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医師を人質にした立てこもり事件は9060問題や拡大自殺の問題などを彷彿とさせる事件であったが、もう一つ埼玉県では不可解な事件が起きている。中学生の暴行死事件である。死亡した中学生は母親と内縁の夫、そして8人兄弟の長男で、弟妹の世話をするということでほとんど学校に行っていなかったという。また、食事にも不自由していたそうで、学校に行った時も給食をたくさん食べるために来ていたということだ。戦前でもあるまいし、現代にこうした子供がいるということ自体信じがたいが、さらに不思議なのは、母親も内縁の夫も働いていないで生活保護を受給していたという。別に健康に問題をかかえていたというわけではなく、母親は看護師の資格を有していたという。当然に次のような疑問がわく。そもそもなぜ生活保護を受給できたのだろうか。特に看護師の資格があれば普通はすぐにでも働けるかと思うのだが、やはり小さな子供がいたことで稼得能力なしと判断されたのだろうか。また、生活保護を受給していたとしたら、子供の数に応じて生活費が計算されるはずなので、子供が食事にも不自由するということはないと思う。保護費は子供の食事には回らなかったのだろうか。さらに、中学生は弟妹の世話のために学校に行かなかったというのだが、母親は働いてなく、姉である長女は高校に通っていた。学校に行かないのには弟妹の世話以外の理由があったのではないか。それにしても、中学生が学校に通っていなかったこと、食事にも不自由していたことは教師を始め、周囲の大人も知っていたし、もっとはやくになんらかの手立てができたようにも思う。死亡につながる暴行の原因については、どこか外にでかけて暴行を受けてきたと両親は説明しているというが、これもよくわからない話だ。真相が知りたいものである。
2022年01月31日
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最近高齢者の犯罪が増えているという。25人死亡の放火殺人の犯人は61歳で、27日におきた立てこもり事件の容疑者は66歳。昔だったら暴力犯罪を起こす体力なんかない年齢だが、今の時代、「元気なお年寄り」が多い。そして、立てこもり事件の容疑者も「自殺しようと思い医師やクリニックの人を殺そうと考えた」と供述しているというので、これも「拡大自殺」に分類される犯罪なのかもしれない。容疑者の背景などはそのうち報道されるのかもしれないが、家族の有無や職歴が気になる。66年も生きていれば、高齢の親が死亡しても「母が死んでしまいこの先いいことはないと思った」という心境にはならない。想像をたくましくすれば、容疑者は、精神的にはもちろん、経済的にも自立できずに、親の年金や貯金で生活をしていたのではないか。そうだとすれば、8050問題、いやこの場合は9060なのかもしれないが、自立できない親子の問題が背景にあったのかもしれない。そしてもう一つ。この事件には猟銃が使われた。趣味として狩猟をやるという人が一定数おり、そのために免許制度があるのだが、狩猟による事故もときどき起きているし、時にはこうした銃を使った犯罪もある。その昔、米国留学中のエリート高校生が誤想防衛で銃で撃たれて亡くなった事故があった。その時、米国の家庭から銃を無くそうという運動が日本で起こり、膨大な署名が集まった。いったいなんで太平洋の向こうの家庭の銃を問題視するのに、日本での猟銃は問題にしないのだろうか。その当時も不思議でならなかった。日本にだって農家の主婦が山菜取りなどで鹿に間違えられて射殺されるなんていう事故はあり、ベタ記事で報道されていたのに…。これを契機に猟銃免許の在り方も検討されるかもしれないが、いくら免許要件を厳しくしたところで銃が犯罪に使われるのを防ぐのは難しい。日本における趣味としての狩猟も再考すべきではないか。
2022年01月30日
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日本の感染者は7万人を超え、まだピークは見えない状況が続いている。こうなるとさすがに人々の行動も変わってきたようにみえる。電車は再び座れるようになり、昼食の店も空席が目立つようになった。ここまで蔓延すると、人々は旅行や会食だけでなく、理美容、冠婚葬祭の集まり、カルチャーセンターやスポーツクラブも利用を控えるようになる。そうなればそれに関連した衣料や花などの出費も減る。感染拡大の経済に与える影響ははかり知れない。いくつも波が来ても、その波が小さくなっていくのならよい。ところが現実は逆で、次々と大きな波がやってくる。トンネルも先に光が見えればよいし、苦しい登路も頂上がみえればよい。ところが今は先が見えない状況で、誰も「コロナ後」を語らない。それに今までとけた違いの感染者数は別次元の問題を引き起こす。今までは感染予防のために施設を閉鎖したり学校を休校したりしていたのだが、蔓延が一定程度をこえるとクラスター発生により施設を閉めざるを得ないという状況がでてくる。現に消防署でクラスターが発生したという例がある。交通、警察、消防という社会のインフラが機能しなくなった事態など想像したくもない。ただ希望が持てるのは、従来に比べてコロナの毒性が低下しているのではないかという点である。新型肺炎は「肺炎」だから恐ろしいのであって、新株は肺にまで達することは従来株に比べて少ないという。感染者数の情報だけでなく、症状の程度についても気になるところである。
