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私は歌謡曲が比較的好きであります。商売柄、酒席の流れでよくカラオケで歌ったからです。自分で下手ながらに歌っていると、歌う曲などもよく聞くようになり、プロの歌手がどのように歌い表現しているのかを、注意して聴くので、歌一般への理解も深まるのでしょうか。歌うのが少しずつ上達するに連れて、耳の方も肥えて行くようです。 私はプロの歌手では藤 圭子と ちあきなおみ が好きです。歌が上手いのはプロですから当たり前なのですが、こちらのハートに直に響いてくる所が実によい。美空ひばりも勿論好きですが、聴き過ぎて今ではやや食傷気味であります。自分でカラオケを歌う時には、嘗ては五木ひろしの「細雪」を好んで歌っていました。 前振りはこのくらいにして、今回は人間の魅力というような事について、書いてみたい。そして、またもや学習塾での生徒との遣り取りから入ります。私の御世話になった学習塾では、生徒が自分の担当講師を指名出来るのが売りでしたから、生徒たちは当然に憧れの気持ちを唆られるような、恰好いいお兄ちゃんや美形のお姉ちゃんを大体において選択するようでありました。無論、無意識の裡にでありましょうが、結果としては歴然とそうなっていることに、入塾して直ぐに気づかされた。何しろ海千山千の謂わば擦れっ枯らしみたいな老人ですから。所が、私にも望外な指名が集中したのですから、子供の心理も意外と複雑なのでありました。 さて、大勢の担当生徒の中には多数の女子生徒が混じっていた。男子四に対して女子が六ぐらいの比率でしょうか。その女子の中で、成績はあまり振るわなくとも、人間性と言う点で光る生徒が何人もいました。私はそうした生徒に折を見て、次の様な話をしたものです。 女性は年頃になり、適齢期を迎えると、お母さんを始め身近な大人の女性達を見習って、お化粧をするようになる。誰もそれをするなとは言わないけれど、お化粧は飽くまでも一時しのぎの応急処置みたいなもので、過度の期待を持ったり、厚化粧に頼ったりしてはいけない。昔の美人は大概、化粧は身だしなみ程度に抑えて、自然の侭の素肌を大切にした。素肌は天が人々に公平に与えた天然自然の宝物ですから、それを大切に手入れするのは当然の事でしょう。私が強調したいのは、外見の見かけばかりに気を取られて、内面の素肌である、心の手入れを怠る人が大勢いるので、心配なのだ。内面の人の目に見えない心の手入れを怠っていると、年を取るに従って外見の醜さが倍加して、厚化粧ではとても隠しきれない、目も当てられない酷い事になってしまう。オバタリアンなどとひどい悪評を被っている中年以上の婦人たちは、皆この心の手入れを怠った怠け者達の成れの果てなのだ。 私は、長年テレビに関係した仕事で生きて来たので、化粧品メーカーにも大変御世話になっているので、別に化粧品メーカーの妨害をするつもりはないが、お化粧はほどほどに、手間暇が多大にかかる内面の方を疎かにしてはいけないことを、強調したまでであります。 世の中には、希にではありますが、この大変な事に打ち込んだ結果、一般に醜いと言われるシワやシミや白髪が、それこそ宝石の如くに光り輝いている人が居るのです。正に外見と内面とが相叶える事の証明の様な存在です。 人は誰でも易きに就きやすい。手間暇のかかることは出来るだけ避けて安直に行きたい。思うことは誰もが一緒ですから、容易い方を選択する。 此処で、昔話を思い出して見て下さい。正直で心優しいお爺さんは雀のお宿から帰る際に、お土産に出された二つの葛籠(つずら)のうち、小さい方を選びましたが、意地の悪い腹黒婆さんは欲深さの本性を出して、大きな葛籠を貰いましたね。結果は、皆さんご存知の様に、婆さんは散々な目に遇ってギャフンでしたね。他人には親切にしよう、また、艱難は爾を玉にするのだから、苦労は自分から買ってでもしよう。昔の人々が露ほども疑わなかったこの世の真実でありました。 今はどうでしょうか。便利第一の世の中で、その代表的な位置にあるのが、便利第一主義の権化の様なお金であります。その代償として私達は一体何を失ったか? 私に言わせれば、人間の美徳の全てを失わさせてしまった。まるで、化粧する手軽さで、困難な内面を磨く仕事を放棄した、祟のようではありませんか。 何度でも言いますが、何かを選ぶと言う事は、その他の諸々の大事な物を、それと気づかずに易々と捨てるという事を意味している。この事の持っている意味をとことん噛み締めてみよう。早い話が、飛行機や新幹線は自慢の速さを誇っているけれども、私たちの幸せや幸福の度合いは、どれだけ増大したと言えるのでのでしょうか。一考するだけの価値はあるのではないでしょうか。 私たちの欲望には限(きり)というものがありません。飲めば飲むほどに喉がヒリヒリと乾く悪魔の水になぞらえる事が出来るでしょうか。節度を保ち、足るを知るのは、人生の達人にして始めて可能な事。凡人には逆立ちしても及ばない、極北に美しく輝く星の様な物であります。 お金という巨大なマモンもまた、手にすれば手にするほど更に多くを求めたくなる、恐ろしい邪神であります。この邪神に一旦とり憑かれたが最後、死ぬまで追求を止めることが出来ない。 私などは、親の代から貧乏神に愛されて、幸か不幸か今日まで悪戦苦闘の連続でしたが、有難い事に幸せという美神には見放されてはおりません。いえ、いえ、負け惜しみなどでは決してありませんで、苦しさに耐えながら耐乏生活を長年続けておりますと、通常の苦しさを苦しいとは感じなくなって来る。何とも言い難い安心感の様なものが生まれている。 ある日突然に、目からウロコが落ちた如く、一種の安心立命に似た心の安らぎを得ている自分に、はっとばかりに気づかされる。この辺の機微については、実地に体験して頂くしかないのですが、お金持ちには理解し難い心持ちかも知れませんね、実際の話が。 また話を前に戻しましょう。人間として一番に大事な心・内面の魂を磨くには、一体どうしたらよいのか? 特別な学校や、難解な教科書を求める必要などありませんで、参考になる物や反省材料には事欠きません。誰でもよい、身近にいる人々をよくよく観察すればよいのです。世の中には模範になるような立派な人物は非常に少ないけれど、唾棄すべき嫌な、そして自然に嫌悪感の生まれる醜悪な人間は、掃いて捨てる程に存在している。その人々の嫌な考えやら、行動の一つ一つを反面教師として利用すれば良いだけです。 後は、根気よくその作業を継続する。この一事に尽きます。継続は力なりで、あなたの努力は必ず報われること請け合いですよ。ふうーん、成程、だけで私の言葉を受け流さないで下さい。今の混濁し、堕落し切った娑婆世界を清浄にするためには、一人一人のこうした小さな積み重ねがどうしても必要なのであります。世界平和を願うデモや、様々な分野での偉人や賢人の天才的な活躍も大切なのですが、誰もが謙虚に世界の一隅でたゆまずに続ける、こうした目立たない「平和世直し運動」こそ、最も今必要なのであり、切実に要請されているのだと、私は確信しております。 元はと言えば、私達自身が望んだから現出した現状であってみれば、私たちの望みや希望の持ち方次第では幾らでも矯正ややり直しは可能なのですから、どんな時にも絶望したり、捨て鉢になったりせず、明るい明日、希望に満ちた未来を手元に引き寄せられる。そう信じながら続けるあなたや、私達の小さな営みが何物にも増して神仏の御加護に報いる道である事を、固く信じて前進しよう。私も、及ばずながら、耄碌した老躯を引っさげて、小さいけれども大事な「一隅を照らす」行為の輪に加わろうと、密かに決意して、自分なりの努力を日々忘れないでいる。 若い人の特権は、不可能と見える物を不可能とは見ないことであろうと、私は考えますが、御自分の目と耳と、何よりも持って生まれた柔軟で柔らかな頭脳と、美しい魂とを最大の武器として、目の前に立ち塞がっている諸悪と困難とに、果敢に立ち向かおう。 私はお見かけ通りに、老人でありますが、心は、魂は少年のままで生きております。生半可な大人になるくらいなら、子供のままがいい。これが私の開き直った精一杯の意地であります。客観的に見れば年寄りの冷水と思われる事でも、私自身は真剣そのもの。動かない山でも、こちらの意気込み次第では動いてくれる。この、まともな大人や世故に長けた老人には無い蛮勇を奮って、心ある少数の人の純粋な心の琴線にダイレクトに訴え掛けてみたい。そう思い、実践しているこのブログであり、源氏物語の翻訳であります。 私は自分の行動なり考え、つまり、今の時代を最悪最低と捉えて、今の時代に生かされて在る人間の一人として、この様な世の中でも一人確固たる幸福を忝くした者として、御恩報じの為だけでも、微力を尽くす振る舞いをしたい。それを実行に移さないことには、気が済まない。そうした思いで一杯なのであります。 効果があるか、好結果が出るかは二の次で、兎に角も実行する。今自分に出来る精一杯の努力を続ける。それだけなのであります。 私の現代に対する危機意識の強さは十代の頃から始まっている。生きていて無条件に辛い。こんな世の中に自分はどうして呼び込まれてしまったのか。自分が妻を得て、妻から強く私達の子供を儲ける事を迫られた時に、私は言ったものだ。「私は子供が大好きだ。まして自分の子供となったらなお一層好きになるだろう。だが、生まれる前から好きな自分の愛子を呼び出すにしては、現世は余りにもキツ過ぎる。可哀相に過ぎるのだ」と。 妻は呆れてしまったようだ。変わり者だとは感じていたが、ここまでの変人とは、正直思わなかったのであろう。私の世の中嫌いは変わらないままに、妻に押し切られる形で、二人の息子を儲けるに至った。成人後に、二人の息子にこの話をしたところ、「ふーん、そんな事があったんだ。でも、生まれて来てよかったと思うよ」と、長男も、次男も異口同音に答えたので、私は内心でほっと安心のため息を吐いたのだった。キリスト教の神は、産めよ、殖えよ、地に満てよ、と言われたとか。 こうして、神から本質的に嘉(よみ)された人間の生は、無条件に良いものであるに相違ない。私が臍曲がりであり、偏屈なだけなのであろう。今はただ、神の祝福を無条件で受け入れ、その意を受け止めようと思うのである。
2020年10月30日
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今回は人間の美しさに就いて書きます。人間が美しいとは、勿論、外見的な、目に見える美しさは誰しもが着目するところですが、この目に見える、外見的なという点を更に深めて、内面の、心の美しさまで含めて評価しないと正当な 人間評価 とは言えないのではないでしょうか。 ちょっとばかり脇道に逸れる話題をしましょうか。美味しい、旨いと評価する食物や料理の評価です。食べて文句なく美味しい、旨いと感じる食物や料理があります。 私は子供の頃にラーメンとすき焼きが大好きでした。毎週一度は、自宅で食する家庭料理だったのですが、当然に母親が食材やら味付けその他を準備してくれていた。ラーメンには豚肉、すき焼きには牛肉が付き物ですから、必然的に肉類が大好きになっていた。それ以前には、田舎、母方の実家のある土浦の郊外に庭付きの一軒家で育ちましたので、庭に放し飼いにしていた鶏を潰して食する地鶏肉の美味しさも加わって、ほとんど肉一辺倒の子供時代を経ています。 幼児の体験として、優しかった伯母のご馳走してくれた特製のカツ丼の味が忘れられずにいました。成長するに及んで、カツ丼にもそれほど美味くない物もあることを知って、愕然とした記憶が残っている。 何故なら、カツ丼即ち伯母から御馳走して貰った、あの味と大脳に刷り込みがあったからです。 ラーメンやすき焼きに関しても同様の経験があります。私からすればすき焼きと言えないすき焼きのまがい物や、ラーメンとはとても思えない似て非なるそれが、世の中には五万と有ることを知らされて、唖然とした。世間知らずだった事もあるが、決して豊かとは言えなかった家計の中で、あれだけの味を家族に提供してくれていた母親の愛情の深さに、改めて頭が下がる思いでしたね。 さて、ここからまた最初の「人間の美しさ」に戻りますよ。世の中には所謂美人なる人がいる。特に女性を評価する場合に多く使われます。一般には男性を評価する言葉としては、殆ど使われない。 