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2022.05.31
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昨日の続きです。私たちが行動する時は、蓄積されたエピソード記憶を引き出してきて検討している。そのエピソード記憶は、8割くらいは、うまくいかなかった、失敗して恥をかいた、後悔した体験で占められている。そういう悲観的、ネガティブな記憶をもとにして検討しているために、「ダメだ」「無理だ」「難しい」「できない」「どうせまた失敗する」「恥をかくだけだ」などと結論づけて、前向きな行動を回避している。行動しないで、傍観する態度では、生きがいとは無縁な生活に甘んじることになります。ではどうすればよいのか。これは私たちの思考には「認知のバイアス」がかかっているということです。つまりバランスが悪い。片寄より(偏り)があるということです。これをしっかりと認めて行動することが大切になります。人間は何もしないとネガティブな長期記憶に振り回されるということです。これが認識できれば、今後の対策が立てられます。これは、裏を返せば、人間には成功や達成や喜びの体験もたくさんあるのですが、長期記憶として固定されていないのです。そこで、生まれてから今までの沢山の体験の中から、成功体験を思い出して書き出し、整理して固定化することが大切になります。誰でも成功体験はあると思います。ところがきちんと保存されていないので、記憶として引き出すことができない。2021年11月27日にソフトバンクの孫正義さんのエピソードを紹介しました。福岡でアルバイト社員2人を雇い会社を立ち上げました。そのときにみかん箱の上で、将来はこの会社を世界一の会社にしてみせると挨拶されたそうです。普通に見ると、誇大妄想のような発言ですが、アメリカにわたり数々の成功体験を積み重ねていたことがその根拠になっていたということでした。もし成功体験をしっかり意識していなかったとしたら、絵に描いた餅になっていたことでしょう。私の場合もささやかながら成功体験を持っています。いくつもの国家試験に合格したこと、トライアスロンで完走できたこと、集談会でのいろいろなイベントを成功させたこと、心の健康セミナーを成功させたこと、会社の移転のプロジェクトを成功させたこと、老人ホームでの慰問活動を続けていること、いろいろな一人一芸を身につけたこと、家庭菜園で立派な野菜を作れるようになったこと、福助(大菊作り)で大輪の花を咲かせたことなどです。つぎに私たちは、雑多な社会体験が少なく、そもそも成功体験を積み重ねていないことが考えられます。この場合は今からでも遅くはありません。日常生活の中で小さな成功体験を積み重ねていくことが大切です。それを日記などに書き留めていく。そして小さな自信をつけていくことです。小さな自信に支えられて、自己肯定感が獲得できることを信じる事です。集談会に参加している人でしたら、幹事や世話役になって運営に参加することで、いくらでも成功体験を増やすことができます。エピソード記憶にはバイアスがかかっているので、普通に考えると積極的で前向きな方向には向かわないことを意識してもらいたいと思います。特に神経質性格者の場合は、石橋を叩いても渡らない傾向がありますので要注意です。この点に関しては、2021年12月22日に投稿したネガティビティ・バイアスも参照してください。
2022.05.31
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萩原一平さんのお話です。脳の中にある情報には、生まれた時から本能的、遺伝的に脳に組み込まれている情報と、経験や学習によって後天的、文化的に脳に蓄積された情報があります。脳はこれらの情報を活用して意思決定を行い、身体各部に指令を出して行動につなげ、外部の変化に対応しているのです。(ビジネスに活かす脳科学 萩原一平 日経プレミヤシリーズ 162ページ)ここで大切なことは理性的な脳である前頭前野は、ゼロから思考しているのではなく、すでに脳に蓄えられた様々な情報を取り出して、それと突き合わせながら意思決定をしているということです。過去に同様の事例に関する成功や失敗の情報が全くない段階では、適切な意思決定はできません。そのときは恐怖に身がすくんで固まってしまうことになります。ここでいう情報は、長期記憶して大脳に格納されているものだと思います。永久保存されているために思い出すことができる記憶のことです。長期記憶には、主として運動記憶と体験記憶があるといわれています。学習記憶もありますが、これはすぐに忘却の彼方に消え去ってしまう短期記憶が多いようです。運動記憶は自転車の乗り方や水泳のクロールの泳ぎ方など体を使って覚えた記憶のことです。一旦覚えてしまえば、長期記憶を取りだして、いつでも活用できます。体験記憶は、エピソード記憶と言われています。自分が過去に体験した記憶のことです。私はこの記憶に注目しています。この長期記憶には、成功体験と失敗体験が大きな影響を与えています。成功体験は目指していた目標が達成できたこと。予想よりも事態の展開がうまくいったこと。思わぬ幸運が舞い込んだ。他人から評価されたことなどです。快の感情や達成感をもたらしてくれた楽しくてうれしい体験です。失敗体験は、ミスや失敗をしたこと。他人から仲間外れにされたこと。親や他人に叱責・非難されたこと。生命の危険を感じたこと。恥ずかしかったこと。悲しい思いをしたこと。後悔したこと。などの体験です。成功体験や失敗体験が同じような割合で長期記憶として収納されているわけではありません。成功体験よりも失敗体験の方が何倍も多く保管されています。ほぼ後悔や失敗体験のエピソード記憶で占められていると思っていた方が無難です。それは太古の昔、安全を確保して生き延びるための知恵だったからです。成功体験も役に立ちますが、それよりも失敗体験をより重視しないと生き延びることができなかった時代が長かったということです。以上の知識をもとにして私たちが問題視している不安、恐怖、違和感、不快感について考えてみましょう。それらはほとんどネガティブで否定的な長期記憶と結びついています。たとえば人が怖いという対人恐怖症の人はどうでしょうか。過去に冷たくあしらわれた。仲間外れにされた。一人ぽっちになり心細かった。人前で叱責、非難、否定された。過保護、過干渉、放任状態にされた。腹が立った。恐ろしかった。そういうエピソードが夢にも出てくるような状態ではありませんか。新しい人間関係に直面する時、脳の中では、それらのネガティブなエピソード記憶を取り出してきて、対応策を検討しているのです。これではよい結果は出てこない。どうせまた他人に冷遇されるに違いない。対立してイヤな気持ちになるのが目に見えていると判断するようになるのです。こうして、扁桃核で不快に分類された感情は、ノルアドレナリンによって青斑核に送られ、そこから防衛系神経回路を経由して脳全体に送られるのです。他人は自分をイライラさせる恐ろしい存在だ。この回路が作動すると、脳は自分を守ることに専念するようになります。積極的、建設的、創造的な行動には向かわなくなります。いくら言葉で叱咤激励しても、脳が自己内省的に活動しているので体が動かなくなるのです。この悪循環は何としても断ち切ることが大切になります。これは明日の投稿課題とします。
2022.05.30
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脳神経科学者の伊藤浩志氏は「情動」と「感情」は違うと言われている。私たちは感情については学習しているが、情動については学習していない。どのような違いがあるのでしょうか。情動とは、主に外からの刺激に対して自動的に、そして大部分が無意識のうちに起きる一過性の生理反応のことで、発汗、血圧上昇、表情や行動の変化などの身体的変化が急激に起きる。農作業中に蛇が出てきて急に身がすくむ。自動車を運転中に急に子どもが道路に飛びだしてきて肝を冷やす。情動には喜び、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪、驚きなどがあります。この情動が前頭前野で意識化された時点で初めて感情になると言われる。ただし情動は前頭前野に到達する前に、直接扁桃体に届くようにもなっている。扁桃体は情動に基づいて、反射的で身体的な変化を起こしている場合がある。そのために感情と情動を区別しているのである。情動反応の特徴を見てみよう。扁桃体の特徴は、届いた情動に対してどんな意味があるのかを問題にしていない。決めつけ・先入観をもとにして条件反射的な対応をとっている。とりあえず危険と判断して即座に反応する。見切り発車で防衛反応をとっているのだ。そのために取り越し苦労に終わる確率が高くなります。どうして情動反応による素早い反応が必要になるのか。たとえば、山道を歩いている時に、目の前に細くて曲がったものがあったとする。扁桃体はそれが棒切れか蛇か見分けがつかない。つける必要がないと言った方がいいかも知れない。しかし、たとえ取り越し苦労に終わったとしても、危険性が少しでもあったならば、即座に防衛反応をとる方が生存にとっては有利になる。この場合は、蛇である可能性は少ないかも知れない。でも蛇と判断して素早く反応した方が身の安全を確保できることになります。この機能が進化の過程で淘汰されずに受け継がれてきたのである。では、情動が前頭前野に送られて感情はどのように作り出されているのか。前頭前野はその情動に対して分析・検討をくり返して感情を作りだしている。その部所は前頭前野の腹内側部(VMPFC)と言われている。腹内側部には、次々と情動が送り届けられている。腹内側部は無数の情動を分析・検討して、それぞれの情動の軽重の評価を行っている。つまり情報のランク付けを行っているのである。急いで対応すべきものや無視してもよいものなどを選別している。感情を作りだすとともに、その後の対応方法をも同時に決めているのです。検討・分析に際しては、その人の普段の認知や思考パターンの影響を受けます。先入観や決めつけ、観念的で「かくあるべし」の強い人は否定的な感情がより多く生み出されます。また普段の生活の中で、成功体験を数多く積み重ねていると、積極的で前向きな感情を作りだします。失敗やミスの体験が多い場合や未知の体験の場合は、消極的で後ろ向きな感情を作りだします。情動に基づく条件反射的な行動は人間の意志の自由はありません。感情に基づく行動は、習慣化されたその人の認知や思考パターン、過去の成功体験、失敗体験の積み重ねが大きく影響を与えているのです。森田理論が観念優先ではなく事実優先で物事をよく観察するということ、小さな成功体験を積み重ねることを重視しているのは理にかなっているのです。(復興ストレス 伊藤浩志 彩流社 第2章 脳神経科学から見た「不安」参照)
2022.05.29
