全3件 (3件中 1-3件目)
1
私はわざわざ断るまでもなく、凡俗中の凡俗である。謙遜でも何でもない。ありのままを正直に述べているに過ぎない。大きな野心もなければ、だいそれた下心もなく、ただ只管に、生かされてある存在である。 だから、人様に誇るべき何物をも、悲しいかな持っていない。ただ、自ら密かに心の中で誇りに思っている事はある。 ここまで書いてくれば、私のブログの有難い読者である少数の奇特な御方は、ああ、またもやあの事を書き出すのだな、と感づかれた筈です。はい、御明察の通りであります。 理由は不明ながら、不肖・古屋克征、念の為に申し添えますが、姓の方は問題ありませんが、下の名前の方が、正しく読まれた事がただの一度もありませんので、申し添えたいと考えたのですが、正しくは「かついく」と言います。昭和18年の八月に生まれており、戦時下ですので、敵に「克(か)ちに征(い)く」と言う御時勢に合わせて名付けられたもの。母親は、かついく、だなんて、おお嫌な呼び名だこと、と最初思ったそうです。そのせいかどうかは知ませんが、母親は専ら私を「かつ坊」と呼び続けて、私が成人してからも、それは変わりませんでしたよ。 それはともかく、愛妻悦子は終生私を「かついく さん」と呼び習わしてくれましたね。悦子の生まれた青森では、英語風に下の名前を「さん」とか「君」とかの敬称を省くのが普通で、この事からも、悦子が何故か夫を常に一目置いた形で接してくれていたことが、よくわかるのでした。 そう言えば、成人した後に息子たちから聞かされたことですが、「あなたたちのお父さんは、とても偉い人なのですからね」と、常々教えていたとか。だから、子供たちも、何故か理由は分からないながらも、偉いお父さんを、優しくて時に怖い母親が無条件に尊敬していた事を、肌で感じていたようです。 こんなエピソードがありますよ。 当時の私は若手のテレビドラマ・プロデューサーでしたから、仕事では数百万から数千万、時には億単位の大金をその職能上で動かす権限を持っていましたが、身分はサラリーマンですから、個人の収入としてはまあ貧乏の部類に属する、しがない生活を送っていたわけであります。 ですから、子供たちにも「家は貧乏なのですから、贅沢は出来ませんよ」と口癖のように言っていた。所が父親の私は、仕事上で、職能の性質上、酒席での接待が欠かせませんでした。良いの、悪いの、の問題ではありませんで、当時はそれが必要であった。必然的に帰宅が遅くなる。夜明け方になるのもしょっちゅうでした。 ある時、駅から歩いて十分、子供の足でも十五分という距離に我が家、賃貸の団地があった。幼い息子二人は駅前からバスも出ているが、タクシーに乗りたいと駄々をこねた。妻は、「家は貧乏なのだから、そんな贅沢は許しません」と子供たちの要求を断固として、撥ね付けた。 それは、それで済んだのですが、数日後、二人の息子は何か重大な決意の表情を面に浮かべながら、妻に言ったそうである。「お母さん、あのお父さんの毎日使っているタクシーは、止めてもらわなければダメだね。貧乏な家が益々、貧乏になってしまうからね」と。言葉に出さなくとも、子供達の思っていることは手に取るように分かります。本当に家のお母さんたら、僕たちにはとても厳しいのに、お父さんにはとても甘いのだから。公平に家族に接してくれないと、僕らが困ってしまうのだ、と。 後日、妻は苦笑しながら、こう言ったものだ、「私、本当にどう言ったらよいか、困ってしまったわ。あのお父さんのタクシー代は、家計から出るのではなく、仕事の経費なのよ。そんな説明をした所で、子供達が素直に納得してくれるとは、とても思えなかったから」と。 子供を育てるという仕事は、本当に大変なのだと、うっかり者の私はつくづくと実感したものだった。 