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私は老人ホーム慰問活動でアルトサックスを吹いています。50歳代で初めて楽器に挑戦したので、なかなか上達しません。仲間の助けを借りて何とか続けています。今まで何回も本番を経験しているにも関わらす予期不安が湧き上がってきます。今まで1000回以上練習や本番で演奏している曲ばかりですがダメですね。間違えないで演奏できるだろうか。恥をかくようなことはないだろうか。仲間に迷惑をかけないだろうか。仕方ないので、演奏曲目が決まったら、30回以上は繰り返して練習をするという方針で取り組んでいます。でも現実問題なかなか不安は取り去ることは出来ません。次に本番前に極度の緊張状態が襲ってきます。金縛りにあったような状態になるのです。ガチガチになり、頭が真っ白になる。一瞬でもネガティブな感情が湧き上がってくると大変なことになります。不安でパニック状態になるのです。この状態は地に足がついていない、上の空の状態です。当然間違えてしまって恥ずかしい思いをすることが多くなります。本番で集中力が高まり、心と体が一つになって思いのままに体が動くようにしたいというのが私の願いでした。スポーツ選手で練習ではそうでもなかったのに、試合になると集中できて、練習以上のパフォーマンスが出せたという人がいます。そういう人の話を聞くと、負ける気がしなかった。間違いなく成功すると思っていた。冷静に試合の展開が予測できた。ワクワクしていた。一心不乱になっていた。精神状態は地に足がついた状態で、冷静で意欲的になっていた。そして観客から称賛を浴びている自分をイメージできていた。これを参考にして、本番で金縛りにあわないようにする方法をいろいろと試行錯誤してきました。その結果分かったことは、自己信頼感を持って本番に臨むことが有効であることが分かりました。小さな自信をあらかじめ作り上げて、それをよりどころにして本番に臨むのです。小さな実践ですが、それが及ぼす精神的なプラスの影響は計り知れないものがあると思っています。それを具体的に紹介してみたと思います。たとえば、高校三年生という曲があります。この曲はイントロ部分から私がソロで演奏する曲です。曲が始まる前にバンドのリーダーが場を和ますためにいろいろと話をするのです。この間は、私にとってはまさしく「魔」なのです。そのとき運指の確認をしていると、間違いやすいところに注意が向くのでろくなことはないのです。この時にしばしばネガティブな感情が湧き上がってくるのです。そうなると急に金縛り現象が起きてしまうのです。それで実際に失敗して恥をかいてしまったことがありました。私のとっている対策は、次の通りです。この曲のイントロは、「シシ シソファ ミレミアミド ララドミレドシ ソファミ ミードラ シレファラソファミ・・・」で始まります。最初をうまく滑り出すと、途中難解なところがありますが、何回も練習している曲ですから、暗譜でも演奏できます。そこで「シシ」は最初から指を置いているので問題はありません。そこで次の「シソファ」に意識を持って行くようにしているのです。そのために楽譜にはこの部分をマーカーで色を塗って強調しているのです。そして演奏の入ると「ゆっくりと入る」ことを肝に銘じています。たったこれだけのことですが、これならうまくいくはずだという自信のようなものが生まれることが大きいのです。ゆとりが生まれてくるのです。ここを乗り越えれば、あとは演奏に集中して、一心不乱になることができるのです。これは曲によって違いがあります。たとえば、子供向けの「さんぽ」という曲があります。この曲もイントロ部分は私の担当です。金縛り状態になると、「ドシラソ ファミファ ソ ソソソソソ・・・」の出だしで躓くのです。私のやり方は、「シラソ」と音なしで指を動かして、すぐに「ドシラソ ファミファ」と演奏するのです。そのときあわてないでゆっくりと入ることを心がけています。頭の中では、これで大丈夫という自信のようなものができていますので、安心感が違います。これは吃音の人が電話が鳴った時、自分の会社名を名乗るときに、電話が取れなくなってしまうことがあります。そんなとき、いきなり会社名を名乗ろうとするのではなく、その前に例えば「お電話ありがとうございます」をつけて、続けて会社名を名乗ればうまくいくと聞いたことがあります。失敗したらどうしょうという気持ちを、抜いてあげると問題が解消するということだと思います。それが小さな自信となり、その後の展開が大きく違ってくるのですから活用しない手はないと考えています。
2022.08.31
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この言葉を森田理論学習の中で聞かれた人もいらっしゃると思います。含蓄のある言葉のようですが、今一つその内容が分からない。これは行動の原則の「はじめての行動には不安はつきもの」というところに出てくる言葉です。不安があるから初めての行動には極めて慎重になる。不安が湧き上がらないと、猪突猛進、軽率な行動となり失敗の可能性が高まる。不安を活用して、慎重に行動すれば成功確率が高まるということです。不安はそういう重要な役割を果しているというわけです。ただし神経症に陥ると不安をなくすることばかりを考えて蟻地獄に陥るのです。私は不安というのは現実的な不安と神経症的な不安をきちんと分けることが大切だと思います。現実的な不安に対しては、その都度その解消に向けて行動する必要がある。たとえば地震、体の異常、経済的なリスクなどです。神経症的な不安は欲望の裏返しとして湧き上がってくるので、不安の解消ばかりに専念してはならない。不安よりも、その裏側にある欲望に焦点をあてて生活する方がよいと言われています。つまり欲望と不安のバランスを意識した生活を心掛けることが肝心です。我々は、現実的な不安には手を付けないでそのまま放置してしまう傾向がある。反対に神経症的な不安に対して、生の欲望の発揮が蚊帳の外になり、不安の解消に向けて莫大なエネルギーと時間とお金を惜しみなく投入している。やることなすことがまるっきり反対になっているということが問題です。まずここを押えることが大事になると思います。神経症の場合は、バランスが大きく崩れているので、生の欲望の発揮に全精力をつぎ込むという態度が求められているのだと思います。そういう態度で生活していると、不安と欲望のバランスが取れてきます。その手始めとして、日常茶飯事に丁寧に取り組むということが肝心です。雑仕事や雑事に精魂込めて生活する。凡事徹底です。但し、生の欲望に向かって舵を切ることはよいことですが、そこにも注意しなければならないことがあります。欲望に火が付くと、そのうち弾みがついて暴走してしまうということです。欲望、本能を野放しに放置しておくことは、争いや禍をもたらします。車にはアクセルとブレーキがついています。アクセルを欲望とするとブレーキは不安の役割を果しています。アクセルを踏み込まないと車は動きません。しかし一旦動き出したら、今度はブレーキを踏み込んで、スピードを制御しないと事故になります。欲望を前面に押し出しながら、不安を活用して、欲望が暴走しないように気を付けることが肝心です。欲望と不安は天秤と同じです。同じ重さのものをのせてバランスを維持しないと、バランスが崩れて、存在することさえ許されないということになります。この理論が理解できたらいよいよ自分の生活の中で実践・活用することが肝心です。その結果を集談会で発表して、他の人から感想やアドバイスをもらうようにすれば、その人はどんどん伸びていきます。理解することに留まっていたとすれば、物事の完成度から言えば半分以下だと思います。どんなに小さなことでも、理論を実際に検証していけば、その人はどんどん成長し、神経質者の人生観の獲得にまで到達してしまうのです。私はそういう人を何人も知っていますが、そういう人は素晴らしいオーラを発しています。それが森田理論学習と集談会活動で自分のものになるのですからこえられません。
2022.08.30
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森田理論では感情は自然現象なのでコントロールできませんと言われます。一方、行動は意志の自由があるといわれます。森田理論が正しいとすれば、どんな感情でも湧き上がってくるままに受け入れるしかないということになります。行動は感情や欲望や本能に振り回されることなく、区別・分離して、冷静で正しい行動が求められます。そのためには、感情は感情、行動は行動と全く別ものと考える必要があります。森田理論を学習して感情と行動をきちんと区別して対応されているでしょうか。腹立たしいことがあっても、それがもろに表情、言葉、行動、態度にでないように演技できているでしょうか。ここで肝心なことは、腹を立てない人間になることではありません。自分の気持、感情、欲求などを抑圧していると、不平不満、ストレスがたまりイライラしてきますので気を付けてください。ここでは、相手に腹を立てているのかどうかよく分からないような演技ができているかどうかが問題なのです。相手から見て、腹を立てているのが、簡単に見破られるようでは、森田理論の理解が本当の意味で自分のものになっていないということではないでしょうか。感情と行動が混然一体となっているようでは、何のための森田理論学習なのかといわれても仕方ありません。裏を返せば、森田理論を生活レベルで体得することは難しいということかもしれません。仮に、感情と行動を区別することができるようになった人は、森田のレべルでいえば「森田の達人レベル」に達しているのかもしれません。人生という晴れの舞台で、とっておきの演技をしているのだという意識を持って取り組むことが大切だと思います。これを身につけた人は、不快感、理不尽な扱いを受けても、いつまでもそのことに固執しないで、次々に感情を流すことができるようになっているはずです。難しいことですが、我々には学習する仲間がいます。みんなでベクトルを合わせて体得していきましょう。
2022.08.29
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私たち神経質者は細かいことによく気が付きます。この特徴を活かして生活するようにしたいものです。例えば、問題点や不具合箇所を発見したとき、古いものを捨てて、すぐに新しいものに飛びつくのではなく、それを修理して使うというような活かし方です。住居のメンテナンス、車のメンテナンス、家計費のメンテナンス、身体のメンテナンス、心のメンテナンス、農機具のメンテナンス、その他所有物のメンテナンスなどです。これには定期的なメンテナンスと不具合や故障に気づいてのメンテナンスがあります。大事なのは定期的なメンテナンスだと思います。私はマンションの管理人をしていますが、月1回定めらたマニュアルに従って、屋上から地下の駐車場まで不具合箇所がないかどうか点検しています。屋上のドレンの詰まり、避雷針のぐらつき、エキスパンションのがたつき、エレベーター地下ピットの水たまり、トイの水漏れ、外壁塗装の剥がれ、植栽の病気などです。その他管球類の棚卸、鍵の有無、重要書類の有無、駐輪ステッカーの在庫、棟周辺の雑草の生え具合、クモの発生状況、鳥の糞の被害なども点検しています。それらを管理会社に報告しています。きちんと報告していれば、自己責任が問われることはありません。車は1年に1回の定期点検は欠かしません。この時にオイル交換、ブレーキシュウの減り具合の確認、タイヤのローテーションの変更、ウォッシャー液の補充、ワイパーの交換、その他不具合箇所の点検などを行っています。タイヤの空気圧はガソリンスタンドで定期的に行っています。洗車は田舎に帰った時に行っています。家計費は毎日の収支は妻が家計簿をつけています。私は毎日自分のこづかい帳をつけています。地方税、健康保険料、介護保険料、医療費、車や医療保険の負担が大きくなっています。交際費、冠婚葬祭費、車検、家電買い替え、家の修理費、子どもや孫の援助、趣味に使うお金などは不定期ですが、かかるときは多額な出費になることがあります。これは中期、長期の計画が必要になります。身体のメンテナンスは毎年1回健康診断を受けています。私は尿酸値が高い、悪玉コレステロールの値が高い、クレアチンの値が少し高い、胃癌になりやすい、ピロリ菌の駆除が必要などが分かっています。早速ピロリ菌の駆除に取り組むことにしました。身体のメンテナンスを心がけて、神様から預かったこの体を大事にしたいと思っています。健康診断は受けていない人もいらっしゃるようですが、手遅れになっては大変です。年1回の健康診断は長生きするためには必要だと思います。身体のメンテナンスとともに心のメンテナンスも大切だと思います。現代人は人間関係や過度な労働によるストレスや不安にさらされています。これに関しては、森田理論学習を生涯学習として行っているのが役立っています。それから毎日たくさんの本を読んでいます。本を書く人は、そのなりの見識を持っている人たちだと思っています。出かけなくても、家でいろんな人から講義を受けているようなものです。市営図書館と町営図書館で合計20冊まで借りることができます。また100冊まで予約できますので便利です。ありがたいことです。全部が全部参考にはなりませんが、時々良本に出合います。次に、私はこのブログを書くようになってから、頭の回転がよくなってきたように思います。心のメンテナンスを怠ると脳細胞の廃用性萎縮現象が起きてきます。認知症は日頃から心と脳神経を鍛えていくことが有効なのではないでしょうか。定期的なメンテナンスを怠ると、「物の性を尽くす」という森田理論は、絵描いた餅になってしまうことを肝に銘じて生活していきたいと考えています。
2022.08.28
