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前回の問題の答えは、以下の実戦図である。実戦図 このつけ一発で、黒の2目が助からない上に、その左側ののぞきが残るので、先手で生きてしまうのだ。よくある筋ではあるが、黒の壁につける形になることと、上の白が当たりになる形なのが、盲点に入りやすいかもしれない。NHK杯でうっかりがあったのも、壁にひっつけるような形になって盲点に入りやすかったような気がする。この形は、成立するとたいてい破壊力が大きく、打った方は気持ちが良いがやられた方のショックは凄まじい。 シルキーさん、大正解。
May 28, 2005
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本日の局面 ネット碁を観戦していて、はっとする手筋に出会った。問題として出されれば簡単かもしれないが、ボーっと眺めていたらうっかりした。 今、真ん中の白が攻められている。下側で黒が一目当てているところを絞れば生きるが、地が損な上に下辺の白地が手残りになってしまう。白苦戦かなと思っていたら、手筋一発で逆に決まってしまった。 ここで、白から上手い手がある。最近、あるトッププロも同じ形をうっかりした事があるその手とは?
May 27, 2005
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昨日は出張の帰りが早かったので、いつものように駅前のデパートの地下食品店フロアに立ち寄った。目当ては、いつもの店の魚の干物である。金目鯛、鯵、カマス、甘鯛、鯖などが、ここの店の定番である。どれも、新鮮でうまい。 さて今日はどれにしようかなと干物の列を眺めていて、「あっ!」と声が出てしまった。なんと、つぼ鯛があるではないか!つぼ鯛という魚を最近まで私は知らなかったのだが、魚山満さんのブログで教えてもらった。鯛なのにかなり脂が載っていて、珍しい魚らしいのだ。その記事を読んでちょっと気になっていたのだが、ここで出会えるとは思わなかった。迷わず、残っていた2枚を買い占めた。 かなり大きいので、昨日と今日と一枚ずつ食卓に乗った。特に今日は満を持して、七輪で炭焼きにして味わった。評判通り、なかなかの美味である。身はしっとりしていて、何とも言えない甘味のある味わいが心地よい。パリパリした皮の近くは、脂が乗っている。たっぷりのった脂の具合は、伊豆の金目鯛の干物を思い起こすが、身の味わいは上等なカサゴの干物にも似ていて、上品で深い味わいがある。生まれて初めての味を堪能した。 ところで、何といっても魚の干物は炭焼きが最高である。特に脂の乗った魚の場合は、ガスではべったりしてしまうが、炭だとその真価が引き出される。
May 23, 2005
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愕然とした棋譜 ネット上で、この碁を見て愕然とした。誰が打ったか知らずにこの数手を見たら、おそらく5級くらいのアマかなあと思ったかもしれない。この碁は、韓国のトッププロがタイトル戦で打っている碁である。であるから、間違いなく現在において世界でもトップレベルの内容のはずである。 私が今まで習って来て、身に染みている碁とは、根本的に考え方が違う。以下は黒の手に対する私の素直な感想である。>黒2 はさんで攻めに行っている白石が、根拠を求めて隅につけて来たのに対して、受けて攻めを継続せずに、あっさり辺に構えて楽させてしまう不思議な手。>黒4 5の所の引きを打てば、白はカケツギくらいになるから、先手で利かすことができる。その後、白が右辺に何か打ってきても利かしとして働くはずである。白5という、巨大にして味の良い手を打たせておいて、その後に白の壁を意識して6と控えめに開いている。 最近の碁は辺重視であるというのは知っていたが、ここまで来ると私の碁の概念を超えてしまうほどである。いったい自分は何を頼りに碁を打ったらいいのだろうかと愕然としたのであった。 ただ、逆にちょっとほっとする気持ちもある。それは、碁の序盤は、全体のバランスさえ気をつければ実はどう打っても大差ないのかもしれないと思えることである。 碁とは、なんと広いものなのだろう。自分の知っている碁、打っている碁はなんと狭い考えに縛られた碁であろう。もっと、自由にハチャメチャやってみようかなと思い始めた。
May 20, 2005
