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隠者文学つながりで、今回は「竹取物語」について書きます。 かぐや姫は月の都の住人で、何らかの罪を得て、一定期間地球の日本国に謂わば島流しにされた。物語の後半でかぐや姫の出自が明らかにされる。世界中に竹取物語と類似の説話が数多くあることから、日本で成立したから日本が舞台の物語になっているだけで、物語作者は外国での同類の説話についても知識を持っていたに相違ない。 全体を通して顕著な特徴を挙げれば、地上の人間に対する徹底した蔑視、軽蔑が上げられるだろう。なかんずく天皇を頂点とする貴族社会に対する憎悪にも似た感情が、この物語からは透けて見えるのだ。これは作者が体制側の人間ではなく、何らかの理由で表舞台からドロップアウトさせられた人間、つまりは隠者的な面影が彷彿と浮かび上がって来る事と、ぴったりと合致する。 女子供のパスタイムという他愛もない対象に、自分の持てる学識と文学的な教養の全てを傾注する。物語とは発生の当初から限りなく豊かな可能性を孕んで、自然発生的に世間に広まった。実に、我が国はこの物語の宝庫であり、言霊がこの上もなく繁栄し賑わったお国柄なのでありました。 中でもこの「かぐや姫」の物語は、物語の出て来初めの祖と讃えられた、傑作中の傑作でありました。 貴人たちが挙って絶世の美女を得たいと争う。物語としてこれ以上に素晴らしいテーマは他になく、恐らく数千、数万のストーリーが名人と称して良い無名の作家たちによって、紡がれていたに相違ない。 現在我々が目にしている高度に完成度の高い文章に至るまでには、様々な加筆訂正、そいて増補が行われているわけであるが、読者が作者の作意に誘われて、おのずから物語の世界を広め、質を高めるという作業が付加される。個人から始まってはいるが、人々の共通の宝物として成長を遂げる。物語においては個人名など何ほどの価値も持たない。楽しくて、愉快で、めっぽう面白い。それだけの働きをしてくれれば十分だ。そうした共通の認識がそれこそ自然に生まれた。 この傑作から、傑作の頂点を築く「源氏物語」が生まれ出て来るのは必然であったのだ。実に、有難いお国柄ではありませんか。 かぐや姫のかぐやは、光るように美しいと言う形容詞であり、源氏物語の主人公源氏も光ると頭に形容詞が付けられている。最高の美しさ、この上ない魅力を表すのが、大空に輝く太陽であり、月であり、星々であったところから、大人から子供まで簡明で解り易い形容詞として広く用いられたわけであろう。 昔話の主人公の代表格である桃太郎は、川から流れてきた桃から生まれている。お婆さんが洗濯に行って大きな桃を拾う。桃から生まれた桃太郎が成人して鬼退治に鬼ヶ島に、悪い鬼を退治に出かける。誰もが子供の頃から親しんできた御伽噺で、単純明快なストーリー性で、ひたすら明るく、健康的であります。 これに対して、竹から生まれたかぐや姫の方は、女性が主人公ということもあるのでしょうが、基本的に性格を異にしています。何故でしょうか? 私は男女の結婚と、それにまつわる求婚譚が中心のテーマであることが、その大きな理由であると思います。 絶世の美女に群がり集まる男性陣。その代表格として当時の貴公子五人と、最後には時の帝が求愛・求婚するが、結局全員が袖にされ、振られてしまう。 この当時を代表する貴公子たちが揃いも揃って腰抜けであり、卑怯この上ない、そして実に間抜けな策略家として描かれている。女性の美に目がくらんで翻弄されている男ほど無様な者はない。どの様な聖人君子だって、同様の立場に陥れば、三枚目役を逃れられない。神通力を得た久米の仙人ですら、洗濯をする若い女の白い肉感的な脛を、ちらりと目にしただけで凡夫と化して、地上に落下している。 君子は危うきに近づかず、で最初から女人を禁制にして、危うきに近づこうにも近づけないように、工夫が施されている。 お釈迦様は世俗にあった時には妻帯して子供まで儲けているし、修行生活に入ってからも平気で娼婦たちと語らいを持っている。栴檀は双葉より芳しとか、本物の聖人君子ともなれば我々凡人とは、生まれながらにして出来が違うわけでありましょう。 所で、竹取物語ですが、私の今現在の興味関心からすれば、誕生と結婚と死別と言う三つのテーマからなる人生論説話として、読んでみたい。 かぐや姫の生まれた竹は、強靭な生命力、旺盛な繁殖力、しなやかな弾力性などを主たる特徴とする植物であり、それ故に呪術力を持つと考えられていた。帝が実力行使してかぐや姫を捕獲しようとすると、姫は「影となって」姿を消してしまう。呪術を行使したのだ。 かぐや姫は月の世界の住人であったと同時に、地上では生命力の強い竹の精霊でもあった。それ故に彼女を拾って育てあげた翁夫婦を富豪の長者にまで、運勢を押し上げている。また、美貌の娘を持つ事で、世界中の超有名人にまでしてしまった。 竹取の翁は、家業である竹に一心不乱に奉仕する事で、誰も成し得なかった偉業を、易々と成し遂げるにいたる。 結婚のテーマの解剖、と言うと大袈裟ですが、相手を得ようとするならば、徹底的に相手を拒否すべし。これが、私などがこの物語から受け取る教訓であります。男も、女も、相手を拒絶しまくる。これが恋の極意であるようですよ。異論のあるお方は、是非ともご自身の戦略でお遣りください。これは私の受け取り方で、私には素直に受け取れるやり方だと思われたのです。俗に言うではありませんか、見るな、見るな、は「見ろ、見ろ」の催促だと。言うな、と言われれば、つい言いたくなるのが人情の自然でありますからね。 此処で、私の場合を申し上げましょうか。若くて素敵な美女が、向こうから私の懐に飛び込んで来た。私が徹底的に相手を無視したからです。と言うのは、結果としてそうなったまでで、私が極上の技巧を弄して大魚を射止めた訳ではありません。出会った頃の私は29歳で、妻の悦子は20歳と年の差が大きかったし、そもそも恋愛の対象としては年下はあまり関心の中央にはなかった。だから、いい人だなとは感じていても、彼女に相応しい若者が大勢いると思っていたし、何か困ったことがあるのなら、相談相手ぐらいにはなれそうだと、漠然と考えていた。そこへ突然、「相談したいことある」と悦子から言われた。仕事も忙しかったが、私は自分で言うのも何なのですが、根っからのお人好しですから、すぐに応じて、多分恋の相談ではないかぐらいには思ったのですが、まさかその悩みの張本人が、私自身だったとは、思いも寄りませんでした。後から、悦子と結ばれてから振り返ってみると、私はそれ以外の方法では絶対に、と言って良いぐらいに手に入れることは出来なかった相手を、まんまと労せずして捕獲していた。それも、終始、恋愛対象から度外視していたから、向こうから見れば、徹底的に無視し尽くしたお蔭で。 こういうのを、瓢箪から駒というのであろう。 恋の駆け引きという言葉がありますが、恋には駆け引きは通用しない。恋は思案の外という諺もありますね。駆け引きをする程度の恋愛は、本物ではないと、先人は教えているのでしょう。 さて、三番目の死別に入ります。月からの迎えが来て、帝が遣わした二千の軍隊も役に立たず、かぐや姫は月の世界へと旅立って行く。死という厳粛な現象を前にしては、人間の身では手の施しようもない。ただ芸もなく、呆然とするのみ。喩え、最高権力者であっても。これは永遠に変わらない事実として我々生きとし生ける者の前に置かれている。不老不死の妙薬は何処にも見いだせない侭で…。 然らば、私たちは如何に死と対峙し、身を処したらよいのか。何も出来はしない、ただ徒に茫然自失するのみ。 で、私はこう考える。それで良いのだ、と。どう格好をつけようと、所詮は茫然自失するだけなら、神様が与えてくださっている如くに、すればよい。 私は不幸にして愛妻の悦子に先立たれている。胃がんが原因だった。最新の医学と、悦子が心底信じて頼りにしていた霊能師の篤い祈祷も受けている。しかし、結果は劇的な回復、病気平癒というわけにはいかなかった。延命治療なら受けないほうがましだと言って、都心の大病院へ通うのをやめてしまった。そして三郷にあるホスピスを終の場所ときめて、それからはまるでその病院へ通うのが楽しみであるかのごとくに、私に付き添われてしばらく往復を繰り返した。「私は元が田舎者だから、こういう交通不便な電車やバスを乗り継いだ小旅行が好きなの」と、少女の様な微笑みを浮かべていたことを、忘れずにいる。私は悦子の死病を告知されて以来、ずっと呆然とし、自失してなすところを知らない、と言ったところであったが、あたかも嬉々として楽しい事を待ってでもいるかのような悦子の姿には、実際驚かされた。 思うに、悦子はこうした最後を予感していたのであろう。人生で最大の喜びを満喫し終えた満足感を味わった後に、何が残されていようか。いや、残されているはずなどない。ならば、残された貴重な時を最愛の夫と二人きりで過ごしたい。あの世には、また、再会したい父親、母親、その他地上で大好きだった人々が自分が追いかけて来るのを、首を長くして待っていてくれるのだ。永訣の悲しみはほんの一時のことにしか過ぎないもの。こんなにもかけがえのない時間を、悲しみの涙だけで濁らせたくはない。 実際に悦子の言葉として聞いたわけではないが、彼女の振る舞いと、表情から、私は以心伝心でそうした意図を汲み取っていた。実際に、彼女の最後の数ヶ月は異様と言えば異様だった。つき切りの私以外は偶に訪問して来る長男夫婦と孫、そして次男以外には一切会おうとはしないで、誰にも面会しようとはしなかった。電話の会話だけは、痛み止めのモルヒネがよく聞いていて、調子の良い時にだけ、まるで健康者そのものの元気な声を出して、話をしていたっけ。 こうして書いていると、喜びと悲しみが交錯した複雑な感情に捉えられて、限がなくなってしまう。だから止めにしましょう。 竹取物語の鑑賞は、原文について、じっくりと味読なさって下さい。テーマが一貫していて、ストーリーが単純なので、古文としても非常に解りやすく、注解などなくともすらすらと読み進むことが可能です。ですから、現代語訳でではなく、原典でお読み下さい。ニュアンスの細部が、粗筋だけでは伝え得ない何かを、 what ではなく how の妙味を教えてくれる筈ですから。是非とも原文を、お願い申し上げます。それでは、良いお年を! かぐや姫は今なお月の世界で、あなた様の健康と、御長寿を祈願しているに相違ありませんよ。