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生活の発見会の集談会に参加して良かったと思うことをまとめてみました。1、集談会で他の人の活動内容の話に刺激を受けて、自分の生活が前向きに変化してきた。2、今まで無知だった物の見方や考え方を学ぶことができた。3、今までの自分の考え方がいかに間違っていたかということに気づくことができた。1ですが、集談会に参加している人の趣味の広さには驚かされます。絵画、俳句、旅行、楽器演奏、家庭菜園、陶芸、釣り、登山、ゴルフ、テニス、スノーボード、カラオケ、コンサート、絵手紙、書道、茶道、華道・・・。また、資格試験などにも果敢に挑戦されています。ボランティア活動にも積極的です。料理、加工食品作りなどにも取り組んでおられます。集談会や支部研修会などでは、ぜひともそれらを披露して参加者に刺激を与えるようにしたいものです。興味や関心を持つ人が一人でもいれば、紹介したかいがあります。参加者全員がそんな気持ちで情報を提供し合うことが大切になると思います。神経質者は好奇心が強いのが特徴ですから、きっと大きな影響を受けるはずです。2についてですが、森田理論の基礎を学習すれば、目からうろこのものの見方や考え方を学ぶことができます。大いに知識欲が刺激されます。神経症にならなければ、こんな貴重な学習とは縁がなかったはずです。参考書としては、生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」があります。次に、実践森田療法(北西憲二 講談社)あたりがお勧めです。この本には巻末に森田適応者かどうかの診断表がついています。それ以外にも優れた書籍が目白押しです。「森田理論学習のすすめ方」というホームページで紹介していますので、ぜひご参照ください。私は「これで納得!実践的森田理論学習」というテキストを自作しています。私はこれをファイルして、余白に学習したことをどんどんつけ足しています。このテキストの特徴は、基礎編の学習が終わった人に対して、第5章から第9章まで「森田理論全体像」の説明をしています。森の中の1本1本の木を見ることも大切ですが、長らく学習してきて思うことは、森から離れて森全体を俯瞰する学習も必要だと思っています。例えば、巨大迷路に入ってもなかなか出口にはたどり着けません。ところがドローンや山の上から俯瞰すれば一目瞭然です。私は森田理論全体像の学習を思いついてきたとき、目の前のもやもやが晴れて視界良好になったことを思い出します。また、新しいものの見方、考え方を自分のものにするためには、自分一人で行うよりも、集団で学習する方が効果が上がります。それから学んだことを単元ごとに、きちんとノートに整理することをお勧めします。自分の場合はどうなのかを考えながらまとめていくのです。学んだ理論を実際に体験して検証してみると大きな効果があります。3ですが、森田理論を学習していると、この考え方ははたして間違いないのだろうか疑問に思うことがあります。この疑問は大事にしたいものです。こんな時は、まず自分のものの見方、考え方と森田理論で説明されているものの見方、考え方の違いについて明確にさせます。それを集談会の学習仲間に質問してみることです。次にとりあえず森田の言っていることを信用して、自分の生活で検証して本当に間違いないかどうかを確かめるようにするのです。体験によって真偽のほどを確かめるということです。この作業すると、気づき、発見、自覚が深まります。さらに集談会の体験交流の場でその経過を話すようにするのです。他の人の意見、アドバイスをもらってさらに確信・自覚が深まります。私が神経症で苦しんだことは、神様が私に対して大きな問題を出されたのだと思います。その問題や課題をどう料理していくのか、かたずをのんで見守っておられるのではないでしょうか。私は苦悩の真っただ中で、偶然に森田に出会いました。それから40年近く森田とその学習仲間と付き合ってきました。今思い返せば、エベレストやアコンカグアなどの山に挑戦するようなものだった。容易に答えが見つかるわけでもなく、葛藤や苦悩の連続でした。でも人生をかけるだけの課題に巡り合ったことは幸せなことだったと思います。仲間の支援を得ながら、その課題から逃げることなく今まで関わってきたことは、幸せ以外のなにものでもありませんでした。残りの人生も森田とともに駆け抜けていきたいという気持ちでいっぱいです。
2022.08.27
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7月号の生活の発見誌に次のような文章がありました。人は油断して隙を見せると攻撃してくるので、決して弱みを見せてはならない。この言葉は私のことを言われているような気がしました。父親に絶えず叱責されながら成長したためにこんな感じになりました。このような強固な「かくあるべし」に支配されていると、精神的には常時極度の緊張感にさらされることになります。敵国に領海侵犯をされたときに、いつでもスクランブル発進できるように身構えているようなものです。森田では我々の生活は緊張状態と弛緩状態の波があるので、その波に上手に乗って生活することが大切だといわれます。この状態は、緊張状態が四六時中続くことになりますので、精神的にも身体的にも疲労困憊状態に追い込まれます。このとき、他人が自分ことをどう取り扱ったかに全神経を集中させています。感覚が鋭くなり、とるに足らないことでも敏感にキャッチするようになります。私たちは感度の良い高性能レーダーを標準装備しているようなものだといわれますが、この場合それがマイナスに作用します。そしてすぐに格下の相手に対しては反撃をします。格上の相手に対しては、自分の気持を無理やり抑圧して逃避しますので、ストレスが溜まります。どちらの場合も問題を抱えます。このとき注意や意識はほとんど人間関係に向かっています。その結果、目の前の日常茶飯事や仕事などは上の空になります。ミスや失敗が多くなり、実生活の悪循環も始まります。このような考え方・認識はなんとかしたいものです。それに対して、私がどう取り組んでいったのかを振り返ってみました。まず、岡田尊司さんの「愛着障害の克服」という本が役に立ちました。この本によると、愛着障害を抱えた人は他人を信頼することは出来ない。幼児の段階から、人が怖いという気持ちに支配されています。そのままだと、一生苦難の人生を送っていかざるを得ないとあります。改善としては、親以外との間で、心の安全基地、母港となるものを作り上げることが有効に作用するという。これを参考にして、集談会の中で、立ち寄ることができる安全基地を見つけた。その人は森田をよく理解しておられて、生活面に応用していらっしゃる人だった。人のことを批判・否定する言葉は聞いたことがない。相手の話をよく聞く、そっと寄り添う、ほめる、励ます、自分の体験に基づいたアドバイスをされる人だった。対人関係で問題を抱えたとき、あの人に相談してみたいと思うような人ができると安心感が全然違う。次に、自分も誰かの安全基地になるという気持ちを持つことが有効だといわれる。たとえば、犬や猫、インコや金魚などのペットを飼って親身になって世話をする。その他、花や観葉植物、自給野菜を育てる。子育て、親の介護に取り組むこと。集談会などで世話活動を引き受けることなどがある。もう一つ役に立ったのは、森田理論の「不即不離」という考え方だ。人間関係はある時は憎み合って対立することもある。でも別の時には仲良くなって一緒に楽しい時を過ごすこともできる。あの人とは全然波長が合わないと言いながら、他の人とは磁石のプラスとマイナスが引き寄せられるような関係を築くことができる。こういうバランスが自然にとれていることを忘れてはならない。マイナスの面をことさら取り上げて、問題視しているとストレスだらけになり、うつ状態に追い込まれる。人間関係は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を持つことが基本である。だから、人間関係は適度な距離感を持つことが大切です。あまり深入りしないように注意することが大切になります。広く浅くを心がけていくと、人間関係が好循環のスパイラルに入ります。これがどんなに気を楽にしてくれたことか。これ以外に感情と行動はしっかりと分けて人と付き合う。自分の感情を相手に気づかれないような演技が求められます。自分の気持を相手に押し付ける前に、まずは相手の話をよく聞く。自分の要求ばかりを前面に出していると、人が寄り付かなくなります。最低限のマナーとして、挨拶や笑顔を忘れないようにする。たったこれだけのことを心がけるだけで、人間関係が劇的によくなることは体験によって確かめました。私はこれらを心がけて生活してきました。その結果どうなったか。人が怖いという感覚は完全にはなくなりませんでした。コールタールのように体にまとわりついているのです。それを持ったまま人と関わっていくしかないと思います。それでも人との交流を楽しむことは出来ます。現実には、集談会や多くの趣味の会に参加して、広く浅く多くの人との交流を存分に楽しんでいます。いろんな人と絶えず交流していくことは、自分の人生を豊かにするスパイスのようなものだと思うようになりました。森田で学んだ方法を実践してよかったのだとしみじみと思えるようになってきました。
2022.08.26
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アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、買い物依存症などで苦しんでいる人は、ドーパミン主導の報酬系神経回路が暴走している状態です。暴走すると生活や人間関係が破壊されることは頭では分かっています。しかし一度味わった快感、解放感、陶酔感、高揚感、安堵感が常時よみがえって来て、どんどん深みにはまってしまいます。依存症に陥ると、自分の意志の力だけでは抑制ができません。森田の学習をしている人の中にも、軽度の依存症の予備軍のような人がいらっしゃいます。それに加えてノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が暴走して、不安や恐怖と格闘しているわけですから2重の苦しみを抱えていることになります。いずれの場合も重症化してくると専門医や自助組織への参加が必要になります。この2つの神経系はどちらも大切なものですが、度が過ぎると、逆に自分を苦しめるものに変化してきます。田辺等氏は、依存症の心理的背景として、フラストレーション(欲求不満)の問題、セルフエスティーム(自尊感情)の問題、アイデンティティ(自己同一性)の問題、空虚や軽い抑うつ感などの気分の問題として次の5つをあげています。1、日常生活での充足感、充実感に欠けている。2、自分への肯定感が持てない、他者と比較してダメだという感覚がある。3、仕事(学業)に取り組んでいる自分が本当の自分ではない気がする。4、何を目標として生きるべきかを見失っている。5、空虚、空白、憂うつな気分が続く。(ギャンブル依存 西川京子 解放出版社 30ページ)これらに対して森田理論では次のように提案しています。・規則正しい生活を続ける。・日常茶飯事に丁寧に取り組む。凡事徹底です。・物そのものになって取り組む。一心不乱になるということです。・短期、中期、長期の課題や目標を明確にする。・観念優先の態度を事実優先の態度に切り替える。・葛藤や苦悩を抱えている自分に常に寄り添う。・現状維持は後退を意味すると心得て、勇気をもって挑戦していく。ドーパミン主導の報酬系神経回路、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路は制御しないとどこまでも暴走する特徴を持っています。それを制御し抑制しているのはセロトニン系神経回路だと説明されています。セロトニンは常時出続けていますが、意識して鍛えていかないとすぐに枯渇してしまうという特徴を持っています。私たちは、森田的な生活を続けて、絶えずセロトニン神経系を鍛えることを心がけ、依存症で生活が破壊されることのないように注意したいものです。セロトニン神経系の鍛え方は、2月13日、14日の投稿をご参照ください。いずれも簡単なことで身につけることができます。
2022.08.25
