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道端に咲く花に元気をもらえるのはうれしいことです。
2022.06.30
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やましたひでこ氏は、「断捨離」の提唱者です。「断捨離」は人間関係の改善につながると言われています。面白いことに、家が片づかない、片づけられないという人たちの多くは家の断捨離を進めていくうちに、モノが片づかないのは人間関係に問題があったのだという気づきに移行します。それは、断捨離によってモノとの関係を問い直す行為を通じて、人との関係を問い直すことになるからです。ということは、対人恐怖症、社会不安障害を抱えている人は、断捨離に取り組むことで、症状や障害が改善する可能性があるということではないでしょうか。断捨離は、不要なものは買わない、長らく使っていないものは処分する。物欲や所有欲から離れてシンプルに暮らすということです。つまり物と自分の関係を、できるだけ、とらわれやこだわりのない自由自在なものに変えていくということでしょう。必要に応じて、必要な時に、必要なだけ関わるようにする。これは森田理論でいうと「不即不離」のことだと思います。新しい家に引越しした時は、必要最低限なものに囲まれて生活しています。ところがその後どんどん物が増えてきて、どんどん部屋が狭くなってきます。再び着ることのない衣類、二度と読むことがないと思われる本、二度と使うことのない道具、文房具、家電製品、家具、遊戯具などで一杯になります。物があふれかえり、自由自在に行動するスペースが狭まり、息苦しさを感じることもあります。それでも、いつか役立つことがあるかもしれないと思ってしまう。捨ててしまうと、後で後悔することになると思っています。でもほとんどそんなことは起こりません。それよりも、持っていることを忘れて、何年も放置したままにしていることが多いのではないのではないでしょうか。物にしてみれば、自分の活躍の場所、居場所、存在価値を与えられないで、無為の時間を過ごしているのではないでしょうか。森田理論はどんなものでも、存在価値がある。利用価値があるという考え方です。その価値を見出して、陽の目を見させてあげることを考える。自分が活用できなければ、他の人に預けるか任せて、居場所を確保させてあげるということになります。森田理論に「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」という考え方があります。いずれも、存在価値を持っているので、それを見つけ出して、適材適所に配置して、命ある限り活用し尽くすという考え方です。この考え方になりますと、「かくあるべし」という観念中心の考え方を自分や他人に押し付けるということはさけられるのではないかと思われます。その結果、人間関係は良好になると思われます。
2022.06.30
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人間関係に問題を抱えて、他人から煙たがられている人はいくつかの特徴があります。思いつくままにあげてみましょう。そして改善の方法を考えてみましょう。1、気分によって行動が左右されている人。気分によって予定をコロコロ変える人。約束しても気が乗らなければ、いつでもその約束を反故にする人。約束の時間はあってないようなものと考えているような人。それが何回も重なると、確かに信頼関係は地に落ちてしまいます。2、気に入らないことがあると、すぐにネガティブな感情が暴走してしまう人。腹が立つ、怒りの感情が湧き上がると、すぐに攻撃的になる人。きっちりと仕返しをしないと気が収まらないと考えている人。森田でいう両面観の立場に立つことができない人。3、本能的な欲望が湧き上がると、理性を失って短絡的な行動をとる人。制御能力が不足している人。本能むき出しの行動をとりやすい。健康を害し、経済的な破綻を招き、家族や他人に迷惑をかけてしまう。欲望の暴走は反社会的な行動になりがちです。4、家族や友達、他人に自分の気持や考え方を押し付けてしまう人。自分のことは棚に上げて、非難、説教、命令、指示、禁止、叱責、否定、無視してしまう人。他責の気持ちが強い人。森田でいう強い「かくあるべし」を前面に出す人。観念が優先して、事実を軽視ないし無視してしまう人。5、やるべきことから逃避してしまう人。難しいこと、面倒なこと、しんどそうなことから逃げてしまう人。弁解や言い訳ばかりで実行力の足りない人。仕事では人から言われた最低限のことしかしない人。暇を持て余し、刹那的、瞬間的、享楽的な快楽を追い求めている人。人間関係に問題を抱えている人は、こうした傾向が強い人ではないでしょうか。そして見境なく、短絡的、衝動的、反射的な対応に走ってしまう人です。大人になっても、幼児のような行動パターンから抜け出すことができない人です。普通は大人になると、幼児のように駄々をこねることはしだいに収まってきます。自覚が希薄でどうして人は自分を避けるのだろうと思っています。気分本位、自己中心的、自分勝手、ネガティブな気持ちや感情に振り回される、観念優先の態度、リスク回避の態度に対してどう取り組めばよいのでしょうか。森田理論を活用するのはどうでしょうか。森田では、感情と行動は別物として取り扱うことが肝心だといいます。感情は感情。行動は行動。別々のものとして取り扱うのです。感情は自然現象ですからコントロールすることは出来ません。一方行動は必要に応じて必要な行動を選択することができます。感情と行動をきちんと区別して、感情に引きずられないように、意識して行動することが大切です。そのためには次のように考えることを提案いたします。自分という一人の人間が、人生という大舞台で演技をしていると考えるのです。テレビや映画の俳優や女優さんを参考にするのです。役者は家では夫婦関係が悪くても、役柄ではラブラブの夫婦役を演じなければならないこともあります。これは感情と行動を区別していることになりませんか。子供との関係が悪くても、子供思いの親を熱演しなければならないこともあります。極悪非道の殺人犯の演技をした役者が、別の映画では検事総長の演技を要求されることだってあります。つまり俳優は自分の感情がどうであろうとも、それはそれとして横に置いて仕事をするしかないのです。実生活でネガティブな感情でイライラしているので、演技にもそれがでてしまうということでは、役者としては失格です。役者は感情は感情、演技は演技と割り切って仕事をしているのです。そうしないと、すぐにお払い箱になり、食べていくことができなくなるのです。私たちも役者に学び、この人生という晴れ舞台で素晴らしい演技をしていこうではありませんか。ネガティブな感情に振り回されないで、適切な行動がとれるようになった人は、成熟した人間といえるのではないでしょうか。もちろん人間関係が破滅に向かうことはないでしょう。これは誰でも努力次第で到達できると思います。そういう人は、尊敬を込めて「人生の達人」と呼ばしていただきたいと思います。
2022.06.29
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最近よく耳にする「断捨離」について考えてみました。断・・・むやみに次々と新しいものを買わない。集めない。捨・・・使わなくなったものをどんどん処分して身軽になる。離・・・過剰な所有欲から離れて必要最低限ものだけで生活する。これを森田理論に当てはめて考えてみました。断・・・すぐに新しいものに飛びつくことはやめる。今ある物や持っているものの価値を再評価してとことん活かす。愛情をかける。修理やメンテナンス、改善・改良を行いながら最後まで利用する。捨・・・要らなくなったものや使わなくなったものを必要な人に貸してあげる。思い切って差し上げる。バザーやリサイクルショップで処分する。自分の家でそのままため込むことは避ける。次の活躍の場、居場所を与えてあげる。不安、恐怖、違和感、不快感などもため込まないで早く流すことを考える。離・・・過度な欲望を無制限に追い求めない。欲望は弾みがつくと制御不能になるので、不安を活用して抑制していく。欲望は不安を活用してバランスをとることを心掛ける。断捨離は、森田理論の「物の性を尽くす」という考え方に近いと思います。それぞれについて簡単にみていきたいと思います。物の性を尽くす・・・今自分の手元にあるものを宝物のように大事に使う。安易に新しいものに手を出さないで、修理・メンテナンスをしながら、命尽きるまで大切に取り扱う。貸してもらえるものやレンタルで済むものは、できるだけそれを利用する。必要な時だけ利用させてもらい、その後速やかに返却する。書籍などはできるだけ図書館を利用する。己の性を尽くす・・・自分の神経質性格のプラス面に磨きをかける。細かいことによく気が付く。鋭い感性を大事にする。好奇心旺盛な特徴を活かす。課題や目標、夢や希望の実現に向けて努力する。分析力、物事をより深く考えるという特徴を活かす。責任感が強く、粘り強い特徴を活かす。毎年健康診断を受けて、具合の悪いところを早期発見してメンテナンスをする。毎日の運動や頭を刺激して廃用性萎縮現象を防止する。他人の性を尽くす・・・相手の強みや長所を探して評価する。適材適所でその人の能力や強み、希望を満たすところに居場所を与える。意識して相手を非難、否定、叱責、脅迫しないようにする。相手に対しては傾聴、共感、受容、許容、感謝を態度で表す。お金の性を尽くす・・・1000円のお金を10000円に活かして使うように心がける。ギャンブルなどには使わない。必要な時、必要に応じて、必要なだけ使うようにする。将来のリスク回避のために貯蓄をしておく。大いに役に立ててくれる人に進んで寄付をする。時間の性を尽くす・・・細切れ時間を有効活用する。有限な時間を最大限に活用するように心がける。規則正しい生活を心掛ける。リズムを意識した時間の使い方を心掛ける。キーワードは「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」です。
2022.06.28
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私は田舎でのキュウリ栽培は見合わせています。1週間に一度の手入れでは、キュウリがヘチマのように大きくなるからです。これは通勤途中で毎日見かけているものです。毎日何本も手ごろな実がついています。これをぬかみそ漬けにすると味が沁みておいしいのです。
2022.06.27
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私は生きがい療法の伊丹先生からユーモアスピーチについて学びました。現在ユーモア小話、川柳などのファイルが100枚を超えています。これは不安で押しつぶされそうなときの気分転換に役立っています。たとえば、「粋な国語の先生」を紹介してみます。国語の先生が「○肉○食、○○美人」という四字熟語の問題を出しました。多くの生徒は、「弱肉強食、八方美人」と回答しました。ところが何を考えていたのか、天真爛漫な子が、「焼肉定食、見返美人」と回答しました。採点していた先生は、このユーモアセンスは素晴らしいと思い、配点が3点にもかかわらず4点ずつ与えました。さらに花丸と座布団1枚のゴム印を押してその回答を高く評価しました。それにもかかわらず、35点をとるのが精いっぱいだった子供。ショボン!その話を聞いた父親。ことのほか上機嫌で、今日は家族全員で「焼肉定食」祭りをしよう。おまけはノンアルコール飲み放題だ。チャンチャンユーモア小話や川柳の創作活動は、注意や意識を外向きにするという森田実践になります。ネタを探す。脚色して面白い話になるように工夫をする。他人に披露する。メールなどを送って笑いを振りまく。他人を愉快にし、自分も心身ともに健康になる。そのコツを詳しい人から教わりました。1、毎日、身の回りのネタを探す。すぐにメモしておく。2、話を面白くする工夫をする。起承転結で文章化する。3、2分程度で話できるように無駄を省く。4、事前に友人や家族の前などで予行演習を行う。5、披露する時は、身振り手振りを誇張して、笑顔で行う。他人の面白小話を書き留めてストックするという習慣をつくると、自然に自分でも作ってみたいという気持ちになります。私はこの発表を集談会で行うことを「応用森田・生活森田」と呼んでいます。
