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「どうやって寮を決めるんだろう?」 前のほうで誰かが呟いて、それに対して誰かが答えている声が聞こえた。 試験、という言葉が聞こえ、不安が周囲に波紋のように広がるのを感じた。ウィルも一瞬、緊張に身を強ばらせたが隣に立っているキャロルの囁きで過度の緊張を解いた。 「それはないわよ」もし、試験なんてものがあるのなら、入学の許可を得るときも試験を受けさせられたに違いないと言うのだ。実際には、入学の許可は一方的に送り付けられたのだし組分けも、そんな感じで行なわれるだろうと言うのだった。 なるほど・・・ウィルは妙に感心してしまった。 冷静に考えればその通りなのだ。少なくとも、ここまで来て追い返されることはないだろう。 「きゃーッッ!」突然、ウィルの耳元で悲鳴が上がった。といっても、なんだか楽しそうだ。 「をいをい・・・」 ウィルはそれだけ言うのがやっとだった。周りの生徒も息をのんだ。後ろの壁からゴーストが二十人ぐらい現れたのだ。真珠のように白く、少し透き通っている。 「こんにちは!」ウィルたちよりも幼い感じの女の子が、ローブの裾を摘んで優雅に挨拶した。 「問題! 足も腕も、背もあるのに頭がないのはだぁ~れだ?」突然の問いかけ。 「昔の王族」 「イワン」 さっきの試験、という言葉が影響しているのだろうか、近くにいた何人かが慌てて答えている。 「・・・椅子?」 少し考えて、ウィルが答えた。脚があって、腕木があって、背もたれもある。でも頭はない。それは椅子の特徴だ。 「正解! あったまいいーー。また逢おうね」女の子は、そう言って不意にウィルの額にキスをした。冷水を浴びせられたように背筋が凍りついたような気がした。
October 31, 2005
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組分け帽子 扉がパッと開いて、エメラルド色のローブを着た背の高い黒髪の魔女が現れた。とても厳格な顔つきをしている。この人には逆らってはいけない、とウィルたちは直感した。 「マクゴナガル教授、イッチ(一)年生の皆さんです」ハグリッドが報告した。 「ご苦労様、ハグリッド。ここからは私が預かりましょう」 マクゴナガル先生は大きく扉を開けた。玄関ホールはほとんど公園に見えた、建物の中とは思えないほど広い。石壁が、グリンゴッツと同じような松明の炎に照らされ、天井はどこまで続くか分からないほど高い。壮大な大理石の階段が正面から上へと続いている。 マクゴナガル先生について生徒たちは石畳のホールを横切っていった。入り口の右手のほうから、何百人ものざわめきが聞こえたー学校中がもうそこに集まっているにちがいないーしかし、マクゴナガル先生はホールの脇にある小さな空部屋に一年生を案内した。生徒たちは窮屈な部屋に詰め込まれ、不安そうにキョロキョロしながら互いに寄りそって立っていた。 「ホグワーツ入学おめでとう」マクゴナガル先生が挨拶をした。 「新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席に着く前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。寮の組分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間、寮生が学校での家族のようなものです。教室でも寮生と一緒に勉強し、寝るのも寮、自由時間は寮の談話室で過ごすことになります。 寮は四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンです。それぞれ輝かしい歴史があって、偉大な魔女や魔法使いが卒業しました。ホグワーツにいる間、皆さんのよい行ないは、自分の属する寮の得点になりますし、反対に規則に違反したときは寮の減点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。どの寮に入るにしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りとなるよう望みます」 「まもなく全校列席の前で組分けの儀式が始まります。待っている間、出来るだけ身なりを整えておきなさい」 女の子たちはもちろん、男の子たちも一斉に自分の姿を見下ろしたが、ウィルとその周辺、約三人は平然と立っていた。今から綻びたローブを繕うわけにはいかないし、櫛も持ってないのに髪をすいても意味がない。 ルビーに至っては、自分の姿よりも部屋の様子のほうがずっと興味深いらしく、辺りをキョロキョロと見回していた。
October 30, 2005
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何事かと耳を澄ますと『ハリー・ポッターが乗っているらしい』と言っているのが聞こえた。 「そっか、そういえば『あの』ハリー・ポッターもわたしたちと同い年なのよね。ホグワーツに入学するのは当然だし、この汽車に乗っていても不思議はないわ」 「あの・・・ハリー・ポッターって、誰なの?」『漏れ鍋』のトムも口にしていた名前だ。 「知らない、の? 『あの人』が唯一殺すのを失敗した子供、『あの人』の力を打ち砕いた子供、それが何故かは誰も知らないけどね。十一年前、魔法世界の人間はほぼ全員が『生き残った子供、ハリー・ポッターに乾杯』って言って杯を挙げたのよ」 「額にその時の傷、稲妻型の傷があるって。はっきりと見た人間はごく小数だからはっきりしないけど、その小数は魔法族で一番信頼厚い人たちだから、多分間違いじゃない」 正反対の性格をしているように思えるルビーとキャロルが、同じ顔と口調で言った。目の前で顔を見ながら聞いたのでなかったら二人のうちのどちらが何を言ったか区別できなかったかも知れない。 マグル出身のウィルには理解できないほど、魔法族に対する『あの人』の影響は深いのだ。 あのルビーまでが沈んだ顔をしているので、何か気を逸らさせるものはないかとウィルが窓から覗くと、外は暗くなっていた。深い紫色の空の下に山や森が見えた。汽車は徐々に速度を落としているようだ。 車内に響き渡る声が聞こえた。 「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」 ウィルは神経質にローブのほつれをいじり、ルビーは更に陽気になった。キャロルはいくぶん緊張しているふうだが、冷静さは失っていないようだ。三人は残った弁当を再び包み、通路にあふれる人の群れに加わった。 汽車はますます速度を落とし、完全に停車した。押し合いへしあいしながら列車の戸を開けて外に出ると、小さな、暗いプラットホームだった。夜の冷たい空気にウィルも身震いした。やがて生徒たちの頭上にユラユラとランプが近づいてきて、ウィルの耳に雷みたいに大きな、でも暖か味のある声が聞こえた。 「イッチ年生! イッチ年生はこっち! ハリー、元気か?」 大きな髭面が、ずらりと揃った生徒の頭の向こうから誰か、間違いなくハリー・ポッターだと察しは着いたが、に笑いかけている。ウィル達のところからはそれがどんな奴なのかまでは見えなかった。 「あれ、ハグリットよ。ホグワーツの森の番人だって聞いたことがある。一キロはなれたところから見てもそうとわかるって言う人がいたけど、あの巨体じゃ見間違いようはないわね」キャロルがそっと囁いた。ルビーは山でも見上げるようにポカンと口を開けて仰ぎ見ている。 確かに、常人の二倍の背丈に五倍の幅の体は誰の目にも、それとわかるだろう。 「さあ、ついてこいよーあとイッチ年生はいないかな? 足下に気をつけろ。いいか! イッチ年生、ついてこい!」 滑ったり、つまずいたりしながら、険しくて狭い小路を、みんなは髭面の大男に続いて降りていった。右も左も真暗だったので、気がうっそうと生い茂っているのだろうとウィルも思った。みんな黙々と歩いた。ヒキガエル探しの少年が、二、三回鼻をすすった。 「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ」 ハグリッドが振り返りながら言った。 「この角を曲がったらだ」 「うぉーっ!」 一斉に声が湧き起こった。 狭い道が急に開け、大きな黒い湖の辺に出た。向こう岸に高い山がそびえ、そのてっぺんに壮大な城が見えた。大小さまざまな塔が立ち並び、キラキラと輝く窓が星空に浮かび上がっていた。 「四人ずつボートに乗って!」 ハグリッドは岸辺に繋がれた小船を指さした。ウィルとルビー、キャロルが乗り、もう一人茶色がかった髪の男の子が続いて乗った。 「みんな乗ったか?」 ハグリッドが大声を出した。一人でボートに乗っている。 「よーし、では、進めぇ!」 ボート船団は一斉に動きだし、鏡のような湖面を滑るように進んだ。みんな黙って、そびえ立つ巨大な城を見上げていた。向こう岸の崖に近づくにつれて、城が頭上にのしかかってきた。 「頭、下げぇー!」 先頭の何艘かが崖下に到着したとき、ハグリッドがかけ声をかけた。一斉に頭を下げると、ボート船団は蔦のカーテンをくぐり、その陰に隠れてポッカリと空いている崖の入り口へと進んだ。城の真下と思われる暗いトンネルをくぐると、地下の船着き場に到着した。全員が岩と小岩の上に降り立った。 「ホイ、おまえさん! これ、おまえのヒキガエルかい?」 みんなが下船した後、ボートを調べていたハグリッドが声を上げた。 「トレバー!」 ヒキガエル探しの少年が大喜びで手を差し出した。生徒たちはハグリッドのランプの後に従ってゴツゴツした岩の路を登り、湿った滑らかな草むらの城影の中にたどり着いた。 みんなは石段を登り、巨大な樫の木の扉の前に集まった。 「みんな、いるか? おまえさん、ちゃんとヒキガエル持っとるな?」 ハグリッドは大きな握りこぶしを振り上げ、城の扉を三回叩いた。
October 29, 2005
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「僕にもできるよ、絶対確実な予言」 ウィルは努めて明るく言った。少しテレを含んだ微笑みを浮かべてルビーとキャロルを半々に見る。 ルビーがすごく興味ありそうにヘイゼルの瞳を大きく開いてウィルを見つめ、キャロルはアイスブルーの瞳を二度ほど瞬かせた。 「僕、ウィルには今日、親友が二人できるよ」そういってウィルは左目をつぶってみせた。 「そっか! それならルビーも予言できる。ルビーにも親友が二人できるよ」思いっきり破顔したルビーが言った。その大きな目がキャロルを見つめている。 「・・・キャロル、にも・・・・?」 「もっちろんよ!」 おずおずと答えたキャロルにルビーがきっぱりと言った。 その言葉と表情で、キャロルは俯いて黙ってしまったが、そんなことはどうでも良かった。だって、親友に言葉なんていらない、十分に気持ちは伝わっていたから。 車窓には荒涼とした風景が広がってきた。整然とした畑はもうない。森や曲がりくねった川、うっそうとした暗緑色の丘が過ぎていく。 コンパートメントをノックして、丸顔の男の子が泣きべそをかいて入ってきた。 「ごめんね。僕のヒキガエルを見かけなかった?」 三人とも首を横に振ると、男の子はメソメソ泣き出した。 「いなくなっちゃった。僕から逃げてばっかりいるんだ!」 「きっと出てくるわよ」ルビーが言った。 「カエルなんだから、そう遠くにはいないわよ。人の通る廊下にもいないだろうし、日の当たる乾燥したとこにもいないはずよ。きっとどこか、なにか、の陰にいると思うわ」と、もっともな忠告はキャロル。 「うん、探してみるよ。もしみかけたら・・・・」男の子はしょげ返ってそういうと出ていった。 「なんでヒキガエルがペットになるんだろう?」ウィルは首を傾げた。猫やふくろうはまだわかる。ヒキガエルが結構頻繁に料理の材料になるのも知っている、が、ペットにはなりそうにない。 「ルビーだったら、ヒキガエルなんて持っていたら、出来るだけ早くなくしちゃいたいけどな」 「ペット、って言うより魔法のお供なのよヒキガエルは。昔っからね。服を着せたり鈴をつけたりして絆を深めたり、契約の印として乳をやったりキスをしたってのはマグルの迷信だけど、実際問題として脅かしたときににじみ出す毒やヒキガエルそのものが魔法薬の材料になるのは事実だし、まあ、今はあまり人気ないようだけどね。わたしならふくろうを飼うけど」 「ルビーは猫のほうがいいな。ウィルは?」 「僕もふくろうだね。何たって手紙を運んでくれるんだから」 三人がペット談義を始めかけたとき、コンパートメントの外が騒がしくなった。
