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宮崎アニメといえば、個人的に好きなのは、以前にも紹介した「ルパン三世 カリオストロの城」だが、やはり代表作というなら、宮崎ファンタジーに溢れる「風の谷のナウシカ」というべきかもしれない。この作品には、来るべきアクエリアスの時代に、地球人が進化のために必要な無償の愛が、ナウシカを通して、描かれているからである。この風の谷のナウシカは、恐らくアカシックレコードを直感で読み解いて、つくられたものかもしれない。風の谷のナウシカ (映画) - Wikipediaアクエリアスとは、某飲料水の名で有名だが、地球が物質界を克服し、植物のエーテル界へと脱皮する、いわば土の世界から、水の世界の準備、そして風の世界へと変革を遂げる、水瓶座の時代の意味なのである。かつての古代アトランティス時代は、水の世界で、民族の支配欲のために水のエーテルを濫用したために、水の破局の、大洪水を起こして、それまで水蒸気様でクラゲのように軟骨体の骨格をもつ地球が、気体の大気と液体の水に分離してしまったため、エーテルで出来ていた多くの都市や大陸が、水と土にわかれて、水没してしまったという。アクエリアスの時代、風の時代、冥王星水瓶座時代の概念の違い|inner peace アキ / 占星術しかし、また人類は、土と空気(風)を統合し、地球に、水のエーテルの世界を再び蘇らせる役割を果たすように、輪廻転生し、天界から高次の宇宙人を通じて、指導を受けているらしい。地と水にわかれる前の雲のような風の世界を、再びつくるのを目的とした時代に生きる理想の精神を、ナウシカを通して描く作品なので、「風の谷」のナウシカとなったのかもしれない。だから、現代は、風の谷の時代なのである。風の谷から、這い上がり、無償の愛により、土と空気(風)を統合する立場と役割が、宇宙から求められている。風の時代への預言は以下のサイトのように既に現代人に霊能者を通じて、命題として与えられている。アクエリアスの時代、風の時代、冥王星水瓶座時代の概念の違い|inner peace アキ / 占星術「水瓶座冥王星時代」はどんなことが起きる?注目が集まる分野は?価値観はどう変わる?【月占星術家Keiko】(webマガジン mi-mollet) - Yahoo!ニュース風の時代とは?生き抜くポイントを解説 | セミナーといえばセミナーズまとめ|風の時代の変化を楽しみながら自己成長を目指すこれからの風の時代は“目に見えるモノ”から“目に見えないモノ”に価値をおく時代になります。時間の使い方、働き方、物への執着といった、在り方や考え方が前期とまったく違ったものになり、大きな転換期を迎え「個の自由」を意識してどのように生きていくかが重要視される時代になってきています。好きな場所に住むモノへの執着を手放す横のつながりを大切にする前期のような“型にはまらない生き方”常識にとらわれずに自分らしい生き方お金よりも情報や知識、時間を重要視するこういった意識が顧客を始め、社員の中にも少しずつ浸透していくことでしょう。会社を経営するにあたり、経営者が前期の「土の時代」のような古い価値観でいれば人は集まってこないかもしれません。以上のサイトの内容は良いのだが、広告掲載や無料講習などはおススメできない。怪しいニセモノの宗教団体、金儲けの政治団体が暗躍している可能性も捨てきれないからである。このような情報から、真偽をみわける眼をつくるのは、結局は、個人の努力、能力なのである。さて、ナウシカは、女性だが、これはかつて両性具有であった女神の象徴でもある。恐らくモデルはいないだろうが、私には、このナウシカから、アナスタシアというある女性霊能者が思い浮かぶのだが、そのアナスタシアの話は、量子力学に関わった、ある物理学者の話から知った人物なのである。ネットフーテンの寅さんをしていて、以前、このブログで、散逸系の量子力学を数式化した保江邦夫氏を紹介したが、動画で面白い話を語っていた。保江氏は、ドイツの高速道路を高速で飛ばしていたら、この数式が、インスピレーションとして降りてきたと語っているが、恐らく、アカシックレコードを覗き見したのかもしれないが、今回紹介する面白い話はそのことではない。保江邦夫 - WikipediaKyoto University Research Information Repository: 散逸力学系の量子力学保江邦夫特別対談 前編「宇宙の理」 - YouTube保江氏の面白い話とは、ロシアがソ連のときに、UFOをつくるために、ある霊能者とコンタクトを取った話なのである。自分で話すのも億劫なので、ググってその話を以下に紹介する。『響きわたるシベリア杉 (響きわたるシベリア杉 シリーズ2) アナスタシア第2巻』|感想・レビュー - 読書メーターペンネーム「流れ雲」さんこの本を読んだきっかけというのが、保江邦夫氏の著作に出てくるロシアのUFO研究所で働く日本人女性の話でした。その話というのが、シベリア奥地にアナスタシアという共同体があって、そこの人達は、文明社会と無縁の自然と一体となった生活をおくってるらしく、現代人が失った不思議な力を持ってるそうで・・その人達の協力によって、UFOの製造が可能となったとか。というのも、部品を単に組み立てるだけでは、UFOは機能せず、部品の「魂」、「気持ち」を理解した上で、それらが一体となるようにできないと無理らしく、その部品の気持ちを理解できる人こそが、その共同体に住んでいる人たちだそうです。この共同体のアナスタシアという名前と、たまたま見たシベリア杉シリーズ第一巻のアナスタシアとが結びつきまして・・非常に気になったので読んだ次第です。(因みに、保江氏の著書によると、その共同体のリーダー役の女性が代々名のるのがアナスタシアという名前だそうです)1巻にもUFOの話が書かれてますし、本書で出てくるアナスタシアの不思議な力を知ると、共同体と本書のアナスタシアとは関連が大いにありそうです。本書をファンタジーと捉える人もいるようですが、実話なのかもしれません。(ファンタジー小説としては、まとまりに欠ける感じはします)保江邦夫さんが語るロシアUFO研究所~「愛の力」は物事を成長させる | ゆるっとラウンジ54)愛の力でUFOが飛ぶ|アキタロウそこで、今日は「愛の力でUFOが飛ぶ」というお話を。この話は、保江邦夫さんの「神代到来」という2018年に発行されている本に書かれているものです。アメリカと同様にロシアもまた宇宙人から得た技術を用いてUFOを製造し、完成させたUFOの機体を飛行させる実験を重ねていると聞く。ここでは特にその製造と操縦の場面で愛が必要不可欠となっていることについて、ロシアにあるUFO研究施設で働く機会に恵まれた日本人女性から教えていただいた内容を中心としてお話させていただきたい。「神代到来」(海鳴社)よく都市伝説なんかで宇宙人についての話を見たり聞いたりするけれど、宇宙人は実際に存在していて、彼らはアメリカやロシアの科学者に技術提供をしていてどちらの国もすでにUFOを持っているようだ。では宇宙人はどんな姿をしているかというと、ロシアにいる宇宙人の外見は北欧の人のようなのだそうだ。しかし、彼らは言葉でのコミュニケーションはしないらしく、宇宙人同士や宇宙人から地球人への意思の疎通はテレパシーで行われていて、伝えたい情報がまとまってポンと頭の中に入ってくるとのこと。そうやってテレパシーで得た情報をもとに、ロシアの研究所でまずは二機分のUFOの部品を作った。一機目のUFOをロシアの科学者が寸分の狂いもなく正確に組み立てたてたものの、起動スイッチを入れてもピクリとも動かない。そこで、指示通りに作ったのに、なぜUFOが動かなかったのかと科学者たちが宇宙人に問い詰めたところ、こんな返答が返ってきたという。それぞれの部品に愛を込めて組み立てなかったからそれらの部品が全体として一つのUFOとして機能しないのだもちろん、科学者たちは細心の注意を払ってUFOを作っている。細心の注意を払うことと、愛を込めるということは異なるらしい。そもそも愛を込めて作るということがよくわからない。そこで、宇宙人たちはもう一機分のUFOをシベリアの奥地に住むアナスタシアという小さな部族の人たちに作らせるように提案し、アナスタシアの人達によって組み立てたUFOは、スイッチを入れると当たり前のように起動した。このアナスタシアという部落では、いまだに電気や水道のない中世の時代から何も変わっていない生活を続けていて、冬に部落で備蓄していた保存食料が底をついてしまうと、夜中にどこからともなく狼の群れがやってきて部落の外れに、自分たちが捕獲した野ウサギなどの野生動物を置いていくそうだ。つまり、自然の中で他の動植物と共存できるからこそ、困ったときには他の動物たちが助けてくれるわけ。そうして大自然と打ち解けて暮らしているアナスタシアの人達だからこそ、宇宙人と同じように心を込めてUFOのすべての部品を組み立てることで、それらの部品に魂が宿り、すべての部品に愛を貫いていくのではないだろうか。とはいえ、実際にUFOの操縦はロシア人が行うことになる。パイロットがUFOを動かすには、そのパイロットとUFOを動かすためには愛が必要になる。結果的にロシア人パイロットがUFOを操縦できたのは数分間でしかなく、実質的なUFOの操縦は宇宙人の愛の力で行っているという。UFOという機体を作ることは高度な技術だけれど、それ以上に「愛」を持って接するということの方が今の我々には難しいのかもしれない。愛は一喜一憂で身に付けることはできない。我々は、目には見えない力を普段から感じて生きていたりするものの、実証できないことは信じないという態度を取っていたりする。感覚とロジックが分離している。おそらくアナスタシアの人たちは存在が愛なのだろう。生き方が「愛」であり、意識に分離がない。以上の話を信じるか信じないかは、あなたが土人間なのか、風人間なのか、の違いといえるかもしれない。現代風にいえば、脳で考える人なのか、脳を捨てて、地球全体を感じる人なのか、の違いといえるかもしれない。ナウシカになれるか、トルメキアのままでいるのかは、あなた次第といえるだろう。さて、量子力学といえば、初期の量子論を構想したニールスボーアに対して、アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と親友のマックスボルン宛の手紙に書いた言葉が有名だが、その内容を詳しくみると、以下のようなものらしい。アルベルト・アインシュタイン - Wikipediaマックス・ボルン宛の1926年12月4日付の手紙原文: Die Quantenmechanik ist sehr achtunggebietend. Aber eine innere Stimme sagt mir, daß das noch nicht der wahre Jakob ist. Die Theorie liefert viel, aber dem Geheimnis des Alten bringt sie uns kaum näher. Jedenfalls bin ich überzeugt, daß der Alte nicht würfelt.(直訳:量子力学はとても印象的です。しかし内なる声が私に、その理論はまだ真のヤコブになっていないと言っています。量子力学はとても有益なものではありますが、かの古人の秘密にはほとんど迫っていません。いずれにせよ私には、かの古人はサイコロを振らないという確信があるのです)この手紙をみると、興味深い言葉が出てくる。アインシュタインが、神を、「真のヤコブ」と表現し、「かの古人(des Alten)」と呼び、量子力学の理論が、神の秘密に迫っていない、とサイコロを振る例えで表現しているところにある。そして、それらが、自身の、内なる声によるものと述べている。アインシュタインはユダヤ人の自覚をもち、ユダヤの祖ヤコブの名で、ユダヤの神ヤハヴェを代弁し、「かの古人(des Alten)」と呼んでいることから、旧約聖書の知識を、ユダヤ教から学んでいるのがわかる。しかし、彼の伝記によれば、彼はユダヤ教の信者ではなく、家系から、アシュケナージユダヤなのがわかる。以下のウイキからもわかるが、アシュケナージは、アッシリアに由来する、という意味をもち、ヘブライ語のスキタイの意味から、赤髪の髭面のモーセに率いられた出エジプトのユダヤ人の一派なのがわかる。神智学によれば、メルキゼデクに指導された白人系のユダヤ人で、セファラディのセム系のユダヤ人とは人種が違う。しかし、いずれにしろ、フリーメーソンの高位のグラントリアンでは、メンフィスミスライムの秘儀に参入し、神々の人類の進化計画に参画した人種や民族を意味する。ちなみに日ユ同祖論も、この派生である。早い話、偽ユダヤではなく、ホンモノのユダヤ人とは、人類の進化計画の指導的立場や役割を与えられた人というわけなんである。ホンモノのユダヤ人になるには、聖杯を手にいれないとダメなのは、前回に紹介した。ヤコブ - Wikipediaアシュケナジム - Wikipediaアッシリア - Wikipedia出エジプト記 - Wikipedia■五■ シュタイナーが明かした空洞化したフリーメーソン結社の実態 第2章-5メルキゼデク - Wikipedia聖杯を手に入れるには、母親がわが子に、自分を犠牲にして、無償の愛を捧げるように、利己主義をなくさないといけない。しかし、利己主義は、物質界に生きる欲から生まれるので、なかなか聖杯を手に入れられない。では、聖杯とは何かと問うなら、シュタイナーは、パウロの回心を、その例えとして挙げている。Laudate | 聖人カレンダーパウロは、タルソ(現在のトルコ南東)でベニヤミン族のイスラエル人として生まれた。本名をサウロといい、若いころは有名な律法学者ガマリエルの弟子となった。(使徒言行録 22参照)彼は熱心なユダヤ教徒であり、それに反するキリスト教を徹底的に排除しようとした。聖ステファノの死刑にも賛同し、エルサレムの教会を荒し、キリスト教徒を迫害した。(使徒言行録7章 参照)。しかしキリスト信者たちを逮捕するためにシリアのダマスコへ向かう途上で、突然光を受け、「なぜ、わたしを迫害するのか」というキリストの声を聞き、地面に投げ出された。そのときにパウロは一時的に盲目となり、自らの闇と出会い、回心した。「主よ どうすることをお望みですか」と尋ね、キリストに従い、その望みを完全に果たしていくということを悟った。そして自分が出会ったキリストの体験と神の愛を語るためにその宣教に生涯をささげた。パウロ - Wikipediaサウロは、パウロに回心し、内なる心の声を聞いた。それはサウロの潜在意識のなかにあった、過去の前世で、キリストに出逢っていたときの記憶なのである。つまり、サウロは、ダマスコで熱病に罹り、キリストと会ったときの自分の記憶を思い出したのである。だから、パウロに改名したサウロは、自分のなかのキリストに従う弟子となった。つまり、心眼の聖杯を手に入れた。さて、この聖杯の図に、原子の電子構造をあてはめてみると、原子の構造が六芒星と十字架との合力の聖杯からなるのが、イメージできるだろう。つまり、原子をつくっているのは、宇宙の愛の力であるのがわかる。だからして、キリストは、オカルトでは、原子の構造をつくる設計図なので、形態霊と呼ばれている。だから、人類の肉体は、原子からつくられているので、その設計図をつくっているのは、キリストの愛の力で、人間の自我の力なのである。脳で考える量子力学が、確率関数の波動関数を、観測し、意識を働かせると、波束が収縮し、量子の状態が決まるというハイゼンベルグの不確定性原理は、愛の力がないと、何も決まらない、電子も生まれないということなのである。キリストの愛こそ、宇宙の動力なのである。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。 | 聖書入門.com愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)さて、アインシュタインの、量子力学の理論の不完全性への提言「神はサイコロを振らない」に対して、科学史によれば、ボーアは、「神がすることに注文をつけるべきではない」と反論したという。つまり、アインシュタインは、量子力学には、愛が足りない、と言ったのだが、ボーアは、愛について、あれこれいうべきでないと返したようである。愛には沈黙が相応しいようである。ニールス・ボーア - Wikipediaボーアは、量子論の解き明かした粒子と波動の二重性、位置と速度の間の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学、特に易経を研究していた。さらに、次のようにも言っている。「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す様を表した東洋の意匠、太極図であったことからもうかがえる。その紋章は、デンマークのフレデリクスボー城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られている。以上のウイキのボーアの解説をみると、ボーアは、愛を光と闇の、陰と陽の、太極図に求めていたようである。光と闇が愛によって統合されるとき、霊と物質が愛によって統合され、新しい生命を宿すとでも、言いたいかのようにみえる。だから、量子力学という、愛の観測論を通じて、UFOを動かすには、肉体を動かすように、自我の愛の力が必要で、それは母がわが子を一部と感じ、無償の愛を注がないと、動かないのである。理屈で、ヒトが動かないのと同じである。ヒトを動かすには、愛の力がないとダメなんである。愛こそ宇宙に漲る全てなのであり、天空の音楽なのである。アーメン
2025年05月29日
