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勝負事は、勝っても負けても楽しいという話をしたが、それでも公式戦の大事な対局でひどいポカや緩みすぎで大逆転されて負けると、本当に死にたい気持ちになることがある。このような時は、すべての慰めが無効であり、時間と次の勝利が唯一の薬である。 昔、全国大会の相当な急所で、大優勢になって気持ちがすっかり緩んでしまい、うっかりミスが飛び出したことがある。自分の60目の一等地が20目くらいになってしまい、半目負けした。この時は、早く忘れようとしたができず、突然記憶が蘇って発狂するような発作がたびたび起き、完全に治癒するのに5年くらいかかった。今もミスは頻繁だが、この経験で泣きが入ったためか、その後は極端にひどいケースはない。 もう一つ、悲しくなるのは、あまりに碁の内容と関係ない手段を使われて負けた時である。学生碁で慣れているので、普通の時間攻めなどは苦にはならないのだが、延々と終局させない方法で本気でやられると、小寄せで10分くらい残っていても必ず時間切れになる。今住んでいる所は、すごくマナーがいいのでこういうのは経験しなくなった。 一番悲劇的な経験は、空手チョップ叩きである。こちらの時間が少なくなって来た時に、相手が凄まじい勢いで体重の乗ったチョップで対局時計を叩き始めたのである。完全に対局時計が壊れてもいいという姿勢であった。この碁は団体戦で、すでにチームの勝敗に関係ない碁だったので私は勝ち負けより対局時計が心配だった。数千円くらいする品である。一番一般的な、青いプラスチック製の対局時計だったのだが、よく壊れなかったものである。結局私の時間が切れて、相手チームは全員で大喜びしていたのだが、県代表クラスの打ち手がこういう行為をするのを見て、悲しさを通り越して呆れてしまった。 ストレスを嫌って、公式戦に一切参加しない人もいて、世の中には隠れた強豪もいる。でも私は、勝負の醍醐味が忘れられない。今年もそろそろ泣き笑いのシーズンが始まる。
Apr 30, 2005
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鉄道の現場の実情を聞くに、この事故はいつかは起こる事故であったと思われる。安全は、若くて経験の浅い運転士に大きく委ねられていた。JR西日本は、安全より利益を優先している傾向があったと報道されている。ただ、どの業界であっても営利企業であれば効率を重視しない会社はないであろう。今回の事故で、なぜ行政の監督責任に対してはあまり批判が出ないのであろう。以後は、一般論である。 どの会社も、表向きは安全第一と言うが、実際は従業員に対して最大限の効率と労働の負担を求める。その上で、事故を起こす従業員は無能であると評価して、責めることで会社は安全への努力をしていることになる。 会社にも大いに言い分はあるであろう。効率を求めないと会社が潰れてしまう。安全に対して消費者も国も負担をあまりしようとはせず、本音は関係者の負担だけで何とか解決してほしいと思っている。 日本では、空気と安全だけは「ただ」という風潮があるのではないだろうか?効率と安全のハザマで日々苦悩している人間も多い一方で、各省庁には信じられないような莫大な無駄金がばらまかれて、一部の人間が甘い汁を吸っているのである。 ところで、安全と効率の問題が限界に達していて、非常に難しい状況になりつつある業界を一つ知っているが、ここで示すのは差し控える。
Apr 29, 2005
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その方法は、最近パンダネットが始めた制度を取り入れることである。 現在のパンダでは、ある級以上では同じ段(級)の中に2つのランクがあるのだ。例えば、3段の中には星付きの上半分と、星なしの下半分のランクがあるのだ。そして、半子刻みのハンデで対戦する。星付きの3段に対して、星なしの3段は先、星付きの2段は先で5目半コミもらい、星なし2段は2子というようになる。 これだと、今まで1段の差ではすべて先の手合いだったのが、2子の手合いも生じるのでインフレになりにくい。また、仮に降段制度はなしのままでも、同じ段の中でのランクの上がり下がりだけを取り入れれば、降段の心配もない上にランクの上がり下がりができるので、張り合いができる。 ランクは半子刻みでなくて、3分の1子や4分の1子刻みにしても面白い。名前は、松竹梅とか、三ツ星四つ星などなど。ハンデが計算しにくい人のためには、一覧表を作ってしまえば分かりやすいだろう。 dasさん、関棋ネットさんいかが?