サラリーマン現役の時には、子育てにはノータッチできた私だったが、定年後は、学習塾の講師という形で小学生から高校生までの子供や若者と接する事で、自分の息子達には出来なかった子供への指導や教育に、曲がりなりにも役割を果たす機会を持つことになった。 子供に接するチャンスは、大人達とのそれ以上に、「学習」や「学び」について、より深く、幅広く考える時間を与えられる事となり、有意義で楽しい体験を重ねる事となった。 自分の子供達とは、大人になってから、長年の夢であった お酒を一緒に飲む 機会を、嫌というほど持つことが出来ている。実に、私としては、至れり尽くせりの至福の時間の贅沢を、これ以上はない程に満喫出来ている。ただただ、頭を垂れて神仏に、その広大無辺の慈愛に、衷心より感謝の念を捧げるのみ。 実に、山あり、谷あり、起伏に富んだ人生であったが、思い残す事は一つとしてない。悦子の事に関しても、名残惜しい、という本音を押し隠して、十分に満喫し尽くした。そう、言い切っているが、人間の欲望には限(きり)も限りないので、それこそ、千年も万年も一緒に暮らしたかった。共白髪、と言っても私の方は禿頭で毛髪半分以上を失ったから、ハゲの爺さんと、白髪の婆さんであったろうが、しわくちゃの老人夫婦が仲良く肩を寄せ合って、鶴や亀の如くに生きたかったよ、本音の本音を言えば。 でも、思い切りの良い悦子が、潔く、実に見事に死んでいった姿を目の当たりにした時、これで善かったのだ、何から何までが。そう、得心することが出来た。その点からも、悦子は私には過ぎた素晴らしい女性であったと、遅まきながら二度惚れし直した次第。 前に、永劫回帰というフリードリッヒ・ニーチェの用語を使ったが、これは心底から信じている私の確信であって、永劫の時間経過の中で、私と悦子はそれこそ永劫回数出会いと邂逅を繰り返すわけなので、その事を思えば、私の辛抱しなければならない時間など、物の数ではない。 ですから、永劫回帰なる言葉や概念は、私の為に出来ていた言葉であって、決して借り物や、人真似の安易な着想ではなかった。 神さえも創造してしまった(?)人間の一人であるから、永劫の時間の中での繰り返される出会い・邂逅と言った概念を勝手に(?)に使ったからと言って、別に人を驚かせることにはならないだろう。そんな風に、自分流を堂々と主張する、私の如き変人が居たって、それ程罪作りとも思わないのであります。 えつこ曼荼羅つれづれ草と命名したので、もう少し、悦子に直接関連した事柄を述べてみましょうか。そう、今改めて読み直している Bible の本ですが、新婚の頃に悦子が私にプレゼントしてくれたもの。当時、私の妻と自ら称することがよほど嬉しかったと見えて、「克征さんへ 妻 悦子 より 51.11.30」と妻の手跡で書かれている。当時は、例によって何とも思っていなかったが、改めて後から見直す度に彼女の熱い思いが偲ばれて、思わず知らず目頭が熱くなる。 当時の悦子は、あれこれと私の物を買って、私に与える事に無上の喜びを感じていたらしい。らしい、と言うのは、これもやはり、後になって当時を振り返った私の気づきから、そう書くのである。 「昭和54年8.18 克征 36歳の誕生日プレゼント 妻悦子より」と記された、高価なモンブランの万年筆を収めた立派なケースにも、悦子の手で、書かれています。 ある時、或る女優さんから、「古屋さんは、とてもお洒落なのですね」と声を掛けられた。自分をお洒落などとは夢にも思ったことのない、野暮天を自認する私です。余りに思いがけない言葉だったのでそれも相手が女優さんだったこともあって、慌てた私は、「いえ、いえ、とんでもない。いつも家内が、これを着なさい、あれを着なさいと言って、買ってくれた物を、ただ身につけているだけですから」と、なんともはや、愛想のない返事をぶっきらぼうに返してしまった。そう、反省したのも、後になっての事でした。