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手番を決める「にぎり」は、味わい深い方法である。一言も発しなくても、粛々と手番が決まる。少年のころに、初めて握りを教えてもらった時は、大人になったような妙な気分になった記憶がある。それに対して将棋の振り駒というのは、失礼ながらどうも子供っぽいような雰囲気がある。 にぎりは、年長または格上の方が白石をにぎるのが決まりで、極端に多くもなく少なくもなく適量をにぎるのが一般的である。 今はそうではないが、以前に白番が好きだったことがある。黒番が好きな相手と対戦する時に、相手に見えるように一つだけ握ったらどうだろうか、と考えたことがあるが自分が握ることが少なかったこともあり、実行した事はない。この手口は本当は慣習違反だが、握る方はたいがい年長であるし、それほど問題ない気もするがどうだろうか。 今はなき最強戦では、一方がコミの数を設定して、もう一方が手番を選択するという方法をとっていて、なかなか合理的だと思っていた。平田博則さんと対戦した時に、私は5目半と設定したところ、当然ながら黒番の名手平田さんは黒番を選択した。人には、「6目半でも7目半でも、平田さんなら黒番を取るのに何してるの」、と言われたものである。しかし、7目半に設定して白番を取られた時の悲劇を想像したので、その決断をする勇気は出なかったのである。しかし後から考えると、どうせまともじゃ勝てないのだから、そのくらいの冒険はするべきだったと反省したものである。 その点、勝負師のエイジさんはちょっと違う。なんと、相手のAさんが白番が好きなのを見越して4目半と設定して、まんまと黒番を手にしたという。しかも、後で「3目半にすべきだった」と反省したというから、さすが大した勝負師である。 次回へ続く。
May 19, 2005
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研修医と一緒に、患者さんや家族と個室で面談することがしばしばある。部屋に案内すると、ほとんどの患者さんは下座に座ろうとするので、私は促して上座に移ってもらう。このような時に、大半の研修医は座席に無頓着である。最初のうちは放っておくと、さっさと上座に座ってしまう。後でそのことを指導すると、「そんな事を言われたのは初めてです」と感心されたり、驚かれたりする。ベテランの医師でも上座に座る人が多いが、これは何か思想があるのかも知れない。 もっとも診察室は必ず医師が上座になるのだが、これは郵便局や銀行のカウンターと同じで機能的な理由であり仕方がない。 職場の宴会などでも、どこに座るのか私はけっこう気になるのだが、最近は一番下っ端の人がさっさと最上席に座ってしまうことも多く、ビックリする。こういうのに無頓着なのは、この業界だけのような気もするがどうなのだろうか。 そういう風土の中で、私が座席にこだわるのは、やはり碁をやっているからであろう。プロ棋士は序列でバッチリ決まっているのだが、アマの場合、普通は年上の方が上座に座る。しかし、実力差がある場合はどうぞどうぞとお互いに譲り合う場合もあって、この辺のやり取りが碁の楽しみでもあると思う。大会などでは、ここから駆け引きが始まっている場合もある。次回は、これに関連して握りの話。 そういえばふと思い出したが、以前から気になっていた事がある。それは、愛読書「美味しんぼ」の中に頻繁に現れる場面である。海原雄山は美食倶楽部の座敷でお客をもてなす時でも、いつも床の間を背にして座っているのだ。あれは、雄山の人物描写のためなのか、それとも作者が無頓着なのか興味がある。
May 16, 2005
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名古屋駅麺通りの話しの続き。名古屋駅麺通りにある店は、どの店も行列ができて大繁盛なのだが、一軒だけそうでもない店がある。他の店が行列ができている時間でも、しばしば空席があるその店は、尾道ラーメンである。 どうしてだろうと、逆に気になって仕方ない。醤油味で、麺は少し平べったい。豚の背脂が細かく振ってある。スープは鳥ガラベースだと思われるが、野菜の甘味が強い。 私にとってもそうだが、このあたりの人にとっては非常に難しいラーメンだと思う。スープはいい材料を使って上等なものだと感じるが、なにしろ野菜の甘味が難しい。麺や背脂との取り合わせも難しく、どうもバラバラに感じてしまう。 1回目はイマイチでも、その後に病みつきになるケースもしばしば経験しているので、2回入ったのだが、この時も印象はあまり変わらなかった。3回目ならどうかと考えてはいるのだが、他に魅力的な店があるので次はいつになるかわからない。 けしてこの尾道ラーメンの質が低いわけではなくて、これまでの自分の味の歴史から壁があるのだと思う。ただ、私は今まで経験したことがない味でも、質のいい物ならすぐに理解できるタイプなので、ちょっと珍しいケースである。このラーメンの美味さを理解できる人の意見も聞いてみたい。
May 14, 2005
