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超能力対決漫画といえば、大友克洋作品の「AKIRA(アキラ)」が有名だが、アラ還暦世代には、バビル二世のほうが印象深い。内容はほとんど覚えていないが、テーマ曲だけは一番のみだが、よく覚えている。♪砂の嵐にかくされた バビルの塔にすんでいる 超能力少年バビル二世 地球の平和をまもるため 三つのしもべに命令だ「やぁ!」怪鳥ロブロス空をとべ ポセイドンは海をゆけ ロデム変身地をかけろAKIRA (漫画) - Wikipediaバビル2世 - Wikipedia水木一郎 バビル2世 歌詞 - 歌ネット作詞者は東映二となっているが、ググっても情報はでてこない。この歌詞内容をみると、オカルトのにおいがする、特に古代アトランティス時代のフレーズがみられるのがわかる。このバビル二世の以下のウイキ解説の基本設定をみると、『はるか昔、地球に不時着して帰れなくなり住み着いた宇宙人・バビル。彼が残した遺産・バベルの塔と三つのしもべを受け継いだ超能力者・浩一が、世界征服を企む悪の超能力者・ヨミと戦う物語。』とあることから、以前このブログでもとりあげた、ついこの間話題になったバカリズム氏のホットスポットの宇宙人高橋さんの設定とよく似ているのに気が付く。ホットスポット (テレビドラマ) - Wikipediaバカリズム氏が、バビル二世から構想を得たのかどうかは定かではないが、このように、バカリズム氏のドラマには、オカルト知識が散りばめられていて、バカリズム氏の前世が古代アトランティス時代と関係しているのが、なんとなくわかるようでもある。バビルの塔とは、聖書のバべルの塔にちなんだものだろう。聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇10) 〜「バベルの塔」|さとなお(佐藤尚之)バベルの塔のエピソードを簡単にまとめておこう。もともと世界の人々は、ひとつの言葉を使って話していた。そこに、東から移動してきてシナル(シュメール)の平野に住み着いた人々が「天まで届くタワーを築いて、有名になったろうぜ。そしていろんなところに散らばらず、みんなでここに住もうぜ」と企てた。そして、塔を建設しはじめ、かなりの高さに達した。それを見た神が、怒るというか、憂うわけ。「彼らはひとつの民で、みなひとつの言葉を話しているから(意志の疎通が自由だから)、こんな大それたことをし始めたのだ。直ちに言葉を混乱(バラル)させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」で、バルス!じゃなくて「バラル!」人々は言葉が通じなくなり、世界各地に散らばらされ、この町の建設をやめた。このバベルの塔の出来事は、恐らく古代アトランティス時代の話なのだろう。さて、子どものときの、このバビル二世の歌が流行った約10年後の80年代に、バブルの時代が到来し、バブルの塔ならぬ不動産や土地、株を買ってローンで住み、3つのしもべに命令しながら投資生活をエンジョイしたバブル二世が銀座界隈を中心に沢山いたのが記憶にまだ残っている。3つのしもべは、次の3つの神話となっていた。第1章 自律的回復の芽生えがみられる日本経済- 内閣府◎消えた三つの「神話」こうした中で日本経済の本質と気質も変わりつつある。1955年頃「戦後体制」が確立されてから90年の「バブル崩壊」に至る35年間,日本経済がほぼ一本調子に拡大する「右肩上がり」の情況が続いた。この背景には「三つの神話」が存在した。その第一は「土地の値段は決して下がらない」という「土地神話」,第二は「不況になっても消費需要だけは減少することはない」という「消費神話」,そして第三は「完全雇用神話」,「日本の企業経営は集団主義,全従業員が終身雇用を前提として仲間意識で結ばれているから,大規模な従業員解雇などあり得ない」というものである。これらを要約すると、「土地」「消費」「雇用」となる。しかし、この3つの神話で成り立っていた、この国のバブルの塔は、日銀の公定歩合の引き上げにより、脆くも崩れ去った。「総量規制」「公定歩合引き上げ」「地価税の導入」である。【ホームズ不動産投資】バブル経済とは?【バブル景気あるあるからバブル崩壊の原因まで】 | 不動産投資コラム[ブログ]この日本経済の、超能力かのような思い込みの、3つの神話は、まるで夢のようなもので、日銀や政府の介入により規制され、崩壊し、現実に戻されたのである。それはスプーン曲げで超能力ブームを誘発したユリゲラーをバッシングして物質科学で種明かしするような野暮な時代の流れというべきかもしれない。スプーン曲げ少年をめぐるマスコミの暴走 ユリ・ゲラー「超能力ブーム」はなぜバッシングに変わったのか(3ページ目) | デイリー新潮超能力ブームへのバッシングについては、「マスコミにありがちなこと」だと三上は言う。「自分の中の世界観や価値観が、超能力があることによって揺らぐことを本能的に嫌うことが、大衆心理としてあると思う。ただ面白いと捉えるだけではなく、あったら怖いと思ってしまう。それがバッシングにつながるんです」「いま、当時のような番組をつくろうとしても、まず企画が通らないでしょうね」と矢追は苦笑する。「みんな官僚的になって、自分のポジションを失いたくないから。冒険をしたくないという現れなんじゃないかな」以上のような超能力に対するバッシングについての発言からわかることは、超能力のような非現実の物質界から逸脱するような能力を認めると、民衆の上に君臨する現在の地位や権力を失うのが怖い官僚が規制や搾取をやめたくないから、起こるのがわかる。民衆の上に君臨するのは実は悪魔なのである。悪魔が人類の上に君臨し支配するには、超能力は隠しておかないとマズいのである。実は悪魔がこの世の地上人の人類を支配していることが、アカシックレコードには人類史とともに記録されている。人間の脳は悪魔が与えた地上波のチャンネルのようなものである。地上波も、政府の洗脳支配機関でしかない。権力を監視するどころか、民衆を洗脳し、監視し、政府の支配を支援しているのが実態である。その構造が無能な総理により明かされつつあるのは、この国の民衆の意識的な自由獲得には良い流れになるだろう。霊能者たちにより伝承されてきた俗にアカシックレコードと呼ばれているアカシャ(虚空)年代記の人類史の内容が少しずつわかると、神々や宇宙人、超能力、UFOの正体が思考力によって論理的に解き明かされてくる。しかし、巷に溢れるこの手の話のほとんどは金儲けのために利用されている詐欺的な黒魔術で、悪魔のものなので細心の注意が必要である。そもそも利己的な使用は悪魔によって人類に与えられたものだからである。アカシックレコード - Wikipediaそもそも聖書にも書かれているように、聖書はアカシックレコードの翻訳本みたいなものなのだが、人間が獲得している低次の思考力の知性は、悪魔ルシファーから人類に与えられた知恵の実であり、漫画ワンピースでいう、悪魔の実なのである。だから、人間は悪魔の実を食べて、現在の知性を手に入れて、その利己的な知性を欲望のままに使うようになって、神々から離れて地上に失楽したわけなのである。悪魔の実 - Wikipedia本来、高次の宇宙人の神々は、人間が欲望を取り除くまで、感情をコントロールできるまでは、知性を与えるのに反対していた。というのも、それは、赤ん坊にピストルを与えるようなもので、現に現代人が核兵器で互いを牽制し恫喝しあっている現状でもわかる。人類が十分に道徳を理解してから、高度な知性を与えようと策定していた。しかしその策定がルシファーにより若干狂ってしまったのが、聖書の蛇による知恵の実の顛末である。ルシファーにより、人類は、道徳的にならないうちに、知恵の実を食べてしまい、古代アトランティス時代には洪水による大破局を、そして我々の時代には、核兵器を広島、長崎に落として大量殺戮を行ってしまった。当初は、人間が道徳的になってから、知恵の実を与えるはずだった。でないと、無知なまま、地球環境を大規模に変えてしまい、それに適合できなくなってしまうからでもある。現に、人類は数度の大破局を経験してきたわけで、その都度、高次の宇宙人たちが、手を差し伸べて、新しい人類をつくってきた。そのような内容がアカシックレコードに記録されている。当初の神々の目論見とは異なり、結局、善から最善へと向上するために、人類に自由を与える為に、宇宙には進化から逸脱したルシファーのような悪が生まれることになった。人類が自らの思考力で善と悪を判断できるように、地球という進化の舞台が与えられた。しかし、人類は愚かなので、何度も自分たちを滅ぼすような自由についての利己的な使用を繰り返し、独裁者のような愚かな存在を生み出しているのが現状である。また進化から逸脱する悪はルシファーだけではなく、アーリマンやアスラのような存在もいるのを人智学はアカシックレコードから指摘している。akuシュタイナーが読み解いて伝承しているアカシャ(虚空)年代記を読んでいると、霊能者ではないので、直観に訴えることができず、一介の地上人の私には、どうしても脳による思考の限界を感じてしまう。というのも、脳は、俗にいう健康という、物質界の現状に最も相応しい肉体的特徴を備えるために、自己にとって都合のいい最適解を統合処理している、思考器官なので、現実から離れるほど思考力を失っていくからである。いわば、脳は物質界に適合するために、覚醒意識での思考力を獲得したわけで、思考力を失うと、現在の地球の環境に肉体を適応させられなくなり、健康ではなくなる。だから、脳は、地上の世界という物質界のネットワークのアカウントのようなものかもしれない。アカウントを使って他者との交流を図るツールのソフトやアプリなどが肉体というような感じかもしれない。さて超能力というと、脳の思考力では論理的に整合性がとれない能力で、端的に言えば、脳の感覚力を超えた能力で、シュタイナーは超感覚力と呼んで、3つに大別している。イマジネーション、インスピレーション、インテンションと呼んでいる。サンスクリッド語では、マナス、ブッディ、アートマンである。これら超能力を説明するのには、例えばサヴァン症候群などが挙げられる。サヴァン症候群のほとんどが自閉症なのは、脳の現代への適応力を欠いているからである。端的にいえば、利己を欠いているのである。現代に適応できる思考力に乏しいので、いわば先祖返りしている、といえるかもしれない。サヴァン症候群 - Wikipedia隔世遺伝 - Wikipedia先祖返りとは?ビジネスやITにおける先祖返りの原因と対策方法 | セキュアSAMBAサヴァン症候群の特殊な能力は、かつての古代アトランティス時代の、優れた記憶力に由来するようにみえる。現代人は、知的障害と名づけているが、それは現代の概念を基にした論理的な知性からみた評価であって、古代アトランティス人がもっていた記憶力からすれば、当時には適応できないという意味で、現代人のほうが知的障害なのである。だから、現代人は、古代の莫大な記憶力の代わりに、論理的思考力を手に入れ、より利己的に生きるようになったといえるだろう。ウイキで解説されている、サヴァン症候群の特徴の、「ある特定の分野の記憶力、芸術、計算などで、定型発達者よりも高い能力」とは、現代人の脳の論理的思考力を失った代わりの、先祖返りの能力なのである。この解説では、計算が挙げられているが、現代人の論理的な計算ではなく、莫大な記憶を元にした暗記による計算の暗算で、現代人が、計算尺やソロバンのイメージを利用してする暗算に近い。だから、古代アトランティスには数学はなかったという。全てを暗記し、記憶していたので、計算は必要なかったらしい。数に置き換える必要がなく、そのまま記憶したという。だから、計算の代わりに、過去の膨大な記憶から似たようなものをみつけてくる、いわば現代の検索機能を高度に発達させていたらしい。しかし、過去に似たような記憶がないと、行き詰まって、何度も同じ間違いを犯したという。これは、先例がないと、新しい問題に対応できない、現代の官僚機構とよく似ている。このことから、官僚機構が、古代中国の科挙に由来しているのがわかる。中国は古代アトランティス時代の第7(蒙古)文化期の末裔だからである。科挙 - Wikipedia古代アトランティス時代に人類は、膨大な記憶力を発展させたが、それとともに、その記憶力を利己的に用いて、地球環境を破壊してしまったので、記憶力を利己的に用いないように抑制する論理的思考力を将来発達させる人種を選んで、次のポストアトランティス時代の人類の担い手の種子としたのが、原セム民族のアーリア人種であるという。セム族 (民族集団) - Wikipediaアーリア人 - Wikipedia超能力を説明するためには、古代アトランティス時代の霊魂の進化を大まかに知る必要がある。以下のサイトを学べばおおまかな知識が獲得できるだろう。【シュタイナー】宇宙と人間創造⑧地球紀―アトランティス時代/自己意識の誕生/人類の指導者ノアの選出 | Noos Eggsアトランティス人 はどういう特徴だったのか?【超古代文明】 - 草の実堂言葉の生命を悪に濫用、没落したアトランティス「障害のある子にふさわしい言語体験とは?」6/14 | シュタイナー芸術オイリュトミー【那須・奏身舎だより】文化は流れて東へ西へ|BOUNDHEAD八ヶ岳思考:ルドルフ シュタイナー/精神科学概論(人智学☆精神科学)その2 | 八ヶ岳/無心庵:Villa fromnow clubアトランティス - Wikipediaそこで、おおまかに抜粋して紹介する。7つの亜人類期シュタイナーいわく、アトランティス時代における人間の進化過程は、7つの「亜人類期」に分けることができるといいます。第一亜人類:ルモアハルス人初期アトランティス人には、現代人の持つ論理性というものが備わっていませんでした。そのかわり、高度に記憶力が発達していました。この時期はまだ、概念を形成する能力はありませんでしたが、これまでに体験してきた形象による記憶の想起だけによって、出来事の意味を直感できました。ポイント解説レムリア人は、体験内容を形象する能力を持ってはいましたが、記憶力の萌芽はレムリア晩期になって持つことができました。そしてまた、言語の発達が、この記憶力の発達とリンクしていきます。言語レムリア時代晩期には、女性たちが自然力を歌のような自然言語に置きかえましたが、言語の発達までには至りませんでした。しかし、前アトランティス時代の第一亜人類であるルモアハルス人は、言語を発することを覚えます。彼らの発する言語の響きはとても根源的であり、また自然的であったと言います。この言語の発達により、人間は自らの魂と外なる事物との結びつきを行い、言葉を用いて周囲の事物に名前を与えました。それとともに、たとえば病気を癒す力、植物を成長させる力、動物の凶暴性を鎮める力など、言葉に周囲の事物や人間に効力を発揮する力が込められているのを覚えていったようです。日本でいう「言霊」みたいなものかもしれません。アトランティス初期の人々は、言葉の乱用は恐ろしい災いを生みだしてしまうものと感じていました。しかし、アトランティス後期になると、この能力もまた衰退しはじめ、言葉の効力はしだいに弱まっていきました。第二亜人類:トラヴァトリ人第二亜人類トラヴァトリ人の時代になると、記憶が共通の思い出によって結ばれた、血でつながった人間集団が生じます。そして、共同生活の内部で先祖崇拝がはじまります。先祖崇拝は世代を介して後世にまで伝わるようになり、祭祀のような儀礼形式もまた、形成されるようになります。そして同時に、個人の感情も芽生えていきます。第三亜人類:トルテケン人第三亜人類トルテケン人の時代には、社会共同生活が発展し、国家のような形態が生まれてきます。そして、有能で尊敬されるリーダーが現れるようになり、代々世襲されていきました。記憶力の発達は一方で個人の強大な権力を生みだし、そのような系図の中から、権力を個人の利益にしようとする利己心が生じ、権力の乱用がはじまるようになります。第四亜人類原テゥラニア人・第五亜人類原セム人生命力を自由に支配できる、アトランティス時代におけるこのような権力の乱用は、とくに第四亜人類である原テゥラニア人において大規模に起こり、集団相互に大きな破壊を生じるようになりました。第五亜人類原セム人になると、そのような破壊を防ぐために、利己心を抑制する論理的な思考力が育ちはじめます。どういうことかというと、まずは共同体に横たわる過去の祖先からの共通記憶に基づく社会生活を脱し、個々がそれぞれ種々に体験する内容を比較、判断する力が生まれます。それによって、願望や欲望が統御されるようになること、すなわち、「内面の声」に耳を傾けるようになっていきました。思考力が内面的に獲得された結果、それまでに可能であった自然力を支配する力が減少し、その結果として大きな破壊力を行使する能力が消失していきました。第六亜人類アッカード人・第七亜人類蒙古人第六亜人類アッカード人になると、この思考力はますます向上していきます。それまでの共通の記憶に基づく秩序と調和によって、法律と規則が考えだされるようになります。また、人々は思考力が発展することにより、功利性もまた強まり、これによって、冒険と新たな建設の気運が高められ、移住や貿易が盛んに行われるようになります。しかし、第七亜人類である蒙古人の場合は、第四亜人類の特徴が強く残り、自然力、生命力に対する信仰を強く残していたとされます。また、第六亜人類、第七亜人類の思考力は、その後の新たな発展を遂げるに際し、しだいに相応しくなくなっていったとされます。人類の次の時代の指導者の選出最終的にアトランティス時代の終わりには、三つのグループの人々が存在するようになりました。①神的叡智を教示し、神的行為を遂行できる人々(次の進化ステージに行く)②大多数の民衆(滅んでいく)③思考力を発展することができ、①のグループの教える原則を把握することができた少数の人々この③のグループの人々は、第五亜人類原セム人の流れをくんでいましたが、その中から「マヌ」とよばれる人類の最高指導者が出現しました。一節によれば、マヌは聖書のノアであるともいわれています。マヌは③のグループの中から、もっとも優れた者を人類の指導者として選びだしました。指導者の意図彼の意図は、これまで無意識に受動的に人々が従ってきた神的な指導原理を、人類自らが思考するように仕向けることにありました。すなわち、星の運行、天候の変化等々の自然現象の背後にある、神的霊的な表出を感知させること、そして、すべての生活を神々の摂理と一致させて、人生のすべてを高次の世界に導くことです。そして最終的な目的は、自分自身の歩む道を、自らの思考を介して見いだすようにすることでした。自由意志の獲得しかし、一方で人々には、別の側面が生じました。自然現象にある神的な起源を知ることなく、自然力を個人的な欲求、利己的な目的に役立てるために自由に使用する行為です。このような二つの側面から、人間は自らの内的要求にしたがって、自らの意識で何事も選択するようになっていきました。おそらくこの時点が、人類の進化におけるもっとも大きな転換期であったのかもしれません。すなわち、自らの「自由意志」を持って、善と悪を判断する能力を獲得する、ということです。つまり、地球紀の人間に自由な思考行為をもたらし、その後自らがその意志によって霊性を高めていくという、宇宙の神的創造の意図と人間がここではじめて結びついたということなのです。マヌにより育成されたこれらの人々は、その後にきたる第五根幹人類時代(ポストアトランティス時代)の初期の指導者になっていきます。そして、現在のポストアトランティス時代の進化の流れの図が以下である。左からルシファーの霊性の流れが失われていき、右からアーリマンの新しい物性の流れが継起していく。その流れの中央の、渦の目となるのがキリストの霊魂と物質の均衡をとる、霊のカルマの力で、超能力の再生力なのである。物質界に利己的に適応し過ぎると、同時に霊性を失ってしまう。サヴァン症候群のように、記憶力が再生して、霊性を保てればいいが、記憶力が再生せずに、記憶力のない古代レムリア時代まで先祖返りしてしまうと、アルツハイマー病のような認知症になってしまう。以下にレムリアの概要を抜粋紹介する。【シュタイナー】宇宙と人間創造⑦地球紀―レムリア時代/女性から言語が生まれた | Noos Eggsその姿はまるで…、ゼリー状のクラゲのような形態だったそうです。また、多くの人間はほとんどがまだ動物的な状態にあり、魂は本能、欲望、すなわち動物的欲求にまみれて生活していたそうです。彼らの意識は形象意識、すなわち夢の意識にあり、周辺の事物や出来事を表象(イメージ)することはできましたが、記憶する力が備わっていませんでした。また、感情を表現する音声をあげることはできましたが、言語の形成までには至らなかったようです。なぜなら、言語は記憶力の発達に伴って生じるからです。現代の動物たちが、言葉を持たずに吠えることによって、感情表現やコミュニケーションするのも、記憶能力を持たないからと考えられています。ただ一方でシュタイナーは、レムリア時代の人間の表象力(イメージ力)はきわめて優れており、これによって植物、動物の生命力ばかりでなく、鉱物法則も理解できたといいます。さらに驚くべきことは、彼らの持つ意志の力によって、あらゆるものを動かすことができた。とも述べています。やがて水と蒸気の環境が濃縮してくると、水と空気は分離し、その結果、エーテル体と肉体も濃縮して、空気のような状態になりました。さらにそこに、火の要素が組み込まれるようになります。「火に貫かれる風」となったエーテル体と肉体を、アストラル体と自我が取りまき、人間は、水と風の両方の中で運動することができるようになりました。この段階では、人間はまだ、自分を固有の存在と感じることはできなかったようです。古代レムリア時代の晩期の人類にはまだ記憶力がなく、体験を保持できなかったという。つまり、認知症とは、思考力を利己的に使用し過ぎて崩壊してしまい、霊魂が、レムリア時代にまで先祖返りしてしまったものと考えられるわけである。思考力をみんなのために使うのなら、まだしも、自分だけのために使ってしまったので、自我の自由意志をなくすとともに、思考力も失ってしまい、自分が自分だと認知できなくなったものと考えられる。そのために、脳の思考力を失い、代謝が悪くなり、アミロイドベータの前駆体切断部に誤りが生じて、老人斑のように不要なタンパク質が、蓄積してしまうのだろう。現代医学は物的証拠の結果論で検証しているので、認知症を治すのは困難である。認知症を防ぐには、思考力を利己的に用いないような脳の思考力を獲得することである。だから、柔軟な発想を身につけることである。固定観念を手放すことである。アミロイドβ - Wikipediaアルツハイマー型認知症について | メディカルノートこのように、古代アトランティスの記憶力に比べれば、現代人の記憶力は赤子のようであるらしい。あまりに膨大だったので、自然環境の営みそのもの、つまり自然の働きを、生命力として、そのまま記憶し、活用していたという。その記憶は、とても現代の言葉では表現不可能で、いわばイメージとして残り、これを後に元素霊として解き明かしたのが、古代ギリシアのアリストテレスである。四大精霊 - Wikipedia四元素 - Wikipedia現代人は、自然の生命力を、記憶力ではなく、脳による論理的な思考力で概念化して数学で法則化しているが、これは自然をモノ的に死んだものとして、自然を物質の死体として解釈し、捉える観測に由来している。だから、古代アトランティス時代からみれば、死んだ学問にみえるかもしれない。だから、現代人の物質科学は、詐術にみえるかもしれない。物質科学による戦争は、ゾンビの戦いにみえるかもしれない。物質の数量を表記する数学を、幾何学的なエーテルの生命力を表記する古代アトランティス時代の霊的な直観力の芸術にまで高め、そして、古代レムリア時代の音楽にまで高めることが、現代の人類の課題なのかもしれない。そのヒントになるために、シュタイナーがアカシックレコードから読み解いた古代アトランティス時代の人類について改めて、上に紹介したサイトから抜粋紹介する。アトランティス人 はどういう特徴だったのか?【超古代文明】 - 草の実堂アトランティス人は記憶力が異常に発達した人種だった外見については、現在の人間とは大きな相違があるというだけで詳しい記述はないが、内面やその活動については詳しく記されている。現代の我々の文化を生み出したのは、論理の力や計算の能力であるが、初期のアトランティス人にはこれが全く欠けていた。その代わり彼らは高度に発達した記憶力の持ち主であった。たとえば我々が計算する時はかけ算九九のような規則や方程式で考えて答えを出すが、アトランティス人は同じ先例やよく似た先例を思い出して答えを得た。アトランティス人はなにかにつけて、これまではどうであったかを思い出した。現代人は概念によって考えるがアトランティス人はイメージで考える。教育に関してもアトランティス人の子供は、人生の様々な経験内容を一連の形象を通して体験的に覚えさせられる。大人になった時はその体験内容を参考に物事を処理したという。全く新しい事態に遭遇した場合のアトランティス人は何度でも試行錯誤を続け、その事態が解決した場合は、新しい記憶として引き継がれていくわけである。このような生活様式だったため、アトランティス人は非常に長い期間に渡って似たような生活が何度も繰り返された.。常にどこかで「見たこと」があったような事柄だけが繰り返され、何事かが案出されることもなく、「思い出す」だけであった。アトランティス人の科学我々現代人は、理論や思考によって物質に向かい合い科学的手法でエネルギーを操る。石炭や石油などを燃やして熱エネルギーを取り出し、それを電気に変えたり、乗り物を動かすエネルギーに変えることができる。アトランティス人は記憶力を発達させることによって別の諸能力が開花した。それは動物の生活能力によく似たもので、アトランティス人は生命力を操ることができた。それは植物の種子から発芽力を取り出し、これを技術に役立たせる手法である。例えば穀物の種は非常に小さいが、大きな力が潜んでいる。種が発芽し、茎が育ち、大木にまで育つ種もある。大自然にはこれを目覚めさせる力があることは周知のことと思うが、アトランティス人はこの自然力に似た能力を持っていた。現代人がたくさんの石油の火力を技術的に利用できるように、たくさんの穀物の生命力を集めてこれを技術的に応用することができた。現代人が石油の力を他の推進力に変換できる装置を所有しているように、アトランティス人は植物の種子を「焚く」ことでそのエネルギーを変換できる装置を持っていた。現代人からすると、まったく信じられない想像すら及ばない文明であるが、われわれは理論や思考力をベースにしてここまで発展してきたわけだから、そもそも最初からベクトルが違う文明なのである。低空を飛行する乗り物に乗っていた植物の種子を「焚く」ことによって取り出したエネルギーを使って、アトランティス人は地上から少し離れた低空を飛ぶ乗り物に乗っていた。その高度は山よりも低く、山を超える時は逆進装置を利用した。SF映画でしか見ないような乗り物であるが、どういう形態であったかはわからないが低空を飛んでいたそうである。ただし今の時代にこの乗り物を持ってきても使い物にならない。それは「当時の大気圏が現在よりもはるかに濃密で、水は現在に比べてはるかに希薄」だったからだそうである。水が濃度を増した現在では、同じ方法で物を動かしたり移動することはもう不可能となった。現代の自然科学にとっては説明がつけがたいことであるが、確かな事実であるとシュタイナーは言っている。アトランティス人は体力を操れた前述の生命力を操れる能力で、水を現代人とは全く違う方法で扱うことができ、全く違う方法で体力を自由に使用できたという。アトランティス人は必要なときには自分の体力を増大させる手段さえ所有していた。疲労や消耗について彼らは現代の人間とはまったく別様に把握していた。思考回路から身体の作り、能力まで現代人とはまったく異なっており、そうした認識から始めないととても理解しにくいことであるが、記憶力が発達し生命や水を操るアトランティス人は、自然とともに生きていたようである。アトランティス人の住居アトランティス人はどういう特徴だったのか?居住地は現在の庭園風景のようで、たくさんの枝を組み合わせた樹木の家に住んでいた。そのような自然の家に住みながら、自分自身も自然の一部と考えていたようである。社会感覚も現代とは大きく異なっていて、「家や財産は誰かの所有物ではなくみんなに共有のもの」という概念だったそうである。みんな自然の中から生まれてきたわけだから、アトランティス人の考え方はとても理にかなっている。