2022年01月27日
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有名だけれども読んだことはないという本がある。心中天網島もその一つで新潮日本古典集成の「近松門左衛門集」で読んだ。近松門左衛門は日本のシェークスピアともいわれるが、本家同様本質は大衆向けのエンターテインメント劇作家だ。心中天網島は実際に起きた心中事件を、その記憶もさめないうちに浄瑠璃の題材にしたもので、今でいえばワイドショーの再現ドラマと言ったところか。そして自分も含めてなのだが…大衆の好物はエリートや貴人の転落物語。主人公の治兵衛の紙問屋がどれほどのものかは知らないが、問屋の旦那といえば、当時の庶民からすれば羨望される立場であったことだろう。その旦那が遊女小春に夢中になり、義父の勘気を被ったあげくに小春と心中したというのだから、庶民の関心はいやがうえにも高まる。当時は瓦版と口コミの時代だから、どこまで本当かはわからなくても、それを題材とした芝居となると、人々は押し寄せる。人形浄瑠璃というのは今ではあまり人気がなく、どっかの知事も全然興味もないし見たこともないといっているようなのだが、人形に演じさせるというのは、人間の演ずる芝居よりも金もかからずよいアイディアだと思う。その分、大掛かりな芝居よりも客を集めやすかったのだろう。当時の庶民だったら、問屋の旦那と遊女の心中にどんなことを思うのだろうか。遊女の境遇の辛さは皆知っているのだが、エリートの旦那も意外に窮屈なもんだなあ、庶民の方がずっと気楽でええわいな…まあ、こんなところだろう。心中天網島もそんな期待に応えて主人公が兄や義父に追い詰められていく様子が描かれる。心中の直接のきっかけは義父によって妻と離縁され、帰る場所がなくなったことによるのだが、当時の商家は入り婿が普通で、旦那といっても義父に比べれば立場が弱かったのだろうか。地域時代限定のワイドショー的興味を超えて、今読んでも面白く、映画化などもされているのは、登場人物が生き生きと描かれているからだろう。妻おさんの献身ぶりやおさんと遊女小春との女同士の義理と義理。それに武士に仮装して弟をいさめる兄、小春を見受けしようとするどっか憎めない悪役太兵衛など…。ただそんな中で主人公の治兵衛はダメ男にしか見えないが、これは才覚で旦那になったわけではなく、親族の縁でおさんの婿になったのだから仕方ないのかもしれない。この近松門左衛門集には、「曽根崎心中」も収録されているが、こちらの主人公の方は才覚で手代となった男が金銭がらみのトラブルもあって遊女と心中するもので話としては興味深い。「世継ぎ曽我」は曽我物語の後日談で大河物語でもきっとでてくる曽我兄弟の哀話が時代を超えて愛されてきたことがよくわかる。「国姓爺合戦」は荒唐無稽なのだが日本生まれの英雄が中国を征服するというスケール感ある話が江戸時代の庶民に受けていたことが面白い。それにしても、捕虜に日本風の名をつけたり、征服した地に神社を勧請するなど、明治以降の歴史にあったことがでてくるとは。
2022年01月26日
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ユーチューバーというと偏見があってお笑いタレント予備軍のような目立ちたがりが変わったことをやっているだけのような印象しかなかった。そんなわけで自分にとってのユーチューブの使い方はもっぱら世界各国の歌を聴くくらいだったのだが、最近になって実はユーチューブが知識の宝庫だということに気づいた。今頃になって気づくとはなんてもったいない…のであるが、隙間時間を利用して知識を得るのだったらこんなに便利なものはない。逆に言えば、様々な分野で、無料で、そして往々にして匿名で知識を提供する人が大勢いるということだろう。昨年は大長編「徳川家康」を読んだのだが、戦国時代の合戦についての知識をえるのに「ユキムラチャンネル」というサイトが大いに助けになった。そして最近では図形問題のチャンネルにけっこうはまっている。匿名のサイトが多いのだが、中には予備校や塾の講師が顔出しで作っているものもある。小学校レベルの算数とか、中学受験に出た問題と銘打っているのが多いのだが、それにしても算数ってこんなに難しかったっけ。わかればすっきりだし、わからなくても、解法を見るとなんか賢くなったような気がする。まあ、賢くなったのはそんな気がするだけかもしれないけど、ボケ予防にはよいだろう。図形問題の中には外国のサイトもあるのだが、そこは万国共通で言葉の壁はあまりない。もう一つよくみるのは、韓国語のサイトでドラマによくでてくる言い回しを紹介するもので、これも韓国ドラマを見るときの参考に大いになる。人気ドラマの場面紹介もかねているので、次にみる韓国ドラマを決めるのにも便利だ。語学とユーチューブの相性も結構よい。このほか、世界史、日本史、理科の知識を紹介したサイトもあり、これもよくまとまっていて面白い。よく学力と親の経済力に相関があり、貧しいと勉強もできないように嘆く人も多いのだが、そんなことはない。ユーチューブは安価で全国津々浦々からアクセスできて知識も得られる。こんな便利なものはないのではないか。
