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九州地方は震災の少ない地というイメージがあったのだが、10年前の記憶も消えないうちに再度、熊本に地震があった。四大プレートがせめぎあう上に日本列島があり、震災は他人事ではないのであるが、今回は商業施設の爆発と言う衝撃的な事態まであった。今後のためにも原因究明がまたれる。※サイボーグ009という漫画がある。この作品の連載は1964年で少年キング(今は廃刊)であり、どこかでこの初回を見た記憶がある。ここで、1964年というのがけっこう重要で、後には設定が変わっているのかもしれないが、主人公島村ジョーは日米のハーフで髪は栗色、少年院を脱走したところを悪の組織に攫われてサイボーグにされたという発端になっている。終戦直後に生まれた赤ん坊が19歳になっている頃だ。そしてこうした設定だけで、連載開始当時ならすぐに、009は米兵と日本女性の間の子だとわかった。そういえば、この時代の漫画にはけっこう戦争の影があった。同じ作者のミュータントサブは原爆が関係していた(のちに設定が変わったのは配慮なのだろうか)し、手塚治虫のゼロマンの主人公は養父が戦場で拾った赤ん坊という設定であった。そしてまた、今でこそポリコレとかいわれるが、昭和30年代にサイボーグ009のように多様な国籍の主人公を描いた漫画があったのが興味深い。女性が紅一点、欧米以外が009は別にして006と008というのは当時の感覚ではそんなものだろう。黒人の008の作画は今ならポリコレとやらの視点で問題になりそうなのだが、漫画で読むと008は地味だが、沈着で真面目でなかなかよいキャラだったと思う。あの漫画で美男美女として作画されているのは009と003だけなのだが、読んでみるとドイツ人の004がめちゃくちゃかっこいい。これも独断と偏見なのだが、日本人(の多く)にはドイツに対する憧れがあるのではないか。明治初期のプロシャを模範とした近代化と文系エリートのドイツ語傾倒あたりに淵源があるのかもしれないし、かの三国同盟の際の「ドイツ中心の世界秩序の建設に乗り遅れるな」という発想もそれにつながっているのかもしれない。最近のアニメでもドイツ中世をモチーフにしたものが多いというし、銀河英雄伝説の帝国側はなぜかドイツ風の名前を持つヒーローキャラばかりだ。そして日本人(の多く)は、ドイツ人と日本人は真面目で勤勉で規律を尊重するところが似ていると親近感を持っている。おそらく向こうは別に日本人と自分らが似ているなんて思ってはいないのだろうけど…。
2026年07月29日
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物価高とか生活苦とかそういうものに対して上から金を降らせる政策と言うのは政策の名に値しない愚策ではないかと思う。お殿様が特別にコメを恵むような政策で、そういうものは近代ではあまりなかったと思うのだが、この頃はかえって目立つようだ。東京のある区では、給付の対象を住民税非課税世帯と子育て世帯に限定して大炎上したという。住民税非課税世帯の多くは年金生活の高齢者で、中には財産所得や貯金の取り崩しで裕福に暮らす人もいる。子育て世帯の所得はかえって高いので、子育て世帯というだけで支援しようというのは、そろそろ支持を得られなくなっている。一方で、生活保護以外の困窮者を抜き出すのは難しい。同じ額の所得でも、高収入の配偶者を持つ人が趣味的にやる仕事と、実質的に家族を支えている仕事とでは意味合いが違う。そんなわけで最近では一律給付というのが多い。この給付が紙の商品券のような形で送られてくるのなら問題ないのだが、東京都のように付与ポイントだとやっかいだ。生活応援事業の期間は2027年4月1日と限定されているのに、あまり周知されていない。スマホでポイントを取得するのだが、スマホを持っていない人は恩恵にあずかれない。昨日、このポイント取得をやってみた。東京アプリの他に、デジタル認証アプリも入れなければならず、普段からスマホで支払いをしていない人は、さらにそのためのアプリもいれなければならない。マイナンバーカードを持っていない人も手続きができない。そこで思う。この生活応援事業の期限が近づいた時、ポイントをもらっていない人が相当数いて、ちょっとした騒ぎになるかもしれない。どこかでポイント取得の指南をしているところがあるというのだが、スマホの操作に慣れていない人には時間がかかる。さらにこんな不安もある。この制度を悪用して、スマホ操作になれていない人に多少の金を渡し、自分のスマホにポイントを入れて、その差額を利得する輩もでてくるのではないか。もちろんそうした行為はなんらかの犯罪にひっかかるようになるのだろうけど、この制度はそうした出来心からの犯罪者を生むかもしれない。この制度には脱現金化とか電子決済の普及とかいう目的もあるのだろうけど、旧人類のせいか、見えないところで金が動くのには気味悪さがある。ましてや、預金とスマホを結び付けるつもりもさらさらない。スマホ決済は便利なようなのだが、外出するときには、鍵といっしょに財布も持ち歩くので、いちいち画面を出さなければならないスマホはさほど良いとも思えない。
2026年07月28日