2022.06.27
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草だらけですが田舎の野菜畑です。ミニトマトは南米の高地が原産なので雨を嫌います。ビニールの雨よけで育てています。あとナスが2本、シシトウが1本、オクラが1本、カボチャ2本です。ピーマンは枯れていたので植え直しました。その他枝豆、サツマイモ、ラディシュ、ニンジンを植えています。これから収穫時期に入ります。楽しみです。
2022.06.26
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「あるがまま」とは、不安や恐怖(症状)を、そのまま、あるがままに受け入れて、本来の欲望にのってなすべきことをなすことですと説明されています。今日は最初の側面を考えてみたいと思います。不安、恐怖、違和感、不快感を取り除こうとしないで、そのまま受け入れるというということです。でもそれができないから神経症に陥ったのではないかと思います。それは、人間が言葉を使い、頭でっかちになっているからだと思います。つまり観念・思考優先で、現実や事実を軽視する傾向が無意識のうちに身に付いているということだと思います。「こうしなければいけない」「こうあるべきだ」という「かくあるべし」を自分にも、他人にも押し付ける態度をしっかりと身に付けているのです。観念・思考優先で、事実を非難・否定していることが葛藤や苦悩を生み出しているのです。分かりやすい例で説明してみます。イソップ物語の狐と葡萄の話です。ある日狐が葡萄の木を見つけました。おいしそうな葡萄が実っています。ところが高い位置にあっていくら飛び上がっても手が届きません。すると狐は、「あの葡萄はきっとすっぱくておいしくない葡萄だろう」と思うことにしました。「もともと自分は葡萄なんか欲しくなかったのだ」と自分の気持をごまかそうとしました。次に葡萄を獲れない自分を情けないと思いました。こんな自分に育てた親に責任があると考えました。最初に葡萄を見つけたときは、「葡萄を獲って食べたい」という気持ちでした。次に今の自分の能力では、「葡萄を獲ることはできない」という事実を否定してしまいました。最初の感情や気持ち、自分の能力を素直に認めないで欺こうとしたのです。最初の欲望や自分の能力をあるがままに認めたらどうなるでしょうか。自分の感情をごまかす。否定する。劣等感に陥る。親に責任転嫁することがなくなると思います。そのエネルギーを別の方面に使うことができるようになります。現状を出発点にして、なんとか葡萄を獲る方法を考え始めるのではないでしょうか。そうだ、はしごや脚立のようなものを探してみよう。台のようなものをおいて、そこから飛びあがるというのはどうだろう。棒のようなもので葡萄を叩き落すというのはどうだろう。親や友達の智恵を借りよう。力を借りて共同作業として取り組もう。感情の事実をあるがままに受け入れると、課題や目標が明確になり、感情と行動が好循環を始めるということになります。つまり逆転人生が幕を切って落とされるということになります。観念優先の態度を抑制して、事実優先の態度に転換する生き方は、葛藤や苦悩から逃れる道へとつながっていくのです。この考え方をさまざまな方向から説明してくれているのが、森田理論ということになります。この理論をものにすると、人間として生まれてきたことを感謝できるようになります。
2022.06.26
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2022.06.25
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沢庵和尚のお話です。心を何処にも置かなければ、全身にゆきわたり、意識が隅ずみにまでのび広がっているから、手の必要な時には手の用をはたし、必要なところに即応して、自在の働きができ、すべての対応が可能となるのだ。前後左右、あらゆるところに動きながら、瞬時も一ヵ所にとどまらない自在の心、これを不動(心)と言う。心を十方に置く、東西南北、四隅と天と地。(沢庵和尚心にしみる88話 牛込覚心編著 図書刊行会)これは森田理論の「無所住心」ことを言われています。森田先生は次のように説明されています。私が講話をするとき精神が集中するとはどういうことかというと、普通の精神集中とはちょつと意味が違う。①自分の挙手動作に注意する。つまずいたり、コップをひっくり返したりしないように注意するのである。②皆さんの状況、周囲の変化、すなわちある人が聞きたそうな顔をしているとか、後ろから出入りする人、戸外の自動車の響きなどにも、よくこれを感じ分けるようになる。③自分の話の筋道を工夫する。この四方八方に心が散った有様が、禅のいわゆる「無所住心」であって周囲の全てのことに気がついて、しかも何事にも心が固着しないで、水の流れるがごとく心が自由自在に流転適応してゆく有様である。あたかも明鏡に物の映るがごとく、来るものは明らかに映り、去れば直ち影をとどめないという風である。(森田全集第5巻 580ページ)「無所住心」の態度は、注意や意識を外向きに持っていくことです。自己内省性は大切ですが、それ一辺倒は片手落ちになります。生活態度としては、目の前の変化や日常茶飯事、なすべきことから目を離さない。課題、問題点、目的、目標をしっかりと捉えている。好奇心、興味や関心を刺激しながらの生活を心掛けるということになります。そういう態度なると、観念優先で自分を非難、否定することが少なくなります。地に足がついた、人間本来の生き方ができるようになります。神経症に陥る人は、注意や意識が絶えず自己内省的に働いています。この態度を改めれば、神経症とは縁が切れると考えています。
2022.06.25
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生活の発見誌の5月号に青木薫久先生の興味深い記事があった。これをもとにして、私なりに考えてみました。森田療法では、「神経症」というよりも「神経質症」という言葉を使う。「神経質症」というのは、神経質性格を持っている人が「神経症」を発症した場合を想定している。では神経質性格というのはどんな特徴があるのか。1、繊細で細かいことを大きく心配する性格である。2、神経症を何としても治したいという強い欲求を持っている。3、自分の心身の状態を細かく分析する傾向がある。自己内省性がある。4、症状について強いこだわりがある。強い執着性を持っている。性格にはプラス面とマイナス面があります。プラスに活かすことができれば、神経質性格ははぐくみあいのある性格となります。ところが、マイナス面が表に出てくると、日常生活に支障が出てきます。また症状のために生きづらさを抱えるようになってきます。森田療法では、厳密にいえば、神経質性格を持っていて、行動や観念の悪循環で苦しんでいる人を「神経質症」と呼んでいるのです。狭義の神経症と言ってもよいかも知れません。しかし、神経質性格を持っていない人でも、不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれて、観念上、行動上の悪循環に陥っている人もいます。これは広義の神経症と言ってよいものです。たとえば、集談会に本人がやってこないで、子供が不憫でかなわないといって親が参加される。本人には親がこの会に参加したことは知らせていないという。医師やカウンセラーに森田療法を勧められたので集談会に参加してみた。自分が神経症に陥ったのは、親の神経質性格が影響している。親に責任を取ってもらいたいと訴える。うつ病や他の精神疾患、不登校、出社拒否、人間関係、身体的病気などの問題を抱えている。問題は、こういう人たちに森田療法が適応可能なのかどうか。青木先生は、神経質性格傾向の乏しい神経症は、通常、森田療法の適応外となりますと指摘されています。私は集談会で一緒に森田理論学習をする仲間としては次の2点は必須であると考えています。1、神経症を何としても治したいという意欲が感じられる人。2、他責の気持ちよりも、自責の念で苦しんでいる人。これに当てはまる人は、森田理論学習に取り組むことで、神経症を克服し、神経質性格者の人生観確立に向けて大いに役立つと考えています。
2022.06.24
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森田理論は実際の生活の中で大いに応用していきたいものです。森田理論のどこをどのように応用していけばよいのか。今日はそのヒントとなるものを紹介します。今日は項目だけです。この中から1つでも2つでも、自分のものにしてほしいと思います。1、感情の法則・・・感情はひと昇りひと下りして、最後には消失するものですから、腹が立ったときは、しばらくそのままに放任しておく。感情は慣れてしまうと、にぶくなり不感となりますので、最初の気づきをきちんとキャッチしてメモしておく。それをもとにして行動を起こす。2、神経質性格にはマイナス面だけではなくプラス面もあります。感受性が強い、細かいことによく気が付く、分析力がある、真面目で責任感がある、粘り強い、大きな夢や希望を持っている、などです。プラス面に焦点をあててできるだけ伸ばすようにする。3、不安には現実的な不安と神経症的な不安があります。この2つをきちんと分けることが大切です。現実的な不安には、対策を立ててすぐに行動する。神経症的な不安は、欲望の反面として出てくるものです。ですから、生の欲望に焦点をあてて努力する姿勢が大事になります。そして次に欲望は暴走しやすい特徴があります。そのときは不安を欲望の抑止力として活用することです。4、神経症が治るということは、頭の中を神経症で一杯だった状態から、90%、80%・・・と減っていくことである。減っていった10%、20%・・・が神経症が治ったと認識することです。50%も減っていれば、神経症の克服宣言をするようにする。5、リズム感のある規則正しい生活を心掛ける。日常茶飯事に丁寧に取り組む。凡事徹底を心掛ける。行動する前は、イヤイヤ仕方なしで構わない。とくかく体を動かす。はずみがついてきたら、一心不乱、物そのものになって取り組む。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」を心掛ける。6、気付き、アイデアが浮かんで来たら、すぐにメモしてストックを増やす。全部できなくても60%できれば上出来と心得て行動する。四方八方にアンテナを張って、「無所住心」の気持で心を外向きにする。7、物、己、他人、時間、お金の能力を最大限に引き出して活用する。潜在能力を最大限に引き出して、居場所や活躍の場を用意する。8、人間関係は不即不離を心掛ける。引っ付きすぎず離れすぎず、必要な時、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心掛ける。相手の気持ちや欲求をよく聞く。自分の意見を述べるときは、「私メッセージ」を活用する。隔たりがあるときは、話し合いによって調整して行く。譲ったり、譲られたりの人間関係を心掛ける。挨拶は人間関係の基本なので、きちんと行う。9、観念中心の「かくあるべし」を自分や他人に押し付けない。事実に寄り添い、そこを出発点にして、目の前の課題に取り組むようにする。観念中心から「事実本位」の生活に切り替えていくことです。最近は特にここに力を入れて投稿しています。10、心の中にヤジロベイ、サーカスの綱渡りをイメージしてバランス感覚を持つ。バランスが崩れると、すべての存在基盤が崩れてしまうことを認識する。これは精神拮抗作用の応用です。不安と欲望の単元はバランス感覚の説明になっています。11、世の中は絶えず高速で流動変化していると認識する。いちいち不安にとらわれるのではなく、どうすることもできない不安は、それを抱えたまま次の不安に飛び移ることを意識する。変化の波に飛び乗って生きていくことを意識する。12、物事を早合点しない。先入観や決めつけで判断しない。事実をよく観察する。他人の話を信用しないで自分の目で確かめるようにする。事実は両面観を応用して多面的な角度から見るように心がける。
2022.06.23
