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よくいわれるが伊藤博文は日韓併合に本当は反対だったという。併合当時の半島は貧しく混乱した国であったが、それは民族の資質ではなく、政治が悪いからだとみていた。彼の言葉でいえば「しかるに今日の有様になったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ。国さえ治まれば、人民は量においても質においても不足はない。」ということである。*不幸、特に経済的不幸について、国の政策や政治の問題であるという見方と個人の問題であるという見方とがある。後者の代表的なものが「自己責任論」であろう。たしかに政策の力で怠けものを勤勉にすることはできないし、個人の資質もいかんともしがたい。三角関数が理解できないのをすべて教育政策の問題といわれても困るというものである。ただ、逆にすべて自己責任であるかといえば、それもまた違う。例えば、病気で苦労している人がいるとする。それだけをみると個人の問題、個人の不運のようだが、背景には労働基準法無視の長時間労働を野放しにしてきた実態があれば、それはやはり国の政策の問題ではないか。*労働規制の緩和により非正規雇用者が増加している。非正規雇用が増加しているということは。それだけ正規雇用で採用されることが難しくなっているということだ。そしてその正規雇用でも解雇規制を緩和しようという動きもある。非正規雇用でも賃金が十分なら良いという見方もあるが、日本の最低賃金は他国よりも低い。最後の最後のセーフティネットである生活保護も親族間扶養の重視などでハードルをあげようという動きがある。政治のせいで、貧困と混乱があふれるような国にしてはならない。そういう意味で、今度の都知事選にしても、決して争点は脱原発だけではない。
2014年01月31日
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東京都知事選の争点は原発だという人がいる。また、この都知事選が原発を止める最後のチャンスだという人がいる。どうもよくわからない。だって東京には原発がない。存在しない原発がなんで都知事選の争点になるのだろうか。新潟知事選なら新潟の原発が、茨城知事選なら茨城の原発が争点になる。それでは都知事選の争点となる原発はどこの原発なのだろうか。*都知事選で争点となるのは全国の原発だという人もいるかもしれない。そうだとしたら東京都民というのは全国の原発政策を決めるほどえらいのだろうか。脱原発をワンイシューのようにして立候補した候補者にぜひきいてみたいものだ。さらにまたこの都知事選を原発全体に絡めようとする人にも聞きたい。もしこれで脱原発候補が負けたら原発にゴーサインがでたことになるのかと。原発のない東京都の選挙結果がゴーサインになるわけがないじゃない。**閑話休題ずっと前のことだけれども、八百屋さんで南アフリカ産の缶詰をみつけたことがあった。当時の南アフリカは、アパルトヘイト政策の真っ最中。それに反発してということではないが、どうも手にとっても買う気になれなかった。どうせこの製造工程で作業をしているのは奴隷状態の黒人だろう。気分的に奴隷の作ったものなど口に入れる気にはなれない。人道云々ということではなく、奴隷なら辛い仕事の鬱憤で唾かなんか入れているかもしれないし…。これにかぎらず、加工食品はどうも途上国のものは安全安心ではないという気がする。
2014年01月28日
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映画「トリック」を見た。このシリーズはこれで最後ということで予想どおり十分に笑える仕上がりになっている。個人的にはシリーズ最初の頃の新興宗教ネタの方が好きなのだが、最新の「トリック」も随所に他の映画のパロディをおりこんでいて楽しい。ただ、一方でいかにも低予算でテレビのバラエティでやるようなギャグを映画向けにやっているという感もある。この映画が外国に紹介されたり、ましてやアカデミーの外国映画部門をとるような可能性はまずないだろう。気のせいかもしれないけど、どうも最近の日本映画は勢いがない。ほぼ国内向け限定の映画や、老いとか介護とかいう問題を扱った低予算映画がめだつ。予告編だけをみても、ハリウッドはもちろん、中国や韓国の映画の方が歴史大作のようなものが目立ち元気がよい。*歴史観も含めた考え方の発信という意味で映画、ドラマなどの大衆文化はバカにならない。韓流ばかりみていると頭の中も韓流化する…いや本当にそうである。日本で放映されているかどうかはわからないが、韓国ドラマの中には「不滅の李舜臣」とか「京城スキャンダル」のような日本にも関係の深い題材を扱ったものがある。前者は大河ドラマだが、歴史に忠実で娯楽性に乏しい日本のそれとは違い、海戦場面などは迫力十分で海外にも輸出されているのではないか。小生のもっているDVDは英語字幕版である。むき出しの人種差別や侵略肯定は批判されるけど、映画やドラマなどの大衆向け文化では違う。映画「ターザン」の内容は英国貴族の遺児がアフリカで一人ぼっちになったが天賦の資質は隠れようがなくジャングルの王者になるというのが大筋で、白人優位論が背景になければこういう話はできないだろう。ホロコーストの悲劇は数々の名画で十分にしられているが、アフリカ奴隷貿易を告発する映画ができたのはわりと新しい。それどころか「風とともに去りぬ」では、黒人奴隷は白人を頼って生活している人々という描かれ方をされている。*本当に日本発の歴史観を発信しようとすれば、こうした大衆文化という手段をつかってはどうなのだろうか。娯楽性がなければ話にならないが、欧米による植民地化の危機と闘った人々や、近代化してまもない時期に科学の世界で世界的貢献をした人々、江戸時代に世界的な実績をあげた芸術家や学者などの物語がきっとあるのだから。
2014年01月27日
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この頃、日帰り旅行に行くとその土地の土産だけでなく、和風の図柄のハンカチやタオルなどをうっているところがある。富士山ろくの忍野八海もそうだったし、箱根の温泉施設でもそうだった。いつのころからだろうか。こういうところには外国人観光客もかなり多く訪れているのだろう。いったいどういう国の人が多いのかといえば、それはどう考えても近隣諸国の人々だろう。総理や要人がこうした近隣諸国の人々の感情をさかなでするような所業を繰り返せば、こうした観光で生活している人々も困るのではないかと思ったりもする。*朝鮮半島の植民地支配についてもいろいろな意見があるが戦後間もない頃にはかの国の反日感情はいまよりもずっと強烈だった。韓国に行くと殴られるんじゃないか…そんなことを冗談まじりにいう人がいたのも記憶している。日本支配下の朝鮮半島出身で高等教育を受けた人もいただろうけど、多くの人にとって日本の支配はマイナスの印象を残したものであったことは事実である。そしてまた、中国も、当時は統一国家のていをなしていない半植民地のような状態だったとはいえ、そこに軍をすすめた日本はどうみても加害者だったであろう。贖罪という色眼鏡で、近隣諸国をみろとはいわないけど、近隣諸国にケンカをうるような所業は日本のためにもならない。総理は国策として訪日観光客の増の宣言してなる。ならばきいてみたい。いったいそうした観光客はどこの国から来るのですかと。