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先日、スカパーで、映画「博士の愛した数式」をみた。数学というと、生まれつき苦手だったにもかかわらず、当時の子どもには学研の雑誌の「学習と科学」や科学雑誌ニュートンが流行り、カールセーガンのコスモスブームが到来し、子どものときから、立て続けに、科学の洗礼を受けてきたので、宇宙について知りたくなったので、理系に進学したために、大学入試は、数学で苦労した思いがあり、半人前の記憶力を駆使し、とにかく解法を暗記するしかなかったが、その後も、数学には苦手な思いしかなく、いまでも、自分には、俗に言う、数学的なセンスが欠けているように思える。博士の愛した数式 - Wikipedia科学と学習 - Wikipediaニュートン (雑誌) - Wikipediaシュタイナーによれば、一般的に、前世の才能は、今生には受け継がれないので、例えば、前世で数学的才能を発揮した人物であったら、現世では全く数学ができない人間として生まれてくるらしいので、自分の前世は、数学者だったかもしれないと都合よく解釈している。また、現世で、数学的才能となるのは、前世で、地図などをつくるために、地球を歩きまわることで、恐らく伊能忠敬などの来世は、偉大な数学者になっているかもしれない。だから、来世で数学者になりたければ、伊能忠敬のように、地上を歩き回って実地で測量する体験をすればよいだろう。伊能忠敬 - Wikipediaだから、現世の私は、数学がほとんどできないが、数学ができないので、数学的思考に囚われずに、数学を権威化したり、神聖視しないですむ。だから、この映画は、数学者の話というよりも、その人間性についての面白さを感じた。この映画で表現されている数学者は、数学を学問というよりも、宗教や芸術のように感じているが、この映画の人物よりも、ウイキの「博士の愛した数式」の解説のなかの、そのモデルとなった数学者エルデシュに、より面白さを感じた。ポール・エルデシュ - Wikipedia彼は独特な語彙を持っていた。彼は不可知論的無神論者であったが、彼は「あの本」("The Book") のみは信じていた。それは、全ての定理や理論が掲載された想像上の本であり、一種のアカシックレコードとも呼べるものである。1985年の講演では、「神を信じる必要はないが、『あの本』は信じるべきだ」と言った。彼自身は、神(彼は"Supreme Fascist"(最高のファシスト、SF)と呼んだ)の存在を疑った。彼は、靴下やパスポートを隠し、最も優雅な数学的証明を自分自身の中に持っているという理由でSFを非難した。彼は特に美しい数学的な証拠を見たとき、「これは「あの本」から来たものだ!」と言った。後に書かれた『Proofs from THE BOOK(英語版)』という本のタイトルは、この言葉から取られたものである。上のサイトの解説から、エルデシュが、アカシックレコードを信じていて、そこから、数学を取り出したのがわかる。アカシックレコードは、人智学でいうアカシャ(虚空)年代記のことである。現代物理学風にいうなら、ディラックの海というべきかもしれない。ディラックは、彼の相対論的量子力学を、このディラックの海から、ブラ-ケットとして取り出して、初歩のゲージ理論を数式化して構築した。ディラックの海 - Wikipediaブラ-ケット記法 - Wikipediaエルデシュが、無神論の数学者らしくない数学者で、無神論を表明しながらも、アカシックレコード信仰者で、数式信仰に走っていないところが面白いのだが、無神論を表明している科学者のほとんどが、その学問の信仰者となり、相容れない説を論破しようとする攻撃的態度には、閉口する。その裏には、利己主義で、名誉欲や虚栄心、承認欲が悪魔のように隠されているのはいうまでもない。そのような数学者のほとんどが数学を賛美するが、実は数学が美しいのではなく、数学をする自分に酔いしれて、数学で自己を権威化しているにすぎない。物理畑にも、数学を賛美する数学崇拝教団の一派がいるが、そのような連中について、以下の、有名な物理学者のファインマンは、日本の物理屋の形式主義に異論を唱えている。ファインマンが日本の物理学者に感じた「物理的な違和感」の正体(竹内 薫) | ブルーバックス | 講談社延々と黒板を数式で埋め尽くす日本の物理学徒に対して、ファインマンさんは、さらりと「なんだか物理学的に違和感がある」というような感想を洩らす。物理学徒は、数式が完璧だから自分は正しいと主張し、激論となる。ファインマンさんにとって数学は言語であり、その言語で何を語るかが重要だった。だから、数式の背後にある物理現象をイメージしてみて、辻褄が合わないなと感じたのだ。ところが、数式だけが命の物理学徒には、イマジネーションが欠けているから、(数式を書き連ねるという意味では)雄弁なだけで中身がない。となると、『ファインマン物理学』の地の文がいかに重要であるかがおわかりいただけるだろう。そう、そこにはファインマンという不世出の天才の脳髄から溢れ出る豊穣なイマジネーションがいっぱい詰まっているのだ。このサイトからわかるように、数式は、物質界での翻訳言葉にすぎなく、重要なのはイマジネーションと、ファインマンは述べているわけで、エルデシュも、アカシックレコードから、インスピレーションを、数学の証明として引き出していたらしい。シュタイナーは、物質界を超える叡智について、イマジネーション、インスピレーション、インテンションの用語で、3つに分類している。日本語に直訳すると、それぞれ、想像力、閃き、意図となるだろうが、言語化できない意味を示すには、霊視力、霊聴力、神通力という感じになるかもしれない。更に具体的にいえば、それぞれ、学問的真実、芸術的美、道徳的善という意味をもつようになるかもしれない。というのも、学問ではイマジネーションがよく使われ、虚数の、虚もイマジナリーで、芸術では、インスピレーションがよく使われ、作曲家などの音楽では、インスピレーションが大事といわれ、道徳では、動機や意図の、インテンションがよく使われるからである。いずれにしても、物質界を超えた高次の叡智の存在を表わす、ソクラテスの無知の知なのである。数学や、音楽、道徳を、物質界の手順で辿り、真似るだけでは、モノマネ芸人で、ヒトを驚かせたり、笑わせることはできるが、単なる道化師にすぎない。そして、この映画では、イマジネーションの、友愛数についての解説が出てくるが、友愛数をはじめに発見したのはピタゴラスらしく、シュタイナーによれば、ピタゴラスは、仏陀やキリストと共に人類の進化計画を設立した聖白色同胞団の一員であるらしい。この映画の面白いところは、人間が生まれるよりも前に、数字が存在していたと、数学者が思い込んでいるところであり、人間の脳が数学をつくりだした、のに気づいていないところである。そして、数学がなぜ美しいのかは、それが必ず一つの共通する答えを導き出す点にある、のに気づいていないからでもある友愛数 - Wikipedia数学には必ず答えが一つみつかるのは、人間の脳が一つだからでもある。数学による解は、モーセに主なる神がエヘイエ、アシェル、エヘイエと呼びなさいの、バランスにより一となすバランスの存在で、数式で表現するなら、霊と物質の一対一対応での、1=1というべき対称性を表わし、同じ1だが、1の違いがあり、そして、それは、数学という学問が、遥か昔には、宗教や芸術と一つだったからなのである。そして、叡智と美と力が太古には、古代叡智により、一つだったからである。そして、この古代叡智が一つとして、書かれているのが、アカシックレコードなのである。しかし、一つといっても、それは三位一体の一つで、オカルトでは、これを、真善美の三角形で表現している。つまり、真実の学問の叡智と、善行の宗教の力と、美の芸術である。真善美はそれらを統合し、バランスを保つ神の一面にすぎない。だから、三角形の中央の真ん中に、神を置くが、その神が閉じた目なのか、開いた目なのか、霊我なのか、万物を見通す目の、物質界の自我なのか、それは、その人間の進化段階によるわけなのである。下の図の目は開いた目である。この三角形を、上に向いたものと、下に向いた逆三角形とを合わせて、六芒星をつくると、それはオカルトでは、聖杯を現わす。上に向いた正三角形は、人間が努力により、霊眼を獲得し、霊的に協調し調和し、進化するマナスの三角形で、下に向いた正三角形は、人間が克服すべき、神々から与えられた物質界の死すべき心霊主義で、退化する唯物性や唯心性である。人間は独力で、与えられた死すべき自然環境から、生きる自然生命を、自己犠牲により、創造していかねばならない。人間は地球の母となるべきなのである。その人間の母性が、聖母マリアとして、聖杯の意味に隠されている。その代表的人物がマザーテレサだった。マザー・テレサ - Wikipedia人智学では、六芒星はアストラル界を表わすのに用いられている。五芒星は人体のなかのエーテルの流れである。だから、人体は、五芒星で表され、霊我、自我、アストラル体、エーテル体、肉体の五つの頂点の五角形で表現される。神殿の入口が五角形なのと、五重塔は、この五芒星に由来する。神輿や契約の箱が、五角形で表現されているのも、人体を表わし、同時に人体が、ノアの箱舟なのを意味している。日本語ユダヤ起源説⑪日本神道と古代イスラエルの共通点 | MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~オカルトで、以上のようなサイトの、日ユ同祖論が派生するのは、人類の叡智がアベルとカインの子孫に由来し、太古に遡れば、自然と、人類の祖アダムから生まれてくるのは、現代でも、遺伝子解析の生物の進化からも明らかである。物質的な進化の前に、霊的な進化があったのはいうまでもなく、遺伝子解析は、肉体の進化しか見通せない。だから、死せる鉱物は創造できるが、生命は創造できない。生命を創造するには、聖杯が必要なのである。オカルトから派生した知識を、現代科学で否定しても、それは現代科学の限界を意味するもので、人間の脳の限界を意味するだけなのである。というのも、オカルトを読み解くには、古代叡智の聖杯が必要だからである。前回、科学がカインの子孫の、フリーメーソンから生まれたのを紹介したが、それは人間によって、いまだ未熟で低レベルな、未統合な叡智の、枝葉末節の物質界だけをみていれば、そして現代科学がわずか数百年の歴史でしかないのを加味すれば、日本語と古代ヘブライ語のアラム語の現代解釈や現代表現が一致しないのは当たり前の話なのである。言語は、唯物的な解釈で、古代叡智の一部を、影絵としてみているものでしかないからである。だから、古代叡智に遡って、真善美が一つに統合された高次の叡智である、神々のアカシックレコードから参照しないといけないわけで、現代人の脳からみれば、現代の立場と役割の違いから、その誤差により歪んだままで表現されてしまうからである。少なくとも、母国語と外国語の共通認識を探求しないといけないわけで、心霊主義のように、物質的に当てはめるのではなく、霊は霊そのままで当てはめないと無意味なのである。だから脳を捨てて、直感で、感じない、といけないわけなのである。重要なのは、現代から、過去を否定するのではなく、過去に遡り、源流を探し、故きを温ねて新しきを知る、のにある。すると、現在の科学となっている学問や、音楽などの芸術、そして、科学に殺され、形骸化されたニセモノの政治団体や宗教組織などの権威化された宗教が、故きを温ねて、古代叡智の真善美の統合により、キリストのように、再び生きた宗教として蘇り、新しきを知り、新しい未来の叡智となり、それらが六芒星の聖杯として象徴化されるのがわかるようになる。論語『子曰、温故而知新(故きを温ねて)』解説・書き下し文・口語訳 / 漢文 by 春樹 |マナペディア|シュタイナーは霊視からアカシックレコードを読み解いて、古代では宗教と学問と芸術が一つの叡智だったときから、ピタゴラスが、この帝王術と呼ばれた古代叡智のマスターで、いまでも有名なピタゴラスの定理を発見したと述べている。現代人は脳により、死すべき、去り行くべき物質界の帝王となっているが、それは主に現代科学の学問だけで、芸術と、政治に落ちぶれた宗教とを一つの帝王術として統合できないばかりか、低レベルな論争や闘争、そして核兵器という恐怖を用いた戦争により、分断されて、私利私欲や利己主義の道具と化している。巷をみれば、男女の不倫騒動などのゴシップに明け暮れて、政治家は国民の税金を浪費し集票マシンに使い、私利私欲で、自己の利権獲得を貪るばかりである。こんな低レベルな現代人に、高次の宇宙人たちが愛想をつかしているのが現状といえるかもしれない。だから、たまに地球人たちに、お前たちだけが生きているわけではないぞ、とUFOなどで警告している次第なのである。一体いつまで、地獄に堕ちるための利権獲得合戦や権力闘争を続ける気なのか、呆れ果ててしまうばかりなのである。地上の科学となり、枝葉末節の、バラバラになった死体となった、叡智を集めてきて、統合するのが、カインの子孫の立場と役割で、神殿伝説となっている。そして、その死体となり、古くなった帝王術、それは古代エジプトでは、バラバラになったオシリス神を意味するが、イシスがバラバラになった叡智を再び統合し、ホルスに継がせようとする。このイシスとホルスの叡智の継承が、アベルの子孫の、祭司の立場と役割を表わす、黄金伝説となっている。つまり、前回紹介したように、オシリスのバラバラになった叡智は、カインのフリーメーソンの神殿伝説で、男性だけの社会組織を保つ仕事を表わし、対照的に、イシスの、オシリスからホルスへの叡智の継承は、アベルの祭司系の、女性を中心にした家庭組織を保つ自己犠牲の育児を表わす黄金伝説で、両者はキリストの聖杯の下に、高次の両性具有として将来統合される。オシリスとイシスの伝説 - Wikipediaだから、カインの農夫という職業は、地を耕す仕事で、地上を開拓するために、叡智を集める作業を意味する。まとめると、男性の仕事を表わし、学問や芸術やニセモノの宗教、つまり政治などに従事することなのである。対して、アベルの羊飼いという職業は、アベルが、子羊を神に捧げたように、自己の生命を犠牲にして、育児、つまり子育てをして、家庭を後世に引き継ぐことなのである。だから、人類が未来に引き継ぐべき教えとは、女性を中心にして営まれる子育てを中心とした家庭生活なのである。子羊を神に捧げるのは、子どもを神に捧げるわけで、それは子どもに叡智を授けることで、子どもの教育なのである。古くから子どもの育児や教育は、女性を中心とした霊的な教育が推奨されてきた理由が、古代エジプトの神話のなかに、みつけられる。古代エジプトと同様に、日本では、古くから霊性が重んじられて、女性は、見た目の外見よりも、中身の賢くなければいけない、と言われたのは、精神を尊ぶ、霊性の、霊能力を授ける知恵が必要だからである。家庭環境が崩壊するのは、女性が唯物性に走り、金儲けや私利私欲で利己主義になって、馬鹿になったせいである。巷で如何わしいニセモノの宗教や政治団体が流行るのは、女性が馬鹿になったせいといえるかもしれない。馬鹿になるとは、男性のように有頂天になって、虚栄心や承認欲や名誉欲の虜になってしまったわけなんである。日本では、奥様といって、家庭環境を表に出さずに、奥に隠すのは、オカルトからいえば、秘密結社と同じで、表に出さないから、外見ではなく、中身を問う、精神主義なのである。ちなみに、オカルトという言葉の意味も、隠された叡智という意味である。顕教に対する密教で、表の物質界に対する、裏の霊界を意味する。男性の脳が論理的で、女性が、脳というよりも、直感的なのは、男性が物質界の叡智を集めるのに適応しやすく、女性が物質にほとんど興味がなく、心のつながりや、生命力を育成するのに、時には自己犠牲を厭わないのも、女性のほうが、地上の肉体に染まらずに拘束されずに、天に近いせいなのである。しかし、論理性には乏しいために、怪しいニセモノの偶像崇拝の宗教などに騙されやすい。男性は神殿をつくるのは巧みだが、生命や生物を育てるのは苦手で、逆に女性は神殿をつくれないが、生命や生物を愛情をもって、時には自己犠牲で育てられる。高次元で、男女の性の垣根が取り払われ、統合されると、聖杯が人類に継承され、愛の生命力として、宇宙を巡るキリストの姿がみえるようになる、というのが、キリストの聖杯伝説なのである。博士の愛した数式よりも、家政婦の愛した子どもの生命の姿を、数学の継承として表現する映画だった。死んだ数学から、古代の帝王術を、蘇らせるには、母親の自己犠牲の愛が何より必要なのである。どんな人間も母親の愛情なしでは生まれ、生きられないからである。
2025年05月27日
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先日、NHKで、オカルト否定の番組をみたのだが、いまだにこんなことをやっているオールドメディアのレベルの低さに呆れてしまった。そもそもオールドメディアは偽ユダヤがつくったものなんで、いまだにその洗脳が解けていない日本人が多いのも仕方がないかもしれないが、昭和の時代に超能力ブームがあり、平成に進む頃にスピリチュアルブームがあり、そして令和には、前世を知るアクエリアスブームがいまはじまろうとしている、のにもかかわらず、である。人類がいま不死性に目覚め、輪廻転生を理解しようとしている初歩にあり、その準備から、遺伝子情報学や、再生医療や量子力学などの、かつての古代アトランティス時代の基礎知識が、カインの子孫たちから黒魔術を通じて、甦り、生まれてきたわけである。令和は、霊和でもある。霊で和して行こうという時代なのである。この日本に外国人がインバウンドで到来するのも、古代アトランティス時代からの流れなのである。日本の神々が、民族霊として、令和のインスピレーションを、時代の命名に関わる日本人関係者に与えたようである。オカルトを語るのなら、この時代の流れを読み解かないと、この令和の世に、何のために日本人として生まれてきたのか、わかるはずもないだろう。巷には、若気の至りならまだしも、ある程度の人生経験を積みながら、自分が一番優れていると思い込んでいる自惚れ屋さんの地球人こそ傍迷惑で、始末に悪い存在はない。釈迦に説法がわからないらしい。自分の知性が低レベルなのを自覚できない地球人が最も救いようのない独裁者や独善者であり、虚栄心に満ち溢れ、名誉欲や承認欲の塊であるのに、何の疑問ももたないが、なぜか、巷の自称オカルト研究家を名乗るような怪しい人物が、オカルト番組に登場し、オカルトの代表として出ているのにしばしば疑問が盛り沢山のように感じられてくる。それに、オカルトを否定する側の科学者もカールセーガン級の知名度やノーベル賞級の研究者、もしくはイグノーベル賞級の研究者ならまだしも、それらの科学者とは程遠い専門分野の大学教養課程レベルでしかない人物なのも非常に残念である。なかには研究者でもない科学ジャーナリストが出てきて科学を語るのには、あまりにも不公正だろうと思う次第だが、オカルト側も聞きかじりのジャーナリストレベルのニセモノなんで、所詮はニセモノ同士のタヌキとキツネの化かし合い騙し合いでしかないが、とにかく巷のオカルト番組はツッコみどころ満載なので呆れてしまう。所詮は、現代科学といっても、中世以降の数百年の歴史しかないことを考慮せずに、しかも、人生が一回きり、と思い込んで、現代人がようやく獲得した人間の覚醒意識で、自然現象を観測しデータ化し、脳で考えた、可視域での物質化したモノマネであって、それも非線形現象をどうにかこうにか局所的な線形現象にして、三体問題を回避するために確率統計学を用いて、ようやく数式化した、三次元プラス時間の四次元思考を土台とした思考の産物にすぎない。対照的に、オカルト側も、聞きかじりの都市伝説レベルではダメで、オカルト研究家を名乗るのなら、科学全般を、少なくとも科学史ぐらいは大学修士課程で修論を書けるぐらいの素養の持ち主でないと、科学者との議論を深められずに、中途半端に終わるか、朝まで生テレビのような騒々しい雑音ばかりの無意味で陳腐で、互いの主張が果てしなく平行線の小田原評定となるだけだろう。議論に意味をもたせるのなら、互いの立場と役割を乗り越えて、一致点を見い出すのが肝要で、単なる罵りあい罵倒のしあいでは台無しで、ましてや勝った、負けたのディベートでも後味が悪い。いうなれば、千宗易の一期一会でないとダメなのである。やってよかった。気心が知れたという、一期一会の、仏教の善因善果で、悪因をも善果につなげようとする、悪人正機に意味を求めるものとなるべきだろう。だから互いを謙虚に認め合うのでなければいけない。男女間の付き合いと同じである。一期一会 - Wikipediaそもそもホンモノのオカルト研究家というのなら、オールドメディアが垂れ流す、そのような中途半端な進行が予想される番組には出るはずもないが、だからオカルト研究家と名乗るだけでニセモノなのだが、怪しい恰好をして出ている時点で、失格である。奇抜で派手で、目立とう精神のような恰好で出るのはそれだけで、オカルトではない証拠である。そんな人物の言動を現代人が信じるわけがない。この人の言う事なら信じられるという恰好で出ないとそれだけで相手や現代人の心を読んでいない証拠でもある。