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田舎の梅の木から1キロ収穫できました。残念ながら収穫時期が1週間遅れました。とりあえず梅酒用ブランデーに漬けこみました。
2022.06.22
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ウィリアム・グラッサーは森田理論に近いことを言っている。私たちはたくさんの人の中で生活しています。しかし、周りの人たちが、いつも自分の思い通りに行動してくれるとは限りません。そのような時に、つい使ってしまう言葉があります。「・・・しなければダメよ」「・・・しなさい」「もし・・・しなかったら・・・だぞ」と言ったようなボス的で、強制的な言葉です。このような、相手を自分の思い通りにコントロールしようとする心理学を「外的コントロール」と言います。「外的コントロール」は、特に「批判する」「責める」「文句を言う」「ガミガミ言う」「脅す」「罰する」「褒美で釣る」という「7つの致命的習慣」の形で表されます。それとは正反対の心理学を「選択理論」と言います。この心理学を使えば、私たちの周りの人のかかわり方は著しく改善されます。「選択理論」を身につけている人は、「支援する」「傾聴する」「受け入れる」「信頼する」「励ます」「尊敬する」「違いについて交渉する」という「7つの関係を確立する習慣」を自然に使いながら他人と関わるようになるでしょう。「外的コントロール」は森田理論でいえば、観念主義的で「かくあるべし」を押し付けている態度のことです。「選択理論」は、相手の状態に寄り添い、事実本位の態度を身につけた人が自然に行っていることです。「選択理論」のやり方のほうが、人間関係は好転するのは誰でもわかります。しかし言うは易く実行することは大変むずしいです。人間関係を良好に保つためのコツをご紹介します。1、まず相手の感情や欲求を話しさせる。ひたすら聞くことに徹する。決して安易に口を挟まないようにする。そして、相手の話を復唱する。「私はあなたの話をこう理解しましたが、それで間違いありませんか」と確認する。2、つぎに相手の感情や欲求に対して、「私メッセージ」の手法を使って、自分の感情や欲求を述べる。主語は「あなた」ではなく、「私」です。これは相手の行動を非難、否定するのではなく、主導権はあくまでも相手が握っているということになります。3、自分と相手の考え方や欲求が、最初から一致することはないと心得ることです。自分の主義・主張を相手に押し付けると、途端に人間関係は悪くなります。何処が食い違っているのか、お互いに確認し合うことが大切です。深い溝を確認したら、その溝を埋める作業に取り掛かることになります。交渉ごとですから、必ずしも自分の思い通りになることはありません。実際には妥協し、譲ったり譲られたりの関係で終わってしまうことがほとんどでしょう。
2022.06.22
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2022.06.21
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6月8日から6月12日まで、「かくあるべし」から「事実本位」への移行について投稿しました。①から⑧の手順に沿って考えると、移行できることが分かりました。私の実践では、完全に「事実本位」に移行できなくても、ネガティブ感情や二次感情による短絡的な行動は控えることができるように思います。それは短絡的な言動が、人間関係の悪化や後悔の原因を招くことがあらかじめ予想できるからです。短絡的な言動の弊害は身にしみてわかっています。それを抑制することができるのですから、こんなにうれしいことはありません。④にネガティブ感情のラベル貼りというのがあります。今日はラベル貼りに使う言葉を紹介しておきます。嫌気、悲しみ、恐れ、怒りの4つがあります。嫌気・・・退屈、つまらない、うざい、むかつく、嫌悪、復讐心、モヤモヤする、不機嫌、期待を裏切られた、ふさぎこむ、うんざり、もどかしい、ソワソワする、反感悲しみ・・・悲観的、わびしい、落胆、残念、孤独感、みじめ、寂しい、むなしい、つらい、悲惨、意気消沈、みじめ、ふさぎこむ、不幸恐れ・・・おびえる、落着かない、怖い、恐れる、心配する、面食らう、驚き、青ざめる、当惑する、うろたえる、危惧する、怖じ気づく、おっかない、脅威怒り・・・攻撃する、憎しみ、腹立たしい、あ然とする、イライラする、神経が高ぶる、激怒、キレる、カッとなる、投げやり、不愉快、失望する、鬱憤がたまる、憤り(感情マネージメント 池照佳代 ダイヤモンド社 109ページ)私は①から⑧つの項目と、このネガティブ感情のレッテル張りを持ち歩いて、問題が発生したときは、ここに立ち戻るようにしています。生活に定着して良い結果が出ているように思います。
2022.06.21
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3月末に植えたジャガイモが大豊作でした。ミニトマト、ナス、ピーマン、シシトウの収穫が始まりました。カボチャは大きくなっています。サツマイモは日照りの為半分は枯れてしまいました。来年はマルチ栽培を考えています。
2022.06.20
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カーネギーの「道は開ける」という本の中に、「最悪の状態を受けいれたとき奇跡が始まる」(新潮社)という章があります。問題解決の簡単な方法がある。エアコンの発明者キャリア氏が考案した「魔法の方法」だ。3つのステップで行い、魔法のような効果がある。起きたことを否定せず、受け入れてみよう。事実の把握は、状況を変える第一歩だ。ステップ① 起こりうる最悪のことを考える。ステップ② 最悪のことを受けいれる。ステップ③ 最悪のことを改善する。(同書 33ページ)普通ミスや失敗の事実を認めると、非難、叱責されるので、報告しない、逃げる、ごまかす、責任転嫁する方法をとる人が後を絶ちません。事実に向き合わないと、坂道を転がる雪だるまのように問題はどんどん大きくなります。最後に問題が公になると、自分や会社に対する信頼感は地に落ちてしまいます。重要案件の場合、退職や倒産に追い込まれる可能性があります。自分の不注意で発注ミスを起こした例で考えてみましょう。私の場合、学校の舞台幕の注文をもらい、パソコンで加工して、工場に送りました。ところが、袖幕の色と寸法を間違えていました。エンジの色がブルーの色合いになっていました。寸法が30cmも短いものが届きました。急いで再制作しても、卒業式に間に合わない可能性が出てきました。この注文には、施主、学校関係者、得意先、取り付け業者、営業、担当部署、業務、工場など多くの人が関係しています。ステップ① 起こりうる最悪のことを考える。取り付け業者から誤商品の連絡があります。その後次々と関係者から電話が入ります。非難と叱責の嵐です。「どうしてくれるのだ。すぐに作り直して注文通りの物を持参しろ」「この注文をもらうのにどんなに足を運んだのか分かっているのか」「発注前に慎重にチェックはしたのか」「お前には今後仕事を任せられない」これらすべての批判を受けいれて、謝罪するしかない。急いで再制作にかかるが、今年の卒業式にはもう間に合わない。誤制作、誤発送した商品はすべて廃棄処分となる。何十万円も純損失を出しているので、始末書を書く必要がある。卒業式は袖幕なしで執り行ってもらうしかない。関係者には、多大な損失、ご迷惑と心労をかけることになる。非難や叱責は甘んじて受けるしかない。この件で、自分に対する信頼感を大きく損ねた。他部署への移動、退職勧奨を受けるかもしれない。これらが考えられる最悪の事態だ。ステップ② 最悪のことを受けいれる。起こったことは潔く認めるしかない。ここで、自分のミスをごまかす。他人のせいにする。報告を怠り、逃げたりしてはいけない。「俎板の鯉」になったつもりで、焼くなり煮るなりいかようにでもしてくれという良い意味での開き直りが必要になる。最悪を受けいれると、次の対策が立てられる。ステップ③ 最悪のことを改善する。上司へすぐに報告する。関係者に謝罪の電話をする。急いで再発注の処理をする。工場に電話をして、急いで再制作をしてもらうように交渉する。その交渉内容や結果を随時関係者に連絡する。とくかく被害を最小限に抑えるために、上司や営業と連絡を取り合いながら、最善を尽くす。最悪の事態を素直に受け入れるということは、森田でいう事実本位に近づく有力な方法になります。
2022.06.20
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田舎の近所の人がアイガモ農法に取り組まれています。その推移を見守りたいと思います。田舎へ帰る楽しみがまた増えました。
2022.06.19
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「めんどくさい」という言葉は、手間がかかる、わずらわしい、厄介なこと、楽しくないときに使う言葉です。幼い子供や介護の必要な親の「めんどう」をみることは尊いことです。ところが「めんどう」に「くさい」がつくと、途端に否定的な言葉に変わります。実は、アニメ映画の巨匠である宮崎駿監督は、アニメーション制作の過程で、何度も「めんどくさい」という言葉を漏らすのが口癖だったそうです。普通「めんどくさい」と思いながら、手掛けた仕事は、魂の抜けたような仕事になりとても多くの人に感動を届けることはできないように思われます。でも宮崎監督作品は、日本のみならず世界中の人に感動を届けています。どこが違うのでしょうか。「めんどくさい」ことは、単純作業がいつまでも続く。刺激がなくなり、途中で飽きてくるということではないでしょうか。疲れも蓄積してきます。森田理論では、このような場合は、仕事を変えるとよいと言います。頭を使う仕事から、例えば体を動かす仕事に変える。身体を使う仕事でも、手を使う仕事から、足を使う仕事に切り替える。仕事を変えると新たな緊張感が生まれてきます。それとは別に、単純作業に精魂を込めて丁寧にこなす意味は大きいものがあります。雑事や雑仕事と言われるものに、一心不乱に取り組むということです。宮崎駿監督は、その量が積み重なった時の成功体験を数多く持っておられた。雑事こそわが命といった信念を持っておられました。「めんどくさい」といって、いい加減な仕事ぶりでは、決して人を感動させることはできません。私は雑仕事を丁寧にこなしていると、余計な仕事が少なくなり、仕事に余裕が生まれて、仕事を追いかけていくことが可能になるという成功体験を経験しました。そういう経験があると、少々「めんどくさい」と感じることでも、今頑張れば最後はきっと良い成果が出ると確信が持てるのです。「めんどくさい」ことは、最初のうちはなかなかエンジンがかかりませんが、そこをぐっとこらえて、真剣に取り組んでみる価値があると思っております。
2022.06.19
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私はメダカを飼育しています。今は直径50センチの火鉢の中で飼っています。水は40リッター入ります。水の中に竹炭を入れています。これが水を浄化してくれています。その他に水草を入れています。餌は朝晩2回やります。餌をやると底にいたメダカがすぐに餌に飛びついてきます。この時間がとても楽しみです。私の知り合いの中には、犬、猫、インコ、土佐金、ランチュウ、熱帯魚を飼っている人もいます。おおきな水槽を設置している人もいます。ペットがいると餌やりなどの世話をしないといけませんので家を長く空けることが出来なくなります。少し窮屈な気もしますが、それ以上に精神的に癒されているのだなと感じます。生活の発見誌には、我が家の犬や猫の紹介記事があります。それを見ると家族同様のほほえましい関係を築いておられるようです。集談会などでもぺットの話でよく盛り上がっています。私はメダカ以外にベランダや田舎の庭で花を育てることが楽しみです。季節の花が咲き乱れています。特に水仙、コスモス、チューリップ、ヒヤシンス、ムスカリ、あじさい、ダリア、シクラメンなどが好きです。将来は田舎の庭をあじさいで埋め尽くしたいと考えています。庭木では金木犀、シャクナゲ、さざんかなどがあります。特にシャクナゲは5月に真っ赤な大輪の花をいっぱいに咲かせて見事です。その他果樹にも関心があります。田舎で、柿、栗、梅、ゆず、山椒を育てています。梅は収穫すると梅酒を仕込みます。ブルーベリーやイチジクも植えましたがうまく育ちませんでした。それからなんといっても家庭菜園に凝っています。収穫物はこのブログで、写真で紹介しています。野菜がすくすくと育って、食卓を豊かにしてくれるのですからたまりません。近所の人や子供に送ってあげると感謝されます。私の周りはいつも動植物であふれています。妻と一緒に命あるものと関わることで、自分たちの心の安定に大いに役に立っていることを実感しています。私の友人の中には親や妻に先立たれて一人で生活されている人もいます。そういう人の中には、酒、ギャンブル、趣味、スポーツ観戦、観劇、グルメ、旅行などで心の安定を保っておられる方もいます。私はそういう人に、動植物の世話をする魅力を伝えています。世話をすることは相手の為ですが、最後には自分の為になっているように思います。これが抜けると、油の切れた歯車を無理やり回すようなことになってしまうと思っています。