2014年01月27日
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民主党が政権をとることとなった総選挙の際、「政権交代」に期待する人びとが大勢いた。某夕刊紙は「一度は民主党に政権をまかせてみるのも面白い」とさかんに書きたて、民主党以外の野党については反自民票を分断して自民党政権を利するのではないかと批判する声もあった。政権交代の結果についてはここではのべないが、なんか都知事選で某候補を支援する人々の姿をみていると、あの政権交代前に民主党に期待していた人々の姿にだぶる。**昨年秋ごろから韓国ドラマにはまりはじめた。今までも冬ソナや「秋の童話」、「砂時計」、「プラハの恋人」などをみていたのだが、いまいちピンとこず、実は韓ドラを内心バカにしていた。冬ソナや「秋の童話」は、記憶喪失、交通事故、難病、出生の秘密などをネタにしたべたな展開であったし、「砂時計」は力作だが暗くて重苦しかった。「プラハの恋人」は最初から大使館対抗のマラソン大会なんてのがでてきて、いくらなんでもそれはないという話だったので…。そんな韓ドラ観を変えたのは「魔王」である。これは面白く、日本でもリメイクされ好評だったようだ。以降、途中でやめたのもふくめると10本くらいみている。韓ドラの魅力というのは何なのだろう。それは現実性よりも面白さを重視したサービス精神であろう。その分、よく考えると、ありえない、つっこみどころ満載な話も多いのであるが、演技のうまい俳優が多く、荒唐無稽をあまり荒唐無稽と感じさせない。*韓ドラ俳優には本格的に演技を学んだ人が多い。かの国の最高学府のソウル大学には芸術学部があるのだが、その芸術学部には演劇科がある。この演劇科出身者が芸能界の一大勢力になっているほか、ロシアなどに留学して演劇を学んだ俳優もいる。このあたり、清純美人のイメージをひきずったままの演技の下手な60代女性がいまだにスターとしてもてはやされている日本とはずいぶん事情が違う。まあ、あの女優の場合には観客の方も役柄とは無関係な(年齢に負けない)綺麗なお姿をスクリーンでみたいというだけなので、それでもよいのかもしれないけど。*閑話休題今まで見た韓国ドラマについてちょっと一行批評をしてみよう。復活…今までみた中でたぶんこれが一番良かった。魔王…主演俳優のイケメン度ではナンバーワン。先の読めない展開では復活に一歩ゆずる。サイン…本格的な法医学ドラマ。ラストはどうしても納得がいかないけど。シークレットガーデン…途中で脱落。主演俳優のファンにはお勧めだが入れ替わりドラマは設定がそもそもありえないのでハマるのが難しい。そういえば、日本で最近低視聴率が話題になったドラマもこの類型だったような。グリーンローズ…面白いけど、復活に比べると、ややマンガ的展開。
2014年01月26日
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頭も弱いし、お腹も弱い…おまけに飛行機が大好きで、というそんな男が税金を乱費しながら世界中をとびまわっている。最近も、タボス会議で一知半解の歴史知識をふりまわしたおかげで日中は決戦間近のような報道がなされるなど迷惑なことこのうえない。総理だけではなく、最近の自民党をみていると、ことさら近隣国との軋轢を増幅して、なんというか、国内の不満を外にそらそうとしているのではないかと思うときがある。靖国参拝で不戦の誓いなんて語義矛盾もいいところだ。靖国神社には戦争を起こした戦犯は祀られていても、戦争に反対して獄死したような人は祀られていない。安重根記念館になんとかいうのも変。靖国に関連して死者に鞭打たないのが日本の美徳だなんていっていたのなら、安重根についてもテロリスト云々というのはやめたらよい。http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/*アベノミクスで景気は上向きというけど、そんな大本営発表はそろそろメッキがはがれてきた。スーパーの売り上げは落ちているし、街をあるけばタクシーなどは空車の列。それでもさわやかな顔で演説をしている総理の映像をみると、思ったりする。この人にとっては頭の悪いのが強みなのではないか。自分では何も考えていないし、それをはなから放棄しているから、官僚の作文をあんなに元気よくよめるのだ。嫉妬とか引け目とかそうした感情は距離がありすぎるものには逆に感じない。頭のよいのも能力だけど頭のよい人になんの引け目ももたないというのも一種の能力ではないか。私事だが小生は生まれつき運動ができない。50メートル走も10秒以上だったかと思う。だからスポーツ選手は全く別種の人間という認識しかなく、うらやましいとか思ったこともないし、走るのが遅いとか言われても全く腹もたたないだろう。総理もきっとおんなじなのだろう。**日本の貧困はアフリカよりもマシという言い方がある。最初どっかの財界人がこれを言った時には、何を言っているのだという反応だったが、そのうち、高名な女性作家がさかんにこうした発言を繰り返すようになり、今では随分こういう言い方も市民権を得てきたようだ。アフリカでは餓死も路上死もそんなに珍しいことではない。凍死はまあ少ないだろうけど。だからそれこそ何万もの人間が餓死するような状態になるまで、この言い方はできるのだろう。餓死がニュースになっているうちは日本の貧困はアフリカよりもマシだ…と。そういえば札幌で2年前に姉妹が餓死したのと同じ日に、今度は母子の餓死がみつかったという。
2014年01月25日
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都知事候補の一人は自分が当選したら中国を訪問して関係を修復するといっているらしい。 http://www.news-postseven.com/archives/20140123_237133.html別に今の総理の外交がよいとは思わないけど、中国との関係修復が都知事の役割だなんて思っているとしたら勘違いもはなはだしい。こういうのを二重外交という。*また、他の有力候補は実姉が生活保護を受けているという。そもそも家産とか家業とかがない時代に身内の扶養を強調するのは無理があると思うのだが、それにしても、ある芸人が実母や姉が生活保護を受けていると言って芸人生命を失うほどのバッシングをうけたのは記憶に新しい。それなのに件の芸人などよりもはるかに高収入で、はるかに公人であるはずのこの方についてはあまり報道されない不思議…。*あと、ある報道によると都知事選の争点は原発だといい、他の報道ではそうではないという。でも、東京には原発がない。原発を置いていない県で原発が必要だという民意がでたら、それが国政にどう影響するのだろうか。もちろんこれで原発にゴーサインだなんて誰も言わないのではないか。基地のある自治体選挙で基地の是非を問うように、原発に対する民意も原発を設置している県だからこそ意味が大きいのではないか。原発が争点ではないとはいわないが、原発だけが争点でもあるまい。
2014年01月23日
