全35件 (35件中 1-35件目)
1
掛け時計を占拠するイッツ・ノッチ 今日は初枝豆を提供した。好評だったが、冷凍で一年中食べているので、ありがたみがなくなった気がする。 さて、放鳥部屋の掛け時計の上は、昔から人気のスポットで、最近はハル・エコ夫婦の定位置になっている。ところが最近、その夫婦を追い出そうと、ノッチとイッツが盛んにチャレンジするようになった。もしかしたら、真夏の頃には縄張りを奪取できるかもしれない。壮絶なバトルとなるのか、注目したい。
2010年05月31日
コメント(1)
ビジュアル系が見る影無しのテン 昨日今日と涼しいを通り越して寒いくらいだ。換羽中の文鳥には、気の毒に思えたので、保温電球を点灯させたままにしていたが、文鳥たちは特に変わりなく元気だ。明日からは暖かくなるようなので、さっさと衣替えしてもらおうと思う。 昔は、換羽中に粗食を薦める飼育書があったものだが、栄養を体内に止めておくのが難しい小鳥の場合、栄養が不足しては換羽も滞ってしまう。それにしても、最近のアワ玉(今年の初め頃から、キクスイ製と混ぜるのを止め、黒瀬ペットフードだけにした)消費量は繁殖時以上だ。特にシンとケコとキューあたりはこれを主食にしている。 体が欲するのだろう。好きなだけ食べさせてやろうと思う。
2010年05月30日
コメント(0)
換羽にイラ付き気味のシンさん 換羽前期のシンは、同居するスミを威嚇するなど、少々イライラした状態になっている。基本的に「紳士的」な文鳥で、換羽期もイライラするようなことはなかったのだが、まだスミとは夫婦とは言えない関係で、目障りなところもあるのかもしれない。万一スミを追い掛け回すようになったら、一旦別居させようと思う。 別居したら、隣カゴのケコに心を移すようなことはあるだろうか、・・・たぶん無いだろう。万一そういった展開になっても、ノコリと隅が夫婦になればすべて丸く収まる。 なお、ケコも換羽に突入したようだ。購入した時からいくらか筆毛があったので、換羽の晩期かと思っていたが、ごく初期だったのだろう。おそらく、これから、他の文鳥たちをさらに恐怖させる姿になるものと思われる。 そのケコも、換羽でイラついているのかもしれないが、今夜は2度も、久々にカゴから出てきたクラを床に落とした。危険なので、クラには定位置を変えるように促そうと思う。 遠大な計画、といっても2、3年ほど未来の青写真に過ぎないが、ノッチとイッツのおそらく原種に近い12代目と、ノコリとケコの白羽が多いはずの子が夫婦になって、めでたく胸に桜吹雪のある13代目が誕生することになっている。もちろん、この手の青写真どおりに運んだことは一度もないのだが・・・。
2010年05月29日
コメント(0)
間引いても問題なく飛んでいるケコ 換羽が派手に展開中だが、基本的には平穏な日が続いている。 周囲の空気を読まずに産卵し抱卵しているポン・アイ夫婦や、夫の換羽も関係なく産卵しているエコも健康に問題は無さそうだ。問題は、この機を逸して、今後いつ換羽になるかだ。 その点、夫キューが換羽なのに産卵を続けようとしていたニッキは、産卵を途中でやめて換羽モードに切り替わったようだ。他もこうあって欲しいところだ。【余談~花咲く旅路に虹の橋~】 まったく唐突に、原由子さんの『花咲く旅路』を聞きたくなった。どこかにCDがあるはずだが、ユーチューブの動画を探したら、夏川りみさんがカバーしているものがあった。夏川さんと言えば、『涙そうそう』をカバーして、作詞者の森口良子さんや作曲者のBEGINさんよりも評価を受けられた方だ。個人的な趣味としても、あの歌は夏川さんのもの以外ではなくなっているが、作詞者も作曲者も、あれほど見事にカバーしてもらえれば本望であろう。 となれば、『花咲く旅路』のカバーも、オリジナルを超えているかもしれない。聴いてみた。・・・期待にたがわず実に見事であったが、やはりこの歌は原さんのもののような気がする。そこで原さんのオリジナルバージョンを聴いてみた。・・・思わず涙ぐんだのは、年をとった証拠だが、通常有り得ない不思議なことであった。 やはりこの曲は、ボーカルとしての力量なら夫の桑田佳佑さんの上を行くものがあったと、個人的には信じて疑わない原さんでなければならないようだ。ようするに、横浜関内の天ぷら屋の娘で、『あの』お嬢様学校であらせられるフェリス女学院高校をご卒業後、『あの』青山学院大学に入学されてバンド活動に専念、当然の帰結のように『あの』桑田さんと結婚して、お子様にも恵まれ、いろいろあったはずだが表には出さず、公私共に一緒にご活躍中という、普通に考えれば余人では絶対に真似が出来そうもない芸当を、エヘラヘラと『あの』笑顔でこなしてしまう原坊という恐るべき人物が、自然体なのかそれを装っているのか、その境界すら分からぬ調子で唄うべき作品なのだと思う。 第一、夫がそのような妻のために作詞作曲しているのだから、さすがの夏川さんでも超えることのできない世界観であっても、これは当然なのである。何しろ、唐突に出現する「照らそうぞ」とか「道無きぞ」などと言う、およそ女性ボーカルが唄うには不向きな、古めかしく硬い歌詞部分も(普通なら「照らそうよ」「道無しの」だろうが、この『国定忠治』か貫一お宮の『金色夜叉』のセリフ回しのような男性的語尾は、原さんの歌に多用される)、夏川さんのようにさらっと自然に唄うどころか、原坊らしさとして耳に残り、これは「ぞ」でなければならない気になるのである。 それで、なぜ、昔散々聴いた原さんの『花咲く旅路』で、今の私が危うく「涙そうそう」になってしまいそうになったのか。夏川さんバージョンで聞いていた時から、歌詞に「何処へと鳥は鳴き」とか「悲しみが虹を呼ぶ」というフレーズに、そう言えば、小鳥などペット動物の飼い主の一部の「信仰」に『虹の橋』というのがあるのを連想し、一時的な感傷状態になっていたのではないかと、自己分析したのであった。 『虹の橋』、亡くなったペット動物が、虹の橋で飼い主がやって来るのを待っている、といったものだ。このメルヘンを信じるなら、私などはきっとたくさん待たせていて、賑やかに虹の橋を渡ってあの世に行けそうに思われるかもしれない。しかし、あいにく、「待つな、さっさと行け!」と号令しなくても、ウチの文鳥たちに限っては、おそらくケツをまくって飛んで行ってくれたはずなので、待たせている罪悪感も、待ってもらっている安堵感もない。 『虹の橋』という愛するペットを失った人の福音にもなるメルヘンの起源については、アメリカ先住民の言い伝えをベースにしているとする噂があるようだ。しかし、これはどうだろう。現代の思考感覚を持つ1頭飼育の愛犬家が、今現在なくした悲しみの中で考え出したと理解した方が自然のような気がする。ただ、先住民の精霊信仰とまったく無関係であるかはわからず、その点でアメリカの『スタートレックヴォイジャー』というSFテレビドラマが思い出される。 1995~2001年にかけて172話が放映されたこのドラマは、24世紀に、ヴォイジャーという宇宙艦船が地球に帰還する過程を描いた作品で、いろいろと知的な宇宙人が登場したり、タイムスリップしたり、「ホログラム」と称してレオナルド=ダヴィンチが活躍したり、思い切り哲学的なテーマを取り上げてみたり、何でもありで楽しい。当然ながら、24世紀どころか240世紀になっても、このような話が実現するとは私自身は欠片も思っていないのだが、それはともかく、そのSFドラマ中にアメリカ先住民の血を引くチャコティ副長という人物が登場し、先住民の伝統的儀式である「ヴィジョンクエスト」を行っている。この一種の瞑想状態から自然と一体化し悟りの境地を求める「ヴィジョンクエスト」自体は、実際に先住民たちが行う儀式として存在するようだ。本来は山奥など自然の中で一人になって行う自己探求の苦行のようだが、『ヴォイジャー』の中では、装置の助力を受けて自分の精神世界に入り込むことで行われ、さらにその悟りへの旅路を導く「スピリットガイド」(魂の導き手、「守護霊」と訳されることが多いようだ)が存在し、それは一人一人で違った生き物の形で現われることになっている。 「スピリットガイド」を先祖の霊などとはせずに、何かしらの生き物の形で現われるとする辺りに、先住民族の精霊信仰の要素を見出せそうだが、一方で、飼い主の一人一人にかけがえのないコンパニオンアニマル(伴侶動物)が存在するといった、現在の先進国(欧米化した国々)における人間と愛玩動物の関係を反映している話のようにも思える。これは、やはり虹の橋という現代の伝説と共通した土壌から生まれた設定なのかもしれない。 文鳥にしろ何にせよ、生きている時は飼い主である人間のコンパニオンアニマルで、亡くなってからは飼い主であった人間のスピリットガイドとなり、飼い主が亡くなるまで待っていてくれて、亡くなったら一緒に虹の橋を渡ってくれるとは、何とありがたい話なのだろうか。しかし、やはり私の場合は、私が亡くなるまでにみんなで待ってもらっては心苦しい。虹の向こうに行っといてもらって、1羽くらい気が向いたらこっちに迎えに来てくれるくらいを望んでおこうかと思う。
2010年05月28日
コメント(2)