思えば、女性が、女性の目線で愛する者を、少しでも見良くしたいと細心の注意を傾けた結果が、女性の感性にフィットして、お世辞混じりの褒め言葉となった。「有難うございます。○ ○ さんにお褒め頂いて本当に嬉しいです」とか、何とか、答えておけばよかったものを。野暮な男は、どこまで行ってもスマートには行けないものですね。 所で、こんな野暮天に首っ丈、だった悦子も、余程のゲテモノ好きだったわけですが、対象となった私の方は、飛んだヒロイモノを労せずして手中にした、果報者だった。 私はつくづく、自分自身を 悪運が強い と考えている。また、実際その通りだと思うのだが、ちょっと謙遜して、我々夫婦を割れ鍋に綴じ蓋、丁度釣り合いの取れたカップルだと思うのだが、私は構わないのですが、相手の悦子が余りに可愛そうと感じるのは、惚れた欲目からだろうか。いや、いや、そうとは決して思えない。悦子は何処に出しても、誰にも引けを取らないれっき(歴)とした最高レベルの女性である。いえ、いえ、私の過褒な形容と仰る。これについては客観的な証拠があって、知る人ぞ知る、明々白々の事実であります。諄いので、これ以上は言い募りませんが、さて、その素晴らしい女性で、しかもとびっきりの美人女性が私の妻に、それも、押しかけ女房さながらな経緯で、そうなったについては、悪運ながらに、やはり運が人一倍つよかったのだと、結論づけて置くことに致しましょう。毎度、御退屈様で御座いました。 こうした形の「自己対話」も、満更ではないと、ひとり悦に入っている子どものような、ボケ老人。彼は今、懸命に自己の道を模索し続けているところであります。まだ、今の段階では……。
2020年06月26日
コメント(0)
悦子の事を書こうと思っています。今の私には、彼女の事を書くより他に、切実な事はないからなのですが、それと同時に、自己との対話の仕方もないと、感じるからです。 題して、えつこ曼荼羅つれづれ草 とでも称そうかと、今の所は考えていますが、このタイトルで何処まで、筆が伸びるか、兎に角トライしてみましょう。 曼荼羅とは、仏の悟った境地を絵図に表現したもので、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅とが対になったものを言います。密教の奥義を示すもので、中心には大日如来が据えられています。 私が曼荼羅の名称に拘ったのは、私の救いの中心には愛妻の悦子が莞爾として微笑みかけてくれているからに過ぎず、それ以上の意味はありません。 今、私の救いと書きましたが、悦子は何処からともなく私の前に姿を現し、混迷の中に喘いでいた私を事もなく救済して、そして何処へともなく姿を消した…。とまあ、取敢えず表現して置きましょうか。 本音を申せば、肉体は消滅しても、霊魂は厳然として 存在 し続けているのですから、本当は消滅などしているわけもなく、その真の存在はこの世での生を終えた今、益々、輝きを強めている。救済の度を強めている。現に、私はその有難い愛情の光をこの身に受けているから、誇張などではなく、如実に感得しているごく普通にリアルな事実なのであります。 この事を、この事実を素直に信じて、受け取ってくれるのは、悦子の残してくれた二人の息子達だけでしょうか。それもその筈で、悦子の生前から私たち夫婦が体験した不思議体験の話を、数多く聞かされているし、それ以前に悦子の生まれた土地柄からくる霊感体質の血筋を、直接受け継いでいるのですから、通常は異常と感じる場合でも、私と悦子との場合では、当然の事とごく自然に受け取る習慣の様なものがおのずからに出来上がっているからでしょう。 悦子に出会う前の私が、霊感とか、不思議現象の類とはまるで無縁だったことからも分かるように、こうした謂わば迷信に近い現象を頭から信用しない、ごくごく常識的な生まれであり、育ちだったことからも知れるように、私も元々はそういう意味で、ごく当たり前な資質を持った、通常人だったのだ。 