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韓国ドラマ「イルジメ」を見ている。本当に面白い。最初はこの手のものってバカにしていたし、日本のものでも勧善懲悪時代劇は見たことがないのだが、 こんなにはまるなんて・・・。活劇の様式美も好きだし、飽きさせない物語展開もよい。そしてなによりも主演のイジュンギが素敵だ。イルジメというのはwikiによれば、もともとは中国の説話で、それが朝鮮半島に流入したもので、韓国でも何度目かの映像化なのだが、中国版も香港版も映像作品があるという。中国では、舞台はもちろん中国である。中国のものがそのまま導入されて自国の物語になってしまうなんて、さすが、大陸と半島は地続きなんだと妙に感心する。 仕事を済ませた後に梅の絵を一枚置いていくという粋な義賊で、正体不明ながら世にもまれなるイケメン(だから美賊)という設定。 *日本では時代劇といえば重厚とか年配者向けというイメージがあって、若くて美形の時代劇ヒーローというのはいない。でも、サムライとかニンジャはもはや国際語になっているし、国内だけではなく、国際市場もねらった時代劇があればよいのにと思う。最近の地方都市では、聖地観光といって、その地方都市を舞台にしたアニメ作品で観光客をよぶという動きがあるという。アニメにかぎらず、こうした聖地観光というのこそ観光の原点のように思う。英国の荒野になんで観光客がいくのか、それはそこを舞台にしたブロンテ姉妹の小説があるからだろう。なぜロシアのヤースナヤポリャーナが観光地なのかといえば、そこにトルストイの家があったとともに「政争の平和」の主要な舞台のモデルでもあるからだろう。今の時代、映画やドラマの影響力は古典文学作品よりもはるかに強い。そういう意味で映画とかドラマも一つの重要な観光資源といえるのかもしれない。
2014年01月21日
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今度の都知事選についてだが、自民党が応援している人物はかつて自民党を除名された人物でいまだに復党していない。かつての自民党総裁で総理をやり、今でももちろん自民党員である人物の応援している候補は、自民党は応援していない。いったいどうなっているのだろうか。なぜ誰も不思議に思わないのだろう。この二人の候補はもしかして家庭内野党のようなもの? *不思議といえばもう一つある。ちょっと前のことだけど、ふけばとぶような芸人が実母が生活保護を貰っているといって芸人生命を失うほどのバッシングをうけた。高収入といったってああいう商売の高収入は最大瞬間風速のようなもの、しかも、誰の助けを得ず、働いている妻と一緒に築いた財産であり、収入である。実母とて息子に扶養してもらうなどは期待していないだろう。ただただ息子の成功を幸福に思い、生きがいにもしていたことだろう。個人的にはあの芸人が特に不道徳とも思わないのだが、世間のバッシングは容赦しない。生活保護を受給しているという実母のプライバシーまでもがさらされた。それを問題視する議論も、テレビにでる芸能人は公人だなんていう議論にかきけされてしまった。*きくところによれば都知事選の候補者の一人について、その姉が生活保護を受給しているという話があるそうだ。件の候補者は大臣経験もある著名人で、収入の多さも安定性も件の芸人の比ではない。それに、芸人を公人というのであれば、こちらの方はその何万倍も公人だろう。それなのに芸人のときほど、この候補者に対する批判がないのはどうしてなのだろう。芸人バッシングにはたぶん嫉妬の感情がある。人は自分に近いものには嫉妬するけど、かけはなれたものには嫉妬もしない。運がちょっとよくてテレビにでているだけのお笑い芸人には人々は猛然と嫉妬の炎をもやすけど、7ケ国語をあやつる元東大教授には嫉妬する気もない。姉さんが生活保護…かってにしてといったところか。でも、考えてみると、お笑い芸人を問題にするのなら、こちらの方がその何倍も問題だろう。考えてみると変なはなしだ。また、眠れなくなっちゃう(古!)。
2014年01月21日
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韓国ドラマのイルジメを見た。(すみません、ま~た韓国ドラマです。)最近現代劇をみてきたが、久しぶりの時代劇である。時代は17世紀朝鮮、架空の義賊イルジメ(一枝梅)の物語である。とにかく映像が美しい。屋根の上をとびうつる義賊に下界には満開の梅の花…こういう美意識というのは東アジア的というか、日本にも共通するものがあるように思う。日本で言えば忍者映画でこんな場面があったかもしれない。もっとも、なぜ梅なのかという問にイルジメが「桜の花は野卑で、梨の花はもの哀しい」と答える場面がある。普通の日本人は梅よりも断然桜だろう…やっぱり外国のドラマなんだ。*ただし美意識が近いといっても背景となる社会はずいぶん違う。王の寵臣だった人物が突然失脚して、その日のうちに殺害される。なんかこれって張成択の処刑みたい。そして逆族の妻子が罪人の姿でさらしものになり、まこと逆族の子でないというのならこの母とおぼしき女に石をなげろと強要する。これも今の北朝鮮では処刑前に処刑される者の親や子に目の前で罪状をよませるというのに似ている。そして、罪人の死体を八つ裂きにしてその場面を公開してみせしめにするなんてのもやっていたらしい。*まあ、日本でも明治7年の佐賀の乱くらいまでは斬首の上晒し首というのがあったので、あまり他国のことをいうのもなんだが、北朝鮮の恐怖政治というのは突然でてきたものではなく、やはり、祖先復帰的に現れたものなのかもしれない。17世紀朝鮮王朝の政争の最大のテーマは中国大陸の情勢をうけ、明につくか清につくかということであったというが、これも、19世紀の王朝末期に日本につくかロシアにつくかで王朝内部での政争が繰り広げられたのによく似ている。*時代劇は現代劇よりもわかりにくい点が多いが、歴史等についていろいろ考えさせられる面白さがある。
2014年01月20日
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難病、記憶喪失、交通事故…と韓国ドラマにはだいたいこの三つが物語の鍵になるものが多いが「カインとアベル」もこの三つがちゃんと入っている。そしてまた、主人公達のドラマの背景に親世代の物語があるというのも、あの冬ソナをはじめとして多くの韓国ドラマの特徴だが、「カインとアベル」にも、やはり親世代の事情が背景にある。ドラマの冒頭からいきなり主人公が砂漠で銃撃されるところから始まるが、これは「グリーンローズ」と同様、退屈しがちで説明的な導入部はあとまわしにして、いきなりピンチの場面を見せて、その後、回想で説明するというパターンである。主人公は天才医師で、中国で拉致襲撃され、記憶喪失になって脱北者として韓国に戻った後、記憶を取り戻しながら拉致襲撃の復讐をしていくという話である。背景には大病院の相続をめぐる医師兄弟の葛藤があり、「カインとアベル」という表題もそれを暗示する。物語はジェットコースター展開で、なぜ砂漠で頭を銃撃された主人公が生きているのかなどつっこみどころはたくさんあるのだが、途中からぐいぐい引き込まれて見た。