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新しいことに挑戦して成功するためには、自分の中に、「どうしても実現したい」といった、湧き上がるような動機や情熱が必要となります。今日はこの問題を取り上げました。生活費を稼ぐために仕事をしなければならない。上司の指示命令だから気が向かないことでもやらなければいけない。親の期待に応えるために、なんとしても成功したい。自分は国家資格や免許を持っているので、なんとかなるだろう。こういう義務感や軽い気持ちで取り組んだとしても、なかなか成果は上がらないでしょう。解決困難な想定外の問題に直面すると、こんなはずではなかった。やらなければよかった。後悔の念で一杯になる。でも、もう八方塞がりでどうすることもできない。障害をはねのけて前進する意欲や力が湧いてこない。反対に「好きだからやりたい」「どうしてもやりたいことだからやる」「どうしても実現したい」というところから出発すると、少々解決困難な問題に直面しても、それをはねのけて、目標達成するまで努力することができるようになります。どちらの方向に向かうかで、その差はどんどん開くばかりになります。どうすれば燃えるような動機や情熱が生まれてくるのでしょうか。これは脳の仕組みを学習するとすぐに分かります。側頭葉には様々な長期記憶が保存されています。長期記憶は成功体験もありますが、その多くは失敗体験です。それは人類が生き延びるために必要だったからです。さて、その失敗や後悔の長期記憶が、扁桃体に入ります。扁桃体は好きか嫌いか、できるかできないかを判断しています。嫌い、できないと判定された長期記憶はノルアドレナリンにより青斑核に送られます。青斑核は、脳でいえば危険を回避する専守防衛の司令塔です。危険を回避して、行動を自重し、安全確保の方向を目指します。防衛系神経回路が大脳全体を駆け巡っているわけですから、消極的・回避的な行動が主流になります。この状態では、いくら叱咤激励しても、笛吹けど踊らず状態になります。一方扁桃体が、好き、できる、自分にまかせて、と判断した場合、ドーパミンによって腹側被蓋野に送られます。ここからエーテン神経系、側坐核、前頭前野などのやる気の脳に火がついてくるのです。積極的、生産的、創造的、建設的な行動へとつながります。少々の障害物は簡単に乗り越えてしまいます。ここで肝心なことは同じ条件でも扁桃体がどう判断を下すかです。好き、やりたい、できる、まかせてと判断するか、嫌い、やるだけ無駄、できるはずがない、静観した方が得と判断するかどうかです。ここが分岐点になっているからです。それを分けるのは、成功体験に基づく長期記憶がどれだけ存在するかです。小さな成功体験がほとんどなく、失敗や後悔の長期記憶が大半ということになると、嫌い、やるだけ無駄、できるはずがないというマイナス、否定的、ネガティブな判断を下すようになります。森田理論では雑事や雑仕事などに積極的に手を出して小さな成功体験を積み重ねることをお勧めしています。集談会活動で世話係や幹事を引き受けて、真面目にその役割を果していくと、容易に成功体験が増えてきます。それが社会や会社などで活きてくることを忘れないようにしたいものです。自分の症状を後回しにして、他の人の世話活動に邁進していると、いつの間にかその恩恵が自分に返ってくるということです。森田理論で学んだことをもう一つ紹介します。森田では観念中心の「かくあるべし」を自分に押し付けないことと学びました。どんなにつらいことでも事実や現状をあるがままに受け入れましょうということです。これを活用すれば、脳が前向きに変化してきます。事実や現状をあるがままに受け入れるためには、事実に基づかない早合点、先入観、決めつけはご法度です。人の話を鵜呑みにしないで、事実をよく観察する態度が必要です。これは意識して努力すれば達成可能なことです。時間がかかっても現地に出向いて観察をする。時には自分で実験することも必要でしょう。相手の事情や話をよく聞くという態度も欠かせません。労を惜しまないで事実の収集にエネルギーを投入することが大切になります。ただし、そこまでしても完全に事実をつかむことは難しいです。しかしより事実に近づくことは可能です。ここが大事なところです。その過程で、気づきや発見、アイデアや工夫を思いつくことがあります。興味や関心、夢や希望が生まれてくることもあります。そういう情報は、自分を積極的、意欲的、建設的、創造的にしてくれます。好き、やってみたい、成功間違いなしと扁桃体が判断すると、その情報を報酬系神経回路の司令塔である腹側被蓋野に回すようになるのです。心がワクワク、ウキウキ、ムズムズするようになりますので、取り組む意欲がものすごく高まります。成功する確率は雲泥の差となります。
2022.08.24
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人生に奇跡を起こすのは、そう難しいことではないのです。0.1%で人生は変わるからです。昨日よりも今日、0.1%でいいので、人生が楽しくなる方向へ一歩ずつ踏み出して続ければいいのです。毎日0.1%ずつ変化すると、どうなると思いますか。5年後には、6倍変化したことになります。10年後にはなんと、38倍もの変化です。0.1%の積み重ねで人生は大きく変わるのです。0.1%とは、1000個の中の1個です。1000個の中から一つだけ変化させて続けていけばよいのです。1日に2つも変化させることは絶対にやめてください。1日に2つも変化させると、10年後には1465倍にも成長してしまいます。人間そこまで変わらなくても十分幸せです。(常識を疑うことから始めよう ひすいこたろう 175ページ)神経質性格者は、細かいことによく気が付くというという特徴があります。また執着性が強いという特徴もあります。神経質性格を否定的に取り扱う人もいますが、森田理論を学習すると、性格にはプラス面とマイナス面の二面性があることが分かりました。小さなことに着目して、粘り強く継続していくことが、神経質性格を活かすことになります。プラス面に着目すればこんなにはぐくみあいのある性格はありません。この2つの特徴を生活や仕事の中で活かしていくことが大切になります。そのためには、ごく小さな気づきや発見、興味や関心などをしっかり掴まえて、意識化することが必要になります。メモとして残していくことです。そうしないとその宝物はすぐに忘れ去られてしまいます。そしてそれらのストックをできるだけ多くため込むことです。ここではやるかやらないか、できるかできないかは無視します。とにかく課題や目標をたくさん持っているかどうかが肝心です。次に小さな気づきや発見、興味や関心を行動・実践に移すことが肝心です。全部できなくても大丈夫です。できたら線を引いて消していきます。その際すぐにできることは早めに手を出す。今すぐにできないときは、時期が来るまで待ってからにする。一人でできないときは、仲間の協力を得る。資金が必要な場合は、資金を作るか集める必要がある。どこから手を付けてよいのか分からないときは、大きな目標を小さな目標に変える。能力的に無理な場合は、まず技術力を高める。凡事徹底の方針で取り組むと、比較的早く効果が現れます。小さな成功体験を積み重ねていくと自信になります。自己信頼感、自己肯定感が生まれてきます。周りの人からも評価されるようになり、人間関係もよくなります。水谷啓二先生は次のように言われています。我々神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではありません。平凡を軽視しないで、毎日の雑事や雑仕事に精を出す。そういう生活を20年30年と積み重ねていくと非常に非凡な成果を生む。これを平凡に徹する非凡と言います。このような形で社会で認められるようになることはうれしいことです。我々神経質者は人から評価されたいという気持ちが強いのですが、ホームランを打って脚光を浴びることは能力的には難しい場合が多い。ヒットをねらって単打を積み重ねる。選球眼を磨いてフォアボールで塁に出る。この方向なら何とかなるかもしれません。その方が神経質者の特性に合致しているのではないでしょうか。毎日0.1%の変化を実行し、さらに継続することで素晴らしい人生を手にすることができます。これは凡人道に邁進するということです。
2022.08.23
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まずこの絵を見てください。なんに見えますか。白い部分に注目した人は花瓶のようなものに見えませんか。黒い部分に注目した人は二人の人間の顔に見えませんか。2つの見方ができるようになるためには、自分一人では難しいです。一旦決めつけてしまうと、別の見方はできなくなります。他人から指摘されると、「そういえばそうだ」と別の見方ができるようになります。あるいは、最初にこの絵は2つに見えます。どんな絵に見えるか探してみてくださいと言われると、見つけることが可能になります。私がとっている新聞の日曜版に「7つの間違い探し」というのがあります。この間違い探しはとても面白いです。5つか6つは比較的簡単に見つかりますが、あとの一つがなかなか見つからない。妻に「ここにあるじゃない。どこに目をつけているのよ」といわれています。これは何回も挑戦していると、だいたいコツが分かってきます。長さが違っている。黒い部分が白になっている。あるべきものがない。本来ないものが付け加わっている。位置が違う。などを基準にして、間違いを探すのだという意識や意欲があれば、比較的早く探しだすことができます。しかし夫婦で競争していますが、いつも妻には負けます。妻は5分。にやにやしながら私を見下しています。私は10分くらい経っても見つけきらないで、そのうち放り投げてしまう。妻は自分の考えに固執しないで、多面的な見方ができる能力を持っているのかなと感じています。視点を何処に置くかによって、見えるものが全く違ってくるということです。一つの見方に固執するようになると、他の見方をすることができなくなります。そして別の考え方はありえない。間違いだと判断するようになります。自分の考え方に固執すると、相手の考え方を非難、否定するようになります。人間は自分の考えたことは、絶対に間違いないと考えがちですが、もしかしたら別の考え方もあるかもしれないと一呼吸置く必要があるのではないでしょうか。森田理論の中に「認識の誤り」というのがあります。劣等感的差別観、部分的弱点の絶対視、劣等感的投射、防衛単純化、手段の自己目的化などです。認知療法や論理療法の中には、「認知の誤り」というのがあります。拡大解釈と過小評価、過度の一般化、二分法的思考、恣意的推論、選択的注目、個人化、結論の飛躍、自分の感情を根拠に決めつける、「かくあるべし」思考、レッテル張り。など。これらは頭の中が井戸の中の蛙状態になっていると考えると分かりやすい。自分では別の考え方見方が存在しているとは、全く気付かない状態です。私は集談会で自分の考え方や行動を包み隠さず公開することで、他の参加者から「その考えはちょっと違うような気がする」「こんな見方もありますよ」と教えてもらい、ハッと目が覚めるようなことを何回も経験しました。認識の誤りや認知の修正は、大切なことですが自分一人ではできません。集談会の仲間、先輩の智恵を借りることが手っ取り早いです。スマホやパソコンのトラブルが発生したとき、詳しい人に聞けばすぐに解決するのと同じことです。ただしこれは、自分の考え方や行動が否定されることですから耳が痛いことです。そこをじっと我慢して、受け入れるという態度になれば、自分の認識が大きく広がる可能性が高まります。
2022.08.22
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カラオケには様々な効用があるようです。・腹式呼吸を意識するようになる。鼻から素早く息を吸って、横隔膜を下げる。吐く息はゆっくり長くを心掛ける。腹式呼吸は心身の安定に役立つ。・腹の底から大声で歌うので、ストレスの発散になります。・カラオケを歌うと目標が持てる。カラオケマシーンには採点機能があります。たまにこの機能を使うと、自分の歌唱力が客観的にみてどの程度か分かります。改善目標が立てられます。・カラオケ仲間ができます。損得抜きの人間関係です。私は集談会の仲間でカラオケ同好会を作り月1回カラオケを楽しんでいます。その他仕事仲間とも時々カラオケを楽しんでいます。女性が加わっているとやる気が倍増します。但し、現在はコロナで自粛しています。・カラオケは他の趣味にくらべてあまりお金がかからない。・歌を楽しく歌うことでドーパミンやβエンドルフィンなどの幸せホルモンの分泌が活性化されます。・脳血管の血行が良くなる。血圧が下がる。・カラオケを楽しむためには、歌詞を覚えるようになります。そのために何度も繰り返して歌詞を覚えることで記憶力を鍛えます。認知症などのアンチエイジングに役立っているのです。・気持ちよく歌うことで、解放感、爽快感、幸福感で満たされます。この状態は「ナチュラルハイ」と言われています。脳波ではアルファ波、べーター波が活性化されると言われています。・現在You Tubeで無料のカラオケが自宅で楽しめます。私は現在三山ひろしの歌にはまっています。四万十川、お岩木山、あやめ雨情、男の流儀の4曲です。You Tubeの「しげちゃんの歌謡教室」で歌唱指導をしていました。これを録音して、何度も聞いています。歌詞は楽譜付きです。こういう手本がないと、自己流になって上手にはなれないように思います。私は元々音痴でカラオケはいつもパスしていました。最近はたまに「うまくなったね」といわれることがあります。「やった」と心の中でうれしくなります。それが励みになります。普段いつも口ずさんでいます。今では生活の一部になりました。以前は食わず嫌いの一品だったのですが、食べてみるとこんなにおいしいものはないという状態に変わりました。友人と居酒屋で軽く飲食をして、その後カラオケというパターンが最高です。そういうグループが2つあります。うれしい限りです。
2022.08.21
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7月号の生活の発見誌(65ページ)に素晴らしい記事があった。カウンセリングは、全プロセスを通して「傾聴」がカウンセラーのとるべき基本的態度となります。しかしカウンセリングは「傾聴」の技法で終わるわけではなく、クライエントが抱えている悩みの真の原因を洞察し(カウンセリングではそれを「見立て」と言います)、「質問」や「言い換え」などの様々な技法を使って、その原因にクライエント自身が「気づく」ように導いていきます。森田療法で、このカウンセリングの「気づき」に相当するのが「自覚」です。森田療法の場合には、患者への直接的助言や日記指導、作業療法、日常生活における行動、森田理論の学習など様々な機会と手段を通じて、「自覚」を促そうとする点にあります。もしもアドバイスが何も気づき(自覚)につながらなければ、それは一方的な指示や助言に終わってしまい、アドバイスを受けた人には押し付け感が残るはずです。この考え方は生活の発見会という自助組織に所属して各地の集談会に参加している人にとって、とても示唆にとむ説明です。これをもとにして、集談会での「気づき」「自覚」はどのように進められるのかを考えてみたいと思います。集談会は一度は神経症で苦しんだことのある人たちの自助組織です。他人とかかわりを持つことで「気づき」「自覚」が深まるということが重要だと思います。一人で学習していると、独りよがりになり、学習は思っているほど深まりません。表面的な学習は自分にとってほとんど利益ももたらしません。さらに問題なのは、森田理論を間違って解釈してしまうことです。そして森田理論を非難するようになっては、その人の人生にとっては不幸の始まりとなります。森田理論を参加者全員で学習する意味は大きいものがあります。分かりにくいところがあれば、先輩会員に聞けばすぐに解決します。また表面的な理解が、より広く、より深い理解に変わります。森田理論学習と森田実践は車の両輪だといわれています。集談会や懇親会では、森田実践・活用の話が、いろいろと出てきます。他人の実践に刺激を受けるということは見逃せないところです。他人の行動・実践に刺激を受けて、自分も興味や関心を持ったということは山のようにあります。そして自分の行動の幅がどんどん広がってきたというのが私の実感です。10個の話の中で、1個でも興味や関心のあるものが見つかれば、儲けものという感じがしています。私の趣味や日常茶飯事は、集談会の仲間から刺激を受けて取り組んだものばかりと言っても過言ではありません。これは行動ばかりではなく、キャッチフレーズや心に残る言葉などもそうです。たとえば「靴がそろえば心がそろう」「私たち神経質者は風雲に乗じて成功を収めるタイプではない。凡事徹底で誰でもできる小さなことをコツコツとこなしていく。それを10年20年と積み重ねると非常に非凡な成果を生み出す」「コップ一杯の人間関係を5つくらい作るのではなく、コップに少しだけの人間関係を50個くらい作る」・・・などです。先輩会員にひと言・・・先輩会員は森田理論学習では成功体験を持っています。どうしてもそれを上から下目線でアドバイスしたくなります。この方法は、ほとんど相手の琴線にふれることはありません。自己満足に終わります。そのうち相手の反発を招きます。そして集談会に来なくなります。集談会は、みんなが先生であり、生徒であるという関係です。相手が「気づき」「自覚」を深めるための黒子に徹することが大切だと思います。そのためには自分の普段の生活や実践・行動を語ることだと思います。そしてある日気がついたら、相手が自分と同じようなことに取り組んでいたというのが理想だと思います。そういうことができる人は、生活森田・応用森田に軸足を移して、愚直に取り組んでいる人だと思っております。