2022年01月25日
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第6波は前週の同じ曜日との比較が無意味に思えるほどの急増をみせている。この万単位の感染者のうちの症状別の比率をぜひ知りたい。感染者が増えても重症者や死者が増えなければ「弱毒化」という説が説得力を持つのだが、外国の状況をみると残念ながらそうした楽観的予測を裏付けるようにはまだなっていない。また、これだけ感染が増えると2回、3回と感染する人がでてきていると思うが第2回は、第1回に比べて、そして第3回は第2回に比べて症状にどんな違いがあるのかも知りたいところだ。専門家にも分からない点が多いと思うが、少なくともデータに関しては相当の集積があるはずだ。スペイン風邪は次第に波が小さくなって収束したというが、コロナはやってくるたびに波が高くなり、スペイン風邪のような形での収束はないのかもしれない。東京五輪の頃は、いくらなんでも北京の頃にはおさまっていると思っていたのに…。夏季五輪に比べれば接触型のスポーツはないのだが、中国に入国する選手役員や報道陣の管理は厳格を極めるだろう。オミクロン コロナ禍もはや もう二年 閉ざされ続く 世界への窓
2022年01月24日
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コロナ感染の急増が止まらない。第五波のあとなぜあれほど静かだったのか、そしてなぜ第六波がこれほどの勢いで来ているのか。わからないことが多すぎるし、おそらくは専門家にもわからないだろう。こうした状況だとできるだけ外へ出たくないし、こころなしか電車も再びすきだしたように見える。コロナもこれだけ続くと自然にコロナ様式といった生活スタイル、つまり外にでるときにはマスクを着け、公共の場所では口数を少なく、会食もしない…という生活に慣れてくるのだが、さていつまでこれが続くのだろうか。あの東京五輪の頃には、北京五輪の時にはさすがに収束しているだろうと思っていたがそれも見事に裏切られたという感じだ。まあ、しょせん素人がぼやいても仕方ないのであるが、韓国ドラマ「がんばれ、プンサン」を視聴完了した後に見始めたドラマ「怪物」にすっかりはまっている。女性連続殺人を追う刑事という映画「殺人の追憶」を思わせるストーリーで映像も映画と言ってよいほど手が込んでいる。ただ、違うのは主人公の刑事もまた怪しいという展開で、先が読めない。正直「殺人の追憶」は映画としてはよくできているが、娯楽性はいまいちだったように思うが、「怪物」はこの先どういう話になるのだろうか。「怪物」のように地方を舞台にして起きた連続女性殺人事件としては北方事件3件を含む佐賀県の連続?女性殺人事件や北関東の幼女連続失踪事件がある。そうした未解決事件の犯人が今も社会で普通に暮らしているのも不気味であるが、長く続くコロナ禍やそれに伴う社会不安が人の心の内なる怪物を目覚めさせるようなことのないように祈りたい。
2022年01月21日
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有名な進学校の生徒が共通テストの当日東大前で刺傷事件を起こした。最初にこのニュースを聞いた時、エリート家庭の重圧ということを思った。犯人少年は医師になれなければ生きる意味がないと思い詰めていたというが、そうした一般ではわかりにくい感覚をなぜ持つようになったのか。しかし、世の中には、父親、兄弟、場合によっては母親も医師という家はたまにあり、そうした家庭の子であれば、そんな感覚を持つこともあるいはあるのかもしれない。エリート家庭の重圧というのは親が立派で子息にかける期待が大きいというのとは別に、兄弟もまた往々にして優秀でそれが圧迫になるということもあるのだから…。その後、続報をみると、少年の家庭は最初にふと想像したような医師一家でもないようである。個人の精神病理とかいろいろな分析がでるであろうし、拡大自殺が相次ぐ社会の風潮と関連させる見方もでるのかもしれない。まあ、思うに、程度はわからないが、コロナ禍における将来の不透明ということも関連があるのではないか。コロナで人の往来や集まりが制限されると、多くの職業が不況業種なってくる。そうした中で、現実的な選択として医師以外は将来がないと思い詰める勉強好きがいたっておかしくない。それが良いとか悪いとかは別にして。マスコミなど表の議論にはあまりでないのだが、人間の能力など多くは生来のもので、学力だって例外ではない。それなのに努力してある程度の成績を得てきた人ほど「努力すればできる」という努力信仰に陥りやすい。それが無理と宣告されればまさに信仰の危機である。努力信仰はやめて学力も含め多くの能力は生来のものと認識すること。能力の多寡と人間の価値は別物だと考えること。後者については、例えば美人が人間の価値≒美貌と考えるのは勝手だが不美人までもがそうした価値観を持つ必要も理由もないこと、そして能力についても同様であることだ。こうした認識によって世の中を社会を見直せば、また別の地平がみえてくるのではないのだろうか。
