは「性教育」というのは、「行為」だけでななく、その前後の話もきちんと学び、更にはそれをサポートする人や施設が学校内に設置されているのを著者は目の当たりにしています。もちろん、著者は自分のお孫さんがいるバークレー近郊の話でアメリカは州によっても、それぞれ法律やサポートが異なるので一概に欧米そのものが全部やっているとは書けないとも添えています。それでも、著者が取材した学校は、高校でも保育室があり、10代で出産した子も学びが中断しないようなシステムになっており、しかも母親になった子だけでなく、父親になった子にも「父親とは」という学びを提供しているそうです。これも「性教育」だと、アメリカの先生たちは考えているようです。ただ、このようにアメリカが手厚いのには子どもは神からの授かりものという一神教の教えが、中絶禁止をしているため、望まぬ妊娠をしたとしても中絶をできない現状があるということも付け加えています。それをそこの校長は、著者に以下のように憮然として語ったとか。カソリックが中絶を禁止するなら、協会が十代の親やベビーの面倒をみるべきでしょう。自分たちの戒律の結果を社会に尻ぬぐいさせるなんて無責任だとおもわない?(p143)サポートや施設に焦点を置くと、日本と比べて手厚く感じますが、現実はやはり複雑ねと思った次第。それでも、しぶしぶでも社会がその尻拭いをきちんとしているとしたら、それはそれでやはり見習うべきものかなとも思います。裏返せば、日本は中絶を認めているんだから、10代で出産したのは、そっちの勝手。サポートがないことに文句を言うんだったら、中絶しろ!って読み取れてしまうから不思議。そんな風な倫理観を持っている社会ってどうよとも思います。そして、その反面、少子化だって大騒ぎしているんだから、パラドクス。そういえば、娘が小学校の時は学校で「性教育」の授業があったと記憶しているのですが、その後、全国的に抹消されたみたい。複雑な教育行政の大人的事情のようで。教育界にいながら、そのようなことは知らなかったわ~、恥ずかしい。継続しているところは、現場の先生の中に上手く伝えることができる人がいるか、管理職がそのことについて危機感をもっているかという場合のみみたい。本書の第1章は、障害をもった子を授かった時の周囲からかけられた言葉を収集したものになっていますが、時代錯誤この上なく、昭和の時代にタイムスリップしたかと思いましたが、うちの当時虚弱娘に対しても近いこと言われて、辛酸をなめたなぁ~ということをひょっこり思い出し。人の根底にあるダークな考えって何代にもわたって受け継がれるのねとちょっとぞっとしました。私も気が付かぬうちに言葉にしていないだろうか……。反省然りであります。前述した通り、学術書以外ではこのような本はなかなかお目にかかれないので、一読をおススメします。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月30日
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引き続き門野晴子さん『【楽天ブックスならいつでも送料無料】サバイバルおばあさん [ 門野晴子 ]』。これまでは、オーディズムのお孫さんたちをメインにした著書でしたが、同時並行で著者自身の日本での生活などなどが綴られたエッセイです。いうなれば、「老いの貧乏生活」。タイトルの「サバイバル」にはそれが込められています。どれだけ貧乏かということが、冒頭から現在の手取り収入があっけらかんと書かれており、そして、その後の老人市施設のお値段などなど。貧乏と認識していなくても、おそらく平均的な人でも(もう、中流家庭がない二極化なので、平均という言葉も使うのが難しいのですが)支払不可。かなり著者も憤るところがあり、その思いを吐き出しまくっております。福祉行政や教育行政の至らない点も貧乏な視点からの言及。世間では、株価が上昇したとか、求人倍率が増加したという話題がのぼっていますが、実感はまったくない我が家。先日、職場の上司と話していたのですが、この上司、3月いっぱいで定年退職。いまの世間のご老人は100歳まで生きる人も大勢いて、かりにその仲間入りをしたとしたら、まだ人生40年ある。丁度、私が就職して働いた年月と一緒。年金があるとは言え、無給で40年過ごすのは怖いとおっしゃっておりました。来年退職の上司はまだ年金をいただける方だと思うのですが、我が家の場合はね~。ほんとうは、息子と夫と家でのんびり茶をすすりながら、日柄ボーーーーっと過ごしたいんですけど、棺桶入る鵜まで馬車馬の如く働かされそう。いや、働くところがあれば万々歳。おそらく、その場所もなくて野垂れ死にも安易に予想付いちゃいますから、こわいこわい。そのような中で、どのように「サバイブ」しているのか、門野さんの人生ドラマを楽しみつつ、覗き見して、そして年齢を重ねてもまだまだ未知の部分が多きく、刺激的な日常が押し寄せてくることを教えてくれるのです。(門野さんの場合、お孫さんのことだったのですが)私たちにはどのような「サバイバル」が待っているのでしょうか。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月29日
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これを更新している最中に日付が変わってしまったら、昨日、今日は更新お休み~になるのですが、ちょっとお休み。現在私の近隣の中学校は中間テストに入っていて、その対応で塾に貼り付け~。普段のダブルヘッダーよりも忙しいじゃん(汗)。読書は進んでいますが、紹介するほど密にこの「徒然」を書いている間はございませんので、お休みということでお許しを~。代わりにかわいい息子の画像を張り付けておきます(笑)。今日はお客様が夜にいらして、晩御飯を襲撃しないために、人間よりもおいしい国内で取れた鯛のお刺身をがっつりお召し上がりになられました。どこのお坊ちゃまじゃい!!!!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月27日
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著者の門野晴子さんと言えば、ご自身の親の介護の壮絶さを書いた著書満載というのが私のイメージ。壮絶なのに、かなりコミカルに表していて、申し訳ないほどに逼迫さがなくて、笑って読ませてもらってました。介護のことがひと段落した直後に、出されたのが『星の国から孫ふたり』(その前にもお孫さんのことを書かれたものが1冊ありますが)。この時にアメリカに住むお孫さんお二人ともが自閉症スペクトラムであることを綴り、その子育てサポートをするために日本とアメリカを行ったり来たりと言うことを中心にどっぷりお孫さんのことを書かれてありました。こちらはまだ二人が幼児期の時。それから、実はとてもこの二人のことが気になっていました。続きを書いてもらえないのかなぁ~と思っていたのですが、私がチェック漏れをしていたようで、2009年に小学生中学年までのことをつづった『ギフティッド・チャイルド』が刊行されておりました(汗)。以前の紹介で天才児を海外では「ギフテッド」というと書きましたが、もう一つの意味も持ち合わせています。産まれてくる子どもすべては「ギフテッド」。こうのとりが連れてくる神様からの贈り物。この感覚は一神教ならではだろうなと思います。イエス・キリストから与えてもらった贈り物。著者はこの意味で子どもたちを「ギフティッド」と綴っています。「自閉症スペクトラム」は個人によってそれぞれの特性がありますので、ここではそこには言及しません。本書を読んでいちばん目を奪われたのは、アメリカのオーティズムの一般的に認知の広さと深さと早期発見、早期療育のシステムの構築。この辺りはすべて日本は見習いましょう。オーティズムの子どもたちの多くが他の人から見ると衝動的に行動を起こします(本人にはきちんとした理由があるのですが、コミュニケーションが苦手なので、先に体が動いてしまいます)。0.1秒目を話しただけで、行方知れずということも多々あるのですが、アメリカではそうなるとすぐに警察や周囲の人が動いてくれます。そして、ここからが感嘆。警察の人たちは子どもが見つかっても、すぐには子どもに声をかけません。親が到着するまで、すぐそばで見守るだけ。なぜなら、オーティズムの子どもたちは見知らぬ人に声をかけられるだけで、パニックを起こすから。しかも一人が見守るのではなく、子どもを囲むように10人近くの警察官がそーーーっと見守ってくれるようです。この環境。理想郷のように見えます。IEPというのは、子どもがオーティズムと分かったら、その子どもに必要な専門家がチームを組んで見守り、療育してくれるというもの。途中で人が変わることもあるようですが、ずーーっとそのチームで子どもたちと関わるため、子どもが幼稚園、小学校にあがっても、このチームが当たり前のように校内に入り、子どもやその家族の代弁をしてくれ、更には会議まで開いてくれるようです。成長過程を分かってくれている人がいるというのは、親にとってもありがたいものです。日本ではね、これが縦割り行政で、かつ分野ごとに分断されているので、継続的な療育ができていないんですよね。あ~、羨ましい(もちろん、出来の悪い専門家もいて、最終的には人間性と著者は語っています)。そして、こんなことも。アメリカは子どもだけで家に置くことも外で遊ぶこと放置=虐待と見なされ、度が過ぎると保護者が逮捕されてしまう。スクールバスも保護者が迎えて子どもを受け取らないと、学校に連れ帰ってしまう厳しい社会だ。「で」、どこに行くのでも親は子どもを身から離せない。単身親や共働きの家庭は子育てで四苦八苦だが、それでも少子化にならないのが興味深い。~中略~ひと口に言えば、「子どもの人権」の保障が進んでいて、そのために大人の自由が制約される社会だと言えようか。(p43)なるほどと思ってしまいましたよ。1989年に発効された「子どもの権利条約」(その前身の国際人権規約1976年)に基づいているんですね。日本なんて、これに批准するのにすごく躊躇して、批准したのが、1994年ですからね~。しかもそれでも「虐待はない」と言い切り、虐待を認めたのが、2000年だったかなぁ~。そういえば、「ハーグ条約」に批准したのもこの春ですからね~。その間に日本は子どもの貧困率がぐんぐん増加。国の戦力強化の前に子どもが育つ環境アップする方が先だと思うんですけど……。どう考えても、お上は現在の庶民の生活状況を把握していないような気がします。やれやれ。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月26日
