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今日、諸般の事情にて始発で東京に行ってきました~♪何年ぶりでしょうか。東京駅に着いた時は、「帰ってきたぞ~」という思いが自然と湧いてきました。手っ取り早く任務を完了させ、少し余った時間で、娘が赤ちゃんの時から足しげく通っていたクレヨンハウスに行ってきました!千代田線表参道の駅から地上に上がって、自然とクレヨンハウスのある方向へ足が動くなんて、どれだけ通ったんだということでしょうか。迷いもしない(笑)。何も表は変わっていません。 店内はレイアウトが変わっていました。そして、私が通っていた時以上の店内の人混み。当時は、お母さんと子どもという設定が多かったように思えるのですが、父親と子ども、おじいちゃんと孫という組み合わせも多く、びっくり。ますますクレヨンハウスの認知度はアップなんですね~。10年以上前の3階はジェンダーや社会問題に関する書籍だけが並んでいたと思うのですが、オーガニックな化粧品やアロマなどがフロアの半数を占め、びっくり。しかし、これらの書籍の点数も増えていました。3階は以前は閑散としていたのですが、ここも多くのお客さんが!それでも、同じ場所に同じようなコンセプトのままでそこにあるクレヨンハウス。私の子育ての原点の一つでありますので、変わらず表参道の裏通りで待ってくれているそのぬくもりを堪能してきました。できれば、銀座の教文館にも行きたかった~!!!!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです
2014年11月30日
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私が仕事でレファレンスに関わった学校で、それらの本を使った授業の公開があり参観してきました。レファレンス依頼があったのは、「家族」「ふるさと」「平和」のいづれかがテーマになっていて、授業内で子どもたちが読めるように、「絵本」であるものでした。子どもたち一人1冊というのも条件にあったため、最終的には100冊ほどお届けしました(レファレンスだけではなくて、収集もしました)。授業は、自分のお気に入りの1冊を見つけて、それを紹介するというもの。今回参観したのは、まだその途中段階で、どのようなところを紹介するのかを見つけ、それを自分の言葉でどのように伝えるのかを考え、それを付箋に書いて、とりあえず本に貼り付けておく。後半はその付箋を見て、発表練習をしてみる。というものでした。全部でこの授業に10時間くらいとっており、今回は7時間目。授業の構成や細かいことは分かりませんが、本に関わる人間としては案外このような形で本を提供すると海外作品や古典的作品を手にしているということに目がいきました。図書館などですと子どもたちにとっては選ぶことのできる本が多すぎるのかもしれません。人気だったのが『ぼくのパパはおおおとこ 』。そうそう、書き忘れていましたがレファレンス&収集をした時に、幾つかの作品は1つではなく、複数紛れ込ませまたため、人気本というのが出てきています。とある男の子は発表するメモに、「みなさんのお父さんはどんなお父さんですか」と書いてありました。こんな素敵な出だしが書けるなんて、この作品を好きにならないと出てこないだろうなと感じました。古典的な作品としては『百羽のツル』。古典と言うには微妙ですが、まず子どもたちは普通では手にしないでしょうね。私もこれを収集した時に、「読みたいと思う子いるか?」と苦笑しながら紛れ込ませたのですが、いましたね。ふっふっと思わず笑みがこぼれてしまいました。とある子には、「この作品のクライマックスってどこ?」なんて思わず聞いてしまったのですが、案外的を得ていました。のべ100作品、私自身何を収集したかすでに時のかなたですが、子どもたちが嬉々として授業に取り組んでいる姿をみると、自分が選んだ本が受け継がれているような感覚を持つことができてとても嬉しかったです。本番の発表も聴きにいきたいなぁ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月28日
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内田センセーの『街場の共同体論』読了。いつも内田センセーの話にはうんうんと頷きながら読むのですが、今日はあえて反論。本書は「人と人との結びつき」をテーマに第7講から構成されています。反論というのは、その中の第4講「格差社会の実相」という話題。弱者支援が「もっとお金を」という一元化について危惧されていることが最初に書かれています。ここまでは先生の言わんとすることは何となく理解できます。その後が、どうも私とは肌感覚が合いません。その部分、ちと長くなりますが、引用します。最近、大学では入学納入金が払えないという事例が頻繁に報告されるようになりました。入学試験に受かったけれど、納付金が用意できない。金策と親の無計画性に僕は驚きます。入学時の納付金の金額はあらかじめわかっているのに、それを用意していない。子どもが大学受験をするような年利の親に、150万円程度の蓄えがないというのがどうかと思います。生まれてから18年間、準備期間があったわけですから。それが用意できないままに、ぼんやりお金を使ってしまって子供の入試を迎えてしまった。どうして一方では「お金が大事」とあれだけ言い立てていながら、お金の管理がこんなにルーズなのか。僕にはこれが不思議です。(p131、132)まず、「150万円程度」という言葉。庶民にとっては150万円程度とは思えません。かなり大変な額です。150万円を庶民が貯めるのにはかなりの時間を要しますたしかに18年かけて貯めると言えば簡単ですが、この失われた20年、一般の企業に勤めるサラリーマンで安定した収入(右肩上がりとは言わずとも、平行線で維持している)を得ている家庭がどのくらいあるか……。少なからず私の周辺では、子どもの教育費も含めて金策にあたふたしているのが実情。私が知っているとある大企業、業績を持ちなおして黒字!!!!!!と経済面には大々的な記事となっていましたが、その裏側では大掛かりなリストラ及び転籍で人件費を大幅に削減しての黒字。身近にその憂き目にあった方々を知っています。これが子どもの受験と重なってしまっていたら、もう笑い事ではありません。金がないから受験をあきらめろと親として言えるかどうか。内田センセーは他の著書で、大学が増えすぎたのを減らすのはいかがかとおっしゃっています。多くが大学に行くのであれば、たとえ偏差値が低くてもそこまでとりあえず勉強をみんなするのだから、少数派になりつつある高卒はますます勉強しなくなると説明されておりました。となると、かなり矛盾が出てきます。様々なことは計画通りに行きませんが、「お金」って本当に予定通りいかないもの。病気一つなっても、お金が必要。先生は、この上記のことについて「身の程知らずの消費行動」とおっしゃっています。自分の家計よりちょっとだけおいしいモノとか、いいものを着るとかそんなことが積み重なって借金となるとおっしゃております。いわゆる「ちょっと無理をする消費生活」。もしかしたら、内田センセーの周辺はこのようなケースだったのかもしれませんが、私は大学納付金に関しては、そのような事情ばかりではないと思うわけです。もっと深刻なケースが多いと思います。てなわけで、ちと反論をしてみました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月27日