晩柑を吸う「あばた」のアト 期待以上に端整な姿になることもあれば、案外なこともある。もっとも案外だったのは、アトだろう。ヒナの時から体重に比較して頭や口が大きいのには驚かされたが、長じてその顔の頬に、真っ白でなくシミ状のあばた模様が現われたのは、完全な予想外であった。 何しろ、父親のシンは、美男な上に偉丈夫な、一点の曇りもない白文鳥だったので、それに似た白文鳥が生まれるのではないか、もしくは体格の立派なごま塩文鳥が生まれるのではないかと思っていたのだ。フタを開けたら、昔の時代劇スターのように体の長さに比して顔が大きく、しかもあばた顔という、ヤクザの親分にでもしたくなる外見となって、意外性を身にしみて楽しませてくれるのだから、天の配剤を喜ばねばなるまい。 飼い主としては、この柑橘類が好きな侠客映画のスターに似た子孫を見たかったのだが、どうやらこの天才は子孫を残せない体質の気配がある。妻のメイとの遺伝的な相性もあるのかもしれないが、彼は顔は怖いし乱暴者だが、完璧な愛妻家なので、間違っても離婚を勧めるようなことは出来ない。仕方があるまい。 ところで、そのアトがやたらと好きな河内晩柑のシーズンで、今安いのでコマーシャルしておく。↓↓ なお、我が家の場合は、外見などどうでも良いので小さくて安いものを十数キロ買って、冷蔵庫に備蓄している↓。値段もあるが、保管スペースの問題で、小さいサイズの方が都合が良いのだ。今年も晩柑マニアの文鳥のお相伴でたくさん食べたいと思う。 【緊急開催!】【送料無料】見た目が悪くて、小さい宇和ゴールドです。食べやすい大きさです。【超ちびw宇13】(超ワケあり・ちび玉)宇和ゴールド13kg 1,980円(税別)【全国どこでも送料無料】
2010年05月27日
コメント(0)
飼い主の理想像に近いイッツ 文鳥、桜文鳥に絞っても、その理想とする姿は人によって違って当然だ。 個人的には、まず少し小柄で、若い頃に茶羽が見られるほど体色は濃く、目はアーモンド的、アイリングは厚くてしっかり赤く、頬はかまぼこ型で真っ白、クチバシは厚めで短く、喉が半月型に白く、胸に数箇所の白いぼかし、これが理想だ。 その個人的な理想を目指して努力をした事実は皆無だが(選択の余地がほとんどない)、11代目のイッツは、まさに理想を具現化した姿になってくれた。違いは、胸のぼかしが1個だけなのと、喉が半月型模様ではないところのみだ。 次の偶然ではどうなるだろう。もちろん、顔が大きく頬があばたでも、クチバシが厚く短すぎても、すべて魅力にしか思えなくなるので、特にこだわりはないが、せっかく理想に近い姿の文鳥になってくれたので、せいぜい写真を撮りたいと思う。
2010年05月26日
コメント(0)
塩土をかじり舐める換羽中のテン(後頭部が禿げているのだが撮影禁止) ケコは、ついに布巾の助け?が無くてもカゴから出てきた。人間の頭を踏み台にせず、テーブルから周囲を見渡して、直接に定位置の暖簾上へ移動することも出来た。そして、今日もあいさつ代わりの散策に飛び出したところ、大騒ぎして飛び回る他の文鳥に影響され目測を誤ったようで、床に不時着してしまい、飼い主の肩を踏み台にして定位置に戻り、その後はそこを動かず(「ケコケココケケコ、コケケッコ」と名を呼んでも冷ややかに見下されるだけ)、また羽づくろいで時を過ごした。 テーブル上で食べ物をあさるには、もう少し時間が必要なようだ。 さて、そのケコも地味に換羽中のようだが、我が家の文鳥たちはおおむね盛大に進行中だ。特にテンとシューという、我が家でも見目麗しいと評判の2羽が激しい。普段やたらと血色が良く艶やかな異母兄妹なので、一瞬見間違えてしまう状態だ。 従って、我が家のビジュアル系代表は、ヒナ換羽を終えてピッカピカのノッチ(シューの息子)となっているのだが、換羽を終えたら、この桜文鳥一族の美の競演となるのだろう。 桜文鳥といえば、ノッチとイッツには各1点ずつ胸に白斑が現われた。桜文鳥のかけあわせを続けた結果、胸の白斑ぼかしは消滅傾向にあるので(全体としては確実にノーマルに近づいていくようだ)、これは喜ばしい。
2010年05月25日
コメント(0)
鏡の中の自分の姿に感動しケリを入れるイッツ ケコの行動は昨日とほとんど変わらなかった。習慣化するのを恐れながらも布巾で目隠しした後に、自分で開閉口から飛んで出て、飼い主の頭を踏み台にして上昇、数箇所を経由して暖簾上に位置を占めた。そして、5分ほどすると、突然飛び回って他の文鳥たちを恐怖に落としいれつつ(ごま塩が飛ぶ姿は彼らにはインパクトがあるらしい)、何の警戒心もなくテーブルに降りた。 違うのは、昨夜がタッチアンドゴーだったのに対し、今日はしばらくテーブルの上を散策し、湯漬けエサやトウミョウを少々かじった行動だ。ただ、それで味をしめるわけではなく、2、3分すると、さっさと定位置に戻っていった(飼い主の頭を踏み台に・・・)。そして1時間30分ほど羽づくろい三昧だ。 一体何を目的にしているのか、行動の意味がわからない。ミステリアスで素敵だ。 さて、今夜は、イッツに面白い行動が見られた。ポンのさえずりに対して(別の文鳥にさえずっていると、即座にイッツが接近した)、「クッ!ケッケェ!」と何ともけたたましい大声を発したのだ。それも2度も。メス文鳥がオス文鳥のさえずりに合いの手をいれるように鳴くのは珍しくないが、こんな派手なのは初めて聞いた。 さらに、鏡の中の自分の姿にやたら興味を示し、突いたり蹴飛ばしたり首を上下させて覗き込んだり、いろいろしていた。これはやはり、思春期を迎えたことを意味しているのだろう。相棒のノッチのブレイ流さえずりも、すでに完成の域に達しているし、今は仲良く蹴り合い乗り合い小突き合いをしている2羽も、もうすぐ仲の良い夫婦になってくれるだろう。番狂わせの無いように願いたいものだ。
2010年05月24日
コメント(0)
少し散策を楽しんだらしいケコ 外に出たければ出入り口に移動する、という真理を理解出来ないケコは、今日も「動物的」に行きたい場所が良く見られるT字止まり木の上にこだわるので、早々に布巾で目隠ししてやった。すると、間もなく出入り口から飛び出し、やはり人間の頭を踏み台にしてさらに飛んでいった。そして、基本的に、まだ直線飛行しか出来ないので、何度か中継地点に着地する必要があったが、最後は定位置のレース暖簾の上に達した。 これで、また動かなくなるのだろうと思っていたら、しばらくしてテーブルの上に降りようと2度ほど試みた。別段、他の文鳥の様子を見て近づくといった感じではなく、まるで目的不明の唐突なチャレンジだったが、いずれもタッチアンドゴーで着地に至らず、結局定位置に戻って、何が楽しいのかわからないが、1時間30分程度の時間を羽づくろいに費やしていた。 人間も他の文鳥たちも、屁とも思っていないようなので、テーブル上の食べ物に興味を持てば、何のためらいもなく降りて来そうだが、食いしん坊ではないようなので、うらやましくは思っていないようだ(他の文鳥たちの様子を観察しようとしない)。では、なぜ降りてこようとしたのか。さらに謎が深まってきた。
2010年05月23日
コメント(0)
「文鳥キック」を繰り返すケコと出てきてくつろぐケコ 今夜も、ケコは出入り口の所在が分からず、ガチャガチャと騒ぎまわる。自分で解決法を見つけさせようと放っておいたが、ケコの体力よりもこちらの忍耐が先に尽きてしまった。 そこで、まずは捕獲して出入り口に置き、あわてて飛び出さないように、ゆっくりつかんだ手を離し、しばらく立ったまま様子を見、ケコが動かずに周囲を確認している様子なので、ゆっくり静かに放鳥部屋に戻った。これで釣られて飛んで来る予定だったのだが、何と、わざわざ回れ右をしてカゴの中に入り、定位置の上段T字止まり木に戻ったではないか! ようするに、T字止まり木から放鳥部屋がよく見えるのがいけないのだ。そう思い当たり、布巾をカゴにかぶせてやった。これは効果てき面で、放鳥部屋に戻りイスに腰掛け、カメラを持ち上げた時には、すでに出入り口に移動し、こちら目掛けてまっすぐに飛んできていた。頭に着地、そこを踏み台にさらに上空へ飛び立ち、結局例のレースの暖簾上に位置を占め、悠々と毛づくろいに興じ始めた。 頭が良いのか悪いのかよくわからないが、今のところ鈍いのは確かだろう。運動能力は、案外発達しており、ちょっとした動作ですぐに息が上がり、荒い音を発しつつ開口呼吸をしているスミとはだいぶ違う。 今日の経験で出入り口を学習してくれただろうか、それともしばらく布巾が必要になるのか、明日の行動を楽しみにしよう。
2010年05月22日
コメント(0)
昨年の初夏、『文鳥墓苑』に植えた斑入り白丁木が満開になりました。花は小さく地味なものと思っていましたが、量で圧倒されなかなか見ごたえがあります。 反対側の香丁木(コウチョウギ)も、今日薄い紫色の花を一つ咲かせていました。こちらは来月の初めあたりに満開になるのかもしれません。 朝顔の方は、揚州1、ネパール2が発芽し、植え替え済みです。特に揚州の方の発芽が1つというのが少し気がかりなので、念のため追加の種まきを行おうかと思っています。
2010年05月22日
コメント(0)
さわり心地の良さそうなハルの頭 ハルの頭は現在ゴジラ化しており、すでにハゲとは言えなくなってしまった。元々の凛々しい姿に戻るのも時間の問題だが、戻った後で、また妻のエコからハゲ増しを受ける可能性も大きいように思われる。となれば、修復したら、その姿をしっかり記憶も記録もしておかないといけない。 さて、ケコ。今日も開閉口から自分で出てこれず、T字止まり木に止まってこちらを見てソワソワし通しであった。何度か開閉口から手を入れて、そこから出られることを示して見たが、無駄であった。 今日もクラが出てきていたので、宿敵らしいケコは自分で出るまで打っちゃっておこうと考えたが、恨めしげに見えるので、根負けし、捕獲して連れ出した。すると、やはりクラの憩うレース暖簾の上に行ってしまい、しばらくは共存していたが、やがてクラを威嚇して追い払ってしまった。クラは、幸いイスのクッションの上に落ちたが、危険なのでカゴにお帰り頂いた。 邪魔者を追い払ったケコは、暖簾から動かず、羽づくろいをするばかりであった。一体何が楽しいのかわからないが、とにかくリラックスしているのは確かで、放鳥終了の時間が近づくと、そこで背眠(背中にクチバシを入れて眠ることを、このように呼ぶのだそうだ)を始めた。豪胆なのか無神経なのか天然ボケなのか、興味深いキャラクターだ。 ケコに虐げられているクラの義理の母(初めの妻セーヤの母)はハンなので、記憶のどこかにああいった模様の文鳥の記憶があるかもしれないが、一方的に攻め立てられて、親愛の情もわかないものと思われる。 今後、ケコが伴侶なり仲間を求めることがあるのか、一羽暮らしのオスであるノコリが、換羽を終えた後に伴侶探しをするのだろうか。先行きは不透明だ。