男社会が長く続いた為もあって、女が美人かブスかが、大きな問題となっていた。男は外見ではない、顔や容姿の良し悪しではない、中身が大切なのだ。などと、一応は筋の通つたかの如き言説も罷り通っていた、らしい。そういう尤もらしい口を利いて威張っていた男に限って、中身が素晴らしいのは皆無だった、と私は今、断言しても良い。 苟(いやしく)も女を外見の美醜で判断して、醜の方を切り捨てるならば、飽くまでも男も女から外見上で判断されて、醜の方は切り捨てられるべきである。これが理屈の上からも公平というものだろう。などと小うるさい小理窟をここでこねてみても始まらないだろう。 私の言いたい事はこうである。美人などいう人間はいない。美人と称するなら皆が何らかの意味で美人なのだから。したがって「ブス」などという女はいない。無論、ブスな男も。 ただ言えることは、性根が腐ってブスに成り下がっている状態の男や、女は大勢いるようだが。 私は以前、「ブスを磨け」というタイトルの本を出版する計画を立て、或る出版社に持ち込んだことがある。年配の編集者は私の考えに両手を挙げて賛同してくれたが、若者は、女性からの共感がタイトルから得られにくと難色を示した。結局、私は自分の本を出すことを断念した。何が何でも本にする必然性がなかったから。ブログ上で発表すれば、私の考えを必要としている人の目に止まるだろう。それで十分だと思ったから。 私の本にするつもりだった内容の物は、「バカを磨け」というタイトルでもよかった。世の中には他人が意地悪、乃至は侮蔑の感情を込めて言い放った「放言」を、まともに受け、中味とは縁のないレッテルを後生大事と抱え込んで御自分を「苛める」事に専念している、生真面目なお方が大勢いらっしゃる。その方々に、その誤りを正し、真実の御自分の姿と正対して頂きたい。そういう願いだけが私が「ブス、バカを磨け」に託している真意だった。 本当の所を言うと、私は世の中にブスも、バカもいないと固く信じているひとりであります。世の中に居る正真のブス、バカはもっと違った世界に、のうのうと、大きな面をしてのさばり反つております。ええ、本当のブスとバカは表面上は美人と利巧として世間に罷り通り、自他共にその本性に気づかずに一生を終える。ですから、真性のブス、バカは私に言わせれば放っておけばそれで良いのです。 問題なのは、そうでない、被害妄想的な 善意 の「ブスとバカ」なのですね。もうお分かりですね、私の力説しているところの物が、何であるかを。 人間という生き物は本当に始末に困った生き物でして、仲間を虐めたり、いたぶったり、困らせたりと散々に嬲(なぶ)りものにして快感を得たがる特性を持っている。それに易々と乗って、思うツボに嵌ったりしてはいけない。逆に、目には目を、歯には歯をで、仕返しをするぐらいの気概を持って欲しい。まず第一には、そう念ずるのですが、現実には様々な被害者が出て、社会問題と化している現実を無視することはできません。 そこで、ごく気軽に利用できる、その予防法を出来るだけ多くの方に提供出来たら、嬉しいと考えたのが本の出版というアイディアだった。ただ、それだけの事にしか過ぎない。 私はブスなどという女性はいない、と書きました。真実、そう思っています。ただ、男の目から見て、人気の得やすいかどうか、という点で言うと、得やすかったり、そうでなかったりの差は歴然としてあります。誰だって大勢から注目を集め、人気を博したい。そうすれば、その場限りの虚栄心は満足させられるでしょうからね。 しかし、考えても見てください。大勢から持て囃されて、一時的な虚栄心が満足されたからと言って、人間は幸福にはなれないものです。真実の愛を勝ち取るまでは。 例えば非常に分かり易い例として、光る源氏を持ち出してみましょうか。彼は文字通りに理想的な人物ですから、女性は勿論の事、男性からも無条件で愛されます。噂を聞いただけですぐさま彼のファンになってしまう女性や男性は、それこそ数が知れないといった有様です。しかし、この光る源氏は終生真実の人間としての幸せを手にすることは、出来なかった。その様に源氏物語の作者はフィクションとしての歌物語の世界を構築している。たかが、虚構の、作り物の世界でのお話にしか過ぎないではないか。そう思われる御方も多いかと思いますが、これは唯の虚構ではありませんで、生きた人以上にリアルであり、迫真性に満ち溢れている。一読してして頂ければ、すぐに納得できるのです。 数の上で何れ程多くの愛を、人気を獲得できても、人は真実の幸福には到達出来ない。この哲理を骨の髄まで知り抜いた人生の達人でない限り、知り得ない底ひなき奥義を知った者にしか開示されない、智慧が秘めて隠されているのであります。それは、恐ろしい程のことであります。 つまりは人間にとって幸せになる条件としては、美醜に関係なく、最低限一人のパートナーを獲れば問題はないわけで、その為には大勢からの人気を博し易い「美しさ」が必須の条件ではないことを、私は此処で声を大にして強調しておきたい。俗に言うではありませんか、蓼食う虫も好きずき、と。 所で、私は世間に出て大勢の人々と日々接するようになるまでは、無意識の内に女性とは皆美人であり、少なくとも私よりは誰もが優れているものだ、と迂闊にも信じ込んでおりました。何故なのか、自分でもよく分からないのですが、私の身近にいた女性たちが揃いも揃って全員が美人だったし、素晴らしく素敵だったから、自然そんな風に思い込んでいた。これが、妥当な解釈でしょう。 これまでにも散々、母親やら、姉、妹、伯母、叔母などなど私の得意な自慢が、このブログ上でも書かれておりますので、これ以上は吹聴致しませんが、実に幸運過ぎる環境だった。 世の中には、見かけは美人でも腹黒かったり、意地がひどく悪かったりと、随分とひどい女性が数え切れない程に居る事実を、嫌というほどに知らされるには、それほどの時間を要しませんでした。残念な事ですが。醜い上にも醜さを上乗せしている最悪の女性も、当然に少なからず居ると知らされたりもした。 考えて見るまでもなく、当たり前過ぎる事実でありました。えっ、すると、前の方に書いていた私の言説と矛盾しているよ、ですって。無論、私は表面上の私の論理矛盾に気づいていないわけではありませんで、それを承知で書いています。 世の中に生まれつきのブスもいなければ、同様に、生まれつきのバカ者も存在しない。ただ、様々な不幸が重なって、現実に見るような惨状が現出してはいるものの、決して手遅れの状態までには至っていない。手の施しようはある。非常な困難を伴うかもかも知れないが、本人の心がけ次第では、本来の自分を取り戻す可能性は残っている。 他人の振り見て我が振り直せ、であります。自分の顔を鏡で見るよりも、身近に居る人をじっくりと観察するとよいのだ。反面教師として他人に学ぶ。非常に効果的な自己矯正法であります。今からでも直ちに実行すれば、効果は覿面であります。手遅れなどということは、自己矯正に限っては御座いません。 また、例の他人の付けたレッテルにこだわっているブスや、バカのお人は、御自分のブスさやバカさを一心に磨く努力を続ければ良いのです。あら、不思議! ブスなど何処にもいない。又、バカなど誰の話と言う事になるのは必定ですから。 後は、四の五の言わずに実行、実践あるのみ。畳の上の水練ではいつまでたっても埓が空きませんので、呉々もお間違いのなきようお願い申し上げます。 論より証拠で、此処に一人の大馬鹿者が居りまして、馬鹿なりの努力を継続した結果、曲がりなりにも人並みの真人間になることが出来た生き証人が、この文章を書いているのですから。嘘偽りのない事であります。
2020年10月28日
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人は、いつでも最善・自己のベストを尽くすことは出来ない。最善を尽くすのに最もよい時期・タイミングを測らなければならない。今回は、そんなことから書き始めてみようと思う。 禅の方で使われる言葉に「現成受用・げんじょうじゅよう」と言うのがある。厳しい現実が我々を取り囲んでいて様々に苦しめるが、それをとやかく言わず、あるがまま、なるがままに受け入れて、とにかく素直に生きる事、がその意味であるようだ。その為の只管打座(しかんたざ)・座禅の修行なのだという。 してみると、私は私の苦しい人生を通じて、現実と交渉することで座禅の修行と同じ事をしていたことになる。 神や仏の御蔭様で成り立っている現世であり、現実であります。それを四の五の言わずに素直に受け止め、受け入れる。これは、考えてみれば当たり前であり、我々として当然の事。そう、余り深く考えた事のない向きは、思うかもしれない。 そういう向きには、長い年月にわたって、わざわざ苦しい修行生活を送って、現成受用の境涯を身につけるとは何と気の利かない、愚かな事ではないかと、更に踏み込んで考察した場合に、感じられるかも知れない。いや、若い頃の私だったら、そう思ったに相違ない。だがそれは余りにも皮相に過ぎる見解である。人間は本来が「愚か者」に生まれついているので、努めて、命懸けで生きて学ばなければ本当には納得出来ない事柄があるものだ。取り分け、人生の大事に関してなどは、そういうことが言えるのであって、なかなか当然のことを当然と素直には受け取れないものなのだ。 非常に厳しい規律を守り、厳格な修行者生活を送り続ける事は、生半可ではない意志の力と身体力とを必要とすることだ。道場に自分の意思で入門し、様々な障害を乗り越えながら、禅者として成長を遂げ、最終的には一人の師家・老師として後進の指導に当たる。息を引き取る瞬間までが修行である。 禅とは簡単に言ってしまえば、自分の心を見つめ、自分が何者なのかを悟る作法を言う。とすれば、己自身を知れと神から教えられ、それを生涯実践したソクラテスも、同様の事を私達に教えている。 洋の東西を問わず、自分自身を知ることの大切さが、賢人の教えとして後世に伝えられている。生きるとは、人間として自分に与えられた貴重な生命を完全燃焼させるためには、畢竟、己自身を追求し、追求し、遂に究極の悟りに至る一筋の細い、しかし確かな道を行くしか他に道はないようだ。 禅定と問答法と、手法・スタイルは違っていても、その心は、肝心要のポイントは寸分違っていない。そして私の流儀は、世俗に塗れ、煩悩の塊の如き俗人の代表の様な生き方を通して、自他の心の在り方とその心根をとことん知り、同時に、知らされた「在俗者」の無手勝流と知った。 つまり、私は私で、世俗の塵と垢にまみれながらに、それと自覚せずに 自己との対話 を繰り返しなが必死に生きて来た。と言う事はつまり、その様に生かされて来た訳だ。禅で言う所の「己自究明・こじきゅうめい」を自己流ながらに追求して来たのだった。そして今日に到っている。 塾講師をしていた頃に、特別に選んだ生徒に、相応しいというタイミングをみて、以下の様な話をして諭したことがある。君は、自分の事は誰よりも自分が一番よく知っていると、思っていないだろうか。そう、今頷いたから言うのだけれど、それは間違いなのだよ。君は自分の顔を直接見ることは出来ない。精々鏡を見て、大体を知るくらいのことしか出来ない事を、理解して欲しい。君以外の誰もが簡単に見て知ることが出来る事を、君だけは一生涯出来ないのだ。この事実をよーく考えてみようよ。 他人の振り、考え方や行動はよく見て観察できる。だから、良いとか、悪いとか簡単に批判したり、判断したりする。けれど、自分の事は、他人を見るほど客観的に、冷静に見れないのだ。鏡に映った顔は虚像で、第一左右が逆になっている。美しく写る自惚れ鏡もあれば、妙に精彩のない嫌な画像に見える粗末な鏡もあって、真実そのものではない。 そこで、と私は教師然として次の様に結論を述べた。自分の事は自分が一番よく知っていると考えるのは弱点と言うか、一種の盲点がある。だから、他人のやることを見て、嫌だなと感じたら、自分はあれよりももっと嫌な事をしているに違いないと考え、その点を改めるようにしよう。そして逆に、他人の良い点が見えたら、あれは自分に欠けている点だから、努力してその良い点を見習うようにしよう。 私の選んだ生徒は皆非常に素直な性格の者ばかりでしたから、とても気持ちよく私の話を受け入れてくれていました。