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ブログ探検していたら、非常にためになるブログを発見したので早速お気に入りに追加した。それは、「宗初末研究室」。仕事や人生を幸せにするこつを教えてくれるページである。 以下は、苦境を乗り越えるこつを教える最近の記事からの抜粋。1.現在の状況は自らが創りあげたものである。 つまり、「原因と結果の法則」に準じて形成 されている。だから、良くなる原因を発見し それを積み上げていく。2.起こってしまった事をくよくよ悩まない。 経験を知恵に転換する仕組みを必死になって 構築する。3.人からのアドバイスを取り入れることは重要。 しかしそれをアドプト(鵜呑み)にしない、 アダプト(自分用に変換)する。
May 13, 2005
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今日は、不思議な縁があり空手の達人と酒の席を伴にした。こういう機会はめったにないので、下衆な私としてはチャンスとばかりに日頃疑問に思っていることを、恥ずかしげもなくぶつけてみた。1 極真空手は最強か? →空手の極意は、「負けないこと」にある。相手を倒すことで競うことは空手の本質ではない。2 何で寸止め? →空手のこぶしは凶器。本気で当てれば相手を倒してしまう。それは、空手の目的ではない。3 空手の形って、意味あるのですか? →地下茎の如く土の中に、深くどっしりと横たわっている真実。野菜や穀物を作りながら、それを感じる。 鍛え上げられた肉体を持つ達人の言葉にうっとりして、次の肝心な質問をするのを忘れてしまった。 <瓦を何枚割れるのですか?>
May 10, 2005
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一夜明けて冷静に分析すると、敗因はいろいろあった。自問自答、反省。1 どこで悪くしたか? 布石感覚の暗さが出た。詰める方向を間違えたために、狭い方に石が行って広 い方に相手が先行した。ただ感覚の問題は仕方ないが、布石のイロハだから、 しっかり考えれば間違えるようなところではなかった。2 追いつけたはずでは? 寄せで、安易な手を連発して追い抜ける碁を負けにした。ぎりぎりの勝負所で 打ち切ることに意識が行ってしまい、最善を尽くそうとする集中力に欠けた。 3 準備不足は? 切れ負け碁の練習不足。体調管理不足。連休前の仕事中、マスクをするのを怠 って風邪をひいてしまった。4 安易な気持ちがなかったか? 後から考えると、多少安易な気持ちが出て、できる手間を怠ったと思う。対局 中だけでなく、激戦の後に休憩を取らなかったことや、相手がどういう打ち手 か人に聞かなかったことなども、その一つであろう。 負けると、いつも同じような反省をするのだが、いつまでも懲りない。勝負に 厳しさがない私は、勝負師には程遠いと思う。 ところで、ブログの新たな効用を発見した。いつもなら、負けて一人でもんもんとしているのだが、自問自答を書くことで少し楽になる。多くの心の病を持つ人がブログを書いているが、これは自らを癒すのに相当に有効だと思われる。自殺願望者は、掲示板でなくてブログを書いたらよい。
May 9, 2005
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今年最初の県大会。最近の調子は悪くなかったし、今回は怖い相手はあまり参加していなかったのだが負けた。こういう時の戦い方は心得ているし、安易になったわけでもない。敗因がよくわからない。要するに、私の碁の暗い部分がもろに出たように思う。やはり弱いなあと、再認識する。それと、いつも感じるのはトーナメンを勝ち進んで来た人の勢いである。 13歳の山下君とも対戦した。淡々とした棋風のお父さんとは対照的に粘り強く、勝負師タイプだ。県代表になるのは時間の問題であろう。
May 8, 2005
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3連休は、同僚が休暇を取っている上に、ずっと自宅待機当番だったので、ひっきりなしのコールがあり、結局職場と自宅を行ったり来たりであった。飛び石連休のうち完全なフリーなのは、最後の日曜日しかなく、この時は碁の大会があるので、家族には申し訳ないことになった。10連休の人がうらやましい。 それでも合間を見て、練習のためにけっこうパンダを打った。なぜか意外と調子が良く、星なしから、星付きに昇格した。パンダでは、これまで何年間もランクの変動がなく、多少マンネリ気味だったのだが、今まで一子刻みだったランクが半子刻みになって変動しやすくなったので、刺激的になりそうだ。 ところで最近パンダで、非常に気になる打ち手を見つけた。タイの人で、星付き8d(10段)で打っているので、プロ並みである。なぜかどうしてもコミをくれと言うので、コミありの先番で3局打ったが、当然ながら全く歯が立たない。すごい早打ち早見えである。インデックスで調べると、Weed さんなどの強豪とも互角の勝負をしている。 おそらく、タイに指導に行っている中国のプロに違いないと思い聞くと、プロでもないしタイ人だと言う。にわかには信じがたいが、最近は中国などに碁の留学に行っている若い人もいるらしいので、絶対ないとも言えない。もしそうだとすると、近い将来勢力地図が変わるであろう。