October 28, 2005
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十二時。通路でガチャガチャと大きな音がして、えくぼのおばさんがニコニコ顔で戸を開けた。 「車内販売だよ。何かいりませんか」 ルビーが勢い良く立ち上がったが、ウィルはトムの弁当のことを思い出して一番大きな荷物の包みを開けにかかった。 中身は一見ごく普通のランチだった、もっとも中に入っている材料の何割かは蛙だとかナメクジなのをウィルは知っている、それに量は間違いなく五人分はある。 トムの気持ちは嬉しいが、こんなの全部食べたんじゃ胃がパンクしてしまう。 「・・・二人とも、ダイエットしてないなら手伝って。とても食べ切れないよ」大鍋型パイを買おうとしているルビーと、何かを素早く買い込んだキャロルにウィルは懇願した。 「わあ! すっごーい。お母さんが作ったの?」瞬間移動したのかと思うくらいの速さでルビーが戻ってきた。キャロルも戻ってきて、一言。 「漏れ鍋ね」完全に断言されてしまった。 「なぜ、それが・・・」わかったのかと聞こうとした僕を制して、キャロルは包みを指さした。包みにも器にも『漏れ鍋』のマーク、そのものズバリの穴の開いた鍋の絵、が入っていた。 「それとご両親、近くにいないでしょ? もしいたら、そんなほつれたローブ着せるはずないわ。古着買うのはわかるにしても、ほつれも直さないなんて考えられない。ルビーは逆にご両親も、おじいちゃんおばあちゃんも健在で一人っ子」 ウィルが、ついさっき着替えたばかりのローブを見下ろすと、確かに首元や裾が綻びている。昨日まできていたローブは洗濯してしまってあるし、今来ているのは古着屋で買って以来、トランクに放り込んだままだったのだ。『オリバンダーの店』や『漏れ鍋』での仕事に気を取られてよく見てもいなかったから当然といえば当然だ。 ルビーへと目を向けると、これは反対に不自然なくらいに奇麗なローブ、しかも多分オーダーメイド、それなのにどこか不揃いな感じのする持ち物。 「みんながみんな競って買ってくれたんでしょ? だから一つ一つは一流のものなのに、協調性が感じられないのよ」なんかすごく冷めた声でキャロルが評してみせた。ウィルは気圧されたようになって引きかけたが、もう一人は全然感じていないらしい。 「すっごーーーーいっ!! なんでわかるんだろう? 魔法みたいだけど、魔法じゃないよね? 魔法は杖がなきゃ使えないっておばあちゃんが言ってたもの」 「魔法だったら、良かったのにね」 引きかけたウィルを寂しげに見て、ルビーの態度に戸惑っている、キャロルにウィルが言った。ウィルには何となくだけどわかったように思えた。シャーロック・ホームズと同じだ。観察眼、洞察力。そういったものに恵まれ過ぎた人間は孤独にならざるをえない。 「そうかもね」キャロルがひっそりといった。 表情をあまり表に出さないようにしているようなのに、すごく落ち込んだ顔をしている。ウィルはなんだか胸が苦しくなった。ついこの前までの自分の姿がダブって見えるのだ。
October 27, 2005
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「えっと・・・何の話してたんだっけ?」汽車がガタゴトと動き出した後、しばし流れた沈黙を破るようにルビーが言葉を紡ぎ出した。 「・・・ウィルが、『面白いことになった』って言ったとこでわたしが声を掛けたのよ」なんとなく、表情が動かないし、冷たい感じの声と口調だけど、何故か嫌な感じがしない。 「ああ! そうそう、何が面白いことになったの?」 ウィルはあの後のことを話して聞かせた。 オリバンダー翁に杖の造り方を習い始めたことを。 「ええっ!? じゃあ、ウィルは杖職人になるの?」 「わからない。・・・でも、ホグワーツを卒業するときに記念に自分の杖を自分で作れたらかっこいいな、と思って」 ウィルは、漠然と心の中にあったことを口にした。 「じゃあ、じゃあ、その時にはわたしとキャロルにも作ってね」 「わたし? にも?」自分の名まで上がるとは思っていなかったのだろう、キャロルが意外さに驚いたように目を丸くしている。会ってから十数分にして、初めて表情が動くのを見た。 「そうだよ、キャロルももう私たちの友達だもん」ルビーが性格そのままの屈託のない笑顔を目一杯輝かせて、微笑んだ。 「期待しないでくれよ。途中で挫折するかも知れないんだし、ろくなの作れないかも」 話しているうちに汽車はロンドンを後にして、スピードを上げ、牛や羊のいる牧場のそばを走り抜けていった。ウィルはこんな目立つ汽車が一度も人目に付かなかったのを不思議に思った。ロンドンからまともに発車して走っている。窓の外を見るまで、ほとんどが地下鉄なのだろうと考えていたのだ。 だけど、すぐに考えるのをやめた。何しろ今ウィルがいるのは奇妙なことが起きて当たり前の魔法世界なのだから。 魔法世界、ウィルは自分がまだマグルの服を着ていることに気がついた。もう、ローブに着替えてもいいだろう。ここ一月、ずっとローブを着ていたので今ではローブを来ているほうが落ち着くのだ。 ウィルが着替え始めると、ルビーとキャロルも着替えだした。ウィルが隅っこで隠れるように着替えてるのとは対照的に、女の子二人は平然と着替えている。ルビーは性格的に【隠す、隠さなくてはならない】という考えがないようだったしキャロルにいたっては【どうでもいいこと】のようだ。
October 26, 2005
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四両目を過ぎたあたりからコンパートメントにも空きが見えるようになってきた。 「あー・・・もう!」五両目ほどまで来たとき、ダークブラウンの髪の女の子が一人、イライラした様子で自分より大きなトランクを蹴っているのに出くわした。 蹴った足ではないほうの足をさすっている。車内にトランクを入れようとしてうまくいかず、足に落としていたのだろう。 「手伝おうか?」ウィルは杖を取り出した。答えを聞くこともなく、魔法を掛ける。オリバンダー翁に聞いた軽量化の魔法だ。 取っ手をつかみ、片手で持ち上げて車内にいれてやったー珍しいことに一発で成功したのだー女の子は、目を皿のようにしてみていたが、何かを思い出したように息を呑みウィルの顔と杖を見比べている。 「もしかして・・・『オリバンダーの店』にいなかった? わたしに杖を選んでくれたわよね」 それで思い出した。この子はウィルの前に杖を買った子だ。店中の箱をひっくり返して杖をばらまいた。 「一角獣のたてがみ、柊の木、十八センチ。だったよね」 「そうそう、ごめんね。あのままでいなくなっちゃって、箱とか杖とかバラバラにしてしまって。大丈夫だった?」 「平気だよ。それどころか君のおかげで、面白いことになったんだから」 「面白いこと?」怪訝そうに聞き返してきたのに答えようとしたウィルだったが、答えることはできなかった。 「話すんなら、中に入ったら? 他の人の迷惑よ」後ろから来た女の子が冷たく言い放ったのだ。 汽車の乗車口で話し込むのは、確かに常識外れだったかも知れない。ウィルたち三人は、同じコンパートメントに一緒に入った。一番近かったし、何より誰もいなかったから。 「僕、ウィリアム・ゴールドマン。ウィルでいいよ」 女の子に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのがエチケット・・・。『紳士のためのエチケット集』より抜粋。重い本を続けて読んだ後に目安めのつもりで読んだ薄っべラな本でも、役に立つときはあるようだ。 「わたし、ルビーよ。ルビー・ジャンクソン。よろしくね」『オリバンダー翁の店』で会ったダークブラウンの髪にヘイゼルの瞳の女の子。 「・・・キャロル・ベランジャー・グラフトン」後から来た子、薄く煎れた紅茶色の髪にアイス・ブルーの瞳がすごく奇麗に映えている。 汽車が滑り出した。安物の手巻き式時計をチラッと見ると十時四十二分だった。・・・さすがは安物、遅れていたらしい。時間に余裕を持っていなかったら乗り遅れていたかも。
October 25, 2005
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キングクロス駅には十時前に着いていた。発車は十一時だから早すぎるような感じだが、ウィルにはちゃんと思惑があった。 『ホグワーツに来る前に知っておくべきこと』に書いてあったことを思い出す、魔法族にも見えない魔法がかかっているがそこまでいけば通り抜けられられる。ただし、通り抜けるときにはマグルに気付かれないように注意すること。 もうじき電車が入ってくる。そして降りた乗客たちがホームから改札へと向かう列が壁になるのを見計らって、滑り込むのがベストだろう。 通り抜けられないのでは? という疑惑は感じていなかった。ダイアゴン横町で魔法は経験済みだ。必ず通り抜けられる。 カートに『七つ鍵のトランク』とトムじいさんの弁当を乗せ、タイミングを待つ。電車がホームに入ってくる音がして、旅行者の群れがワンサカとあふれてきた。いまだ。 9番線と10番線からの客が交差する中、その中間の柵に向かって真っ直ぐ歩く。壁に接触した途端、カートが消えた。次に腕が消えて、壁が目の前に現れる。思わず目を閉じた。どれだけ歩けば出られるんだろう? そう思いはじめたところで突然無数の人声が聞こえてきた。なんというか、気圧変化で耳がおかしくなっていたのが急に治ったような感じだ。ウィルは目を開けた。 紅色の蒸気機関車が、乗客でごった返すプラットホームに停車していた。ホームの上には『ホグワーツ特急11時発』と書いてある。振り返ると、改札口のあったところに91/4と書いた鉄のアーチが見えた。 汽車があるのとは反対側に、発券所があった。入学許可証を手に、歩いていくと年寄りのしわくちゃな駅員が愛想よく微笑んで切符をくれた。 切符を手にして、ようやくウィルは落ち着いて構内に目を向けた。 機関車の煙がおしゃべりな人混みの上に漂い、色とりどりの猫が足下を縫うように歩いている。おしゃべりの声と、重いトランクの擦れ合う音をくぐって、ふくろうがホーホーと不機嫌そうに鳴き交わしている。 先頭の二、三両はもう生徒でいっぱいだった。窓から身を乗り出して家族と話したり、席の取り合いでケンかをしたりしていた。ウィルは空いた席を探して、カートを押しながらホームを歩いた。 まだ時間があるからだろうか、発券所の前の人混みを越えてしまうと、思ったほど混み合ってはいない。前方から少し打ちのめされた感じの一家がやってきてすれ違ったぐらいだ。老夫婦とその息子夫婦だ、おじいさんと息子は同じダークブラウンの髪をしていた。
October 24, 2005