主役のソジソプはビジュアル的にはそれほどよいとも思わないのだが、兄役のシンヒョンジョンとの鬼気迫るくらいの演技対決はものすごい緊迫感であったし、「復活」でもヒロインを演じたハンジミンが今度は素朴な脱北女性の役を演じていてとてもよい。死んだはずの恋人にそっくりな人物の出現(実は死んだと思われた本人)に驚愕するという場面は「復活」にもあったが、そのシチュエーションの違いを見事に演じ分けているあたりは単なる容姿がうりの女優ではないだろう。つっこみどころもあり、荒唐無稽なところのあるドラマに説得力を与えるのは俳優の演技力だ。小生としては愛された弟よりも、父にも女性にも神(運命)にも愛されなかった兄の方に最初から最後までシンパシーを感じた。*日本のドラマは…というほど日本のドラマをみているわけではないが、荒唐無稽といってもよいジェットコースター型のストーリー展開は韓国ドラマの特徴なのかもしれない。そしてまた、本作も主人公は天才医師という設定だが、主人公も平凡でちょっと情けないと言ったタイプよりも、常人よりもはるかに優れた人物が好まれるようだ。そういえば半島の人気物語「春香伝」でもヒロインが才色兼備なのはもちろん、男性主人公も科挙首席合格の秀才であった。日本ではそういうのはあまり人気が出そうにない。
2014年01月19日
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今は昔の郵政選挙のとき、刺客作戦なんてのがあった。造反議員の選挙区に対立候補を送りこむというやり方である。対立候補は当時のコイズミ首相自身が選定したというが、それがうまい。とにかく話題になりそうな候補をえらぶのだ。例えば野田聖子に佐藤ゆかり。いずれも(当時は)美人候補であったし、有権者の関心はいやがおうでも「女の戦い」に向かう。そのほかにも大もの政治家にホリエモンをぶつけたり…今ではホリエモンが選挙に出たこと自体あまり覚えている人はいないのかもしれないけどね。話題になる刺客をたてることで、有権者の目は造反議員対刺客候補の戦いに向けられる。そうなると自然他の候補は視界から遠のいていく。あの選挙では自民党が圧勝し、その後、造反議員の中からも自民党に復党した人もいた。A対Cの選挙戦で、どうしてもCに勝たせたくない場合、下手すりゃAが負けるかもしれない場合、本質的にAと変わらないのだが、派手派手しく「対立」を演出できるB候補をたてる。AかBかも百篇いえば、有権者はその選択しかないと思い始める。本当にうまいやり方であった。参考https://www.facebook.com/kazuhiro.soda.9/posts/10151845886202201?stream_ref=10
2014年01月18日
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安倍総理がアフリカ諸国を歴訪してお大尽外交をやってきた。いつも不思議に思うのだが、生活保護費や公務員給与にはあんなに批判的な人々が、こうしたお大尽外交で外国に撒く金についてはなぜ批判しないのだろうか。公務員給与もそうだが、特に生活保護費というのは100%国内で回る金である。これに対して海外に撒く金というのは、純然たる国富の流出で誰の得にもならない。関係の薄い途上国を訪問して、金を撒き、歓待されて、「日本の常任理事国入り支持」という約束をもらって…というのは税金の無駄ではないか。まあ、今の総理には向いている仕事なのかもしれないが。*それに日本の常任理事国入りというのも不思議だ。どんな理由かわからないが常任理事国入りは「悲願」ということになっているらしい。でも本気でそれを目指すのであれば、靖国参拝や歴史認識見直しなどは真っ向からそれに反する所業ではないか。国連というのは意図的な語訳で、原文では連合国である。連合国、つまり第二次世界大戦の戦勝国が国連の母体であって、その構図はもう一度世界大戦でも起きない限りかわらない。靖国参拝を米国からも批判されたのは誤算だったのかもしれないけど、戦勝国が戦勝国としての国際秩序を守ろうとするのは当然のことだ。それに靖国参拝や歴史認識見直しをやれば、戦勝国以外に日本批判の急先鋒になる国もある。ドイツである。日本を批判すればするほど、過去と決別できない日本に比べて、過去と決別した自国を宣伝できる。要するに靖国参拝や歴史認識の見直しなんかやろうとしたら世界中から叩かれるということだ。そんななんの益もないことをやろうというのが現政権である。こちらは単なるバラマキよりも罪は重い。
2014年01月17日
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ローマの地下鉄で日本人すりが逮捕されたという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140115-00000015-jij-eurp報道によると神出鬼没にすりを繰り返し「地下鉄の忍者」とよばれていたそう…。それにしても「スキンヘッドで冷静な様子が「昔の武士」のようだったという。」なんて報道では誉めているのかけなしているのかわからない。武士はすりなんてやらないと思うけどね。*この報道をみるだけではどうもふにおちない。すりをやるために単身遠いローマまでいくなんていう日本人がいるのだろうか。外国、といっても広いので、まあ近隣諸国に限ってもよいのだが、外国人と日本人の大きな違いは、バカな奴でも語学くらいはできるのが外国人、かなり利口な人でも語学ができないのが日本人といったところだろうか。すりに語学がどのくらい必要なのかはわからないが、別の言い方をすれば、バカな奴でも外国くらいひょいと稼ぎにいくのが外国人、バカな奴ほど外国に行くなど考えもせずに年金詐欺や生活保護窓口に並ぶくらいしか考えないのが日本人…といってもよいのかもしれない。すりには名人なんてのもいるそうだが、利口な人はあまりそういう商売はしない。だから、よいとか悪いとかいう視点を超えて、単身、海をわたりローマですりをやっていた日本人がいるなんて聞くと、国辱というよりも、ちょっと痛快な気もする。しかし、本当に日本人なのだろうか。その後の続報もないし、名前とかもでていないのだが。*知り合いから聞いた話にこんなのがある。その人が海外に勤務していたとき、ちょっとした旅行で家族と一緒に電車に乗ったことがあった。そのときの体験なのだが、鉄道警察の人がやってきてパスポートをみせろという。日本人だと確認したら、こんなことを頼んできた。すりをつかまえたところ、本人は日本人だといっているのだが、本当にそうなのか確認してくれ…つまり日本語で話しかけてくれということだ。やがて鉄道警察の人はあるアジア系の男性を連れてきた。その知り合いが日本語で話しかけてみたところ、やはり…だったという。ローマ地下鉄の忍者もその類なんじゃないのかしら。
2014年01月16日