2022.08.20
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自動車のハンドル操作する時、左右に回した際に数ミリから数センチの間は全くタイヤが動かない部分があります。これは「ハンドルの遊び」と言われています。この遊びがあることで、走行時に蛇行しにくくなったり、ハンドルをスムーズに動かすことができるようになります。ハンドル操作が直接にタイヤに伝わる方が効率的に思えますが、これはかえって危険なのです。遊びは、車をスムーズに走らせるために必要不可欠なものになっています。ですからどんな車にも、この遊びは標準装備されています。考えにくいことですが、遊びのない自動車は欠陥車ということになります。この遊びは人間関係でいえば何でしょうか。ゆとり、包容力、許容性のことではないでしょうか。感情と行動を区別する緩衝帯、間と言ってもいいのではないでしょうか。この遊びを持ち合わせていない人に近づくことは危険です。普通なら笑って許せるところで、対立するので気が休まりません。森田理論では、感情と行動はきちんと分けなさいと言われています。遊びのない人は感情や本能の赴くままに行動する人です。不快な感情が常に破れかぶれな問題行動に直結しています。遊びのない人間は、欠陥人間ということになるでしょう。相手の気持ちを思いやることは、もともと誰にも備わっていたものです。ところが昨今この「遊び」の機能を失ったかのような人が増えています。あおり運転などはまさにそうですね。また、「遊び」の機能を果たしていないことに、全く気が付かない人が増えています。毒蛇が街中をうろうろはい回っているようなものです。お互いに疑心暗鬼になります。例えば思ったことをすぐに口にする。色が黒くて、元気のない人に、「あなたガンになっているのではないですか。すぐに手を打たないと早死にしますよ」などと言う。また腹が立ったら、売り言葉に買い言葉ですぐに怒りを爆発させる。そういう人は犬も食わない代物だといわれますが、本人はそれが当たり前のことだと思っている。自分のどこに非がある。それを証明して見せろなどと意気込む。人間関係が悪化しても、それは相手に責任があると主張する。反省しないので、問題がどんどんこじれてきます。こういう人は、基本的に森田対象外だと思います。神経質性格の部分が多少あっても、それ以外の別の性格傾向、あるいは人格障害の疑いが強い。器質的な精神障害があるのかもしれません。専門医の力が必要です。我々がいくら手助けしようとしても無駄になります。さて、集談会に参加している神経質性格者で「遊び」がない人は、できるだけ早く修復することが必要になります。自分は感情と行動をきちんと分けられない人間であるという自覚がある人は、すぐに修復に取り組みましょう。感情と行動は別物として取り扱うという課題に取り組むことです。これができるようになれば、人間関係は劇的に改善します。しかし実際問題一人では難しいと思います。そんな人には強い味方がいます。集談会の先輩会員に、自分の場合、感情と行動はきちんと分けられているかどうか素直な気持ちで聞いてみるのです。例えば1から10までの遊びの内、自分の遊びはどれくらいだろう。あるいは、学習会のテーマとして取り上げ、お互いに無記名でアンケートを取るのはどうだろうか。10名くらいのベテラン会員に聞けばほぼ見当がつくと思う。評価が5以下の場合は、不快な感情に行動が多分に影響を受けているのかもしれません。つまりハンドルの遊び部分がほとんどないという状況です。それが人間関係を大きく毀損しているわけですから、修正していくしかないですね。車でいう遊びの部分が生まれると、人間関係は改善できますし、生きることが楽になります。
2022.08.19
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目的本位という言葉は以前盛んに使われていました。改訂版の「森田理論学習の要点」が出たときに、一旦は消えていました。その説明はありましたが、今思い出してもよく思い出せません。今考えると、目的本位という言葉が誤解を生みやすい言葉だったからだと思います。使い方によってはとても意義のある言葉なのですが紛らわしいところです。現在の要点の中で、『目的本位とは、物事に即して、目的達成のために行動していく態度で「あるがまま」のカギとなります』と説明されています。現在自分の置かれている状況の中で、本当にしなくてはならないことをみていく努力をすることが大切だと指摘されています。これのどこが問題なのでしょうか。私は問題ないと思います。これがまさしく本来の目的本位の意味だと思います。ちなみに目的という言葉によく似た言葉に、目標という言葉もあります。目標というのは小さな目標という使い方をされることがあります。小さな目標を達成して行きついた先に、最終的に目指すべき目的があります。最終的な目標=目的と理解しておくと分かりやすいと思います。それでは早速、目的本位の問題点について見てゆきましょう。現代は物が売れない社会です。デフレ時代といわれて久しい。限られた市場を巡って同業他社同士で生存競争が繰り返されています。ナンバーワン企業になれない場合は淘汰されるという過酷な競争社会です。高度経済成長期に営業をしていた人からは、隔世の感があります。営業職の人にとっては、達成不可能に見える厳しいノルマを与えられて、GPSで仕事ぶりを監視されている時代です。ノルマが達成されないと、営業会議で情け容赦のない非難にさらされます。個人の能力ややる気の問題として取り扱われてしまうのです。成績の上がらない営業マンは、能力や人間性を疑われて、移動、左遷、転籍、退職に追い込まれます。こんな状況では、なんとかノルマを達成して、会社に貢献しなければ、明日の自分はないと自分で自分を追い込むようになります。結婚して温かい家族を持つのは、夢のまた夢なのではないでしょうか。自己擁護できない人は、上司や同僚と一緒になって、自分で自分をいじめます。これは森田でいうと、自分に「かくあるべし」を押し付けている態度です。そういう上から下目線で自分を否定するような、目的を追い求めることにどんな意味があるのでしょうか。理想の立場に自分の身を置いて、現実の自分を上から下目線で見下ろすと、恐ろしくなって意欲も何も根こそぎ奪い取られてしまうことになるのです。私は大学生のとき神奈川県の丹沢で沢登りに夢中になったことがありました。20mから30mくらいの崖を登っていくスポーツです。その時しつこく言われたのは、登っているときは、目の前か目先の手をかけるポイントだけを見るようにいわれました。足2点と手1点、いわゆる3点確保に全神経を集中するだけです。ちょっとでも下を見ると体が死の恐怖で金縛りになってしまうのです。10メートくらいでも恐怖を感じます。身体の防御態勢は頭で考えている以上のことが起きます。頭で叱咤激励しても、体がついてこないのです。固まってしまうとそこでゲームアウトになります。結ばれたロープで地上に降ろしてもらうしかありません。アイガー北壁に挑戦する人では、最終目標に向かって、目の前のくさびを打ち込む場所を見極めているだけだと聞いたことがあります。不用意に下の方を見るとそれが命取りになります。目的本位の意味するところはこれと同じだと思います。下から上を見ている分には何も問題はありません。むしろ、目的に向かって努力精進することは人間本来の生き方につながります。しかし逆に上から下を見ると大変なことが起きるのです。理想から程遠い情けない自分が歯がゆくて仕方ない存在にみえてくるのです。すると自己否定、自己嫌悪の苦悩でのたうち回るようになるのです。これが何を意味するかというと、目的本位という言葉は2面性があるということなのです。別の言葉で言えば、プラス面とマイナス面が含まれているのです。上から下目線で目的本位という言葉を使うと、葛藤や苦悩で大変な人生になります。ですから、観念中心の「かくあるべし」を自分や他人や自然に押し付けることは抑制していく必要があります。逆に事実、現実を出発点として、小さな目標をクリアーしながら、最終的な目標(目的)を目指していくという人生は素晴らしい生き方となります。同じ言葉に対して、私たちがどう取り組むかが問われているのだと思います。ちなみに、この部分は森田理論の核心部分にあたります。その点を森田理論学習でぜひ自分のものにしていただきたいと思います。
2022.08.18
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電気のスイッチやガスの元栓や戸締りが気になって何度も確認行為をする人がいます。4,5回程度は、許容範囲だと思います。一旦出かけて、また引き返すようなことはたまにはよいと思います。しかしこれが頻繁になると、仕事や勉強や生活に支障が出てきます。確認行為で苦しんでいる人は、このような人です。普通の人はどうしているのか。出かける前は、クーラーや電灯のスイッチ、ガスの元栓、玄関ドア、部屋内の戸締りは、一応全部確認しています。目で確かめて「異常なし」と声に出すこともあります。ここでは確認に集中することが必要です。今きちんと確認しているという意識を持っことが大切です。うわの空で別のことを考えながら、確認行為を行うと、あとから「もしかしたら」という不安で苦しむことになります。ものそのものになり切って確認を行うことが肝心です。注意力散漫な確認は、精神衛生上やらないほうがよいようなものです。マンションなどでは、ガス警報器、火災感知器が設置されて、管理人室や警備会社に連絡がいきます。いざというときにはスプリンクラーが作動します。二重にセーフティネットが張られていることを忘れてはなりません。それでも心配という人は、電気でいえば不必要なところのブレーカーは切っておく。ガスでいえばチェッカーでガス漏れがないか確認する。ドアでいえば、隙間があれば施錠されているかどうか目視できます。手で3回くらい回してみれば、確かに鍵が確実にかかっていることが分かります。ここまでできれば、不安は解消されて、安心して出かけることができます。確認行為で苦しんでいる人は、必要な確認行為に集中していないのではありませんか。他の事を考えながら、ついでに確認行為を行っていることはありませんか。おざなりで確認行為を行っているために確認行為に自信が持てない。これでは確証が得られないで、不安が不安を呼び込むことになります。健康な人でもこんなやり方をとっていると、不安に押しつぶされてしまいます。そのうち鍵が締まったかどうかということから、注意や意識が離れていきます。これが問題です。物事本位から気分本位・観念中心に切り替わるのです。つまり観念の世界で不安や不快感を取り去ることに神経を使うようになるのです。確認行為は目の前の出来事に注意や意識を向ける必要があるのですが、そこから意識が離れてしまうのです。そしていかにして不安や不快感を取り去るかということに神経を使うようになるのです。本末転倒です。森田理論でいうと、手段の自己目的化が起きているのです。ミイラ取りがミイラになったようなものです。そして精神交互作用で、蟻地獄に落ちていきます。森田では神経症的な不安は、欲望があるから発生しているとみています。ここでの不安は欲望とセットで見ていかないと、問題は収束していかないということです。欲望から目を離してはいけない。車でいえばアクセルを踏み込むことを第一優先順位と考えるということです。次に適宜必要に応じて、ブレーキを使って安全運転を心掛けるということになります。確認行為で苦しんでいる人は、とりわけ安全に対する欲望が強い人だと思います。それは素晴らしいことです。災害に巻き込まれない。例え巻き込まれても被害が少なくなる。問題は自分の気になる1点だけに集中して確認行為を行っていることです。安全といえば、身体的な疾患、精神的な疾患、地震対策、交通事故、天候異変に対する熱中症や土砂災害、大型台風の襲来、食料不足、オレオレ詐欺、強引な電話勧誘、ウィルスやスズメバチなどの危険な生物、人間関係の悪化など、我々の安全をおびやかすものに囲まれて生活しています。これらに万遍なく注意を向けて、きちんと確認行為を行い、リスクの軽減を図り、安全な生活を作り上げることが肝心であると考えます。
2022.08.17
