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加島祥造さんは大学で英米文学を教えておられたが、1995年より一人で信州の伊那谷に転居された。そして毎日詩作や墨彩画を行っているという。どうして冬しんしんと冷え込む寒いところに移り住まれたのだろうか。加島さんによると、欲望を求め続けると、欲望が暴走してしまうといわれる。ここでいう欲望とは、お金儲け、物欲、地位、名誉のことだ。現代人はそれらがパンパンに張った状態を目指している。それでも飽き足らず、さらに加速して追い求めるようになっている。欲望が暴走すると歯止めが効かなくなる。自重したくても、自分の意思でコントロールできない。鍋に飛び込んだカエルが温泉気分で温まっているうちに、いつの間にか茹で上がって命を失ってしまうようなものだ。暴走をくり返す人生は、人様に迷惑をかけて、最後に後悔するようになる。森田理論では人間には「精神拮抗作用」が備わっているという。欲求や欲望が生まれてくると、それを制御する感情も同時に湧き上がってくる。それが不安、恐怖、違和感、不快感といったものです。それらを活用して欲求や欲望の暴走を制御することが肝心であるという。車のアクセルとブレーキの関係と同じだ。サーカスの綱渡りのようにバランスを意識することが大切になる。宇宙の森羅万象をつぶさに観察すると、すべてはバランスの上に成り立っている。人間の心身もバランスをとることで存在が許されている。欲望が暴走すると、猪突猛進で双極性障害の躁状態に追い込まれる。なんでも人間の思い通りにコントロールできるかのような錯覚に陥る。実際はそんなことはない。もしそう思っているとすれば、人間の思い上がりである。欲望と不安のバランスを無視すると、欲望が加速度をつけて暴走する。飛行機が離陸するとき、ある一定の速度に達すると、途中でやり直すことは不可能になるという。そのままの状態で飛び立たないと滑走路を飛び出して大惨事が起きる。人間の欲望の暴走もそれと同じことが起きるということだ。その結果、人類そのものが延命できなくなる。加島さんの生き方は、欲望の暴走の危険性を指摘されているのだと思う。欲望は常に不安を活用して抑止する必要がある。バランスや調和を意識する必要がある。それを自ら実践されていると思う。加島祥造氏の「求めない」「老子と生きる谷の暮らし」「タオ 老子」などの本を読むとそのことがよく分かる。私たちもせっかく森田理論で精神拮抗作用のからくりを学習したのですから、これを実生活の場で活用しないといけないと思います。その方向が人類が延命できる道につながります。森田理論の考え方は普遍的な考え方です。世界中の人が学んで実行しなければなりません。
2022.02.28
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再び市原悦子さんのお話です。役を作るうえで、善人悪人というのはない。美しい人、醜い人というのもない。ただ、人には美しい瞬間と醜い瞬間あるだけ。(ことばの宝物 市原悦子 主婦の友社 104ページ)なるほど、おっしゃる通りだと思います。こういう気持ちになれば、険悪な関係になることは少なくなると思います。普通は一度でも相手が自分のことを非難・否定した。ネガティブ、マイナス感情をあからさまに爆発させた。本能的な欲望を暴走させて、問題行動を起こした。弱点や欠点、ミスや失敗を隠蔽している。言い訳や責任転嫁している。このような態度を見せつけられると、その人を悪人、要警戒人物として扱う。一つの事象からその人物の全てを悪・醜と決めつけてしまうのである。もともと人間性に問題があって、箸にも棒にもかからない人間である。その人が近づいてきたら、関わらないようにしてすぐに離れた方がよい。凶悪事件を起こした人は、社会から隔離して管理した方がよい。自分に危害を加える人を憎むべき敵とみなしてしまうのです。そういう先入観、決めつけ、思い込みで行動してしまう。それが昂じると、自分を非難、否定、無視、軽蔑する人はすべて敵にまわすようになる。以後、対立関係にはいり、親しく交わることはなくなります。市原さんは、その考え方は一方的ではありませんかと問題提起されている。問題行動を起こしたときは、確かに悪人であり極めて醜い一面を見せる。でも別の場面では、善人で美しい行動をとることがあるのではありませんか。自分のことを大切に扱ってくれることはありませんか。みんなのために寝食を忘れて尽くしてくれることはありませんか。人間は生まれてずっと悪人ということはありえない。悪人・善人という姿を様々に垣間見せながら生きている。だから両面を過不足なく見てその人の人間性を判断する必要がある。そうしないと誰でも悪人、醜い面を持ち合わせているので、そういう人をことごとく排除していると、自分の方が孤立してくる。親しい人間関係を持つことはできなくなります。森田理論では、人間関係のコツは「不即不離」にあるという考え方です。人間は誰でも虫の居所が悪くて、破れかぶれな言動をとることはあります。その後で「しまった。やってしまった」と後悔しているのです。でもやった後では取り返しがつきません。その一瞬をとらえて、鬼の首をとったような気持で、悪人・醜い人と決めつけて敵に回していると、最後には廻り廻って自分の立場を窮地に追い込んでしまう。さらにたちが悪いのは、仲間をけしかけて徒党を組んでさらに追い打ちをかけることです。相手が悪人・醜い面を見せたときは、距離を置いて様子を伺う。決して近づいてはいけない時です。そっとしておく。非難・否定しないで寛容な気持ちで許容できるようになるといいですね。時間が経ち、場所が変わり、環境が変わって、機嫌のよいとき、善人・美しい面を見せたときは頃合いを見て付き合いを始める。それもべったりくっつくほど親密な付き合いを避けて、さらりとした節度ある付き合いを心掛ける。それを心掛けないといずれ窮屈な付き合いになります。こういう考え方、付き合いを心掛けていると自分の生活は豊かになります。
2022.02.27
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2022.02.26
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最近「つながり」について取り上げられることが多くなりました。コロナのためリアルで定期的につながっていた人間関係やイベントが、途切れがちになっており、それが生活の楽しみや心の安定感を損ねているのではないかという不安があるからではないのでしょうか。集談会、親子や孫、親友、同窓会、親戚、OB会、町内会、祭り、スポーツ観戦、観劇、講演会、コンサート、趣味の会、飲み会、カラオケ会が軒並み中止に追い込まれています。「つながり」がなくなると、一人あるいは家族で生活することが多くなります。外出は買い出しぐらいになり、家でひっそりと暮らしている。家での楽しみを持っていない人は、退屈で息が詰まりそうだ。私は毎日マンションの管理人の仕事に出かけている。マスクと消毒を徹底して、受付で相手と話す時はガラス越しです。込み入った要望やクレーム事項は文書にして提出してもらうようにしている。なるべく挨拶だけにして、親密な会話は避けています。家では撮りためて録画しているテレビ番組を見ている。仕事の流儀、逆転人生、題名のない音楽会、人生の楽園、情熱大陸、クローズアップ現代、なんでも鑑定団などである。バラエティ番組は見ません。それと読書することが多い。20冊まで借りられるので、予約してどんどん借りています。カラオケの練習もしています。ネット麻雀を20分くらいする。you tubeプレミアムで広告なしの音楽を聴いています。CDやカセットやMDを楽しむこともある。サックスの練習、一人一芸の稽古、草花の手入れは日課になっています。焼き芋を毎日作っている。ブログの原稿作りや整理もしている。それ以外にもやることを思いつくとすぐにメモしているので、退屈で時間を持て余すことはほとんどない。土曜日や日曜日には1時間半かけて田舎に帰って野菜つくりや草刈りや農機具の手入れや片付けをしている。冬場は帰省しないこともある。そのときは金曜日のうちに10個くらい、土日にやることをリストアップしている。多くのことを手掛けていてそれなりに充実感があります。「つながり」ということでは、それがなくなって精神状態が不安定になるということはほとんどない。コロナが治まってくれば「つながり」の楽しみも増えてくるだろうから、それまでは他人と「つながる」ことはがまんして、その日がくるのを心待ちにしておこうという気持ちです。今の生活の中で、できることや楽しみをたくさん見つけ出して生活を豊かにしてゆきたいと思っています。リアルのつながりは無理でも最近は、ZOOMなどで遠距離の方とも親しくお話ができるようになりました。特に生活の発見会の仲間とは幅広くつながっています。これからも大いに有効活用していきたい思いです。話し相手がいないという人生は、味気ないし精神的に不安定になると思います。私は集談会の仲間は「心の安全基地」あるいは「立ち寄ることができる母港」というとらえ方をしています。いつもは大海に出て活動しているが、何か生活上の問題、人間関係、心の悩みが発生してきたときの話し相手、相談相手として考えている。そういう「安全基地」や「母港」を持っていると安心感があります。いざとなった時に生活を支えてくれる医療保険や自動車保険のようなものです。生活の発見会に入り、集談会に参加する意味は実はそこにあるように感じている。
2022.02.26
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女優の市原悦子さんのお話です。日頃から自分をさらけ出すことをやっていないと、お仕事がきたときに、のびのびとできません。(ことばの宝物 市原悦子 主婦の友社 92ページ)自分をさらけ出すことができる人は、一つの素晴らしい能力を獲得している人だと思う。この自分をさらけ出して生きることは2つの側面がある。一つは、欠点や弱点、ミスや失敗をさらけ出すということ。もう一つは、感情、意思、考え、意見を前面に押し出すということ。自分をさらけ出すことは難しい。才能と言ってもいい。欠点や弱点は目立たないようにごまかす、隠蔽する。しかしそれがいつばれてしまうかもしれないという不安が付きまとう。神経がそこに張り付いて、注意や意識が内向きになる。ミスや失敗は言い訳をする。偽装工作をする。責任転嫁をする。いつまでも放置して報告を遅らせる。しかしそれが気になって眠れない夜を過ごすことになる。そしてごまかしが発覚したときは、すでに時遅し。人間性を疑われ、信用が失われて、再起不能となることがある。自分がどうしようもないダメ人間とみなされてしまうことを恐怖している。負けず嫌いですべての面で相手と張り合っている。人間は長所と短所がほどよく配置されていることを理解していない。短所はそれをそのままにして相手に花を持たせる。逆に長所や特技、自分が元々持っている優れた能力はさらに伸ばす。こういう柔軟性、割り切った考えを持つことができない。その結果自分の考えや思いとは全く逆のことが起きる。このことを森田理論では、思想の矛盾に陥るという。あの人は隠蔽体質、詐欺的体質がむんむんするので距離を置こう。こちらからは積極的に近寄らないようにしよう。逆に欠点や弱点、ミスや失敗をそのまま公開する人は安心感がある。他人の欠点や弱点、ミスや失敗を暖かい包容力で許してくれる。お互い完全、完璧ないので、許しあえる人間関係が好ましい。感情、意思、考え、意見を前面に押し出すということですが、人間関係を破綻させないためには、相手の気持ちを忖度することを優先する人が多い。他人の思惑を気にして、自分をないがしろにしているのである。自分の気持ちを抑圧して、相手の言動に振り回されているのでストレスがたまる。本音よりも建て前を優先している態度が身についているのであろう。これは順序が逆になっているのですね。ここで大切なことは、相手を無視して自己中心で押し切れということではありません。相手の気持ちを大切に取り扱うことは大切です。相手と向き合うときは、自分の立場、気持ち、考えを第一優先順位に持ってくるということです。それを抜きにして相手と付き合うことは、ストレスを生み出す。これで対等の立場で交渉することが可能となる。市原悦子さんの「自分をさらけ出して生きる」というのは、この2点を心掛けて生活の中に根付かせていくことだと思う。そういえば、市原悦子さんは個性的で魅力的な演技をする女優さんでした。特に樹木希林さんと共演された「あん」という映画がよかったです。
2022.02.25
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集談会の参加者の人で、朝日新聞の川柳の投稿で1席になったそうです。刺激を受けてさっそく私も作ってみました。ビックボス 高崎山の 猿のことビックボス 家にいるのは おっ家内子どもから 「親父の海」の リクエスト「よっこらしょ」 勢いつけて トイレ行く
2022.02.24