2010年05月21日
コメント(1)
ケコに端に追いやられたクラ 明日真夏の暑さになるらしい。今年は5月にも寒い日があったので、『文鳥団地』は温室化したままだ。しかし、ビニールカバーをかけていると、背面の窓を開けづらい。明日の暑さを見越して、夜間の放鳥時にさっさと撤去することにした。 放っておくと外に出てこないクラと、出て来られないケコをカゴの中で捕まえて、放鳥部屋に移動させ、『文鳥団地』と放鳥部屋の間のカーテン(ウッドカーテンというのか?)を閉めて、いつものように鳥知れず作業を行う。撤去作業を10分ほどで終え、放鳥部屋に戻ると、スミが床をちょこまか動き回り、クラ・ミナの定位置であるレースの暖簾にケコもたたずんでいた。とりあえず部屋を消灯してスミを捕獲、テーブルの上に置いて、カゴの掃除と水の交換作業を始めた。 その作業も終えて戻ると、スミは定位置のつぼ巣の中に収まり、ケコは徐々にクラ・ミナを端に押しやっていた。結構あつかましく、そして強い。一日中鳴き声をほとんど発しないくせに、「ギャオ~!」と雄たけびを上げて追いかけるシーンまであった。あれは、文鳥のくせに猫かぶりとかぶりっ子と呼ばれるべき性格かも知れぬと感心していると、クラがついにテーブルに避難というか落下してきた。珍しく垂直落下で無かっただけ褒めたいところだが、このまま元の位置に戻しても危険なので、速やかにカゴにお帰り頂いた。 その後もケコは、昨日と異なり、飛び回らず、そのためか他の文鳥たちも落ち着いていた。それにしても、まるで文鳥たちのニン気は無く、近づいていく者は皆無だ。しかし、ケコはまるで落ち着いており、気に入ったらしいクラの低位置で、羽づくろいを繰り返してリラックスし、時折先住権を主張しようと近づくミナを追い立てていた。我関せず、我が道を行くタイプなのだろう。顔は優しげで寡黙だが、結構、いろいろ屈折しているのかもしれない。さらに、この文鳥の行動に注目したいと思う。
2010年05月20日
コメント(0)
床から飛び立つケコ いつもより少し早起きし、ケコのカゴを『文鳥団地』に移した。続いて小松菜の用意をして、一部の文鳥たちを外に出し、餌の交換と小松菜の設置を行う。この間、新入りの可憐なごま塩文鳥に興味を持つ文鳥は現われなかった。 日中、ケコは隣カゴの様子を眺め、特にスミのダイブ水浴び(上段の止まり木から外掛け水浴び器に飛び込む行為を繰り返す)に関心を示したが、さすがに真似は出来ず、飲み水用の小さい容器で水浴びを済ませた。それでも、1羽の時には水浴びをしていないので、大きな進歩と言えそうだ。なお、色目を使うかと心配していたシンは、換羽後に自分好みの濃い桜文鳥になっているスミに満足しているのか、隣カゴに出現したケコにまるで関心を示さなかった。 午後の水交換の際にも、ケコに大きな関心を示す文鳥は現われない。キューとアトが少し近づいて横目で存在を確認している程度であった。下心のある飼い主は、肩に止まったノコリをケコの近くに誘うが、そのたびに「そんなの関係ねえ~!」とばかりに飛んでいってしまう・・・。 で、夜だ。すべてのカゴの開閉口を洗濯バサミで止め、ケコをつかみ出してテーブルの上に連れて行く。・・・直進派であった。たくさんの文鳥たちに興奮したらしいケコは、その文鳥たちのいる上の方に飛び立ち、まっすぐに隣りの部屋へと姿を消した。当然すぐに連れ戻したのだが、この飛翔するごま塩頭が、我が家の文鳥たちには、とてつもなくけったいな物に映ったらしく、パニックとなってしまった。 その後も、ケコが飛ぶたびに他の文鳥たちが逃げ惑い、半日隣カゴで見ているはずの完璧な非手乗りのスミまでが、掃除中の飼い主にぶつかって、暗がりなら何でも良いと手の中に潜り込もうとする始末だ。これでは危険過ぎるので、飼い主が掃除している間、ケコをカゴに帰した。 それにしても、ごま塩頭がこれほどのインパクトを与えるとは想定外であった。しかし、考えてみれば、我が家でこの素敵なごま塩文鳥の姿を見たことがあるのは、換羽で再び引きこもり中のクラしかいないのだから、奇異に感じても不思議は無かったのだ。 掃除が終わって、ケコのカゴの開閉口を開け、出て来い出て来いと誘うが、開閉口から出るという発想が出来ず、放鳥部屋の様子をうらやましげに見ながら、最上段のT字止まり木をウロウロするばかりであった。仕方がないので、再び捕獲して連れ出した。今度は、先ほどのようなパニックにはならず、それでもみなケコを避けて近づかず、結局ケコもスダレの上を自分の居場所と定め、毛づくろいなどをしてリラックスし始めた。かくて、平和が訪れたが、明日はどうなることか・・・。 なお、ケコはカナほど手乗りではなかった。手を出せばいちおう逃げるし、人間の肩にもやって来ようとはしなかった。しかし、怖がる様子はまるでなく、文鳥に対してもそれは同様だった。 おそらく、人間と文鳥の区別が無く、みんなにフレンドリーなのだろう。しかし、あいにく、我が家の文鳥たちには、ごま塩は受けが悪かったという悲劇が・・・。これから、嫌われケコがどのようなアプローチをしていくのか、初めに飼い主推奨のその美しさを認める文鳥は誰なのか、そもそもそういった文鳥が現われるのか、楽しみに観察しようと思う。
2010年05月19日
コメント(0)
我が物顔にふるまうスミ 昼、相変わらずおとなしいケコの翼の羽を、3枚ずつ一番外側を残し、1枚おきに切った。カゴの中で捕まえる際に「ギョエ~!」と叫んだのが、この文鳥が我が家に来て発した第一声となった。その後、少し吹っ切れたのか、それともようやく環境に慣れたのか、「チュッ!」とか「ピッ!」と声が出るようになった。お店でボール紙に移された際も、「ギョエ~!」と悲鳴をあげたので、声が出ないわけではないのは知っていたが、とりあえず安心した。 なお、これはいつも書いているような気がするが、3枚程度切られても、スピードが遅くなるだけで、飛べなくなることは無い。何しろ、初めて羽ばたける空間に出た文鳥は、ほとんど飛べないか、加減を知らずに猛烈に直進するかのいずれかで、飛べないのは羽ばたけないためであり、羽がそろっていても飛べないが、飛べる方はスピードが出すぎると危険なのだ。空中で方向も変えられないので、結局壁などに激突することになるが、スピードが早いほど衝撃は大きくなり危険となる。 どちらのタイプかは、実際放してみないとわからないので、我が家のようにお店から購入した文鳥を室内で放鳥する場合は、やはり最初に羽を間引くのが無難なのである。 なお、飛べないタイプだったスミは、現在飛べるようになり、わりに自在に頭上を行き来している。羽ばたくための筋肉がまだ劣っているためか、必要以上にバタバタと羽ばたいているが、1ヶ月もすれば、器用になっているのではなかろうか。 明日から、隣カゴにスミとは違ったタイプの「美女」がやって来るので、競うようにして、我が家に順応してもらいたい(スミは外掛け水浴び容器にダイブするようになったが、放鳥時のテーブルには関心を示さない)。
2010年05月18日
コメント(0)
タンパク質をしっかり摂っているハル 隔離中のケコは、今日も実に寡黙で、人間にはフレンドリーであった。まったく鳴かないので、心配しないでもないが、この一羽の時の態度と、群鳥の中に入った時の態度が、まるで異なることも多いので、やさしくかわいらしいと決め付けるのは危険かもしれない。案外あつかましくしたたかかも知れず、それが面白いところと言える。 換羽中だが、フンその他に異常は見られない。念のため明日一日様子を見て、明後日の朝に『文鳥団地』のシン・スミのカゴの隣(ノコリのカゴの下)に移動し、夜に放鳥デビューさせようと思う。 換羽といえば、ハルのハゲは順調に修復しており、元の美男子に戻るのも時間の問題となっている。 一方、ハルの孫のポンとその妻のアイだけは換羽にならず、まだ繁殖する気でいるらしく、せっせせっせせっせとつぼ巣を破壊している。営巣とは真逆の行為なので、やめるように説得したいのだが、まったくもどかしい。つぼ巣が使い物にならなくなるのは時間の問題だが、次にはヒモで脚が絡む危険性が低いタイプのつぼ巣の方が良いかもしれない。早めに用意しておきたい。
2010年05月17日
コメント(1)
『文鳥墓苑』に植えている斑入りの白丁花(ハクチョウゲ)が開花しました。小さな白い花ですが、お墓にはちょうど良い感じです。 今年も原種系朝顔の栽培を開始していますが、現在のところ、発芽しているのは、ネパールと揚州各1つずつです。原種系、特にネパール産の朝顔の発芽は遅いようです。 今年は、日差し除けに四角豆を栽培しようと思っているのですが、こちらも8つほど植えた豆のうち、発芽はまだ1つです。 明日も暑いらしいので、一気に芽吹いてくれるかもしれませんが、本格的な発芽は、いずれも月末になるかもしれません。
2010年05月17日
コメント(0)