アトランティス人の言葉は魔法のような力があった。シュタイナーによれば、人類の言語が成立したのはアトランティス初期だそうである。アトランティス人の魂の力は現代人よりはるかに自然的で、その言葉はモノに名前を与える以外にも、事物や人間にたいして「効力」を持っていた。その言葉にはそれが支持する対象そのもののもつ効力同様の何かが生み出された。従って当時の言葉には、病気を治癒し、植物を成長させ、凶暴な動物を鎮める力があったし、それ以外にも類似した諸効力があった。まるで異世界ファンタジーの世界だが、現代人が未だに映画やゲームなどでファンタジーを好むのは、こういったはるか遠い記憶が元になっているのかもしれない。とはいえ、こういった霊力の秘めた特定の音声をみだりに使用することは、良くないと考えられていたようである。こうした魔法の言葉は「聖なる言葉」と考えられており、乱用したら禍いを呼びかねないと思われていた。あくまで自然の一部であり、自身の力であるとは考えていなかったようだ。アトランティス後期には力は失われた前述してきた内容は、どれもアトランティスの初期〜中期くらいまでであり、後期になると記憶力よりも「思考力」が発達した人間が増えてきたという。初期の頃はまだ自然に対して謙虚であり自然と調和して暮らしていたが、中期以降になると徐々に力を乱用する人間が増えてきて、「思考力」が少ない分、自制がきかず利己的で力を誇示する人間が増えてきた。権力を持つ人間が現れ、勢力をふるい、名誉欲がむき出しになり力の乱用が始まる。勝手気ままな人間が増え文明に危機が訪れるなかで、そうした欲望を自制する「思考力」の備わった人間が増え始めた。体験内容を「記憶」するだけではなく「比較」し考えることによって「思考力」が発達した新人種は、現代の我々のルーツであるという。我々は「外部の自然力を操る力」は失われたが、「内部の思考を操る力」を得た。ということだ。このように現代のなかから、古代アトランティス時代由来の思考力を超える莫大な記憶力を前世の記憶から思い出し、新しい道徳的思考力により、自己のなかにバランス統合し、アカシックレコードを体現していくことが、次の新人類の指導者となっていく現代の秘儀参入者の立場とその役割のようである。次のサイトからもわかるように、現代人の利己的思考力によるバベルの塔の崩壊はいまはじまりつつある。現代の人類の課題が以下のサイトには書かれているので最後に抜粋紹介する。文化は流れて東へ西へ|BOUNDHEAD現在のゲルマン&アングロ=サクソン文化(唯物論的機械崇拝文化)は上の絵を見ても分かるように、ある一定の頂点に達したら方向を東へ変えてしまう。そしてシュタイナーによるとロシア人と東アジア人が霊(精神)の文化の担い手になっていくということだ。第六文化期の2160年である。そしてまた2160年たつと時代の主流は、海を渡ってアメリカ大陸へ移動するが、この第七文化はちょうどアトランティス時代の第七人種が「アトランティス時代に引導を渡した」ように、ユーラシア時代に引導を渡すことになる。そうすると、天から「ご破算で願いましては」と掛け声がかかり、レムリア時代やアトランティス時代がそうであったように、海上に出て人類の活動場所を提供する大陸が入れ替わり、人類は新たな目標、時代精神のもとで精進させられる時代が来るというわけである。第七文化期が終る頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。その変化は、アトランティス期から後アトランティスへの過程で生じた大変動に匹敵するものとなろう。(神秘学概論-文庫版P421)もし現代人が第二次世界大戦の渦中に『幼女戦記』のように「転生」させられたら、どうだろう? その状況の悲惨さは今日どころの話ではない。だれもが「今は黙示録の時代に違いない」と嘆き、世界中のキリスト教徒たちが、現代のキリスト教徒たちのように「世界の滅亡は近い」と思ったはずである。そのはずなのだが、そういう「歴史の証言」を聞いたことがない。イスラエルが再興されていなかったからだろうか?当時の人々は「地球滅亡の心配なんぞ何のその、皆、やる気満々だった」。あの時代こそ今よりもずっと「死の象徴に満ちていた時代」だったし、現実にも人の大量死が現代の比ではなかった時代だった。現代は「うっかり八兵衛商会」と「トム・ソーヤー商法」が人類の精神生活を牛耳っている時代だから(「現代人は互いに悪徳商人になる傾向を持っています」とシュタイナー)、すっかり精神がヤワになった今日の人類は大騒ぎをする、と言うこともできそうだ。ちなみにシュタイナーによれば、ヨハネの黙示録に言うところの「新エルサレム」というのは、さらに遠い未来の木星紀のことである。
2025年06月26日
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巷は夏近くになり、インバウンドや海外旅行で忙しくなる季節の到来だが、ネットではフーテンの寅を満喫できるが、実際の海外旅行といえば、覚醒時に、約20年前に行った米国西海岸旅行が唯一で、当時は大学受験の英語力しかなかったので、旅行を誘われた帰国子女に英会話を頼り切りで、話される英語が早すぎて、日本語では早口言葉のように聴こえ、とにかくリスニング能力のなさに孤島に取り残された思いで、なんとも情けなかった記憶がある。高校時代に洋楽に慣れ親しんでいたとはいえ、実際の会話はスラングがほとんどでついていけずに、特に西海岸はヒスパニック系の人種のるつぼで、地域ごとに言葉が異なり、英語よりもスペイン語のほうが日常語のような印象を受けた。ほとんど定番の観光地にしか行かなかったが、ロサンゼルスのダウンタウンの夜はサイレンが鳴りっぱなしで、それなりに怖い想いはした。ホームレスがモニュメントのように決まった通りにいて、ロサンゼルスの風景に馴染んでいたのがいまも記憶に残っている。車移動が当たり前の社会なのか、歩行者がほとんどいないのには面食らった。大学受験レベルの英語力でも、専門用語の辞書さえあれば、英語論文を読むのには、専門分野の慣習から何とか対応できるが、多様で自由な日常の生活会話にはほとんど通用しないのがわかるので、昨今はネイティヴな英会話教育が重んじられているようだが、代わりに、日本語のネイティヴさ、方言が通用しなくなっているのはどうなのだろうか?と考えてしまうが、それも異文化コミュニケーションの時代の流れなのかもしれない。このように唯一の海外旅行は、ほとんど何の英語力の向上にもならなかったが、やたらと「クール」という表現が使われていたのが、記憶に残っている。やたら「クール」が使われるので、そんなに「寒い」のかと当初は思っていたのだが、帰国子女に聞くと、「いけてる」という意味とわかったが、何が「いけてる」のか、その感覚がわからないので、ほとんど意味がわからなかった。日本では、クールな性格といえば、冷めた性格で、仲間意識の乏しい、温情のない奴ととられがちだが、トムクルーズで有名な映画「トップガン」には、仇名のようなアイスマンといわれるライバル役がでていたが、「どんな時も氷のように冷静で敵の失策を突くという意味合いでのネーミング。」で、冷めた、というよりは、常に慌てず冷静なのに、重きを置いている表現なのがわかる。ちなみに、トムクルーズが演じた主人公マーヴェリックは、「焼印を押されていない所有者のわからない野生の子牛という単語ですが、ここから転じて、はぐれ者や一匹狼を指す言葉(代名詞)になりました。」という意味をもつらしい。いずれにしても、日本では、あまりいい意味には使えないのがわかり、西洋と東洋の違いともいえるかもしれない。【クールとは?】広告用語集「クール」という言葉は、もともとは英語で「冷静」や「冷たい」といった意味を持つ単語ですが、20世紀初頭からアメリカのジャズ文化やビートニク文化の中で、「落ち着いていて、かつスタイリッシュ」という意味で使われ始めました。特に1950年代から1960年代にかけて、若者文化の中で「クール」という言葉は、自分たちの個性やライフスタイルを表現するための重要な概念として浸透しました。マーヴェリック、アイスマン…『トップガン』キャラの“コールサイン”って何? 邦画では「ゴクウ」も - (2) | 乗りものニュースほぼ2週間にわたる人生唯一の海外旅行は、快適、ストレス解消というよりは珍道中のような感じで、毎日何らかのトラブルに見舞われた。快適でストレスを解消したいのなら、国内旅行を選ぶべきかもしれない。特に沖縄はおススメである。それでも、米国西海岸の自由な雰囲気が経験できたのは良かった。しかし、米国では、とにかく金銭が生活の糧なのは観光だけでも容易にわかった。金銭が自由の獲得を意味していた。特にラスベガスはその傾向が顕著だった。ラスベガスが守銭奴の街のようにみえた。だから米国人は自由に暮らしたいために金銭を稼ぐのである。トランプをみればわかるが、カネのないやつは米国から出て行け、というような白人悪魔の象徴的な存在である。このことから、トランプの次の転生は有色人種に生まれるカルマをもつだろう。日本も米国のATMでなければ、相手にされないのだろう。恐らく、日米交渉をみても、石破では、同じ人類とはみなしていないかもしれない。同じ政党内でも、背後から弾を撃つような人物といわれ、この石破非人類説については、知的水準からも同じ人類の合格点には達していないようにみえる。息をするように嘘をつくと暗殺された安倍元総理は批判されたが、それに輪をかけて、痴呆症のように嘘をつくのが石破総理の特徴といえるだろう。発言を倍速で聞きたいとか、CPUクロック数が数世代古いとか、巷の某コメンテーターにはいわれているが、もはや思考力のない、財務省に言われた通りに、「財源がない」と同じ溝を繰り返し再生するレコード盤でしかないだろう。石破だけでなく、ほとんどの国が、このような自己顕示欲や名誉欲や承認欲旺盛な人物に人類のほとんどが支配されているかと思うと人類の低レベルさに呆れ果ててしまう。巷の国際社会をみれば、物質科学を赤ん坊の玩具のように使って戦争をするような非人類的行為で支配欲を満たす、独裁悪魔のような連中によって、人類の進化が妨げられているのがよくわかる。そんなに戦いたければ、どこかの島で、個人同士で格闘すればいい。こんな連中に関わりあう多くの人類には迷惑千万な話である。なんでこんな人たちが国の指導者になってしまっているか、といえば、以前紹介したシュタイナーの「職業のカルマと未来」で述べている次のダーウィン主義のせいなのがわかる。■「公職・官職」より ダーウィンの進化説は物質界では正しいのですが、他の特に精神の世界をも唯物的に解釈して、ヘッケルの弟子オスカー・ヘルトヴィヒが、強く主張した「最良のものへの自然淘汰」のような生命の教えが現れた、のが現代の特徴です。このような教えが現れた時代には、他の時代の生活に比べて、まさに最悪のものが選び出されてしまいます。 厭世家のように今の時代を非難し、古き良き時代を引き合いに出す必要はありません。「最良のものへの自然淘汰という教え」を人間は自慢しています。しかし、この教えを自慢する時代は、実際には、最も重要な地位に最悪の人物を選ぶ、という傾向に支配されているのです。この「最良のものへの自然淘汰という教え」を自慢している現代人が、実際には、最も重要な地位に最悪の人物を選ぶ、という傾向に支配されているのは、人間の脳で考える知的水準が低いからである。この現代人の知的水準の低さがどこからくるのかを、実は、シュタイナーはアカシャ年代記から読み解いている。このような低レベルのソクラテスの無知を地で行くような回り道を人類がしなければいけなくなったのは、急がば回れの、意識的に自由を獲得するための、深い理由が隠されている。自由を人類に与えたのは悪魔の堕天使だからである。自由を獲得するには、神々から離れる必要があったからである。高いところから低いところに落ちないといけない。そして、現代人が知的水準の低さを認識できないのは、高次の宇宙人や神の存在が認識できないほど、低水準だからである。かつては神々のお蔭で高いところにいた人類がそれを忘れて、いまだにプライドだけは一人前で、自分たち人間が最も知的水準が高いと自惚れているので、宇宙人も神々も人間のような存在と思い込んで自惚れている。しかし、高いところから低いところは見渡せるが、低いところからは、高いのを見上げるには認識の限界がある。ただ単に低水準にいる人類のようなのが、物質界に目隠しされ、周囲に見当たらないだけの話で、現代の物質界は、いわば、最も賢いと思っている自惚れ現代人の低水準の腦による低水準の椅子取りゲームにすぎない。いずれも低レベルだが、西洋人はどちらかというと、情熱よりも冷静なクールな椅子取りを好むが、東洋人は冷静よりも情熱のアグレッシブな椅子取りを好む違いがあるのかもしれない。この東洋人と西洋人の違いが、古くはレムリア時代とアトランティス時代の違いに端を発しているのを、機会があれば紹介してみたい。さて、先日、地上波でネアンデルタールとホモサピエンスの違いを現代解剖学から考察していたのをみたが、その考察については、現代人が過去せいぜい数千年前の物質的な史料や資料に基づいた時間的範囲での物質的な割合についての物質的考察に基づいた検証にすぎない。非常に低レベルな比較といえるが、それでも主に外見的に大まかな違いがみつかるが、それだけが全てではないのは明らかである。そもそも永遠に生きている宇宙の真実が、時間を与えられ、断片的にわかれて変化する時間に依存する事実となっている点で、それを低水準で認識する人類にとっては、真実とは程遠い一断片の些末な事実にすぎない。だからして、どんな歴史上の出来事も現代人の基準から想定したものにすぎない。その一断片の事実で、例えば、ネアンデルタール人が絶滅した、というのも大きな間違いである。現代人が、ネアンデルタール人という形態の痕跡を見失っただけである。日頃みかけなくなったというだけで、自分たちの世界の環境には生息しなくなっただけのことかもしれない。現にDNA解析では「ホモ・サピエンス発祥の土地であるアフリカ以外の地域に住む人類のDNAの最大4%は、ネアンデルタール人のDNAに遡ることができる」のがわかっているわけで、ただ大多数がホモサピエンスの肉体の外見をもつような認識を獲得しているだけにすぎない。アタマにかけたメガネを忘れてメガネがみつからない、といっているだけなのかもしれない。このように昔は見えた存在が、いまは見えなくなったからといって絶滅したというのは人類の観測範囲が狭まったせいとも考えられる。つまり、現代人の目が曇っているだけで、ただ外見のルッキズムで判断しているにすぎない。そのルッキズムは、現代の一時的な時間に依存する価値観からの鑑定なので、いずれ人類の知的水準が高くなれば、時間的に訂正される性質のものである。また、ルッキズムでも例えば、脳の形の比較から、ネアンデルタール人は後頭部が発達し、ホモサピエンスは小脳が発達しているのが解剖学からわかり、脳の構造からすれば、ネアンデルタール人の視覚野が広く、ホモサピエンスの論理力が優れているのが類推できるが、その意味は恐らく、現代人の物質科学では解き明かせないだろう。そこが、現代科学の低レベルの後追い思考の時間的制約や限界だからである。ネアンデルタール人、なぜ絶滅? どんなヒトだったのか - 日本経済新聞ネアンデルタール人の脳「再現」したら、現代人より神経細胞少なく…絶滅した謎の解明も : 読売新聞この低レベルな違いのなかでも、この脳の比較のなかに、ネアンデルタール人が、ホモサピエンスがみていない領域をみていたのがわかり、その不足分を補うために、ホモサピエンスが、論理力の発展を用いて、外界を言葉で表現するようになったのが、大まかにわかる。つまり、失われた視覚構成力から、言語構成力が生まれたのが、漠然とわかるのは、古代アトランティス時代との現代との比較の関係からなのである。このような物質的構造の変化から直接わからない事実を解き明かすのが人智学によるアカシャ年代記を読み解いた古代アトランティス時代の人類史なのである。人類史のなかに、失われた霊視力と新たに獲得された論理力から生まれた思考力への変化が隠され、それが物質的な脳の構造にも現れているのがわかる。そのために宇宙が共同して、新しい人類をつくるために、素粒子を宇宙線として地球に送って、遺伝子変異などを誘発しているのが、例えば、TBX1遺伝子の発現を調節するゲノムの変化という物的証拠としてわかる。そしてまた、この現代人がもつ低レベルな思考力を、より高水準にして、ソクラテスの無知の知のように、再び霊能力を獲得し、高次の宇宙人たちと交信をはじめられるようになれば、個人の人生の意味や、輪廻転生のカルマの個人的課題などが具体的に解き明かされるようになるだろう。そして、そのときに、自分のなかの、単なるエゴの物質を発光させるルシファー遺伝子を、無償の愛にまで高め、マナスの霊光を発するキリスト遺伝子となるべく発現を調節するゲノムの変化を認識できるようになるだろう。そのときの人間は、もはや輪廻転生を必要としない永遠不滅の自由な愛の天使となっているだろう。そのときの人間は、過去に超人であったように、未来永劫に超人となっているだろう。しかし、現代人のほとんどは、ニーチェが説いた金髪の野獣に成り下がっている。トランプのような人物は、金髪の野獣の象徴とさえいえるかもしれない。対する中国、ロシアも同じような金髪ではないが、野獣の象徴である。このような悪魔が現世に出現してくる現代は、古代アトランティス時代の原セム文化期にはじまった思考力を継承したポストアトランティス時代の物質界に適合するために、15世紀以来のいまに続くアーリア文化期の思考力の利己的な欲求が過渡期にあるのを人類史として明かしている。そして、今度はエピメテウスの後から考える、思考力の腦を捨てて、人類に火を与えた発明の先に考えるプロメテウスの黎明期であるのがわかる。古代アトランティス時代からポストアトランティス時代へと、大自然を操る霊能力を民族的に利用し、民族同士が戦い、退廃し大破局を招き、それを失った代わりに、現代につながる思考力を獲得した流れが読み取れる。しかし、また今度は物質界についての思考力を利己的に利用し、同じ大破局へと物質科学により導こうとしている。だからいま、従来の思考力を、新しい霊能力への転換に導く必要がある。そのために前世を記憶する人類が生まれてくるのが、シュタイナーにより預言されている。新人類は、高次の宇宙人や神々と交信できる超能力をもつ人間となっていくのだろう。古くなった思考力を捨てて、新しい再生された霊能力を獲得する人間が生まれてくるだろう。ソクラテスの無知の知が体現する時代となるのかもしれない。というのも、人類に思考力が与えられたのは、高次の宇宙人や神々を認識するためなのだから。【シュタイナー】魂の三位一体構造について~感覚魂・悟性魂・意識魂~ | Noos Eggsoutline■アトランティス時代・アトランティス大陸は現在の大西洋の位置にあった。・アトランティス人は、卓越した記憶力をもっていて、太古の叡智の記憶に基づいて巨大な文明を築いた。・彼らは、植物の生命力を利用した飛行機も持っていた。・アトランティス時代になってはじめて人間は言葉を使うことができるようになった。・アトランティス大陸には、土星神託、木星神託、火星神託、ヴルカン神託、水星神託金星神託があって、それらを統合する太陽神託があった。その太陽神託の指導者は、ヌ(ノア)という人物であった。・やがて、アトランティス人は、その文明のなかに溺れ権力的になっていった。・マヌは文明に毒されていない素朴な人々を集めて、アイルランドからヨーロッパを経て、ゴビ砂漠に向かった。・アトランティスの文明を洪水が襲い、海中に沈めた。■以降、以下の文化期を経て、現代の第5文化期にいたり、さらに人類は次の文化期に移ることになる。◆インド文化期/BC7227-5067 ・エーテル体の文化の時代 ・マヌは、7人の人物を選び出し、彼らにアトランティスの土星神託、木星神託、火星神託、ヴルカン星神託、水星神託、金星神託、太陽神託のそれぞれの叡智を担わせた。その7人がインドの7人の神仙(リシ)と呼ばれる人たちである。彼らは、宇宙の彼方に存在するヴィシュヴァカルマン神について語り、彼らの語った叡智の余韻は「ヴェーダ」の中に残っている。 ・春分点は蟹座に位置し、人々は霊会に眼差しをむけ、彼らの目には物質界は、幻影(マーヤー)と映った。◆ペルシア文化期/BC5067-2907 ・アストラル体の文化の時代 ・マヌは、7人の仙人の他に特別の弟子を一人もっていた。この弟子は後にゾロアスターとして再受肉し、ペルシア文化を建設した。彼は、光の神アフラ・マズダを人々に説き、アフラ・マズダに対抗する悪魔アーリマンのことを語った。 ・春分点は双子座に位置し、人々は地上への働きかけを開始した。 ・ゾロアスターは、自分のアストラル体をヘルメスに、エーテル体をモーゼに与えた。ヘルメスはゾロアスターのアストラル体を通して宇宙空間についての叡智を獲得しモーゼはゾロアスターのエーテル体を通して宇宙の歴史についての知を得て、「旧約聖書」の「創世紀」を書いた。◆エジプト文化期/BC2907-747 ・感覚魂の文化の時代 ・ヘルメスがエジプト文化を築いてゆく。 ・密儀の文化が開花し、オシリス、イシス、ホルスの親子神が崇拝された。 ・春分点は雄牛座に位置し、人々は星界の法則に基づいて地上社会を建設しようとした。 ◆ギリシア文化期/BC747-AD1413 ・悟性魂の文化の時代 ・ギリシャ文化は純人間的な文化であり、哲学、芸術美しい果実をもたらした。 ・春分点は牡羊座に位置し、人々はプルートー、ポセイドン、ゼウスが活躍する神話を愛し、アポロン、ディオニュソスを崇拝した。老熟した地上の叡智と若々しい宇宙的な霊力という2つの流れは、プラトンとアリストテレスの二人によって代表された。◆第5(アーリア)文化期/1413-3573 ・意識魂の文化の時代 ・ルネサンス時代を境として、人類は新しい時代に足を踏みいれた。 ・ギリシャ文化を鏡とするかのように、今日の新しい時代はエジプト文化を反映している。エジプト文化期のカルマが近代・現代のなかに反映している。エジプト時代のミイラへの情熱が、現代の唯物主義の隆盛とカルマ的に結びついている。◆第6文化期 ・霊我の文化の時代◆第7文化期 ・生命霊の文化の時代かつて古代アトランティス時代の、行き過ぎたアグレッシブな霊能力を抑制するために、人類にはクールな思考力が与えられた。しかし、今度はクールな思考力が行き過ぎて、ポストアトランティス時代では、アグレッシブな利己的な思考力となっている現在において、その抑制となる、今度はクールな霊能力が必要とされている。過ぎたるは、なお及ばざるが如し、なのである。故事百選人智学が人類史から隠されたクールな霊能力をいま現代人に提示するときなのかもしれない。
2025年06月24日
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スペースオペラと呼ばれる映画スターウォーズには、神話の要素が散りばめられているのに気が付くが、ジョージルーカスがその要素をどこから取り入れたのかググると、ジョーゼフキャンベルという人物に辿り着く。以下のウイキからわかるが、彼の神話の要素は、ネイティブアメリカンの神話にあるのがわかる。スペースオペラ - Wikipediaジョージ・ルーカス - Wikipediaジョーゼフ・キャンベル - Wikipediaキャンベルは幼い頃、父親に連れて行ってもらったニューヨークのアメリカ自然史博物館で展示されていたネイティブ・アメリカンの工芸品を見てからというものすっかりネイティブ・アメリカンの文化に魅了された。ネイティブ・アメリカンの社会について様々な側面から精通するようになり、とくにネイティブ・アメリカンの神話について詳しく知るようになった。この事がキャンベルの生涯を通しての神話への情熱となり、かけ離れた文化の神話の中に存在するわずかな共通点を見出していくという彼の研究へのきっかけとなった。ネイティブアメリカンの伝説『アメリカ・インディアンの神話』 | Wind Walkerそこでキャンベルから、ネイティブ・アメリカンの神話についてググると、上のサイトに出くわす。この神話の要素がスターウォーズにどれくらい取り入れられたかはまだ不勉強なのでほとんどわからないが、前回再紹介したツランの話から、大体次のような展開が思い描ける。人類が高次の宇宙人の神から離れて、霊能力という交信能力を失い、自由に個人で善悪を判断できるような脳を獲得してから、地上での生活の欲望に駆られていき、潜在意識の霊能力の代わりに、地上の覚醒意識で、個人的に判断するようになり、ついには、低次の堕落した天使の悪霊たちだけと交信するようになって、地上の支配を考えるようになっていき、ついには、悪霊たちの欲望のままに、一回の地上の生だけしか見えなくなってしまった、という感じになるかもしれない。つまり、スターウォーズに準えると、いまの人類は、ダースシディアスやダースベイダーなど、戦うことでしか、自己顕示欲を示せずに、地上に飽くなき支配権を拡大していくことしかアタマになく、その宇宙から閉ざされたアタマの脳のなかで、地上での経験を後追いで考えることでしか知性を獲得できない、将来を見通せない低次な知性体に失楽してしまった、という段階にあり、これがまさしくソクラテスの説く無知の状態に置かれている、ということなのである。つまり、神、または高次の宇宙人たちとの交信法である、失った霊能力を再び獲得するために、地上で霊魂を清める修行を続けている最中といえるわけなんだろう。早い話、自分のなかで欲望として現れる悪を、地上での経験から、自分で取り除いていくのが、いまの人類の修行の課題なのである。さて、当初は、信長のドクロ杯の逸話から、ドルイドの話を展開しようと思ったのだが、スキタイからツランの遊牧民を経て、この日本に、ドルイドの文化が流れてきた経緯を知りたいので、余談話が多くなってしまった。つまり、急がば回れで、話の流れを展開したのだが、色々と回ったために、スキタイが、スキティアノスに由来するのがわかって、棚から牡丹餅となった。スキタイ - Wikipediaスキティアノスをググると、以下のサイトがでてくる。どれもシュタイナーの人智学に絡む話なのがわかる。残念ながら、ウイキにはみつからなかった。物質界の記録しか読めない、この辺りがウイキの限界だろう。第二章 ■四■ マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ ④ | 地球の救い方 ルドルフ・シュタイナーの人智学に学ぶミトラ教研究.近代エソテリシズム概論6:東方ミトラ教とシュタイナー人智学『赦しの隠された意味』の紹介コロナ・ワクチンー霊的観点から ① - k-lazaro’s note「薔薇十字団」の謎第2章-4上述のサイトからスキティアノスの簡単な説明を抜粋し意訳する。スキティアノス: 「古代アトランティス時代の人類は霊視力をもっており、神の高次の叡智を見ることができました。しかし、この霊視力はそれ以上発達できず、西洋人は霊視力を失ってゆかねばなりませんでした。霊視力は当時、世間から隠れ生きていた人物に管理されていました。この偉大な秘儀参入者が弟子たちと共に世間から隠れて、後の時代のために保管していたのです。この高次の秘儀参入者、肉体の秘密を伝える古代アトランティスの太古の叡智の保持者は、中世初期になって、スキティアノスという名前で知られました。ヨーロッパの秘儀の本質を知っている者は、スキティアノスという名前が地上の最高の秘儀参入者を指すものである、のを知っています。」シュタイナーの霊視によると、このスキティアノスが4つの書「秘儀」、「管理」、「福音」、「宝物」を残し、弟子のテレビントゥスが、ある寡婦の夫人を通じて、ミトラ教に精通していたマニに、その4つの書物を手渡し、マニはその書物から叡智を引き出して、マニ教をつくったらしい。上のサイトにも紹介されているので抜粋する。そして、マニ教は、現代の悪を救う、新しいキリスト教になると、シュタイナーは預言している。第2章-4(二)「寡婦の息子」と呼ばれたマニとオシリスとイシスの秘密 シュタイナーの講義におけるマニ教の概要を記すと、おおよそ次のようになります。 西アジアの地方の博識な商人が、四巻の著作をペルシア人の夫人に託して他界してしまいます。それによって寡婦(かふ:未亡人)となった夫人は、身代金を払って自由にしてやった奴隷に、こられの著作を残すのですが、その奴隷が、マニであったというのです。また、マニはミトラ教の秘儀も伝授されており、こうした経緯から宗教活動をはじめることになります。 当時、人はマニを 「寡婦の息子」 と呼び、マニの信者を 「寡婦の子たち」 と呼んでいたといいます。 さらに、マニ自身は自らをヨハネ福音書の助け主(聖霊)を意味する「パレクレート」と名付けたとしています。 