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赤木かん子さんの著書は今の私の仕事の指針になっています。細かく新刊の発行日まではチェックしてはいませんが、それでも気が付いた時に必ず目を通すようにしています。今回の『今こそ読みたい児童文学100』もその一つ。赤木さんの著書が指針になるのは、このようなフレーズ。児童文学は子どものために書かれた物語ではありますが、ケータイの出てこない時代のものはもう子どもには読めないのが普通です。(p3)以前からここでブツブツ私が書いております、「名作がおかずか!?」という命題に対してのヒントが彼女の著書にも散りばめられています。石井桃子さんが、その時代のモノや事が一致していることが児童文学として大切ということをおっしゃっていました。それをオブラートに包まないで語っているのがこのフレーズだと思います。本書はちくまプリマーから出版されていますので、対象は中学生・高校生のはずなのですが、本書は明らかに20代以上の大人対象となっています。そして、このフレーズ。今の大人で物語の好きなかたが読んだら面白い、といっていただけるだろう本を百冊集めてこの本を作っていました。本は、一応これがいいかな、と思う訳のものを書影に「使いましたが、好みもありますから、どうぞご自分で気に行ったものをお読みください。古い物語を読むのは、大人の本でもなかなか難しいものです。(p4,5)とりわけ最後のフレーズなんて、子どもだったらもっと難しいということの裏返し。名作を否定するわけではもちろんないことは以前から書いています。「おかず」と強調しなくてもいいよね、と私は思うだけ。そして、読むには基本的にサポートが必要な本が名作と言ったところではないかと思います。さて、100冊ですが、ここでは9つのテーマに分類されています。ここでは、あえて第5章の「もう一度読み返したい名作たち」に踏み込んでみました(爆)。『若草物語』★この作品ができた1800年代後半は「女性はこうあるべし」という価値観があった時代(いや、今もそうか~)。作者のオルコットはこの価値観を微塵ともおかしいと思っていないのですが、無意識にその殻を破っていたのがこの物語。当時としては画期的な作品。『ハックルベリー・フィンの冒険』★マーク・トウェインの作品で有名なのは「トム・ソーヤの冒険」ですが、こちらは社会性ゼロ。それよりはこちらの作品のテーマは「奴隷問題」。アメリカの歴史的背景を知りたいならこちらの作品がベターなようです。『秘密の花園』★虐待の物語であり、傷ついた子どもがどのように癒されているかを描いている作品。『十五少年漂流記』★十五人の少年の国籍がバラバラ。国際連合的な少年の集団。まだまだありますが、大人的に読むとこのような感じ。子どもよりは少なからず知識のある大人が読むほうが作品の深いところに手が届くということなのだと思います。海外作品のすごいと思うところは、日本のそれよりも早くに児童文学の中で依存症を扱ったり、冤罪事件を扱ったりしているところでしょうか。海外の子どもたちが当時このような作品をどのように読み説いていたのかとても気になるところです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月26日
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『君に友だちはいらない』で紹介されていた朝日新聞社の異端児が東日本大震災を追いかけた『プロメテウスの罠 明かされなかった福島原発事故の真実』を読了。全てがびっくり。当時の菅首相は対応が悪いとかなり叩かれましたが、菅さんかなりまじめにやっていたわ。少なからずこれを読む限りではおそまつだったのは、官僚側。ドイツの友人が当時、海外のメディアではSPEEDIの値が報道されていて、かなり危ない状態なのになぜ日本では報道されていないとメールを送ってきてくれたのですが、なんてこったない、海外のメディアが流していたデータは日本の保安院が米軍に送っていたものだったのです。元菅首相はこのような予測データがあること自体知らされておらず、この「プロメテウスの罠」が連載を始めて、その記事で知ったということが、本書に載せられていました。しかも、当時保安院のトップとは何度も席を一緒にしているのに、何も伝えてくれなかったと。保安院の言い分からすると予測データを整理している間に、政府が同心円状に避難指示を出したしまったから、今更それを撤回して他の避難地域を示してもいけないだろうということだったとか。意志疎通が図れていないと言えばそれまでですが、データを持っている者が先に伝えなければ、存在を知らないのですから、SPEEDIのことについての質問もできないというもの。かなり保安院の意図的なものを感じます。また原発がストップした時点で、東電トップは閣僚に東電社員の撤退を申し出ていたとか。しかも何度もしつこく。それを止めたのは首相のようでした。東電トップはしかも現地にいる故人となった吉田所長などと連絡もとらず、逃避行を画策していたようです。東電トップとは話にならないがために首相は福島原発に直接足を運んだようです。そこで故・吉田所長には撤退の意志はないことや、東電トップが閣僚に話していることとは全く異なる動きをとっていて、そこに信頼感を得たとか。よく事務方と現場とでは解離があると言われますが、東電もまさにそのような状態だったようです。現場は何とかして、原発が最悪の方向に動かないように、模索しつつ必死で戦っていたののに、トップは原発を置き去りにして退避することしか考えていなかった……。このようなこともあり、最終的には首相は自分の人脈でエンジニアを呼び寄せて、アドバイスをもらっていたようです。他にも民間レベルでの動きも書かれてあり、そこでは各自治体によって温度差があることも明るみに。子どもたちの内部被ばくの心配をして、放射線量を定期的にはからせてもらえるように頼んだ医師にたいして、けんもほろろの自治体もあれば、そのお隣は意を組んで一緒になって検査を行った話など。結局のところ、このような災害の時に自分の保身しか考えなかったところからほころびが出てきて、それが肥大拡大することにより、機能不全を起こすということが明確になるような事情となっていました。本書はすでに7巻まで刊行されており、8巻目も来月出版予定。継続して読んでいきたい本です。今更ながらですが、朝日新聞出版はこれを自分のところで出版しなくて、後悔しているだろうなぁ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月25日
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中学3年生の多くが今週末、学期末テストではないでしょうか。今回の定期テストで、ほぼ内申点が確定ということで、必死な人は、必死なはず。そのような訳で、本日は休日返上で定期テスト対策という名の授業でした。中学生の国語の教科書は、授業時間数以上の単元を盛り込んでいるため、私が知る限りでは全ての単元を学校の授業ですることはありません。学校の采配に任されています。塾は一つの学校の生徒だけではありませんので、国語は各学校によってばらばらです。その中で、とある学校では論述文「ネット時代のコペルニクス」という文章を扱っていました。著者は吉見俊哉氏。教科書への書き下し文のため、これそのものの著書はありません。ネットと本との比較論であり、更には情報を体系的に捉えるためにはという話に発展していきます。ネットと本の違いさえ分かれば、案外分かりやすい内容だと私は思っていたのですが、そうは問屋がおろさない。タイトルからもわかるように、比喩表現として「コペルニクス」の天動説が出てきます。そして、「森の中のりんご」。これが何を例えているか分からないようなのです。おまけにこれらに関する問いがほとんどですから、余計に混乱を招きます。そのため、「分からない」と投げ出してしまう生徒の多いこと(汗)。私が推測するに、ネットと本の違いは脳みその中で分かるけれども、この違いについてどれがどのたとえをしているかが一致しないというところでしょうか。この部分をどのように子どもたちに理解させるのか、ちょっとだけ翻弄させられてしまいました。====そして、魯迅の『故郷』。こちらは中国の話なので、社会的背景が分からないと読みづらいです。しかも、情景=心情ですから、情景がプラスのイメージなのか、マイナスのイメージなのか分からないと、問題以前に、文章も理解できません。「鉛色の空」と書けば、気持ちがどんよりとしていると分かりそうなものなんですけどね。そして、母が場合によっていは、ご隠居様というように、言い換えも多数でてきています。私のように活字中毒だと自然とこの言い換え部分というのは、意識しなくても読んでしまうのですが、これも難しいようです。生徒たちにはとにかく、あらすじが書けるほど(実際には、書けなくても、語れるほど)にまずは読まないと本書は問題を解けないのですが、こちらもあらら~という生徒が一部。無事に最後と言っても過言ではない定期テスト、無事に乗り切ってほしいのですが……。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月24日