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この児童書『だじゃれたっぷり宇宙大作戦』は「児童書」と言いながら、対象は完全に大人。地の文からずーーーっとダジャレ。しかも昭和の臭さが漂ってくることといったらありゃしない。もともと作者の内田麟太郎さんの描く絵本は昭和臭さが漂っているものも多く、それが子どもたちの人気になっていると思います。しかし、それはかなり絵が昭和臭さを補っているということがこの作品を読んで分かりました。この作品、童話の部類に入っているようなので、挿画も多くあるのですが、それでもあまりもギャグが満載しすぎていて、挿画では追いつかない状況。子どもたちのことはほっておいて、大人が楽しめばいいと思います。強烈なのは、冒頭に書かれてあるお酒のいただき方、10か条。1.のんであばれてはいけない。1.のんで大声をだしてはいけない。1.のんでものをこわしてはいけない。1.のんでくせものになってはいけない。1.のんでないてはいけない。1.のんでないといいはってはいけない。1.のんでおしっこをしてはいけない。1.のんで「なんで」といってはいけない。1.のんでとんではいけない。(p8)お酒を飲んでいないとこの感覚は分かりませんわ~。でも、きっと子どもたちは分からないままに流しながら、無意識のうちに「大人って……」と思っているのかもしれません。となると、この作品は、大人の世界を覗き見する、ちょっと子どもたちにとっては好奇心をそそる危ない本かもしれませんね~(笑)。大人対象であろうと、実は子どもでも理解できてたんだ~という結果だったとしても、私は好きです、このような作品。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月25日
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昨日、語りの文化であるアイヌの昔話を再び紹介させてもらいましたが、実はその時昔話をモチーフにしたミステリーを読んでおりました。それが『浦島太郎の真相』。全部で8編の昔話。しかし、本の袖にはこのような作者の言葉。この作品は、ミステリ部分、昔話の新解釈部分、昔のテレビ番組などのなうかしい話部分と、3つの要素から成り立っていますが、その3つがお互いに少しも関連していないという珍しい構成をとっています。ミステリーと昔話については、少しは関連しているのですが、昔のテレビ番組などがまぁ本当に全く関連しておりません。物語の枕です。それに物語の1/3を擁しています。各編2段組み10ページがそれ。昔のテレビ番組という表記ですと、「あぁそうなのね」程度しか想像できませんが、とてもマニアックです。そもそもこのミステリー、場所は日本酒をワイングラスで提供するというバーのカウンターが舞台です。登場人物は、客のヤクドシトリオとマスター。そして、同じく客としている大学院生の東子さん。これだけ。で、ヤクドシトリオの一人が探偵なのですが、犯人はすでに捕まっております。ただ、動機が分からない。途中からこれをヤクドシトリオは「心のアリバイ」なんぞと言っておりますが、犯人とその周辺の人物構成を東子さんに聞かせて、東子さんがその動機を予測するというのが全編にわたってのパターン。で、事件の話になるまでの10ページがマニアックな話になるというわけです。ヤクドシトリオですから、昭和40年代の話題も多く、あまりにもコアすぎ。8編にはCMが話題だったり、ラジオ番組がネタだったり、そこだけピックアップして読んでも私より上の世代の方はクラクラくるのではないでしょうか。もっとも、私より下の世代は逆についていけない展開となっておりますので、ご注意を。そして、昔話。事件の状況を聞いていた東子さんが、昔話に例えるわけですね。そこが、昔話の新解釈と事件を結びつけるのですが、この新解釈も作者が適当に創作したものではなく、巻末に参考文献が掲載されています。なので、東子さんに語らせている解釈は的外れではありません。逆に口承文芸だからこその、耳にしたものの解釈や語った人の思いを巡らせることができるのだと思います。浦島太郎、桃太郎、カチカチ山、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、こぶとり爺さん、花咲爺。新解釈とマニアックな関連性のない枕を堪能しながら、口承文芸とミステリーのコラボレーションを楽しんでいただけたらと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月24日
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以前取り上げさせてもらいました『アイヌの昔話 フキノトウになった女の子』の再話者で編纂者の寮美千子さんよりメッセージをいただきました。この作品は国の事業のため、一般の書店では取り扱っていないそうです。寮さんのメッセージをそのままこちらに引用させていただきます。この本は、公益財団アイヌ文化振興・研究推進機構が制作して、全国の主要図書館と北海道の小学校に寄贈したものです。市販させてください、とお願いしましたが「国の事業」なので、却下。「アイヌ文化の普及活動」が眼目とのことなのに、欲しい方にも渡せなくて、ほんとうに残念です。現在、続編の2冊目を編纂中です。ぜひまた、読んでみてください。国の事業……つまり税金で作成したので、それを売って儲けることはできないという国の解釈なのでしょう。確かに「売り上げ=儲け」ということにはなるでしょう。しかし、東日本大震災では、その後書籍やその他もろもろ売り上げの一部を被災地に寄付するという形で被災地のサポートが行われました。寮さんが記されているように、本書は「アイヌ文化の普及活動」が目的なのですから、売り上げを全てその活動に還元するという形にすれば、もっと多くの人に広がりがあるのではと思いました。それでこそ有効な税金の使い道なのではないのかなぁ~。少なからず図書館と道内の小学校のみよりは、目に触れることが多くなると思います。なぜなら、拙ブログで紹介した本も、ここを通して楽天で購入してくださる方が実際にいらっしゃるのです。本作品が、市販可能であれば、もしかしたら1冊くらいどなたかがここからポチッと購入してくださったかもしれません。もしかしたら、書店さんが気に行ってくれて、平積みに一時期でもしてくれたなら、それだけ、多くの人の目にとまります。アイヌの方は語りの文化ですので、その血を受け継ぐ人が少なくなると廃れてしまいます。日本2000年の歴史・文化の中には、実はアイヌの伝統や文化で成り立っている部分も多くあります。「国の事業」の一言で片づけてしまうその無神経さにちょっと複雑な思いを覚えてしまいました。これは今回の件だけではないんですけどね。寮さんからメッセージをいただいたので、この作品だけでなく、様々なことを再考する機会だと私自身思い、再度本書を紹介させていただきました。もちろん、寮さんからメッセージをいただくまで、これが国の事業だとは全く思わず、作品として「好き」「素敵」と感じたので、ここで紹介させてもらったのですが。と私のちっぽけな意見よりは、ぜひ皆さんこちらをご覧ください。本書、PDFファイルで全文、閲覧可能です。今日、知りました~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月23日
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久しぶりに小説『北乃杜高校探偵部』読みました~。タイトルだけからだったら、私のイメージでは舞台は東北は宮城県仙台にあるとある高校。しかし、ぶっとびました(笑)。京都府宇治市にある公立高校が舞台(もちろん、架空の学校です)。京都なのに、なぜ「杜」なのよ。この字は仙台でしょう!!!!とまず突っ込み、ついでぶっとんだのが、公立高校でありながら大規模な女子、男子寮があり、スポーツ推薦枠で全国から強者を入学させているっていうこと。公立ではありませんから、私立でしょ、普通こういうの。でも、旧制中学の流れをくむ立派な進学校なんですって。旧制中学の流れを組まなければ成立しない物語が第一章では描かれていたので、しょうがない。でも、やっぱり無謀すぎるこの設定(笑)。それを除けばとても笑って楽しめる学園ミステリー。探偵部が高校2年生の時から卒業まで全4編。もう一つ突っ込むとしたら京都……宇治市が舞台でないと設定しない物語は3話目の「牛に願いを」のみ。宇治じゃなくてもよかったんじゃない?とあれやこれやと突っ込みながら、学園物のミステリーを堪能したのでした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月22日