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次の朝、ウィルは五時に起き出した。『漏れ鍋』で最後の仕込を手伝うつもりだった。 初めてここに来たときに着ていたマグルの服に着替えて、ウィルが下に降りていくと、トムがにこやかに立っていた。腕にはなにか大きな包みを抱えている。 「弁当をつくっといたよ」一抱えもある荷物を差し出して、トムは欠けた歯を覗かせて微笑んだ。 「この店の自慢の品を見せてあげよう」ウィルがなにか言おうと口を開きかけたのを遮るようにトムは言葉を続けた。トムは今まで一度も見せなかった杖を前掛けのポケットから取り出し、店の奥の壁に向けてなにか呟きながら振った。 薄汚れていただけの壁か真っ白になり、次には次々に文字が浮かび上がっては消えていった。まるで、本を手に取り、ページをパラパラとさせているかのように。 「この店に来た何人もの魔法使いや魔女たちの落書きですよ。消したりせずに上に直接新しい壁紙を貼ってあります。杖を一振りすれば、何年も前の落書きが姿を現す。・・・そろそろ、止まりますよ」 ページ捲りが次第にゆっくりになってきていた。見る間に速度が落ちて、やがて止まった。壁一面に大きなサインと、なにか文が書き込まれている。 【Merlin】 「マーリン!?」ウィルは思わず叫んだ。イギリス国内において彼の名は魔法なんて信じない人々にさえ、知られている。伝説の人なのだ。 魔術師マーリンー魔法使いにして予言者、あの円卓の騎士で有名なアーサー王の助言者。 母は高潔な王女、父は『夢魔』と呼ばれる妖怪だったと言われ。母の善良さと父の魔力を受け継ぎ、子供の頃から人知を超えた能力をあらわしたと言う。 最も有名な物語は、五世紀にウォーティーゲルンなるブリテン王が骨折って築いた塔が倒れたことから始まる。工人たちがどんなにがむしゃらに仕事をしても、その日の分の仕事は一夜明ければ崩れてしまった。絶望したウォーティーゲルン王がお抱え魔術師に相談すると、人ならぬ父を持つ子供の血をモルタルに混ぜれば塔を補強できると教えられる。そういう子供を探し出せという王命によりつかわされた使者はマーリンを見つけて連れ帰った。わずか七歳だったマーリンは事情を知ると、塔がぐらつく原因は地下の池の上だからだと解き明かし、さらに、池の水を全部抜けば、そこに中空の岩が二つあり、そこで二匹の竜が眠っているだろうと予言してみせた。調べてみるとすべてその通りだったので、王は命を助けてやったと言う。 その後三代に渡って王に仕え、アーサー王の時代には魔法の数々をもって戦いに勝利し、大王の治世を揺るぎないものにしたことで知られる。特に『王様の剣』のエクスカリバーとアーサー王の逸話は万人の知るところだろう。 「この漏れ鍋は、その当時からあったのです。使者に連れられ王の元へ行く道すがら、かの魔術師はこの店で食事をし、なにか予言を得たのでしょう。まだ建ったばかりだった新築の壁に落書きをしたのです。店の初代はマグルでしたが快く落書きを認めたとか。・・・『この店に心地よい歓迎で迎えられ、笑顔をもって送られるものには偉大な業績と大いなる喜びが与えられる』。この店はやがて魔法族のひいきの店となり、店主は魔女を嫁とし、代々この店を守り続けてきました。実際、この店でお世話した人々には偉大な人が大勢いるのです」 いつになく饒舌なトムが嬉しげに杖を振る。 再び落書きが現れては消えていき不意に止まった。四つサインが書かれていた。ゴドリック・グリフィンドール。サラザール・スリザリン。ヘルガ・ハッフルパフ。ロウェナ・レイブンクロー。 次にはニコラス・フラメル。なにか多面体の図が添えられている。 他にもマーヴェル。ルイ・ハーモン。アルベリッヒ。・・・アルマス・ダンブルドア。 「でも、だからってなんで僕が・・・」まだホグワーツに行ってもいないのに・・・。 「ジンクス・・・マグルはそういいますね? 偉大になった人たちはみな、この『漏れ鍋』に二十日間以上続けて滞在なさいました。ウィル、あなたは一月以上滞在した。それで十分なのです、いつかあなたは偉大になるでしょう。もしかしたら、あのハリー・ポッターと良いライバルになるやも・・・そうなった暁には、ここにいらしてサインをいただきたいのです。わたくしの代になってから、サインする偉大な魔法使いが減ったことをとても悲しく思っていたところなので」
October 23, 2005
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「今日はずいぶんゆっくりじゃったな」店先でオリバンダー翁が待っていた。 いつもの淡い色の目にも、微かに微笑んだ口元にも怒っている様子がなくて、ウィルは胸をなで下ろした。 「さて、さて、さて、今日はな少し面白いものを見せてやろうと思っておったんじゃよ」オリバンダー翁はウィルを杖造りの工場へと連れて歩きながら、含み笑いをした。 ウィルは出来るだけ翁の顔を見ないように注意しながら、いったい何を見せてくれるのだろうと考えた。正直言って、翁の笑顔はあまり気持ちのいいものではないのだ。 「お前さん、もう『釉薬』は作れるな?」 「はい」いまさら何を言ってるんだろう、今日まで毎日作り続けてきたじゃないか。 「ここに、わしの『釉薬』がある。そして、こちらにあるのが?」オリバンダー翁はまず大鍋を指さし、次に横に並べるように置いた机の上の束を指さした。 「枝、ですか?」 どう見てもそれは枯れ枝の束にしか見えなかった。もちろん、魔法世界では、実は豚だと言われても驚くに値しないのだが・・・。 ウィルの答えにオリバンダー翁はうなずきで答え、束の中から一本の枝を抜き取ると『釉薬』をハケで塗った。「そうれ!」 『釉薬』を塗っただけの枝を一振り、すると明るいオレンジ色の玉が枝の先から数個吐き出されてきた。 次にまた新しい枝を抜き取り、釉薬を塗ると乾くまで待って振った。今度は玉ばかりでなく、赤と黄色の二色だけの虹が真っ直ぐな線となって、再び吐き出されたオレンジの玉の中心を通り抜けた。 三本目は塗って乾かすのを二度続ける、重ね塗りをして振った。オレンジ色の玉が赤と黄色の玉になり。赤と黄色の虹が扇状に広がった。 四本目、三度重ね塗りしたものを振る。玉の色は同じだったが艶が違った。扇状の帯は色のグラデーションがさらに増して、その上に所々で火花が散った。 五本目、四度塗り重ねた枝。これは振った直後に爆発音を響かせ瞬く間に燃えつきた。 「解かったかの? 釉薬が同じでも、塗り方や乾きの度合い、塗りムラで魔力の伝わり方や出方に大きな差を作るのじゃよ。むろん、最後に入れる物質によってもじゃ」 「・・・釉薬だけでも魔法が使えるんですか?」これまで、杖が魔法を生み出すのは芯と木、そして釉薬が三位一体になってたときだと思っていたウィルは思わず質問していた。 答えは期待していなかった、なのに翁は意外にもまともに質問に答えてくれた。 「枝に釉薬をかけたところで魔法は使えんよ。釉薬の役目は芯と木を連結し、魔力を均等に整然と伝えること。つまり魔法に方向性を与えるためのものじゃでな。芯の役目は使うものの魔力の増幅、木は使用者の意志やイメージを芯に伝える役目を持つ。三つが揃って初めて杖は杖としての力を発揮することができる」 オリバンダー翁の目が、銀色に輝くのをウィルは見た。これが翁の気持ちが高ぶったときの特徴だとウィルはすでに気がついていた。 「さて、さて、ウィルや。学校に行く前からこんなものを渡されるのは嫌じゃろうが・・・宿題じゃ。クリスマス休暇までに釉薬の最後の材料を見つけてきなされ。今のように枝に塗って反応を見れば、何が効果的かは確認できるじゃろう」 おそらく、ウィルは有史以来初めての人間だったろう。宿題を出されて嬉しく思うなんて・・・。 ウィルはオリバンダー翁に、クリスマス休暇には必ず答えを見つけて帰ると約束し、しばしの別れを告げた。翁が店を離れてウィルの見送りに来るはずはなかったから。
October 22, 2005
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時計を見ると、すでに十一時を過ぎていた。 もうすでに人気のなくなった『漏れ鍋』ではクルミの様な顔のマスターが、まだ起きていて皿を拭いていた。 「あの、部屋は空いていますか?」部屋は空いていた。一番奥の部屋へと案内してもらいながら、ウィルは九月一日までの休み中借りたらいくらになるかと聞いた。 素泊まりなら二十二ガリオン、朝食付きなら二十六ガリオンという答えだったが、朝の仕込と夜の皿洗いを手伝ってくれるなら朝食付きで十ガリオンにしてくれると言うので、喜んで手伝うことにした。 「がんばんなよ、坊や」 部屋に入ると、壁に掛けられた鏡が眠そうに言った。ウィルはもう童話を作り話としては読まないことを決意した。 置いてあったパジャマに着替えて、ベッドに入ったウィルだがとても眠れそうになかった。たとえしゃべる鏡が寝言を言ったりしなくても、枕が代わってなくても、多分眠れなかったろう。今日一日であまりにもいろんなことがありすぎた。 ベッドに入り、天井を見上げていたウィルだが腕時計が1時を指したところで眠るのを諦めた。 トランクの三番を開け、教科書を取り出して読み始めた。教科書はとてもおもしろかった。ウィルは夜が明けるまで教科書に没頭していた。 翌日から、ウィルはローブを着て、約束通り『オリバンダーの店』へ通った。完全に徹夜だったから眠いはずなのに、まったく気にならない。 オリバンダー翁は杖の造り方を手取り足とリ、教えようとはしなかった。ウィルが質問をしても、たいていの場合無視された。 「オリバンダーの杖はな。一本一本に、強力な魔力を持った芯を使っておる。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。一角獣も、ドラゴンも、不死鳥もみなそれぞれ違う。もちろん、芯を覆う木も同じものはない。オリバンダーの杖に同じ杖は一本としてないのじゃ」 そう最初に言った後、翁はただ一つのことを教えた。杖の中で唯一、まったく同じ物を使っている場所。芯と木を一つのものとするそして、魔力の伝わり方を一定に保つための『釉薬』の基本材料とその調合方法だ。 樹齢千年を超える杉の樹液に、月桂樹の葉、猫の髭、一角獣の角の粉を、火に掛け、とろとろと煮込む。樹液を焦がさないようにかきまぜ続けるのが、なによりも難しい作業だった。なにしろ重い粘液をかきまぜ棒でかき回し続けなくてはならない。結構重労働なのだ。 「よいかな? これは『杖』のための『釉薬』の造り方じゃ。『オリバンダーの杖』のではないぞ。杖の造り方は職人一人一人違う。当然、おまえさんの作る杖はおまえさんのオリジナルでなくてはならん。わしは一角獣、ドラゴン、不死鳥しか使わんが芯となるものはいくらでもある。その中で芯に何を選ぶのか、木は何を使うのか、その組み合わせをどうするのか、それはおまえさんが考えることで、わしが教えることではない。『釉薬』にしても、これは基本じゃでな職人の個性はここに何を足すかで決まる。これもまた、おぬしが自分で考えるべきことじゃて」 もちろん、それだけを覚えたわけではなかった。ウィルはオリバンダー翁に、もっとたくさんのことを教わった。 まずは杖を使って火をおこす方法。ウィルは当然呪文を使うものと思い込んでいた。なのに、呪文を使わずとも杖の一振りでおこすことができるのだ。振り方に独特の規則性はあったが、覚えてしまえば実に単純なものだった。 樹液を桶から鍋に入れ替えるときに便利な、軽量化の魔法、こぼれた薬を消し去る魔法、一番肝心な、ウィルが正真正銘魔法使いの素質を持つ者であるという事実。 ウィルはその日から一カ月あまり、朝の五時に起きて『漏れ鍋』の仕込を手伝い、十時から十八時までオリバンダー翁の仕事場で基本の『釉薬』を作り、オリバンダー翁が木を削るのを眺める。そして再び『漏れ鍋』へ戻って皿洗いと掃除を手伝う。そんな日々を送った。 もちろん、かなり疲れたが、そんなのは気にならないくらい充実した日々だった。 漏れ鍋にはいつでもイギリス中から一般に魔法生物と言われるものたちが客としてやってきたし、さすがに吸血鬼は見かけなかったが鬼婆、藍色の肌に白く長い牙と鉄の爪をした魔女、ならたくさん見ることができた。ただし、マスターのトムはウィルには絶対に鬼婆、の接客をするなと言いつけていた。鬼婆にとって、ウィルは最高のディナーに見えるからだそうだ。 一度などレプラコーン、その時はまだ名前も知らなかった小人、が来てチップを山ほどくれたので飛び上がって喜んだのだが、一時間ほどで消えてしまってがっかりしたこともある。 そんなふうに次々に風変わりな、マグルの世界で考えればということだけど、客と出会う度に魔法世界が実在することを強く信じることができたし、魔法世界の日常をわずかながら知ることができた。 楽しい時というのは時間が飛ぶように過ぎて行くものだ。御多分に漏れず、ウィルは八月最後の日の朝、トムに言われて初めて、明日にはホグワーツへと旅立つのだと気がつき、少なからず動揺したものだ。 しばらく呆然と立ち尽くし、ハッと我に返って慌てて『オリバンダーの店』へ駆けつけた。
October 21, 2005