現代人は外見主義なので、謙虚さが滲み出る、自然に話を聞きたくなるような恰好でないと言葉に耳を傾けようとする気にもならない。だから、オカルト研究者は、口数が少なく、相手が何を求めているのか的確に判断できないとダメなんである。所詮、NHKなんで国会のように官僚が書くシナリオ通りに、番組構成作家が書く進行通りに、口を動かしているだけにすぎないのだろうが。巷のオカルト研究家のレベルが低すぎるので、冒頭からダメ出しを書いてしまったが、そのような似非のオカルト研究家がオカルトダメ出し番組に出るのは、世間からオカルトを怪しませる洗脳であるから、自称オカルト研究家が、シナリオ通りに、途中で裏切って、なぜか科学的でないとオカルトを否定するような発言をするから、この自称オカルト研究家は、あまりに低レベルなので、一体オカルトの何を知っているのか、聞きたくもなる。当然、非科学的という人ほど、科学を知らないし、科学史も知らないから、科学が地上に生まれた由来も知らない。このようなレッテル貼りは、偽ユダヤが偽者と判断されないための防御情報工作としてよく陰謀論界隈では用いられ、知られている。「陰謀論者」とレッテルを貼れば、オカルト研究家の怪しい恰好と同じような効果を、メディアが流す情報が正しいと洗脳されている飼い犬のような人々に、もたらせるからである。科学的というレッテルを用いれば、闇の宗教教団を誤魔化せるから、巷では幸福の科学などが流行るわけである。ここら辺の話は、このブログでも度々紹介しているジョンコールマンの書籍を読めばお馴染みである。悪魔崇拝教団こそが科学を隠れ蓑にするから、科学という言葉に騙されてはいけない。とにかく巷には、そのような胡散臭い、科学優先主義の、オカルト演出がなされ、オカルトだけでなく、経済面でも、財務省の宣伝の通りに増税するために、某朝番組のコメンテーターのようなのが沢山いるのが非常に残念で、折角の数少ないオカルト番組が単なる都市伝説番組となってしまうから、それなら、「信じるか信じないかは貴方次第」のオカルト芸風の芸人のように、お笑いバラエティ番組にした方が遊び心満載でかえって、そのような遊び心のなかにオカルトの真実が隠れているから、遥かにマシに思えてくる。脳の知識からは到達できない、オカルトを一言で語るのは困難だが、科学を一言で簡単に理解するには、それは物質界の学問で、古代叡智の一断片というべきかもしれない。人間が地上の世界から集めて統合した知識体系で、オカルトでは、科学を、生命の樹に対する、認識の樹、もしくは認識の果実と呼んでいる。だから、科学は、聖書では、蛇が唆して、エヴァに食べさせた禁断の知識の実で、そのために、原始の人間はエヴァから発した女性だったわけで、女性から男性がわかれて、知識の実から、脳ができた。つまり、知識の実がエヴァから、アダムに行き渡り、科学を考える脳ができた。だから、科学は脳を超えることができずに、男性は、子どもを産むかわりに、地上から知識を集めて、代わりに、科学を産んだので、カインが男性の象徴となり、フリーメーソンの石工となった。聖書では、石工は農夫となっているが、農夫とは地を耕し、収穫物を神に納める民族で、だからカインの子孫は石工で、メーソンから、神殿伝説が生まれたのである。つまり人類史によれば、カインのフリーメーソンが科学の祖となったのである。有名なメーソンの象徴のマークの、コンパスと定規のなかのGは、正三角形のなかの、万物を見通す目で、実はルシファーの目なのである。ルシファーは、月紀に人類の進化から逸脱し、月に住む高次の宇宙人となった。だから、月から、地球人を監視する存在でもある。死後の地球人が最初に行くところが、実はルシファーたちの地獄の欲界なのである。だから日本では、別名、閻魔様とも呼ばれている。さて、ルシファーと敵対するのが、ヤハヴェの、日本でいうところの八百万、もしくは八幡の神である。太陽霊キリストを子とするなら、父の宇宙神というべきかもしれない。ヤハヴェ神は、人類の祖アダムをつくり、アダムは、エヴァとの間に、アベルをつくった。だから、アベルはヤハヴェ神の正統な後継者なので、生命を地に伝える祭司となった。聖書では、生命を育てる羊飼いの牧人となっている。端的にいえば、神の命令を地上に伝える巫女のような存在である。神 (神道) - Wikipedia巫女は、日本でいうなら、祝詞を唱える神官のようなものかもしれない。だから、アベルの子孫から、祭司系の宗教が黄金伝説として生まれた。アベルの民族は、ヤハヴェ神に、祝詞を捧げていたので、受け取られたが、カインは、自分の民族がつくった地上の科学を、ヤハヴェに捧げたので、認められずに、進化から逸脱し、代わりにアベルの宗教を、科学で殺してしまった。そのために、地上にはホンモノの宗教がなくなった。ホンモノの宗教とは、輪廻転生と、霊魂の不死性を説く、天国の愛の話である。そのために、地上の人間は、人生を一回切りの誕生と死の間の生のみを、個人的に生きる存在になった。それでは人類が逸脱してしまうので、地上の人間を救うために、均衡をとるために、ヤハヴェ神は、アベルの代わりに、アダムとエヴァに、セトを産ませた。このアベル-セトの子孫の民族が、祭司を継ぎ、後の黄金伝説となるソロモンを産む。やがて、ソロモンは、地上に神殿をつくるために、カインの子孫から、トバルカインの子孫ヒラムアビフを招き、ソロモンの神殿をつくらせた。このソロモンの神殿が、フリーメーソンの上位に君臨する、霊魂の不死性と、霊視を獲得するための、修行の課程をなすグラントリアンらしい。そして、ソロモンの神殿に、キリストが降臨することで、カインの子孫と、アベルーセトの子孫の統合がなされた。ヒラム - Wikipediaだから、ルシファーは、人間のなかのキリストの愛によって地上の行いにより救われる予定なのだが、堕天使にはまだ別の存在の、太陽紀に進化を逸脱した地球の奥深くに閉じ込められているアーリマンの魔の手が伸び、地上の人類の愛の進化を妨害し、地上に拘束しようとしているという。ルシファーは人類に、自らで善と悪とを判断する自由を与えたが、アーリマンは、詐欺師のように、人類を洗脳し、その自由を履き違えさせ、私利私欲の横暴にして、自由を簒奪しようとしている。シュタイナーは、このことについて、ルシファーの戦いが、ロシアのスラブ民族と、中国や日本の古代アトランティス時代の残滓である、東アジア(漢)民族との間で起こり、アーリマンの戦いが、アメリカ大陸のなかの、白人種と黒人種のなかで起こる、と預言している。このことから、ノストラダムスの世紀末の大予言の、アンゴルモアの大王が、ロシアのプーチン、もしくは中国の習近平で、恐怖の大王が、アメリカのトランプ、もしくは次の大統領なのが予想されるだろう。いずれにしろ、独裁者は人類を裏切り、進化の足を引っ張る愚か者であるのは、この世でもわかる事実である。空から落ちるというのは、進化から逸脱した恐怖で支配する悪魔で、太陽悪魔のアーリマンのこと。アンゴルモアの大王は、かつて中華大陸で、古代アトランティス時代に当時のエーテル科学で、人類を支配した皇帝を意味し、黒龍の月悪魔ルシファーで、その悪魔が復活すると、ノストラダムスは預言している。ノストラダムスの大予言 - Wikipediaだからこの預言詩は、人類全体が滅亡するのではなく、一回切りの人生を送ると信じる人間がいなくなる、ということである。というのも、シュタイナーの霊視によれば、前世の記憶を思い出す人間が生まれてくるからである。つまり、古い価値観に囚われている科学人間が滅亡するのである。ついでにニセモノのオカルト研究家も滅んでいくだろうな。おそらく、オールドメディアと共にね。舞台は違えど、歴史は繰り返すのだから、故きを温ねて新しきを知る、のが、古代叡智の醍醐味なのである。古代叡智を現代人のアタマで考えてもわかるわけないだろう。その時に脳があったかどうかもわからないし、脳の構造も唯物的に発展しているはずだからね。ましては地球環境だって変わっているわけでね。だからオカルトを現代人の脳で考えるのはそれだけで馬鹿な証拠なのである。信じるも信じないも貴方次第!
2025年05月22日
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最近一日があっという間に終わってしまうので、古代叡智を学ぶのにつくづく時間が足りないと感じてしまう。特に男女の違いなどをあーでもないこーでもないと脳で考えていると、あっという間に午前中が終わり、気がつくと午後五時になり、昼食も忘れ、夕食食うかとなってしまう。特に、男女の違いの古代叡智を読み解くのはなかなか理解困難なので、というのも、脳の知性では解き明かせない命題なのだが、そのために、人智学や神智学の残っている書籍からでは限界を感じる事も多い。というのも、この世で生きるには、どうしても、一方の性に偏らざるを得ず、片側の視点からしか、異性を観測せざるを得ず、そのような教育を得ている習慣もあり、心眼を獲得していない者にとっては、その一方通行の観測データを解析する脳を使うしかないからである。だから、男女の違いを考えていくと、どっちが男で、どっちが女なのか、わからなくなってしまうからである。肉体上の特徴や、この世での生 殖関係から、ほとんどは外見上のルックスから区別しているわけで、高次の知性に迫っていくほど、精神上の霊魂上の区別がつかなくなるからである。実際、霊魂には男女の区別がなく、自由に創造できるのだから、男女の区別なく、両性具有の如く、増殖し変化できるのだから、探求するうちにわけがわからなくなってしまう。特に男性特有の理屈っぽい思考を追求すればするほど、わからなくなってくるから、探求する気が失せてくる。先日、ETV特集で、現代でも、ソクラテスの無知の知に近い問いをしていた人の特集をみたが、それでも、脳を使って思考している点で、例えば、「卵が先か鶏が先か?」の問いに対して答えを出すのは不可能に思えた。既成概念や、常識を疑え、というのなら、それをつくっている人間の脳さえも疑わないとダメだからである。ETV特集 ねちねちと、問う ―ある学者の果てなき対話― - 動画配信人間の知性を疑わずして、人間の知性を超えるのは不可能で、人間が知性の自惚れ屋であっては、ソクラテスの説いた無知に埋没するだけで、以前もこのブログで紹介したが、古代ギリシアでの哲学会議のなかで、人間を、「羽のない二足動物」と定義する愚かさと変わりがなく、次の日に、ディオゲネスが、羽をむしりとった鶏の死体をもって、やってきて、「これも、あなたたちの定義によれば、人間ですよねぇ」、とやりこめるエピソードを繰り返すだけなのである。ディオゲネス:Diogenes 412-404 BC--323 BC人間の知性の限界を知らないと、その愚かさの追求のために、人類を滅ぼしてしまうことが、過去3度となくあったことを、神智学は、高次の知性の召喚により、既に読み解いている。人間の知性がどこからくるのか?理解せずに、その知性に自惚れるのは、核兵器を玩具にして同じ人類を脅かす独裁者や、ピストルを与えられて有頂天になる子ども、と同じようなものである。現代人は、人間の脳に人間が殺される存在と化した自覚をもたなくてはいけない。「俺が悪いのではなく、俺の脳が悪い」と言い放った芸人もいる。このような愚かな歴史の繰り返しから、人間が知性に自惚れたときに、人類は何度となく滅亡してきた。霊能者であったソクラテスはそれを当時の愚かな知識階級に警告したために毒刑に処された。同じように、現代の脳科学者は、心霊主義を罵倒するが、脳で考えた知性である限りは、物質界でのエネルギーの変化によって空間を結びつけることで現れる、時間という霊で表現された知性をみているのと同じで、心霊を時間に置き換えただけで、同じ穴の狢でしかない。だから、脳科学者は、時間を超えて、脳では考えられない知性にまで言及しないと、ソクラテスが説いた無知の知に到達できない。人間は、死にゆく脳で考えるのではなく、脳を超えた、不死性のなかで、思考しないと、脳は、宇宙の火を単に映し出しているにすぎなく、時間はその煙のようなもので、火そのものを問わない限りは、時間を超えられない。だから覚醒意識での知性は、潜在意識での知性を超えられない。時間のなかに不死性を求めて、火となっているエネルギーを、光や宇宙の意識にまで高めないと、何を考えようが無駄な徒労に終わるだけなのである。そもそも、なぜ人類には脳があるのだろうか? 脳は何なのだろうか? と問わない限りは、人間の知性を人間が自覚できないのはいうまでもなく、人間の脳が物質界を経験するために、つまり失楽のために、その観測装置としてつくられたのを少なくとも理解できるはずがない。有り体にいえば、脳は、宇宙の「わたし」のコピーなのである。宇宙を「わたし」という一つに帰するための鏡というべきかもしれない。脳は、「わたし」という主体が観測した経験から「わたし」という一つに帰する言葉を介して、他の「わたし」のコピーたちと会話して、知性を高めるための道具で、宇宙のなかの交信ツールである。交信のプロトコールが、言葉により移り変わり、様々な「わたし」を宇宙に目覚めさせてきた。宇宙の歴史は、「わたし」の歴史でもある。しかし、現代人は過去を忘れて、いまこの世にいる物質的存在だけの「わたし」に囚われている。そして、その「わたし」でお互いを着飾りマウントしあっている。知性は、低俗な恐怖心を植え付けるための、核兵器と同じ道具になっている。さて、このような脳による、人間の知性と同じように、自惚れて、堕落し、腐敗した知性が、人類を滅亡させるように、「歴史は繰り返す」と、古代ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスが、はじめにいったとされてから、何度となく歴史家から、歴史は繰り返すと、低俗な脳によりいわれてきたが、ルーフスに言われる前にも、言われてきたのが記録されていないだけで、なぜ歴史が繰り返すのか、を解き明かすには、巷の物質界の、脳で考える人たちには、将棋の千日手に至るだけで、ほぼ不可能だろう。千日手に至る脳を捨てられないからである。哲学者カール・マルクスの名言「歴史は繰り返す」をもっと昔に残していた古代ローマの歴史家は誰? | Oggi.jp脳を捨てて初めて、脳がなかった過去からも、歴史が繰り返されてきた意味が初めて明かされるわけで、人生に死が到来する理由となる。脳死は、脳が千日手に至った自惚れた知性を意味し、人類に脳がなかった時代の、叡智が叡智を生み出していた死のない世界に、無知の知に到達するための準備といえるかもしれない。だから、歴史の繰り返しの訳を知るには、脳が思考停止しないと、脳の知性が無駄と自覚できないのである。わからないことはわからないといえないといけない。男女の関係も脳では理解できない。男女の関係と同じように、交際に時間が必要なのと同様に、「卵が先か、鶏が先か」、は時間があってはじめて問える命題なのである。卵と鶏はもともと一つで、いわば同じ生命の波動のゆらぎにすぎない。膨張か、収縮かの違いで、分裂増殖か、融合収縮か、の違いでしかない。だから、生も死も、異なる世界からみた立場と役割の違いでしかない。物質界での出来事を是として前提でみれば、歴史が繰り返すのは、知性の限界を現わすことでしかない。歴史が繰り返されたのは、単なる偶然でしかないと、脳の知性がみなすとき、それはその知性の限界を意味しているだけなのである。男女の関係がわからないのは、その知性が限界なのを意味する。だから知性の限界を超えるには、この世での男女の区別を少なくとも捨て去らないとはじまらない。というのは、物質界での出来事、つまり、低次での現実は、予め、高次での計画として行われるからで、宇宙がマンヴァンタラとプララヤの二つの状態の繰り返しからはじまるからで、神智学が霊能力から、アカシャ(虚空)年代記を読み解いて、古代叡智として伝えている伝承を、繰り返し、書き記したものである。現代宇宙論でも、アインシュタインの一般相対論の方程式で用いて、宇宙の膨張と、収縮で議論しているが、それらが物質界の脳で考察している以上は、神智学の叡智の無知の知には到達できないだろう。 ☆ ☆ ☆ 神智学の教え | 神智学協会神智学では宇宙創造をどの様に考えているのですか? 神智学では、宇宙創造ということを信じません。宇宙は極めて長い期間をかけて、主観状態と客観状態を周期的に繰り返しています。例えば、朝には太陽が上り大地が照らし出されますが、夜に日が沈むと全てが暗闇に包まれるようなものです。 インドではこのような交代を「梵の昼と夜」、またはマンヴァンタラ(出現)とプララヤ(消滅)と呼んでいます。つまり、宇宙の昼と夜です。夜の間、原子はみな同質のものに溶け込み、物質はただ1つになります。 その度に誰が宇宙を創造するのですか? 誰も創造しません。キリスト教以前の哲学者達はその創造を発散と呼びました。神智学では、無限の空間に周期的に自らを反映させる永遠の実在をこの過程に認めます。この発散によって反映される客観的宇宙、つまり私達の住む宇宙は一時的なものであり、幻影にすぎません。客観的宇宙を発散させる永遠の実在こそが真実なのです。 発散された宇宙には7つの界があるとされています。界を追うごとに宇宙はだんだんと濃密に、物質的になり、最終的には私たちのいる世界に達するのです。さて、巷の、昭和世代には、MLBの父親リストと呼ばれる大谷選手の産休に衝撃を受ける人が大半だろうが、このような時代の価値観の移り変わりに、「男は仕事、女は家庭」という肉体の性の外見に囚われた時代のルッキズムに対抗する、新しい人間の内面性、精神性を重視する価値観が台頭してくる、のは自然の成り行きというか、地球進化のなかの自然の摂理といえるかもしれない。地球も生きているし、時代は、時代霊の働きによるからである。人類の変革期には必ず性差の転換が台頭してきたからである。かつては批判もあった「父親リスト入り」 大谷翔平の“育児休暇”に日本で驚きの声「世界一の野球選手ですら産休を取る」(CoCoKARAnext) - Yahoo!ニュースルッキズム - Wikipediaそれは下等生物の環境に応じた性転換と同じように、人類の場合は複雑な形で、より高次で、より普遍的に行われるはずだからである。シュタイナーは、前世で片腕を失った人は、トカゲの尻尾のように、前世で回復されるのではなく、来世で頑強になって回復されると述べているように、性転換も、前世と来世で、大きく文化的に行われるはずだからである。それはおそらく、前世で雌雄同体だったことや、異なる性で生まれていたことを記憶する人間として生まれてくるのかもしれない。それは人だけでなく、国家という組織体も同じで、昭和は、確かに、男性社会だったが、八切史観によれば、古代の日本は女性社会だったようである。それは、天照大御神が女神なのに、天皇家が男系継承なのでもわかるだろう。お釈迦さんが、当初、教団に尼僧を入れなかったのも、現代人の脳での知性からは理解不能だろう。男と女の偏った知性からは何ものも生み出せないからである。男と女が、陽と陰の二元性の両極なのが、人間の脳と深く関わりをもっているからである。やっぱり違う 男と女の脳 | 日経サイエンスここ5~10年の間に,医療用の画像技術が急速に進んだ。これを使った研究の結果,脳全体にわたる複数の領域で解剖学的な違いが見られることがわかってきた。ハーバード大学医学部のゴールドスタイン(JillM. Goldstein)らはMRIを使って,いろいろな皮質領域と皮質下領域のサイズを測った。その結果,さまざまな高次認識機能領域が含まれる前頭皮質部分は,男性よりも女性のほうが大きいことがわかった。また,大脳辺縁皮質の情動反応に関連している部分も女性のほうが大きかった。