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内閣支持率が急落しているという。それはそうだろう。物価高、上がらぬ賃金、不安定な中東情勢と問題は山積みなのに、国民生活とも関係がなく、さして緊急とも思えない法案の制定を急ぐ理由がよくわからない。ただし、かといって、野党の支持率が上がるとも思えない。今、問題になっている副首都構想にしても、最初から大阪ありきと言う感じで、実際に大阪の経済界には待望論が強いという話も聞く。副首都であるということを錦の御旗にして、国の負担で北陸新幹線の駅ができる。副首都という名目で国の機関もできる。副首都の発展のための施策が行われる。格の高いポストも生まれるので官界だって大歓迎だろう。しかしこうしたものの費用は所詮は国の税金である。そうなると当然になぜ大阪に…と思う。大震災、火山噴火など、日本ではどこでも災害の危険がある。ただ、先の関東大震災をみても、関東全域が壊滅的被害というのは、さすがに考えにくい。いざという場合の首都機能を担う都市は必要であっても、それは大宮副都心、幕張副都心のような関東にある副都心ではまずいのだろうか。副都心構想にも東京の災害に備えるという視点もあったのではないか。※最近、聴かれなくなった言葉に「男は仕事、女は家庭という男女の役割分担の見直し」という言葉がある、言葉が消えたのは、そんな役割分担など過去のものになったからだろう。ところがそういう役割分担意識があったのはそんなに昔のことではない。一頃はお嬢様ブームと言うものもあって、若い女性は家事手伝いがかっこいいとされた時代もあった。フリーターが若者の自由な生き方と言われ、世は好景気を謳歌していたころだ。その頃よりは後の世代になるが、最近、婚活市場では、そうした花嫁修業を続けたまま、40代に入ったような女性もいるという。4070とか8050とかと言って中高年ニートが社会問題になっているが、こうした中には実は男性よりもはるかに多く女性が含まれているのではないか。親が死亡した後に生活に困窮するようになれば、彼女らもまた、そうした古い男女の役割分担意識の被害者なのかもしれない。ただし、そうした役割分担意識のあった時代は男女の就職時の差別も当然のように行われていた時代でもあったのだが。
2026年07月26日
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「父と子」を読了した。この小説に描かれている世代対立はロシア特有のものがあるが、社会が変動していくときに、急進的な若い世代と保守的な親世代の対立というのは歴史のあちこちで常に起きているものだろう。日本でいえば、文明開化期の封建的な親世代と開明的な子世代、終戦後の軍国主義に染まった親世代と民主的な子世代というように。「父と子」は日本でもよく読まれたと思うのだが、最近はどうもこうした古典は影が薄くなっているようにも見える。急進的なニヒリストのバザーロフと彼に心酔するアルカージーという人間関係は、全共闘運動でもみかけたことがあるし、それに似たものは青年主体の様々な社会変革運動でもきっとあるものだろう。そして、アルカージーが結婚という人生の新たな局面にたったときには、この関係は終わりを告げる。「父と子」は世代の対立を描いた小説ということがよくいわれるが、全体を読むと親子の情愛を描いているところが印象に残る。もちろん親が子を思うほどには子は親を思わないので、親の子に対する情愛である。中学生の時に読んだ際には気づかなかったのだが、特にバザーロフの父の優秀な一人息子に対する恐れの混じった愛と、その息子が死んだ後の悲嘆の場面が印象的である。そして臨終の際の宗教の問題もある。無神論の子に対して、親は宗教的儀式を望む。世代効果だけでなく、加齢効果もあるのだが、親世代の方が子世代よりも信心深いものである。同じような場面は「ある愛の詩」にもあったと思う。バザーロフはロシア文学史上初めて現れた雑階級出身の人物とされる。たしかに父は貴族出身でないが、軍医にまでなった後は貴族の娘と結婚し、領地を持っている。もともとの貴族ではないので、農民には親近感を持たれているが、それでも旦那であることには変わりない。本格的に地主以外の階級の主人公がでてくるのはもっと後になってからだろう。登場人物の誰もがどこかにいそうであり、そして誰もが小説の中で生きている。古典的名作文学にはこうしたものが多いし、今は読まれなくなっているのが残念に思う。
2026年07月24日
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ある世代は記憶しているかもしれないが、その昔、旺文社文庫というのがあった。若草色のつやつやした表紙も感じよく、ほどよく挿絵の入っているのも気に入っていた。それも外国文学では原典にあった挿絵というので、イメージ想像の助けには十分であった。中学生の頃は学校の図書室でよくこの旺文社文庫を借りて読んだ。日本や外国の古典的作品が多かったのだが、今はそうした古典と言うのはあまり読まれないのだろうか。書店でもあまり見かけないし、世界文学全集などというものも発行されなくなって久しい。中学生の頃はよくそうした世界文学なるものを読んでいたのだが、だいたいは自分が読んだというために読んでいたように思う。要するにあまり物語を理解していたわけでも、面白いとおもっていたわけもなかったように思う。「父と子」はその旺文社文庫で中学三年の夏休みに読んだ。十九世紀のロシアを舞台に世代の対立という永遠のテーマを描いたと小説というのに惹かれ、期末テストが終わったらさっそく借りてワクワクしながら読んだ。読んでいるときは、やはりあまり面白いとも思わず、読み終わったときはただ読み終わったというだけの感想しかなかった。ただ、小説のディテールはところどころ妙に印象に残っていたので、いつかは読み返したいと思っていたのだが、まさかこんなに間があくとは…。ただ読みながら中学三年の夏の記憶がよみがえってくるので読書とは不思議なものだ。今にしてみると、なぜ、面白くないと思ったのかがわかる。主人公は「女性及び女性美の愛好家」とあるが、それってただの面食いだろうし、ヒロインに惹かれたのも美人というのが大きな要素だ。今読んでみると、この真意は唯物的で科学しか信じない主人公が詩的なもの、芸術的なものを否定している故だろう。