Apr 27, 2005
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よく、「囲碁なんて勝負事が趣味だと、趣味で余計にストレスが溜まりませんか?」と聞かれる。これは尤もな疑問であるが、答えはノーである。むしろ勝ち負けがはっきりしているからこそ、ストレスは溜まりにくいのである。負ければストレスは生じるが、自分の能力の問題だからスッキリしたストレスである。 これに対して実社会では、邪道が通って王道が引っ込むような、理不尽な事態が生じることは頻繁にある。有無を言わさず結果が出る勝負事と違って、仕事などの実力や成果の評価も単純なものではない。悩み深いストレスが生じやすいのである。勝負事でも、実力以上に口が達者な人はいるが、メッキは簡単にはがれるので心配はない。 確かチャーチルだったような気がするが、「世の中で一番面白いのは博打で勝つこと。2番目に面白いのは博打で負けること。」という名言がある。勝負事は、負けるのも面白いのである。負けがあるから勝ちの喜びが増し、勝ちがあるから負けても夢が見られるのである。負けてばかりと同様に、勝ってばかりでは面白くないのである。 ここで、ふと気づいたことがある。最近碁会所に行くことがほとんどなく、碁を打つのはほとんどネットになっているが、それは時間の問題だけではないと思ったのだ。最近の碁会所では、きつい手合いで打たせてもらえることがないので、ほとんど勝ってしまうのである。これでは緊張感がない。また碁会所ではたいてい降段がないので、段が上がりすぎてしまい、負けてばかりで面白くない人もいるはずである。 パンダネットでは、そうはいかない。常にぎりぎりのスリルが味わえるのだ。ただ、ネットによってはインフレ化したり、ランクのつけ方に問題があったりして碁会所みたいになっているところもある。 碁会所やネット碁を面白くするには、おそらくすべての人が1勝2敗から2勝1敗ペースくらいの間に入るのが望ましいと思う。そのために、インフレ化を防ぐための降段制度が必要になるのだが、それを嫌う人や降段を恐れて打つのがいやになる人もいるのが問題である。ところが、最近それを避ける非常に上手いやり方を見つけたので紹介する。
Apr 26, 2005
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また悲惨な事故が起きた。残された家族の気持ちを想像するとやり切れない思いである。 事故の原因は、まだ不明なようだが、その状況を聞いて驚いた。このような乗り物は、2重3重もの安全対策がされていると思ったが、そうでもないらしい。一人の運転手の異変によって、大事故が生じる危険があるような状況のようだ。ようするに、その安全性は乗用車と大して変わりないことになる。 こういう事態が起きると、原因を作った当時者や関係者だけの責任のように言われる事が多いが、それだけの捉え方はけして良くないと思う。個人のミスは、仮にどんなに訓練しても、能力がある人でも必ず生じるのである。そもそも急病で意識を失うことだってありうる。大きな乗り物はそれが生じても、最小限の事故で済むような制度や環境を社会全体で考える必要がある。 今回のように夜勤明けでの乗務があること、運転手が複数いない事、最新の安全機器がすべての場所に設置されていないことなどは、会社の責任ではあるが、現実的に自由競争の中でやっているので限界があろう。運賃が倍なら事故は起きなかったかもしれない。また、線路のすぐ近くにマンションが建っていること自体にも問題を感じる。マンションの方が後に建ったとすれば、なおさらである。国民が多大なお金をつぎ込めば、日本の線路の周囲をすべて緩やかな土手にすることも可能であろう。実際外国から見ると、線路が家の合間を縫うように走っているのは異様らしい。 要するにこれは、日本社会全体の問題としても捉える必要があるのだ。となると、この事故の責任の相当がマスコミにもあると言える。こういう時に、現場の取材者がまるでチンピラのような態度で人を責めるのを見るのは、非常に不快である。
Apr 26, 2005
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ヤクルト古田選手が2000本安打達成の記事を読んでいて、おやっと思った。2000本目の記念のボールを観客席に投げ込んだという記事である。プロ野球では、記念ボールは持ち帰るのが普通のようだが、慣習に囚われない古田選手らしい行動だと思う。 ゴルフでは、テレビでみると優勝を決めたボールは観客席にすぐ投げ込んでいる。バレーボールとか、サッカーなどの他の球技はどうなっているのだろうか? バスケットボールが棚に何十個も並んでいたら異様だし、卓球の球では恰好がつかない感じがする。 ふと、「碁ではそういうのはあるのだろうか?」と思った。碁盤を持ち帰るわけにはいかないだろうから、記念に持ち帰るなら碁石だろうか。しかし、仮にもらったとしても小さくて棚に飾るには見栄えが悪い。アマの大会だと、安物のガラスやプラスチックの石が多いから価値が低すぎて間抜けな感じだ。それに札をつけたりしないと、混ざってどれがどれだかわからなくなるが、それをすると、鉱物の標本みたいな感じになりそうだ。扇子という線はありそうだが、本質的な道具でないのが弱い。 ただ、将棋やチェスだと一つの駒だけ持ち帰るのは無理なのに対して、碁石ならできない事もないから、世の中にはそういう人もいるかも知れないな、などとすぐ意味のないことを考えてしまう。
Apr 26, 2005