2020年12月29日
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今回は、私にとって懐かしい古典の随筆「徒然草」について書いてみます。 懐かしい、と書いたのは、慶応の志木高校で教育実習生として教壇に立った時に、教室のその時の順番で偶々「徒然草」の一節だったので、そこを解釈したり、文章の印象を語ったりしたことがあったからでで、そう申したのです。 多分、虜になっていた「源氏物語」の事が頭から離れなかったので、文章から源氏の影響が感じられる、と言った感想を述べたのだと思う。授業の後で、先輩の教師からお褒めの言葉を頂いたのですが、もう少し具体的に説明した方が、生徒の為になっただろうとの指摘も受けています。 日本には隠者文学という一つの系譜があって、「徒然草」もその系譜に連なる作品であります。ついでに軽く触れておきますと、ウル源氏と専門の研究者から呼ばれている、現行の原典にまとめられる以前の、謂わば「源氏物語」の土台となり、材料・資料として使用されたエピソード集なども、隠者と呼ばれた人々の手になったと推定されるのです。 隠者とは、貴族乃至貴族に近い高貴な出自を持つが、様々な理由から出世の表舞台から外れ、花やかな表舞台から置き去りにされた知識人の男性を言います。従って、当時の老人に分類できる、高齢者と見て良いわけで、男女関係始め、現世での人間の喜怒哀楽の全てに渡る機微をよく弁えている、いわば苦労人の集団であり、しかも大きな挫折を経験している。概して、現実を支配している貴族階級に対して批判的になり易いと言った特徴が見られます。 さて、「徒然草」ですが、作者とされる吉田兼好ですが、実は謎の人物であり、実相はあまり良くわかっていない。一般には次のように紹介されていることが多い。 吉田兼好は鎌倉末期から南北朝にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部小輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好。卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以後は吉田兼好と通称されるようになった、と。 本題に入りましょう。徒然草は、清少納言の「枕草子」や鴨長明の「方丈記」と並んで三大随筆と称されて学校の教科書などにも取り上げられる程に著名であります。が、高度に知的で、大人の文章でありますから子供たちに深い読みを要求するのは、無理というものでしょう。 私は、文学・文芸、更には芸術一般について、何を what よりも how 如何に、が最も重要であると考えておりますが、また大方の識者の文芸・芸術に対するオーソドックスな把握の仕方でもありましょう、が、もう一歩徹底させて、如何に・どの様に・how に全てを賭けているのが、その一番の命の在りどころ、と考える者であります。 従って、全体の要旨とか粗筋、概要と言ったものは毒にこそなれ、何の役にも立たないとまで、考え詰めております。 今回、このブログを書くに際して、手元に原文がないので、現代語訳をいくつか参照してみたのですが、案の定、気の抜けたビールを飲んだような実に味気ない思いを致しました。翻訳で外国の名作を読んだ時にも、同様の感じがしたものですが、もっと酷く、最悪の感を深くしましたね。 因みに、どうせなら、源氏物語を要約して、不良青年貴族が父親の若い妻の一人をレイプして、不義の子供を産ませ、人生の晩年に至って、因果応報、自分の一番若い妻を、優秀な青年貴族に寝取られて、不義の子供と知りつつ自分の子として腕に抱いて、今さらの如くに、若き日、自分の父親は罪の子と知っていながら、自分を許し、大罪を黙認していたと悟る。しかも彼には父親の寛大な度量もなく、相手が親友の息子だったこともあり、無言の圧力をかけて青年を死に追いやってしまう。ヒーローの上辺だけの息子・薫がどの様な恋の遍歴をするか、その成り行きを追って、長編は終了する、と。 如何ですか、これなら大概の文学好きは興味を惹かれ、読んでみようと食指が動くのではありますまいか。少なくとも大学生だった私は、非常な興味を感じて、日本の古典全般への開眼のきっかけとなっています。のみならず、ゲーテなど外国文学の名作は可能な限りに原語で読みたいと、改めて努力しようと決意も致しましたよ。 ともかくも、文学というジャンルへの真の誘いを、「源氏物語」のお蔭で蒙ったのは私の人生に於ける大きな幸いでありました。 物語と随筆の違いこそあれ、古代から連綿と続く隠者によって物された文章は、さり気なく、技巧を感じさせずに独自の世界に読者を招じ入れ、あたかも銘酒ででもあるかの如くに、酔わすのであります。特に徒然草は随筆という性格上、思想なり意見なり、考え方などが盛り込まれて居りますが、大切なのはそうした知的な要素なのではなくて、上に述べた如くに「如何に語っているか」その語り口を十分に味わい尽くす事なのであります。 名高い木登りの名人の話があります。これは名人に仮託して兼好自身を表現している。そう自然に読めるのであります。この名人は弟子に対して殆ど何も教えたり、忠告したりしないのです。木登りの難所を突破して、後は誰でも容易に通過できる所に弟子が差し掛かった所で、名人は初めて口を開いて、「用心しなさい」と声を掛ける。人間の弱点を熟知した人の物事の勘所を示して間然するところのない表現でありましょう。これなどは、ジャーナリストが現場から実況中継するルポルタージュでは絶対に得られない知見であります。 所で、天才・小林秀雄は人生の最後に当たって、「本居宣長」と言う傑作を著作しているのですが、フローベールがマダム・ボヴァリーは私だ、と言ったのと全く同じ意味合いで、「本居宣長は、この私だ」と終始くどいくらいに言い続けに主張している。私には、そうとしか解釈できないのです。 その小林秀雄が「徒然草」を褒め過ぎと思われるほどに、褒めちぎっている。ここでも小林は、ランボーにゾッコン惚れ込んだ様に、徒然草の文章に異常な程に入れ込んでいる。「これは昔、私が前世で書き残した名文なのだから、仇や疎かに読んではいけない。鈍刀で刻んだ国宝級の仏像の如く、一章一章が光り輝いている様が、見える人には見えるに相違ない」、小林はそう主張している、と私には思われるのだが、如何なものでしょうか? 若い頃の私は、才能も、学識も、異常な努力するエネルギーも、全てが小林秀雄に及ばなかった為に、彼の文章を読んでもよく分からない、理解が及ばないことばかりだった。そして、世間が彼を高く評価しているだけに、自分の浅学非才故の理解不能を強く恥じていた。そして、私に可能な範囲での努力を続けながら、繰り返して彼の作品を熟読した。そして、彼が対象とする天才達と一体になり、「他人を出汁にして己を巧まずして自然に語っている」、首尾一貫してのユニークな手法を見抜いたのだ。 類は友を呼ぶ、とか、小林の嗅覚が洋の東西を問わず、同類の天才を嗅ぎ分け、己の自分自身でも明瞭には判別できない天才の真の在りようを 腑分け して見せた。それは彼の類まれな天才が然らしめた成果には違いないが、同時に人間としての最高の誠実さ、優しさがそうさせたとも言える。 今、私のブログを読まれている方は、或いは訝しい思いをなさっているかも知れない。徒然草は、そして吉田兼好は何処に行ったしまったのか、と。 私は小林秀雄という天才の虎の威を借りている。天才の手法を真似て、兼好法師を絶賛しているのであります。どうです、大した狐ぶりでしょう。 冒頭の文章、「徒然なるままに、日暮し硯に向かいて、心に移りゆくよしなし事を書きつくれば、あやしゅうこそ物狂おしけれ」の文章にしても、形通りに、「退屈で暇を持て余しているので、一日中硯を前にして、心に次から次へと浮かんでくるつまらない事柄を、書き続けていると、自分でも不思議と思われる程に、奇妙な気持ちになってしまう」などと訳してしまうと、文法的には誤りがなく、表面ずらは正しいので、例えば教室などで生徒が提出した答案としては、減点のしようがないけれども、これでは徒然草の名文が泣いてしまうだろう。 私などは、「これは私、古屋克征自身の、現在只今の心境を述べたものであって、それを述懷する形で解釈すれば、私は昔流に言えば楽隠居の身分であり、傍から見れば暇を持て余して、時間つぶしにどうでもよいような事柄を、朝から晩まで飽きもせずに書き続けている。確かに、そうであることに間違いなどないが、私には人に隠れた高い志がある。高い志などと自分で言うのも何か烏滸がましいのだが、世のため人の為に、少しでも役立ちたい。それも、現役の生活者には出来ない手段・方法で以て。私には豊富な経験がある。他人が滅多に遭遇しない手酷い人生上の挫折をも実地に体験して、地獄の苦しみを舐めている。実人生では運が悪かったり、世間を知ら無さ過ぎた故に、味わわなくても良い苦渋を蒙った。結果からから見ればバカバカしい様な遠回りをして、しなくても済んだ馬鹿な目も見た。要するに、人生の落伍者しか知らない、一種得難い視点を獲得している。これが私の唯一無二の武器だ。成功者には成功者の得意が、敗残者にも敗残者の得意があるのだ。神や仏は公平であって、それぞれの利点を抜かりなく用意して、トータルでは平等を期して下っておられる。だから私は、自由に使える今の立場を使って、世の中に物申そうとしているのだ。目明き千人、盲も千人とか、まして私の如き金力も地位も、名声もない、無い無いづくしの耄碌爺さんの声になど、誰ひとりとして耳を貸そうとしないに違いない。それで良い。それで良い。だが、正直に申せばやはりちょっぴり寂しい気がしてならない。だが、ひょっとして…、いやいや、私は結果など気にかけずに、我が道を行こう。少なくとも、私の鬱屈している気だけは少しばかり霽れようと言うものだ。事実こうして無心にパソコンに向かって、あれこれと考えを巡らしていると、自分でもどうしたのだろうかと訝しく感じる程、妙に狂気染みた気分に襲われている。これは一体どうしたことなのだろうか。人は誰も注意を払わないにしても、神や仏は私のこのささやかな行為に、静かな注目を払って下さっている証なのだろうか。いや、きっとそうに間違いはないのだ。事実私は少なくとも既に救われてしまっているではないか…」 最後に、こんな短いチャプターがある。ある所に米の飯を食べずに、栗ばかり食する娘を持った夫婦がいた。夫婦は娘の世間に異なる食習慣の故に、娘を家にとどめて、嫁には出さなかった。 この段落に関しても、小林は、兼好は言いたいことを極端に削ぎ落として、ほんの一部分だけを表現した。世間によくある怪異譚の類ではないから、注意しろと親切な忠告さえ与えている。ここでも彼は、言いたかったに相違ない、この娘こそ、自分だ、と。