また、最初に読んだときには登場人物の行動がわかりにくかった。ロシア文学には必ず高い教養と自尊心故に社会になじめない余計者という人物がでてくるという。日本で言うと高等遊民が近く、登場人物の一人であるパーヴェルがそれにあたるのだが、他の登場人物も何をしているのかよくわからない。主な登場人物はそれぞれに領地を持っており、それだけで暮らせるので、社交を中心に物語が進行するので、中学生の頃はわかりにくかったのだろう。特に仕事をするわけでもなく、友人の家に長逗留、美女の誉れ高い未亡人の家に長逗留で、その間の恋愛や反目で物語が進む。世代の対立がテーマと言うが、これは19世紀ロシアにおける特殊事情がある。西欧では着々と近代文明が発展している。ロシアでは貴族という地主階級と農民との完全格差社会になっている。貴族は農地管理以外は社交が生活の中心であるのに対し、農民は無知なままにおかれている。まさに生産手段を所有しているか否かで階級が決まる社会であり、貴族と農民は別の民族といわれるくらいに酷い断絶があった。そうした現実の中から、西欧主義、虚無主義など様々な思想が若い世代に生まれてくる。そういう意味での世代対立である。主人公のバザーロフは医師の卵で自然科学者であり、何物も尊敬しない虚無主義者として描かれている。自然科学をつきつめていけば、身分制的権威も宗教的権威も根拠をなくす。19世紀のロシアはそうした社会変革につながる思想やそれによる動きが徐々に醸成されていった時期なのだろうし、そういう時代の若者とその父世代の対立を描いた小説として興味深い。
2026年07月23日
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ワールドカップについては、国民性の展覧会という言葉があるらしい。優勝国が歓喜にわくのは当然にしても、そうでない場合、暴動が起きる国、監督を糾弾する国、国民こぞって大歓迎する国と反応は様々だ。まあ、監督もそうなのだが、選手だって常人には考えられないほどの厳しい練習を積んできていて、精いっぱいやってきたのだから、あまり責めるのもなんだかなあと思う。今度ばかりは某アスリートの名言のメダルメダルというのならあんた達がやってみればと言った気持ちも分かる気がする。必死な選手達の試合をビール片手に楽しんでいたのだからよいではないか。敗退したからこそ、今度こそという楽しみがあるというものだ…とスポーツ音痴でスポーツに興味のない私などは思うのだ。あと、FIFAの会長はワールドカップの出場国をさらに倍増することを考えているという。今回でも、ワールドカップで初めてその存在を知った小国があったが、これを増やすとなると主な国はたいてい出られることになる。巨大な市場になりうる中国をどうしてもだしたいらしく、これも、どこまで本気かわからないが、米中共催という提案も行ったらしい。選手のユニフォームなど出場国の多くの人が購入するし、中国出場ともなれば、そうしたグッズを通じてのFIFAの利益は膨大になるだろう。そして放映権料もある。だから中国を出場させたいというのもわからないでもない。そうして考えていくと、将来的には試合の時間も中国のゴールデンタイムに合わせるなんていう時代がくるのかもしれない。
2026年07月22日
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東京でもそろそろ「梅雨明け宣言」がでそうなのだが、この「宣言」という言葉がいつも気になっている。宣言と言うのは関白宣言とか平和都市宣言とかいうように、自分の意思を表明するものだ。気象庁が別に梅雨と言う気象現象そのものを左右しているわけでもないのに。皇室典範が改正された。他に問題山積のこの時期になぜ典範改正を急ぐのかよくわからない。世論調査では女性天皇を認めるという意見が多いようなのだが、改正は皇位を男性に限るものになっている。世論調査結果に表れている国民の意見との関係はどうなるのだろうか。もちろん、この世論調査の聞き方は抽象的に女性天皇について聞いているわけで、特定の人物を想定したというものではないのだが。今やる必要がないと言えば国旗損壊罪も副首都と同様だ。国旗損壊罪は成立したが副首都はこれからだ。副首都は複数指定が可能であるので、東京から距離のある核都市が指定され、新幹線延伸などの錦の御旗になっていくのだろう。懸案となっている北陸新幹線の大阪接続や東北新幹線の札幌までの接続である。今までの政令市の上に副首都という格上の都市ができる感覚なのだが、無駄な出費のないことを願いたい。集中しつつ縮小というのは、これから日本のあちこちでみられる現象で、東京でも都心には高層マンションがどんどん建設される一方で、昔からの住宅街では櫛の歯の抜けるように空き地がでてきている。スポーツに興味はないが、ワールドカップというお祭りが終わるのは寂しい。今年の流行語大賞候補は「なんでやねん」もあるが、なんといっても「バイキングロー」ではないか。ユーチューブでは、大勢の市民が一体となって応援している光景がでてくるが、一体となった応援はうらやましい。さっそく甲子園の応援でも、とりいれるところがでてきているという。
2026年07月19日