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身体醜形障害というのがあります。顔全体、目やまぶた、鼻、体型、髪、肌、唇、脚、髭などを人と比べて気に病んでいる障害です。不安が強くなり過ぎると、ストレスになります。人前に出ることを恐れて日常生活が滞ることになります。整形外科にかかり手術をする人もいます。この問題に真正面から取り組んでおられるのが、鍋田恭孝先生です。「身体醜形障害」(講談社)という本に、その成り立ちや解決方法などを詳しく紹介してありますので、悩んでいらっしゃる方にお勧めします。この本によると、身体醜形障害の悩み方に2つの方向性があると言われています。1、こうあってほしいという自分の姿が鏡の中には見出せず、身体に裏切られていると感じる。完全な容姿でないことが納得できない。2、自分の容姿はおかしい、あるいは容姿におかしな部分があると感じるが、そのような消してしまいたい部位が気になってしまい、鏡で確かめずにはいられない。どちらの場合でも、「このような容姿では相手にされない、受け入れてもらえない、忌避されるに違いない」という対人関係的、社会的な恐れが背景に存在します。(同書88ページから89ページ)鍋田先生は、身体醜形障害で苦しんでいる人は、完全欲の強い人が多いと言われる。イギリスの研究では69%の人が完全主義、完璧主義の人だったといわれる。鍋田先生が身体醜形障害の人に次のように質問するそうです。「超美形を100点、平均点を50点、ひどく容姿が劣る人0点したら、あなたは自分の容姿を難点だと思いますか」これに対する答えは、「0点以外にありません」「点数がつけられないほどひどいです」「マイナス100点です」鍋田先生の見立てでは、ほとんどの人は70点から80点くらいの人だと言われています。看護師さんなどに聞いても大体そんな評価です。本人の自己評価が実態とあまりにもかけ離れているのです。見当違いが大きく、しかも否定的です。この状態になると、雲の上のようなところに自分の立ち位置をとって、上から下目線で現実を非難・否定してしまうことになります。つまり自作自演で苦しんでいるのです。先入観で事実を受けいれない弊害はとても大きいものです。次に、身体醜形障害の人は勝ち負けがテーマになっていることが多いと言われています。つまり負けず嫌いの性格を持っていることが多い。これは神経質性格の特徴の一つになっています。また思い込んだらどんどんエスカレートして、気持ちを他に転換することができなくなります。注意と感覚の相互作用によってアリ地獄に真っ逆さまに落ちていくことになります。森田では神経症的な不安は、欲望の裏返しとして発生するものだと言います。神経症でアリ地獄に落ちてしまう人は、絶えず不安やストレスを問題視して取り除こうとしている人です。森田では不安はそのままにして、エネルギーを生の欲望の発揮につぎ込みましょうという考え方です。そして不安と欲望のバランスがとれ始めると、神経症との葛藤や苦悩はどんどん小さくなっていくという理論になっています。(同書152ページから153ページ参照)容姿に不平不満のある方は、自分は個性派俳優である。この個性を活かす道はないかと、活用の道を探すのは如何でしょうか。それと、例えば髪の毛が薄い人は、歯は丈夫だという人がいます。あるいは、生活習慣病では特に問題点が見当たらない。がん検診でも引っかかったことがない。家系的にはガンにかかった人がいない。心臓病や脳卒中で突然死した人がいない。こうして全体としてバランスがとれていると考えれば、マイナス面だけではなく、プラス面にも光を当てて公平に見ることが肝心ではないでしょうか。
2022.05.28
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不安には現実的な不安と神経症的な不安があると思います。これを区別することが大切です。現実的な不安に対しては、積極的に不安解消に向けて行動することが大事です。たとえば、地震の対応があります。家具や家電製品の転倒防止、戸棚の食器の飛び出し防止、ガラスの飛散防止、非常食や飲料水の備蓄、簡易トイレ、ヘルメット、ライト、ラジオの準備、地域の防災マップの確認、避難場所の確保などがあります。東南海、南海地震はいずれ発生して、津波が発生する確率が高いわけですから、準備を怠らないようにしたいものです。その他不慮の事故や病気に備えて、生命保険、医療保険、傷害保険、自動車保険などに加入しておくことも欠かせません。現実的な不安は、行動することによって、将来のリスクを未然に防ぐことができます。現実的な不安を放置して、災害や事故に巻き込まれると、後悔することになります。これに対して神経症的な不安は、不安を取り除こうとすると、どんどん不安が大きくなるものです。不安に対しては、取り除くための行動は方向性が違います。神経症的な不安は、その裏に欲望や欲求があるために、自然発生していると考えてよろしいと思います。不安を手掛かりにして、自分の欲望や欲求をしっかりと認識することが肝心です。例えば対人恐怖症の人は、人と仲良くしたい、人から良く思われたいという欲望が強いということが考えられます。その欲望を満足させるためには、人の為になることをするが必要になります。人を気持ちよくさせること、他人から感謝されるようになることを見つけることが必要になります。カーネギーの「人を動かす」という本では次のようなことを実行するとよいと言われています。1、誠実な関心をよせる2、笑顔を忘れない3、名前を覚える4、聞き手にまわる5、関心のありかを見抜く6、心からほめるどれもやろうと思えばできることばかりです。対人不安を取り除こうとするエネルギーを、欲求や欲望を達成するために投入することが肝心です。神経症の人は不安にばかりに片寄り、生の欲望の発揮がお留守になっているというのが問題です。それは一人で相撲を取って勝った負けたと一喜一憂しているようなものです。
2022.05.27
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藤井英雄先生のお話です。子どもが親の言うことを聞かずに騒いでいるため、とてもイライラするという状況を考えてみましょう。ここで出てくる感情は「怒り」「イライラ」ですが、それは二次感情です。子どもが言うことを聞かない→自分が馬鹿にされている(悲しみ)→自分は親失格なのではないか(悲しみ)→今後も馬鹿にされ続けるかもしれない(恐れ)→そんな自分は姑、夫、近所の人からも馬鹿にされ、非難されるかもしれない(恐れ)二次感情は横道にそれてどんどん膨れ上がっていきます。怒りは、感情の中でも少し特殊なもので、怒りが単独で発生することはあまりありません。つまり、怒りの前に何か別のネガティブな感情が立ち上がっていることが多いのです。それは、たいていは「悲しみ」か「恐れ」ですが、この場合は子どもがいうことを聞かないことによって、自己肯定感が深く傷ついて、悲しみや恐れの感情が発生し、その結果怒りに転化していると考えられます。このとき、「悲しみ」か「恐れ」という一次感情に気付くことができれば、その後の展開は全く違ったものになります。「そうか。自分は、子供に尊重されていないことがショックだったんだなあ・・・」さらに、「そもそもそれは、自分が子供の頃から親に尊重されずに育てられてきたからだ・・・」といった気づきがあるかもしれません。この一次感情に気付くと、怒りという二次感情は急速にしぼんでしまいます。「子どもに尊重されていないと考えるとショックだが、子どもには子どもの事情があって今は遊びたいだけで、私のことが嫌いだとか馬鹿にしているということではないのかもなあ。姑や夫の目を気にして平常心を失っていたけれど、そんなに気にすることもないのかもしれない。もし非難されたとしても、受け止めることができそうだ」(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版 参照)これは森田理論でいうと、まさに「純な心」の説明です。「純な心」は難しい言葉ですが、最初に湧き起こった感情、素直な感情、初一念という言葉に置き換えておきましょう。森田理論学習を続けている方は、「純な心」の体得は森田理論の核心部分だということはよく理解されていると思います。問題は、生活の場面で、「かくあるべし」を含む観念の世界に振り回されてしまことです。つまりなかなか「純な心」になり切れないということだと思います。藤井英雄先生は、その疑問に見事に答えて下さっています。マインドフルネスを活用することです。マインドフルネスという言葉に嫌悪感を持っている方もおられますが、マインドフルネスは、ネガティブな感情や事実を軽視した観念的な思考に対して待ったをかけるものです。極めて森田理論に親和性があるものです。マインドフルネスは、間を置き、一歩引いて、第三者的立場から、客観的に見つめるというのが一番の要点です。ネガティブな感情や事実を軽視した観念的な思考に対して、両面観、多面観を活用して、偏った考えを自分自身で再考することになります。大いに気づいて、カタルシスを得ることが最終目標となります。その結果、二次感情が暴走することを阻止することができるようになるのです。マインドフルネスの手法は、森田理論を学習して、観念中心の「かくあるべし」から「事実本位」の生活態度を身に着けたいと思っている人にはとても魅力的です。マインドフルネス認知行動療法というものがありますが、マインドフルネス森田療法というものがあってもいいのではないでしょうか。私は、今まで観念中心から事実本位の態度を身につける方法を試行錯誤してきましたが、その中でもマインドフルネス森田療法はその最右翼と考えています。
2022.05.26
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元中日ドラゴンズの山本昌さんのお話です。僕は、毎年のように自分の投球フォームに手を加えているが、実は投手にとってフォームを改良することは勇気のいることなのだ。改良して良い結果が出れば問題ないが、必ずしもそうなるとは限らない。そして、一度変えてしまったフォームはなかなか元に戻しにくい。表面上の動作は同じになったとしても、同じ感覚を取り戻すことは困難なのだ。それでも僕は、まだよくなると信じて改良の道を選択してきた。そのとき、ポイントとなるのが「変えていいものと変えてはいけないもの」の見極めだ。僕の場合、「変えてはいけないもの」のポイントが2つある。1つ目は、球を離すタイミングだ。2つ目は、利き腕と逆の体幹の動きだ。逆にいえば、この2つの動作・感覚以外はどこをいじってもいいと考えている。この考え方は先発ローテーションの調整についても言える。僕は調整のために2回ブルペンに入るようにしていた。これは僕の中では変えてはいけないものだ。そのときの体調に合わせて、球数は変えてもいいが、回数だけは2回で固定する。もし、1回に減らしたら、リズムが狂って、試合に向けてベストなコンディションが作れなくなってします。(山本昌という生き方 山本昌 小学館 69ページ)この考え方はとても参考になります。私は森田理論を生活に応用する場合、ここは変えてはいけないというものを考えてみた。2つあると思います。1つ目は、不安に対する態度です。神経症的な不安は欲望の裏返しとして湧き上がってくるということです。この点は森田理論学習でしっかりと理解してください。ここは森田療法と他の精神療法の違うところです。ですから、不安の解消に取り組むよりも、生の欲望にエネルギーを投入していく。その際、不安の役割を活用して、欲望が暴走しないように制御するように心がければ申し分ない。老婆心ながら、一言付け加えると、現実的な不安の取り扱い方は違います。これは、不安に学び、積極果敢に不安をなくするための行動をとることが欠かせません。2つ目は、観念優先で事実、現実、現状を批判・否定しないということです。この態度は「かくあるべし」を押し付ける態度です。森田でいうと「事実唯真」の態度を貫くということです。どんなに理不尽な出来事が起きても、それを批判、否定しないで、あるがままに受け入れるようにすることです。常に事実優先の態度を前面に押し出し、その後観念優先の理知の力を借りて総合的に判断する態度を堅持することです。逆に言うと、それ以外のことは、少々アレンジを加えてもよい。この2つがぶれないで、たとえ一時的に横道にそれても、元に戻ることができれば大丈夫だと思います。
2022.05.25
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藤井英雄先生は「慈悲の瞑想」について説明されています。泣き叫んでいる子供を見て慈悲の心が芽生えれば、たちまちマインドフルとなり、その場で必要なのが傾聴であることを思い出させます。ところが、泣いている子供が自分を非難しているように感じたり、イライラしている時などはとても傾聴を思い出せません。また思い出したとしても「傾聴などしてやるものか!」と意固地になってしまうこともあるでしょう。そんな時こそ慈悲の瞑想が効果を発揮します。自分と相手の幸せを祈り、自分と相手の悩み苦しみが癒されることを願うとき、心は徐々に穏やかになってマインドフルネスに導かれます。その結果「少し話を聞いてあげようか・・・」と心が動く可能性もあるでしょう。(マインドフルネス「人間関係」の教科書 藤井英雄 クローバー出版 206ページ)慈悲の瞑想は次の言葉をマインドフルに唱えることです。私が幸せでありますように私の悩み苦しみがなくなりますように私の願いごとが叶えられますように私に悟りの光が現れますように私が幸せでありますように(この部分は3回繰り返す)私の親しい人々が幸せでありますように私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように私の親しい人々の願いごとが叶えられますように私の親しい人々にも悟りの光が現れますように私の親しい人々が幸せでありますように(3回繰り返す)生きとし生けるものが幸せでありますように生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように生きとし生けるものが幸せでありますように(3回繰り返す)私の嫌いな人々も幸せでありますように私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように私を嫌っている人々も幸せでありますように私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように生きとし生けるものが幸せでありますように(3回繰り返す)慈悲の瞑想は4段階に分かれています。慈悲の瞑想は、「今、ここ」で自分が慈悲の瞑想を唱えていることに気付きながら唱えます。別のことを考えながら唱えては効果は半減してしまいます。(同書 211ページ)私は森田理論を学習する者として、次の言葉に置き換えて唱えています。私は観念中心の「かくあるべし」を自分自身に押し付けることはしません。私は観念中心の「かくあるべし」を、家族、友人、集談会の仲間に押し付けることはしません。私が嫌いな人、私を嫌っている人に、観念中心の「かくあるべし」を押し付けることはしません。生きとし生けるものの存在価値を尊重し、できるだけ活躍の場と居場所を確保するようにします。生きとし生けるものがみんな幸せになりますように
