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先日、お盆の入りに、次男夫婦と一緒にお墓参りに行ってきた。毎年の行事で、格別の思いはない。けれども両親を始め、身近な、大切な人々の遺骨が安置されている場所に、一年に一度ではあっても、詣でることには意義があると思う。 そもそも我が家のお墓は、悦子が私の母親のために、苦しい家計の中から捻出して、当時としては相当の金額で購入してくれたものである。我々が結婚して間もない、まだ新婚と言って良い時期の事だ。 だから、と言う訳ではないけれども、悦子が逝去した際に、あと数年で 墓仕舞 しようかと考えたことがある。悦子が始めたのだから、悦子の終焉とともに、綺麗さっぱりとお墓とも縁を切ろうと。 それに、子供たちがこのお墓に縛られて、自由な行動が取れなくなって仕舞うのも、気の毒千万なことと愚考したせいもある。しかし、今年も御墓はもとのままで、最初に述べた如くに、次男と共に墓詣をしているくらいだから、悦子の親孝行の記念碑は継続して、存在している。 何故か? 考えてみれば、何も墓仕舞を急ぐにもあたらないだろう。そんな気分に次第になったからである。それに、次男も、私が何も言わない先に、お盆には墓参りに行く予定を決めて、せっせと通ってくれている。大船に住んでいる長男の方は、私から、無理をして一日掛りの大旅行になる仕事を、幼い孫二人連で無理にするには当たらない旨、既に伝えてある。 何事も、無理をせずに自然体で行く。これが私の流儀と言えば流儀なのだ。泉下の故人達も了解してくれているものと、勝手に決めてしまっている。形式だけ見栄えが良いようでも、肝心の心が疎かになっていたのでは、それこそ「仏作って、魂入れず」になってしまうだろう。 数年前、私が墓仕舞を真剣に考えていた時期に、長男がお墓を鎌倉に移そうかと、提案して来た事があった。小さなお墓と言えども、新たに買うとなれば馬鹿にならない値段を、支払わなければならない。新しく住宅を建築する長男夫婦にとって、過重な金銭負担をかけてしまう。それは、親としては出来ない事、いや、しては、強いてはいけない事である。 生者との付き合いも、死者との交流も、ともに金銭が物を言う娑婆世界であるが、肝心なのは、心の在り様であり、真心の真に籠った、対応であろう。これは、私の信条であり、子供や孫にも受け継いで貰いたい。そう、思っている。見栄を張っても、何の得にもならない。外見は貧しくとも、心の錦と、どうせならこっちの方で精々見栄を張ってみたい。その方が、同じ見えでも、見えの張甲斐があろうというものだ。本当は、見栄がどうのと言うよりも、人間としての心の持ち方の基本と考えるのが、真心の磨き方と心得るからである。 所で、またもや夢の話である。なんと、私がプロデューサーから一大抜擢されて、時代劇の新人監督に起用された。そんな内容である。 現役当時の私に、そのような「野心」はなかったのでから、夢とは実に奇妙なものだと思う。正直な所で今の私は演出家や監督と呼ばれる職業に対する必要以上の尊敬の念はない。黒澤 明や小津安二郎などと言った少数の監督を除いたら、後に残るのは異常に「プライド」だけが高いエセ職人の集団が残るだけだからである。特別に偉そうに言っているわけではない。身近でその生態に接し、交流もある程度はしてきた実感である。だから、誰かから好きなだけ予算を出すから、デレクターをやれと言われたら、喜んで引き受けるだろう。その際には条件がある。私の書いたシナリオであることと、スタッフ、出演者は全て私が面接した上で、決めること。そうしたら、映画史上に残る名作が出来上がることは間違いのないことだから。その為の「門前の小僧」だったような気がしているのだ。故人になられてしまった能村庸一氏がプロデューサーだったら最高に楽しい仕事になるだろうが、これは夢の、その又夢の話になってしまう。でも、存外、冗談のように聞こえるかもしれないが、本音中の本音なのかもしれない。 何処かに、私に全権を委任する酔狂極まりない御仁がいないものか。無駄を承知で一声発して置くのも何かの足しになるかも知れない。これ、決して冗談事などではありませんので、それじゃあ、と内心で思われたなら、一声お掛け下さい。逃げも隠れも致しません。そして、これは私個人の問題ではなく、世の為人の為になる事でして、労力や資源の濫費とは性格を異にするものであります。 所で、イエスキリストは平和ではなく、剣を世にもたらすためにこの世に来た、と断言された。