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様々な学校形態の著書を上梓している橘木俊詔氏が今度は「経済学部」に焦点を当てた本を刊行されました『ニッポンの経済学部』。知らなかったことですが、現在経済学部を受験する人は少なくなってきているそうです。そして逆に実学が学べる経営学部や商学部の方が人気が上がっているというのが現在の学生事情。では、机上の空論でしかない経済学部は必要ないのか……ということも本書の軸のひとつではありますが、それだけではなくて、本書は日本の経済学部の歴史(三商大や三大高商などなど)、過去から現在までの名物教授、現在のトップ校の経済学部の学閥状況、果ては、欧米のD.Phのことなだかなり幅広く扱われています。著者自身が小樽商科大学出身ということもあり、経済学部にはかなり造詣が深く、本書でも記していますが、明らかに主観的な記述もあり、しかしそれだけでは偏ってしまうので、データもきちんと載せて、事実な部分は事実として語るというかなり配慮・工夫をされたようです。一言で言ってしまえば、知識として読むのにはとても面白いものでした。慶応と早稲田の経済学部の立ち位置とか、三商大や三大高商が大学に移行する時の事情など、普通に生活をしているだけではなかなか入ることのない話はかなりわくわくさせてもらいました。彼は他の大学の前身についても別の著書で書かれていますが、これらを総合していくと、日本の現在の高等教育に繋がっていくということで、今後の大学がどのように歩んでいけばいいのかという道しるべにもなるのかなぁとも思いました。そして、話の中心の一つともなる机上の空論でしかない経済学部の必要性ですが、著者はそれを哲学と同じように考えていると記していました。つまり、経済の論理を学ぶということで、どういう「過程」のもとに、どういう「演繹」をすればどういう「結論」を得られるのかということですね。もちろん、例外の方が多いのですが、勉強だけでなく、様々なことには基礎という土台があって、そこから応用であったり、オリジナルが出てくるので、その経済における土台作りをしっかりと学ぶというのが経済学部なのだろうと思っています。ところで、笑ってしまう文章がでてきました。揚げ足をとるようなことばかり、ここ最近私は引用している気がしますが、この「徒然」は完全なる私のメモなので、気にせずに読んで流していただければありがたいです。で、その笑ってしまう文章がこちら↓。(大阪市立大学の経済学部の歴史に触れた上での筆者の文)ところで、大阪には府立大学もありますが、橋下徹・前知事の時代に府立大の経済学部は廃止が決まりました。理由は、(1)経済学部は理工系のように役立つ学問ではない、(2)同じ地域に公立大の経済学部は二つもいらない、というものでした。府立大の経済学部は近代経済学部系でしたが、単に「社会で役立っていない」という断定と、財政支出の削減が目的です。橋下市長は早稲田の政経出身ですが、在学中に経済学をどのように学んできたのでしょうか。(p90)早稲田には法学部もあったのに、なぜ政経学部から弁護士に?私の知り合いの息子さんは政経学部も合格しましたが、弁護士希望だったので偏差値的な話をすると微妙に低い法学部に入学しました(しかし、そこで頭のいい人たちに出会って、弁護士になるのは無理だと悟り一般企業に就職しましたが)。このことから想像すると、政経の方が偏差値が高いからという理由で、こちらを選んだだけかもしれませんね。そして、ここで経済学って役に立たないと思ったのかもしれませんね~。ただの憶測ですが……。だとしたら、早稲田の政経は罪づくりだぞ(爆)。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月21日
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『ぼくには数字が風景に見える』は著書の自伝を書いたもの。ベストセラーにもなったので、ご存じの方も多いかと思われます。そしてその第2弾が『天才が語る』。こちらは、自伝ではなく、現在の脳科学についてまとめられています。そして、彼自身が語る数字が瞬時に計算できたりする原理。脳科学については、日本国内の脳科学者が書いている本とかなり近い内容のことも多く、国内の著者の書いたものの裏付けにもなります。興味深かったのは、まず彼のサヴァン症候群としての数字の認知について。彼の脳について研究者たちは実際に彼自身を検査、調査してあれこれと結論を見出そうとしているようですが、彼が言うには、「一般の人が言語を身に着けていく感覚と同じだ」というものでした。言語を習得していく過程というのは、実際人は、親が話している者を見聞きして学ぶという以前に、先天的に習得するようにできているというのです。そして数字の概念も先天的なものですが、言語と数字は脳の使われる部位は完全にことなっていて、基本両方が流動的にならないように、遮断されているのですが、この遮断されている部分が、弱い、もしくはされていないのが、サヴァン症候群だというのが、彼の説。言語の部位と数字の部位が遮断されないために、数字が言語の部分に流れていって、言語を読むのと同じように数字を読んでしまうようです。なので、彼の場合は、言語の方も10か国語話せるそうです。その気になったら、日常会話は1週間で習得だとか。もちろん、脳はその人個人個人でニューロンの繋がり方は異なっていますので、彼の説が他のサヴァン症候群の人にも該当するかは定かではありませんが、彼の例えはとても分かりやすいものでした。そして、彼が書いていたもので、鳥肌がたったところの一つ。引用します。ぼくたちが絶滅の危機にある言語の行く末を案じなければならない理由は、たくさんある。言語は単語の集まりというだけではなく、文化伝達の手段でもある。その文化は環境、社会、歴史を背景とした唯一無二の状況に適応したものなのだ。独特の文化や思想を表す言葉は、他の言語にすんなり翻訳できるものではない。危機に瀕している多くの言語には、歌や物語などの豊かな伝承文化が含まれている。その言語が絶えれば、そうした文化も永久に失われるのだ。その文化にしかない自然科学に根差した知識は言語としっかり結びついている。何百年、何千年といった時間をかけて自然界とこうにゅしたきた人々は、植物、動物、生態系に関する知識を言語として記号化している。そうした言語の多くは、いまも引き続き科学者によって文章化が続けられている、言語研究は、言語ほぼの助けになっていると同時に、人間が知識をどう保存し、どう交換しているかを理解するうえでとても役立っている。(p149~150)いや~、内田センセーが普段著書やブログでおっしゃっていることそのまんまではありませんか。グローバル化をうたって、全てを英語で何とかしようというのはどうなのか。海外の人から見たら、母語で高等教育を受けることができるその環境は羨望のまとであるということ。母語がそのまま継続されていることで、日本の歴史2000年が途絶えていないということ。それと直結する文章でした。経済的な問題で、初等教育から母語ではなく、英語を学び、英語でしか自国を語れなくなり、自国の文化が根絶している国というのは、結構あります。アジアだけに目をむけても、漢字文化圏だった国が徐々に少なくなってきています。もちろん、その国は漢字表記がなくなっただけで、英語ではなく母語で語っている国もありますが、その「漢字」を使っていた部分での文化、著者がいうところの「他の言語にすんなり翻訳できない」部分というのが、薄れていくわけです。日本は全くそうではないかというと、また微妙なのかもしれませんが、少なからずハイブリッドですので英語やドイツ語、フランス語、はたまた中国語を上書きというよりは、挿入して、自国の文化に入れ込んでしまうという文化が宿っていますので、今更、社内では全て英語でなんて、かえって後ろ向きのような気もします。話はそれますが、今塾で和歌を生徒たちに指導していますが、短歌の場合31音で自分の感情や風景などを表しています。いやね~、省略語って結構多いんですよ。そこを省略しても当時の人たちは分かっていたのねと当時の言語的背景を垣間見ています。そうなると、今の人たちの短縮語や省略語なんて目くじら立てることなし!!!!日本2000年の言語の歴史です、はい。数字や脳だけの話かと思っていたら、案外それにかかわる文化や言葉、そして独創性という終章的なことまで幅広く本書では書かれています。しかも、「科学的」に!現在第3弾の彼のエッセイも読んでいます。彼の脳みそから語られる四方山話に淡い溜息。多様性ということを実感しています。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月20日
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木下明美氏HP内「kimuraの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしPart2 → 9月19日の記事)今回取り上げるのは、テレビでもおなじみの中部大学の武田邦彦教授の著書『政府・マスコミは「言葉の魔術」でウソをつく』です。テレビでの発言を聞いていましても、かなり大胆でかえって眉唾にも思えていたのですが、本書はやはりどなたもそうなように、テレビ以上に過激でした。でも、その過激さが独りよがりというわけではなさそうにも感じました。本書は個人名バンバンでてきますので、これだけ書きまくったら刺客を送られ、抹殺されるのではないかとかなり心配になってしまいます。そして、寄稿文で触れていますが、かなり朝日新聞のことを糾弾しています。もう、こうなったら著者ではなくてもいいから、他の新聞社の暴露本でも出してくれないでしょうか。すべてを並立させてから判断しないと何がなんだかね~。そこから、再度自分で考えたいなぁ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月19日