2022.06.18
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感情の法則の3は、「感情は同一の感情に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」です。この理論を分かりやすい例で説明します。たとえば、湯船に浸かるとき、最初は少し熱いなあと思って、水を入れてお湯の温度を下げることがあります。しばらくすると、今度は反対に少しぬるいと感じることがあります。冬場などはまたお湯を足したりします。最初に熱いなと思った時、そのまま我慢することができれば、その熱さに慣れてストレスがなくなるということではないでしょうか。この法則の活用方法について考えてみました。私は毎日自転車に乗っています。チェーンが緩んでカバーに当たって音がするようになりました。最初の感情を大切にして、すぐにお店でチェーンを張ってもらえれば解決したはずです。私は、何とか乗れるのでそのままにしていました。すると感情の法則通り、違和感に慣れてしまいました。最初は急いで修理に行くつもりでしたが、そのうち急いで修理に行くことは考えなくなりました。それが当たり前になってしまったのです。2ヶ月くらい経ってたまたま販売店に行くと、もっと大切に扱ってくださいと言われました。そのまま乗っていると、チェーンが外れて自転車が壊れますよ。最悪事故につながりますよ。最初に気づいた時点で相当緩んでいますから、次はすぐに寄ってくださいと言われました。そういわれて初めて、シマッタと思いました。森田理論でこの部分は何度も学習していたのに、活用していなかったのです。問題があるのに、それを放置していると、最初の貴重な感情は薄まってしまう。問題が深刻化して、切羽詰まって相談したときはすでに手遅れと言うことがあります。理論として知っているだけで、活用していないのは片手落ちです。特に、重大な病気の場合はそういうケースが多いようです。最近は会社勤めの人以外は、年1回の健康診断も受けていないという人もいます。私の身内や友人たちも、最初は頭が痛い、食べ物が飲み込みずらい、胃が痛むことがあると感じていたにもかかわらず、たいしたことはないだろうと市販の薬などを飲んでいた。いつまでも治らないので、病院に行くと重大な病気だった。そのときはかなり症状が進行していたということがあります。最初の違和感があった時、万が一というふうに取り扱っていれば、なんとかなったのではないかと思うことがあります。私たちは森田理論で、最初の小さな感情や気づきを大切に取り扱うことを学んでいるわけですから、理論に従って行動するようにしたいものです。
2022.06.17
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藤井英雄先生のお話です。ネガティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%弱くなり、ポジティブな言葉を1回言えば、自己肯定感が1%強くなると仮定します。90回のネガティブな言葉を口にすることで、100の自己肯定感は40(0.99×90乗=0.4)に減少します。365回後には、(0.99×365乗=0.03)100から3になります。90回のポジティブ言葉を口にすると、自己肯定感は100から245(1.01×90乗=2.45)に増加します。365回後には、(1.01×365乗=37.5)100から3780へと膨れ上がります。(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版参照)この話を聞いての感想は、ネガティブの言葉を発する人とポジティブの言葉を発する人は、時間の経過とともにその差はどんどん開いていくばかりかということでした。これは見逃すことができない問題だと思いました。どうすればポジティブな言葉をより多く発することが出来るのでしょうか。この問題を解くカギは、森田理論の「精神拮抗作用」にあると考えました。この考えは、人間には欲望が湧き上がったとき、同時にその欲望を抑制する考えも同時に湧き上がってくるということです。たとえば、会社の宴会などに参加したとき、「今日は思う存分アルコールを飲み尽くしたい」という欲望が湧き上がってきたとき、「でも明日は仕事だからな。二日酔いになるとしんどいからな」「この前は前後不覚になってカバンを紛失した。自制しなければ・・・」などと言う自制的な考え方も同時に湧き上がってきます。森田先生はこの相反する感情をうまく調整することが大切であると言われています。具体的に言うと、アルコールを心ゆくまで飲む場合は、最初のうちはセーブして飲み始める。最初は食べるほうを重視して、飲み過ぎに気を付ける。あるいはアルコールを飲むたびに、同量のミネラルウォーターも飲むようにする。これはわりと効果があります。ネガティブな考えは人間である限り、必ず発生するものです。これが湧き起こらないと、欲望が暴走して、破滅を招きます。森田理論では車のアクセルとブレーキの関係で説明されます。アクセルを踏み込まないと、目的地に向かうことはできません。しかしアクセルを踏み込んで車が動き始めたら、今度は適宜プレーキを踏み込んで、スピードを調整する。そうすれば事故にも合わず、目的地に到着する。問題はどちらか一方に偏ってしまうということです。アクセルをめいっぱい踏み込めば、スピードが出過ぎて極めて危険です。反対に危ないからといって、ブレーキを踏み込んでばかりでは前進できません。両方を力任せに踏み込めば車が壊れてしまいます。どちらも大切な役割を果していると認識することが大切です。そして、その時その時の状況に応じて、アクセルとブレーキを上手に使い分けてバランスをとることを心掛けることです。その際第一優先順位はアクセルになります。ブレーキは動き始めて初めて役に立つものとして認識してください。ですからブレーキは第二優先順位となります。普段の生活の中でポジティブな言葉は意識して積極的に使うことを心掛ける必要があります。先ほどの例では、「今日は心ゆくまで楽しい酒を飲むぞ」「みんなと楽しい時間を過ごしたい」「ストレスを解消したいと」などという気持ちです。ネガティブな感情に振り回されて、「飲みたい気持ちでいっぱいだが二日酔いが怖いから飲み会には参加しない」「参加はするが一切アルコールを口にしない」では、仲間から変な奴とレッテルを貼られます。人間関係が悪くなり、自分の本音を抑えつけているのでストレスがたまるばかりになります。ポジティブな言葉については2021年7月21日、22日の投稿をお読みください。
2022.06.16
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ちょっと見にくくて申し訳ありませんが、今日バリュープロポジションの説明をします。バリュープロポジションは元々経営の考え方です。顧客が望んでいて、競合他社が提供できない、自社が提供できる価値のことを言います。バリュープロポジションの出発点は顧客です。企業は顧客の望んでいる価値を提供しないと商売にはなりません。ただし顧客の望んでいることをすべて叶えてあげたとしても商売はうまくいきません。それよりも顧客が気づいていなかった新たな価値を創造して提供することが肝心です。顧客のすべての要望に応えるよりも、新たな顧客のニーズを掴んで、提供することが企業の成長発展につながります。しかし自社が提供するサービスが、他社と競合していると、消耗戦に巻き込まれます。他社が業界のNO.1企業だった場合は、価格競争に引きずり込まれ、いずれ敗北してしまいます。価格競争に巻き込まれると、企業は衰退を余儀なくされて存続が困難になります。自社がその業界のNO.1企業でない場合は、すぐに撤退するか、他社と競合しない分野を見つけるか新たに作り上げないといけません。3番手以降の企業は勝負すればするほど消耗します。以上をまとめると、①顧客が望んでいる価値を明確にすること。新たな価値を創造すること。②それがライバル企業と競合していないかを検討すること。③ライバルと競合していない分野に、人員と資金と資源を集中投下して経営を行う。これがバリュープロポジションという考え方です。(100円のコーラを1000円で売る方法 永井孝直 中経出版 105ページ参照)これを生活の発見会の集談会活動に当てはめて検討してみましょう。①顧客にあたるもの・・・神経質性格者ですぐに不安にとらわれてしまう人。そんな自分の性格を嫌っている人。毎日生活していくことが苦しくてつらいと思っている人。しかし苦しみを抱えながらなんとか仕事や家事をこなしている人。②ライバル企業にあたるもの・・・神経症の治療に当たっているクリニック、病院の精神科医、臨床心理士、その他カウンセラー、認知行動療法をはじめとしたさまざまな精神療法。③自社の強みにあたるもの・・・神経質性格を活用した価値のある生き方を提案できること。まとめると、神経症の予備軍に当たる人は、目先神経症の克服を目指しているように見えるが、最終的には神経質性格を活かした人生観を確立することにあると思われる。我々の得意分野は、薬物治療、カウンセリング、認知行動療法などとは勝負にはならない。我々は治療の専門家ではない。そこで勝負をかけるとほぼ敗北する。我々はそこにすべてのエネルギーを投下してはならない。力関係からすると、大人と子供ほどの差があることを認識すべきです。それよりも自分たちには目指すべき目標がある。他の追随を許さない得意分野がある。私たちは、人生100年時代を迎えて、神経質者の人生観の確立の面ですぐれた価値を提供できるということです。その点については、すでに森田理論学習によって、かなりのものを蓄積している。どうやらこの道しか我々を活かす道はないようである。よって今後は愚直にその道を邁進するようにしようではありませんか。
2022.06.15
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アメリカの精神分析医のメニンジャーは、「おすきな方をどうぞ」という非常に面白い随筆を書いている。彼は、人間には2つのタイプがあって、1つは幸福が欲しい、幸福が欲しいと、幸福を求めるタイプであり、もう1つは真実を求め、現実を直視するタイプだという。結論として、幸福を欲しがる者は、現実にはなにも努力をせずに腕をこまねいているので、幸福がやってくるわけではなく、結局そのような人には幸福は与えられない。一方、真実を求める人は、自分が置かれた現実と自分の本当の姿を知っているので、次々と直面する苦悩こそ世の中の真実だと認めている。そこで、ひとつひとつの苦悩の対象を解決するように努力し、それを乗り越えて新しい境地を拓いていく。その結果、ひとつの苦悩が終わり、次の苦悩がやってくる間隙に、真の喜びが、真の幸福が訪れる。「おすきな方を」自由にお選びなさいというのである。(人はなぜ悩むのか 岩井寛 講談社 192ページ)森田理論学習を続けている方は身に染みて理解されているのではないでしょうか。観念主義、理想主義、完全主義に凝り固まってしまうと、どうしても上から下目線で現実や事実を見てしまう。そして非難・否定することが習慣化してしまいます。事実と理想が敵対関係に陥ります。理想の方が力が強いのが一般的です。事実や現状を否定して、変更を画策するようになるのです。多大なエネルギーやお金をかけて努力するのですが、思惑外れで疲労困憊することが多いのです。特に神経症的な不安は欲望の反動として発生していますので、欲望から目を離して不安に振り回されると収拾がつかなくなります。事実に寄り添っている人は、エネルギーの無駄使いが起きません。事実や現状にしっかり足をついている人は、そこから一段ずつ階段を上っていくことが可能になります。下から上目線で目標を追っていくと強迫観念で苦しむことはなくなります。自己嫌悪や自己否定がなくなり、小さな目標を達成するたびに自己信頼感・自己肯定感が強まります。人間としての器が大きくなります。森田理論でこのからくりをしっかりと理解して、森田の正道を歩んでいきましょう。