2022.05.24
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依存症に陥っている人は、それがよくないことは分かっています。アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、薬物依存症、ネットショッピング依存症などです。やめようと思っていたのに、ふと気が付くとまた手を出していた。問題が起きて、ハッと我に返ったら、また手を出していた。ということは、ふと気づくまで、ハッと我に返るまでは、依存症がその後の生活や人間関係に悪影響を及ぼすことを真剣には考えていなかったということになります。それよりは快楽神経系が制御不能に陥っていて、なすすべがないという状態です。この場合は、専門医の治療を受け、自助組織に参加して、時間をかけて依存症から抜け出すことが必要になります。依存症に限らず、やめようと思っていたのに、ふと気が付くとまた手を出していた。問題が起きて、ハッと我に返ったら、また手を出していたことはよくあります。たとえば、短気な人が、もう怒りを爆発させることはやめようと思っていたのに、また暴言を吐いてしまった。仕事はサボらないようにしようと思っていたのに、ふと気が付いたらまたサボっていた。神経症の人が、森田理論学習で不安と格闘してはいけないことは分かっていたはずなのに、ハッと我に返ったら、また不安を取り除こうとしていた。なすべきことから逃避してはいけないということは分かっていたのに、ハッと我に返ったら、また逃げていた。問題が起きた後に、ふと気が付く、ハッと我に返ったというのでは遅すぎるのです。問題が起きる前に、ふと気が付く、ハッと我に返ることができれば、その後の展開が大きく違ってきます。はたしてそんなことが可能なのか。精神科医の藤井英雄先生は、マインドフルネスの手法を身につけることで可能になると言われています。マインドフルネスとは「今、ここ」の現実にリアルタイムかつ客観的に気付いていることです。怒っている時、自分が怒っているということに気付いていること。嬉しい時、自分が喜んでいると知っていること。悲しい時、自分が悲しんでいると気付いていること。問題が起きた時や欲求不満の気持ちが湧き上がってきたとき、普通は怒り、不満、不安、恐怖、悲しみ、嫉妬などのマイナス感情で頭の中がいっぱいになります。このとき、一歩引いて、第三者的な立場から、客観的にそのマイナス感情を眺めることができたら、その後の展開は大きく違ってくると言われているのです。どうすればそんなことができるのか。私は、私の中に第三者的な立場から、客観的にその感情を見つめることができる人を持っておくことが有効だと考えています。何のことは分からないかもしれません。もう少し説明します。このブログでは「森田生涯」というハンドルネームを使っています。この森田生涯さんに、自分のマイナス感情や「かくあるべし」を含んだ考え方を客観的な立場から見つめてもらうのです。感情のラベルを張り、実況中継をしてもらうのです。たとえば、「いま、ここ」の感情に不安というラベルを張ってもらう。問題ある出来事、それに対して湧き起こってきたマイナス感情を実況中継してもらうのです。こうすれば、いったん間を取り、一歩引いて、第三者的な立場から、客観的にその感情を見つめることができるようになると考えています。これを身につけると、衝動的な感情の取り扱い方がすぐに変わります。藤井先生は次のように述べておられます。今、気付く直前まで怒り心頭に発して烈火のごとく怒っていたとしても、はっと我に返った瞬間にその怒りのパワーは半減しているはずです。取り返しがつかない状況でどうしようとクヨクヨしている時でも、自分がつまらないことにとらわれていたことに気付いてほっと一息つけることもあります。そんな時には、別の解決策を思いついたりします。「はっと我に返ったらまた怒っていた」「ふと気が付いたらまたクヨクヨしていた」その「はっと我に返った」「ふと気付いた」瞬間は自分と自分を取り巻く現実を一歩引いた視点から、冷静な気持ちで見ることができます。その瞬間がマインドフルネスです。(マインドフルネス「人間関係」の教科書 藤井英雄 クローバー出版 165ページ)
2022.05.23
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対人関係で悩んでいる人は、私と相手の間に解決しなければならない問題点や欲求不満が存在していると考えて対応するのは如何でしょうか。これをもう少し詳しくみると4つのパターンがあります。1、私も相手も問題点や欲求不満は全く感じていない。二人は対立していない。穏やかな関係にあります。2、私だけが相手に対して問題点や欲求不満を感じている。相手は私に対して問題点や欲求不満を感じていない。3、私は相手に対して問題点や欲求不満を感じていない。相手が私に対して問題点や欲求不満を感じている。4、私も相手もお互いに問題点や欲求不満を感じている。対人関係を改善するにあたっては、二人の関係がどのパターンであるかを認識することが肝心です。パターンの認識がはっきりしていると、次に取り組むべき課題が明確になります。1のパターンは、他人と交流することは楽しみそのものです。飲食、趣味、カラオケ、スポーツ、共同作業、学習など一緒になって精一杯楽しむことができます。2のパターンは、自分の気持や感情、欲求や欲望を相手に理解し分かってもらうことが必要になります。自己主張することを、別名アサーションと言います。正しいアサーションの技術を身につけることが大切です。技術はいろいろあるでしょうが、ここでは一つだけ挙げておきます。ここで大いに役立つのは、「私メッセージ」の活用です。これは森田理論学習の中で耳にされた方も多いでしょう。「私」を主語にして自分の気持や感情、欲求や欲望を相手に伝えるようにする。ただし、その要求を相手が飲むかどうかは分かりません。飲むか飲まないかは、相手に決定権があるという考え方です。「私メッセージ」の活用は、相手に「かくあるべし」を押し付けないので、反発されることがありません。「私メッセージ」の反対は、「あなたメッセージ」です。「あなた」を主語にして、自分の気持や感情をあらわにし、欲求や欲望を無理やり飲ませることになります。非難、説教、命令、指示、叱責、脅迫することになります。この方法では人間関係が簡単に壊れてしまいます。3のパターンの場合は、相手の気持ちや感情、欲求や欲望を十分に聞いて理解することが大切になります。ここでは「傾聴の技術」が必要になります。傾聴というのは、自己主張を抑制して、相手の話に真摯に耳を傾けることです。しかし、これは「言うは易く行うは難し」です。批判、否定、善悪の評価の言葉は避けることです。安易な同意も危険です。すぐにアドバイスをするのもいただけません。アドバイスしたくなっても我慢してひたすら相手の話を聞くことです。傾聴の上手な人(たとえば集談会の先輩会員、カウンセラー)に話しを聞いてもらっていると、安心して自己開示できます。その結果、より深く自分と向き合うことができるのです。自己開示が進んでくると、自分が今まで気づくことができなかった無意識に隠れていた気持・感情・かくあるべしを含む思考パターンに気付くことができるようになる場合があるのです。普段の生活の場面では、ほとんどあり得ないことが起きるのです。これがカウンセリングや傾聴の醍醐味と言われています。これが自覚できると、その後の対応方法が変わってくるからです。カウンセリングの目的は、カウンセラーの力を借りて、本人が気づきや自己洞察を深めることにあります。傾聴の手法としては、タイミングよくうなずき、あいづちを打つ。相手の話をオウム返しに繰り返すなどがあります。基本的なことを抑えておくと役に立ちます。4のパターンの場合は、「傾聴」と「アサーション」の二つの技術が必要になります。まず相手の言い分を吐き出してもらう。自分としては傾聴に徹する。その次の段階は、自分の気持や感情、欲求や欲望を相手に伝える。二人の間に横たわっている問題点や課題をお互いに共有化する。双方が妥協点を目指して対等な立場で話し合いや交渉をおこなう。譲ったり譲られたりしながら、ほどほどのところで折り合いをつける。お互いに協力してwin winの人間関係を作り上げることです。人間関係に問題を抱えている人は、まずどのパータンに当てはまるかを明確にする。次にパターンに対応した方法で対人関係の改善を目指す。傾聴やアサーションの技法は確立していますので、あらかじめ学習しておくと役立ちます。
2022.05.22
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私の趣味の一つは、音楽のコンサートに出かけることです。今日は吹奏楽の演奏会に出かけました。歩いて15分のところにある区民文化センターで開催されました。コロナ禍で長らく中断していましたが久しぶりでした。この吹奏楽団も3年ぶりということでした。写真はアンコールで「それいけカープ」「ラデツキー行進曲」のときのものです。ここの吹奏楽団の特徴は、うたごえコンサートを行っていることです。今日は「ふるさと」を小声で歌いました。アンケートの要望に応えて、時代、高校三年生、川の流れのように、三百六十五歩のマーチなどを演奏するそうです。楽器の演奏は森田実践になります。演奏できるようになるまでは大変ですが、人前で演奏できるようになるとしめたものです。おひとつどうですか。私は下手くそですが、チンドン屋のグループに所属して老人ホームの慰問活動をしています。7月から少しずつ再開します。そのための練習が始まりました。
2022.05.21
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2つの鉢でメダカを飼育している。右の丸いツボの鉢は直径30センチある。約7リットルの水が入る。リサイクルショップで2000円で購入しました。白いメダカが6匹元気に泳いでいる。このメダカはホームセンターで1匹170円で購入しました。左の鉢は上からカルキ抜きの水を継ぎ足してやると、底面スノコから汚れた水が排水されるようになっている。つまり水替え不要である。メダカを飼育するまではこんな便利なものがあることを知らなかった。ホームセンターに行けば大きさや形の違うものがいろいろと取り揃えられている。私は20センチ角の小さいものを購入した。ここには赤と黒のメダカが4匹泳いでいる。いずれの鉢にもホテイアオイという水草を入れている。これに卵を産み付けて、メダカが増えてくるそうだ。ちなみにメダカの寿命は1年から2年だという。餌は「めだかの主食」の顆粒タイプを朝と夕方与えている。餌を与えると底にいたメダカがすぐに水面近くに集まって来て餌にぱくつく。最初のうちは人間が近づくと逃げ回っていたが、現在は近寄ってくるようになった。見ていて癒される瞬間である。食べ終わるまでメダカの鑑賞をしている。ただし餌の与え過ぎには注意している。丸いツボの鉢は1週間に一回スボイドのような吸引器で底にたまった糞や餌の食べ残しなどの汚れを吸い上げている。水位が3分の一になるまで吸い上げて、カルキ抜きの水を少しずつ継ぎ足して満杯にする。こうすると底まで水が澄んでくる。メダカの飼育にはフィルター付きのろ過機は不要だと思う。それでもメダカが気持ちよさそうに泳いでいるような気がしている。私の知り合いは火鉢で飼っている。底に竹炭を入れている。私もそれを真似た。なお備前焼の鉢は水質をよくしてくれるそうだ。でもやはり10日に1回くらいある程度の水替えは必要になるだろう。ベランダで飼育しているので日が当たる時間帯は発泡スチロールをかぶせている。ホームセンターに行けば、白、ピンク、赤、まだら模様、光るメダカなど様々なメダカが販売されている。慢性的にストレスでイライラしている人は、メダカの飼育に取り組むことをお勧めします。メダカの世話をすることで、ストレスやうつ状態の改善ができます。