また、富んだ者は天国に入れない、とも言っている。どういう意味だろうか? そしてまた、敵に対する愛を説いた。凡人には至難の業を敢えて教えの中心に据えている。何故なのだろうか、これも同時に考えてみたい。無理難題と見える教えを説く彼の本当の目的は奈辺にあるのか?一度は、誰もが真剣に考えてみる価値があるのだ。出来れば、何度でも…。 平和は天国においてこそ完全に実現されるもの。この世で必要とされるものは、まさに力であり、剣なのだ。神の絶大なる力をもってすれば、人間の、カエサルの権力など、問題にもならない。イエスを通して天上の父は「カエサルの物はカエサルに」と言わせている。地上での一時的な支配力など、物の数にも入れていない絶対者から見れば、児戯にも達しないこの世での権力など、最初から問題にもならない。 更に、敵とは一体何者であるか。最大の敵は己自身である。さすれば、そのワーストハーフを哀れみ、愛するのは必然ではないか。 イエスの言葉は一見謎に満ちているが、正論中の正論であった。私に言わせれば、言葉の達人。それ故に正真正銘の詩人であった。初めに言葉があった、そう聖書は述べているのだ。 人間は神に近づく事は出来る。しかし、神に取って代わることは出来はしない。私たちは自分自身をこそ知らなければならないのだ。それも、神という完全無欠な存在者の絶大なる力を借りなければ、何事をも成し遂げることは出来はしない。一個の人間は不安定で独り立ちさえ容易ではない。そして、結婚という神に由来の神聖なる儀式を経由して、或る安定した存在として、確かな歩みを確保できるのである。 とすれば、神を信ずる、信じない以前に、神との黙契は既になされているわけで、本人の自覚の有無とは別個に「契約」はなされている事実に、気づかなければならないのだ。 これは、なになに宗という所謂既成宗派とは、何の関係もない。と、言ってしまっては身も蓋もないことで、真実の、ただ一つの信ずべき対象を、全身全霊を以て只管に信ずる。その中から、人間としての正しい歩みと、方向とが与えられる。当たり前と言うよりは、むしろ当然の理である。 五里霧中という言葉があるが、それは人間の主観としてそう見えるわけで、客観的には明瞭な光が前もって与えられ、進むべき道は自ずから見えているのである。 神は、御自分の姿に似せて人間を作られたと言う。そうでもあろうが、あまり糠喜びをしない方がよいだろう。見えていて、見えない。聞いていて、聞こえない。これは我々の自然な、生まれながらの悲しい在り方だと言う事を、銘記しておこう。 我々は、生まれながらにして神と共にある存在である。だから、少なくとも神の方からすれば、自分を忘れて貰っては困る、わけである。所が、人間とは、何時、何処の生まれであろうとも、肝心要の、この有難い絶対者の存在を忘却して、勝手気ままをやらかしてしまう。今までもそうだったし、これからもそれは変わらないであろう。神とは根気強さの権化なのだ。それはまさに父の名に相応しい。 地上では有るか無きかに微弱化した父権であるが、本来はそうした性質のものとしてあった。 差別と区別とは厳然として、分けられるべきカテゴリーである。何でもかんでも平等が良いと主張する悪平等の亡者たちよ。心して、本来の正常な判断力を取り戻すべく、努力せよ。 絶対者でない者が、絶対者の猿真似をした、恐るべき歴史の教訓を思い出すがよい。 自分自身との対話と題して、書いているのだが、それは結局、神・絶対者との対話にほかならない。そうならなければ収まりがつかない大きな、大きなテーマだった。 だから、いくら書いても書ききれない最終のテーマであって、私の手になど負えない事だと得心したのだが、やはり神の使い姫であった悦子に手を引かれながら、どうやらこうやら書き進めている次第であります。いつまでの寿命とも分かりません。けれども、与えられる時間の許す限りは、精々頑張りますので今後ともに宜しく御愛読を、改めてお願い申し上げます。 お盆に当たり一句。 ありがたや 生きるも死ぬも 酷暑かな 静峰二世
2020年08月19日