2022.06.14
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集談会にやってくる人たちは、不安、恐怖、違和感、不快感に振り回されている人たちです。重度の神経症で生活に支障のある人は、クリニックにかかっていると思われます。集談会に参加している人は、葛藤を抱えながらなんとか生活できている人たちです。生きづらさの解消を求めてネットで検索しました。その結果、森田療法や生活の発見会という自助組織の存在を知りました。早速生活の発見会の本部に問い合わせました。そして地元の集談会を紹介されました。疑心暗鬼で恐る恐る地元の集談会に参加してみました。その結果はどうだったか。とくかく参加者が少ない。覇気がない。内容もよくなかった。たいしたことはない。理論がよく分からない。なんだか傷のなめ合いをしているみたいだ。治っている人もいたが、莫大な時間がかかりそうだ。考えて見れば、個人の名前を治療法に付けているのはなんだか怪しい。新興宗教に近いのではないか。1回参加しただけで雰囲気はよく分かった。もう二度と行くことはないだろう。即効性のある薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法があるのだからそちらのお世話になろう。残念ながら、こういう人が多いのでないかと推察する。この問題を我々森田理論で恩恵を受けてきた者としてどう考えたらよいのだろうか。生活の発見会という自助組織が生き延びる道、森田理論学習が未来永劫にわたり継続される道は残されているのか。難しい問題ですが、私は自信をもってその道は残されていると宣言したい。ただし今のままでは心もとない。大胆な発想の転換が必要だ。それは何か。未練はあるが症状森田から距離を置くことだと思う。症状を問題にする今までの方向から転換することです。医療やカウンセリングや他の精神療法と競合する分野からは完全に撤退すること。そして独自の道を模索していけば再び脚光を浴びる日が来る。森田理論の中身はこれはと思う素晴らしい内容が含まれています。これは神経症治療として森田療法を活用する方向からは決別することです。神経症というのは、不安などにとりつかれて、精神交互作用で蟻地獄に落ち込んだようなものです。そこから地上に這い出るというのが神経症治療としての森田療法です。考えて見れば、森田先生から始まった森田療法は、生活の発見会の活動を含めて、その一点にフォーカスしてきたのです。それを放棄することは、森田の存在意義がなくなってしまうと思われるかもしれません。なかなか受け入れがたいと思います。生活の発見会の森田理論学習に、薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法などと競合しない分野があるのか。それが一つだけあります。神経質性格者が、人生100年時代を迎えて、神経質性格を活かした人生観を確立するという分野です。現在人生観の確立を目的として活動している団体はほぼ見当たりません。全て症状を取り去るか軽減させることを目標にしています。しかし、神経症予備軍の人が、集談会に参加して、いくら神経症からの解放の方法を教えてもらっても、他にもっと良い方法がごろごろ転がっている状況です。わざわざ火中の栗を拾いに行く人がいるでしょうか。そんな人はよほどおめでたい人と言わざるを得ません。集談会が神経症の克服という目的を離れ、神経質性格者としての生き方にフォーカスした活動をはじめたとき、改めて脚光を取り戻すに違いありません。それは、今まで求められながらも、放置され続けた分野だからです。今まで手付かずのブルーオーシャンの世界が目の前に広がっているのです。集談会では、基本的には神経症からの克服を取り上げることは中止すべきと考えます。全てとは言いません。それだけを中心に据えた活動は自粛すべきです。アリ地獄から地上に出る方法は、他の専門家に任せればよいのです。我々はその人に合った適切な医療機関、専門医、カウンセラー、精神療法を紹介してあげることです。そのために、森田の協力医、カウンセラー、さまざまな精神療法の知識や情報は必要です。神経症の克服は集談会の役割ではないと決意したら、未練がましくそこにしがみついてはいけません。それにつがみつくと益々組織の停滞に拍車がかかるのです。集談会の役割は、神経質性格の活かし方、神経質性格を活かした生き方を参加者が一緒になって模索していくところです。主要なテーマは次のようなものになるでしょう。不安の特徴や役割、不安と欲望の関係、生の欲望の発揮、生きがいとは何か、欲望の制御能力の獲得、「かくあるべし」の弊害、事実優先の態度の養成、変化への対応、物の性を尽くす、不即不離、バランス、調和、人間関係の在り方、仕事との付き合い方、子育て、社会や自然との共生などです。この分野では私たちは相当なノウハウを積み上げています。そしてその活用例の情報交換をして、参加者全員がどんどん刺激を与えあうことが大事です。こんな学習会、自助組織、集談会が待ち望まれているのです。この分野は更地です。前途洋洋です。方向転換してこの分野に進むのか、旧態依然として神経症からの克服に甘んじた活動を続けていくのか。どちらの道を選択するかで、森田理論学習の盛衰は決まってしまうでしょう。
2022.06.13
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今回は上司と部下の人間関係を取り上げてみました。①問題ある困った出来事、不平不満あなたはラインの中間管理職をしています。部下が7名います。その部下が申し合わせて暑気払いを企画して実行しました。自分には声がかかりませんでした。それを翌日の朝知りました。②そのときのネガティブ感情、二次感情憤り、カッとなる、腹立たしい、仕返しをしてやる。③そのときの「かくあるべし」、上から下目線の考えは何か部下は上司の私を無視して勝手な行動をしてはならない。組織としてまとまりのある行動をするべきだ。そんなことをすると組織がバラバラになる。部下が上司を立てるのは当たり前のことだろう。こんな気持ちで対応すると、部下との人間関係は一挙に崩れる。④ネガティブ感情のラベル貼り不機嫌、憤り、憤懣やるかたない気持ち⑤実況中継昨日の夕方のことです。いつもは残業する部下が、申し合わせたように定時で退社した。珍しいこともあるもんだと思っていた。その後、部下たちは全員居酒屋で暑気払いを行い、そのあとカラオケに繰り出した。自分だけが仲間外れにされていたことが分かった。やり場のない怒りで一杯になりました。マインドフルネスでは、間をとる、一歩引く、第3者的な立場、客観的な立場に立って考えるということでした。⑥まず、一次感情、初一念、純な心を思い出す。仲間外れにされて悲しい。みじめだ。落胆した。⑦両面観で今一度事実関係を再確認する。怒りを抑えて、係長に「昨日はみんな盛り上がったか」と聞いてみた。係長はバツが悪そうに「普通でした」という。「誰の発案だ」と聞くと、「僕です」という。「どうして俺には声をかけてくれなかったのだ」聞いてみた。「強引にお誘いするよりも、今回は若手中心で無礼講でやろうということになりました」という。そういえば俺だけみんなと歳が離れている。⑧最悪の事態を想定して受け入れる。そこを基点にして、今できる最善の手を考えて実行に移す。上司である自分のことをないがしろにされた。憤懣やるかたない気持ちを爆発させるとどうなるか。上司と部下の人間関係が一挙に崩れる。課として統一性が崩れて、課の目標達成が困難になる。上からマネージャーの資質なしとみなされる。こんなことでは部長に昇進することなど夢のまた夢となる。ここは感情の法則1を活用した方がよい。「感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである」(森田理論学習の要点 生活の発見会編 10ページ)さらに、「(神経症的な不快感や)不安が生じるのは関連する欲望があるからで、欲望がなければ不安もありません。両者は同一の事柄を表裏両面から見たものである」という。(同書 13ページ)ラインの課長としての自分の欲望は何か。一つには課をまとめ上げて、課としての数値目標を達成していくこと。次に一人でも多くの優秀な部下を育てることこと。最終的には、優れた管理職として評価されること。初心を思い出して、その目標を達成するために精進していきたい。自分にお誘いがなかったということは、普段から部下にきついことばかり言っているからではないか。口では部下を育てると言いながら、実際には非難、否定、叱責、指示、命令、強制、脅迫の言動が多かったのではないか。これを教訓にして、部下との付き合い方を今一度見直してみよう。そのために、管理職としての役割や心得を再度学習していきたい。⑦の事実関係を再確認するというところですが、森田理論の両面観が役立ちます。先入観で決めつけていることが多いので、意識して別な正反対な考え方をすることが大切になります。言い換えれば、多面的な見方をすることです。「かくあるべし」から「事実本位」への移行を「その1」から「その5」まで連続して投稿してきました。これでひとまず連載は終わります。以上を参考にして、読者の皆様に「問題ある困った出来事、不平不満」が発生したとき、①から⑧の手法で自分に当てはめて検討してみてください。「かくあるべし」という観念の押し付けから、多少なりとも現実、現状、事実本位に切り替わる体験が生まれてくることを願っております。
2022.06.12
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今日は自動車を運転中に無理な割り込みをされたという例を取り上げました。昨今マスコミでよく取り上げられる事件です。①問題ある出来事、不平不満の具体例車間距離がないにもかかわらず、横から来た車が無理な割り込みをしてきた。ある程度のスピードが出ていたので、追突しそうになった。なんとか間一髪で事故は回避できた。②そのときのネガティブ感情、二次感情「けしからん。なんという乱暴運転をするのだ」怒り心頭に達し、クラクションを鳴らし、ライトを点灯して不満を表した。③そのときの「かくあるべし」思考、上から下目線の考え事故を招くような乱暴な運転は絶対に許すことはできない。時々、追い越し車線をすいすいと走行してきて、一車線になる手前で割り込みをする車がいる。みんながルールを守っているのに、割り込みをしてくるのはいかにも虫がよすぎる。他県ナンバーの車の場合は道路状況が分からないから仕方ない。同県ナンバーの場合は、ある程度道路事情も分かっているのだから、割り込みするのは如何なものか。「そうだ、ドライブレコーダを搭載しているので警察に通報して危険運転で逮捕してもらおう」「テレビ局にこの画像を提供して、事を公にしてもらおう」④ネガティブ感情のラベル貼りを行う「怒り」「非難」の感情が発生しました。⑤実況中継を行う。前の車との車間距離を保ちながら、ドライブを楽しんでいました。2車線から1車線になる手前で、後ろから来た車が、急に車線変更して無理やり割り込んできた。追突しそうになったが、急ブレーキを踏んでなんとか事故を回避できた。助手席で寝ていた妻が驚いて飛び起きた。腰が抜けて脂汗が出てきた。ここからマインドフルネスの、「間をとる、一歩引く、第三者的な立場に立つ、客観的に考える」の応用です。⑥一次感情、初一念、純な心は何か「あぶない」とっさに急ブレーキを踏んでいた。次に「ああ、事故にならなくてよかった」と安堵した。⑦両面観の立場から今一度事実関係を再確認する。この先で二車線の道路が一車線になっている。それで無理な割り込みをしてきたのかもしれない。私はこういう場合、極力走行車線を走るようにしている。でも私自身うわの空で運転しているとしまったと思うことがある。今回も誰も割り込みさせてくれないので強引に割り込みしてきた可能性がある。⑧万が一に備えて最悪の事態を想定して受け入れる。そこを基点にして、今できる最善の手を考えて行動に移す。割り込みされるのを警戒して、前の車との車間距離を詰めていると、追突する恐れがある。ある程度の車間距離を保たないと大変危険である。スーパーなどで合流する時は1台ずつ交互に譲り合っているのに、一般道路ではつい向きになって競り合ってしまう。友人の中にも、普通は穏やかな人が、ハンドルを握ると急に人が変わったような乱暴な運転をくり返す人がいる。一旦事故を起こしてしまうと、多額な費用と後始末に莫大な時間を取られる。車は移動手段としては大変便利なものだが、凶器にもなるという意識を持つことが大切になる。考えてみれば、自分も割り込みさせてもらうことは多々ある。また往来の激しいところで、相手の厚意に甘えて右折させてもらうこともある。高速道路では混みあっている時に、合流させてもらうこともよくあることだ。お互いに意地を通すよりも、事故を回避して安全走行に徹する方が気持ちがよい。精神的な緊張感にさらされるよりも、寛容な気持ちで譲ってあげたいものだ。反対に、自分が譲ってもらった時は、お礼の意味でハザードランプを点灯して感謝の気持ちを伝えたい。