また、私はこの話を、自分自身の自戒の言葉として語りましたので、つまり上から目線の偉そうな教訓として語らなかったので、生徒の方もそれを敏感に受け止めたようであります。 次に「妙好人・みょうこうにん」と呼ばれる人々について書きますが、これは以前にも私のブログで比較的詳しく書いていますから、ここではごく掻い摘んで述べるだけにします。 妙好人とは真実の信心を得た念仏者を褒め称える言葉です。「 おも荷背負ふて 山坂すれど 御恩思へば 苦にならず 」―― お軽さんという妙好人の歌だそうです。意味は明快ですが、念の為に訳を付けておきましょうか。重い荷物を背中に負って、急な長い山の坂を上り下りする辛い日々だけれど、有難い阿弥陀仏の御恩を心に浮かべると、苦しくて堪らない娑婆でのこの苦労も、たちまちにどこかに消えてしまう 誠に有難いことでありまする 」と。 妙好人は所謂無学文盲の人が大多数であるようですが、学問や特別の教養が無くとも、また一定の決められた規律ある修行生活を送らなくとも、仏教の達人の境涯と同等・同質の境地に達することが誰にでも分かる形で示されているのが、私などにはとても興味深く感じられます。 私の場合には、俗世の中でも取り分け熾烈な欲望が渦巻き、物欲と自己顕示欲の坩堝とも形容できる芸能界の真っ只中で、赤裸々な物欲丸出しの闘争場裡にあって、あたかも戦場ジャーナリストの如く生きて来たわけでありますが、様々な神仏の尊い御導きがあって、本当に大過なく過ごす事が出来ました。 「よくやった!」と御声掛けこそなかったものの、六十を過ぎてからこの世の天国とも称すべき世界、純粋な子供や若者たちとの交流に終始する日々を、およそ十五年、これも大過なく過ごす幸運に浴して居ります。 振り返ってみると、私の人生の随所随所には必ず神仏の化身としか思われない尊い御方が、あちらの方から近接して来られ、私を善導して下さった。その当時の私には理由が分からなかったのですが、それでもその方からの過分な好意に浴して、不思議だなあ、と言う思いは確かにありました。その頂点に龍神様の意向を承けて私を守護して下さった能村庸一氏がいらっしゃり、一方には観世音菩薩の申し子の様な柴田悦子が居ります。 その他にも、あの方、この方と少なくとも十人の有難い方々が、過分なる恩恵を私に故無くして、或いはその当時の私にそれ相応の利用価値があったから、確かにそうも言えるのですが、故無くして奉仕して下さっている。不思議なる世界での、実に不可思議なる出会いが幾つも有ったのです、確かに。いいえ、決してこじつけなどではないのです。 私は自分を悪運が強いと思っている。何故に敢えて悪運などと言う自虐的な表現を使うのか、と言えば、私程の人の運に恵まれた者にしては、所謂出世が足りないからであります。 中学時代の恩師が卒業後にお会いした際に、テレビドラマのプロデューサーをしている私に、そんな所に収まっているのか。伸びが足りないなあ、と残念そうに呟かれた。恩師は、常識人として私の非常なる出世を当然と信じて居られたのでありましょう。 また、私はプロデューサー時代を振り返って、あれ程のチャンスと幸運とに恵まれながら、所謂人気者、花形プロデューサーにのし上がらなかった事の不思議に、自分ながら驚いている。又、三流四流のちんけな会社であったが、当時の社長から俺の後を継いでくれと頼まれたのに、「どうしてもと言われるのなら、辞めますよ」と拒否した事。私はプロデューサー業を選択しのであって、会社での出世など頭から考えていなかったのだ。 結婚にしてもそうだった。幸福な家庭を築くなどという野望は、露ほども考えていなかった。ただひたすらに、恋に生き、恋に死にたいと漠然と憧れていただけだった。ただ、自分の様な者に純粋な恋心を抱いてくれる異性が現実に現れるだろうか、とこれもまた漠然と不安だった。 現実という目抜き通りの真っ只中で、夢を夢見るとんでもない夢想家が、傍からは仕事出来る風に活動していた。だから例えば、婿さんタイプとしては一点の非の打ち所がない人間として、世間の常識人からは見られていたことを、当人だけが自覚していなかった。 外見や風貌も、堅実でお堅い、世の中の常識を十分に弁えた好青年とのイメージは揺ぎのないものとなって世人の目に訴えていた。所が、その実は思いがけない本性がかくれていた。意識して隠したのではない。巧まずして世間を欺く結果になったが、実は飛んでもない破滅型だった。理由もなく突然に燃え盛る火の中に飛び込むというような離れ業を、いとも容易くやってのける体の。 残念ながら、と言えば語弊があるが、私が私の本性を世間に対して曝け出すタイミングはこれまでになかったし、今後もないであろう。兎に角、悦子という思いがけない女神が向こうから私の懐に飛び込んで来てしまったのだから。だからもう金輪際、私が自滅する理由は完全に消滅しおおせてしまったのだ。 私は、完全なる一人の幸福者だった。
2020年10月26日
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今回は正直という事について書いてみます。 正直とは文字通りに、正しく素直であることを意味します。それでは、正直者は嘘をつかないのでしょうか? 意識して、相手を欺く為に嘘をつくことはないのでしょうが、全く嘘をつかないことは、恐らくないだろうと想像されます。しかし、実相は私にはわかりません。 誰にも差し障りのないように、私自身を俎上に載せて話を進めてみましょうか。 私は普通に「正直」な方だと自分をみなしているのですが、それでは嘘をつかないと言えるのか。いいえ、私は嘘をこれまでに何度もついています。しかし、詐欺師の様な他人を騙して悪い事を仕掛ける、悪党の嘘は一度も口にした事はありません。一般に、嘘 = 事実と違う言明 が人を傷つける為に有害であるとすれば、嘘そのものに罪はなく、従って「嘘も方便」と言う仏教由来の諺も生きて社会に役立っている。 いつの場合でも大切なのですが、対象との距離の取り方が問題なので、対象だけ、今の場合には「嘘」だけが悪者にされる云われもないわけですね。 フィクション、つまり作り事、事実ではない嘘の話は、それ自体に罪や咎などは全くないわけで、フィクションと承知の上で送り手も、そして受けても双方共に楽しんでいるわけで、そこからは何の害も障害も生じて来たりしないものです。 芝居や演劇、小説や物語などを、嘘、つまり事実通りではないと承知で楽しむのは、息抜きやパスタイムの手段として極めて有効かつ効果的な時間の過ごし方であって、嘘の効用が最高度に発揮されたものでありますね。 学問の発展にも嘘は大いに役立っている。所謂「仮説」と呼ばれている嘘ですが、仮説が事実と裏付けられたり、科学的な検証で事実と証明された場合でも、仮説は飽くまでも仮説のままであります。事実と見做しても有害ではなく、却って生活に役立つ場合に該仮説は事実に限りなく近い仮説のままで、人間社会では事実と認定を受けるわけであります。 その典型例が最新の宇宙物理学で唱えられているビッグバン説であります。真空の中に何処からともなく姿を現した宇宙の種が、瞬きする間もないくらいの瞬時に、林檎大の灼熱した塊へと成長し、その塊が大爆発を起こし、今日の大宇宙を生成した。 講釈師、見てきたような嘘を吐き、と言われましたが、この最新の科学者の吐いている「大法螺」に比べたら可愛いものでありました。 この様に、厳密な検証を重ねた結果が、途方もない大嘘と変じてしまう不思議は、元々から私たちの住んでいる世界自体が孕んでいる不思議、本当にパラドォキシカル(二律背反的)な性格に由来するのであって、断じて科学者達の責任ではありません。 真から優秀な科学者であるほど、絶対者なる神の存在を信じないわけにはいかないと、言われますが、宜なるかな、宜なるかなと、心から首肯出来るのです。私は科学者でもましてや、優秀でもありませんが、ある時から私なりの神を感じ、常時、その神からの働きかけを感じながら生きております。 何事にも厳密で論理的な科学者と、ファジィー過ぎて、非論理的な夢想家の結論が端無くもぴったりと一致するところが、非常に面白いと言うか、興味尽きない現実の持つ不思議さなのです。 何度も言いますが、劇聖シェークスピアは真の詩人ですが、同じ詩人の現人神・キリストイエスと酷似しています。その証拠は、醜いは美しい、綺麗は汚い、と登場人物たる魔女に言わせている一事からもそれがわかりますが、イエスも「栄華を誇ったソロモン王ですら、野の百合程の豪華な衣装を身に纏った事は無かった」と、さり気なく仰っておられる。 コロンブスの卵で、誰かに言われてみれば、皆が一様に頷ける事柄も、稀有の天才が指摘するまでは、見れども見えず、聞けども聞こえないのが我々の常ではないでしょうか。 嘘に関しての記述が多くなっていますが、スタートは正直という人間にとって非常に重要な徳目でありました。嘘がこんなにも我々にとって重要であるならば、正直は更に重要な何物かをもたらしているに相違ないのです。 正直の頭に神宿る。少なくとも大和の国の神々は正直である事を、いの一番に好み、愛した。人々は皆一様に正しく、素直を専らとしましたから、神から愛される生き方を自らの生き方とした。しかし、そうした平和で牧歌的な生活は長くは続かなかった。恐らくは、物々交換の経済から、貨幣経済へと変化し、他人を出し抜いてボロ儲けする不埒な輩が幅を利かす時代が到来すると、正直者が損をする現代と大差ない歪で嫌な風潮が、炎の様に人々の純真な心を火傷させ、その傷が心全体に悪影響を及ぼして、悪習が世の中に蔓延するに至ったのでありましょう。 正直者がバカをみて、悪党だけが大笑いする社会が到来し、定着すると、悪知恵に長けた者が我が物顔に社会の上層に伸し上がり、支配者面をして憚らない。もう正直などクソの役にも立たないのだ。人々は心の底で自分自身にそう言い聞かせる。正義は必ずしも勝たない。それどころか、勝てば官軍でそのまま居座ってしまえば、悪も善もないのだ。 人々は必然的に、人を押しのけて勝つことだけを目指すようになった。手段は武力であり、次いで、金銭力・資本力の時代が来て、今日に及んでいる。 正直は無用の長物と完全になりおおせてしまったのか。イエス、そして、ノーである。少なくと、日本の神々は庶民を見捨てたりはしていない。イエス流に言えば、正直者は地の塩である。この世になくてはならないものだ。たとえどの様な時代が来ようとも、正直という徳は私たちに必要不可欠な最重要な、生きるに欠くべからざる要件で有り続ける。 貨幣経済が悪いのだと言っても始まらない。便利という魔物の魅力は今尚健在であり、これからも姿形を変えて我々を蠱惑しまくるであろうことは、想像に難くない。覆水盆に還らず、一度覚えた便利の甘さは捨てられはしないだろう。 貨幣経済だけではない。何にしろ今現在あるものは、在るべくしてある。つまり、人々がそれを欲したから。今ある何かを在るが故に糾弾することは、つまり欲したことは悪いことだったと、へそ曲がりな不平を鳴らすだけの児戯に等しい行為とは言えない行いである。 生きてある限り人は、何事かを欲し続けるであろうし、欲するとはある種闇雲な衝動である。闇雲な衝動に注文を付けてみたところで、何も良い結果は出て来はしないのだ。然らばどうする? どうも出来はしない。出来るとしたら、悪足掻きだけだろう。 方向転換しよう。正直の反対は、邪悪でねじ曲がっている根性、と言う事になろう。現代は少なくとも私の知る限りではその最たる時代である。振れるだけ振れたら必ずその反動が来る。しかし、しかし泡粒の様にたまゆらの間に生まれ、次の瞬間に消えてゆく個人はその時、最も振り切れて反動に移る瞬間まで待つことなど許されてはいない。然らばどうする? 今の状態で、自分の欲する事柄を心の底からの叫び声として、精一杯に叫ぶことだ。これなら、たまゆらの命にも可能なことだ。だから私は今、叫ぶ、無駄だと知りながら、焼け石に水と百も承知で。風が吹けば桶屋が儲かり、砂漠に吹いた一陣の風が何処かで大竜巻に変じることを信じて、神に祈る、私の慈愛溢れる慈母の如き神に祈る。 正直者よ、心の中で、真心を込めて、結集しよう。これ見よがしに街頭でデモを、示威行動をしてみせるのではなく、静かに、一人で、しかし念力の限りを尽くして、一心不乱に心を互いに通い合わせよう。正直者が一番得をして、根性曲がりや邪悪にねじ曲がった輩が割を食う世界の実現を、願おう。 