2020年12月25日
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三回目ですが、「上田秋成を読む」は打ち止めと致します。 一通り、手元に有る古典体系本で「膽大小心録」まで、一わたり読んでみましたが、今の私に強く響いてくる文章はなかったので、その様に決めました。 私にとっての上田秋成は、雨月であり、春雨であったと得心が行ったところで、私は私の道を進むより仕方のない事であります。次は、吉田兼好の「徒然草」を改めて読み直し、心に響くものがあれば、私の思うところを書き添えたいと思っています。 この様な自由勝手は、今の私に許された最高の贅沢であって、大学などの学問研究とは根本的に違う立場に立った、探求であり研究である所以のものであります。 徒然草に移る前に、自作の散文詩「古事記 幻想」をご紹介しておきましょう。 「 古事記 幻想 」 太古の昔、天も地も分かれていない宏大な虚空の中に、殆ど同時に出現した神々がお三方いらっしゃるる。順にお名前を紹介しよう。 先ず、アメ ノ ミナカ ヌシ、次に、タカ ミ ムスビ、そして、カミ ムスビ の神々である。意味は「真ん中」、「高き所で生成する」、「不可思議な力で生成する」と言った簡明な意味で、要するに、虚空のど真ん中で生成の神が姿を現した、と宣言している。 これは真空中に何処からともなく宇宙の種が現れて、瞬時に灼熱の林檎の大きさになり、更にそれが大爆発・ビッグバンを起こして急激に膨張を始めた、その最初期に匹敵する頃のこと。 次には、大和の国全体が出来立てで、水に浮いた脂のようであり、海中のクラゲの如くにふわふわと虚空に漂っている時に、まるで泥の中から葦が芽を出して来るように勢いのよい生命力を示して、出現した神様達がおられた。それは、ウマシ アシカビ ヒコジ であり、次が、アメノ トコタチ でありますす。意味は生命の発現と、土台の出現である。 以上で、太古に奇しき万物を生成する力が生まれ、同時に生命を誕生させる逞しいエネルギーと土台とが発生したと唱えている。 続いて姿を現したのが、クニノ トコタチ、トヨ クモノ、ウ ヒジ 二 と ス ヒジ 二、ツノ グイ と イク グイ、オオ ト ノジ と オオ ト ノベ、オモ ダル と アヤ カシコ ネ、そして、イザ ナキ と イザ ナミ である。 意味は、土台の出現、混沌浮動、泥、生命の発現、男女、会話、誘い、などである。これを物語風に続けてみると、混沌として虚空に浮遊していたものから、しっかりとした土台・大地が出現して、そこに様々な生命が誕生した。そしてその生命に男と女が生まれ、男が女を誘い、男女の楽しい会話が発生した。 美しい夜空に煌く星々を見上げながら、父が娘に、母親が息子に、語る宇宙の創世と、自分たちの時代に至るまでに閲してきた来歴を語る。自分たちは何処から来て、何処へ行くのか。父母も子供達も楽しげに、また目を輝かせながら、満天の星々と心を通わせ合いながら、今生きてあることの幸せを噛み締めるのだ。 さて、イザナキの命とイザナミの命のカップルに、八百万の神々の総意として、以下の命令が下された。「この漂っている国を整え、しっかりと作り固めよ」と。そして立派な矛(形は槍に似て、長柄の先に両刃の剣を付けた武器)をお授けるになった。 それで、お二方は天からの階段の上に立たれて、矛を下の世界に挿し下ろして、世界をかき回し、海水を音を立てて掻き回して引き上げた時に、矛の先から滴る海水が積もって出来たのがオノゴロ島です。 オノゴロ島に降り立ったお二人は、大きな柱を立てて、大きな御殿をお建てになられた……。 こうして、国の起源を語る神話が始まった。 この物語が今日の古事記の形にまとめあげられた時代には、立派な武器が存在していた。人々は集落を作り、先祖神を祭り、稲作を主とした農耕生活を営んでいた。止むを得ない場合を除いて近隣の諸集団との諍いは起こさず、大体において平和な、生活が続いていた。美しい海や川、緑の満ち満ちた山や平野に日々日輪が光の箭を穏やかに射ている。それが、素朴ではあっても、我々の祖先が営んでいた、麗しい生活の素朴なスケッチ図である。 文字のない時代が長く、長く続いた。語り部と呼ばれる専門の集団がいて、先祖から受け継いだ尊い神話を代々受け継いでは次の時代へとリレーした。基本的には改作や付加は許されず、忠実な継承が基本だったが、時に天才的な生まれながらの語り部が現れて、素晴らしい文飾が施され、その様な膨らみが随所に加えられて、素晴らしい長大な一大絵巻へと発展した。 時代は移り、豪族達の集団での支配体制が確立するに連れて、そのトップに君臨する者達が先祖から受け継ぐ祭祀権を掌握し、同時に神聖な語り部部族の管理する神話をも、自分達のものとした。今日の天皇家の創始であった。 ―― 以上、幻想 の第一稿 こうして、歴史を概観する時に、天皇たる者が持つとされる大和民族の総支配権とは最初から創作であって、その中枢にはフィクションとしての神話が据えられていたのだ。 要するに、ここでも弱肉強食の原理は支配的に働いており、誰がトップの座に着くのかは、必然ではなくて全くの偶然であった。後付けでその正当性を保証したのが、古事記や日本書紀に伝えられている所謂神話のグループにほかならない。 我が日本国は、神ながらに言霊の助ける国で、国土・国家の前に先ず物語が、それも素晴らしい人間性の真実を示す、そしてエンターテインメント性に富む第一級の説話が先行して成立していたのだ。 ヤマト タケル の悲劇性に満ちた、美しい物語を見るがよい。タケルは強く猛々しいが故に父親の天皇から阻害され、悲劇の死を死ぬ。味方の中でも特別に強い者は、宿命的に最強の敵でもあった。ずる賢い支配者は、そもそも支配者とはずる賢さの異名なのであるが、直感的に己より強い者を畏怖して、これを抹殺する。人よ、心せよ、権力とはかくも残忍なものであるゆえに。 日本人はヤマトタケルに代表される悲劇のヒーローを無条件で愛する。権力を継承する権利を有するが故に志半ばで仆れた真の実力を持った英雄を。 源 義経しかり、西郷隆盛また然り。米国の話であるが、J F ケネディもその一人であろうか。 庶民は、私たちは、悲劇の英雄の中に可能性としてあった豊かな、そして平和な未来を夢見る事で、現実には花開かなかった人間の真実を、心に描くのである。それは、取りも直さず、果たされなかった自分自身の可能性としての理想を、心の底から悼む、その葬式の如き形式なのだ。 もうひとり、英雄のタイプがある。大国主の命である。因幡の白ウサギを助けた優しい心根は、庶民の渇望する最たるものであるが、弱きもの、心貧しき者達を無条件で救済する救世主のイエスキリストに通底するものがあるだろう。上手く立ち回ることが出来ない大国主は、残酷で、意地の悪い兄たちから酷い扱いを受けるが、ウサギの恩返しによって美人を妻とすることが出来た。最後は、兄たちから命まで奪われてしまったが、優しい女性 の愛情によって蘇り、豊かな国を支配する大王として、後々まで人々からの敬愛を受けるのでありました。弱いは、最後には勝つ。弱いは最強のパラドックスを、彼は私達弱き者に身を以て示し、私の様な心弱き凡人の守護神として、今日もなお応援して下さっている。 人間の世になってからも、空海、道元、小林秀雄などの精神世界の大偉人が綺羅星の如くに輩出して、惰弱な平凡人を導き、歩むべき道を明確に指し示して呉れている。実に、実に、有難くも勿体無いお国柄であります、我等の日本国は。 平和憲法は敗戦によって戦勝国であるアメリカによって押し付けられたものだから、一度廃棄して、自らの意思と才覚で、自主的な憲法を作るべきである、との至極ごもっともに思える意見が大勢を占めている。押し付けられようが、そうでなかろうが、良いものは良いので、まさに結果がよければすべて良いののであって、文章が拙速で杜撰なのは、修正を加えればよく、変なプライドなど持ち出さない方が、却って大人らしい振る舞いというもであろう。 私などは、現行憲法を神が与えて下さった、希に見る理想規範であると考える者であります。彼我の差が歴然であって、当時の指導者達も初めから勝利を見込んでなどいなかった。にも拘わらず、猪突猛進よろしく核兵器の惨禍を将来する地獄に突入したのは、人間の能力を遥かに超越した謂わば神の計らいなのであって、必然であった、避けることなど現実の勢いの前では全くの不可能な事と、観念しなければならないだろう。国難に際しては必ず神風が吹くと言って来たのであれば、無残な敗戦の結果は、やはり神風が吹いたのだと、如何に辛くとも受け止めなくてはならないだろう。神の配剤と解釈して、その結果を土台にしてベストの方向に押し上げるのが、我々の出来る努力の限界と悟り、結果オーライの未来を築き上げて行こうではなか。 戦争犯罪という言葉があるが、それを言うのなら、伝統文化の破壊もより以上の犯罪行為ではなかろうか。国字国語改良と称した暴力を、人を殺していないからと言って、許すことは出来ないのだ。言葉を破壊する、最も尊重されて然るべき文化の領域での蛮行は、人目につかないだけに、最も憎むべき犯罪行為ではないだろうか。国民の便利を口実に使っての巧妙至極な犯罪は、今もはっきりとは俎上に乗せられてはいないけれど、罪もない無辜の民がその痛みや心の流血で蒙っている莫大な損傷は、核兵器の比ではないと、正当に認識するのは私一人ではないのです。 ともあれ、私たちは戦後の精神的な混乱を未だに引きずっているのだ。その事を忘れまい。 神話は如実に伝えている。太陽が天の岩戸に姿を隠した時、八百万の神々はストリップを踊る女神を見て大声を挙げて笑い転げ、そうすることでまた元の健全な日常を取り戻したことを。 我々も一度、心の底から哄笑しようではないか。自分たちの愚かしさを肴にして。それから、それから、襟を正して、八百万の神々に祈ろうではありませんか。そして、その敬虔な祈りの言葉の中に、銘々がそれぞれの立場でベストの限りを尽くして、子孫に我々の諸々の遺産を残りなく完全に送り伝える事を誓う。誓ったからには、その為の努力を惜しまない事を。 我々の真剣な気持ちが神々に伝わったならば、それは必ず伝わらないではいないのですが、日本国は末永く世界人類の中で立派な国として遇される 名誉ある地位 を勝ち得る事でありましょう。 我々の国は、それだけの資格と実力とを兼ね備えているのですし、また、世界の情勢を見ると日本がその持てる力を十分に発揮するチャンスは、十二分にあるのです。見ようによっては、今日の様な好機はめったに訪れることはないのですから。 その為にも、我々は自分の国の事を、長い歴史を含めてしっかりと知り、反省すべきところは反省し、長所は益々長所としての特色を発揮するよう、努めることが必要でありましょう。