人に話しかけられたいケコ ケコは思い切り手乗りではないかと思われる。同じお店で購入したカナも、初めから手乗りどころか、手のひらにも懐にももぐりこんだが、それ以上かもしれない。 人間が近づくと喜び、顔を近づけても逃げるどころか擦り寄り、豆苗を指につまんで差し出すと、恐れ気も無く食べ、相手をしないと文鳥キックをする。下の階から文鳥たちの鳴き声が聞こえてきても、チュンともピッピとも鳴かず、じっと寡黙に人間が近づいてくるのを待っている。 あのお店のおじいちゃんが、カゴから出して遊ぶことは無かったかもしれないが、相当にやさしく接していたことは確かだろう。いかに人からの差餌(サシエ・給餌【キュウジ】)を受けて育った過去があっても、その後相手にされなければ、親鳥が育てた荒鳥とさして変わらなくなるものなのだ。 昔、非手乗りとして購入した文鳥が、かなり早く人馴れするのを不思議に思ったものだが、これはむしろ当然なのだと、最近は思うようになった。何しろ、売られている成鳥にも、差餌経験がある「手乗り崩れ」の方が多いと思われるのだ。 ヒナ段階からお店にいて売れ残ったものばかりではない。何しろ、繁殖農家で繁殖の種鳥となっているほとんどが、差餌を受けた文鳥なのだ。先日、一般家庭での飼育方法としては否定されるべきものとして、早期に親鳥から引き離し、差餌して一定の大きさになって出荷することを挙げたが、生産農家では、その差餌して出荷するヒナから種鳥を選んでいたようなのだ。 つまり、「廃用」の「親鳥」として出荷される文鳥たちも、遠い昔に差餌を受けた手乗り崩れで、もちろん、晩春など時期外れに生まれ、ヒナ換羽後に「若親」などとして出荷される文鳥たちは、より近々の差餌の記憶を持った手乗り崩れなのである。従って、毎日声をかけ、一緒に遊んでいれば、手乗り状態に戻って何の不思議も無い。 我が家の非手乗りたちも、最近は馴れ馴れしいのが多いが、おそらく差餌経験者たちなのだろう。となると、人馴れしないメイのような文鳥は貴重だ。あのような文鳥は、性格の可能性もあるが、小規模繁殖家が、成鳥として出荷するためか、たんに差餌する手間を惜しんだか、親鳥任せにしていて差餌経験が無いことを示しているかもしれないのだ。 手乗り崩れの方があまり飼い主を警戒せずに、家庭でも繁殖してくれる利点があるが、一方親鳥がしっかり育てた方が丈夫そうな気がする人もいるだろう。今後は、差餌の有無も、しっかり情報開示されるべきなのだろうと思う(「差餌経験ありの若鳥」だとベタ慣れになる可能性があるので、差餌をする時間の無い人には喜ばれると思うなぁ)。 【補足】 私は白いご飯に黒ゴマを降りかけた状態を連想して、昔からごま塩文鳥と呼んでいるが、胡麻斑(ゴマフ)文鳥とかゴマかけ文鳥の方が分かりやすいのかもしれない。白地に有色というのがポイントで、桜文鳥の白斑が多い個体とは異なり、国産白文鳥のヒナの姿に近いが、尾羽がほぼ真っ黒なのが特徴と言える。 たびたび引き合いに出して申し訳ないが『ザ・文鳥』では、白斑のある桜文鳥同士をペアにすると、子供は「親より白斑が多くなります」とするが、これは、経験上では認められず、桜文鳥同士では、色が濃くなっていくようだ。少なくとも、我が家は白と桜の娘のごま塩から発して、代々「桜文鳥」同士をペアにすることで、現在白斑がわずかの濃い桜文鳥になっている(逆に、昔々の大昔、白と桜で産み分け狙いをしたら、しっかりごま塩文鳥が生まれたが、ごま塩を白文鳥とペアにしたところ、次世代は完全無欠の白文鳥であった)。
2010年05月16日
コメント(0)
我が家の人間に大いに気に入られた「ケコ」 ノコリをノコピコとも呼んでいるが、それは飼い主の方に止まって「ピコッ、ピコッ」と呼びかけてくれるからだ。現在文鳥の伴侶のいない彼は、もともと一羽育ちの箱入り息子ということもあり、人間を伴侶と見なしているので、肩にへばりつき、注目してもらおうと呼びかけてくるのである。 正直に言えば、この状態は飼い主にとってうれしい。このままであって欲しいと思う。しかし、他がみなペアになったのに、箱入り息子を一羽暮らしのままにしているのは、やはり宜しくないだろう。嫁文鳥など迎えたら、肩でピコピコ言うこともほとんど無くなることは分かっていても、やはり嫁文鳥を探すべきか。嗚呼!元々気乗りはしていなかったので、ノコリが嫁候補のスミに興味を示さず、シンがそのスミとペアになってくれたのは、むしろ有り難いくらいだったのだが、そのため独身が一羽になり、飼い主に対する暗黙のプレッシャーが強まってしまうとは! などと、他人にはおそらくまったく理解不能な思いを悶々と抱えつつ、嫁文鳥探しを継続していたのであった。 ノコリの前妻はずっと年上の桜文鳥コウで、彼は現在桜文鳥のアイに関心を示しているが、白文鳥のメイを誘惑しようと企んでもいる。白でも桜でもどちらでも良さそうだが、直近に桜文鳥のスミを拒絶した(日を置いて同居させればうまく行ったはずだが、そのような暇もなくシンがかっさらっていった)。一方、飼い主としては、桜と白のペアで白羽の多いごま塩文鳥が生まれて欲しいという願望が強まっている。そこで、神々しいまでに美しいか、可憐でかわいらしいメスの白文鳥がいたら買うことにしたのである。いちいちケチを付けて買わない魂胆だ。 センター北のペットエコ横浜でスミを購入する際に、同ケージにいた白文鳥を見ている。1羽は外見では文句をつけにくいほど美しかったが、メスのケージに紛れ込んでいたオスのシナモン文鳥といい仲になっていた。別に過去に「男がいても」構わないが、同じお店で連続して購入するのは癪だ。とりあえず、あのお店は生体をそろえていてくれるので、秋近くなっての最終手段とする。 その前に、みなとみらい地区のセキチューで白文鳥を見ている。しかし、顔付きが好みではなかった(飼い主が独善的な主観でケチをつけているだけなので、間違っても参考にしないように)。昨日自転車で行った蒔田の田中鳥獣店は、シナモンとシルバーとクリームのペアしかいなかった(『この野郎・・・』と横目で店主をにらんだのは言うまでもないが、当然文句を言える筋合いではない)。さらに、弘明寺の柿崎水魚園に初めて行ってみたが、小鳥の生体を扱っていなかった(取り寄せなどはするようだ)。 そして今日だ。 行ったことのないお店に行きたいのだが、小鳥の生体を扱うお店は、減ることはあっても増えることはほとんど無い。それでも一軒行ったことがないお店が追浜にあったので、まずは京浜急行で行ってみた。駅正面の大通りにあるムサシヤ鳥獣店は、鳥獣店といかめしいが、実際は街の小さなペットショップだった。清潔とは言いかねる店内の薄暗い棚の下の方に白文鳥が1ペア、身を寄せ合うようにしていた。店主の姿は無い。他に文鳥はいない。姿かたちはどちらも似たり寄ったりで、ごく普通だ。ペアの仲を引き裂いて連れ帰るほどの魅力を感じない。次。 潮混じりの風の吹く追浜から、国道16号線をてくてくと北上する。途中、あちこちに小さな生花店を見かけて不思議に思いつつ、市の境界をいつの間にやら越えて、たびたびやって来るおじいちゃんの小鳥屋さん六浦小鳥店に到着する。まだ存在していることに喜びつつ中に入り、よく映らない小さなテレビを見ている店主にあいさつどころか一瞥もくれずに文鳥の置かれている棚に向かう。正面にごま塩柄の文鳥が、小さなカゴで1羽静かにたたずんでいた。 かわいらしい。顔立ちはやさしげで、態度はおとなしく、カゴに顔を近づけても怖がらない。どう見てもこれはメスだ。メスでなければならない。白文鳥を探しているのは、ごま塩柄の子孫を得ようとする目的だったが、嫁文鳥自身がすでにごま塩なら何の問題もないどころか、願ったりかなったりではないか!少々不健康そうな気配がないでもないが、病弱、短命、だから何だ。それがどうした。である。 とは言え、いちおう他の文鳥も見る。ごま塩ちゃんの左は十姉妹軍団、右はヒナ羽毛の残る白文鳥とシルバー文鳥、この2羽やたら騒々しい。十姉妹軍団の上のカゴに白と桜のペア、体格は同等でどちらがオスであってもメスであっても不思議は無い感じだ。桜の方は少し脚が悪いかもしれない。さらに右の白・シルバーの下のカゴにヒナ羽毛の残る白文鳥ペア。どちらも姿は悪くないがヒナ換羽中で落ち着き無く騒がしい。 もう1ペアいたかもしれないが、もう目に入らず、やはりごま塩ちゃんが一番だと思いつつ、おじいちゃんに「文鳥のメスください」と言う。案の定、これがメスと一羽暮らしのごま塩ちゃんのカゴを持ち出し、よく確認するように言うので、爪傷(つまきず、指や爪の部分剥落のこと)があったところでどうでも良いので、『OK!OK!オールセーフティ!』と心で唱えつつ、お勘定を頼む。途中、たくさん飼っていて1羽だけあぶれているオスがいるといったようなことを話し、メスはなかなかいないのだといった話を聞く。念のため、どれくらいの年齢か尋ねたら、1歳くらいとのことであった。おそらく2008~2009年シーズンの手のりヒナの売れ残りであろう。遅生まれのノコリより数ヶ月早生まれかもしれないが、同学年といって良さそうだ。4,500円。 小さなボール箱の中で暴れる文鳥を抱えて家路を急ぐ。道々、名前はやはりゴマなのだろうかと考えていたが、家に着きカゴに入れて八景のお店で買ったのだと老母に見せたところ、途端にケイコちゃんと呼び出した。それはあんたの妹の名前だろうがと思ったが、せっかく年寄りが気に入ったようなので、「ケコ」にした。何となく雰囲気がそういった感じではある。お店では「ごま塩ちゃんだ!」で興奮していたわけだが、落ち着いて見ると、我が家のハンに生き写しなので、その記憶が年寄りの脳裏にもよみがえったのかも知れぬ。 お店では売れ残りのあまり者だったかもしれないが、我が家では前代未聞の大当たりだ。我が家に来て、2時間、今はアワ玉を撒き散らしつつ食べまくっている。環境にもすぐに順応してくれそうだ。数日後の放鳥デビューが楽しみだ。
2010年05月15日
コメント(3)