このパレクレートとは、新約聖書ではヨハネ福音書・第十六章で、キリストが遣わす弁護者のことであり、「父上から遣わされた者」という意味もあるとされています。 博識な商人(四巻の著作を残して他界)= スキティアノス ↓ 商人の妻(寡婦となり、奴隷に夫の著作を託す) ↓ 寡婦の奴隷 → マニ自身 → 寡婦の息子 マニの信者 → 寡婦の子たちシュタイナーは、マニが「寡婦の息子」と呼ばれたことには、霊的に深く重要な意味が秘められているとして、次のように語っています。 「秘教において、魂は『母』と呼ばれました。指導者は『父』です。父と母、オシリスとイシスは、魂の中にある二つの力です。直接に流れ込む神的な指導者は、オシリス、すなわち父です。 魂であるイシスは妊娠し、神的指導霊(自我)をみごもります。彼女は母です。 さて、第五根幹人類期の間に、父は退きます。魂は寡婦になります。寡婦になるべきだったのです。人類は自分自身(自我)に頼らざるをえないのです。人類は自己の魂のなかに、自分自身を導くための、真実の光を求めなければなりません。魂すべては、以前から女性として象徴化されてきました。 ですから、この魂―――今日はまだ萌芽の状態にあり、やがて完全に成長するもの―――、この自分自身を指導する魂は、もはや神的な配偶者をもっていません。それでマニは『寡婦の子』と呼ばれたのです。そして彼も自分自身を『寡婦の息子』と呼びました。」 (神殿伝説と黄金伝説) シュタイナーは、こうしたマニの思想を人類の未来(第六根幹人類期)を準備するためのものであったとしています。しかし、それは当時のキリスト教にとっては受け入れ難いことであり、そのためにアウグスティヌスによってマニ教は弾圧され、マニ自身も処刑されたのです。 魂の指導者 → 父・オシリス → 第五根幹人類期の間退く魂自身 → 母・イシス → 夫(指導者)を失って寡婦となる → 人間は寡婦の子(指導者を失った魂)となる → 自ら真実の光を求めなければならない(三)シュタイナーが語ったマニ教の本質 マニの教えは、光神に闇の神が反抗する、という経緯を語っており、その意味では先にご紹介したミトラ神話に類似しています。 しかし、シュタイナーはマニ教ではこの世の起源は光の国の霊が自らの国の一部を取って、闇の物質の国に混ぜたことに起因するとしています。そして、この光の国の霊が闇の中に光を混ぜたことは、闇の国の悪霊にとっては、光の国を侵略しようとしたことによって生じた「マイナスのカルマを清算する目的」を兼ねているというのです。 それによって、闇の世界は、その中に絶えず自分を消耗し、自分を破壊する芽を担うことになり、それに伴って生と死が生じた、としています。そして、人類はその闇を克服するために、光の国から善悪が混ぜられた国に送られる存在となったわけです。 シュタイナーはこのマニ教の物語について、次のようにも述べています。 「この物語の中に秘められている深い考えは、闇の国は光の国によって、罰されるのではなく、寛大さに浸透される、ということです。悪を追放するのではなく、悪と融和し、悪を転じるのです。光の一部が悪の中に入ることで、悪が罪を認め、克服されるのです。」 マニ教だけでなく、聖書においても、シュタイナーは、こうした悪への寛容について次のようにも述べています。 「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に目を向けてみましょう。この絵を前にすると、地球の意識を目のあたりにしているようです。この絵にはキリストが描かれています。 『最後の晩餐』の意味を理解するために、マタイ福音書の次の言葉を思い出しましょう。 『肉体の死を避けよう、と思えば、私が、できないことがあろうか。』(第二十六章・五十六) このとき、キリストは、肉体の死の回避を断念したのです。キリスト・イエスは、この断念を通して、裏切り者ユダを、自分の善の領域に招きました。ユダのなかに見える自我の欲望を、イエスのなかの、その断念に見るとき、私たちは宇宙進化のなかで、自我の欲望を断念した、その断念を本性とする霊我マニの存在、つまり指導霊の似姿(マナス)を見なければなりません。―神々が太陽紀に断念を通じて、敵対者(アーリマン)を生起させたように、キリストはユダを使徒に加えていなければ、避けられた肉体の死を、諦念として受け入れるのです。断念という行為が繰り返されるのです。キリストは十二使徒とともにあり、十二使徒の一人ユダが裏切り者として立ち上がるのです。 あたかも、それは、宇宙意識への反逆者の出現のようです。人類の進化にとって非常に価値のあるものを導入するために、キリストは、自らの敵対者を作る必要があったのです。」(薔薇十字会の神智学) このように、マニの教えは、悪に抗うのではなく、キリストが、ユダの裏切りを受け入れて、赦したように、悪を寛容し、受け入れて、自らのなかの善を高めることで、悪を克服するのを意図していたのです。 では、キリストが敵対者を作り、悪を受入れることで導入できる 「人類の進化にとって非常に価値のあるもの」 とは何でしょうか?それは、神の光という恩恵を受けながら、悪によって、自我に自由を与え、その自由のなかで、悪に対する寛大さ、つまり「愛」と「赦し」を学ぶことです。同時に、悪を克服し、「愛」と「赦し」を獲得できるまで、人間が、悪に抗うことで、無制限に悪に落ち込まないように、カルマの法則がある、といえます。(悪とは戦うことで、善には戦う選択はないから。善には無抵抗しかない。欲望がなければ、戦う必要がない。生命は不滅だから。戦うことは生命を有限にしてしまう。) シュタイナーは次のようにも述べています。 「自由がなければ、愛の行為が崇高にはなりません。無条件な愛の意識に従わねばならない存在は、まさにそれに従って生きています。自分勝手な振舞いのできる存在にとって、従わねばならぬ意識は、ただ愛だけなのです。自由と愛は、互いに結び合う絆の両極です。 私たちの宇宙のなかで愛が成就すべきであるなら、それは自由を通してのみ、すなわち、悪のルシファーを通してのみ可能なのです。そして同時にまた、人間の救済者であり、ルシファーの克服者でもあるキリストを通してのみ、自由と愛の結びつきが可能となるのです。」(霊的宇宙論・進化の目標) そうして、人間は善悪、正邪、美醜、真偽といった多様性を保持しながらも、自らの意志によって善悪を理解するようになり、自分の意志で善を愛し、道徳を重んじるようになり、最終的には善悪を超越した存在としての「大愛」なる神に近づいてゆく、と捉えることができます。 それでは、悪とは何なのか、と問うならば、シュタイナーは悪に対する認識を次のようにも語っています。 「ある時には非常に優れた善のものが、さらに自己を保持し続けるならば、それは硬化し、進歩を妨害しながら、善に反抗し、まもなく悪になってしまいます。 たとえば、月紀の指導的な意識が、その活動を排他的に行なうならば、その意識は、その後の発展にも介入し、そのことによって地球紀の進化のなかで、悪を現すようになるのです。そのように、悪は、停滞した神的な、指導的な意識の何ものでもありません。なぜなら、場違いな時の悪は、かつての時代では、完全なる意識、神的な指導的意識の表現だったからです。」 ここで「月紀の指導的な意識が、その活動を排他的に行なうならば……」というのは、月紀において運動霊ディナミスが、天空の戦いによって、太陽と月の霊に分裂した出来事を示しています。 これによって、月紀に、進化から取り残された霊が出現し、その霊が地球紀のレムリア時代から堕天使ルシファーという悪魔の働きをするようになったのです。同様にアーリマンも、進化から脱落し、太陽紀において堕天使となった存在なのです。 ディナミス(運動霊)以上のヒエラルキアにとっては、こうした堕天使に堕ちた悪の存在は、人間の自我を成長させ、愛と赦しによって真の自由を獲得させる存在であり、究極的には至善至愛の神意が秘められている、ともいえるのです。シュタイナーは神と悪の存在について、次のようにも語っているのです。 「神々が断念していなかったらなら、ルシファーは神々に反逆できなかったでしょう。――中略―― 悪の原因は悪魔側ではなく、神側にあるのです。神が断念を行うことではじめて、悪をもたらす霊が出現したのです。――中略―― 神々は悪を斥けませんでした。悪のみが人間に自由を与えられるのです。神々が悪を斥けていたなら、宇宙の進化は単調で、変化に乏しい停滞した、退屈なものになっていたでしょう。自由を賦与するために、神々は宇宙に悪を出現させねばなりませんでした。そして、悪を再び善に戻す最善の力を獲得しなければなりませんでした。この力は、自我のなかの、欲望の断念によってのみ得られるのです。」(薔薇十字会の神智学) そして、シュタイナーは、黙示録の講義のなかで、マニについて次のように語っています。 「いつか偉大な教育、霊能力再獲得の課題を果たすために、このようなマニの教えによって、前世において、魂を準備した者たちが、マニ教という精神性をもった弟子たちとして生まれてくるのです。 マニ教は、現代の地上では、誤って理解されています。マニ教について聞いたり、読んだりすると、紋切り型の中身のない話を聞くことになります。マニ教徒たちは、宇宙の初めから善と悪という二つの対立原理があった、と信じていた、というのです。そうではありません。 マニ教は未来において、悪を善に変えるためのものであり、マニ教の弟子たちは、将来の受肉において、その課題をなしとげることができるのです。マニはくりかえし地上に受肉する高次の人物であり、悪を改心させるために存在する人々の指導者なのです。人類の偉大な導師たちを語るとき、悪の改心という課題を担った、この人物を考えねばなりません。 現在では、霊についてほとんど理解されていないので、マニの原則は背後に引っ込んでいますが、精神のなかの、睡眠中の霊の生活についての理解が深まれば、この偉大なマニ教の原則を知り、マニ教は、新しいキリスト教として蘇り、多くの弟子たちを獲得していくでしょう。」(黙示録の秘密) この講義では、ポストアトランティス時代から、次の第六根幹人類期(木星紀)に移行するまでの間、霊的に善人が道徳性に貫かれ、悪人が内面的な悪を、外的な容貌として露呈させる時代が到来する、とも語られています。 さらに、マニとその弟子たちに代表される者たちは、この時代に「悪を善に改心させるための準備」をしている存在である、としているのです。このように、いまの第5(アーリア)文化期から、第6(スラブ)文化期、そして第7(アメリカ)文化期にわたって、地上では悪が猛威を振るうので、シュタイナーは万人による万人の戦いの時代と預言している。戦うこと自体が悪で、それによって、人間は、無限の愛や、永遠不滅の生命を、自分の欲望により、制限し、自分の生命を有限に限定し、自虐的に自滅していくことに気づくべきなのである。さて、ようやくドルイドの話を紹介する。キリストが降臨する前の、キリスト教になる前の、古代叡智の、神々との対話、つまり高次の宇宙人との交信法を伝承したのが、ドルイド教なのである。以下のウイキには、マニ教と同じようにほとんど歴史的経緯しか載っていない。ましてや、蛇の譲渡に際しての、ドクロ杯などは、人身御供と同じように、空想の産物のように扱われている。ドルイド - Wikipedia現代風にぶっちゃけていうなら、蛇の譲渡のドクロ杯の儀式とは、地上波のチャンネルをかえるのと同じように、宇宙に流れる多様な交信のチャンネルをかえるツールなのである。未成年がみないように、18 禁の指定をして、あまりに幼稚な地球人には、赤ん坊に核兵器やピストルを与えるようなものなので、自由を制限するために、誤ってチャンネルがかわらないように、ドクロ杯の儀式がある、といえるかもしれない。ドクロは脳の入れ物で、人類が両性具有だった古代レムリア時代にはなかったから、ドクロ杯で飲むとは、脳を捨てて、人間が両性具有になる、のを意味する。このことを、古代神話では、プロメテウス(先に考える者)で表現している。ちなみに、プロメテウスに開けるなと警告されたのに、パンドラの箱を開けてしまった、弟のエピメテウス(後で考える者)は、脳をもった現代人の覚醒意識を表わす。髑髏杯 - Wikipediaプロメーテウス - Wikipediaエピメーテウス - Wikipediaエピメテウスは、パンドラの箱を開けてしまい、その欲望に囚われてしまい、未来には、希望しか残らなくなった。だから、脳で考える覚醒意識には、未来を予見する能力はなく、希望だけしか残らない。というのも、人間に脳を与えたのは、ルシファーの自由の認識だからである。このようにギリシャ神話には、人類史が隠されている。というのも、人間が脳を持つ前は、神が単性生殖で生み出した神そっくりの複製の生命体だったからである。だから、神の命令どおりに生きる存在だった。コンピュータに例えるなら、メインフレームで、人間は神の端末だった。しかし、ルシファーがやってきて、メインフレームが、パソコンになったように、人間は神から分かれて、独立し、自由になった。信長のドクロ杯からドルイドの蛇の譲渡への紹介がどんどん脱線して、申し訳ないので、強引にドルイドに話を戻す。さて、ドルイド、もしくはドロイド、あるいはドロッドとは、「オーク(樫)の木」というギリシャ語の「ドルース」に由来するらしい。しかし、ゲール語の「魔術師、賢者」の意味をもつ「ドロイド」という説もあり、伝説のなかで、後にオーディンと呼ばれる、スキタイの王子ジッゲにより創設された、ともいわれている。しかし、とにかく地上からの記録ではほとんど不明で、古代アトランティス時代の霊能力を保管し、ポストアトランティス時代に引き継ぐために、後に地上でスキティアノスと呼ばれる人物を中心に、マニ教の原典となるべくスカンジナビアに設立されたホワイトロッジに端を発しているようである。ドルイドには有名な北欧のバルドルの神話が知られている。それは光の神のバルドル神が、宿り木によりロキ神に殺された話である。この神話は、秘儀参入法において、実際の体験を物語るものだという。バルドル - Wikipediaシュタイナーによると、このドルイド教の秘儀参入法と呼ばれる、霊能力獲得法は、「バルドルの死体探し」からはじまるという、バルドルは死んだ後も生き、この死体探しによって、人間がかつて霊能力をもっていた不死の存在だったのがわかるという。というのも、バルドルとは、霊能力を失う前の人間だからである。このかつてバルドルだった人間は、今日のように激しい欲望を味わうまでに物質のなかに下降せず、高次と低次の本性に分化することなく、いまの肉体よりも繊細で脆い液体のようなエーテルのなかに生きていたからである。だから、バルドルは光り輝く霊光の人間である。バルドルとは、いまの物質のなかに埋没していない人間で、それはいまでも、我々人間の自我のなかに生きているという。ドルイド教学徒の僧は、自分のなかに、このバルドルを、高次の人間を求める必要からはじまる。そして、人間が高次から低次へと失楽した理由を、身をもって体験し学んだという。つまり、秘儀参入法と呼ばれる、霊能力獲得法は、物質のなかに降りた人間を一連の経験を通して、再び高次の人間へと再び蘇生するものであるという。その経験である、高次人間の蘇生法、現代風にいうなら、高次の宇宙人との交信法の、第一段階は、「必然の王座」の前に導かれることにはじまるという。断崖絶壁の上に立ち、いかに自分の体が低次の自然界のなかにあるかを、身をもって知らされた。この低次の自然界とは、鉱物と植物なのだが、この鉱物と植物のなかに生きる精霊、つまり生命力を、現代人は経験できない。自然霊の体験を実感できない。だから、自然とコミュニケーションをとれない現代人は、大自然のなかで孤立し、避けることのできない、自然力の脅威のなかに、閉じ込められた状態にある。次の段階では、動物界のあらゆる存在の前に引き出される。激情や欲望から生じる感情全てが獣のようにうねり、渦巻くのを体験し、動物界の裏側を経験し、肉体という莢(さや)によって、それらの感情が、隠されている事実を知る必要がある。肉体が、それら獣のような恐ろしくおぞましい感情を覆い隠しているのを実際に体験する。そして次の第三段階では、大自然を観るように導かれた。大自然のなかには強大な力が潜み、隠されている。この段階を準備なしに体験するのは理解困難であるという。この大自然の強大な力とは、「宇宙魂」であり、「宇宙苦」なのだが、人間は、この強大な力を、自分自身の苦しみとして体験してこなかったという。さて、これら全ての体験を「真夜中の太陽をみる」と呼ばれる秘儀の第一段階とすると、次にこれまで話題として紹介してきた「蛇の譲渡」と呼ばれる秘儀の第二段階に導かれるという。この蛇の譲渡はタンタロスの伝説として明らかになっているという。神々に愛された者がその寵愛を悪用する。人間が人間の限界を超越することは、タンタロスの災いで知られるような危険をはらんでいる。日常の世界では、人間は自然法則には抗えないが、つまり物質界のなかにいるために、その束縛を受け、脳に従わざるを得ないが、本当の自然法則とは、叡智のなかにある。タンタロス - Wikipedia現代人の脳の思考、いわゆる受け身の思考の、後から考えるエピメテウスでは、つまり先に体験し、後でそれを再考し、理論づける限り、自然に従うしかないが、脳を捨てて、プロメテウスのように先に考えるようになれば、プロメテウスが人類に教えた火のように、人間がかつてもっていた創造的な、預言力を自由に駆使できる。だから、プロメテウスになれると、人間は魔術師になれる。しかし、同時に黒魔術も獲得するので、欲望のままに悪用する黒魔術師として、自らを崩壊させてしまう危険を孕んでしまう。この霊界での蛇の譲渡は、物質界での脊髄からの脳の形成と、同じ意味をもつ。蛇とは、物質界での脊髄と脳のことなのである。だから、蛇の譲渡とは、霊界で、脊髄から脳を作ることを意味する。物質的な欲望を捨てることで、霊の脳を獲得するために、霊の脊髄、背骨を与える試練の秘儀参入なのである。そして、次に、脳のくねりそのままの、迷宮のくねりへと霊的に導かれる。これは「迷宮の歩み」として知られている。秘儀参入者は、高次の霊界の迷宮へ入ることが赦される。次いで、秘儀参入者は、目の前に抜き身の剣が置かれ、沈黙を厳守する、という堅い誓いを立てる。ドルイド教では、祭司となった秘儀参入者は、剣の誓いのあとで、人間の頭蓋骨に注がれた、ある飲み物を飲まなければいけなかった。この儀式は、人間が人間を超えたことを意味する。このような感情を祭司は、低次の体の肉体に対して、ただの入れ物とみなせるほど、客観的に冷淡に感じる必要があった。太古のドルイド僧は人の生死を左右する、途方もない権力を手中に収めていたが、時と共に腐敗し、キリスト教が広まった時代には、その多くが退廃し、黒魔術が横行していたので、キリスト教がその救いとなった。このような秘儀参入法の経験は、肉体の死によって失われるが、一部は次の転生にまで持ち越される。そのような輪廻転生のフィルターを通して、黒魔術は淘汰され、ホンモノの真っ白な霊能力だけが、人類の進化を推し進める永遠不滅の生命力の原動力として残され、伝えられる。このようなスカンジナビアのホワイトロッジからはじまったドルイドの秘儀参入法は、紀元60年にキリスト教に土地を明け渡すまで続けられたという。さて、このような秘儀参入を、ポストアトランティス時代の人類史の流れから考えると、ゾロアスターの拝火教から、スキティアノスのドロイド教へと、善悪二元論が引き継がれ、やがてドロイド教が権威化するにつれて、心霊化してしまい、この流れを変えるために、キリストが降臨し、キリスト教へと導くが、ローマ帝国により、唯物化し、アウグスティヌスによりキリスト教も権威化してしまい、スキティアノスによりマニへと伝授され、ミトラ教とも融合し、マニ教となって、古代アトランティスの霊能力再獲得法として、密かに伝えられたが、ルシファー化したキリスト教により迫害を受けて、マニ教は廃れるが、後のサンジェルマン伯爵でもある、ローゼンクロイツにより、マニ教がフリーメーソンの薔薇十字のグラントリアンとして再生された、という感じかもしれない。そして更に将来は、神智学や人智学により、フリーメーソンの薔薇十字のグラントリアンと、従来のキリスト教が融合されて、新しいキリスト教として、復活するのを、現代人でもあるエピメテウスは、希望をもって、現在の修行を行っている最中、ということになるのかもしれない。現代人のなかには、ルークスカイウォーカーの血が、スターウォーズのエンディングテーマ♪トゥートトトトとともに流れている。「王座の間」 スターウォーズエンドロール曲 ED曲 - YouTube
2025年06月19日
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このブログでは、何度となく、ソクラテスの無知の知を紹介してきたが、最近、巷に溢れる無知蒙昧の番組コメンテーターにはほとほと呆れ果ててしまう。人間が、この世に何を学びに来ているのか、まずはそれを読み解かないと何も始まらない。特に、東洋では、前回紹介したように、巡礼者として、自由な生活を学ぶためといえるだろう。特に、現代人は脳の思考から脱却しないと、この世に生きる意味を読み解くのは困難である。それは各個人の前世からのカルマに負うからである。ただ一つ言えることは、自分のなかから過ちを取り除くことが人生の課題である。自らの過ちは、自分で取り除かない限りは、誰も取り除いてはくれない。しかも、他人の飯には骨がある、という諺もある。人間は、あの世から、この世の世話になって暮らしているようなものである。だから、慢心というのが、全ての過ちの素なのである。他人の欠点はすぐわかるが、自分の欠点はほとんどわからない。だから、この国には、他人の振り見て我が振り直せ、という諺もある。他人の飯には骨がある | 会話で使えることわざ辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス“自己評価が高い人”ほど陥りがちな「心の罠」 | 企業実務サポートクラブ故事百選最近の巷のこの国の低レベルな政治をみていると、かつて古代アトランティス時代の人類を滅亡に追い込んだ、この国の先祖の増上慢というか、過信や思い上がりが、思いやられる。先の大戦すらも何の反省もないのが気にかかるところである。数百万人の国民を戦地で殺しながら、いまだに戦争が間違いでなかったと盲信し、開き直っている国粋主義者もいる。人間の霊魂が、この世に生まれてくるには、特定の地域と、民族や国を、前世の経験から選ばないといけない。多くは、前世のカルマを解消するために、前世において差別した民族や国を選んで生まれてくるわけである。だから、この国に生まれてくるのは、この国のなかのかつての過ちをみつけ、それを自分で取り除くために生まれてくる、といえるだろう。さて、前回は、この国の戦国時代のキリスト教との関係を、信長とジョルダーノブルーノとの比較から紹介した。そして、キリスト教による、両者の輪廻転生の否定から、ルシファーの権威主義を経て、唯物化して、宗教が心霊の虜となり、物質至上主義の、物質科学へと分かれていくのを、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から紹介した。そして、その際に、信長の有名なドクロ杯の逸話を紹介した。このドクロ杯だが、古くは、紀元前のスキタイの習俗にある、とウイキには解説されている。シュタイナーは、アカシャ年代記を読み解いて、その由来を明らかにしている。このドクロ杯は、霊能力を獲得するための2つ目の儀式の「蛇の譲渡」と呼ばれるものなのである。髑髏杯 - Wikipediaこのドクロ杯は、古くはドルイド教の秘儀に由来し、ドルイド教が、秘儀を忘れ、中世以降のキリスト教の慢心唯物化による腐敗と同じように衰退し、キリスト教に取って代わられた経緯を表している。このドクロ杯の儀式は、秘儀参入者を誤って地獄に堕とす可能性も秘めた儀式なのである。そして、このドクロ杯は、その慢心した唯物化による、悪魔による誘惑をよく示しているのを、約10年前に、このブログのツランについての紹介から、紹介したのだが、再度改めて紹介してみたい。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その6 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 宗教と古代東洋のルーツを調べていて、「ツラン民族」についてのシュタイナーの言葉が非常に興味深く思ったので、自分の言葉に置き換えてみた。ネットを調べていると、シュメールと関係深く、また日本人とも関わりが深いようである。 「ツラン(トゥーラーン)民族その1 高橋 巖:訳」の意訳 ヘブライ民族の使命を理解するには、人類全体の進化を、一層深く霊視しないといけない。著書『神秘学概論』や連続講義での話を、この場合、更に詳しく言及しないといけない。 少なくとも、古代アトランティス時代の破局(大洪水)後の顛末を、簡単に取り上げなければ、人類全体の進化について、ヘブライ民族の役割が正しく理解できない。古代アトランティス時代の破局が、後に、地上の状況に変化をもたらすようになったとき、当時古代アトランティス大陸に居住していた人々は、西から東へと移っていった。この移動には、大きな2つの流れ、北方の移動と、南方の移動がある。 従って、その大きな民族移動の1つは、北方のヨーロッパを通ってアジアにまで渡って行った。そして、カスピ海周辺の地域を考察すれば、この民族移動がどのような形で行われたかがほぼ理解できる。 一方、南方の別の流れは今日のアフリカを横断し、アジアで、2つの水流が衝突し合い渦となるように、この北方と南方の2つの流れが合流した。 その際、特に注目すべきなのは、古代アトランティスから東方へとつき動かされていった様々な民族の、或いは少なくとも、その主流に相当する霊魂の様子が、全体として、どのようだったか、ということである。 実際、ポスト(後)アトランティス時代のはじめの人々の霊魂の様子は、全体として、その後の人々、特に今日とは全く異なっていた。 移動した全民族において、当時の環境を霊視できる霊能力がまだ存在していた。当時の人は、霊的存在を、ある程度、見れ、現代人が物質として見ている存在を、霊的な形で見ていた。従って、当時の人々は見霊的な生活様式や、見霊的な魂をもつ人間だった。 しかし、特に重要なのは、ポストアトランティス時代の根源的な住民の見霊力が古代アトランティス時代の最盛期の見霊力とは異なっていた、ということにある。古代アトランティス時代の最盛期の人間に高度に存在していた見霊力は、純粋な形で霊界を見ていたので、霊界のその啓示の姿は、人間の魂にそのまま善を生じさせていた。当時、霊界に深く参入できた人は、それだけ善への寄与を深く得ていた。霊界を深く見れるほど、善への高次の意識を獲得していた。 しかし、古代アトランティス時代の大体3分の2が過ぎた頃、また特にその後のポストアトランティス時代になると、古代の見霊力の善なる側面は次第に消えていった。秘儀参入の場(神殿)で特別の修行をした人たち(秘儀参入者)だけが、古代アトランティス的な見霊力の善なる側面を保持していた。 対照的に、自然の有性生殖(遺伝的)の形で、古代アトランティスの見霊力を受け継いだ人たちには、誘惑の悪の力と遭遇するようになった。当時の人間の見霊力は、善なる力だけを見るのに十分な力強さを、保てなくなってしまった。 そして、ついには、人間には悪しき存在、すなわち誘惑する存在だけしか見れなくなった。ポストアトランティス時代の特定の居住地域には、善から全く離れた見霊形式が普及するようになった。見霊力自体が一種の誘惑者になった。 (スターウォーズでいえば、フォースの暗黒面に堕ち。ダースシディアス、ダースベイダーの誕生だろう。どうやらシュタイナーの霊視によれば、当時の中国やそこからわかれたいまの日本が、このツラン民族の一分枝らしい。だから、日本のオカルト研究家のなかには、このような事実から、人智学を差別する研究家もいる。しかし、正確にいうなら、この当時に、中国大陸に受肉し、前世をもつ霊魂のことで、現在の転生の中国人や日本人でないのは確かである。) 今日の人間が日常もつ感覚的な知覚力(覚醒意識)は、古代の見霊力の衰退と結びつき、次第に発達してきた。 (ジェダイが衰退するとともに、悪の皇帝が出現する。ヨーダーはヨーガ「ヨガ」を類推させる。) ポストアトランティス時代の最初の人間(古代インド民族)が見ていた事物は、今日、現代人が日常の覚醒意識の、眼で見る魅惑的な事物のように、当時は全く誘惑的で刺激的ではなかった。