それが、実地の日常生活で、薄紙を剥ぐように、次第に、気づかない内に、気づいてみたら、ワンダーランドの内部深くに導かれていた。実に、普通から異常への転換は、目に見えるどころか、自然過ぎるくらいにスムースだった。これも、振り返ってみれば、不思議な事の一つに数えられるだろうか。 とにかく、悦子という女性は、一種アブノーマルな存在としてあった、最初の、最初から。そんな風に言ってみるしか私には、その間の 不思議 を説明する術を持たない。 外見の容貌も、内部に備えていた資質も、当たり前すぎる位に、特別な要素を持たなかった。それが、その一見して平凡な女性が、気がついてみれば、驚くような吃驚仰天を易易と実現さてしまっていた。 これが私の誇るベターハーフ、悦子なのです。今、ワンダーランドと書いてから気づいたのだが、私の幼少期に私は原始人として、輝くような不思議世界の住人であった。毎日がめくるめくような素晴らしい奇跡が事もなく継起し続ける、文字通りのワンダーランド。 私も、どこから来て、どこへ向かうのか。そんな面倒な考えなど少しも頭に浮かばない、ごく当たり前に素晴らしい、わくわくする時間が、次から次へと私の前に展開する。そんな、まるで夢の中の出来事を実地に体験している。それで、何の不思議もなく、周囲の自然と一体となって、生きていられた。 そう、まさに理想的な夢の中の世界。所が、突然にその「魔法」が解けた。どうしてなのか、少年の私には解らなかった。「健全な大人たちの構築した、健全で、申し分のない常識の世界」が私の、原始少年のフィクションの様な夢を破ったことだけは、確かだったが。 失った楽園は二度と再び帰っては来ない。そうした絶望は長く続き、私は絶望の淵に突き落とされた。 その私が三十歳近くになった時、全く突然に女神が姿を現した。その瞬間から、私は、元の原始人としての再生の道を歩み始めていたのだ。後にして思えば、である。 蚊の鳴くようなか細い声で、女神は呟いた、あなたが好きなのです、と。それで、私は、まるで魔法でも掛けられたように、ふっと、我に還ったのだが、それは一種マジックの呪文の如き作用をなしたのである。掛けられた私は、それと気づかずに、素直に女神の呪文に反応した ―― そうだったのか、それなら「一緒に暮らそう」、心の中で、即座にそう答えていた。考えてみれば、実に不思議だ、これは。 こうした経緯から見ると、私の悦子との出会いは前世からの約束事であった。二人を結ぶ紅い糸の絆は太く堅固であった。 永劫回帰とは確かフリードリッヒ・ニーチェの言葉だったと記憶するが、私と悦子の運命の出会いは必然的に永劫回帰する定めにあるので、健忘症の私が容易く 運命の出会い を永劫の時間の経過の中で忘れてしまうのに対して、愛情に忠実で無垢な 女神の悦子 の方は、ひたすら脇目も振らずに私との出会いだけを目指して永劫の時間の中を、経巡っている……。 そんな風に考える時に、あの不思議な最初(?)の出会いの、何とも形容しがたい或る感触と、私の側のちょっとした「違和感」の謎を容易く了解する事が可能なのである。 それだけではない。その瞬間に至るまでの様々、色々の不思議の連続を解明する鍵も、二人の結合の永劫回帰を導入しなければ、説明不可能なのだ、断じて。 そもそも、この世には偶然などという現象はただのひとつもない。偶然と人の目に見えるものも、すべて必然が必然を呼び込んで新たなる必然を構成しているのに、過ぎないのだ。 ただそれが、人の目には単なる偶発事だと映るだけで。我々はこの世にほんの僅かな時間しか留まる事を許されていない。だから、どうしても長い歴史の産物である必然の道筋を正確に辿る事など、及びも付かない。で、出来る事と言えば、短期的な印象判断という仕儀になってしまう、どうしても。 