一方,男性では空間的知覚に関連する頭頂皮質の部分が女性より大きく,扁桃体も女性より大きかった。扁桃体はアーモンド形の構造体で,心臓の拍動を速めたり,アドレナリン放出につながるような,感情を刺激する情報に反応する。【脳の科学】男と女。賢いのはどっち? | TABI LABO特集|女と男の脳はどう違うのか―脳の性差を究める―例えば、上のサイトのように、脳の男女差からもある程度の知性の違いというか、男脳が論理や空間把握力に鋭く、女脳が、情動や直感力に鋭いような、いわば志向の違いがわかるが、脳で考えている知性は所詮、物質界での拘束条件の範囲内でしかないから、脳を捨てないとダメなのである。互いに知性を補完し合う関係なのを理解しないと、脳すらも理解できない。脳を超えて脳を理解しないと意味がないからである。だから、このように男女脳を比較しても、立場と役割の違いがわかるだけで、他人と人生を比較するのも、この男女脳の比較と同じで、立場と役割の違いがわかるだけで、知性においては全く意味がなく、その脳の知性で、人生を比較することこそ無知蒙昧で、無意味なのである。人間のカルマにおいては、男女のそれぞれの立場と役割の違いを理解するために、転生を続けているからである。このように、脳を、物質界での、立場と役割の違いを、観測するための道具とするのなら、その道具を捨てて考えるのに、次に目安となるのは恐らく、寿命だろう。男女の寿命の差を理解するのに、目安となる情報をググると次のようなサイトに出くわす。図録▽平均寿命の男女格差(国際比較)男性は平均して5%~1割ほど女性より平均寿命が短い。これは生物学的な理由によるものであろう。ただ、平均寿命の短い貧困国では、男女の平均寿命が近づく傾向が見られる。これは、出産時の母体リスクの高さからと考えられる。この点については、図録2249「母体リスクの国際比較」を参照されたい。 図を見ると、平均寿命の男女格差が特異な国がある。カタールでは男の寿命の方が長い。同様にバーレーン、クウェート、サウジアラビア、バングラデシュ、パキスタンといったイスラム国では、男女の平均寿命に余り違いがなく、女性の寿命が相対的に短い点で目立っている。人口大国の中国、インドでも女性の寿命は相対的に短い。 他方、ロシアを典型として、エストニア、ベラルーシ、リトアニア、カザフスタンといった旧ソ連諸国では、男性の寿命が女性の1.5割前後短く、男性が早死にである点が目立っている。こうした国は自殺率も高い国であり、また男性の自殺率が際立って高い国であり、平均寿命の男女格差と相互に関連している可能性が高いと思われる(図録2770、図録2772、図録8985参照)。 なお、日本でも戦前には女性の方が平均寿命の短い地域があったこのサイトからわかるのは、男性の方が、自殺率が高いために、男性の平均の寿命が短くなる傾向があり、男性社会のイスラム圏では、男性の自殺率が低いために、男女の平均寿命の差が少ない、というようなデータである。【イスラム教は何故、自殺者が少ないのか。】|ジュエリー長谷川図録▽世界各国の男女別自殺率男女の寿命の差については、霊魂の不死性が大きく関わっているのだが、それはこの世に生まれてくる男女比率も男子が多いことでわかるが、それは、オカルト的には、将来の肉体が男性化に傾くためであり、女性の男性化が進んでいる時代の流れからもわかるだろうが、それに伴って、少子化に向かうことを、いま触れるのは、かつての古代アトランティスの破局を意味するので、とりあえずやめておくが、とにかく、男性の自殺率が高いのは、男脳での知性が行き詰まっているのを意味している、のがわかるはずである。男脳の、三次元思考が拡張すれば、それを拘束する境界に出くわすので、自由になるどころか、益々不自由になるので、空間を埋め尽くすほど、脚を取られ、進めば進むほど後退し、抵抗にあい、戻ってくる四次元思考を超えられないからである。対照的に、女脳は、脳の知性を捨てられ、子宮で考えられるだけ生命力がある。だから自殺も少ない。そのような脳の知性はいつからはじまるのか、人生の子どもの時期から考えてみる。子どものとき、男の子は強いヒーローに憧れ、女の子は変幻自在な美しいヒロインに憧れるのは世の常で、アラ還暦男性の子どものときのヒーローは、ブルースリーだった。ブルースリーの物真似が矢鱈と流行って、ヌンチャクがヒーローアイテムとなるが、子どもにヌンチャクを与えて、親の言うことを聞かなくなって振り回されても拙いので、母親たちの意向なのか、あるいは、女の子の変身願望を取り入れたのかもしれないが、ヌンチャクが、そのうち仮面ライダーの変身ベルトに代わっていった。ヌンチャク - Wikipedia昭和の男らしさ、女らしさの教育は、男女同権、LGBTの運動が活発化している、令和からは想像しがたいだろうが、昭和の学校教育では、子どものときから、男女間には、どこか敵対意識があった。子どものときから、男らしさ、女らしさを求められ、男女差別が平然と存在し、誰もがそれを当たり前に思い込んでいた。特に昭和の男社会を中心とした家庭環境では、男の三次元思考による知性が優遇されてきた。昭和の意識!?『男は仕事、女は家庭』からの脱却を | 連合ダイジェスト昭和の、男らしさや女らしさの教育といえば、子どものときによくみたドラマ「噂の刑事トミーとマツ」を思い出す。男は強くなければいけない、という、男らしさが、子どものときから教育されたが、そのど定番を地でいっていたのが、このドラマだった。このドラマのように、男らしさや女らしさは、この世の子どもの成長期につくられた、後天的な脳の知性にすぎないのを物語っている。家庭のなかでの男らしさと女らしさの立場が与えられて、その役割を果たすのが期待される。学校でも、男子組と女子組に分かれ、運動などの体育を教育された。噂の刑事トミーとマツ - Wikipedia子どものときから、昭和の典型的な理想の男性像と女性像に向かって、画一的に教育されるのだから、教育次第で落ちこぼれが出てしまうのは必然の流れというべきかもしれない。確かに子どもに社会的な自立を促すには、社会的にわかりやすい立場や役割を子どもに与えるのが社会的なコンセンサスや安全のために適当なのかもしれない。その後、そのような教育が反抗期になって、なめネコブームやら、ツッパリハイスクールなどのヤンチャな学級崩壊を生むようになるのだから、肉体上の性の偏向を強調した脳の知性での教育が行き詰まる、のを究めて低レベルな歪んだ思春期の非行に走る暴力行為となって、経験するのも、昭和という閉鎖的な時代の流れなのかもしれない。しかし、そんな男子の憧れのブルースリーが、「考えるな、感じろ」と言った意味は大きい。つまり、オカルトからいえば、男脳を捨てろ、女のように脳を捨てて、子宮で考えろ、と言っているようなものだからである。女性の子宮が、男にはないから、「感じろ」というのは、子宮に代わる男の感覚器、つまり叡智を受け取る感覚器をつくれ、と言っているのかもしれない。男らしさの象徴のブルースリーが、女のようになれ、と言っているのだから、脳で考える知性では行き詰まる、のを示した格言なのである。シュタイナーによれば、人類のこれまでの進化の繰り返しが、人生にも現れているという。我々現代人のポストアトランティス時代のはじめの古代インド文化期には、かつてのレムリア時代のように、男女の性差がほとんどなく、両性具有で、男は女のようで、女は男のようだったという。男女にわかれたのは、次の古代ペルシャーカルディア文化期で、この時代から、二元性が顕著になってきたという。人間の成長期でいうなら、大体7歳の歯の生え変わりからになる。【シュタイナー】地球紀の進化過程について~現在はポスト・アトランティス時代~ | Noos Eggsこの時期の子どものエーテル体はまだ未完成で、アストラル体についてはほとんど何も決まっていない状態で、いわば将来の見通しや可能性だけの漠然とした基盤構造だけが決まっている可塑的な柔軟性をもっているから、大人たちのアストラル体を通じて、どのようにも変わり得るような発展性をもっている。だから、ある意味、大人たちの影響を受けやすい。この時期の子どもが、例えば、承認欲旺盛な利己主義な大人に出逢うと、可塑的な柔軟性を失って、その影響を受けないように、心を閉ざしがちになってしまうという。だから、この時期の子どもに相応しくない教育者は、偏った思想や独善的な価値観の持主など、自らの知性に何ら疑いももたない全く謙虚さの欠片もない、現代で言えば、学者のような、特に脳科学者のような人物といえるかもしれない。そのような人物は、ブルースリーの、「考えるな、感じろ」とは、真逆の、「感じるな、考えろ」と自説や価値観をおしつけてくるだろう。そのような人物に遭うだけで、子どもはある意味、その考えに拘束されて、自由な創造性や発想を失ってしまう。この時期の子どもたちには、大人が愛を示す事が何より大切であるという。そのような愛情に溢れる大人たちをみて、子どもたちは愛を学ぶからである。性がわかれはじめるこの時期の子どもには、愛情が必要なのである。性を超えた愛情こそが、この時期の子どもたちの心に、愛への献身を教え、愛への慈しみや尊さを学ばせる。ブルースリーの「考えるな、感じろ」は、この時期の子どもには、愛の至言であり、愛は、考えるものではなく、感じるもので、仮面ライダーへの変身ベルトなんである。
2025年05月20日
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前回紹介した話には間違いがあって、それに気づいたので、はじめに、お詫びと訂正をしておきたい。修行者を「チャラ」と呼ぶと紹介したのだが、実は「チェラ」だった。チャとチェの変換を間違えてしまい、そのままチャラで話を進めてしまったので、すいませんでした。そこで、お詫びを表現するために、ネットで、お詫びのポーズを探しているうちに、以下の面白いサイトに出くわした。人間の謝罪を肉体で表現するのに、相応しいポーズとは何だろうか? 謝罪のイメージとは何だろうか?と色々考えていくと、柔軟性を現わすストレッチのイメージが思い浮かぶ。ストレッチのポーズで謝罪する :: デイリーポータルZ上の画像の左下の大袈裟な謝罪にみえる「背中反り」のポーズは、ヨガにも「猫の伸びのポーズ」があり、ググると、チャイルドポーズと呼ばれている、のがわかる。ヨガのチャイルドポーズの効果とは?できない原因とバリエーション – SOELU(ソエル) Magazineこのヨガの英語名チャイルドポーズは、サンスクリット語では、バラ(子ども)アーサナ(ポーズ)と呼ばれるようで、様々なヨガのポーズの間に休息をとるためのポーズで、小休止のポーズという意味のようである。以下のサイトによれば、『子どものポーズは上半身を脱力させるヨガポーズなので、背中や腰周りをリラックスさせる効果が期待できます。デスクワークなどで酷使しがちな首・肩・背骨の周りにある筋肉を緩めるため、疲労回復効果も期待できるでしょう。また、消化機能の活性化や腰痛の予防などを見込めることもメリットです。』とあるように、緊張を緩和するポーズといえるかもしれない。子供のポーズ(バラ・アーサナ) ジム関連用語 - FIT PALETTEこの土下座に近い謝罪の姿勢の、子どものポーズからわかるように、本来の謝罪の意味は、肉体をストレッチさせて、疲労を回復させ、緊張感からくる心のストレスを軽減する表現なのがわかる。日本の土下座との違いは、腕を伸ばさないで、地面につけるように支える点で、イスラム教のお祈りの姿勢に近い。だから、土下座、もしくはイスラム教のお祈り、もしくは子どものポーズをすることは、肉体の疲労を回復させ、心のストレスを軽減する働きをもたらすのだが、勿論、自主的に行わずに、強要されてやるのでは、かえってストレスを貯めることになるのはいうまでもない。さて、話を元に戻し、訂正の意味で、「チェラ」で話を展開すると、ヒンズー教の師のスワミに対して弟子をチェラと呼ぶそうである。また、密教の導師グルに対して弟子をチェラと呼ぶそうである。前回は、このチェラをチャラと間違って解釈して、「心眼を獲得する修行」の意味に解釈してしまったが、この「チェラ」のままでググっても、それ以上の意味がネットからは出てこないので、やはり、いまのところは、「チャラ」で間違って話を展開するしかないようである。以下の2つ目のサイトのように、古代ヘブライ語で解釈すると、『「チャラ」は、「喜ぶ」ことを表現するヘブライ語のצהלה(tzahlah、ツァラ) と考えられます。』に出くわしたので、もしや、チェラは、チャラを経た、ツァラトゥストラのツァラが起源ではないか?と思った。シャンバラからの伝言 魂の修行と宇宙の真理 成瀬雅春 著 - うちこのヨガ日記歓喜の思いを唄う「木曽節」の「ナンジャラホイ」 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究ヘブライ語対照表 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究また、3つ目のサイトの、古代ヘブライ語と日本語のカタカナの対照表から、ツァラには、辛いという意味の「tzarah」と、喜びという意味の「tzahlah」があり、アヴェスタ語の「輝ける星」の意味のツァラトゥストラのツァラは、「輝ける」という意味の「喜び」と考えられる。このツァラトゥストラは、ゾロアスターとも呼ばれ、ゾロはツァラの変形で、トゥストラは、アストラルの変形で、星や心を意味する。だから、ツァラトゥストラは、輝ける喜びの心の意味をもつ。常に感謝感激喜びの心が、チェラなのかもしれない。人智学でのアストラル体は、このゾロアスターのアストラルで、六芒星形を現わす6次元世界なのである。ちなみに、導師のグルは、古代ヘブライ語では、『グラ גאלה gulah 救い、贖い(名詞形)』に由来しているのかもしれない。だから、グルが救いを導き、チェラが輝き喜ぶ、という白魔術の意味をもつのかもしれない。さて、白魔術での救いとは何か、とオカルトで考えるなら、死からの再生であり、キリストが死から再生し、霊魂の不死性を、地上の人類に身をもって示したのだが、いまだにその意味がわかっていない人類が地上には沢山いる。この不死性の意味を解き明かすには、男女の両性の意味を解き明かさないと、無駄な徒労に終わるだけなのである。いくら脳で考えようが、無知の知に到達できないので、脳科学は全くの徒労に終わるだけなのである。この世の偉大な科学者も、地を権力で支配しようとする独裁者も、母親のお腹から生まれた、という点において、前回紹介した古代アトランティス人とは異なり、地を這いずり回る蛇と同じなのである。蛇と同じ生き方を、現代の言葉で語るのなら、三次元空間、もしくは少し賢くなって数学などから、四次元時空を予想できても、その空間や時空を超えることはできない。これがソクラテスの無知の知の本当の意味なのである。物質界を抜け出してはじめて、地上人は、その愚かさを知るのである。自分という存在を俯瞰でみることではじめて、本当の叡智の意味を知る。そのときの、自分はもはや自分ではなく、宇宙に初めて生まれた自分で、自分を生み出した創造的な自分なのである。それこそがモーセに明かした、エヘイエ、アシェル、エヘイエで、我は、お前をつくりだしている主、という意味なのである。人間は地上の世界を、地動説で生きているように錯覚しているが、それは宇宙全体のなかの、外の部分で一部なのである。はっきりといえば、三次元世界が全てではないし、だから時間が与えられて、脳が時間と共に物質界での変化や運動を辿り、思考することで、物質界で生きる術を学べるわけである。脳をつくる脊髄の神経組織は、いわばヤコブの天国への階段で、脊髄から脳への進化とともに、人間は地上に神殿をつくり、地上の生活を手に入れてきた。そして、人類は男と女にわかれたのである。キリスト教のなかでも、キリストが男か女かの不毛な議論があり、また神話においては、男神や女神などの議論があり、この国でも、天皇は男系か女系かの議論があるが、前回紹介したように、高次の宇宙人に脳があるのかどうかさえも、人間は宇宙人がヒューマノイドのような人型だと思い込んでいるが、それらはそもそもが三次元世界だけでの無知さ故の議論だから、何を語ろうが無駄な徒労に終わるだけなのである。そのような議論は、三角形の3つの内角を足すと、180度になるかどうか、の議論と同じで、三次元世界でのみ成り立つ話でしかない、のに気づいていないだけなのである。以前、時間についての議論の紹介で、覚醒意識での時間論ばかりを考えている現代人の盲点を紹介したが、人間は地上の世界だけに生きているわけではない。睡眠中も生きている。睡眠中を語れないのは、覚醒意識がなくなっているからである。睡眠中は三次元世界を抜け出て、四次元以上の世界に生きている。三次元の物質構造ではもはや解析できないので、ないもの、死んだもの、空や無として解釈しているだけなのである。覚醒意識を失い眠ると、三次元から四次元以上の高次元、もしくは三次元より低次元の異次元の世界が、三次元世界を観測する肉体から抜け出れば現れてくるのだが、それらをバランスよく安定した形で、認識するのはほとんど困難なのである。つまり、ある意味、肉体はVRゴーグルと同じで、それを外すと、VRの世界が消えてしまうように、以前紹介した映画「メンインブラック」のニューラライザーのように、記憶を失ってしまうわけなのである。三次元世界の観測装置が肉体の脳で、高次元世界を観測するには、高次元のチャンネルに同調できるように、人間の心を浄化する必要がある。浄化せずに、穢してばかりだと、逆に低次元の悪魔のチャンネルに同調してしまうわけである。女性が憑依体質なのは、女性が肉体から離脱しやすい霊魂だからである。つまり、三次元の肉体ゴーグルを外しがちなのである。逆に、男性は、三次元思考を好むので、男だけで議論し、男だけの論理で、三次元世界を構築しようとし、権力を独占しようとする独裁者が生まれてくるわけなのである。男とは何なのか?を知らずに、男らしさを語る虚しさに至らないように注意すべきである。フーテンの寅さんの、「男はつらいよ」の表題は、令和では、女のほうがつらいよ、となるかもしれないし、もっと進めば、「LGBTはつらいよ」という映画やドラマが生まれてくるかもしれない。男らしさ、女らしさの起源を知らずして、男女を語る虚しさを知るべきである。例えば、現代科学でも、男女のない大腸菌などが老化しない単細胞生物で、また環境に応じてメスになったり、オスになったりするクマノミなどの雌雄同体の生物などとの比較から、人間の男女の意味を解き明かせるはずである。人間と何が違うのか?その形態だけを見ても、ある程度わかるはずなのである。 男は女の話がつまらないし、女は男の話を聞いている振りをしている。それは脳の思考法が異なるからである。地上に生活するうちに、覚醒意識での時間感覚から、男女の差の役割分担が生まれたのである。勿論、霊魂には男女差がないから、男の風貌をしていても、女の思考法を持つ人もいるし、その逆もいる。男らしさや女らしさは、結局は、この世での経験による試行錯誤からの脳の思考法の違いでしかない。この世で生きるときにどちらでいるのが、自我を満足させるのによいのか、脳の思考から生まれた産物にすぎない。大腸菌は、人間の脳のように思考できないから、老化しない。このことから、人間が老化する代わりに、脳の思考を手にいれたのがわかる。人間が両性具有から、男女にわかれることで、民族や家族から、個人という思考を手に入れたのがわかる。つまり、男女という肉体の違いから、人間は自由な思考を手に入れて、利己的になったのである。