なぜなら、魂の状態のなかに、誘惑されるような傾向が、まだ未発達で、存在しなかったからである。 今日の現代人なら、欲しくてたまらなくなるような外(物質)的な事物があっても、当時のポストアトランティス人はあまり関心がなく、惑わされずにいた。 しかし、古代とは劣る見霊力が覚醒したとき、当時の人間の心を激しく揺さぶった。霊界の善なる側面を見ることがほとんどなくなり、ルシファー的、アーリマン的な悪霊たちが、強い力で働きかけた。 従って、当時の人間(北方のツラン民族)は、誘惑者、欺瞞者となり得るような働きだけを、見霊力により体験した。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その7 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「ツラン(トゥーラーン)民族その2 高橋 巖:訳」の意訳 さて、古代アトランティス大陸没落後に東へと渡っていった人々は、様々な進化の過程を辿った。その進化を辿る人間は、東へ向かう程、より道徳的になり、霊的に高次になった。そして、外界は、新しい世界として益々はっきりと眼前に現れてきた。 外界は益々偉大な、壮麗なる存在として人間に働きかけるようになった。この傾向は、東へ移る程、益々強くなった。 特に、上記のような傾向を強くもっていた民族は、例えば、今日(1910年)のインドよりも北方のカスピ海やオクソス川、ヤクサルテス川に至るまでの地域に居住していた民族だった。 このアジア中央部には、後に様々な方向へと移住していった民族の源流となる集団が居住していた。その民族集団は、人智学者が、しばしば見霊認識に基づいて語ってきた古代インド民族の源流でもあった。 アジア中央部の、この民族の大集団のある一部の民族においては、古代アトランティス大陸の没落後まもなく、没落の過程で、既に外なる現実(物質)界に対する感覚が非常に強度に発達していた。しかし、この民族の場合でも、この地域に生まれた人の心には、かつて古代アトランティス世界で体験してきた前世の思い出が、一種の記憶の認識として生きていた。 後にインドヘと下りていった民族のある集団には、この傾向が特に顕著に現れていた。この民族集団は、外界の素晴らしさを非常によく理解し、外に対する知覚内容の観察にかけては、最も進歩していたが、同時に古代アトランティス時代の霊的な知覚内容も強く前世の思い出として残っていた。 従って、この民族には、前世として思い出せる霊界への見霊意識が強く発達していた。霊界の中への参入が容易である一方で、外的な感覚を示す存在はマーヤ(幻)であり、幻想である、という感情を合わせもっていた。 従って、特別に外界を観察するのではなく、古代アトランティス時代に直接霊界から得た前世の記憶に、到達するために、ヨーガという人工的な見霊開発方法などを駆使した。 外界をマーヤ、もしくは幻想と観じ、代わりに霊的な存在に到ろうとする意識だけを発達させる特質は、古代インドより、北方の地域に移住する民族には、それ程、顕著ではなかった。その北方民族は、悲劇的な状況下にあった民族の集団で、歴史上は狭義のアーリア人と呼ばれるペルシア人、メディア人、バクトリア人など、様々な北方の民族のことである。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その8 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「ツラン(トゥーラーン)民族その3 高橋 巖:訳」の意訳 ペルシア人、メディア人、バクトリア人などは外(物質)的な感覚と知性を非常に発達させていたが、古代アトランティス人が生まれつき持っていた見霊力を、(古代インド人のように)一種のヨーガのような内的修行によって獲得しようとする意識は、それほどなかった。 これらの北方民族には前世の記憶力があまりなかったので、外界の幻想を認識により克服するために、太古の前世の思い出を、修行から、現世に置き換えて、明確にしようとはしなかった。 従って、古代インド人のような魂の様子(状態)は、これらの北方民族にはなかった。これらペルシア人、メディア人、バクトリア人等の北方民族に見られる魂の様子(状態)は、今日の言葉をかりれば、次のような感覚だった。 「かつて人間は、霊界のなかで、霊や魂などの存在を直観し、体験していたが、今、人間は、物質界のなかに移され、物質界を眼で見、脳と結びつく知性で理解する理性は、人間の内側だけにあるのではない。克服すべき対象は、人間の内側だけでは克服できない。内側だけで克服しようとしても、別段、特別な進化は起こらない。」 そしてまた、古代ペルシア人は、次のように語った。 「人間が地上に降下したときの変化は、人間だけに生じたのではない。自然を含む地上の全てが変化した。だから、人間が周囲の事物をそのままに放置すれば、全てが幻想で、マーヤ(幻)なのだから、人間だけが霊界へ上るのを願うだけでは不十分である。内面だけを変えた場合、自分は変わるが、周囲の世界全体が変わるわけではない。」 従って、古代インド人のように「外にはマーヤ(幻)が拡がっている。自分は、このマーヤを乗り超えて、霊界に到達する」とは、古代ペルシア人は考えなかった。 「人間は周囲の世界と結びついている。人間は周囲の世界の一分岐である。高度な神霊界から下りてきた人間のなかの神的な存在を変化させるのなら、人間の内部だけを、元の存在へと変えるだけでは許されない。周囲の世界も、元の存在へと変えなければならない。」 上記のことが、北方の民族(古代ペルシア人)に、世界を作り変える為の意識として、力強く働いた。 古代インド人は、「世界は堕落した。今、(周囲の)世界が示しているのはマーヤ(幻)である」と考えた。 北方の民族(古代ペルシア人)は、「確かに世界は堕落したが、人間が、世界を変化させて、再び霊的な存在にまで高めなければならない」、と考えた。 認識そのものを改善するのが、古代インド民族の基本的性格だった。感覚的知覚の内容を幻想、もしくはマーヤ(幻)と呼んだら、それでもう十分だった。 自然の中に存在する外的な存在を作り変えようとする意志や行動力や外に対するエネルギーが、ペルシア他の古代の北方民族の基本的性格だった。 「周囲の事物は神的存在から下降してきた。しかし、人間はそれらを再び、神的存在に導き、戻す使命を受けている」と、北方民族は語った。 基本的には、古代ペルシア(北方)民族のなかに既にある上記の性格が、秘儀を伝授された霊的な指導者たちの場合には、最高度に高められ、最大のエネルギーで充たされていた。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その9 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「ツラン(トゥーラーン)民族その4 高橋 巖:訳」の意訳 カスピ海の東側と南側で生じた事柄を完全に理解するなら、それよりも北側で生じた事柄、つまり今日(1910年頃)のシベリアにまで至るロシアと、境を接する様々な地域や、ヨーロッパにまで拡がる様々な地域で生じた事柄と比較する必要がある。 当時、カスピ海の東側と南側に居住していた民族は、太古の霊能力を高度に保持していた。そして、その民族では、太古の霊能力と、新しい感覚や悟性による思考とが、或る点において釣り合いがとれていた。 その民族の大部分は、まだ霊界を見ることができた。この霊視力は、この民族のある集団では、既に低次な段階に堕落し、「低次のアストラル界の霊視力」になっていたが、この霊視力の特徴を考察すれば、人類の進化全体にとっても無視できない結果が生じている事実に気がつく。 (アストラル界は、高次と低次に分かれるようである。) この霊視力を備えた民族は全く特別の人間になった。その民族は特別な性格を身につけた。この特別な性格は、この霊視力をもっていた様々な民族集団の場合、特に顕著に見られる。 そのような民族は、基本的に、生きるために必要なものを、周囲の自然環境に求めようという意識をもっていた。そして、必要なものを、自然から奪い取る以外には何もしようとしなかった。 要するに、今日の感覚的な人間が、植物や動物などを熟知しているのと同じ確かさで、植物や動物など全てのなかに、神霊たちが存在しているのを熟知していた。なぜなら、霊視により、神霊たちを見ていたからである。 また、この民族は、神霊たちが強力な霊として、物質の背後に立っている事実を知っていたので、神霊たちと親しくし、あまり労働をしなくても、自分たちが置かれた環境の中で細々と暮していけるように、神霊たちに配慮してくれるように要求できた。 このアストラル的な見霊力をもった民族の気持ちや考え方については色々なことを話せるが、今は、そのうちの1つだけを述べるにとどめる。 いま考察している当時の時代では、堕落しつつある見霊力を備えた上記の民族集団は、全て遊牧民族だった。定住せずに、遊牧民として放浪し、どんな場所にも特別の愛情を寄せることなく、大地が提供するものを、特に大切にもせず、生活するために必要ならば、周囲を破壊することも厭わなかった。 この民族には、文化水準を引き上げるために、地球環境を作り変えようとする気などなかった。 (この遊牧民族が後にスキタイといわれるツランの民族らしい。) 上記の民族的な基本性格の違いから、ポスト(後)アトランティス時代の歴史にとって、最重要な事件の1つである、次の深刻な対立が生じた。 北方の様々な民族、つまりペルシア人、メディア人、バクトリア人と、上記の遊牧民との間に大きな対立が生じた。 ペルシア人の場合は、定住して周囲の出来事にも関心を向け、人間集団としての課題を人間としての労働により達成し、人間の精神力により自然を作り変えることを渇望していた。このことが、この地域においては、最大の関心事だった。 ペルシア人の居住地域の北側には、直接、境を接して、霊界を霊視できた上記の遊牧民族がいた。その遊牧民族は、上述したように、神霊たちと親密な関係にありながら、働くことを好まず、定住もせず、物質界で文化的作業を前向きに行うことに、何の関心ももたない民族だった。 (中央アジアの、このような遊牧民の堕落した霊視な性格から、中華思想が生まれたように思われる。昨今の占い好きなどは、この堕落した霊能力と関係が深いように思われる。また古代中国の宦官や日本の官僚などの寄生略奪的な性質も、これによく似ている。特にこの国の財務官僚などがその血を受け継いでいるようにみえる) ペルシア人と遊牧民(ツラン民族)の最大の対立は、外面的には、ポスト(後)アトランティス時代の歴史のなかで生じた対立であり、霊的には、魂の様々な進化過程の1つの結果として生じた対立だった。 外面的な歴史においては、「イランとツラン(トゥーラーン)の対立」として知られた、一大対立であった。 北方地域では、シベリアに至るまで、ツラン(トゥーラーン)民族が存在していた。この民族は、いわば混合体で、上述したように、高度に、低次アストラルの見霊能力を備えていた。 (このツラン民族の悪霊の見霊力が、後のツァーリズムをつくる)ツァーリズム - Wikipedia 霊界での生活が豊かであった為に、外(物質)的文化を創造しようとする傾向や感覚ももたず、人々は、受身的な態度を保ち、民族の祭司たちは、低次の魔術師だったので、霊的な事柄に際し、低次の魔術、時には黒魔術さえも行使した。 その南方の古代ペルシアでは、以前から、素朴な手段で周囲の感覚界を、人間の精神力で作り変えようとする意識が働いていた。そして、その結果、外(物質)的な文化を生み出した。(カインの古代ヘブライ民族でもある。) この事が、古代ペルシアとツラン(トゥーラーン)の大きな対立となった。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その10 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ 「ツラン(トゥーラーン)民族その5 高橋 巖:訳」の意訳 この物質文化の方向性で、最も進歩を遂げた民族(古代ヘブライ民族)が、北からペルシア(イラン)地域まで南下してきたという事実は、神話や伝説の中にも美しく表現されている。 様々な北方の民族を率いて、ペルシア(イラン)ヘと下りてきた伝説の王ジェムシッド(?)をめぐって、次のような物語が伝わっている。 王は地上での使命の実現のため、アフラ・マズダー(太陽)神から黄金の短剣を受け取り。ツラン(トゥーラーン)人という怠惰な大衆の中から、黄金の短剣の力で体力を叡智に従って行使できるように、様々な自分の民族を作り上げた。 (日本の神話のスサノオの草薙の剣との類似もみられる。) それまでの肉体力は頽廃していたが、再び発展させて、この世のために精粋を発揮できるようにした。黄金の短剣は犂となって大地を耕地に変え、人類最初の様々な器具の発明を可能にしたが、その後も、力を発揮して、人間が誇りとする様々な全ての文化の成果として、今日に至るまで作用し続けている。 ツラン(トゥーラーン)からペルシア(イラン)まで移動してきたジェムシッド王が、アフラ・マズダーから、この短剣を受けたという事実には、非常に大きな意味がある。この短剣の力こそが、人間に外なる感覚界を作り変える力を生じさせたからである。 この黄金の短剣を授けた神は、ツァラトゥストラ、もしくはゾロアスターと呼ぶペルシア人の指導者に霊感を与えた偉大な神でもあった。 ゾロアスターは、太古の時代(アトランティス没落直後)に、聖なる秘儀の叡智の力により、物質文化を人間の精神力で発展させようとする意識をもったペルシア民族を支配した。 ゾロアスターは霊界に参入できる古代アトランティスの能力を失っていた様々な民族に、霊界への参入に対する新たな展望や、新たな希望を与える使命をもっていた。そのような意味で、ゾロアスターは、人智学徒がしばしば語ってきた、秘儀参入の「道(方法)」を開いた。 それは、人間の小さなオーラとは対照的に、「大きなオーラ」、つまり「アフラ・マズダー」と呼ばれた高次の霊的存在の体が、日光という体である事実を、様々な民族に洞察(霊視)させる方法なのである。 ゾロアスターが、上記の事実に関して教えたことは、当時は、まだ遥かに遠い、この霊的な存在が、いつかは地上に降りてきて、人類史の内部で、自らの実体を、地球と結びつけ、そして人類のためにその後も更に作用し続ける、という事実だった。 つまりゾロアスターは、後にキリストとして歴史上を生きる存在を、当時の人々に示そう(預言しよう)とした。 ここで強調すべきことは、今述べたゾロアスターは、既に古代ギリシア人たちにより、トロイア戦争(紀元前1000年頃と考えられている)よりも、5000年も前の時代の存在と考えられていた。この太古のゾロアスターには後にグシュタスブ(?)と呼ばれた後継者がいた。 ゾロアスターは偉大な祭司として、当時の人々を外なる物質界から再び霊界へと導く太陽神アフラ・マズダーの存在を教えたが、グシュタスブはこの教えを普及させるのに尽力した王だった。 古代ペルシア(イラン)では、ゾロアスターやグシュタスブが与えた霊感や意図は、この古代ペルシア地域の北に隣接する北方の民族(ツラン)と衝突する要因となった。 古代ペルシア(イラン)民族とツラン民族の衝突から、地上で最大の戦争の1つが生じた。一般には、この太古の歴史的事実があまり知られていないのは、あまりにも古い時代(紀元前5000年あたりか)のことだったからである。 ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)との間に、凄まじい衝突が生じた。数10年どころか、数100年にも及ぶ、この戦争から一種の緊張感が生じ、その気分はアジア内陸部に、その後長らく続いた。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その11 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ「ツラン(トゥーラーン)民族その6 高橋 巖:訳」の意訳 ゾロアスターの教えを守るペルシア(イラン)人は、次のように自らを語っていた。 「見渡す限りのいたる場所には、神霊から生じた世界が広がっている。世界は、まるで高次の存在から堕落してしまったように現われている。我々を取りまく動物、植物、鉱物の世界全ては、かつては、もっと高次の存在だった。今、頽廃してしまったが、人間は、それらを再び高めようとする希望を抱いている。」 動物を例にあげて、このペルシア(イラン)人の感情の中に生きていた理念を、今日の表現に置きかえてみる。教師が学校で、生徒に語る様な表現で言えば、次のようになる。 「周囲にあるものを見てごらん。それらは、昔はもっと精神的な存在だった。今は堕落し、頽廃してしまっている。 では、狼を見てみよう。感覚を通して見る狼という動物は、堕落し、頽廃している。昔の狼には悪しき特性などなかった。しかし、いまから君たちが、自分の良き特性や精神力を結集させ、今の狼を飼育できる。 この動物に君たち自身の特性を付与して、狼を、君たちに仕える犬にできる。狼と犬は、いわば2つの世界の流れをそれぞれ特徴づける存在なのだ!」 環境に手を加えるのに、精神力を行使する人間たちは、動物を飼育して、動物を高次の段階へと引き戻すことができた。 これとは対照的に、動物等のために、自分の力を行使しなかった別の人間たちは、動物を、ありのままに放置してきたので、動物は益々堕落していかざるを得なかった。上記の2つは異なる力の働きを現わしている。 上記の二元性の対極的な力は、次のようなイメージ(思い)の中で働く。 「もし自然をあるがままに放置するなら、自然は益々深みに沈み、全てが野生化してしまう。しかし、私が精神の目を、私の信奉する善意の方向へと向けることができれば、その善意が、私を助けて、深みに沈んでいく存在を、再び上方へと導くことができる。私が尊敬する、この善意は、更なる進化への希望を私に与えてくれる。」 ペルシア(イラン)人にとって、この善意の力こそアフラ・マズダーに他ならなかった。ペルシア(イラン)人は、次のように考えた。 「自然の働きを、高貴にする力は、人間が、アフラ・マズダー、つまり上方へと向かうオルムズド(アフラ・マズダー)の力と結びついたときはじめて達成される。しかし自然を、あるがままに放置しておくなら、全てが野生化してしまう。 この野生化は、アーリマン(アンリ・マンユ)により生じる。」 更に、古代ペルシア(イラン)の地域には、次のような考え方が広まった。 「北の地方にも、多くの人間が徘徊しているが、北の人々は、アーリマンの手先である。アーリマンの僕の人間たちである。アーリマンの手下は、ただ世界を歩き廻って、自然が提供するものを受けとるばかりである。自然を再び精神化するために働こうとしない。 しかし、我々はオルムズドの力であるアフラ・マズダーと同盟している。」 ゾロアスターの教えを守るペルシア(イラン)人は、自分たちが感じた善意を、法律の中にも表現した。つまり外(物質)的な律法のなかに、上方への善意の意識を表現することで、生活を整えようとした。 これがゾロアスター主義の外(物質世界)に現れた結果だった。ペルシア(イラン)とツラン(トゥーラーン)の対立を、上記のように見るべきである。 これが、秘教学史の多くを正確に報告する、アルジャスブとグシュタスブの間の戦争、つまり、ツラン(トゥーラーン)人の王と、ゾロアスターの守護者との間の闘い、そして北と南の対立である、この戦争が、ペルシア(イラン)でもツラン(トゥーラーン)でも、その両地域の気分として継続していった事実を知るべきである。 この闘争が理解できれば、どんな魂の働きが、ゾロアスターから、全人類にまで流れ、広がっていったのか、を知ることができる。東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その12 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ文化史(前半) 現代人は、次のような信仰に凝り固まっている。 「生活のなかのイメージや概念(思考)は、民族を超えた存在で、その反対に、言語は民族特有の存在でなければならない」という信仰である。 しかし、その信仰を生み出した形態霊(エクスシアイ、能天使、エロヒム)は、もっと別のことを意図していた。つまり、言語は、個人(別)的であるように意図していた。 そして、この事実こそ、今日、人智学が願っていることであり、理想としていることである。ところが、現代人は、この理想を認めようとしない。この理想がどれほど無視されているか、を示す例を、1つ挙げてみる。 かなり前の出来事だが、人智学徒が、神智学協会に属していた当時のことで、当時も現在も、会長はベザント女史である。 人智学徒の多くの人が、神智学協会のいわゆる「コングレス(会合)」に参加していた。「コングレス(会合)」では常に、色々な代表者たち、すなわち、ヨーロッパの各セクションの事務総長たちがスピーチをしていた。 それぞれが自国語で語ったので、言語の違いがよくわかったが、内容はほとんど理解できなかったので、互いの理解を深めるには、自国語が短いスピーチで行われるのが、非常に好ましかった。 人智学徒の何人かも恐らく憶えていると思うが、そのような機会があると、私(シュタイナー)は、いつも同じ内容を、数年間にわたって繰り返し話し続けた。その同じ内容がどれほど注目されていたかはわからないが、いつも同じことしか述べなかった。 ただし、いつも心の底で理解してほしい、と願いながら、次のような主張を行った。 「色々な地域から、ここに集まってくるのは、中央から神智学の教えを受けとるためではなく、個々の地域で行われている神智学的な行為を共通の祭壇に供えるためである。」 様々な地域に由来し、そして、今共通の祭壇に供えられようとしている個的な行為の意味を、私は強調し続けた。どの年にも、私は同じことを強調した。その結果、私は正しいことを述べたにも関わらず、理解しなかった人もいたし、私の話を聞いて感情を害してしまった人もいた。 私が、同じ内容を述べたのは、我々に必要な理想を確立するためだった。その理想は、地球のどの地域にも妥当する、共通の教義をつくるための理想ではなく、多様なものを、相互の理解を通して、地球上で共存させるための理想だった。 真理が1つでなければならない という偏見は、このような事実と同じくらい深く人間の心の中を支配している。 従って、連続講義の中で、1つの事柄を、ある時はある形で、別の時には別の形で語ると、そこに矛盾が生じる、といって騒ぎたてる人たちが出てくる。 しかし、真理が多様な形で表現される事実を、人智学徒は示せなければならず、「一様ではなく、多様である」、ということを理想とすべきである。 さて、この理想の本質的な意味を理解するためには、形態霊と、その奉仕者である権天使(人格霊、アルヒャイ)、大天使(アルヒアンゲロイ)、天使(アンゲロイ)が、人間の言語と思考のために本来意図していた事実と、それを妨害するルシファー的、アーリマン的要素の働きとを対比する必要がある。 ルシファー的、アーリマン的要素を理解するには、地球紀ではなく、月紀に注目する必要がある。なぜなら、これまでもしばしば述べてきたように、この悪の要素は、本質的には月紀の要素(存在)であり、本来、月紀に由来する要素(存在)が、地球紀にまで持ち込まれているからである。 従って、ルシファー的、アーリマン的な立場からすれば、形態霊が造物主である、とは語らない。形態霊は地球紀の造物主であり、月紀では運動霊(デュナメイス、力天使、動物の集合魂)が造物主だからである。 運動霊はその奉仕者である形態霊、人格霊(権天使)、大天使と共に、月紀に天使を生じさせた。人間が地球紀に、自分の力で、7つの本性を形成すべきなのと同じで、天使は、月紀に自分の力で、7つの本性を形成すべき存在だった。 (堕天使は、7つのうち、6つしか形成できなかったので、いわば落第という形で、人間と共に、同じ地球で学んでいる。) もし、形態霊とその奉仕者たちだけが地球を創造し、支配し、ルシファー的、アーリマン的影響によって妨害されていなかったら、地球紀の人間は、言語(言葉)と思考を完全に一致させていただろう。 今日の人間の言葉と思考の乖離は、ルシファーとアーリマンの影響による。今日の人間は「m」や「g」などの特徴を感じとれない。その言葉を聞いても、その音韻を、思考内容に結びつけない。 しかし、形態霊とその奉仕者たちは、人間を今日の状態よりも遥かに透明な魂を持った存在にすることを企図していた。 言葉を、いわば思考のジュースをしぼりとる存在にするのではなく、言葉という翼に乗って、思考が飛び立てるような、愛に充ちた存在にすることを考えていた。 形態霊の意図は、人間の集団(民族)が言語(言葉)により区別されるのではなく、土地に由来する自然的な基礎(音階)により、土地に働く力によって区別され、集団(民族)化することだった。 (いまでいう方言を、言葉の基本に考えたのだろう。郷に入っては郷に従え) 従って、異なる場所に住む集団同士は、同じ場所にくれば互いに異なる言葉の相違を共感し合い、理解し合えるような存在になるべきだった。 しかし、現代人が、外国語を完全に理解できないのは、使われる言葉の音響の中に、意味内容が全く存在せず、言霊が、いわば意味内容の莢(さや)の中から抜き取られてしまっているからである。 本来なら、たとえ各々の言語(言葉)がどんなに異なって発達しても、地上の全ての人間は、言葉の音響に対して互いに共感し合い、理解し合えた筈である。 知性と言語間の一致が達成されないように、ルシファー的、アーリマン的存在たちが人間に影響を及ぼし、その達成を妨げた。 では、まず、その際のルシファー的な堕天使に眼をむける。 このルシファー的な堕天使は、人間に働きかけて、概念の世界における国際的性質(基準)という先入観を人間の心の中に組み込み、全世界のどの地域の人間にも妥当するような普遍的で統一的な教義が存在する、と思い込ませた。 (宗教でいうところの一神教の教義である。) そのような統一的な教義を信じ、多様性の中にではなく、統一性の中に救済を求めるときには、ルシファー的な悪霊が働いている。その悪霊たちは、イメージ(思考)の世界を、言語の世界から切り離した。 言語と思考を切り離すことで、イメージや思考内容が正しい形で、語られた言葉の中に生きることを不可能にしてしまった。 つまり、言語と思考を分離することで、ルシファー的な一元論や統一思想が、全世界を風靡するようになった。 「自分が正しいと思うことはできるだけすみやかに全世界の人間にも信じさせるべきだ!」と考える狂信家たちは、ルシファー的な堕天使たちに憑依されている。 従って、大切なのは、統一という幻想に囚われることではなく、調和的に作用し合う多様性を求めて働くことなのである。 (外国語を習うことではなく、他国の文化を理解することが重要なのである。つまり、多様性や自分たちと異なる異質性を積極的に認めていく姿勢が重要である。 ちなみに、私観だが、「文化」とは、人間の行為を、神に捧げる、つまり神に近づけることだと思う。つまり、道徳観や善意に従う行為の表現内容が、「文化」である。対して、「文明」とは、行為だけでなく、思考内容も含むものに思える。 本来、言語と思考が一致していたら、文化と文明も同じだったのだが、悪霊により、人間が欺き、嘘をつくことができるようになったので、文化と文明も異なったものになったと思われる。 悪霊とは、端的にいえば、執着心の強い魂で、いつまでも良い想い出に浸り、それが全ての存在といえる。)東洋哲学に関連するシュタイナーの言葉その13 | シュタイナーから読み解く神秘学入門 - 楽天ブログ「語ることと考えること(後半) 高橋 巖:訳」の意訳 文化史(後半) 前半に述べたように、ルシファー的存在たちが「思考」を「言葉(言語)」から分離してしまった。 そして、更に、大天使の位階に属する存在の中で、その存在に対する第七番目の器官(神器)を発達させることなく、第六番目の器官(神器)にとどまっているアーリマン的存在たちが、言語を更に一段低いところまで引き下ろしてしまい、言語は現在、地上で行われているように、バラバラに単独で存在するようになってしまった。 (この内容は、バベルの塔に関する聖書の記載に相当する。なお、宇宙の階層や天使の階層では、1つ上の階層に進化するには、その階層において、7つの器官を発達させないといけない。 神秘学では、その階層を分類するのに、111から777までの3桁の数字が用いられ、アーリマン的存在たちは、666で進化をやめた存在といえる。人間が、1つ上の階層である「天使」の位階に進むには、現段階では、4つ目の器官「霊我、マナス」を手に入れる期間といわれている。 