この世の移り変わりを正しく俯瞰するには、どうしても神仏の息の長い視点が、根気強く連鎖の複雑な発展と変化とを見極める厳正な観察力が、必要とされるのだ。 人間は短命であるが故に、不正確で、断片的な判断とも言えない判断力を行使するしか、能のない悲しい存在だと、きっちりと認識しておこう。そして、己の能力を超えた越権行為に走らないように、心したいものだ。但し、神仏から与えられている、ある種の直感力によって、神仏の神通力には及ばないながらも、正確で誤差のない、洞察力を発揮する事が、時にある場合が希にではあるが、有ることは有る。 悦子はこの直感的な洞察力に勝れていた、私と違って。洞察力は修練によって磨かれるというよりは、生まれながらにして身に備えている性質のものであろうから、彼女を私の女神と呼び、神仏の申し子だと断じても、そんなに問題はないのではないかと、私などは考えるのである。 余談であるが、昨夜の夢にこんな一齣を垣間見た。つまり、妻の悦子が夫の私を嫌っていて、それを知った私が悔し紛れに悪態をつき、悪し様に彼女を罵る、と言った、現実の世界ではあり得なかったシーンなのだ。夢から覚めた私は、驚き慌てていた。何て不吉で嫌な夢を見てしまったのか、と。 慌てながらしばし考えた。どうしてあんな夢を見てしまったのか…。そうか、二人の中を羨ましく思いやっかんだ悪魔の類が、嫌がらせの悪さをしたのだ。このブログなどで、私があまりにも手放しで真実を放言し、やに下がっていると、下衆根性丸出しの魔界の住人が妬(ねた)むやら嫉(そね)むやら、したのに相違ない。でも、考えてみれば、妬まれても嫉妬されても仕方がないのである。それだけの無上の果報を受けてしまっているのだから。 しかし、何度も言うように、この恵まれた幸福者という私の自己認識は、誰にでも当て嵌るものであり私一人に限定されたものではない。ここが肝心要の所ですので、心してお聞き下さい。 魔界に落ちて、自己の罪業の深さゆえに苦しんでいる、有象無象の輩達でさえ、彼らの心掛け次第では天国を目指すことが、可能性として何時でも開かれてある。ましてや、人間として産まれ、それなりの努力を重ね、まっとうな人間道を曲がりなりにも歩いている大多数の人々には、明るい現在と、輝く未来とが固く約束されている。それは、間違いのない事実なので、私があれこれ言うまでもないことで、有難い神仏の御加護による救いなのであります。あなたが、信じようと、信じまいとに関わらず、そうあるのですから実に有難い極みの仕組みなのです。 私に悦子という女神が守護神としている事実を吹聴し、公言しているのは、私一個の特殊な有り様を自慢しようが為の行為などではなく、私でさえ、凡俗で徳の薄い者の代表の如き人間でさえ、このような最高級の幸運に浴する栄誉を与えられているからには、その他は、推して知るべしと、路頭に迷って人生に絶望を抱いている人がもし居るとすれば、絶望などするにはおよびませんよ。そう、呼びかけ、その御方の迷いの霧を少しでも払って差し上げたい。そうした、私の過褒にも受けることが許された御恩報じの為に、世のため、人のためにしている、ささやかな感謝の、御恩報じの真似事なのであります。 そして、素直な貴方の心に目覚めて頂けたら、これに過ぎる幸せはありません。 これが、私の掛け値なしの本心でありますから。
2020年06月18日
コメント(0)