2022.05.21
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勉強がとても嫌いな小学5年生が入塾してきて、この子に学習習慣をつけたいと考えた時、優秀な塾の先生はどうすると思いますか。まずは4年生用や3年生用のテストをやらせるのです。もちろん、学年が書いてある部分は、見えないように消してからです。すると、たいていの子は100点かそれに近い点がとれます。それでもかんばしい点数が取れないようなら、2年生の問題をやらせることもあります。こうして100点をとれるレベルが判明したら、同レベルのテストを繰り返し解かせて、「100点が獲れた」という成功体験をどんどん積ませてあげるのです。すると達成感とともに「やればできるじゃん」という自信が芽生える。そうなると、そのうち自分からテスト勉強をするようになります。これは子供の教育の原則です。最初から難しい問題を与えたらどうなるでしょうか。「自分にはできない」という気持ちが強くなりその子は勉強をあきらめてしまいます。早い段階でこうした達成感をたくさん持たせることで「やればできるんだ」と思えるようになるので、そこから徐々に、レベルの高い課題を与えていく。(教える技術 石田淳 かんき出版 102ページ参照)自信を持たせて人を育てるというやり方は会社でも同じです。会社で営業している場合、年間の売り上げ目標が与えられます。それをもとにして1か月ごとの目標数値がでてきます。前年度実績よりも通常は高めに設定されています。結果が出ると営業会議があります。目標を上回った営業マンもいますが、未達の営業マンも数多い。そんな状況で、上司は未達の営業マンに向かって「やる気はあるのか」などと叱責します。部下が「どうすればいいのでしょうか」というと、「やり方は自分で考えろ」と言います。新人や仕事のやり方が分からない営業マンには酷な言葉だと思います。上司は部下の営業に同行して、部下の営業ぶりをつぶさに観察する必要があります。そして自分の経験をもとにして、部下の営業の問題点を見つけて、細かく指導することが大切なのではないでしょうか。それが上司の役割です。営業という仕事を細かく分析してみると、最低限外してはならないポイントがあります。1、身だしなみをチェックする。2、目的や目標を明確にして、提案営業の準備をする。3、面談目的と商談内容の説明(アポイントを取る)4、訪問時間を守る。5、名刺枚数の確認。6、1日のスケジューリングの作成。ホワイドボードに訪問先と帰社時間を記入する。7、訪問相手(キーマン)の確認。8、提案以外の余談の話を準備する。9、訪問前の挨拶の準備。10、顧客先情報の研究と把握。11、営業車の清掃。12、得意先の場所、駐車場、入り口の確認。13、上司とのすり合わせ。14、日報の作成と報告。(同書 65ページ)新人や実績の上がらない営業マンは、これらが不十分ことが多い。そこで上司は営業マンの基本行動をよく観察して問題点を掴む。改善できるように指導していく。できるようになったら評価する。そして次の課題に取り組ませる。レベルアップした課題に取り組ませる。つまり結果だけを取り上げて善悪の評価をするだけでは不十分ということです。そこに至る過程を大事にして、成功体験を積み重ねるように心がける。基本行動が正されて、小さな成果に結びついて、成功体験を積み重ねる。それが一人一人の営業マンに寄り添い、営業マンに自信を持たせて、人を育てるということになるのではないでしょうか。営業マンを育て、課や部として成果を上げることは、子育てと同じでこんなにうれしいことはない。反対に裏目に出るとこんなにつらいことはない。
2022.05.20
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昨日の続きです。自分を客観化する手法として「ラベル張り」というのがあります。マインドフルネスとは、リアルタイムかつ客観的な気づきです。客観的とは何でしょうか。それはネガティブな感情や思考に対して、善悪、好悪の評価をしないということです。「ネガティブな思考はイヤなものだ」「悪いもの、避けるべきものだ」「ポジティブに考えるべきだ」「ネガティブな自分ではダメだ」そのように評価してしまった瞬間、もうマインドフルネスではありません。マインドフルネスとは、あるがままの現実をあるがままに感じることです。この場合のあるがままの現実とは、「ストレスやプレッシャーのもと、ネガティブ思考してしまった」ことです。この場合、ネガティブ思考してしまうという現実を、あるがままに感じればよいのです。たとえば、友人にメールしたのに返事がこない。友人は私のことを大切に思っていない。嫌われているかもしれないという気持ちになった。自分が悲しんでいるという感情に気付いたら、早速「悲しみ」「不安」「怒り」などとラベリングするのです。それでどうなるでしょう。ラベリングはマインドフルネスを強めます。悲しみや不安や怒りから一歩引いた視点に立ち、少し冷静な見方ができるでしょう。注意点として、ラベリングは3秒以内に行うことをお勧めします。悲しみ、不安、恐れ、嫉妬、イライラ、怒り、自己嫌悪、同情、刹那的な喜びなどのラベリングは3秒以内に行うのがコツです。どんなネガティブな感情が生まれたとしても、その感情が生まれたことはあなたの「あるがまま」の現実です。その現実から目をそむけ、こんな感情をもってしまった自分を責めることなく客観化することは「あるがまま」の自分を受け入れることにつながります。「あるがまま」の自分を否定するのではなく、肯定するのでもなく、感じ、理解し、そして受け入れるのです。(マインドフルネスの教科書 藤井英雄 クローバー出版参照)これは森田が目指している観念優先の態度を事実本位の態度に切り替えるために、大いに役立つと考えていますが如何でしょうか。
2022.05.19
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藤井英雄先生のお話です。マインドフルネスは自分を客観化する技術です。キーワードは「今、ここ」です。「今、ここ」の現実にリアルタイムかつ客観的に気付いていくことがマインドフルネスです。この考えは、新鮮でした。今までマインドフルネスは瞑想のことかと思っていました。森田理論の「事実本位」に近づくための方法として活用できるように思いました。さて、神経症で悩んでいる人は、観念優先の態度が強い傾向があります。その結果次のようなことが起きています。・不都合で理不尽な出来事に対して、ネガティブな感情やネガティブな思考が湧きあがってきます。・事実を軽視、無視、捏造することが多くなっています。早合点、先入観、決めつけ、常識、ルール、規範、習慣を優先して事実を詳細に観察することがおろそかになっています。・強力な「かくあるべし」で事実、現実、現状を受けいれることが困難になっています。私の場合でいえば、他人からバカにされるような弱点、欠点、ミス、失敗を隠そうとします。他人が高く評価してくれることに取り組んで結果を出さないと、孤立してしまうという恐れがあります。森田では、観念優先の態度から、事実本位の態度に切り替えることをお勧めしています。しかしこれは言うは易く、実行は難しいというのが本音です。藤井先生の説明では、マインドフルネスに取り組めば、そのことが可能になると言われています。どうすればそのことが可能となるのか。まず瞑想があります。呼吸瞑想、歩行瞑想、眺める瞑想、身体を感じる瞑想、腕の瞑想、皿洗い瞑想、食べる瞑想、感謝瞑想、レーズン瞑想、慈悲の瞑想などを説明されています。その他アファメーション(自己肯定宣言)なども説明されていました。(マインドフルネスの教科書 藤井英雄 クローバー出版)その中でも私が注目しているのは、自分の気づきにラベルを張る、実況中継をするというものです。特に実況中継はとても優れた手法になると考えています。上司にみんなの前で罵倒されたという例で実況中継を簡単に説明してみます。ただいまレポーターの私○○が事件現場に到着しました。私が手配ミスをして間違った商品がお客様のところに届きました。これは完全に私のミスでした。直属の上司が逆上して、みんなの前で私を叱責しております。「どうしてくれるんだ。大事なお客様を怒らして。この責任は必ず取ってもらうからな。うわの空で仕事をしているからこんなことになるのだ。お前はうちの会社の足を引っ張ってばかりだ。サッサと辞めてしまえ」これに対して○○(自分のこと)は、大きく動揺しています。恐ろしさで、いたたまれない状態です。さらに自己嫌悪に陥っています。一刻も早く逃げ出したい気持ちになっています。上司に対して、何もそこまで言わなくてもと思っています。めらめらと反発・怒りの感情が湧き起こってきました。以上事件現場からの実況中継でした。その後また新しい情報が入り次第報告します。このように実況中継ができれば、上司の態度に腹を立てて反撃することは少なくなると思います。なんとか踏みとどまることができるような気がします。動揺が早く収まります。気分を切り替えることができます。そして、次に問題解決ためにどんな方法があるかを考えることができるようになります。実況中継は、ネガティブな感情や考え方に対して一旦立ち止まり、第3者の視点から、客観的に振り返って気づくことが可能になるのです。これは問題が生じた生活場面で、実際に試してみることが必要になります。今まで売り言葉に買い言葉で対応していたことが、間をとれるようになれば、その後の展開は大きく違ってくるように思います。
2022.05.18
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人生で大切なことが2つあると思う。1、与えられた命をできる限り大切に取り扱い天寿を全うすること。2、生活していく中で目の前に現れる問題や課題に対して逃げないで真摯に向き合うということ。簡単なことのように見えますが、目の前に大きな壁が立ちはだかっていて、容易には乗り越えることができません。1についてですが、樹木希林さんがおっしゃっているように、この命は神様からお預かりしているものという気持ちを持っていたほうがよいと思います。市民菜園やレンターカーを一時的にお借りしているようなものだという認識です。借りている間は丁寧に取り扱い、借りた時よりも良い状態にしてお返しする。次に天寿を全うするためには、エネルギーの補給が欠かせません。エネルギーの補給は、他の生き物の命をいただいて初めて可能となります。その相手も天寿を全うしたいと思っていることを忘れてはいけません。ですから欲望の追及は抑制力が必要となります。2についてですが、森田理論でいうと「努力即幸福」にあたると思います。これは人間本来の生き方になります。でも努力することはしんどいです。面倒なことです。苦しいこともあります。また、挑戦したことがかならずしも成功するとは限りません。さらに今の世の中は、快楽の誘惑が多すぎて、ついそちらの方に流されてしまいます。この2つの大きな壁を乗り越えて、成果を上げるためにはどんなことを心掛けていけばよいのでしょうか。1については、自己中心が暴走しては成果は上がらないと思います。争いが繰り返されて自他ともに破滅の道を突き進みます。むしろ自分の欲望を抑えて、「物の性を尽くす」「他人の性を尽くす」を前面に押し出す方がうまくいくと思います。相手の存在価値を認め、活躍の場を与える。居場所を確保してあげる気持ちが必要になります。そうすれば両者の関係がよくなり、バランスがとれてくるように思います。その中で、お互いに天寿を全うすることが可能になるように思われます。2についてですが、森田理論では凡事徹底をお勧めしています。日常茶飯事に全力で取り組むことです。実践・行動は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心掛けてみましょう。最初から大きな課題や目標、夢や希望を追い求めるよりも、まず足元を固めることが大切になります。そこからゆとりがあれば課題や目標をステップアップすることが大切です。