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劣等感は自分と他人を比較して、自分の方が劣っていると判断している。しかも、実態以上に致命的なハンディキャップだと思い込んでいます。これは一面的な認識の誤りを犯している可能性があります。本人の劣等感的な見方は果たして正しいのか。本当に一生を左右するほどの致命的な欠陥なのか。今日はこの問題を深堀してみましょう。たとえば薄毛やハゲでウィングを装着して取り繕っている人がいます。ケース1本人が大きな劣等感を感じています。それを実際に隠そうとしている。他人はその姿を見て、大きな違和感を持っている。隠すことで、他人は自分の弱みに気づいてくる。あの人はウィングでごまかそうとしているとうわさするようになる。欠点を隠すという態度を笑い話のネタにしている。苦労しているにもかかわらず全てが裏目に出ている。哀れとしか言いようがない。ケース2他人は確かに薄毛と言えばそうかもしれないが、気にするほどでもないと思っている。したがって、そのことに注意や意識を向けてはいない。しかし本人は、深刻に悩みこの状態では人前に出て行くことはできない。ごまかせるものなら何とかしたいと思っています。他人は気にかけてはいないのですが、本人は不安や恐怖にとりつかれている。これは神経症で苦しんでいる状態とよく似ています。小さな不安を自分の一生を左右するような大きな一大事と認識している。ここで不安をどう取り扱うかによって、大きく二つに分かれる。不安と格闘して劣等感と格闘するか、不安を抱えながら仕事のほうに集中するか。ここでの選択がその後の展開を大きく左右します。ケース3劣等感で苦しむ道に入ると、2つに分かれます。一つは髪の毛のことは放りぱなしにしてしまう。投げやりな人です。畑でいえば雑草が生え放題である。蛇などが住み込んでいる。火をつけられでもすると、山火事になることもある。本人はそれでよいかもしれないが、周囲の人はせめて身だしなみをきちんとしてもらいたいと思っている。もう一つは、ウィングや植毛で上手にカモフラージュしている。本人は時間と大金を投入して、うまく誤魔かせたと有頂天になっている。しかし、周囲の人はほとんどの人が気づいていて、その事には触れないように気を使っている。隠蔽やごまかし体質のために、人間関係は気まずくなっている。本人は頭の中が劣等感で占められていて、これ以外のことには無関心になる。そのうち、ばれたりすると、自暴自棄になり手に負えなくなる。ケース4積極的な生き方になっている人も2つのタイプに分かれる。ウィングを装着しているが、周囲に告知(カミングアウト)している。周囲の人も隠し事がないので、話題として取り上げることもある。結構似合っていると本人も他人も認めている。雰囲気に応じていろんなタイプを使い分けている。一つのファッションとして生活の中に根付いている。特に女性の人でうまく使いこなしている人がいる。それ以外の身だしなみもきちんとしている。もう一つは、薄毛やハゲの自分を受けいれている。その状態を自分の個性としてとらえて、正々堂々としている。薄毛やハゲのことで不安や悩みを感じていない。人間の歴史は脱毛の歴史だなどと言う。数100年もたつと全員がスキンヘッドに進化するという。また整髪の必要がない。洗髪の必要もない。清潔に保つことができる。汗が出てもタオルで拭くだけで事足りる。実に爽快である。日照りの時は格好のよい帽子をかぶればよい。寒い冬にも防寒すれば済むではないか。何ら支障がない。「スキンヘッドの○○さん」と認知されていることに誇りを持っている。それをむしろアピールしている節がある。さらにスキンヘッドの有名人のモデルを持っており、その域に近づこうとしている。あるいは高僧のような雰囲気を醸し出している人もいる。女性に手を出しても相手にされないので、不倫とは無縁である。それが結果的には、家庭の平穏に役立っている。スキンヘッドの悪役俳優は数が少ないので、仕事にありつける。事実を素直に認めているので、エネルギーの無駄遣いが起こらない。そのエネルギーを仕事や夢や目標の達成に向けて努力している。劣等感を類まれな長所に転換している人です。これは人間としても最高レベルの人だと思います。
2022.02.24
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脳の神経系は、ドパミン系、ノルアドレナリン系、セロトニン系の3つがあると言われています。それぞれの神経系がどのような作用を及ぼしているのかを見てみたいと思います。ドパミン系・・・これが活性化すると、やる気が出てきて、行動が積極的になる。快楽神経系、報酬系神経回路と言われています。我々神経質者は、ともするとドパミン神経系の活動が停滞する傾向がある。ノルアドレナリン系・・・不快、嫌いという感情が湧き上がった時作動している。リスクを回避して、不安やストレスから心身を守っている。行動は防衛的、消極的、回避的、自己内省的となる。ただ精神が緊張して集中力が出てくるのもこの神経系のおかげである。気になる1点に焦点を絞るので、集中力が出てくるのです。集中力は仕事、車の運転、スポーツ、楽器の演奏には欠かせないものだ。ただ、神経質者は、この回路が強大で、葛藤や苦悩を抱えている状態である。一般的に防衛系神経回路と言われている。ドパミン系が主導で、ノルアドレナリン系が制御機能を果たすとバランスがとれる。その他、神経系にはセロトニン系が大きな役割を果たしている。特に次の2点に注目したい。①大脳に人の気持ちを思いやるという機能がある。共感力、受容力、包容力、許容力をもたらしているという。決して自己中心ばかりではないのだ。これは前頭前野の「腹内側部」にあると言われている。②神経症的な不安や恐怖が湧き上がった時、また意図したことが予想外の展開を見せたとき、いつまでもそれらにとらわれないようにスパッと切り替える役割を果たしている部所がある。切り替え脳の仕組みが前頭前野に備わっているのである。一つのことにとらわれ続けるよりも、刻々と変化する状況に次々と対応し、そちらに飛び乗るという機能が人間には備わっているのだ。そうしないと心身が病気で蝕まれて神経症になるからだ。これは前頭前野の「腹外側部」に存在している。さて、本日注目したいのは、セロトニン系のこの2つの働きです。共感力、受容力、包容力、許容力は人間関係を良好に保つために必要です。でも現実は、いつも自己中心的な面が前面に出てきてしまう。他人に役に立つことよりも、自分をよく見せようとし、自分の都合を優先してしまう。森田理論との関係でいえば、理想や完全欲が強く、観念優先で「かくあるべし」を自分、他人、自然に押し付けてしまう。その結果、自業自得で自ら生きづらさを抱えて苦しんでいる。また神経症的な不安にいつまでもとらわれて、精神交互作用で神経症として固着させている。不安を抱えたまま、目の前の仕事や課題に取り組みなさいと言われても、どうしても不安やストレスを目の敵にして格闘してしまう。せっかく人間の大脳に「共感力、受容力、包容力、許容力」や「切り替え脳」の機能が搭載されているにもかかわらず、残念なことに宝の持ち腐れとなっている。大脳の機能はほんの数パーセントしか活用されていないというから、その通りなのかもしれない、これは今まで、セロトニンが優れた役割を果しているという知識もなければ、学習することもなかった。その結果、元々脳の機能としては備わっていたにもかかわらず、活用することができなかったのではないか。でも、最近の脳科学がその疑問を解決してくれました。今では森田理論の学習に、最新の脳科学を取り入れることが可能な時代に入ってきました。これらを融合して神経質者の人生観の確立を目指していきたいと考えています。その中心はセロトニン神経系をいかに活性化させるかということになります。(ストレスに強い脳、弱い脳 有田秀穂 青春出版)
2022.02.23
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人間はどんなことに劣等感を持つか。薄毛、ハゲ、老化、身体的欠陥、地位、学歴、境遇などたくさんあります。特徴としては他人と比較している。劣等感的差別観を持っている。劣等感を持っている人は、それは致命的な欠陥だと思っています。自分の将来を左右するほどの決定的な欠陥であると思っています。隠す、取り繕うことが必要で、そうしないと人生に希望が持てない。そして、孤立し、時間の無駄遣い、お金の無駄遣いをしています。でも苦しさは取り除くことができないばかりか、精神的な苦痛を背負い込んでいるのです。いかに馬鹿げことに取りつかれているのか。しかし本人にはその自覚がないというのが一番の問題です。そういう人は本当に将来に夢や希望が持てないのか。世の中には、ハゲの人、皴やシミだらけの人、入れ歯の人、慢性的な身体欠陥を持っている人、学歴のない人、結婚していない人、ひとりぼっちの人、仕事のない人、地位や名誉のない人などたくさんいます。そういう人が全員自分で自分を否定しながら生活をしているのか。そんなことはありません。むしろそれに発奮して運命を切り開いている人はたくさんいます。たとえば、中学しか出ていない人が、大卒の人を追い抜いてやるといって、立派なシェフになった人がいます。そういう人が、経営者となり、有名大学を卒業した人を使いこなしている。貧乏で劣悪な環境で育った人が、大人になって悠々自適な生活を楽しんでいる。収入が少ない人が、お金のかからない自給生活を極めてうらやましがられている。ハゲを逆手にとって、極悪非道な役者として欠かせないという人もいる。ヘレン・ケラーという人は、目が見えない、耳が聞こえない、話ができないという大変な障害を抱えていました。でも彼女はそれを逆手にとって、89歳で亡くなるまで、世界中の障害者を励ます活動を続けたではありませんか。この人たちと、劣等感にとりつかれた人との違いは何でしょうか。森田理論学習を続けている人はすぐに分かると思います。そういう人との違い・事実をしっかりと認めている。その事実を否定しない。ないものを求めても仕方がない。自分が持っている能力や可能性にかけていくしかない。きちんと発想の転換ができた人たちです。劣等感に取りつかれていると、死ぬときに後悔してしまう。それよりも持っているものを活かして、人生を楽しみたい。事実のままに生きていくという覚悟を固めている。むしろ発奮材料として利用している。国内予選を勝ち抜いて、マラソンの出発点に立つことができた人です。自分にないものに劣等感を感じる間がないほど、目線を上に向けている。自分が持っている能力や可能性に照準を合わせている。ここが劣等感に取りつかれている人との決定的な違いです。事実本位という態度を身につけることは、観念が優位になった人間にとって、とても大きな課題です。しかしこれを乗り越えないと精神状態は安定しない。森田理論はそこに特化して、人生観を確立しようとしているのです。
2022.02.22
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薄毛やハゲで悩んでいる日本人は1200万人から1500万人だそうだ。4人に1人の割合になる。実は私もその仲間である。世界で見ると、スペイン42.6%、ドイツ41.24%、フランス39.1%、アメリカ39.04%、イタリア39.04%、続いてポーランド、オランダ、イギリス、カナダ、ロシア、オーストラリア30.39%と続いている。つまり先進国ほど薄毛とハゲが多い。日本はその意味でまだ後進国だ。現在薄毛やハゲの人も幼少期は髪が多かった。寝癖がついて直すのに苦労していた人も多い。ところが成長するうちにいつの間にか薄毛になり、ついにハゲてきた。徐々に進行するというのが曲者である。手を打つのが遅れる。最初のうちは手当をすればなんとかなるはずだと思っていた。ところが、ある日風呂場で洗髪するたびに髪が抜け落ちる。新陳代謝でも起きているのだろうと思っていたのが誤解の始まりだった。そうなると、みんな必死になって薄毛やハゲと闘ってきたに違いない。ところが、どんな手立てを講じても無駄な努力であった。そういう意味では神経症の蟻地獄に陥って、もがいているのと同じである。森田理論学習をしていると、薄毛やハゲを隠したり、ごまかそうとしているから悩みが深くなる。その事実を受けいれていけば、葛藤や悩みは霧散霧消すると学んだ。それは言葉では分かっているが、実際にはそんな自分は受け入れられない。薄毛やハゲという現実をとことんまで嫌悪し否定している。そのうち、人ごみを避けるようになる。薄毛やハゲを抱えたままではこの世で生きていくことはできないと深刻に悩むようになる。残念だがもう自分の人生は終わったも同然だと投げやりになる。他人はそんなに気にしていないというデーターがあるが、何の気休めにもならない。ここに一つの光明を与える本がある。ハゲを着こなす 松本圭司 WAVE出版である。この方は自分自身がハゲている。しかしかっこよく見える。ハゲを隠す・増やすのではなく、ハゲを魅力的に見せるということに特化した研究を行っている。神戸大学でその研究成果を発表して最優秀賞に輝いたという。そして2016年、株式会社カルヴォ(スペイン語でハゲ・薄毛)を興す。薄毛ハゲの人に体験者として寄り添った活動をしている。you tubeの動画もあるので、関心のある方はのぞいてみてください。この本で感じたことを紹介してみよう。薄毛とハゲの人は必死になって隠す・取り繕っているが、周りの人は、ほぼその事実を見抜いている。自分の欠点を隠そうという態度は、他の全ての面にわたり、隠蔽体質が強い人間だとみなしている。詐欺事件などを起こす要警戒人物と同一視している。フレンドリーには付き合えないので、距離をおいて観察している。他人に不快感を与えないように、細工をしていることがことごとく裏目に出ているのです。しかしそのことに対して本人の自覚がない。薄毛・ハゲの有名人はたくさんいる。たとえば「家族に乾杯」の鶴瓶さん、ダイハードのプルース・ウィリスさん、俳優の高橋克実さん、片岡鶴太郎さん、所ジョウジさん、渡辺謙さん、中島誠之助さん、落合博満さん、王貞治さん、松山千春さん、小椋佳さん、竹中直人さん、サザエさんの磯野波平さん、田中角栄さんなど。この人たちは、とても個性的で魅力がいっぱいである。薄毛やハゲという言葉そのものが不要である。むしろ自分の個性として、前面に出してアピールしているようだ。悩みに磨きをかけて、いつの間にか個性として目立たせている。もし鶴瓶さんがフサフサのカツラでもかぶってテレビに出たとしたら、イメージが崩れてしまう。その方が嫌悪感を抱く。ありのままの姿の方が好感が持てる。私たちは自分と波長の合う人の顔写真を机の前に貼っておくことだ。松本さんによると、「薄毛・ハゲといえば○○さん」と思い出してもらうような意気込みで生活するのがよいという。顔の横幅と立幅の比率は、1対1.3から1.5ぐらいになるとかっこよく見えるという。そういう方面に力を入れるとよいという。それから眼鏡、サングラス、髭、ネクタイ、スカーフ、帽子の活用でいくらでも改善が図られるという。あきらめて、ハゲをとり散らかすというのはいただけないという。理容店できちんと身だしなみを整えることが欠かせない。要は欠点、弱点を逆手にとって、他人に「私もあの人のような薄毛やハゲになりたい」と思わせるように切磋琢磨していくことが肝心であると教えてくれている。