両性具有の生物が、環境に応じて雄と雌になり得るのは、利己的でないからである。この地で生きるよりも、人間の睡眠中のように、あの世で種全体として生きる、個性よりも全体の種族を優先しているからである。人智学では、この動物の種全体の集団性を集合魂として表現している。対して、男女にわかれた肉体をもつ人間の個人性を、エゴの自我と呼んでいる。心眼のような高次の意識をもつと、男女の肉体を失うようになり、外見は、男性のようになっていく。このような現代での男女の思考の違いは、例えば、音楽家の男女の違いに現れている。勿論、現代では性差がなくなってきているが、演奏家、特に声楽家に女性が多く、楽器製作者に男性が多いのでわかる。というのは、女性は高次元世界の思考を好み、直感的で、心情的感情的で、対照的に、男性は物質界の三次元世界の思考を好み、論理的で、構造構築的だからである。シュタイナーは、アカシャ(虚空)年代記から、かつて人類が、レムリア期と呼ばれる時代に、両性具有だったのを解き明かしている。そのときには人間には脳がなく、だからアタマもなかったという。人間は、両性具有なので、いわば大腸菌のように増えた。だから、男女の結合を必要としなかった。そのときの人間の形態の外見は、女性のようだったので、そのときを霊視できた霊能力者たちから、女神像ができたという。当時の受精は、叡智という精 子が、女性のような体を、卵 子として受胎したという。だから、高次の存在の、叡智を感じる度に受精し受胎した。心を浄化すると、叡智を受胎し、様々な感情の心が生まれたわけなのである。しかし、様々な心が生まれると、バランスがとれなくなって、愛には猜疑心や妬みが生まれて、依存心も生まれ、独立心も生まれた。そうこうするうちに、人類が男女にわかれて、地上ではどちらか一方の肉体を選択して生きるようになって、外から、叡智を感じるために、脳が生まれたという。極論すれば、肉体の上での女性は脳を使わずに直感で、心から思考し、男性は、脳を使って論理で、頭で思考し、物量的で概念的なのである。昭和だったか平成だったかは忘れたが、「女性は子宮で考える」と言われたことがあった。ググると、以下のサイトに出くわすように、「男は理性で、女は感性で考える」という意味の焼き直しであるらしい。これをオカルト的に焼き直すと、男は3次元思考で、女は異次元思考であるということになるかもしれない。朝日新聞デジタル:「子宮で考える」 - 富山 - 地域それは例えば、現代のヨガのインストラクターのほとんどが女性であるのでわかるだろう。つまり、女性はヨガで異次元思考をして、心のストレスを取り除いて、高次からの叡智をインスピレーションとして心眼の感性で取り入れようとしているのである。女性は異次元思考に長けているので、肉体を離れようとする。しかし、反面で、怪しい宗教や心霊主義のヤバい黒魔術などに引っかかりやすい偶像崇拝や狂信的なアンバランスな面も持ち合わせている。対照的に、男性は一般的に肉体に拘り、物質の3次元世界の虜になりやすいので、3次元思考の構造力を生かした科学者や芸術家が多いのがわかる。例えば、脳科学者のほとんどが男性なのでわかりやすい。脳で行う思考以外を、男性由来の思考から、男性は信じないはずなので、男性が異次元などという言葉を持ち出せば、それは単なる出鱈目で嘘つきなのを示すのがわかる。無神論者が異次元などを理解できるはずがないからである。ただそれは3次元思考を拡張しただけの空想上の異次元にすぎない。ただ3次元思考では捉えられないというだけの異次元でしかない。例えば、女心がわからないときの単なる言い訳にすぎない。対照的に、女性は男の心をほとんど見抜いているので、その証拠がほしいために、男に言葉を求める。女は、男に、愛を、この世の現実とするための、その家を建築してほしいのである。男は、なんで俺が、自分でつくればいいだろと思うが、女は異次元に生きるので、3次元思考をもたないので、自分ではつくれない。しかし、異次元のものと、3次元のものは異なるので、心で埋め合わせないといけない。男は女をメンドクサイ存在に想い、女は男が愛してないのか疑いはじめる。しかし、このような従来の男らしさや女らしさは希薄になりつつあり、LGBTが生まれてくることで、女性の男性化、男性の女性化が肉体に影響しつつあり、令和では、男に野生味が薄れ、整形やら化粧が流行り、女性が筋肉を鍛え、野生化してきている。男女の性差が薄れてきて、肉体が両性具有の表現となるにつれて、霊魂の不死性が、叡智の自由な意志の下に、肉体の上に刻印されるようになるだろう。シュタイナーは、男性性と女性性を、カインの石工の神殿伝説と、アベル=セトの祭司の黄金伝説として読み解いている。カインは男性性の三次元思考を現わし、アベルは女性性の異次元思考を現わしている。そして、その両極性を統一し融合するのがキリストの両性具有なのである。だからキリストは、人類の未来の両性具有の姿を先取りした存在なのである。キリストは常に意志により受肉し、死んで蘇る存在なのである。キリストを受肉できるかどうかは、あなたの心の浄化次第で、チェラの心の禊次第で、それは純粋で清らかな聖処 女マリアであるかどうか、なのである。女性にはキリスト信仰を、男性にはマリア信仰を与えるのは、古代叡智の、人類の霊魂の進化計画なのである。
2025年05月15日
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巷では、米価高騰を中心にして、日増しに物価が高騰していくので、エンゲル係数を抑えるために、高騰している食品は買わないことにして、別の少しでも安い代替食品を買うことにしている。量を削減して価格を抑えている食品が多くなるが、なるべくゆっくりと食べ、食事時間を延ばすことで、満腹中枢をできるだけ刺激し、過敏にするようにしている。食品にはなるべく贅沢をせずに、食べたいものはイメトレで食べたような気持ちになれば、アラ還ならでは、の乏しい記憶力の為せる業により、食べたものと錯覚してくれることもあるから、食欲が抑制されればそれに越したことはない。マツコ・デラックス氏は、旅行をネットで検索しているうちに旅行した気持ちになり満足してしまう、というから、それを食欲に代用したようなものかもしれない。旅行もそうだが、食欲も、食べている時だけが幸せなのであって、食べ終わったら、また食べたくなる不幸に襲われるわけで、結局は、人体の欲望に対して満腹中枢がそれをいかに満たすかにかかっている。それでも、体重60キロに対して、一日タンパク質60グラムは不可欠なので、なるべく効率よく食べるように満腹中枢を開発する努力をしている、といえるかもしれない。現代科学でも、飢餓やカロリー制限によって長寿遺伝子と呼ばれるサーチュイン遺伝子が発現するといわれているから、この世に長くいとどまりたいという気持ちは特にはないのだが、食べる必要性がないときは食べないのがいずれにしろ、正当化される。働かざる者食うべからず、というが、食わない者は働く必要もない。サーチュイン遺伝子 - Wikipediaそんなこんなで、エンゲル係数との格闘のなかで、不死になるには、なるべく無駄な努力をしないことに気がついた。暴飲暴食などをすれば、その毒を解毒するだけでも、甲状腺などの機能を多量に動員せねばならず、充分な睡眠を取らないと不要なゴミが蓄積されてしまうので、いかに効率よく食事をとるかが、不死への近道にもなるわけである。ただし、ここでいう不死は、肉体を養う上での意味だが、本来の不死とは、肉体を養うのではなく、魂を養うために、いかに新しい肉体を霊がつくれるかの話である。それはオカルトの話なので、後で話すとして、とりあえずは、肉体を効率よく養うには、無駄な努力をしないことで、それは欲望にかまけて、肉体を酷使しない事に限る。リラックスのために運動をするのはよいが、利己主義的に、運動をするのは、結局、周囲との協調性を得られないので、無駄な結果に終わる可能性が高く、無駄な努力や徒労に終わるから、酷使につながるわけである。ブラック職場で働いた経験から、このことは自明である。上層部が利己主義だと、それに付き合わされる現場は疲弊するだけである。パワハラ上司が一人いるだけで、そいつの独断に振り回されて、現場は混乱していく。だから、利己主義ではなく、道徳的に、カルマの清算をするために、肉体を養うのが、不死への近道といえるだろう。つまり、カルマの清算のために、肉体を養うのが、この世での人間の生き方なのである。さて、NHKスペシャルで、現代科学からわかる、人体についての生命論をやっていたが、人体というよりも、肉体の物質体についてであって、アリストテレスの運動論でいうなら、固体論でしかないし、ヒポクラテスの四体液説でいうなら、黒胆汁論でしかなく、全体の4分の1でしかないことになる。とどのつまり、固体化した物質の、目にみえる可視域の、物質が反射させる光の情報を集めてきて、脳で再構築した生命論にすぎないわけなのである。シリーズ人体 - NHK四体液説 - Wikipediaソクラテスの無知の知の本当の意味を知らない現代人が、生命について何を語ろうが、無知の知に至らず、現代人が、死の意味を解き明かせないのと同じで、現代人の脳の知性の限界なのを、シュタイナーがアカシャ(虚空)年代記より、解き明かしている。つまり、生命を本当に知りたいのなら、脳を捨てない、とダメなんである。脳を捨てる、とはどういうことか、現代人には全く皆目見当もつかないだろう。脳のない人間を人間は想像するのも不可能だからである。宇宙人でさえも、脳をもっていると考え、脳のない宇宙人など想像もつかないだろう。十字を人体に置き換えて、アタマをなくすと、T字になる。T字型の古代遺跡が多いのに気づけば、現代人も少しは脳を捨てられるかもしれない。しかし、いまだ十字架の不死の意味も、現代人の科学は解き明かせていないから、古代遺跡は、絵に描いた餅にすぎない。エジプトのピラミッドをファラオの墓にしてしまうほど愚かだからである。古代エジプト人が輪廻転生を信仰していたのに、死があるはずがない。墓とは、死を信じるようになった後の物質界に失楽し、低俗化した人間によりつくられたものである。しかし、墓漁りの遺物の史料から、人物像を描けるように、物質科学からも、生命の痕跡を辿ることはできる。先に紹介したNHKスペシャルでも、大腸菌と人類を比較して、大腸菌が単純なつくりで、単細胞だから、人間よりも生命力をもち、分化せずに、老化しないのをみつけているが、なぜ、単純なつくりが老化しないのかは、恐らく理解できないだろう。その謎を解くには、大腸菌のように性差がなく、知性を持たない存在の意味を解き明かさないとダメだからである。大腸菌には人間のような男女の性差がなく、アタマもなく、知性もないから、老化しない。老化とはどういうことか、現代科学でも、肉体の死が解き明かせない限りは、老化の探求は、無駄な徒労に終わるだろう。なによりも、肉体というのが、霊魂のカルマの解消のための感覚器なのが理解できないからである。全てを細胞で解釈するのは、一面的で、少なくとも物質の最小単位である、それを構成している素粒子にまで探求しないと、生命の意味はわからないし、この世で生きる目的もわからない。素粒子から細胞をつくる意味、例えば、右巻き螺旋構造のDNAなど、それらは人間の脳では解き明かせない代物なのである。無知の知に到達しないと、宇宙を巡る多様な波動のうちの、身近なものにだけアクセスして、それで良しとしていると、無知蒙昧のなかに埋没してしまう。人間が考える宇宙人ですらも、人間の知性から離れることはなく、脳をもった存在なのである。以前このブログでも紹介した、バカリズム氏のドラマ「ホットスポット」に出てくる宇宙人高橋さんが、スピルバーグ監督の映画「ET」の例を出して、地球に置かれた宇宙人の立場を、主人公たちの地球人に説明する場面があるのだが、「ET」が知られていないために、話が通じず信用されずに、悪戦苦闘する宇宙人高橋さんが益々怪しくなって、更に話が面白くなるのだが、というのも、高橋さんのルックスがどこにでもいるオジサンで、全く宇宙人らしくなく、ETは見ての通り一見して地球人でないとわかるので、この場面は、地球人と宇宙人の違いをコミカルに描くのに、地球人の、宇宙人についての知識をよく表している。ホットスポット (テレビドラマ) - Wikipedia「ホットスポット」での宇宙人高橋さんは、100年ほど前に住んでいた惑星が滅亡の危機になり、宇宙人の祖父母と父が移住先を探していたら、宇宙ゴミに衝突し、地球に漂着し、住み着く設定だったが、「ET」での宇宙人ETは、地球での探査中に、地球人にみつかり、宇宙船に撤収する際に、乗り遅れて、取り残された設定だったのだが、その設定の違いからもわかるように、このような設定は、勿論、フィクションなのだが、あえてオカルト的に考えてみると、宇宙人高橋さんは、地球人の感覚をそのまま発達させた超能力を発揮する点で、地球人に近い宇宙人で、地球に近い進化段階の惑星に住んでいた宇宙人種で、ETは、植物を咲かせたり、枯れたりさせる、地球人を超える超能力を発達させていた点で、地球人よりも上位の宇宙人なのがわかる。つまり、人智学で、オカルト的に、現代の地球人の進化段階を基準に考察すれば、高橋さん型宇宙人は、現代人が失った、古代アトランティス時代末期の、破局を迎える前の、人類がもっていた能力をもつ進化段階の宇宙人で、ET型宇宙人は、現代人がこれから獲得する心眼をもち、その心眼を使って、植物のエーテル体に働きかけられる、地球の未来の進化段階にある宇宙人なのがわかる。簡単にまとめると、高橋さんは、古代アトランティス人の末裔で、ETは、地球人の未来の木星人になるだろう。E.T.のこのシーンは存在しない?|まつきれん「ET」では、この宇宙人の指と、地球人の指のつながりのシーンは有名だが、このシーンは広告だけで、映画のシーンには使われてはいない。映画では、ETが、傷口を治すのに、再生力の象徴として使っている。そこで、この広告をオカルトで解釈すると、地球人に、ETのように地球の再生力の心眼を獲得して、地球から月を乗り越えろと、問いかけているようにもみえる。というのも、心眼はエーテルの再生力で、心眼を獲得するには、少年のような、純粋な心をつくるような禊が必要だからである。この禊こそ、心を浄化し、肉体からエーテル体を解放するのに必要な修行なのである。オカルトでは、この修行者をチャラと呼んでいる。清算するというような意味の「チャラにする」の「チャラ」の語源って何ですか? - Quora物質界に生まれるのは前世のカルマの清算のためで、肉体で行為として清算しないといけないから、その肉体からの解放のために、修行をするのは、心の解放になるわけで、だから修行者のチャラが由来で、上のサイトにあるように、『「曼荼羅(悟りの境地)」の誤記「曼茶羅」から、いつしか「茶羅」が曼荼羅に至る前段階の場所として概念化されるようになりました』という経緯から、肉体で贖うので、肉体がなくなれば、この世への未練も、執着心もなくなり、出家して、チャラになると転じたようにみえる。このチャラは、ヘラクレイトスの万物流転の法則において、万物というよりも、生命の流転で、万生命の流転というべきで、それは肉体での贖いが終了し、心眼を獲得するという意味に用いられた表現である。これが低俗になると、外見がコロコロと、カメレオンのように場当たり的に変わるのを、チャラチャラする、となるわけでもある。本来は良い意味に使われていたのが、利己主義で使い出し、物質的な変化に囚われると、コロコロと変わるので、外見だけみて、心の中身をみないから、チャラが軽薄の悪い意味に使われるようになってくる。いずれにしろ、ETから教えてもらい、人間は心眼を獲得し、植物のエーテルを操作できるように、心を浄化していくのが、地球紀のポストアトランティス時代の、アーリア文化期の修行のチャラの課題なのである。この心眼は、かつて別の形で、古代アトランティス時代の人類は、月人の末裔から指導されて獲得していたというのが、「ホットスポット」の宇宙人高橋さんとして描かれている。そこで、古代アトランティス時代の人類がどのようだったかを簡単に要約する。 ☆ ☆現代で、重要な発見がなされると、医学者は権力を手にして、益々残酷な動物実験に走るだろう。実験には生体解剖が不可欠だと思われているからである。しかし、神智学徒には解明されているが、それは発見ではなく、前世の記憶が蘇ったにすぎない。というのも、発見者はかつて、古代アトランティス人だったからである。古代アトランティス人は、現代人よりも医学的知識が豊富で、肉体にも精通していた。古代アトランティス人は、火(エネルギー)、風(気体)、水(液体)、土(固体)の四大元素を支配し、思い通りに良い天気にしたり、嵐にしたりしたが、子どもは存在しなかった。というのも、不自然な努力を続けた結果、男女の結合なしに、生命を生じさせる偉大な秘密を獲得していたからである。魂は、意志で、この世に戻ってきて、生まれ変わった。その際に、意志力で、自然の四大元素から自らの人体の形態をとりだしたのだが、結局は、このことが、古代アトランティス人の支配を終わらせた。実際、このような支配が続くはずはなかった。ヘブライの伝説にある、生命の樹に、以上の支配の終焉が、かすかに暗示されている。それ以上発達不可能だったから、この文明は破滅せざるを得なかった。古代アトランティス人は、宇宙創造の均衡をひっくり返し、自らの文明を破壊した。地球から生命力を奪い取ったので、生命の流れの蓄えが尽きたのである。だから自然の破滅が惹き起こされた。抗しがたい、恐ろしい嵐が突発し、人々を呑み込んだ。タイタン族が神々と戦って、打ち負かされたのである。どんな宗教も、この出来事を戒めとして物語っている。「お前たちの地球は生きている。もしも生命の流れを取り出すことができたら、お前たちは、あらゆる奇跡を行えるだろう」古代アトランティス人だったほとんどの魂は、現代でも同じ魂だが、いまでは自然を支配する王座を奪われている。いまは平民の生活に戻り、平民の男女の子として生まれなければならない。ここで、人間がかつて何であり、将来、再び何になるのか、わかるように、古代アトランティスの驚異的な力について、更に詳しく述べる。古代アトランティスでは、物質が完璧に発達していた。人類はこの状態には二度と戻れないが、完璧さは再び別の形で獲得されるだろう。古代アトランティスにおける最高位の階級の生活は、非常に単純で、空気から養分を取り出し、君主、特に祭司は、蘭のように、生命に不可欠な養分を、大気の成分から取り出した。現代人にはそんなことはできない。自分で自分を物質界に生み出したわけではなく、被造物として生まれたので、自分の意志で生まれたわけでもないからである。楽天市場 | 森水木のラン屋さん - 胡蝶蘭の根が空中に伸びる理由とは?育て方のポイントも解説胡蝶蘭の根が伸びてきたら?花芽との見分け方や管理方法! | ひとはなノート古代アトランティス文明は、生命の樹のもつ偉大な秘密の発見のお蔭だった。この発見が、生活を単純化させた。現代人が権力の獲得を目的として努力するのをやめない限り、この秘密を発見するのは不可能だろう。それは誕生と死の秘密である。私が知っているのは、その一部であり、全てではない。この素晴らしい力への関与が許されるほど、私は充分に善良ではないからである。しかし、一例を挙げて、少しこの秘密に迫ってみる。人間は七年毎に完全に新しく変わるが、またしばらく経つと衰退し、ゆっくりと崩壊する。どうしてかは知られていない。人間が自分で調整して、新しい成分を受け取れたなら、悪いものを選ばずに、より良いもの選ぶだろう。そして、原子は、人間の意志によって、常に両極に分解していくだろう。人間は、自我という自律した単一の細胞のなかに含まれている。この自我の細胞は死なずに、世代から世代へと続いていく。この細胞はいつも新しい形を生み出し、その形のなかでその都度、人間の霊が自らを現わす。この不死の細胞が、人体のなかに引きとめられて、生殖や力の浪費をしないとき、その人間が、一つの周期の間、永遠に生き続けてはいけない理由はなくなる。しかし、人間は自分の子どもとして、自らを再生させることで、自らの物質的な存在を破壊する。奥義に達した人が、結婚すると、死に晒された、より低次の存在になってしまう。これは真実である。どんな男も女も、自らの不死性を譲り渡すことでしか結婚できない。人間は霊であり、霊は物質になった形態の中心である。人類全体が死を必然と受け入れ、人は死ぬものだ、と信じさせられている。しかし、不死の細胞が損なわれずに保たれるとき、死ぬ理由は存在しない。この事をよく考えれば、これはキリストの崇高な教えの一つなのがわかる。しかし、この教えは失われた。キリストは、生命の最初の不死の果実になるために、死から復活したのだ。これからなされるであろう新しい発見については既に述べた。それはかつて知られていたが、運命が定めた人によって再び発見されるだろう。そして、その人は、人類の恩人として歓迎されるだろう。古代アトランティス時代に、人類の支配階級に人体の秘密が明かされたとき、彼らはいまの生体解剖よりもっと残酷なやり方で、それを学んだ。つまり、魂を愚かにしたのである。それによって、進化の力が破壊された。現代人がそれについて何も知らないのは幸いである。そうでなければ、世界は再び悪魔の棲家になるだろう。LGBTが現れるのを恐れるのは、人類が男女の結合ではなく、再び、古代アトランティスの自然破壊による大破局を思い出させる、戒めの記憶のせいかもしれない。LGBTは、かつてのタイタン族の末裔を思い出させるのかもしれない。だから、科学技術の発展と共に、ほとんどの宗教が、LGBTを迫害する理由となるのかもしれない。
