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そういえば、実家の庭には紫陽花がなかった。 母は草花が大好きで、ほとんどの四季に咲く花が植わっていたのに、紫陽花がなかったことに今頃気がついた。 もしかしたら、母は紫陽花を好んでいなかったのだろうか。 クリスマスローズや野ボタン、ハイビスカスに梔子、紫苑にナナカマド、多種多彩に咲き乱れていたけれど、その中に紫陽花の記憶だけがなかった。 わたしの中の印象的な紫陽花の記憶は、亡き夫との結婚一年目の記念日に歩いた、鎌倉・成就院であった。 江ノ電、極楽寺下車。 切り通しの上の石段を登ると、眼下に由比ガ浜の眺望がぱーっと広がった。 その上大小無数の色鮮やかな紫陽花が、下る石段沿いに手毬のような花をつけていた。 人影もまばらな平日の午前、わたしは思わず小躍りしてしまったくらい見事であった。 それは、姑に拒絶され続けたわたしの、つかの間の喜びだった。 心行くまで紫陽花を堪能した後、彼は銀座で夕飯をご馳走してくれた。 わたしはその日、実家へお産に帰ることになっていたからだ。 ホームで見送る彼の顔をみていると急に悲しくなって、動く車窓の中から大粒の涙を流した。 なぜか、今生の別れのような寂しさに見舞われた。 そんなわたしに、 「馬鹿だなー。泣くくらいなら帰るなよ」 と唇が動いた。 紫陽花を思い出すと、必ずこのホームでの出来事までが、色鮮やかによみがえる。 そのとき生まれた長女は、この夏でもう24歳になる。 でも、彼はすでにこの世には居ないのだけれど……。 来年は、生きていれば銀婚式だ。 のんびりと思い出に浸りたいところだけれど、昨今の成就院は決して一人にしてくれない。 当時の静寂が嘘のような、人、人、傘の喧騒がある。
2006年06月20日
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急性膵炎を患い、その原因が胆石だった為に、胆嚢摘出手術を受けた結果、5キロ体重が減った。 様々な方法でトライしたダイエットでは、せいぜい2キロくらいしか減らせなかったのに、病気となるとあっという間に減っていった。 元に戻らないようにしなくてはと、半ば喜んでいる。 健康面においてもベスト体重となったのだけれど、きっと食欲が戻れば元に戻るのは、火を見るより明らかなのだ。 いつしか埋もれてしまっていた鎖骨が出てきて、顎のラインがシャープになった。 二の腕の肉も削げて、これから本番の夏に向けては、願ってもない状況である。 今こそ筋トレだ。 ところが、残念ながら体力がイマイチで、青息吐息な今日この頃なのだ。
2006年06月15日
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朝日を浴びながら…(060605) 水平線から朝日がのぞいた。 わたしは飛び起きて、ベッドに正座した。 両手を合わせて、 「今日の手術が成功しますように。誰にも迷惑をかけませんように」 と、それだけを唱えて拝んだ。 いつしか薄雲が厚くなり、朝日は隠れた。 それでも時折、雲間からぱーっと明るくなったり、隠れたりしながらその位置は高くなった。 高校一年の夏の、盲腸以来の手術である。 少しも怖くはないのだけれど、手術の承諾書を読むうちに不安は増幅した。 死にはしないだろうに、万が一の項目が羅列してあった。 でも、わたしはいつも貧乏くじを引いて、少しだけ痛い目にあったから……。 だから。 朝日にパンパンと、拍手を打った。 苦しき時の神頼み。 「どうかよろしくお願いします」と。
2006年06月10日