May 5, 2005
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静岡でヘリの墜落事故が起きた。ヘリは飛行機よりは安全な乗り物だと言うが本当なのだろうか。私は、絶対にヘリには乗りたくないと思っているが、一般的にはどうなんだろうか。 ところで、この事故で操縦士の他に警察官4人が死亡したが、もし私の想像が当たっているとしたら、世の中にこれほど悲惨は事故はないと思う。つまり、乗っていた警官らは、本当はヘリになど乗りたくなかったのではないだろうか。職場の都合で、断れずしぶしぶ乗っていたのではないだろうか?そうだとしたら、悲惨である。 なぜそう思うかと言うと、そういう境遇の人を大勢知っているからである。世の中の人は、警官だからヘリくらい乗って当然、死んでも仕方ないと思っているだろうか。電車が数分遅れたっていいのと同様に、乗りたくない人を乗せて飛ぶくらいなら渋滞情報なんて出さなくてもいいと思う。 世の中そんなに便利じゃなくていいと、つくづく思う。マスコミも今はそんな論調だが、それも永く続くかどうか。例の事故以前は、どっかの電車がオーバーランしただの、何分遅れただの、さんざんニュースに流していたではないか。 1~2分の遅れなんていいじゃないか?今の世の中には、堅気の人でも1~2分の遅れで大騒ぎして、人を脅し上げるような人がたくさんいる。どうしてそうなんだろうか?昔からそうなのか?便利な時代が、何でも自分の思い通りにならないと気がすまない人を増やしているのだろうか? ちょっと今日は、ヘリの事故が重過ぎてつらい。
May 4, 2005
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ナゾさんのコメントに誘発されて、棋士の棋戦制度について書きたい。ただ、日本棋院の事情などを詳しく知っているわけではないので、今の時点で伝聞を通して持っている情報から、考えている方向性だけ述べる。 酒井猛九段や故加藤プロなどの改革派は、プロ棋士受験資格年齢の引き下げと、棋戦のオープン化を目指していたようだ。加藤プロが週間碁の新春インタビューで、テニスやゴルフのような棋戦のオープン化を考えていると言っていたことがあり、本気だったのかと驚いたことある。ただ、現在のところは非常に中途半端な年齢制限だけが取り入れられた形であり、改革にはほど遠い状態である。 従来の大相撲方式の囲い込み方式は、もう時代錯誤であろう。棋院は、すべての棋士を養うためにスポンサーに負担を求めるので、よほど太っ腹なスポンサーしか付かなくなってしまった。 昔と違って、会社にリスクがあるような出資はしない時代なのである。売れないプロを囲っておいて、スポンサーに押し付けるのは無理である。聞いた話では、新聞棋戦では、新聞社は賞金の他に何億円も日本棋院に支払っているそうである。 同じ囲い込み式の大相撲がそれでも成立しているのは、世界で唯一の技能集団であることと、幕下未満の力士などはほとんど住み込み奉公だからであろう。 また、現在のシステムでは世界と戦う棋士を育てるのに不都合だという。つまり、プロ棋士が口をそろえて言うには、10代の前半からプロの高いレベルの相手と真剣勝負をさせないと、世界レベルになれないというのである。 これらの課題をクリアするために考えられたのが、プロ受験資格の低年齢化と棋戦のオープン化であると思う。オープン化と言っても、当然参加者が平等である必要は全く無い。スポンサーが呼びたい棋士は、優遇して呼べば良いし、アマチュアで参加したいような人からは参加料を取ればよい。当然、英才教育中の少年棋士は優遇して参加させるシステムは作るべきである。 こうなると、いろいろなプラスの効果が出てくると予想される。1 オープン化により、事実上プロ棋士の囲い込み制度が崩壊する。しようとして も、トッププロが棋院を抜けてしまえば意味が無くなるからである。2 スポンサーの負担は減るので、スポンサーが集まりやすい。3 宮沢九段のような個性派棋士は重宝されて優遇される。4 余裕ができた分で、優勝賞金がアップし、億のプレーヤーが増えて棋士を魅 力的と感じる少年が増える。5 トーナメントで生活できないプロはレッスンプロとしての仕事をばりばりやら ざるを得ない。6 セミプロ的なアマ達の張り合いになる。 この中で最も、大きな期待は5番である。オープン化しているゴルフでは、山のようにレッスンプロがいる。彼らは仕事に誇りを持ち積極的である。ゴルフの練習場などへ出没して仕事を作ろうとしている。 それに比べて碁のプロのレッスンは、受身でしかもアイデアに乏しい。昔ながらの、金持ち相手の一局1万円なりの対局が多い。いきなり町の碁会所に乱入して、仕事を物色するなんて聞いたこともない。新たなアイデアが生まれるに違いない。 まだまだ、他にもあるかも知れない。実際はいろいろな難しい課題があろうが、乗り越えて何とか達成してほしい。ただ、上の1は日本棋院にとっては自らの組織の大きな変化をもたらすので、英断が必要である。加藤プロが命をかけてやろうとしていた事を、引き継げる人が現れるであろうか。