2025年05月13日
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昭和に生まれた背景から、どうしても昭和の価値観で書いてしまうので、平成や令和の世代には理解困難な話が多いだろうが、時代の価値観にとらわれない、時代を超えた不変の認識を探すためでもある。では、どうして時代の価値観にとらわれるか、といえば、その時代の物質的価値観に沿って、肉体の成長のため、新陳代謝などを養うからである。つまり、その時代に合わせて、心が、肉体をつくるからである。これは自動車のスタイルが移り変わるのと同じである。シュタイナーによれば、万物流転の法則を説いたヘラクレイトスは、次のような言葉を遺している。「もし、お前が、地上的なるものから逃れ、自由のエーテルまで上りつめれば、死をもたらす物質から離れて、不死なる霊の存在となるだろう。」万物流転 - Wikipedia前回紹介したように、オカルトの話を、唯物論に染まった現代の話にそのまま置き換えると、低レベルな、トンデモ論になってしまう。例えば、「病気に罹るのは、日頃の行いが悪いから」という現代でも有り触れた話を、現代人は、自分が考える現代に沿った「日頃の行い」の道徳論から、そのまま解釈するから、そんなことがあるものか、と疑うわけで、オカルトの古代の知識から、「日頃の行い」を「日常生活の習慣」に置き換え、「日常生活を不規則にしたせいで、心のバランスを失い、そのストレスから、病因が生じた」と解釈すれば、現代でも通用する話になるのがわかるだろう。以前紹介したように、人体の防御を担っている免疫が、睡眠中に回復されるのは、心のストレスが取り払われて、バランスが回復され、松果体を通じて、ホルモンバランスを回復し、内分泌腺が過不足なく人体に行き渡るようになるからである。だから、とにかく充分な睡眠をとらないと、肉体を操作している、心が元気にならずに、新陳代謝のために、内分泌腺が役立てられなくなってしまう。つまり、充分な睡眠をとらないと、人体を清浄に掃除できずに、不要なゴミが残ってしまい、完全に解毒できなくなってしまう。だから一番よくないのが、睡眠不足で、その次に、暴飲暴食で、そのなかでも、飲酒と食肉なのは、以前にも紹介した。だから、「日頃の行いが悪い」というのは、つまり不摂生のことで、病気になるのは、現代にも通じる、当たり前の論理なのである。特に栄養学でも、一日、大体、体重50キロなら、タンパク質は50グラムの摂取が妥当で、摂りすぎは、運動や睡眠で消費されないと、ゴミを貯めてしまい、よくないわけなんである。【タンパク質の必要量】タンパク質はどれくらい摂ればいい ?確かに、「日頃の行い」は、現代でも、道徳的な意味で使われているが、その良し悪しの本来の意味は、全体のバランスを考えての行いなのかどうか、の意味なのである。例えば、アルコールは人体でも作られているので、わざわざ外から摂取する必要がなく、外から摂取すると、人体でつくらなくなり、不要なゴミになってしまうから、人体のバランス、つまり道徳的にも悪いわけである。また、肉食も、動物タンパク質を摂りすぎると、新陳代謝のために、それを解毒する甲状腺機能に負担がかかり、甲状腺は成長の役割を果たしているので、老化現象を促進させ、脳の機能を衰えさせるようになる。これは、草食動物に肉食させて、不要なタンパク質のプリオン病から、狂牛病を生み出したことでもわかるはずである。だから、人間の霊魂の進化にとって、アルコールと肉食はよくないわけで、宗教の戒律などでは禁止にされている。しかし、地球の過酷な環境によっては、食料としてそれらしか得られない場所、エスキモーなどでは、生きるのを優先して、認められてきた。それに、人間には自由意志があり、何を食するかは、当人の自由なので、外から強制的に禁じるのは、自分にされて嫌なことを他人にしている不自由な事なので、人道に反する。だから、病気に罹って後悔した人に、「日頃の行いが悪い」と言うのは、反省を促す意味での諫言といえるかもしれない。しかし、その諫言を受け入れて、日常生活を改めるかどうかは、結局は本人次第なのである。このように、個人の生き方は、個人の自由意志によるので、極言すれば、その人が、三種の神器を手に入れたいかどうか、なのである。神智学によれば、この世に輪転転生する人間の目的とは何かといえば、人間がこの世に生まれてくるたびに、特別な課題を学び、特別な使命を果たすことで、過去世において遭遇したことのない状況を経験し、そのたびに、地球は新しく生まれかわっていないといけないので、人間の輪廻転生の間隔は、地球の環境が新しく生まれ変わる、大体3千年おきで、その3千年のなかで、人間社会の相反した異なる立場を経験するために、一度は男として生まれ、また一度は女として生まれる必要があると、シュタイナーは述べている。しかし、昨今は地球環境が著しく変化し、男女の差も無くなりつつあるので、3千年も待たずに、生まれ変わる人も増えてくるかもしれない。いずれにしても、地球環境は、人間の心を向上させて、三種の神器を手に入れるための、いわばトレーニング場で、道場なのである。ちなみに、人智学で説く三種の神器とは、マナス、ブッディ、アートマンと呼ばれるもので、キリスト教でいう、聖霊の原理、子の原理、父の原理のことである。仏教では、マナスは、霊我=無や空の意識の心眼で、俗に「解脱」のこと。ブッデイは、「如来身」、アートマンは「般若」のことで、それぞれ、「応身」「法身」「報身」のことであるらしい。なかなか理解が困難なので、簡単にいえば、いまの人間は物質界に自我をもつが、「応身」の霊我とは、物質界から解脱して、心の世界に、自我を確立することで、心を観測する眼をもつことで、心を自由自在に操作できる存在のことである。そして、如来身の、「法身」は、植物界のなかに自我をもつことで、植物を自由自在に操作できる存在で、般若の「報身」は、動物界のなかに自我をもつことで、動物を自由自在に操作できる存在を意味するようである。三身 - Wikipedia現代人は遺伝子科学を用いて、植物や動物を物質的に改変しているが、それは全体のうちの、一部にすぎなく、三種の神器を手に入れると、全体的に、新しい植物や動物を生み出せる創造主となり、いわば創造神となる、という話なのである。とても壮大な話なので、霊我さえも手に入れていない物質界の人間からは、洞窟内から想像するしかないイデアの世界といえるかもしれない。さて、三種の神器といえば、この国では、八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉といわれているが、巷の、『昭和30年代初期には電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビが「三種の神器」と呼ばれて普及し始めた。 その後、昭和30年代後半になるとカラーテレビ(color TV)、クーラー(cooler)、自家用乗用車(car)が、それぞれの頭文字を取り「3C」と呼ばれて普及していった。』というように、この国の家庭内での、三種の神器となってきた。三種の神器 - Wikipedia葛飾区史|第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)人間は火から、電気を起こして、電気の三種の神器をつくり、石炭から石油をエネルギーにして、文明の利器から、三種の神器をつくり、家庭内を、文明の利器で、快適にしてきたはずなのだが、神の楽園に到達できた、というよりも、他の家庭との競争や、他国との競争に明け暮れて、ますます悪魔の失楽園へと堕落腐敗してきているようにみえる。人間は本当に神のような楽園に住み豊かになったのだろうか?これら三種の神器は、女性を家庭から解放し、女性の社会進出を促進させ、現代は共働きが当たり前の社会になっているのだが、仕事や子育ての両立を巡って、家庭内の争いは絶えず、離婚率は高まり、昔よりも、遥かに経済的には快適になったはずなのだが、社会不安は高まり、貿易を巡って、国家間の争いは絶えずに、独裁者の権力占有によって、核兵器で、数百万人もの生命を一回のスイッチで奪える、悪魔の失楽の世界、つまり地獄を生み出している。これでは、三種の神器どころか、三種の悪器といわざるをえない。電気、磁気、核力の原子力は、三種の悪器を生み出す諸悪の根源と言わざるを得ない。一人の愚か者の独裁者のために、核兵器により、人類滅亡や地球破壊を起こすのが可能となっている現状なのである。人類は、三種の悪器により、どんどん馬鹿になっている。現代人は、地獄のなかで、地獄巡りをしているのと同じである。そしてロシアや中国には赤鬼がいて、米国には青鬼がいて、この国には何もできないそれらの手下がいて、国民を徴税の金棒で苦しめている。このような地獄巡りのなかで、鬼滅の刃がアニメとして流行るのは何かの因縁なのかもしれない。巷の地獄巡りではないが、ネットフーテンの寅さんをやっていると、ネット世界がいわば遊園地なので、巷のディズニーランドに行く必要を感じないので、TDLには行ったことがないし、これからも行こうとも思わない。だからといって、ディズニーランドに行く人をとやかくいうわけではなく、ディズニーランドの楽しみかたを知っているから、行くのだろうし、この物質界をディズニーランドと思えば、特にディズニーランドに拘る必要が感じられない。長い目でみるならば、我々人間の霊魂は、あの世とこの世を行き来し、輪廻転生巡りをして、この世の血縁関係から、家族や民族や国を通じて、この世だけに限定されない、ネットで知り合ったオフ会のように、霊魂の絆を高めあっている、といえるかもしれない。この世を地獄から、天国に変える楽しみかたを知らないだけかもしれない。前回は、宮崎アニメの最新作「君たちはどう生きるか」について、オカルト的な解釈を紹介したが、宮崎アニメは、この世の物質界を異なった視点で描くことで、この世を遊園地化しているように感じるわけで、この世の楽しみかたを教える教科書なのかもしれない。この世を、夢の世界から見なおす事で、この世を新しく見直すことができる、のを気づかせてくれる。宮崎アニメの、この夢の世界から、現実を改めて見直してみる感覚は、やなせたかし氏の、『それいけ!アンパンマン』で描かれた世界にも共通する、人間の心の世界を表現した、人類共通の感覚で、善と悪にわかれた自由な世界から、自主的に善を選んで行こうとするのが、人間の心の根底にある、輪廻転生において変わらない不動心なのかもしれない。悪ももともとは善だったはずなのだが、変わることを恐れ、旧態依然の状態にとどまったために、万物流転の法則から脱落してしまったのがわかる。アンパンマンは、ホンモノの正義は、時代が移り変わっても、立場が変わっても、変わらない不変の、共通の善への認識で、志向の象徴で、だから、自らのアタマをちぎって、空腹な子どもたちに、アンパンを捧げるという。アンパンマンをみていると、弟子たちに、自分の血と肉を与えたキリストが思い浮かぶ。キリストが与えたワインとパンは、人類の祖カインとアベルに他ならない。カインの子孫は神殿をつくり、人間の地上での乗り物となる肉体を与えた。アベルは、あの世に召され、地上に身籠ったセトの子孫へと、アベルからセトへと霊能力が継承されて、その子孫は、祭司の血族となり、善と悪を区別できる「わたし」という自由で個人的な自我の心を、人類に与えた。この2つをキリストの名の下に統合する働きが無償の愛として、現代人に求められている。それいけ!アンパンマン - Wikipediaさて、先日、NHKで、『診療中!こどもネタクリニック そんたくのない子どもたちのアドバイスで芸人のネタを治療する!』という面白い番組をみたのだが、子どもたちの心はまだ物質界に染まっていない、前世からの、あの世を潜在的に認識しているので、発想が豊かにみえた。診療中!こどもネタクリニック - NHK子どもの世界にはまだ、あの世の面影が残っているので、この世を楽しむ、遊び心が残っているようにみえた。それから、続けて、『笑わない数学』をみた。『ホッジ予想』をやっていた。数学は苦手で、学生時代に、理論物理を習得する上では欠かせないので、仕方なく勉強したのだが、様々な困難に出くわし、何度も挫折しかけた。数学者の考え方を実際に体験してみないと、数学は、理解不能といえるかもしれない。笑わない数学 - NHK数学科のように数学のなかにひたすら浸かるのではなく、物理畑では、数学を種子として、田畑を肥やす農夫の如く、数学を利用する側なので、数学という種子の遺伝子操作に明け暮れる日々を送らずに済んだ、のが勿怪の幸いだった。法が運用の仕方で罪をつくるように、数学は運用の仕方で、数学の盲点を回避できるからである。実際に、理論物理から、数学上の問題が解決されることもよくある。つまり、数学は人間が使う言葉であり、話されない言葉は死語になるから、理論物理屋に使われてナンボの数学もある。力学のお蔭で、数学が意味をもつ。土に蒔かれない種子が育たないのと同じである。数学という種子が花や実を咲かせるには、育成し、成長させる太陽の光や、土壌の愛が必須なのである。このことは、法と政治にも当てはまるのだが、この国の法の運用が、私利私欲に塗れ、不道徳なのは、法の運用により、人間の自由や平等や博愛を、人間社会に現実化させていないことからもわかる。以前紹介した高橋洋一氏などは、財務省の多くが、数学を知らずに、東大アホウ学部出なために、法の運用が私物化され罪となり、この国の人間社会の人間の尊厳の実現への障害となり、子どもよりも遥かに劣る低レベルで古ぼけた老人に乗っ取られている現状を嘆いている。新しい社会をつくるどころか、旧態依然の老害塗れの組織を、時代の流れに逆らって、どうにか維持しようとする滑稽さには呆れ果ててしまう。髙橋洋一チャンネル - YouTubeそんな古ぼけた巷の魑魅魍魎の世界はほおっておくしかないのかもしれないが、話を元に戻して、ホッジ予想を『笑わない数学』から簡単に解説すれば、人間の霊魂、数学風にいうなら、知性は、あの世の幾何学を、この世にコホモロジーという数式の文字として持ち込んでいるのかもしれない、という予想とも考えられる。ホッジ予想 - Wikipediaコホモロジー - Wikipedia数学者のような専門家ではないので、ザックリと端折って大まかに解説すると、幾何学の図形は、穴があるかどうかを示す位相空間の、不変量のオイラー標数で、その形を分類できるのだが、その穴の有無の形を、代数的に表現するのなら、不変量を示すコホモロジーの群論でグループわけできて、その群論が、一つの全体的な元型から部分化したもの、と予想されるらしい。ただし、この解釈は、「笑わない数学」の解説を基にしているので間違っている可能性も大ありなので、詳しくは自分で数学を勉強して確認してくだされ。オイラー標数 - Wikipediaいずれにしても、3次元世界の、この世を超える代数幾何を扱う話なので、物質界で表現できない、グループわけというのも、人間の知性の発展、つまり心の発達に依存する。例えるなら、輪廻転生を続ける霊魂からみた知性を現代の知性で解釈していることになるだろう。数学上のその分類法を、数学の言葉を抜きにして、簡潔にまとめるのなら、次のようになるかもしれない。図形などの幾何学を、代数の数式で表現し、かわらない不変量をみつける。不変量はグループをつくる。そのグループは一つの元型から生まれる。だから、逆に辿ると、心は一つから生まれ、2つに分かれて、そのバランスからグループをつくり、多様な図形の幾何学と、多様な代数の数式で表現される。この心が一つである世界に、聖霊が住み、子が住み、更に父が住み、いわば玉ねぎのような球の階層世界となっている三位一体の世界が浮かび上がる。この世界を例えば、次のような6層の玉ねぎと考えても面白いかもしれない。リフレクションと玉ねぎモデル | ナカシマガジンこのような層構造の球形を、例えば、この玉ねぎの中心の芯を外側の球面につなげるにはどうすべきなのか?また、例えば、前回紹介したウロボロスの蛇のように、この玉ねぎの球面を蛇のアタマにし、中心の芯を蛇の尻尾にして、尻尾をアタマが咥える形にするならどうすべきなのか?などを考えてみると、恐らく、クラインの壺が思い浮かぶだろう。このような妄想から、霊魂はこのような形をしているのかもしれない。これがネットフーテンの寅さんの予想なんである。このような霊魂のクラインの壺を通した異次元世界の内と外の鏡像運動を、数学的には対称性を通じた鏡像変換になるが、この不変量が、生命の不死性につながるのかもしれないと妄想し、予想できる。
2025年05月08日