そんなことは念じても、願っても、無駄なこと…、ええ、ええ、そうかも知れませんね。でも、と私は思うのです、私たちの願望が本当に切実であるならば、願いが偽りのまやかしでないならば、神は手助けをして下さる筈だから。だって、そうじゃありませんか。今日の唾棄すべき世を到来させたのも、元はと言えば人々の欲し方が熾烈で尋常ではなかったからではありませんか。 えっ、邪悪や捻じ曲がった根性の方が、正しく素直な気性より勝っているですって。とんでもない、とんでもない、人間は、人はそんなものじゃあ御座いません。私の知っている人は皆、根は善人です。根っからの悪人は誰もいないのです。それに間違いなどありません。 人が望んで今日現在があるのなら、人が望めば明るい未来を、望むがままの将来を招き寄せることは可能です。もし出来ないとすれば、それは人間が心底からは望んでいないから、に間違いないことなのです。 成せばなる、成らぬは人の為さぬなりけり、といみじくも昔の人は喝破しておりますね。 画家は絵筆と画材で、詩人は言葉で、表現者は演技で、科学者は理論と思考で、私は念力で勝負、であります。 私は「私の神」が真実に信じられなくなったら、そんな時は断じて来ないと固く信じてはいるのですが、万万一、そんな空恐ろしい時がきたとしたら、ああ、考えるだけで鳥肌が立つのですが、その時には仕方がない。一人し静かにこの世フェイドアウトするつもりです。出来るだけ、他人様に迷惑が掛からない工夫を慎重にした上で ―― こんな風に最悪中の最悪をも想像上で想定した上で、私は根っからの善人、史上最低のお人好しでありますから、私に残された寿命の範囲内では、このワーストエンドはやって来ないと、どこかで高を括っているのでした。ええ、ええ、私は底なしの楽天家でもあるのです。 そのバカバカしい程のお人好しさ加減を鮮明に浮き彫りにしているのは、私に悦子と言う素晴らしい女性を出会わせて下さった「観世音菩薩」を筆頭とする諸仏・諸菩薩の、実に勿体無く、有難い御配慮を疑うことなどとても、とても出来ない相談だという事実であります。 これがある限りは、私に限っては、人間に、正直者に心底絶望することなどは、金輪際ないことなのです、金輪際ないことなのですよ。
2020年10月22日
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今回はテーマを定めずに、私に縁のある数字の 八 に因んで書いて行きます。どれだけ筆が伸びるかは保証の限りではありませんが、兎に角書く事にしましょう。 私は、昭和十八年の八月二十八日に生まれています。八月二十八日は奇しくも文豪のゲーテと同じ誕生日であります。勿論これ、何の因果関係もありませんが、少年の日にこの数字の偶然を知った時、何か単なる偶然とは思えなかった。 丁度、人生とは何ぞや? 自分がこの世に生まれて来たのは何の為だったのか? そもそも、この世に生きることはどの様な意味があるのか? 云々、かんぬん…。―― 漠然とした不安感がなせるわざでありましょうが、兎に角、一度この種の疑問と不安に取り付かれると、「無意味な不安、無意味な疑問」などと取り澄ましてはいられなくなる。だが、そんな自分の疑問や不安に、誰も答えてはくれない。誰だって自分の生活に精一杯で、その様な非生産的な苦悩にかかずりあっている暇はないのだ。先ず、何をおいても「食うことが先決問題」だからして。 当時の私はまだイエスキリストの「人はパンにみにて生きるにあらず」という、有難い救いの言葉を知らなかった。本を読むなどと言う高級な業も身につけていなかった。幼い私は一体どうしたらよいのか。 どうも出来なかった。出来ないままに、周囲との違和感だけが意識されて始終私の意識を刺激し続けたのでした。所で、私は物心がつくと既に薄暗い映画館の中にいて、モノクロの大画面に視線を注いでいた。画面には時にフランケンシュタインの幽霊の醜怪な姿が蠢いていた。また、時にはターザンやチンパンジーや恐ろしいワニがその躍動する動きと共に、幼い私を理屈抜きで魅了した。 私の父親が映画、それも最新の外国映画を鑑賞するのが大好きで、週末には決まって近所の洋画館に足を運んでいたのだ。全体の筋など分からなくとも、映画は不思議な魔術で私を虜にした。 私に限らず、当時は大人も子供も、挙って映画に特別の興味と関心とを抱くようになっていたようだ。 それから直ぐ、空前の大映画ブームが日本中を席巻して、日本映画も外国映画の後を追うようにして、私達日本人の娯楽の王座を占めた。 不安も疑問もないのだ。大きなスクリーンに観入っている限り、胸をワクワク、ドキドキさせるだけで兎に角時間はアッという間に過ぎていくから。 全生涯をワクワク、ドキドキの連続で過ごせたら、そんな幸せな事はないだろうが、そうは問屋が卸してはくれない。 私の十代は勉強一筋でやるしか他に選択肢はなかった。中学生の時に運動神経はまあ抜群と言えるレベルだったから、そういう方向性も見えなくはなかったのだが、スポーツに将来を賭けるには、当時の我が家の経済状態が、それを許してくれないほどに窮乏していた。スポーツは勉強よりもとにかくお金がかかるのである。とにかく勉強ならお金がなくとも、貧乏でも、自分の努力次第で将来の明るい希望に期待する道はあった。 数字の八の末広がりに夢を託すしか、未来は見えなかった。当時の私には我武者羅に勉学することしか許されていなかった。であるからには、脇目も振らずに目の前の一筋の光を追って進むしか他に手はなく、私は運命の命ずるままに生きた。 幸いに、成績は悪くなく、何処へ行き着くとも知らない旅は、私をテレビドラマのプロデューサーの職業へと導いていた。真っしぐらな一本道と見えるのは、結果論にしか見えない。紆余曲折、様々な回り道を経ているのだから。 末広がり、つまり先に行く程に運が開け、幸運に浴する機会が増えるとは、よく言えば大器晩成型と言う事になるが、大器と言っても最初から高の知れたそれである。 それでも、成程、私の人生は年を追うごとに段々によくなって来ているようだ。独身の時代には暗い人生観から、仮に結婚できたとしても、子供は儲けないつもりでいた私が、今は息子二人と平和で明るい日々を送っている。「何事にも強引な」悦子の「無謀な説得」に乗せられたのだとは言え、結果は誠に結構な上々首尾なんだから、末広がりの大器晩成は私なりの実現を見ている。実に悦子さまさまで、悦子を通して差し伸べられている神の広大なる慈悲心に、感謝し、また感激する事頻りなのでありました。 私は幼児期から数えると何度も転居を重ねている。指折り数えてみたら、今の草加で十度である。どんどん良くなる法華の太鼓ではないが、まずはそんな風に受け止めて間違いない。 今、最愛の悦子に先立たれたとは言え、幸運の方は良い方向へ際限もなく伸びて、留まるところを知らない風である。これも末広がりの八に予告された、持って生まれた果報のお陰様であります。 今は昔の楽隠居ならぬ、貧しいながらに年金生活を、殆ど明日の憂いもなく送ることが許されている。台風や豪雨禍などからも被害を受けず、これと言った心配の種もない。無い無い尽くしで結構尽くめと来ては、勿体無くて、何か世の中に御恩報じの一つもしなくては、済まないような気持ちで一杯なのだ。 お金以外なら、大抵の相談には利益を度外視してサービスと奉仕にこれ努めるつもりで居ります。どなたでもお気軽にご相談を持ちかけて下さい。 以前にも、こう言う趣旨の呼び掛けをしたことがありましたが、余りに美味過ぎる話には、誰もが警戒するようで、話に乗ってくるお方は数人にしか過ぎませんでした。詐欺師などの危ない罠には易々と乗って泣きを見る人が、世の中には驚く程に多く居るというのに、純粋に好意を以て役に立ちたいと願う私のような者には、人がそっぽを向きたがる。実に「面白い」と思うのですよ。 私も好んで、大変な人助けなど進んでしたくない。でも、無駄でも、役に立たなくとも、とにかく呼びかけを積極的にするように、私の神が、私に何度もそう命じている。サインを送っている。直接にあなた御自身の事でなくても、周囲に善良なお人が無慈悲にも苦悩や困難を抱えていると見て取ったなら、取り敢えず御一報下さいませ。 「私の神」などと言う何処か怪しげな表現をするものですから、尚更、人は不審を抱き、尻込みするもののようであります。損得勘定抜きの 純粋な善意 など、この世にあった試しがない。健全な常識は私たちに正しい判断力を持たせています。正しい事、世のため、人のためになる仕事をして、正当な対価を得る。これ、何も資本主義の世の中でなくとも、いつの時代でも通用するもの。私はそれに敢えて、異論を唱えるつもりはありません。ただ、それ以外には正しい人間の行為は無いと、無意識に考えている大人たちに、本当にそうでしょうかと疑問を呈し、一考を促したいと考えるものなのです。 私の知っている昔の庶民は、大多数が無償の善意の持ち主だった。情けは他人の為ならず。世の中は持ちつ持たれれつ。渡る世間に鬼はなし。等などと、私の認識が根拠のない空論でない証拠はいくらでもあります。年寄りの言い草としての「昔は良かった」式のセンチメンタルな懐古趣味ではなく、私の接し得た東京下町のお節介なおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんたちの行動や言動の中に、一種の伝統文化として脈々と生きて働いていた。 どうしてこうも急激に世の中が殺伐として、大勢が血眼になってマモン(富・財)の尻ばかり追いかけるようになってしまったのか。本当に嘆かわしい限りであります。 金銭欲と権力欲と色欲、一旦これらの欲に目がくらむと際限もなく欲望のどつぼに嵌りこんでしまうのが、人間の持つ悲しい性であります。君子危うきに近寄らずと申します。私は勿論君子などではありませんが、若い頃から金銭欲と権力欲の虚しさを、他人の身の上としてよく知らされておりましたので、巧まずしてこの二つの熾烈な欲望の虜になることは、免れて居ります。と言うよりは、貧乏生活に馴れ、貧乏に安住することの気安さを知ったので、これらの欲に溺れることは、これからもないだろうと思っています。 色欲だけは人並みと言うか、死ぬまで惑いの迷妄を脱する境地には程遠いのですが、幸いなことに、私の知る人間界には、クレオパトラや楊貴妃、或いは小野小町や衣通り姫の様な絶世の美女は現代では見かけなくなってしまったので、私がハメを外して恋焦がれる様な事態は、幸か不幸か金輪際ないわけで、心安らかに現状の平穏さを保てる安心を得ております。 晩年の平安とは、何と幸いなことでありましょう。この幸運を得ているからには、何とか幸せ薄く、不幸に災いされている人々に、手助けの網を投げ掛けて上げたいもの。そう、ついつい考えてしまうのですが、世の中は上手く行かないのが常で、手助けを必要としている人と、手助けを進んで与えたい人のタイミングが合わず、イスカの嘴と食い違ってしまう。 私の場合、古典名作の白眉である「源氏物語」の現代語訳を死ぬまで続けようと決意しているのも、私流の手助けの網のかけ方なのでして、私にできる精一杯の社会奉仕の実践なのであります。 宝の持ち腐れとはこの事で、日本の古典は宝の山なのですが、明治の開国以来、富国強兵にめいっぱいで、自国の伝統文化など注意を向ける暇すらない、「文化貧乏」のお国柄、ノーベル賞に興味関心を抱く事はあっても、祖先の残した足跡に新たなる視線を向けて、自分たちの将来の確かな指針とする生き方は、全く顧みられないのでありました。 国家百年の計と言いますが、百年どころか明日のことさえ見据えることは叶わず、腰がフラフラしている。実に嘆かわしい。嘆かわしくとも、悲しくとも、これが私たちの現実であります。此処からしか、確かな道は切り開けない。右顧左眄する必要はない、「和を以て尊しとなす」日出る国の民に相応しく明るい未来を呼び寄せるべく、貧乏をいたずらに恐れることなく、勇猛果敢に、世界平和の為には、敢えて一命を捧げる気概を胸に、トップランナーとして己の生まれた国を、真の一等国に押上げようではありませんか。 ( 焼け石に水、糠に釘、暖簾に腕押し、馬耳東風、猫に小判、何か不安材料ばかり頭に浮かびますが、私の神が命ずるが侭に書き記した、次第です ) 同志よ来たれ、来りてこの指に止まれ!