2020年12月23日
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今回は「白峰」から入ります。 登場人物は西行法師と崇徳上皇という最高度にビッグで有名な二人です。能の方に「夢幻能」という形式があるが、この短編はそれに則った形をとっている。シテ(主役)が崇徳院の怨霊でワキが西行である。 夢幻能は霊的な存在が登場して過去を回想するもので、生きている人間だけが登場する現在能と対になっている。通常は諸国を行脚する僧が名所旧跡を訪ねて、この世に恨みを残して死んだ亡霊と対面して、その霊を慰める、という内容になっている。 崇徳天皇の略歴を述べておきましょう。平安時代の後期に鳥羽天皇と待賢門院との間に、第一皇子とし生まれますが、祖父白河法皇の子供ではないかとの疑いが生じていたために、父親との間に軋轢が生じていた。生まれた年に親王宣下を受け、二年後に皇太子となり、鳥羽天皇の譲位によって五歳で即位した。院政開始後の鳥羽上皇は美福門院を寵愛して、1141年・永治元年に崇徳天皇に譲位をせまり、体仁親王を即位させた。これが近衛天皇である。崇徳上皇にとってこの譲位は大きな遺恨となった。後に、保元の乱に破れ、讃岐の国に配流されてしまう。その後は二度と京の地を踏むことなく、1164年・長寛2年に46歳で崩御した。 日本の歴史上で、死後に怨霊になったと言われる有名な人物が三人います。平将門、菅原道真、そして崇徳天皇です。いずれも悲劇的な生涯を送った人々ですね。 この中でも最も高貴な出自である崇徳院に対する庶民の同情と共感は最も強く、江戸時代には崇徳院が生きながらに大天狗・妖魔となり、敵対した人々に恐ろしい復讐を遂げたとする怨霊伝説として定着していた。 松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり(― 契りきな かたみに袖を絞りつつ 末の松山 浪こさじとは ― 約束しましたよね、涙を流しながら、末の松山が決して波をかぶることがないように、二人の愛もかわらないと、それなのに…。松山と言えば、この古歌の末の松山の波のごとくに、変わるまいと思われたのに、形(潟にかける、浪の縁語)もなく、君はお亡くなりになられた ) 松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな(― この松山に流れ来た、丸木をくりぬいて作った虚ろ船の如く、院もそのまま、ここで亡くなられた ) 濱千鳥 跡はみやこに かよへども 身は松山に 音(ね)をのみぞ鳴く(― 鳥の跡、即ち、文字で書いた自分の教典のみは送れば都に届くけれど、私はこの松山で、ひたすらに泣く ) よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは 何にかはせん(― 以前立派な御座におられたとしても、君よ、無差別の死にあった今は、それが何になろうか、ただ、私は君の成仏を祈るばかりでありまする ) 物語の詳しい在りようは、各自で原典を味読される事をお勧めいたします。私は、青春時代に周囲の環境の下で西洋の文学にとても良い影響を受け、文学に限らずに、全ての事柄が日本は彼等に劣っている、との先入観念を脱することができないでいました。しかし、小林秀雄に顕著に見られる如くに、成熟した見識を以てすれば、我が国の文物は海彼岸のそれに比肩し得る、立派な物と言うか、世界的に見ても第一級の文化を誇って良い、素晴らしいものであった事実は、紛れもなかったのであります。 不幸な歴史の成り行きで、様々な分野での衝撃的な断絶があったために、文学のジャンルでは古典との大きな乖離が人為的になされてしまい、今の若い世代には古語や古典の世界は、外国語以上に難解な、近づくのが容易ではない、宇宙の果ての様な僻遠の地に異ならないまでになってしまっている。 私などは、涙が出て仕方ないほどに残念さが鬱積しているのですが、出来てしまったことはいくら残念でも仕方がありませんので、前向きに、プラス思考で考えを改めることにしました。焼け石に水、とは承知しながら、覆水盆に還らずとは思いつつ、さにあらず、為せば成ると信じて、老いの身に自ら叱咤激励を加えながら、可能な努力を、少しずつ致しておる所であります。 それにしても、であります。私達日本人の身体には大和民族の血が流れています。その血を愛し、誇りを感じている限りは、古典を、古語を自分のものとして復活させることは十分に可能です。とにかく原典に直接接することが肝要です。その際に、黙読だけではなく、音読する事を強くお奨めします。外国語の習得の際にも、同様のことが言えますが、母語の場合には尚更であります。出来れば大きな声を出して、子供のように、で構いませんので、朗々と読み上げることを推奨致します。 それから、何度も繰り返し、繰り返し読み返す習慣も付けてみて下さい。言葉は、話し言葉が基本であり、紙に書いてあったり、印刷されたものは、単なる黒いシミと何ら変わるところがありませんよ。人の口にのぼせられて音声化して、初めて言葉本来の役割を発揮するもの。取り分け、他人ではなく、貴方ご自身が自分の声で発声する。それが、その事が一番に大切なのであります。 読書百遍すれば、意おのずからに通ず、と言いますが、努力しないで暗記した文章は、自然に自分自身の言葉となって、意味など殊更に考えなくとも、他人が書いた文章でも、その文章表現と一体となった暁には、自分の手や足以上の存在となって、私たちを手助けしてくれる。その有難くも奇しき働きを、古人は言霊(ことだま)と称した。言葉もまた生きて働く、一種の生命体なのです。 その実例として命を輝かせているのが古典中の傑作として、古来から多くの人々に親しまれて来た名文の一つが、秋成の「雨月物語」であり、「春雨物語」なのですね。 それから、すべからく文章というものは、大意とか粗筋などと言うものは問題ではなく、響きであり、勢いであり、調べなのであります。文の勢いと言っても良い。何をよりは、如何に言っているか、その紆余曲節に全部がかかっている。 私は「源氏物語」こそは人類が誇るべき一大文学であると、日頃から感嘆・賛嘆して止めることが出来ずにいるのですが、この粗筋を知ったとしても、この傑作の百万分の一さえ伝わった事にはなりません。如何に作者が 巧みに そしてまた、自然に語っているか。その読者から同意と共感とを巧妙に引き出しながら、得も言われぬ人生の妙味を、仮構・フィクションの嫌味を感じさせずに、体得させ、あたかも光源氏と心を一つにする。或いは、登場人物の誰彼に同情して、共に悩み、悲しみ、喜ぶ。この様な大マジックも及ばない離れ業を、眼前に如実に示してみせる手練の技に、読者は心地よくも酔わされる。 上田秋成の短編の多くも、傑作揃いであります。「白峰」、「菊花の約(ちぎり)」、「樊噲(はんかい、人名)」などは世界中のどこに出しても恥ずかしくない、珠玉の名品でありましょう。 但し、外国語や現代文への翻訳では、その妙味は殆ど伝わらないので、やはり実地に原文で味読して頂くしか方法はないでしょうね。 コーラン、正しくは、クルアーンは、他の言葉に置き換えたなら、もうそれはクルアーンではないと言われますが、宜なるかな、至極尤もな事と思います。 「樊噲」などは短編と言うよりはボリュームから言って中編と呼ぶべきでしょうが、ピカレスク・悪漢小説としての妙味を堪能させてくれる名品ですが、その性質上筋が単純であるだけに、一気呵成に読了でき、読後の感じはやはり短編と言うべきかも知れない。創作に少しばかり手を染めた者として一言すれば、珍しく一気加勢に書き進んで、苦渋や推敲を感じさせない。作者も興に乗ってズンズンと書き進み、先ず先頭に立って面白がっている。読む方も作者の魂が乗り移って来るかのように、無邪気に悪を犯す主人公・樊噲と共に悪事を次から次へと重ねて、痛快なカタルシスを得る。現実では出来ない面白さを、存分に味わい尽くして満腹できる。フィクションの愉しさ満載と言ったところ。 また、「菊花の約」は実に麗しい武士同士の清い友情の顛末を語ったもの。九月九日、重陽の節句(五節句の一つで、旧暦では菊の花が咲く季節であることから、菊の節句とも。邪気を払って長寿を願い、菊の花を飾ったりした)に再会を約束した義兄弟の片方が、約束の日に幽霊となって千里を旅し、辛くも約束を守ったという、希に見る美談である。 雨月にしても、春雨にしても、非常な怪異譚を中核として持つが、世にも希で美しい美談が多く見られる中でも、このエピソードは本当にタイトルに相応しい清々しい香りが、匂い立つ様な名品であり、文章も引き締まって隙のないもの。幾度も繰り返し愛読する価値のある名文中の名文である。 それにつけても、世界中に美しいロマンス・恋愛の数は星の数ほど多くあるが、同性の友情を描いてこれほどの感銘を読者に与える説話は、珍しいのではあるまいか。 現実にも、男女の恋愛においてさえ、損得勘定が余りにも前面に出過ぎて、純粋な恋の陶酔に惑溺出来難い御時世となってしまっている。誰もが外見の美しさだけに関心が行き、心の美しさ、麗しさが蔑ろにされがちな昨今でありますから、まして同性同士の友情など、名前ばかりで中身のない、空虚なそれへとすっかり堕してしまい、だれも嘗ての昔に「菊花の約」に書かれている如き、死を以て約束を守る体の篤く誠実極まりない掛け値なしの清い友情が存在したことなど、とても信じられなくなってしまっている。 少なくとも、この私は、この様な純粋この上ない清い友情が、この地上にあるとは信じたくとも、信じることは出来ない。 私の体験からすれば、能村庸一氏との公私に渡る交際の過程で、僅かに、もしかしたら、清く純粋な友情はまだ存在し得るかも知れないと、微かに感じさせられた。 恋愛にしても、悦子の出現がなかったならば、欲得抜きの男女の愛情の交流すら、考えられなかったかも知れない程に、殺伐とした、砂を噛むような人情の海に、ただただ漂うに過ぎない人生を送って、生にピリオッドを打つことになったに相違ないのだ。 人と人との出会い、縁の不思議、生きてみて、初めて判る事柄であります。それにしても、日本というお国柄は本当に素晴らしく、この国にに生まれて良かったな、と心から思う今日この頃であります。