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なんと、本書『かあちゃん取扱説明書』は児童書にも関わらず、何だったかのおススメ本リーフレット「高校・大学・一般部門」で紹介されていたんです。何のリーフレットだったかは、残念ながら記憶なく……。いや、そのリーフレットの画像は脳裏に焼き付いているんですよ。つい最近まで手元にあったので。ただ、それが今はない。せっかくなので、そのリーフレットも紹介しようと思ったのですが。私も読むきっかけはこのリーフレットでした。大人におススメって壮大なファンタジーか、ゆるい時代モノというのが相場ですが、こちらは至ってごくごく普通の児童書。主人公は小学4年生のてっちゃん。冒頭は活字ではなく、原稿用紙に書かれた手書き文字(まぁ活字にはちがいありませんが)。てっちゃんの作文から始まります。ぼくんちで、一番いばってるのはかあちゃんです。とうちゃんよりずっとおっかないし、いばっています。そして、この作文の最後は、さいごに、かあちゃんはすぐ「早く」っていうけれど、でかけるとき一番したくがのろいのはかあちゃんです。ぼくが「早く」っていうとおこるのも、やめてほしいと思います。これだけ書くと、物語の展開がわかってしまうのではないでしょうか。この作文は担任からはなまるをもらいます。ついでにお家の人に読んでもらって感想を書いてもらうのが宿題という、本人は喜ぶよりも悲しむ出来事となります。が、てっちゃんはお父さんに見せることで難を逃れるどころか、お父さん大爆笑。おまけに「トリセツ」発言。これが表題ともなっています。この作品の上手いところは、道徳的でもなく、ありがちなエピローグになっていないこと。ノリが関西系。なので、思わず奥付にある作者の経歴を見ましたところ、神奈川県出身でした。わおぉ~。出身なんて関係ないのね、プロの作家って。御見それいたしました。で、なぜこの作品が高校生以上におススメなのかと私なりに推理したのですが、大人も子どもも同じ笑いが共有できるということではないでしょうか。実はオチが難しすぎて、大人にしか分からないとか、子どもだからこその笑いとかそのようなものではなく、大人も子どもも作品の最初から最後まで同じポイントで笑えるというのがいいんでしょうね。児童書でしかもページ数少ないですから、大人の場合、とりわけ疲れた方の清涼剤になるかと思います。うん、これをリーフレットに盛り込んだ選者の方、偉い!!!!(って凄い、上から目線:笑)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月18日
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いや、私じゃないですよ、我が子が大学生になったら読ませたいと思っていたのは(苦笑)。塾生の話です。府内トップ校を狙う生徒たちに対して、特別講座が始まっているのですが、トップ校は公立高校共通入試問題ではなく、学校独自の問題が出題されます。国語に関していいますと、ジュニア新書ではなく、一般の新書レベルの文章を読むことが求められます。これは、トップ公立高校だけでなく、私学でも同じような傾向。ただし、私学は学校によって問いは簡単に応えられるようなものを用意しているところもあります。とにかく、問題を解く以前に、新書レベルの文章を読み慣れることが大切。昨年は本をほとんど読まない生徒の集まりで、この時期からの「読書」を提案しても「逃げる」か、「避ける」か(ってどっちも同じ意味じゃん:爆)で、さっぱりでした。しかし、今年の生徒たちは受動的すぎる傾向があるのですが、よく言えば「素直」。チャンスではないかと思い、これを提案。生徒たちは新書を読んだことがなかったようですが、受け入れてくれました。そこで、まずは新書ではないものの、読みやすく内容も身近でさらには入試に出題されてもおかしくない、そして教科書でも紹介している(この時点で入試に採用されないと思うのですが)『思考の整理学』を読んでくるように指示しました。月末には定期テストがありますし、初めての大人的な文章ですので、時間をかけていいよと伝えていたのですが、なんと指示してから3日目に、とある生徒が「読み終えました」と言ってくるではありませんか。そして、その子は続いて発した言葉が以下のこと。「私が大学生になったら読ませようと父が思っていたそうです」こちらのご両親はとても読書家で本がてんこ盛りなのだそうです。ただ、その子は両親が読む本にはほとんど興味がなかったとか。私が指定した本は、自分のためだから、買うか借りるかしてねと話していたのですが、親に著書名をその子が伝えたら、家にあったとのこと。そして、本を我が子に手渡しながら、言ったそうです。確かに、「東大生・京大生がいちばん読む本」としてかつて紹介されましたが……。だからって、我が子が大学生になる時にそれを読ませようなんて(苦笑)。ご両親の愛情を感じましたが、もっと早く読ませても大丈夫よと思った次第。そして、ごめんね~、その場面を奪っちゃって~。実際に、この子は用事があり電車に乗ったその行き返りであっという間に読んで、しかも私にその感想をすごく興奮しながら語ってくれたのです。「勉強することで、知らなかったことが結び付いていくんですね~」うぅ、私も授業でよく言ってるんだけど……と複雑な思いになりましたが(笑)、著者の言わんとするところをきちんと押さえてくれていて、満足な私。さて、この子たち、入試までにどれくらい新書を読み進めることができるか!!!!楽しみです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月17日
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手元にてんこ盛りの児童書の新刊。またまたその一部をご紹介。今回は「誰かに伝えたい!勇気がわいてくる科学者の言葉」シリーズ。ここ数年、偉人の「名言」がまとまった本が刊行され続けています。それは新指導要領の改定で、この辺りが教科書で扱われるようになったからなのですが、最初はただ、伝記の世界の有名どころの「名言」を集めたものが出版されていたのですが、近頃は、まだ現役の人、そして文科省の企みでしょうか。理科教育に力をいれたいためなのか(笑)、今日紹介するような「科学者」限定の名言集まで現れました。が、少なからずこれはよく出来ております。科学の偉人と言えば、ガリレオやニュートンなど一般にイメージしやすいですが、第1巻では紀元前のピタゴラスにヒポクラテス、中国の学者、張衡まで参上します。日本人も出てきます。渋川晴海。名言は「志気凛然、勇気百倍」。このシリーズのすごいところは、タイトルになっている名言が添え物なのですよ。とりあえず、最初に書いておきました感。本書の構成は一人が見開き1ページで記され、二段組みで書かれています。渋川晴海を例に取りますと、1ページ目の上段に生い立ち。下段以降に、彼の研究が文章と画像でしめされています。写真もきれいなこと。ここでは彼が紙で作った地球儀や渾天儀、そしてその製図に星図(決してダジャレではありません。たまたま)2ページ目の下段に名言とされる言葉がいつ言われたかということが、軽く流されていますが、研究部分に重きをおいていることがよくわかります。文科省の推進に乗っかる形で本書を作ったのかもしれませんが、それにしても素晴らしい。ただね~、おそらく大人が読んだ方が面白い(笑)。知らない歴史上の人物がてんこ盛りで教養がみにつきます。でも、子どもたちが読まないかと言えば、そうではなく、これは先にも書いたように文科省刊行の本の陰謀があり、毎年子どもたちがこの手の本を借りていきます。名言も必要かもしれませんが、そこから人物やその当時の歴史的背景、そして研究などに興味を持ってもらえたら本を扱う人間としてはうれしいですね。子葉が伸びていくという感覚を持つことができるでしょう。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月16日