2022.02.21
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1月号の生活の発見誌にこんな記事がありました。この間、テレビインタビューで、剣劇女優で有名な浅香光代が出ていました。話を聞いていて、たいへん感心したことがあります。あの人は、4、5歳のころから舞台に出ているそうで、もう半世紀を舞台で生きてきたんですね。つい最近、左足の膝をケガして、まだ完全に治っていないのに、どうしても舞台に立たなくてはならなくなった。延ばし延ばししてきたスケジュールが、これ以上は延ばせなくなった、というのです。やむをえず、車椅子で大阪に行き、その舞台に上がった。体当たりですね。そうしたら、踊ることができた。曲がらない膝も曲がったので、自分でもびっくりしたとのことです。絶体絶命の境地に自分をおくと、計り知れぬ力が出る、ということを教えてくれる体験ですね。無理だと思っていたのに、思い切って行動してみたら、意外にもうまくいったという経験は多くの人がお持ちなのではないでしょうか。生活の発見会では、慢性疼痛や慢性アトピーで悩んでおられる方がいます。たとえば五十肩ですが、肩が痛いと憂うつになります。そうなるとそこに神経を集中させて、この痛みを取り除かないと、日常茶飯事に支障が出る。そのうち食事の準備もできなくなってしまう。心配の種はどんどん深刻になります。こうなりますと、元々の痛みは5ぐらいだったものが、6にも、7にも増悪してしまうよう感じるようになります。悪循環の始まりとなります。自分が新たな痛みを作り出しているようなものですね。慢性アトピーに森田療法を取り入れておられる女医さんの話を聞いたことがあります。最近は優れた薬があるそうですが、それをもってしてもなかなか治らない。そういう人に、森田療法を取り入れて、慢性アトピーを持ったまま、生活面の充実を図ることで、アトピーの方も快方に向かうことがあるとのこと。慢性アトピーの人も、知らず知らずのうちに病気を悪化させていたのかもしれませんね。アトピーは、基本的には自律神経でいうと副交感神経が優位になっているそうです。交感神経とのバランスが崩れているといわれています。交感神経は緊張感を持って生活に取り組んでいくと、活性化してきますので、生活面の充実を図ることで、病気も沈静化してくるということかも知れません。手術するほどの痛みでなければ、浅香光代さんのように、痛みを持ちこたえたまま、注意や意識を目の前の日常生活や趣味や楽しみのほうに向けて行った方がよほど意味があるということになります。病気も軽快し、生活も活性化してきますので、一挙両得ですね。
2022.02.20
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私は最新の脳科学を森田理論に応用して活用する時期に来ているのではないかと考えています。2月11日に投稿したように人間の神経系は、ドパミン系、ノルアドレナリン系、セロトニン系の3つがあります。ドパミン系は、森田理論でいうと、「生の欲望の発揮」のことだと思います。ノルアドレナリン系は、不安や恐怖、違和感、不快感にとらわれている状態だと思います。セロトニン系は、ドパミン系とノルアドレナリン系の調整役です。自動車でいうと、ドパミン系はアクセルです。ノルアドレナリン系はブレーキです。自動車を動かすためにはアクセスを踏み込まないと前には進んでくれません。森田理論でいうと「生の欲望」に向かって、生活を前進させることが大切です。神経症に陥っている方は、症状に振り回されて、「生の欲望の発揮」は眼中にありません。無理もありませんが、これは何とかしないといけませんね。次に、自動車がいったん動き出したら、ブレーキを活用することを忘れてはなりません。交差点やカーブや坂道に差し掛かるとブレーキを作動させないと事故につながります。状況に応じてアクセルとブレーキを使い分けることが大切です。神経症で格闘しているときは、アクセルを踏み込みながら、ブレーキをこれでもかというほど踏み込んでいる状態ではないのでしょうか。こんなことをすれば、タフな自動車でも壊れてしまいます。ドパミン系とノルアドレナリン系は時と状況に応じて適切に使い分けることが肝心です。そうすれば自動車は目的地を目指して安全に走行できます。ではセロトニン系の役割は何でしょうか。自動車でいうと、ウィンカー、室内温度を調整しているクーラー、ナビゲーションシステム、フロントカメラやバックカメラ、ワイパー、ガラスの開閉装置、フロントやバックガラスのくもり取りなどにあたるものだと思います。それらがなくても、理屈上自動車は動きます。しかし駆動力と制御機能だけの車は、もはや自動車とは言えません。暴走して危険この上ない凶器となってしまいます。そんな車に乗ると、ストレスだらけになり、心身の不調を招きます。実際にはまったく役に立ちません。セロトニン系は、潤滑油的な重要な役割を果たしています。まずドパミン系が暴走しないように抑制機能を発揮しています。さらにノルアドレナリン系の暴走による不安やストレスの緩衝材の役割を果たしてくれています。この点を調査して再評価する必要があります。今まで森田理論学習では、生の欲望をいかにして賦活していくか。不安、恐怖、違和感、不快感にどう対処していくか。つまり症状を抱えたまま、なすべきことに目を向けて行動していけば、神経症を克服することができるという考え方をしてきました。私は脳の仕組みからいうと、セロトニン系をいかに活性化するかが、神経症の回復に大きくかかわっているのではないかと考えるようになりました。今まで森田療法誕生から100年以上わたって森田先生を始め、多くの先輩方によって積み上げられてきた森田理論があります。その上に、最新の科学を融合してさらに発展させていくべきではないか考えています。セロトニン系の活性化はここ何回かにわたりご紹介してきました。簡単なことばかりでした。ストレッチ、ウォーキング、リズム体操、丹田呼吸法、瞑想法、セロトニンを作り出している必須アミノ酸を含む食事などでした。これらを無理なく生活の中に取り入れて、セロトニンを活性化させドパミン系とノルアドレナリン系がスムーズに作動するように心がける。今まではほとんどこの方面には注意や意識が向いていなかったのではないでしょうか。森田理論と最新の脳科学の融合は今後の森田理論の展開を大きく左右するのではないかと考えているのです。
2022.02.19
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野村克也さんのお話です。中途半端な安定を手に入れている選手ほど、変わることを怖がるものである。たとえば毎年2割5分前後の打率を上げているバッターがいたとする。2割5分程度では、とても一流のバッターとは言えない。よほど守備がうまくなければレギュラーの座は確約されないだろう。バッターは3割を打てるようになってこそ、初めて一流と言える。2割5分の打者が3割打者になるためには、今の自分から変わるしかない。行動を起こさないといつまで経っても3割打者にはなれない。ところが私がこうした選手に、「変わらなければダメになるぞ。思い切って変われ」とアドバイスしても、躊躇してしまう選手の方が多いのだ。変わることによって一流選手の仲間入りをする可能性よりも、変わったために失敗をして、現状よりも状況が悪くなるリスクのほうに意識が向くのである。つまり変わる「勇気」が持てないのである。しかし変わらなければ人は成長しない。進歩とは変わることである。変わることのできない選手は、やがて変わる勇気持ったほかの選手に追い抜かされてしまうことになるだろう。自分は「現状維持でもよい」と思っているかもしれないが、みんなが成長を目指して戦っている競争社会において、現状維持であることは後退を意味するからだ。(凡人の強み 野村克也 KKベストセラーズ 79ページより要旨引用)含蓄のある言葉ですね。確かに野球選手は、今年はよかったと満足していると、次の年は他のチームに研究されて成績を落とすことが多い。2年目のジンクスと言われている。今年の成績に慢心して気が緩んでしまうと、次の年に反動が起きる。成績が落ちてきて、これではいけないと思っても、一旦弛緩状態に落ちた気持ちを、急に緊張状態には切り替えられない。防衛系神経回路が作動しているのでどうすることもできない。神経症の場合はどうだろう。不安神経症の人は、命に直結する不安であることが多いので、必死になって森田療法に取り組む傾向が強い。そして早々に神経症を克服してしまう人を見てきた。それに引き換え、強迫神経症、普通神経症の人は、なかなか神経症から卒業できない。私もその一人だった。不安神経症の人は背水の陣を敷いて森田に取り組むことが多いからかもしれない。強迫神経症、普通神経症の人は、本人の意思にかかわらず、命に直結した苦悩ではないので、背水の陣を敷くことができないのかもしれない。なんとしても神経症を克服するのだという真剣みが不足する。林成之氏は、人間の脳は、整ったものやバランスの良いものが好きという傾向があるといわれる。これは脳が「統一・一貫性を好む本能」を持っているからだそうだ。現状に極端な不満がない場合や現状にある程度満足している場合は、その状態をいつまでも維持したいと思うようになる。別にエネルギーを投入する必要を感じない。もし手を出して失敗でもしたら目も当てられないという気持ちになる。つまりやる気や意欲が湧き上がらないようになっているということだ。この場合は、挑戦することよりも、専守防衛に力を入れることになる。行動は、無難に現状維持、あるいは消極的、逃避的、自己内省的になる。現状にある程度満足できれば、新たな目標に向かって挑戦するよりも、現状を死守しようとするのだ。人間は、リスクをとって新たなことに挑戦はしない。それよりも現状が今よりもさらに悪化することを避けようとする傾向が強い。これに対して、野村克也氏は人間は課題や目標に向かって、たとえ失敗というリスクはあっても、果敢に挑戦していく姿勢を持ち続けることが大切なのではないかと言われている。人間はそのように生きていくことを宿命づけられている。私も野村克也さんの考え方に賛成です。何も大それた課題や目標に挑戦しなさいということではありません。森田でいうのは、普段の生活の中で、ささやかな課題や目標を持って、丁寧な生活を心掛けましょうということです。そして生活を精一杯楽しみましょうということです。ささやかな幸せはそこら中にたくさん転がっているのですから。そんな生活を続けているとしだいに大きな課題や目標が見えてくるのです。現状維持に甘んじることは、人間としては後退、堕落していくことかもしれません。
2022.02.18
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リッツカールトンの創業者ホルスト・シュルツ氏のお話です。アトランタのバックヘッドにオープンした最初のリッツカールトンでは午後の時間にお茶を提供した。地元のご婦人方は、友だちとホテルに立ち寄り、お茶を飲みながら、おしゃべりをしたり、ピアノの生演奏を聴いたりできる雰囲気を気に入ってくれた。とりわけ、美しいウェッジウッドのカップとポットがお気に入りのようだった。カップは1客100ドルのものを使い、気品と優雅さを演出した。ところがちょっとした問題があった。出されるお茶が冷めているという苦情がやまなかったのだ。私は飲料部のマネージャーを呼んで叱りつけることもできた。「なんでこんなことが起こったのかね。二度と冷めたお茶を出さないでください」そうすると、マネージャーは、持ち場の部下たちに「何とかしろと」号令をかけるかもしれない。しかし、そんなやり方では一向に問題は解決されず、全員に後味の悪さを残すだけだったろう。従業員はやる気をなくしてしまう。良い方法はないかと考えて、私はスタンドアップ・ミーティングの最後に、スタッフにこう呼びかけた。「私たちはお客様の期待に応えるだけでなく、それを上回るという高い目標にコミットしています。だから、アフタヌーン・ティーが冷めた状態で提供されてしまう原因を調べてみましょう」この問題は、現場のスタッフが原因を発見した。ティーカップが製氷機の真上に保管されていたのだった。お茶が冷めるのも不思議ではない。ということで、保管場所を変えることでこの問題は解決した。それとは別に、ティーポットには頭の痛い問題があった。注ぎ口が頻繁に欠けるという問題が発生していたのだ。1個200ドルもしたので、買い替え費用はばかにならなかった。この問題も現場のスタッフたちに取り組ませた。食器洗いチームがその原因を見つけた。ティーポットはベルトに乗って食洗器に近づいていき、あるポイントに来るとバーが下りて止まる。その時、たまたま注ぎ口が前を向いていたらアウト。あっけなく破損した。そこで彼らは、柔らかいゴムで、注ぎ口を保護するホース状のガードをつくった。それ以降、注ぎ口の破損はぴたりとやんだ。マネージャーも私も、この解決策を自分で考えることはできなかった。経理担当者からは、「なんでこんな高価なウェッジウッドのカップやポットを使う必要があるのか。10ドルのポット、2ドルのカップで十分ではないか」と問題提起されたかもしれない。もしそれに妥協してしまうと、この街で最高のティータイムを提供するというリッツカールトンのミッションから外れてしまう。誰も好き好んで冷めたお茶を出したくないし、ティーポットを壊したくない。また、お客様に最高のおもてなしをしたいと思っている。仕事を効率的に行い、経費を節約する必要も分かっている。問題解決のためには、彼らを叱責するのではなく、問題の把握と分析と解決のために、彼らに考えて動いてもらう必要があったのだ。(リッツカールトン最高の組織をゼロからつくる方法 ホルスト・シュルツ ダイヤモンド社 166ページより要旨引用)問題があると、すぐに担当者を呼んで叱責して、改善命令を出すことが多い。しかし当事者が問題意識を持たないと、問題解決には至らない。彼ら自身が事実をよく観察して、問題や課題に気づかせるという方法をとることで、彼ら自身がやる気になって問題解決に向かう。回りくどいやり方だが、本人がやりたいと思わなければ、成果は継続しない。どうしてもやる気が出てこない。意欲的になれないという人がいる。そういう人は目の前のことに注意が向いていない。注意が向いていないので、問題点や改善点が発見できない。課題や目標がないので、工夫やアイデアが湧き上がらない。給料をもらうために、人から指示されたことをイヤイヤ行っているだけだ。人生の3分の1を占めている仕事がこんな状態では退屈でむなしい人生になる。そして自己嫌悪、自己否定で心身の不調を抱えるようになる。