ハゲ克服中のハル ハルはおそらくやってくれるだろうと期待していたが、望み以上の姿になってくれている。江戸時代の月代(さかやき)状態から、坊さん状態に一直線だ。さらに筆毛が出て無精ひげからゴジラ状態に変化するなど、当分楽しませてくれることだろう。さすがはハルだ。 一方、行動で期待に応えてくれているのがキューだ。天才の彼は、鈍才と評判の妻ニッキを、しばしば放鳥時間終了5分ほど前に、自分たちのカゴに連れ帰るようになった。おそらく、帰還の際にニッキが飼い主の手を煩わせるのを遺憾に思ってのことであろう。・・・ここまでくると、小鳥とはとても思えない。さすがはキューだ。 我が家のオトコのシニア層を、飼い主は生物種の違いを超えて尊敬するのであった。
2010年05月14日
コメント(0)
この姿勢でないと水を飲まないデコ 何故かはわからないが、写真の体勢でないとデコは水を飲まない。この容器、十年以上昔から使われているので、いい加減代えなければならないが、やはり同じものを同じように加工しないと、デコのような文鳥は許してくれないだろう。剣呑なことだ。 そのデコは、現在最もボロボロで、他も多くが換羽に突入している。今年はかなり順調で、春のハゲの修復以外は、特に変った換羽は見られないようだ。面白くなくて良いので、このまま順調に経過して欲しいところだ。
2010年05月13日
コメント(1)
ようやくハゲが治るらしいハルとぬくぬく状態のエコ 文鳥の原産地インドネシアはバリ島の文鳥絵画を多く扱われている『アート・ルキサン』さんの、15%OFFセールに心惑わせる今日この頃(不思議としては、RAJIG画伯のインコと猛禽類のカッコイイ絵が売れ残っていることだ。文鳥バージョンがあれば借金しても買うのに・・・)、我が家の文鳥たちはおおむね元気で、換羽が順調に本格化している。 新入りのスミは、我が家の生活に慣れてきて、今日は上の方で歩いたり少し飛んだり、いろいろ移動していた。当初、新妻の外見に懐疑的だったシンは、換羽がほぼ終わると好みの姿だったので安心したのか、夫らしく振舞うようになってきている。 若いノッチは人目を気にせず拙いさえずりを繰り返すようになり、年上のメスに言い寄るようにもなっている。一方イッツは、輸入ヒエとアワ玉と、『ソフトフルーツフード』という見た目が鮮やか過ぎる小鳥用おやつを食べ散らかしている。 クラは昨日から機嫌を直してくれて、放鳥時間に手に乗って出てきてくれるようになった。 動きの怪しいデコ・シズ夫婦は、そろって換羽の最盛期となっている。 みなそろって元気に、夏を迎え、秋になり冬になり、さらに春を迎えて欲しいものだ。 【余談~飼鳥団体への期待をこめて~】 飼鳥団体、飼鳥クラブとは、飼鳥家の集まりのことだ。飼鳥家とは何か、当然鳥を飼っている人のことだが、実際に各地に存在しているらしい飼鳥団体の多くは、多少なりとも生体販売で利益も得るような繁殖家、いわばプロの地域的な親睦組織で、実利的には会員相互の種鳥の交換などを行うのが目的のため、一般の飼い主には閉鎖的なものになっていることが多いようだ。つまり、生産者団体であり消費者団体ではないと言って良いかと思う。 一方で消費者であるところの一般の飼い主に開放された団体もあり、例えば東京ピイチク会では、春秋には東京で一般にも開放された展覧会を催されており、参加される一般の飼い主の方も多い。入会も随時可能なので、興味があるなら・・・、と気軽に紹介したいのだが、残念ながらホームページが無いのである。以前、おそらく二度、公式らしきホームページを見たのだが、いずれも短期間で閉鎖されてしまった。閉鎖の理由は皆目わからないが、せっかくオープンな活動をされているのだから、入会案内と催事案内くらいはネットで公表するべきだと思う。さらにあえて厳しく言えば、ネットが普及している現在、公に活動する団体でありながらそれをしないのは、怠慢である。「誰でもいらっしゃい、案内もお代もいらないよ。でもどこで開催するかは案内しないもんね」とか、「誰でも何時でもお入んなさい、会費払えばその場で会員だよ。でも連絡先は教えないからね」とか、常識的には有り得ない。 何故そういったことを、会員でもない無関係な人間が、ブログに書かねばならないかと言えば、あいにく私のホームページは完全にクローズしていないので、何を間違ったのか(鳥に詳しければ飼鳥団体にも所属しているはずだと、素朴に考えるのか?)、問い合わせてくる人がいるからだ。確かに、ずいぶんと昔、東京ピイチク会に入会のご案内をお願いしたところ、実にご丁寧なご返信を頂戴していたので、その折に入会費や年間会費を納入していれば、今もピイチク会会員であったかもしれない。しかし、いろいろ考えがあって、そうはしなかった(会費が惜しかったわけではないぞ!)。従って、『なぜオレに聞くんだ!』『なぜ案内くらいネットに出さんのだ!』と、あまり考えずに気安く他人に物を尋ねる人や、尋ねられるに決まっているのにそれに対する用意を怠っている団体に対し、腹を立てても罰は当たらないと思う。些細だが、迷惑をこうむっているのは確かなのだ。仕方がないので、催事の案内ページを載せられているホームページやブログを紹介し、お近くなら一度催事にお越しになってはいかがですか、とそれなりに「お近く」のくせに、一度も行ったことがない人間が勧めねばならない滑稽な事態となる。 会の公式でなくても、会員なら勝手に受付窓口を作ってしまえば良いのではなかろうか。普通に知り合いに聞かれたら教えるのだろうから、同じことである。それでも筋を通したければ、役員をしている人に一言断っても良いだろうし、しっかり了解を受けずにはいられなければ、無闇ににネットを怖がっている中心メンバーがいたとしても、迷惑は掛けないと説得すれば済むはずだ。是非とも、ネットを利用される会員の方は、ご自分が所属されている団体が、オープンな集まりとして当然必須とされる処置を講じるように、ご努力賜りたい(ドメイン取ったとしても、表紙と案内ページと入会ファームを作って1時間とかかるまい)。 なお、東京ピイチク会以外にも一般飼い主に解放され、ホームページで実にフレンドリーに会員を募集されている団体も存在するので、紹介しておく(当然のように私は会員ではなく、まるで無関係)。 兵庫県姫路市 全日本洋鳥クラブ http://web1.kcn.jp/bonafide/ 奈良県大和郡山市 やまと愛鳥会 http://yamatoaityoukai.hp.infoseek.co.jp/ これも以前に指摘したことだが、同じ小鳥を愛する者でも、その愛し方は一様ではないので、しっかり区別しないと、何かしら裏切られた気分になることにもなると思っている↓。http://www.cam.hi-ho.ne.jp/bun2/mondai/mondai19.htm 繁殖家をプロと見なして、尊敬の念の抱くのは素朴であり、実際小鳥を愛し、その小鳥の飼鳥としてより美しく完成した姿を求め、また広めようと努力されている尊敬されるべき人も多いはずなので、間違っているとは言えない。しかし、収集癖という個人の欲望の赴くまま飼育する鳥種を増やすだけの「鳥キチ」は、大昔から多く存在するところであり(むしろそれが標準的であったかもしれない)、また、品種改良マニアとも言うべき異品種交配を実験的に行った挙句に(このタイプは他人が何人も実証している交配でも自分で試さないと気がすまない)、その結果としての『雑種』を平然と市場に出して恥じることが無い、はた迷惑な身勝手人間が、その中に含まれていないとは言えないのである。 昨日、文鳥の繁殖農家の話で「廃用」の話に触れたが、育て、一緒に生活をともにし、そのペット動物の老後も死にも家族として寄り添う、といった感覚では、大量生産も系統立てた繁殖も改良もしくはその真似事も、おそらく不可能である。そういったプロと思いたければ思っても良い一般的ではない人たちが、「廃用」としなければならない鳥たちも、アマと言えば言えるに違いない一般の飼い主にとっては、大切で貴重な生命以外の何物とも思えないのが、現代ではむしろ普通だ。従って、もし、生体の一般無料頒布をプロ的な人なり組織が行えば、それが動物愛護法上疑義がある行為か否か以前に、少しは知識のある飼い主なら、「廃用」の押し付けではないかと疑い、不信感が募らせる基にもなる。 「廃用」の押し付けが事実で必要な行為であるとしても、「廃用」文鳥と言えどたった3歳だ。まだ数年繁殖も可能な壮年なのである。誤魔化さず、プロ的な立場では飼育できなくなる理由を明示して、自分たちとは違う感覚を持つ一般の飼い主に引き受けを依頼すべきであり、その橋渡しを行う組織として、飼鳥団体が大きく一般的に門戸を広げて存在して欲しいものだと、私は思っている(その指向性を持たない団体は不要だと信じている)。 それぞれの立場で、価値観は異なり、ニーズも異なるのは当然なので、過去がどうであれ、今現在は一方に偏ることのないバランスのとれた飼鳥団体が、全国的な組織として根付き、日本の飼鳥文化を担って欲しいものだと願っている。
2010年05月12日
コメント(2)
向かいに引っ越したノッチ・イッツ 今朝、ノッチとイッツを今までのカゴの向かいの位置にあるカゴに移した。この間までオッキが暮らしていた一等地である。 今までは、保温性の優れた前面・背面・上部がプラスチックのカゴだったので、違和感があるようだが、ブランコなどは大きく動くので嬉しそうであった。ヒエ穂を与えていたためか、やたらとヒエ好きになっているので、特別に輸入ヒエを半月エサ入れで与えておくことにしたが、早速食べ散らしていた。掃除は大変なことになりそうだ(その点、これまで使っていたカゴは優れていた)。 せっかくなので、SANKOの手のりカゴなど新しいものを試そうかと思ったが、結局、我が家の標準仕様(GB『365』)の中古となった。大きさ的には、シュー・ラックだけが使っているHOEI『SN10』がお気に入りなのだが、このカゴは若干幅広のため、隣のアト・メイに影響しそうなので避けた。 個人的には、底の仕様はSANKOで、鉄線の品質はHOEI、真ん中は手のり的に大きく開閉しても、餌入れは設置できるMARUWA『フリーバード』の仕様、といったものが欲しい。なかなか、理想的なものは現われないなぁ。