2022.05.17
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人間関係をよくしたいと思っている人にとっておきの本を紹介します。「人間関係にうんざりしたときに読む本」(杉本良明 日本実業出版社)です。「どんなきつい相手とでもうまくいく対人心理術」という副題がついています。「それを早く言わんか、バカモノ」「だから、お前はダメなんだ」「そんなんじゃ話にならん、やり直しだ」「作業に時間がかかりすぎているのは、君の努力が足りないからだ」「何回言えばわかるのだ。真面目に仕事をしろ」上司からこんなことを言われると、普通の人は反抗的な態度になります。問題点としては、行為の指摘と人格の批判がごちゃ混ぜになっていることです。やり方の問題点や改善点だけを指摘されると、言われた方の受け取り方は違ってくるのではないでしょうか。例えば、「納期がないから、もう少し急いでやってください」「ミスや失敗は誰にもあります。すぐに報告してください」「仕事のやり方が間違っています。基本にのっとってやってください」「仕事は会社で決められているマニュアル通りにおこなってください」これらは仕事の改善指示・命令です。相手の人間性や存在価値を否定しているのではないのです。杉本氏は、相手の人格や存在価値を否定する言葉は、たとえそれが間違っていなくても、厳に封印する必要があると言われています。相手に向かって、批判、否定、叱責、脅し、罰を与える、暴言を吐く、暴力をふるう、無視する、バカにする、からかうなどは慎むことが大切です。人間関係がうまくいかない人に限って、これらの手法を多用して、墓穴を掘っている。幼児並の言動ですが、習慣化していて、本人は制御不能に陥っている。そんな人に対して、杉本氏は次のように助言されています。自分の不快な感情を払拭したくなっても、その前にやるべきことがある。それは一旦相手の感情を肯定する、承認するということです。「分かる、分かる。その気持ちはよく分かります」「そうおっしゃるのも無理はない」「すみません。全くおっしゃる通りです。まことに申し訳ございません」感情を承認するとは、相手の話をほめたり、賛同することではありません。また相手の考えや意見、見解を肯定、同意する必要はありません。相手の感情を承認するだけの事ですから、間違えないでください。これを身に付けるためには、まず自分の感情や自分自身を自己承認する必要があります。自己承認ができない人は、他人を承認することはできないといわれる。自分の不安、恐怖、違和感、不快感をあるがままにうけ入れる。「かくあるべし」を封印して、事実に素直に寄り添うようにする。自分の感情や思考、ミスや失敗、欠点や弱点などを受容・許容する態度を養成することです。そのためには、誰でも自分という一人の人間の中に、二人の自分が住み込んでいます。葛藤や苦悩している自分と、その自分を絶えず非難・否定しているもう一人の自分が同居しているのです。雲の上の方に居座っている自分が地上に降りてきて、事実や現状に寄り添うようになると、問題は解消してきます。このようにして自己肯定感が育ってきた人は、同時に他人の感情を肯定・承認することが可能になると言われているのです。これを身に付けるためには、森田理論学習の「事実本位の態度の養成」が大いに役に立つと思いますが如何でしょうか。
2022.05.16
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近くの緑化公園を散策しました。今日は坂道7000歩のウォーキングでした。鳥のさえずり、池を悠然と泳ぐ鯉に癒されました。犬の放し飼いスペースには多くの犬が駆け回っていました。
2022.05.15
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柏木哲夫医師の話です。橋を架ける工事の現場の責任者の男性がいた。その人は48歳の奥さんを卵巣がんで亡くされた。ちょうど大切な橋の工事をしておられた。たまにしか奥さんの見舞いに来られなかった。奥さんが亡くなった時、葬儀だけを済ませて、すぐに現場に戻られた。仕事が忙しくて悲しんでいる暇がなかったのだ。ところがその後3~4か月で工事が終わり、ホッとした時から急速に悲しみと落ち込みが始まった。ものすごく悲しく辛く、全く会社に行けなくなった。そして半年くらい会社を休まれた。結果的には元の生活に戻るのに、2年くらいかかった。本当に悲しむべき時に悲しむことができなかったので、あとから悲しみが出てきたのである。「あの時にきちんと看病してやれなかった。きちんと悲しんでやれなかった」という罪悪感のようなものも加わり、ぐっと病的に重い状況になってしまったのである。悲しいとき、辛いときに、十分に泣いた人は比較的早く立ち直っている。ところが十分に泣かなかった人は、ずるずるとまだ悲しみを引きづっている。うつ状態が残っていたり、不安に思ったり、ちょっとしたことでイライラしたり、とすっきりしていない。(人生の実力 柏木哲夫 幻冬舎 99ページ 80ページ)森田先生は一人息子の正一郎さんを亡くされたときは、出棺の時に人目をはばからず大泣きされたそうです。しかしその後は何ごともなかったかのようにふるまわれたので、形外会の香取会長は大いに驚いたと報告されています。悲しいとき、辛い感情が湧き上がった時、むせび泣きをすることがあるだろうか。家族が亡くなった時に、涙も出てこなかったという人はいないでしょうか。大勢の前で泣くのはみっともない。こういう時こそ悲しみを抑えて気丈夫にふるまってしまうということはあるでしょう。でも泣きたいような気持が湧き上がってこないのは不自然です。普段から感情をより深く味わうということができなくなっているのかもしれません。特にマイナスの感情を目の敵にしている。大切に扱っていない。森田理論では感情は一山駆け上って、下り坂に向かうと言います。そしてどんな激しい感情でも時間の経過とともに鎮静化してくると言います。ここでもし一山登らなかったらどうなるでしょうか。その感情は下り坂に向かわないで、くすぶり続けるのではないでしょうか。悲しみ、辛い、不安、恐怖などのマイナス感情が生殺し状態で放置されると、心身に計り知れない悪影響を及ぼします。それを回避するためには、マイナス感情を味わい尽くすのが正しい対応方法となります。できれば思い切り泣いて、涙で洗い流すようにする。その方がより早くマイナス感情を手放すことができるようになります。
2022.05.15
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今日は他人から「かくあるべし」を押し付けられた場合の、対応方法を考えてみたいと思います。具体的には、批判、非難、否定、叱責、軽視、無視、からかい、脅迫されるなどです。こんな場合、「目には目を、歯には歯を」という感じで反撃している人はいませんか。私も恥ずかしながら、森田理論を学習する前は、そんな感じでした。反撃しないと、自尊心というプライドが許さない。不快感が治まらない。ついやり返してしまう。後で後悔するが、人間関係はもとには戻らない。暴言や暴力に訴えた場合は、悪評が広まって四面楚歌になってしまう。森田理論学習によって、せっかく「かくあるべし」の弊害を学習しているのですから、これを人間関係に応用してみませんか。相手の「かくあるべし」をいったん受け入れるのはどうでしょうか。どんな理不尽なことを言われても、どんなに間違っていることを言われても、人格を否定されることを言われても、反撃を控えていったん受け入れるのです。ここで役立つのは、「お客様相談室」の対応です。普段は冷静な人でも激昂して、人様には言えないような暴言を吐いてきます。ここでは売り言葉に買い言葉の対応は厳に戒めるように言われています。相手の怒りが収まるまで、どんどん吐き出させるようにするのです。「ご迷惑をおかけしております」「ご不便をおかけしております」「ご心配をおかけしております」こちらから言うことはこれくらいのものです。感情は一山登った後は、下り坂に向かうのですから、時間の経過をひたすら待つ戦略です。こちらが反撃しないと、そのうち相手は張り合いをなくしてしまいます。いつのまにか最初の勢いはしぼんでしまいます。この段階をスキップすることは、事態をさらに悪化させて、修復困難になります。この段階を無事に通過すると、ひとまず消火活動に成功したことになります。落着いたころを見計らって、クレーム内容について、少しずつ聞き出していくようにするのです。問題点が判明すれば、解決の道が見えてきます。配偶者、親、子供、上司、同僚、友人などから、「かくあるべし」を押し付けられたときは、森田理論を活用するチャンスが到来したと考えるのはどうでしようか。相手の「かくあるべし」に対抗しないで、まず受け止めるようにする。相手の不快な感情、気持ちだけを一旦受けいれるということです。ここがポイントです。ただし、相手の要求をすべて飲む必要はありません。あくまでも相手の感情にそっと寄り添うということです。全てにわたって相手の言いなりになるということではありません。相手の言いなりになると支配・被支配の関係になってしまいます。マイナス感情を承認するだけで、相手の主張に同意することではないということは、はっきりさせておきましょう。そして時間の経過をしばらく待つ。そして落ち着いた時を見計らって、自分の言いたいことも相手に伝える。大きな溝が横たわっていれば、話し合いによって調整して行く。お互いが納得できる妥協点を探る。譲ったり、譲られたりして何とかバランスをとっていくことが肝心と心得ることです。
2022.05.14
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権藤博さんのお話です。WBSCプレミアの時の韓国戦です。8回則本選手が韓国打線を3者凡退に切って取りました。この時点で日本が3点リードしていました。9回は抑えピッチャーに変わるかと思っていると、則本が続投しました。結果は4点取られて逆転されました。権藤さんは結果論ではなく継投の失敗だと言われている。イニングをまたいで投げるということは、一度ベンチに下がって味方の攻撃が終わるのを待つわけです。これがいかんのです。ベンチで休んでいる間にもう戦いの気持がなくなってしまう。急に気持ちが守りに入るのですよ。プレミア12のケースだと、8回に3者凡退と、なまじいい仕事、最後の仕事をやったもんですから、また次も完璧にやらなければいけないと考えてしまうのです。しかし3点差もある。こんなところでやられたらと・・・と余計なことが頭をめぐるのです。味方の攻撃の間、ベンチにじっと座っている時間。あれがいけないのです。あそこでピッチャーはいろんなことを考えるのです。(継投論 権藤博 二宮清純 廣済堂新書)これに関連して、森田先生は形外会で次のように話しされている。自動車酔いをした場合、吐けば楽になるとか考えて、決して気を許してはなりません。断然耐えなければいけない。このとき、ちょっと思い違いやすい事は、自分の苦痛を見つめていると、ますます苦しくなるような気がして、ツイツイ気を紛らせて、他の事を考えたりしようとする事である。早く行き着いて寝ようとか、ここまで来たから、もう十分だとか、都合の良い・楽な事を考えようとするからいけない。こんな時、もう2、3分というところで、安心し気がゆるんで、急に吐き出すような事もある。(森田全集 第5巻 455ページ)この話は緊張した状態から、急に弛緩状態に切り替わった場合は、元に戻すことは至難の業であると言われている。気を緩めたときに相手の反撃にあい、これではいけない。緊張感を取り戻そうと思った時にはすでに時遅しということになる。これは自律神経でいうと交感神経優位だったものが、急に副交感神経優位のリラックスモードに切り替わったということです。これを短時間で切り替えられるように人間の体はできていないのです。こうなると勝敗に大きな影響を及ぼすことがあります。それだけではない。風邪もひきやすくなる。思わぬケガもしやすくなる。最後まで緊張状態を保つことが大事になります。勝ちを確信して気を緩めてしまうのは最も危ない。さらに、レースが終わったあとも、ソフトランディングを心掛けて、緊張状態を徐々に緩めていくことが大事です。そしてアフターケアを忘れないことです。