2022.02.17
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不安やストレスが脳の中でどのように生み出されるのか。そしてどのように解消されるようになっているのか。これらは森田理論学習の中では学習することはありません。しかしある程度の知識があると、今後の対応方法に活かせるかもしれません。早速調べてみました。3つの動きがあることが分かりました。1、五感を通じた情報は扁桃核にダイレクトに入っていきます。前頭前野に到達してフィールドバックされているわけではありません。扁桃核は自分に都合の悪い情報と判断すると、ノルアドレナリンを使い青斑核に送ります。青斑核は防衛系神経回路の中枢です。ここから脳全体に不安やストレスに備えて防衛網を敷くように指示しています。自分の生命を守るための行動をとるように仕向けています。脳が全力をあげて非常時対応をとっているのです。行動は必然的に消極的、回避的、自己内省的になります。この場合には、生産的、建設的、創造的な行動は抑制されます。これは「最新の脳科学」のカテゴリーの中で説明してきたとおりです。実は不安やストレスへの脳の対応は、これ以外に2つの経路があります。交感神経系とHPA軸の2つです。2、まず交感神経系について説明します。交感神経は視床下部にあります。生存脳と言われるところです。交感神経が活性化されると、アドレナリンとノルアドレナリンが放出され、身体を覚醒させます。アドレナリンは腎臓の上にある副腎の髄質から血液中に放出されます。血液中に放出されるものはホルモンと呼ばれています。ノルアドレナリンは全身の交感神経線維の末端から放出されます。そして交感神経が支配している臓器の活動を促しています。たとえば、心臓に働きかけて血圧や心拍数を高めています。まさに不安やストレスを受けたときに戦闘態勢をとっているのです。次にアドレナリンとノルアドレナリンは白血球に作用してサイトカインの放出を促します。サイトカインは発熱に関わっています。炎症性サイトカインと呼ばれています。炎症という現象は、今まさに不安やストレスと闘っている証拠です。炎症性サイトカインは、視床下部に作用してコルチゾールの分泌を高める働きもあります。3、HPA軸の活性化を見ていきましょう。視床下部は数秒以内にホルモン(CRH)を放出し、すぐ下にある下垂体を刺激します。刺激を受けた下垂体は別のホルモン(ACTH)を15秒以内に放出し、今度は副腎の皮質を刺激し、数分以内にコルチゾールを放出させます。コルチゾールは一時的に、血糖値を高め、炎症を抑え、気力を高める効果があります。コルチゾールは血流にのって全身を駆け巡り、「闘争」か「逃走」のためのエネルギーを供給する一方、炎症性サイトカインの放出を抑え、活性化した免疫反応を速やかに平常時に戻します。免疫反応が過剰になることによって、身体に悪影響が出ることを抑えるためです。コルチゾールは最後に記憶中枢の海馬に到達します。海馬は視床下部に対してこれ以上のコルチゾールを出さないように指令を出します。海馬が不安やストレスのやり過ぎを抑制しているのです。この流れで、不安やストレス反応が収束するようになっています。人類の進化の過程で、生命が危険にさらされることは、通常1時間も続かなかったはずです。ですから、不安やストレスに対する脳の反応は、もともと短時間のうちに発生して、短時間のうちに収束するような仕組みになっています。問題になるのは、不安を感じてストレス反応が起きる状態が、長時間にわたって続く場合です。現代人はさまざまな不安やストレスにさらされています。こうなると、脳の機能に支障が出てきます。まず海馬の視床下部に対する指令がきちんと実行されなくなる。つまりコルチゾール濃度が高いままに放置されることになります。コルチゾールに長時間さらされると、様々な問題が出てきます。その一つは海馬自体のニューロンがダメージを受けて機能不全に陥ってしまうことです。その結果、コルチゾールは24時間放出され続けるようになるのです。海馬が萎縮してくるとうつ病を発症するリスクが高まります。2つ目に、コルチゾールが過剰に出続けると、炎症性サイトカインの抑制が効かなくなります。その結果、炎症性サイトカインが暴れまくり、全身の血管や臓器に慢性的な炎症が起こります。心臓病、脳卒中、糖尿病、ガンなどにかかりやすくなります。不安やストレスは、生きている限り必ず発生するものです。避けることはできません。とらわれるときはとらわれるしかないのです。その危機を乗り越えるための仕組みが脳に備わっています。しかしこれは短期的に役立つものですが、不安やストレスが長期化してしまうと逆に害になって私たちの心身を痛めつけることになるのです。森田理論は、神経症的な不安はいつまでもとらわれるのではなく、どんどん流していくことをお勧めしています。上手に流すことがコツです。そのための方法としては、目の前のことに視線を移して、今現在に集中して生活していくことです。凡事徹底をスローガンにして、とらわれている不安がどんどん移り変わっていくようになれば、脳の仕組みからいうと万事うまくいくようになっているのです。以上の参考文献は、『「不安」は悪いことじゃない』 伊藤浩志 イースト・プレス 50ページから58ページより要旨引用および、「図解雑学 ストレス」 渡辺由貴子・渡辺覚 ナツメ社です。
2022.02.16
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森田理論学習の歴史を見ると、水谷啓二先生がお亡くなりになった時が、大きな転機になっていることが分かります。この間の事情については、岡本重慶氏の本にくわしく書いてあります。それまでは、森田正馬先生、水谷啓二先生というカリスマ指導者がいらっしゃいました。二人の先生に師事することで、症状を克服して、森田的生き方を身に着けていったのです。両先生は、患者に対して自宅やプライバシィを開放して、付きっきりで指導にあたられました。このやり方は今では考えられないことです。1970年に水谷啓二先生というカリスマ指導者を失い、途端に方向性を失いました。そこで急遽「森田療法を検討する」という座談会が開かれました。出席者は、永杉喜輔氏(水谷先生の五高時代の同級生、社会運動家)、水谷先生が創刊された「生活の発見誌」の同人として長谷川洋三氏、青木薫久氏(啓心会診療所第4代所長)、森田先生に師事した和田重正氏(はじめ塾、人間の再教育家)らでした。ここで青木先生は、カリスマ指導者が神経症で悩む人を更生させるというやり方は、ともすると新興宗教的な色彩を強める可能性が高いと指摘されています。青木先生は医師の立場から、精神療法の科学性を重視して、宗教性を排除すべきだと主張されました。仏教や禅の考え方を排除して、精神分析に匹敵する確固たる理論に裏打ちされた世界に通用する精神療法として確立すべきであると主張されたのです。つまり森田療法を純粋に医学的な神経症治療として取り扱うべきであるという立場をとられました。精神科の医師としては当然のことかも知れません。もし、この方法を採用されていたとすると、森田理論の学習運動は途絶えていたと思われます。森田先生の指導を受けた和田重正氏はその主張に異を唱えています。「純粋に科学的にということだけではダメなんで、そこに人間的なものがもう少し加わっていくことが現実には必要」であって、「古い意味での宗教的なということでなく、やはり宗教的なというものはどうしても出てくるはずだし、それがなければ現実には人間と人間との間で導くとか、導かれるとかいうものは出てこないんじゃないかな」と述べておられます。さらに、長谷川洋三氏は、森田療法というものは、神経症の治療だけを対象とするのではなく、人間教育という側面が大きいのではないか。むしろこちらが主流になるのではないかと考えられたのです。森田療法は、神経症を治すという医療分野に特化するのも必要ではあるが、我々としては「森田人間学」の確立という視点で発展を図っていくべきではないか、と主張されたのです。医学的な神経症治療としての森田療法と森田人間学を深めるための森田理論学習をはっきり分けるべきではないかという見解を示されたのです。この意見に、永杉喜輔氏、和田重正氏が同調されました。この方向で、なんとか新生「生活の発見会」の誕生にこぎつけたのです。余談ですが、公益財団法人メンタルへルス岡本記念財団もこの流れの中で生まれてきたと思っております。というのは創始者の岡本さんは、生活の発見会で森田理論を学ばれた方だったからです。長谷川洋三氏は、会の運営を個人に頼むのではなく、集団指導体制で運営しよう考えられました。「生活の発見会」という自助組織の会則を作り、「生活の発見誌」を機関誌として位置づけて、森田理論の学習運動を全国的に推し進めようとしたのです。会員による会員のための自助組織作りを目指されたのです。このやり方は多くの神経質者に支持され、会員は一挙に7000名に迫る勢いでした。特に1980年代が盛況でした。少なくとも1993年までは勢いがありました。長谷川洋三氏、齊藤光人氏は森田理論学習における革命児でした。当時全国各地で開催の集談会には、神経症で苦しんでいる人が多数参加されました。私もその渦中にいましたが、集談会は常時20~30名近い人が訪れて、自己紹介で一杯一杯という状況でした。どんどん根分けをして集談会の数が増えていきました。内容としては症状の克服対応に終始していました。集談会の役割は、神経症の治癒にあるという暗黙の了解がありました。そして、神経症を克服した人がどんどん社会復帰していったのです。しかしながら、人生観の確立、生きづらさ解消という本来の学習運動の原点を目指すことはかないませんでした。今の生活の発見会の現状を思うとき、これが残念なことだったと思います。生活の発見会が医療と同じ土俵で戦っていたのです。医療と競合する限り我々の独自性は発揮できません。会員が増加の一途をたどっていたので、現状に満足したのかもしれません。長谷川先生が当初考えたように、森田理論学習運動は神経質者の人生観の確立にありという大目標を見失わなかったとすれば、医療との分業化が確立して、学習内容や会の運営は現在とはかなり違うものになっていたのではないかと思っております。そして会員は1万人、3万人規模で増えていた可能性があります。現在は森田理論学習の原点回帰が求められているのだと思います。本来の学習の原点に戻れば、必ず森田理論学習は復活するというのが私の立場です。なぜなら現在、神経質者の人生観の確立、生きづらさの解消までを視野に入れた学習運動、自助組織は生活の発見会以上のものは見当たらないからです。今はジャンプでいえばしゃがみこんで力をため込んでいる時ではないか。そして勢いよくこれから世界に向かって大きく羽ばたくタイミングを待っているのです。それが森田で恩恵を受けた人たちの社会に対する恩返しではないかと思っております。以上は、「忘れられた森田療法」(岡本重慶 創元社) 159ページあたりを参照しています。
2022.02.15