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韓国ドラマ「明日も出勤」を見ている。工業大学を卒業して7年目の女性が主人公で、その上司との恋愛がラブコメタッチで描かれている。ともに新製品開発を行うという設定なのだが、あまりその大変さは描かれておらず、ラブコメが中心なのは娯楽作なので仕方ないだろう。ただ舞台が人もうらやむ大手企業で、開発するのがAI家電というのが興味深い。AIというとパソコンやスマホにある機能で、質問するとなんでも答えてくれるものしか知らないし、これも、そつないけれども役にたたない回答が多く、最近ではあまり利用していない。これが主人公らが開発しようとしているAI家電というのは、常時電源の入っている冷蔵庫に接続し、家の家電を管理するだけではなく、冷蔵庫の食材も把握し、賞味期限の近づいたものを教える機能もあるという。これを発展させれば、それぞれの家庭の状況や家族の好みを把握した上で、その日の季節や気候にあったレシピを提案する機能もできるだろう。ドラマはSFではないので、現実にこうした家電の開発もありうるということなのかもしれない。AIランキングというものがあり、この分野では米中がしのぎを削っており、アジアでも韓国やUAEが上位にきているという。かつてはアジアきっての先進国日本というイメージがあったのだが、AIの分野ではそうもいえなくなっているのではないか。AI家電の開発もSFのような話なのだが、韓国ではドラマの背景になるくらいに、ありそうな話になっているのだろうか。知らんけど…。そういえば、途中リタイヤした韓国ドラマでも人気俳優の青年がAIを話し相手、相談相手にしている場面があった。スマホやパソコンでAIを相談相手にするというのはあるのだが、実際に言葉をしゃべるAIというのも実用化されていて、すでに、日本でも使っている人もいるのだろう。姿が人間に近づけば、友人のいない人には友人の代わりになり、家族のいない人には家族の代わりになるので、将来は、人間型AIが孤独解消の切り札になるのかもしれない。もっとも、不気味の谷というものがあって、人間に似すぎていると気味悪さを感じるという心理もあるのだという。AIの進歩は凄まじく、そのうち多くの人が第二の脳のように、AIに多くのことを相談し、代わりに考えてもらうという時代がくるのかもしれない。そうなると、大企業のトップや政治家も同様に様々な決断をする際AIに相談するようになる。考えをまとめる文章作成もAIはお手の物である。AIの発達によって個人の生活の便利だけでなく、孤独の解消、そして第二の脳としての助言をしていくことで、結果的に人間が賢くなるのと同様の効果が得られるのかもしれない。それとも、AIに頼ることになった人間は思考能力が低下するのだろうか。
2026年07月17日
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最近、ある新聞のコラムに選挙の際には有権者テストを行い、知識がなかったりSNSに流されたりしやすい人々は選挙から排除すべきだといった意見が半ば冗談めかして書いてあった。もちろんこんなことはできっこないし、マスコミに流されるのは良いがSNSに流されるのは悪いなどというのも全く意味不明だ。それに、知識というか知能で有権者資格をきるようにしたら、結局のところ、金持ちだけが選挙権をもった制限選挙の時代と同じようなことになるだろう。今のような高度に発達した資本主義社会では、多少の例外はあるにしても、階層を決める要素は血統でも親の資産でもなく、本人の能力、それも知的能力という要素が一番大きいのだから。古代ギリシャでは賢人政治が理想とされたというが、賢人政治がもしあったとしても、それは単に賢人に都合がよい政治が行われるだけだろう。自衛隊員が貧乏人の子がなるといった発言もそうなのだが、リベラルといった人々ほど差別的な感覚が目立つのはどういうわけなのだろうか。自分らと違う意見を持っている人々はうましかばかり…こんな感覚でいる限り支持など伸びようがない。現政権の支持率が比較的高いことだって、支持者が別に推し活感覚で支持しているわけではないし、そもそも推し活政治なんて言っているのはマスコミだけだろう。この前の選挙での自民圧勝の一番大きな原因は推し活というよりも、自殺点のような立憲民主と公明との合併が元凶ではないか。そのあたりの反省もなく、有権者のレベルに原因をもっていこうとするから…ダメなんだよと言いたい。
2026年07月16日
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想像していたような神社から古代史を読み解くといった本ではなかった。そうではなく、神社の歴史をまとめたものといった方がよいだろう。神社と言えばはるか昔からそこにあって変わらないものというイメージがあるのだが、実はそうではない。自然発生的にあった神社も律令体制の中に組み込まれ、さらに神仏習合の時代があった。明治以降は、歴史上の忠臣や維新後の軍人らを祀った新しい神社もでき、明治神宮も創建された。その反面仏教色は除かれ、祭神が変わった例もある。国家神道と言う言葉ができたのは実は戦後で、概念として国家神道と神社神道の分離が行われ、国家神道を消し去ろうとする占領政策に抗して神社神道が生き残った。神社本庁ができたのも戦後である。伝統と言うと、なにか神聖なもので、はるか昔からそれがあったかのように思いがちなのだが、実はそうではないというものも多い。神社の祭神も変わることもあり、かつては寺でもあったところが神社になった例もある。雰囲気がどことなる寺を思わせる神社などは、神仏習合の頃は寺でもあったのかもしれない。もちろん古い神社で祭神も変わらないというところもある。宗像神社や伊勢神宮、出雲大社などは古事記にも記述がある。ただ、それでも昔と今とは同じではない。伊勢神宮はかつては境内に店が並んでいたという。今、伊勢神宮と言えば、いかにも神域といった静謐な感じを連想するのだが、それも明治以降のものなのではないか。
2026年07月15日