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「違う! それを振らせちゃダメだ!!」直後、室内に竜巻が起こった。一瞬にして店中の箱の山が崩れ、杖が飛び出して散らばった。 「だめだ。いかん-この杖じゃない」オリバンダー翁は散らばった杖や崩れた箱にはお構いなしに、次に振らせる杖のことを考えているようだった。 「あの・・・」かなりためらいながら、ウィルはオリバンダー翁に声を掛けた。 銀色のオリバンダー翁の目が、ウィルを捕え、翁はなにか探るような表情を浮かべている。 「おまえさんじゃったな? さっき違う、と叫んだのは。おまえさんなら、この娘さんにどの杖を勧めるかね?」翁の口調は柔らかかったが目は鋭い眼光を放ちながらウィルの顔を凝視していた。 「えっと・・・」ウィルが翁に声を掛けたのは、まさにそれを言いたかったからなのでウィルは急いでさっき目にした杖を探した。 杖はすぐに見つかった。女の子の足下に重なって落ちている箱の下にある。なぜそれが判るのかウィルにも解からなかったが、女の子にそう伝えた。 女の子は素直に箱をどかし、下にあった杖を拾い上げると、今度はさっきよりも慎重に振り上げ、ゆっくりと振り下ろした。 再び、室内に風が吹いた。それでも今度は竜巻でも突風でもない、春の日差しを受けた暖かいそよ風のような風だった。一緒に黄色い花弁のような光が踊っている。「ブラボー!」ウィルの横でオリバンダー翁が叫んだ。 「すばらしい。いや、よかった。・・・おまえさん、買い物は済んでおるのかな? できれば、少し手伝ってほしいのじゃがな」 老人は女の子の杖、『一角獣のたてがみ、柊の木、十八センチ』を探し出した箱に戻し、茶色の紙で包みながら、ウィルに問いかけた。 「ええ、いいですよ」何を手伝ってほしいのかは解からなかったが。(きっと散らばった杖を片づけるんだろう)ウィルはためらわずに答えた。魔法世界のことをもっと知りたいと思っていた。この世界に少しでも長くとどまっていたかったのだ。 その後も何人かの客に、ウィルはこれと思った杖を渡し、その全てが一振りで決まった。色とりどりの光の玉や、火花が、狭い室内に広がる光景を、なんとも誇らしい気持ちで眺た。 「おまえさんのおかげで、ずいぶん早く終わったな。・・・ところでじゃ、杖職人になる気はないかね?」 最後の客に『二十二センチ、一角獣のたてがみ、柳の木。振りやすい』杖を渡した後、オリバンダー翁は淡い色の目でウィルを見つめ、唐突に聞いてきた。 魔法世界があるってこと自体、今日知ったばかりのウィルは一瞬思考が停止した。ホグワーツでさえ未知のところなのに、さらにその先のことを考える余裕なんてなかった。 「わしの爺様もな、おまえさんと同じように客を見た途端に合う杖が解かる人じゃった。名工の名を欲しいままにしたものじゃ。杖の気持ちが解かる、そう言っとったな。おまえさんも杖職人になれば、きっと名工になれるじゃろう」 「・・・あの、今すぐ決めるってわけにはいかないですけど・・・興味はあります。仕事を手伝わせてもらっていいですか? ホグワーツが休みの時にでも?」 「そうじゃ、そうじゃろうとも。ホグワーツに入学ができたんじゃからな、卒業までは待たねばの」 オリバンダー翁はそう呟き、ウィルに時間があるときにはいつでも手伝いに来ていいと言った。ウィルは、とりあえず学校が始まるまで通うことを約束した。 ウィルは自身にも杖を選んだ、『二十六センチ、一角獣のたてがみ、イチイの木。振りごたえがある』だった。振ると、杖先から青い光が波のように広がりながら出た。 散らばった杖をすべて箱に戻し、棚にしまうと『オリバンダーの店』を出てウィルは、『漏れ鍋』へと向かった。今日はもう遅いので、そこで宿をとるよう勧められたのだ。
October 20, 2005
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杖の店を探して歩いていると、とてもきれいで洒落た感じの店に『デュエルの杖』という看板を発見した。 ウィンドウを覗くと、色とりどり、形もさまざまな杖が無数に陳列されてあった。どれもスマートで奇麗、素人目にもかっこいいと思えた。少なくともウィルが想像していたクネクネと捻じれた感じの不気味な杖とは遠くかけ離れたものだ。 さっそく入ろうと歩きかけたウィルの目の前で、ウィルと同年齢の子らしいのが両親に杖をねだった。 「杖を売ってるよ! 買っていこうよ、かっこいいし、きれいだ」 「いけません! ここで杖を買うなんて、マグルぐらいのものよ。魔法族としてのプライドを持ちなさい。杖はオリバンダー製が一番いいんです!」 その子は半べそをかきながら母親に引っ張られていった。ウィルもその後を追う。魔法の杖・・・どう考えたって一番重要な教材に決まってる。間違いのない買いものをしたかった。 その店は狭くてみすぼらしかった。剥がれかかった金色の文字で、扉に『オリバンダーの店-紀元前三八二年創業 高級杖メーカー』と書いてある。埃っぽいショーウィンドゥには、色褪せた紫色のクッションに、杖が一本だけ置かれていた。 『デュエルの杖』のと比べれば見劣りがしたが、ウィルの最悪の想像はここでも外れた。 中に入ると、中にはすでに何組かの客がいて順番を待っていた。 老人が一人、薄い色の目で客を見つめ、勝手にサイズを計る巻尺で腕の寸法を計っては山積みになった箱から一本一本杖を取り出して、試し振りさせている。この人がオリバンダーさん、その人だろうとウィルは確信した。その風体は老人と称すよりも翁と呼ぶほうがふさわしい感じがする。ウィルは、その光景をぼんやりと見つめていたが、不意に奇妙なことに気がついた。 オリバンダー翁が試し振りさせる前から、客に合う杖が判る。ウィルがこの人には、あの杖が合うんじゃないかな? と思った杖が見事に的中するのだ。 さっきのベソかきっ子の『黒檀と一角獣のたてがみ。二十一センチ』から始まり、『ぶなの木にドラゴンの心臓の琴線。二十三センチ』、『楓に不死鳥の羽根。十八センチ』。すべて客が振る前に合うのが判ったし、他のを翁が勧めているときにはダメなことがはっきり判っていた。 ウィルの前の女の子、ダークブラウンの髪、が杖を振るときにもそれが判った。それも極めつけに相性の悪い杖だ。ウィルは思わず悲鳴を上げた。 「違う! それを振らせちゃダメだ!!」直後、室内に竜巻が起こった。一瞬にして店中の箱の山が崩れ、杖が飛び出して散らばった。
October 19, 2005
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思い切って飲んでみると、期待したほどおいしくはなかった。なんと言うか、すごく濃いミネラルウォーター、という感じがする。 「・・これ、なンニャブス? ビー、ビュゥピー???」これなんなんです? と聞こうとしたはずなのに変な音が口から出た。と思う間もなく目の前が潤み始め、足の感覚がなくなった。 突然下向きに引っ張られるような感覚に襲われ、目の高さがぐんと下がったので、慌てて体を支えようとしたのに、その腕も動いた様子がなかった。必死になってなんとか自由に動かせる目を動かしていると、気を利かせて向きを変えてくれたらしい鏡が見えた。 「!?」初め、そこに映っているものがなんなのかわからなかった。ようやくそのものの正体に気づいたウィルは驚きで目を大きく開けた。水になっていなかったなら、悲鳴を上げていただろう。 そこにはゼリーのようになった自分がいた。目玉だけが蛙の卵のように半透明で透明ゼリーの中に浮いている。 その目も次第に透明になり、ゼリーは完全な水になっていた。それでも、幸いなことに目は見えた、というより視力は残っていたというほうが正しいかも知れない。もう水でしかなかったから。 「どう? わたしが作ったオリジナル薬『水になる水薬』よ。わたしって・・・わたしって、やーっぱり天才!」 マゼンダの笑い声が聞こえるということは聴力も残っているようだ。どうやら、試作品の実験台にされたらしい。 「さーて、液体になるのは成功っと。気体はどうかしらね?」いつのまにかマゼンダの手に杖が握られている。マゼンダが何事か呟くと、杖の先から熱風が噴き出しウィルだった水に当てられた。 再び、ウィルはおかしな気分を味わった。たった今、突然床にまで下がった目の高さが一気に天井まで上がったのだ。下に引っ張られるようだった感覚が逆転してどんどん上へと引き上げられていく。 鏡はもう真っ白で、何も映ってはいなかった。鏡は曇っていたのだ。それでわかった。水になったウィルは、熱風を受けて気化し、蒸気になっているのだ。 「成功!! これであとはうまく元に戻れれば完璧よね。ウィル、これからわたしが言う言葉を唱えて」マゼンダの言う言葉、というのはガラスを引っ掻くようなキーキーと耳障りな音だった。 よくわからないが、なんとかそれをまねて言ってみる。 「ーれーーーくれーーーーーーーり」ただの音だと思っていた音が、所々言葉になった。一応言葉ではあるようだ。 「ーれはーちくれーーしょうーたり」なんとか、感覚が掴めてきた。この音は水の中で発するとちゃんとした言葉になるようだ。 もう一度試してみる。 「われはつちくれよりしょうじたり・・・我は塊より生じたり!」途端に感覚が戻ってきた。床が迫ってくる。落ちてるんだ! 両手で頭を抱え身構えたが墜落はしなかった。 床の上、数センチのところで止まっている。 「パーフェクト!! やったー! わたしって、わたしって・・・やっぱりてーんさーい!!」 大はしゃぎで跳ね回っているマゼンダの向こうに、杖を振り上げたままで硬直している黒髪の小父さんがいた。 「だ、大丈夫かい? 気分は悪くないか?」 顔だけでなく声まで蒼白にしてウィルのそばに駆け寄り、助け起こそうとしている。ウィルはすでに空中に静止していた状態から床の上に降りていた。 「パパったらしっつれいね。わたしの薬で気分なんか悪くならないわよ」 「お客さんを実験台にするのはやめろと何度言ったらわかるんだ!」 「・・・あの、学校に持ってく材料を売ってほしいんですけど・・・」正直、言いたいことは山ほどあるがウィルはあえて口を挟む気にはなれなかった。こんなところで親子げんかに参加してなんていられない。 基本的な材料のセットを買い、精算してもらう。 「これ、あげるわ」マゼンダが、密封できるガラス瓶に今の薬を入れて持ってきた。 「これでもちょっとは悪かったって思ってるのよ。何か欲しい薬があったらいつでも言って、ある程度はサービスするから」そういってマゼンダが薬瓶と一緒に、カウンターの所に置いてあった注文書を何枚かとカタログをウィルのポケットに放り込んだ。 恐縮したような、小父さんのお辞儀に送られ、ウィルは店を出た。魔法薬のセットとドラゴン革の安全手袋を六番目にしまい込んで、トランクは全部いっぱいになったことになる。二番目の、マントのとなりに入る予定の杖を除いて。
October 18, 2005
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次は薬問屋に入った。いろんな匂いがごちゃまぜになったひどい匂いがしたが、そんなことは気にならないほどおもしろいところだった。ヌメヌメしたのが入った樽詰めが床に立ち並び、壁には薬草や乾燥させた根、鮮やかな色の粉末などが入った瓶が並べられ、天井からは羽根の束、牙やねじ曲がった爪が糸に通してぶら下げられている。 「一年生ね?」頭の上から歯切れのいい言葉を掛けられ、ウィルは急いで仰ぎ見た。 そこには、屋根に張り巡らされたロープの上を綱渡りしている若い魔女がいた。下から見上げているので顔はよく見えないが、たぶん二十歳になったかどうかってぐらいだろう。 若い魔女は、ロープをうまく操って、ウィルの目の前にスーッと降りてきた。亜麻色の髪に黒目、美人ではないけど十分にかわいいといえる魔女だ。 「名前は?」 「ウィル。ウィリアム・ゴールドマン」 「ウィルね。わたしはマゼンダ・グリフィスよ。ウィル、あなたいいところに来てくれたわ、さぁさぁ中に入って」若い魔女は、明るく笑いながらも有無をいわさぬ強引さでウィルを店の奥へと招き入れた。 中は暗くて狭かった。たぶん店員の休憩室なのだろう。小さな机以外はなにもない。「いや、わからないぞ。」ウィルはグリンゴッツでのことを思いだし、自分に言い聞かせた。この机からなにか出てくるのかも知れない。 「あったあった、これよ!」大きな声が背後で上がり、ウィルは飛び上がった。たった今、目の前にいたはずのマゼンダが後にいたのだ。ウィルの知らないうちに後ろに回り込めるはずは絶対ないのに。 マゼンダが握っていたのは、よく言ってもビーカーだった。学校の理科で使ったガラス容器に酷似している。中には微かに青味を帯びた液体が入っている。 「これ、飲んでみて」無邪気、そういってもいいほどの笑顔で言われ。ウィルはビーカーに口をつけた。『かぼちゃジュース』のおいしさがまだ鮮明に残っていたのだ。今度はどんな味がするんだろう?