2010年05月11日
コメント(0)
農畜産品として、いくつかの農家から文鳥を集約して出荷する組合が解散しても、弥富で文鳥を飼育繁殖する人がいなくなったわけではない。今後は、生産規模にとらわれずに、また価格を上げる方向に意識を大幅に切り替えて(これまでの卸売業者その他との関係を改めるのはとても困難なことだが、無責任な第三者は気安くものが言えるので言っている)、この際、農畜産品としてではなく、『動物愛護法』の元での動物取扱業者として、つまり農業ではなくペット産業の範疇で、高くても良いものを提供してもらえるように期待している。高くても、高いだけの理由が明らかなら、評価されないはずが無いと私は信じている(消費者は理由もなく並べられた虫食い野菜は買わないが、『無農薬有機栽培』などと理由がわかれば喜んで買う)。 もっとも、率直に言えば、あまり多くは期待していない。変るものなら、より以前から変ったと思っている。それほど古いシステムは変えにくいものだと承知しているので、弥富における文鳥の大規模生産が完全に消滅しても、私個人に特別な感慨はない。存続の努力をされた方に、深い敬意と人間としての共感を抱くものの、必然以外の何物でもないとしか思えないのである。ただ、文鳥組合も、繁殖農家も、白文鳥発祥地の記念碑すら、どうなっても構わないとしても、弥富系統の白文鳥が消えてしまうとしたら、やりきれない気分にはなる。この地方の白文鳥は、白文鳥同士でも、生まれるヒナの三分の一は桜文鳥になる特殊な存在だった。これは、白文鳥を生産する場合、必ず不利となる特質なので、結局、白文鳥同士からは白文鳥しか生まれない別系統が主流となるに相違ないのだ。白文鳥以外を生み出す個体は、白文鳥を生産する立場からは、選択淘汰の対象になってしまうだろう。 せっかく珍しい遺伝子が存在し、それが長く弥富の人たちに受け継がれ、日本人に愛されてもきたので(※)、文鳥の中でも特に白文鳥を愛し、弥富文鳥と関わりを持った人たちは、意識的にこの系統を保護することを考えて欲しいところだ。我が家は桜文鳥主流で、白文鳥と言えば、桜文鳥の間でごま塩化ねらいなので、弥富系でない方をむしろ望むようになっているので(元々桜と白の産み分け狙いだったが、オールごま塩化した過去を持つ)、ここは一つ、白文鳥大好きで、何となくでも弥富に憧れる人たちが、弥富白文鳥保存会の設立を考えてもらいたいところだ。※白と桜を夫婦にしても、産み分けが起きて、両方の子供を得ることが出来る。なお、最近刊行された『ザ・文鳥』が、「(台湾産系の白文鳥の白因子は)劣勢(原文ママ、劣性の誤りか)のため、サクラブンチョウと交配すると生まれるヒナはすべてサクラブンチョウ」となるとしているのには問題がある。その因子が対立遺伝子に対して劣性なら、実際の姿に影響しないはずだが、実際は100パーセントごま塩化するので(片親の桜文鳥より確実に白斑が増し、多くはごま塩柄になる)、有色の因子とこの白色の因子に優劣はないと見なすのが適当である。確かに現実として、ごま塩文鳥と白斑の多い桜文鳥を外見で区別するのは不可能に近いが、遺伝子型が異なる以上、一括出来るものではない(それを一括するなら、遺伝子の知識など無意味だ)。 なお、弥富の文鳥生産農家は、弥富の文鳥が数多く台湾に輸出されていたことから、現在逆輸入される形になった台湾産の白文鳥を、弥富産の末裔と考えられているようだが、色柄の遺伝因子の面だけで見れば別系統と言わねばならない。おそらく関東その他に存在した白文鳥同士では白文鳥しか生まれず、白と桜ではごま塩化する系統が種鳥となり、弥富の白文鳥の形質(絶対優性の白因子)は淘汰されてしまったものと考えるべきだろう。 なお、弥富での文鳥生産が無くなると、文鳥が買えなくなるのでは?といった誤解があるかもしれないので、この点付言しておく。 弥富が文鳥シェアの80パーセントを生産などとしていたが、これは農畜産品として生産出荷されている文鳥でのシェアに過ぎない。実際は、農畜産業の括りに入らない中・小の繁殖家(飼鳥団体に所属するような、いわば繁殖のプロ。動物取扱業)が卸売や小売に売り渡す昔から多く行われており、それがこの「シェア」には含まれていない。また、台湾など海外からの輸入数も、この「シェア」には含まれていない。つまり、この「シェア」は、実際の流通に占めるシェアではなく、シェアの一部である農畜産品としての文鳥生産における、弥富など愛知県の文鳥農家の生産割合を示すに過ぎない。文鳥農家という形態は特殊なので、ほとんど弥富に限られており、農家生産数上の「シェア」は絶対的な出荷数量が激減しても変らないだけの話である。実際、弥富の文鳥組合における出荷数が年々減少の一途をたどっても、それで市場から文鳥がいなくなった事実は無く、元々弥富では生産されなかった、シナモンやシルバーも市場にあふれており、それを弥富でも後追いする形で導入したのが現実だ。つまり、弥富で文鳥生産が完全になくなったとしても、影響は限られるのである。 この際、贅言するなら、本来ペット動物の繁殖は、大規模より小規模が望ましく、文鳥についても、一般家庭のブリーダーから譲られるなり購入する形態が望ましいと信じている。ただ、オマエはどうだと言われたら、自分の家で産まれた文鳥は、とりあえず門外不出で、嫁や婿はペットショップめぐりをして購入している(それでも冷やかし的に動物取扱業登録をしているんだな、これが)。 私個人はともかく、今は一種の過渡期で、将来的にはより一般の飼い主の横のつながりを重視しなければならなくなるように思っている。個人的には、すでに存在する飼鳥団体が、元々言葉は悪いが「鳥キチ」「鳥ヤ」のおっちゃんたちの親睦組織的なものであったとしても、一般に開放した展示会の開催や一般会員の受け入れからさらに一歩進んで、一般の愛好者を中心にした組織になり、文鳥の愛好者拡大や実際の流通における結束点となってくれないものかとも思っている(なぜ飼鳥団体はホームページ一つ運営し続けられないのか?)。しかし、オマエが何かしろと言われると困惑するので、これ以上余計なことを言うのを自重しておこう。
2010年05月11日
コメント(0)
先日、某氏のご好意で、『弥富文鳥盛衰記』という冊子を拝読する機会を得た。この冊子は、昨年一部の文鳥マニアに惜しまれつつ、解散する事になってしまった愛知県弥富市の文鳥生産農家の出荷組合の方が、当地における文鳥産業の歴史や解散の顛末を簡単にまとめられて、関係者に配られたものだ。 私は、おそらく、文鳥の歴史などに興味がある一般的な飼い主の平均的レベルよりも、『文鳥村』と呼ばれ、文鳥生産のメッカであった弥富に対する思い入れが薄いと思う。何しろ、現地に行って、生産の現場を見たいと思ったことすら無いのである。それには私なりに理由はある。生産形態については、畜産全書などの書物や、実際に行かれた人のネットでの見聞記録を見るくらいで、十分にどういったものか把握可能なので、手間隙をかけ、観光としての受け入れ準備の無い農家の手を煩わせても、それ以上に得るものはないと見なしていたのだ。 伝統的に文鳥の大量生産をする場所に興味を持たないのは、文鳥の愛好者としておかしいだろうか?おかしいと思う人は、何か誤解しているような気がする。例えば、ニワトリに名前をつけて大切に飼育している人が、養鶏場を訪ねたいと思うだろうか?それが文鳥の生産場であったとして、どこに本質的な違いがあるだろうか?まして、養鶏場の生産様式を真似して、家庭でニワトリを飼育する人がいるだろうか?もちろん、養鶏という畜産業の経済的な必要性から研究された栄養学や医学などなどの知見を、家庭のペットとしての飼育という観点から取り入れることはあるだろう。しかし、舐めるようにかわいがるのと、出荷できるようになるまで、もしくは食べられるようになるまで、いかに効率よく(短時間で安上がりに)育てるかでは、まるで別次元の話のはずである。 文鳥の繁殖農家の方法論なり感覚が、いかに一般の飼い主と異なるものか、いくつか具体例を挙げよう。 1、営巣の有無 繁殖農家では、箱巣の産座に稲ワラを編んだワラジを敷いて、箱巣のフタをはずした状態で繁殖させている。これは利便性を求めた結果だが、家庭で飼育する者は真似すべきでない。大きな飼育屋の何段にも積まれた飼育箱の中という薄暗い環境では問題にならなくとも、家庭内の鳥カゴの中でフタがなければ、文鳥が落ち着いて抱卵・育雛するのは難しくなる。また、オス文鳥の抱卵・育雛への参加を促す営巣は、ダメなら組み合わせを替えると言ったことが出来ない一般家庭での繁殖では、もはや必須項目と言える(昔的に言えば、オスの「追い盛り」を防ぐには、営巣で体力を消耗させるのが、最も自然で効果的)。2、引き継ぎのタイミング 繁殖農家では、孵化7~10日のヒナを取り出し、その後数日の間餌づけをしてから卸売業者に出荷しているが、これは可能な限り早く親鳥を育雛から開放し、次の産卵を促すための行為であり、家庭で飼育する者は真似すべきではない。未熟なら未熟なほど体調を崩しやすいので、確実に丈夫な手乗り文鳥を育てたければ、問題が無い限り孵化2週間程度は親鳥に任せるべきなのである。こうした経済的な理由だけで早期に引き継いでしまう習慣を、飼育における伝統的な方法論と安易に誤解してはならない。3、廃用成鳥の処分 繁殖農家では、生後1~3歳までを種鳥として用いられ、3歳の繁殖明け「6月の換羽期が来たら出荷処分する」(畜産全書)ことになる。