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れいわ新選組の山本太郎氏が政界を引退するという。多発性骨髄腫の一歩手前というのもわかりにくかったし、数か月遅れてスピード違反の話がでてきたことも異様な気がする。ただ、それでも、今回の政界引退にはとうとう…と思う。政党を立ち上げ、話題になっても、その後もその政党が伸び続けるためには政策通も含めたそれ相応の人材が必要だ。れいわの場合、山本氏のきわだった知名度はあったものの、他は素人同然の人が目立ち、人材不足の感は否めなかった。世の中には経済的に恵まれている層とそうでない層とがいる。傾向としては経済的に恵まれている層ほど、政治に対する関心も高く、知識も豊富だ。一方、そうでない層の中にも、まあまあ現状に大きな不満もなくマスコミに流されやすい層(いわゆるB層)と漠とした不満を持っていて政治にも絶望している層とがある。実は後者というのはブルーオーシャン(未開拓の大きな市場)で、れいわはここのあたりに支持を広げていったのではないか。同じくこの層に広がっていった政党として参政党があり、参政党の伸長はれいわの伸び悩みと表裏一体なのかもしれない。これからもれいわを離れた層の多くは参政党に向かうのではないか。右とか左といった区分では、よくれいわは左あるいは極左、参政党が右とか極右とか言われる。しかし、そろそろこの右とか左といった区分は意味がなくなっているのではないか。欧州で、相当の支持を得、支持者の多くが貧困層であるような政党を極右と呼ぶのも変だろう。れいわと参政党は似ている。党首にきわだったカリスマ性があるのだが、そのイメージが既存のエリートのイメージとは真逆であることも共通している。すでに定住している外国人の扱いについての考えは異なるが、移民労働力の受け入れに抑制的なことなどの政策面の共通性も多い。さらにいえばもう一つ共通点がある。マスコミやいわゆるリベラルと言われている人々からの評価が低いことである。こうした人々は、護憲とか反原発とか戦争反対とかそういった主張を重視するし、デモなどを行ったりそれを好意的に報じるのもこの層である。しかし、多くの有権者はそうした理念的なものよりも、もっと身近な問題に反応して投票する。ひところ大報道された官邸周辺の反原発デモが結局は政治の流れに大きな影響を与えなかった理由もこのあたりにあるのではないか。
2026年07月14日
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物価高やイラン情勢など生活に直結する問題が山積しているのに、今、国会で問題になっているのは、国旗損壊罪、皇室典範改正、そして副首都とみごとに国民の生活とはあまり関係ないものばかりだ。いったいどうなっているのだろうか。特に副首都については、その副首都がどういうもので、何のために置かれるのかがわかりにくい。首都機能の一部を他都市に分散し、非常時のバックアップとするというのだが、これは東京とは地理的距離のある都市に優先的に公共事業を割り当てたり税金を投入しようという構想で、もともと利権がらみの話にしかみえない。日本の場合、非常時といえばまず震災や富士山の噴火などで、そうなると、関東の都市や震災の危険の指摘されている都市は除外される。それでも、具体的な候補はいくつかの都市に絞られそうなのだが、その中から決めるとなると大変である。かつて首都移転構想というものがあり、いくつかの都市が名乗りをあげていたが、どこも決めてがなく、いつのまにかいわれなくなった。あれと同じようなことになるのではないか。日本の人口は今後も減少をしてゆくが、それは均等に減っていくのではなく、集中しつつ減っていく。急激に人口が減っているところもある反面、都心の区では小学校を新設しているところもある。やがては全国津々浦々にインフラを整備することも不可能になってゆくのではないか。そうなると政策としても集中を進めてゆかざるを得ない。最近熊などの獣害のニュースが多く聞かれるが、これも過疎の結果なのかもしれない。熊ではないが、最近、千葉県富津市の旅館に行ったとき、住民が減った一方で、猿や猪が多く出没するようになって大変だといった話を聞いた。熊のようにニュースにはならないが猿、猪、鹿といった野生動物も増えている。東京にも空き地や空き家が目立つようになったが、東京からほど近い市原市にも廃墟といってもいいところがある。住民がいなくなった団地と完全に人の気配がなくシャッターだけになった商店街である。商店街が代替わりで普通の住宅街になっていくというところはよくあるのだが、そこは、アーケードは壊れたまま撤去されておらず、看板の色も褪せていないなど、全く時が止まって凍結したような光景であった。そうした廃墟の中に一軒だけ、人が集まっているところがあり、何かと思ってみるとある政党が活動に使っているようである。男女の賃金格差是正、選択的夫婦別姓という文字が大きく掲げられてあった。※訪れたのは土曜日の午前で、もしかしたらシャッターを閉めた商店の中にも、営業しているところもあるのかもしれないことを付記しておく。
2026年07月12日
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映画オデッセイアでトロイ戦争の原因となった絶世の美女ヘレンを黒人の俳優が演じるということで議論になっているという。ポリコレと称して今まで白人のやっていた役に黒人をあてることがあるというが、いったい誰が望んでいるのか意味がわからない。自分は人種差別などはしていない、それどころか一般大衆の人種的偏見をなくすことに貢献しているのだという、インテリの自己満足にしかみえない。オデッセイアではヘレンの容姿について美女だとしか書いてなく、別に白人に限定した記述はないのだが、登場人物のほとんどが白人なので、普通に考えたら白人だろう。映像で再現された壮大なギリシャ神話の世界にひたってみたいという観客の要望を考えれば、ヘレンは白い肌金髪の白人の美女の方がよいし、そうであってほしいと思うのは人種差別とは関係ないように思う。