2022.05.13
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林成之先生のお話です。プロ野球のバッターは、時速150キロものスピードで向かってくる豪速球を打ち返しています。これは、少し考えてみれば神業ともいえるすごいことで、脳の高度な働きなくしては不可能な運動なのです。ピッチャープレートとホームベースの間の距離は18.44mです。ピッチャーが時速150キロ以上のボールを投げたとき、ホームベースに到達するまでの時間は単純計算で0.45秒を切ることになります。一方で、プロのバッターがバットをスイングするのにかかる時間はおよそ0.2秒といわれています。また、脳が体に命令を下してから実際に体が動くまでの神経反応には、約0.3秒弱を要します。すると、脳がボールを見て「打て」と体に命令してから、実際にスイングを完了するまでには合計で0.5秒弱の時間が必要ということになります。つまり、ほんの少しだけボールが到着する時間のほうが短いため、理論的にはバッターが150キロのボールを打つことはできないのです。しかし実際にはプロの選手は150キロ以上のボールでもホームランにしてみせることがしばしばです。これはいったいなぜなのでしょう?「イメージ記憶」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、物事をありのまま記憶するのではなく、その物事についてのイメージを自分の頭の中で作り上げ、それを記憶することを言います。バッターは、ピッチャーが投球動作をしている段階から、ボールが手元にくるまでの軌道のイメージ記憶をもとに予測して、バットを振るのです。経験を積めば積むほど、ボールの軌道の記憶はたくさん蓄積されていきます。バッティングの達人とは、過去に成功したときのイメージ記憶を膨大に蓄え、それをあらゆるボールに対して当てはめることができる人です。記憶中枢は海馬と言われています。しかし海馬の記憶は短期記憶です。短期記憶は、すぐに忘れ去られてしまいます。短期記憶をバッターが脳内で再構成して「イメージ記憶」としていかにたくさん蓄積しているかどうかが肝心ということになります。(勝負脳の鍛え方 林成之 講談社現代新書参照)この話は、森田理論学習をしている私たちにも大変興味深いものです。私たちが行動する時には、過去の「イメージ記憶」を引っ張り出して思案しています。「イメージ記憶」にはプラスとマイナスがあります。小さな成功体験を積み重ねている人は、プラスの「イメージ記憶」が積み重なっています。それが下支えとなって、「大丈夫、今度もきっとうまくいくはず」と勝手に思ってしまいます。すると、その情報は腹側被蓋野に送られて、ドパミン主導の報酬系神経回路を駆け巡ります。側坐核や前頭前野が強力にバックアップしてくれますので、今度もまた成功の確率が高くなります。ミスや失敗の体験が積み重なっている人は、マイナスの「イメージ記憶」が積み重なっています。それらの情報は青斑核に送られて、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路を駆け巡ります。脳全体が専守防衛態勢を敷いてきますので、仮に手を出したとしても、また失敗を積み重ねることが多くなります。この理屈が分かれば、いかに小さな成功体験を積み重ねることが大切かが分かります。その体験をプラスのイメージ記憶として整理して蓄積していく。日常生活の中で小さな成功体験を積み重ねて、日記などに書いていくという習慣が大切になります。
2022.05.12
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神経症に陥ると不安にとらわれて、不安は大きく膨みます。イライラして苦しくなります。生活の悪循環が始まります。不安は憎むべき相手となります。でも人類の進化の過程で、不安という感情が淘汰されなかったのは、人間が安全に生き延びていくために必要不可欠なものだったのではないでしょうか。今日は不安が果たしている役割について考えてみたいと思います。不安が湧き上がると、その原因を特定して除去しようとします。除去できないときは、安全なところに逃避することを選択します。でも不安は心身の安全を確保するために必要なものです。誰でも敏感に反応するようになっています。特に神経質者はその機能がより繊細です。不安の特徴は、注意や意識を一点に集中させるということだと思います。不安が湧き起こらなければ注意や意識を集中させることはないと思います。これが大きな意味を持っているとみています。例えば自動車を運転している時を思い出してみましょう。交差点に入って右折する時、ウィンカーを出します。横断歩道に歩行者はいないか。対向車はいないか。時には市電が近づいていないか。さらに信号は青色か、黄色か、赤色か。赤色でも青の矢印が点灯していないか。青色で右折を敢行する時は、さらにその先の交差点に人はいないか。遠くから近づいている自動車のスピードなどにも注意を払っています。自動車を運転する人は誰でも道路交通法の知識があります。そして過去の沢山の経験が活かされています。これはワーキングメモリーと言います。これらをすべて統合しながらスムーズに右折することができるのです。このとき精神は適切に右折をするために緊張しています。注意や意識は事故を起こさないように集中しています。不安があるために、神経を集中せざるを得ない状況になっているのです。不安があるときはノルアドレナリンの防衛系神経回路が作動している時です。防衛系神経回路は、心身を守るために注意の一点集中が起きているのです。これは仕事を間違いなくこなしていくために必要なことです。ですから、防衛系神経回路は「仕事脳」と呼ばれています。「仕事脳」は精神の緊張、集中力を生み出します。その結果、よりよい仕事ができているのです。ここで不安がない状態のときはどうなるでしょう。例えば、飲酒運転の場合です。意識は朦朧としています。当然緊張感もなく、不安も湧き上がってきません。これはとても危ない状況です。こんな状態で運転をしてはいけませんね。注意や意識を集中させて行動しなければいけないときに、脳がその役割を果してくれないからです。このように見てくると、不安が発生すると、注意や意識が一点に集中されて、うっかりミスを防いでくれているということが分かります。ですから不安を忌み嫌うことは、ピントがずれているということになります。森田療法は不安の存在を大いに評価して、無二の親友として取り扱っています。不安は生活の中で刻々と変化しながら次々と発生しているものです。不安の役割と、不安と欲望の関係をしっかりと理解して、生活の中に活かしていくことが大切になると思っています。
2022.05.11
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私は5月の連休中に、私の自家用野菜つくり、加工食品作り、男の料理教室、ベランダに咲く草花の世話、近くの公園に咲く花、チヌ釣、獅子舞、腹話術、ドジョウ掬い、チンドン演奏会の様子、集談会の仲間とのふれあい、集談会での余興、ブログやテキストの紹介、各種イベントの模様、支部研修会の様子などの写真集を作りました。普段自分が取り組んでいるものばかりです。40枚ほどありました。パソコンの中に取り込んでいた写真をA4サイズでプリントアウトしたものです。この写真は、ミニトマトやカボチャなどを収穫した時のものです。畑で真っ赤に熟れたミニトマトはとても甘かったです。カボチャはマフィンを作ってみました。余った野菜は隣近所におすそ分けして喜ばれました。この写真の一部を集談会の参加者に紹介しました。かなりのインパクトがありました。目に見えるものは、言葉だけで説明するよりも、何倍も説得力があります。それに刺激を受けて参加者がやる気になってくるかもしれません。集談会に参加している人に提案です。デジカメやスマホなどで撮った自分の生活ぶりや趣味をプリントアウトして簡単に紹介するということです。自己紹介の時などで紹介すると、参加者に大きな刺激を与えるかもしれません。簡単なことですが、「人の為に尽くす」実践となります。
2022.05.10
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柏木哲夫医師はホスピスで多くの患者さんを看取られました。その中で、多くの庶民を看取られたそうだ。庶民というのは、言い換えれば「普通の人」である。「普通の人の死」は素晴らしいと言われる。それはなぜなのか。いわゆる庶民と言われるような人々は、辛いことを何回も乗り越えてきている。言い換えると、庶民は「小さな死」の体験者なのである。小さな死というのは、例えば、手に入れようと思った何かが手に入らなかったりしたということです。失恋、失業、倒産、病気、仕事上の問題、家族の問題、会社の人間関係なども「小さな死」と考えれば、人間は「小さな死」をたくさん経験しながら、「本当の死」を迎えるのである。ずっとこの「小さな死」を体験してきた人、つまり「小さな死」で訓練を積んできた人は、自分にとって一番不都合な「大きな死」である「本当の死」をそれなりに受けいれられる。ところが、「小さな死」を体験したことがない人は、「大きな死」も受け入れにくい。実に困ったことになる。ずっとエリートコースを生きてきた上場企業の企画部長さんを看取ったことがあるが、大変だった。行きたい学校へ行き、地位と名誉と財産を築きながらも、初めてうまくいかなかったのが、自分の命が57歳くらいの若さで亡くなるということだったのです。普通の人も死を受けいれることは大変ですが、挫折の経験がほとんどない人は、それ以上に大変なことになるのです。(人生の実力 柏木哲夫 幻冬舎)小さな挫折を数多く味わいながら、それでもなんとか65歳以上まで生きた人は、合格点がもらえる人生だと聞いたことがありますがまさにその通りだと思います。私は神経症で言葉では言い表せないほどの苦しみを味わってきたのですが、その体験は今振り返ると決して悪いことばかりではなかったと思います。神経症で苦しんだおかげで森田理論に出会うことができました。森田理論学習は神経症から解放させてくれたばかりでなく、神経質者の生き方を教えてくれました。これは望外の喜びをもたらせてくれました。そして、森田の魅力をブログを通じて発信するという生きがいも授けてくれました。森田理論学習が私の人生を実りあるものにしてくれたのです。神経症には、薬物療法、認知行動療法をはじめ様々な精神療法があります。森田療法にたどり着く前にいろんな療法を漁りました。その過程で運よく森田療法に出会うことができました。不思議な縁があったとしか言えません。神経症は森田理論に引き合わせるきっかけ作りだったのでしょうか。しかし最初の頃は、それが素晴らしい宝物だとは気が付きませんでした。生活の発見会の集談会で世話活動を続けながら、森田の原石を磨いているうちにいつの間にか光り輝く宝石に変化してきたように思います。今考えると神様が私には神経症という難問を出されたように思います。その難問をなんとか解いてみようとしているうちに、人生の視界が大きく開けてきたという気持ちがしています。神経症という挫折は私にとっては人生最大の福音でした。
2022.05.09