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勉強会などで名古屋に出張した時の最近の楽しみは、名古屋駅の駅麺通りである。東京、札幌、旭川、和歌山、博多、尾道、名古屋を代表するラーメン屋が並んでいる。はしごすることもあり、すでに全部制覇した。どのラーメンも美味しく、行列が絶えない。 ここの楽しみは味だけでなく、職人の動きを見ることである。との店も、すごい数のお客が、かなり効率よく回転しているが、3~4人の職人と数人の店員でさばいている。 特に目を見張るのは、札幌ラーメンの職人である。他のラーメンに比べて炒める作業があって工程が多い。いくつものコンロに大鍋が並んでいて、鍋の周囲から高さ50cmくらいもありそうな強烈な火が常に上がっている。 それをほとんど一人の職人が、同時に豪快な動きで操り、次々にラーメンが作られていく。豪快なので一見材料の加減とか大丈夫なのかと心配するが、鮮やかに同じものが仕上がる。他の職人や店員との連携も見事であり、惚れ惚れするほどである。すごい数の注文を、暗号みたいな言葉でやり取りして伝達しているが、注文の間違いがないのにも驚かされる。 並のラーメン屋だと、作業もそんなに速くないのに注文の間違いもしばしばあるので、ここの技は感動的である。 絶えず職人の威勢の良い掛け声がかかっていて気持ちが良い。何時間も動き続ける体力にも感心する。 この技術は見習わなければいけないなあと思うのである。それぞれの店の味については、追々書きたい。
Apr 24, 2005
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最近、ひどく忙しい。今日は、一日中飲まず食わずトイレもいかず、で疲労しているので小ネタで。 学生のころ、出入りしていた教室の旅行に連れて行ってもらったことがある。バス旅行で伊勢、鳥羽で遊び、帰りはそこからフェリーで知多に上陸するコースであった。 最終日の昼食は、鳥羽の料理屋で伊勢えびの刺身と味噌汁がつく伊勢えびコースを堪能して、その後にフェリーに乗り込んだ。みんな大満足して、帰路に向かったのである。幹事の見事な段取りにみんなが口々に感謝の言葉をかけていた。 しかし、その名幹事も一つ重大なミスを犯していたことが、この後明らかになる。そう、参加者のほとんどは山国育ちだったのだ。とんでもない惨劇は起きるべくして起きたのだ。 ただでさえ船に慣れてない人ばかりなのに、満腹でしかも飲んだ後ではひとたまりもない。参加者は、次々にトイレに駆け込んだのだ。当然、私もイチコロだ。断腸の思いで、せっかくの伊勢えびが流れるのを見送った。相当粘った人もいたようだが、約1時間の間に大半の参加者が耐えることができなかった。フェリーから降りた後は、全員に敗北感が漂っていたのが印象的であった。 世の幹事さんは、教訓にされたし。
Apr 21, 2005
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今日、いつもの蕎麦屋で昼食をしながら雑誌サライを眺めていて、気になる記事を見つけた。それは、ジョルジュ ネランという人の紹介文であった。彼は84歳のフランス人で、50年以上も日本でキリスト教の宣教師をしている。異国で永い布教活動を続けている情熱に引き込まれて全部読んでしまった。 その中で飛び上がるほど驚いたのは、神父である彼は、なんと新宿歌舞伎町のバーを経営し、自分でカウンターに入り酒を出しているということだ。なぜかというと、サラリーマンに布教するために最も条件がいいからだと言う。 サラリーマンは酒のある所に来る。飲みながらの方が、自分の悩みや本音を話しやすい。でも、教会では酒を出すような予算はない。そう考えた結果、必然的にバーの経営にたどり着いたそうだ。その結果、バーのお客の中からたくさんの洗礼者やカップルが生まれたのである。 この話を読んで、自分の信念に基づいて永い布教活動をできる継続の精神と、恰好つけずに自由な発想ができる精神に感動してしまい、心が洗われるような不思議な気持ちになった。できれば、一度お会いしたいものである。 囲碁の布教においても、この精神は役立つと思われる。 ただ、俗な私の感想はそれだけでは終わらなかった。そうだ!酒だ!酒なのだ。最近の碁会所は酒を出さない所が多い。それが、物足りない。酒を飲みながら碁を打つことほど幸せなことは、この世の中にあるだろうか?。あったら教えてもらいたい。 従来の畳の碁会所でのビールもいいが、すごく洒落た西洋風の店で、赤ワインなどいただきながらの対局もいい。さらに、料理のおけるテーブルの中央に碁盤が埋め込んであり、みんなで検討をつまみに飲むのも面白い。
Apr 19, 2005
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最近、患者さんの職業を聞いた時の返事を聞いて、その内容が理解できずに戸惑ってしまうことが頻繁にある。アルファベットで2~3文字の略語で答えられるのである。相手は、こんな言葉は世の中の常識という感じでサラリとその言葉をおっしゃられるので、それを知らないこちらとしては、赤面してしまう。恐る恐る、「それはどういった仕事ですか?」と聞くのだが、その内容を教えてもらっても、なお良くわからない事も多い。最近は、難しい名称や簡単に理解できない内容の職業がたくさんあるなあ、とつくづく感じるのである。 ところで、先日料理番組を見ていて、フランス最高料理人のことを「MOF」と言うと知ってびっくりした。MOFと言えば、私の感覚では多臓器不全(multiple organ failure)のことを指すと決まっているのだ。しかし、これは狭い世界の言葉かも知れないと思い、ネットでちょっと検索してみると、いろんな世界に「MOF」がある事がわかった。 一番メジャーなのは、財務省(ministry of finance)のようだ。他にも、海上自衛隊の作戦システムとか、原子力発電の燃料、パソコン関係の用語など、いくらでもあるようだ。 自分の使っている言葉が一般的とは限らないから、違う分野の人と話す時は、なるべく略語は使わない方が無難と思われる。 ところで世の中で、OAと言えば「変形性膝関節症」、PCと言えば「体位変換(ポジションチェンジ)」のことと、決まってますよね。