それは源氏物語を映像化した場合に光源氏が金髪では違和感があるのと同じだろう。以前、ディビット・コパフィールドの小説を読んだ後、それを映像化した映画を探したことがあった。「どん底作家の人生に幸あれ!」がそれなのだが、ディビッドと最後に結ばれる才色兼備の女性が黒人、その父親で恩人の紳士が東洋人になっていた。そして主人公はたしかインド系の俳優で、19世紀の英国でこのビジュアルはないだろうと思った。それに小説中には愚かな人物や悪辣な人物もでてくるのだが、主人公及び好感度の高い人物だけ非白人にしてあるのは、かえって差別的な感じがした。多人種多民族の国家で映画のヒーローヒロインが白人ばかりなのはおかしいという議論はわからないでもない。けれどもそれは白人のイメージで定着している物語の人物を非白人にいれかえるのではなく、非白人が主人公になっている物語を発掘あるいは創造していくことでよいではないか、この方向でのものも最近では結構出てきているようにみえる。
2026年07月10日
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後悔していることがある。ここのところは読んだ本は原則として読んだ本としてカテゴリ分類しているのだが、昔はそうしたことをしていなかった。そのため、カテゴリで検索しても、でてこないことが多い。印象に残っている本もずいぶんあったのに、その当時どんな感想をもったのかがわからないのは残念なことだ。ところで、この自分が読んだ本を検索してみると、読んで印象に残った本、読んだことは覚えているが中身の記憶のない本、読んだことすら忘れている本の三種があるようだ。最後の読んだことすらも覚えていない…というのは少し怖ろしい。最近、ひやひやしたことがある。電車の中でスマホを探したけれどもない。外出先では地図、路線、スケジュール確認などでスマホを一度はみるものなのだが、必死でスマホを見た記憶をたどる。たぶん、家に置いたままなのだろうと思ったのだが、家にスマホがあることを確認するまでは気が気ではなかった。無意識のうちにスマホを出し、無意識のうちにスマホを置いたままにするなんてことはないだろうなあと思うのだが、それでも、どっかに忘れて悪用されたらと思うと不安はつきない。さすがに銀行口座との紐づけなどはしていないし、個人情報などといったってすごいものがあるわけでもないのであるが。この頃のニュースでわからないことがある。皇室典範の改正が政治課題になっていることである。内外ともに難問山積みの今の状況ならもっと他に検討しなければならないことがあるように思う。皇室典範は関心事だし、多くの人がそれぞれの意見をもつテーマではあるのだが、今急に検討しなければならないことであるとも思えない。次の皇位継承などは何十年か先の話であるし、皇族の減少と言っても、皇族の公務のほとんどは制度上の根拠のあるものではない。なぜ今なのだろうか…と不思議でならない。
2026年07月09日
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「楽園のカンヴァス」を読んだ。伝説のコレクターの所蔵するルソー作品の真贋を鑑定するために呼び寄せられた男女二人。一人はMOMAのアシスタントキュレーター、一人は新進のルソー研究者。ルソー研究者は才色兼備の日本女性で作者の理想的自画像なのかも…と思ったがよけいなかんぐりだろう。対象となるのはルソーの大作「夢」とそっくりな「夢を見た」という作品。絵は果たして本物かどうか、本物にしろ偽物にしろ、これが書かれた背景は何か、ルソーの「夢」にでてくるモデルの女性の正体は誰か。そうした様々な謎にさらにインターポールの女性がからみ、一種のミステリー小説のような趣もある。ただ全体にどことなく少女漫画のような雰囲気を感じるのは、作者が美しい女性作家だと思うからだろうか。さらにいえば、アシスタントキュレーターには次第に女性研究者に対する愛が芽生える展開になっており、恋愛小説のようでもある。豪華な西洋館、謎、恋愛となると、ゴシックロマンにも似てくる。けれども、この小説の面白さの一番の要素はルソーという画家とその作品ではないか。ルソーは最初の頃は日曜画家の子供じみた絵と言われ、なかなか評価が定まらなかったが、今では多くの人に愛される画家となっている。同じ作者の「たゆたえども沈まず」を読んだときにはゴッホの画をみたが、今度はルソーの画を見ながら小説を読んだ。画家の人生、絵の描かれた背景、そうしたものに思いをはせれば、絵の数だけ物語があるのかもしれない。
2026年07月08日
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去年に比べると今年の梅雨は梅雨らしい梅雨で、気温も去年に比べて低い。ところがヨーロッパでは早くも40度を超える日もあるというのだから驚くばかりだ。普通に考えればかの地は夏でも日本よりも涼しいはずで、そのせいかエアコンの普及率も低いという。なにか地球規模で大きな気候変動が進行中なのかもしれない。閑話休題映画「免許返納」を見に行った。あまり予備知識を持たずに見たので、当初は日常系ドタバタコメディだと思っていた。ところが見てみると、主人公はかつて一世を風靡したスター俳優で、ライバルである俳優の最後の願いを叶えるというストーリーになっていた。主人公は、かつてのアクションはできなくなっているが、かといって映画賞狙いの「老人家族」の主役というのも本意ではない。それに、ライバルにハリウッドからラスボス役のオファーが来たのも面白くない。もちろん、主人公のように芸能界で息長く活動できる人は一握りの幸運児だけである。そうはなれなかった人々も映画には出てくる。