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医師の春山茂雄さんは人間の寿命は125歳だといわれる。そこまでは無理としても、100歳ぐらいまでなら現実味があります。そのために心掛けるべきことを「脳内革命」(サンマーク出版)から調べてみた。これはセロトニンを鍛えて精神的に安定することにも通じます。1、運動をして筋肉をつける。そのためにストレッチ体操を紹介されている。ストレッチ体操は、激しい運動ではありません。30歳を過ぎて激しい運動をすると、大量の活性酸素や疲労物質(乳酸)を生じさせ、かえって老化を促進します。ストレッチ体操はふだん使わない筋肉を引っ張って刺激を与えることで、筋肉の衰えを見事に防いでくれるそうです。ストレッチは、誰でも自宅で手軽にでき、15分もあれば済んでしまいます。春山さんは、この本の200ページから205ページで紹介されています。①から⑧まであります。簡単なものばかりです。たとえば①では、両手の指を組み合わせ、グーッと背伸びする感じで思い切り頭の上へ伸ばします。自分が天井の中に吸い込まれるようなイメージを持ってください。こうするとすべての筋肉が上へ引っ張られるかたちになり、全身の筋肉が伸びます。心はあくまでゆったり、しかしそのままの体の緊張を保ちながら、意識を上へ上へと上昇させると、両脇腹や胸に軽い痛みのようなものが感じられます。それが効いてきた証拠です。あまり痛くならないていどでやめます。次にお勧めなのはウォーキングです。ウォーキングの主な目的は、筋肉をつけ脂肪を燃やすことです。その他、「血管の目詰まりを防ぐ」ことにもなります。早歩きで1日最低5000歩は歩きたいものです。仕事で勤め先に行くとき、買い物や用事で外出する時は極力歩くようにしましょう。コツとしては、途中で止まってはいけません。どうしても立ち止まらざるを得ないときは足踏みしましょう。そうしないと、効率よく脂肪が燃えてくれません。歩き方は歩幅を大きく、ひざは曲げずに競歩のようなピノキオ歩きをする。つま先で蹴り、踏み出した足はかかとから着地する。私は、小出義雄さんの理論を取り入れて、3分早歩きをして3分緩めて歩くことを意識してウォーキングに取り組んでいます。多少の負荷をかけることで、効果が高まります。2、イメージによるリラックス法として「自律訓練法」を勧めておられます。そのさわりを次のように紹介されています。まずリラックスした姿勢をとって「手が温かくなる、手が温かくなる」と自分に言い聞かせるのです。そうすると本当に手が温かくなる。「呼吸が楽だ、呼吸が楽だ」といいきかせると、本当に息がととのってくる。これはほんの一例です。この方法を手直ししたものを、患者さんにやってもらっているそうです。副交感神経優位の状態を、覚醒中にやってしまうのが瞑想であり、自律訓練法はその入り口として位置づけておられるようです。自律訓練法はコツがありますので専門家に教えてもらう方がよいそうです。自己流は間違いのものになりますのでご注意願います。この本では184ページから191ページに注意点とともに紹介されています。もう一つは、腹式呼吸です。腹式呼吸というのは、横隔膜を上下させる呼吸法です。腹が膨らみます。これに対して胸式呼吸があります。この場合は胸が膨らみ、腹は逆に引っ込みます。腹式呼吸をするとプロスタグランディンという物質が出てきます。この物質は活性酸素を消去して、血管を広げる働きがあります。やり方としては、息は鼻から吸って、ゆっくりと口から出す。下っ腹を膨らませたり、へこませたり、この手順を繰り返す。私は喉のあたりに意識を持って息を吸い込むと腹式呼吸になります。ゆっくりとやることがコツです。特に吐く息をゆっくりと行う。息を吸ったら、できるだけ止めたままにして、苦しくなったらすこしずつ時間をかけて吐き出す。腹式呼吸をしている時は、アルファ波が出るそうです。精神が安定してすっきりしている時に出る脳波です。これは友人たちとカラオケを楽しんでいるときは腹式呼吸を意識しています。またアルトサックスの演奏時は自然に腹式呼吸になっています。腹式呼吸にしないと息が続かなくなるからです。3、植物性のタンパク質をとる。大豆タンパク質にはチロシンという脳内モルヒネの中心になる材料物質が含まれているので、1日1食は必ず大豆食品を食べることです。もちろん肉も大切です。春山さんは脳内モルヒネの中でもβエンドルフィンが最強だと言われています。私はセロトニンも大切だと思っております。昨日紹介したセロトニンも必須アミノ酸であるトリプトファンから作られるそうですから、タンパク質を摂取することが欠かせないということでしょう。さらに春山さんは、春夏秋冬にわたり、事細かに食事を紹介されています。219ページから224ページにわたり朝昼晩の食事内容が記載されています。食事は偏ることなく、自分で工夫して作ることが肝心だと思います。以上ごく簡単に心身ともに長生きする方法をこの本から紹介しました。無理なく足腰を鍛えて筋肉をつけて維持すること。脳の活動を安定させることが大切なようです。長生きしても廃用性萎縮現象で、認知症や寝たきりになることは何としても避けたいものです。ここでは興味を持っていただくために、さわりの部分だけを紹介しました。関心のある方は、脳内革命(春山茂雄 サンマーク出版)の132ページから233ページで詳しく説明されています。特にストレッチのやり方がイラストでていねいに紹介してあります。役に立ちます。ぜひご一読ください。
2022.02.14
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セロトニン神経系の鍛え方を見てゆきましょう。参考文献は「セロトニン欠乏脳」(有田秀穂 NHK出版)です。優れた本ですから、興味のある方は読んでみてください。1、セロトニン神経はリズム運動で活性化されます。リズム運動ならなんでもOKです。ウォーキング、ジョギング、水泳、自転車、腹式呼吸、ガムを噛むなど。2、セロトニン神経の活性化は5分くらいから起こり、20~30分でピークを迎えます。ですからリズム運動の継続時間はそれくらいが適当です。3、リズム運動に意識を集中させることが大切です。負荷が弱く、だらだらと行っては効果がありません。4、セロトニン神経が活性化されると脳にアルファ波が現れます。爽快ですっきりした感じになります。それが感じられない場合は、リズム運動の種類、継続時間、意識の集中、負荷の程度などを再検討してください。5、セロトニン神経は疲労物質(乳酸)で弱められます。強度が強すぎたりやりすぎは禁物です。6、セロトニン神経の活動レベルが恒常的に上がってくるまでに100日かかります。無理なく3か月間継続することが肝心です。7、セロトニン神経が高いレベルになると、心身が元気になります。朝の寝起きがよく、やるぞという意欲が自然に湧いてきます。姿勢がよくなり、はつらつとしてくるはずです。雑念が消え、痛みをコントロールできるなど、普段の生活の中で自覚できることがあります。それらに関心を向けてください。8、セロトニン神経は、悪しき生活習慣で弱まることも忘れないでください。最終的には、リズム運動を自分の生活習慣として定着させることが大切です。最低でも3年間は継続してください。石の上にも3年ということです。9、セロトニン神経は太陽の光で活性化される性質があります。朝日を浴びながらのウォーキングなどは二重にセロトニン神経が活性化します。ただし、太陽の光を1~2時間以上浴びると、セロトニン神経の自己抑制が現れ、逆に、元気がなくなりますから、長く浴びるのは逆効果となります。30分くらいが適当です。10、セロトニンの原料は必須アミノ酸であるトリプトファンです。それはバナナ、大豆製品(納豆など)、チーズなどの乳製品に豊富に含まれています。トリプトファンが脳内に取り込まれやすくなるのには、炭水化物中心の食事がよいとされています。なお、サプリメントとしてセロトニン前駆物質あるいは関連物質を摂取することは間違いです。必ず副作用が出ます。間違ってもやらないでください。「セロトニン欠乏脳」という本を読むと、セロトニン神経系が、ドパミン神経系やノルアドレナリン神経系をスムーズに動かすための縁の下の力持ちとしての役割を果たしていることがよく分かります。セロトニン神経系の働きを軽視する生活は、ザルで水を掬うようなもので、精神を不安定にさせるということを肝に銘じて生活したいと思います。不安に過度に振り回されないためにも、また生の欲望を暴走させないためにも、セロトニン神経系を鍛えることを忘れないようにしたいものです。
2022.02.13
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昨日の続きです。人間には3つの神経系が作動していることが分かりました。これらを単独で取り上げても、不毛な議論に陥ると思います。今日はこの3つの神経系のバランスのとり方について考えてみたいと思います。これからはメルヘンの世界にお連れしてご説明します。ドパミン神経は、快の情動、ポジティブな気持ち、性や食への欲求などを演出し、色でいうと赤に相当します。ノルアドレナリン神経は、不安、ネガティブな感情、ストレス反応などを演出し、色で例えると、青に相当します。セロトニン神経は、これら2つの神経を抑制して、舞い上がりもさせず、不安にもさせずに、平常心を演出するもので、色に例えると、緑に相当します。これら3つの神経系が相互に影響しあって、心の色が形成されると考えられます。さあ、これらの3原色を使ってマラソンの心象風景を描いてみましょう。マラソンが始まる前は、選手たちは誰でも緊張感があります。よい成績を上げて完走したいという「やる気」と、アクシデントや脱水症状で無残な成績で終わるのではないかという「不安」が湧き上がってきます。心の色は赤(意欲のドパミン神経)と青(不安のノルアドレナリン神経)との混合、紫色になるでしょう。緊張と不安の混合色です。スタートの合図で走り始めると、リズム運動によって、セロトニン神経が一気に活性化されます。心の色はセロトニンの緑一色に変わるでしょう。セロトニン神経は、ドパミン神経とノルアドレナリン神経を抑制する働きがありますから、走る前にあった不安も薄れ、また、はやる気持ちも落ち着いてきます。ただひたすらに、淡々と平常心で走り続けられるようになります。しかし、緑一色で快調に飛ばしていても、人間、いずれ疲労が出てきます。疲労物質である乳酸はセロトニン神経の働きを弱めます。それだけではなく、活性化されていたセロトニン神経は、1時間ぐらいすると、本来の機能から自己抑制に転じてくると予想されます。緑一色の状態から、しだいに心の色が紅葉化してきます。それまで抑えられていたドパミン神経とノルアドレナリン神経の働きが少しずつ前面に滲み出てくることになります。赤色が広がるか、青色が滲んでくるかは、レースの展開しだいです。たとえば、一緒に走っていた人がスパートをかけて、追い抜かれてしまったとします。すると、意欲が失せ、苦悩やストレス反応が前面に出てきます。ノルアドレナリン神経が心の彩りを支配してしまいます。緑プラス青色で苔のような色に変わります。その心情はわびしさに近いものかもしれません。このときに、走るのをやめてしまえば、気持ちは限りなくブルーに冷え込んでいきます。セロトニン神経とドパミン神経が活動を停止して、ノルアドレナリン神経だけになります。しかしあきらめずに走り続ければ、セロトニン神経とノルアドレナリン神経の混合で安定します。この色は深緑色で、わびしさというより、渋みのある落ち着きとでもいえるかもしれません。逆に、レース展開が好転した場合には、ドパミン神経の赤が、セロトニン神経の緑に重なってきます。心の色は、赤プラス緑で、茶色、赤胴色になります。これは熱せられた鉄を感じさせます。疲れてはいてもたくましさを感じさせます。レースも終盤になりますと、セロトニン神経の方は弱り切ってしまいます。うつ病の時のように、姿勢が悪くなり、力がなくなり、交感神経の緊張も低下して、意識レベルも下がってきます。緑色を維持するのが難しくなります。心の色は土気色に近くなります。このとき、声援があって元気づけられると、だいだい色、黄色と明るくなります。最後にゴールしたとき、いったい、何色に変わるでしょう。セロトニン神経も、ノルアドレナリン神経も、ドパミン神経も、すべて消えて、透明になるのか、あるいは真っ黒の闇になるのでしょうか。三色がちょうどよく混合した色というのは何色なのでしょう。光の混合であれば、無色透明ということになるでしょう。意欲もあり、不安もあり、なおかつ、平常心が持てるという状態になります。全てがバランスよく混ざり合っている状態こそ、「無」の色なのかもしれません。世俗の中で、無色で生きられれば、それが求める心の姿と言えるでしょう。(セロトニン欠乏脳 有田秀穂 NHK出版 202~206ページ要旨引用)明日は縁の下の力持ちであるセロトニンを増やして安定させる方法について投稿します。
2022.02.12
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今日は3つの神経系の話です。まず次の図を見てください。少し見にくい点はご容赦願います。「やめたくてもやめられない脳」(廣中直行 ちくま新書 84ページより転載)人間の脳の神経系は①ドパミン系(右上)、②ノルアドレナリン系(真ん中)、③セロトニン系(右下)の3つがあります。この働きと関係を理解することが、森田理論を深めることに役立ちます。森田理論を学習している方は、最新の脳科学を勉強することを強くお勧めいたします。①ドパミン系は報酬系神経回路と言われています。森田でいうと生の欲望を発揮している時に活動している部所です。イケイケドンドンの神経系です。ポジティブで創造的な神経回路です。この図で見ると案外狭い範囲で動き回っています。この神経回路は、別名A10神経回路と言われています。腹側被蓋野から側坐核、線条体、淡蒼球、帯状回、前頭前野などを駆け巡っています。さらに前頭前野からA10神経回路にフィードバックされて、どんどん活性化されています。らせん階段をグルグル回っているような感じです。ダイナミックコアセンターを形成しているのです。②ノルアドレナリン系は防衛系神経回路と言われています。森田でいうと不安、恐怖、違和感、不快感に振り回されている時に活動している部所です。A6神経系と言われています。危険やリスクを予見して、身を守るための活動を担っています。専守防衛です。この神経系が装備されていたから、人類が生き延びてきた側面を忘れてはいけません。慎重に防衛力を活用したからこそ、人類が生き延びることに成功したのです。ただしこの神経系は、後ろ向きで回避的、対立的、内省的に働くのが特徴です。神経症で苦しんでいる人は、ドパミン系神経回路がお休みして、もっぱらこのノルアドレナリン系神経回路が活動しています。それが様々な問題を生み出しています。神経症もその一つです。この図で見るとドパミン系よりはより広い範囲に及んでいます。この回路は青斑核から出発しています。そして大脳全体に影響を与えています。③セロトニン系は覚醒脳と言われています。朝の目覚めに関わっています。セロトニン神経系は脳幹の縫線核から始まっているそうです。図を見ると、その活動範囲は3つの中で一番広がっています。有田秀穂先生によるとセロトニン神経系の役割を次のように説明されています。その1セロトニン神経系は車のアイドリングに似ている。車のエンジンがスタートすると、低速で規則的なエンジン回転が始まります。この状態は車が動き出す前の準備状態です。この段階でエンストを起こすような車では使い物になりません。しかし、実際に車を走行させている神経系ではありません。アクセルを踏んで加速しているのは、ドパミン神経系です。あるいはブレーキを踏んで減速しているのはノルアドレナリン神経系です。セロトニン神経系は、あくまでも心身がスムーズに活動できる準備状態を作り出す機能を果たしているのです。