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花火(060602) 再度の入院である。 その初日の夕べは、目の前の海に上がる花火が歓迎してくれた。 それもそのはず、6月2日は横浜開港記念日で、花火はそのビッグイベントなのだった。 最上階のレストラン階からの花火は最高である。 たったの30分であったけれど、その夜空を彩る饗宴は、久しぶりに童心に返って、心行くまで楽しませてくれた。 時に花火はやはりあの、ヒュルヒュルと登ってドーンという音が良い。 ドーンと弾けた瞬間は、胸がすかーっとして、なにかが砕け散った気がする。 何かとは、多分ストレスの類なのだろう。 「うわぁー、きれい。すごいなー」 誰へとも無く、思わず感動の言葉が口をついて出た。 花火というと、わたしの中では19歳の郷里の夜が浮かんだ。 母が縫ってくれた紺地に赤のあやめ柄の浴衣は、大のお気に入りだった。 その夜は、黄色の半幅帯を蝶々に結んでもらって、赤い鼻緒の下駄を履いた。 当時付き合っていた大学生のノブちゃんは、そんなわたしの姿を、半ばはにかんで眩そうな顔した。 「可愛いよ。少し大人っぽく見えるかな」 大人っぽいという言葉に少し酔ったわたしは、彼にぎこちなく寄り添って人ごみに紛れた。 ノブちゃんとの出会いは、高二の夏休みの補講(当時わたしが通っていた高校は、就職希望のAコースと進学希望のBコースとに分かれていて、Bコースの生徒は夏期、冬期共に補講が義務付けられていたのである)の時だった。 誰もいない長い廊下で彼とすれ違った。 白の開襟シャツをきちんと着た、端正な顔した少年は、合同授業などで顔は知っているけれど、それまで一度も会話を交わしたことがなかった。 「夕べ、君のリクエストカード読まれたね。サイモンとガーファンクルのミセス・ロビンソン、僕も大好きだよ」 と、すれ違いざまに、こぼれるような笑顔で声をかけられたのだった。 思いがけないなりゆきに、 「えー、そうなの?夕べは寝ちゃったから聴かなかったよー。がっかり」 こう答えるのが精一杯の、まだまだ純情でうぶなわたしだった。 それでも時は、青春真っ只中である。 こんな短い会話から、わたしとノブちゃんはゆっくりと親しくなっていった。 花火大会会場の川土手は、たくさんの人ですでに埋め尽くされていた。 ノブちゃんとはぐれないように、ためらいながら初めて繋いだ手は、いつしか汗ばんで掌を拭いたいのだけれど、そのタイミングを図れないで、ずっと握ったままだった。 そうなると互いにもっとぎこちなく、花火より掌のことが気になって仕方が無かった。 そんな折、腹の底に響くようなどーんという音と共に、大輪の菊が頭上に何輪も咲いては散った。 漆黒の夜空から、残骸の火の粉が今にも降ってきそうで、わたしは少し怖かった。 「きれいだね」 「うん。今夜の花火はきっと一生忘れないだろうねー」 ノブちゃんは、やっと手を放してズボンの脇で掌を拭っていた。 それを見て、わたしも浴衣の太腿辺りで慌てて拭った。 そしてノブちゃんはさりげなく、再び手を繋いでくれたのだった。 そういえば、あの日以来、わたしは誰かと二人して花火を見た記憶がない。 きっとそれを最後に、花火には誰とも出かけなかったのだろう。 今でも花火と同時に思い出すのは、あの川土手での大輪の菊と汗ばんだ掌だった。 ノブちゃんとは、しばらく付き合った後に別れたのだけれど。 時折、ノブちゃんと結婚していたなら、と思うことがあった。 彼は、とても優しかったから。 でも、19歳の秋。 わたしは彼のプロポーズを断った。 長い、長い手紙には彼の真剣な気持ちが綴られていたのに、それを読んで彼の気持ちを踏みにじった。 ある日突然、三年間クラスメートだった人を好きだと気づいたのだ。 それまでは、異性を意識しなかったのに……。 それからのわたしは、たくさんの恋をしながら、その数だけ恋を壊した。 その数だけ相手を傷つけた。 土壇場で、逃げ出した。 結局、クラスメートとの恋は成就しなかった。 彼が、結婚相手としてわたしを選ばなかったからだ。 目の前の花火の美しさが、過ぎ去った青春の一コマと共に、 憂鬱な入院生活に彩を添えてくれた。 よーっし!ファイト。
2006年06月10日
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今日からしばらく、病院です。 帰ったら、また頑張って書こうと思います。 脱皮して、新生『紫苑』をお披露目しますから^^。 待っていてくださいね。
2006年06月02日
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