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ある放火事件の裁判で裁判員の辞任が続き、公判が遅れているという事態になっているそうである。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140116-00000004-asahi-soci司法制度改革というと法科大学院の失敗ばかりにめがいきがちであるが、裁判員制度も破綻しているのではないのだろうか。*法科大学院の方も受験回数制限を3回から5回に変えるという。そもそも受験回数制限自体何のためにやるのかよくわからない。4回も5回も受験する人がいたとして、いったいどんな害悪が社会にあると言うのだろうか。だいたい現在の有料政治家のなかにだって、そのくらい受験歴のある人はいるのではないのか。渡辺嘉美は司法試験受験生で31歳になってから父親の秘書になった。小沢一郎も司法試験の勉強をしていたが父の死にともない、地盤をついで政治家になったという。こうした受験回数の多そうな(実際はわからないけど)政治家がなぜ司法制度改革の受験回数の制限に反対しなかったのか、不思議である。まあ、受験回数が3回をすぎれば合格率は低下するというけど、自分が合格可能性がないと思って受験勉強をする人はいない。何回でも試験は受けられるようにして、諦めるのは個人の判断にした方がよい。*司法制度改革というのはどうみても失敗なのであるが、それを正面から問う意見がマスコミにでないのが不思議でならない。法曹人口が他の国に比べて少ないなどの点は指摘されていたので、法科大学院はわからないでもないが、裁判員制度なんてものはいったいなぜでてきたのだろう。こうした制度を導入した責任者がキャリアをまっとうするまではそっとしておくということなのかしら。ちょうど冤罪なのに25年間も裁判をつづけ、その間に検察官は無事に引退し、勲章などを貰っているだろう甲山事件のように…。
2014年01月16日
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新聞によると今度の都知事選は「脱原発」がテーマだそうだ。これについてはいろいろな考えの人がいるだろう。ただ、東京には原発はない。そして脱原発で都知事選を戦う人も、原発で作った電気を東京に持ち込むことについては何もいっていない。都知事選の脱原発とはそういうものだ。これが現に原発が立地している県の知事選であれば、選挙の結果は即原発の再稼働の是非と結びつくのだが。それに、脱原発を主張する候補の中には元首相もいる。それを応援している人物にも元首相がいる。彼らが首相の時代にだって原発推進政策は行なわれていた。自らが国家の最高権力者として原発を推進してきた人が反原発で知事選を戦うのってなにか変。別に考えを変えるなというわけではないのだが、首相としてとってきた過去の政策についての釈明のようなものはないのかしら。都知事選の争点は原発だけではない…と思う。*話は変わるが、米国には二大政党制というものがある。よく似た政党の民主党と共和党。選挙のたびごとに民主党か共和党かのお祭り騒ぎが繰り広げられるけれども、どちらが勝っても金持ち優遇、格差拡大の政策が変わることはない。まあ、二大政党というものは、本当に上位何パーセントの勝ち組にとっての都合の悪い政党に票がかないための保険のようなものなのだろう。
2014年01月15日
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最近みている韓国ドラマはどうもこの傾向が多い。魔王にはじまって復活、グリーンローズ、そしてこれ。共通していることをおもいつくままにあげてみる。復讐をメインにしたジェットコースター型のストーリー展開であること。大企業とか大病院などエリート社会が舞台であること。一般論なのだが、比較的等身大の主人公が多い(と思われる)日本とは異なり、韓国ドラマではスーパーマン的な人物が主人公になるケースが多い。かの冬ソナでもヨン様演じる主人公は、ピアノは天才級、数学オリンピックの金メダリストという信じがたい設定だった。そんな主人公に合わせて舞台もひたすら華麗である。物語の中で一人二役がカギとなっていることも共通している。ストーリーとは関係ないところで無駄にモムチャンを誇示するシーンがあることも…。さらに、「カインとアベル」では、記憶喪失、難病もあるし、まあ、このあたりは、韓国ドラマの王道という感じ。*このドラマのモチーフとなっているのは聖書にでてくるカインとアベルの物語である。人類最古の殺人が神の愛の不公平に対する嫉妬だったというのは興味深い。神はもともと不公平なもの…だからこの聖書の物語は、その不公平をそのままにしておくと憎しみがかぎりなく増幅していくという警告なのかもしれない。神に愛された人々、というか英語で言うgiftedな人々は、それゆえ高貴なる義務とかそうしたものを忘れてはならない。韓国ドラマ「カインとアベル」も愛されなかった兄と愛された弟の物語なのだが、この展開では、主人公の弟よりも愛されない兄に感情移入したくなる。
2014年01月14日
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江戸時代には歴史教科書にはのらない三面記事的な出来事がいくつか起きている。忠臣蔵や八百屋お七などは有名で、当時ワイドショーがあったら話題を独占したことだろう。永代橋崩落事故も前二者ほど有名ではないが、当時としては大災害で、目黒区に移設された蛸薬師には永代橋崩落事故犠牲者の供養塔がある。今と違って昔の橋は木製で次第次第に劣化していく。永代橋も劣化していたところに、深川八幡の大混雑で、崩落事故の大惨事となった。時は1807年8月19日。http://hw001.spaaqs.ne.jp/manet39monet/eitaibashi-houraku.htm*この大事故に想を得た「永代橋崩落」という杉本苑子の短編集を読んだ。ただ親を亡くした、子を亡くしたでは小説にならない。こんなこともあったかもしれないという話をひとひねりもふたひねりもしたものばかりである。実直な人、ドラ息子、盗癖のある娘など江戸時代の浮世の様も現代と変わらない。それもそうか…現代の作家が書いているのだからw。でもどうしてこんな話を考えつくのだろうか。物語作りの才能というものも、凡人にはちょっと想像もつかない。*そういえば永代橋は歩いてみたことがある。たしかその近くに霊岸橋というのがあって、そのたもとにも慰霊碑が二つたっていた。一つは関東大震災、そしてもう一つは東京大空襲。橋崩落以降にも惨事はあったということだ。
2014年01月14日
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日本の歴史をみていて気付くのは「勝馬にのる」とか「大勢に従う」という傾向である。もとより確固としたイデオロギーや理念のある国ではない。勢いのつくところにさっと人々がくっついていくので、変化は急であり、混沌がながびくこともない。源平合戦もそうであったし、南北朝もそう。明治維新もそうであったし、戦後、なだれをうって民主主義万歳、米国バンザイに人心が傾斜していったのもそうであろう。こうした急変はこれからも起きるのではないか。選挙の告示もしないうちから都知事選で本命誰それ、対抗誰それみたいな報道があるけど、あまり有権者をなめない方がよいのではないか。マスコミのおごりもたいがいにしろ…といいたい。今年のスカート丈は何センチ、流行色は何色とファッション業界が宣伝するのとはわけが違う。底流の変化をもっと怖れた方がよい。いったんいきおいがつけば流れは急である。この流れというのはいろいろな方向のものがありうる。期待通り(ある人々にとってはその反対)になるか、あるいはその逆になるかは誰もわからない。