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優れたプロ野球のコーチの権藤博さんと二宮清純さんの対談です。権藤・・・そもそも一軍の監督・コーチの仕事は、選手に技術を教えることではありません。選手の能力や適性を見極め、適材適所に配置することが仕事です。グラブさばきやバットの振り方を教えるのはファームです。いや、日本の場合はレベルが高いですから、それさえもあまり必要ない。ところが日本の場合は、選手が意見を求めてもいないうちから、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと教えたがるコーチが多い。そして、それに輪をかけて全面的に従う選手も多い。それじゃあ選手の自主性はゼロじゃないですか。二宮・・・やらされているうちは何も身に付かない。自分の頭で考え、自分の体で考えたことをやってみる。自主性に基づいた練習でなければ、何も自分のものにすることはできないということですね。(打者が嫌がる投球論 投手が嫌がる打撃論 権藤博 二宮清純 幻冬舎)権藤さんはドラフトで指名される選手は、何千万円、何億円の契約金をもらってくるプロフェッショナルだと言われる。ドラフトで指名された選手は、元々素人とは違う技術や能力やセンスを持っている。それだからこそ野球を職業とすることができたのです。そんなプロフェッショナルに対して、投球や打撃フォームを指導しようとするのは、彼らに対して失礼なことではないですか。プロ野球の選手は個人営業主で、生かすも殺すもすべて自己責任の世界です。自分が元々持っていた優れた技術や能力やセンスに磨きをかけないで、プロのコーチから一から指導してもらい新たなプロ仕様に改善するという考えは甘すぎる。自分で考えて練習をして、意見を求めたければ監督やコーチに聞きに行って、それも選手が自分に必要なことだけを取り入れる。それでいいはずなんですよ。入団できた選手は、自己責任を自覚して、さらに体力をつけ技術を磨き、対戦相手の攻略研究を続けていけばよいはずです。努力を怠り、現状維持で満足した場合は、その時点でプロとしての成長は止まってしまいます。成長が止まると、プロの世界で生きていくことは難しいです。この話は野球選手だけの話ではないと思います。人間として生まれてきたすべての人に言えるのではないでしょうか。私たち人間は、目標や課題を持って努力し前進することを宿命づけられた生き物ではないでしょうか。これは、森田でいうと「生の欲望の発揮」ということになります。森田理論の核心部分です。しんどいことやつらいこと、努力を要することはなるべくパスしたい。現状に特に問題がなければ今の延長線で生きていけばいいじゃないですか。新たなことに挑戦するよりも、今の生活スタイルを守ることを優先したい。自分の好きなことや楽しいことを見つけて人生を精一杯楽しんで生きていきたい。これは一見してもっともな考え方のように見えます。しかし現状維持で十分だと思った時点で、意欲や情熱は急に萎えてきます。脳はドパミン主導の報酬系神経回路が休眠状態になります。そしてノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が作動してきます。守り中心の生き方は、覇気がなくなり、生産的、建設的、創造的な生き方はできなくなります。無気力、無関心、無感動で味気ない生き方に追い込まれます。こんな生き方はダメだと思っても、脳が逃避的なのでどうすることもできません。現状維持でいいと思った時、もし周りの人たちが前進を続けているとすれば、自分だけがとり残されることになります。そして、その差がどんどん開いていくことになります。一旦後退を始めると、歯止めが効かなくなり、元に戻すことをあきらめてしまうようなことになります。人生の最後を迎えたときに、後悔や虚しさで一杯というのでは寂しい限りです。
2022.05.08
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気持がよい季節になりました。広島市植物公園に出かけました。花と緑がいっぱいで癒されました。今度はアジサイが満開のときにいってみたいです。
2022.05.07
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森田先生のお話です。登山の時にも、やたらに休んではいけない。ゆっくりゆっくり登る事が大切です。休む時も立ったまま休む方がよい。穴掘りでも、詳しくいうと長くなるからやめるけれども、休まないで、仕事の緩急を調整しなければならない。(森田正馬全集 第5巻 687ページ)この話は、気分本位の行動は控えるということと、行動にはリズムがあるので強弱を意識して生活しなさいということだと思います。神経質者は、最初はなかなか着手しないが、いったんやり始めると今度は逆に時間を忘れるほどのめりこんでしまうという面があります。例えば、日常茶飯事などに対して、気分本位になって、なすべきことを回避する。ネットゲームなどをやり始めると、のめりこんで深夜まで没頭してしまう。こういう方向は、躁状態とうつ状態をくり返す双極性障害に近くなる。車の運転をしていると、急に睡魔が襲ってきて眠くなる時があります。この状態は高速道路では大変危険です。ガムをかむ。助手席の人と会話をして、緊張感を維持しないと事故につながります。そして最寄りのサービスステーションに立ち寄って、20分程度の仮眠をとることが大切です。気分転換すると、睡魔がなくなり通常運転ができるようになります。年配方は昼食後30分から1時間程度の仮眠をとっている人も多いでしょう。短時間で仮眠を切り上げて、次の仕事や日常茶飯事に戻ればよいのです。気分本位で1時間以上も昼寝をするのはやりすぎということです。基本的に昼間は交感神経が優位で精神が緊張状態にあります。夜は副交感神経が優位で、精神は弛緩状態にあります。ただし、昼間神経が緊張状態にあるといいましても、実態は緊張状態と弛緩状態が交互に繰り返されているのです。問題は昼間に弛緩状態に入ったときに、早く切り上げて、元の緊張状態に戻すことが肝心なのだろうと思います。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」という言葉があります。昼間は精神が緊張して活発に活動している方がよい。でも同じ作業を長く続けているとその部分に疲労がたまります。またマンネリになって刺激がなくなり飽きてくることがあります。その解消方法の一つとして、仕事を変えて新たな緊張状態を作り出すとよいということだと思います。大学の授業は90分になっています。これぐらいが集中の限界だということです。人によっては30分ごとに家事を転換する人もいます。そういう気持ちで目の前の課題や目標に取り組んでいくと、より多くのことが片付くように思います。森田先生は晩年にはリズムの研究をされていました。強弱を意識して、次々に仕事を変えて、より多くのことを手掛けることが森田の目指している方向だと思います。これは不安などの感情も同じことが言えます。神経症的な不安はそれを抱えたまま、行動しながら、次々と新たな不安に飛び乗っていくことが肝心です。
2022.05.07
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歌謡曲に「勝つと思うな、思えば負けよ」というのがあります。ボクシングで世界チャンピオンになった人の話を聞くと、そんな気持ちでは世界チャンピオンにはなれないといいます。「オレは世界チャンピオンになるんだ」「勝てるはずだ」というしっかりしたイメージを持てた人しかチャンピオンにはなれない。夢や目標の実現を頭の中で明確にイメージできることは勝敗の行方を支配する。「今回の挑戦者は飛び切り強いので負けるかもしれない」という弱気の気持になると、脳の中がドパミン主導の報酬系回路から、ノルアドレナリン主導の防衛系回路に切り替わる。防衛系回路に支配されると、勝たなければならないと自分を叱咤激励しても、やる気の脳である側坐核を始め、快楽神経系(A10神経系)、決断を下す前頭前野が休眠状態に入るので、笛吹けど踊らずになる。こんなはずはないと慌てふためくような心理状態では勝ち目が薄くなる。相手が「なんとしても相手を倒して、チャンピオンベルトを国に持ち帰るのだ」という心理状態にあると、同等の力関係の場合は大きなハンディを背負うことになる。勝負に勝つためには、頭の中で成功した姿をはっきりイメージできることがいかに重要かということです。受験指導に携わってきた西田文郎氏は「NO.1理論」(現代書林)という本の中でこんな話をされている。私が知る範囲では「自分は東大に合格できる」と思わないで、東大に合格した学生はいません。元々合格できる実力があったから「合格できる」と思えたのではないのです。「合格できる」と自分を信じて努力したから実力がついた。「挑戦することは無謀だ、どうせ無理に決まっている」と考える高校生は、「私なら合格できる」と思っている生徒ほど真剣に努力しなくなってしまうのです。トップになりたい、自分ならトップになれると思わない人は、天地がひっくり返ってもトップにはなりません。幸せな家庭を築こう、私なら築けると思えない人が、円満で幸福な家庭を作った例はないのです。西田さんは女性にもてるほうだといわれる。客観的に見ればガリガリにやせて、禿げているのでもてるタイプではない。それでも自分はもてると思い込んでいると、飲み屋に行っても不思議ともてる。もてると信じているので、他人が気後れするような美人とも平気で話ができる。そうなると、美人と楽しくしゃべるために面白い話の一つでも仕込んでおこうと努力する。女性との会話も上手になるし、話題も豊富になり、実際にモテモテになってしまうのです。しかし髪が薄くなったことに悩んで、「これでは女性にもてない」とマイナス思考になっていたら事情は全く違っていたでしょう。「異性に好かれない」と自信喪失している男に、好意を抱く女性は絶対にいません。つまり人間は、自分が思う通りの現実を生きるということです。(同書32ページ参照)自分の脳に実現可能な達成イメージを抱くことができた人は、それを実現するために脳が総力を挙げてバックアップ態勢を敷いてくるということだと思います。目標達成のためには、成功した姿をイメージした写真やイラストを机の前に貼りつけて置くことが有効です。
2022.05.06
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我が家の畑の裏に天然のフジが見事に咲いています。フジは清楚で品のある花だと思います。田舎の人に聞くと、イノシシがフジの根を掘り返して大変ということでした。
2022.05.05
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プロ野球の権藤博さんは、今のメジャーリーグは「フライボール革命」が起きているといわれる。この影響が日本にも及んでいる。西武ライオンズの野球などはその予兆だといわれる。フライボール革命というのは、2015年から選手とボールの動きを数値化する動作解析システム「スタットキャスト」がメジャーリーグに導入されたことに始まる。それはゴロの打球よりフライを打ち上げた方が、ヒットやホームランになる確率が高いという理論です。具体的には、速度98マイル(約158キロ)以上の打球が、26~30度の角度で飛び出したときがヒットになる確率が最も高くなる。しかし日本では高校野球の段階から、「フライを上げるな、ゴロを打て、とにかく転がせ」という考えを叩きこまれている。そういう考えが日本のプロ野球ではいまだに強い。昔はそれでよかったかもしれない。グランドは土のグランドでイレギュラーが多かった。しかし今や人工芝の球場も多い。さらに道具がよくなっている。筋力トレーニングで選手の筋力が格段にアップしている。昔とは状況に雲泥の差があるのです。さらに「フライボール革命」の影響で、打撃フォームが外角の低めのストレートをすくい上げるようなバッティングに変化している。実際結果を出している選手は、ほとんどローボールヒッターです。こんな状況で、ピッチャーが、外角低めに渾身のストレートを投げることを意識しているとどうなりますか。一流バッターにとっては「待ってました」ということになるのです。外角ストレートで長打を打たれると速球派の投手は自信をなくしますよ。この状況の変化を理解して、対応することを考えないといけません。権藤氏は、WBCでピッチングコーチを務めたときに、巨人の菅野投手に次のようにアドバイスしたという。ストレートは低めではなく、高め、それもインコースの高めを意識して投げてみなさい。彼は、指示通りの球でメジャーの選手を抑えて、ペナントレースでは凄みが出てきました。ここで権藤氏が言われているのは、今や状況は急速に変化している。その変化を早く見極めて、その変化に対応していくことが、プロ野球の選手としての寿命を延ばすはずだと言われている。森田理論も常に変化を敏感に観察して、変化対応力を身に着けていくという理論になっています。変化対応は森田理論の大きなテーマとなっています。「流れと動きの森田療法」(岩田真理 白揚社 65ページ)では次のように説明されています。周りが動かず、時間も流れなければ、わたしたちはいつまでも居心地のいい場所にじっとしていることもできるでしょう。けれど時間は波のように変化し、動いています。わたしたちは、それに乗らないことには生きていけないのです。人生の波に乗るとは、毎瞬毎瞬、緊張感を持ち、周囲をよく観察し、そのときそのときで適切な判断がとれるように努め、自分の生を前に進めていくことです。流れに乗る、ということです。