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自問自答の内容の大半は、亡妻との思い出を書き記すのがベストであろう。 それで、いつも、思いつくままに悦子に纏わる事柄を書き綴る事になる。これは必然の成り行きなのだから仕方のないこと。 さて、読者は青森県の十和田湖から流れ下る美しい渓流、奥入瀬渓谷をご存知であろうか。私は子供の頃から憧れていたこの清流のほとりを、悦子と二人で何回か散策したことがある。 今回は、その中でもとびっきり素敵だった 思い出 から開始しようと思う。 悦子と一緒の時間はいつだって楽しく、心躍るものがあったのだが、今回書く思い出の時間は、その中でもベストワンにランク付け出来る、忘れがたいもの。 御存知の様に、奥入瀬渓流は全国でも指折りの人気スポットでありますから、一年中観光客が引きも切らずに訪れている。まして、青葉の美しい季節には車や徒歩で遊覧する人々で、大変な混雑状態を呈するのが普通であります。 そんな場所で、一時間半ほどの間、渓流沿いの遊歩道全体が、私達夫婦の貸切状態になったのですから、不思議と言えばこんな不思議な事は、有り得ないことなのですが、私と悦子はそれをどういうわけか体験したのであります。実際に体験した時には、不思議とも何とも感じないで、謂わば無我夢中で味わった不思議ワールド。 とりわけ私が今指摘したいのは、その際のとびっきりハイな高揚感であり、不可思議な陶酔の境地なのであります。これは陳腐この上もないのですが、筆舌には尽くしがたい。それを文章の凡手が表現しようと言うのですから、目も当てられない結果に終わることは、始めから解りきった事なので、下手に手出しをしない方がよいので、春秋の筆法を借りて、搦手から攻略することにする。 天性の詩人なら、ここで延々と続く長々しい詩句を連ねて、読者をして天国に遊ぶに似た悦楽の気分をたっぷりと味わわせて、成程、そんな神仙鄕にも似た夢心地の妙味を、草加の爺は味わったのかと、得心して頂けるのでありましょうが、バカ正直な私は始めから「逃げ」を打って居りますので、ご勘弁の程を重ねて親切で、人の良いこのブログの読者には重ねてお詫び申し上げておきます。 さて、私と悦子の二人は、もういい加減な大人の年齢に達していたのですが、さながら童子と童女の如き心理状態で、夢幻境に文字通り遊んだのでありました。 その時の二人を、神様も御仏も嘉しくだされたのでありましょう、この九十分程の間、一台の車とも、独りの人影とも遇う事はなかったのです。念の為に申し添えるのですが、遭遇したくないと私どもが願ったわけではありません。ただ、偶然にそうなった。が、くどい様ですが、これは現実の事としては先ず有り得ない事態なのであります、確率的にも。 しかし、当時の私は、少なくとも少しも気には懸けなかった。ただ只管に、このとびきり素敵な境地にアルコール度数の強い銘酒にでも酔ったかの如く、酔い痴れていただけなのです。 あの時に私は一体何を考えていたのでしょう? 何一つ記憶にはないのですが、ただあのこの世の物とは思えない、忘我の高揚感だけは、忘れることなくしっかりと、この胸に畳み込んで大切に覚えてはいるのです…。強いて言えば、悦子と出会ってから死別による「一時の肉体的な別離」に至るまでの全ての時間がこの強烈な気分と類似であると、いっても決して誇張ではありません。 悦子と一緒に居ると、こういう不思議現象が何処からともなく出現して、私を吃驚させる。その一番代表的な例が、ある夏の日の不思議な経験である。 その日は、青森市でねぶた祭りが盛大に行われた初日に当たっていた。私達夫婦は青森市である大切な買い物をするのが、その日の最大の眼目であった。所が、どうしたわけか、二人共その買い物に必要なある程度まとまった金額のお金を、悦子の実家に置き忘れたままで、青森市行の電車にのってしまった。 これはこれから書くことになる不思議から比べれば、不思議のうちには入りません。結局、支払いは理由を話して、後日郵送することで了解して頂くことで、決着した。 その後、約束してあった祭りの見物客と、市民会館で落ち合う約束があったので、急いで駆けつけたのですが、約束の時間に大分遅刻したために、東京からの一行はそこにはいなかった。 ねぶた祭りを一度でも現場で経験されたかたなら、容易にお分かりいただけるでしょうが、大勢の沿道の見物客の中から、目当ての人を探し当てることなど、それこそ奇跡を期待するようなもので、諦めるのが当然の成り行きです。で、青森駅に向かう道すがら、何となく群衆の参集している桟敷席の辺りを眺めながらぶらぶらと、大通り上を歩いておりますと、「古屋さん」と声が掛かったのでした。 その声の主こそ、市民会館で落ち合う約束をしていた東京葛飾区金町の、私達家族が行きつけのお寿司屋「すし正」の御主人だった。御主人はもう祭り気分と行楽気分とで、相当に酩酊している様子。