脳の機能として、ウォーミングアップやストレッチを充分に行ってから本番に臨むようになっているのです。その2セロトニン神経系は、他の2つの神経系に対して抑制的に働きます。ここが最も肝心なところです。注目すべきところです。ドパミン神経系は、そのまま野放しにしていると暴走する危険性があります。問題を起こした後で後悔してもすでに時遅しというということがあります。セロトニン神経系は、日頃からドパミン神経系が暴走しないように、監視して抑制の働きを果たしています。セロトニン系がしっかりと機能していると、欲望の暴走をある程度抑えることができるのです。ドパミン神経系の抑止力として大きな働きをしているのです。現在アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症にかかっている人はセロトニン神経系を鍛える必要があります。そのほか本能的な欲望が暴走しやすい人、憎悪の感情を抑えきれないで暴走する傾向のある人はセロトニン神経系の働きを見直す必要があります。またノルアドレナリン系が一方的に活性化すると、不安や恐怖、違和感や不快感でパニック状態に陥ります。精神交互作用で神経症の固着に向かうことにもなります。またストレスや生きづらさを抱えてのたうち回るようになります。セロトニン系は不安やストレスを緩和するように働いています。セロトニンが十分に脳内に存在していれば、うつ状態で苦しむことが軽減されます。神経症で苦しんでいる人はセロトニンが不足している人と言えます。そういう意味でセロトニン神経系は、縁の下の力持ち的な働きをしています。しかしこれが正常に機能しないと、ドパミン神経系もノルアドレナリン神経系も十分な効果を発揮しないということです。うつ病などの時SSRIを処方されることがあります。不安を軽減してくれる夢のような薬と言われていますが、副作用もありますし、過信は禁物です。これは一旦放出されて、今だシナプスに留まっているセロトニンが早く回収されないように阻害している薬です。この処方はあくまでも対症療法であり、セロトニンを新たに作り出したり、回復する療法ではありません。根本的には一刻も早くセロトニンを作り出してやることが必要です。その方法がありますので、日を変えてご説明します。この3つの神経系の働きや関係性が理解できれば、次の対応策がみえてきます。これを明日の投稿課題とします。(セロトニン欠乏脳 有田秀穂 NHK出版参照)
2022.02.11
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ビクトール・フランクルは苦悩そのものに意味があるといいます。苦悩なくして人間は成長しえない。苦悩そのものが人間のなしうる最も人間的な行為だというのです。しかし、あらゆる苦悩を肯定するのではありません。自己愛的な、「苦悩のための苦悩」をフランクルは否定します。それは、人生を停滞させるだけだからです。「正しく悩みぬかれた苦悩」だけが、人に成長をもたらすのです。(「夜と霧」 ビクトール・フランクルの言葉 諸富祥彦 80ページ)苦しみに意味があるからこそ、人生は生きるに値する。(同書82ページ)苦悩することを通して、人は成長し、成熟し、その精神は強固なものになっていく。(同書 83ページ)神経症は創造主が私たち神経質者に与えた宿題のようなものだと思います。投げ出さないで、答えが見つかるまで、粘るのが私たちの務めだと思います。神経症の渦中で苦しんでいるときは、「どうして私が神経症になったの」と嘆き苦しみましたが、幸い森田理論にたどり着いて、解決のヒントをつかみました。森田理論は神経症を治すだけではなく、神経質性格者がどう生きていけばよいのか、社会はどうあるべきなのか、人間は自然とどう付き合っていけばよいのか、その解決策のヒントを与えてくれているように思います。森田理論には人間社会を変革する人生哲学が含まれているように感じます。世界中の人が学ぶべき必須科目になるのではないでしょうか。ここで自己愛的な、「苦悩のための苦悩」はダメだといわれています。この点に関して、森田理論を学習して分かったことが2つあります。1、不安は欲望が芽生えてくると必ず発生してきます。コインの裏表のような関係にあります。本来は欲望の追及を前面に押し出して生活していく。不安は欲望が行き過ぎないように制御機能としての役割を果たす。神経症に陥る人は、欲望の追及を放りだして、不安を取り除くことに精力を費やしています。これがフランクルの言う「苦悩のための苦悩」ではないでしょうか。2、人間は大脳の前頭前野が高度に発達しました。思索、検討、分析、創造性を担っています。これが文明や文化の発達に多大な好影響をもたらしました。しかし、その結果人間に驕りや慢心が出てきました。観念の世界が事実の世界の上にくるという逆転現象が起きたのです。これは人間にだけ見られる現象です。ところが観念の世界で考えたことを、現実に当てはめようとしても、必ずしもうまく進展しない。むしろ、事実の世界が精いっぱいの抵抗を見せることが多くなります。人間は観念と事実の乖離の中で「苦悩のための苦悩」でのたうち回っているのではないでしょうか。森田理論の「事実唯真」はここに焦点をあてた考え方です。
2022.02.10
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私は最初に集談会に参加し始めた頃、「あなたの症状はなんですか」という先輩会員の質問を受けて困惑した経験があります。私を精神を患った病人としてみているのだなと思いました。そのように取り扱われると、私もしだいに器質的な精神疾患にかかっているような気がして、なんとか元通りに修復しなければならないと考えるようになりました。症状というと器質的な病気に罹っているということです。たとえば、うつ病、統合失調症、双極性障害などは器質的な病気です。ところが私たちが普段使っている神経症というのは、MRIの検査をしても異常が見つからない。しかし、時として、器質的な精神疾患にかかっている人よりも、重大な心の病を抱えているように見えます。うつ状態、抑うつで苦しいという面はありますが、大うつ病を発症しているわけではありません。ですから私は集談会の場で、安易に「症状、神経症」という言葉を使うことは反対です。対人恐怖症、不安神経症、パニック症、強迫神経症、普通神経症などです。これに変わる言葉は、次のようなものです。あなたが不安に感じていることは何ですか。あなたが心配していることは何ですか。あなたの悩んでいることは何ですか。あなたがとらわれていることは何ですか。あなたが抱えている生きづらさは何ですか。症状という言葉を、不安、心配事、悩み、とらわれ、生きづらさという言葉に変換することです。それらは人によって様々です。集談会では自分の問題を出し合って、参加者の助けを借りながらカタルシスを得る。そして水を得た魚のように活き活きと生きていくようになることが目的です。・不安にとらわれやすい。・小さな問題がすぐに一生左右するような大きな問題になる。・ギャンブルやアルコールやネットゲームなどから抜け出せない。・本能的、衝動的な行動で重大な事件を起こすことが心配だ。・生きがいが持てなくて、生きていくことが苦しい。・人が恐ろしい。人間関係に問題がある。(夫婦、子供、親、祖父母、兄弟姉妹、仕事関係、友達、親戚、ご近所など)・結婚したい。子どもが欲しい。・離婚したい。人生をやり直したい。・仕事が面白くない。やりがいがない。退職したい。転職したい。・健康問題、介護や認知症、障害児、不登校、問題児など。・女性特有の悩み、男性特有な悩み。若い人特有な悩み、年配者特有な悩み。・経済的な悩み。自立困難な悩み。対人関係の悩み。・不平等な社会に対する怒り。例え集談会で解決できない事でも、解決につながる貴重な情報を得ることができます。これらの悩みは認識間違いをしているために発生していることも多い。一人で悩んでいるだけで、解決の糸口さえ見いだせない。解決のためのヒントや誤った考え方の修正、自分に合った適切な自助組織を知ることによって、明るい展望を見つけることが大切です。神経質性格を持ち、このような不安、心配事、悩み、とらわれ、生きづらさを持っている人は、集談会という自助組織が役に立ちます。生活の発見会は、現在全国100か所余りで開催されています。努力はしているのですが、活動が停滞しているところが多い。さらにコロナが追い打ちをかけましたね。しかし生活の発見会がZOOMなどのノウハウを蓄えたのはとても大きいです。今後の起爆剤になる可能性が高い。私は好奇心旺盛で最初から関わってきました。おかげで様々なノウハウを身に着けました。ZOOMの勉強会に参加すれば懇切丁寧に教えてもらえるのです。素晴らしい仲間が全国各地にいるといった感じです。これからは、同じ年代、性別、同じ悩み、とらわれ、森田初心者、同じ生きづらさを抱えた人、森田理論の活用方法、応用例、同じ目的を持った人同士が全国的規模で交流できます。今は始まったばかりですが、ジャンル別に様々なグループができることと思います。これはリアルタイムの交流会とほとんど変わりません。私にとっては森田の新しい世界に参画できた嬉しさで一杯です。さらにこれを使って世界展開できるかもしれない。何しろ同時通訳のソフトがある時代ですからね。世界で注目されて逆輸入で日本で森田が見直される。そういう見方を視野に入れて活動する時代に差し掛かっているのかもしれません。日本で生まれた柔道、空手、将棋などが世界で認知されているではありませんか。どうも日本人は自分の持っているもののすばらしさを過小評価する傾向があります。生活の発見会も世界にその魅力を発信したらいいと思います。そして逆輸入で森田が日本で認知されることをねらうのも一つの方法です。これはメンタルヘルス岡本記念財団の創始者の岡本常男氏が力説されていました。中国で森田療法が盛況なのは、岡本さんの力が大きいですからね。岡本さんは優れた経営者でしたから目の付け所が違うように思います。この方法が今後森田の自助組織が生き延びていくかもしれませんね。森田英語版、森田の海外進出を画策したら大当たりするかもしれませんね。レイノルズ先生がアメリカで森田ファンを獲得されているではありませんか。昨年の森田療法学会でも、海外からの普及活動はとても新鮮でした。期待値が大きいのが魅力です。森田を井の中の蛙状態で満足している時代は過ぎ去ったのではないでしょうか。
2022.02.09
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昨年の支部研修会で森田理論に詳しい精神科医の先生の講話を拝聴しました。大変参考になりました。こんな話を聴けた私は幸せ者です。パワーポイントで原稿を作成されていましたが、相当な時間をかけられていました。先生のエネルギッシュな講話に乾杯です。こんな話を聞けば誰でも先生のファンなりますね。その中に「生活の発見会のみなさまへの提言と期待」というのがありました。そこで、まだ生活の発見会は、自助組織としては洗練されていないというお話がありました。まだ成長過程にあるということでした。多少ショックを受けましたが、冷静に考えるとその通りだなと思いました。それは、集談会の開催日を指折り数えて待っているような状態にあるかと自問したとき、どうもそうではない。まだ改善する余地がある。世話役をしているので、なんとかムチ打って参加している。集談会の参加が待ち遠しいと思ったのは、症状で苦しかった最初の頃でした。その後は、そんな気持ちになれない。どうしてだろう。一番の問題は、中間層、ベテランという人たちばかりの集談会になった時の学習内容です。この場合は初心者が参加されている時の学習内容と同じでは問題だと思います。今までですと、ここでの教材は、「森田理論学習の要点」を読み合わせて意見を述べ合うことになりやすい。この教材は中間層、ベテランという方は今まで何十回、何百回と繰り返して学習しています。これが学習のマンネリ化と停滞を生み出しているように思います。マンネリというのは、飽きてきて精神が弛緩状態に陥っている状態です。でもそこを改善すれば、素晴らしい勉強会になるはずです。中間層、ベテランばかりの時は、新鮮で活きのよい生活に密着した学習テーマを幹事が用意しておく必要があると思っています。そうなればすぐに待ちどおしい集談会に早変わりします。今日はそこに焦点を当てて提案しましょう。発見誌や森田図書の中から学習テーマを取り上げることもその一つです。その際はただ読み合わせするだけではなく問題提起する気持ちを持つ。取り上げる人は、森田理論の解釈、生きづらさ、問題点、課題を出す。そういう準備をしてからテーマとして取り上げる。you tubeやDVDを視聴する時も、事前の準備が大切です。私の場合は、生活の中に森田理論を存分に活用していきたい。森田的生活を送りたい。森田道を究めたい。そのために参加者の実際の森田理論の応用や活用方法を聞きたい。体験発表や外部講師の話を聴きたい。応用森田・生活森田の話です。趣味や習い事、特技、運動、公民館活動、普段の生活、ボランティア活動、アルバイト、講演会情報、コンサート、旅行、家庭菜園、加工食品、ぺットとの付き合いなどです。神経質性格を活かした森田人間学をさらに深耕して、今後の人生を充実させたい。歳をとってきたので、生きがいづくりや長生き健康法について知りたい。ガンや入院することになった時の心構えや注意点。特に寝たきり、介護、認知症、老人施設に入ることになったときどうするか。相続や墓じまいをどう考えるか。田舎の不動産をどうするか。エンディングノートはどう書けばよいのか。年金だけでは心もとないので将来の生活設計をどう考えるか。そのほか対人的な生きづらさがありますので、人間関係の極意をみんなで話し合いたい。特に夫婦、子供、親、友人、隣近所、親戚との付き合い方。今まで仕事はイヤイヤ仕方なく取り組んできましたが、人生の3分の1を占める仕事への向かい方をみんなに聞いてみたい。森田理論の立場から、社会や自然との付き合い方、欲望暴走社会の問題点を知りたい。政治や経済の問題点をより深く知りたい。みなさんの知りたいこと、生きづらさ、抱えている問題点はそれぞれ千差万別だと思います。そういう話が飛び交う学習会、体験交流、懇親会はとても魅力を感じます。こういうことを取り上げる自助組織はありませんのでとても貴重です。毎回こういう集談会が開催されるとすれば、待ち遠しくて、指折り数えて開催日を待つことになるのではないでしょうか。さらに現在ZOOMなどで全国展開の兆しがあるのですから、これを見逃すのは宝の山に気がつかないようなものです。なおZOOMはメールで送られてきたURLをクリックすればすぐに参加できる優れものです。