Apr 18, 2005
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本日行われた、羽根棋聖対小林光一九段とのパンダ杯オープン大会の決勝は、羽根棋聖が黒番11目半勝ちして、賞金300万円を手にした。ついに、羽根棋聖の逆襲が始まった。今年の活躍の期待したい。 パンダ杯では、プロ棋士は普段使っているIDではなくて、本名で参加していた。注目プロの対局を選んで見られる一方で、普段見慣れたIDの名で活躍する様子も見たい気もした。
Apr 17, 2005
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以前、トラックの運転手という人たちに対して、極めて悪い感情を持っていたことがある。それは、学生時代の恐怖体験によるものである。 免許を取って間もないころのことだ。工事中で一車線となっていた高速道路のトンネルの中で、大型トラックにひどくあおられた事があった。ちょっとでも、スピードを緩めたら完全にぶつかる状態だったから、相手は本気で追突してもいいつもりだったと思われる。 トンネルの出口で2車線に戻ったが、そこではこちらが塀にぶつかるほどに幅寄せしてこられた。結局、ナンバーを控えることができずにそのままになった。このような悪質な運転手はあくまで一部であるとは頭では考えても、それ以来心の奥の方ではトラック運転手全体への悪感情をぬぐうことはできなかった。 ところが、あるきっかけでその気持ちが消失した。妻の友人の旦那が長距離トラックの運転手で、食事をするなど家族ぐるみでお付き合いをするようになったのだ。彼は、すごくやさしくて気弱な人であり、それまでのトラック運転手の印象とは全く違っていた。そうなると、今度は道を譲ってくれるトラックの行為などにしばしば気がつくようになり、むしろいい印象を持つようになった。そんな経験を通して、自分は物事を冷静に見る方だと思っていたが、そうでもないなあと実感したのだ。 最近の中国や韓国の反日運動の報道を見ながら、この経験を思い出して心配しているのだ。つまりマスコミが流す極一場面の印象が、それぞれの国民感情にすごく影響するということである。何億人もいる中での一部の人の行為や言動が、全体の印象にすごく影響してしまう。最近の韓国ドラマやそれに熱狂するオバサンの報道は、それが良い方に働いたが、今は悪い方に悪循環しているように見える。 とにかく冷静でなければならない。そして、私の体験からしても、ネット碁をはじめとした個人同士の交流は良薬になるはずである。
Apr 17, 2005
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今日はパンダ杯オープン大会の、準々決勝、準決勝が行われた。準々決勝の対局の一部と準決勝の対局を手に汗握りながら観戦した。 準々決勝のハイライトは、羽根棋聖対台湾の周俊勲九段戦。白番の羽根九段が、周九段の強烈な攻めをかわして、後半見事な寄せで押し切り、羽根棋聖の国際戦連敗がついにストップした。 河野臨対蘇戦では、河野7段の打った大ナダレに対する切りの手にびっくりした。おそらく、実戦例はあるのだろうが初めて見た。今度、私もこの手を打つので、私に対してけしてナダレないようにされたし。切りの局面 午後からの準決勝は、羽根対河野戦と中野實也対小林光一戦。ここでも羽根戦での、河野7段の、白模様への打ち込みにびっくりした。こんな相手の固いところに序盤早々打ち込むのは、一昔前までは見なかった気がする。しかし、韓国の人と対戦するともっとすごいところに、どんどん打ち込んでくる。「そんな無茶してくれたら楽勝だな」と思っていると、いつも逆にこちらの地だけ荒されて、代償が取れずにひどい目に会わされるのだ。打ち込みの局面 必然的に羽根棋聖の中央経営に対して河野7段が地を稼ぐ展開になり、最後は難解な大攻め合いになった。一見して白の羽根棋聖苦しいのかなと思ったら、手筋連発で見事に黒の大石を仕留めてしまった。めったに見られないすごい攻め合いで興奮した。 決勝は、小林光一九段と羽根棋聖の対戦となり、4/17に行われる。
Apr 16, 2005
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ニュースによると、大阪市が職員にスーツを支給していたのは、スーツは私服であり給与の現物支給にあたるとして、職員に10年分のスーツ代の返却が請求される見通しであるとのこと。これは、職員に責任があるわけではないので同情する。 実は、私も以前公務員の立場だったことがあり、似たような経験をした事がある。数年間に渡って、給与の計算間違いがあり余分に支給していたといって、返却を請求されたのだ。愚痴を言ってはみたが、弱い立場でありどうしようもなく、関係者には厳重注意するから勘弁してくれと言われ、2回分のボーナスを返上するような形で返却した。もらい過ぎたから同じ事、では断じてない。給与が少なければ、それなりの生活をしていたはずである。ローンの返済などでボーナスをあてにしていたのを、いきなり返上することになりてんてこ舞いだったのだ。 そういうわけで、今の大阪職員の気持ちを考えるとやり切れない思いだ。こういうケースは、救済の道はないのだろうか?