2022年01月19日
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韓国ドラマ「がんばれ、プンサン」を見終わった。原題は「なんでそうなの、プンサン」であり、あまりにも人が良く馬鹿正直で不器用なプンサンを見ながら視聴者も「なんでそうなの?」とプンサンに声をかけたくなる。いずれ一発当てれば…と人生逆転を夢見て賭博にふける次男、肉体労働は向いていないと言いながらぐうたらに暮らす次女、ヤクザ社会に入った三男、そして医師になった優秀な長女は家族に愛想をつかし縁を切ると言い出す。親代わりに弟妹を育てたプンサンは、大人になっても自立しない弟妹に振り回されてばかりで、おまけに経営する整備工場は差し押さえられ、自分は肝臓がんにかかる。気の毒なのはそんなプンサンの妻であり「結婚してから楽しいことなど一つもなかった」と離婚を決意する。そんな悲惨な話が人情コメディータッチで進行し、紆余曲折の果てにハッピーエンドの大団円を迎える。そしてそれと同時にダメな奴にしかみえなかった弟妹達がみなそれぞれ素敵に見えてくる不思議。好き嫌いはあるのかもしれないが、最後までみて「こんなドラマがみたかった」としみじみ思わせるよいドラマだと思う。さほど長くもないし、おすすめである。人によって印象を受ける部分は違うと思うが、自分としては双子姉妹の葛藤が一番興味深かった。優秀な姉は医大に進み、勉強の苦手な妹は家事一切を引き受ける。妹の口癖の相対的剥奪感に共感する人が多いのではないか。似たり寄ったりの兄弟姉妹も多いが、愚弟賢兄あるいはその逆という兄弟姉妹もある。プンサン家同様に親の関心や期待は優秀な子の方に集まり、その陰でいじけたりつぶれたりしていく子もいるのではないか。子育ての際は気をつけねばならない点である。
2022年01月18日
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人は物語をつくるようになってから、ずっと現実の物語と同様に異世界の物語を楽しんできたように思う。古い時代の物語やいずれの御代がわからない宮廷というのも異世界といえば異世界なのかもしれないが、ここで異世界というのは現実の世界や現実にあったとされる世界とは全く関係ない世界という意味での異世界をいう。日本最古の物語とされる竹取物語もかぐや姫のいた月の世界が詳細に描かれれば異世界物語になりうるし、風土記神話に淵源のある浦島太郎の物語は竜宮城を舞台にした異世界物語であるともいえる。そしてまた、日本神話にも高天原、黄泉の国、根の国、夜の食国という世界が出てきて、こうしたものもまた、異世界物語の淵源なのかもしれない。小説やアニメとなると、これはもう異世界物語ばかりで、最近では「ゼロから始める異世界生活」なんていうアニメもあるという。こうした異世界物語というのは書く側からすれば歴史ものなどと違って考証は必要ない。ただし、作者読者共にこの世界は空想の産物という了解からはじまるので、空想世界が説得力あるものでないと、物語に共感は得られない。その一方で、物語に「異世界」というオブラートがあるので、現実世界の話として描くと残酷陰惨な個所も異世界効果で緩和されるという面もある。また、異世界の設定によっては、それにより現実世界を見つめなおすという効果もある。自然環境よりも社会体制に主眼を置いたものに多いが「1984」は管理社会批判とも読めるし、逆に「アンドロメダ星雲」は社会主義の素晴らしさを喧伝する。「闇の左手」は性差について、あらためて考えさせられる。さらに、異世界によって純粋な神話的美的世界を想像するというものもある。ファンタジー小説もそうかもしれないし、外国の全寮制学校を舞台に少年同士の愛を描いた耽美的BLも一種の異世界物ではないかという見方もできそうだ。「砂の惑星」を読んでみて、改めて他の異世界ものも読んでみたくなった。
2022年01月17日
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コロナ感染者がここわずかの間に垂直ともいえる増加傾向をみせている。今までだと、時短や休業を要請される、客が来ないといった形で問題になっていたが、このペースで増加すると、そもそも事業所などが職員が出勤できずに機能しないという事例があちこちで起きてくるのかもしれない。現に、米国などでは、感染が拡大し、飛行機が飛ばない、ゴミ収集にも支障があるという状況が起きているらしい。弱毒化という説もあるのだが、死者と感染者にはタイムラグがあるので、希望は希望としてあっても、現実は希望通りにゆくとは限らない。そう思ってみるせいか、街行く人も、心なしか若い人が目立つようになったし、外国人もずいぶん減ったように思う。コロナ疲れというかコロナ慣れしたというか、そのへんはわからないが、緊急事態宣言やステイホームという掛け声もきかれない。まあ、人はコロナにかからないために生きているのではないので、たんたんと手洗い等をこころがけながらも、マスク生活を続けるだけなのだが、水面下では社会不安もずいぶんと大きくなっているのではないか。これだけ感染が拡大しながらクラスターの報道はあまりない。ものごちおはそれが普通になるとニュースにさえもならなくなる。今までは「時短要請で休業」という貼り紙が目立ってたが、そのうち「従業員感染のために休業」という貼り紙が、街の光景で目立つようになるのかもしれない。コロナ禍で生活に困窮する人も増えるかと思うが、国の給付は生活に困らずに子供を育てている人や、旅行や外食に行ける人ではなく、本当に苦しい人の支援に向けるべきであろう。