2020年12月18日
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しばらくは「自分自身との対話」とのタイトルで書いてきましたが、少し内容が限定され過ぎて、筆が伸びなくなっているように感じたので、敬愛する批評家の小林秀雄流に言えば、他人を出汁にして己を語る事にしました。上手くいくかどうかはやってみないとわかりませんが、私とはかなり異なったキャクターの作家と格闘する事で、何か少しでも収穫があれば、嬉しいと思います。 上田秋成は江戸時代後期(1734ー1809)の人で、特に怪異小説の「雨月物語」で知られています。彼は山東京伝や曲亭馬琴のような職業作家ではなく、小説は飽くまでも余技であった。 十八世紀に多く出現した余技としての文学や学芸に携わり、しかも複数のジャンルで活躍した多芸多才の人を「文人」と呼ぶが秋成はその典型である。 私は学生時代に「雨月物語」を少しかじった程度で、あまり関心を持っていなかったが、小林秀雄の畢生の大著「本居宣長」によって再び、強い関心を持つようになっただけで、特別な思い入れなどはない。 目下、雨月と春雨を読み直している最中でありますが、推敲を何度も重ねていることからも分かるように、他の職業作家には見られない、文章への耽溺、没入ぶりが伺えて、興味を惹かれております。 ディレッタントとして作品に向かっているので、読者への媚びがあまり感じられず、己の趣味趣向が強く前面に出ています。この点は同じ素人として文芸に接している私とも、気脈の通い合う点があり、好感が持てる所です。 雨月物語には「白峰」に始まって「貧福論」に至るまで九作品が収録されている。勿論、江戸時代とは言え古典でありますから、原文をすらすらと読んで、直ちに細部まで理解することはできませんが、注釈付きのものや、現代語訳も手軽に手に入りますので、それらを参照して味読されることを、まずお勧めいたしておきましょう。 今回は、最後に置かれている「貧福論」から始めてみます。 エピソードの荒筋については、ここでは省きますが、興味と関心のあるお方は原典でお確かめ下さい。私は勿論専門の批評家でも、古典学者でもなく、ただ自分に強い関心のある点だけを取り上げて、論ってみようというものです。貧と福とに関して、人は誰でも貧を嫌い、福を願うのは当然でありますし、富んでいる人を無闇やたらと貶す必要もありませんが、清貧と言う言い方はあっても、清福とは聞いた事がありません。欲望はまた次の欲望を生み、切りも際限もないからでありますが、特に金銭欲は、渇っした者が口にすると益々いよいよ喉が渇く不思議の水に似て、留まる所を知らないもののようであります。 金銀財宝を山のごとく集めた者で、世のため人の為に役立ち、人々の安寧幸福の為に奉仕した人の、この世にあった具体例を、私などは寡聞にして知りません。 富豪の典型をその時々の支配者と考えた時に、王者とは決まって己一人の欲望を満足される事だけに汲々として、支配されている下万民の生活など、歯牙にもかけることはない。 いや、そうでない。我が国でも、また外国でも、時に聖王、文字通りに神にも等しい偉大なる徳を備えた支配者が出現して、庶民を慈しみ、彼らを等しく幸福にしている。そう説く識者がいたならば、私はその方にお尋ねしたい。その具体的な事例を詳しく示して下さい、と。 間違いなく、それは何処かに誤謬が混入しているに相違ないのです。私の、人間理解からすれば、その様な事例は、神話の時代にしか有り得ず、従ってそれは、理想を渇望する人々が見る、儚い一夜の夢でしかない。そう、断言して憚りませんよ、私は。 人間とは一面で素晴らしい生き物でありますが、様々な煩悩、つまり、飽くなき欲望に踊らされて、手もなく正気を失って、餓鬼道・修羅の巷に堕する誠に卑しく、浅ましい動物でもあります。 中でも、お金は人間にとって垂涎の的の第一であり、巨万の富を眼前にして平常心を失わない者など、一人として存在しない。使いようによってはこれ程素晴らしい物はない代わりに、このマンモンの持つ魔力に取り憑かれた狂人に勝手を許したならば、核兵器以上に恐ろしい災厄が人間界に齎される事は、火を見るよりも明らかでありましょう。 君子危うきに近寄らず、と言いますが、お金というマンモンは聖人君子ですら宇宙最大の吸引力で牽引して、容易く己に近づけてしまう。近づいた以上は、君子は、聖人はもう聖人でも君子でもなくなってしまい、世にも醜い欲望の塊と化して、不善と悪との限りを尽くさずにはいない。ですから、貧乏であることは苦しく、厄介な境涯ではありますが、非常に幸福な事なのであります。心貧しい者だけでなく、物質的に恵まれない、文字通りの貧者も又、幸いを天によって享けている。私は詭弁など弄してはおりませんで、ここに私という大貧乏長者(?)がいて、自分の体験から物申して居りますので、嘘偽りなどではありません。苦しさや、悩み、困難などは幸福を阻害する本質的な要因とはなりません。本人の心がけ次第では「禍」を転じて福となすことは、至難な事では決してありませんよ。 そうでありますから、清貧に甘んじて、一切の富と言う富、財宝と言う財宝から可能な限り距離を置いておく。これに限るわけであります。と、言っても、貨幣経済に縛られている限りは、あまり距離を置きすぎても、餓死したりひもじさに苦しんだりしなければならない。どちらに転んでも、この娑婆世界に生息する以上は苦しみや悩みから解放される時は、無いのであります。 貧福論の中に登場する黄金の精は、自らを非情の物と言う。善悪禍福にかかわりなく、水が低きに流れる様に、自然に行動するから、自分には毀誉褒貶を受ける筋合いはないのだとも。 私がマンモンと呼んで大魔王の如くに口汚く表現するのも、黄金の精自身を非難するのではなく、大変に結構すぎるそれこそお宝であるから、ちょっとした誘惑にも揺らぐ川岸の葦の如く軟弱な、自分自身に対して大いなる警告を発しているであって、それ以外には他意はありません。 原子力にしてもそうですが、原子力に罪科(つみとが)があるわけではなく、それを使う人間の側に責任が生じるだけであります。 当時、世人が見たことも聞いたこともなかった偉大な破壊力を有したダイナマイトを発明したノーベルは、自分が手にした巨万の富を基金として、ノーベル賞を世の中に残していますが、ノーベル賞自体が人々から持て囃されればされる程に、故人ノーベルの罪の意識は益々深くなるかに見えるではありませんか。ノーベルの罪は、ノーベル個人のものではなく、人類全体が負わなくてはならない性質のものでありましょう。 こうして考える時に、不自然すぎる富の集積の裏側には、必ず、痛ましい殺戮や大量虐殺などの暗い犯罪が隠れている。人間とは実に業の深い、手に負えない代物だと改めて、感じさせられます。 君子は危うきに接近するべからず。しかし、危うきが奈辺に存在するかは、結果論に類することになってしまい、最初から危険と知れている場合は、むしろ稀なのでありました。陥穽はいたる所にあって、我々を隙あらばと、手ぐすね引いて待ち設けている。まさに、一寸先は闇なのであって、盲蛇に怖じずの例えの如く通常私たちは、戦々恐々となどせず、幼子が地雷を仕掛けてある野を嬉々として歩むが如くに行動している事に、気づかずにいる。 そして、考えるに、人間の大きな欲望の一つに他人を自分の権力の下に置こうとする支配欲と、その逆の誰か大きな力を有して自分を支配する者を渇望する、被支配欲とがある。 自分を支配する対象を人では無く、お金とするのが所謂守銭奴(最近では殆ど使われなくなった言葉ですから、一応通常の意味を書いておきます。守銭奴とは、金銭に対する欲が深く、貯めることだけに執着する人を言う)であるが、秋成の貧富論では、この守銭奴が神と崇める黄金の精霊と深夜に会話を交わすというのが物語の主筋である。最後に守銭奴の武士が、常日頃知りたいと念じていた、世の中の趨勢について、お金の精に質問する。 精はこれに常識的な、それ故に正統的な歴史感を示す。即ち、天下を支配する英雄豪傑は武田信玄、上杉謙信、織田信長、羽柴秀吉、そして最後は徳川家康を暗示する文言で締め括る。徳川の平和と太平を謳歌する、太平の逸民たる上田秋成にとっても、現在の安楽な生活が根底から保証される徳川政権の持続は、最も願わしい事であり、それは又いつの時代でも変わらない人々の願望でありましょう。 所で、現在の世界平和を根底で支えているものは、世にも恐ろしい核兵器である事実を、しっかりと認識できている人が、何れ程いるだろうか。驚くべきことに、平和はいつも人間の英知によってではなく、殺傷兵器の威嚇によって、或いは最新の兵器の実力行使によって維持されて来ている。この厳然たる事実をしっかりと心に銘記して、忘れまい。絵空事の平和論ほど人心を惑わすものはないのだから。 客観的に見れば、人類は常に殺傷兵器を神以上に崇め奉まつって来ているし、これからも、この状況は変わる気配が見えない。核保有国の大国同士は、お互いのパワーバランスで静かに睨み合いを続けるより外、有効な打つ手を持たないし、大国に追いつけ追い越せと後から台頭する後進国は、次々と大国が先に歩んで見せたレールの上を、確実に歩もうと準備おさおさ怠りない。 近代国家というものは、世界制覇を目論見、互いに睨み合う行き詰まりの袋小路に入り込んでしまってはいるが、他国を支配したいと欲する根本の野望は、心中深くに抱え込んだままである。これが非常に危険な、近代国家の業の如きもので、どこかで巧みに被支配欲的な振る舞いに切り替えないことには、何かの要因で、局地戦・ゲリラ戦が世界戦に移行する危険は、日毎に高まっている気配である。杞憂だと一笑できる人は現実を知らなすぎるか、人間を、社会を、国家を過信し過ぎている。 今日の当たり前は、明日の当たり前には必ずしもならないだろう。歴史に学ぶとは、普通に人が考えるよりも容易な事では無い事は、わざわざ此処で私が力説するまでもないだろう。
2020年12月15日