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本日は本のお話はお休み。世間は3連休ですが、私は唯一本日がお休み。ってなわけで、毎年恒例、夫と共に激混みの嵐山を体感する会決行! もうびっくりですね、例年にない混み具合。なにせ、嵐山線に乗り換える桂駅、ホームに下りるのに長蛇の列。予定の電車に乗り換えることができませんでした。(上記画像の左側が桂駅。右側が嵐山駅)嵐山駅を降りて、渡月橋にむかったわけですが、ここで新ルールができておりました。渡月橋は左側通行のため、中の島からアクセスすると渡月橋の欄干の真横に横断歩道があり、それを渡って橋の左側を歩くことになるのですが、この横断歩道を渡ることができませんでしが。この横断歩道を渡らず列の最後尾に回ってください~と警備員さん。列の最後尾って……。なんと法輪寺よりも更に南に最後尾がありました。その画像がこちら↓右側はようやく渡月橋が見えてきたところ。 嵐山駅を降りてから渡月橋を渡りきるまでに1時間かかりました~。過去最長(爆笑)。 今や地元民に同一化した私たちですし、まさにこれを堪能しに嵐山に足を向けたのですから、面白い経験をした!で済むのですが、わざわざ観光でいらっしゃった方々はお気の毒としかいいようがありません。しかし、この時間を使ってでも嵐山に紅葉を愛でに来たかいはあったと思います。いつになく素晴らしい紅葉!!!! 小倉山公園がいちばん鮮やかでした。 暖かかったので、保津川も多くのお客さんでにぎわっておりました。ってなわけで、なかなかの人混みでした。おまけ(お家で紅葉狩り!?) にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月23日
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『生きる力ってなんですか?』を借りた理由は内田センセーです(笑)。本書は、2002年の学習指導要領に盛り込まれた「生きる力をはぐくむ」という抽象的な言葉「生きる力」というのは、具体的にどのようなものなのかというのを、論客7名に答えてもらっているというものです。この7名の中には内田センセーだけではなくて、西原さんもいらっしゃいますが、今回はこの2名は省いて、メモメモしていきたいと思います。本書のすごいところは、前半は小学生くらいの子どもたちに向けて、それぞれの論客が書いており、そして後半は前半のものを大人向けにより具体的に書かれていることです。全く異なったことを書くのではなく、子どもたちに向けたものにそって加えている、いや、もしかしたら大人向けにかいたものを子どもたちにむけて言葉をそぎ落としたといっても良いのかもしれませんが、ともかくきちんと両者に整合性があるということです。結論的には、どの人も「生きる力」というのは、親元を離れた時に、自分の足で自分の道を作りだしていくというものではないかと私は感じました。もちろん、それは「人に頼る」ということも含めてのこと。そのように選択するのも自分で考えた上というものだと思います。このような中で、「生きる力」とは離れるのですが、乙武洋匡さんのとあるフレーズが共感しました。長いのですが、引用します。あれだけ批判された「ゆとり教育」ですが、僕は実はそれほど否定的には捉えていません。つまり、暗記中心のつめこみ教育では「生きる力」が身に付かないから、経験を通して物事を主体的に捉え、考えていく姿勢を身に付けようということで「ゆとり教育」が始まったわけですから、考え方としては間違っていなかったと思います。しかしあまりに教員が忙しく、「ゆとり教育」の目玉であった「総合的な学習の時間」を活用しきれなかった。ここにもっと力を注げていれば「ゆとり教育」によって、子どもたちの「生きる力」を育む環境を整えられたのだと思います。「ゆとり教育」の失敗は、教師にゆとりがなかったせいだと僕は分析しています。(p140)私も「ゆとり教育」そのものの姿勢は全く悪くなかったと思います。「総合学習」は「教科」という枠を外れて、様々な視点から物事を捉える学びだと思っていますし、「ゆとり」というのは時間数を減らすという意味合いで使われていたのではありません。問題は、乙武さんもかかれているように、「教師にゆとりがなかった」ということです。つまり、「総合学習」をやっていくための、教材研究をする時間が作れなかったということです。乙武さんは「教師にゆとりがなかったせいだと僕は分析しています」という言葉で締めくくっているため、逆にこの言葉だけを読むと「教師」が問題だったという風に感じる人もいるかもしれませんが、それも違います。この2002年という年は、学習指導要領を除いても教育業界で大きく様々なことが変わってきた年でもあります。レアな事件ではありますが、学校現場が殺人事件の場所となってしまったり、釈然としない理由で子どもが子どもを殺してしまったり(くどいようですが、殺人そのものはレアなケースです)。そのような元年ともなっています。このことがあり、授業以外のことで学校側は様々な配慮や措置、考えなければならないことが増えました。その上、週休2日制の導入で、授業そのものの時間が減ってしまいました。そんな状況の中での「ゆとり教育」。様々なことが一気に押し寄せた21世紀。教師の方々にゆとりがなくなるのも当然です。擁護するというのではなく、教師だけの責任で「ゆとり教育」に問題があったというわけではないということです。私からするとせっかく導入するのであれば、それを示したトップ(文科省)が現場に丸投げするのではなくて、上手く誘導すればよかったのではなかったのかな~と思うわけです。また、教育というのは、実際は子どもが大人になって学校を振り返った時にどう感じたか、どのように歩んでいるかというところ、そしてどのような人格を形成していったかといいうところまで鑑みると、即「失敗」というのはいかがかとも思います。しかも「失敗」という言葉そのものも、実はなんだかねぇ~。「ゆとり教育」を受けた子どもたちは失敗作ということなのでしょうか。人格を否定しているような気がしますけど。ってなことを、「生きる力」からちと離れてうつらうつらと思ったわけです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月22日
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今は別の昔話を塾の子どもたちに読んでいるのですが、前回読んだ『えすがたにょうぼう』は口承文芸を地でいくような物語でした。この3つ、すでにタイトルが微妙に異なるものが1点あることから、すでに口承文芸であることを醸し出していますが、この3作品、次の2点が大きく異なっていました。★主人公の男性の名前★男性が女房を助け出すために扮した職業1か所がそれぞれ異なるというのは、何回かあったのですが、3作品2か所がはっきりと異なるというのは初めてかもしれません。この違いというのは、「桃太郎」で言うところの、地域によってお供の動物3匹が全く異なるというのに匹敵するものだと思います。もしくは「うらしまたろう」が助けたのは通常「亀」ですが、それが地域によって異なるというイメージでしょうか。ここには、男性の名前や職業をあえて書きませんが、ぜひみなさんの目で確認していただけたらと思います。そんなわけで、現在のところ私の中ではこの「えすがたにょうぼう」がKing of 昔話と認定いたしました(笑)。ちなみに、現在は『しっぽのつり』を読んでいます。こちらは、登場人物に人間が一切出てこないお話です。構成的にはイソップ物語を彷彿させます。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです
2014年11月21日
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以前から気になっていた神戸大学の教授で医師の岩田健太郎さんの著書をようやく読むことができました『医療につける薬』。って言っても、私の好きな内田センセーとわっしーの対談本なんですけど。内田センセーやわっしーの持論というのはとりあえずこちらに置いておいて。もうね~これを読んでよかったわと思ったのは、「脳死」と「植物状態」の違いが明確に記されていた、いや、語られていたことですね。もちろん、医師である岩田氏がですが。岩田氏によると、脳が壊れる部位というのは、「皮質」と「脳幹」の部分に分けられるそうですが、「皮質」が壊れたのが「植物状態」で「脳幹」が壊れたのが「脳死」なのだそうです。そして、皮質が壊れた場合は、寝ている状態がずっと継続、つまり寝ていて目を覚まさないことなのだそうです。そのため、その部分以外の生命活動は自発的に行われるそうです。汗をかいたり、おしっこが出たり、お腹もすくから栄養を点滴で入れたり。しかし、脳幹が壊れた場合は、この生命活動を行う腎臓や肺や心臓などの生命活動はできておらず、無理やり機械で動かしている状態なのだとか。もっと言えば、脳幹が壊れた時点で、ほぼ数日後には一般的な「死」に至るそうです。岩田氏はこの大きな違いが案外一般的に知られていないし、「脳死」を人の死として認めないと声高に訴えている人もその当たりが分かっていらっしゃらないと語っておられました。だからと言って、岩田氏は脳死については「死」としてOKとおっしゃっているわけでもありません。これらの事実を知った上で、その当事者の「死」をどうとらえるかは、家族の問題であるとしています。もともと、私と夫は延命治療は基本しないという話をよくしていますが、このことを知って、余計に延命治療の必要性はないなぁと思いました。無理やり機械で動かしてまで生きたいか?と自分に問うてみますが、目を覚まさないのであれば、私にとってはがっつりと深い眠りに入る方がいいなぁ~。植物状態の時は、ちと考えます。というか、私は眠っている状態となりますので、そこに意志はないかも。家族の好きなようにして~という感じでしょうか。仮に延命治療を施してもらったとしても、半年くらいが生活している人間の精神的、肉体的限界かなとも思います。そこからは、栄養の点滴も外して、深い眠りに入るのがいいのかもね~。医学的な話をかなり興味深く読ませてもらいました。餅は餅屋です、はい。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月20日
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一刀両断で身も蓋もない『生きる悪知恵』読了。サブタイトルになっています「正しくないけど役に立つ60のヒント」はきちんと的を得ています。何せ作家の綾辻さんからの相談「作家活動のモチベーションをあげるにはどうしたらいい?」に対して、西原さんは、「借金を作ること!!!!!」とバシッ~~~~っと言ってのけています。正しくはないけど、ある意味「お金のため」というのは、生きて食いつなぐという生命活動につながりますので、間違ってはいません。私も根底にあるモチベーションは「食って生きていくため」です、はい。でも、借金を作っても平然としているとか、すぐにマイナス思考になって借金を返さないでなんとかしようとする人には向いていません。なので、西原さんの回答では明らかに二極化するでしょう。これによって、救われる人、前を向いて進む人と、負のスパイラルに陥る人と。そんなことを言っていたらきりがないので、基本本書は、そんな切り返しがあるのかぁ~と楽しんで読むのが、正しい読み方かと思われます。(でも、楽しめるかなぁ~、相談がかなりシリアスだったりもするので……って逆説的なことばっかり書いているなぁさっきから)また、経験者しか分からない、つまり西原さんしか答えられないものもありましたが、そこから横線引っ張ると案外自分のこととして納得できることも幾つかあり、これに関しては膝をたたきました。その一例が、「娘が漫画家になりたいと言い出したが、才能があるかも分からない。専門学校とか行かせるべき?」というもの。それに対して、西原さんは、「才能を判断するのは親ではなく、世間様!」なるほどですね。これは間違いなく才能だけでなく、自分への評価に対しても当てはまることでしょう。書いてみて、下手でも世間様が面白いとブレイクしてしまえば、それが才能ということでしょう。下手さも含めて。う~ん奥が深い。彼女の良さって、彼女のこれまでの人生の道のりがドラマでは語れないほど波乱万丈に満ちていながら、それを肥やしにしているところだと思います。それを支えているのは、おそらく前述している「借金」かと思われますが、それまでも彼女のプラスの「お金」にしてしまうあたり、才能なのでしょう。いや、才能を開花させるために神様が「借金」をこしらえていると言っても過言ではないかもしれません。そんなこともつらつら脳裏にかすめながら、爆笑させてもらいました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月19日
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今日、夫からプレゼントもらいました~♪それが『世界の図書館』。うっほほ~いと飛び上がっております。雑誌だったかの書評で紹介されていて、図書館で借りようかなぁと思っていたところ。めちゃ、サプライズ。自分ではさすがに高価すぎて清水の舞台から飛び降りても買うことはできませんでした。中はまた折々紹介していきます。今日はこれを枕にして幸せな夢見ながら眠ることにしま~す♪自慢話でした!にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月18日
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ようやく『ベルばら』の偉大さを知った私。そんなこんなで図書館で見つけた『池田理代子の世界』を読んでみました。老若男女問わず、かなり幅広く多くの作家さんに影響を与えた作品であることを知りました。そこには実際に、己が描く作品に……ということもありますし、まだ義務教育中で、世界史にはまった人などそれぞれではありますが。すごいなぁと思ったのは、この世界を描き始めたのが25歳の時ということ。私が25歳の時にフランス革命を知っていたか。いわゆる知識だけですね。深く掘り下げるとか、フランスを含めた欧州の横並びのお国事情なんて、さっぱりでしたね。そもそも世界史はカタカナ表記というだけで、遠慮していた高校生時代。知識も浅いというか、用語のみだけですね、知っていたのは。私にとって池田理代子さんという作家は「ベルばら」のみだったのですが、『オルフェウス』や『ナポレオン』も人物が「ベルばら」とかぶって登場していることもこちらで知りました。後者2作品は機会があったら読みたいなぁと思っていたのですが、こりゃ善は急げという感じでしょうか。私がまだ「ベルばら」で熱している状態の時に読んだ方が身につくというか、興味を持って読めるというか。しかし、おそらく、これらの作品を読み切った暁にはもうこれで中世ヨーロッパのすべてを知ってしまった状態にはなるでしょうね(爆)。また、池田理代子作品では1970年当時から虐待を初めとしたまだ社会の闇に眠っている問題を掘り起こして作品にしていたこともここで知りました。これも20代でされていたことなんですよね。情報のアンテナの張り方と社会に向ける目がどれだけ鋭敏だったかを知ることともなりました。そして、自分とつい比較(はぁ~)。これは作品になるまでの人生、つまり20代になるまでの10代で、どれだけ社会にまっすぐ目を向けていたかということが分かります。親元でのんべんだらりと過ごしてきた自分って一体なんだったんでしょうね。すごい人というだけでは語れない池田理代子さん。その一片が凝縮した1冊でした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月17日