October 17, 2005
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古着屋はすぐに見つかった。どこから拾ってきたのか、電気の付かない大きなネオン看板が立っている『リサイクルショップ』その下に古い看板『グランマな古着の店』がある。目立つ、という一点からいえば大成功と言えるだろう。 錆びた鈴が異様にきれいな音で鳴り、ウィルを招き入れた。店内は見渡す限りクローゼットだった。扉と引き出しがすべての空間を埋めている。ただ一カ所、部屋の真中の引き出しの山の上にあるカウンターだけは、埃っぽいローブの魔女が座っていた。 魔女に声を掛けようと口を開くより早く、ウィルはなにか変なものに囲まれていた。見るとそれは大きな物差しだった。長い物差しの両脇に大きな三角定規と分度器が付いていて、三角定規の上には巻尺が掛けられていた。> それが三つ、ウィルを取り囲みありとあらゆる角度から寸法を計った。すべて計り終えると物差したちは元の場所に戻っていき、今度は奥のほうにあるひときわ大きなクローゼットの扉が開いた。 クローゼットの中から、服が鈴生りに掛けられた長い棒が迫り出して、カウンターに座った魔女のところまで伸びた。 「ホグワーツなんだろ?」 棒から服を何着か下ろしながら、魔女がしゃがれた声を出した。ウィルは急いでうなずいて、カウンターのところへ駆け寄った。 魔女はウィルが駆け寄るのも待たず、棒から下ろした服を投げ落として、ウィルは服を頭の上から被ってしまった。 「それで全部のはずだよ」 上からまたしゃがれた声が言った。ウィルが急いで頭の上の服を調べると、確かに普段着のローブ三着と三角帽がある。 それぞれの上、空中に黄色い数字が浮いているのは金額らしい。大きな音がして、ウィルの目の前の引き出しが開いた。中をのぞき込むと空っぽだ。 「代金を入れな」 いらだった声がして、ウィルは必死で金額を計算し代金を入れた。引き出しが勢い良く閉じた。後には嫌な感じの沈黙だけが残った。 「いつまでそんな所に突っ立ってるんだい。用が済んだんならとっとと帰りな」 不意に魔女が怒鳴り、ウィルはローブと帽子をトランクの一番に放り込むと転がるようにして店を出た。
October 16, 2005
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『ナクサスの鞄店』を逃げ出したウィルは、ダイアゴン横町の人混みの中で深々と深呼吸をした。酸素を吸うのがずいぶん久しぶりなように思える。 その時、ウィルの前を通り過ぎた一団があった。ウィルの耳にこんな言葉が飛び込んできた。 「あとは制服だけね」 ふっくらした小母さんが、燃えるような赤毛の男の子四人と、同じく赤毛の小さな女の子を連れている。 「あれ? 古着屋は路地裏だよ」 「こっちは新しいのしか置いてない! ロンに新しい制服を買うの?」 四人のうちの二人がハモるように言った。双子なのかも知れない。 「パーシーのよ。ロンにはパーシーのお古を上げます」 ひょろりとした背の高い手足の大きな、鼻の高い子が、赤くなって抗議しようとしたようだったが口を開く前に、別の声に遮られた。 「なんでパーシーは新しい制服を着れるんだろう?」 「なんで僕達はお古なんだろう?」 双子が揃って腕組みをして小首を傾げた。 「監督生と、いたずら坊主の違いよ」 母親が厳しい顔で言った。 一番年上の少年が、胸を張って踏ん反り返った。ウィルは、少年の胸にPの字が入った銀色のバッジが輝いているのに気付いた。 「おお、パーシー、君、監督生になったのかい?」 双子の一人がわざと驚いたように言った。 「そのバッジをもっと早く見せてくれればいいのに。知らなかったじゃないか」 「まてよ、そういえば、なんか以前にも一回、見た気がするな」ともう一人の双子。 「二回かな・・・」 「寝るときもパジャマに付けていたような・・・・」 「風呂に入るとき以外はつけっぱなしだったような・・・・・」 「だまれ」と監督生パーシーが言った。 赤毛の一団は騒がしく言い合いながら『マダムマルキン洋装店-普段着から式服まで』へと入っていった。 ウィルは数秒、小首を傾げて考えてから、双子の一人が言っていた路地裏へと向かった。なにしろさっき必要のない買いものをしてしまったし、育ち盛りだ、いま新しいのを買っても二年くらいで着れなくなる。古着でいい、そう思ったのだ。 ずっと、自分で生活用品を揃えていた経験から、こんな計算が無意識に出る。ウィルは自分が時々主婦になったような錯覚を起こすことがあった。
October 15, 2005
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「あら? かわいいお客様ね。わたしはアニー、みんなそう呼ぶの。あなたもそう呼んでね。で? 何が御入り用なのかしら?」 店内に入るとドピンクのローブを来た銀色のメッシュの髪の魔法使いが出迎えてくれた。青白い顔に薄い目蓋で女性のような言葉づかいで聞いてもいないことを一方的にしゃべる。ちょっとお近づきにはなりたくないタイプだ。 「あの、修理を・・・。取っ手と外張りを新しくしてほしいんです。蝶番には油も差してほしいし」 「『七つ鍵のトランク』ね。・・・そんなのよりもいいのがあるわ、直す必要なんてない。新しいの買いなさいな」背丈ほどもあるトランクを引き摺って来ながらアニーはウィルに微笑んだ。 「『宿借りのトランク』よ」 七つ鍵のトランク同様いくつも錠前の付いたトランクだ。アニーは鍵束を取り出し、一つ一つをウィルに見せた。> 一番目、書庫かと思うほどの靴箱がある。二番目、広々としたリビング。三番目、対面式のシステムキッチン。四番目にはダンスホール付きの食堂。五番目には書斎。六番目には大きな天蓋付きのダブルベッドがある寝室。七番目にはジャグジー付きのバスタブと無駄に広いトイレが、八番目は真っ新な空室。九番目にはなんとふくろう小屋が付いていた。 「あ、あの。僕、このトランク気に入ってますし、貰いものなので手放すつもりないんです。新しいのを買う気はないです」 「あら、そうなの? トニー、あなたのお仕事よ。聞こえたでしょ?」 冷ややかな声が店の奥の暗がりに突き刺さり、小柄で薄汚れた男がガサガサと出てきた。あまり魔法使いというような感じではないけど、完全なマグルでもないようだ。 トニーはウィルの手からトランクをそっと取り上げ、お預かりします、というようなことをボソボソと言って奥へ引っ込んだ。 「そうよ! これがいいわ」 突然、アニーが声を上げた。振り向くと、アニーはいつのまにか店の右隅のほうにいた。目の焼けるような真赤なポシェットを嬉しそうに振っている。 「あのトランク、地味でしょう? アクセントにこれをつけたら・・・オシャレよぉー」 「あの・・・僕、そんなに荷物ないですし、トランクだけでいいですから」 オシャレというものがどんなものなのかよくは判らないが、こんなものをぶら下げて歩くなんて、考えるだけで顔が同じ色に染まりそうだった。 「そういわずに、これ便利よぉ。ウチの一押しなの、わたしが開発したオリジナルですもの」 アニーの手がポシェットをひっくり返す、直後、ウィルは別の世界にいた。ポシェットを被せられたのだということは判ったが、眼前に現れた光景にウィルは目が回りそうだった。 奇妙な世界を逆さまに見ているからさらに奇妙だった。頭の上は平らで広大な大陸で、四方八方どこを向いても地平線があった。下に目を向けると虹色の空が輝いている。アコーディオンカーテンのようなのがギラギラと波打っていて目がチカチカした。 「『なんでも入るポシェット』よ。使いごたえありそうでしょう?」 悦に入った声でアニーがウィルの耳元に囁くが、ウィルはあまりのばかばかしさに声もでないでいた。なにか言うべきだろうかと言葉を探してはみたが、それは徒労に終わった。 ウィルが応える前に、トニーが「仕上がりましたよ、お客様」といってくれたのを幸いに、ポシェットから頭を引き抜いた。 「ワーオ!」仕上がったトランクを見てウィルは小さく叫び声を上げた。すばらしい出来だった。染みだらけだった焦げ茶色の外張りが落ち着いた感じのモスグリーンに代わっている。止め具の金板は磨かれ、蝶番もきしまなくなっていた。取っ手もシンプルで機能的なものに代えられている。 どこから見ても文句の付けようがない出来映えだった。アニーのとんでもない美的センスを見せつけられた後だから、感激もひとしおだ。 「ダメよ! ポシェットを買ってくれるまで帰さないんだから!」 修理代を支払い、さっさと店を出ようとしたウィルをアニーが引き留めた。ウィルもがんばったのだが、結局『なんでも入るポシェット』を買ってしまった。色だけは、白にしてもらったが・・・。 「・・・そうね。一年生のうちから完璧なファッションじゃいやみですもの。五年生くらいになったらまた来て、わたしがトータルコーディネートしてあげる」 もうすでに耳を貸す気を無くしているウィルには気付かぬ振りで、アニーはブツブツと将来ウィルに着せる服のデザインをつぶやきだした。 「靴はもちろん赤よね。帽子は紫、ローブは黄緑がいいわ。マントはもちろん赤で・・・・」 アニーの声を振り解くように、ウィルはもうスピードで『ナクサスの鞄店』を逃げ出した
October 14, 2005
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やがて、小鬼がウィルのとこにも来て、金貨の入った布袋を渡してくれた。 「金貨はガリオン。銀貨がシックル。銅貨がクヌート。一ガリオンは十七シックルで、一シックルは二十九クヌートとなっております」小鬼が通貨の説明をしてくれたが、覚えやすいとはとてもいえない半端な数字にウィルは少し戸惑った。 とは言え、ドルやフランの換算率に比べれば楽なものだ。じきに慣れるだろう。 グリンゴッツを出て、ウィルは再びダイアゴン横町に出た。どこに何があるのか判らない、どうしようかと、買わなくてはならないもののリストを見直した。 「確か入り口に鍋屋があったっけ」 一度入り口にまで戻り、そこから横町の様子を見物しながら買い物をすることにした。闇雲に歩くより確実だろう。 鍋屋の前に立つと、学校指定の学用品ということだろう。同じ大きさの黒い大鍋がずらりと並んでよく磨かれた表面が日の光を反射していた。 店主らしい恰幅のいい、水色のローブを来た中年の魔女が、忙しそうに店の中と外を行き来している。 「錫製の鍋、二つ貰おうかね」店主にウィルが声を掛けようとしたとき、横から別の声が店主を呼び止めた。 品のいいおばあさん、頭の上のハゲタカを別にすればだけど、が孫なのだろう。丸顔の男の子をつれていた。 「でも、おばあちゃん。これには一つって書いてあるよ」リストを穴が開くほど見つめて男の子が言った。 「ネビル、おまえのことだから、きっと一度は鍋を溶かしてしまうよ。一つ余分に買っておいたほうが安心だろう?」 ネビルと呼ばれた男の子は顔を真赤にして俯き、その後おばあちゃんが鍋を買うあいだ一言も口を挟まなかった。 鍋って溶けるものなのか? また不安が募る。無意識に目が値札を見ていた。それほど高くはない。ウィルも二つ買った。そしてトランクの四番目に重ねて入れた。折畳のできるかきまぜ棒と軽量カップを鍋の中に入れるとそのトランクはいっぱいになった。 鍋屋から道なりに進んで、冬用のマントを買い二番目へ、折畳式の真鍮製望遠鏡と魔法薬の材料を計るための上等な計り、クリスタル製の薬瓶を五番目に、とリストの順番通りにトランクを分けて入れていった。 本屋、『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』では一年生用にまとめられていた教科書を買って三番目に放り込むと、脇目も振らず足早に店を出た。面白そうな本が多過ぎて、一冊でも開いてみようものなら三カ月は動けなくなりそうな予感がしたのだ。 『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』を出て、再び看板を見上げたウィルの目に一つの看板の文字が飛び込んできた。『ナクサスの鞄店ー修理引き受けます』とある。 トランクに目を向けるとあちこちくたびれているのは明らかだった。少し、直してもらったほうがいいかも知れない。
October 13, 2005