またぞろ夢の話から始めます。真剣な、そして大真面目な話の相手になってくれる相手を失った今は、神仏との対話しか残されていないのだが、残念ながら私にはその為には、修行が足りな過ぎる。 そこで勢い、自分自身と向き合う形になり、そしてその流れの中で、来し方を振り返り、あれこれと還らぬ昔の事柄を反省したり、点検してみることになる。 自分は様々な人生上の重要な局面で、誠実さに欠けるところはなかっただろうか? 相手に対していい加減に対応したことはなかっただろうか……。 すると、答えは直ぐに谺のごとくに帰って来る。「お前は、いつだって誠実そのもだった」と。 そうなのだ。私という男はどこまでも純だし、純粋過ぎるくらいに誠意を以て接していた。 結果が上手くいかなかったのは、決して私の側の不誠実な対応ではなかった。そう、躊躇なく断言できる。その事に、間違いはない。私が「悪かった」わけではないのだ。そうは正直、掛け値なしに思えるのだが、「あのような不幸な結果」に終わったについては、忸怩たる思いが残って、後味が悪い。夢見が悪い。 それでは、翻って相手が全面的に「悪かった」のであるか? 然り、そして、否である。 それは、一体どういう事なのか? 真相は、相手の側も意識した不誠実はなかった。また、ある意味で真剣そのものだったに相違ない。だれが、人生の大事に臨んで「いい加減で」いられようか。その意味で人間の側に「落ち度」は全くなかったのだ。ただ、行司役の神仏からの誠に辛辣極まりない「判定」が下ってしまっただけの話で。 ここでまた、野次馬の無責任な声なき声が、私に降りかかってくる ―― お前は、無責任男だ。自分の責任を他に、神仏などというマヤカシの言葉を弄して、責任転嫁しているに過ぎない。お前の流儀はいつだって無責任な、遁辞を口から出任せに、発しているに過ぎない、と。 野次馬には、勝手放題を言わせておくに限る。ここからは、本当は内緒にしておいた方が良いのだが、野次馬でない人々にだけそっと、真実を伝えておきましょうか。私は、相手から、これっぽっちも恨まれてはおりませんで、却って「悪いことをしてしまった。取り返しのつかない仕打ちをしてしまって、本当に申し訳もないことでした」と、そう、風の便り(そういうことにしておきましょう)に聞いておりますからね。もうこれだけで、私の心は休まるのですが、人の善い、善人にすぎる私は、尚且つ、細部にまで何度も詮索の再訪を繰り返しては、ああでもない、こうでもない、と、還らぬ往時を振り返り、反省しないではいられないのであります。 ここで突然に、「イーリアス」の話に飛びますよ。「オデッセイア」と共に吟遊詩人のホメロスが語り伝えた傑作の物語であります。内容の説明などは此処では省略しますが、人間の行動や運命に天上の神々の考えや感情などが大きな影響力を持っている様が、巧みな話術で描写されます。神々とは言え、ゼウスを始めとして、極めて人間臭い所が強調されているのが、ギリシャ神話の神々の特徴です。 大まかに言えば、神と人間の違いは不死であるか、短命の定めの下にあるかの、違いだけです。 さて、古代のギリシャと二十一世紀の日本。英雄と凡人の違いこそあれ、私に関しても神々、ここは日本でありますから、神仏と並び称さないわけには行きませんので、神々や諸仏、並びに諸菩薩方が天上で下界を見下ろしながら、様々な評定を繰り返され、評議一決、あの様な「両者にとっての不幸」な結末へと、導いて下さった。その後の事は、私に関しては天上世界にも劣らない幸福の絶頂へと、誘われたわけですが、あの御方、そして、この御方に関しては実地に検証する術がありませんので、これは私の六感に拠る当て推量にしか過ぎませんので、確かな事はいえませんけれど、余り幸せと言えない人生を辿ったと思われます。 私の信奉する神や仏は絶対的に公平無比であり、えこ贔屓のえの字もありませんので、その人の心がけや人生に対する態度その他を総合的に勘案して、相応の判定を下しているに間違いがないのです。 私は、自分自身に就いて百パーセントの自信を持っているのは、愚直なまでに誠意・誠実を貫き通すその一途さ、なのであります。バカが付くほどの純粋さなのであります。 良くも、悪くも、これが私の身上であり、特色でもあった。