2022.06.11
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「事実本位」の生活態度の習得は森田理論学習の核心部分ですので、さらに投稿を続けてみます。①問題ある出来事、不平不満の具体例あなたはスーパーのレジに並んでいました。急いでレジを済ませて、すぐに仕事に戻ろうとしていました。前に並んでいた年配の人が、いざ清算という時、財布から小銭を一つ一つ探しています。もたもたして時間がかかっています。他のレジに並ぼうかと思いましたが、どこも混んでいます。そのうち、小銭の何枚かを地面に落としてしまいました。②そのときのネガティブ感情、二次感情「何をやっているんだよ。イライラする」と思いました。③そのときの「かくあるべし」、上から下目線の考えは何かレジに並んでいる時は、小銭は財布の中で100円、50円、10円、5円、1円と整理していつでもすぐに支払えるようにしておくと小銭がたまらないのにと思っています。自分がそうしているので他人もそうすべきだと思っているのです。④ネガティブ感情にラベル貼りを行う「イライラする」「腹立たしい」⑤実況中継を行う現在レジに並んで清算待ちをしています。前にいる人がモタモタしているために、待たされています。小銭を区分けしていないでレジに並んでいることは許せない。もたもたするなら紙幣で払ったらどうなのと思っています。マインドフルネスでは、問題行動を起こしそうになった時、いったん間を取り、一歩引いて、第3者的な立場から、客観的に見つめてみるということでした。⑥一次感情、初一念、純な心を改めて思い出す早くレジを済ませて仕事に戻りたい。あまり時間がないので、イライラしていました。この列に並んだ方が一番早くレジが終わると思っていた。かご一杯に商品を入れている人が少なかったからである。⑦両面観で今一度事実関係を確認する。年配の人がモタモタしていて思惑が外れた。私はレジに並んでいる時、小銭を財布の中で、100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉ごとに仕分けしている。紙幣で支払うと小銭で財布が膨れ上がるのでなるべく小銭で支払いたいからだ。清算の時は手早く小銭を出すようにしている。そうしておかないと、レジでもたもたすることになるからだ。もたもたすれば、レジ係や後ろに並んでいる人から、常識のない人だなと軽蔑されることになるという思いが強いからだ。だから他人がもたもたしているのを見ると、心の中でその人を非難しているのだ。寛容な気持ちで「ゆっくりでいいですよ」という気持ちにはなれない。⑧万が一に備えて最悪の事態を想定して受け入れる。それを基点にして、今できる最善の手を考えて行動に移す。自分のやり方を他人に強要するやり方は、あまりにも自分勝手だ。人それぞれのスタイルがある。レジでコインを一つ一つ探している人を見るとイライラするが、それは自分の「かくあるべし」を相手に押し付けているに過ぎない。その態度が人間関係を悪化させていることに気付く必要がある。特に年配になると動作が緩慢になるのは仕方ないことだ。それを考慮しないでこのレジを選んでしまった自分の責任だ。また歳をとると誰かに助けてもらうことが多くなる。高齢で寝たきりになれば下の世話までお願いすることになるのだ。仕方ないことだと観念して、寛容な気持ちで待ってあげよう。こんなことでイライラしていてはいくつ体あっても足りない。そうだ、落としたコインを探してあげよう。この①から⑧の手順は、「かくあるべし」から「事実本位」に近づくための有力なツールとなります。興味と関心のある方はぜひ習得してください。
2022.06.10
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昨日に引き続いて、別の例を取り上げてみました。問題ある困った出来事、不平や不満の具体例母親が小学校へ上がる前の子どもを連れて大型ショッピングモールに行った。買い物をしながら、ふと気付くと、子どもが見当たらなくなっていた。ネガティブ感情、二次感情腹立たしい。むかつく。うんざりだ。おっちょこちょいで、何かと親に迷惑ばかりかける。「かくあるべし」、上から下目線の考えお母さんから離れて動き回ってはいけないと注意していたのに何を考えているのか。厳しく説教、叱責しないと、自分勝手な行動は治らない。犬のように紐をつけておけないので、言葉でしつけるしかない。この時の感情に「ラベル貼り」を行う。むかつく、うんざり、腹立たしい、怒り、イライラがたまる。実況中継を行う。家から5分の大型ショッピングモールに食料品の買い物に来た。母親と未就学児童2人である。母親は子どもを監視しながら、食料品の品定めをしていた。ふと気が付くと子どもの姿が見えなくなっていた。そのうちかえって来ると思って、そのまま買い物を続けていた。5分くらい経ってもまだ帰ってこない。あちこち探し回ったが、見つからない。そのうち店内放送で、「迷子のお子様をお預かりしております。服装は・・・」と店内放送があった。まさしくうちの子だ。急いでインフォメーションに迎えに行った。ここでマインドフルネスでは、間を取る、一歩引く、第3者の立場に立つ、客観的な立場に立って考えるということでした。一次感情、純な心、初一念は何だったのか。心配だ。めそめそして泣いているかも。途方に暮れているかも。気が動転してパニックに陥っているのではないか。今一度事実の再確認を行う。子どもと再会したとき、すぐに怒りをぶつけるのではなく、どうしてお母さんを見失ったのと聞いてみる。面白そうなおもちゃがあったので、そこに行った。他の子もたくさんいた。そうだったの。でも行く前にお母さんに、伝えてほしかったといった。あのおもちゃを買ってほしいなどと言う。万が一に備えて最悪な事態を想定して受け入れる。そこを基点にして、今できる最善の手を考えて行動に移す。そこら中を走り回り、人様にぶつかって危ない。商品を棚から取りだして持ち運ぶ。包装紙を破り、中身を出してしまう。食べたり、その辺に撒き散らす。商品を傷つけ壊してしまう。勝手に店の外に出てしまう。おっちょこちょいなのは分かっているので、名札を首からぶら下げておく。家で、今日は欲しいものがあっても買えないけど、それでもついてくるかと聞いておく。お母さんから離れる時は、必ずお母さんの了解をとる。店内を走り回らない。勝手に商品にはさわらない。迷子になったら、近くの店員さんに助けを求める。勝手に店の外にでてはいけない。両面観で考えると、うちの子は好奇心旺盛、行動力があるということだ。その点は大いに評価できる。その芽を摘み取らないで、大きく伸ばしてあげることは忘れないようにしたい。
2022.06.09
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マインドフルネスは「今、ここ」の現実にリアルタイムかつ客観的に気付いていることでした。この考え方を応用して、森田理論の「かくあるべし」から「事実本位」に近づく方法について考えてみました。この方法は今では「事実唯真」に近づく一番の早道のような気がしております。早速ご説明します。問題ある困った出来事、不平や不満の具体例として、中学生の娘が夜9時を過ぎたのにまだ帰宅していない。連絡もない。親にとってはいてもたってもおられない状況です。そのときのネガティブ感情、二次感情は、娘の勝手な行動はどうなっているのだ。許せない。親に心配ばかりかけて。どうして電話をしてこないのか。普段から嫁が甘やかせてばかりだからこんなことが起きるのだ。そのときの「かくあるべし」、上から下目線の考えは何か小学生や中学生の女の子は、日が暮れる前に家に帰っているべきだ。親に内緒で、夜一人で勝手に外出することは、絶対に許さないぞ。取り返しのつかないことになっても、親は責任を取らないぞ。ここではネガティブ感情や上から下目線のままで対応すると、問題は収束しないで益々こじれてくるという認識を持つことが肝心です。森田理論の学習をしている人は、踏みとどまることができるようになります。これがその後の展開を大きく左右します。つぎからはマインドフルネスの応用です。まず、ネガティブ感情のラベル貼りをおこなう。ここでは、「怒り」「イライラ」「激怒」などです。ラベル貼りは、「恐れ」「悲しみ」「嫌気」の感情を表す言葉を整理していると役立ちます。これは後日投稿します。次に、実況中継を行います。中学生の娘が夜9時になっても帰宅していません。電話もありません。心当たりの友達の家に電話をしてみましたが、見つかりません。真相が分からないまま、時間だけが過ぎていきます。そのうち、娘が何ごともなかったように帰宅しました。私は、遅くなった理由を聞かずに、つい叱りつけてしまいました。娘は反発して自分の部屋に駆け込んでいきました。気まずいことになりました。ここでマインドフルネスでは、間を取る、一歩引く、第3者的な立場、客観的な立場に立つということでした。次の3点について、客観的に考えることができれば、「かくあるべし」という観念優先の立場から、「事実本位」優先の方向に切り替えができます。まず、一次感情、初一念、純な心を改めて思い出すことです。娘の身に何かあったのではないか。交通事故や事件に巻き込まれたのではないか。最初は「心配だ」「青ざめた」「うろたえた」はずです。それは一瞬で消え去り、二次感情で覆い尽くされてしまったのです。次に、今一度事実関係を再確認する。事実の早合点、事実を先入観で決めつけることは厳禁です。これは「かくあるべし」から、「事実本位」に立ち返るということです。帰ってきた娘に遅くなった理由を、怒りを棚上げにして聞いてみるしかありません。友だちの家でゲームで盛り上がっていた。カラオケに行っていた。勉強していた。その他いろんなケースがあるでしょう。悪い遊びをしていたら正直に説明してくれないかもしれません。連絡しなければと思っていたが、そのうちうっかり忘れていたのかもしれません。万が一に備えて最悪の事態を想定して受け入れる。そこを基点にして、今できる最善の手を考えて行動に移す。交通事故や事件に巻き込まれたかも・・・この場合交番などに届ける学校で配布された友だちの連絡網で問い合わせる。通学路や隣近所を家族で手分けして探し回る。冷静になった時、娘と緊急時の連絡方法について取り決めておく。今後は夜道を一人で歩かないで、駅やコンビニなどで待っていれば、必ず車で迎えに行くことを約束する。この手順を踏めば、娘との人間関係が一挙に壊れることもなく、むしろ親子の関係が強固なものになる可能性があります。ネガティブ感情や上から下目線のままで対応した場合と比較すると雲泥の差です。「かくあるべし」から「事実本位」への切り替えは、人間関係を大きく改善させるものなのです。
2022.06.08