2022.02.08
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宇野千代さんの言葉です。面白い事がある。自然治癒力というものは、みな、自分の気持によって、或いはその力が強くなったり、全く失くなったりする。自分の気持というのは、自分の心にかける暗示のことで、この病気は治る、と思えば自然治癒力が強く働くし、この病気はとても治らない、と思えばその力は弱くなるか、全く失くなるかするものである。自分にかける暗示。これくらい強く、また他愛もなく、困ったものはないのである。(幸福の法則 一日一言 宇野千代 海竜社 49ページ)身体が弱く、精神も弱い人は、生き方が消極的になる。様々な局面で「私は体が弱いので、それは出来ないのです」という言い訳をくり返す。身体が弱くても、精神の強い人は、「やれるだけやってみましょう」という前向きの意志を示す。どちらが体を活性化させるかは一目瞭然である。すべて、健康は精神の在り方にかかっている。(同書 51ページ)宇野千代さんは、ダメだ、無理だ、できない、最悪だ、失格だ、不幸だ、能力不足だ、荷が重い、絶望的だ、煩わしい、逃げたい、閉塞的だ、将来性がない、ヘトヘトだ、やる気が出ないなどの否定語を頻繁に使っていると、精神状態が悪くなる。そして心身症になって重篤な病気にもなる。「病は気から」という言葉がありますが、まさにその通りになる。神経質性格の人はこのような否定語を頻繁に使っているのではないでしょうか。たとえば採点付きカラオケなどでも、もうダメだ、悪すぎる、自分には歌唱能力がないなどという言葉を使って、自分を否定している。終いには、カラオケを毛嫌いするようになる。人生の楽しみの一つを自ら放棄している。これではいつまで経っても楽しみを見つけることはできない。何よりも自分を否定していることが情けない。樹木希林さんは自分の身体は創造主から借りたものですといわれていました。そういう意味では、貸してくれた人に失礼なことだ。うれしい、楽しい、できるかも、面白そう、おいしそう、行ってみたい、見てみたい、やってみたい、ドキドキわくわくする、挑戦したい、大丈夫、絶対にできる、成功したいなどというポジティブな言葉を使う習慣を持っている人は精神状態が積極的で前向きです。カラオケでは、今は80点くらいだが、努力すれば90点くらいは出せるかもしれない。自分に合った曲を探してみよう。どんな曲がいいかな。早速楽譜を取り寄せて研究してみよう。歌手の歌唱力を研究して、節回しのコツを掴もう。発声練習をしてみよう。腹式呼吸を身に着けよう。歌うときの姿勢に気を付けよう。マイクの使い方はどうか。そうだ、歌唱レッスンを受けてみよう。音程はどうかな。自分の歌唱を録音して、問題点をつぶしてみよう。こんなふうにドンドン積極的になる。「森田では外相ととのえば内相自ずから熟す」と言います。気分がいくら悪かろうが、否定語は使わない。肯定語を書き連ねた紙を持ち歩いて、すぐに訂正するようにする。家族や友だちとの日常会話を録画して自己点検する。否定語を使っていれば、一つでも二つでも少なくするように努力する。日常会話の中で、肯定語が少なくとも60%以上になることを目指していくというのは如何でしょうか。あなたの運気がよくなるはずです。
2022.02.07
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今日はプロスペクト理論について説明します。この理論は本来は投資と感情の関係を説明するための理論です。私は感情の法則に置き換えて説明させていただきます。この理論から導かれる感情の法則 その1この線は交差点を基点にして、上は快の感情と考えてください。下は不快の感情と捉えてください。横軸は時間、縦軸は快不快の強さと読み替えてください。快の感情と不快の感情を比較すると、快の感情は勾配がなだらかです。不快の感情は勾配が急になっています。これが何を意味するかと言いますと、同程度の快の感情の体感よりも不快の感情の体感の方が何倍も強く感じるということです。快の感情よりも不快の感情のほうに何倍もバイアス(片寄がある)がかかっているということになります。脳は快よりも不快のほうによく多く強く反応しやすいのです。アフリカの東海岸にルーツを持つ人間の先祖は、他の肉食獣からの生命の危険にさらされていました。そのためリスクを回避するために不安や恐怖の感覚がより鋭くなりました。過去の不安や恐怖にまつわる長期記憶の方が、成功や快楽記憶よりも多いのです。その名残が遺伝子として引き継がれているのだと考えられます。一旦不安や恐怖、違和感や不快感にとらわれると自分の思っている以上のダメージを受けやすいということです。特に神経質者の場合は、不安や恐怖にとらわれやすいのかもしれません。この特徴が理解できれば、快の感情を意識してできるだけ多く作り出すように心がけることが大切になります。「好き」「うれしい」「楽しい」「愉快だ」「ウキウキする」「わくわくする」「気持ちがよい」「幸せだ」「満足だ」「できた」「成功した」「達成できた」こういう言葉を意識的により多く使うようにすることです。反対に「ダメだ」「無理だ」「悪すぎる」「できない」「イヤだ」「苦しい」「イライラする」「不安だ」「怖い」「恥だ」「みじめだ」などと言う言葉はできるだけ封印する。こうした気持ちを維持することで、バランスがとれてくるはずです。この理論から導かれる感情の法則 その2感情の発生直後はどちらも急激に上昇していますが、時間の経過とともにその曲線はなだらかになっていきます。時間が経過してその感情に慣れてしまうと、慣れてしまって感情が薄れてしまうということになります。これは最初に湯船に入るときはとても熱く感じるが、そのまましばらくすると逆にぬるく感じるようになるようなものです。これが何を意味するかというと、最初にいくら良いことを思いついても、そのままにしているとその素晴らしい思いつきは忘れ去ってしまいやすいということです。ですから意識して、最初に感じた感情をきちんとキャッチすることが大切になります。そうしないとよいアイデアはすぐに忘却の彼方に忘れ去ってしまいます。気が付いたことはきちんとメモしておくという習慣をつけることが大切になります。神経質者の場合は、細かいことによく気が付くという特徴があります。この特徴を最大限に活かすことを考えた場合、きちんと掴まえられるかどうかはその後の展開を大きく左右します。次に不快の感情は急激にしかもより強く高まります。不安や恐怖の感情は一挙に山を駆け上るという特徴があります。しかし時間の経過に任せていると、快の感情ほどではありませんが、しだいに鎮静化してきます。しだいになだらかになってきます。ですから売り言葉に買い言葉のような衝動的な言動は差し控えることが肝心です。そうしないと後で後悔を招くことが多くなります。3~4日考えて、どう考えても理不尽だと思えば、準備を整えて論争してもよいと思います。これは夫婦げんかの時の対応として森田先生が説明されています。いつも言いたいことを我慢していると、最後には相手になめられてしまいます。自己主張できないとストレスで心身ともにダメージを受けることになります。
2022.02.06
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元大リーグで活躍した黒田博樹さんのお話です。ピッチ―として一番大切なのは、狙ったラインにきちんとコントローされた球を投げられることができるかどうかである。広島の森下投手は、狙ったコースへのラインを外さない。たまに高めに浮くことはあるが、投げミスが真ん中に集まることが非常に少ない。一般的な投手心理として、ストライクを欲しがると甘くなりがちだが、彼にはそれがない。カウント負けしても、すべての自分の持ち球でカウントを立て直すことができる。ピンチで彼の振る舞いを見ていると、動揺してあたふたしているところがない。黒田さんは、投手は自分の持ち球を、狙ったラインに8割以上の確率で投げ切れるかどうかを見ておられるのである。スビートも大切だが、それ以上にコントロールが優先される。そのためには安定した投球フォームとリリースポイントを固めることが大切である。日ごろから練習で足腰を鍛え上げ、メンテナンスをきちんと行う。さらに投球フォームの動作解析を怠らないことが大切である。これは投手としてマウンドに上がるためには必須である。力任せに投げるピッチャーは、すぐに使い物にならなくなる。制球力を身につけた上で、スピードボールや切れのある投球を目指すことが基本になる。制球力が身につくと、自信がついてくる。ピンチでも動揺することが少なくなる。また例え打ち込まれたとしても、次の投球に教訓として活かすことができる。この自信が、打者と真剣勝負するうえで欠かせないものとなる。その自信を支えにして、打者をどう打ち取っていくのかという戦略に進むことができるのである。黒田さんは、先発投手の戦略として、相手チームの主力打者を内角球で詰まらせるとその後の展開はピッチャー有利になると指摘されていた。これは彼独自の考え方だ。最初の打席で詰まってヒットを打たれる分には怖くはなかった。一つの例として、カウントが2ボールでは、長打のある打者は大振りしてくるので、逆に詰まらせやすい。カウントが悪いからといって不利ではない。打者は一度やられると、ずっと残像が残る。意識付けの一球が投げられるか、投げられないかでその後の結果も当然変わってくるだろうし、もちろん先発投手なら投球数も少なくてすむ。この話は森田理論学習を続けている人にとって参考になる話である。まず力任せではなくコントロール・制球力を鍛える。その上で、いろんな球種をどう組み合わせて、打者を抑えていくかを考えていく。森田理論学習でコントロール・制球力にあたるものは何か。これは森田理論を学習して、きちんと基礎を理解することだと思う。そのためには、生活の発見会の出している「新版 森田理論学習の要点」をテキストにして、集談会で相互学習をする。そのほか、生活の発見会が出している「学習会シリーズ」も役立つ。これだけではやや不十分なところもあるので、補足して学習することを提案したい。特に認識の誤り、森田理論の全体像はどうなっているのか、森田理論の4本柱と相互関係、森田の特殊用語の理解などが欠かせないと感じている。これは私が提供している「新版 これで納得! 実践的森田理論学習」で説明している。つぎに、生活面に森田理論をどう活用し、どう応用していくかが大切になります。どこから取り組めばよいのか分からないという人は、集談会の仲間から教わることである。日常生活、仕事の工夫、趣味、習い事、得意としていること、森田的な生き方や心構え、人間関係、学習方法など。学習と行動実践が混然一体となることが、目指すべき目標となる。ここまでくれば、規則正しい生活、凡事徹底の生活に切り替わっているだろう。人間関係に振り回されることも少なくなっているだろう。そして、不安を活用しながら生の欲望に邁進するようになるだろう。さらに欲を言えば、自分の人生の中で大きな夢や希望、目標に向かって大いにチャレンジしてほしいものである。人生は終わりよければ、過去の後悔はほぼ払拭されるものと考えている。また、就寝中に、過去の失敗やミスで他人に迷惑をかけてきたことが夢に出てきて、うなされるようなことがある人は、これから人に役立つことに手あたり次第取り組んで、取り戻していくことが大切です。他人に役に立つことの数が増えてくれば、もし死後の世界が存在して、創造主がいるとすれば、よくやったと評価してくれるのではないでしょうか。そして今度生まれ変わるときには、さらに大きな責任ある立場、環境、課題を与えて送り出してくれるような気がしております。
2022.02.05
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冬場のシクラメンには癒されます。
2022.02.04