2022年01月16日
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砂の惑星全三巻を読んだ。遠未来、人類が様々な惑星に植民してそれぞれの文明を築いている時代にそうした惑星の一つ砂の惑星アラキスを舞台に、主人公ポールが砂漠の民の指導者であり英雄として目覚めていくまでの物語である。こうした異世界を舞台にしたSFは他にもあるのだが、異世界がこれほど精緻に描写されたものというのはそれほどないように思う。「銀河帝国の興亡」や「銀河英雄伝説」も舞台は遠未来の惑星なのだが、描かれているのは人間ドラマで、異世界の描写はあまり印象に残っていない。これに比べると砂の惑星は、貴重な香料メランジや砂漠を徘徊する巨大な大芋虫、その上を飛ぶ羽ばたき型の飛行機オーニソプターの描写で、地球の砂漠ならぬ異世界砂の惑星のイメージが浮かんでくる。ストーリーそのものは由緒正しき貴族の子が苦難の果てに父の仇を討ち王になるというもので、古代からの英雄譚をなぞったようなつくりとなっている。実際に、この三部作はほんの序章で、作者はこの砂の惑星を舞台にしていくつもの作品を書いているのだという。最近、新しく映画化され、そのせいか、図書館の予約も非常に多かったのだが、この映画もスターウォーズシリーズのように連作となっていくのかもしれない。遠未来を舞台にしながら、宗教も身分制度も中世そのものというギャップが面白い。恒星間飛行もできるほど、科学技術が発達しているのに、王だの貴族だの身分だのって。これはまあ人間そのものはそう変わらないということなのだろうか。異世界の設定では思いっきり想像力を働かせているのに…。小説を読むときは様々な映像が浮かぶが、あの新作映画の予告編やキャラ紹介の映像が浮かんできた。こうなると小説だけでおなかいっぱいで映画を特に見ようという気はしない。逆に映画を見ると小説版が読みたくなるのではないか。最後にこの小説以外で印象に残っている異世界が精緻に描写されているSF闇の左手 中性人の住む惑星ゲセン。雪に閉ざされた惑星で住民は皆スキーの名手。ただ異世界の描写は砂の惑星ほどには凝っていないので雪中の逃避行の場面では地球の寒帯以上のイメージはでてこなかった。むしろ中性という設定が斬新で、この小説を読むと、なんで人間は二つの性に分かれているのか不思議に思ったりする。映画化されればぜひ見てみたい。地球の長い午後 遠未来で自転を止めた地球。永遠に続く昼の世界では様々な奇怪な植物が繁茂する。しかし、植物にだって「夜」は必要なのではないか。
2022年01月14日
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日本三景といえば松島、宮島、天橋立をいうのだそうだ。いずれも交通便利なところにあり、昔から旅人の生きやすいところが選ばれているのだろう。今では山間にまで道路ができ、交通手段も発達しているので日本三景をしのぐ絶景はいくらでもあるのだろう。その日本三景であるが松島と宮島は行ったことがあるが天橋立はまだ行ったことがない。どうも日本海側のあのあたりというのは関東からだと、なかなか行く機会のない場所なのかもしれない。その代わりといってはなんだが、天橋立のような砂州の地形は東京の近くにもある。千葉県の富津岬である。東京湾に細長く伸びる岬で、その先端には明治百年記念で建てられたという展望団がある。五葉の松を象った形ということで、いくつもの円形の展望台が松の木のような形に連なっているので、すこし階段を上がると展望、さらにもう少し上がると次の展望となっているので、苦行のように階段を上らなくてもすむ。ちょうど海が西に開けているので、夕方になると夕陽をみるために多くの人が集まってくる。天気が良ければ、富士山もよくみえる。そして日が沈むころには、向かいの観音崎の灯台が点滅をはじめる。この富津岬と観音崎を結ぶ線が狭義の東京湾で、世界でも有数の過密航路である。
2022年01月12日