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1990年代は「キレる17歳」という言葉がありました。凶悪事件が立て続けに起きたのです。現在はその年代が上がり、キレる大人が増えてきたそうです。高速道路のサービスステーションで駐車位置を注意されたことを逆恨みし、後を追いかけ回して痛ましい死亡事故を引き起こした事件がありました。本人は後悔するどころか無罪を主張して裁判で争っているという。会社でも気に入らないことがあると、いきなりキレて暴力事件を起こすこともあります。そして本人は退職に追い込まれる。こういう例を何回か見てきました。最近は「暴走中年」「暴走老人」などと言われることもあります。幼児がキレて駄々をこねて暴れまわるのは、まだ抑制力が発達していないので仕方がない面があります。しかし大人がキレて見境もない言動をとることはどういうことなのでしょうか。本人もあとで冷静になって考えれば、分かっているのですが、その場ではどうすることもできない。また、社会的に許されない本能的な欲望が暴発して、人様に迷惑行動をとることもあります。この場合は、逮捕されていくら後悔しても後の祭りです。本人の破滅だけではなく、家族や親戚や会社に迷惑が掛かります。人間には感情の暴発、迷惑行為の抑止力はどうなっているのでしょうか。それはもともと機能として備わっているものなのです。その機能が弱まっていると理解すべきだと思います。大脳の腹外側前頭前野は「気持ちを切り替える脳」と言われています。この部分が正常に機能すると、イライラするようなことが起きても、なんとか持ちこたえることができるそうです。気に入らないことや本能的な欲望を我慢することが可能になるのです。この部分が機能しなくなると大変なことになります。一つのことにいつまでもとらわれて、なんとかその場でケリをつけようとするのです。嫌な感情や本能的な欲望を解放しないと自分が破滅してしまうような気持になるのです。大脳の腹外側前頭前野(気持ちを切り替える脳)を活性化しているのはセロトニン神経です。セロトニン神経が枯渇した状態では、感情が暴発してしまいやすいということになります。セロトニン神経は、不安、恐怖、不快感が増悪しないように弱める機能も果たしています。セロトニン神経の働きが悪くなると、うつ状態、うつ病にかかりやすくなります。さらに重要なことは、大脳に内側前頭前野と言われる部位あります。受容や共感や許容を司っている部分です。包容力や相手を思いやる気持ちはこの部分が活性化することが欠かせません。この部分を活性化しているのもセロトニン神経と言われています。つまりセロトニン神経が活性化していると、他者に対する共感力が高まり、感情の暴発を未然に防ぐことに繋がります。セロトニン神経を鍛える方法は、2022年2月13日に投稿しました。簡単なことばかりですから、是非取り組んでみてください。(「心のバネ」を強くする 有田秀穂 ぱる出版 64ページ参照)
2022.06.07
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マインドフルネスに詳しい藤井英雄医師のお話です。マインドフルネスとは、「今、ここ」の現実にきちんと向き合い、リアルタイムかつ客観的に気づいていることです。これを言い換えると、マインドフルネスとは「今、ここ」の現実を「感じる」ことと言ってもいでしょう。感じることと考えることは、同時に行うことはできません。考えているときは、感じていることがお留守になっていて、うわの空になっているものです。心は、いつも「今、ここ」から離れて思考しがちです。それが心の役割なのです。具体的には、過去の失敗を思い出しては後悔し、未来を取り越し苦労しては不安になり、他人がこうしてくれたらいいのにと不満に思い、こんな自分ではダメだと自己嫌悪に陥っては憂欝になるのが人間です。それはなぜか? 思考しているときには、今ここから離れうわの空になる可能性が高いのです。森田でいうと事実や現実から離れているということです。だから、まずは一旦思考を手離して、「今、ここ」の現実を感じるようにすることがマインドフルネスの第一歩となります。「そんなに心配しない方がいいよ」「ネガティブに考えないことだよ」こういったアドバイスは一見正しいのですが、ほとんど役に立つことはありません。なぜなら、考えないことはとても難しいことだからです。考えまいとすればするほど、心配事が頭をよぎるのはだれしも経験があることでしょう。ではどうすればよいのか。藤井医師は次のように言われています。簡単です。「今、ここ」を感じればいいのです。「今、ここ」の現実にフォーカスしていきいきと感じるとき、心の中には心配事が入る隙間がなくなります。(「平常心」と「不動心」の鍛え方 藤井英雄 同文館出版 48ページ引用)「今、ここ」の現実にきちんと向き合うというのは、森田の「純な心」の考え方に近いと思います。しかし事実や現実にきちんと向き合うというのはとても難しいことです。どうしてもネガティブな気持ちや感情に振り回されてしまいます。不快な感情に対してはそれを異物視して取り除こうとします。そのとき注意や意識は「今、ここ」にはありません。森田ではどんな感情でもまずじっくりと味わいましょうと言っています。純な心、素直な感情、初一念、一次感情などと言われていることはほぼ同じ意味です。たとえば食事している時のことを考えてみましょう。食事をしながら意識はテレビに向けられている。頭の中では今日の仕事のことを考えている。過去のイヤな出来事に向いている。対立している人間関係に向いている。雑念のことに気を取られている。ペットや家族の動向に向けられている。目の前の料理はただ急いで口に放り込んでいるだけで、味がどうかには向いていない。よく噛んで味わっていない。そして2時間くらい経つと、さて今日の夕ご飯のおかずは何だったのかすぐには思い出せない。それを解消するために、森田では「物そのものになりきる」ことをお勧めしています。食事の時は目の前の料理をしっかり味わいながら食べることに専念しましょうと言っているのです。人間は感じることと考えることは同時にはできません。感じるときにはしっかりと感じることに集中しましょうと言っているのです。たとえそれが嫌な感情でも価値批判なしに味わうようにするのです、しっかりと集中することが出来れば、その考えを批判、否定することがなくなります。これができるようになれば「純な心」を体現できるようになります。さて、「今、ここ」の現実に向き合えないもう一つの理由があります。人間は言葉を自由に操り、現在、過去、未来についていかようにも考えることができます。「かくあるべし」という観念主導の生き物であるということです。「今、ここ」に向き合うためには、観念優先の態度を事実優先の態度に改めていく必要があります。事実をよく観察して真実を見つめようとする態度の養成です。そうなれば、事実を軽視して、早合点、先入観、決めつけることがなくなります。事実誤認に基づいて間違った対応が少なくなります。上から下目線で物事を批判、否定する態度から、下から上目線で目標や課題を見つめる態度に切り替えることが必要です。この態度の養成は、「今、ここ」にしっかりと足を着いていることが欠かせません。
2022.06.06
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我が家のベランダです。
2022.06.05
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人間の体は不安やストレスにさらされた場合、すぐにスクランブル発進するようになっています。スクランブル発進は当面の危険回避ですから長時間にわたることは想定していません。今日はその仕組みを見てゆきたいと思います。次の3つがあります。1、扁桃体がストレス、不快を感じると、ただちに自分の命を守るために闘うか逃げるかの決断を下します。その情報はノルアドレナリンという神経伝達物質によって青斑核に送られます。青斑核は危機管理センターの役割を果しています。そこからただちに防衛態勢をとるように指令が下されています。不快の原因はあらかじめ分かっていますので、そこに注意や意識を集中して対応します。緊急事態に入るとドパミン主導の報酬系神経回路は一時的にストップされます。時間的には1時間くらいで元の状態に戻ることを想定してこの仕組みは稼働しています。神経症に陥ると、ノルアドレナリン主導による防衛系神経回路だけが何日にもわたって作動していることになります。それが慢性化すると、うつ病などの精神疾患につながります。その結果、やる気や意欲がほとんど湧き上がってこなくなるのです。日常生活や仕事を回避することばかり考えて、積極的に行動できなくなります。抑うつ状態で精神的に不安定になり、イライラして苦しい。生きていても楽しいことが何もないという悪循環に陥ります。それらを振り払うために、瞬間的、刹那的、享楽的な依存対象を見つけて、無理やりドパミン主導の報酬系回路を作動させてバランスを取ろうとする。カンフル剤のような依存対象は、ほんの一時的に効果があっても、最後には心身ともに破滅の方向に向かいます。2、過度な不安やストレスに長時間さらされると交感神経の異常を招きます。アドレナリンの過剰反応が起きます。一つには血管を収縮させて血行障害や虚血状態を起こします。組織に老廃物がたまり、痛み、発がん物質、炎症を招きます。白血球に作用して顆粒球を増加させ、炎症性サイトカインの放出を促します。その結果、炎症による組織破壊を引き起こします。活性酸素が増加して組織の老化が進みます。短期的に交感神経が活性化して、緊張感を高めて、問題解決にあたることは自然で必要なことです。しかし長期に及ぶと自分の身体と精神を破壊するものに変化するのです。3、副腎皮質からはストレスホルモンと言われるコルチゾールが放出されます。コルチゾールは心拍数を高めて、タンパク質から闘うエネルギーを作り出しています。短期の危機管理に対応しているのです。また、炎症性サイトカインの過剰放出を抑制しているのもコルチゾールです。コルチゾールは最終的に海馬によってコントロールされていますが、長期に渡り不安やストレスにさらされると、海馬は萎縮し機能は失われてしまいます。海馬は脳の中でも新しい神経細胞を作り出していますがその機能が失われます。コルチゾールが過剰に放出されると、炎症性サイトカインは無制限に出続けることになります。これがガン、胃潰瘍、血管障害、慢性疼痛、うつ病、老化などの病気に繋がってきます。短期的な不安やストレスは、危機意識を高めて安全を確保するために欠かせないものです。ところがそれが長期に及ぶことは弊害ばかりになる。最初は味方だったものが次第に自分に刃を向けるようになるのです。森田は不安やストレスを慢性化させないことが肝心だと言います。球磨川や天竜川の川下りでは、船頭さんが遊覧船が岩にぶつからないように、竿で常に動きを調整しています。私たちも、不安とストレスを上手にコントロールする船頭を目指していきたいものです。私はそのコツを森田理論学習によって学びました。
2022.06.05