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先ほど、『神さまの言うとおり』を観てきました。神木隆之介くんファンの娘に誘われて。娘は観覧後、「もう、続編が出ても観なくてもいいわ~」という感想。しかし、私は「ツボ」。はっきり言って悲惨です。たくさん人死にすぎ。おまけに、グロイです。これまで観たR-15指定の映画は、指定にする必要はなかったのではないだろうかとすら思ってしまいます。残虐シーンが夢に出てくる人にはお勧めしません。で、その中で何が「ツボ」だったのかというと、高校生に交じってちょっとしか出てこなかった、リリー・フランキーと大森南朋さんが気になる存在。物語自体も、明らかに続編アリの設定でぷつりと終わっています。「神」とは何なのか……「SPEC」かっ!ミステリー要素満載なんですよね。神木くん、ブラックミッキーかっこよかったです。振り返れば、神木くん、初主演のドラマ「探偵学園Q」に初主演映画「妖怪大戦争」、そうそう、「千と千尋の神隠し」の声の出演などなど、彼の作品観すぎ!娘がファンだったっていうのもあるんですけどね~。マイナーなところでは、「遠くの空に消えた」も観に行っています。ここでは、ささの友間くんも出ています。かれも立派な俳優さんになりましたよね~。原作があるということで、チェックしたらコミックなんですね。小説だったら即買い!っだったのですが、全5巻。そして、現在「その弐」が既7巻。この2作品が合流して、ようやく「謎」の真相に入っていくという、ロングランが見込まれており、またここでコミックを買い始めると書棚が埋まってしまうという危惧があり、現在お悩み中。決して上品な作品ではありません。ただ、私が「ツボ」なだけです。それだけは繰り返してお伝えしておきます。それでも、よかったわ~。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月16日
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俳優の室井滋さんが30代に都内に家を建てた時の話『ドレスよりハウス』を読みました。俳優さんというとイメージ的には100坪以上の広い土地に白亜の建物で、いかにもというイメージを持っていたのですが、彼女は28坪。しかも、三角形の土地。都内で28坪だともしかしたら、すでに庶民の手には届かない金額なのかもしれませんが、土地の広さだけを鑑みるとかなり庶民的。この狭小で三角形の土地に自分好みの家を建てる過程が時系列に書かれているというわけですが、この部分よりも冒頭に書かれている彼女の出身地である富山県のことに釘付けになりました。本書によると、富山県は全国のどこよりも「持ち家」にこだわる県のようです。彼女が実家に戻った時に、友人のお子さん(高校生と中学生)が「負けた~」と叫んでいたので、何かと思うと、持ち家率ナンバーワンの座を秋田県に渡したということだったとか。更に子どもの方が、親に対して、「戸辺りの住宅延床面積と、占有畳数はまだ1位を開け放してない」と語っていると言っております。親子の会話に持ち家の話がでてくるとは~。すごすぎです。室井さんも東京に住むようになって長いのですが、結局このDNAがうずいてしまうとか。こんな時に使う言葉ではないでしょうか「三つ子の魂百まで」(笑)。そして、家を建てる際に何かと問題が起こると、この室井さん、ご実家……つまり富山県の方に相談するという状況。それが、かなり面白い。富山の人が東京の事情を分かるはずがないとつい思ってしまうのですが、このご親戚の方々、かなり的を得たことを彼女に伝えております。こうなると、恐るべし「持ち家率ナンバーワン……つい最近まで」ということになってしまいます。おそらく、本書に書かれてある富山県民の皆様の思考と行動はまさにご当地の人が読むと「あるある」なんだろうなぁと思ったわけです。家を建てる際の留意事項も要所要所に盛り込まれているのですが、ぜひ「富山の県民性」にズームアップして読んで欲しいです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月15日
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この夏、14歳でカナダの大学に奨学金付きで入学した大川翔くんがメディアで取りざたされたことは記憶に新しいことと思います。彼が、そこに至るまでや幼いころ、親がどのように育ててくれたかということなどを書いた本『ザ・ギフティッド』をようやく入手。前半は彼が書いているとは言え、どちらかというと子育て本的な感じがしました。格段特別なことをやっているような感じは見受けられませんでした。当たり前のことを当たり前としてやるということだけかな~。この期に及んでも日本国内においては、保育園か、手元に置いて子育てするかという議論がありますが、こちらのご家庭は、両親ともに働いておりますので、完全に保育園型。保育園のメリットというのも書かれておりますので、必見かと。結局、親がどのように捉えるかというところなのかなぁ~。デメリットとメリットって表裏一体なので、メリットとして感謝したら、それが子どもにも自然と伝わるのかな。まぁ、その前半部分よりもやはり私が興味深いのは、能力のありすぎる子どもに対する諸外国の教育システム。欧米では、高すぎる能力に対しては、ただ「天才」としてあがめるのではなく(場合によっては奇異に見るのではなく)、「才能を社会のために還元する能力」と捉えているところが、日本と大きく異なる点でしょう。この捉え方が根底にあるからこそ、飛び入学も可能。しかし、逆にゆっくりとした発達の子どもたちには、日本的に言うところの「留年」もあり。「個」をどう捉えるかというところなのでしょうが、日本がはき違えている「個」とはここは違うところだと思いました。日本の場合、結局「個」が責任転嫁のためのものとなっているような気がします。「自己責任」とか「個性」とか……。そういえば、日本は飛び入学とかさせてしまうと、子どもの発達に必要なモラルとか躾ができなくなるということが議論の中心になっていますが、少なからず、本書を読んだり、私の周辺の天才児の様子を見ていると、問題ないような気がします。ある程度のサポートが必要なことは確かですが、このような天才児は精神年齢も高い!半年前だった、金原瑞人さんの講演会の時にお嬢さんの金原ひとみさんが中学生の時に彼のゼミに大学生と交わって授業を受けた時の様子を質問させてもらったのですが、全く問題がなかったと答えてくださいました。それは、彼女に問題がなかったこともですが、大学生も彼女の能力をすぐに理解して同じ大学生として講義では議論していたそうです。更にそう言えばですが、うちの娘は最初の幼稚園は縦割り教育を行っているところだった!!!!(灯台下暗し!)うちの娘にとっては異年齢で過ごすことはメリットだらけだったのですが、まぁうちのことはさておき、当時3月生まれのお子さんをお持ちの母がおっしゃっていたことは、通常の幼稚園だったら、学年が変わってクラス替えがあっても、うちの子はそのクラスで常にいちばん年下で、お世話される側ばかりのはずだったが、異年齢のため、学年があがると自分のクラスに、自分より年下の子がいて、お世話をするということができ、それが自信につながったということ。同年齢だと、発達段階も似ているので、保育者や教育者がまとめやすいというのが、本音でしょうね。しかし、同年齢=発達段階一緒……というのは、ただの幻想というのも、現場にいてつくづく感じます。まとめやすい、扱いやすいというのは、実年齢ではなく、発達年齢の方だと思います。となると、海外のこの飛び入学はかなり理に適っているともいえます。本書は、その辺も踏まえて読むとかなり深く読めるかと思います。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月14日