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1か月以上前ですが、カナダに在住の14歳の少年があちこちの大学から奨学金付きのオファーがあり、その中の一つの大学に入学したという記事がネットのニュースなどで掲載されました。いわゆる天才児です。彼はカナダ国籍を持つわけではなく、両親とも日本人。たまたま父親の仕事の関係でカナダに在住していました。その後、父親の任期が終わり、帰国になった際に、彼は日本のかなり有名な中高一貫校に合格を決めています。しかし、家族で話し合った結果彼はカナダに残ることにします。その理由が、日本に戻ると彼の特性を伸ばしてもらえないと思ったから。そして、彼は14歳で奨学金付きで大学に入学することになります。彼自身もブログを書いていますので、詳細はこちら。日本の場合、「特別支援」というと、どうしても知的レベルが(低いといっても中の下位から下)低い子どもに対してのイメージがあります。いや、実際に、まだそこまでしか構築されてません。日本国内でも天才児も含め、早熟な子どもは、小学校の授業レベルは楽々こなして退屈しているというケースも多々あります。欧米では天才児も含めたそのような子どもたちの特別なサポートプログラムが用意されており、多くの子どもがそれでまなび社会に羽ばたいているのですが、日本ではもったいないことに、その人材を育てる教育が行われていないのが現状。さて、それでは、そもそも「天才児」というのは、どのような子どもたちのことをいうのだろうかと、学術的にとらえているのが『「ギフテッド」天才の育て方』。「発達障害」という言葉があります。「発達障害」は発達に凸凹があり、かつ日常生活がその凸凹のため、不自由な場合を「発達障害」と言います。本書では、かなりの多くの人に発達の凸凹があり、気が付かない場合も多いとされています。しかし、発達の凸凹を持っている人でも、その特性を早くに気づき、特性を生かした育ちを受けると、「障害」に至らずにすむということを指摘しています。発達の凸凹は個々によってそれぞれ違うのは明白なのですが、一般的にしられている「視覚認知」と「聴覚認知」。認知はこの二つに分類されるだけでなく、中でさらに細分化。なので、「視覚認知」の人でも、同じパターンで記憶しているとは限らないないというもの。こんなことを押さえながら、天才児に必要なプログラムがここでは提示されているわけです。本書では、臨床ケースとして、中学生から海外の学校に転校して現在は世界有数の大学で活躍している子どもの事例もいくつか書かれていました。ただ、これには「お金」という問題が庶民にはかかってきます。ここに挙げられている事例はその部分は記されていませんが、恐らく、なんとか工面できたからこそ飛び立つことができたのだと思います。国内では、まだまだ「天才児」をサポートする機関と言うのは、それを知っている小さな個人経営をしている塾であったり、せいぜいNPOレベル。ようやく、今年に入り、天才児を集めて育てるプログラムが、法人レベルで行われ、その申し込みが殺到したとか。(その時のニュースソースを今探したのですが、きちんと名称を覚えておらず、たどり着かず。ごめんなさい)家庭レベルではその必要性を感じている人が多々いるということですよね。さて、最後に本書でいちばん大切なところだと思う部分を引用します。ギフテッドへの教育というと「エリートを養成するための教育なのではないか」という批判がある。この批判の背後には皆が同じように教育をうけるべきだという平等主義が根底にあるものと思われる。この立場kらは、「天才だけを育てる教育をするのはおかしいのではないか?」「天才だけに特別な教育をするのか?」という批判が生じるのだろう。しかし、ここには大きな勘違いがある。一つはいわゆるエリート教育とギフテッドへの教育は同じではないということ、もう一つは天才と呼ばれる子どもを優遇しているわけではないということである。全校強化履修プログラムを考えてほしい。(← これは実際に本書を読んでください。木村)我々が扱おうとしているのは、一人ひとりを大切にできる美ライン教育システムについてである。(p136)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月15日
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『国際機関で見た「世界のエリート」の正体』読了。タイトルからぶっちゃけ、国際機関で働く人が悪事を働いているのを暴露するものかと思っていましたら、違いました。国際機関で働く人、つまり国際公務員がどのようなところで、どのようにして働いているのか、また国際公務員になるにはという手ほどき本でした。国際公務員という言葉そのものを聞いたこともあまり聞くことがなかったのですが、国連を初め、その関係機関で働いている人を総称して「国際公務員」。へぇ~の世界の連続でした。まず、国連とそのほかの国際機関(WHOやIMFやユニセフなどなど)は国連の職員というわけではなく、それぞれの機関の職員という意識なのだそうです。つまり、国連が国際機関のトップではなく、どれもが対等な位置づけなのだとか。というのも、それぞれが独立した活動をしていて、国連からの指示があるわけではないようです。このことは、本中の前半に書かれているのですが、すでに誤解している領域。よくこれらの国際会議をしている模様をメディアを通して一部見ることができますが、国に戻れば敵国通しなはずなのに、穏やかにその場では会議をしているなぁと思っていたら、案外裏で、さまざまな駆け引きがあるというのは、納得できます。最後の方では、グローバルで働く人への10か条というのがありましたが、ここは別にグローバルに働かなくても、一般的な常識が書かれていて、万国共通の大人な対応という範囲でしょうか。特記するのは、やはり国際公務員にどのようにしたらなれるのかというあたり。なかなか一般の人には手に入りにくい情報ではないでしょうか。ポストが空かないと募集がない、そしてその1つの席を世界の人たちで争うという難関ではありますが、コネがなければいけないとか、特殊な環境においておかないと情報が入ってこないというわけではないようです。言語的にはさすがに英語やフランス語がそれなりに堪能ではないと難しいようですが、マスター卒以上であれば、誰もがチャレンジできるようです。また、ここ数年は志願者が少なくなっているようで、決して手の届かない職業でもなさそうなイメージ。なかなか国際公務員という情報が庶民には入ってこない中、なかなか貴重な1冊だと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです
2014年09月14日
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現在、おうちに新刊の山。職場ではそこでしかできない仕事がてんこ山で、本の装備は自宅でもつい出来てしまうため、お持ち帰りしてしまう私(涙)。だから、一般書類の読書が一向に進まない今日この頃。そのてんこ山の状態の中で、装備そっちのけでムフフと楽しんだりしております。その中の1冊を紹介、『ちょっとだけまいご』。昨年の絵本大賞第5位にもなり、あちこちの本屋さんで一時は平積みになっていたので、既読の方も多いかと思います。おまけに、これで検索すると、もうあちこちで感想が書かれてありますので、今更私がと思うのですが、やっぱり面白い!面白いものは素直に面白いと紹介するのが筋でしょう。面白い以前に、この本の注目すべき点は、アイスランドの作家さんであるということ。アイスランドだから、素晴らしいとかそういうのではなく、アイスランドという国の作品がなかなか日本では邦訳されないということ。それでも、ここ近年はアイスランドに限らず、マイナーな国(海外児童文学作品として)で出版された本が邦訳されるようになりました。おそらく、日本の翻訳家の翻訳言語に広がりが出てきたことと、国と国が近くなったのではないでしょうか。さて、この作品ですが、広義の仕掛け絵本です。これば面白い。最初の仕掛けは分かりやすいのですが、ラスト!がくすっと、そして「このつながりは~」と驚嘆してしまうのです。内容はちびフクロウが巣から落ちて、まさに迷子。自分の親の特徴を出会う動物たちに伝え、親を探すというもの。お約束として、親の特徴を聞いた動物たちは異なる動物を指示します。これは絵本の王道を行く大人が読めば至って分かりやすい展開です。オチも確かに振り返れば王道なのですが、ここに至る最後の数ページが読者をひっぱるんですよね。その時間が面白さを増幅させます。絵本の中に時間を持たせているといってもいいのかもしれません。絵本の画材は和紙ではないとは思うのですが、それっぽい雰囲気を醸し出したものを使われているみたいで、より日本人好みかも。そうそう、この作品に関して、あちこちのサイトをうろうろしていたら、このような動画を入手。私はこのような動画かなり好きです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月13日
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久しぶりに中学部の塾の話題。夏休み明けて、まず行ったのが教科書に掲載されている石垣りんの詩「挨拶 原爆の写真によせて」。(↑ こちらの本でその詩を読むことができます)とりあえず全文引用します。あ、この焼けただれた顔は一九四五年八月六日その時広島にいた人二五万の焼けただれのひとつすでに此の世にないものとはいえ友よ向き合った互いの顔をも一度見直そう戦火の後もとどめぬすこやかな今日の顔すがすがしい朝の顔をその顔の中に明日の表情をさがすとき私はりつぜんとするのだ地球が原爆を数百個所持して生と死のきわどい淵を歩くときなぜそんなにも安らかにあなたは美しいのかしずかに耳を澄ませ何かが近づいてきはしないか見きわめなければならないものは目の前にえり分けなければならないものは手の中にある午前八時一五分は毎朝やってくる一九四五年八月六日の朝一瞬にして死んだ二五万人の人すべていま在るあなたの如く、私の如くやすらかに 美しく 油断していた。何がすごいって、この詩を昭和27年に書いているってことでしょうね。しかも、作者は関東大震災には遭遇しているものの、直接原爆にあっているわけではありません。第3連の地球が原爆を数百個所持して生と死のきわどい淵を歩くときなぜそんなにも安らかにあなたは美しいのかの中の、終わりの2行はこれを読んでいる人へ「平和ボケしていていいの?」という問いかけでもあります。おもわず、21世紀の今への警鐘かと思ってしまいます。だからこそ、今教科書に取り扱われるのだと感じました。ただ、逆に平和すぎて正直字面だけ追うと少なからず私の教え子たちにはなかなか伝わりません。しかし、この第3連には擬人法を使って地球上にまだ原子爆弾が残っていることを示唆しています。このことは、社会の知識として子どもたちは分かっていますので、そこから作者の言いたいことを想像させることができます。技法と言い、言わんとすることと言い、これを毎年子どもたちに教えるたびに、私自身、詩の奥深さというのを思い知らされるわけです。だから、毎年、前の年の生徒に下手な授業だったなと申し訳なくなるのです。明日からは和歌の指導に入ります。また、府内トップ校を狙う生徒たちの特別特訓も始まります。中学3年生これからが本番です。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月12日