子役の時はもてはやされたものの芸能界からは消え、今ではマネージャーをやっている女性。そして若いころは小劇団に所属し芸能界を目指していたが、一向に目が出ず、今はスナックのママになっている女性。こういう人々もきっと多いだろう。子供の頃、CMなどで話題になっていた子役で大人になってから名前を聞いた人は少ない。小劇団所属の俳優も数多くいて、もともと演劇の世界はプロアマの境界があいまいな世界で、演劇だけで生活できるようになるのは一握りだという。これはこれで面白い映画なのだが、難を言えば、ハリウッド関係者が全然それらしく見えなかったことと、合成映像だけでアクションを作るのはいくらなんでも無理ではないかということくらいだろうか。そしてまた、タイトルとなっている「免許返納」はストーリーの中心ではないし、今時、70歳くらいで免許返納するという人は少ないのではないか。
2026年07月07日
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昔、伊勢物語でこんな歌を習った。つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを古今和歌集では在原業平の作とあり、伊勢物語では男が病気になったときの歌とある。伊勢物語の男は在原業平の場合が多いので、在原業平の歌なのだろう。多くの人が時世の歌を残している。在原業平は「昨日今日とは思はざりしを」だったが、覚悟の上の死もある。かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる 楠木正行あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし 大石蔵之助面白いのは狂歌師の作でこんなのはどうだろうか。百ゐても 同じ浮世に 同じ花 月はまんまる 雪は白妙 永田貞柳江戸時代の浮世は確かに50年、100年でもあまり変わりそうもなかった。けれども今は世の変転はめまぐるしい。月はさすがに当分は真ん丸なのだが、桜の開花期も、降雪量も、温暖化のせいか変わってきている。貞柳さんも今の時代なら、世の行く末をもっと見ていたいと思うのだろうか。
2026年07月06日
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テレビはあまり見ないのだが、朝のニュース番組は朝食時間ということもあり、みている。日本のワールドカップ敗退が決まった後、日本選手関連の報道が少なくなったのはよいとして、変なのは韓国敗退で韓国の監督が批判されているということを大報道していたことだ。まだまだ、ワールドカップが続いているのであれば、今後の各国の勝敗予想など報道することはいくらでもあるし、日本在住の外国人コミュニティの応援コメントだってよいのではないか。それなのに、韓国の監督が批判されていることについて、わざわざ現地にいって市民の声まで拾ってくるなんてのは、報道機関としてどうなのかと思う。たしかに、韓国グループリーグ敗退後、韓国の選手や監督が非難されているという報道があったときは驚いた。ワールドカップに出るような選手は天性の才だけでなく、常人離れをした練習を積み重ね、国家代表というプレッシャーのもとで試合に臨んでいる。勝ちたいのはどこも同じで、それが期待に応えなかったからと言って選手や監督を非難するのは酷いではないか。この時ばかりは「メダルメダルというのならあんた達がやってみればよい」と言った某アスリートの気持ちも分かる気がした。その後、大統領が非難だとか、監督が外国に行ったとなると、もうなんだかわからないが、それはそうとして、所詮は外国のことで、文化も国情も違う。日本の朝のニュース番組で延々とやることだとは思えない。話は変わるが、今回のワールドカップでアジア枠が増加したのは、中国とインドを出したいというFIFAの思惑があるのだという。ワールドカップでは様々な関連グッズが発売され、その収益の何割かはFIFAの収益になるという。中国もインドも10億を超える突出した人口大国である。経済発展も著しいし、グッズを買えるような層も増えている。そうした人々が億単位でグッズを買うようになったらFIFAの収益は莫大である。メキシコで行われたワールドカップ開会式では中国の人気キャラであるラブブが登場していたが、これも中国市場を意識していたのだろうか。アジア枠の増加とかいったやり方ではなく、もう中国とインドは無条件でワールドカップに出場としてもよいのではないか。人類全体の祭典なので10億以上の国は無視できないとか理屈はどうにでもつくように思う。それにしても10億以上も人口のいる国で、なぜ、ボールを蹴るのがうまい11人を集めることができないのだろうか。それも不思議である。
2026年07月05日
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かつてプロジェクトxという番組が評判になったことがある。日本の戦後復興、そして高度成長からバブルまでの繁栄を支えた様々な新製品の開発に至る苦労をドラマ仕立てにした番組だった。日本の繁栄を実際に支えたのは、こうした研究開発部門に携わる人材だったのだろう。そうした人材が輩出された背景を考えると、どうしても戦時中の状況に思い至る。あの時代、国策として科学教育の振興が唱えられ、「科学する少年」という言葉が流行ったという。現実的にも理系の学生は徴兵猶予の制度があったので、理系の志望者が激増し、定員もまた増えた。プロジェクトxの技術者の中には、そうした世代の人が多かったように思う。政府は理系人材の養成のために、新設の理系学部に補助金を出すなどの政策を打ち出しているが、これはピントはずれではないか。学部を作れば人材がわいてくるわけではない。