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コロナについての見方は純粋に科学の領域であり、政治的な右とか左とは関係ない。そして科学の領域では多くあるように専門家ですらわからないことが多い。過去のそうした専門家の発言と現代を比べてみても、当たっているものよりも外れたものの方がめだつ。今後コロナはどうなるのか、オミクロン株の性格はどうか…そうした問題ももはや「わからないもの」として割り切るしかないのではないか。確実にいえることはただ一つだけ、人生の時間は有限であり、誰しも戻ることのできない人生を生きているということだけだ。オリンピックとコロナも同様で、去年、オリンピックに批判的なことを書いたのは、東京でのオリンピック開催がコロナ感染拡大の危険をはらんでいたということにつきる。世界から何万という人がやってくればそれだけウィルスを持ち込まれる危険もある。だから外国で開催されるオリンピックについてはどうこう言う気は全くなく、ただ、日本から派遣した選手や役員が帰国する際には検査と隔離をきちんとやってほしいと思うだけである。そんなわけで東京オリンピックに反対した人々がなぜ北京オリンピックに反対しないのかという疑問がもしあるのだとしたら、それに対しては東京オリンピックは日本で開催され、感染拡大の危険は日本社会が負うが、北京オリンピックはそうではないということにつきる。その危険は、基本的には中国当局が判断するものだからである。オリンピックの競技自体はフィギュアのように勝敗は別にして純粋に見て楽しいもの以外はさほど興味ないのだが、開会式は楽しみである。オリンピック開会式はその国の文化や歴史で外国に最も伝えたいものが凝縮して表現される。国をあげて開催される中国はいったいどんな演出をするのだろうか。過去の北京夏季オリンピックでは、中国の悠久の歴史と紙や印刷術の発明が描かれた。アテネでは古代ギリシャの栄光、ロンドンでは近代文明の黎明と医療福祉制度、それに英国で生まれ今なお世界中に愛されている大衆文化のキャラクターなど…。逆にシドニーでは流刑船は描かれず、アトランタでは黒人たちは陽気に歌を歌いながらやってきた演出がなされた。今度の北京冬季オリンピックではどんな演出がなされるのだろうか。
2022年01月10日
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コロナ感染は急増し、いわゆる倍々ゲームの指数関数的拡大の様相を呈している。ただ一説によるとオミクロン株の症状は肺まで達することは少なく、そうだとすれば「新型肺炎」とはその性格をかなり変えているようにもみえる。油断してはならないが、病院に行くのも怖い、理美容も怖い、映画も怖い、旅行も怖い…というように過度に恐れる必要もないのかもしれない。人生も時間も有限であり、ステイホームで時間を過ごすのはもったいない。最近韓国ドラマについて書かなかったが、それは数回みたもののリタイヤしたドラマが多かったことによる。「病院船」はよかったのだが、見始めるとすぐに配信が終了してしまった。今みているのは「がんばれ、プンサン」。原題は「なんでそうなるの?プンサンさん」でこちらの方が作品の内容に近い。「がんばれ、プンサン」というタイトルでしかも、説明にはハートフルコメディとあるので、大家族系のほのぼのとしたドラマを想像するが、内容はなかなか悲惨で、考えようによっては韓国版「どん底」のようにも見える。両親が失踪し、高校生なのに幼い弟妹4人を育てることになったプンサン。優秀な長女は医師になったものの家族には絶縁を言い渡すし、次男と次女は無職でニート。父親の違う三男はヤクザ。おまけにプンサンの自動車整備工場は差し押さえにあって、プンサンは肝臓がんにかかる。なにより酷いのは人にたかることしか考えない実母でちょろちょりやってきては子供たちに金をせびる。それでも随所に喜劇的場面があるのと、たぶん、このドラマバッド、エンディングにはならないという感じがあるので、楽しく視聴できる。それにしても、韓国ドラマでは人気のある俳優もけっこうダメ人間の役やいやな奴の役をやることが多い。プンサン自身も人はよいのだが、いまいち不器用で「なんでそうなるの」と思う。登場人物それぞれに欠点があり、不完全だからこそ面白いドラマなのだろう。そして中でも共感したのは、双子の次女の方だ。プンサンは家族全体のためにもよかれと思ったのだろうけど、成績のよい長女には金をかけて医大に進学させ、次女には家事をさせる。次女は「相対的剥奪感」を嘆く。兄弟でも成績など出来不出来はある場合、親の関心が優秀な兄弟にばかり向かうというのは普通にありそうな話のようにみえる。
2022年01月07日
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以前、この著者の大ベストセラー「バカの壁」を読んだことはある。面白くいっきに読んだが、じゃあ、何だったのかと問われると困るように思ったことがある。「ヒトの壁」も同じような感じである。読んだよといって見て、じゃあどうだった?と問われると、はてどうなんだとたぶん答えに窮するだろう。そういう本である。「バカの壁」は自分流に解釈すると思い込みが理解を妨げていることが多いという示唆が面白かった。「ヒトの壁」も、わからないことがあることを認識すること、まあ、何もかも理屈づけするのは無理だと諦めることと、自分流に解釈したのだが、これも著者の言いたいことのごくごく一部なのだろう。声高に何かを訴える本ではない、かといって随想というものでもない。いって見れば素晴らしく頭がよく知識もある人の雑談を聴いたような読後感である。まあ、新書版で値段もさほど高くないし(自分は借りて読んだのだが)、さっと読めるので時間も使わない。暇があったら、まあお薦めの本である。作者は誰知らぬ人もない「知の巨人」だと思うのだが、子供の頃の想い出や愛猫のエピソードが面白い。愛猫マルについては写真も掲載してあり、その名のとおり丸々した実に可愛い猫である。今はもう故人ならぬ故猫になっている。