2014年01月13日
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初の言文一致体の小説である。ただし、話し言葉と言っても明治の20年代。今とはずいぶん語彙が違う。ただもちろん「あないみじ」とか「いとおかし」なんていう言葉ではないので、おおかたに意味は通じる。江戸時代くらいだったらタイムスリップしても、たぶん言葉には困らないだろう。*ただし世相はずいぶん違う。主人公内海文三は父親を亡くして叔父の世話で刻苦勉励、勉学にはげみ、優等で学校をでたあとめでたく官員見習いから官員になる。寄留先の叔父の家には美しい従妹がいて、義理の叔母もゆくゆくは従妹の夫にでもというもくろみもあって愛想がよい。順風満帆のような人生なのだが、突然、職場から免職をくらって…というところから物語がはじまる。叔母や従妹の目がしだいに冷たくなり、その反面、世渡り上手で免職を免れた友人は我がもの顔に叔父の家に出入りを始める。特にそれ以上の波乱があるわけでもないし、従妹が結婚を決めるというような結末があるわけではない。ただそうした話がどこか戯作を思わせる筆致で描かれてあるので面白い。*今と違う点のその1。官員の地位は高かったとはいうものの、それは安定したものでは全くなかったこと。特に理由はなくとも免職になることは普通にあったし、それを免れるためにも有力な上司に対するご機嫌伺いは必須であった。今と違う点のその2。なんだかんだ言っても親族のつながりは強かったこと。主人公は、父親を亡くした後叔父の世話になって学校を出て、官員となってからもその家に寄留しているのだが、これは今だったら考えられない。今と違う点のその3。免職になった後も主人公はあまりあせっているようにもみえないし、従妹の心変りも当初は心配していない。英語の翻訳でいくばくかの収入が得ているようなふしがある。明治期は急速に欧米の「新知識」が入ってきた時代で横のものを縦にするだけで学者が務まったともいわれる。それはともかく、すぐに翻訳で収入を得られる人物というのは、この時代にはどれくたいいたのだろうか。*それにしても、文学的であることが自然なままを描くこと、文学的であることとストーリー的な面白さとは相反するものであることのような観念は明治初期から始まっていたのかもしれない。浮雲を読んでみてそう思う。江戸時代の小説のように屋根の上で決闘をしていて落っこちたら下にたまたま舟があったなんてのは、たしかに文学的ではないけれども、散歩にでかけてどこの店で何を食べたみたいなことを書く後年の私小説は読み物としてつまらない。*おまけ明治時代に官員の地位は高かったけど、その身分は非常に不安定でもあった。よく考えてみれば戦後もかわらない。明治新政府が財政難に苦しみ、冗官がつねに問題になっていたように、戦後の日本政府も朝鮮総督府から引き揚げてきた役人の処遇、制度改革による人員過剰に苦しんでいた。何度も行政整理が行なわれ、多くの公務員が解雇された。なにも解雇が行われたのは満鉄からの引揚人員を抱えた国鉄だけではなかったのだ。ただ今と違うのは、地方にはまだまだ農村社会が残っており、「国に帰って畑を手伝う」という形での失業の吸収ができたことだろう。
2014年01月11日
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韓国の大河ドラマで英雄イスンシンを演じたキムミョンミンと美形イケメン俳優チャングンソクの共演作である。チャングンソクが顔だけではなく、意外と演技も達者なのにちょっとびっくり…。物語は努力型の巨匠指揮者と若き天才との物語で巨匠(キムミョンミン)の方は非常にわかりにくい性格なのだが天才に対する嫉妬のようなものもかいまみえてそのあたり現代版「アマデウス」のような面もある話である。もっともこのテーマはそれほど中心的なものではないのだが。以下感想を述べる。*ドラマ随所で使われるクラシックの名曲がとてもよい。これにかぎらず音楽ドラマというのは、この音楽というだけでアドバンテージを得ているのではないか。クラシックは小中学校の音楽の「鑑賞の時間」以来、つまらなく退屈なものという印象ばかりを持っていたが、名曲の良さを知らないと人生ちょっと損をしているように思う。ドラマの中で登場人物の人生に重ねて名曲を聴くとなお一層曲のよさに感動する。家庭不和などで鬱憤をかかえた女性がそれを解消するように弾くチェロのリベルタンゴ、水害の被災民に贈る第九など…。このドラマが放映された後、ちょっとしたクラシックブームがおきたらしいのだが、むべなるかなである。*これにかぎらないのだが、韓国ドラマをみていると、日本人と共通している点、違う点が垣間見られて面白い。口に指をあてて黙れという動作、投票を集計するのに正の字を書いて数える動作は共通している。両手を頭の上にあげてハートマークをつくるのは日本でも若者の一部はやっているのかもしれないけど、韓国ドラマではもっと一般的なようだ。あと、日本でも敬語表現はうるさいのだが、韓国でも登場人物の関係によって様々なバリエーションがある。そんな表現、携帯電話の表示〈ドラマ「サイン」ではヒロインの主人公に対する気持の変化につれ「無礼者」から「導師」になる〉をみるのも面白い。*(以下ネタばれの感想)音楽映画にはパターンがあって、困難を抱えた登場人物達がそれをのりこえて最後にすばらしい演奏をするというものが多いようだ。映画「オーケストラ」もこのパターンで、途中でハラハラさせればさせるほど、面白さは増す。そうした意味で、この定石にかなっているのは、第6回のところまでである。病気、貧困、家庭不和、痴呆の怖れなど人生の様々な段階での問題をかかえた老若男女の登場人物達が次第にまとまり演奏会を成功させる。実は一番感動したのはこの部分で…その意味ではここまででもよかったように思う。その後も演奏会はあるのだが、トラブル(演奏自体の問題ではないのだが)にみまわれたりして、視聴者にはちょっと消化不良という感もある。また、ドラマを最後までひっぱっていく部分、ミステリーなら犯人当てにあたるような部分は、複雑きわまる性格の指揮者の正体、主人公達の恋の行方、ヒロインの病気などなのだが、これは最終回まで?のまま残る。これもドラマの余韻といえばそうなのかもしれないし、その意味ではこういうのもよいのかもしれないけど、好みとしては、もうちょっとはっきりした方がよい。とまあいろいろと書いてみたが全体にはおすすめのドラマである。特にチャングンソクのファンには必見ではないのかなあ。登場人物の中では年齢のせいかおばさんことヒヨン氏が最も気になった。曖昧な終わり方にもかかわらず、ヒヨン氏の問題だけは、ありきたりながらも、ドラマで決着が着いてよかったし。リメイク?このドラマはキムミョンミンという俳優がいたからできたもので、リメイクはちょっと考えられない。
2014年01月10日