2022.05.05
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昔の失敗や後悔が夢の中に出てきてうなされることはありませんか。最新の脳科学では、これを減らす方法があると言われています。今日はそれを取り上げてみました。人間の記憶には、「認知的な記憶」と「認知的ではない記憶」の2つがあります。「認知的記憶」とは、意識して覚える記憶のことです。学校で英単語や歴史の年号を覚えたりするのは認知的記憶です。「認知的でない記憶」とは、無意識のうちに記憶してしまうものです。脳は記憶しようとしたわけではないのに、残っている記憶があります。記憶しようと意識していないことが記憶として収納されている。こんなことがはたして本当にあるのかと不思議に思います。しかし現実には、失敗したことや恥ずかしい思いをした情動や感情などは、きちんと記憶しているのです。脳には次々に記憶の情報が送り込まれています。そのほとんどは捨て去られ、また新たな情報が入ってきます。ところが、インパクトの強い不快・嫌な情報が入ってくると、意識しなくても、脳のなかに一定期間とどまっています。その記憶は一晩寝ると固定化されるのですがそれを自分では認知していません。認知していないにもかかわらず、勝手に記憶され、きっかけがあるとそれがふっと思い出されるのです。これが後悔を伴う悪夢となってでてくるのです。次々に送り込まれてくる記憶の情報を捨て去るように作用している神経伝達物質があります。それがセロトニンです。情動が絡んだ記憶を含めて、セロトニンは記憶を抑制し、捨て去るように作用していることが最新の脳科学の研究で分かっています。ところがこのセロトニン神経が作動しなくなることがあります。注意や意識が次々に移り変わらないで停滞すると、セロトニン神経が働かなくなります。こうなりますと、そのときの情動記憶は消去されずに残ってしまいます。しかも認知していないために、自分の意志ではどうしようもない、忘れたくても忘れることができないという記憶になってしまうのです。この問題について有田秀穂医師は次のように説明されています。日常的に、しかも非常に高いレベルでセロトニン神経系を活性化していると「ハッ!」とするような状況になっても、ほとんどの場合その時の感情や出来事を受け流せるようになります。怒りや欲望などの感情をコントロールできて、いろいろな情動に振り回されなくなる状況を作ることができるのです。すると、情動が絡んだ記憶(急激な感情を伴った情報)も順調に捨てられていき、記憶のコントロールがある程度できるようになります。過去のイヤな記憶がフラッシュバックしたり、悪夢となってうなされたりすることもあまりなくなるはずです。(「心のバネ」を強くする 有田秀穂 ぱる出版 66~69ページ要旨引用)この指摘がどの程度効果があるのか、経験で確かめたいと考えております。セロトニン神経系は、欲望が暴走しないように、また不安に過度にとらわれないように制御力を発揮してバランスを取ろうとしている説を信じたいと思います。私はすでに心身の安定を保つために、日頃からセロトニン神経系を鍛えています。有田先生の指摘されているように、習慣化させるために、最初は3ヶ月。きちんと定着させるために3年という期間をみております。
2022.05.04
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昨日の続きです。症状は減点主義でよいのですが、行動は減点主義ではまずいと思います。行動は加点主義の方がうまくいきます。神経症に陥るとどうしても症状のほうにエネルギーを使うようになります。神経症に陥る前を仮に100%とすると、行動力は下手をすると0になっています。日常茶飯事はほとんど手付かずで家族に丸投げ状態になります。仕事をしていてもどうしても効率が悪くなります。普段はしないようなミスや失敗も増えてきます。最悪の場合は仕事が手につかなくなります。この状態を改善することが大切です。0の状態を10%、20%、30%・・・というふうに行動力を回復させることが目標となります。私は症状で苦しんでいたころ、集談会の先輩から実践課題を立てて実行するようにアドバイスされました。本音はそんなことよりも、症状を緩和する方法を教えてもらいたかったのです。薬物療法も受けていましたが、それと並行して、ダメもとでそのアドバイスに従うことにしました。布団上げ、風呂の掃除、靴磨き、自動車の洗車などを実践課題として机の前に掲げて愚直に取り組みました。それを次の集談会までの課題として取り組みました。集談会でその状況を発表すると高く評価してもらえました。それを励みにして、さらに次の課題を付け加えて実践しました。趣味への取り組み、その他の家事、家族関係の改善、発見会での世話活動、町内会の活動、職場でのあいさつの励行、仕事での改善などです。この実践により、しだいに行動力が回復してきました。そのうち生活の発見誌で「紙切れ法」という行動・実践の方法を見つけました。気が付いたことをすぐに紙切れにメモして、後でそれを整理して、きめ細かい行動に結びつけていくというものでした。以後は微調整を繰り返しながら、この方法を採用して今に至っています。なお老婆心ながら実践・行動には注意してもらいたいことがあります。それは症状を取ることを目的にした行動は症状が悪化してしまうということです。森田でいう実践・行動は、自分の日常生活に密着したものでないとまずいのです。これは森田先生の入院療法をみればよく分かります。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの実践・行動を心掛けていきたいものです。さて以上をまとめてみます。症状に対しては減点主義で頭の中で症状を考える比率を少しずつ下げていく。日常生活の方は加点主義で行動力を徐々に回復していく。この2つをセットとして取り組んだことがよい結果をもたらしました。よかったらご自分の体験で検証してみてください。
2022.05.03
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私は神経質の症状については「減点主義」を採用した方がよいと思います。神経症で苦しいときは、頭の中が症状のことで一杯です。どうすれば症状から逃れることができるか。でも妙案が見つからない。正面から症状と格闘しても悩みは深まるばかりになる。そこで闘うことをやめ、苦しみを回避することを考えるようになります。精も根も尽きたような状態になり、覇気がなくなります。こういう場合は、発想の転換をお勧めします。ここでは「減点主義」の考え方が役に立ちます。重症の神経症に陥った時は、100%症状のことを考えています。その割合を減らしていくという方法を考えて実行することです。その割合が、90%、80%、70%、60%・・・と減少していくことを目標にするということです。減少した10%、20%、30%、40%・・・は症状以外のことを考えているということになります。減少した分だけ、神経質症状が治っているととらえるようにすることです。神経症というのは大怪我が跡形もなく治るというような回復はしないものです。タマネギの薄皮をはがすようなものです。神経質性格はなくすることはできないわけですから、小さなことにとらわれやすい特徴はなくなりません。コアの部分はどうしても残ります。ですからホドホドに治すことを、肝に銘じておくことです。そして10%、20%、30%、40%と少し治ったことを大きく喜ぶようにするのです。最初のうちは日常生活に目を向けていくことが大切です。食事、掃除、洗濯、服を着替える、生活習慣を整える。特に食材の買い出し、食材を自分で作る、料理を作る。後片付けをする。加工食品作りを手掛ける。お菓子つくりに挑戦する。一心不乱になって、物そのものになりきることが肝心です。それが弾みとなってさらに生活の好循環が始まります。強迫神経症から解放されている人は、そんな治り方をしています。神経症が30%治った状態は本人は納得できないかもしれませんが、はた目にはだいぶ良くなっているように見えるものです。50%も症状以外のことを考えているような人は、もう神経症の克服宣言をすべきです。100%の治り方でないと納得できないという人は、いずれ墓穴を掘ることになります。良くなった部分を素直に喜べる人は期待と好感が持てます。次に森田理論がお勧めている、行動の方は減点主義ではいけません。加点主義の考え方をすることが肝心です。これは明日の投稿課題とします。
2022.05.02
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昨日の続きです。報酬系神経回路や防衛系神経回路が暴走を始めたとき、自助努力ではその暴走を止めることはできません。その結果報酬系神経回路では依存症、統合失調症、迷惑行為、闘争行為にまで発展します。防衛系神経回路の暴走は、意欲がなくなり、内省的になり、心身に大きな負担をかけてしまいます。神経症は防衛系神経回路の暴走ととらえることもできます。しかし心配はいりません。人間の神経系にはその暴走を抑制するためにセロトニン神経系が装備されています。セロトニンは脳幹の「縫線核」が出発点となっています。特徴としては、セロトニンは常に一定量が出続けていることです。ドパミンやノルアドレナリンは状況に応じて分泌されています。セロトニンが何か仕事をしているわけではありません。ドパミンやノルアドレナリンの偏りを監視して、その働きを抑制しているのです。セロトニンの働きは次のようなものです。・朝大脳を目覚めさせて活動できる状態にしています。・不安やストレス、欲望の暴走を軽減させる働きがあります。・交感神経と副交感神経のバランスをとるという役割があります。・心身の痛みや苦しみを軽減する役割を果しています。・抗重力筋につながる運動神経に刺激を与えてよい姿勢を維持しています。その他、森田的な観点からぜひ理解してほしいことが2点あります。①セロトニンは前頭前野の「腹内側」に働きかけています。前頭前野のど真ん中にあります。ここは「共感脳、直感脳」と言われています。森田理論学習の中で、傾聴、共感、受容、許容、礼節、承認、肯定、利他の気持が大切さだと言われます。脳科学の面からは、セロトニンを活性化し「腹内側」を刺激しないと、思いやりの気持ちは湧き上がってこないことになります。社会性、協調性、人間関係を良好に保つためにセロトニン神経系を鍛える必要があります。つぎに森田では「純な心」を大切にしています。直感、素直な感情、第一に感じる感情、初一念などと言われます。「純な心」の反対は、観念優先の「かくあるべし」です。セロトニン神経系は「共感脳」とともに「直観脳」を鍛えています。②セロトニンは前頭前野の「腹外側」にも働きかけています。こめかみのあたりにあります。ここは「きりかえ脳」と言われています。神経症に陥ると一つの不安にとらわれて、精神交互作用でどんどん増悪させています。時には不平や不満を爆発させてみんなに迷惑をかけることもあります。人間は誰でも不安やストレスを受けながら生活しています。しかし普通の人はどうすることもできない不安やストレスを抱えたまま、仕方なく気持ちを切り替えて、目の前の仕事や日常生活に取り組んでいるのです。がまんする、耐える、あきらめる、心機一転、出直す、変化の波に合わせながら前進しているのです。一つのことにとらわれ続けないで、次々にとらわれる対象に飛び乗りながら生活をしています。神経症に落ち込んでいく人は、うまく気持ちの切り替えができない人です。脳科学では、切り替えることができなくて、一つのことにとらわれ続ける人は、セロトニン神経系が停滞しているとみているのです。私は神経症に陥った人が森田理論の学習と実践に救いを求めるのでしたら、その前にセロトニン神経の活性化にも取り組んでほしいと思います。具体的には2月13日に投稿していますのでご参照ください。内容としては誰でも無理なくできることばかりです。
2022.05.01
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