2022年01月06日
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昔、新春スターかくし芸大会という番組があった。大みそかの紅白、新春はスターかくし芸大会というのが定番のようになっていた時期もあって、家族や親せきがこたつに集って、スターのかくし芸をみながら、のんびり過ごした。かくし芸といっても大体は手品とか南京玉すだれ、それに中国語劇とかラインダンス、スパニッシュダンス…そんなのが定番だった。この番組がいつ消えたのかも記憶にないし、あれが消えたことと、箱根駅伝が定番になったこととの因果関係もよくわからない。ただ、スターかくし芸大会が消えた理由をいろいろと考えてみると、国民のだれもが知っているスターという存在が少なくなったことがあるのではないか。スターかくし芸大会の頃を思い出してみると、若者に人気のスター、男性に人気のスター、おばさんに人気のスターというふうにスター市場は違っても、その顔と名前は老若男女に知れ渡っていた。今そうしたスターはあまり思い浮かばない。南京玉すだれなど、「誰もが知っているあの人」がやるから面白いのであって、顔も名前も知らない人がやっても面白くもなんともない。去年の紅白の視聴率は史上最低だったというが、その背景についても、国民の誰もが知っている歌手というのが少なくなったことがあるのではないか。正直、去年の紅白の歌手のうちで知っている歌手はあまりいなかったし、歌も初めて聞いたものがほとんどだった。かつては流行歌と言えば、商店街などで、耳に入ってきて、それも夏には夏らしい歌、冬には冬らしい歌が流行っていた。その時代であれば、今年流行った歌を聴きながら一年を振り返るという紅白の趣旨は大いに発揮されたのだろうけど、今はそんなこともない。それにリズムも旋律もずいぶんと傾向が変わって、耳につく旋律や口ずさみたくなる旋律も非常に少ない。スターかくし芸と同様に、紅白もそろそろなくなるのかもしれない。
2022年01月05日
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図書館での予約の順番の関係で、中巻を読んでから上巻を読んだのだが、上巻を先に読んでおくべきであった。上巻のあらすじはネットで見たのだが、やはり登場人物の細部の描写まで念頭におかないと物語の興味は半減する…傑作SFなのにもったいないことをした。と思っても後悔先に立たずで、こうしたことは図書館を利用する以上は止むを得まい。分類としては異世界宇宙ものというべきものなのだが、こうしたものはいかに読者に「こうした世界があるかもしれない」という存在感を感じさせるとともに、その架空世界を鏡にして現実世界について考えさせるという点に面白さがあるのだろう。その意味でアーシュラ・グインの性のない世界を描いた「闇の左手」はこの手のものの金字塔ではないかと思っている。一方、この「砂の惑星」では水が極端に乏しく、水が貴重品となっている世界を描いている。現実に地球にもそうした砂漠地帯はあり、砂漠を舞台にSFとしての異世界をどう構築していくかという点でSF的アイディアが重要なのだが、それをみると、これが後に与えた影響の大きさに驚く。虫のように羽をばたばたと動かして飛ぶ飛行機や砂漠の中を蠢く巨大な虫のイメージはジブリのアニメに出てきており、既視感がある。まあ、巨大なイモムシというイメージは更にさかのぼるとモスラのような怪獣にいきつくのかもしれないが。「砂の惑星」を舞台に公爵と男爵の闘争や公爵の寵姫とその息子の逃避行があるのだが、こうしたSF世界というのは、なぜ科学が発達しているのに、政治制度は中世的なものが多いのだろう。というよりも、科学技術について想像力を働かしているのに比べて、政治制度や人間の在り方については「変わらなすぎ」だという気がする。皇帝がいて、貴族がいて、身分があって…では退化ではないのか。もっとも、見慣れない異世界を舞台にしているからこそ、見慣れた皇帝や貴族の話にした方が物語をつくりやすいという面があるのかもしれない。科学技術よりも、人間の政治制度とか人間の在り方にSF的想像力を働かしたものとしては、ユートピアものとディストピアものとに大きく分かれる。前者では共産主義ユートピアが実現した後の宇宙旅行を描いた「アンドロメダ星雲」があるが、これは退屈で途中でリタイアしたし、後者では「1968年」が有名である。ただ変わりうるのは政治制度だけではない。いつか人間は不老不死を手にするかもしれないし、想像もつかない能力開発に成功するかもしれない。また、遺伝子操作などで知力、才能などを操作し「なりたい自分」になったり、「望む子供」をもてるようになるかもしれない。そうなったら、その先にどんな社会があるかをテーマにしたSFがあったら読んでみたいように思う。以前読んだ「アルジャーノンに花束を」はそうした技術が可能になり、知恵遅れの青年が天才になっていく過程を描いたもので、こうした分野のSFに含まれるのだろう。