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以前「男女そろって全国でも稀な長寿村」があった。山梨県北都留郡上野原町棡原地区だ。その村が戦後30年間で長寿村から短命村に転落した。どうしてそのようなことになったのか。今日はそれを説明してみたい。この町に昭和27年にバスが通れる道路が開通した。陸の孤島と言われた町からの大きな変革だった。それを境にして、素晴らしい伝統食が戦後急速に崩れていった。伝統食、郷土色、自給自足、地産地消、身土不二の破壊である。その第一は、雑穀米から白米の常食化から始まった。その流れで、食の近代化と称する洋風化が吹荒れた。肉、魚、カレーライス、ハム、ソーセージ、缶詰などである。これらは集落にできたスーパーが提供した。その結果、両親と子供夫婦が食べるものがかみ合わなくなった。両親は伝統食の煮込みうどんや味の濃いい味噌汁を飲んでいた。子供夫婦は、パン、オムレツ、ベーコンを食べる。好きなおかずは、ハンバーグ、ミートボール、から揚げ、焼き肉、卵焼き、スパゲティになった。肉やサラダは食べるが、野菜の煮つけなどは食べなくなった。現在都会の人が食べているメニューと同じである。それを強力に推進したのは、役所による食生活の改善運動であった。昭和36年に栄養指導のキッチンカ―「しあわせ号」がこの町にもやってきた。「6つの基礎食品」を発表して、キッチンカ―では「しあわせ号献立」を配布する。穀類、イモ類偏重の害が説明され、タンパク質が足りないと肉食を勧められた。さらに、「塩分の過剰摂取は血圧を高め、脳卒中などの成人病を誘発させる」ということで減塩が取り上げられた。この生活改善運動に主婦たちは積極的に参加したという。そして、伝統食、自給自足、地産地消、身土不二の食生活は姿を消してしまった。その結果何が起きたか。子どもたちの肥満、生活習慣病、突然死である。両親よりも子供たちの方が早く亡くなるという現象が起きた。この町の老人には、いわゆる老人病など皆無、死ぬまで達者で働き、家族に迷惑をかけずに死んでいくのが普通だった。老人用の病院など無用だったのである。(正食と人体 一倉定 123ページ参照)何とも残念なことが起きたものです。悔いても悔いきれない。森田では変えてよいものと変えてはいけないものがあるという。現実的な不安はしり込みしないで積極的に行動する必要がある。しかし、神経症的な不安は欲望の反面として発生しているので、取り除こうとしてはならない。視点を変えて、生の欲望を賦活させることが肝心です。上野原町棡原地区では、心身ともに健康で長寿を全うする面からすると、昔からの伝統的な食生活は決して変えてはいけないものであった。その選択を完全に見誤ったとしか言いようがない。自然循環の伝統的な農法を守り、その土地で生産できるものをその土地の人が食べる。あたりまえのことです。そしてさまざまな加工食品作りに精を出す。燃料基地としての里山を守り、牛馬を飼育して、田畑を豊かに耕す。まさに自然循環が貫徹されている。実に無理や無駄がない。そうした生活は地域の絆を強固にし、自分たちの生きがい作りにつながる。生活習慣病とは無縁で健康体を維持できる。心の病気に罹る人もいない。食生活の欧米化を掲げた改善運動は、これらのあたりまえの生活を完全に破壊してしまったことが今になって分かったがもう手遅れだ。後戻りはできない。何とも罪作りなことをしたものだ。日本有数の長寿村が今や限界集落の予備軍である。これはここに限らず、日本全国の田舎で起きている真実である。限界集落というのは、戸数が減り、さらに動くことが困難な年寄りが多くなり、もはや共同体の維持や修復が困難になっている集落のことである。夜はイノシシ、鹿、熊、野良犬が我が物顔で公道をうろついている。イノシシ除けの電気柵などを張り巡らせないと作物は全部食べられてしまう。北海道では、その荒れた土地を日本のエージェントを使って中国が安値で買い取っているという。そんなことを全国展開されたら恐ろしいことになる。耕作放棄地でも農地を持っていると固定資産税は毎年徴収されますから、売れるものなら安くても早く売りたい人が多いのです。将来は、そこで作られた食料を中国に送り、中国人の食を支えることになる。何しろ中国は食糧の輸入国ですからね。日本人がこうした真実に気付くことは並大抵のことではない。これは大変だと気付いたときは、すでに後の祭りだったというのがオチだろう。森田理論の「物の性を尽くす」という考え方に立つと、伝統食、自給自足、地産地消、身土不二が基本になると思いますが如何でしょうか。
2022.06.04
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シュバイツァー博士はアフリカの密林の中に病院を建てて現地人の医療を始めた。1913年のことだ。医療にかかる費用はすべて博士が負担した。その後の40年にわたる努力に対してノーベル平和賞が贈られた。この献身的、人道的な医療活動は高く評価されている一方で、晩年に博士は厳しい批判を浴びるようになった。それはこの地方に今までなかった病気が急速に拡大してきたからである。日本人の桜沢如一医師が招きに応じてこの病院に移った。行ってみると博士の病院では入院患者で超満員だった。手足を切断されたハンセン病患者がたくさんいた。ハンセン病大国だった。夜になると、喘息患者のせきの大合唱だった。その他、白内障、結核、リューマチ、心臓病、腎臓病、尿道炎などがあった。いわゆる文明国で蔓延している疾患ですが、それまでこのような病気はなかったという。桜沢如一医師も風土病と言われる「熱帯性かいよう」にかかったという。現地の人のみならず、博士のアシスタント医師や看護師もほとんど健康を害し、落後するものも多かったという。桜沢医師はその原因はシュバイツァー博士の食事指導にあるのではないかと推測した。博士は現地の人たちに肉などの動物性食品、砂糖、ミルク、コーヒー、バター、チーズなどの食事を勧めた。それらの95%はヨーロッパから運び込まれていた。今までの郷土食、地産地消、身土不二という食に対する考え方は時代遅れで、健康増進のために駆逐すべき対象として取り扱われたのである。博士は現地の人たちに豊かな食生活を楽しんでもらいたいという親切心でしたことが、実際には文明病を蔓延させるという皮肉な結果をもたらした。森田理論では珍しいもの、おいしそうなもの、甘いもの、安いものに安易に飛びつくという考え方は戒めています。特に食料の大半を経済力に合わせて輸入に頼っている国は自立できない。今度のウクライナとロシアの戦争で、小麦が不足して高騰している。それでなくても世界の人口は100億人に迫る勢いで増え続けている。食料不足になるとさらに高騰し、そのうち売ってくれる国がなくなる。日本の食の安全保障は極めて深刻なのである。昔から現地で作られているもの、食べられているものを大事にして食生活を豊かにしていく。新しいものに飛びつくよりも、今あるものに光を当てて、その存在意義を引き出していく。そして十分に活用することで居場所を与えていく。便利なものが出てきても、今あるもので間に合うのならば、少々使い勝手が悪くても、命尽きるまで使い切るというのが森田の考え方です。これは「物の性を尽くす」という考え方です。食べ物でいうと、自分の土地でできるものは何か、どういう輪作体系で作ると無理がないのかを考えて作る。できた食材の料理方法を様々に工夫する。つまり「身土不二」という食に対する哲学を身に付けていないと、食で健康な体を維持することはできないということになります。
2022.06.03
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定年後いつも家にいる夫は、妻が急に化粧を始めて外出の気配を感じると心穏やかではなくなる。そして、つい「どこへ行くのだ」「何をしに行くのだ」「いつ帰ってくるのだ」「俺のご飯はどうするのだ」と問い詰めることがある。自分は自由気ままに外出するのに、妻の勝手な行動は決して許さないという魂胆がみえみえである。会社で部下の女性社員をこき使っていた気持ちが続いているのである。家庭では妻が上司で、上司の指示の下で、与えられた家事を丁寧にこなすという自分の立場がまだよく理解されていないようである。この問題に対して、黒川伊保子さんは、「定年夫婦のトリセツ」という本の中で、ホワイトボードか書き込み可能な大きなカレンダーを取り付けることを提案されている。これに予定が決まったら早速書くようにする。外出先や時間を書いておく。そして昼ご飯や夕ご飯は作れないというシールを貼っておく。これを見て夫は一度行ってみたかった居酒屋などに行く。友だちを誘ってなじみの店に行く。カラオケに行く。あるいは男の料理に挑戦してみる。さらにこれに夫婦の誕生日や結婚記念日、子供や孫の誕生日も書いておく。ご先祖様の命日も書いておくとよい。夫も予定が決まれば、こまめに書くようにする。黒川さんは男女の思考や行動パターンを理解しておくと対立が避けられると言われている。これには2つある。まず女性脳は、半径3m以内の変化を見逃さない。身の周りのこまごました不具合や問題点によく気が付く。小さな幸せのかけらを見つけることが得意である。それを夫に向かってよくしゃべる。男性脳は、半径3mより外側に注意や意識を向けている。視線は遠くの獲物や目標に向けられている。情報を捕まえて分析する能力を持っている。そのために試作していることが多い。傍から見ると視線が定まらずボーっとしているように見える。その反面、目の前の小さな問題点や課題を無視してしまう傾向がある。ザルで水を掬うことになり、労多くして成果が上がりにくい。次に、女性はその場の状況に応じて、臨機応変に行動できる。変化に即座に対応して行動できる。フットワークがよいのだ。こまめに思いついたことを行動に移すことが出来る。男性はゴール思考である。目的、時間、場所を決めてから行動に取り掛かる。その間状況が変わっても途中ですぐに変えることが難しい。変化対応力に弱いのである。思わぬ方向に向かうと右往左往する。その代わり、猪突猛進で目標を明確にとらえた時はわき目も振らず突き進むことが出来る。そしてときには大きな成果を上げることが出来る。男女の違いはどちらが良いとか悪いとか言うことではなく、1プラス1が2ではなく、組み合わせれば3にも4にもなる可能性を秘めている。お互いを非難・否定するのではなく、お互いの違いを認めて尊重し合うことが大切になります。夫婦が一枚岩となれれば、大きなシナジー効果が生まれる。
2022.06.02
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夜、居間で夫婦喧嘩が起きたとします。大声で激しく言い争い、時には暴力的になることもあるでしょう。このとき幼い子供が自分の部屋でその出来事に遭遇しました。子どもにとってはとてもショックなことです。頭が真っ白になります。程度の差はありますが、夫婦喧嘩はどこの家でも起こりえます。問題は夫婦喧嘩を子どもにどのように伝えるかです。子どもの動揺を抑えるためにきちんと伝えるか、子供の不安な気持ちのままに放置してしまうか、その後の子どもの精神状態に大きく影響します。子どもの動揺を抑えるためにきちんと伝える家庭居間にやってきた幼い子どもは母親に抱きとめられます。次に何があったのか母親から説明されます。母親「お父さんがこんなことを言ったので、お母さんは腹が立って喧嘩になったのよ。でも喧嘩ができる夫婦はほんとは仲がいいのよ」子ども「私びっくりしてとても怖かった」と涙声になる。翌朝食卓に行くと、父親からもけんかの経緯の説明がありました。父と母がいつものように仲良くしているのを見ると、子供は安心します。夫婦喧嘩をしても、その後修復不可能になるのではないのだなと感じます。むしろ喧嘩によって夫婦の信頼感が強くなっているような気がする。この体験が大人になって活きてきます。子どもの動揺を無視してしまう家庭子どもが居間に行くと怒りが収まらない母親が悔し涙を流しています。子供はもう父と母は仲直りすることがないかも知れないと感じます。父親はもうこの家に帰ってこないのではないか。家庭がバラバラになるかもしれない。そんなことは受け入れられない。怖い、不安な気持ちのまま自分の部屋に戻ります。父と母は喧嘩をするために一緒に住んでいるのか。子供はその出来事そのものは、よく思い出せないようになります。親につらいことをされたのに具体的に思い出せなくなるのです。しかしその時の怒鳴り声や取っ組み合いのトラウマは長期記憶となって残ります。同様の出来事が起きたときに、その不安や恐怖の感情で支配されるようになるのです。この現象は解離性障害と言われています。成長して相手と喧嘩になりそうなときは、自分の感情や気持ちを抑圧するようになります。一旦喧嘩をしてしまうと、人間関係が壊れて修復不能になるという考えになるのです。感情をごまかし、自分の気持を押さえつけてしまうのです。自分の感情、気持ち、意思、欲望、欲求を抑圧して生きることは辛いことです。本音を無視して、建前だけで生きることになるからです。自分の感情を抑圧する習慣が出来上がってしまうと、生きることは苦しむことだと誤解するようになります。子どもを持つ親は、夫婦喧嘩を通じて人間関係のコツを伝えていく責任を負っていると思います。森田ではまず相手の言い分をよく聞く。そして自分の言い分も相手に伝える。二人の間に大きな溝があれば、それを確認して、話し合いによって歩み寄る。譲ったり譲られたりの話し合いと妥協が大切だと教えてもらいました。win winの人間関係を作り上げていくことが、子どもに好影響を与えていくのです。
2022.06.01
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