人間には、「霊我」を含めて、あと3つの器官が必要で、それが俗に三種の神器と呼ばれるものである。) 退行した大天使のアーリマン的存在たちは、地上の人間集団をして、互いに憎しみ合い、差別し合うように、仕向けた。この存在たちは、大天使なので、民族を指導できない。 (民族を指導できる位階は、大天使より1つ上の権天使の存在である。) 民族を指導することは、正常な発達(進化)を遂げ、自らの存在を第7器官まで育成した大天使が、形態霊の意図に従って、(権天使として)行うことだからである。 本質的な役割をもつ民族霊(大天使)に対立するアーリマン的存在たちは、言語の水準を一段階引き下ろし、言語の中に元々含まれている概念やイメージ内容を分からないようにしてしまった。 ルシファー的な堕天使だけが働いていたなら、統一という幻想だけが地上を覆いつくし、もし、人間が心の中にある、その統一という幻想を克服さえすれば、様々な言語の中に存在する固有(個)性を感じとることができたはずである。 ところが、アーリマン的な存在たちが、言語の働きを、もう一段階引き下げたので、言語の中の固有(個)の思考表現を、人間が感じとることができなくなった! その結果、人類は言語の相違に従って、各々の国民に分裂させられた。 このような妨害による時代の流れの中で、一方では統一という幻想が、他方では様々な国民への分裂として生じ、その傾向が最高潮に達したとき、宇宙存在であるキリストが、人間がよく知る形(イエスの身体に受肉)で、地上に降臨し、共に地上の進化に新しい衝動が組み込まれた。 (「汝の敵を愛せ。隣人を愛せ。」) 人智学徒は、今、新しい衝動を受けて、発展する世界の状況に、この衝動を完全に組み込まなければならない。 キリスト衝動は、地上の進化が一時期、「統一という幻想」と、「言語と思考の分離」という2つの間違った方向へ行ってしまった後に、それらに対立する衝動を用意するという課題をもっている。 つまり健全な発達(進化)を遂げた天使たちにより大きな権能を賦与することで、ルシファー的な進化を遂げた堕天使たちの統一という幻想に対抗しようという課題をもっている。 全ての知識の一元論的、いわゆる幻想的な統一性の代りに、キリストの教えを正しく理解することで内在する衝動が現れた。 この衝動は、他の人間の本性の中に真実を求めようとする態度であり、自分の考えを他人に押しつけない、という教えであり、そして、この本質的なキリスト教の精神によって、健全な発展を遂げた天使たちを力づけることにある。 このように、各人においても、各時代においても、地上に1つの個的に形成された真理が形成されるようになった。ルシファーにより幻想に閉じ込められた知性からではなく、魂や心情の中から個的に形成された真実が、地上に見つけられるようになった。 しかし過去においても、上記の父なる宇宙(世界)原理は働いていた。かつて眼に見える人間が父なる宇宙原理により創造されたように、今日でも眼に見える人間の中で形態をとって輝く存在もまた、同様に過去に根源の宇宙原理から現出し、そして今、完成(成就)された存在となっている。 各人が自己流の方法で、真実を見つけられるようになった。 「真理はどんな人の魂の中にも存在する」、という言葉は、深くキリスト教的な言葉である。キリストに支持された天使の働きが、この言葉の根底に生きている。 その働きが、全てを一様化する統一的な幻想の下に、同質の教義で拘束する網の目で地球を覆いつくそうとするルシファー的な天使の働きに対抗する。 一方、健全な発展を遂げた大天使たちもまた、キリストの支持を得て力を強め、人間の集団(民族)が自らの言語に執着することで、狂信的な集団になるように働きかけるアーリマン的存在たちを克服しようとしている。 健全な天使と大天使とは、キリスト意識の担い手である。キリスト意識は、人間の観点や思考や感性の中に存在するだけでなく、地球全体の規模で、可視的存在から不可視的存在に至るまで働きかけている。 キリストは人間のために存在するだけでなく、天使、大天使のためにも存在している。なぜなら宇宙的な本性としてのキリストが、ナザレのイエスを通して、地球の進化に関わっているからである。 (地球は、宇宙でいうところの迷える子羊のようである。) 地球紀全体の中間地点で、キリスト意識が、働きはじめた。そしてまた、至る所で、天使と大天使に力強い支援を送りはじめた。この力強い意識は、これまでの地球進化の過程では見たことも聞いたこともない程の圧倒的な力で、地球の進化に関わってきた。 キリスト降臨前の原則のエホバ=ヤハウエ原則は、自然の原則として働き、自然の原則として地球を霊的に支配しようとした。この原則の下では、思考と言葉(言語)が、自然のままに、関連すべきだった。ところが、人間の思考は、その関連から分離され、霊的になり、言葉(言語)も、その関連から分離され、魂的になった。 (言葉は、本来その土地で共有すべき存在なのに、所有されるようになった。外国で、母国語を話すようになった。) 言語の原則は、魂の情念により左右されるようになり、思考は知的、抽象的な働きにより、一面(皮相)的に規定されるようになった。しかし、本質的には間違っている。思考は一段階低いところに位置し、もっと自然な形で思考できなければならない。 言語は、思考より遥かに高次の段階で、なるべく言葉少なに語られ、語られた内容が深く理解できなければならない。 地球紀が、古代ギリシア・ラテン文化期の中葉に至るまでは、ルシファーとアーリマンの衝動が支配的だったが、キリストの降臨により、エホバ・ヤハウエ衝動よりも遥かに強力なキリスト衝動が現れた。 しかし当初、人々は、このキリスト衝動が理解できなかったので、例えばコンスタンティヌス大帝やオルレアンの乙女(ジャンヌダルク)などを通して、働きかけた。 1つの喩えを用いるなら、降り積もった雪の中に、機関車が突進して行くような光景である。降り積もった雪の中をあるところまでは突き進んで行けるが、雪の抵抗に遭い、最後には動けなくなってしまう。 キリスト意識も、この光景と同じように、地球の中に力強く働きかけたが、ルシファーとアーリマンの力が、機関車の前の雪のように覆い被さって、先に進めなくしてしまった。その結果、主知主義の時代に、科学の統一的な幻想が現れた。 「真理は、単一な形で、地球全体に普及すべきである」、という幻想は、8、9世紀から特別強力になった。それはルシファー的な天使の反抗の結果だった。それ以来、この恐るべき幻想は、一元的な教義を生み、繰り返して人類に影響を及ぼしてきた。 (現代では、科学上の統一概念主義を、還元主義とも呼んでいる。) その後しばらくして、主知主義の時代が完全に開花した後、アーリマン的な大天使が「国民主義」という幻想をもって、キリスト意識に対抗した。それは本質的には19世紀になって現れ、その担い手の代表は、ナポレオンだった。 ナポレオンは人間の集団を、国民として分割することを最大の目的としたが、その影響は今日にまで及んでいる。今日でも人々は、「様々な国民の自由のために。様々な国民の自由と平等のために」と叫んでいる。 このような出来事は、宇宙の進化全体と深い内的な関係をもっている。そして今日の時代に恐るべき形で影響を及ぼしている。それが高次の理想を表現しているように思えるだけに、このスローガンも、ルシファーのスローガンの「全ての人々に通用する1つの真理を」も、共にキリスト衝動を妨げる強力な力をもっている。 人智学は、これらのスローガンの誘惑的な力を見抜き、人類を本来の道に立ち戻らせるために存在している。このように、この国の文化は、個人の前世を振り返るうちに、ツランの影響を受けているのがわかってくるだろう。またまた長くなってしまったので、蛇の譲渡の、ドクロ杯の話は、次回に譲る。蛇の譲渡に至るには、とにかく、脳を捨てて、男女の違いを乗り越える必要がある。脳を捨てるのが、ドクロ杯の意味だからである。愛が人間の霊魂を生かす生命力で、欲望に走ると、愛を失い自滅するように、人間の霊魂はつくられている。だから物欲に走れば走るほど人間は益々自滅するようになるのである。欲望を捨て去る前に蛇の譲渡を受けないようにしないといけない。
2025年06月18日
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日本の戦国好きには、信長の、浅井長政の裏切りに対しての報復で、長政のドクロの盃で酒を飲んだ逸話は有名だが、戦国好きでもない、都市伝説で、信長がジョルダーノブルーノになったという噂が巷に流れている。なんでも肖像画がよく似ている説からはじまっているらしいが、どちらも反体制で、異端的な思想の持主から、共通点が論じられている。髑髏杯 - Wikipedia浅井長政・浅井久政・朝倉義景の髑髏 | 戦国武将の足跡薄濃のことジョルダーノ・ブルーノと織田信長は同一人物なのか? | 日本史トリビア240218 ジョルダーノ・ブルーノ|thin2(シンツー)ジョルダーノ・ブルーノ - Wikipedia面白いことに、信長と、ジョルダーノブルーノとの共通項を探る恰好の材料となるのが、キリスト教なのである。信長は仏教カースト制度を天下布武により農奴解放する反仏のために、その対抗勢力となりえ、軍事兵器などの貿易のために、キリスト教を保護したが、宣教師に、神ゼウスに成り代わろうとしたために、罰があたったと、本能寺の変の顛末で記録されている。ブルーノも、キリスト教に対して異端者扱いされ、最後は火刑に処されている。八切史観だと、信長も、本能寺において、隣にあったイエズス会の教会から、砲撃で爆死した、と考えられている。勿論、都市伝説では同一人物視されているのだが、記録が焚書されているのかわからないが、同一人物らしき記録が一切残っていないので物的な証拠からはわからない。反骨、あるいは反戦のシンボル? しゃれこうべ・ドクロの文化史(季節・暮らしの話題 2016年08月07日) - 日本気象協会 tenki.jpしかし、同時代において、古今東西で既存勢力との対立から次の時代が築かれるのは歴史の常なので、同じような人物が、この世に生まれてくるのは、人類進化計画の上では当然の指導といえるかもしれない。ちょうど、シュタイナーが霊視した以下の天使長の交代期では、1510年が、サマエルから、ガブリエルへの交代期に当たるから、そのような革命児が生まれてくる時期にあたる。信長は1534年に生まれ、ブルーノは1548年に生まれている。ちなみに今はミカエルの統治時代で、1879年からはじまり、2400年頃にオリフィエルに交代するようである。1510 ~ 1879年 ガブリエル 月1190 ~ 1510年 サマエル 火星850 ~ 1190年 ラファエル 水星500 ~ 850年 ザカリエル 木星150 ~ 500年 アナエル 金星BC200年 ~ AD150年 オリフィエル 土星つまり、1510年からガブリエルの統治の時代になり、月の天使と呼ばれているように、その後の1879年の唯物論台頭から、近代科学が生まれ、太陽のミカエルの時代に引き継ぐ時代なので、端的にいえば、キリスト教が唯物化される時代の前身なのがわかる。そのガブリエル統治の時代に、信長とブルーノがこの世に生まれるのだから、キリスト教の変革期とも言える時代なのがわかる。宣教師ルイスフロイスの『<彼(信長)はもはや、自らを日本の絶対君主と称し、諸国でそのように処遇されることだけに満足せず、(中略)自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した。>(『完訳フロイス日本史3』中公文庫)』などの伝承から、信長も、ブルーノも、従来のキリスト教とは異端の思想の持主なのが、ウイキの解説の、次のブルーノの宇宙論『「この世界の中心は地球でも太陽でもない、他にも無数の星がありその周囲を惑星が回っている」という近代以降の宇宙観を先取りするものが含まれていたが、これは地球だけが神の造った唯一の世界であるとするキリスト教の考えに反していた。』からも明らかだが、つまり、従来のキリスト教に代わる個人的なキリスト教をつくりだしていたことがわかる。本能寺の変~信長が直面していた2つの政治課題とは何か:日経ビジネス電子版つまり、この時代のキリスト教が、唯物化していく前に、従来の教会の組織形態ではなく、個人的なキリスト教を、この二人の代表的な異端者により、読み解くことができるわけで、それは、ガブリエルの統治から、次第にミカエルの統治へと引き継がれることで、従来の権威主義のキリスト教から、個人的で自由な独立の精神が現れてくるのがわかり、そして、このガブリエル統治の最盛期に、その集大成として、1789年にフランス革命として現れるのがわかる。フランス革命 - Wikipedia信長も、ブルーノも、宣教師たちが知り得ない宇宙論を知っていたことが、上述の2つの以下の記述からわかるのが面白い。信長 ― 「自らが単に地上の死すべき人間としてでなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように」ブルーノ ― 「この世界の中心は地球でも太陽でもない、他にも無数の星がありその周囲を惑星が回っている」つまり、この2つの言葉を、人智学で読み解くと、信長は、「人間は地上で生き、死ぬだけの存在ではなく、神の永遠の生命の霊(自我)をもち、その霊魂は永遠不滅である」という、従来のキリスト教が禁じてきた、輪廻転生の思想をもち、ブルーノは、「この物質界の中心は、地球でも太陽でもなく、この物質界の他にも、無数の天体や星や、その天使の世界があり、物質界は、それら神界の天国やアストラル界の霊界の周囲を、惑星が回るように、時間を与えられて運動している」という地動説と天動説をあわせた宇宙論を説いていたのがわかる。だから、キリスト教では、当時の教皇が、霊能力で神々と対話できていたのかはわからないが、少なくとも宣教師が知らない、理解できない、伝承されてきた秘密を知っていたので、秘密公開を恐れて、二人を異端者として、ソクラテスの毒杯の刑のように、この物質界から葬ったのがわかる。そして、信長が輪廻転生の思想をもっていたのは、信長公記で語られている、桶狭間の合戦の前に踊ったとされる、敦盛の舞を好んだことでもわかる。敦盛 (幸若舞) - Wikipedia人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け、滅せぬもののあるべきかこれを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ この部分の意味としてはそもそも「人間(じんかん、又は、にんげん)」は、人の世の意であり、人の世における50年の意である。 また、「下天」は、三界における上天に対する下天のことで、欲界の天、六欲天を指す。この内に、最上の第6天 他化自在天(たけじざいてん)~最下の第1天 四大王衆天(しだいおうしゅてん)があり、最下の四大王衆天でも一昼夜は人間界の50年に相当する。 即ち、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、つまり「人の世における50年は下天の内の最下の四大王衆天でも一日にしかあたらない。夢幻のようなものだ」という意味になる。この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているこのようにウイキは解説しているが、信長は、「人生50年といっても、物質界の50年は、あの世の霊界での最下層の一昼夜でしかないから、物質界などは、長年の輪廻転生のほんの一回にしかすぎない」、という意味に理解していたのかもしれない。そして、「地上の人生では一回生きれば、一回死ぬだけだが、この一回の生死において、カルマの罪滅ぼしができなければ、せっかくのカルマの解消の機会が失われるぞ。だから悔いのないように、全身全霊で生きるべきなのだ」という意味にとれるのである。さて、面白いのは、信長のドクロ杯の逸話である。信長が実際にドクロを盃にして酒を飲んだのかどうかは不明だが、ドクロ杯は、以下のウイキにも載っているように、紀元前8世紀頃のスキタイの習俗にみられるとあり、そのオカルトの起源を探ると、それが古代アトランティス時代の残滓のドルイド教にあるのが、人智学より明らかになる。髑髏杯 - Wikipediaドルイド - Wikipediaドルイド教に、実はドクロ杯に似た儀式があるのだが、少し勿体ぶって、それを紹介する前に、前回紹介したシュタイナーの現代への提言についての残りを意訳して紹介する。『職業のカルマと未来』 ルドルフ・シュタイナー : わが愛しのXXX。■「悪魔的なものの危険」より 今日、本人は否定しても、多くの人々が手に入れようと無意識に努力しているものを正しく指摘することができます。 今日、「霊的なものについて語るなんて、ばかばかしい。我々は純粋に物質的な科学を、あらゆる領域で発展させる。それが人類の進化というものだ。それが本当に人類を前進させる。人間が成長して、霊的なものごとについて無駄話をするのをやめれば、地上に楽園ができる」という人がたくさんいます。しかし、そうすることによっては、楽園は地上にやってきません。競争だけが人類を支配し、利益追求に熱心になるなら、地獄がやってくるでしょう。 先に進むには、別の極がなくてはなりません。精神的な極を探求しないと、アーリマン的な極が力をふるうにちがいありません。~ 解き放された職業・仕事から作り出される元素霊たちは、人間の心魂が精神的領域へと上昇する衝動から受け取るものによって実りをもたらされねばなりません。以上の直訳でもわかるが、以下に意訳する。 今日、本人は否定しても、多くの人々が手に入れようと無意識に努力しているものを正しく指摘できます。 今日、「霊について語るなんて、ばかばかしい。我々は物質科学を、あらゆる領域で発展させる。それが人類の進化というものだ。それが本当に人類を前進させる。人間が成長して、霊について無駄話をするのをやめれば、地上に楽園ができる」という人がたくさんいます。 しかし、そうすることによっては、楽園は地上にやってきません。競争だけが人類を支配し、利益追求に熱心になるなら、地獄がやってくるでしょう。 先に進むには、別の、霊の極がなくてはなりません。精神的な、霊の進化を探求しないと、アーリマン的な物質の幻想の極が、力を振るい、人間はその奴隷となるにちがいありません。~ 人間の自由な意志により、物質面から、自由に解放された職業・仕事から作り出された素粒子などの核となる元素霊たちは、人間の心魂のアストラル体が、高次の精神領域へと上昇する際の、純粋に無償な愛を受け取ることによって、最善意の果実がもたらされねばなりません。霊能力を獲得する際、はじめに現れるのは、実は悪魔たち悪霊なのである。日本では鬼と呼ばれている。それらの存在は、人智学では、アスラたち、もしくはラクシャサたちと呼ばれている。現代人にとっては甘美で官能的なので、非常に美しくみえるので、誘惑されやすい。簡単にいえば、性欲や食欲のような物質欲である。しかし、この誘惑にハマると、地獄から抜け出せなくなる。この世での競争社会と同じである。常に誰よりも新しい誘惑を求めて、誘惑を抜け出せなくなる。簡単にいえば、麻薬中毒になるのと同じである。だから、安易な気持ちで、霊能力を獲得しようとすると、かえって、地獄から抜け出せなくなる。この世の物質界でも独裁者などがその典型である。独裁者は争いで勝つことしかアタマにないからで、そのようなアタマを捨てることなど思いもよらない。羅刹天 - Wikipedia■「公職・官職」より ダーウィン主義は正しいのですが、それを唯物論的に解釈して、ヘッケルの弟子オスカー・ヘルトヴィヒが強く非難した「最良のものへの自然淘汰」のような生命の教えが現れたのが現代の特徴です。このような教えが現れた時代には、他の時代における生活に比べて、まさに最悪のものが選び出されます。厭世家のように今の時代を非難し、古き良き時代を引き合いに出す必要はありません。「最良のものへの自然淘汰という教え」を人間は自慢しています。しかし、この教えを自慢する時代は、実際には、最も重要な地位に最悪の人を選ぶという傾向に支配されているのです。以下意訳。 ダーウィンの進化説は物質界では正しいのですが、他の特に精神の世界をも唯物的に解釈して、ヘッケルの弟子オスカー・ヘルトヴィヒが、強く主張した「最良のものへの自然淘汰」のような生命の教えが現れた、のが現代の特徴です。このような教えが現れた時代には、他の時代の生活に比べて、まさに最悪のものが選び出されてしまいます。 厭世家のように今の時代を非難し、古き良き時代を引き合いに出しても意味がありません。「最良のものへの自然淘汰という教え」を人間は自慢しています。しかし、この教えを自慢する時代は、実際には、最も重要な地位に最悪の人物を選ぶ、という傾向に支配されているのです。■「フィッシャーの小説」より~ 夢は次の夜に追憶として現れたのですが、同時に、人生を訂正するのです。 実際、そのようにアストラル体は作用します。そして、人生の経験から、なによりも誤った教育から心魂のなかにもたらされたものの残滓のかたわらで、意識下の心魂のなかに訂正者がいることを、人々は見出すでしょう。子どものころのことなら、しばしば同じ人生のなかで訂正が行なわれます。しかし何よりも、その訂正者は死の扉を通って運ばれていき、さらに作用します。本当に、人間の自己訂正者が存在するのです。これに私たちは注目しなければなりません。以下意訳。~ 夢は次の夜に追憶として現れるのですが、同時に、カルマの法則により、人生を訂正するのです。 実際、そのようにアストラル体は作用します。そして、人生の経験から、なによりも誤った教育から心魂のなかにもたらされたものの残滓のかたわらで、起きているときの、覚醒意識下の心魂のなかに訂正者がいることを、いずれ、前世を記憶する人々が見出すでしょう。 子どもなら、しばしばその後の人生のなかで訂正が行なわれます。しかし何よりも、その訂正者は死の扉を通って運ばれていき、死後もなお、カルマに応じて、さらに作用します。本当に、人間には、カルマに応じて、自己訂正者が存在するのです。これに私たちは注目しなければなりません。■「人生の形成と改造」より ですから、「物質的身体は人生の状況を作る。個我は人生の状況を改造する」と、言うことができます。この二つが引き起こす戦いをとおして、別のカルマの流れが人生に介入します。人間のなかには、人間を一定の状況のなかに保とうとするものと、一定の状況から人間を取り出そうとするものが存在するからです。 1 物質的身体 人生の状況を作り出す 2 エーテル体 形成する 3 アストラル体 改造する 4 個我 人生の状況を作り変える「まず、1と4、2と3が相次いで作用する。しかし、さまざまな方法で、これらの弦はふたたび協同する。私たちが自分のカルマにしたがって、人生で新しい人と関係を持つ仕方は、1と4の関連に拠る。それは、私たちの前世における人生の関連に遡る。私たちが仕事・職業と人生との関連を見出すのは、2と3と、その相互作用に拠る」と、私は言いたく思います。 まず、これをよく考えてくださるよう、お願いします。以下意訳。 ですから、「物質体は人生の状況を作る。自我は人生の状況を作り変える」と言えます。この二つが引き起こす戦いをとおして、前世のカルマの流れが人生に介入します。人間のなかには、人間をある状況のなかに保とうとするものと、ある状況から人間を解放しようとするものが存在するからです。 1 物質体 人生の状況を作り出す 2 エーテル体 形成する 3 アストラル体 改造する 4 自我 人生の状況を作り変える「まず、1と4、2と3が相次いで作用する。しかし、さまざまな方法で、これらの4つの弦は、音楽を奏でるように相互に共鳴する。私たちが自分のカルマにしたがって、人生で新しい人と関係を持つ仕方は、1と4の関係に拠る。それは、私たちの前世における人生の関係に遡る。私たちが仕事・職業と人生との関係を見出すのは、2と3と、その相互作用に拠る」と言えます。 まず、これをよく考えてくださるよう、お願いします。自我と肉体の関係が、カルマの前世からの宿命で、アストラル体とエーテル体の関係が、現世での主に仕事との立命の関係。つまり、前世からの宿命のカルマの解消を、いかに仕事で成し遂げるかが、人生の学びであり、目的なのである。簡単にいえば、前世で誰かに嫌な思いを与えたら、現世では、その誰かに仕事で良い思いを与えることで、カルマの解消、つまり前世のツケの支払いが為される。だから、人生で誰かに嫌な思いをさせれば、次の人生で、その誰かに成り代わり、その誰かに嫌な思いをさせられる仕事をすることになる。パワハラをすれば、そのパワハラがブーメランでかえってくる。世の中をみれば、輪廻転生しなくても、一回の人生のなかでブーメランでかえってくることもあるのがわかるだろう。肉体的な被害は、一回の人生ではブーメランになり得ないので、来世に持ち越される。■「七~一四歳と一四~二一歳」よりいつか世界中の文化が輪廻転生を計算に入れるようになり、「もう空想的な理論を立てない」と決心できれば、未来の教育制度全体に非常に実り豊かな思想が生じるにちがいありません。いまの理論は本当の現実を計算に入れず、現実の一部のみ、つまり誕生から死までの人生しか計算に入れていないので、空想的にならざるをえません。以下意訳。いつか世界中の文化が輪廻転生を計算に入れるようになり、「もう無意味な理論を立てない」と決心できれば、未来の教育制度全体に非常に実り豊かな思想が生じるにちがいありません。いまの理論は、宇宙全体の現実を計算に入れず、その全体の現実の一部のみ、つまり誕生から死までの一回だけの人生しか計算に入れていないので、カルマの法則を無視しているので、空理空論にならざるをえません。■「ブルジョアと巡礼者」より どのような流れがポスト・アトランティス第五時代とともに到来したか、その特徴を私は描こうとしました。おおよそにことを言うと、西方には人間をブルジョアにする流れが到来しました。ブルジョア精神が西欧とアメリカに現れました。東方の目的は、このブルジョア精神の理想と対照的です。それは、まだはっきりと現れていないので、当面は目的です。西方文化は比較的進んでいます。東方の目的は、巡礼者という理想です。 ブルジョアと巡礼者という二つの理想が対立しています。それがどんな意味を人生に有するかを理解せずに、これからの生活を理解することは不可能です。何百年前・何千年前の人間は神的・霊的な力に導かれていたので、理解なしに人生に向き合うことができました。これからは、人間は人生を理解して生きていかねばなりません。以下意訳。 どのような流れがポスト・アトランティス第五(アーリア)文化期とともに到来したか、その特徴を私は描こうとしました。おおよそを言うと、西洋には人間をブルジョア(自由)にする流れが到来しました。ブルジョア(自由な)精神が西欧とアメリカに現れました。 東洋の目的は、このブルジョア(自由な)精神の理想とは対照的です。それは、まだはっきりと現れていないので、当面は目的で予定にすぎません。西洋文化は比較的、自由な思想をもち、先に進んでいます。東洋の目的は、自由な面で遅れているので、巡礼者(自由な体験)が理想なのです。 ブルジョアと巡礼者という二つの理想が対立しています。それがどんな意味を人生に与えるのかを理解せずに、これからの自由な生活を理解することは不可能です。何百年前・何千年前の人間は神霊による霊能力に導かれていたので、自由の理解なしにただ神の僕の従者として、間違いを犯すことなく、人生に向き合うことができました。これからの人間は、自由に生きる為には、意識的に人生を理解して生きていかねばなりません。■「ミルの見解」より しかし、近代の発展のほうぼうで、ものごとを輪廻転生の観点から解明するには到っていないながらも、生起することがらをはっきり見る目を持っている人々を、私たちは見出します。彼らは輪廻転生を受け入れないので、自分が鋭く批判しているものを引き起こすのに寄与するはめになっています。 これが今日の人間の特徴です。ものごとをはっきり見ている人々の特徴です。彼らは、今日存在しているものを批判します。しかし、彼らは自分が正しく判断して非難しているものが実現する方向で活動しているのです。このように、無意識的な衝動が人間生活のなかに働きかけます。以下意訳。 しかし、近代の発展のほうぼうで、物事を輪廻転生の観点から解明するには到らず、生起する物事を、覚醒意識から、はっきり見る目を持つ人々を見出します。彼らは輪廻転生を受け入れないので、自分が鋭く批判している物事を批判するほど、それを引き起こすのに寄与する羽目に陥っています。 これが今日の人間の特徴です。