このいわゆる「廃用」を安価に買い取った一部の業者が、「若鳥」と偽って市場に出したところで、消費者である我々一般飼い主にはわからない。もちろん責任の大半は、承知した上で転売する業者側に存在するが、「廃用」で市場が混乱し迷惑をこうむるのは、消費者である一般飼い主である。老衰して亡くなるまで面倒を見なければならない一般飼い主と、3年経てば捨て値で市場に放り出す生産者は、当然のことながら、同じ感覚であるはずがない。 さて、当然私には繁殖農家を非難する気持ちはまったくない。経済動物として見るか見ないかの立場の相違で、見ない立場から言えば、繁殖農家の方法論など真似する必然性も必要性もその欠片もなく、経済合理性の追求を前提としなければならない宿命を持つ産業の、一体何を参考に出来ると信じられる方が、よほど不思議だと思っているに過ぎない(繁殖のプロとしての工夫と飼育上の工夫は、家庭での飼育とは別物であり、一般家庭での飼育にベテランはいてもプロはいない。一般家庭での飼育は、家庭生活そのものだからである)。文鳥を農畜産品と見なして、それなりに品質良く効率的大量に生産することを目指すなら、弥富の農家の文鳥生産システムは、実に良くできたものだったのである(従って別の産地は真似をする)。 しかしながら、大量生産大量消費の時代はすでに過ぎ去り、おそらく再び戻っては来ない。また、使い捨て的安価な製品を求めるニーズに対しては、日本より生産コストが低い海外の製品が応えるのが時代の趨勢となってしまっている。さらに、飼育されるペットの種類も多様化し、文鳥を飼育する人の絶対数が減っているのも明らかだ。その少なくなったパイをめぐって輸入品と価格面で競争するのは、ほとんど無茶といって良い。つまり、文鳥生産についても、一羽当たりの単価を引き上げても消費者に支持されるように、品質の良い国産として付加価値をいかにして高めるかを、考えねばならなかったはずだ。具体的には、大量生産体制を脱却して、衛生的な管理のできる比較的少数羽の飼育システムに移行し、観光化をはかりブランドとしての知名度を高め、直販システムを構築し・・・、と言ったところで、ざっと20年前、少なくとも10年前には考えて、即時に実行していかなければならなかったように思える。 もちろん、昔の成功体験があるだけに変更は難しく(昔は生産しただけ売れた)、従事者が高齢となればさらに困難であり、しかも改革したところでうまくいった保証は何もない。しかし、文鳥だけの爆発的な飼育ブームなど今後も考えにくいくらいのことは(起こったとしても一過性)、少し客観的なら誰にでも理解できたはずであり、何もしなければ、斜陽化してジリ貧になるのは明らかだったと思う。 冊子を読む限り、近年の鳥インフルエンザ騒動が、弥富文鳥の売り上げ不振のダメ押しとなったと、生産者側はお考えのようだが、それも、養鶏や養豚同様の開放的な小屋での大規模生産形式が、ペット動物の繁殖方法として、一般に受け入れにくくなっている現状を表面化させただけではなかろうか。何しろ、鳥インフルエンザにより台湾産などの輸入が頻繁に全面ストップするようになっているので、輸入検疫体制の強化は、国産にとってむしろ追い風にもなったはずである。一体この間、一時的品薄状態を捉え、輸入物に安かろう悪かろうのイメージを与えつつ、国産文鳥のブランド化をはかるような動きがあっただろうか? 実情などほとんど知らずに、「弥富文鳥」のイメージを先行させて、何らかの妄想を抱いている文鳥マニアは昔から多いものだが、そういった文鳥を農畜産品として扱うなど夢にも思わないような人々を、いかにうまく取り入れるかを考えずして、将来などあるわけがない。従って、近々に行き詰ると、十年ほど前に私は思っていたので(『文鳥問題』↓)、むしろ昨年まで組合を継続させたご努力に敬意を覚える。出荷数は減るばかりの上に単価は据え置き状態、いくら努力をしても報われず・・・、こうした産業を継続するのは、とてもつらいものだったに相違ない(※)。http://www.cam.hi-ho.ne.jp/bun2/mondai/mondai2.htm※弥富に文鳥組合が存在したおかげで、長年我々一般の飼い主は、市場から安定的な文鳥の供給を受けることが出来た。文鳥組合が存在したおかげで、弥富の文鳥の品質は保たれ(繁殖家のように当たり外れは無い)、貴重な系統が失われずに済んでいたのである。その点は十二分に評価しなければならない。
2010年05月11日
コメント(1)
夫婦単位でくつろぐ文鳥たち 文鳥はとても夫婦仲が良い小鳥として、中国でも日本でも称えられてきた。実際は、浮気も離婚もあるのだが、大抵は夫婦仲は良く、一緒に寄り添っていることが多い。 ・・・写真のさびしげな白文鳥1羽はミナだ。夫のクラがクチバシの余分を切られて以来、放鳥時間になると、自分のカゴのつぼ巣の奥にへばりついていじけているのだ。早く機嫌を直して、飼い主の手に乗って、出て来て欲しいものだ。
2010年05月10日
コメント(0)
憩うイブ・マキにマキに未練を残すシン、その様子をつぼ巣から見ているスミ 今日もヨメはうまく飛べずに不時着し、人間は何もしていないのに、暗いところ、狭いところへ歩いて向かっていく。まったくネズミのようなので、名前をネズに・・・いや待てよ、ネズミの前2文字より後ろ2文字でズミ、隅っこに行くからスミの方が・・・、で、『スミ』と改名することにした。愛称は「スミっ子」だ。 しっかり飛べるようになって、シンさんをしっかり監視してもらいたい。
2010年05月09日
コメント(2)
逆サイドの巣に居座るヨメ 危険なヨメ。今夜も放鳥時間が始まりしばらくしてから、開閉口にやって来て、外掛け容器に止まって・・・、あらぬ方向に飛び出し落下し床に不時着した。ネズミのように狭く暗いところにもぐりこもうとするこの文鳥を拾い上げて、放鳥部屋の棚の上に置く。そこから昨日と同じつぼ巣を目指して行く途中でまた落下し収納ボックスに不時着した。再び捕獲して棚の上に置くと、今度はうまくつぼ巣まで達したので、ヤレヤレと安心して掃除などを始めた。 掃除と水の交換を終えて、ヨメがいるはずのつぼ巣を覗くと誰もいない。『・・・マズイ、どこへ行ったのだ!』と焦燥感に襲われたのもつかの間、逆サイドのつぼ巣の中に収まっていた。ろくに飛べないくせにどうやって行ったのか謎だ(暖簾のレールを伝って行ったか)。 その後、このニッキのアジトであったつぼ巣を離れず、他を寄せ付けず、シンが近づいた時だけ盛んに中に誘っていたが、あいにくシンさんはマキに未練があり、ウロウロとまだ付回し、ヨメと仲良くつぼ巣で落ち着こうとはしないのであった。 今後、行動範囲をどのように広げていくのか、ヨメは要注意だ。 昼間、クラの下クチバシが突出しているのに気づいた。放置しておくと食べづらくなるばかりなので、余分を爪切りで切った。ビビリの文鳥なので、あまりやりたくない作業だが、これからたびたび必要になるかもしれない。 信頼を得たいところだが、今夜は放鳥に出て来ようとしなかった。困ったものだ。
2010年05月08日
コメント(1)
つぼ巣に居ついたヨメとそれを守護するシン ヨメの放鳥2日目。つぼ巣に変わり、抱卵することも無くなった20余の文鳥たちは、みな飛び出して大騒ぎになる中、ヨメはカゴの中のつぼ巣の上にへばりついていた。むしろその方が安心だと思っていたら、いつの間にか飛び出し、気づいた時には、カゴの正面をまっすぐに行った辺りでうろついていた。 上に行きたいが行けないらしいので、捕まえて棚の上に置くと、あわて騒いで落下する。今一度同じことをゆっくり丁寧に行ったところ、少し落ち着き、そこから何とか上方の太い止まり木に跳んであがり、さらに目的地のつぼ巣に入り込んだ。そして、その後は1時間半ほどその場にこもり続けであった。 飛んだことのない文鳥にありがちな、数メートルは直進で飛べても、上昇や、まして飛びながらの方向転換などまったく出来ない状態のヨメ。我が家を自由に飛びまわれるまでには、しばらく時間が必要になりそうだ。
2010年05月07日
コメント(1)
ヨメをのぞき見する小僧文鳥たち 朝、そそくさとヨメのカゴを一階に運び、近くに文鳥の声を聞いて興奮するヨメの呼び鳴きを聞きながら、小松菜を与える支度をし、それからヨメをつかみ出して風切り羽を両翼3枚ずつ(一番外側を残し1枚おき)切り、左手に持ったまま、イッツ・ノッチを出し、ノコリを出し、何食わぬ顔でヨメを放り込み、その他の文鳥たちを出した。エサを交換し、小松菜を与え、昨夜交換出来なかった水の交換もし、カゴの外に出ていた文鳥たちを帰し、ノコリも帰した・・・。 さてどうなるかと、スダレ越しに見ていたら、仲良くしたがっているヨメをノコリが威嚇し追いかけはじめた。一方的な虐待に発展しそうな気配なので、再びノコリをカゴから出し、ヨメをつかみ出して元のカゴに戻し、そのカゴをオッキのカゴと入れ替え、ノコリを帰した。 日中、ヨメが隣カゴの白文鳥♀メイに興味を持っている様子なのを見て、これは勝負あったと感じた。シンさんが誘惑すればあっさりカップル成立だろう。ヨメは、ペットショップで4品種の文鳥たちと雑居していたので、色柄にはこだわらないに相違ない。わざわざ、シンの隣にカゴを置くのを避けたのだが、シンの思い通りになってしまいそうだ。 夜、大掃除のため、ヨメをカゴからつかみ出し放鳥部屋に置いたところ、飛ぶよりもネズミのように床を素早く動いて暗がりに隠れようとするので、大騒動になってしまった。いろいろなところに潜り込むのを引きずり出し、何とか上方の止まり木に止まらせたところ、少し落ち着いた様子だったので、飼い主は巣の交換作業に入り、10分と経たずに様子を見たら、ヨメはシンとつぼ巣に入っていた。目撃者の証言によれば、シンが近づいてつぼ巣に誘ったのだそうだ。 それならと、シンのカゴとヨメのカゴを入れ替え、シンのブランコをヨメのカゴに移した。ヨメのカゴで同居させようという算段だ。 小一時間で大掃除を終えると、いつの間にかヨメはまた床に不時着していた。相当にくたびれている様子なので、また捕獲して、早々にカゴに戻した。その後、出入り口は開いているが、出てこようとせず、逆にシンさんがカゴに入っていって、ブランコをやたらと揺らして乗って、気を引こうと努力し始めた。カゴの位置とブランコ以外は別物になっているのだが、そんなことを気にしてはいられないのだろう。がんばっている。 かくして、新たなカップルが成立し、1羽暮らしはノコリだけになった。換羽が終わったら、この箱入り息子の嫁の心配をしよう。 ヨメを拒絶したおっとりノコリ