Apr 15, 2005
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NHK杯では、対局が早く終わると古碁の解説になるが、あれはどうも面白くない。いつも画面が切り替わった瞬間にすごく残念な気分に陥る。その時の気持ちを分析すると、ハラハラどきどきの対局とその後のプロ同士の検討を堪能した後で、いきなり臨場感のない解説になるので、その落差に拍子抜けしてしまうのだと思う。 数年前に、藤沢秀行対趙治勲戦で、解説が大竹英雄、聞き手が梅沢ゆかりという配役の時があった。秀行先生の華麗な変わり身に対して、治勲さんが深い読みを見せて熱戦だった。途中で、秀行先生の鼻つけの妙手が出た時に、大竹九段が「あっ」と声を上げるという印象的な場面もあった。早く終わったので、めったに見られない豪華メンバーでの検討を楽しめた。 しかし、例によって残り30分のところで、古碁の解説に切り替わってしまったのだ。なんともったいない事をするのだろう、と思った。最後まで検討の様子を見てみたい。検討が続かないなら別の碁を題材に検討してもいいし、こんなメンバーなら雑談だけでも面白い。そろそろ、一工夫ほしいところである。
Apr 13, 2005
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今日は、ホタルイカの話。 駿河湾でしか獲れない桜海老と並んで、この季節の楽しみにホタルイカがある。これもなぜか、富山湾でしかほとんど獲れない神秘的な生物である。産地以外に並ぶのは、ほとんど茹でたホタルイカで、酢味噌につけて食べるのは昔から大好物だ。料理屋では、生のまま酢の物なので出てくることもあり、これも美味い。これも大好物だったのだが、実はある事件をきっかけにして生のホタルイカを食べられなくなってしまったのだ。 学生時代に、もっぱら碁を打つために北陸にしばしば出かけた。ここで、ホタルイカの刺身を食べるのも楽しみだった。ある時、それだけでは飽き足らず、お土産に生のホタルイカを山ほど買って帰った。自宅に帰り、大きなどんぶりにホタルイカを一杯にして、一気に全部食べてしまった。もしかしたら人生で最も幸せな時間じゃないか、などと思いながら猛然と食べつくしたのだが、その後に当然ながら地獄が待っていた。経験したことのないような凄まじい吐き気が襲ってきて、吐き続け、結局食べた分を全部吐き出してしまったのだ。その後は、2~3日食事もまともに咽を通らなかった。 それ以来、ホタルイカの刺身を見ただけで気持ち悪くなってしまい、食べられない体質になってしまった。たまに、料理屋で出されると頭では食べたいと思うのだが、いざ口に入れると気持ち悪くなってしまう。あれほど好きだった塩辛でも、一個食べるのが精一杯である。 それにしても、若気の至りとはいえ馬鹿なことをしたものだ。こんな事をしなければ、機会あるごとにホタルイカの刺身を楽しめたのに、一生分の楽しみをわずかの時間に集約してしまったような感じである。過ぎたるは及ばざるが如し、という言葉を実感した出来事だった。しかし、それでも懲りないのが私である。
Apr 13, 2005
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先日、ブログの遺書的役割について指摘したところ、ある偉い大学の先生から「非常に斬新な見方で興味深いので、それについて研究してみたい」という感想をもらいました。これに味をしめて、また独自の発想を出していきたいと思います。 ところで、形になるものを残すと言えば、碁打ちにとっての棋譜もそうですね。私は、以前はあまり棋譜をつける習慣がなく、学生時代に打った碁の棋譜はほとんど残っていないのが残念です。当初は、プロ棋士でもないのに棋譜を残しても仕方ないという感覚でしたが、年を重ねるにつれて棋譜を残したいという気持ちになってきました。 ただ、見返すと碁の内容としては、満足いくものは全くありません。アマの場合は、結局内容ではプロ棋士にかなうはずはないので、自分の気持ちのこもった作品が、すこしでも残せればと思います。 大学の団体戦は、棋譜をつけてもらえるので、いくつか残っています。最近その中の一局を並べているうちに、その時の状況や感情までもよみがえってきて驚いたことがあります。以下がその碁の寄せの一場面です。局面 左上で大失敗をして苦しい碁を必死でくらいついて、細かい碁になったものの、まだわずかに足りません。この時点では、まともに寄せたのでは負けなので、とにかく一目でも儲けようと必死でした。それが、実戦の右上のこすみつけの連打です。最初のこすみつけはいい手にも見えませんが、とにかく何かやってみようとしたのです。黒が優勢を意識したせいか、ひるんで受けたため、ここで逆転となりました。何ともすごい執念でした。今は寄せも淡白になったので、自分でこれを並べてみて感心したのです。
Apr 11, 2005