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老魔法使いの名はドライロット、もちろん本名ではない。『三つの赤』という意味の通り名だ。闇の魔法と対峙し続け、色素の薄れた赤い髪、魔法を掛けた紅い目、血で朱に染まった爪の意だ。 二十年前、娘が倒れた。呪いのせいだろうと思われたがどんな呪いかも分からなかった。そして、それ以来ドライロットはある屋敷の解呪に半生を捧げてきた。 呪いを専門に扱っていた一族の住んでいた館、もう百年も前から廃屋となっているこの館には、あらゆる呪いの掛け方を記した呪文書と多額の宝が眠っている。 誰もが、その宝を目指したが誰一人として手に入れたものはいない。ドライロットは二十年掛けて館へと入り、書斎の前まで行き着いた。そして、最後の最後で呪いに捕まった。 あと一歩で念願が叶う、そう思ったとき気が焦ったのだ。ごく初歩的な仕掛けに惑わされて右腕に呪いを受けた。もちろん素人ではないドライロットは持てる全力で解呪しようとした。しかしうまくいかなかった。 だから、右腕を切り捨てた。それでもその時には遅すぎた。呪いはすでに身体の中へ侵入していて腕一本切ったところでどうにもならなかった。 それが、昨夜のことだ。 「ワシはもうじき死ぬ。呪いの奴がワシの身体を腐らせておる。もって数ヶ月というとこじゃろう。死ぬことに未練はない、じゃがワシがやってきたことを誰かに伝えたかった。そこに若者よ、娘と同じ色の目をしたお主が現れた。勝手な言い草だと思うじゃろうが、これを貰ってほしい」 ドライロットがソファの陰から取り出したのはトランクだった。マグルが使うのと大差ない、ただ少し使い込まれた焦げ茶色のトランク。一つだけ違うとこがあるとすれば、このトランクには錠前が七つもついていた。 「この『七つ鍵のトランク』はなかなか重宝なものでな」 ドライロットがローブの下から鍵束を取り出しながらつぶやく。鍵には一番から七番までの刻印が打たれていた。いったい何が重宝なのだろうとウィルは興味津々で見つめた。 番号を刻印されている鍵、その六番を右から六個目の錠前に差し込んでトランクを開けた。蝶番が錆びてでもいるのかトランクはひどくきしんで、嫌々開いたようだった。中には折り畳まれたボストンバッグが入っていた。微かに白っぽくカビ臭いそれを取り出した。ドライロットはトランクを閉め、今度は五番を五番目に差し込み、再びトランクを開けた。たったいま空になったはずのトランクにヨレヨレのマントやローブが入っていた。さらに四、三、二、一と鍵が差し込まれトランクが開くのを見て重宝の意味が判ったとウィルは思った。鍵を合わせて開く度に中身が違っていた。このトランクはマグルのトランクの七倍、物を詰め込めるのだ。ドライロッドは、その荷物を全てボストンバックへと詰め込んで杖を向け何事かをつぶやいた。そして、片手でトランク七つ分の荷物の入ったボストンバックをソファの後ろに放り投げた。きっと軽くする呪文を唱えたのだとウィルは確信した。 今日はもう一日中奇妙なことが起こっていたから、「いまさら驚くもんか」、という思いがあった。だが、それは七つ目の鍵が差し込まれトランクが開いた途端消え去った。ウィルは驚いて思わず声を上げた。 竪穴のような、地下室が現れたのだ。その四方の壁は全て棚になっていて、本や薬ビンのようなものが雑然と並べられていた。真中には大きな机が置かれ、丸まった羊皮紙が無造作に載せられている。 「ワシの書斎じゃよ」驚いたままのウィルにドライロットは相好を崩した。 「便利なものじゃて、どこへ行くにも書斎を持ち運べるんじゃからな。ワシが本当に貰ってほしいのはなトランクではなく、この書斎じゃ。この書斎にはワシの二十年が詰まっている。ワシの生きた証がな」 ドライロッドは愛うしげにトランクの縁を手の平で撫で、溜め息を吐いた。 ウィルにこの老魔法使いの心情を理解することは不可能だった。だが、申し入れを拒絶することもまた不可能なことだった。 結局、ウィルはトランクを譲り受けることを承諾し、老魔法使いは小鬼に呼ばれて去っていった。もう二度と会うことはないであろう老魔法使いの背を見送り、ウィルはこのような出会いをもたらした珍奇な運命を想った。
October 12, 2005
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ウィルが急いで振り返ると、ソファに座っていた老いた魔法使いが杖を指揮棒のように振りながらウィルを手招いている。 ちょっとためらったがウィルは立ち上がって老魔法使いのところへ行こうとした。すると、再び椅子が飛び上がって、二、三度跳ねながらソファのところまでウィルを運んだ。 「・・・元気じゃな」カラカラに乾いて干からびた声がポツリと言った。 「お尻が痛いですけどね」 跳ねたときに打ったお尻を撫でながらウィルは老魔法使いを見た。黒いローブに覆われて、顔しか見えなかったが、その顔は切り刻まれたように傷だらけだった。 「痛いと思うなら、元気じゃよ。ワシを見なさい」老魔法使いがそう言ってローブを広げてみせた。だがウィルにはなにも見えなかった。自分の力ではまだ見えないのだろうかと不安になりかけたとき、突然ウィルは老魔法使いの言おうとしていることを理解した。 見えなくて当たり前なのだ、老魔法使いは見えないものを見せようとしたのではなく、見えるはずのものが見えないことを見せたかったのだ。 老魔法使いには右腕がなかった。 「昨夜まではちゃんとついておったんじゃがな。昨夜切り落としてしまった」 驚いて見つめるウィルに笑いかけ、老魔法使いは理由を話し始めた。
October 11, 2005
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扉を見つめたまま、そう言ってクィレル教授はウィルの返事も待たずに急いで外に出ていった。 そんなに恐いとこなのかな? つい不安になるが、ここまで来て引き返すのもなんだか癪だった。第一ここで引き返したらなにもかもが終わりだ。 左右の小鬼が、銀色の扉を入るウィルにお辞儀をした。中は広々とした大理石のホールだった。 百人を超える小鬼が、細長いカウンターの向こう側で、足高の丸椅子に座り、大きな帳簿に書き込みをしたり、真鍮の計りでコインの重さを計ったり、片眼鏡で宝石を吟味したりしていた。ホールに通じる扉は無数にあって、これまた無数の小鬼が、出入りする人々を案内している。ウィルはカウンターに近づいた。 「あのう・・・」 手のすいていそうな小鬼を見つけて声を掛けてみる。卑屈にならないよう自分に言い聞かせた。『僕は客なんだぞ』と。 「なんの御用でしょうか?」 「えっと・・・お金、そう、マグルのお金を魔法界のと換えてほしいんだ」 「換金でございますね、いかほど?」小鬼は愛想は良くなかったが、それでも丁寧に話してくれた。恐がる必要はなさそうだ。 ウィルは黙ったまま銀行から持ってきた封筒をそのまま渡した。いくらあるかなんてどうでも良かった。いくらになるかが重要なのだ。 「換金には8パーセントの手数料がかかります。よろしいですか?」 ウィルは急いでうなずいた、ほかにしようがないのだ。 「しばらくお待ちください。グリップフック、奥にご案内して」 封筒の中身を出して数えながら、小鬼はちょうど通りかかったやはり小鬼に声を掛けた。 グリップフックについて、ウィルは小鬼が仕事をしているカウンターの内側に入り、奥へ向かった。カウンターの外側からは気がつかなかったが奥に行くにつれ、目的の場所が見えてきた。カフェテラスにあるような丸テーブルが何個かと椅子、ソファが置いてあった。黒いローブのお年寄りが一人、そのソファに沈み込むようにして座っている。 「お寛ぎください」グリップフックがそう言うと椅子が勝手に後ろに飛びのき、ウィルが座るのを待った。ウィルが座ると椅子がテーブルのところまで歩み寄った。 ポンッという音とともにテーブルの上に黄色い液体の入ったゴブレットが出てきた。 「かぼちゃジュースです。お金は計算が済みしだいお持ちします」グリップフリックが丁寧にお辞儀して去っていく。ウィルはかぼちゃジュースを一口口に含み、次の瞬間には飲み干していた。よく冷えていて、ほのかに甘く、おいしい。 もっと飲みたいな、と思っているとゴブレットの底から再び黄色の液体が湧き出した。 「魔法って、便利だな」 感心してつぶやいてウィルは再びゴブレットに手を伸ばした。確かにゴブレットをつかんだはずの手が空振りする。ゴブレットが宙に浮いていた。ゆらゆらと揺れながら高度を上げ、ウィルの頭上を通り過ぎていく。
October 10, 2005
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目を皿のようにして見つめている僕におびえたように笑いかけクィレル教授は先に立って歩き出した。 今度こそ、間違いなくウサギ穴だとウィルは思った。ウサギ穴の向こうは不思議の国、ロンドンの町並とは明らかに違う光景が見渡す限り続いている。 ウィルはクィレル教授の後にくっついて歩いた。迷子になるのだけは勘弁してほしい。二人がアーチをくぐり抜ける。ウィルが何気なく振り返ったときには、アーチは見る見る縮んで、固いレンガ壁に戻るところだった。 そばの店の外に積み上げられた大鍋に、日の光がきらきらと反射している。上には看板がぶら下がっている。 『鍋屋ー大小いろいろありますー真鍮、鈴、銀ー自動かきまぜ鍋ー折畳式』 その横の薬問屋らしい店で、小太りのおばさんが叫んでいた。 「ドラゴンのきも、三十グラムが十五シックル? さっきんとこより安いじゃないか」 薄暗い店から、低い、静かなホーホーという鳴き声が聞こえてきた。看板が出ている。 『イーロップのふくろう百貨店ー森ふくろう、このはずく、めんふくろう、茶ふくろう、白ふくろう』 この時点でウィルは少しほっとした。このときまでお金だけじゃなく言葉や文字も違うんじゃないかと不安だったのだ。でも、そうではないらしい。 箒の店、マントの店、望遠鏡の店、妙な飾りのついた鞄を売ってる店なんかもある。 何かの動物の内臓や目玉がうずたかく積まれたショーウィンドウ。今にも崩れそうな呪文の本の山。羽根ペンや羊皮紙、薬ビン、月球儀・・・。 「ぐ、グリンゴッツです」クィレル教授の声がした。 小さな店の立ち並ぶ中、ひときわ高くそびえる真っ白な建物だった。磨き上げられたブロンズの観音開きの扉の両脇に、真紅と金色の制服を着て立っているのは・・・ 「こ、小鬼です」 そちらに向かって白い階段を昇りながら、クィレル教授は震えているようだった。小鬼はウィルより頭一つ小さい。浅黒い賢そうな顔つきに、先の尖った顎髯。それに、なんと手の指と足の指の長いこと。二人が入り口に進むと、小鬼がお辞儀した。中には二番目の扉がある。 「あ、ごめんなさい」 クィレル教授が急に立ち止まったのでウィルはまともにぶつかってしまった。クィレル教授は銀色の扉を恐々見ていた。なにか言葉が刻まれている。 見知らぬ者よ 入るがよい 欲のむくいを 知るがよい 奪うばかりで 稼がぬものは やがてはつけを 払うべし おのれのものに あらざる宝 わが床下に 求めるものよ 盗人よ 気をつけよ 宝のほかに 潜むものあり 「こ、ここまでく、来れば、も、もういいでしょう。、ここからはひ、一人で、い、行きなさい」
October 9, 2005
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外見同様、暗くてみすぼらしい店内。それに反比例してやたらと陽気な客が四、五人いる。なんとも風変わりな人たちだ揃いも揃ってローブを着ている。それも赤とかエメラルドグリーンとかとてつもなく派手な。シルクハットをかぶった人までいる。みんな口々にポッターさんが帰ってきた、握手してもらえるとはなんたる光栄、と興奮したように囁いている。バーテンらしいハゲて、歯の抜けたクルミのような顔のじいさんは泣いてさえいるようだ。 「き、き、君は、ほ、ホグワーツの、し、新入生、か、かい?」 いったい何があったのだろうと訝しみ、立ち尽くして様子を見つめていたウィルに神経質そうに声を掛けた人がいる。 驚いて振り向くと、青白い顔をした若い男が片方の目をヒクヒク痙攣させてウィルを見ていた。 「は、はい。そ、そうですが?」無意識に後退ろうとする足を引き留めながらウィルは慎重に応えた。 「あの、ダイアゴン横町に行ってグリンゴッツへ行こうかと・・・」 グリンゴッツ。その言葉にこの若い男は異様に怯えたようになって、身体を震わせた。目がさらに神経質に痙攣している。 「わ、わ、わたし、がああ、案内して、あ、あげよう。わ、わ、わたしはき、吸血鬼の、あ、新しい、ほ、本をか、買いにい、行くと、と、ところでね」 案内してもらえるのはありがたいことだけど・・・この人はいったい誰なのだろう? 「わ、私は、く、クィレルほ、ホグワーツのき、教授のひ、一人でね。や、や、闇の魔術に対するぼ、ぼ、防衛をお、教えている」 不審そうな表情が顔に出ていたらしい。クィレル教授が吃りながら言った。 クィレル教授はパブを通り抜け、壁に囲まれた小さな中庭にウィルを連れ出した。ゴミ箱と雑草が二、三本生えているだけの庭だ。 ウィルはドキドキして待った。いよいよ魔法を自分の目で確認できるような予感がしたのだ。クィレル教授はといえば、ゴミ箱の上の壁のレンガを神経質に数えている。 この壁に囲まれた状態をどうやったらダイアゴン横町とやらに出れるのだろう? 「さ、下がっていなさい」 クィレル教授はローブのポケットから短い棒、多分魔法の杖、を取り出して壁を三度叩いた。すると叩いたレンガが震え、次にクネクネと揺れた。そして真中に小さな穴が開いたと思ったらそれはどんどん広がり、次の瞬間、目の前一杯にアーチ型の入り口ができた。その向こうには石畳の通りが曲がりくねって先が見えなくなるまで続いていた。 「だ、ダイアゴン横町で、です」