でも、近くの桟敷席を指差して、あそこに家の店の従業員たちが固まって席を占めていることを、告げたのでした。それだけではありませんで、わざわざ自分達との約束を守るために、ここまで探しに来てくれたと、大感激して、「これは些少ですが…」と万札を家内に手渡そうとするのです。辞退する私たちに、「いえね、お二方にではなく、実家でお留守番している坊ちゃん達に、ほんのおこずかい替りですから」と無理やり大金を渡したのでした。この話の、クライマックスは、これからなのです、実は。 思わぬ時と場所で大金を手にした我々ですが、それでは何処か近所で食事をして、野辺地の悦子の実家までタクシーで帰ろうという事に話がまとまり、大通りから少しだけ外れたお店に入ったのです。ねぶた祭りの山車がもうすぐ繰り出して来る時刻ですから、当然、我々二人の他は客の姿はありません。 愛想よく私たちのお相手をしてくれていたお店の人たちは、「いまだけですよ、こんなにかかりっきりでお二人さんの御相手ができるのも」と言います。その通りだと私たちも頷いて、店が混んできたら早々に店を出て、タクシーに乗ろうと考えていました。 所がであります。祭りが終了しても、店には誰ひとり客は入ってこないのです。店の人は首をかしげて、「こんなことは長年、ここで商売しているが、初めてのことですよ」と、怪訝顔頻りです。 早めに切り上げようとしていた私たちでしたが、何だかお店の人に悪いような気になって、二人共お酒をしこたま飲む結果となった。さて、もう大分時間も経ったし、行き先を告げてタクシーを呼んで貰う。 丁度、その方向に帰る運転手さんがいるので、その方の車を呼びましょう。と言うので、待っていると先客らしい女性を助手席に乗せた車が来た。私も家内も、相乗りでも一向に不都合はなかったので、そのままその車に乗り込む。すると、運転手さんが言うには、客は私達だけのような口ぶりなのです。不審に感じた私が、「だって、最初から、先客が運転手さんの隣に乗っているじゃありませんか」と何気なく言った。すると、急に運転手さんが黙ってしまった。そして、しばらくしてから、「お客さんの仰る、私の隣の客というのは、どんな人ですか?」と、ぽつりと言った。私も、家内も見たままの様子を何気なく答えた。またまた、しばしの沈黙があって、「そりゃあ、わの嬶だ」と若い運転手さんは何かはっとした如くに答えうのだ。なんでも、運転手さんの奥さんが去年病死して、かれこれ一年も経過したので、周りから再婚の話が持ち込まれていた。子供も居てまだ幼いので、自分も再婚する気持ちでいた。でも、もう止めにする。そう、実直そうな運転手さんはやや明るい声になって、言うのだった。 実家の前でタクシーを降りて、走り去るタクシーを見送る。闇の中にテイルランプが消えた瞬間に、私の全身から何故か冷や汗がどっと吹き出した。車の中では恐怖感も何も感じなかったのに。 ちょっとした夏の夜の怪談と言った趣だが、これは歴とした実話で創作は何も混じっていない。尚、付け加えれば私たちの入った不思議な料亭の名前は「柳 亭」であった。 余談であるが、この話を子供たちにしていると、不思議さが募って、明日にでもあの「柳亭」が実在するのかどうか、確認しに行ってみようかという気になった。これを聞いた義母が、「そっとしておいた方がいいよ、祟があったりするといけないからね」と、軽くたしなめてくれた。私たちは素直に、その言葉に従った。祟が怖かったというよりも、何か後味の良い話をそっとして置きたいと思ったからである。 このエピソードに典型的に表れているように、私たちの行くところ不思議が当たり前のような顔をして生起して、止むことがなかった。悦子の没後もその余韻は続いている。 この世で起こることは、全部が不思議ばかりなのだろう。ただそれを、わたしたちが「不思議」と認識するかしないかの相違だけがあるだけで。 そもそも、我々が住んでいる大宇宙の成り立ちからして、不可思議千万ではありませんか。人体だって、大宇宙に負けず劣らずである。不思議ばかりの世の中で、不思議が一つや二つ増えたからと言って、何も驚くには当たらないだろう。 不思議に対する鋭敏な感受性を研ぎ澄ますことは、誰にでも容易い事ではないのだから、心して生きるように努力しよう。人生の目的である、エンジョイをフルに享受するために、豊かで、有意義な生をまっとうに生きる為に。そして、みんなが美しい笑顔で明るい明日を迎えられるように。
2020年08月06日
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