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雪の山 ひとり歩みて 何やらむ 谷間に紅き 実の一顆あり ― 今朝の夢の中で、ふと浮かんだ一首の歌ですが、叙景歌ではなく、心象風景の一齣です。 多分、読んでいた poems の余韻と、前回に引用した西行の和歌の残像に、偶々誘われてのものと思われます。もとより傑作であるとか、名歌であるなどという気持ちは全くありません。昼間の徒然に父親から譲り受けた俳句の趣味で、駄句をひねることはこれまでにも、度々ありましたが、夢の中で和歌を創作したのは初めての経験でありましたから、これも一興とご披露したまでのこと。 但し、現在の私の心境としては寂しさがきつ過ぎる嫌いがあるので、恐らくは、若き日の記憶がふと思いがけない形を取って蘇ったものと推測されます。 してみると、紅き実とは、出会ってまだ海のものとも、山のものとも判別がつかなかった、悦子の事を指しているらしい。 悦子に出会った頃の私は、まさに「雪の山」の中をひとりぼっちで「歩いて」いた。しかし、それは私の心の中の世界であって、外界の眺めは非常に賑々しく、私自身スポットライトを浴びたかのように、輝いて見えていたのかも知れない。 何しろ、華々しい芸能界デビューを果たし、一般の人からは少なくとも羨望の眼差で見られていたし、私自身もそれまでの暗いトンネルをとぼとぼと辿る様な陰鬱な生活とは打って変わった、外光を存分に浴びる明るく希望に満ち満ちた毎日を、送迎してはいたのだから。 その分かりやすい一例として、私の一寸ばかり恥ずかしい風俗店デビューのエピソードを披露致します。私が二十五歳頃のことです。名刺にはプロデューサーとありましたが、正式にはプロデューサー補でありましてテロップ上には名前が載っておりませんが、実質的に現場を取り仕切っていた頃のこと。映画は監督のもの、テレビはプロデューサーのものと言われ、スタッフや出演者から受ける信頼は絶大なものがありますが、以下のエピソードはそれを如実に示すものと、御承知おきください。 その日の撮影が終了して、撮影所近くの居酒屋でスタッフや出演者の一部で酒盛りをやり、お酒の勢いで誰が言い出すともなく、その頃話題の新川崎の風俗に繰り出そうという話になった。今でもそうですが、当時の私は融通がきかないと言うか、仕事以外ではうまく立ち回ることのド下手な野暮天でした。居酒屋の払いとタクシーの乗車賃までは負担出来たのですが、風俗で必要な料金まで賄う軍資金など、当時の私には持ち合わせがなかった。普通なら、この後、大事な仕事の打ち合わせが残っているから、と言って、新川崎行きは御免を蒙る。それが、まあ常識と言うもの。それで誰からも文句など出る気遣いはない。プロデュサー権限は絶大ですから、そう嘘の口実を言って、窮地を脱すればよかった。所が、人一倍要領が悪い私は、タイミングを逃してしまっていた。 気がついた時には、相方の女性の個室の中にいた。新川崎は当時、料金が高い事で有名で、中でも一番の高級店に繰り込む次第となっていた。初めての体験に面食らっていると、お姉さんがプンプンとご機嫌斜めの御様子である。そこで私は恐る恐る訊ねたものである。「僕、何か気に触ることでもしましたか?」と。するとお姉さんは言いました、「だって、そうでしょう。この私を前にして食欲を起こさないなんて、あんまりではありませんか…」。 それで迂闊な私もやっと事態を理解したのでした。で、経緯を説明して、無粋を詫びたのでした。相方の女性が気に食わなかったわけではなく、持ち金が不足して、入湯料金だけを辛うじて支払った事情などを。すると、新川崎一の名声を博していたそのお姉さん、お姉さんと言っても、どう見ても十八九歳の素晴らしい容貌と、豊満な肢体を惜しげもなく眼前に晒していた名妓の表情が、がらりと変わった。そうですか、それならば、お客さんからお金は頂戴いたしません。今夜は私持ちですから、こゆっくりとお楽しみ下さいませ。そう言うといそいそと私、客とも言えない無粋な私を、親切丁寧に接待してくれたのでした。別れる前に、私は自分が正直に全てを話していた事を証明する為に、自分の名刺を差し出して、正真正銘、逃れられずに今夜の如き醜態を演じたことを、心の底から詫びたのでした。数ある店の中でも特別にこの店を選び、しかもNO.1が私に回るよう配慮したのも、仕事仲間の好意からだった事なども、丁寧に説明した。 すると、その女性は店の名刺だけではなく、特別待遇で店から与えられている部屋の電話番号や故郷の九州の実家の電話番号・住所など、「これはお客さんにだけすることで、最初で最後の事です、きっと。今夜は私も非常に嬉しい気分を味わうことが出来ました。お見受けしたところ、お客さんは生真面目で、正直なお方です。どうぞ、お仕事の方、お体にお気をつけて、頑張ってください。私も、あと二三年この店で働いてお金を貯めたら、国に帰って小料理屋でも出して暮らすつもりです。ロケーションなどで、近くまでいらっしゃる事があれば、どうかお立ち寄りください」と言いながら、書いて渡してくれた。 私が二度とは、この女性に会うために、来店する気遣はないことを、とっくに見越している様子。歳は若いながらも、業界でナンバーワンの地位を獲得する程の女性は、普通とはまるで違う出来合いなのでした。 女性が予見した如くに、私は毎日の忙しさにかまけて、この夜の事や、女性の事などすっかり忘れてしまっていました。 数年後のある日の事、同期のプロデューサー仲間との会話で、風俗の話になって、ふと、あの夜の事を思い出したので、そう言えば、こう言う事があったよ、と話したところ、彼はその種の店では不愉快な目にばかりあっていたらしく、「古屋な、お前が、こんな事があったらいいなあ、と思う気持ちはよく理解出来るけれど、そんな夢のような作り話は、リアリティがなさすぎで、誰も信じる者などいないよ」と、天から馬鹿にして、笑い飛ばしてしまいました。 それはそうです、苦界に身を売ると言う表現がありますが、私が遭遇した天女の如き女性は、御伽噺にむしろ相応しく、彼が一蹴したように現実に存在するとは思えません。 これが、当時の私、売り出し中の新人プロデューサーのオーラの如きものが、周囲の人々に知らず知らずに与えていた御威光のあり方だったのでしょう。その顕著な解り易い例としてお話したまでで、私が十八番だと不名誉にも決めつけられている、自慢話の類などでは断じてありません。 私は、どんな場合でも「らしくない」と言われます。プロデューサーらしくないプロデューサー、教師らしくない教師、父親らしくない父親、夫らしくない夫だった。 たった一度だけ、あの天女様の前でだけ、それこそ真っ裸の付き合いだったから、真のプロデューサーらしく振舞う、プロの女性が柄にもなく、あってはならない、一目惚れでシャッポを脱ぐ、とびきり素敵な青年と認めて貰えたのでしたろう。 半世紀以上も昔の、たった一夜の出来事、私にもあれが現実であったのか、あの女性は本当にこの世に存在していたのか、全く定かではありません。この話を、妻の悦子と、限られた女性の知人にだけ話した事がありますが、何故かその女性たちだけは私をよく知っているせいか、直ぐに信じて、「それで、貴方はその女性に電話一本しなかっのでしょうね。そういう薄情なひとですよ、古屋さんは」と、まるでその女性の分身ででもあるかの様に、白い目で見られた経験があります。 悦子と結婚してから、なぜか知りませんが、七戸の神様と言う野辺地の悦子の実家では大変な信頼を寄せて信じていた御方がよく言われたことですが、観音様と龍神様が私と悦子とを守護して下さっていたようですので、きっとあの夜、あの時に有難くも慈悲心に溢れる観世音菩薩が、仮にあの女性の姿を借りてこの世に顕現したのかも知れませんね。そうすれば、あの不思議は常識的な不思議では無くなるわけでありますから。 現在の私の心境としては、春の緑、秋の紅葉と言った色彩鮮やかで、豊かな満足感で満ち満ちている。身体的な衰えと、それに伴う精神の衰えは争えず、こればかりはどうにも抗いようもないのですが、ある意味では私の一生の中で最も恵まれた、そして安定した幸福な時期だと言って良いのかも知れない。 最愛の妻を失って、それ程の喪失感も感じずに、生き存(なが)えている事は、不思議と言えば不思議ですが、考えるまでもなく私は妻悦子をそもそも普通の意味では、失ってはいないのでありました。彼女は生前よりもより身近な存在となって私のごく身近にいる。そう、自然に感じられる。だから、孤独ではないわけである。 それに次男夫婦が同じマンションに暮らしていて、週末には三人一緒に外に食事に行って、楽しいお酒を嗜むことが出来ている。長男達も大船で元気でやっている様子。 私は、趣味と実益とを兼ねたアルバイトの塾講師の仕事も、ちょっとしたきっかけを潮にやめてしまっているので、義務や強制で働く必要はなくなっている。実に気楽で安気な生活を存分に満喫出来ている。だから暇には違いないけれども、退屈はしていない。 そういう、非常に恵まれた境遇に置かれていて、これも強制や義務からではなく、パソコンのブログを書いたり、読書をして自分なりの楽しい時間の使い方を、自由に、気儘にやれている。 貧乏とは言っても、明日の生活を思い煩う程ではなく、その気になれば旅行も、外国旅行でさえその気に、なれば行くことは可能なのだが、仕事で他人の何倍も国内を贅沢に飛び回っていたせいか、全然行きたいとも思わないのだから、これも世話がない。自分ながら、お釈迦様の説かれた涅槃ほどの平穏な心境ではないけれども、私流の悟りの境地には、労せずして入れている。 誰かから、相談を受ければ、お金が絡むこと以外であれば、何時でも、気軽に受ける用意もある。こちらからの 親切の押売 だけは厳に慎もうと、自分の心に言い聞かせている。このブログを読み、こんな私にでも何か頼みごとをしてみようと思われた方が、もしいらっしゃったなら、遠慮などせずに、どんどん相談を持ちかけてみて下さい。こちらは、首を長くしてお待ちしておりますので。念の為に申し添えますが実費にしろ、相談料は頂戴いたしません。相談の結果で、あなたが少しでも幸福になれたとすれば、それが私の必要としている「報酬」になるわけです。 自由主義経済、資本第一を標榜する今日の世界において、私ほどにお金に支配されずに自由気儘を謳歌できている幸福長者はいないだろうと、勝手に豪語している。我ながらに、実に能天気な爺いだと、自覚もしております。実に使い勝手のよい爺様だと、自分で判断していますよ。本当かどうか、試してみてやってください。勿論、相談などする種がないのが、一番なのですがね。