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岡田尊司さんがよくありがちな「認識の誤り」5つを紹介されている。(ストレスと適応障害 岡田尊司 幻冬舎新書 85ページ参照)これをもとにして、神経質者の認知の誤りについて考えてみたい。1、自己否定どんなに優れた長所を持っていても、自分の欠点に注意を向けて、自分を否定的に見ている。それが思い込みだということに全く気づかず、本当のことだと固く信じている。自己否定を抱いている人は、そこからさらに否定的な思考に広がっていく。自分は無価値なので、誰からも愛されない。誰も自分なんか助けてくれない。自分がいても迷惑をかけるだけだ。そう思い込むことによって、結果的に行動が萎縮し、実際に否定的な結果しか生み出せず、自己否定を裏づけてしまうことになる。2、完璧主義完璧主義は「かくあるべし」と結びついている。完璧であるうちはよいが、少しでも問題点があると、そこに注意を集中して、批判や否定をしてしまう。できている点や問題がない点は、当たり前であるので評価に値しないと考える。完璧主義は、白か黒、全か無かで物事を判断してしまう。二分法的思考である。90%問題がなくても、10%の問題点があれば、すべてがダメだと決めつけてしまう。加点主義ではなく、減点主義の考え方になり、苦悩でのたうち回るようになる。どこまで行っても自己肯定観に繋がらない。他人とは敵対するので人間関係が悪化する。3、自己無力感と依存的思考自分一人では何もできないし、何も決められないと思い込んでいる。実際には行動すればできることも多いのだが、いつもしり込みしてしまう。それよりも誰かに指示され、それに従った方が気が楽だという気持ちが強い。自分が主体性を発揮して、自ら責任を持つ方が人間本来の生き方であるが、そういう気持ちは毛頭ない。その方が安全・安心だと思っているが、自分の人生に積極的にかかわらないので、自分の人生を生きているという感じがしない。特に生の欲望が強い神経質者の場合は深刻である。森田でいう運命を切り開くというイメージから外れている。4、過度な一般化と過剰反応森田でいうところの劣等感的投射、部分的弱点の絶対視に近い考え方のことである。ちなみに劣等感的投射とは、自分が自分の欠点や弱点を気にしている時、他人も同じように自分の欠点や弱点に対して重大な関心をもっていて、自分に対して反感、軽蔑、嫌悪の気持ちを抱いているに違いないと思い込むこと。実際には、他人は自分のことで精一杯で、他人のことは関心の度合いが極めて薄いことが多い。部分的弱点の絶対視とは、自分が抱いている弱点や欠点を、自分の一生を左右するような決して見逃すことのできない一大事とみなして取り扱うこと。誰でも持っているような小さな不安がすぐに、会社に残るか退職するか、あるいは生死に直結するかのような大問題として取り扱う。5、混同思考(自分と他者/事実と感情の混同)自分が考えていること、自分の気持ち、自分の欲求は、他人もほぼ一致していると信じてしまうこと。このような認識の誤りを持っていると、相手の話に耳を傾けなくなる。自分の「かくあるべし」を強引に押し付けてしまう。相手が間違った言動をとった場合は、非難や否定をする。人間関係が対立的になり、しだいに孤立するようになる。観念優勢になり、観念で事実をねじ伏せようとする。すると頭で考えたことと事実、現実、現状の間に乖離が出てくる。それらがお互いに自己主張を始めると、森田では「思想の矛盾」で苦しむようになるという。森田では、事実唯真、事実本位の立場です。「かくあるべし」を抑えて、事実優先の立場に立つことができると、対立、乖離、溝が解消されるので、それだけで葛藤や苦悩が少なくなるといわれている。認知療法では、うつ病の人は事実に基づかない思い込みが激しいといわれている。これらの5つの認識の誤りは、認知療法や森田理論学習によって修正できます。今までの森田理論学習では、認知の誤りは大きく取り上げられているわけではありませんが、一つの学習単元として取り上げるべき内容が含まれています。自己肯定感の養成、観念優先の態度を事実優先の生活態度に変更することの意味が理解できると肩の力が抜けて楽な生き方ができるようになります。
2022.02.04
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最近の脳科学の進歩は目を見張るものがあります。森田先生が活躍されていた時代にはなかったことです。現在、不安や恐怖、違和感や不快感で押しつぶされそうなとき、大脳のどの部分が活動しているのかはほぼ解明されています。また、積極的、プラス思考の時の脳の活性部所とその仕組みもほぼ解明されています。私は神経質者が不安にとらわれないために、森田理論学習の中で最新の脳科学を学習する意味は大きいと感じています。その一環として、私が作成している森田理論の学習テキストに、「最新脳科学を応用した不安への対応方法」を付け加えることを考えています。まず、どのような人が最先端の脳科学の説明をされているのか説明します。興味のある方は参考にしてください。・林成行 優れた救命救急医 「望みをかなえる脳」という本が優れています。分かりやすい。脳科学を人生に活かすという視点に共感する。この本が一番のお勧めです。・西田文郎 脳科学と心理学をビジネス、スポーツなどに応用されている。「かもの法則」「No.1メンタルトレーニング」「ツキの大原則」など著書があります。どの本も分かりやすい。実践的ですぐに役に立ちます。・池谷裕二 脳の基礎研究をされている。「海馬」「脳には妙なクセがある」「進化し過ぎた脳」などの著書がある。理論的で内容が深い。・廣中直行 いい気持ちはどこから生まれるのか 「快楽の脳科学」「やめたくてもやめられない脳」という著書がある。少し専門的になっている。良書です。・萩原一平 「ビジネスに活かす脳科学」「脳科学がビジネスを変える」という著書がある。脳科学を仕事に応用するという視点が強い。内容自体は専門的です。ここではごく簡単に大脳の働きを見ておきたい。五感から得た感覚は扁桃核で快か不快に分類される。快に分類されたものは、ドパミンにより報酬系神経回路(A10神経)を通じて大脳全体に拡散される。最終的には創造や分析を司っている前頭前野に送られる。その好循環の輪の中で、加速度がついて意欲的・積極的・建設的な行動が生まれてくる。不快に分類されたものはノルアドレナリンにより青斑核に送られて、防衛系神経回路が作動する。この回路は専守防衛が基本となる。ネガティブでマイナス感情が大脳全体に拡散される。そういう情報が前頭前野に届くと、行動は消極的・逃避的・内省的となる。神経症の場合に問題となる不安や恐怖、違和感や不快感は、この防衛系神経回路が大脳を駆け巡っている状態です。本来は報酬系神経回路の発動がフル回転している方が好ましい。その行き過ぎを抑制するために、防衛系神経回路を適宜活用する。神経症の方の場合は、報酬系神経回路が休眠状態で、防衛系神経回路が大脳全体を覆っている。苦悩が増悪するスパイラルに入っています。これが問題です。この仕組みが分かれば、今度は報酬系神経回路を活性化するためにはどうするか。二つの神経回路のバランスをとるためにはどうするかという問題になります。今までの森田理論学習に、この視点がすっぽりと抜け落ちていたと思います。これらをすっきりさせて分かりやすい理論として提供したいと考えています。しばらくお待ちください。
2022.02.03
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元広島カープの前田智徳さんのプレースタイルはとても変わっていた。でも野球通にはたまらない魅力に満ち溢れていた。今も語り継がれるエピソードがあるので紹介したい。・ヤクルトの左のピッチャーとオープン戦で対決した時のこと。1回もバットを振らないで見逃し三振でベンチに戻ってきた。コーチがどうしてバットを振らないのだと聞いた時、前田選手曰く。「あんなピッチャーを打ったって面白くない。あんなピッチャーを打つためにプロに入ったわけではない」見方によればふてぶてしい態度だが、前田選手は同等か格上の選手と勝負をしたいと真剣に思っていたのだ。・ボテボテの内野ゴロを打った時点でピッチャーとの勝負には負けていると考えていた。負けているのに一塁まで全力疾走する気にならないと豪語していた。元々前田選手は足が速くて、獲ろうと思えば盗塁王だって取れたのではないかと言われていた選手である。イチロー選手はヒットを打つことが目的だから、ボテボテの方がヒットになる確率が高いので全力で走る。前田選手はイチロー選手がどうして全力で走れるのか、僕にはわからないと言っていた。投手との勝負に負けたときは、それを潔く受け入れるという立場だった。・前田選手がホームランを打ってファンもベンチも大喜びしていた時、当の前田選手は首をひねりながらベースを回っていた。納得できる打撃ではないという不満がありありだった。完璧な打撃よりもチームに勝利をもたらすホームランに価値があるような気がするが、前田選手の思いは全く違ったようだ。・8対0ぐらいになって楽勝ムードの試合になると、もう全然やる気が出ないという。傍で見ていても気のない仕草で投げやりになっているのがすぐに分かる。緊迫した試合でどちらが勝つか分からないというときに、力を発揮する選手だった。真剣になれない試合を続行する意味があるのか。むしろコールドゲームで試合を終わらせた方がよい。そうでなければ自分はお役御免にしてほしいという考え方だ。・広島カープは、94年に巨人の槇原寛己投手に完全試合を許した。この試合に前田選手は欠場していたが、誰よりも雪辱することに燃えていたという。完全試合を赦すことは、プロ野球選手として最大の恥辱である。ここでの借りは次の対戦で必ず返すという気持ちが人一倍強かったという。プロ野球選手としてのプライドが許さないという考えなのだ。実際、2か月後、前田選手は槇原投手からバックスクリーンにホームランを叩き込んでいる。これが勝負に命をかけるプロ野球の選手の心意気だ。・前田選手はアキレス腱断絶という致命的な大けがをしている。普通プロ野球選手は入念なストレッチを心掛けている。前田選手はピッチャーの球を真っ二つに叩き割るということを求め続けているがゆえに、身体のケアまでは十分に気が回らなかったのではないか。「前田智徳というバッターは死にました」と言っていたが、自業自得とはいえ、勝負できない自分が歯がゆくて悔しくて仕方なかったのでしょう。代打専門になり、チャンスで「選手の交代をお知らせします。○○に代わり、バッター前田」のコールで満を持して登場する雄姿が忘れられない。・「これまでで最も会心な当たりは?」という質問に対して、ホームランではなくファールになった打球を答えたという。彼にとっては打球がフェアゾーンに入るかどうかなどと言うのはどうでもよいことで、名のある投手の難しい球をバットの真芯でとらえられたかどうか、そこに関心があるのです。まさに「現代の宮本武蔵」と言われるだけの人です。・中日の落合博満氏は、「天才はオレじゃない。広島の前田だ」「真似ていいのは前田のフォームだけ」と中日の選手に言っていた。三冠王を何度もとった選手の言葉だから、完成された玄人好みの選手だったということだろう。その教え通りオールスター戦で、中日の選手は前田選手から離れなかったという。前田選手はチームに溶け込んでいるという感じはしなかった。チームプレーよりは常に自分の打撃道を極めようとしている。「孤高の天才」という名をほしいままにしていた。どちらかというと、いつも苦虫をつぶしたようなしかめっ面をしていた。同僚と言えども現役の時は安易に近づけなかった。絶えず力のある獲物を仕留めることを考えていたので、そういうオーラがにじみ出ていたように感じる。現在ではめったにお目にかかることがない勝負師だった。解説者に転身して、今の人なつっこい人柄からは隔世の感がある。イチロー選手はいかに多くのヒットを打つかを目標にしていた。前田選手は難攻不落な投手と対戦して打ち勝つことを目標にしていた。スタイルは雲泥の差があるが、二人とも明確な大きな目標を掲げて、一心不乱に日々努力されていたのは同じである。いずれにしても、大きな目標を持って努力精進している人は、オーラがにじみ出ていて、人を感動させる力があるようだ。この点が生の欲望に邁進している我々神経質者に参考になるのである。(一流アスリートの身体能力 二宮清純 富家孝 青春出版社参照)
2022.02.02
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ヴィクトール・フランクは、三年間にわたりアウシュビッツ強制収容所で過酷な体験をしました。フランクルはその極限状態を何とか生き延びました。しかし、その間、妻や両親、弟は亡くなっていました。彼は過酷な運命に翻弄されながらも、最後までその危機を乗り越えて力強く生き抜きました。何が彼の心の支えになったのか。彼は、日々の生活の中で生きる意味や生きがいを見つけることが大切だと述べています。その方向は次の三つの視点から見ていくことが重要になるという。1、創造的価値。これは新たなものを生み出していく中で生まれてくる。2、体験的価値。楽しみや学びの機会を持つことによって生まれてくる。3、態度的価値。苦難や試練に出くわしたとき、その人がどういう態度でそれを受け取り対応していくか。この三つの中で一番重視しているのは、態度的価値である。過酷な運命に翻弄されて、たとえ創造的価値や体験的価値の実現が遮断されたとしても、態度的価値をしっかりと持ち続けられると生き延びることが可能になる。過酷な運命を呪い、自暴自棄になった時点で、生き延びていくという意欲は急速に失われてしまう。フランクルはともすれば、自暴自棄になり、折れそうな気持を、今まで取り組んでいた作品に取り組むこと、すぐに病院での仕事に復帰することで乗り越えていったという。そして過酷な体験を反面教師にして、精神科医として心の危機に陥っている人に、解放されるための提案をまとめ上げていった。これは森田理論でいうと、「かくあるべし」という観念優先の態度で現実や現状を非難・否定してしまうと、逆に事実の方から愛想をつかされてしまう。大量のエネルギーを投入して精一杯抵抗しても、取り返しのつかないしっぺ返しを受けてしまう。そして運命を呪い、自己否定で苦しむようになる。苦難の人生の始まりとなります。そして生きる意欲が萎えてきて、ただ単に生命を維持することで精いっぱいになる。「かくあるべし」を自分や他人の押し付けないで、どんなに理不尽な出来事であっても、価値判断しないで素直にその事実を受けとめると事態はまったく変わります。まず事実と闘うことがなくなりますので、エネルギーの無駄遣いがなくなります。そのエネルギーを生の欲望に投入できるようになります。事実をより深く把握できるようになると、しだいに問題点や課題が明らかになります。今まで上から下目線で見ていた態度が、下から上目線に変化してきます。こうなりますと、気づきや発見、興味や関心、アイデア、創造力がコンコンと湧き出てくるようになります。やる気や意欲が出てきます。小さな目標の達成は自信になります。生活に張りが出てきます。そして弾みがついてさらに大きな課題や目標が見えてくるようになります。フランクが生きる意味や生きがいと言ってるものは、このようにして生み出されるものだと考えています。
2022.02.01
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