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遠州は桜が満開である。家族と、土曜の昼から花見のドライブにでも行こうと約束していたが、例によって仕事が長引き、午後遅くなってしまった。帰ると、妻と子は近くの公園にシートを敷いて遊んでいたので、私も合流した。この小さな神社の公園は、桜で囲まれている。今日はポカポカ陽気で、最高の満開だ。シートに寝転がって、桜を眺めたり昼寝をしたりして薄暗くなるまですごした。何もしないで桜を見るなんて久しぶりだ。心がなごんで疲れも吹き飛ぶ気がした。 なぜか、私が住むところはいつもすぐ近くに桜の咲く公園がある。それでも、桜の季節は遠くまで桜を見に行くことも多い。しかし、家の近くの桜が本当は一番きれいだ。人が少なく、すがすがしい空気のためだろう。いくつか桜の名所に出かけたこともあるが、そういうところは酒臭かったり、人ごみだったりして疲れてしまう。灯台下暗し、なぜか遠くに行くと良いものがあると思ってしまいがちだが、近くにこそ宝があると再認識した。 夜には、以前は七輪を持ち出して魚やイカの炭焼きで一杯やったりしたこともあるが、それには桜の季節はまだまだ寒い。素直に、たまに行く大好きな創作和食料理屋に出かけた。 今日は、漁が解禁となったばかりの待望の桜海老のかき揚げ、初かつお、桜鯛と竹の子の湯葉巻きてんぷら、などで一杯やった後、すっぽんスープとシラスの石焼飯でしめた。今日注目したのは付け合せの桜の葉だ。おそらく漬けてから乾燥させてあるのだが、桜の香りと塩味が混ざっていいものだった。こんなちょっとしたところに手が込んでいると、涙が出る。 この店は、あのジュビロの中山夫妻も来るという名店だが、何といっても子供連れで行っても歓迎されるのが嬉しい。一流店で修行した料理長以外は若い店員ばかりで、「お食べください」などと言うので苦笑することもあるが、心のこもったサービスが心地よい。ただし、隠れ家なのでここでは公表できない。
Apr 10, 2005
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竜星戦にはあって、NHK杯ではけして見られない楽しみがあります。それは、宮沢吾郎九段の解説です。 先日も、宮沢節連発の解説を見られて堪能しました。「こんな手を打つのは碁じゃないんですよ」「信じられませんね、私には。なんか、根本的に考え方が違うみたいですね」「もう、この碁は解説するのがいやになりました。」「解説だとわかるんだけど、自分で打つとだめなんですけどね」などの、得意のセリフがどんどん飛び出します。しかも、本気で顔をしかめたり、首を振ったりしながら、感情丸出しです。 これは、やられる方はたまらないと思いますが、見る方は最高に面白いものです。私は、無難で中立的な解説より、自分の碁に対する考え方を前面に出した解説の方が好きなのです。そのタイプは他に、王メイエン九段、武宮九段、大竹九段などがいますが、何といっても過激な宮沢九段がダントツです。切れ味鋭く石の働きを極限に追及する天才的な宮沢九段の碁の世界が楽しめます。そのかわり、対局者が並みの棋士の場合は、完全に解説者に飲み込まれてしまいます。 宮沢九段の解説でもう一つ面白いのは、並べるまでどちらが勝っているかがわからないことです。その分野でも他の追随を許しません。ところで、宮沢九段は木谷実先生が一門で最も才能を買っていたことで有名ですが、才能がありすぎても結果に結びつかないのは不思議なものですね。
Apr 7, 2005
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先日のNHK杯を見ていたら、よく行く碁会所のトイレを思い出した、という不思議な話です。 NHK杯で新海洋子プロをテレビで久々に見ました。読み上げをやっていた時は淑やかでかわいいお姉さんというイメージでしたが、その後、すごい酒豪だという噂を聞き、何となく気になっていました。今回テレビで拝見し、若いころの雰囲気がそのまま残っていたので、ほっとしました。碁の女流棋士は、なぜか皆さんそうですね。私にとってモントリオールのアイドルだったバレーボール選手のYさんを、その後にテレビで見た時、相撲取りかと思うほどの別人になっていて激しいショックを受けたことがあるので、心配していました。 本題ですが、新海プロの碁を見ていて、「おー、すごい」と思ったのです。それは、着手のリズムがすごく良いことです。序盤の難しい局面でも考慮時間を全く使いわないのです。NHK杯で、こういうリズムの打ち方を見るのは、藤沢秀行、大竹英雄プロくらいではないかと感じたのです。これは、強さや感覚の良さに加えて、すぐ決断できる自信や思い切りの良さがないとできないと思います。よほど、充実しているのでしょうね。実際解説によると、途中まで新海プロが、時間を使っている相手よりもいい流れだったようです。 それとリズム良くポンポン打つことは、有利にも働くと経験的に感じます。私は自分でも呆れるほどリズムが悪いのですが、リズムのいい打ち手と打つと、自分だけが考えているような感じになって、それだけで圧力を感じます。それに現実的にも、相手の時間で考えることができないために、その分自分の時間で余分に考えることになり、すると相手はその時間で考えられる、というようにリズムの悪い方の悪循環になるのです。 