2020年12月08日
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我々が感じている 不安 について考えてみます。 我々は常に不安を感じながら生きています。それにはそれなりの理由があります。 我々は誰でもこの世にたった一人で、しかも裸一貫で生まれて来ます。そして死ぬときも、何も持たずに、無一物でフェイドアウトする、それもやはりたった一人で。 その上に、生きている時でさえ、家族や友人やその他の人々と一緒にいる時でさえ、本当のところは、ただ身近にいるでけで、魂は別個、離れ離れでいることは、実際の人々の生き方を見ればすぐに分かることですね。 われわれ人間がどの様な知恵を働かせ、様々な道具を駆使して身辺を飾り立てて見たところで、このような根本のあり方は変わりません。つまり、我々は本質的に孤独であり、孤独のままあの世に旅立つ運命の下にあるのです。だから、生きるの同義語は不安を常に抱えている、なのですね。 その上に、我々は男女ともに不完全であり、未完成でもありますよ。男も、女も生まれながらにして異性のパートナーを必然的に必要としています。魂は別々でも、せめて肉体だけは密接に結びつく瞬間を迎える為に。 無論、この性交行為は子孫を後代に伝えるという、生殖の意味合いが付与されてある。しかし、子孫たちにも孤独に生まれ、孤独に死ぬ運命は永遠に引き継がれ、本質的な孤独は進歩改善される折とてない。 この様な存在として人間を創造された神の意図は奈辺にあるのか? これからその深い意味合いの幾つかを探ってみたいと思う。 人間を創造された際に、神は「産めよ、殖えよ、地に満てよ」と、われわれを祝福されたという。さて、この神の言葉通りに人間が地球上に溢れかえる程に繁栄を遂げた現在、地球は一体どうなっているでしょうか。皆さんがご承知の如くであります。 孤独を各々の胸に抱えながら、営々と生物としての活動を続けた結果は、大気汚染であり、海洋汚染であり、人間以外の生物の生存を様々に圧迫し、又は、死滅・根絶という大量殺戮を大規模に、反省と言う言葉を知らないが如くに、性懲りもなく続けて倦まないかのよう。 これが、一体、全能の、公平無比な絶対者が望まれた事なのでしょうか? 考えるまでもなく、否でありましょう。人間は、全人類は、余りにも善良で、太っ腹な神の好意を良いことに、勝手気ままを垂れ流しにし過ぎてはいないでしょうかね。 のみならず、人間はこのままで行くと、同胞達の大量虐殺に赴き兼ねない。いや、その瀬戸際まで来てしまっている。そして、この事態をまえにして、自分だけは悪人ではなく、どこかの誰かさんが悪いのだと言った顔をして、ケロリとして、善人ズラを崩そうとはしません。神ならぬ、私などは呆れ返って、言葉も出ないのですが。 いやいや、絶望などしてはいられませんよ、神が示した未曾有の善意に対して、申し訳が立たないではありませんか、人類というこの「稀代の殺人鬼」の末席に連なる身としては。人間である限りは、同類が犯した罪は我が罪、逃れる術はありませんから。一隅を照らすこと、これだけが、孤独で常に不安という宿痾に苛まれている、二足歩行の哀れな獣の成れの果ての、非力な片割れたる私に、かろうじて出来る事。 人生意気に感ず、とは古代中国人の言葉ですが、私もその尻馬に乗って、結果がどうであろうとも、小志が立った時点でよし、とする考えに両手を挙げて賛成する者であります。シェークスピアの「終わりよければ、すべてよし」をもじって、「始め善ければすべてよし」とここでは言っておきましょうか。 神ならぬ身で、ロングスパンの結果を見てからの判定では、責任の取りようがないからでありますが、このブログで何度も言っている通り、全ての事に関して、トータルには良いも悪いもないのでありまして、強いて判定すれば、一部はよく、一部は悪い、と言う事にどうしてもなってしまう。微小部分には全体を俯瞰して正しい全体像を把握することなぞ、及びも付かないことでありまして、「人生万事が、塞翁が馬」にいみじくも表現されている如く、善悪はあざなえる縄のように、延々と切れ目なく連続しているわけであります。結論は、強いて言えば神のみぞ知るという所に、落ち着かざるを得ないのであります。 さて、いつものごとくに私事ですが、不安を抱えた悦子が、別の不安を抱えた私と、ふとしたことで出会い、不安同士が謂わば放電現象を起こして、運命の結びつきが始まった。プラスとマイナスの電気が相会すれば必ず電流が流れる物理法則が厳然として存在するけれども、人間の場合には、絶縁体部分が大半を占めているせいか、どういう加減かはよく判かりませんが、女と男が出会ったからと言って、滅多なことでは通電いたしません。一種の、奇跡が発生しなければ。 私達の場合は、他人の目からすれば、世間にざらに見られる、陳腐この上ない男女の結びつき、と見えたで有りましょうし、事実そうでありました。 運命の、などと、御大層な形容詞をつけて飾り立てた所で、内容は劇的要素など欠片(かけら)もなく、偶々、何かの拍子に跳ね飛ばされた小石同士が正面衝突して、微弱な火花が生じた。客観的な現象としては、一点の非の打ちどころもない完璧な表現でありますね。 所が、当事者たる私ども二人にとっては、この大宇宙の生成に匹敵する、大事件が出来(しゅったい)したも同様だった。まさに事件が起こってしまった。それも、後になって事の重大さに、当事者同士も気づくことになったのでした。神の御技は飽くまでも微妙にして絶妙、ごく普通に、なんの前触れもなく、事もなげに、奇跡中の奇跡を作り出してしまう。 この、ごく平凡な、ありふれた男女の成婚が如何に奇跡中の奇跡であったか、それを身をもって体験させられたこの私ですら、ごく最近に到るまで気づかずにいた程の、不可思議さなのであります。 この間の経緯を、納得できるようにまでとはいかないにしても、朧げながらに理解して頂くには、大長編が、それも源氏物語に匹敵する様な長編小説が必要となるでしょうが、私は、悦子も同感だと思いますが、人様に私達夫婦に起きた不思議をくどくどと述べて、大感動を与える興味は全くありません。 何か、勿体ぶって、針ほどの事柄を太陽の如き大きさに見せようと、見栄坊の私が謀(はかりごと)を企(たくら)んでいると邪推する向きも多かろうと、考えますが、それは飛んだ誤解であります。 ただ、一言、普通には有り得ない奇跡が、ごく当たり前に起った。そう言えば済むことでありました。 これも毎度、私が口癖のように言うセリフですが、この私達の様な奇跡に類するマターは、仔細に検討し、丹念に検証を施すのなら、誰にでも起こっている「奇跡」なのでして、ただ、私が、変わり者の偏屈なボケ老人が、殊更らしく自分事を大袈裟に吹聴して見せているだけなのであります。 つまり、私ごときにもこの様な感激が与えられている以上は、公平無比を特徴とする神が、手抜かりをなさるとは、とても思えないのであります。 自分は神から見捨てられた、神も仏もあるものか、などと、捨鉢な、荒んだ気持ちで毎日を送っていらっしゃる自称「不幸な人」、どうか、お願いでありますから、お気持ちを強くお持ちなされて、今一度だけ、ご自分の事を省みてやって下さい。天は自ら助ける者を助ける、と申しますよ。自分で、自分に見切りをつけてしまったお人に、どうして有難い神の恩寵が見えるでしょうか。 どうか、冷静さを取り戻し、御自分に備えれれたエネルギーの全部を振り絞って、一歩でも、四半歩でも前進する勇気を、取り戻して下さい。 ここで、不安を抱えた孤独で、不完全で、それ故に未熟な存在には、悪いところだけではないことを、次に指摘しておきたいと思います。 我々は不安であるからこそ、その不安を何とかして解消しようとする。少しばかりの努力では、不安は益々その度合いを強めるばかりで、少しも減少したり、解消されることことはない。だからこそ、本来然るべき相手を必要としている自分自身を強く自覚する。と同時に、赤い糸で結ばれた運命のパートナーを模索する事にもなる。自分から積極的に動き出す原動力として、身に備わった不安衝動は重要な働きをしてくれる。つまり、生まれ落ちたままの自分であっていけないのだと知る。自分を叱咤激励して、成長させ発展させなければいけない。その為には努力が必須である。努力のためには忍耐が要請され、といった具合にプラスのスパイラルが自ずから発動してくる。 同時に、不完全で未熟な状態を強く自覚することから、他者との絆、結びつき、協力・協調などの大切さを自然に教えられて、他動的にではなく、自ら進んで人間関係のより良い構築に向けて、より一層注意を払う事になる。 さびしさに たえたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里 ― 西行法師のこの歌は、誠に平易で遅滞なく自然に詠まれておりますが、人間存在の深部に触れた大傑作であります。 私の下手な解釈を施す必要もないのですが、下世話に砕いて、例によって私流に言い換えてみようと思います。世の中には孤独だ、寂しくてたまらない、淋しさで気が狂いそうだ、そんな戯(たわけ)た世迷いごとを臆面もなく口にする手合いが大勢いるが、私程の心の孤独に耐えに耐え、しかも表面上は平然と世を渡っている者は、恐らく私の他に誰ひとりとしていないであろう。しかし、実に寂しいことだ、生きると言うことは…、この真の生きる寂しさに堪えて平然と、毅然として生きている人がただひとりでもいてくれたら……、いやいや、無い物ねだりはよそう、そして深々と雪が降り積もる山深いこの里での生活を、このまま一人で死ぬまで続けよう、それが拙僧らしい生の消化法なのだから。 最後に、不安をいつも抱えた存在と知っているからこそ、私達は他人に対しても優しくなれる。人は常に自分を基準にして他人を思いやるものだから、優しさ、労わり、思いやり、等などの神の一番の属性を無理なく発揮して、人間が美しく輝く瞬間である。 そして、世の中の誰よりもいの一番に優しさや、思いやりや、いたわりの精神を発揮しなければならない対象者は、ほかならぬ自分自身なのでありました。あなたの肉体や、精神、魂の管理を一任されているあなた自身がその大切な任務を放棄しては、誰が面倒を見てくれると言うのでしょう。分かりきった話であります。一人ひとりが自分のなすべき事をなす。これが、始めであり、終わりでもありますね。