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テキ屋家業のフーテンの寅さんの口上は7、7、7、5の都々逸だという。色が黒くて 食いつきたいが あたしゃ入れ歯で 歯が立たぬ四角四面は 豆腐屋の娘 色は白いが 水臭い信州信濃の 新蕎麦よりも あたしゃあなたの そばがいいあても無いのに あるよな素振り それじゃ行くぜと 風の中止めに来るかと 後振り返りゃ 誰も来ないで 汽車が来るテキ屋殺すに 刃物はいらねえ 雨の3日も ふりぁいいやけのやんぱち 日焼けのナスビ 色は黒くて食いつきたい都々逸は語呂がよく、リズム感があるので、後々印象に残ります。おもしろ都々逸を紹介します。立てば芍薬 座ればボタン 歩く姿はボケの花人の知らない 苦労もあれば 人の知らない 楽しみも惚れさせ上手な あなたのくせに あきらめさすのは 下手な方惚れた証拠に あなたの癖が みんな私の 癖になるあなたにかけた 私の人生 かけたんだもの 割り切れるもちかけられても 乗れないものは 人の女房と 口車お尻に惹かれて 女房にしたが 今じゃお尻に しかれてる案ずるな 炊事洗濯 それだけできりゃ きっと見つかる 婿の口孫をしつける せがれの姿 あなたに似てると 笑う妻惚れたはれたは むかしのことよ 今じゃ二人は 惚けた人没頭してると 思っていたら ボーッとしている だけだったあの人の どこがいいかと たずねる人に どこが悪いと 問い返す彼と私は 卵の仲よ 私白身で キミを抱くうちの亭主と 炬燵の脚は なけりゃ困るが あって邪魔用もないのに 出かける妻の あとをついてく 濡れ落ち葉(以上は 柳家紫文氏の「都々逸人生教室」「都々逸読本」の引用です)早速私も挑戦してみました。普段は無口 酒が入ると そこまで言って いいんかい寝たり起きたり 認知のばあちゃん 試合がある日は カープ女子営業会議 うとうとしたら 自分のいびきで 飛び起きたのらりくらりと 愛想はいいが いつも笑顔で 従わず引き受けました その案件を 軽い返事に 重い腰今日もここから 明日もここから ジョージア飲んで いざゆかん財産もある マンションもある 田畑もあるが 居場所なしコツはまず川柳を作り、もう一工夫して、7、7、7、5の都々逸にする。これまでに作った川柳を見直してみることです。興味のある人は、挑戦してみてください。三味線やウクレレで伴奏をつけて披露すると面白くなります。
2022.08.16
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これは私が愛用しているタイマーです。100均で手に入れました。料理をされている方は利用されていることと思います。私はこれをパソコンの前に置いています。実はこのブログで原稿を作るときに大活躍してくれているのです。私は1本のブログを作るのに、長い時は1時間を越えます。ちなみに短い時は20分です。苦心して作ったのにもかかわらず、時間切れになると突然すべてが消去されてしまうのです。がっかりしますよね。楽天に問合せしましたが、試行錯誤を重ねて制作している人が存在していることは想定されていないとのことでした。画像をアップして、簡単なコメントをつけてすぐに投稿するのがセオリーみたいです。これに対して、私も対応策を考えないといけません。そこで考えた結論は、作成中に20分経過すると一旦下書き保存することです。こまめに保存して、それを再度立ち上げて投稿原稿をつくる方法です。このタイマーで20分という時間をすごく意識しています。まさに時間に制約されながら集中力を発揮しているのです。時間でいえば、さらに気づいたことがありました。皆さん歯磨きは丁寧にされていますか。私がいうまでもなく、ていねいにされている方もおられるでしょう。それ以外に歯間ブラシで仕上げをされている方もいますよね。朝、昼、晩と3回歯磨きされている方もいらっしゃるでしょう。では、1回の歯磨き時間は何分かけておられますか。私の場合、上の歯の内側、外側、平面、下の歯の内側、外側、平面と仮に1分ずつとしても6分はかかると思っていました。でもタイマーで測ると3分か4分で終わっていました。とにかく、出勤前は時間との戦いです。心ならずも、不十分な結果で終わっていました。正確に時間を計測しないと、我流になってしまうのではないでしょうか。ここでもタイマーで計測することにしています。時間は5分です。森田先生は次のような話をされています。数学が苦手で、ツイツイ手を出すのが億劫で、いつも成績が悪く、わずかに落第を免れるという状況だった。そこでとった対策は、5分間だけは手を出してみよう。いやになったら、すぐに止めることにした。いやになったらすぐに止めることにして、自分で自分を騙すようなつもりでやり始めた。そうすると、ツイツイ面白みが出てきて、勉強が苦しくなくなった。(森田正馬全集 第5巻 445ページ)ここで森田先生が言いたいことは、たとえイヤなことでも、必要なことは、気分に流されないで、手を出さないといけないということです。その際気が進まなくても5分だけでも取り組んでみなさいと言われています。ここで私が言いたいことは別なことです。気分的に億劫なことは、5分といいながらも、3分か4分で見切りをつけていることが多いのではないかということです。5分だと決めたならば、きちんと5分間という時間は意識して計測必要があるのではないか。このタイマーは別の意味でも役に立ちます。森田理論学習の中で、30分毎に取り組む課題を変えていくと、多くのことを手掛けることができて、どんどん能率が上がるという話を聞きました。だらだらと同じことを継続するより、時間で区切って、次々と新たなものを手掛けるという考えです。「時間の性を尽くす」ことにつながります。私はこの考え方を生活の中に応用するように心がけています。それまでは、動き出すまでに時間がかかり、一旦やり始めて興味が湧くと、今度はやめることができなくなるという問題を抱えていました。この話を応用するとこんなことが起こります。難しい本を読む場合、与えられた時間は30分しかないと考えるのです。いつまでも時間は待ってはくれない。次の課題が手ぐすね引いて待っているのだから。そうなると30分しかないなら集中して読んでみようという気持ちになれるのです。時間の無駄使いはしたくないという気持ちが強くなります。イヤなことでも30分だけだから集中しようという気持ちになれるのです。時間を有効に使うために、このタイマーが役に立っています。
2022.08.15
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田舎の近所人がアイガモ農法に取り組まれています。今年はアヒルだそうです。この前見たときはヒヨコでした。それがこんなに大きく成長していました。もう野鳥に襲われることもないので、網は外してありました。
2022.08.14
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森田理論に「物の性を尽くす」という考え方があります。存在価値、使用価値がなくなったとき、捨てるのはもったいないから、保存しておきましょうという考え方のことではありません。その物の持っている存在価値、潜在価値を徹底的に引き出して、命が尽きるまで、活用していきましょうという考えです。物だけではなく、自分、他人、時間、お金にもいえることです。そのものの居場所を確保し、存在価値を高めて、生きた証を残していくことである。お互いがこんな気持ちになれば平和になれるはずだが現実はそうなっていない。「物の性を尽くす」ためには、定期的な点検とメンテナンスが欠かせないと思う。そうしないと、取り返しのつかない問題が発生して命が尽きてしまうことがある。自分の持ち物、自動車、農作業用機械、家やマンション、自分の身体、家計費、仕事などである。これらはまず自己点検を行う。この段階で問題点が見つかることもある。しかし灯台もと暗しとはよくいったものである。自分のこと、自分の所有物なのに、真実はなかなか正確には分からない。だからほとんどは専門家に検査を依頼することになります。例えば、身体の健康問題一つとっても、自分のことなのに、ほとんど何も分からない。毎年1回の健康診断を受けることによって、やっと不具合箇所が分かります。自営業や定年退職した人で、健康診断を受けたことがないという人がいらっしゃいますが、手遅れにならないかと心配です。その健康診断も簡単なものではなく、細かく検査することが必要だと思う。特に、血液、脂質、血圧、肝機能、消化器、循環器、糖質、呼吸器、ガンの腫瘍マーカー、認知症の検査などは必須である。せめて年一回の検査は恒例行事にしたいものだ。高齢者の場合、検査の段階で何も問題がないという人はほぼいないと思う。検査によって問題点が見つかると、さらに精密検査を受けた方がよい場合がある。私は今回健康診断所を変更した。今までのところでは分からないことが判明した。胃の中にピロリ菌がいたのである。紹介状を持って近くの内科医にかかった。まず胃カメラを飲んだ。バリューム検査よりも正確な検査のようだ。但し胃カメラは飲み込みにくい。でも我慢するしかない。モニターに映し出された画像を見ると、胃癌の心配はないようだった。続いて呼気を2回採取して、ピロリ菌がいるかどうか検査した。1週間して結果を聞きに行くと、ピロリ菌がいるとのことだった。放置すると胃癌になる可能性が高くなるので、すぐに除菌することにした。抗生物質による薬物療法だった。1週間朝夕指定された薬を5錠ずつ飲んだ。駆除できたかどうかは3ヶ月か6か月後に診断することになっている。90%は駆除できているでしょうと言われた。現在は人生90年時代を迎えている。ピンピンコロリで往生することを目指している人は、定期的に健康診断をして、問題点を早めにつかむ。問題点が分かれば、問題が小さなうちに、すぐに不具合箇所を修復していく。検査とメンテナンスで、問題が小さいうちに手当てすることが肝心です。これが森田理論の「己の性を尽くす」ことにつながるのではなかろうか。自家用車を20年以上にわたり、ていねいに検査やメンテナンスを欠かさないで大事に使用している方がいらっしゃいます。愛車を家族の一員のように大切にしている。そういう人には拍手をしたくなります。その人は森田理論を学習した人でないにもかかわらず、森田実践をされていらっしゃるのです。素晴らしいことです。私はそういう人を尊敬します。なぜなら、物の性を尽くすことは、己、他人、時間、お金などの性を尽くす人生に波及していくからです。
2022.08.14
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大塚家具は2022年9月にヤマダ電機に吸収されて上場廃止となりました。これは決して他人ごとではない。森田理論学習の盛衰に大いに関係があるとみています。今日はどうしてそんなことになったのか分析してみたいと思います。元々大塚家具は富裕層に向けて高級家具をとり扱っていました。2015年、父親から経営権を奪取した娘さんは、ファミリー層に中価格帯商品を提供する戦略に転換しました。今振り返ってみると、この方針の転換が命取りとなりました。でもそのときはそんなに悪い戦略ではないと考えていました。2015年6月「おわびセール」という特売を実施しました。前年対比でプラス70%の伸びでした。しかしその後の売上は急激に落ち込みました。そこで、2015年12月「売り尽くしセール」を行いました。前年対比でプラス30%の伸びでした。でも続きませんでした。さらに落ち込んだので、2016年5月「大感謝会」キャンペーンを行い挽回を図りました。前年比と同水準でした。カンフル剤を打ったにもかかわらず、特売が終わった途端に売り上げが大きく落ち込むという悪循環を招いたのです。その後は坂道を転がる雪だるまのように、前年割れが当たり前になりついに息の根を止められました。この間、従業員には「とにかく頑張れ」「サービス残業で乗り切れ」と発破をかける。取引先には「仕入れ代金を下げてくれ」とお願いをする。赤字覚悟で、特売セールをする。そして安さ目当てのお客さんだけが集まってくる。終いには商品の品質を下げたり、量を減らすことになる。経営は火の車となる。昔から上得意先は離れていった。そのつけは、従業員、取引先、会社の業績、お客様のすべての分野に及んだ。この敗因の原因は、ニトリという競合他社の存在がありました。ニトリも中価格帯戦略をとっていました。店舗数でいうと大塚家具19に対し、ニトリは545店舗(2018年8月時点)ニトリは大塚家具の28倍もの規模を持っていた。「ファミリー層に中価格帯商品を、お値打ち価格で提供する」というコストリーダーシップ戦略ではニトリの方が圧倒的に優れており、数十年の実績もあった。さらにニトリは生産から小売りまで一気通貫のモデルを構築していた。大塚家具のようにメーカーから仕入れた商品を販売するというやり方とは違う。そういう競合他社の存在をどうとらえていたのか。まさか気が付かなかったというのではあまりにもお粗末である。大塚家具は販売対象者を絞り込む。つまり既存の上得意先を大切にする。この顧客に対して、自分たちが提供できる最高の価値を見つけて、どんどん進化させていく。それしか生き残る道はなかったのではないか。これは森田理論学習の盛衰にもかかわってくる考え方だと思う。生活の発見会や集談会が神経症の克服を唯一最大の目標にしていると、大塚家具と同じような道をたどるであろう。今現在でもその兆候が現れている。神経症で苦しんでいる人たちは、今やすぐれた薬物療法がある。カウンセリングや認知行動療法などの精神療法もたくさんある。つまり神経症の克服は、森田先生の時代とは違い、克服のための選択肢は格段に増えているのである。森田療法が、旧態依然として、それらと互角に戦えると真剣に思っているとすればきわめて危険である。確かに集談会にやってくる人たちは、神経症からの克服を目指している。薬物療法や他の精神療法との違いを、血眼になって探しているのである。そういう人たちに対して、神経症を克服した人が、克服体験を伝えていくことは大切なことである。ですから、とりかかりとして神経症の克服に関わり合うのは構わないと思う。しかしそれを、集談会の唯一最大の目的として見間違ってしまうことが問題なのである。生活の発見会、集談会の最終目標は、神経質者が神経質性格を活かした人生観を確立していくことにあると思う。神経症の克服は、最終目標からみると30%か40%くらいのものである。学習の重点は、神経症の治療モデルにあるのではなく、生き方モデルにあるのである。ここを見誤やまると、自助組織生活の発見会は、大塚家具と同様の道を突き進むことになる。この考え方は精神科医の比嘉千賀先生も力説されていた。逆に、最終目標を視野に入れた活動に目覚めたとき、今まで手付かずのブルーオーシャンの世界が大きく目の前に広がってくる。