これは、特にアマチュアだと相当な武器になると思います。以前、早打ちで有名な同郷のYさんが全国ベスト8に入った時に見ていましたが、それだけで勝っていたという感じでした(失礼)。 ところで、碁会所のトイレの件ですが、そこに本因坊丈和が残したという言葉が、紙に書いて張ってあるのです。それは、「自分の実力以上の手を打とうとして考えてもろくなことはない、仮にそれがいい手だったとしても後につながらない。素直に最初に思い浮かんだ手を打って、それが悪い手なら後で教えてもらえばよい。」という内容です。何と高い見識でしょう。トイレに入って、この紙を見るたびに私は反省しているのですが、相変わらず実力以上の手を打とうとする俗な根性は直りません。
Apr 6, 2005
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昨日の続き。 自分の命があと3ヶ月というような状況を考える時、必ず妻が近くにいる光景を思い浮かべる。しかし、そうなる保証はない。単純に考えればその確率は、50%である。たぶん、無意識の内に、妻に癒してほしいという救いを求めているのかもしれない。 私が先に逝けば、妻はひどく悲しむであろう。芯が強い一方で、悲しむ時は深く悲しむ女性なので、どんなにか悲しむであろうかと想像するだけどつらい。妻に悲しみを味わせないためには、私が彼女を看取ってやる方が良いはずだ。それが、さんざん幸せをもらった事に対するせめてもの感謝であろう。 しかし、まだまだその境地には達していない。私が看取った場合、妻の死から立ち直れない可能性がある事を彼女も知っているから、心配で成仏できないかも知れない。一方で、妻には信仰があるので、私の死もおそらく乗り越えられるだろう。となると、私が看取ってもらう方がお互いに良いかな、などと虫の良いことを考えているのである。
Apr 5, 2005
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あと3ヶ月の命と宣告されたら残りの時間をどうするかなと、よく考える。自分が、そういう事を日常的に宣告しているためであろうか、それとも誰でもそうなのだろうか。 できるだけ有効に使わないといけないと思うが、実際その立場になってみないとはっきりとはわからない。特別なことはせずに、ごく淡々と日常生活を送る人もいる。やり残したこともなく、ありふれた日常生活を幸せと感じられる境地にあれば、これが一番なのかなとも思う。特別な民間療法などを探し求めて、あちこち飛び回って時間を使ってしまう人もいる。最後の時間は、その人の生き方や人間性がすべて表れるものだと実感する。 突然死の場合は死に向かう苦しみもない代わりに、猶予もない。私ならできれば、最後に自分を見つめて人生を振り返ったり、家族と話ができる時間がある方を望みたい。 そのような状況になったとして、今なら何をするかと考えると、自分の考えや経験を書き残すことである。どうしてかと問われるとよくわからない。人間の本能のようなものかも知れない。ただ、3ヶ月ですべて書くとなるとそれにすべての時間が取られてしまうし、完成できないかもしれない。師匠のK先生ならどうするか聞いたところ、書き残したいことは十分いろいろな機会に書いてあるので、それを整理するだけだと言う。これは、上手いやり方だと思う。 それには、日々書く習慣を持っていないといけない。K先生のように、文筆や講演の仕事がしばしばある人は自然にそれができるが、普通の人にはなかなか難しい。日記というものがあるが、大概はつまらない人の悪口も含めてメモ書き的なものになってしまう。それに継続するのが難しい。その理由は、読んでくれる人がいないから、という事につきると思う。その点、ブログは極めて都合が良いものだと感じている。すぐに人に読まれる事を意識して書いているので、このまま整理すれば後に残すこともできる。ブログには様々な効用があると思うが、遺書的存在としての役割に注目している。
Apr 4, 2005
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前回の局面から、白は実戦図のように、一目捨てて稼いできました。捨てずに一目逃げるのもありそうですが、黒1に押さえられると抵抗できず、2線に下がりくらいになります。下辺の劫は黒が勝つと中央の白もズタボロになるので、天下利かずです。いい劫材ができると白がまずいのです。 しかし、実戦のように打たれて黒から劫立てがありません。すぐに劫はやれないので、黒は右上に劫立てが出来るような作戦で行きましたが、さっさと解消されてさらに黒が苦しい展開になりました。参考図 参考図のように単純に左辺連打の劫振り変わりの方が、実戦よりよかった気がします。右上に黒Aと様子をみるのも面白い手で、白がCにつぐとBに切る劫立てが有力になりますが、白Bにつがれると劫立てができません。 この碁は、この辺まで白の巧みなうち回しに翻弄されていましたが、この後上辺での戦いで成果を挙げて、黒勝ちになりました。 