2020年10月19日
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今回は、妹について書いてみます。 実は、妹について書くにはあるリスクが伴うので、実は躊躇する気持ちもあるのですが、その気持はすでに克服しました。 私と妹の郁恵とは、幼少の頃から、五十五歳で病死するまで、常に非常に「仲良し」でした。板橋の実家に私が家族と一緒に生活していた頃、御近所の主婦が、「克征ちゃんと郁恵ちゃんはまるで恋人みたいに仲がいいね。あんなに仲良しの兄妹も世の中には珍しいよ」と、母に告げたそうです。母曰く、「あの人はね、根性が悪くて、他人の事を悪く言っても、褒めるようなことはないのだよ」と。 そうです、他人から見た私と妹の関係は恋人同士のように見えていたようです。 妹の郁恵がまだ三歳位の幼い幼少期に、妹は母の仕舞い忘れた裁縫用の裁ち鋏で遊んでいて、誤って自分の左目を突いてしまった。今では裁ち鋏と言っても知らない人が多いでしょうが、刃の先が鋭く尖っているので、それで瞳を傷つけてはひとたまりもありません。不幸中の幸いと言うか、上野池之端の眼科の名医の適切な処置で、最悪の両視力喪失という事態は免れる事が出来ました。 つい昨日まで、非常なお転婆ぶりで活発だった妹が、青菜に塩とはこの事と言った意気消沈ぶり。幼心に私は妹が不憫で、不憫で、仕方がありませんでした。そして、将来は医者になろう。そう決心しました。決心しただけではなく、学校の担任や家族にもそう告げたのでした。勿論、その理由は明かしませんでしたが。 するとある日、同居していた父方の祖父が、「克征、お前の気持ちはわからないではないが、今の医学の水準では、いや、将来の医学の進歩があっても、一旦視力を失った者に視力を回復させることなど、不可能なのだよ。残念だがね」と言って、幼い私の無謀な計画を断念させたのでした。 私に一体、医者になる能力があったか。また、家庭にその財力があったか。それは自ずから別の問題でした。私としたら、罪もない妹が理不尽にもとても耐え難い不幸に見舞われたことが、我慢できなかった。まだ、神を恨むことさえ知らなかった、六歳か七歳の少年に何が一体出来たでありましょう。 例えば、学校で仕入れてきたばかりの面白い話を、夜寝る前に妹に語って聞かせた。すると幸いなことに無邪気な妹は、手放しで喜んでくれた。「克坊兄ちゃん、また、あの狼の話をして頂戴ナ」と毎晩の様にリクエストがありました。私は気をよくして、精一杯話を膨らませて、瞬きもせずに私の口元に視線を向けている妹に語って聞かせた。話の内容は、大食らいの狼が子供たちを大勢食べてしまった挙句に、調子付いて、食べ物を散々食べ尽くした果てに、ついには食べ物ではないものまで口にして、最後にはナイフや包丁まで食べてしまい、一旦は狼の餌食になった元気な子供たちが、そのナイフと包丁を使って狼のお腹の皮を切り裂いて、無事に生還するという、一種のナンセンス物でした。 妹が余りに面白がるので、私も精一杯話を膨らませ、演出にも工夫を凝らして、妹を楽しませることに成功したのでした。 話は飛びますが、片目の視力を自分の過失で失った妹ですが、ごく限られた人だけにしか自分の身体的なハンディキャップを告げないで、妹は一生を健気に通常の健常者として、立派に生き抜きました。そして、普通高校を優秀な成績で卒業し、ある生命保険の会社に通常の社員として入社し、上司たちから特別に贔屓にされた模様です。そして、結婚。それにつては次のようなエピソードがありました。 プロポーズを受けた際に、相手にこう言ったそうです。「私のすぐ上の兄に会ってください。その兄がOKを出せば、私も大丈夫です」と。これを聞いた私も驚きましたが、相手の博君は開いた口がふさがらない思いをしたようであります。親の承諾と言うのはよくありますが、次兄の審査を受けろと言うのは、先ず聞いた事がなかったから。またまた、話が少し飛びます。 晩年の父親に、妹が非常な親孝行で仕えた。そう言った現代の珍しい美談であります。 父の事はブログでも殆ど触れていません。私が触れたくないと思っていたからです。ですが、妹のことを話すについては父の不祥事を端折るわけには行かないので、簡単に暴露致します。 父は、若い頃の父は事業をする上でなかなか目端が利き、戦後という混乱期という要素も味方して、かなりのボロ儲けをした。しかし、様々な要因が重なって、中年にしてサラリーマンに転向せざるを得なくなった。ぼう大手銀行に中途就職をしたのですが、定年を間近にして、女子行員と、それも実の娘以上に年の離れた若い女性と男女の関係になった。のぼせ上がったのは父親では無く、女性の方だった。女性の両親が荒縄で娘を柱に縛りつけても、それをいつの間にか振り解いて私の父の元に走った、らしい。 父としては男の最低の責任を取る形で、母に無理やり離婚届けに判を押させ、その女性と所帯を持った。土地勘のあった王子駅に近い堀船で赤提灯・もつ焼き屋を夫婦して営み、当時職人の街と言われた場所で、大変な繁盛店に盛り上げた。しかし、やがて父の後妻となった女性が常連客の一人と駆け落ちして、年老いた父は寂しい晩年を迎えるに至った。( ああ、疲れた。さあ、ここからまた妹の話に戻りますよ ) このもつ焼き屋「正美」を、妹が本格的に手伝うようになった経緯です。それまでにも、忙しい時に臨時のアルバイトとして、何度か店を手伝っていたが、「気の毒」な父親の為に、一肌も二肌も脱ぐ気になったのもとても優しい妹の心根が、そうさせたようです。もう一つ、夫博君との夫婦仲も悪くなりかけてもいた。妹は元々客商売が肌に合っていたのでしょうか、「掃き溜めに鶴」のような妹の美貌や容姿に惹かれて通う常連客も少なくなかった。父の為と始めた客商売だったが、だんだん面白くなって、生きがいと感じるまでにのめり込むのに、そんなに時間はかからなかった。 私は、プロデューサー稼業が一段落ついた頃で、時折「正美」に通って、店を早仕舞いした妹や、常連客と色々な場所に飲みに歩いた。勿論、カラオケも散々歌った。妹は歌の方もなかなか上手で、天童よしみの「珍島物語」や、加藤登紀子の「百万本のバラ」などは十八番にしていました。 ここで、私の十八番の愛妻・悦子に登場してもらいましょう。悦子は、郁恵と私の仲にひどく嫉妬したのでした。悦子が具体的に嫉妬した女性は、私の母と妹だった。 私は、綺麗事を言うわけではありませんが、所謂浮気をした試しがありません。「私も女ですから、浮気をしたのが解かれば、嫌ですから、浮気をするのなら、私にわからないように上手くしてくださいね」、と悦子は言った。私の母と妹との関係は悦子にとって「浮気」以上に忌々しい、嫉妬の炎をいやが上にも煽り立てるものだったようです。 こんな事があった。仕事の関係で、阿部 寛さんの舞台を両国で観た足で、タクシーを飛ばして「正美」に寄った。その夜は疲れている事もあって、外の店には私は行かなかった。家に帰ると、珍しく早く帰って来た私の顔を見て、「こんな時こそ、郁恵さんの所にでも、顔を出して上げれば喜んだでしょうにに」と悦子が柄にもなく言ったものです。私は嘘を言う理由もなかっが、何となく妹の店には行かなかったと、言ってしまったのだ。 所が、悦子はどういうつもりだったのか、翌日に「正美」に顔を出して、「克征さん、最近は仕事が忙しくって、此処にもなかなか来られないのよ」と、気の毒げに言ったそうだ。妹は、「あらッ、お兄さんなら夕べ寄ってくれましたよ」と、さも愉快そうに答えたとか。 さてここで嫉妬という人間に普遍の感情について考えてみたい。十分に満たされていると自足している者が、滅多矢鱈に嫉妬したりするものだろうか。病的に嫉妬深く生まれついた者以外、それなりの飢餓感を常に抱いていない限りは、通常は嫉妬を覚えないだろうから、嫉妬心を自他に対して発したりはしないはずである。 すると、母や妹に要らない嫉妬心を起こさせた夫たる私の責任である。嫉妬した悦子を責めたりしては断じていけないわけだ。当時は、若気の至りというほどには若年ではなかったけれど、人が練れている方であればすぐに反省して、それなりの対策を講じるなり、何らかの方策を立てたであろう。もう全てが後の祭りであるが、悦子許して欲しい。当時の私はそれなりに全身全霊で君の愛情に応えるべく、努力をしているつもりでいた。しかし、母や妹に嫉妬させるとは、どう考えても、私の愛情表現の不足であったと今の私には思える。 「正美」に寄って来たのに、寄らなかったと嘘を言ったのは、前の経験から要らざる嫉妬心を掻き立てる事は言わないで置く方が、得策だと、ただ深い考えもなくその場の判断で、口にしたに過ぎない。もっと賢明でフェアーな、逃げを打つのではなく、真正面から妻に向き合う努力を地道に続けるべきだったのに、それをしなかった。慚愧の至りである。 妹の話は常に悦子の蔭を意識しないではいられない。現実がそうであったから。妹・郁恵の最後について述べる際にも、それは免れないことだ。 郁恵は五十を前にして乳がんを発症して、医者の診断を仰いだ時には、即座に手術をしなければ余命の半年も保証できないと、癌研の医師から宣告を受けていた。妹はそれを無視して、「正美」の仕事を続けた。手術を受けたのでは今の仕事を断念しなければならないだろう、そう考えた。生き甲斐を捨てては生きていても意味がない。そう、いい悪いではなく、決断した。私は後で妹からその話を聞いて、妹らしいと思った。彼女の人生である。思うように生きるのが良いのだ。私は可愛い妹の生き方、死に方を背後からじっと見守るしかない。 妹は、五十五歳で築地の聖路加病院のホスピス病棟の、まるで豪華な高級ホテルのような病室で、静かに息を引き取った。臨終の直後に、ベットに横たわる妹の全身の上に、鮮やかな金粉が数秒間立ち篭めていた。殆ど徹夜状態で看病していたから、異常な神経が私にだけ西方浄土からお迎えに見えた阿弥陀如来様の神々しさの片鱗が、垣間見えたのだろうか。その時に私は、「分かったよ、君は十分に美しいよ」と周囲の人に聞こえる声音で言っていた。その心は、自分の美しさをベットサイドを取り巻いた皆に、誇示したかったのかと感じたから。立ち会っていた看護婦さんの一人が、そんな際なのに「クスッ」と笑ったのを、何故か覚えている。 悦子のこの際の反応その他については、あまり諄くなるといけないので、省略します。源氏物語の作者から学んだ手法です。
2020年10月15日