物事を覚醒意識で、はっきり見ている人々の特徴です。彼らは、今日存在しているものを、覚醒意識で、批判します。しかし、彼らは自分が正しく判断して非難している物事が、潜在意識のなかでは、実現する方向で活動しているのです。このように、自覚できない、潜在意識のなかの動機が、人間の日常の覚醒意識での生活のなかに働きかけます。このカルマの法則があるから、キリストは、「悪に逆らうな、一方の頬を打たれたら、他方を差し出せ。」と言ったわけなのである。悪に逆らえば、悪に寄与してしまい、悪に取り込まれてしまうからである。悪の狙いは、自分に逆らわせることなのである。だから仕返しは意味がない。競争すればするほど、相手を従わせようとして益々相手を認め、過激になるだけなのである。競争の枠から外れればいい。■「ミル、ヘルツェン、メレジコフスキー」より 彼(ヘルツェン)は周囲にあるものをよく見た人物ですが、精神科学の根本的な表象と理念を受け入れる決断はできませんでした。ロシアの著述家メレジコフスキーは、「現代には、古代の笏の代わりにものさし、聖書の代わりに預金通帳、祭壇の代わりにカウンターがある」と述べています。彼はミルとヘルツェンから多く学んだ人物です。 たんに批判するのは間違っています。ポスト・アトランティス第五時代に、ものさし・預金通帳・カウンターは必要な役割を果たしているし、それは無条件の宇宙カルマに相応する、ということを私たちは知っています。これらを批判するのではなく、ものさし・預金通帳・カウンターのなかに精神を注ぎ入れることが大事です。その精神がこれらのものに勝ります。それは精神科学の精神です。以下意訳。 彼(ヘルツェン)は周囲にあるものをよく見た人物ですが、人智学の根本的な表象と理念を受け入れる決断はできませんでした。ロシアの著述家メレジコフスキーは、「現代には、古代の笏の代わりにものさし、聖書の代わりに預金通帳、祭壇の代わりにカウンターがある」と述べています。彼はミルとヘルツェンから多く学んだ人物です。 たんに批判するのは間違っています。ポスト・アトランティス第五文化期に、ものさし・預金通帳・カウンターは必要な役割を果たしているし、それは無条件の愛の、宇宙のカルマに相応する、ということを人智学徒は知っています。これらを批判するのではなく、ものさし・預金通帳・カウンターのなかに、高次の愛の精神を注ぎ入れることが大事です。その精神がこれらのものに勝ります。それは人智学の愛の精神なのです。■「オカルト結社による妨害」より 彼らは、先祖返り的な伝統から受け継いだものを語っています。しかし、彼らはその知に反対するようにふるまって、「それは中世的な迷信だ」と、新聞に書きます。秘密結社のなかで受け継がれた霊的な教えを大事にしている人々が、マスコミでは正反対にふるまって「中世的な迷信・神秘主義だ」と評するのです。彼らは、その教えを人に漏らさず、他人を愚かなままにしておくのがよい、と思っているからです。どんな原則によって人間が導かれているのか、人々を無知のままにしておきたいのです。オカルト同胞団のなかには、世界をよく見て、「密儀の内容を今日おおやけに人々に伝えるのは不可能だ」と語る会員たちがいます。 人々を五里霧中のままにしておくには、いろいろな方法があります。本当の精神科学は、精神科学への鍵となる理念を私たちに伝えます。しかし、自然科学的な世界観によって悟性を浅薄にされていない人々をも騙せる概念があるのです。一定の方法で概念を形成できるのです。今日、おおやけの概念がどのように形成されるかを多くの人が知ったら、本当に精神科学への衝動を感じるでしょう。以下意訳。 彼らは、先祖返り的な伝統から受け継いだ知識を語っています。しかし、彼らはその元の叡智に反対するようにふるまって、「それは中世的な迷信だ」と、新聞に書きます。秘密結社のなかで受け継がれた霊的な教えを大事にしている人々が、マスコミでは正反対にふるまって「中世的な迷信・神秘主義だ」と評するのです。 彼らは、その教えを人に漏らさず、他人を愚かなままにしておくのがよい、と思っているからです。どんな霊的な原則によって人間が導かれているのか、人々を無知のままにしておきたいのです。オカルト同胞団のなかには、世界をよく見て、「秘密の内容を今日おおやけに人々に伝えるのは不可能だ」と語る会員たちがいます。 人々を五里霧中のままにしておくには、いろいろな方法があります。本当の人智学は、高次の叡智への鍵となる理念を私たちに伝えます。しかし、自然科学的な世界観によって悟性を浅薄にされていない人々をも騙せる概念があるのです。ある方法で概念を形成できるのです。今日、公的な概念がどのように形成されるかを多くの人が知ったら、本当に人智学を学びたい、と思うでしょう。■「事件の背景」より まなざしを正しい場所に向けることが大事です。そうすると、しばしば重要でないものが現れますが、重要でないものを正しい関連で眺めると、重要と思われるものよりも、ずっとよく問題を解明できます。ハムレットが善悪について「なにも、それ自体で善かったり悪かったりはしない。人間が思考のなかで、善くしたり悪くしたりするのだ」というように、他のことがらにおいても本当にそのとおりです。 外面的なマーヤー・錯覚になかに現れるものごとが重要なのではありません。人間が正しい概念を事物に結び付けることをとおして、事物の意味が認識されねばなりません。以下意訳。 まなざしを正しい場所に向けることが大事です。そうすると、しばしば重要でないものが現れますが、重要でないものを正しい関係で眺めると、重要と思われるものよりも、ずっとよく問題を解明できます。ハムレットが善悪について「なにも、それ自体で善かったり悪かったりはしない。人間が思考のなかで、善くしたり悪くしたりするのだ」というように、他の事柄も、本当にそのとおりです。 外面的なマーヤー・錯覚のなかに現れる物事が重要なのではありません。人間が正しい概念を事物に結び付けることを通して、事物のなかに隠された意味が認識されねばなりません。■「辜鴻銘(ここうめい)」より 精神科学の視点から、辜鴻銘の本のような現象を追求する義務を私は感じました。場合によっては、その現象の背後に秘められた意図があるのを知る必要があります。その意図を知らないと、騙されて、間違うことがあります。今日しばしば濁った源泉から現れる神秘主義・オカルティズムに入念な視線を向けることが特に重要です。 現代の世界のなかには、さまざまな流れがあります。個人個人がそれらを明晰・明瞭に見る意志を持っているでしょうか。さまざまな流れの差異を知らねばなりません。人々が思っているよりも大きな力を持っているカトリックから発する流れの背後には、秘儀参入の原理があります。世界にもたらされる流れは、背後に結わわれた紐によって導かれています。以下意訳。 人智学の視点から、辜鴻銘の本のような現象を追求する義務を私は感じました。場合によっては、その現象の背後に秘められた意図がある、のを知る必要があります。その意図を知らないと、騙されて、間違うことがあります。今日しばしば濁った源泉から現れる神秘主義・オカルティズムに入念な視線を向けることが特に重要です。 現代の世界のなかには、さまざまな流れがあります。個人個人がそれらを明晰・明瞭に見る意志を持っているでしょうか。さまざまな流れの差異を知らねばなりません。人々が思っているよりも大きな力を持っているカトリックから発する流れの背後には、霊能力獲得方法が隠されています。世界にもたらされる流れは、背後に結わわれた霊魂の紐によって導かれています。■補遺・楽しく働ける社会「労働」より 社会に属する者は実際、だれも自分のためには働かないというのが、その社会の根本法則です。社会有機体に属する人間は、自分のために働いていないということに気づきます。~ これは倫理的な利他主義の要求ではありません。これは単に社会法則なのです。~ 人間の労働が社会有機体のなかでどのような循環プロセスを実際に行なっているかを調べてみると、「労働はある人から発して、他の人の役に立つ。私たちが手にするものは、他の人の労働の成果なのだ」ということが見出されます。~ 「私は仕立て屋で、他人のために服を作っている。だが、自分の背広を作ったら、私の労働は私自身のためになされたものじゃないか」と、反論されることがあります。自分の仕事の結果が自分に戻ってくると思うのは、錯覚でしかありません。私が自分の上着やズボンなどを作るとき、私は実際には自分のために働いているのではありません。私はその仕事をとおして、自分を他の人々のために、さらに働ける状態にしたのです。それが、社会有機体のなかで人間の労働が社会法則をとおして有する機能なのです。 この法則に違犯する者は、社会有機体に反して働いているのです。近代の歴史のいとなみのなかで生じたように、賃金労働者が自分の労働力による賃金で生活するのは、社会有機体に反対して働いていることになります。そのような労働は社会的な嘘であり、破壊的に経済活動のなかに侵入してきます。~ 経済有機体はいつも、人間の労働力を消費しようとする傾向を持っています。法律は労働力に、本性に即した利他主義的な姿勢を教示しなければなりません。そして常に、新しい具体的な民主主義的な法律によって、経済活動が実現しようとする虚偽を経済活動から取り去り、人間の労働力を経済活動の牙から公法によって救い出すことが必要です。以下意訳。 社会に属する者は実際、だれも自分のためには働かないというのが、その社会の根本法則です。社会生命体に属する人間は、自分のために働いていない、のに気づきます。~ これは倫理的な利他主義の要求ではありません。これは単なる社会法則なのです。~ 人間の労働が社会生命体のなかでどのような循環プロセスを実際に行なっているかを調べてみると、「労働はある人から発して、他の人の役に立つ。私たちが手にするものは、他の人の労働の成果なのだ」ということが見出されます。~ 「私は仕立て屋で、他人のために服を作っている。だが、自分の背広を作ったら、私の労働は私自身のためになされたものじゃないか」と、反論されることがあります。自分の仕事の結果が自分に戻ってくると思うのは、錯覚でしかありません。私が自分の上着やズボンなどを作るとき、私は実際には自分のために働いているのではありません。私はその仕事をとおして、自分を他の人々のために、さらに働ける状態にしたのです。それが、社会生命体のなかで人間の労働が社会法則をとおして有する機能なのです。 この法則に違犯する者は、社会生命体に反して働いているのです。近代の歴史のいとなみのなかで生じたように、賃金労働者が自分の労働力による賃金で生活するのは、社会生命体に反対して働いていることになります。そのような労働は社会的な嘘であり、破壊的に経済活動のなかに侵入していきます。~ 経済生命体はいつも、人間の労働力を消費しようとする傾向を持っています。法律は労働力に、本性に即した利他主義的な姿勢を教示しなければなりません。そして常に、新しい具体的な民主主義的な法律によって、経済活動が実現しようとする虚偽を経済活動から取り去り、人間の労働力を経済活動の牙から公法によって救い出すことが必要です。要するに、利己的に働くのは社会を分裂させて、破壊に導く、と提言しているようである。働く喜びを感じる共通意識が幸せに導くのかもしれない。以前紹介した、天国での、円卓になって、長い箸で互いに食物を与え合う社会といえるかもしれない。三尺三寸箸(仏教)丨なぜの極楽(天国)の箸は長く地獄の箸は短いのか - 仏教辞典地獄の食事と極楽の食事(住職の法話) – 真宗 大谷派 存明寺今回も長くなってしまったので、ドクロ杯のドルイド儀式との関係は次回に譲ります。
2025年06月12日
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たまに動物の動画をみて癒されるのだが、大人になると、人間同士のコミュニケーションに苦労した経験から、日本語を話しあっていても、議論が噛み合わない不自由さから、子どものときに沸いた「もし動物と話せたらどうなのだろうか?」という疑問をすっかり忘れていたことに最近気が付いた。子どものときに、動物と話せる「ドリトル先生航海記」が流行り、そのあとでムツゴロウ動物王国ブームが到来して、動物が人間の言葉をしゃべる世界を、身近に感じていたのが、昭和の時代の走馬灯のように、最近、妙に懐かしく感じられてくる。ドリトル先生航海記 - Wikipedia動物と話せることはあこがれ〜『ドリトル先生航海記』〜【プレ10月チャレンジ】|くどうようこ@本好きの日英同時通訳者福岡伸一さんと読む『ドリトル先生航海記』──フェアネスとは何か【NHK100分de名著】 | NHK出版デジタルマガジン鳥が言葉を話す、と聞けば、オウムなどが人間の言葉を真似て鳴く現象がお馴染みだが、人間の言葉ではなく、鳥の言葉で、鳥たちがコミュニケーションをとっているのを、シジュウカラの観察から探求し、明らかにしつつある研究者が、巷で最近注目されてきている。シジュウカラの言葉・文法を証明。鳥と話すことはできるのか|うにくえ|個性ってなんだ?「人間だけが賢い」という先入観を捨て、動物たちの言葉を知るには人間はほ乳類の中では頭が大きい方で、道具を使うことに長けていて文字も書きます。でもそれで人間がトップにいるように感じて、動物の賢さを見落としてしまうことがあります。賢さというのは脳の大きさで簡単に測れるものではないんです。 進化というのは共通の祖先からそれぞれほぼ同じスピードで進んでいるんです。その結果、鳥は鳥の形になって鳥の知能を持ち、人間は人間の形になって人間の知能を持っています。そこに上下はないのに、人間は自分たちが最も高等であると信じたい。この歪んだ自然観が、人間vs.動物という2項対立を作ってしまったんです。 飼育している動物と喋ることはできますよ。たとえば、人間と犬の間ではもう会話が成立しています。ただ犬は音を学習して真似ることは得意ではなくて、他者の表情やちょっとした匂いの変化から他者の意図を読むのが上手です。 人間は「お散歩行くよ」「おやつ食べる?」と犬に話しかけるし、犬は人間の意図を汲む。人間のほうも仕草や文脈で「遊びたいのかな」とかわかりますよね。それは本当の意味で種の壁を越えたコミュニケーションで、人間以外の動物もやっています。 有名な例は東アフリカのノドグロミツオシエ(鳥)。人間のある歌を聞くと、ミツオシエがやってきて「ギギギギギ」と鳴きながら蜂の巣の場所を案内してくれるんです。人間は火で蜂を撃退して、蜜蝋をひとかけらミツオシエにあげる。すると、またミツオシエはハチの巣のありかを教えてくれるんです。一説によると、150万年続いてきたともいわれる人間と鳥の間の文化ですね。以上は、その研究者を記事にしているサイトからの抜粋だが、最後の東アフリカの人間と鳥とのハチの巣を巡ってのコミュニケーションは、以前紹介した霊能者アナスタシアが住む村の話を髣髴とさせる。ひょっとすると、シュタイナーが預言していたアーリア文化期の基盤となるキリスト信仰の、次に到来するスラブ文化期の基盤となるキリストの実践を説く教えなのかもしれない。シベリアの森に住む女性「アナスタシア」 | いにしえの未来へ。宇宙と繋がり、地球に根ざし、魂の道を生きる「満天の星を映す湖で」生命の水には、宇宙における生命の創造についての全ての情報が含まれているし、人間からほとぼしり出たあらゆる思考や思いも含まれている。水は人間の感情を読みとり、それに反応する。(中略。)水は全ての人の過去を知っている。水は宇宙で起こったすべてのこと、すべての人に関する情報を持っている。そして水は、私がそれを見るのを助けてくれる。私が湖の真ん中、水の中で考えるとき、水は私と一緒に考え、見るべき光景を探し出してくれる。水はすべての惑星で起こっていることを走査(スキャン)する力も持っている。なぜなら水はどこにでも存在するから。星たちは湖に映っていて、私の目にも映っている。そのとき、私と星はひとつになって、私は宇宙のすべての情報にアクセスできる。なぜならその瞬間、私は宇宙の中の小さな一部になったように感じるから。人が自分を宇宙の中の小さな一部のように感じると、その瞬間、宇宙は歓喜して、彼の為に何でもしようという態勢になる。そしてその人が考えていることを現実化するべく働いてくれる。(この「水」とは、恐らくエーテルのことだろう。「水」はエーテルの一部)「死をもたらす大罪」理解しないといけない、ウラジミール。人間の世界に起こる悪いことはすべて、人間自身が、霊的存在としてのあるべきルールに違反して、自然とのつながりを失ったときに自ら引きおこしている。闇の勢力は、分刻みに動いていく技術優先社会の魅力で人間の意識を奪い、聖書にすでに示されているシンプルな真実と戒めから離れさせて、それについて考えないようにしむける。彼らはそのもくろみに絶えず成功している。人間に死をもたらす大罪はプライドという自尊心。ほとんどの人はこの罪に支配されている。(中略。)光の勢力の対極にある闇の勢力は、人間がこのプライドという罪を手放なさないよう秒刻みで働いていて、お金はその主要な道具。お金を考え出したのは彼ら闇の勢力。(中略。)彼らはお金を発明したから、自分たちは光の勢力よりも強いとさえ思っている。そして彼らはそのお金を、人間に人としての本来の目的を忘れさせるために用いる。(中略。)だけど、私はどうしても、この死にいたる危険、精神の腐敗をあなたから取り除いてあげたかった。それで、この闇の勢力のメカニズムが弱まり、破壊され、あるいは逆に、罪の根絶に向かって作用するような、あなた専用の仕組みを考えた。だから彼らはすさまじく怒っていた。(中略。)私の中にあなたに対する怒りを爆発させたかった。でも私は絶対にそれはしない。むしろあなたの怒りを見て、私の考えた案が成功だったと確認できたし、数千年もの間、順調に機能してきた彼らのシステムを崩壊させる道を見出せたと思った。アナスタシアは「種」には宇宙の情報すべてが含まれていると言っているが、種まきからとても具体的に詳しくアナスタシア農業について語っている。「撒く前の種をいくつか口に入れ、舌の下に少なくとも九分はおいておく。次に、それを口から出して、両手のひらに包んで約三十秒間もったまま、その種を植える地面の上に裸足で立つ。両手のひらをそのまま開いて、そこにある種をゆっくりと注意しながら口のところにもっていき、種に向かって肺から息をそっと吹きかける。あなたの息で温められたその小さな種は、あなたの体の中にあるものすべてを知る。」(中略)アナスタシアが言うには、このようにして育った果物や野菜などの植物の実は、それを撒き、育てた人が食べると、間違いなくその人のあらゆる病を癒すばかりか、老化のスピードを緩慢にし、悪習を取り除き、様々な知的能力を増大させ、心の平安までもたらすのだそうだ。「人生の意味は真実と喜びと愛の中にある。」byアナスタシアWorldShift MAGAZINE Vol.2人間には宇宙の叡智が備わっており、その叡智を発揮し、幸せに生きることが可能で、 そのためには土地との絆を深め、望む未来をイメージすることが大切である、と感じ取った人たちが実践を始めていることが伝わりました。以上のアナスタシアの教えとは、簡単にいえば、宇宙の叡智を再び思い出すことで、そのためには、自然との共生から、かつての人類がもっていた共通認識を思い出すことなのかもしれない。つまり、脳を捨てることなのである。神智学では、現代人が人種の違いを乗り越えて、同じ人類として和解し共通認識を打ち立てると、ようやく古代アトランティス時代の人類の意識に到達できると、アカシャ年代記を読み解くことで明らかにしている。つまり、現代の科学が解き明かした事実は、既に古代アトランティス時代に解き明かされていたわけで、現代人はその前世をニューラライザー(消去)されていたにすぎない。シュタイナーは、アカシャ年代記を読み解いて、人間の死が、レムリア時代に脳の形成とともにはじまったのを解き明かしている。人類はそれまでは両性具有で、単性生殖だったので、神そっくりの複製存在だったが、やがて、その一部が、自由を手にいれたいために、認識の実を食べて、肉体を手に入れるようになり、男と女に分かれて、有性生殖をするようになった。それから、人間は輪廻転生するようになり、人間に肉体の死が生まれた。男女に分かれる前に、肉体はなく、単性生殖だったので、子どももなかった。男女にわかれ、有性生殖で、肉体をもつようになり、輪廻転生をし、子どもがどちらかに似るようになった。これらの話をまとめたサイトが以下であるので紹介する。outline■レムリア時代・この時代になって、地球のなかのもっとも粗雑な部分が月として地球から分離し、地球は荒廃を免れた。月が地球から分離する前、人間は太陽の力を受け取る女性的な存在であった。月が地球から分離したのち、太陽が男性的な力を、月が女性的な力を地上に注ぎかけるようになった。このことを通して、レムリア時代に人間は男と女に分かれた。・男女両性具有であったころ、人間は自ら子どもを生みだし、その子どもの中に自分の意識を移行させていたが、男女に分かれ両性の生殖行為を通して子どもを生むようになると、それができなくなった。そして、年老いて肉体が崩壊すると、かつて肉体と結びついていた意識は物質界から去ってゆくことになった。この時代になって人間は死を体験するようになったのである。・輪廻転生はレムリア時代に開始された。・レムリア時代のはじめ、地球は火のような水からできていて、人間はまだ肺をもたず、えらで呼吸していた。やがて、水が引いていき、浮袋で空気をすうようになった。また、エラが聴覚器官へと変化した。そして、この呼吸を通じ、自我が直立した人間に受け取られた。・このレムリア時代に、ルシファーが人間に対する働きかけを始め、人間に独立と自由を与え、善悪の区別を教えた。そして、同時に、神々から独立した存在になった。・レムリア大陸で、男たちは意志の育成に励み、女たちは想像力の発展にいそしんだ。・レムリア大陸の気温は高く、火山がいたることこで火を噴いていた。人間は邪悪な情欲をもつと、それに対応して火山は火を噴いた。・やがて、レムリア大陸は火山の爆発によって崩壊。一部の人間が、逃れてアトランティス大陸へと移った。■アトランティス時代・アトランティス大陸は現在の大西洋の位置にあった。・アトランティス人は、卓越した記憶力をもっていて、太古の叡智の記憶に基づいて巨大な文明を築いた。・彼らは、植物の生命力を利用した飛行機(UFO)も持っていた。・アトランティス時代になってはじめて人間は言葉を使うことができるようになった。・アトランティス大陸には、土星神託、木星神託、火星神託、ヴルカン神託、水星神託金星神託があって、それらを統合する太陽神託があった。その太陽神託の指導者は、ヌ(ノア)という人物であった。・やがて、アトランティス人は、その文明のなかに溺れ権力的になっていった。・マヌは文明に毒されていない素朴な人々を集めて、アイルランドからヨーロッパを経て、ゴビ砂漠に向かった。・アトランティスの文明を洪水が襲い、海中に沈めた。■以降、以下の文化期を経て、現代の第5文化期にいたり、さらに人類は次の文化期に移ることになる。◆インド文化期/BC7227-5067・エーテル体の文化の時代・マヌは、7人の人物を選び出し、彼らにアトランティスの土星神託、木星神託、火星神託、ヴルカン星神託、水星神託、金星神託、太陽神託のそれぞれの叡智を担わせた。その7人がインドの7人の神仙(リシ)と呼ばれる人たちである。彼らは、宇宙の彼方に存在するヴィシュヴァカルマン神について語り、彼らの語った叡智の余韻は「ヴェーダ」の中に残っている。・春分点は蟹座に位置し、人々は霊会に眼差しをむけ、彼らの目には物質界は、幻影(マーヤー)と映った。◆ペルシア文化期/BC5067-2907・アストラル体の文化の時代・マヌは、7人の仙人の他に特別の弟子を一人もっていた。この弟子は後にゾロアスターとして再受肉し、ペルシア文化を建設した。彼は、光の神アフラ・マズダを人々に説き、アフラ・マズダに対抗する悪魔アーリマンのことを語った。・春分点は双子座に位置し、人々は地上への働きかけを開始した。・ゾロアスターは、自分のアストラル体をヘルメスに、エーテル体をモーゼに与えた。ヘルメスはゾロアスターのアストラル体を通して宇宙空間についての叡智を獲得しモーゼはゾロアスターのエーテル体を通して宇宙の歴史についての知を得て、「旧約聖書」の「創世紀」を書いた。◆エジプト文化期/BC2907-747・感覚魂の文化の時代・ヘルメスがエジプト文化を築いてゆく。・密儀の文化が開花し、オシリス、イシス、ホルスの親子神が崇拝された。・春分点は雄牛座に位置し、人々は星界の法則に基づいて地上社会を建設しようとした。 ◆ギリシア文化期/BC747-AD1413・悟性魂の文化の時代・ギリシャ文化は純人間的な文化であり、哲学、芸術美しい果実をもたらした。・春分点は牡羊座に位置し、人々はプルートー、ポセイドン、ゼウスが活躍する神話を愛し、アポロン、ディオニュソスを崇拝した。老熟した地上の叡智と若々しい宇宙的な霊力という2つの流れは、プラトンとアリストテレスの二人によって代表された。◆第5文化期(アーリア文化期)/1413-3573・意識魂の文化の時代・ルネサンス時代を境として、人類は新しい時代に足を踏みいれた。・ギリシャ文化を鏡とするかのように、今日の新しい時代はエジプト文化を反映している。エジプト文化期のカルマが近代・現代のなかに反映している。エジプト時代のミイラへの情熱が、現代の唯物主義の隆盛とカルマ的に結びついている。◆第6(スラブ)文化期・霊我(マナス)の文化の時代◆第7(アメリカ)文化期・生命霊(ブッディ)の文化の時代だから、人間は再び両性具有になったときに、肉体の死もなく、輪廻転生もなくなり、永遠不滅の人生をおくるようになる、とヨハネの黙示録により、またそれを読み解いたシュタイナーにも預言されている。これはまだまだ先の話で、それは各個人の進化度合によるらしい。そのように高次の宇宙人により、人類の進化計画が策定されているのだが、それに従うかどうかは各個人の自由な意志に委ねられている。さて、シュタイナーは、当面のポストアトランティス時代の、現代のアーリア文化期の人類の課題を、次のサイトのように「職業のカルマと未来」のなかで述べている。『職業のカルマと未来』 ルドルフ・シュタイナー : わが愛しのXXX。■「叡智の働き」より~ 「叡智は人間をとおして世界に到来しただけではない。叡智は全世界をとおして躍動する。人間は他の存在以上の特別の有機的構成をとおして、この叡智を知覚する役目があるのだ」と認識すると、ものごとが解明されます。~ 叡智の作用によって超常的な現象が引き起こされると、私たちの目のまえに広がっているものより重要でないことを真剣に取る人は熱中します。私たちの目のまえに広がっているもののほうが、ずっと重要です。~ 動物は人間よりもずっと強く世界の叡智に結び付いています。動物は世界の叡智に紡ぎ込まれています。~ 客観的に支配する理性を考慮して、「私たちのまわりには空気と光があるだけではない。いたるところを理性が統治している。私たちが歩くとき、光に満ちた空間を通っていくだけではない。私たちは叡智の空間、理性が支配する空間も通っていくのだ」と、私たちは思います。以上は原文を直訳しているので、意味が伝わりにくいので、意訳すると、恐らく以下になるだろう。~ 「叡智は人間を通じて物質界に到来するだけではない。叡智は地球を含む宇宙全体に満ち躍動している。人間は他の存在以上の特別な肉体(脳)を通じて、この叡智を知覚する役目がある」と認識すると、ものごとが解明できる。~ 叡智によって超常現象が引き起こされると、目のまえに広がっているものよりも重要でないものを真に受け、熱中する。目の前に広がっているもののほうが、叡智の認識には遥かに重要です。~ 動物は人間よりも遥かに強固に宇宙の叡智と結び付いています。動物は宇宙の叡智のなかに紡ぎ込まれています。~ 叡智が客観的に支配する倫理性を考慮して、「私たちのまわりには空気や光があるだけではない。神の言葉(叡智)がいたるところをバランス統治している。私たちが歩くとき、光に満ちた空間を通っていくだけではない。私たちは叡智が支配するバランスの空間も通っていく」と、人智学徒は感じます。というように、動物は、宇宙に漲る叡智を、動物の言葉に置き換えて鳴き声で語っている。しかし、人間は、脳で考えて、人間の言葉に置き換えて語るので、人間の同じ言語を使う民族でしか通用しないだけなのである。この事実を、聖書では、バベルの塔の崩壊で伝承し、記述している。鳥には鳥の言葉があり、人間には人間の言葉があるのに、先に紹介した研究者は気が付いたわけで、人間だけが言葉を話すわけではないから、人間だけが賢いわけではなく、むしろ、動物に比べれば愚かなのである。