しかし、度外れという形容詞が付くと、良いことばかりが有ったわけではなく、誤解される事の多い、私にとっては非常に迷惑な、理由のわから迷惑を殊のほか数多く被っております、実際。 これも身から出た錆と、半ば呆れ返っておりますが、翻って考察を逞しくしてみると、世の中には「人の悪い、不純で、不誠実で、意地悪」が無数にいる計算になりますね。で、よくこんな汚泥まみれの不潔な憂世で、私の様な者が、曲がりなりにも生きて来られたものだ、と呆れるやら、驚くやら。 強引な論を敢えて申せば、そんな風に普通に生きていて問題ない「悪党達」を思わず知らず、あぶり出してしまった私も、無罪ながらも「罪作り」な存在なのでしたね。 他人と比較するのはよくない、と事ある毎に言い募ってきたわたしであるが、自分自身を、その特異な在り方を得心するには、世間を、通常の有象無象をある程度までは知る必要があった。その必要上で、比較することは、止むを得ない事なのだったと、一部分訂正を施さなくてはならないでしょうか。 人は誰でも自分自身をしか「知らない」ので、他人を評価する場合に、ああいう時には自分だったこんな気持ちでするだろう。従って、あの人も、ああしている以上は、こんな気持ちでいるのだ。だとすれば……、などと、他人のよくは分からない気持ちや、考えなどを推測する。 この場合に、基準となるのは飽くまでもその人自身なので、従って出される人物像は、対象となった人ではなくて、観察している人物が投影されたもの。悪人なら、悪人像が投影するだろうし、善人なら、善人らしいそれが描かれる事になる。 その結果で、どういう事が起こるかと言えば、観察された当人の姿はそこにはなく、いつだって無関係な観察者の似姿が現出することになる。 「善人」の私が、ある人の影口にかかると、非常な「悪党」になってしまう。このカラクリを夢にも知らなかった私は、純粋に吃驚仰天してしまった。なんで、そんな不思議な事が起こってしまったのか。 後になって、眼からウロコが落ちるように知ったことだが、私をワルだと断定した御仁は、私には想像も及ばない程の、悪であり、擦れっ枯らしだったに間違いのないことだった。 誰かの、誰かに対する批評や評価は、批評された人物であるよりも、評価した人間にこそ酷似しているものだ。これは、どの様な高級な人物批評においても、その儘で通用する普遍の原理である。 これは、人間に関して私が理解を深めるに従って、益々、確信を深めるに至った一真理である。 神々のあり方が、人間臭さを免れないのも、この真理の応用編として捉えて、間違いのないところで、多くの場合、神が人を作ったのではなく、逆に人間が勝手に神の姿を作り出しているからこそ、そう言った珍現象が起きてしまっているのだ。これは、一事が万事という、深遠なる諺の一例を示したのに過ぎない。 私は素直であるが、自分で納得したことだけしか、本当には信じられない、頑固一徹な性質も、併せて持っている。これは自分の性分を、単に吐露したに過ぎず、それ以上でも、それ以下でもない。 その意味では、私の神や仏は、一点の曇りもない真澄の鏡の如き存在であって、其処に映し出される映像は掛け値なしで、正真正銘の本物の在り方を、寸分の狂いもなく客観視させて下さる。 人間を騙すのはわけもなく出来ることですが、神仏を偽ることは、金輪際できないことなのであります。四方を鏡に囲まれたガマの蛙は、己の醜い姿に恐れをなして、たらり、たらりと油汗を流すとか。 どうか、その醜い蝦蟇にならないよう、自分の平素の姿を努めて清らかにする努力こそ、我々に課された人間としての勤めと心得、どなた様も、悔いの残らない毎日を送りたいものですね。 何故、こんな言わずもがな、の事柄を念押しするか、私が受けた邪推の数々を想いやって頂ければ幸いであります。
2020年06月07日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1