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愛のキュービッドというと、次のような、赤ちゃんの姿をした天使が、ハート型の矢を放つようなイメージが浮かぶだろう。このイメージは、古代ギリシアの神々に由来するらしいが、オカルトの知識が不足し、唯物論に染まっている現代人には、天使も神々も、人間の上位に君臨する霊的生命体であるのが理解できないようである。下のサイトなどは、天使の持ち物の違いで、その持ち物の意味を知らずに、古代ギリシアの恋愛の神クピドと、天使を区別しているのが面白い。一目でわかる キューピッドと天使の違い|イノパリス天使の持ち物①楽器 (竪琴だけは注意)②頭上の天使の輪っか天使や神々などの高次の霊的な存在を、物質界のモノで喩えるから、そもそも無理があるのだが、オカルトの知識から、天使の翼は、「高次の意識」を表わし、頭の上の輪は、持ち物ではなく、後光で、しいて言うなら、「頭上のチャクラの開眼」を表わし、天使の姿が赤ちゃんなのは、「生まれたての純白な自我=霊我のマナス」を表わすのがわかる。また、持ち物として、楽器をもつのは、天空の音楽を、波動として天使たちが奏でているからである。つまり、高次の意識に到達すると、天空の音楽が感知できるらしい。また、天使が松明をもつ、のは、以前、自由の女神が松明をもつ、のでもわかるように、松明は、メーソンのプロビデンスの目であり、善悪を判断できる、人間に与えられた自由な意志のことで、人体の松果体を表わす。脳の松果体は、霊魂の自由意志を、脳に伝えるところで、心のバランスを自由に保つ要で、人体の内分泌腺の中枢らしい。なお、天空の音楽は、惑星の軌道の右巻き螺旋運動から奏でられるらしい。DNAが右巻き螺旋構造なのは、この天空の音楽が奏でる、惑星の右巻き螺旋運動を辿って、宇宙からのニュートリノなどの宇宙放射線を受けて進化しているからである。つまり、天使が愛のキューピッドと呼ばれるのは、人間の霊魂と霊魂をつなげて、人間同士を、カルマの法則に結び付けて、交信させている霊的な存在だからである。この天使は、キリスト教では、聖霊とも呼ばれるが、聖霊が、人間の心と心を結び付けて、愛の交信を可能とし、人間に赤ちゃんのような、目覚めて間もない、自我を与えているから、上のような愛のキューピッドイメージができたわけなのだろう。現代科学はなんでも唯物的に解釈し、モノにあてはめて曲解してしまうので、180度意味が置き換わってしまうわけなんである。さて、この天使のイメージと同じように、現代科学は、超弦理論を、外の物質的宇宙のなかにみつけようとしているが、神智学によれば、内の心のなか、つまり、高次の自我意識のなかにあるという。つまり、ウロボロスの蛇の尻尾とアタマをつなげている構造は、心のなかにあるらしい。だから、人間の心は、ミクロの顕微鏡から、マクロの望遠鏡まで見通せる観測装置となるらしい。ウロボロス - Wikipedia宇宙は高次から低次までの波動からなっているので、人間の自我意識からなる心は、自我意識を拡大縮小することで、それらの波動と同調する観測装置となり得るわけなのである。実際に、古代人は自我意識を操作することで、宇宙の様々な波動と同調し、霊視ができたので、顕微鏡がなくても、素粒子を観測できたし、望遠鏡がなくても、銀河が観測できたらしい。つまり、人間の心そのものが、超弦だったのである。このウロボロスの蛇は低次元から高次元の叡智をつなげる意識の輪であり、物質宇宙は、その一部が現れた世界といえる。だから物質宇宙を基準にすると、このウロボロスの蛇がダークマターやダークエネルギーとして、異次元世界として現れて来る。さて、このGWは、すっかり、宮崎アニメの「ルパン三世 カリオストロの城」で自分勝手に盛り上がっていたら、タイムリーというか、地上波で、新作の「君たちはどう生きるか」をやっていた。冒険活劇といわれるカリオストロの城でさえも、以前紹介したように、オカルトの解釈があると、更に深く意味がわかるように、この新作は、唯物論に馴れた現代人には、かなり難解で、恐らく、夢の世界を見たような感じを受けるだろう。君たちはどう生きるか (映画) - Wikipedia夢 (映画) - Wikipedia端的にいえば、この新作は、宮崎駿監督の心を通してみた、死後の世界で、あの世の話である。似た作品といえば、同じ巨匠の、黒澤明監督の「夢」かもしれない。唯物論に染まった現代人には、恐らく、以下の岡田斗司夫氏の解説に納得するかもしれないが、より深く理解したければ、以下の、ツッチ氏の解説がよりスッキリするかもしれない。ちなみに、オカルトでいうなら、輪廻転生の、永遠の生命の、霊魂の絆を描いた作品といえるかもしれない。【君たちはどう生きるか】あまりに難解。テーマは「タヒ」。「理解出来るように宮崎駿が作ってないんですよね」アカデミー賞獲得までの考察まとめ【岡田斗司夫切り抜き/ジブリ】 - YouTube【神動画】君たちはどう生きるか世界一スッキリする解説!【ネタバレあり】 - YouTube人智学では、物質界の肉体は、あくまで借り物で、仮の世界で、夢の世界のほうが、ホンモノといわれている。というのも、肉体は必ず崩壊し、死を迎えるからである。肉体を物質界から借りるのは、簡単にいえば、過去の失敗を償うために、無償の愛を果たし、自分で、肉体の代わりに、物質ではない、エーテルからなる新しい肉体をつくるためである。逆にいえば、自分でつくれない生命不完全体の部分を、物質的な肉体で補って生まれてくるともいえるかもしれない。だから、物質的な肉体は、民族や種族など、親からの遺伝を引き継ぐが、それを見本に、物質的な偏りのない、自由で平等で博愛に満ちた、自分に適した新しいエーテルの肉体をつくるのが、人間の使命である。つまり、この世に生まれる肉体は、心の不完全な部分をツギハギするパッチ、服でいうパッチワークというわけなんである。パッチ - Wikipedia宮崎アニメの新作で描かれている夢のような異世界は、いわば、心の世界で、この世の物質界、つまり現実と思われている人間の世界は、心の世界を形作る、いわばトレーニング場なのである。この世は、自分という自我が集合して映像としてつくられている世界で、映画「マトリックス」の仮想世界が、この心の世界からみたトレーニング場を上手く表現している、といえるかもしれない。物質的感覚から、人間が現実とみなしている世界が、実は心の世界が映し出している、宇宙全体の特定の一部で、心のレベルの違いで現れている世界なのである。だから、宇宙全体を人体とするなら、人間個人はそのなかの一つの細胞で、例えば、地上波のチャンネルを合わせ、みている番組を、現実と思い込んでいるだけなのである。マトリックス (映画) - Wikipediaだから、人間は、自分でチャンネルを合わせて、心が映し出している世界をみている。そして、その世界で、善と悪を見究めて、悪を捨て、放棄し、善導していくことで、心を純化し、つくりあげていく。自分の心は、自分でつくらないと意味がないので、遺伝的な、借り物の物質では崩壊していくだけなのである。だから物質界の権力を象っただけの、偶像崇拝ではダメなんである。人智学では、物質界は、三位一体の原理でつくられている、と説いている。三位一体とは、父と子と聖霊の原理である。この原理は難解で、なるべくわかりやすく例えるなら、父の原理が、物質界を成り立たせている物質の法則で、子の原理が、エーテル界を成り立たせている生命の法則で、いわゆるカルマの法則の、輪廻転生の法則で、そして、聖霊の原理が、心のアストラル界を成り立たせている心の法則らしい。それらは、いわゆる宇宙語で書かれているらしく、仏教の梵語のようなものらしい。人間の脳は、宇宙語を集めたものを、物質語の翻訳機で、遺伝された肉体から言葉を拾ってきて割り当てて、わかりやすい言葉に置き換えているわけである。非常に回りくどい解釈をしているので、曲解し、間違えてしまいやすい。サンスクリット - Wikipedia人間の脳の翻訳ではなく、直接に、梵語を解き明かすことが、アカシャ(虚空)記録を読み解くことらしい。キリスト教では、ロゴス、一般的に旧約では律法で、新約では無償の愛と呼ばれている。ロゴスをそのまま日本語にすると「言葉」になるが、言葉というよりも、叡智という意味に近いようである。だから、わかりやすくいえば、神の叡智で、人間に心を与えている自我の意識といえるかもしれない。シュタイナーによれば、現代人の心、つまり自我の意識は、いま物質界にあり、以下のサイトからもわかるように、ポストアトランティス時代の、アーリアと呼ばれる第5文化期にある。この時代の人類の進化の目的は、物質界をつくりあげている父の原理を学びとり、善と悪を区別し、心のアストラル界のなかに、バランスをもたらす聖霊の原理を打ち立てて、心眼の霊我を獲得し、意識魂を、エーテル体にまで拡大し、子の原理を、キリストが物質体の死から、エーテル体で蘇ったように、肉体のなかにもたらし、肉体をエーテル体でつくりかえて、不死の霊魂とするためであるという。【シュタイナー】魂の三位一体構造について~感覚魂・悟性魂・意識魂~ | Noos Eggsこの話は抽象的すぎて、漠然としてわかりにくいと思うだろうから、より具体的にいうなら、以下のサイトのように、人間を宇宙の幹細胞と考えればイメージがつきやすいかもしれない。幹細胞というよりも、神の自我意識を受精した受精卵の、受精細胞といったほうがいいだろう。【シュタイナー】私たちは宇宙の幹細胞?幹細胞から霊的臓器・霊的知覚器官への成長 | Noos Eggs受精卵と細胞運命 | 幹細胞情報データベースプロジェクトSKIP (Stemcell Knowledge & Information Portal)物質界の言葉で解釈すれば、受精細胞というよりは、自我を通じて交信する素粒子というべきかもしれない。しかし、素粒子というよりは、素粒子同士をつなげ、生きている波動が重要なので、それはウロボロスの蛇のように、ミクロからマクロへと増殖しながら、拡大し、または一つの状態へと、集積し、縮小する超弦というべきかもしれない。例えば、以下のサイトから、超弦理論の世界を、簡略して説明すると、10次元の超弦理論の世界が、高次の叡智の世界で、6次元の世界が、人間の心のアストラル界で、外の物質界が、4次元時空で表されると考えれば、ウロボロスの蛇の世界が漠然とイメージできるだろう。超対称性粒子の質量の持つ新しい性質 | 九州大学 理学研究院 理学府 理学部10次元の超弦(M理論だと余剰境界も含み11次元)を通して、人間の内の心と外の物質界を、観測によってつなげ、交信させているのが、10次元の超弦を、愛の矢で放つ天使たちと考えられるわけなのである。天使たちは、人間の心の世界にいて、心の6次元世界から、10次元の超弦を放ち、4次元時空と、心の世界を結び付けるわけなのである。弓矢が6次元で、矢が10次元の超弦といえるかもしれない。そうすると、超弦の形が、なにやらハートマークのようにもみえてくる。この天使の矢のように、人間の心臓はなぜハートマークなのだろうか?上の図から、心臓と血液の循環が、天使の矢と弓のようにみえなくもないだろう。心臓の血の循環が、左から右に流れる右回りの矢にみえなくもない。古代エジプトの最後の審判の絵から、人間の心臓を天秤にのせて、天使の翼と釣り合うかで、天国に行くか、地獄に堕ちるか、が審判された、と伝承されている。人間の血液は、気体から酸素を呼吸し、血液という液体で運搬し、筋肉などの固体化された細胞のエネルギーに使われるように、働いている。その働きは、まるで、愛のキューピッドの天使たちのようである。そして、神智学によれば、それら天使の働きは、人間の霊魂の進化計画に沿って、地球紀の前の月紀に、前もって次の地球の計画として、企図されていたという。その地球紀の人類の進化計画がコンパクト化されて、超弦となり、素粒子のなかに記録されている、というのである。素粒子は、その計画の下に、増殖し、成長し、マクロに展開し、宇宙がまるで膨張するかのように発展し、やがて、人間の心のなかに吸収され、フィードバックとして回帰されると、今度はマクロからミクロへと、地球の次の進化計画のために、つまり木星に相応しい、エーテルの肉体を提供する進化計画書として、ミクロの新しい素粒子として集約されていくという。そのときの人間は、いまの物質的な肉体を捨てて、新しいエーテル体の、植物をまとめている植物の集合自我と同じ世界に住むという。人間の肉体は物質ではなく、植物のような体をもつので、現在のような曖昧な記憶力ではなく、かつて古代アトランティス時代にもっていた前世をいつでも振り返ることのできる鮮明な記憶力をもつようになるという。だからいまのように、肉体の死によって、自己を忘れるということもなく、前世をいつでも思い出せるので、永遠に生き続けている、のを知れる存在となって甦る。ただし、過去を振り返るのが恐ろしい人生を送ってきた魂には、これは過酷なものとなるだろう。そのような魂は、死を欲するようになるだろう。自分の存在がいたたまれなくなるだろう。だから、このような魂は孤立し、暗黒のなかに独房の独裁者として心を閉ざすしかないのである。思い出したくもない人殺しの過去を思い出さざるを得なくなる。だから、君たちはどう生きるか、のように、この世が苦悩に満ち溢れていようとも、つながりを求めて、希望を見い出して、生き続けるべきなのである。超弦理論の矢を放つ新しい愛のキューピッドに生まれ変わるべきなのである。
2025年05月06日
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日本語では、同じ「自由」でも、英語では、フリーダムと、リバティがあるのに、気づいている日本人は少なく、自由民主主義が、フリーではなく、リバティのリベラルデモクラシーであるのに、この国の政党がリベラルではなく、勿論、太古からの祭司国家を遵守するという意味で、保守のコンサバなのが本当なのだが、どちらかといえば、この国の場合は、明治維新からの物質界での、世襲制を守る意味での中途半端なコンサバなのに気づかない、日本人が多いのに、左翼だ、右翼だ、とレッテル貼りばかりが横行する無知さに呆れてしまう。これでは、折角、明治維新で、江戸時代までの身分制度をなくして、四民平等にしたというのに、欧米の悪しきモノマネで、貴族と平民を、国会を基にしてつくったのでは、新しい身分制度に変えただけにすぎない。だからして、大東亜共栄圏という身分制度は建前ばかりで、その実、日韓併合などと、大東亜戦争などを起こしてしまったわけなのである。その推移は、古代トロイアから古代ローマが生まれた経緯にも似ているが。その理念においては大きく異なる個人の私利私欲にすぎない。特に、フリーとリバティの違いについて、「世界の果てまでイッテQ!」でお馴染みの、面白い出川イングリッシュでは、日本人の感覚を、例えば、自由の女神について、フリーガールと表現していたように記憶している。正式には、スタチューオブリバティで、リバティの自由、で、しかもゴッデスの女神でもなく、というのも神の名を妄りに唱えてはいけない十戒から、スタチューになっているのである。世界の果てまでイッテQ! - Wikipediaお笑い芸人なら、笑わすのが仕事だから、このような間違いは才能になるが、政治家がこのような間違いをすれば、日本人の教養のなさを、世界に晒すことになる。政治家が、日本史を知らずに、世界史などほとんど無知で、現在の国民の生活レベルも把握できずに、自由の意味の履き違えをするような曖昧さが、税金搾取の江戸時代からの幕府型の官僚主義国家の、国際世論に揺さぶられるままの風見鶏のような朝貢外交の事勿れ主義国家をつくっている。ちなみに、財務省は、江戸時代の大奥で、総理官邸は、江戸幕府、そして天皇制が、京都の朝廷と置き換えれば、江戸時代の政体がそのまま残っているのに、気づくはずである。地方公共団体や独立行政法人は、親藩大名で、民間企業は、外様大名の焼き直しである。群馬県と山口県に総理大臣が多いのは、群馬が徳川家ゆかりの地で、山口県が長州毛利藩ゆかりの地であることでわかるだろう。鹿児島の薩摩は、西郷南洲の失脚と、西南戦争と大久保暗殺で薩摩が分裂共倒れで、長州に利権を奪われたからである。西郷南洲は、明治維新の失敗を感じて、鹿児島に独立国をつくろうとしたという説もある。群馬県の徳川家ゆかりスポット | 【公式】奥伊香保温泉 旅邸 諧暢楼このように、この国のどこにリベラルがあるのか、不思議で、米国に戦争で負けて、米国の大統領でも崇める宗教という意味で、リベラルなのか、といっても国体護持で、メーソンのマッカーサーに調停してもらい、天皇制を守るための平和憲法を捨てるわけにはいかないから、保守のコンサバでいたいのか、いまでも曖昧になっているから、フリーだか、リベラルだかの、曖昧な、どちらかといえば、懐古主義のコンサバの政権が与党になって、国民の生活を顧みない税金搾取に明け暮れるわけなのである。先進国では普通におこなわれている所得税の基礎控除額の減税引き上げすらできない。これでは、フリーメーソンの自由はフリーなのに、自由主義を掲げる政党はリベラルという違いがわかる日本人は恐らく皆無だろう。このフリーとリベラルの違いは、オカルトでないとわからない。ちなみに、ググると、以下のサイトのような答えに出くわす。「freedom」と「liberty」の 違いとは?自由を表す英語表現 - ネイティブキャンプ英会話ブログ | 英会話の豆知識や情報満載「freedom」には「持って生まれた自由」という意味があり、「先天的・受動的」な自由を表します。それに対し「liberty」は、「自ら勝ち取った自由」という意味で、「後天的・能動的」な自由を表します。もっと具体的に言うなら、「freedom」はただ単に「肉体的・精神的に制約を受けていない状態」を表しますが、「liberty」は「抑圧から解放されて初めて手に入る自由」を表します。この解答は、哲学のテストからいえば、恐らく70点ぐらいだろう。少しでも正解に近づけるならば、宗教的な答えをみつけないといけない。だから、フリーメーソンのフリーは、人間の自我がもつ、本来の自由な意志のことを意味する。そして、リバティとは、神から与えられたその自由な意志で、この世のなかから、善と悪を区別する、自由のことなのである。端的にいえば、フリーが内の自由で、リバティが外の自由といえるだろう。つまり、フリーは、物質界を超えて、肉体から解放され、制約を受けない状態で獲得できる精神的な自由で、リバティは、物質界での善と悪を判断し、抑圧を与えている悪を自ら手放し、解放して、初めて手に入る善の自由の違いなのである。だから、自由の女神像が、『右手には炎を純金張りで象られたたいまつを空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とローマ数字で刻印された銘板を持っている。足元には引きちぎられた鎖と足かせがあり、全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴している。女神がかぶっている冠には七つの突起がある。これは、七つの大陸と七つの海に自由が広がるという意味である。』のは、簡単にいえば、松明が、人間の本来持つ自由意志で、その松明で、人類が、善良な精神の博愛を発揮すれば、悪の抑圧から解放されて、人類平等の自由が実現する、という意味になるだろう。つまり、フリーは霊魂がもつもので、リバティは、肉体をつくりかえるのに必要な自由で、善悪の区別なのである。だから、メーソンでは、この松明を、有名なプロビデンスの目で象徴化している。自由の女神像 (ニューヨーク) - Wikipediaでは何のために、フリーの自由意志のプロビデンスの目で、善悪を判断し、抑圧の悪から自らを解放し、リバティを獲得していく必要があるか、といえば、それが、人間の霊魂をアセンションさせ、次の進化ステージに、進ませるためである。人間の自由意志は、人間の霊魂の進化度合を図る目安なのである。人間はいま第5の進化ステージにいる。この進化ステージが、死んだ物質界である。死んだ物質界の物質に、心から無償の愛で、生命を与えるのが、人類の立場と役割で、その主な血族が、カインの子孫の役割なのである。だから、カインの子孫は、生命の樹から象った蛇の杖を用いて、主に現代に伝わる科学や芸術をつくった。ユダヤ人伝説は、このカインの子孫に由来する。シュタイナーは、このカインの子孫を神殿つくりの伝説として解き明かしている。だから、カインの子孫は、外なる自由の体現者といえるかもしれない。