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本日もブックトークでした。お題は「乗り物」!では、イッテみましょう!!!!クイズ大会をしながら本の紹介。そして今回のポイントとしては最後の読み聞かせをした『トンネルをほる』。タイトル通りの本で、乗り物と一見無関係のように見えるのですが、絵の方がもう特殊車両満載。1冊でどれだけの乗り物が描かれていることでしょうか。トンネルの話を耳で聞きながら、目は乗り物の方に向けていると大きな発見につながると思った1冊のため、子どもたちに紹介しました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月13日
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本日はブックトーク4回(いや、ハード)。2つのプログラムで行ったのですが、その1つは明日も3回で行うので、完了してからご報告。さて、その1つのプログラムですが、お題がなんと「なし」。「梨」ではありません、つまり、お好きなものをどうぞ~というわけです。が、これがいちばん、私が悩むところです。とっても悩みました。そして、悩んで悩みぬいて行きついたテーマが「食欲の秋」!いや、単純(汗)。でも、構成は自画自賛するほど、いいものになったと私は思っております。ってなわけで、イッテみよう~!!!!!最初は食欲の秋から、私の好きなチョコレートの話題で1冊目。今回の参加者の中には母国が日本でない子も幾人か含まれていましたので、世界からスイーツを見てみました。そして、実際に作ってみようということで、レシピ本。そこから、国内に話を移行し、食べるだけでなくマナーもねという話。そして、実際に自給自足はどう?てな提案として最後の2冊。食欲の秋ではありますが、かなり知識の本の幅も広く紹介できたのではないかと思うわけです。ここが自画自賛。悩んでいる時はまさかこのような展開になるとは思わなかったんですけどね。私のこだわりとしては、外国から来た子どもたちも楽しめる、そして日本で生まれ育っている子どもたちにも自然に海外のことが受け入れられるような本を盛り込みたかったということでしょうか。明日は、例年依頼される「乗り物系」です。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです
2014年11月12日
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病気自慢のようですが、かれこれ1か月ほど前から接骨院にも通うようになりました。盆明けから、膝の内側に痛みを感じ(爆)、通いなれている鍼灸院にいけばいいのですが、車で約20分。忙しさも佳境に入り、開院時間になかなかいけないため、近所の接骨院に通うようになりました。膝のなんとか靭帯を痛めているようです(事前に病院でレントゲンを撮ってもらった結果骨に異常なし。筋肉が厚くなっていて痛みが出ているという診断アリ)。もともと立ち仕事な上、塾のコマ数が圧倒的に増えたのが一端だと思われます。で、この接骨院には、小さな本棚に本がきれいに鎮座されており、こちらが貸し出し可能!接骨院なだけあり、痛みに関する本から、心理学、脳科学、ビジネス書があり、かなり私のツボ。なわけで、いきなり初診でお借りするのもと思い、ようやく気が熟した感じになったので、借りてきました。第1冊目は『まんがでわかる7つの習慣』。主体性を持つとか、まずは話を聞くなど、他のビジネス書でも書かれているようなことですが、本書の漫画が結構そそられます。バーテンダーをめざして小さなバーで働き始めた歩が主人公で、その度ごとにオーナーさんや上司となるバーテンダーさん、場合によってはお客さんから様々なことを教わり成長していく物語が仕掛けとした描かれています。どってことない、ストーリーではあるのですが、なぜか章ごとにその先が気になるのです。これまでのこのタイプの漫画というのは読んでいたのですが、なぜここに出てくる登場人物にそそられるのか、とても不思議です。最後のオチが、時間にゆとりもってまず本を1冊読もうとなるわけですが、登場人物が手にする本が、本書。これだけが、ちょっと残念。そして、オーナーさんが歩にいうんですね。より深い人生が見つからないというのなら、1日に少しでも本を読むことから始めてみたら?人生について考えられるいい本はいろいろあるからさ。紹介してあげるし。(p167)余計なお世話!本こそ、主体的に選んでいかないと~。いい本というのは、読み手の主観的な問題だわさ。紹介してくれるのはいいけど、どうよ、この上から目線の台詞。最後の最後に台無しだわ(爆)。でも、軽く読み流すのには丁度いい塩梅でした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月11日
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またまた登場です、内田センセー『街場の憂国会議』。第2次安倍政権になって以降の憂える日本の方向性に危惧した内田センセーが、ご近隣の友人や内田センセーがLOVEと思った論客にこれからの日本予測などを書いてもらったものが本書です。春に刊行されていますが、安倍政権が現在進行形ですので、今読んでもどばーーーーっと確信をついています。さて、本書は論客9名が執筆というわけですが、どれもこれもうんうんと頷くことが多いのですが、中でも中島岳志氏が「忖度」について書いており、これが今回のいちばんのツボ。最初に「忖度」について自身の著書の出版中止事件について書かれており、それが結局「忖度」だったというわけです。「忖度」というのは、周りがとりわけどうこうそれについて言っていないのに、おそらくこうなるのかなぁと勝手に予測して自主規制してしまうことです。中島氏の出版中止事件は、著書に現大阪市長のことについて批判したものだったようで、当時現市長が朝日新聞出版にとある記事の責任追及し、結局出版社側が更迭人事と謝罪記事掲載を行っていたことから、同じようなことが起こっては宜しくないと中島氏の著書を刊行する予定になっていた出版社が自主規制してしまったようです。このことから、中島氏は、次のように記しています。権力は多くの場合、直接的な介入によって行使されるのではなく、現場の勝手な忖度によって最大化する。特に、バッシングを繰り返す独断的な政治家とそれを支持する運動が結びついたとき、忖度は加速する。(p155)更には、この「忖度」を「空気を読む」とも言い換えていますが、これについて「水を差す」ことが冷静な国民の意識として必要なのではないかと言及しています。もうね~、権力に対してじゃなくても、某職場ではこれが跋扈していますわ。クレームがつかないように、とりあえず自主規制。気が付けば、言論の自由が統制されています、…… これって本文にも書かれているのですが、もうそんな感じ。これを偉い人は「危機管理」という言葉を使います(これは本文ではなく私の周辺事情)。「忖度」と「危機管理」は似て否ものだと、本書を読んでこれまで以上に実感しました。