2022.08.13
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「かくあるべし」から、「事実本位」に切り替わり、地に足がついた行動ができるようになったとします。その次には、問題点や課題を見つけて、その解決のためにエネルギーを投入していくことが大切になります。問題点や課題を見つける、発見する、気づくときの心構えにつて投稿します。これは普段の生活の中で、ごく小さな不便、不満、不安、不快、不足、不振をきちんとキャッチする癖をつけていくということが肝心だと思います。これらを小さいことだからといって我慢する、無視するようでは、宝物に気づかないのと一緒です。小さいものがそのうち大きくなりすぎると、今度はどこから手を付けてよいのかわからなくなり、指をくわえて眺めるだけになってしまいます。ここでポイントは、ごく小さな不満などを、きちんとメモしてストックする習慣を作り上げることです。そして小さいうちに処理してしまうようにするのです。たとえば、小さな不便・・・掃除のときに隅っこのゴミがうまく取れない。これをきちんと掴まえてメモしていると、ある日突然アイデアが湧いてきます。そうだ、1.5mくらいの棒に小さな刷毛をテープで固定する。これを使ってゴミを一旦吐き出す。それをあとでまとめて掃除機で吸い取る方法がある。小さな不満・・・田舎で野菜つくりをしているが、1週間も夏日が続くと、定植した苗が枯れることがある。最初はペットボトルに水を入れたり、敷き藁を敷いたりしていたが今一つだった。自動灌水設備にすると金がかかりすぎる。近所の人に聞くと、黒マルチ栽培はどうかという。たっぷり水をやって、黒マルチをしてから定植をする。日照りの時は水が蒸発しにくい。雑草除けにもなる。究極は近所に人にお願いし、少しお金を支払って水まきを手伝ってもらう。最終的には7月3日に投稿した自動水やりチューブによって解決した。小さな不安・・・集談会後の懇親会でどうも飲み過ぎになる。次の日は身体が重くなる。これを何とかしたい。最初の一杯のビールはみんなより後に飲み終わるように気を付ける。最初は飲むよりも食べるほうを主体にする。お冷をもらい、ビールとお冷を交互に飲むようにする。ビールは3杯までと決めておく。小さな不快・・・我慢できないことはないが歯が痛む。気がすすまないが歯医者に行く。親知らずが虫歯になっていた。歯医者は親知らずは抜いた方がよいという。それから歯垢は定期的にメンテナンスをして取り除くものだという。歯磨きのやり方、キシリトールガムを噛んで顎を鍛えるように指導された。小さな不足・・・年金だけでは貯えが減っていくばかりで不安だ。そろそろ定年になるし、冠婚葬祭費、家電の買い替え、自動車の買い替え、家の修理費、税金や保険の不足はどうしようか。せめて自分の小遣い程度は働いて稼ぎたい。あとは節約するしかない。不要不急なものは買わない。小さな不振・・・昼寝を30分とると調子が良いが、昼寝を抜くと昼からだるくなる。ただし横になると完全に寝てしまうのでかえって調子が悪くなる横にならないで机に伏せることで体調維持につながるので習慣化したい。現実的な小さな不安を放置していると、釣りの時に絡まった糸がほどけなくなって、四苦八苦する状態とよく似ています。
2022.08.12
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これは早生の品種です。5月10日過ぎに植えた稲は、もう一杯に籾をつけています。病気もほとんどありません。今年は豊作の予感です。一粒の籾から300~500個くらいの籾をつけると聞きました。後1ヶ月もすれば稲刈りが始まります。稲は2ヶ月かけて自分の体を作り(栄養成長)、息つく暇もなく、2ヶ月かけて子孫を残し(生殖成長)、自分の使命を果たすと、短い一生を終えるのです。
2022.08.11
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永井孝尚氏のお話です。200円の激安弁当を売っている弁当屋がある。ご飯にハンバーグ、パスタ、漬物が少々である。この店は365日24時間営業です。安さを求めるお客さんが次々にやってくる。新聞報道によると、この弁当の原価は130円らしい。店の人件費を入れると1個の利益は10円程度だという。薄利多売で成り立っている店なのだ。別の日天王洲アイルに行くと、また行列のできる弁当屋があった。こちらは550円だった。大きくカットされた野菜が目立つ。おかずも食べ応えがあり、1000円の高級弁当の内容だ。この店の名前は「旬八キッチン」という。このお店がテレビで放映された。どうして1000円並の弁当を550円で販売しているのか。それはコストを抑えているからだという。550円の充実健康弁当の原価は138円だという。あの200円弁当とほぼ同じなのである。しかし販売価格が550円なので粗利75%である。旬八キッチンは「旬八」という青果店が始めた弁当だ。旬八は普通の青果店とは少し違う。規格外の野菜や果物を専門に扱っている。それを農家と直接取引して、半値で仕入している。しかし旬八でも完売できない野菜や果物もある。そこで旬八キッチンは、それらを弁当の食材に使って成功したのである。永井孝尚氏曰く。コストを下げるためには、今までの常識を疑い、当たり前をやめ、「やらないこと」を徹底することである。これに手を付けないで、安易に特売を連発して安売りに走ってしまうと、企業はもうけが出なくなる。そのうち特売の反動が出てきて売上が減少し赤字に転落する。そして従業員に過大なノルマを押し付けて、叱咤激励するようになるとブラック企業化してくる。そして最後はライバル企業に息の根を止められる。(なんでそんな価格で売れちゃうの 永井孝尚 PHP新書)私は森田理論学習の意義を認めて普及をおしすすめている人間である。これは大いに参考になる話だと思った。参考にしなければいけない。私の目指していること・・・神経症を治してあげることではない。ただし、神経症の克服を目指して集談会にやってくる人が多いので、私の克服体験は伝える。最大の目標は、神経質性格者が森田理論を活用して、それぞれの人生観を確立するお手伝いをすることである。この分野では36年間研鑽を重ねたので十分可能だと判断している。やってはいけないこと・・・神経症を治すためにのみ森田理論を利用すること。治療は基本的に専門家に任せる。私は専門家との橋渡しに専念する。治すための話をすると自己満足で終わってしまう。ほぼ相手の役には立たない。私が力を入れて努力すること・・・神経質者の人生観の確立に向けて、そのヒントを具体的に分かりやすく、多彩に紹介していくこと。そのために、このブログと「森田理論学習のすすめ方」というホームページを使って情報を発信し続けること。今は260万アクセスだが、20年かけて1000万アクセスまでは続けていきたい。これにより神経質性格を持っている人が、一人でも多く味わい深い人生観の確立を目指して欲しいのである。
2022.08.11
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今日から5連休です。田舎に帰り草刈り作業と野菜の収穫をしました。暑くて汗だくでしたが、夕食のビールがうまかった。つまみは、マーボナスと真っ赤に熟れた甘いミニトマトです。今年は柿が豊作になりそうです。栗が今年初めて実をつけました。コスモスが早くも咲いていました。草刈りは機械の調子がよいと大変楽しいものです。そのために定期的なメンテナンスが欠かせません。手前から背負式草刈り機です。田んぼでも岸の高い畔草刈りに重宝しています。1.5倍先の草も刈れます。但し手元が狂うと大変危険です。鉄心入り長靴と足のガードをつけて作業しています。保護帽、サングラス、空調風神服は必須です。赤い草刈り機は肩掛けです。小回りが効くので狭いところを刈るときに使います。力があまり要らないので、上から下への斜め切りの時はこれを使います。枯草は1週間乾かして、黄色い台の押切で切って畑に漉き込みます。鶏糞などと混ぜて使います。赤い缶は混合燃料です。ガソリンスタンドで買うときは、身分証明書がいります。雑草は次々に伸びてくるので、同じところを年3回刈ります。私にとっては娯楽のようなものです。今日はペットボトルに入れた麦茶を3本飲みました。
2022.08.10
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その1は、感情と行動はきちんと分けて対応するということでした。これができれば、やたらと敵を作ることは抑えられるはずです。これにもう一つ付け加えたいと思います。森田では自分の気持ち、思い、考え、要望、方針、理想を相手に押し付けてはいけないと学びました。自己中心の態度を前面に押しだして、他人を意のままにコントロールしようとする態度の事です。「かくあるべし」押し付ける態度のことです。相手には相手の気持ち、思い、考え、要望、方針、理想があります。自分の意志を打ち出す前に、相手のことを第一優先に考える必要があります。それらを押しのけて、観念的な自己中心性を押し出すと、人間関係はうまくいかなくなります。相手は、自分のことを敵と判断して、反撃するようになります。分かり切ったことですが、相手のことを非難、否定、無視、叱責することが多いのが現実です。自分の「かくあるべし」を相手に押し付ける態度は抑制しなければなりません。そして、相手の気持ち、思い、考え、要望、方針、理想に寄り添う態度を身につけることが大切になります。まず、相手の話をよく聞く。相手の言動をよく観察する。傾聴、受容、共感、許容、感謝の気持ちで接する。事実を確かめないで、過去の記憶を基にした対応は控えるべきです。先入観、決めつけ、マイナスのレッテル張りなどをしてはいけません。相手に欠点や弱点があっても、その裏には長所や強みが隠れています。欠点や弱点、ミスや失敗は寛容な気持ちで許容してあげる。相手の長所や強みを評価して、それを活かすための居場所を作ってあげる。森田では「純な心」という教えがあります。これはある出来事が起きたとき、最初に湧きあがる感情、素直な感情、一次感情、初一念などのことです。ただし、この感情は意識して掴まえないと、すぐに「かくあるべし」を含んだ二次感情、初二念、初三念に乗っ取られてしまうという考えです。これを基にして相手と対応すると、気まずい関係になりがちです。最初の素直な感情に立ち返って対応できるようになれば問題は解決します。そして、相手と話しするときは、「あなたメッセージ」ではなく、「私メッセージ」の手法を使う。このやり方は、相手に行動の選択権を与えることになります。「かくあるべし」を押し付けることから逃れることができます。敵を作り出さない人間関係作りは、これ以外にもいろいろとあるでしょう。森田理論を学習した者としては、以上2点を自分のものにすれば、敵を作り出さないだけではなく、自分の周りに人が近づいてくるようになると思います。人間関係に問題を抱えている方は、ぜひ生活の中で検証してみてください。
2022.08.10
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人間関係で躓いて、敵を作っている人がいます。自分のことを非難、否定する人は、他人にうわさ話を拡散していきます。それが自分を窮地に追い込みます。デール・カーネギーは、「人を動かす」という本の中で、人に好かれる方法を6つほど紹介している。1、誠実な関心をよせる。2、笑顔を忘れない。3、名前を覚える。4、聞き手にまわる。5、関心のありかを見抜く。6、心からほめる。これらを生活信条として、取り組んでいらっしゃる人がいます。実践できれば確かに人に好かれる人になることと思います。私も取り組んでみたが、習慣化することは出来ませんでした。その原因を考えてみた。私は、人に好かれたいというよりも、人から非難、否定、無視されることに耐えがたい苦痛を覚えるのです。その不快な感情を取り除くために、相手と戦ったり、逃げたりする。他人と接触すると、いつのまにか喧嘩腰の対応になる。他人と接触すればするほど、不快な気持ちが膨れ上がる。その結果、自分一人の世界で生きていく方が楽だと思うようになりました。この問題については、森田理論が解決策を提供してくれた。森田理論学習は、敵を作り出さない人間関係作りを教えてくれたのです。感情の法則では、感情は自然現象であるので意志の自由はないという。一方行動は意志の力でコントロールすることが可能であるという。私はこの理論を活用させてもらうことにしました。普通誰でも、不快な感情や本能的欲望のままに行動をする傾向が強い。つまり、感情と行動は一連の流れとして連続しているのです。森田理論では、このやり方はまずいと言っているのです。感情と行動はきちんと分けて生活することが肝心だといっているのです。役者さんのように、不快な感情で辛い時でも、仕事の時は役になり切って行動するのである。不快な感情を役柄に出すと仕事にはならない。感情は暴れ馬のようなもので、制御できないものなのです。仮に制御しようとすると、蹴とばされたりして大けがをしてしまう。ですから不快な感情は、そのまま放置しておく方が理にかなっているのです。たとえば、義理の母親との人間関係が最悪だと家に居るだけで息が詰まりそうになります。その不快な感情はどうすることもできません。そんなときは、腹が煮えくり返るほど憎んでも構いません。殺したいほど怒り狂っても大丈夫です。感情と行動は水と油のようなものということを理解して、破れかぶれの行動を慎むことができればOKです。でも買い物に出かけたときの行動は別ですね。いくら憎んでいても、おばあちゃんの好きな大福もちを買ってきて、「おいしいと評判なので遠回りして買ってきました。おひとつどうですか」と言うことは出来ますね。これが感情と行動を区別していくということになります。小さな気遣いを積み重ねていると、そのうち状況が変わってくるかもしれません。感情のままに行動することは、客観的にみると幼児並の行動パターンです。感情は感情、行動は行動と別物と考えて、切り分けることができるようになった人は、素晴らしい能力を獲得したことになります。これができるだけで、人間関係は大幅に改善できます。神経質者は感情に影響をされて、気分本位の行動をとる傾向があります。一旦約束をしても、気が向かなくなったのでドタキャンする。日常茶飯事に取り組むことは、しんどいからといって放棄してしまう。仕事はやる気がしないから、さぼってしまう。冠婚葬祭の付き合いも、気が重いからと、パスしてしまう。これらは感情と行動が区別できず、一連の流れとして取り扱っていることに問題があります。森田理論に学び、生活への応用を目指してともに頑張りましょう。