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遅ればせながら、夏の下賀茂古本まつりのご報告。もちろん、今年も公私混同の半仕事で行って参りました~。お買物券の応募が春の古本まつりの時にあり、それを申し込んだところ当選となったわけです。もうね~、すごい人のこと。その混み具合と言い、熱気と言い、例年にないほどでクラクラしました。 全部で60冊くらい物色させていただきました。その中でいちばんのお気に入りが『あお』。古本まつりだからって、稀覯本ではありませんよぉ~(笑)。こちらは現在も出版されています。青色が好きな少年がいました。そのため、彼の持ち物はすべて青色。とにかく何でもかんでも、青色でした。そして、彼は犬を飼うことになります。しかし、犬の毛の色は青色ではありませんので、飼うことに躊躇するんですね、この男の子が。その時、彼に名案が浮かんだのです。それはこの犬に「あお」という名前をつけること。そして、この「あお」をとってもかわいがる……というのが、この作品の物語。最初に読んだ時は、名前を「あお」にするというのに、膝を叩いたのですが(もう、私ったら頭が固くなっているのね~)、何より素敵なのはこの本の装丁。紙にもこだわっています。ただの西洋紙ではありません。どちらかというと、手触りは和紙に近いものが使われています。そして、中をあけると、男の子の気持ちが変わるごとに紙の色を変えているのです。つまり、背景の色が変わるということですが、背景を絵具や色鉛筆で塗って変えているのではなく、紙ごと変えているのが素敵。印刷の際に、紙を交換するというのは、ひと手間かかっているということになります。それなのに、本の定価は絵本の一般的な価格。作者のみならず、この本にかかわった人の愛情が感じられる1冊です。これはぜひ現物を見てもらいたいです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月11日
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漫画のガイドブック『まんがのソムリエ』を読了。本書に関して、私の印象が二転三転しているのが、今回の特徴。あくまでも、私が先入観を持ちすぎて、これを読んだためなので、実際に本書を手にした人の印象がコロコロ変わるということはないと思います。まず、これを手にした時、「漫画のガイドブック、しかも100冊だ~」とウハウハな気持ちでした。しかも、春に刊行されているものなので、新刊のものもかなり含まれているだろうと期待度大!!!自宅に持ち帰り、目次を開いたところ、取り扱われている作品の多くが私が小学生や中学生の時に読んでいたものが多く(ここ最近完結したものもありますが、それでもその割合は少ないかも)、著者のノスタルジー的な著書なのかとかなりがっかり。しかし、読んで分かりました。こちらは、著者のメルマガをまとめたものなのですが、それが2006年から。そして、各作品を紹介する時、なぜそれを今紹介するのかという説明がレビューに含まれているのですが、その背景がその時の社会的情勢があってということがわかり、そうなると読んでいて、面白い。そのような、読みほぐし方があるのかと思いました。東日本大震災後に書かれたレビューは『はいからさんが通る』。大正時代におきゃんに過ごした紅緒さんが主人公。私が小学生の時の作品で、それから再読をしていなかったので、漠然とした記憶しか残っていなかったのですが、本書によると、この作品には、関東大震災のことが描かれており、読みどころはそれ以降の紅緒さんだとか。それ以上の詳細は本書を読んで、もしくは作品そのものを読んでのお楽しみなのですが、確かにこの時に読んだら、それなりに心に感じるものがあるのではと納得しました。このような調子で、とにかく100冊のレビュー一つ一つに説得力があり、侮れないガイドブックであり、ここに取り上げられている漫画は、マイナーなものも含めて、今だけでなく、今後も事あるごとに読んでいきたいなと思ったのでありました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月10日
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以前、海外児童文学を読むときに横に置いておきたい本、『魔女・魔法使い大図鑑』と『妖精大図鑑 』を見つけました。トロールとか、巨人とか日本の妖怪もここに含まれていました。が、さらに横に置きたい1冊を見つけました。それが『ほんとにいるんですか?絵図鑑幻獣 神話と伝説のいきもの』。本書によると、「幻獣」と次のようにゆるやかに定義しています。古代に人間の空想がうみだしたいきもの(p3)本書には「幻獣」の名称だけでなく、その出典も書かれています。例えば、おそらくたいていの人がイメージできる「ユニコーン」。これは、もとをただせば、ギリシア・ローマ神話から生まれているそうです。予測できるのは、ビール。いや、麒麟(笑)。こちらは、ご想像の通り、中国の伝説。これにおると、麒麟を傷つけた者は、たいへんな不運にみまわれるそうです。「ハリー・ポッター」シリーズや「チーム・バチスタ」シリーズなど多数の小説でもその名称が出てくる「ケルベロス」。3つの頭をもつ地獄の番犬ですね。この出典は、ユニコーンと同じく、ギリシア・ローマ神話。「ハリー・ポッター」と言えば薬草の授業に出てきた「マンドレイク」は中世ヨーロッパの伝説がスタート。これを読むと「ハリー・ポッター」はヨーロッパにおける様々な「幻獣」の総合商社ということがわかります。(前述の2点もプラスするとそれがさらにわかります)ハリーには「グリフォン」(ライオンの体にワシの頭と翼)も出てきますが、意外やこちらはメソポタミア、エジプトの伝説、およびギリシア・ローマ神話から生まれたようです。同時多発的に、それぞれの民族が考え出したのでしょうか。たいていの幻獣が動物と動物の組み合わせなので、それもあり得るでしょう。私としては、正直前述の2冊以上にはまりました!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月09日
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サイエンスライターの竹内薫さんの著書はかなり好きです。今回は『体感する宇宙』を読んでみました。「体感する」宇宙ってもしや、精神論か?と思いつつも、本書の表紙はセーラー服の女子校生がうじょうじょ。なかなか、そそられるではありませんか。さて、「体感する」。いわゆる、「宇宙に関する事象」を身近なものに置き換えてみるというものでした。例えば、最初の「宇宙」。次のように書かれています。「宇宙」といったらどんな言葉が思い浮かぶか考えよう。(p14)【するとどうなる?】人によってイメージする言葉が違う↓ と思った瞬間!多様にイメージが膨らむ世界= 宇宙(p15)まぁ、「宇宙」という言葉を聞くと抽象的ではありますが、だれもがそれぞれの宇宙を思い浮かべると思いますので、こんなものかと感じる人もいらっしゃるかもしれません。しかし、徐々に「宇宙」に関する用語が専門的になっていきます。半沢直樹になったつうもりで理不尽な上司に接してみよう。(p68)【するとどうなる?】理不尽さに屈せず”倍返ししてやる”↓ と思った瞬間!圧力に負けずに跳ね返す力= 宇宙定数(p69)もちろん、これで終わりではありません。その後に、「宇宙定数」に関する細かな説明があります。ただ、イメージとして、まずその用語が身近なところで言えばどのようなものかイメージさせることがこれでできますので、分からなくなった時は、そちらに置きかえて、再度読み返してみることが可能です。第2章は、「もしも」シリーズ(笑)。このような構成になっています。もしも、街に人だかりができていたら?(p99)それが、「ブラックホール」だ!!(p100)これで、終わってしまうと意味不明になってしまいますが、その後もこの体感のイメージについての説明がついてきます。街に人だかりができていて、キャーキャーと黄色い声が上がっている光景。その中心にはきっと、有名人でもいるのでしょう。でも、人の輪の外からでは中に「誰かがいる」ことはわかっても、誰がいるのかまでは見えません。もし人の輪をかき分けて見ることができたら、たちまちその有名人の魅力にハマって抜け出せなくなるかもしれませんが……。このように、目に見ることができず、状況証拠でしかその存在が確認されていないのが「ブラックホール」です。(p101)それから、さらに「ブラックホール」についてより具体的は話となってきます。この2章は例えが面白いです。「もしも、携帯電話に雑音が入ってきたら?」(p183)くらいはかわいいもので、「もしも、キャリアOLと専業主婦が「幸せ勝負」をしたら?」(p189)に至っては、どう考えれば宇宙論の話になるのかさっぱりです、これだけ読めば。もちろん、本書を手にすれば、その謎は解き明かされ、さらに深く「宇宙」について知ることができるようになっています。夜空=宇宙になっている私にとっては、これを読んだだけで、「宇宙」って幅広くて奥が深くて、さらに身近に存在して、結構ウイットに富んだ奴なんだな、なんて思いこんでしまいました(笑)。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月08日