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今回は私の母親について書く事にしました。 当然の事ながら、私と母親との結びつきはとても深いものがありました。病弱だと自覚して、短命であるような事をしばしば口にしていた母ですが、一族では一番の長寿者で、九十六歳の天寿を全うしたのです。 亡くなる数年前から自宅、つまり私の所で訪問看護、訪問医療を受けていたのですが、実にやすらかな最後を迎えて、あの世へと旅立ちました。息を引き取る数分前まで、何か楽しげに、まるで少女の頃に体験したお祭り気分で唄を歌っているような様子でしたが、やがて静かになったので、おや、寝込んでしまったのかなと、何となくベットの上の寝顔を覗いて見てみると、どうも息をしている感じがない。私は、瞬時に母の死を直感しました。悲しみは少しもありませんでしたね。ご苦労様でした、ただ一言そう言ってあげたい気持でしたよ。 実際、母の人生は苦労の連続だったと思います。そうは思いますが、最後の永眠の際の様子と言い、息子の私の受けた印象から言えば、とても幸せだったと結論づけて良いのではないでしょうか。 よき母親だったし、よき妻であった。これだけでも母は間違なく幸福な人生を全うした女性であったと表現してよい。そう私は確信して居ります。父親も、何度となく浮気をして母に悲しい思いをさせた父ですが、最晩年に手酷いしっぺ返しを被った後で、「御前ほど自分にとって素晴らしい女はいない」と言う趣旨の懺悔の言葉を母に向かって吐露したと、聞きました。この言葉を聞いただけで、母の父に対する恨みつらみの感情は綺麗さっぱりと消えてしまったことでしょう。 終生にわたって、善き父親であった人の名誉の為にも、身内からのスキャンダラスな浮気の事は、最低限にして、私と母とのまるで 一生を通じた純粋な恋愛 のような、ラヴラヴの関係についてある程度具体的に述べてみたいと思っています。 母親が子供を愛し、息子が母親をこよなく慕う。ごく当たり前な、ごく普通の現象でありますから、この母子の愛情交流を、殊更に純粋な恋愛になぞらえるのは、どうかと思われる向きもありましょう。が、私は最愛の女性の悦子から、強烈な嫉妬を受けて、初めて我々の関係が少なくとも通常の親子関係を遥かに凌駕するそれであったことを、正しく自覚するに至った。 母の話によると幼いよちよち歩きの私が、横須賀の海軍関係の病院にちょっとした病を得て入院していた父と久しぶりの再会をした折の事が、忘れがたい思い出だと、ある時に聞いた事がある。「父子って本当に不思議なものだと思った。顔など覚えている筈のない幼児のあんたが、お父さんが、克坊 来いって言ったら、直ぐにその腕の中に飛び込んで行ったのだからねえ」 そう、実に懐かしそうに語った嬉しげな母の顔が何故か忘れられない。 そう、母にとっての私は、何歳になってもその時の幼い カツボー だったに相違ない。例えば、中学校の父兄会でやって来た母が、私の姿を見かけるなり「かずぼう」と大きな声で呼びかけて来た時など、私は自意識過剰の思春期にありましたから、何処かに穴でもあったら姿を隠してしまいたいと思うほどに恥ずかしい思いに襲われた。中学校では運動に、勉強に精一杯に頑張って、面白いように同級生や後輩達から尊敬や羨望の眼差しを非常に多く受けていた、謂わば一種のヒーロー的な存在だったから、無意識のうちに過剰な気取りの感情に支配されていた。その周囲の注目の的たる私が、カズボー ではいくら何でも形無しではありませんか。 しかし、無邪気そのものと言った母は全く意に介する風もなく、その場の空気など「どこ吹く風」と澄ました顔をしています。私の克坊を母親の私がカツボーと呼んで何が悪い。そんな面持ちで動じる風などかけらもありませんでした。 兎に角、十歳を過ぎた頃から、私は母親にとって一種のアイドルであり、自慢の息子でした。目の中に入れても痛くない、という比喩はこの場合にぴったりと当て嵌るのでした。それは母の死の瞬間まで続きました。私は後年、D H ローレンスと母親との関係によく似ていると思ったものでした。 その家庭の味、つまり母親の味が子供の食の趣味を決めると言う事ですが、私の場合にも、基本は母親の作ってくれた料理の味加減が、べースになっている事を、大人になってから自覚しました。 母はあまり裕福でない家庭の四番目に生まれました。年頃になると、当時の風習もあって経済的に富裕な家庭に行儀見習いに出されて、一通りの行儀作法と料理などを、その家庭の奥様から厳しく教え込まれたと言います。そのせいでありましょう、神経質なくらいに家の中を掃き清めないと気が済まない、気質を身上としました。また料理の腕前も相当なものでした。上品な薄味が基本でしたね。幼い頃に母の作る料理は全部好きでしたが、特に稲荷寿司と自家製の中華そばはいくらでも食べれました。 後年、私が成人して母と一緒に外で食事をした際など、不味くても美味しくても同様に黙って食べているのですが、その態度でどちらなのかは、直ぐに分かりました。美味しい時には驚く程に食が進んでいるのですが、反対の時には直ぐに箸を置くのがお定まりでした。 独身の頃に、よく母をレストランや料亭などへ連れ出し、当時の私としては大盤振る舞いをしたのですが、その時も無言でしたが、年齢の割には随分と食がすすんでいました。恐らく非常に美味しいと感じていたに相違ない。 母親譲りと言うか、私は特定の料理を好きなのではなく、食べて美味しく感じたのが、その時の一番の好物になります。カツ丼だったり、すき焼きだったり、ふぐ刺しだったりと、様々です。 ある時に、母を浅草の名店・飯田屋に誘ったことがある。母は実に美味しそうに名物のドジョウ汁を食して、娘時代に一人で時々このドジョウ汁に舌鼓を打ちに来た事を、懐かしげに語った。若い頃から、なかなかの食通だったことが知れて、私は面白く感じたものだ。 母は又、なかなかの器量よしで、和服の着こなしなどもセンスがあったらしく、若い頃から美人を鼻にかけていた父の妹と一緒に食堂に入って休憩がてらにお茶など飲んでいる際に、席を立とうとする母に、連れの叔母が、「あんたをスケッチしている人がいるから、もう少しモデルを務めておやりよ」と、如何にも忌々しげに言うような事が、一再ならずあった。母は笑いながら、「勝子さんは美人の自分ではなく、へちゃむくれの私に男性の注目が集まるものだから、あんたは和服の着こなしだけは、私より少しだけいいからね、そんな風な言い方をしたものだよ」と当時を懐かしむ様な顔になって言ったものだ。 母は大正生まれの女性としてはごく普通の学歴しかありませんでした、広い意味での教養の高い趣味人でもありました。着物を選ぶ鑑識眼は中でも相当に高度のものがありました。人形の顔や焼き物の好みなど一流大学出の息子など、及びもつかない嗜みとしての教養が自然に身についていた。 身だしなみとしての化粧と言う事をよく言っていましたが、素肌に近い薄化粧をモットーとしていて、よく「人を食ってきたような唇は、女の恥だからね」などと、妹に言い聞かせていました。 控えめで謙虚、何時も夫からは半歩下がって歩く。夫を立てるのは女として当たり前の事。そう自然に行動出来た賢婦人を絵に描いたような旧時代の女性の典型ですが、嫁の悦子を、男勝りで、はっきりと自分の意見が言え、我が物顔で自由な行動する姿を、確かに羨望の眼差しで見ていたようです。 惚れた男の産みの母親ですから、悦子としては精一杯の義母孝行に努めてくれました。相当に無理をしてくれていました。そして、この母に対して、悦子は一人の女として強い嫉妬の感情も抱いていた。私の方で呆れて開いた口が塞がらない程に。 考えてみれば、母の方でも素晴らしい嫁である悦子に密かに嫉妬の炎を燃やしていたやも知れず、それも道理で、「母さんの永遠の恋人」(― これ、姉が母と私の一種異様な関係を称して言ったもの)を突然に横取りしてしまったのですからね。 こういう象徴的なエピソードがありました。私が家を出て、西大久保に部屋を借りた時期に、母は板橋から定期を買って部屋の掃除に家政婦のように通っていた。私が頼んだのでは勿論ありません。カツボーが一人で生活しているなど、とても放って置くわけにはいかなかったのでしょうね。これを知った当時の売れっ子シナリオライター・市川森一は口をぽかんと開けて、「古屋さんは、一体、どの様な生まれ素性の御方なのですか」と、母に根堀り葉掘りしつこく尋ねたそうです。その後で、母は私にこう言いました、「目つきの悪い人だね。あまり深いお付き合いはしないほうが利口だよ」と。 ついでと、と言っては何ですが、やはり有能で、当時早くも非常な売れっ子だった長坂秀佳の御母堂と初対面の際に、「古屋さんは、皇族の出なのかい。御前の友人であんなに上品で、お淑やかな方はいなかったからね」と長坂氏に語ったとか。私が、「冗談を仰っのでしょう」と返すと、「俺のお袋は、冗談などは一切言わない、大真面目な女だからなあ」と、これも大真面目な顔をして秀佳はいったのです。 私は、実質的に、皇族に劣らない養育を受けて、乳母の如き母親に蝶よ、花よ、と大切に育てられたも同然だったわけでありました。私も、開いた口が塞がらない程に吃驚仰天してしまいましたよ、実際の話がであります。
2020年10月12日
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今回は「 魂の貴族 ― 天上界からの使者 」と題し、予告した通りに書く事にします。 魂とは人間の肉体という場を借りて霊妙な活動をする精神の部分を指して言うものです。そして、天上界とは比喩として言う世界で、地上よりもより高貴で清潔な魂の住処を表現するものです。 今の日本では、皇族方を除いては皆が「平民」でありますが、この魂・精神のあり方や働きからして、謂わば貴族とそうでない唯の人とに分かれます。誰が分けるのか今の私には定かでありませんが、その人に直に接した感触で、その高貴度は直ぐに識別可能です。厳密な差別や等級と言った便利な識別法は特にありませんが、特別の能力を使用せずに誰にでも判別可能であります。ただ、正直で素直な心さえ持っていればそれでよいのですね。 さて、前置きはこのくらいで済ませて、直ちに本題にはいりましょうか。私は 素敵な少女 について書こうと思い立った瞬間から、心がバラ色に染まって、明るく、軽やかな気持ちに包まれている。謂わば一種の神のお告げが突如として私の身に降りて来たからなのでしょう。 ご承知の如く十五年間ほど或る大手の学習塾で講師をしていました。何故か、成り行き上で結局、小学校の低学年生から、大学浪人生までを担当することになり、しかも驚くべき事に全教科を、英語・数学・国語・古典・社会(歴史、公民を含む)・理科(生物、物理、化学を含む)など、現在の高等学校までの学校教育で教えられている全てのジャンルを指導したのであります。念の為にお断りいたしますが、私の在籍した学習塾は講師の大半が現役の大学生か大学院生で、それぞれが得意の教科を一つ乃至二つ担当するのがせいぜいで、私のようなケースは稀な中でもレアーで、自分でも驚いているくらいです。もう一つこの学習塾での売りが、生徒が講師を指名出来る指名制度が有った事です。自分で言うのは気が引けますが、教授法を含めた人間的な魅力において、この学習塾の中では傑出していたからなのでありましょう。 ついつい、自慢話が長くなりましたが、冗談は抜きで、ともかく人気が抜群だった。これ、自慢などではなく、ただ単に事実を述べただけにしか過ぎない。 実に多くの魅力あふれる子供達との出会いがあった。中でも、際立って優秀な高校生との幸運な出会い ―― ようやく本題の核心に辿り着く事が出来ました。 ( よかったです ) この女子高生は姿形だけでなく、頭脳も抜群に良かった。従って学習塾とか家庭教師などとは無縁の筈だった。何か人知れない悩み事でもあったのでしょうか、ある時に突然成績が振るわなかった。普通の平均的な生徒であれば何ら問題のない位の、スランプさ加減だった。所が、几帳面で生真面目な彼女はひどく落ち込んで、母親と相談した上で、入塾を決断したようです。 最初は数学だったと記憶しています。ユニークな校風で知られた私立の高校でしたから、非常に学習の速度が早い。三年間で通常学ぶ範囲を一年余りでカヴァーしてしまう。それも、殆どが自学習主体で。どんなに優秀な生徒であっても大変な作業です。とにかくも、その御蔭で私としては幸運な出会いを得た。神の配剤でありましょう。少女は直ぐに担当講師に私を指名した。彼女が出来ないと悩んでいた単元も、丁寧にごく常識的に指導すれば、直ぐに理解する。指導するのに何の困難さもない。言わば、学校の指導法が無理を強いているだけで、生徒の側に問題はないわけだ。私は自分が感じたままを彼女に率直に伝えた。彼女の表情は別人の如くに明るくなり、学習自体が楽しいと感じるまでには、三ヶ月とかからなかった。で、授業でも余裕が出来て、無駄話を時折交えるようになった。「先生、私、タレントとか女優とかになりたのですが、どうでしょうか」とある日、席に着くなりその少女が言った。 