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電車の中で赤ちゃんが泣きだし困っていた母親にスーツ姿の男性が「赤ちゃんは泣くのが仕事」といって席をゆずったという話がネットニュースに掲載されていた。いったいこんなのがニュースなのだろうかと思うが、そういえば最近、電車や公共の場で泣いている赤ん坊をあまりみかけない。そしてまた仮に泣いている赤ん坊がいたとしても周囲の許容度はすごく狭くなっているように思う。「赤ちゃんは泣くのが仕事」と泰然としているのはあくまでも少数派である。http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_235152*もし自分だったらどうだろう。電車や公共の場で子供がわんわん騒ぎ始めたら…。さすがに言葉には出さないけど、きっと露骨にいやな顔をするように思う。そういえば昔はそうでもなかった。どっちかといえば子供や赤ん坊をながめるのは好きで、赤ちゃんが泣いていても、お守をしている親本人は大変かもしれないけど、そばでみている分にはあまり気にしなかったように思う。こうした傾向というのは自分ばかりでなく、社会全体がそうなっているのではないか。いったいなぜなのだろう。*まあ、違っているかもしれないけど、子供を持つこと、そしてその子供が一人前になって結婚し、孫を持つことが今の時代にはあたりまえではなくなってきているからのように思う。非正規雇用で将来が見えないので彼女と別れたという若者を知っている。昇給のあてもないので、子供など考えられないという若者も知っている。はっきりいってしまえば赤ん坊や小さな子供連れなどは、人生の凱歌をみせつけられているようなもので、あまり気分のよいものではない。だから泣きでもしたら、ここぞとばかりに親を怒鳴りつけるような輩もいるのだろう。*そういえば最近では年賀状に子供の写真を載せることもマナー違反云々なんていう声もあるらしい。子供の写真の年賀状を受け取って不快に感じる人もいるというのだが、なんか社会全体がささくれだって、赤ん坊や小さい子供も愛らしくほほえましいだけの存在ではなくなっているのかもしれない。件のニュースではスーツの紳士の年齢は書いてないが、昔はこういうのがむしろ普通だった。今も昔も赤ちゃんは泣くものである。
2014年01月09日
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最近、日本の底力とか日本は世界一といった類の本をよく書店でみかけるが、これについて村野瀬玲奈氏が面白いことを書いている。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5166.htmlそうなんだ。仮に日本国が凄くても、「俺」や「私」が凄いことにはなりません…まさにそのとおり。なんかこういう本が売れているというのは、本当は自信をなくした人が多くなっていることの現れなのかもしれない。そういえば日本が繁栄していた右肩上がりの時代には、外国人や偽外国人が日本人の欠点を指摘するという類の本が大流行していたっけ…。*親、先祖、民族。いずれも生まれてくるときには選択することはできない。賢い親に愚かな子という組み合わせもあればその逆もある。人の資質は先祖だけで決まるものではない。どんな民族にも賢人もいれば愚人もいるし、善人もいれば悪人もいる。だから、どの民族に生まれたからといって偉いわけでもなければその逆でもない。本屋で日本はすごいといった類の本をみたときに感じる気恥かしさは、「オレの親父は偉い」といった自慢をする人をみたときに感じる気恥かしさに通じるように思う。
2014年01月08日
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未来予測についてもう少し書いてみる。2014年に限らずにもっと視野を広げ、今後20年か30年といったところで…。格差や貧困は拡大していくということを前回の日記に書いたのだが、まさにこうした資本主義の暴走に対する対応といったものが21世紀人類の大きな課題になるのではないか。ウォール街の反格差デモや英国の暴動などはこうした課題出現のほんのプロローグなのかもしれない。*もちろん価値観は人様々で、格差拡大は大いに結構、貧困は自己責任で介入は最小限でよいという考えもある。ただ確実にいえることは、今日の少子化の背景には適齢期男女の結婚難があり、その背景には適齢期男性の雇用の問題があるということである。もちろん高所得だからといって結婚する気になるわけではないが、低所得や不安定雇用であればそもそも結婚という選択肢自体がない。もう一つ言えることは、未婚者、特に低所得の未婚男性の増大は社会の不安定化を招来するということである。年金詐欺のように食うためのやむにやまれずといった犯罪だけではなく、鬱憤を社会全体に向けたような新種の犯罪も増えるように思う。推測だが、冷凍食品の農薬混入事件にも背景にはそうしたものがあるのではないか。生活保護受給者は今後も激増するだろうが、その対策として親族間扶養がさらに強調されていく。その結果、成年になった子供と老親との間の殺傷事件、扶養をめぐっての兄弟間の殺傷事件などは、ありふれた出来事になることだろう。さらに付け加えれば、少数の冨者と多数の貧困層といった社会は、様々な面での競争力を失っていくであろうということである。質のよい大衆文化や外国に誇るような消費財は豊かな中間層のいる社会でしかうまれない。*アベノミクスはマスコミが囃すほどには庶民の懐に影響してはいないし、最近の物価高により実質的な所得減の方が痛い。これに消費税増税は追い打ちをかけるであろうし、現政権のもくろむ限定正社員制度や解雇自由化はますます雇用を不安定にし、その日暮らしの貧困層を激増させる。そのうち憲法も改正され、国防軍ができれば、行きどころのない男性(女性も?)はやむなく軍隊に吸い寄せられるだろう。貧しい青年がやむなく軍隊にいくことを経済的徴兵制といい、米国では既にそうした現象が見られるというが、日本もそのようになるわけである。経済的にゆきどころにない人間が兵として外国でのPKOや原発事故処理などに活用される。その頃には、選挙制度も改革され、小選挙区の割合はずっと高まるので、選挙によって政治を変えると言うのも夢物語になる。選挙といっても、米国の二大政党がそうであるように、ほとんど違いのない政党同士の離合集散のお祭り騒ぎになるわけである。たぶんネットで政治問題についての意見を書くような酔狂な人間もいなくなる。秘密保護法だけでなく、ネットの言論を規制するような法律ができているだろうし、匿名で書いてもすぐに実名があばかれ、サラリーマンにとってはネットで余計なことを書くのは失職と背中合わせの行為になる。*国際社会に目を転じれば中国の台頭は一層すすむ。国家としての中国の台頭というよりも、漢民族が世界中に拡散して、影響力を増大するという意味での台頭である。米国やオーストラリアなどの移民国家では中国系の政治家や政府高官が輩出するであろう。中国系の大統領もそのうちにでるかもしれない。北朝鮮はいずれは崩壊するであろうが、その結果、一番可能性の高いのは、中国の版図にのみこまれるか、中国の傀儡政権ができるというシナリオである。
2014年01月06日