動物は自然と共生し、自然から叡智を感受しているので、少なくとも、人間よりは自然を理解している。先の鳥言語研究者は、人間よりも、鳥の方が自然に詳しいことを知るだろう。少なくとも紫外線を感知できている範囲で、人間の可視光よりも遥かに賢い。バベルの塔 - Wikipedia■「夢見る能力」より~ 私たちが周囲との関連を保って、夢見るまで目覚めていられると、私たちの本質と周囲との関連について非常に多くを語れるでしょう。夢を見るまで目覚めている必要があるだけです。そうすると、途方もない体験が現われ、それを叙述することもできます。~ 夢見るために用いる力は、まず外界のなかで他のものに用いられねばなりません。そうすることによって、この他のもののなかに、地球のさらなる進化のための基盤が作られます。もし、すべての人間がいま述べた仕方で夢見たら、地球進化は停止するでしょう。以下に意訳すると、~ 人間が周囲との日常生活そのままの関係を保ちながら、つまり、寝ながら、夢を見るまで覚醒意識を保てると、人生の意味と、人生で起こる様々な出来事の、周囲との関係について非常に多くを語れるようになるでしょう。寝入っても、夢を見るまで目覚めている必要があるだけです。そうすると、途方もない前世での体験が現われ、それを叙述することもできます。~ 夢を見るために用いる能力(洞察力)は、まず外界のなかで他のものに用いられねばなりません。そうすることによって、この他のもののなかに、人間自らの意図が埋め込まれ、地球の更なる進化のための基盤が作られます。もし、すべての人間がいま述べた方法で夢だけを見続けたら、前世の迷路に迷い込み、まどろんで、人間は退化する動物となって、地球進化全体が停止してしまうでしょう。この話には、現代科学の基本となる量子力学の観測問題が隠されている。量子力学の観測問題とは、人間の自由意志が、量子の生成消滅を決定しているのを、確率統計を応用した波動関数で数式化し、記述する学問だが、実はそのような意図が既に、古代アトランティス時代のエーテル科学で実現されていたからこそ、可能なのである。それらが既に設計図として、設定され、当時の「水」のエーテルのなかに、量子の生起消滅として記録されていたからこそ、人間の自由意志いかんで、現代の素粒子として、現実化するのである。現代人は、来るべき、アクエリアスの時代のために、量子力学を、霊魂の絆をつなげる超弦理論にまで拡張しないといけない。超弦理論が数式化されつつあるのは、正にその兆候なのである。だから、仏教論でいえば、色即是空が量子力学で、善因善果と悪因悪果とを結びつける、前世からの絆を、つまりカルマの法則を、超弦理論の平行宇宙論で読み解かないといけない。カインのフリーメーソンは現代科学を産んだが、いまアベルの宗教とに、キリストの叡智により統合されるときなのである。■「元素存在」より文科高等学校に入り、すこし大学を見まわし、多くの表象を自分のなかに受け取った人は、非常に賢く見えがちです。そのような人が、すべてがどうなるべきかを語れる、人類の改革者のようにふるまいます。そのような人が、たくさんいます。彼らは普通、これからどうなるべきかを、非常に愚かに語ります。人々はそのような識者たちを非常に尊敬するので、そのことに気づきません。型にはまった校長・著述家・新聞記者が人生の関連を最も理解していないということを、人々が多かれ少なかれ感じる時代がやってくるにちがいありません。そのような判断が、しだいに形成されていくにちがいありません。以上はほとんど直訳でもわかるが、あえて意訳すると、高等学校から、大学に入り、それなりに学問を見まわし、多くの知識を自分のなかに吸収し、卒業した人は、非常に賢く見えがちです。そのような人が、すべてがどうなるべきかを語れる、人類の改革者のようにふるまいます。そのような人が、たくさんいます。彼らは普通、これからどうなるべきかを、非常に偉ぶった態度で、それでいて叡智について何も知らずに、愚かに語ります。人々はそのような識者たちを非常に尊敬するので、そのことに気づきません。 型にはまった校長・著述家・新聞記者が、叡智と、人生の関係を最も理解していないということを、人々が多かれ少なかれ感じる時代がやってくるにちがいありません。そのような判断が、しだいに形成されていくにちがいありません。この無知の現象は例えば、昨今のコメ価格高騰問題にも現れている。コメ価格の高騰の背後にある、人間の利己主義による利益追求の姿勢と転売で利ザヤを稼ごうする愚かな行為が、自分の霊魂を穢し、自らを地獄に堕とすことなど全く自覚しない、浅はかな認識である。上がったとか、下がったとかに一喜一憂して、人間の品格や精神性に対して、特に無償の愛に鈍感になっている人間が増加しているのに驚かされる。巷を賑わす詐欺事件など、全てが詐欺的な利己主義が根底にある。オールドメディアは金儲けのために、その一味となって、洗脳広報機関と化しているから、始末に負えない。これら脳の仕業から、人間を解放しない限りは、人間は脳の奴隷となり、脳が感知し流す、相場に応じて、上がった下がったとカネの勘定をして暮らす悪魔の奴隷に成り下がるだけであろう。悪魔はAIにより人間を支配していくだろう。■「職業生活と宗教」より大事なのは、人間の視点が広くならねばならない、ということです。つまり、漠然と表象される唯一の神ではなく、いたるところに具体的な霊性が存在するということです。万力を見て、「火花が飛び散るように、元素霊たちが作り出される。その元素霊たちは宇宙プロセスのなかに移行し、宇宙プロセスのなかで活動する」と知らなくてはなりません。以下に意訳すると、大事なのは、人間の視点が可視域だけでなく、不可視域にも広くならねばならない、ということです。つまり、漠然とイメージできる唯一の神だけでなく、宇宙のいたるところに具体的な叡智の存在として、霊性が存在する、ということです。万有引力を見て、「火花が飛び散るように、元素霊たちが作り出される。その元素霊たちは、宇宙全体のプロセスのなかに移行(相転移)し、宇宙全体のプロセスのなかで活動する」のを知らなくてはなりません。神智学では、神により、人間がつくられる前に、自然霊がつくられたのを解き明かしている。自然霊は精霊とも呼ばれているが、それは大きく4つの、火のサラマンダー、風のシルフ、水のウンディーネ、土のノルムなどと呼ばれ、大別されている。生命の形態を意味し、現代科学でいえば、火は熱やエネルギー、風は気体、水は液体、土は固体のことである。生命的表現でいえば、火は自我の霊で、風はアストラル、水はエーテル、そして、土は物質の、肉である。これらはマントラムの神の言葉、つまり宇宙の意識からつくられる。だから、この自然霊を、現代の言葉に置き換えるのは容易ではないし、しばしば誤解を生じさせる。現代の言葉では、物質で表現できるエネルギー体以外は、負のエネルギーになるので、ダークマターというしかないだろう。せいぜい対称性で記述できる不可視な存在でしかない。■「機械の動かし方」より人間の意志と志向のなかに存在する精妙な脈動が、人間が作り出すもののなかに織り込まれ、組み込まれていきます。調合した素材を誰から受け取っても同じではなくなります。 最も外的で冷たい技術の発展さえ、一定の目的に向かっています。今日、技術の発展を予感的に思い描ける人は、「将来、工場全体が指導者によって個性的に作動するようになる」ということを知っています。志操が工場のなかに入り、それが機械の働き方に伝わります。私たちの触れるものすべてに、次第に 人間の本質の模像が刻印されていきます。 今日の賢い人々には愚かに思えることが実現する時代が来るでしょう。パウロは、「人々が賢いと思うことは、しばしば神のまえでは愚かだ」と言いました。人間は手の動きをとおして空気の振動を起こし、一定の合図でモーターを動かし、別の合図で調整するようになるでしょう。 経済の発展によって、外的なパテントなどは完全になくなるでしょう。そのようなものは、私がいま述べたものに取って代わられます。人間の本性と関係しないものは、すべて閉め出されるでしょう。 本当に善良な人間、特別に高い志操の人間には将来なにができるか、一度考えてみてください。そのような人は機械を組み立て、その機械のための合図を決めることができるでしょう。彼と同じように善良な志操の人々のみが遂行できる合図です。邪悪な志向の人々は、その合図をしても別の振動を引き起こし、機械は動かないでしょう。以下に意訳すると、人間の意志のなかに存在する精妙の霊的な波動が、人間が作り出すもののなかに織り込まれ、組み込まれていきます。だから、人間のそのときの意志でつくりだされた素材を、誰かから受け取っても、それは本来は微妙に異なり、同じ波動ではないのです。 もっとも機械的で、物質的な冷却技術の発展さえも、それを製作し体系づけた人により、ある目的に向かっています。今日、そのような技術の未来を予測できる人は、「将来、工場全体が、工場を製作した指導者によって個性的に作動するようになる」のを知っています。人間の意志が、工場のなかに入り、それが機械の働き方に伝わります。私たちの触れるものすべてに、次第に、人間の意志の模像が刻印されていきます。 今日の賢い人々には、想像しえないことが実現する時代が来るでしょう。パウロは、「人々が賢くみえることは、しばしば神のまえでは愚かだ」と言いました。人間は手の動作を通じて、微妙な空気の振動を起こし、ある合図で、モーターを動かし、別の合図でそれを調整するようになるでしょう。 経済の発展によって、物質的利益を追求する利己的なパテントなどは完全になくなるでしょう。そのような利益追求の賢さは、私がいま述べた愚かさに取って代わられます。人間の奉仕の意志と関係しないものは、すべて閉め出されるでしょう。 本当に善良な人間、特別に高い意志の人間には将来なにができるか、一度考えてみてください。そのような人は機械を組み立て、その機械の目的や役割を決めることができるでしょう。彼と同じように善良な意志の人々のみが遂行できる目的です。邪悪な利益追求の意志の人々は、その合図をしても、別の振動を引き起こし、機械は動かないでしょう。この最後のシュタイナーの指摘は、以前紹介したアナスタシアのUFOの話とよく似ている。54)愛の力でUFOが飛ぶ|アキタロウ本「アナスタシア」にUFOが飛ぶ原理は微生物と書かれている|puまさか!?アナスタシアが詳細に語るUFOは微生物によって動く?⑰ | 私のバイブルは「アナスタシア」上のサイトを読むと、人間の脳とUFOを動かしているのが同じで、霊の働きというのがわかる。つまり、人間の脳は、肉体の操縦桿で、人間の肉体をUFOとして動かしているわけで、脳もUFOも、操作しているのは、霊にすぎない。恐らく、微生物というのは、自然霊のことなのだろう。つまりUFOは物質ではなく、エーテル体というわけなのだろう。だから、水のような、雲などの水蒸気と同じで、現代科学でいうのなら、プラズマ体というべきだろう。だから、肉体のまま乗れるわけではなく、人間が霊魂となって乗れるわけなので、幽体離脱体というわけなのだろう。もっと物質的にいえば、ドローンを原子のように小さくし、それに人間の意志を乗せて、空をネットワークにして、地上のアカウントから操作したようなものといえるだろう。■「職業人の情動」より 昔、金儲けをしようとした錬金術師は何も達成できませんでした。金儲けをする気がなく、神々の栄光と人類の安寧のために秘跡を行おうとした錬金術師は、同様のプロセスで何かを成し遂げました。 職業・仕事から生じるものは、人間の情動のオーラ、人間が努力して手に入れた喜びをまとっているいるかぎり、私がいま述べた作用を受けませんでした。職業・仕事をとおして生じるものが、もはや特別の感激をもって作られなくなる分だけ、人間から流れ出すものが発動的になることができます。人間は自分の仕事から現れる機械的な世界、自分の仕事に用いる機械的な世界に、もはや自分の情動を結び付けることができません。 喜ばしい職業・仕事から、自分の人間的な熱を事物に与えることは、将来不可能になるでしょう。その代わりに、事物をより純血に世界のなかに存在させることになります。そうなることによって、いま述べた方法で人間から発する力に敏感になるでしょう。 人間の進化にそのような方向を与えることのできるものは、精神科学によって精神的な力を具体的に認識することから生じます。そのようなことが生じるかどうかは、「あらゆる職業・仕事を越え出ると同時に。あらゆる仕事に浸透できるもののなかで人と人が共にいられる」という対極を、世界の多くの人々が見出すかどうかかかっています。人間の共同生活を築き、あらゆる職業の人々を結び付けることが精神科学運動です。 職業の発展における純粋に外的な進歩は、人類の絆すべてを解消に導くでしょう。その外的な進歩によって人間はますます理解しあえなくなり、人間の本性に相応する関係を発展させられなくなるでしょう。人々はますますすれちがうようになり、自分の利益しか求められなくなり、競争以外の関係を築けなくなるでしょう。そうなってはいけません。そうなると、人類は完全に退廃するからです。そうならないために、精神科学が広まらねばなりません。以下に意訳すると、昔、金儲けをしようとした錬金術師は何も達成できませんでした。金儲けをする気がなく、神々の栄光と人類の安寧のために白魔術を行おうとした錬金術師は、霊能力で様々な偉業を成し遂げました。 職業・仕事から生じるものは、人間の情動のオーラ、人間が努力して手に入れた喜びをまとっているかぎり、黒魔術の影響を受けませんでした。職業・仕事をとおして生じる能力が、もはや自らの名誉欲や虚栄心などの利己的な承認欲で作られなくなる分だけ、人間から流れ出す意志が、関係する周囲のものを発動できるのです。人間は自分の利己的欲求の仕事から現れ、利用される機械的な物質界に、もはや自分の自由な意志を結び付けることができません。 自己本位の職業・仕事から、利己の人間的な熱情を事物に与えることは、将来不可能になるでしょう。その代わりに、事物をより精神の、霊界のなかに存在させることになります。そうなることによって、いま述べた方法で人間から発する奉仕の愛の精神力に敏感になるでしょう。 人間の進化に、そのような奉仕の愛への方向性を与えるには、人智学によって霊能力を具体的に認識できることから生じます。そのようなことが生じるかどうかは、「あらゆる個人的な職業・仕事を越え出ると同時に、あらゆる多種多様な仕事に浸透できる共通の認識を人と人の絆のなかに構築できる」という現在の利己主義への対極を、世界の多くの人々が見出すかどうかにかかっています。人間の共同生活を築き、あらゆる職業の人々を結び付けることが人智学運動です。 職業の発展における、唯物的で物質科学的な進歩は、人類の絆すべてを解消に導くでしょう。そのような物質科学的な進歩によって人間はますます理解しあえなくなり、人間の霊性に相応する関係を発展させられなくなるでしょう。人々は益々すれちがうようになり、自分の利益しか求められなくなり、競争以外の関係を築けなくなるでしょう。そうなってはいけません。そうなると、人類は完全に退廃するからです。そうならないために、人智学が広まらねばなりません。長くなったので、次回に持ち越します。あしからず。
2025年06月10日
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前回は、現代科学の生半可な知識しかもたない自称科学者が、オカルトを馬鹿にして、日ユ同祖論の誤解から、現代の意味での日本人と、ユダヤ人を曲解し、その違いを論じ、批判している滑稽さを戒めるために、「君が代」などの意味を、古代叡智から紹介した。そこで、続けて、古代ヘブライ語から、「さくら」の歌を紹介する。「さくらさくら」はヘブライ語の歌? – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究「君が代」は、天から地に救世主キリストが降臨する人類祝福の歌で、キリストが地に実際に生きることを通じて、従来の律法から、道徳を体現し、その見本を示すことで、人類が原罪を免れる術を与え、肉体が死んでも、霊魂は永遠不滅で、人類の各個人の努力次第で、その不死性を獲得できるのを、各自我に委ね、その証として、三種の神器を獲得できたら、キリストの姿がみえるのを、「かごめ」の歌で、預言している、のを紹介した。まとめると、「君が代」が救世主キリストの到来の預言で、「かごめ」が、人類が三種の神器を獲得し、自由な愛の天使に昇格するか、もしくは堕天使に降格するか、どちらかの預言である。そして、次の「さくら」の歌はどんな預言かというと、上述のサイトは以下のように古代ヘブライ語で読み解いている。で、「さくら」の歌の意味はどうかといえば、上述のサイトによれば、以下のようである。さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り 霞か雲か にほひぞ出ずる いざや いざや 見に行かん「(真相は)隠される!偽りか!神は耐え忍び、死なれたが、生きておられる。預言が成就した。素晴らしいことが創造された。神の救い!神の救い!祭司として仕える民を呼び起こせ!」この意味を読み解くには、古代叡智、もしくは神智学の霊的知識を必要とする。さくらの歌の日本語の意味は、そのまま、さくらの花の、散り際が美しいのと同様に、さくらは、自己犠牲の無償の愛を表現している。例えば、以下のサイトには「さくら」についての各国の花言葉が載っているので、漠然と、その意味がわかるはずである。【桜の花言葉】種類別・外国での意味とおすすめ作品12選 | minneとものづくりと桜全体の花言葉は「精神の美」「純潔」「優美な女性」です。「精神の美」とは、日本人の心の美しさや品格を表しているとされています。フランスでの桜全般の花言葉は「私を忘れないで(Nem’ oubliez pas)」。アメリカでの桜全般の花言葉は「精神の美(spiritual beauty)」「優れた教育(a good education)」。韓国での桜全般の花言葉は「心の美しさ」「佳人(美しい人)」。そして、「弥生」は、ググると、『陰暦3月のことで、もともとは「いやおい」と読み、それが変化して「やよい」になりました。 ここでの「弥」は、「いよいよ、ますます(程度が進むこと)」を表し、「生」は生い茂るという意味。 暖かい春になり、草木は寒い冬から解き放たれたように先を争って芽を吹き出す。』とあるように、地に植物が芽生える季節で、「や」は、やまとの「や」の、ヤハヴェの「や」で神を意味する。3月の別称は「弥生」。ここでの「弥」はどういう意味? : 読売新聞だから、「さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り 霞か雲か にほひぞ出ずる いざや いざや 見に行かん」は、「高貴な精神 散り行く無償の愛 神の天国の世界は 目にはみえないが、宇宙全体に 霞か雲の星々や星雲のように、輝く光を放ち、色が照りはえて美しく見える 自他共に皆で一緒に 手を取り合っていきましょう」という意味に、おそらくなるかもしれない。 これを古代ヘブライ語で意訳すると、「(真相は)隠される!偽りか!神は耐え忍び、死なれたが、生きておられる。預言が成就した。素晴らしいことが創造された。神の救い!神の救い!祭司として仕える民を呼び起こせ!」と、上に紹介したサイトは訳しているが、この神とは、キリストのことで、キリストの降臨と、死からの復活を述べている。そして、キリストの教えを、「祭司として、仕える民を呼び起こせ」、と述べているが、その民こそが、新しいユダヤ人で、イスラエルの民で、これからの新人類となっていく、のを予言している。いわば、水の民で、風の民、現代風にいえば、アクエリアス人というべきかもしれない。その新人類は、アベルの祭司系民族と、カインの石工系民族を融合した、十字架とソロモンの六芒星を、併せ持つ、聖杯の民となる。だから、シュタイナーはいずれ前世の記憶をもつ子どもが生まれてくると預言している。聖杯の民となるには、現代人は、脳を捨てないといけない。というのは、脳は、物質界を知覚する道具にすぎないからである。少なくとも、人間の内面、心を知覚するには、脳を捨て、素粒子となった後の量子力学を超えないといけない。素粒子はただ、宇宙の意識を運ぶ道具にすぎないからである。例えば、人間が肉体を動かしているのは、その意識を、物質エネルギーに限定して、電子などに伝え、原子に変換して、神経組織の細胞から、筋肉組織などの細胞に伝達して、ミクロからマクロに展開している。人智学では、このプロセスを、自我から、アストラル体を経て、エーテル体から肉体の物質体に変換していると、大まかに概要を与えて解釈している。物質の言葉では表現できないので、自我、アストラル、エーテルなどの言葉を用いている。ちなみに、ヒポクラテスの四体液説では、「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類の言葉に置き換えている。黒胆汁とは、物質の肉体のことである。だから、現代医学は、ヒポクラテスからすれば、黒胆汁しか考慮していないと批判されるだろう。シュタイナーは、この四体液説から、四つの気質に分類し、特に子どもの教育に応用する、教育体系をつくりあげたが、これがシュタイナー教育として広まっている。四体液説 - Wikipediaこのように、そもそも、古代史を読み解くには、現代人の脳による思考からは困難で、ここ数十年の現代人の肉体的な変化をみれば、いまの令和から、昭和の人たちの感性さえも読み解くのが困難なのがわかるはずである。現代の日本人といっても、ほとんど混血がなされているわけで、ましてや百年前までは、特定の母国をもたなかったユダヤ人が、聖書に書かれたイスラエルの民という意味での、ユダヤ人と同等かどうかは、遺伝子解析をしたとしても、確率統計論に委ねるしかなく、現代人の脳からはほぼ判別不可能であろう。日本の文化や風習の源流を辿ると、古代イスラエルの民の文化や風習に辿り着くのを、中世以降の近代の唯物論に染まった現代人の脳での覚醒意識ではなく、肉体を離れた潜在意識での前世などの記憶から読み解き、アカシックレコードのアカシャ(虚空)年代記にアクセスするのが、神智学の目的といえるかもしれない。その神智学を世に広めるために、ブラヴァツキ―夫人が神智学協会を創設した目的は以下の3点に集約されるという。1.信仰、人種、身分、男女などによる社会的差別をしない。2.東洋の叡智を学び、その普及に努める3.自然と人間との内部に働いている霊的な法則を探求する。そして、これら3つの基本姿勢を貫く協会のモットーとして、「いかなる宗教も、真理より高次ではない」という言葉を選んだという。ヘレナ・P・ブラヴァツキー - Wikipedia神智学 - Wikipedia上の図はウイキの神智学の解説から拝借したシンボルである。中央の六芒星のなかに、古代エジプトの十字架の生命を表わすアンクが掲げられている。つまり、この六芒星とアンクは、聖杯を意味する。そして周囲を囲むのが、大宇宙を表わすウロボロスの蛇である。蛇の口と尻尾の頂上の結合部には、卍がみられる。アンク - Wikipediaウロボロス - Wikipedia卍 - Wikipedia寺院の地図記号『卍』は“幸福の印”という意味 | 無料のアプリでラジオを聴こう! | radiko news(ラジコニュース)元々『卍』は、古代インド語の『サンスクリット語』に由来しています。 サンスクリット語では『卍』は“おめでたいこと”、”幸福”という意味があり、仏教やヒンドゥー教でも“幸福の印”として使われています。卍について、シュタイナーは、以下のように、五芒星とともに、神秘学の講義で解説している。 ☆ ☆ ☆今日は、皆さんが、神智学の初歩における、理念、概念、表象の修得から、次第に霊的な体験へといかに導かれるか、を示しておきたいと思います。何しろ神秘学で用いられる、いかなる図像も霊的体験から取ってきたものなのですから。例えば、有名な卍の図形を例にとってみますと、様々な文献に、この図形について機知に富む多様な解釈をみつけることができます。この卍は、もともとどのようにして神秘学に取り入れられたのでしょうか。この図形は、人智学徒が、アストラル的な感覚器と呼んでいる心眼の模像に他なりません。ある種の霊的な修行によって、人間はアストラル的な感覚器を育成できます。卍のなかの、この二本の線(図示)は、本来、霊視者の霊眼に、炎の車輪か花のように見えた、アストラル体のなかでの運動なのです。これらは蓮華とも呼ばれます。この車輪ないしチャクラと呼ばれる、蓮華のうち、例えば、両眼のあたりには二弁のもの、喉頭のあたりには十六弁のものが配されていますが、アストラル界に発光現象として生じてくる、このようなアストラル的感覚器を表す記号の、図形が卍なのです。あるいはまた別の記号、いわゆる五芒星(ペンタグラム)を考えてみましょう。脳で思考したり、哲学しても、五芒星の本来の意味を見出すことはできません。五芒星は霊的な体験では、ひとつの現実なのです。これは、人間のエーテル体のなかに見出せる流れ、力の流れを描き出している図像なのです。人間の場合、ある種の力の流れが左足から頭部まで上昇し、そこから右足へ、次いで左手へ、そこから身体を横切って、心臓を通って右手へ、そして右手から再び左足に戻ります。その結果、人間の中に、頭、腕、両手、両脚、両足を通る五芒星を描きこむことができるのです。これは単なる幾何学的図形ではなく、力の作用として表象せねばなりません。人間は、エーテル体のなかに、五芒星を有しています。力の作用は、正確に、この五芒星の線を辿っています。各線は様々にねじ曲がることもありますが、常に五芒星の形を保って、人体に書き込まれています。五芒星はひとつのエーテル的な現実です。象徴ではなく、事実なのです。このように、神秘学においては、どの象徴も霊界の事実を表わす像なのです。こうした霊的な事実が根底にある霊界を示唆できてはじめて、その意味が理解できます。従って、人間がもつ最高度の明敏さの頭脳といえども、神秘学の記号の解釈に至ることはできないのです。唯一[霊界の]体験から、神秘学の記号と象徴の意味を見出すことができ、この意味を認識することで、人間は、はじめてホンモノの「創造を始める」ことができるのです。ですから人間が、まず霊能力によって見出された意味が伝達され、語られ、獲得することは、決して不必要なことではありません。そして、探求された霊的な事実から、再び人間は、これらの霊的な事実自体に至った原因へと回帰させられるのです。 ☆ ☆ ☆このように卍は、シュタイナーの霊能力により、ヨガで有名な人間のチャクラ、つまり蓮華を現わしているのがわかる。そして、この卍が、三種の神器の象徴なのである。そして、卍の上には、以下の、マントラの梵語の、OMがのっている。これは恐らく、霊魂の不死性を表わすフェニックスで、平和の象徴の鳩で、キリスト霊の王冠を表わす。以下のサイトの解説は少し曖昧である。あうんは、確かに阿吽の呼吸だが、過去と未来と現在の三位一体を現わす。生と死と輪廻転生の不死性でもある。【ヨガ哲学】ヨガのマントラ「OM」の意味とシンボル | yogatha(ヨガッサ)新潟県長岡・小千谷のヨガ教室&RYT200資格スクール肉体で表現するとこんな感じかもしれないこれらの意味から、神智学協会のシンボルは、人類の次の進化の姿を象徴化させているのがわかる。シュタイナーは、この神智学のシンボルを、ヨハネの黙示録の第7の封印図で、象徴化し、現わしている。それが以下の図である。(第7の封印図)この第7の封印図について、シュタイナーは、ヨハネの黙示録により、以下のように解説している。 ☆ ☆ ☆私たちは、アカシャ年代記を霊的に読み解くことで、人類進化の初めと終わりが同じ状態なのを見てきました。この同じ状態が、人類進化のはじめの第1の封印図のなかの、「火の足を持ち、燃え盛る炎を、口から剣のように吹き出した男として描かれている」のがわかりました。このような霊的に意味深い象徴図において、人智学徒には、宇宙の全存在が聖杯の象徴として明かされます。そして、このはじめの第1の封印図と同じ、終わりの第七の封印図について二、三の要点を話しておきたいと思います。神秘学者(オカルティスト)として、この宇宙を学ぶ者は、空間というものが物質界にとって、単なる空(からっぽ)とは全く別のものなのを知っています。空間は、霊的な存在(波動)を、いわば物質的に結晶化(格子化)させて、出現させる根源なのです。水で満たされた完全に透明なガラス製の立方体の器を考えてください。さて、それから、この立方体を冷却すると、このなかで、水を冷やす流れが生まれ、様々な形で氷が形成されるのがわかるでしょう。このようにして、この宇宙の創造の1つのイメージ、つまり物質的な空間が得られるのです。