2022.08.09
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このテーマは、6月12日にその5まで投稿しました。その続きになります。①問題ある困った出来事、不平不満あなたはデパートの婦人服売り場の新人の店員です。あなたは見込み客の接客をしていましたが、最終的にお客様が購入の決断がつかず、そのまま店を出られました。それを見ていた先輩の店員が、その人に次のように言いました。「ああ、買う気満々のお客様だったのに、接客態度がまずくて取り逃がしたね」「あなたが接客をするとほとんどダメになるよね」「挨拶もきちんとできないし、商品説明もろくにできないのだから当然かもね」②そのときのネガティブ感情、二次感情なによ、その人を見下したような言い方は。怒りが湧いてきた。そんなこと言われるくらいなら辞めてしまおうか。③その時の「かくあるべし」、上から下目線の考えは。私はこの春短大を卒業したばかりの新人なのよ。OJTで手取り足取り基礎から教育するのが当たり前じゃないの。社員教育もろくにしないで、ミスや失敗を非難してばかり。その態度は絶対に許せない。だから今までどんどん人がやめていったのよ。だいたい先輩だって売上0の日があるじゃないの。それをどう説明してくれるのよ。④ネガティブ感情のラベル貼り激しい怒り、腹立たしい気持ちでいっぱい。⑤その時の様子を実況中継する。今日の午後、お客様が何人もお見えになり、そのうちの一人を私が担当することになりました。笑顔で挨拶を済ませて、お客様の後ろをついて回りました。お客様は手慣れた様子で、何着かをセレクトされて、試着室に入られました。試着室から出てこられて、どれにするか迷っておられるようでした。そのうち、急に気が変わったのか、「また今度にします」といって帰って行かれました。私はどうすることもできませんでした。ここで、間をとる、一歩引く、第三者的な立場に立つ、客観的な立場になって考えるというマインドフルネスの応用です。⑥まず、一次感情、初一念、純な心を思い出す。惜しい、残念、ショックだった。どこに問題があったのだろう。私には分からない。⑦両面観で今一度事実関係を確認する。挨拶、お辞儀、笑顔、髪型、服装などに問題はなかっただろうか。接客のタイミングはあれでよかったのだろうか。何度も来られるお客様だと言われたがその予備知識がなかった。お客様の好みや要望を聞き出すことができなかった。商品の適切な説明ができなかった。お客様と打ち解けた会話が不十分だった。価格交渉に対応できなかった。決断を促すクロージングの言葉が出てこなかった。⑧最悪の事態を想定する。そこを基点にして、今できる最善の手を考えて実行に移す。販売はほとんど失敗すると言われる。だから売れなかったことをいちいち気にしていたら身が持たない。先輩の言葉を真に受けて、反抗的な態度になると、人間関係は悪化して退職せざるを得なくなる。ここはひとまずネガティブ感情は収めておこう。それより今日の失敗を明日に活かすことを考えた方が得策だ。自分の⑦で上げた課題に対して、自分なりに整理して、先輩の時間が空いたときに、先輩のアドバイスを聞いてみよう。接客や販売士の基礎の勉強や資格試験があるので、勉強して身に着けたい。そして、職場に欠かせない戦力になるように頑張りたい。できたらライバルにも勝ちたい。
2022.08.08
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稲盛和夫氏のお話です。以前、私はよく新しい考えやアイデアを思いついたとき、「こういうことをひらめいたが、どうだろう」と幹部を集めて意見を聞くことがありました。そういうとき、難関大学を出た優秀な人ほど反応が冷ややかで、そのアイデアがどれだけ現実離れした無謀なものであるか、ことこまかく説明してくれることが多いのです。彼らのいうことも一理あり、その分析も鋭いものなのですが、だからといってできない理由ばかりあげつらっていたのでは、どんないいアイデアも冷水をあびせたようにしぼんでしまい、できることもできなくなってしまいます。そういうことが何度もくり返されたあと、私は相談する相手を一新しました。つまり新しく、むずかしい仕事に取り組むときには、頭はいいが、その鋭い頭脳が悲観的な方向にばかり発揮されるタイプよりも、少しばかりおっちょこちょいなところがあっても、私の提案を「それはおもしろい、ぜひやりましょう」と無邪気に喜び、賛同してくれるタイプの人間を集めて話しをするようにしたのです。むちゃな話だと思われるかもしれませんが、構想を練る段階では、実はそれくらい楽観的でちょうどいいのです。ただし、その構想を具体的に計画に移すときには、打って変わって悲観論を基盤にして、あらゆるリスクを想定し、慎重かつ細心の注意を払って厳密にプランを練っていかなくてはなりません。大胆で楽天的にというのは、あくまでアイデアや構想を描くときに有効なのです。そしてその計画をいざ実行する段階になったら、再び楽観論に従って、思い切って行動にとりかかるようにする。すなわち「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要なのです。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版)神経質者は、構想、計画、実行とも悲観的な傾向があるのではないでしょうか。神経質者が行動する時は、「悲観的に構想し、手も足も出なくなり、せっかくのチャンスをみすみす逃してしまう」ことが多いのではないでしょうか。どうしてそんなことになるのか。それは人間の進化の過程で、悲観的な経験をよく多く、より強く記憶にとどめるようになったからです。アフリカの東部に起源をもつ人間の祖先は、肉食獣の脅威にさらされながら生きていました。少しでも油断をすると明日の命はないわけです。当然慎重にならざるを得ない。その遺伝子を受け継いでいるのです。楽観的な考え方よりは、悲観的な考え方を重視する人間の方が生き延びることができたのです。ネガティブな記憶、マイナスの記憶、否定的な記憶がより多く、より強く記憶され、行動する時にそれらを、成功体験よりも優先的に引き出して検討を始めるのです。神経症の場合は、心配性で敏感気質、自己内省性が強いという特徴がありますので、さらにバイアスがかかりやすいのです。誰でも、ミスや失敗をしますが、成功体験もあるはずです。行動する時に、成功体験を思い出して、「面白そうだ、思い切って挑戦してみよう」「今度もまた成功するような気がする」「挑戦する前からわくわくしてきた」という気持ちになれば、楽観的に構想することができるのではないでしょうか。そのためには、ネガティブな記憶、マイナスの記憶、否定的な記憶は、そのまま「あるがまま」に認める必要があるのではないでしょうか。それらを抱えたまま、ポジティブな考え、プラスの考え、肯定的な考え方を生み出す習慣を作ることが肝心なのではないでしょうか。それとともに過去の成功体験を日頃から整理しておく。日々の生活の中で、小さな成功体験を数多く作り出す。森田理論では神経症的な不安はあるがままに受け入れて、なすべきをなすことを勧めています。それと同じことだと思います。そのように心掛けて、バランスを維持していくことが、神経質者が人生という荒波に乗り出して、味わい深い人生を送るために必要になる考え方だと思います。
2022.08.07
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家庭菜園に取り組んでおられる方は、夏野菜の収穫で忙しいことでしょう。今日はカボチャ、ミニトマト、オクラ、ナス、シシトウの収穫をしました。今はどの野菜も鈴なり状態です。ミニトマトは赤いダイヤと呼んでいます。たくさん獲れますので、子どもやご近所様におすそわけしています。スイカやぶどうや桃などのおすそ分けをもらうこともあります。カボチャ、オクラ、ナス、シシトウは天ぷらにします。これがうまい。週に1回から2回します。あとは焼き肉の時に使います。カレーも野菜カレーにしています。その他マーボナス、糠味噌漬け、カボチャのマフィンなどです。ミニトマトはびっくりするほど甘いです。あとはトマトジュースですね。もっと料理のレパートリーを増やしたい。
2022.08.06
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植村直己さんは、1976年半年かけて北極圏犬ぞり単独走破した。その距離は12000キロでした。犬はいるが一人ぽっちである。そのうえ極寒である。寒さと戦いながら、孤独との戦いである。いかに乗り越えていったのか。植村氏は次のように述べている。6ヶ月と旅の期間は長かったけど天測したり、写真を撮ったり日記を書いたり「仕事」をいっぱい持ってましたので、自分をかえりみる余裕がなかったです。これはプラスでした。自分のことを考えるようになったら、もう発狂していたでしょうね。余裕ができるとなぜ自分はなぜこんなことをやっているんだろうなんて思ったりして・・・。独り言を言っていたと思います。それと、犬にどんどん話しかけるのです。犬も反応してくれますから。自然には一つのルールがあるんです。これまで経験したことの範囲内で行動しなければ危険が待ち受けている。自分の行動なんかは、あの北極海からみればアリんこなんかより、もっと小さな存在ですから絶対自然の力に逆らっちゃいけないんです。(植村直己 挑戦を語る 文芸春秋編 139ページ)森田理論を学習しているものとして3つの点で参考になりました。1、注意や意識が自己内省的に傾斜し、さらに他者との交流がなくなると、精神的には大きなダメージを受けてしまう。私たちは性格傾向としては、自己内省性が強いと言われています。これも優れた特徴ですが、外向けに注意や意識を向けることがそれ以上に大事になります。外向きに目付をして、生の欲望に邁進することを第一優先順位すると問題は解消します。2、一緒に行動していた犬がいたということ。私たちの仲間にも犬を飼っている人がたくさんいます。それ以外にも、猫やインコ、金魚やメダカを飼っている人もいます。花や盆栽、自家用野菜を作っている人もいます。幼い子供を育てり、介護の必要な親や配偶者の世話をしている人もいます。生き物の世話をすることは、自分の精神の安定に大きな働きをしていると思います。3、感情は自然現象であり、人間の意志によってコントロールできるものではないということです。自然現象には逆らってはいけない。不安、恐怖、違和感、不快感はイヤなものですが、基本的には手出し無用なものです。特に神経症的な不快な感情は、欲望の裏返しとして発生しているものです。不安などと格闘するよりも、生の欲望の発揮にエネルギーを投入して、不安と欲望のバランスを図ることに専念するべきだと考えています。
2022.08.06
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稲盛和夫氏が老師の話を紹介されている。地獄と極楽には同じような大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートルほどの長い箸を使うしかないのです。地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。しまいには、他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることは出来ない。おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんをとってあげます。ですから極楽では全員が穏やかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版 176ページ)これに関連して、私が集談会で教えてもらったことは次のような事でした。神経症で苦しい人が、悩んでいる仲間のことが心配になり、「自分のことは明日考えよう」と先送りしていた。その明日が明後日になり、明後日が明明後日になって、いつの間にか自分の症状を治すことを棚上げにしていた。そんなことをくり返しているうちに、自分の症状は軽くなっていたというのです。集談会参加者の世話活動に力を入れていると、社会体験不足を補うとともに症状も軽快する。不思議なことがあるものだと思っていました。以前は集談会で森田関係の図書をある程度ストックして販売していました。その図書の管理や運搬は、すべて図書係がやっていました。不足すれば、次の開催日までに補充するようにしていました。実は私もその図書係をしていたことがあります。なにしろ無料で森田の本を読めるというのが魅力でした。私は図書係にのめり込みました。集談会が始まる前にはきちんと並べておくのです。どんな本が初心者に役立つのか。対人恐怖の人にはどんな本がよいのか。森田理論を深めるためにはどんな本があるのか。とりあえずストックしてある本はすべて読みました。その後は、それ以外の本にも手を広げて読むようにしました。よいと思った本は、新たにストックに加えるようにしました。次に自分がここがよかったという部分をまとめた紹介文を作り配布しました。自分が勧めた本を買ってくれる人がいるのはうれしいものです。私は図書係という仕事にやりがいを感じるようになりました。集談会に参加するのは、自分の症状を治すということと並行して、役に立つ本を多くの人に紹介するという目的がありました。一時期は、自分の症状の事よりも、図書の売れ筋が気になるようになりました。集談会に本屋さんが来ているのかといわれたこともあります。その後は図書係を他の人に譲り、幹事として集談会の運営に加わりました。参加者が多く、来てよかったという集談会にするためにはどうするかということに力を入れました。一泊学習会、野外学習会、花見や懇親会の企画や実施にも取り組みました。それらの貴重な経験は、すぐに会社の中でも役立つことになりました。人の為に始めた世話活動が、最後には自分のためになっていたのです。神経症を克服するには、こちらから入るという道もあるのです。