対照的に、この神殿に神の魂を灯すのが、祭司系血族の子孫の、アベルと、セトなのである。この子孫には、宗教家や、修行者が多く、シュタイナーは黄金伝説として解き明かしている。祭司系の立場と役割は、神の無償の愛を神殿に灯すことなのである。霊魂の不死性を、人類に教え諭す役目で、内なる自由の体現者といえるかもしれない。人類の良心を体現する存在とならなくてはいけない。この両者を調停し、統合するのが、キリストである。前回紹介した、ルパン三世のカリオストロの城では、カインの血がカリオストロ伯爵で、アベルの血がクラリスで、両者を、悪の自由から、解放し、善で統合するのが、ルパンで表現されている、のを、強調した。つまり、神の目は、両者から、善き霊魂を救い上げるというわけなんである。神は常に人類に無償の愛を捧げ、人類から、無償の愛を引き上げる。さて、「月曜から夜更かし」は、世間を面白可笑しく演出しているので、ほぼ毎週みているのだが、先日、お坊さんにクリスマスを祝うかどうか、世間の疑問を調べていた。在家信者の家庭をもつ仏教徒への質問には、子どものためにクリスマスを祝う、という、おおまかな返答があったが、それでもしつこくインタビューするので、色即是空で、空は、世の中では、様々な色をとって現れるので、キリストを祝っても、お釈迦さんは空で、器が大きいので許されるだろう、という頓智のきいた受け答えをしていたのに感銘を受けた。月曜から夜ふかし|日本テレビ月曜から夜ふかし - Wikipediaオカルトでは、そもそも、「キリスト」という名は、「仏陀」と同じで、救いの意識に目覚めた霊魂をいうのだから、両方とも、救い主のメシアで、西洋ではキリスト、東洋では仏陀と呼んでいる些細な違いでしかない。あえて、その些細な違いに言及するのなら、キリストは教皇で、太陽霊でアバター、仏陀は法王で、水星霊でマスターの違いといえるかもしれないが、いずれにしても、地球人よりは、遥かに高度の意識状態に進化している存在である。高度に進化している意識状態を、人間の感覚で表現するなら、心のバランスがとれていて、常に心を支配でき、乱されない存在で、映画「スターウォーズ」の、ジェダイの騎士のような存在、といえるかもしれない。最近、地上波で映画「スターウォーズ 新たな希望」を久しぶりに流していたので、懐かしさのあまり、みてみたら、小学校の時に初めて見た映画なので、かなり忘れていたことから、改めて新作のようにみれたので、また続けて、エピソード順に9作をみてみたく思い、6作目を見終わったところで、1~6までは「エピソード〇」とタイトルにあるので、間違えずにみれたのだが、7作からは、「エピソード〇」がタイトルから省かれているので、間違えてエピソード9をみてしまい、話が進みすぎていて、途中でおかしいな、とは思ったのだが、見続けた手前、途中で変えるのもなんだか気が引けたので、エピソード9のあとに、エピソード7をみて、記憶の後追いのようになってしまい、自分の記憶の曖昧さに辟易してしまった。スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 - Wikipediaオカルトでは、スターウォーズは、かつて悪が生まれたときの、天空の戦いを表現したもの、といわれているが、特に、ジェダイのマスターたちが口にする「フォース」が、なんなのか、の現代語解釈が困難にみえる。一般的には理性とか、理力とか、訳されそうだが、神秘学的にいえば、ロゴスで、旧約聖書的にいえば、律法で、新訳聖書的にいえば、無償の愛というべきかもしれない。だから、フォースの暗黒面とは、旧約では、律法の利己的な解釈で、新訳では、無償の愛ではなく、利己的な愛となるだろう。だから、暗黒面に陥ることなく、心のバランスを説くのが、マスターヨーダなのである。神秘学の黒魔術と白魔術の違いでもある。暗黒面と白色面とのバランスを統合するのが、ジェダイ騎士の使命なのである。だから、暗黒面に陥ると、次の進化ステージに進めずに、利己的に心を閉ざしてしまうから、心に柔軟性が失われ、固体のような物質に固まってしまい、いずれ崩壊する、というわけなんである。簡単にいえば、寄生生物化する、といえるかもしれないが、生物ではないので、物質以下の存在なので、絶えず崩壊していく、骨のようなものだろうか。だから遺骨には死のイメージがつきまとう。シュタイナーによれば、闇の利己性を手放して、無償の愛やボランティア精神を発揮すれば、物質界から、次の植物界に、転生できるようになるらしい。人間は、植物のエーテル界から、太陽の生命エネルギーを得ている。植物が地上になければ、酸素もなかったわけで、呼吸もできないわけである。だから、次の植物界に肉体を同化させるには、ベジタリアンでないと、肉体のバランスを失うらしい。化学的に表現するなら、肉体の炭素構造を、光合成の出来る植物の炭素構造につくりかえるのかもしれない。シュタイナーは、人間は植物の再生力を使って思考していると述べている。だから、植物から再生力を取り出して、脳で、思考しているわけで、人間の肉体を植物のようにすれば、全身が脳になるだろう。ヨガには、吐き出した二酸化炭素を吸い込んで、光合成により、そのまま酸素にして、永遠に光合成で酸素を循環させれば、食べなくても生命を延ばす呼吸法というのがあるらしい。この呼吸法は、クンダリーニの呼吸法の奥義なのかもしれない。というのも、クンダリーニの蛇の色が、葉緑素の、緑といわれているからである。緑は、黄と青を混ぜればできる。神智学では、オーラの色とは別に、心の基調となる色があるらしい。それは瞑想でわかるようである。ここら辺の話はまだ不勉強なので、よくわからない。さて、前回は、宮崎アニメの少年少女の心を虜にする、オカルトの預言的な話を、「ルパン三世 カリオストロの城」から紹介した。ルパンだけでなく、総じて、宮崎アニメは、古代アトランティス時代が、なぜ大破局を迎えたのかを、神話を基にして、アニメ風に読み解き描いているようにみえる。例えば、「もののけ姫」の狼に育てられた娘の話は、現代でもインドで発見されているが、神智学によれば、古代ローマにも、同じ話があって、それは、太古のトロイアの祭司文化から古代ローマ国家が生じたときの、古代ローマの基礎を築いた14人の王の、13人目の兄ヌミトルから、王位を奪い取った弟のアムーリウスが、ヌミトルの家系を絶やすために、その息子を殺し、娘のレア・シルウィアをウェスタの女祭司にした話にある。アマラとカマラ - Wikipediaアムーリウス - Wikipedia アムーリウス (Amulius) はローマの建国神話に登場するアルバ・ロンガの王。生まれたばかりのロームルスとレムスを川に流すように命じた。 伝承によれば13代目のアルバ・ロンガの王プロカの息子でヌミトルの弟。ヌミトルはローマの建国者ロームルスの祖父であり、アムーリウスはロームルスの大叔父にあたる。娘にアントがいる。アムーリウスは父から財宝と領土を受け継ぎ、兄ヌミトルは王位を継承した。しかしアムーリウスは自らが受け継いだ財を背景に力でもって兄から王位を簒奪し、不当にも自らがアルバ・ロンガの王となった。アムーリウスはヌミトルを隠棲に追いやり、将来自らの王位を脅かしかねない正当な王位の継承者であるヌミトルの男子は狩猟の最中に殺害した。さらにヌミトルの娘であるレア・シルウィアを強制的にウェスタの巫女とすることで、新たに正当な王位の継承権を持つヌミトルの子孫が生まれることを防止した。ウェスタの巫女となった女性には処女が義務付けられ、子を作ることは許されていなかった。 しかしそれからしばらくするとレア・シルウィアは懐妊する。交わった相手はマールスとする伝承が最もよく知られているが、アムーリウス自身がシルウィアと交わったとする説もある。懐妊を知ったアムーリウスはシルウィアを幽閉し、監視をつけた。その後レア・シルウィアが双子を出産 するとこの赤子たちをティベリス川に流すよう配下に命じた。 こうしてアムーリウスは赤子の殺害を果たしたはずであったが、双子は流されることなく岸に漂着し雌狼の乳を飲み生存していた。アムーリウスの牧夫ファウストゥルスに拾われた双子はロームルスとレムスと名付けられ、王の知らぬまま立派な若者に成長していった。 ロームルス、レムスらとヌミトルの羊飼い達との間で諍いの生じた結果、レムスはヌミトルの許に連れ去られ、そこで祖父と孫とは真実を知る。同じ頃ロームルスも養い親から誕生を聞かされ、自身がヌミトルの孫であることを知る。ファウストゥルスはレムスにも同じことを伝えようとしてアルバへ向かうが、怪しまれアムーリウスの許へ連れ出される。そしてついにアムーリウスもヌミトルの孫が生きていたことを知る。 アムーリウスはヌミトルを召還しようと使者を派遣する。しかしこれをきっかけにヌミトルらは蜂起し、アルバのうちからはレムスが、外からはロームルスが攻め立て、アムーリウスは討たれた。 アムーリウスの後のアルバ王にはヌミトルが即位した。歴史は繰り返す、といわれるが、それは人間の霊魂が、輪廻転生をして、カルマの法則から、ブーメランとして前世でやり残したことを現世で行うからである。しかもそのときに、主客逆転して、だから、前世は、現世の鏡といえるだろう。現代物理学でも、素粒子のカイラリティと呼ばれる鏡像関係から、超対称性が提案されて、超弦理論の並行宇宙論にもつながっているが、我々人類は、心の中では、つまり霊魂の上では常に鏡像関係にある、といえるかもしれない。歴史は繰り返す(れきしはくりかえす)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書未来は人間の心のなかにあるのだから、いまの心の鏡像が、明日の外界をつくるともいえる。だから、明日の楽園をつくりたければ、いまの心を整えて、平和にしないといけない。そのためには、心のなかに、自由な意志の灯の松明を掲げる必要がある。純化した心の中の松明こそが、明日の平和をつくるのだから、何が善で、何か悪なのか、の選択を誤ると、明日の平和はやってこない。宮崎アニメは、映像の美しさと同時に、この悪と善の選択を、観客に委ねるところにある。ただ、それは過去の人類史に起こった出来事を夢のようなファンタジーで描出しているだけなのである。そこには様々な人間模様が表出されている。どの人物に共感するのか、それは観客の自由な意志に委ねられる。だから、作品に利己的な演出や主張がなく、勧善懲悪がない。何が善で、何が悪なのか、それは立場と役割や、意識の高低で異なる。強い者が必ず勝つわけでもない。古代アトランティス時代の人類がなぜ破局に至ったのかを、自由な意識から、フリーとリバティの自由で解き明かすのは、あなた次第なのである。しばらく、紹介が滞っていたが、とにかく内容が難解だったが、なんとか解釈したので、シュタイナーの「霊魂の探求において現れる善の道と悪の道」の講義を続けて紹介する。今回の内容はかなり難解である。 ☆ ☆ ☆次に、月の住人となった、これらの存在について、詳細に立ちいっていきたいと思いますが、これはある重要性を持っています。私たちがそのような存在たちと関係を持つとき-いくらか卑近な表現ですが-、意見交換をしたい、話し合いたい、というような感情をもつようになります。例えば、具体的に、これらの存在たちと、例えば、人間の筆記について語り合う、のを想像してみましょう。自分の名前をそのまま書く人もいれば、サイン、もしくはイニシャルで簡略化して書く人もいるでしょう。このような書き方の違いについて、その存在たちは次のように答えるでしょう。お前たち人間は、つまらないことに、例えば、「鍛冶屋」とか「床屋」とか、言葉の意味に興味を持つが、その書き方の特徴的な動作、書き手の個性-速く書くか、ゆっくりと書くか、巧みに書くか、ぎこちなく書くか、機械的に書くか、芸術的に書くかなど-を観察する方が、はるかに興味深い、と語るでしょう。これらの存在たちは、人間の筆記についての動作に特徴的なパターンを見つけるために綿密な注意を払っているのです。彼らの関心は言葉の意味よりも、書き方なのです。そして、これらの存在たちは、既に地上には住まない霊界の存在たちで、人間よりも下位、もしくは上位に位置づけられるような霊的存在たちを周囲にもっています。彼らは私たちに用語法や命名法など言葉の意味について、指導することはありませんが、彼らが地上を去ったときから人類が発達させてきた筆記の動作パターンや形態については助言を与えるのです。今日の意味での「筆記」という動作は、これらの存在たちが地上にいたときには存在していませんでした(テレパシーで交信できたから)。彼らは人間との交信のなかで、筆記が徐々に進化するのを観察してきました。彼らは人間の指の器用な動作に興味を持ち、その器用さの上に、後に羽ペンが加わり発達し、さらには万年筆によって補完されるのに注目してきました。彼らは紙面に委ねられたものにはほとんど関心がなく、それに必要な動作に完全に没頭したのです。さて、この動作に加わる新しい要素を考慮しなければなりません-今でも、この動作から発せられる、地球からの波動は、人間には、ほとんどが見過ごされてきました。それらの波動が取り得る、多くの形態のなかに、今お話しした人間から発する筆記の際に生じる波動があります。これらの存在たちと語り合うことができるのは、人間から発する、この動作で生じる波動なのです。ところで、さしあたり、この波動は、月の存在たちを上位の進化領域へと導くようなものではありません。何故なら、彼らが地上に住んでいた時代には、筆記はまだ存在していなかったからです。今日の人間が、自分の動作から生じる波動について、限定的な理解力しか持ち合わせていないことについて、これらの存在たちから発せられるコメントは相当に皮肉に満ちたものです。現代人には無視されますが、月の霊的存在たちには非常によく知られたものなのです。これらの存在たちが地上にいた時代には、人間の運動や皮膚から放出される波動(オーラ)は、決定的に重要なものだったのです。人間はそれらの波動の振動、いわば吐息を通して、仲間の人間を認識していたのですが、このことは後には知られなくなりました。これらの月の存在たちが特に受け入れる第3の波動とは、皮膚から放射される波動で、人間が発する二酸化炭素などの気体的な波動要素です。これら人間が放射する波動は、あとで見ていきますように、半分霊的な性格をもっているかもしれません。これらの存在たちが特に敏感なのは人間が発する、これらの波動-筆記に生じる固体的な波動要素(固有振動数)、皮膚の発汗で生じる波動の液体的な要素、皮膚などの呼吸から発せられる気体的な波動要素です。人間は常に皮膚を通して呼吸している、のを思い出さなければなりません。皮膚呼吸 - Wikipedia第4に、これらの存在たちは熱放射の波動を受容します。これら熱放射全ては地上に存在しているために、あの月存在たちにとって特別重要なものなのです。人間については、その筆記の動作や動作に付随し発散される固有の波動の特徴的な性質によって判断されるのです。次に、恒常的に存在する光波(電磁波)です。誰でも、オーラだけでなく、肉体やエーテル体からも光を放射しているのです。日常の覚醒意識では、これらの放射があまりにも微量であるため目には見えませんが、最近、モーリッツ・ベネディクトは特別にしつらえられた部屋を用いて、それらが(エクトプラズムとして)存在する、のを示しました。彼は肉体が、場所に応じて、様々に異なる、赤、黄、青などの光の放射を示す微量なオーラに取り巻かれている、のを示したのです。モーリッツ・ベネディクトは、肉体の左半分を、通常の光の条件下に置き、肉体の右半分を、オーラの出現する条件下に置いて示しました。オーラの観測は、適切な条件を設定することにかかっています。第六は、化学的な放射で、電離放射線などの波動ですが、これは、今日の地上では例外的なケースであり、ごく稀にしか見られません。当然のことながら、放射線などの原子力は、常に存在しているのですが、黒魔術が行われるような、稀な、核分裂や核融合の場合にしか起こらないのです。人間が自分たちで起こす化学的な放射を意識し、それらを探求するのは、地上で、利己的な利潤追求、いわゆる黒魔術が行われているときなのです。七番目の放射は、霊的、もしくは物質的な生命現象に伴う波動(エーテル)の放射です。今日、化学的な波動の放射、原子力を用いるには、利己的な、黒魔術に陥るのは避けられませんが、それは嫌悪すべきものであり悪徳です。黒魔術は放棄すべき波動なのですが、この生命波動(エーテル)の放射は必ずしも悪というわけではありません。月存在たちの場合、絶えず、この生命波動の放射に依存し、それに働きかけるとともに、善のために用いているので、彼らは黒魔術師ではありません。というのも、黒魔術師とは、ある制約の条件下で悪に屈し、「地上で」悪をなすからです。けれども月存在たちが、生命放射(エーテル)に依存できるのは、太陽光の反射のなかで活動し、その影響下にある満月のときだけです。私たちは霊界から学ぶものを創造的に用いるように努めなければなりません。私たちの時代の使命は、生命力に溢れるアイディアを見つけ、概念や知覚を生命力で満たし、そして感情を発達させることであり、物質のような、崩壊し、死にゆく理論に重きをおくことではないのです。そして、これらは、私たちがミカエルと呼ぶ大天使に結びついた霊的な存在たち(聖霊)によって直接インスピレーションとして与えられるのです。ガブリエルの時代、人類は、物質界に以前よりも増して引きつけられていたために、ある条件下で人間と密接に関係する月の存在たちとの接触を求めようとはしていませんでした。それは、月存在たちが、その時代には知られていなかった、人間が放射する生命的な波動(エーテル)に関係していたからです。霊視を用いることで、死者と関係を持てる霊界は、誕生から死までの間に住む、この物質界に隣接しています。けれども、この世界は、他の多くの側面をもち、そのなかには人間の放射から生じる、利己的な作用に対する影響があります。ある意味で、これは宇宙のなかでも究めて危険な領域であり、私たちが持つべきなのは、今回の連続講義でもしばしば触れましたが、これらの月存在たちから進み出てくる誘惑の作用を、悪ではなく、善にするような、霊魂のバランス回復と、その抑制力です。実際、今の時代の学問全てが、この生命放射(エーテル)が、地上の全てに作用する、と考える方向に急いで向かわなければなりません。ところが、致命的にも、この7番目の生命放射(エーテル)と、私たちが大喜びで持ちたいような他の全て(1番目から5番目まで)の放射との間に、第6番目として横たわる、つまり原子力という利己的な悪魔の、黒魔術の餌食になりやすい、ということです。人間が比較的容易なのは、動作から生じる固有の振動-これについては後ほど述べるつもりですが-この波動を可視化し、力学とすることですが、他にも、液体、気体、熱、光などの放射の波動を可視化することです。これらの波動のすべては、ある程度、善に協調し、善に向かうことができるのですが、それは、人間の心のなかに浸透する、ミカエルの時代が、その夜明けを迎えているためです。これらの放射の間に横たわっているのが、霊的な探求に向かう正しい方法を追求するために、対抗して現れる、利己的に誘惑する黒魔術なのです。1.人間の動作が発する固体的波動2.皮膚からの液体波動3.皮膚からの気体波動4.熱の波動5.光の波動6.化学的な核力による放射線(黒魔術)7.生命的な波動(エーテル)(次回に続く)
2025年05月01日
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