May 3, 2005
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先日のNHK杯、宮沢九段の対局を楽しみに見たが、ちょっと宮沢9段の力が封じ込められた感じで、残念ながら一回戦敗退となった。 以前は十傑戦の出場選手の紹介欄に、選手それぞれの好きなプロ棋士の名が必ず載っていた。私は、いつも宮沢9段と書いていたので珍しがられたものである。いつかは、必ず名人になると信じていたが、どうもその夢はかないそうもない。 それでも、宮沢九段には大いに魅力を感じる。勝ち易いスタイルの碁を求める棋士が多い中で、極めて異色な存在である。手が見えれば成算はなくてもやって行ってしまう。そうしないと、気がすまないのだ。そして、必然的にサーカスのような面白い碁が生まれるのである。この姿勢は、プロとしてすばらしいと思う。 よく、アマは勝ち負けはどうでもよく、プロ選手は勝ち負けがすべてという意見があるが、私は全く違う考え方である。むしろ逆ではないかとさえ思っている。 もちろん、国を代表するトッププロや近いうちにそうなるプロには勝ってもらわないと困るのは当然である。問題は、そうでないプロである。道の先にトッププロが見えない棋士には、宮沢プロを手本にもっと個性的で楽しませる碁を打ってほしいと思うのだ。 昨年依田碁聖と話す機会があり、極めて興味深い話を聞いた。今は20代前半に、タイトルを取れなければ絶対にトッププロにはなれないと言うのだ。これは、どうしてかと説明するのは難しいが、確かに過去も実際にそうなっている。若いころから期待されて、20代~30代ではタイトル戦に挑戦するなどして、トッププロになるのも時間の問題と思われていた人はたくさんいる。しかしそこでタイトルに届かなければ、いつの間にかタイトル戦線から消えてしまっている。 依田プロによると、高尾プロがそのぎりぎりの正念場らしい。とすれば、今回宮沢プロに快勝したK9段クラスでも、先が見えているという事になる。何とも厳しい世界である。 さて、アマの選手はどうか。アマの楽しみ方や目標は人様々である。勝つことや自分の記録更新を目標にするのも大いにけっこうであろう。 以前、星稜高校の松井選手が5連続敬遠された時に、批判があった。「アマなのにどうして勝負しないのか。」というものである。この批判は、極めて的外れであると思った。 多くの高校野球選手は、勝つという目標に向かって力を合わせて努力している。もちろん結果より努力することに価値があるのは当然だが、その肝心な本番でひたすら勝ちに向かわなくてどうするのだ。テレビ観戦者の見世物のためにやっているのではない。他人が批判する筋合いのものではないのだ。 それに対して、プロ野球は魅せてもらわなければ困る。長島監督は、時に勝ち負けのリスクを犯してさえドラマを演出しようとしたそうだ。その点、山崎に本塁打王を取らせようとして松井を連続敬遠した星野や、松井に高津を代打に送った野村はどうか。彼らが一流の野球人と評価されているようでは、日本のプロ野球の先は暗いと思える。
May 3, 2005
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今日は、CSK杯団体戦を観戦した。 依田碁聖が古力七段に、羽根棋聖が孔傑七段に、結城9段が胡耀宇七段に、山下天元が王磊八段に勝ち。中国の強力な布陣に対して4-1で日本の勝利となった。 特に羽根、結城、山下戦は序盤から優勢のまま押し切った印象だった。依田戦は白番で相当に苦しい流れに見えたが、豪腕古力相手に危なそうな石をみごとに凌いで快勝した。特にすごいと思ったのは、劫争いのさなかに左上で黒の3目をがっちり取った手。あの時点で勝ちが見えていたはずで、神業的な形勢判断を見せてもらった。 ところで、「5局同時に見るのは相当骨が折れるなあ」と考えていて、非常に面白いアイデアを思いついた。それは、一チーム5人~7人くらいのメンバーによる国別対抗相談碁大会である。これだと、ミスはなくなり、神の碁に近づくのではないだろうか。さらに、国ごとの碁の考え方の違いが総力をあげて表現されることになり、たいへん興味深いと思う。その場合、1対1形式の対抗戦とは大分違う人選になるような気がする。
May 1, 2005
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