私がテレビドラマのプロデューサーをしていた事を口を滑らして言ったのかも知れません。兎に角、この種の話は若者から度々聞かされることがありました。成程、彼女は癖のない美人だし、スタイルも抜群によい。ファッションセンスなども垢抜けている。聞くと、度々、通学や買い物の際などにスカウトから声が掛かっていたと言う。私は即座に「それは止めた方がよい」と答えた。 売れっ子のプロデューサーだった頃にも、知り合いを通じて「タレント、乃至、俳優になりたい」志望者とは数多く面談している。そして、私は全員に希望を断念するように、丁寧に説明した。素質がないのが大部分だったが、中でも若い女性の場合、素敵だと感じた場合には、「タレントとか、俳優などと言う職業には、もうこの道以外には生きるすべが見つからない。そう言った、特殊な人以外には、足を踏み込むべきでない」旨を、懇懇と説いて聞かせたものであります。俳優・タレントなどと言うのは、文字通りに賤業、川原乞食の成れの果てであって、苦労が多いだけで、幸福な人生は望み薄である。そう、身近で彼や彼女たちと接している者としての意見を、正直に述べるのが常であった。 目の前の、この素敵な少女である生徒にも、同様の考えを述べた所、聡明な彼女はすぐさま、ニッコリと頷いて「先生、有難うございます。御蔭で、迷いがなくなりました」と言ったのでした。 その生徒とは自習で教室にきた際に、英語を指導しました。彼女の英語の質問は高校生としてはかなりレベルの高いものばかりでした。それから半年ほどして、彼女は教室に姿を見せなくなっていましたが、大勢の担当生徒を抱えていた私は、何となくその生徒の事を忘れていました。 ある時に、ふとした話の調子で彼女の事が当時の教室長との会話の中で、出て来たのです。教室長が言うには、「古屋先生に、古典を教えて頂きたいのですが…」と言うので、「古典などという教科は、学習塾で習うものではないよ」と言って、止めさせた。そう言います。 私は無言でしたが、何故か( 教室長は、私に嫉妬したな )と思ったものでした。教室としては、どのようなリクエストであれ、生徒が望むことに応えてあげるのが、商売上のマナーであり、唯一のと言って良いサービスだったからです。 この高校生との経緯は以上で終わるのですが、魂の貴族のテーマに関しては、ここから始まります。 つまり、私はこの生徒が天界からの使者であり、魂の貴族の典型であると申し上げたのです。 魂は目では見えませんが、心眼にはとても良く映ります。こちらの心・魂が汚れていたり、濁っていない限りはです。 俳優やタレントの職業的なスカウトには、外面に現れた要素だけが見えるし、それだけが選考する上での大切な要素なのですが、私のごとく、セミプロの魂鑑定人からすれば、スタイル・容貌など外見上の要素は余り関係ありません。強いて言えば、肉体を透過して衣服まで無視して外部に溢れ出る透明なオーラだけが重要な要素となります。 もっとも、特別な眼力をそなえていなくとも、そしてまた魂の貴族に関する知識を得る機会がなかった人であっても、相手と正対して接する機会さえ持つならば、天上界からの使者であるか否かの弁別は、容易に出来るのであります。 こうして書いてくると、魂の貴族になるには何か特別な資格なり、その為のトレーニング・修練が必要のように思われるかも知れませんが、そうではありません。愚見によれば、苟もこの世に人間として生まれたからには、少なくとも魂の貴族予備軍には配属されていると、言えるのですね。 しからば、どうして真っ直ぐに魂の貴族として成長を遂げるか、それとも己の進むべき正しいコースを逸れてしまうのか。それはつまり、その人自身の行き方が決めるのでありましょう。苦労したり、挫折を繰り返したりする度に、堕落したり、下降を繰り返す生き方が、その人の魂の貴族としての資格を徐々に失わせていく。逆に、同じような人生の試練が、その人を輝かせ、一層魅力ある人物へと成長させる。 こうした違いなのだと考えられる。世の中の現状を俯瞰して見たところ、貴族は実に寥々たるもので、魂の下賤、下人ばかりが世にはびこっている。 私は幸い、地上での魂の貴族としての仲間入りが出来ている。これは思うに、私の努力もさる事ながら両親を始めとした御先祖様達の何世代にも亘る営々たる努力があった上での、その余徳が子孫たる私に有難くも及んでいるわけでありますよ。 又、極めて少数者でしかない魂の貴族達に、希希ではありましたが、人生の随所で思いがけなく出会い、ささくれ立っていた私の心の傷口を有難い事に癒してくれています。その本当に有難い私の人生を象徴するかのような出来事が、あの少女との爽やかな邂逅であった。 七十歳を過ぎて十六歳の清純な乙女と恋に落ちたゲーテに憧れ、勉学の道に進んだ私が、ゲーテと同じような体験をするなどとは、余りにもラッキー過ぎるではありませんかね。もっとも、私の場合には恋とは言えないのかも知れませんがね。勝手に純愛と解釈しても、誰にも迷惑をかけませんので、ここは自分に都合のよい受け取り方をしておきます。魂の貴族たる私の生徒に幸いあれ!彼女なら、間違いなく、幸福な人生行路を歩むのに、相違いはありません。そして、また、勉強以外でも困ったことがあったなら、遠慮などせずに、私に連絡を下さい。ご承知の如くに、私は根っからの善人であり、お人好しでありますから、精々利用してやって下さい。
2020年10月09日
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今回は、人間て素晴らしい、をテーマに書いてみようと思います。 人殺しが三度の飯よりも好き、と言うと少々言い過ぎになるかも知れませんが、ともかく残念ながら欠点や短所の多過ぎる人間ですが、私も紛れもなくその一員である生命体を、悪くばかり見ていたのでは、何か夢見が悪くて仕方がありません。そこで、自己弁護も含めて 人間礼賛 を、可能な限り盛大に展開してみたいというのが、今回の目的です。どれほどの成果が期待できるのか、とにかく始めてみましょう。 マザーテレサ、の名前がいの一番に私の脳裏に浮かんで来ましたよ。ご承知のように、マザーテレサはノーベル平和賞を受賞していますが、とびっきりに素敵な女性です。マリリンモンローのお色気も勿論素晴らしいのですが、人間的な魅力と言うと点ではテレサの足元にも及ばないでしょう。私は人類の為に、マザーテレサが出現した事だけで、大きな救いになったと、彼女の垢抜けない「田舎女」じみた風貌とともに、心温まる気持ちがします。有難う、テレサさん。 次に、伝説の人物・行基菩薩を挙げておきたい。日本全国に今でも様々な伝説が残っており、庶民の生活と暮らしを幅広く手助けした生き仏様であります。普通の意味ではそう呼ばれませんが、真の意味の英雄豪傑とは、私はこの様なお方をこそ、そう尊称でお呼びしたい。文字通りに庶民に寄り添い、庶民の生活を底辺で支え、社会事業を通じての菩薩行を実践した稀有な御方なのです。 次は、私が勝手に押しかけ弟子になった哲学者のソクラテスの名を挙げたい。彼は宗教家ではありませんが、絶対者との対話を通じて、深く、深く、誰よりも「神」なる存在に触れて、熱く尊崇の念を胸に抱いていた宗教心の篤い賢人でした。このあとに人類の教師とも呼ぶべき偉人賢人の名を連ねるのでは余りに芸がありませんので、少し変わった視点で人間を、人類を眺めてみたいと思います。 母親のご苦労ということなのですが、その代表の様な産みの苦しみ、陣痛に着目してみたい。私は男ですから体験する事は出来ませんで、話に聞くだけでありますが、並大抵の痛さではないようです。母親になる女性は皆、程度の差はあるのですが、この陣痛という試練を通過する。生まれて来る愛児の為に耐え忍ぶ。本当に尊い事と頭が下がります。 男にはその代わり、と言っては語弊がありますが、兵役という苦役がありました。今の日本は徴兵制度がありませんから、自衛隊にでも入らない限りは戦争とか戦地での直接体験はなくて済むのですが、一昔前までは、そうはいかなかった。否応(いやおう)無く兵士として戦場に駆り出され、祖国の為に命を捨てなければならなかった。兵士として祖国に命を捧げるのは名誉なことと無理矢理に教育された。男子たるもの聖戦で没するのは名誉なことであり、それでこそ男子の本懐であると教え込まれたのです。 どんな時代に生まれても、人間に変わりはないのですから、死ぬのはどの様な理由があろうとも嫌であります。しかし、自分の死によって掛け替えのない父や母、兄弟同胞の命が守られるとなれば、話は違ってきます。戦争で死ぬのは嫌に決まっていますが、誰かが戦わなければいけない時が来たならば、そしてそれが避けることの出来ない事、運命であると見極めた時、人は甘んじてそれを受け入れて来た。それは実に立派なことであり、滅私奉公の美徳の極致でありました。 滅私奉公などと聞くと、反射的に野蛮で古臭い、唾棄すべきものと決めつけている心の狭い御仁がいる。どの様な美徳にも、裏側があるのは当然でしょう。私の利益を後回しにして、公の為に尽くして死ぬ。これこそ日本の誇る武士道精神の精華でありました。死が避けられないとき、男子たる者、甘んじて死を受け入れ、見事に果てる。腹切り、切腹のベストな形でもあります。 私は、自分の人生での体験から、男とは生来「女々しい、女の腐ったような惰弱な性質の者」と知りました。その反対に、女とは本来「雄々しくて、闘争的な一面を持つ」とも認識しております。よい悪いの問題ではありません。神はそのように男女を区別されて造られた。男女それぞれが互いにその弱点を庇いあってこそ、社会が延いては世界がより安定した、美しいものとなるように。 だから、男女ともに自己の弱点を最高度に克服した姿こそ、文句なく美しいわけであります。男女共にナイスなカップルはいるわけで、素敵だと感じるのは二人が揃っているからなのでしょう。とりわけ、私などは白髪と皺とで飾られた媼と翁の仲良く寄り添う姿を、最も美しいものと感じる者であります。昔から老人夫婦として表現される神のあり方が、安定して美しいと感じるのは、宜なるかなと首肯できるのです。 こうして見ると、人間の美しさとは上辺の美々しさには無く、内面の、精神的な輝き・オーラに懸っている事が知れますね。魂の美しさに関しては一朝一夕には実現できない道理で、どうしても成熟する年季というものが不可欠なのでした。 若さの美しさには、それなりの魅力があるのですが、時間によって日々に磨きがかけられる一層の輝きの点で、今ひとつ物足りない気がするのは、私だけでありましょうか。 年を取るほどに命が輝きを増し、美しさに円熟味が加わる。これは人間以外の野生動物には見られない現象で、野生動物の場合には一定の年齢でピークを迎えたあとは、ただひたすらに退歩し、衰弱するだけであります。 私は前回、人間の知性を贅物などと軽視した発言をしましたが、知性には良い面、長所も当然ながらあるわけで、視点を変えれば、これ程に素晴らしい利器もないわけであります。 譬えば、恋愛という人間独特の文化であり、男女間の愛情交換の在り方であります。この最高のものが宇宙でも最高度に素晴らしく、美しい形を生み出すのも、人間の知性の賜物のでありましょう。 野生動物の場合には、次世代に命を繋ぐ生殖行動としての恋の季節は、年に一度か二度、交尾を終えると直ちに己の世代の役割を終えて、あの世へと旅立つのが普通なのですが、野生を逸脱した人間の恋の季節はこの動物界にあっては、「異常」な広範囲に広がっている。一定の年齢が来ると「四六時中、年がら年中」発情していて、男女と共に異性を牽引し合う。 この異常な現象によって、私などは望外の幸せに浴したわけですので、有難いと思わないわけにはいかないのですから、文句など付けられた義理ではないのですが、ともかく、動物界にあっては人間の生殖に繋がる所謂恋の行動は例外中の例外だと言える。 