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鳥取環境大学教授、小林朋道さんの「先生!」シリーズ新刊が刊行されました『先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています!』。新刊と言っても、出版されたのは、春の5月。それから4か月も何していたんじゃい!!!!とお叱りを受けるところですが、これには言い訳があります。このシリーズはこれまでとある図書館でずっと借りておりました。顔なじみとなった職員の方から、このシリーズの新刊が入って、現在装備中だから配架したら借りていってね~と声をかけてもらったのが、6月くらい。で、この図書館に行くたびに、新刊コーナーやこのシリーズがおいてある棚を行ったり来たりすること、4か月。お目にかかれないんですよ~。とそうこうしているうちに、別のやはり頻繁にいく図書館の新刊コーナーにひょっこり。せっかく声をかけてもらったのに、不義理はよくないかと思ったのですが、待てど暮らせど4か月なので、こちらの出会いに身を任せてしまいました~。さて、本書。マニアックな生物についても記されていますが、少なからず私が幼いころ身近にいた生物たちの行動のひとつひとつに、著者は「なぜ?」という問いかけをしています。これは、毎回のこと。凡人が「当たり前」で流しているところに疑問を持つのが、研究者とそうでない人の違いなのだとつくづく実感します。今回は、私が幼き頃、田んぼにはまっては捕まえていた「アカハライモリ」。田んぼに水が入ると、どこからともなく出没しますが田んぼに水が入っていないとき、どこにいるのか……なんて思ったこともありませんでした。ここでは、その謎が解き明かされています。それから、5月くらいになるとどこからともなくやってきて軒下などに巣をつくるツバメ。少なからず日本には、いや鳥取環境大学周辺には3種類のツバメがおり(ということは、私の周辺にも3種類のツバメがいると短絡的に考えています)、そしてそれぞれ巣の形がちがうということも今回知りました。これを読むだけで、どれだけ自分が物事に関して固定観念を持っていて、視野が狭いかを思い知らされるわけです。まぁ、どの本を読んでも毎回同じ反省をするんですけどね。このように様々なことを教えてくれる著者ですが、今回最後の章では、悲劇的なことが書かれてありました。ヤギ部の新参者、ゴマの話。ゴマはヤギ部にやってきて8か月で命を落とします。その経緯が書かれているのですが、読者として客観的に読むと、ゴマが明らかに他のヤギよりも虚弱で、手をかけないといけないヤギだということがわかります。これは、著者も後に綴っています。でも、渦中にいると案外他のヤギと比較していても分からないものなのだなぁということ。人のようにしゃべるわけではありませんから、程度が分からず、案外「大丈夫」という気持ちも動物に対して生まれてきてしまうのかもということを考えてしまいました。もちろん、著者をせめているわけでもなんでもなく、息子を引き受けた身としての感想。なにせ、動物のプロですら、このような結果を生むことがあるのですから。うちの息子は完全に私に依存症なのですが、これももしかしたら見た目以上のものなのかもと息子の状況に思いを重ねてしまわずにはいられませんでした。何せ、先月とんでもない胃腸炎を起こして、病院に運び込みましたから(ただし、私は泊りの仕事で、娘が……ですが)。動物の死はもしかしたら、人の死以上に様々なことを考えさせられるものなのかもしれません。他には、モリアオガエルやダニ、ワラジムシ、そして植物のツタまで、多種多様な生物のことが今回も綴られています。文章の書き方が漫談風なので、とても親しみ持って読めます。生物学に興味がなくても、とりこになると思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年09月07日
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占いは都合のいいとこだけ信じて、満足している者です。占星術もホロスコープを一時は読み込んで、なんとなく自分のことだけは分かったような、分からないような感じのところまで行きました。そんなわけで、時々ふと思い立ったように占い系の本も拾い読みしています。今回図書館で目に入ったのが、『“パッと見”手相占い』。この本ゆるいんです。カバーのそでの部分に、”パッと見”鑑定法のコツと書かれてあり、鑑定に迷ったら、一つまずは、線の有無を確認一つ次にその線の長さや濃さを、第一印象で”パッと見”チェック!一つ鑑定結果は、線の細部にこだわらず柔軟な解釈をあなたのインスピレーションを信じよう!インスピレーション頼みだったら、手相なんて自己流でいいじゃんと思わず突っ込みを入れてみたくなります。私が知りたいのは、自分の手相で、今後の仕事とか健康とか、金銭面とか総合的なもので、いちばん不要なのは、恋愛、結婚なんですけど、ここがメインなんですよね。対象者におばちゃんが含まれていないのが見え見えです。なので、その辺りはパスして、仕事のところに限定で、本書を用いながら自己流鑑定!で、結果、やっぱり分からない……。いや、私の手相って右手と左手がまったく異なる上に、あちこちが細かなしわというか、線が切り刻まれていて、それこそどれがメインのラインなのか分からないんです。自分の歩んだ道や今置かれている位置により、線が消えたり増えたりするとここには書かれていましたが、それでも、あまりにも線がしわしわな感じで入り込みすぎ!!!!典型的なのが、左手がますかけでありながら、本来のますかけは感情線が二股にわかれた一本が頭脳線とくっついていて、生命線のいちばん手首のいちからもう一本ますかけに向かって直線が走っており、トライアングルを成しています。これに関しての、記述はありませんでした。実際のところ、これまでの手相の本も、私の手相に見合うことが書いてあるかと思い、手にしていたのですが、これもまた違っていたようです。かれこれ、8年くらい前に一度見てもらったことがあるのですが、はぐらかされてしまいました。確か、「気にしなくていいよ」と言われたような記憶が。そういう場合、不幸なことが手のひらに描かれているとは思うのですが、それでも知りたい。てなわけで、インスピレーションを信じるまでにもいかない……。さて、お次を探すとするか。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月05日
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『父という病』を読んだ時に、その前に同じ著書から出版された『母という病』は読まないだろうなと師匠のところで開設させてもらっています「kimuraの読書ノート」で触れておりました。が、神様はそうは問屋が卸さない。4つ抱えている仕事のとある一つの上司が回覧で『母という病』を読みたい人~、僕持ってるから貸してあげるよ!!!と書いているではありませんか。そうだったら、もちろん読みますよ~。ってなわけで一気読み。「母子」関係の書物は後にも先にもたくさん出ております。中には、私にとって生理的に合わない著者もおり、けっと本を投げたこともあります。それくらい、この問題を書くということは、ふり幅が広いです。書き方を間違えれば、個人批判に近い状態にも陥りますし、ただの一般論に終始してしまう場合もあります。結論から言えば、本書は「読んでよかった」の1冊に入りました。アメリカの俳優、ジェーン・フォンダーが「母の病」から克服した事情が記載されており、人はそこまでしないと心におった傷を自分で治すことは不可能なのかと驚愕もしたのですが、何よりも、虐待がらみのことにも触れており、その書き方がこれまでにはないものでした。これまでの児童虐待については、親の生い立ちも関係ありつつも、「育てにくい子」に集中してしまうというものでした。だから、社会的に「育てにくい子」とその親のセーフティーネットが必要であると書き方。でも、ここでは、虐待などの養育的環境が「育てにくい子」のトリガーを引いてしまうというものでした。つまり、養育的環境が整っていれば、「育てにくい子」の特性である偏りが発症しないということ(絶対発症しないというものではないですが、発生頻度は低いらしいです)。そして、続いて、この「育てにくい子」が安定した愛着を形成した場合は、平均的な人よりもはるかに能力を開花するとも。卵が先か、鶏が先かという問題になろうかと思われます。結局のところ、子どもの養育環境を整えるということはどちらの場合でも重要であるということは読み取れます。本書の著者は、「3つ子の魂」ではなく、「1歳半」までの愛着形成が必要と断言すらしています。ここでしっかり愛着形成を培った子は、その後多少何かあっても動じないようです。残念ですがこの時期までの子どもの愛着形成に関係するのは、「父親」よりも「母親」。そりゃ、そうだと納得せざる得ません。この1冊だけを読むと「母親」を糾弾しかねない図書ともいえます。