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2014年の初めにあたり将来の予測をやってみたい。もっともあのソ連崩壊でさえその数年前に予測していた人はほとんどいなかったようであるので将来予測なんていったって床屋政談のようなものなのであるが…。*予測その1格差と貧困はますます進むであろう。またかと思われるかもしれないが、ここは価値判断抜きで書く。グローバル化が進む中で誰にでもできる労働と高度な労働とに、労働の質自体が二極化していくことからくる必然的な結果としての格差と貧困の拡大である。人類史をみれば人類が文明というものを手にして以来、圧倒的に長い期間は少数の冨者と多数の貧困層といった構成で社会を営んできた。文明の進歩の結果として少数の先進国では格差の比較的少ない社会を気づくことができたが、これとてもあくまでもその先進国内での話であって、先進国と途上国との間にはなお絶望的な生活水準の差があった。それが人の移動、情報の移動が自由となったため、先進国、途上国をまきこんだ個人単位の格差と貧困の拡大が起きているわけである。従来の格差と今日の格差との大きく異なる点は従来のそれが身分という血への信仰や財産所有などによるものであったのに対し、今日のそれは個人の運、資質、努力等個人単位の要因によるものであること。従って、身分や財産を相続させるのであれば「お世継ぎ」を設けることが至上命題になるのだが、今日の格差社会では勝ち組にとっても、結婚や出産へのインセンティブがわきにくい。もちろん貧困層は結婚どころではないので、少子化は否が応でも進んでいく。予測その2マルクスのいったことで正鵠を射ていると思うのは人類の歴史を階級闘争ととらえていることである。少数の冨者と多数の貧困層がいれば、社会は不安定化し、暴動や革命が起きる。今日では従来型の革命の他に、投票による政体の劇的な変革という例もある。現にネパールでは選挙で王政を廃止し、社会主義政権を樹立した。そうでなくとも犯罪、暴動などは確実に増えるであろうし、そういうものをどう考えるかは価値観の問題であろう。特に、脱農業社会では、多数の貧困層は、同時に家族や血縁や職場などの共同体ももたず、宗教などの社会の安定装置も希薄なために、多数の貧困層が社会の不安定要因になる可能性が高い。予測その3社会の不安定化に対する反動として、社会を安定化させる試みが行なわれるであろう。一つの可能性は国家の再分配機能の強化や労働者の権利の確保によって貧困の拡大をストップしようとするものであるがこの可能性は今のところ少ない。特に、日本においては、選挙を通じて国民が現政権に黄金の3年間を与えた以上、その可能性は皆無に近いのではないか。もう一つの可能性は、国の内外にバッシングの対象を作ることにより社会の安定を図る場合であり、この方が可能性は大きい。国内のバッシングの対象としては公務員であり、正社員であり、生活保護受給者である。そして国外では近隣諸国との摩擦を演出することで、不満の矛先を外に向けようとするであろう。*あまり面白い予測ではないのだが、考えられるのはこの程度である。どこかでもっと面白い予測を行なっている人がいればぜひ教えてほしい。
2014年01月05日
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新年の街を歩き最近みかけなくなったものに気づく。晴れ着姿の女性。伝統的な正月遊びをする子供。そして門松。かわりに昔は見られなかった正月風景に気づく。新年でもやっている店。新年でも出勤している人々。要するに、昔と違いお正月も普段と同じように働く人が増えたということなのだろう。その方が便利といえば便利なのだろうけど、ああいう人々には代休が手当てされているのだろうか。年収だけではなく、時間についても二極化が進んでいる。*日本社会の特徴なのかもしれないけど、変化というものはいったん拍車がかかるとそのスピードは加速度的に増していく。頼まれ仲人という風習はあっというまに激減したし、お歳暮お中元という習慣も急速に廃れている。こうした風俗習慣ばかりでなく、国政の面でも急流のような変化があるのかもしれない。源平合戦、南北朝、明治維新…いずれの場合も変化は極めて短期間のうちに起きている。皆が皆形勢を見て、そして多くの者はどっと勝ち馬に乗っていくものだから。皆がやっているから自分もそうする。時流がこっちになびいているから自分もそれにうまく乗っていきたい。さて、2014年はいったいどんな風がふくのかしら。*初詣は近所の神社の他に愛宕神社に行ってきた。愛宕山は山手線内にある自然の山としては最も高いものだと言う。その愛宕山の上、100段以上もありそうな急な階段の上に神社はある。神社の境内には池もあり、多くの善男善女がおみくじを池のほとりにある木の枝に結んでいる。東京の真ん中にこんな場所があるなんて信じられない思いがする。変わるものもあれば変わらぬものもある。初詣の風習だけは昔と変わらない正月風景だ。
2014年01月03日
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謹賀新年政府の産業競争力会議で外国人労働者の受入れの議論がなされているという。競争力を強化するために外国人の受け入れが必要かもしれないというわけである。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131226-00000110-jij-polここでいう競争力というのはいったい何を意味しているのだろう。これはおそらく、日本の企業が国際競争で勝ち残っていくことを意味しており、そのためにはさらに安い労働力を望む経営側の意向がこの産業競争力会議の議論に反映されているのでないか。むき出しの政治家の発言となると反発をよぶような内容であっても、こうした有識者を集めた会議での議論となると国民の受けもよいし、それ自体が権威として通用しやすい。外国人労働者の受入れの次に来るものは何であろうか。さらなる労働条件の低下と日本人労働者の労働市場からの排除であろう。今、ブラック企業の問題が喧伝されているが、途上国の若者であればブラック企業でもいとわずに働くハングリーな者がいくらでもいる。そもそもそれに耐えられないものは海を越えて日本になどやってこないし、日本人からみればわずかな送金であっても途上国では家族が何カ月か暮らせる金という場合もある。*いままで、こうした外国人労働者の受入れは少子化対策として議論されることが多かった。しかし少子化の対策として外国人というのも変な話だ。現実問題として若い日本人労働力が不足しているわけではない。若者の無業や就職難は深刻だ。安定した職場のない若者のうちには結婚し子供をもつこともままならない人は多い。少子化対策を真面目に考えるのであれば、まずなによりも雇用の問題にとりくまなければならないのではないか。それなのに、現政権は、どうやら雇用を安定化させようという方向よりも、限定正社員制度の導入や解雇規制の緩和など雇用形態をより不安定にする方向に向かっているように見受けられるのはどういうわけなのだろう。ブラック企業は野放し、雇用は不安定にし、外国人労働者を導入する。こんな議論をする人は今日本列島に住んでいる日本人を絶滅させたいと思っているのかしら。
2014年01月01日
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