この空間の内部へと、神の創造の言葉が発せられ、ありとあらゆる被造物が結晶化し生み出されたのです。神的な創造の言葉が内部に発せられた、この空間を、神秘学者(オカルティスト)は水のように透明な立方体によって表します。この空間の内部で様々な存在が進化していきます。私たちの最も近くにある存在を、立方体は三つの垂直方向、つまり三本の軸、長さ、高さ、幅を持ち。これが立方体の三つの次元を示すことで、最もよく特徴づけることができます。さて、これらの、外の自然界にある三つの次元に反対の次元を加えると考えてみてください。皆さんはおよそ次のように想像できます。ひとりの人物がある方向に進み、もうひとりが、反対から向かってやってきて両者がぶつかる、というふうに。同様に、各空間の次元にも、それぞれ反対の次元が存在するのです。従って、私たちは全部で六本の線の次元を持つことになります。これらの反対の線の反次元は、同時に人間存在の、最高次の、原初的萌芽を表しています。空間から結晶化された物質体は、最低次のものです。霊体は、最高次で、その反対で、反次元によって示されます。ここで、進化において、最初の、第一の封印図で示された、男の姿である、激情、欲望、本能の世界に合流させることで、最もよく描かれ得る存在、このような存在の反次元が形成され、第7の封印図のなかに示されるのです。最初、これはそのようなルシファー的な悪魔の存在です。それから、のちに何か別のものになります。ますますいっそう、この存在は自らを浄化していきます--どれほど浄化されるか、人智学者は、アカシャ年代記のなかに見てきましたが--、もとは蛇によって象徴される低次の衝動から出発してきたのです。この経過が、第7の封印図のなかの、「互いに向き合った二匹の蛇のなかでの反次元の融合」によって象徴され表現されているのです。人類は自らを浄化することで『宇宙の螺旋』と呼ばれる進化の階段へと上昇します。浄化された蛇の体、この宇宙の螺旋は、深い意味をもっています。皆さんは、これについて次のような例でひとつの概念が得られるでしょう。現代の天文学では、コペルニクスの二つの法則に基づき、第三の法則は顧みられず無視されています。第三の法則は、太陽もまた動いている、というものでした。太陽は、前方へねじれながら進んでいて、その結果、地球は太陽とともに複雑な螺旋の曲線を描いて運動しているのです。同じ事が、地球の回りを運動している月にもあてはまります。これらの運動は、初歩的な天文学で受け入れられているよりもはるかに複雑なのです。螺旋が天体のなかでどのような意味をもっているのか、ここでおわかりでしょう。この天体は、将来、人間と一致するような形態を表しているのです。その時には、人間の生み出す力は浄化され、純化されているでしょう。人間が「浄化された蛇の体」として進化させていったものは、その時、もはや下から上へではなく、上から下へと作用することでしょう。私たち人間のなかで進化した喉頭は、「聖杯(グラール)」と呼ばれる杯になるのです。そして、この生殖器と結びつく、もうひとつの器官も同様に浄化されているでしょう。この器官は、宇宙の力の精髄(エキス)、大いなる宇宙の精髄となるでしょう。精髄の中の、この宇宙霊は、第7の封印図のなかでは、「聖杯にむきあう鳩の図像」で描かれています。ここで、鳩は、人間がいつか宇宙(コスモス)と一体化する時に、宇宙から働きかける霊化された授精作用の象徴なのです。この出来事の創造全体が、虹によって示されています。これはすべてを包括する「聖杯の封印図」なのです。(第7の封印図)この第7の封印図全体が、宇宙と人間の関係についての意味を、驚くべきやり方で他の封印図の意味もまとめるようにして伝えてくれています。従って、この封印図の周囲の縁に書かれた文字に、宇宙の秘密が現れています。この宇宙の秘密は、人間が原初に根源の力から生まれてきたのを示しています。どんな人間も、振り返ってみれば、宇宙意識の言葉の力から、新しく生まれ、今日霊的に成し遂げている進化過程を、既に原初の時代に神の母胎のなかで経てきたのです。薔薇十字会では、この宇宙の秘密を(頭文字で)E.D.N(エデン)=[ex deo nascimur](神から生まれた)と表します。封印図の秘密の開示のなかで、これに第二のものが加わるのを見てきました。すなわち、生のための死です。人間は、この死のなかに再び生を見出すために、生きては死に、またそれを繰り返して、輪廻転生のすべてのカルマの源泉のなかで、この感覚の死を克服せなばなりません。この源泉は、すべての宇宙進化の中心原理なのです。というのも、私たち人間は、覚醒意識を獲得するためには死を見出さねばならないからです。しかし、私たちは、この死の意味を救い主の秘密のなかに見出すとき、死を克服するでしょう。神から生まれたのと同様、私たちは秘教的な叡智の意味で、キリストにおいて死ぬのです。だから、I.C.M[im Christo morimur](キリストにおいて死ぬ)と記されています。そして、全ての秘密が開示されたら、これまでの二元性が、第三のものに統一され、人間は死を克服し、自らが、宇宙を貫く霊(鳩)と一体化するでしょう。人間は復活し、再び霊のなかに生きるのです。だから、この秘密は、P.S.S.R=[per spiritum sanctum reviviscimus](聖霊により復活する)と記されています。これが、神智学的薔薇十字の秘密です。これは、宗教と科学が宥和する時代を照らすのです。さて、以上のとおり、このような封印図には、宇宙全体の進化が描かれており、しかもこの宇宙の秘密は、魔術師や秘儀参入者によって、この封印図のなかに、秘密として封印されたため、この封印図には強い力が内在しています。人智学徒は、いつも新たに、これらの封印図から、宇宙の進化を辿ることができます。封印図は、瞑想を通して、無限の叡智を開くことができるのを、人智学徒は改めて見出すことでしょう。封印図は、宇宙の秘密から創られていますので、人間の魂に強力な影響を及ぼします。今日ここでお話しているような、宇宙の聖なる神秘へと高めてくれるような、そうした事柄が語られている部屋に、こうした封印図を掲げるなら、それらは、それと気づかれなくても、最高度に、霊的な事象へと啓発する作用を及ぼします。けれども、同時に、こういう意味をもっているからこそ、世俗化されるのを嫌います。奇妙に聞こえるかもしれませんが、霊的な意味が何ら語られず、俗っぽい物質的な言葉が語られている部屋に、このような封印図を周囲に掛けると、やはり作用は及ぼすものの、この場合は逆に、肉体を病気にするような作用をするのです。通俗的な言い方かもしれませんが、このような封印図は、消化不良を誘発するでしょう。霊的なものから生まれたものは、霊的なものにふさわしく、世俗化されてはなりません。このことを、それ自身がその作用によって示しているのです。霊的な事柄の記号は、霊的な事柄が起こり、その作用を得る場所を選ぶのです。 ☆ ☆ ☆というように、高尚な精神を、低俗に貶めると、肉体が病気がちになるわけで、いまの巷のコメ価格高騰などは、まさに欲望に目が眩んだ政治家たちの低俗な仕業というべきで、地獄に堕ちる自覚がないものと思われる。そして、この国の古代からの稲作が、実は、ドルイド教の古代アトランティス時代からの神事に由来しているのを、機会があればまた紹介してみたい。ドルイドは誤解が多く、日ユ同祖論のように曲解されているので、例えば、以下のウイキのようにオカルト化されてしまっているので、なかなか紹介は難しいかもしれない。ドルイド - Wikipedia人間は不自由なこの世に生まれて、もがき苦しむことで、死のなかに、生をみつけ、ホンモノの自由をみつけていくのである。
2025年06月05日
コメント(4)
最近は、巷の政治問題にかまけがちで、古代叡智の勉強もなかなか進まず、怠けがちなので、過去の思い出を書くことにした。大学のときの楽しい思い出は、夏休みのテニス合宿で、夏の暑い時期に軽井沢に先輩の車で行く事だった。そのテニス合宿は、当時オカルト番組で、UFO研究家との論争が話題のプラズマ実験で有名な某教授と同級生だった日本で唯一と言ってよいフェルミリキッド研究の名物教授が主催で、行われたものだった。テニス後集まって合宿部屋でTVをみながら飲み会をしたときに、その某プラズマ教授がちょうどTVに出ていて、「彼は東大大学院に入るときに、ちょっとしたズルをしたんだよ」と名物教授が、笑いながら裏話を披露してくれた記憶がある。当時の東大大学院の試験は4問出されて、どれも難問で、某教授は一問だけ回答し、後を白紙で出したのだが、後の面接で聞かれることを想定して、問題を記憶し、完全解答を用意して、面接に臨み、案の定、「なぜ4問中1問しか答えなかったのか」と聞かれて、「一問でよいと思ったから」と応え、では他の3問を答えなさい、といわれて、その場で答えて入学を認められた、という裏話だった。さすがに抜け目がないというか、転んでもただでは起きぬというか、そういう食えない人物が学問の世界でも生き残るのだろうと当時は呆気にとられた記憶が残っている。しかし、大学院は、入ってからが大変なんで、入試自体はそれほど問題とはされていないから笑い話で済む裏話だった。記憶力が半人前の自分には、大学入試以上の勉強づけになる日々だった思い出がある。だからテニス合宿も大学で卒業した。このちょっとした裏話を持ち出したのは、フェルミリキッドの名物教授の人柄がいまでも懐かしく想い出されるからである。当時、フェルミリキットは、物理学会の物性理論界隈では、相手にされずに、なかばオカルト論扱いされていた感じがあったようで、トンデモ笑い話のネタ扱いをされ、名物教授自体がフェルミリキッドのような得体の知れない存在だったからでもある。類は友を呼ぶというか、名物教授に師事する学生も個性的で面白い人物ばかりだったので、物理研究よりも、人物研究にハマってしまった感があった。フェルミ液体論 - Wikipediaのちのドラマ「トリック」の自称天才物理学者上田教授は、恐らく、某プラズマ教授がモデルかと思われるが、その人物像は、私には、フェルミリキッド名物教授と足して2で割ったようなというか、ゾンマーフェルト展開したようなキャラクターを想わせ、随分と楽しませてもらった。一見すると抜け目がないようにみえるが、実は中身は恐怖心で抜けまくっていて、上田にユーと呼ばれる助手の主人公の山田奈緒子に助けられて終わるようなドラマ展開が笑えたからである。トリック (テレビドラマ) - Wikipediaゾンマーフェルト展開 - Wikipediaドラマ「トリック」は、カミオガンデとか、表現が物理に準えて、しかも、実験系内輪ウケのギャグに富んだ名称が多いので、最高に馬鹿馬鹿しくて笑えるのだが、実際にはファンタジーそのものなので、医療ドラマと同じで、まるっきりすっきり架空の人物ばかりにすぎないが、ゾンマーフェルト展開のように、低温の状態で、電子熱容量が、発揮されやすい、自由電子のような束縛を解放された、個性的なキャラでなら、実在する可能性も少しは期待させるので、生命を扱う医療ドラマでの笑いは反感を買いやすい架空の人物よりは笑えるから面白い。それでも、真剣に物性物理でドラマ考察すると、あまりに低温の、極低温になると、今度は電子がクーパー対をつくり、超電導や、ポテンシャル障壁を乗り越えて量子力学のトンネル効果へと至り、液体ヘリウムで有名な超流動を起こしてしまう現象を、ドラマ「トリック」の山田助手と上田教授の関係に例えれば、探索中の過疎化の怪しいオカルト村での、物性に乏しい貧困のなかでは、互いにクーパー対になったりして、物質界を超えて、幽体離脱してしまい、山田助手に霊能力が芽生え、上田教授は失神してしまう、という状況に陥るドラマ性がよく似て表現されているのがわかる。超伝導 - Wikipediaクーパー対 - Wikipedia超流動 - Wikipediaしかし、実はこの架空ドラマのトリックによく似たオカルトではなく、現代物理学も認めるリアリティのある、2000年からはじまる、このドラマがあと追いした、南部陽一郎氏により構想された有名な物理理論がある。この南部氏の構想は、1970年代頃なので、トリックの方が完全なあと追いなのだが、その理論とは、物質界の質量発生のヒッグス機構を、超電導のクーパー対のBCS理論で示し、素粒子に応用想定し、「自発的対称性の破れ」と呼ばれる南部ゴールドストーン粒子を構想したものなのである。南部陽一郎 - Wikipedia自発的対称性の破れ - Wikipedia南部・ゴールドストーン粒子 - Wikipedia簡単にいうのなら、ディラックの海を対称性にまで拡張し、ゲージ理論を用いて、フェルミ粒子をボーズ粒子に統計的に変換してしまう漸近場の摂動論といえるかもしれない。ゲージ理論は、波動を粒子化する数学的手続きというか、そのような数学的なツール、道具を探すアプリケーションのようなものである。漸近場は非線形効果を線形化する道具で、摂動論は、その線形化された非線形効果を示す指標といえるかもしれない。いずれも感覚的な話なので、脳で考える数学屋には文句をつけられる恐れが多分にあるだろう。ゲージ理論 - WikipediaS行列 - EMANの素粒子論摂動論 - EMANの量子力学トリックの上田教授以上、のちに人気になるのが、ルックスのよいドラマ「ガリレオ」の湯川教授だが、残念ながら、あのような物理学者は恐らく現実には皆無で、ファンタジーで、あまりに架空すぎてあり得ない設定である。中世の物理学者ならまだしも、現代では、物理学が高度に複雑化し大規模化したため、理論屋と実験屋に分かれて分業体制なので、男女どちらかを両性具有者として扱うのと同じ設定といえるかもしれない。その点では、上田教授もどちらか不明だが、恐らく教授室の雰囲気から、理論屋をにおわせている設定にみえるが、ホワイトボードに書かれている数式が高校レベルのものなので、高校教師なのかもしれない。ガリレオはほとんどみたことがないが、パッと見したところ、湯川教授の研究室の黒板に書かれた数式が高校レベルなので、高校教師と言った方が現実的かもしれない。高校レベルの数式を書く人もいなくもないが、誰かにみられると、高校生でもいるのかと思われて、恥ずかしいので消しておくはずである。ドラマに現実を求める視聴者はいないと思うが、特に医療ドラマは現実離れが著しく、ファンタジーの世界なので、シナリオを書いている人に経験がないから仕方ないのは当然で、それをわかってみないと、現実を知って後悔するような羽目に陥るだろう。そもそもドラマになるような話は日常にはほとんどあり得ないのだから、架空の世界の架空の人物としてみるべきである。確かに将来そのような人物が現実化する可能性は、ミクロの世界では、量子力学の確率関数ほどに存在するかもしれないが、登場人物全員が意識を統一して、よほどの努力を成し得ない限りは、現実のマクロの日常の物質界ではあり得ないのは確かだろう。現実はハッピーエンドで終わることが少ないし、医療ドラマとは異なり、救命救急に運ばれる患者のほとんどが亡くなっていく。というよりも、現実的には、救命に運ばれるのは、この世からの卒業が近いと思うべきだろう。病気は自分の努力で治すという意識が働かない限りは治らないと考えるのが現実の世界といえるかもしれない。脳で考えているうちは、死はわからない。脳自体が死にゆく肉体の一部だからである。治してもらおうというような怠惰な意識そのものが肉体への依存心の現れで、病気に至る一因である。どんな病気も自分の努力次第で、健康に対する心掛け次第で治るはずなのである。昔から、病は気から、というではないか、なによりも人生を楽しむ、という気持ちが大切に思う。人生を楽しむ、といえば、巷の政治をみていると、こちらまでも、うつ病に罹ってしまうような不安や恐怖心を煽るような出来事ばかりで、生きているのがなんだか虚しく感じられてくる。とにかくこの国の政治レベルが低すぎて、呆れ果ててしまうのは、人生から学ぼうとする姿勢に欠けている政治家が多いせいなのだろう。権力闘争が何を生み出すのかをわからない阿呆が多い。そもそも、政治とは、この国では古来から「まつりごと」といい、「幸福感の充実を目的とするもの」であることが以下のサイトからわかる。まつりごと : ブログ : 高槻市議会議員 吉田あきひろのごきんじょニュース中西進氏(国文学者)のずいひつを読んで。「そもそも政治の原点はどこにあるのだろう」中国の古典的辞書の紹介から、「政」は「正」だと説く。正しいことを行うものだという意味だろうと。さらに『周礼(しゅうらい)』という中国時代の聖典より、国家を建設する六つの決まりごとの一つが「政」、国家を平らかにし、役人のすべてを正しくさせ、すべての国民を均しく(ひとしく)するものだと。「どうだろう、近頃の政治のイメージはまったく違うのではないか」と中西氏。「政治的」というと、むしろ逆の駆け引きを意味したり…中国の政治を、日本では「まつりごと」という日本語に当てた。まつりごととは。「まつり」を感じで書けば「祭」、「ごと」は「同様のもの」を意味するらしい。なぜ、政治と神様を祭ることが同じなのか…そもそも神祭りの仕事は天皇の役目で、天皇は神の声を聞こしめして、領土を支配(きこしめ)した。それが日本における王の統治。やがて行政は職業的な役人が政府をつくって天皇の「まつりごと」を代行するようになった。これが今日の政治。万人に平等をもたらす中国の政治と、神の声を民にほどこす日本の「まつりごと」とは傾向が違うように見える。しかし、もっとも公平な正義を行うことが統治者の任務だと考える点において、両者は等しいと。その普遍性の上に、日本は日本の「まつりごと」を行うのが政治の原点であろうと。(今では当たり前となった「福祉」)、書経に、福とは「天道ハ善ニ福(さいわい)シ、淫(いん)ニ禍(わざわい)ス」というように、正しい天の道にかなう人に与えられるものが、「福」、「祉」は神から授かるのも。これが、二字とも示偏(しめすへん)の「福祉」だとか。善良を心がける人の胸に宿るものが福祉だとか。お金に恵まれたり、生活に困らなかったりすることだけが福祉ではないと。幸福感の充実を目的とするものが「まつりごと」であり、中国でいう「政治」と等しいと考えたのが私たちの祖先だった。改めて、日本の政治を考えて見たいと…「まつりごと」を読んで改めて感じたこと。難しい内容でしたが、ただ、政治は市民・国民のためのもので、幸福への道程でなければいけない。正しい政治とは。政治家は襟を正して。このように幸福の追求こそが、まつりごとなのだが、その幸福の追求が個人的なものではなく、宇宙全体のものでなくてはならないから、いわばボランティアの慈善活動でないとダメなのを、シュタイナーは以下のように、古代叡智のアカシャ(虚空)年代記から降ろして、読み解いている。個人の仕事の成果を、自分のために利用しなくなるほど、つまり自分の仕事の成果を同僚に分け与え、そして、自分の仕事で、自分の成果を充たすのではなく、他者の仕事を充たすようになるほど、共に働く人間の社会全体は救済される。このように仕事をするほど利己主義をなくしていくのが、この世での本来の人間の生きる目的で、無償の愛を与える修行なのである。だから、名誉欲や承認欲、更には虚栄心などが、あるのはまだまだ未熟で、修行不足といえるだろう。だから、実るほど頭が下がる稲穂かな、というわけなのである。このような政治家がこの国に乏しいのは明らかである。この国の政治家の心が荒んでいるので、正しく治められずに、巷の最近の物価高騰やコメ高騰問題などの不安定な出来事や人災や災害が頻繁に生じるわけなのである。そのような不安定な出来事の元凶は、政治家と官僚の不正にあるのが、以前から紹介した以下の動画をみればわかる。髙橋洋一チャンネル - YouTube政治がまつりごとと呼ばれるように、かつては、祭政一致で、政治とは、祭司が神の言葉を降ろすことで、以下のサイトでもわかるように、『「まつる」という言葉、つまり神の言葉を精霊や人々に伝え、土地に恵みをもたらすことが「政(まつりごと)」であり、その報告を行うことを「祭(まつり)」であると述べているのです。』であるのがわかる。当たり前に使っている「祭」という言葉の起源とその意味とは? | 祭エンジン祭の語源は「まつ」祭の語源とされるのは、「まつ」という言葉です。「まつ」「まち」というのは、「守つ」と書かれ、神慮(神の考え・意向)を表現する意味として使われていました。例えば、大嘗祭(だいじょうさい)で使用される新米をどの地方の田のものにするか決めるために行われる亀卜(きぼく)という亀の甲羅を熱して行う儀式がありますが、亀甲に現れたその形を「卜象(うらかた)」と言います。その卜象のことを「まち」というのは、亀甲に現れたその模様こそが神意の現れ、神のお告げと考えられたからでしょう。このように、政治の意味は、正しく治めることで、正しく治めるには、天の声を聞き、地に正しく伝えることだとわかるはずである。だから、政治も祭りも、その真意は、古来からして、天の神の声を、地に遍く伝えることなのである。さて、この祭政一致を読み解くためには、以前紹介した、オカルトと現代人が馬鹿にする、日ユ同祖論が挙げられる。この国の国歌の、君が代を、以下のサイトのように、古代ヘブライ語で読み解くと、面白い事に気づくので、紹介する。ヘブライ語対照表 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究言葉遊びの視点から「君が代」を解明 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究「君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて、苔のむすまで」をヘブライ語で訳すと、以下のとおりになります。立ち上がれ! 神を讃えよ! 神の選民であるシオンの民よ。喜べ! (神の国を相続する)残された民よ!人類に救いが訪れ、神の預言は成就した。全地にあまねく宣べ伝えよ。この君が代を、そのままに日本語の現代語にすれば、「あなたたち人類の地上の世界は、何千年の世代にわたって、細かい石が、大きな頑強な石となって、苔が自然に生えるような永遠不滅の生命力を宿すようになるでしょう」という人類祝福の歌なのである。ちなみに、石は、意志であり、大きな頑強な石とは、自由な意志で、そのような自由な意志が、霊魂と霊魂の結びつきにより、地上で輪廻転生を繰り返して、大きな永遠不滅の生命を手に入れる、という預言詩でもある。そして、上述した、ヘブライ語の意味でも、人類に、救いが訪れ、神の預言が成就するから、この祝福の預言を地上に遍く伝えなさいと説いているわけである。ちなみに、シオンの民とは、四音の民で、四音とは、YHVHのことで、ヤハヴェ神であるのがわかるから、イスラエルの民が、地上の人類の神の代理となって、神の祝福の預言を伝えなさい、というわけなんである。そして、この預言とは何かといえば、地上の人類が、努力して、無償の愛によって、三種の神器を獲得することなのである。そのように神々たちは、自然を、素粒子の量子やその構成体の原子から予め作って人類の進化計画を策定したので、迷わずに、自ら努力して進みなさい、というわけなんだろう。この君が代が説く、永遠不滅の生命とは何かといえば、上述のサイトが、君が代を次の祈りの歌とすることでわかるとしている。神よ、立ち上がってください!シオンの民、神の選民! 残りの民は喜び、救いを待ち望みます!神が御顔を見せてくださるすべての基はキリストにありこの君が代とは、太陽霊キリストの永遠不滅の生命の、世の到来を意味しているのである。シュタイナーは、この預言を、エーテル界でのキリストの到来として、解き明かしている。地上の人間が、いまの物質による肉体を、地上で、無償の愛を与えることで、死んでも死なない愛の霊魂の絆から、次のエーテルでの肉体につくりかえることで、そのような肉体の死からの、エーテルの再生によって、輪廻転生を続けることで、自由な愛の発露であるキリストからなるエーテルの肉体を得て、ついには、自由と愛の天使となる、と述べている。その内容を知るのに、参考となるのが、次の、かごめの歌なのである。「かごめかごめ」の意味とは Part I – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?」を古代ヘブライ語で翻訳すると、以下の2つの意味を持つ文となる。訳文1 何を取り囲むのか?誰を囲んで守るのか?封じて安置すべきものを取り出せ!そして火をつけろ!燃やし尽くせ!社を根絶せよ!造られたお守りの岩は功を奏することなく焼かれた荒れ地は見捨てられた訳文2何を取り囲むのか?誰を囲んで守るのか?封じて安置すべきものを取り出せ!そして火をつけろ、燃やせ、社を根絶せよ!お守りの岩は水が湧き、荒地が支配され水を引く!訳文1と訳文2の前半は同じで、最後が異なる。この違いは何かといえば、地球紀の進化に努力せずに、進化から逸脱し、落第した霊魂と、次の木星紀に進んだ霊魂の違いである。要するに、無償の愛を学ばずに利己主義に走り、権力闘争に明け暮れた霊魂の行く末で、それが地獄であるのを意味し、荒れ地は焼かれて、見捨てられて、霊魂のゲヘナに落ちていくのが、訳文1である。対照的に、訳文2は、無償の愛を学び、三種の神器を獲得し、荒れ地が正しく治まり、耕された新田(神殿)のように、エーテルの水が引かれて、秋に収穫を迎え、稲穂を実らせる、純粋な心の持ち主の霊魂となった、という意味を表わす。興味深いのは、日本語のかごめ歌で、これは古代イスラエルの、ノアの箱舟の歴史を語っているところである。シュタイナーによれば、ノアの箱舟とは、古代アトランティス時代につくられた、次の人類の肉体のことで、いまの物質体が与えられる前の、いわば肉体の遺伝子情報で、設計図を意味する。つまり、古代アトランティス時代に既に、素粒子のなかに、人間の遺伝子情報が、エーテルの光を通じて書き込まれたという。素粒子はただ遺伝子情報の運び手で、電子のように、情報を伝達するだけの存在なのである。だから、脳も、無償の愛が、霊魂により書き込まれないと、何も感じられず、考えられないのである。人間はいずれ、脳を捨て、肉体を捨てて、次の新しい、無償の愛で書き込まれたエーテルの不死身の肉体を手に入れるだろう。つまり、かごめ歌の古代ヘブライ語訳を深く考察すると、かごめとは、古代アトランティス時代に書かれた人間の設計図を意味し、契約の書を納めたノアの箱舟で、火をつけろ、とは、肉体の死を乗り越えて、肉体を焼き尽くし、つまり、ノアの箱舟を新しくエーテルの水でつくりなおして、その守りの保身の利己主義の意志を捨て去りなさいという、古代ヘブライ語のかごめ歌は、次の来るべきアクエリアスの時代の三種の神器の獲得への道徳なのである。あなたの中にわたしは生きるし、わたしのなかに、あなたは生きるという、神と人間との契約からうまれた、人間同士の輪廻転生のカルマの生命の法則なのである。戦うのは、己の中の自我に、虚栄心や支配欲などの承認欲があるからで、あなたの中にわたしは生きずに、わたしのなかに、あなたは生きずに、殺されてしまうわけで、そのような互いの殺し合いの戦いをなくすには、キリストの中庸の精神のように、自我を無償の愛で、燃やし尽くさなければいけない、というわけなんである。だから、日本語のかごめ歌を現代語に要約するなら、籠のなかの鳥とは、トーラーで、人間の自我で、生命の樹を表わすので、「かごめ」とは、自我の欲望を、利己主義をなくしなさい、という意味になるだろう。貴方の中に、私への愛を満たしなさい。そうすれば、私のなかに、貴方の愛が充ち溢れて永遠に生きられるのです、という神の人類への祝福の歌なのである。だから、「自己の欲望をなくしなさい。それはいつでるかわからない。寝て起きた夜明けのときと、寝入る晩のときには、自我の誘惑に惑わされるから、利己主義の鬼が出ないように、注意しなさい。心が不純だと、誘惑に負けるので、常に自己反省し、鬼が出ないように、心を純粋にバランスよく清浄に保ちなさい。」という意味になるかもしれない。政治も祭りも、形あるもの全てが、固体から液体へと相転移して、変貌を遂げる、電子液体のフェルミリキッドのような、エーテル化したアクエリアスの水に流す時代、風の時代が到来するのを、いま地上に遍く広め伝えるのが、この時代の使命なのかもしれない。シュタイナーの預言によれば、ルシファーの名誉欲から、東洋では、霊的な戦いが起こり、西洋ではアーリマンの支配欲から、心霊的な戦いが起こるので、キリストの教えを守って、両者を調停して、バランスを回復させ、世界を無償の愛で、一つにするように努力しなさい、と高次の宇宙人が宇宙から、人類の進化に声援を送っているらしい。
2025年06月03日
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