2020年12月04日
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当たり前な事が、当たり前に、普通に運ぶ。それが、我々の幸せを構成している基本的な部分である。 よく、大切な物を失って始めて、その大切さに気づくと言われる。健康しかり、空気や水や、親兄弟、パートナーなどなど、数え上げていたらキリがないほどに数多くの物や事柄が我々の生活を根底で支えてくれている。その命の営みをさり気なく支えてくれているからこそ、我々は毎日を何不自由なく送ることが出来ているのに、何と罰当たりな事に、我々はそれを「当たり前の事」と考えて、自分にとって不可欠なものとは普通には考えたりしない。 当たり前のことなど、この世には何もないのだ、と言うごく当たり前の事実に気づくのは、良いことだ。 勿論、身近にいる誰かが、そう感じるように上手くお膳立てしてくれているからこそ、ごく普通に当たり前な顔をして生活できているのであるが、日常生活における我々の認識は、普通だったり、当たり前だったりする事が、様々な特別な計らいの重なりによっていることを、知らぬげに過ごしてしまう。考えてみれば罰当たりなこと、これに過ぎることはないのである。 改めて私がここで事新しく言うまでもない事ですが、この世は 特別で、異常な事柄 ばかりで成り立っている、それに我々が普段は気づかずに生活しているだけであって。 宇宙のこと、地球上の事、身辺に身近なこと、全部が全部、気づいてみれば当たり前でない事、異常なこと、不可思議千万な事柄の連続ではないか。 我々はきっと生まれた瞬間から、これらの当たり前過ぎる不思議の山に囲まれているせいで、不思議を不思議と感じず、当たり前な事が普通に行われている、と感じてしまうだけで。 この年になって、精神年齢十歳の未熟な私などは、改めて、この自分がいつの間にか「普通の住人」となって久しいワンダーランドの不思議に感動して、驚嘆の叫び声を発したりしている。 私の身体ひとつとっても、私を囲繞している大宇宙の小さな小さな雛形の様なこの小宇宙でも、時々刻々と非常な驚くべき営みが、絶え間もなく継続され、その管理を神から任されている管理者たる私の意思とは無関係に、と言ってしまうとどこかに無理がありますが、一見は、私の表面的な思惑とは別個に、不可思議千万な ( この表現は、誇張でも、大袈裟でもないのです、まさに言葉以上の驚天動地の細胞レベルの営みなのですからね ) 化学変化を含めた大変動が粛々と、静かに、事もなげに行われている。驚くべきことではないでしょうかね。 例えば、木の葉一枚を例にとってみても、繊細で見事な営みの証拠が見られるではありませんか。イエスがいみじくも言われた如くに、栄華を誇ったかの偉大なソロモン王ですら、朝に咲き夕べには枯れてしまう運命の野の百合ほど、豪奢な衣装で身を飾った事はなかった、わけでありますからね。 全てが偉大極まりない神の御業なのでありますが、この比類なき公平さ、無類の心遣い、優しさ、繊細さでありますよ。 さて、夢の話を致しましょうか。学者によると、夢は誰でも毎晩見るものだそうですが、私はその殆どを覚えておりません。今朝の夢はひとつだけはっきりと覚えていました。現実にあった事柄とは違って、登場人物の性格など、いささか違っている、創作的な内容でした。内容については極めて個人的なものですし、省略しますが、不思議なのは、夢を見ながら私ははっきりと、これは夢だと自覚しながら、夢の内容によって感情を揺り動かされていることです。夢もまた、私のものであって、学者の説明によると無意識の働きによるものだそうですが、私の自覚的な意思が及ばない世界での、奇妙な展開に終始するワンダーランドの続編の如きものであります。 昔の人はこの夢に非常な重きを置いたようであります。夢を買うなどと言う事があったらしい。自分で自由にならないから、望む様な夢を見たという人から、お金を出して買い取った。また、夢で神様のお告げがあった事も、伝えられている。 私のような凡人には、大それた事は告げられませんが、夢の啓示めいたものは、時折届くことがありますので、私は自己流に自分に都合のよいように利用して居ります。それで良いのだと勝手に決めてもいますよ。ままにならない世の中で、人様に迷惑の及ばない範囲での勝手気儘は、許されていると心得て。 前回、思いつくままに、政治と支配者について、実に個人的で勝手な暴言を吐いたのですが、非常な好評を博しましたので、その続きを調子に乗って書こうと思います。 教育の一端を担った者の一人として、教育の大事さ重要さを痛感する事において、人後に落ちるものではありませんので、次のような提案をしたいと考えました。暇つぶしの一種と軽く読み飛ばして頂ければ幸いです。 政治家の主宰する何々政治塾と言うものがありますが、そういった物とは全く別個に、公立のエリート政治家育成専門の高等教育機関を設立して、政治についての英才教育を徹底して施す。その卒業後の生活については国家的な保証をする。卒業後は将来の総理大臣乃至は、大統領候補の最右翼として、国民の厳正な審判を仰いだ上で、それにパスすれば上級代議士としての資格を付与され、一般の人気投票めいた選出議員とは峻別された政治エリートとして、常に国民の監視を受ける事となる。 プラトンの哲人王統治の模倣と言われればその通りですが、良いものは良いので、真似しても一向に構わないと、私などは思うのです。僭主は出現する可能性はゼロではありませんが、明らかに愚衆政治と堕した現状よりは、遥かにマシだと愚考するのですが、如何でしょう? 学生時代からノンポリで押し通して来た私ですが、あまりの体たらくぶりに嫌気がさして、それに私などはこの世を後にするのは秒読み状態ですから構わないようなものですが、後に続く若い世代に対して実に申し訳ない気持ちで一杯になり、柄にもない政治マターに蒼い嘴を挟む気になっているのです。 以前に、この同じブログ上で、言葉の正しい意味での宗教、宗とする教え、を本格的に教育の中枢に据えるべきとの提案を書いたのですが、一時的な賛同は得たものの、世の中を動かすまでには至ってはおりません。今度の政治素人速成の乱暴な青図なども、話題にもならず黙殺の運命にある事は、明々白々なのでありますが、私自身の憂さ晴らし効果だけは期待できますので、書いた次第であります。 念の為に申し上げますが、謂わゆる政治に多くを期待することは禁物です。何故ならば、私見では政治的な配慮の根本には、質ではなく常に量があるからであります。神の配慮のごとき、九十九匹を措いても先ず失われた一匹を探し求めるなどという「高級な芸当」は期待薄で、政治家の最大の貢献とは、道に迷っている薄鈍(うすのろ)など天から問題にしませんで、九十九匹の管理を後生大事と気にかけるのが関の山なのです。 その点で、文学や哲学等といった有閑種族の目指すところは、神の有難い思し召し程にはハイブロウでありませんが、優勢を誇る大多数者をおいてでも、いの一番に「ノロマな」一匹の救済に命懸けで取り組む善意の人達なのです。私は 政治の酷薄 と識者から教えられる前から、本能的にそれを嗅ぎ分ける嗅覚を持っていました。それは文字通りに私が、九十九匹の側にではなく、取り残される一匹であることをそのことだけを、鋭く自覚していたからでありました。 例えば、子供の悪戯で悪さを大勢でした際に、抜け目なく周囲に目を走らせ、怖い大人の監視の目が及んだ時に、逃げ足速くその場を逃げ去る者達の仲間ではなく、自分の置かれた立場も弁えずに、いけ図々しく現場に居残る鈍間(のろま)の最たる者、鈍臭い子供だったから、体得し得た生きた知恵なのであります。 実際の生活の場では、躊躇なく九十九匹の側に軍配を上げざるを得ないのでありますが、私に代表される女々しい輩は、弱者の代表は、そのあまりにも現実的に過ぎる判断に、異を唱えないではいられない。救いのない定めにある弱者中の弱者に、神の幸あれと願わなくていられないし、実際に、その悪あがきに腐心もするのであります。なんで、圧倒的大多数が安穏ならば、取るにも足りない一匹の事などに、こだわり拘泥する必要があろうかと即断できる現実家を素直に肯定できず、めそめそと迷路の中を彷徨い続けるのです。 人間ではなく、神の広大無辺なる慈悲心を本能として直覚しているからこそ、無い物強請りに拘って、素直には人間的現実に直面出来ないでいる。 万物の霊長などと自画自賛している猿の化物が、事もなげに同胞、親しい仲間を見殺しにして平気でいられるのか? 仕方がなかった…、そう、その通り、でも、貴方は良心の痛みを感じないで平然としていられるのでしょうかね。私は、怨霊の飽くなき復讐心を恐れるものであります。我々の先輩たちも一見はどの様な悪党に見えようとも、この所謂良心の痛みに苦しんで来た。御霊信仰が如実にこの間の事情を物語っているのでありました。これを私は、日本人の魂の立派さの証明とさえ考えています。 迷信深い無知蒙昧と嘲笑う、西洋かぶれの似非エリート階層に、お前こそ人間の顔をした獣だ、いや、獣にも劣る下劣極まりない輩だと、呪詛の言葉を浴びせかけてやりたい。 日本人は、根は心優しい、平和を心の底から愛する民族であった。外圧に遭って、西洋列強の外圧に押されて、富国強兵策をとり、窮鼠猫を噛む体の御乱心に及んで。これが、少なくとも明治以後の日本国のありのままの姿でありました。傍から見ての異様さや野蛮には、それなりの止むにやまれない悲壮な感情が隠されていた。この事を、自国民に、そして心ある世界の人々に言って聞かせよう。自らの正当性や正義感のありどころを、有りの侭に語ろうではないか。 それが、世界史に後から名乗りを上げた後進国としての、最低の責務であり、アイデンテティの確立である。バカ正直に、いつまでも謙遜や謙虚さの美徳にすがりついているのは、バカの骨頂ではありませんか。 日本国は世界中でも有数な素晴らしいお国柄、優秀な国民と、美しい国土と美しい海に囲まれた、稀有なフェアリーランドだった。今現在でも、その尊い遺産は幾分受け継がれて残存している。 私たちにはこの国民性と、風土とを可能な限り守り続ける義務と責任があるのです。命にかけででも守って行こうではありませんか、孫子の代まで。
2020年12月01日
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