「危機管理」というのは、おそらく見える物理的なものに対して。「忖度」は、見えない自分の不安に対して。つまり、「危機管理」は自分だけじゃなくて、それを行うことで周囲の人も危険から回避できるというもので、「忖度」は自分の不安や損失だけを取り除くもの。こんな風に解釈すればいいのかなと思いました。そうそう、この言論統制の中野氏の話から、別の論客が説いていたものですが、国民が知らない間に、安倍君がめざす、ナチスのような国家にシフトされている状況というものに、話が見事に結びついていて、驚愕してしまいました。そういえば、今日日中首脳会談が行われたという報道がワイドショーでもとりざたされています。そして、消費税を上げるか上げないかという話に、解散のこと。その中で、おそらく消費税を上げないで、解散する方向が大きいとも。しかし、その理由の予測が唖然。今このタイミングで解散すると、もう6年安倍君が首相をできるから。消費税を上げてから解散すると、国民の反発を買うので、解散しても自民党トップにはなれないため、選挙が行われ自民党が与党になっても安倍君がトップになれないということらしいです。ちとね、第2次安倍内閣になってからの、安倍くんの顔がとても腹黒に変化しちゃったので、私としてはもうちょっとね~と思ってるのに、まだ6年やるきなのでしょうか……。政治家3代目とものなると祖父、父のプレッシャーが大きくなりすぎて、国家独裁くらいしないと、その上になれないと思ってしまうのでしょうか。だから、政治家の世襲制はよくないよね、と思ってしまうのですが……。母&娘の病は取りざたされますが、明らかに安倍君の場合、父と息子の病に罹っているわ~とすら思うのは、私だけ????にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月10日
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先週、医療従事者とタイアップして「自分の体を知ろう」という子どもを対象としたコーナー展示を行いました。コーナーにも「目」とか「心」とか「姿勢」など細かく区切ってそれに見合う本を並べています。この中で、目に引くのが、「自分の体を知る」と区分したもので、1冊を除くと、すべて作者はやぎゅうげんいちろうさんのもの。どの表紙も大胆な筆遣いでそそられます。とりわけ、「おっぱい……」はこんなに端的に特徴を示していると思うのですが、今の子どもたちはシャイなのか、恥ずかしそうに手にしながら、パラッと中を見て、くすくすっと笑って、パタンと閉めて、素知らぬ顔で他の本を手にしています。医療従事者からはも指定されていたのですが、これは現在入手不可の作品のため、購入できませんでした。残念。ビーカーに入った黄色い液体として表現してしまう、この作者の感性に偉大さを感じてしまいます。う~ん、入手して子どもたちにも見てもらいたかったなぁ~。とりあえず、私が古書店を巡って、コレクションの一つにしちゃおうっと♪にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月09日
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ようやく入手して読みました『集英社新書 ヴィジュアル版 021Vワンピース ストロング・ワーズ 上・下巻』。 でも、ごめんなさいです。ワンピースのファンではないんです。このそれぞれの巻末に、内田センセーがワンピースについての持論をぶちまけているのが読みたかったのです。刊行されてから早3年余り。今更なのですが、機会がなかったものですから(汗)。ワンピースが現代の任侠物であるということが、書かれておりました。が、何よりも内田センセーぶれてない。ここでも、小規模な共同体の必要性を説かれておりました。まさか、ここで、この話題が出るとは。内田センセーは日本を正常化させるには、廃藩置県前の藩制度に戻した方がいいというお考えですから、納得はしましたが、まさかね~。ワンピースはまさにその小さな共同体を維持していく話のようです。が、更に驚いたのは、先日紹介した、『君に友だちはいらない』に書かれてあったチームの作り方が、そのままワンピースで示されているということ。流動的で、その時に必要なメンバーが入れ替え自由に集まっている。しかも、即効性のない、そのメンバーをひとくくりにすると何も役立っていないように見えるメンバーも「語る」という役割があり、その人がいないとそれらをやったことを証明する人がいないとありました。そうそう、『君に友だちはいらない』の例として、「七人の侍」が取り上げられていたのですが、内田センセーも同じ事例を。内田センセーと瀧本氏はお知り合いでしょうか?チーム作りを語ると行きつく先は「七人の侍」なのでしょうか?偶然の一致なのか、必然的な一致なのか……。ワンピースファンではないですが、ちょっとウキウキした気持ちになったのでした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月08日
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久しぶりに、昨日片頭痛の大発作。朝、痛みが出た時に、すぐに薬を飲んで痛みを抑えたのですが、昼を過ぎて再燃。内服薬は1日2回までしか飲めないので、再び飲んで、また夜再燃したら……という思いが捨てきれず、飲まずに我慢していたら案の定、吐き気がつくほどの痛みに(爆)。で、全てのことを済ませて、寝る前に飲んだのですが、大発作になってから飲んでるものだから、今日もなんだか頭がすっきりせず。しかし!!!!!!!!今日は何がなんでも、運転免許の更新に行ってこねば……ということで、更新に行きましたところ、講習中に再燃。薬も切れていたし、そのまま帰りに病院に行って、速攻で注射打ってもらいました!まぁ、分かっていたんです。ここ最近、頭痛がでないのをいいことに予防薬を全うに飲んでいなかった。はい、きちんと薬が効いていたんですね、ということを認識しました。というわけで、まだ予防薬の血中濃度が上がっていないため、注射を打って一時はすっきりしても、まだ今発作が起きそうな揺らいだ状態。なので、これを図書館で帰りに借りて、癒されています『まるごとわかる猫種大図鑑』。犬派の方は、こちらをどうぞ『まるごとわかる犬種大図鑑』。癒されつつも、ゆっくり休めない、今日も夜お仕事(涙)。明日も、朝一から夕方までお仕事~。にほんブログ村(↑ ポチッと押して頂ければ嬉しいです)
2014年11月07日
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先だって、愚痴のようにここに書きまくりました、「名作だけが、おかずなのか」の件(どういうこっちゃ:爆)。『石井桃子のことば』を読んでおりましたら、私の考えに後押ししてくれるような言葉が掲載されておりました。「子どもと子どもの本について」石井桃子さんが『子どもの図書館』(1965)にコラムとして書かれたものです。そのまま、引用します。「その子は、しあわせだった」では、通じないのです。やはり、その子(または動物であれ、なんであれ、その話の主人公)は、どういうところに住んでいたか、だれと暮らしていたか、何をもっていたか、どういう友だちがあったか、そういう事や物で、その「しあわせ」の程度、実態をあらわさなければなりません。しかも、その事や物は、その年代の子どもが、一ばん重要と思うことや物でなければなりません。ちょっと考えただけでも、これはたいへんな仕事だということがわかります。(p96)これを1965に語っているのですから、石井桃子さんすごいです。と言っても、彼女の年齢にすると60歳近くになっておられます。若いころから児童文学に携わられて、そして悟った境地ではないかと思います。この言葉をそのまま受け取ると、その時代において事や物は変化していくのだから、物語も変化し続けなければならない……ということではないのかと思うわけです。つまり、名作と言われている古典的なものだけが、名作ではないと受け止めてもよいのではないでしょうか。とりあえず、私はそのように受け止めておきます。本書はもちろん、これだけでなく、石井桃子さんの生涯を追いかけつつ、様々な形で彼女が語った言葉を凝縮しています。ファンだったら、もしかして知っていることなのかもしれませんが、彼女の生い立ちについてあいまいだった私には、彼女の歩んできた道の一つ一つに驚きを感じました。そもそも、農業までされ、しかも本格的に組合まで作っていたなんて~。人の人生は面白いです。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月05日