だから、この春出版された『父という病』なのだと思います。どうしても、母親に責任を押し付けてしまいがちにある子どもの1歳半までの間を、父親は母親をサポートする形で関わらなければならないというわけです。愛着形成の第一歩は母親の手にかかっているのですから。現在教育の現場では子どもたちの「おかしな」行動が増えているというのが、日々報道もされていますし、あちこち公開されているデータでも示されています。やはりその一つがが「虐待」で、それが「育てにくい子」が多いからなのか、「虐待」をしてしまうためにトリガーを引いてしまうのかは、正直私にはどちらかに限定するということはできませんが、いちばん母親が体調的にも精神的にもしんどい子どもが1歳半までの時期に、安定して子育てをできない環境にあるということは間違いないようです。それをひも解いていくと、少子化といいながら、若年層の出産、離婚、それから収入の不安定さなど、背景には社会的要因が大きいことが明らかです。もうね、一層のこと子どもが生まれたら、子どもが1歳半、いや3歳までは、両親とも現在の収入を保証して、共に育児休暇というのはいかがでしょうか。そうすると、「虐待」も少なくなり、学校教育の場での子どものおかしな行動も減るんじゃないのかなぁ~。その間に、偏りのある子どもは療育環境を整えて、早期療育をしていく。そんなに悪い提案じゃないとはおもうのですが、おそらく、財務省あたりから苦情のくる案件になることは間違いないでしょう(涙)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月05日
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かれこれ何年前だったでしょうか。児童書コーナーに平積みになって並べられていたのは。アメリカでかなりブレイクした児童文学というのが、当時の売り言葉だったような気がします。気にはなりつつも、あまり気乗りしなかったので、そのままスルーしていたのですが、気が付けば、文庫になっているではありませんか。しかも、「ハリーポッター」シリーズや、「ダレン・シャン」のシリーズなどは、文庫でも児童書的文庫として扱われているのですが、これは、一般文芸扱いの文庫。気になるではありませんか、『穴 Holes.』。もちろん、文庫で読みました。作品そのものですが、日本の物語では見かけない設定です。子どもが犯罪を犯してキャンプ生活するという文化的な違いもそうですが、そこで延々と穴をほる作業を子どもたちにさせます。それだけで、物語が成り立ってしまっています。子どもたちの淡々とした動きとその隙に見せる本来の姿。そして、穴を掘る理由が矯正だけでないということが物語を読み進めると分かってきます。過去と現在が交錯し、意外な人物の縦糸と横糸が徐々にほぐれていきます。その辺りは、ミステリィっぽくも感じます。この時点で、正直「児童書」ではないよなぁと思うのですが、おそらくアメリカの子どもたちに受け入れられたというのは、先にも書いたように文化的な背景が大きいような気がします。日本では難しいなぁ~。うん、だから、一般文芸の文庫にしたんだなと納得した次第。大人だったら、この面白さと怖さが理解できると思います。子どもの敏感な感覚でもこの作品は難しい(と思ってるだけで、思い込みだったりして)。そして、ラストがこれまた謎を残して終わっています。と思うのは、私だけかもしれないのですが、主人公のスタンリーと他一名のモノノーグはともかくとして、他の子どもたちはどうなったのよ??????文庫の解説は森絵都さんが書いています。彼女は、刊行当時(単行本)これを読んだ知人たちが「面白かった」「楽しかった」という形容でしか言い表さないことに不満を持っていたのですが、2年半後にこの作品を読んで、その事情に納得したと綴っています。そう、まさにその通り。大人ですら「面白かった」「楽しかった」としか語れない、微妙な作品の温度なのですから、これを子どもたちに勧めて読むのはかなりの至難の業。子どもたちが偶然にこれを手にして、投げ出さないで読めた子だけが作者ルイス・サッカーの世界に浸れる特権なのだと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月04日
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木下明美氏HP内「kimuraの読書ノート」更新していただきました。(京都で、着物暮らしPart2 → 9月3日の記事)今回は、ふっふっふっ、やはりアイドル好きとしてはこのような形の本となると気になりますね~、『逆転力』。アイドルのものと思わずに、一人の女の子の人生ドラマとして読んでいただけると楽しめるのではないでしょうか。わずか20年でも、自分の20代の頃とは異なる歩みをしているのは、誰しものこと。人の人生を垣間見ながら、自分の生き方を見つめなおすのはいかがでしょうか。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月03日
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普段なら目にもとめない料理系エッセイのはずですが、著者名を見た時に、「あぁ、旦那さんが作曲家で、娘は杉本哲太と結婚したんだっけ」などと、ミーハーな部分の私がむくむく。何となく図書館で借りてみました『メイコの食卓』。いや、想像以上に楽しませてもらいました。確かに食べ物のことも書かれているのですが、昭和の大スターと言われている人たちの武勇伝が満載で、まさにミーハーな私にはわくわくしながら読むことができました。何せ、著者は子役として、幼き頃から芸能界に君臨されていますので、その人脈の広いことったらありゃしない。銀座での出来事や、著者宅でのあれこれ、そこには「THE・芸能人」の世界が繰り広げられていました。おそらく、今の時代だとあっという間に週刊誌で叩かれるようなこともあちらこちらであったようで、その豪快さと言ったら。まぁ、それがいいのか悪いのか、のどかだったのか、鈍感だったのか。その中で、印象深いのは、美空ひばりさんに関することでしょう。と言っても、私自身は彼女についてあまり関心がないんです。いや、なかったんです、これを読むまでは。ただ、最後に書かれた美空ひばりさんのことを読むと、そこには胸がつまるものがありました。著者も美空ひばりさんもお酒に関してザルで、夜な夜なお互いに飲んでいたようですが、美空ひばりさんが体調を怖しなくなる前に、著者に言ったことが、「実は私はあなたと分かれてからも心配してくれる人がいなかったから、実はあなた以上に、さらに飲んでいた」というものでした。お酒に飲まれるというのは、こういうことなのかとしんみりと思ったのでした。この意味の深さ。大御所と言われる所以ですが、悲しいものがあります。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月02日
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昨日読んだ本も語ることが受け継がれてきたもの『アイヌの昔話 フキノトウになった女の子』。楽天からの画像をここに貼ろうと思ったら、「そのような本はございません」状況で、あれれ~と手元にある本をみたら、バーコードも値段の印刷がなく、改めてネットで調べてみたところ、「アイヌ文化財団」が独自に出版されたようです。書店に出回っていないのに、図書館にあったということはここからの寄贈本なのかもしれません。興味を持った人は直接財団にお問い合わせください。ご存じのようにアイヌ民族は文字を持たないため、つい最近まで語りで様々なことを伝えてきました。これを日本語にしたのが、金田一京助さん。辞書の人ですね。もちろん、彼が日本語にしたというよりは、アイヌ語と日本語を両方話すことのできたアイヌ人の知里幸恵さんに依頼してと言った方がいいのかな?この辺りは、以前この「徒然」で書いたはずなので省略(笑:自分でその日付を見つけ出す時間がないのでごめんなさい)。さて、本書、絵本になっているアイヌの昔話以上に短いお話が4編収録されています。最初のお話なんて、カムイの妹が人間界が楽しそうなので、うれしくなって踊りながらそこに舞い降りたら、勢いがつよすぎて人間界の村がめちゃくちゃになったために、地獄に落とされて、その後フキノトウになったなんていう、感想からいうと、あれ~、それだけ~という感じ。昔話って子どもを寝かしつけるために語っていた側面もあるので、まさにそのような感じで語られていたんだろうなという場面を想像してしまいます。文章としては、全てを和語でなく、アイヌ語を間にあえていれてきて(そうじゃないと、和語では当てはまらない言葉もある)、それが読んでいて、リズム感があり心地よく感じます。それと同時に和人とは異なる世界観が目の前に広がります。しかし、和人というか仏教感を同じことがそこにも展開されていることがわかり、民族は異なっても人というのは、根底では同じようなことを考えているのかなとここでも知ることができました。(本書では、地獄の世界のことがそれにあたります)挿絵もとても優しくて、私自身は、自分が小学生の時に読んだ雑誌「なかよし」に連載されていた、いがらしゆみこさんの「コロポックル」と同じ画筆だなぁという懐かしい記憶がよみがえってきました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年09月01日
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