2022年01月04日
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1月も2日になれば帰省ラッシュの渋滞が始まる。そこで近い景勝地である三浦半島に行ってきた。まず横須賀の平和中央公園に行く。ここは横須賀の街と海をみおろすことのできる風光明媚な場所で2021年4月にリニューアルされたばかりで、散策するに楽しい。そしてコンセプトは平和…ということで、中央には平和のモニュメントがある。各国語で平和を意味する語が刻まれた柱があり、その上の屋根には無数の穴があって、そこを通った陽光が自然と光の粒を地面に散りばめるようになっていて幻想的だ。この公園は夜景でも有名だというのだが、昼間に行くのもお薦めである。次に行ってきたのは黒崎の鼻。これは三浦半島南部の小さな岬なのだが、全く観光化されておらず、畑の中の道から入り、藪をこぐようにして歩くと忽然と目の前に海が現れる。人工物が見当たらないので龍馬伝などのロケ地にもよく使われるという。以前行ったときは人が全くいなかったのだが、昨日言った時には最近のキャンプブーム、釣りブームを反映してか、釣り人やテントもみかけた。それでも人工物がないことにはかわらず、草の向こうがいきなり絶壁になっているので、歩く際には注意が必要だ。ただ東京からそれほど遠くない場所にこんな光景のところがあるなんて不思議な気がする。それて最後は城ヶ島公園。小学校の遠足に始まり、何度となく来ているのだが、何度来てもよい。ずっと昔、友人と城ヶ島を一周したことがあり、この公園にももちろん言ったのだが、はて、その友人は今はどうしているのだろうか。年賀状でもあたりさわりのないことしか互いに書かなくなったのだが、幸せにしているといいな…。この公園は昔も今も変わらないように思うが、最近、安房埼灯台が公園の中に移り、そのデザインも公募による斬新なものになった。最初見た時にはちょっと違和感があったが、見慣れてくると、これはこれでよい。今年がこの新春の海のように穏やかで光にみちたものだとよいのだが。このころには、すっかり陽も傾いて、海の上には柱のように光の粉がまき散らされて揺れている。夕陽は、廃業したホテルの傍の海岸で見ることにした。ここからは富士山もよくみえる。五月の連休の頃にはダイヤモンド富士がみられるのだが、この時期の夕陽は天城山のあたりに沈んでいく。夕陽が隠れた後、今まで気づかなかったような小さな雲が金色に輝きだし、シルエットでしかなかった富士山の山肌の雪の白が見え始めた。
2022年01月03日
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よきことを 積み重ねまた 積み重ね よき日のさきに よき一生(ひとよ)かな本年が皆さまにとって良い年であることを…。書くテーマはいくらでもあり、今年もいろいろと書いていこうと思うのだが、論争になりそうな題材を扱うときはいつも躊躇する。別に手厳しい反論、高度な意見…そうしたものは大いに結構であるし、そうしたものこそが、こうした日記を書くよさなのかもしれないが、それでも誰かに不快な思いをもたらすかもしれないと思うと、考えてしまう。そうかといって、他人からみたらどうでもよい個人的な題材をちまちまと書いてみてもしようがないし、やはり、個人的題材にしても、共通の体験を持つ人からの意見を聞きたいと思うのが人情である。その意味で、旅行や読書について書くと、同じ場所や同じ本についての様々な意見を知ることができるので面白い。一方で韓流ドラマについて書いたときには、あまり反響がない。かつてはツタヤ、今はだいたいアマプラでドラマを見ているのだが、どうもマイナーなものや時期遅れのものばかりを見ているからかもしれない。最近は、韓国ドラマが世界的にブームとなっているようだが、内容を紹介した記事を見る限り、「愛の不時着」とか「イカゲーム」は荒唐無稽すぎてみる気にはならない。自分の周囲でも見た人はあまりいないのに、ネットやマスコミには記事があふれている。本当に流行っているのだろうか。そしてまたコロナについてもいろいろ書いてきたし、なんといっても当世多くの人の関心事はまさにこれなのだから、今年もこのテーマで書くことはあるだろう。ただ、感染は再び増えているのだが、死者の増加は見られない。もちろん死者の増加は感染者に遅れて増加するものなのだが、数字を見る限りでは弱毒化と社会的収束に向かっているようにもみえる。人はどうしても楽観的予想にすがりつきたくなるもので、コロナについても同じ轍を踏んでいるのかもしれない。ただこれだけは楽観的予想があたってほしいものである。※※昨日の紅白では「命に嫌われている」がよかった。実はこの歌、替え歌でソ連崩壊を歌った「祖国に嫌われている」で初めて知った。紅白のあとさっそくyoutubeで「祖国に嫌われている」を聴いた。燦然と理想を提示して人類史に現れた人工国家ソ連邦が人間の持つ利己主義、権力欲、物欲などの現実故に理想国家になりえなかったのは悲しい。
2022年01月01日
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