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息抜きにミステリーを読みました『矢上教授の午後』。矢上教授は「教授」と言われていますが、70を過ぎた非常勤講師という設定。とある有名大学のおんぼろ校舎に住まっているという表現が妥当な人柄です。このおんぼろ校舎。昔風でいうと、窓際族が追いやられたような場所で事件が起きます。密室事件です。というか、登場人物全員閉じ込められます。で、誰が殺したでしょう、その動機は、そのトリックは?ということになります。なのですが、各章ごとに物語を語る人物が変わり、時間も入れ子状態になる構成になっているため、色々なことが交錯していて、自分の脳みそを整理するのに、珍しく時間がかかりました。でも、このような構成はかつてもよく読んでいたはず。こうすることにより、読者の心理をかき乱して、トリックを読者自身にフィルターをかけています。それが、分かっているのに、てんてこ舞いな私。おそらく、これが「年のせい」ということなのでしょうか。100ページまで事件らしい事件は起こらず、どこからミステリーが始まったのかさえ、あいまいにしてしまうこの作品。読み終わってしまえば、ただのミステリーだったのですが、何だか振り回された感いっぱいでした。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月04日
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新聞広告に「さよなら……サリー」とあり、もう驚きましたよ。しかも、最終集だとか。チッチとサリーを知ったのは小学校1年生の時。実家のお隣の当時高校生のお姉ちゃんが持っていたのを読ませてもらいました。その後、私の母がなぜだか揃え始め、私も実家から離れるまでずっと愛読していました。実家を離れた時でも、すでに25集以上は刊行されており、年に1度のペースでしたので、今まだ43集というのも、不思議な感じでした。それはともかく、新聞広告でのあの一言。もう気になるじゃないですか。実家に最新刊を購入したかなんて聞いているよりは、自分で買っちゃえと思い、ようやく購入、すぐさま読了したわけです『小さな恋のものがたり(第43集)』。本の帯も「さよなら……サリー。」でした。この「さよなら……」は私自身が想像したものではなく、もうね、それだけで考えさせられましたよ。チッチとサリーは半世紀を超えても高校生のまま。高校生の小さな恋をこの21世紀の現実と重ね合わせた時、このエンディングはなるほどね~と思ったわけです。半世紀前に、このエンディングを作者が考えていたのか定かではありませんが、少なからずチッチとサリー、そしてその仲間たちが、作者の想いを超えて、今に生きた結果なんだろうなぁと思います。あとがきに作者がご病気のため、連載を休止していたこと。病気の影響で手が震え、筆記用具が上手く使えなくなっていたことなど語っておられました。御年72歳だとか。作者の年齢など、どの作品に対しても気にしたことないのですが、様々な形によりそのご年齢を知ると結構私は絶句することが多いです。作品には作者の年齢を知る余地がない……それがプロ。そんなことも、本書から改めて知ることになりました。にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月03日
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木下明美氏HP内「kimuraの読書ノート」を更新していただきました。(京都で、着物暮らしpart2 → 11月2日の記事)今回は『武器より一冊の本をください』です。本文にも書いたのですが、本書は平和賞受賞の相乗りで出版されたものではありません。筆者とマララが同じ世界の子どもたちにパキスタンの状況を伝えたくて、丁寧に時間をかけて作られています。しかし、もちろん、大人が読んでも全く遜色がありません。あえて、それでも……と思うのは、邦訳した時の文字の使い方!?(苦笑)。児童書のため、ひらがなと漢字と漢字にふりがなを混合して書かれているのですが、私が知っている児童書よりは、それらに統一感がなくて、微妙に読みづらい(汗)。(ここを感じにふりがなつけるなら、こっちの言葉をひらがなにしないで、ふりがなつきの漢字の方がいいだろう……と思われる箇所多し……)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月02日
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昨日購入した「赤い鳥」。先ほど、ようやく落ち着いて手にしていましたら、なんと奥付の下の下の下に小さく「復刻版」という文字。が~~~ん。というか、笑ってしまいました。だよね、あまりにもきれいすぎるもん。という訳で、100年近く前のものではないことが判明されましたが、それでも、私にとっては貴重な本であることは変わりありません。取り急ぎ、訂正まで。 (↑ これらの「赤い鳥」のことです)にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月01日
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11月ですね。昨日は、秋の古本まつりへ行ってきました! 外国からのお客様もとても多かったです。こちらが境内の様子。 昨年以上の人混み。昨年も2日目の金曜日午前に、行ってきたのですが、もっと人が少なかったな~。駐車場の埋まり率も高かったし。さて、私はいつもの通り、児童書コーナーへ。私にとっては……という話なのですが、今回は掘り出し物というのがここにはありませんんでした。何分にもペーパーバックがほとんどない!確かに「ゾロリ」シリーズなど、今の児童書は豊富にあったのですが、ペーパーバック狙いの私としては、それは、何もないというのと同じ。幾冊かはあったのは、あったのですが、それはビニール袋に入れられ、明らかに値がついてしまっているもの。そりゃ、その金額でも安いのは安いのですが、それを買うのはなんだか、負けた感いっぱい。それよりは、自分の目で、確かめながら、選びたい。それができなかったのが、残念。あっさりと、足早にこちらのコーナーは退散しました。しかし、神様は見放しませんでした。別の古書店さんで、大正、昭和初期に刊行されていた「赤い鳥」がとても低価格で売り出されておりました。しかも、美品。紙も茶色になっておらず、復刻版かと思ったのですが、全くそうではなさそうで。大正6,7年のものを1冊ずつと、昭和6年のものを迷うことなく購入しました。それと、北海道好きの私にとっては、オンネトーの写真集がありましたので、それも購入。なんと、写真家さんのサイン入りでした。これも、びっくりするほど低価格。満足です。今年は、この境内にカフェもオープンしていました。手作りマフィンを購入。てなわけで、今回の戦利品。 そして……。←あほたれな、息子にほんブログ村(↑ ポチッと押していただけたら嬉しいです)
2014年11月01日
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