October 8, 2005
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内容は極々短いものだ。それでも、何をするべきかがはっきりと理解できた。 ダイアゴン横町に行く。これが一番大事なことだ、そこに行けばふくろうが来て以来の全てのことが事実か夢かを確認できる。事実だったらグリンゴッツへ行って金を交換し、教材を買う。 バスと地下鉄の時間を確認して、銀行のカードと財布をポケットに仕舞い込むと、ウィルは部屋を飛び出した。 まずは銀行に行き、こずかいを貯めていた口座を解約して入れてあった貯金全てを降ろした。いくら入っているか自分でも定かでないが、相当の額に上るはずだ。その証拠に銀行の封筒が厚く重い。コインでなく、紙幣の重さで。 ウィルにとって、真新しい発見などない道を目的地へと向かっていた。バスに乗って近くの駅へ、そこで切符を買い地下鉄に乗っていく。来る度にいつも故障中な気もするエスカレーターを上り、普段どおりに店が立ち並ぶにぎやかな通りに出た。 ちょっと普段と違ったのは、所々に人が集まり、何事かを話している。耳を澄ますと、あんなでかい人間は初めて見た、とか、キングコングの孫が来たんだ、馬鹿ここはロンドンだニューヨークじゃない、とか言っている。映画の宣伝かなにかだろうか。ともかく、ごく普通に立ち並ぶ本屋の前を通り、楽器店、ハンバーガー屋、映画館を通り過ぎていく。 「あれ?」 急に見慣れた通りが別世界に見えた。 度々本を買いに来ていた本屋と、主にクラシックのCDを買うレコード屋。隣り合って建っていたはずの真中に、時代に置いていかれたような古くて薄汚れた小さなパブがある。 『漏れ鍋』と看板があるから、ここが目的地なのだろう。にしても、今まで気付かなかった。いや、見えなかったなんて・・・。もしかするとここにもなにか魔法がかかっているのだろうか。探している人間にしか見つけられない、というような。 考えたところで答えは見つからないだろう。ウィルは意を決して古びた扉を開け、中に飛び込んだ。
October 7, 2005
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『魔法社会における基礎知識 ホグワーツ入学前にこれだけは覚えておこう。 【マグル】:魔法使いの血がまったく流れていない人間のこと。 または、魔法使いとしての素質を身に付けていない人間のこと。 【ふくろう便】:魔法界における通信の方法。魔法界では伝書鳩に類する方法によって連絡するのが常で主にふくろうが使われるのでこう呼ぶ。 【例のあの人】:魔法界において最大の禁忌。誰もが名前を口にしたがらないため、こんな言い方をする。 かつて魔法界を恐怖と混乱に突き落した闇の魔法使い。ヴォルデモートのこと。この名を口にすることも聞くことも平気でいられるのはホグワーツ魔法魔術学校現校長のアルバス・ダンブルドアただ一人であるため。魔法社会においてこの名を口にすることは自分自身と周囲の人間との関係を壊すことにつながるので厳に慎むこと。 【ホグワーツ魔法魔術学校】一千年以上も前、当時最も偉大な四人の魔女と魔法使いゴドリック・グリフィンドール。ヘルガ・ハッフルパフ。ロウェナ・レイブンクロー。サラザール・スリザリン。によって創設された学校。( 人の名は今も寮の名として残っている。)魔法力を示す若者たちを集め教育し、魔法世界とその文化を育て伝えていく役割を得ている。 【ホグワーツ】:イギリスの北にあるらしい魔法世界。マグルはもちろん生徒や関係者以外のものに場所が判らないよう幾重にも魔法が掛けられているため正確な位置は誰にも判らない。マグルに至っては近づくことも不可能である。唯一サン=テクジュベリなる人物が、飛行機なる乗物で不時着したことだけが例外として知られている。また、その影響によるものか空気中の魔法力が多大なためマグル言うところの科学製品はまったく使用不能となる。 (時計を持参する場合は手巻き式のものにすること) 【ホグワーツ特急】:紅色の汽車で、ロンドンのキングス・クロス駅9と〓4分の1番線から出発し、ホグワーツまで直行する。新入学のための列車は9月1日午前11時に出発。(この時には新入生は入学許可証を忘れずに持参すること、許可証と引き換えに切符が無償で渡されます。忘れた場合は有料になりますので注意) 【9と4分の1番線】:キングス・クロス駅の9番線と10番線の間にある。見えない魔法がかかっているため魔法族にも見えないが、壁へ触れると魔法族の者は通り抜けることができる。(このときマグルに見られないよう注意すること) 【ダイアゴン横町】:学校指定の教材の全てがそろう魔法世界の町。ロンドンにある『漏れ鍋』というパブの裏から入るルートが判りやすい。(魔法使いの多くは別の移動法を使うが、それは魔法世界に馴染むにつれ自然と覚えることなので、新入生は、このルートを使うことをお勧めする) 【グリンゴッツ】:魔法世界唯一の銀行。マグルの銀行と違い、利子はつかないし、カードも使えない。が、小鬼が管理しているため、安全性と秘密性は完璧に守られる。 マグルの家の子は、ここでマグルのお金を魔法世界の金と交換してもらわないと教材を買うことができない。 以上 作成、魔法省。編集、魔法大臣コーネリアス・ファッジ。監修、魔法省マグル製品不正使用取締局アーサー・ウィーズリー。印刷、羽根とインク書房』
October 6, 2005
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たんに寄りかかっていた椅子ごと後ろにひっくり返ったのだが、その理由がウィルにそんな印象を持たせた。 天井すれすれを鳥が・・・ふくろうが飛んでいる。こんな町中、それも昼日中にだ。それだけでも奇妙なのに、くちばしに封筒をくわえているのだから不思議と言うしかない。 ウィルは急いで窓を閉めた。何がどうなっているかは分からないが、このまま逃がすのはとてももったいない気がしたのだ。 その気持ちは窓を閉めた直後に、ふくろうが落とした封筒を見たことでさらに強くなった。 何やら分厚い、重い、黄色みがかった羊皮紙の封筒にエメラルド色のインクで宛名が書かれている。 べーカー街の見える部屋 窓近くの机 ウィリアム・ゴールドマン様 およそ考えられないような宛名、なのにちゃんと届いている。 ふくろうが外に出れなくなったことに気付いて窓をくちばしで叩き始めたのを無視して、ウィルは封筒を破くように開け中をのぞき込んだ。羊皮紙が二枚と小冊子が入っていた。その一枚目に目を通し、ウィルはさらに興味を持った。 『親愛なるウィリアム殿 このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。 新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。 敬具 副校長ミネルバ・マクゴナガル』 と、きた。どう考えてもまともじゃない。が、面白い。とりあえずリストを脇に寄せて今度は小冊子を取り出してみた。 表紙には『マグルの家に生まれた子への手引き』とある。入学を許可されたものの、何のことやら分からない人のための基礎知識、と副題までついているのだからなかなか芸が細かい。 ウィルは急いで引き出しから便せんを取り出しボールペンを手にとった。> ガラスを叩いていたふくろうが、ウィルの様子を見て手紙を書き始めたのを知ったのだろうか、机の縁にとまりじっとウィルの手元を見つめている。 ボールペンを持ったまま、しばらく考え込んでウィルはおもむろに短い手紙を書いた。 『副校長ミネルバ・マクゴナガル先生へ 私、ウィリアム・ゴールドマンはホグ ワーツ魔法魔術学校への入学を希望しま す。』 こんなのでいいのかどうかは判らないが、他にどう書いたらいいのか思いつかなかった。この短い手紙を白くて小さな封筒に入れ、ふくろうに差し出す。ふくろうは不愛想にその封筒をくわえると行く手を遮る窓をいまいましげに睨んだ。 ウィルが窓を開けてやると、ふくろうは一度だけ羽音をさせて舞い上がり、滑るようにして空へと溶け込んでいった。 ふくろうが完全に見えなくなるまで見送ったウィルは小冊子を手に取り、読み始めた。期待の風船が胸で急速に膨張するのをなんとかパンク直前で抑えて、ページを捲る。
October 5, 2005
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ウサギ穴 「どうしようかなぁ」ウィリアム・ゴールドマン。通称ウィルは机に向かったまま、代わり映えしないつぶやきを漏らしていた。 収まりの悪い金褐色の髪をかき回し、すみれ色の目で机に置かれた書類の束をにらみつけた。九月から行くはずの中等学校、どの学校に行こうかとパンフを机一杯に広げて考えていたのだ。 普通なら近くの学校、と単純に決めてしまえばいいのだが、ある事情がウィルを悩ませていた。そのひとつがウィルはアパートに一人で暮らしているという事実だ。母親はいるにはいるが個人輸入の仕事をしていて世界中を飛び回っている。 定期的に手紙はくれるが、落ち着いて顔を見て話すことなんて年に数えるほどしかない。 以前、クリスマスにプレゼント持って帰ってきたときにはサイズが二つも違う服を買ってきて笑うしかなかったこともある。行く先々から送られた絵葉書が古いクローゼット一つを完全に占領しているし、貯金箱にはポンドはもちろんドルやフランやペソやマルク・・・円、世界中のお金が入っている。 父親にいたっては、名前も知らない。母ですら相手が誰なのか把握していないのではないかとウィルは考えている。 一応生活に必要なお金はちゃんと口座に振り込まれるし、振り込まれたお金はウィルの裁量でどう使ってもいいことになっている。しかもウィルは無駄な出費を抑えてきたのでかなりの貯えがあった。だから、その気になればイギリス中のどこに引っ越しても構わないし、どの学校に入学してもいいというわけ。 もう一つの事情、それはウィルには友達がいないということだ。同じ年頃の子供たちはサッカーに夢中で、暇さえあれば図書館にいるようなウィルとつきあおうとはしなかったし、多分これからもしない。 ウィルがいなくなったところで誰も気がつかないのではないかと、ウィル自身も感じていた。少なくとも別れがつらいと泣いてくれる人は皆無だ。 もっともウィル自身はこのアパートが気に入っていた。窓の外にはあのべーカー街がある。あこがれのシャーロック・ホームズの事務所のある通りが見下ろせるこの場所には愛着があった。 ハンティング帽をかぶった人が一人もいなくても、パイプをくゆらせる人より煙草をふかす人のほうが多くても、馬車ではなく車が走っていたとしても、だ。 どうしようかなぁ」 今日七度目のどうしようを口にしたとき、ウィルはウサギの穴に転がり落ちた。
October 4, 2005