白のTさんと最初に対局したのは、私が大学に入ったばかりの頃の大学選手権でした。当時は東北大が連覇中の黄金時代で、その前年には全35局中(5人×7局)ほとんど負けがなくて新聞で話題になっていました。Tさんはそのエースでした。それから月日がたって、数年前に私が遠州に移住してから、再びお手合わせするようになったのです。この地には珍しく、美しい本格派の棋風です。 ところで、学生時代の最初の対戦で私はTさんに勝ったとずった思っていたのです。ところが、Tさんが「nipparat君は、僕に苦手意識が残ってると思っていた。」と言われるので、あれっと思って調べたら確かに私が負けていたのです。何とも呑気なものです。おそらく、学生碁界のスターであるTさんに善戦したので、周囲が褒めてくれたのと、Tさんが検討で碁の内容をすごく反省されていたので、そう思い込んでしまったのだと推測します。 今は学校の先生をされていて、忙しく碁を打つ機会があまりないようです。碁の大会の時も、合間にも書類を書いていたりしてたいへんみたいです。
Apr 3, 2005
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毎月の最初の出勤日には、職場全体の朝礼がある。朝は忙しいので普段はほとんど出たことはない。しかし4月1日からある役職に就くことになり、辞令の交付があるからと言われ昨日は出席した。 4月の朝礼は、新入職員が大勢出席しているので、年の中で一番盛況である。新職員の辞令交付などが終わり、続いて医療職の昇格者は前に出るようにアナウンスがあったので、私も含めて数人が前に出て並んだ。しかし、何とそこで係りの職員が私の肩をぽんぽんと叩き、私は違うから席に戻るように言われたので、すごすごと席に戻った。当然ながら会場は、大うけである。 「あら、おかしいな。これは、周到に準備されたエイプリルフールなのかな?そうだとしたら、これは大掛かりだ。それに3月中から用意するのは反則だろう。」などと考えていたが、そのうち役職変更者の呼び出しがあり、ほっとした。要するに、普通は役職の変更と昇格は一致しているのだが、私はまだ若輩ゆえに昇格ではなくて、役職だけ変更になったというわけである。 昇格者の列に勝手に出て行ったのは、おそらく前代未聞であろう。院長にも、廊下でからかわれた。しかし、大勢の新入職員に顔を覚えられたので良しとしよう。
Apr 2, 2005
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昨日の、最後の4行はもちろんエイプリルフールです。その他は、本当です。私としては、だますというより、すぐばれる洒落のつもりだったのですが、まともな反応に戸惑いました。と同時に、皆さんの素直な心に感動したのでした。 K-1の日記(不思議体験)では、私がK-1に参戦するという話をみんな信じてしまってびっくりという出来事を紹介しましたが、私には詐欺師の才能があるのでしょうか。仕事柄のせいか、自分ではすべてを疑ってかかるけれど、人を信用させるのは上手いのかもしれません。 本物の詐欺師は、私よりさらに数段上ですから、皆さんは相当に気をつけてください。
Apr 2, 2005
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ホームグラウンドであるパンダネットでも、同じIDで打っているのですが、しばしばタイの人からよく話しかけられます。なぜかというと、この名はタイでは女性の名前として使われていて、しかも語呂がよくいい名前であるらしいのです。もしや、タイ人ではないかと思われて、話しかけられるというわけです。 そんな縁から紹介されたりして、ネットでタイのトップクラスの打ち手とも何回か打っています。彼らは、おそらく日本で一般に思われているよりも相当に強いです。日本のトップクラスの院生が、バンコクの碁クラブに訪問して、たぶん舐めてかかったのだと思いますが、返り打ちにあったという話も教えてもらいました。 タイNo1の、ハズディンさんと向先で、持ち時間も十分ある碁をネットで2局打っています。 一局目は、序盤で有利になってちょっと軽率になったところをつかれて、すごい力を出され、大石を仕留められて完敗してしまいました。これで目が覚めて、2局目はこちらも必死に打ちましたが、有利な展開からなかなか突き放せず、終盤食いつかれながら辛うじて残しました。 前回の世界選手権では少年が来ていましたが、トップクラスに近い少年が何人もいるようです。さらに最近、中国のプロ棋士が指導に行っているようなので、近い将来に、漢字圏の国に迫ってくる可能性が高いと思います。 ところで、最近バンコクの碁好きのお金持ちから、あるお願いをされました。パンダネットの私のIDを譲ってほしいというのです。といっても、こちらも愛着があり簡単に譲るわけにはいきません。交渉の結果、500万円で買ってもらうことになりました。
Apr 1, 2005
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