今でも理系に分類される学部の中には入試に数学や物理化学がなく、卒業生の多くは専門と関係ない部門に就職しているところがある。新設の学部にさほど優秀な人材が集まるとも思えず、単に補助金の無駄遣いになるだけではないか。それよりは国立の理系について、授業料を昔のように激安にした方がずっとよい。かつてのように徴兵猶予を特権にすることはできない以上、それに代わる大きな特権が理系に誘導するためには効果的だろう。授業料激安というのは、別に家計が苦しいという家でなくとも、親の負担を思いやるような子には魅力的なものである。受験勉強も、そして大学に入ってからの専門の勉強も、文系に比べ、理系の方がずっと厳しい。だからこそ、理系に行くことのできる優秀層には、あえてその選択をするだけのインセンティブが必要だろう。そしてまた、学部卒業後の待遇もある。昔は、理系最上位層は大学院に進んで無給かわずかの奨学金しか収入がないということがあったが、今ではどうなのだろうか。真面目な受験生ほど、卒業後の進路もみすえて学部選択をする。同じように理系の女子優遇枠なるものも意味不明だ。医学部は女子が進出しているので、女子枠はもっぱら工学部や理学部での優遇なのだが、専門を生かせる企業の採用枠があれば、優遇などしなくても、女子の受験生は集まる。企業の方にも採用を敬遠し、また、女子学生の方にも企業の研究開発部門は無理だと思う意識があるのだろうか。そもそも女子には理系に向いている人は少ないという説はどこまで本当かどうかわからない。子供などを見ていると女子と男子で興味の方向が違うと思うことがあるが、それと学問の適不適は別だろう。かつては漢学は男子のものとされていたのだが、今では漢文が男子のものだと思っている人はいない。最後に理系人材というと、日本の頭脳というようなトップクラスの人材ばかりではなく、実験を補助する人材、製造されたもののメンテにあたる人材もまた必要だろう。その意味で工業高校を減らし、専門性のあまりない四年生大学ばかりを増やしてきたのはよかったのかどうか。そんなことも考えてしまう。
2026年07月03日
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「華麗なる一族」を読んだ。実は、こういうことはたまにあるのだが、図書館で上巻の次を探したのだが、中は誰かが借りていたのか下巻しかなかった。そこで、これは上下二巻だと思って下を読み始めたのだが、どうも話が飛んでいるようだ。検索してみると、やはり上中下の三巻であったが、すでに下巻を読み始めていたのでそのまま読み、その後、中巻を読んだ。ストーリーの骨子は銀行再編という固いテーマなのだが、中心となる華麗なる一族だけでなく、ライバル銀行の銀行員や官僚など様々な人間が俯瞰的な神の視点で描かれており、すごい小説としかいいようがない。華麗なる一族の核は万俵大介であるが、銀髪の整った容姿で冷徹な紳士なのだが、家庭では妻妾同居どころか妻妾同衾の生活を送っている。銀行家としては、合併の野心を持っているが、家庭生活では長男の出生に疑念を抱いている。愛人の相子は女子高等師範を卒業して留学をしたほどの才媛であるが、米国での結婚生活に破れて帰国した後は就職先もなく、万俵家の家庭教師になった後、大介の愛人になる。才覚を活かしての閨閥づくりは彼女の万俵家の存在価値でもあった。多彩な登場人物の誰もがそれぞれの悩みや願いを持ち、そして誰もが、実際にいそうな人物に思える。閨閥づくりの結婚を嫌って兄の部下に惹かれていく次女も、高炉建設にかける長男も、日銀天下り人事に反発する銀行員も、各人の夢や悩みはそれぞれに深刻である。性格的には善人に描かれているライバル銀行の三雲頭取も、客観的には私情を業務に持ち込んでいるようにしか見えない。昭和40年代の銀行再編を背景とした人間絵巻として一読の価値のある小説だと思う。
2026年07月02日
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裁判の傍聴に行った友人からこんな事件の話をきいた。死体遺棄と年金詐欺に問われた事案で、30代の娘が70代の母の遺体を台所にビニールシートにつつんで放置し、年金をそのまま受給していたという。こういう事件は昨今では多いので、いちいち記事にしないのかもしれないし、してもほとんどがベタ記事だろう。この30代の女性は精神疾患があって、長期の引きこもり中で、コンビニに買い物に行くのがやっとだったという。事件の発覚は家賃の請求にきた大家さんからだった。親が亡くなったときに、やることは百事ある。生活力のない子供がどうしてよいかわからぬままに、遺体を放置し、犯罪者になってしまう事件を防ぐために、こうした場合の緊急の連絡先を設け、周知する必要があるのかもしれない。別の事件であるが、似たような引きこもりの娘と親の事例で、親の死後、一週間ほどで匂いに耐え切れなくなった娘が110番通報をして事件が発覚したというものもある。これも、親の死の直後に110番をしていれば事件にならなかったのだろう。110番とか119番なら誰でも知っている。最近ではこの緊急性のない版の番号も周知が図られている。こうしたところでも、扱っているのかもしれないが、家で親が亡くなっていたら、どこにまず連絡をすればよいかは周知しておく必要があるだろう。凶悪な人間と違って無知な人間が犯罪者になってしまうのを防ぐ方策については、まだまだやることがあるように思う。8050問題については、最近では9060問題ともいわれ、究極的には親の死と残された息子娘の問題になる。こうした親の遺体放置や年金詐取の事案は今後も増えていくように思う。
2026年07月01日
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