2010年05月06日
コメント(0)
1羽でさびしいヨメ まずは「柳沢」さん、昨日のコメントで資史料のご提示ありがとうございました。とても参考になりました。特に明治37年の『諸鳥飼養全書』の方は、手乗り文鳥の発生についての証言を含んでおり(早く次の産卵をさせるため、孵化1週間ほどのヒナを人間が差し餌して育てる)、大変に興味深かったです。 さて、今日は夜放鳥を休まねばならないので、ヨメの様子でも・・・。 一羽暮らしなどしたことがないはずのヨメは、文鳥の声が遠くに聞こえると、一所懸命「チュッ!チュッ!」と鳴いている。「私はここよ、誰か来て!」の意味に相違ないが、我が家の文鳥たちは完全無視を決め込んでいる。 明朝、ノコリのカゴにヨメを移動するつもりだが、おそらくヨメは喜ぶだろう。問題は、ノコリだ。彼も今換羽に入っており、少々イラついているのだ。どういった反応をするものか・・・。ノコリがいじめるようなら、ただちに別居させ、夜の放鳥時間での自由恋愛に委ねることになる。ノコリ次第だ。
2010年05月05日
コメント(0)
派手に水浴びをするエコと見学するノッチ・イッツ 箱巣からつぼ巣に交換するための準備を進めている。空いたカゴとスペアのカゴをすべて使用し、入れ替える形で一気に行うつもりだ。換羽の気配が濃厚なので、これを期に一気に抜け替わり始めるのではないかと思う。 決行は、明日は用事があり、明後日はヨメの引越しなので、7日を予定している。準備万端にしておこう。【余談~「シロ」か「ハク」かの命題~】 さて、昨日の白文鳥の読み方の話の補足をしておきたい。 『ザ・文鳥』で「ハクブンチョウ」とだけ書かれているのに疑問を持ってはいるが、この点について『ザ・文鳥』が特殊なわけではない。例えば、昔から存在する飼育本(1978年『かわいいブンチョウの飼い方』)も、白文鳥の読みは「ハクブンチョウ」なのである。 しかし、同じ古い飼育本でも、 「シロブンチョウ」とするものがある。やはり1978年に初版が刊行された『ブンチョウ』は、白文鳥を「シロブンチョウ」とした上で、「別名ハクブンチョウ、あるいはこれを略してハクブンなどと呼ばれます」としているのである。 この「ハクブン」という略語の存在が示唆的だ。「シロブン」より「ハクブン」の方が発声しやすいので、繁殖家などの経済動物として文鳥を多数飼育する人々が、「ハクブン」という言葉で呼び慣らしていたため、その口語が、正式な品種名の読みに「ハクブンチョウ」とする基になったように思えるのだ。「ハクブン」と略さなければ「ハクブンチョウ」なので、結果、桜文鳥や並文鳥と整合性のとれない「ハクブンチョウ」となってしまうわけだ。これは、白文鳥が珍重され、多く飼育繁殖された名残と言えるかもしれない。 なお、試しにグーグルでそれぞれを検索すると、「ハクブンチョウ」667件に対し「シロブンチョウ」は1520件で。「シロブンチョウ」が2倍以上検索される。それが、実際の読み方の比率と同じとは言い切れないが、どちらの読みも並存していることは確かだろう。もちろん「ハクブンチョウ」で覚えたら、それで何の問題も無いのだが、普通に「シロブンチョウ」と読むことも忘れないでもらいたいところだ。
2010年05月04日
コメント(1)
河内晩柑をめぐる攻防(テン・ノッチ・イッツ) オッキがいなくなり、左手は柑橘類のエサ場となった。湯漬けエサは廃止にしようと思っていたのだが、存続の要望が強いので、青菜抜きのもの(『あわ玉ミックス』+スペシャルパウダー【『ヒナフトール』・ボレー粉・煮干し・カトルボーン・そば粉】)を、箸置きの上に乗せて与える分は残すことにした。 さて、昨日のミナの写真を見ていたら、前にも取り上げた記憶のある、『白文鳥』の読み方についての命題が、頭をもたげた。「シロブンチョウ」なのか「ハクブンチョウ」なのか。最近刊行された『ザ・文鳥』という本は、「ハクブンチョウ」で統一して、それを当然としているようだが、私はやはり「シロブンチョウ」と読む方が自然だと信じている。 結局のところ、「シロブンチョウ」と昔から読んでいたからだが、あえて理屈をつけるなら、桜文鳥は「サクラブンチョウ」で桜の部分は訓読みで、その点並文鳥も並は訓読みするので、白文鳥の白だけ音読みするのはバランスが悪い、ということになる。桜文鳥を「オウブンチョウ」、並文鳥を「ヘイブンチョウ」と読まないのなら、白文鳥だけ「ハクブンチョウ」にするのは、同一のものの品種の違いを示す表現方法としてはおかしい。 つまり、白文鳥だけを見て、それを「ハクブンチョウ」と読んでも何の問題も無いのだが、桜文鳥や並文鳥といった訓読み+音読みの単語と並置する時、国語として違和感を覚えるのだが(語感と言っても良い)、そうでもない人は案外に多いのかなぁ。
2010年05月03日
コメント(0)
老齢の夫を支える貞淑な白文鳥ミナ 被捕食動物の文鳥は、見慣れた仲間がいなくなっても、それほど不審とはしない。それぞれがそれそれの思惑で、いろいろやらかし。それに応じて飼い主は頭を使わねばならない。それは、実に飼い主の精神には良いものである。 さて、自分は元気で若いのに、伴侶が老齢や病気で繁殖が難しくなった時、どうなるものだろうか。子孫を残すために夫婦が存在するのが真相なので、若い方は分かれて他の伴侶を見つけるのこそが、自分の遺伝子を多く残す上で当然の行動だろう。確かに、以前、夫のオマケが衰弱した時に、妻のシロはへ以前と浮気に走った。また、昨日亡くなったオッキは、体調が悪化した途端に、夫のゲンから迫害された。 しかし、そうでない文鳥も多い。ブレイやサムやハルは女房文鳥が体調を崩しても寄り添い続けたし、今現在、ミナは、夫のクラがヨレヨレになっても、浮気は一切せずにいる。実にえらい。貞女だ。ヤマトナデシコ?の鑑だ。夫を捨ててくれれば、飼い主は咎め立てなどせずに、新たな伴侶を紹介しようとしていたのだが、クラと体を寄せ合っている姿を見せられては、余計な手出しは出来ない。 ミナに紹介しようと思っていた独身オスの2羽。白文鳥シンさんと桜文鳥ノコリ。 シンさんは、昨日今日と桜文鳥マキが篭る箱巣の中にまで入り込む暴挙に及んでいる。ただ、やたらと紳士である彼は、黙って抱卵を手伝おうとしているだけらしく、箱巣の中は静かなままだ。しかし、これはやはり強奪愛に発展しそうな危険性があり、早急に対処しなければならない。 となれば、やはり隔離環境に慣れつつあるヨメは、シンさんと夫婦にした方が良いかもしれない。否待てよ、確かにヨメは濃い桜文鳥以外はアウトオブ眼中のシンさんの好みのど真ん中の容姿だが、現在は換羽中だ。換羽中の姿から、換羽後の姿を想定する文鳥は、たぶんいないだろう。 それに、ヨメの方が、白文鳥を嫌っている可能性もある。彼女(今のところさえずっていない)が、ペットショップで寄り添っていたのは、最も色の濃い桜文鳥のメスだったではないか。となると、ヨメはノコリをより好むのではなかろうか。 ノコリはと言えば、白文鳥のメイと桜文鳥のアイに言い寄るので、特に色でのこだわりはないらしい・・・。 ・・・、悩ましい。とりあえず、箱巣をつぼ巣に交換して繁殖気分を中断の方向に持って行きつつ、まずはノコリとヨメを同居させ、少しでも問題があれば別居、その後は成り行き次第、といった感じで進めようと思う。 昨日亡くなったオッキに、いろいろお言葉を頂きありがとうございます。 29日、「オッキちゃんチェック」に備えて待機している姿が、最後の写真となってしまったので、お別れにそれを載せておきます。
2010年05月02日
コメント(2)
昨年5月の体調悪化から、一羽暮らしで闘病を続けてくれていたオッキが、今日の午後2時15分に亡くなった。死因は、経緯から見てやはり胆のう腫ではなかろうか(亡くなった直後にお腹を見たが特徴的な黒い腫瘍はなかった)。同期の文鳥(カン・ゲン・モレ・オッキ)の中で、唯一の生き残りであったが、それでも、まだ6歳3ヶ月であった。 この半月ほどの間に徐々に衰えてきたものの、今朝までは湯漬けエサを食べてくれていた。それが、午前11時には、食べられず、食べようともせず、その後、左手の上から離れず、ゆっくりと衰弱していった。その間親指や人差し指を散々かじったが(病気で気持ち悪い鬱憤晴らしであろうか)、その力も弱くなってしまい、口を少し開けるようになり、体を何度も震わせ、見上げるので立ち上がって放鳥部屋を一周させて戻った時には、目は開いたままだが、息をしていなかった。 墓地に埋葬余地が無いので、息子のヤッチが亡くなった時に、数ヶ月待ってくれと言っていたのだが(答えは「チュッ!」、1年頑張れと言ったら無反応だった)、そこまで頑張らせようと考えたのは酷だったかもしれない。前代未聞の孝行娘が亡くなってしまい、寂しくなる。合掌。
2010年05月01日
コメント(11)
全35件 (35件中 1-35件目)
1