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十五年後。 『あの人』がわずか一歳の子供の前に破れ去り、姿を消してから四年が経っていた。 人々はようやく明るさを取り戻し、平和な時が流れていた。『あの人』がいたことを思い出させるのは、みなが集まり、乾杯をするとき必ず最初に出る言葉だけとなっていた。 「生き残った男の子、ハリー・ポッターに乾杯」ポッター夫妻をよく知る人たちは、誰にも好かれた二人の死を悼み、ハリーの幸せを祈ったし、知らない者たちにしても、幼くして大人でさえも耐えられない運命とも言うべき重荷を背負ってしまった、背負わせてしまったハリーに少なからず負い目を感じていた。自分たちがもっと強ければ、彼は両親を失わずに済んだのだ。 そして、彼らは決して幸せそうではない、ハリーの目撃談を話しあうのだった。 男はそんな人々の輪から離れたところに座り、いまだに生死を彷徨う娘と現実から逃れた妻を思った。彼女たちのほうがよほど不幸せだろうに。 彼女たちは、自分が幸せでないと考えることすらできないのだから。 二十年後。 男は、まだあの館の書斎を目指していた。 一年に一メートルにもならない進み方だったが、確実に近づいてはいた。そして今日、ついに男は玄関ホールから食堂、食堂からリビングを抜け、書斎へと通じる扉を目にした。 白く積もった埃の向こうに黒塗りの重厚な扉、その先に目指すものがあるはずだった。 だが、結局。男は扉を開けることができなかった。十数年の間、目指し続けていたものを目にしたとき、男の中に焦りがあったことは否定できない。 あと一歩。あと一歩で書斎にたどり着ける、そう思ったその時、右腕に痛みを感じた。針で刺したようなものだったが外傷はなかった。 呪いが、呪いがついに男の腕を捕えたのだ。 男は急いで解呪を行なった。だが、無駄なことは男が一番良くわかっていた。この屋敷に張られた呪いの罠。罠を解くことはできたが呪いを止める術は結局わからずじまいだったのだ。最後の、この呪いだけが例外になるとは思えなかった。 男は、書斎へ入るのを諦めた、生きることも諦めた。ただ一つ、どうしても諦めるわけにはいかないことがあった。 娘の呪いを解くこと、それだけは諦めるわけにいかなかった。男は腕を切り落とした。それで呪いが止まるわけはなかったが、時間稼ぎぐらいにはなる。 愛用のトランクを持って、男は館を後にし、ロンドンを目指した。誰かに、トランクごと夢を託すために。 それが、昨夜のことだった。
October 3, 2005
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五年後。 男は、己のなすべきことを見つけだした。 もうすでに絶えて久しい、魔法族の旧家が住んでいた館。かつて、呪いの粋を極めたとされ、人々から恐れを持って見られた彼らは、その技術の全てを秘伝書に書き示し、館の中心、歴代当主の書斎に隠したと言う。 あまりにも強力に過ぎる呪いに、自らをも危険にさらしてしまった彼らは血を跡絶えさせ、秘伝書は書斎に隠されたままとなった。 何人もの『解呪師』や、好奇心旺盛な魔法族、欲に駆られた盗賊、魔法省の役人たち、大勢の人間が館に入ろうとし、その全ては失敗した。 館には、考えうる限りの呪いが仕掛けられていて、玄関ホールすらも通り抜けることができなかったのだ。 男は、この館こそが自分の探し求めていたものだと、そう考えた。 娘をあんな姿にしたものが呪いであるならば、かの秘伝書にその呪いについても書かれているかも知れない。治す方法も。 あるいは、自分自身もまた。呪いに捕まり、命を落とすこともあるだろう。それでもいい、男は半ば自虐的に心の中で呟いた。 そうなれば、自分より先に娘が死ぬなどという不条理きわまりないない出来事を見なくて済むのだから。 以後、男は危険な呪いと向き合って暮らすこととなった。常に死が、死よりも恐ろしい呪いが、男を捕えようとてぐすね引いて待っている。それでも。 十年後。 男は傷だらけの姿をある宿に現わした。 人々は誰もが男と酒を飲み食事をしたがった。男がすばらしかったからでも、偉かったからでもない。 その男だけが、安全だったからだ。魔法社会から孤立し、誰とも親交を亡くした男には孤独という影はありえても、裏切りという闇はありそうになかったから。 宿の食堂では、口以外を仮面で覆った人々が二、三人づつ集まり、ボソボソと囁きを交わしていた。 十年前から何かと話題になっていた『あの人』とその取り巻きである『死喰い人』の行状に付いて、噂をしあっていたのだ。 十年前にはそれほど驚異とは感じていなかった。が、今ではどうすることもできないほどに強大な組織を作り、魔法世界全域を席巻するまでになっていた。 誰も信用できない、なのに一人ではいられない人たちが顔を隠してやって来ては、おおっぴらに言うことのできない恐怖や不安、不満を吐き出していくのだ。 「また一人、殺されたよ」男の脇に座った魔女が、沈痛な声を搾り出した。 「ケント州のあの町に、『闇の印』が上がった。その下で、ティブルス・ボーンが見つかったとさ」魔女の相手をしている魔法使いがポツリと言った。 ボーンの名を聞いて、初めて男は顔を上げた。ホグワーツ在学中はともに学んだ仲だった。 「・・・だったら、親父さんが黙っていないだろう。あの人は息子を溺愛してた。きっと復讐に・・・」もう何年も口をきいていなかったような、抑揚のない言葉を乾いた唇から押し出した男の目に、首を左右に振る魔女と魔法使いの姿が映った。 「・・・いけないんだよ。復讐になんてね」魔女の声はさらに沈んだ。 「彼が、最後のボーンだった。・・・ボーン家は全員墓の下さ」魔法使いが言った。 男は、十年ぶりに感情を取り戻した。枯れたはずの涙が両眼に溢れ出た。ボーン家の人たちにはとても世話になったというのに、何のお返しもしていなかった。 「ボーン家だけじゃない。マッキノン家、ブルウェット家・・・力も人望もあった人たちが次々に殺されている。・・・さすがにアルバス・ダンブルドアには手出しできないでいるようだがな」 魔女と魔法使いが席を立った後も、男はしばらく動けずにいた。久々に味わった感情が、男の心をかき乱していた。 やがて、男はゆっくりと立ち上がり、再び館へと向かった。娘をすら救えない男に、他人のことを思い煩う資格なんてなかった。
October 2, 2005
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三つの赤 時計のアラームが鳴っていた。 男は、横になっていた寝台の上で自分の左腕を驚愕の表情で見つめた。 男は魔法の研究をする学者だった。常に新しい発見・開発を目指して実験を繰り返している。ごく最近開発したものは、来年には実用化することが決まっていた。 『我が道』目をつぶって走っても、障害物が勝手に避けて道を開けてくれる。来年からは魔法族のためのバスに利用されることになっている。 数千年の伝統を持つ魔法とマグルと呼ばれる人間が考え出した技術の融合、それが世界に大きな発展を促すと信じて疑っていなかった。ここ数日も、研究所に泊まり込んで実験を繰り返していたのだ。 左腕に腕時計がはめられたままになっている。ただ、その文字盤には英数字もアラビア数字も刻まれてはいなかった。代わりに【誕生日】、【記念日】、【食事中】、【寝てます】、などという文字が刻まれている。 針は二本、長いのと短いのがあって両方とも文字が、名前が刻まれている。 それぞれの針が今はある場所を指していた。そこには【錯乱】と【死】の文字があった。長いほうが【錯乱】、短いほうが【死】だ。 男は寝台から跳ね起き、マントを羽織ると杖を取り出し、次の瞬間姿をくらましていた。 くらましたのと同時刻、男の姿は男の自宅に現れた。急ぎ足で家の中を歩き回る。 時計が壊れていることを祈りながら、しかし普段なら『姿現わし』をした瞬間に駆けつけてくるはずの妻がまったく現れない。それにまだ深夜と呼ぶには早すぎる時刻だと言うのに明かりが一つも点いていなかった。家全体が海の底にあるかのような、冷たく重々しい空気に包まれている。 家中を駆け回り、自分の書斎に行き着いたとき、初めて男は探していたものを発見し、見つけてしまったことを後悔した。 妻がいた。泣いている。いつもならきちっと結い上げている髪が振り乱れ、冷たい汗に濡れた顔に張り付いている。 目は虚ろで呆然とソファに腰掛けていた。 部屋に掛けられている絵という絵が引き裂かれ、無惨な姿をさらしている。唯一無事なのは、手の届くところにない吸血鬼の小さな絵だけだった。昔、友人の一人に貰ったものだ。昔は棺桶しか見えていなかったが、今では時々棺桶から抜け出た吸血鬼が歩き回ったり、ニヤッ、と笑ったりしている。 今も、妻の錯乱が面白くて仕方ないようでニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。 それでも、もう一人に比べれば、まだましなほうだった。ソファの陰に、もう一人の探し人が横たわっていた。 つい先日、一年前に入学したホグワーツ魔法魔術学校から帰ってきたばかりの娘だった。 一目見ただけで生きてるとは思えない姿だった。皮膚は土気色、半開きの目は裏返り白目だけが見えている。腕と足は、それぞれ不自然に別の方向を向いていた。 震える足で歩み寄り、抱き上げる。冷たかった、抱き上げている間にもどんどん体温が失われていくのがわかる。恐る恐る胸に耳を押し当ててみる。 微かに鼓動が聞こえている。まだ間に合う。早く治療を。 必死に体を調べてみるが外傷はなかった。きっと呪いに違いない。男は考えつく限りの解呪法を娘に使った。 それなのに、その全ては無駄に終わった。どんなに魔法を掛けても、娘は回復しない。しないどころかどんどん衰弱していくのだ。 とうとう、男は治療を諦めるしかなくなった。このままでは娘は死んでしまう。それをなによりも恐れた男はもう一度杖を振った。 石化の魔法だった。体が完全に死んでしまうのを防ぐために、生命活動の全てを停止させたのだ。 あの日から十日。 男の体は衰弱の極にあり、精神は死人も同様と成り果てていた。 解呪に関しては最高の技術を持つ『最高法術院』にまで娘を持ち込み、呪いの解呪に当たってもらったと言うのに何の呪いがかかっているかさえ明らかにならず、娘の体力と生命力を無駄に消費しただけだったのだ。 さらに妻の錯乱も治る気配がなかった。いったい何が起こったのか、それを聞くことさえできたなら、男の精神も救われただろう。犯人を探し、追いつめるという目的を得られるから。 それなのに、妻にいくら話しかけても、まともな答えは返ってこなかった。 「絵が・・・絵が・・・」それだけを囁き続けている。 もちろん、あの吸血鬼にも話を聞こうとはしたのだ。元もと期待はしていなかったが、予想通り、ニヤニヤ笑うだけで返事もしなかった。 他の絵はもう修復不能なまでにズタズタになっていた。話を聞くどころではない。 男は墓場のような静かさに包まれた自宅に引きこもり、ただ闇を見つめ続けていた。 一年後。 男の姿は自宅から消えていた。 妻は男の、もちろん妻にとってもだが、幼馴染みのところに身を寄せていた。妻が、ではなく。男のほうが妻といることに耐えられなかったのだ。 かつては恋敵であった男。だからこそ、愛する妻を委ねることができた。彼に任せておけば、妻を不幸になどするはずないと思った。 娘もまた、別の友人の家にあずけてあった。石となったまま、躯と大差ない姿に誰もが憐憫の思いに捕われたが父親なら尚のことそうだったろう。 友人も、あまり気乗りしない様子だったが、男が助ける方法を見つけるまでは丁重に預かることを約束してくれた。 二人とも、男が自ら死を選ぶのでは、と気に掛けながら本人に問い質すわけにもいかずにいた。 家は売りに出され、男の消息を知るものはいなくなった。 男の『逃げ』を誰も責めはしなかった。理由もわからず、妻と娘を失った男の悲哀を理解することは誰にもできないことであったが、木石ではない人が察するには十分なものがあったから。 三年後。 姿を消し、誰もが死んだのだと思っていた男が、再び魔法世界に姿を見せた。 だが、その姿はもう、三年前までの学者とはまるで違うタイプに変貌したことを示すに十分なものとなっていた。 黒かった髪は色素を失い赤くなり、呪いを見破る魔法を掛けた瞳は紅々と燃え、爪は襲いかかる闇の魔術師の血で朱に染まっていた。 最愛の者を失った男は、自らの死に場所を求めて危険な場所に好んで乗り込んでいた。 特に、呪いを持って人の自由や意志、命まで操ろうとする魔物には、被害者や犠牲者の家族が魔物に同情してしまうまでに苛烈に対処した。 やがて、人々は男を三つの赤『ドロイロット』と呼ぶようになっていったのだった。
October 1, 2005
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