また、LBGTと呼ばれる恋愛行動も人間に特有のものと思われますが、これも人間が獲得した知性と深く関係しているようですので、人間文化の特徴の一つと言う事ができるでしょう。 常軌を逸した御蔭で人間は、一つの美しい文化の世界を築くことができている。有難い事だと素直に思う。 人間の祖は、バイブルによれば神の意志に背いて知恵・知性を身につけたようだが、こうしてみれば何も悪いことをしたとは思われず、むしろ、知性によって人間は初めて人間の独自性を自己のものとした。そう言える。だとすれば、私が神の意志に反してと言ったのは訂正を要するかも知れない。 ダメと言われれば、そうしたくなるのが人情と言うもので、賢明なる神はダメなる禁止の言葉で、却ってそれを勧め、唆したのであろう。きっと、そうだと思う。 だとすれば、知性は創造主の神から見ても、人間を完成させる大事な要素であった筈だ。そう正しく認識した上で、私たちは知性という諸刃の刃を呉呉も心して、用いなければならないのだ。 この大切な知性を不断に磨き、努力して更に重要な道具・手段とするための営みは、人間としては欠かすことの出来ない、必要不可欠な要素だ。 中でも、親の躾に始まる子供の教育は、その中でも、最高に大切な事柄であろう。何をどう学ぼうと各自の勝手である。一見は、そう思える。しかし、実際はそうではない。断じて! そうです、宗(むね)として教えなければいけない事柄がある。現代では宗教と普通の教育とは厳しく区別されている。と、言うよりも、私に言わせれば、大人たちが難しく、厄介だから、そこから逃げている。 そうとしか思われない。読み書きソロバンと言う、実生活を営むい上で必要であり、欠かすことが出来ない学びの上に、本当の学びが要請されて然るべきなのに、である。それが私の提唱したい 宗教 なのであります。 所謂既成宗教ではなく、宗として教えるべき学びである。これを私は真実の宗教と呼んでいる。難しいのであります。しかし、教えの羅針盤の針はしっかりと「絶対者の神」を指し示している。一代や二代で簡単に完了する学びではない。しかし、人として生まれた以上は、この真の宗教を外して、学問は成立しない。それは、一体何なのか? ソクラテス流に言えば、自己を、自分を正しく知る為の 自問自答 を終生継続し続けること。これである。 大人たちは言うであろうか。一体、自分にも出来ない事をどうやって後輩たる子供たちに教えたらよいのか。私は、こう答えます。教える必要のない事。ただ、宗教の大切さを指し示せばよいのであります。 答えのない、終わりのない旅に旅立つこと。これだけが大切な事柄なのですからね。 今回は、このくらいにしておきましょう。次回の予告ですが、久しぶりに「神からのお告げ」がありまして、『 魂の貴族 天上界からの使者 』と題して書くつもりです。どうぞ、ご期待下さいませ。
2020年10月07日
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今回は 人間と悪魔 との関係について書いてみようと思う。 私たちは、とりわけ私などは、悪魔ほどでは無いにしても、悪の誘惑に弱いから、悪魔の存在を無視しては生きられないのです。 正義に憧れ、正義を果敢に遂行したいと心に念じているのだが、己の信じる正義に忠実だった記憶は残念ながらない。逆に、悪(魔)の誘惑に乗るまいと思いつつも、易易とその毒牙にかかった、無念の思いが数々思い出され、慚愧の想いで今でさえ胸が痛む。 少々理屈っぽく言えば、悪にも絶対的な悪と相対的な悪があって、人間の犯す悪は「相対的な」それであって、「絶対的な」それには及んでいない。そう私は思う。 然らば、絶対と相対との違いは何かと言えば、絶対者と相対者との相違に準じて、神と真正面から対峙し衝突するのが悪魔、即ち、絶対的な悪の権化ということになる。 従って、絶対者たる神の領域に近づくことを許されない典型的な相対者たる人間は、悪魔に近づくことも、ましてや悪魔そのものと化する事も出来ない。 ここでも又、人間とは善と悪の中間に位置する、中途半端な存在であることが知れる。下世話な言い方をすれば人間の犯す罪咎・悪の類など高が知れていて、実にちまちましたものだとも言えるだろうか。 しかしまた、それだからこそ始末に困る、或いはたちが悪い、処置に困る。そうも言えるわけだ。 常識的に言えば、人間・人類が犯した最大の悪は「無意味な」大量虐殺たる戦争であろうか。「汝、殺すなかれ」と真っ先に神が我々に命じるのは、産みの親として子供の性質を熟知するからには、当然のことであろうか。 無意味と言ったのは、「あらゆる口実を設けて」、「時には正義の旗印の下に」と同義である。人間は本質的に「殺人が好き」なのだ。 私はこれまでにも何度かブログ上で、「人間・人類は本質的に殺人、同胞殺しが大好きなのだ」(大好きとは英語に直せば love である)と書いた。これまでに反論は無かったし、歴史が教える所によれば、残念ながら間違いではないようだ。残念ながらと書いたのは、この様な私の暴論に対して、世の識者からの厳しい叱責と慈愛あふれる教えが示されることを、強く、強く期待している気持ちもあったからだ。だから、今のところ私の所説は間違いなどではない、という前提の下にこれからの論を進めたいと思う。 そもそも、生物、とりわけ動物はおしなべて他の生命体を食料としなければ己の命を維持し、尚且つ活動する事が出来ないように造物主・神によって運命づけられた存在だ。己以外の命を糧として生きるのが生物というものの基本の在り方だ。人間も、勿論その例外では有り得ない。必要に迫られれば共食いさえ辞さないし、それ以外に生きるすべが無いと知れば、親兄弟の肉であっても食べる生き物だ。 自然界の動物と人間に異なる点があるとすれば、本能のみで生きるか、知性という「贅物」を併せ持って生きるかの違いである。 聖書によれば人類の祖・アダムとイヴは蛇の唆しに乗って、神から禁じられていた禁断の木の実・林檎(諸説があるようであるが、ここでは一応そうしておく) ― 知恵の果実を食べたことによって、造り主たる神の意向に反して、善悪を判別するようになったらしい。私が知性を贅物と表現したのは、神からすれば正しいのであるから、どうぞ、ご不満のある方は神の方にその尤も至極な矛先を向けて下さるようにお願い致しますよ。 本能という非常に清潔で簡明な原理に支配されて生きる野生動物は、皆様もご承知の如くに非常に美しく、また立派な生き方を全うしている。この事実を、素直に私たちは認めなければいけないでしょう。人間の浅知恵は遂に本能を克服することは出来ないでいる。また、克服する必要もないことでありましょうか。善悪の彼岸という言葉があります。フリードリヒ・ニーチェの命名から来ている。 善悪の彼岸とは、譬えば生きることが絶対命題である動物にあっては、善も悪もない。とにかく生きること、生きる本能を充足させる事こそが、全てであります。よい とか わるい とかの価値判断が入って来る余地もないわけで、非常に健全で、尚且つ、完璧であります。 完璧・完全である理由も明快です。絶対者の与えったものである故に、本能は絶対的に信頼すべき基準であり、相対者である人間が定めた善悪であるから、絶対的な基準たる本能に劣る。 こうして理詰めで押してくると、驚くべき結論に達します。不潔で、嫌らしい筈の常識的な本能観が根本から覆されてしまっている。おかしい、全くおかしい。そう考える御人は、神を裏切った人類の祖の正統なる後継者の名に値する、不届き千万な輩という事になる。理屈を申すならば。 モーゼの十戒に、父母を敬うこと、殺人を犯してはならない、姦淫をするな、盗み・偽証の禁止・隣人の財産を貪るな、などが人間社会での最低限の掟として定められている。 これらのことは、ごく普通の人間として当たり前に己に禁じなければならない事であって、それを守ったからと言って、一個の人間として褒められる事ではない。極めて緩く、やんわりと箍を嵌めているに過ぎない。裏を返せば、野放しにしておくと、人間は「父母を敬わず、人を殺し、姦淫をし、盗み・偽証・隣人の財産を貪ってしまう」始末に負えない代物なのだという、確たる認識が先ずあったから、出て来た禁止事項にしか過ぎないのだ。 この人類性悪説にはやるせない思いが禁じえない。余りに真実過ぎるから。救いが無さ過ぎる。今の私には神の完全無比なる人間認識に反論する蛮勇はない。ただ、人間の一人としてささやかにプロテストを試みたいと思うのみ。 人間は、人類は猿の一種であるが、それは別に恥ずかしい事ではない。恥ずかしいとすれば、知性を誇りながら、その知性を未だ己の自家薬籠中のものとして、完全にコントロール出来ていないことであろう。我々の生みの親たる父の慧眼は当然のことながら流石であった。 しかし、良くも悪くも一旦は知性・知恵と言う利器を所有した以上は、それを有効かつ人類の幸福に役立つ為に、精々有効活用するしか仕方がないのである。 ソクラテスは 己自身を知れ と教えた。「己を知る」とは終わりのない途轍もない探求であったことを熟知した哲人の、最も神に近似した叡智にして言えた事であって、凡人が簡単に理解して、実行できる事柄ではない。哲人はそれを承知の上で、半ば以上己自身に向けて言った。 さて、魔に魅入られる、とか、魔が差す、と言った表現から窺えるように、魔は一瞬にして我々の心を毒の如くに麻痺させ、通常では想像だに出来ないおぞましい行為へと駆り立てるもののようだ。 ナチスドイツ・ヒットラーのユダヤ人大量虐殺などその典型例なのであろう。時代と人との不思議な取り合わせが、あの様な悪魔の所業を人間の一人にさせたのである。恐るべし、悪魔。恐るべし、人間。 もう一つ、悪魔に魅入られた例を見ておこう。上田秋成の名作「雨月物語」の 白峰 に怨恨の権化と化した崇徳院が天性の天才歌人・西行と論争する話が語られている。勿論フィクションであるが、現実以上に恐ろしい迫真性をもって語れている。『 時に峯谷ゆすり動きて、風叢林(はやし)をたをすがごとく、沙石(まさご)空に巻上(まきあぐ)る。見る見る一段の陰火君が膝の下より燃上がりて、山も谷も昼の如くあきらかなり。光の中につらつら御気色を見たてまつるに、朱(あけ)をそそぎたる龍顔(みおもて)に、おどろ(乱れた)の髪膝にかかるまで乱れ、白眼(しろきまなこ)をつりあげ、熱き息をくるしげにつがせ給ふ。御衣は柿色のいとうすすびたる(煤、垢、塵などがついて、薄汚れること)に、手足の爪は獣のごとく生(おい)のびて、さながら魔王の形(かたち)あさましくおそろし。』― 天皇であったお方がこの様な浅ましい姿に変じてしまう。何と恐ろしい事であろうか…。 人間と悪魔の関係について考察しているが、人間とは何と色々様々であって、しかも何と中途半端な在り方に終始していることか。悪人にしてもせせこましく小粒であり、どこか道化じみている。現実では御免被りたいが、お芝居やドラマなどでは精々カタルシス・精神の浄化の為に、大悪党が縦横無尽に暴れまわって観客の胸をスカッとさせてもらいたいと思っているのだが、現実の制約をフィクションにおいても逃れることが出来ないのが、我々の有り様だ。同じ道化でも、シェークスピアが描いたフォールスタッフぐらいにまで徹底すれば、もう一種の英雄の如き相貌を帯びてこようものを。 私の一応の結論 ― 本当は人間礼賛をしたかったのだが、どちらかと言えば、おぞましい悪魔礼賛に偏りたがる自分の心を抑えるのに非常に苦労した。つまり、両極端は同義であって、悪魔とは神の見せる或る一面にほかならない事を、知らされたのであります。結局は神様を鑽仰することに行き着くようである。
2020年10月02日
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