2022.08.05
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タレントの所ジョージさんは、毎朝起きた瞬間から、今日一日をいかに楽しく過ごすかばかりを考えているという。だって楽しむために起きているのだから。悩むことで解決することなら、いくら悩んでもよいと思うけど、解決しそうもないことなら悩まない方がいい。たとえば、好きな人ができて脈がない場合、自分ではどうしようもないでしょう。相手に嫌われてしまったら、自分も嫌いになったことにすればいい。あまり一人の人に執着しないほうがいい。失敗する人生も楽しいじゃないですか。人生は失敗に満ちている。だからこそ、楽しいわけで、失敗しない人生なんてそんなつまらないものはない。いろんなことが自分に降りかかってくるからこそ、生きている実感があると思う。今の世の中は便利になりすぎている。それが楽しさを奪っている気がします。便利なものを使うのはいいけれど、あまりにそれに頼り過ぎると生きる楽しさがどんどん減っていく。楽しみを見つけることにコツなんてないよ。身の回りを見渡せば、面白いことは一杯転がっているはず。お金をかければ楽しいというわけじゃない。要は自分自身が主人公にならなければ、楽しさは味わえないということ。受け身で他人から与えられた楽しさは、所詮他人の楽しさでしょ。そんなものはすぐに飽きてしまう。不便さや曖昧さを楽しみながら、自分の足元に落ちているものに目を向ける。楽しいものは最初から存在しているわけではない。いかに楽しく工夫するか。いかに楽しさを引き出すか。それに尽きると思う。(60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人 PHP 71~75ページ要旨引用)森田に通じる話ですね。所さんの話を聞くと、宇野千代さんの次の言葉を思い出す。幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人がいる。(宇野千代 幸せの言葉 海竜社 195ページ)問題を抱えることは、解決策を目指すかぎりにおいて、生きがいを作り出します。問題を抱えない人生はあり得ません。神経症の発症、仕事や人間関係の問題、心身の健康問題、経済問題、事故や自然災害、理不尽な仕打ちなど様々です。それは、神様からどう取り組むかという宿題を出されていると受け取るのは如何でしょうか。それぞれ、出される宿題は違いますが、要はそれらに真剣に向き合って生活しているかどうかが肝心です。死後の世界が存在するかどうかは分かりませんが、もし仮に存在するとなると、その点を厳しく査定されることになると思います。
2022.08.04
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大橋秀行さんのお話です。「将来、世界チャンピオンになれる選手かどうかわかりますか」大橋さんの返事は、「わからない」でした。しかし、そのあと、こう付け加えています。「世界チャンピオンになれる選手は分からないが、なれない選手ならわかる。周囲に不満を持つ選手は、どんなに素晴らしい素質があってもチャンピオンには絶対なれない」これはご自身の体験を踏まえたものです。大橋会長は、小学生のころからボクサーを目指し、子供ながら1日2食を通したほどの意志の人です。けれど、「150年に一人の素材」といわれながら、ここ一番の勝負になるとなぜか勝てません。何となく勝てそうな格下の相手にも負けてしまう。そんなことが続き、「なぜだろう」と自分に問いかけた大橋会長は、思いがけない答えを見つけます。「結果が悪い試合を振り返ってみると、そういうときは決まって指導者や環境に対して、不満を持っていた」そのことに気づいてから、その不満をなくすように努力したといいます。「不満」の反対は、「感謝」です。不満を感謝の心に置き換えるようにしたときから、「不思議に結果が出るようになった」と大橋会長はいいます。このお話を脳科学的に解釈すれば、不満というストレスのために否定的な脳になっているときは、体のキレが悪くなり、判断力も低下する。しかし「ありがたい」という感謝で脳を肯定的にしたら、脳の機能が格段に上がったということです。(NO.1メンタルトレーニング 西田文郎 現代書林 74ページ引用)この話は、最新の脳科学の知識があればすぐに分かります。グチや不平・不満は不快な感情です。扁桃体が不快と判断した感情はノルアドレナリンという神経伝達物質によって青斑核に送られます。ここから大脳全体向かって、自分の心身の安全や安定を維持するために、守りの態勢に入るようにという命令が下されます。いざという事態を想定して専守防衛態勢に入るわけです。そのとき、ドパミン主導の報酬系神経回路は休眠状態に入ります。いざこれから試合というときに、脳の働きが後ろ向きになってしまうのです。精神状態が否定的なことばかりを考えるようになるのです。相手が闘志満々で脳の中を報酬系神経回路が駆け巡っている時に、「負けたらどうしょう」「惨敗したらこのまま国には帰れない」という悲観的な感情で覆われていたとすれば、戦う前から大きなハンディを負っているようなものです。それを払拭するために、大橋氏は不満を感謝の心に置き換えるようにしたといわれています。感謝の言葉は、毎日唱和することが肝心です。私は毎日仏壇に手を合わせています。そのとき先祖様、親、子供、仕事仲間、友達、集談会の仲間に感謝しています。それから今日一日無事に過ごせたこと。三度の食事をいただいたこと。最初は感謝の気持ちが湧き上がらなくても、感謝の言葉を口にすることでいつの間にか、感謝の気持ちが持てるようになります。形から入るということです。グチや不平不満を口にしているのとは、雲泥の差がついてしまいます。そういう習慣が少なからず、精神の安定に役立っているのではないかと思っております。
2022.08.03
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2022.08.02
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落語家の立川談四楼氏のお話です。古典落語は200も300もあるそうですが、昭和の名人に先代桂文楽がいました。普通の落語家は古典落語をを次々に覚えて芸の幅を広げます。桂文楽は100くらいの噺を覚えた後は、その数を増やさなかった。その代わり自分の覚えた噺を磨くことに心血を注いでいた。ネタはすべて18番だった。うなるほどうまかった。しかも20分の噺を演じると、20分きっかりで下りてきました。精密機械と噂されていました。談四楼氏の師匠は立川談志師匠ですが、その談志が言ったことがあるんです。「恐ろしいのはコツコツやるやつだ。一つのことを30年やったやつにはかなわねえ」先代桂文楽師匠のような人を見ていて、つい本音を吐露したのでしょう。あれもこれも幅広く手を出すことも大切ですが、深堀する人はより多くの感動をもたらす。(落語家のもの覚え 立川談四楼 ちくま文庫)高良武久先生は、講話の中で、対人恐怖症を治すには、10年一つのことに取り組みなさいと言われました。10年も一つのことを追いかけていると、誰でもその道の専門家になれます。すると自分に自信が持てるようになります。自分の存在価値を認めて、自己肯定感が高まります。そうなれば、周りの人が自分のことを否定しても昔ほど気にならなくものです。つまり対人恐怖症に振り回されることが少なくなる。それは自分にはこれで生きているのだという覚悟が生まれるからです。自分で自分の存在価値を認めることができると、自分を守る強力な味方ができたようなものです。私はこのブログをはじめて10年目の後半に入っています。気付いたことをまとめてみました。・自分ではよく気づいていませんでしたが、森田理論の深耕ができたようです。ブログをやっていなかったら、森田理論の表面的なことしかわからなかったと思います。ネタが見つかると、森田先生の言いたいことは何だろう、自分に当てはめて考えるとどうなのだろうと考える習慣ができました。たとえ間違っていても、長く続けていると、そのうち間違いに気づいてきます。・集談会ではいろんな質問が寄せられます。それらに対して自分なりの考えを話すことができるようになりました。たとえば最近では「ウクライナ問題をどう考えていますか」という質問がありました。この問題は以前このブログで取り上げたことがありました。自分の意見をすぐに述べることができるようになりました。これは応用力が効くようになるということではないでしょうか。イチロー氏や王貞治氏の話を聞いていると、野球の話をしながら、いつの間にか人生論の話をされているように思います。それとよく似ています。・ブログを始めたときは10名から20名くらいのアクセス数でした。下積みの期間が相当長かったです。そのときは1日で1000人以上もの人がアクセスしてくださるとは夢にも思いませんでした。経験のないことは想像することができないのです。それが徐々に認知されて、急激にアクセス数が上昇するという体験をしました。人生というのは、不遇な時期をあきらめず辛抱していると、ある時期に爆発する時を迎えることがある。綾小路きみまろさんのようなものです。どこかで神様のような人が、じっと見守ってくださっていたのではないかと思うようになります。森田では規則正しい生活、凡事徹底が基本ですが、その次には仕事でも趣味でもどんなことでもよいので、中期目標、長期目標を立てて、ゆっくりでよいので継続していくことをお勧めします。長期目標を持っている人は、人生が退屈だ、つまらないなどと考えることはなくなります。
2022.08.02
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この本の主人公は神谷玄次郎である。江戸北町奉行所の定町廻りの同心である。つまり殺傷事件の刑事である。岡っ引きの銀蔵親分と二人三脚で殺人事件を解決する話が8編ある。江戸時代に実際にあった事件を小説にしているという。玄次郎の推理力は抜群で、卓越した勘とひらめき、さらに鋭い洞察力によって犯人を追い詰めていく。ただしそれは事件があった時だけである。普段の神谷玄次郎の勤務態度、生活態度は問題だらけである。まず真面目に奉行所に出勤しないのである。気が向けば出勤するが、あとはずぼらで適当にしている。欠勤3日というのは当たり前で、上司に疎まれている。そんなことを一向に気にしない玄次郎の態度はいつも顰蹙をかっている。かろうじて首がつながっているのは、いくつもの難事件を解決してきた過去の実績がものをいっている。それがなければとっくの昔にクビになっていてもおかしくない。さらにそれに輪をかけて生活態度に問題がある。現在独身の玄次郎は、蔵前の北にある三好町の小料理屋よし野の女主人お津世という女性とねんごろの仲になっていて、その店に入り浸っている。知り合ったきっかけは、亭主を殺された犯人を玄次郎が捕らえたことであった。以来、玄次郎はよし野のお津世といい仲になったのだ。お津世もそれを受けいれているが、家には3歳の子どもがいる。江戸時代は事件の関係者である小料理屋のママと同心が不倫状態にあることは、決して見逃すことは出来なかったのだ。幼い子供も心の傷を背負う可能性が高い。ちゃんとした嫁も貰わず一家も持たない玄次郎は、上役にやくざな半端者とみなされても仕方ない。だから出世は望むべくもない。この小説を読んで感じたのは、釣りバカ日誌の「ハマちゃん」であった。「ハマちゃん」も勤務態度は問題だらけだった。普通ドラマの刑事といえば、品行方正で非の打ちどころのない役どころが多いが、神谷玄次郎は「はぐれ者」である。藤沢周平氏はどうしてこのようなキャラクターの人間を主人公に選んだのだろうか。私が思うには、理想通りの完璧な人間なんてめったにいるものではない。希望に燃えている瞬間があっても、次の瞬間には自暴自棄になってしまうのが人間だ。病魔に蝕まれることもある。突然家族に不幸が襲ってくることもある。大きな自然災害や事故に巻き込まれることだってある。戦争に駆り出されたり、理不尽な争いに巻き込まれたりすることだってある。欠点、弱点、ミス、失敗、後悔を抱えて何とか生きているのが人間ではないのか。そういう現実の中で危ない橋を渡りながら生きているのが人間である。人を騙したり、人に騙されたりしながらなんとか生き長らえているのが人間の偽らざる事実である。藤沢周平氏は、理想の人間よりも、現実の世界でのた打ち回りながら、一生を過ごす人間を描きたかったのではないか。そういう人の味方であることをひしひしと感じる。だから藤沢周平のファンが多いのだと思う。心の傷を抱えながら、四苦八苦しながら毎日を生きている人にとって、オアシスにたどり着き、一杯の水にありついた気持ちにさせられる。かくいう私もその一人である。
2022.08.01
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