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昼休みに、川沿いを歩いた。 海の近くだから、少し潮の香りがした。 そういえばこの間は、無数のクラゲが水玉模様のように浮かんでいた。 しばし足を止めて、まん丸に膨らんだり閉じたりする様を飽かず眺めていたっけ。 唐突に、懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。 どこかざらっぽくて、母の記憶に繋がる匂いだ。 なんだっけ、この匂い。 辺りをきょろきょろと見回すと、民家の庭に無花果の木が枝葉を広げていた。 ああ。だから母を思い出したのか。 わたしは思わず納得をした。 実家には、三本の無花果の木があった。 新築したときに、父の友人から「甘い無花果だから実がなると楽しいよ」と贈られたもの。 その実は、本当に甘くて美味しかった。 どこで食べた無花果より美味しかった。 大きく実が熟れた頃、蟻やスズメバチやヒヨドリがやって来て、良い所を持っていってしまう。 だから、母はその前にもいでおいてくれた。 「ケイちゃん。無花果あるよ」 そういって、一番美味しいところを食べさせてくれたものだ。 三本の無花果が一斉に実をつけ始めると、とても家族では食べ切れなかった。 近所に配ったり、残ったところを母はひがなジャム作りに勤しんでいた。 実家の無花果の木は、いつしか枯れ絶えてしまったらしい。 あの甘い母の無花果は、もう食べられないのだ。 そう思った途端に、無性に食べたくなった。 そうだ。 今日は無花果を買って帰ろう。
2006年07月20日
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今年は花火づいている。 もう二度目だ。 一度も観ない年もあるというのに。 昨夜の花火は、かぶりつきの様な場所から、時にはのけぞって観た。 あの、腹の底に響き渡るような音と共に、どーんと打ちあがった花火は最高だ。 出不精のわたしは、ものすごく気後れしながら臨んだその当日であったけれど、行って良かった。 胸の中に溜まっていたわだかまりのようなものが、一緒に爆発した気がした。
2006年07月17日
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いつの間にか一年の半分が過ぎていた。 わたしは時折、立ち止まっては振り返る。 それは、昔を懐かしむというより、こんなことがあったんだなー、とか、よく頑張ったよなー、とか、ただそれだけのことである。 過去の栄光(例えばあったとして)とか亡霊を忘れられないのとは少し違うのだけれど、人はそうは思わないかもしれない。 ある日、それを前向きではない、と知人に指摘された。 いつも過去にこだわって生きている姿が、なんだか女々しいというか。 でも、そんな風にも取れるかもしれないけれど、違うんだなーわたしの場合。 「あの頃は良かった」「昔に戻れたら」とか、そんな気持ちは毛頭ない。 辛かった事実は、それがどんな厳しい状況下にあったとしても、絶対に過去になる。 それを身をもって経験したから、過去より現在を幸せだと実感できるから。 一年前はあんなに辛かったのに、今は笑えてる。 そんな些細なことが、幸せだなーとまた前に足を一歩踏み出せる。
2006年07月06日
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