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ひびきのみそだれせんべい。ネット限定販売で取り寄せました。高級品です。美味この上ない。この夏の贅沢です。
2016.08.31
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<貧しい人のために、政治家は努力すべきだが、共産党のように貧しい人びとを「自己の勢力拡大に利用する」のは非人道的だ。現実の国民の暮らしを良くするのが政治家だが、粗探しをして、国民の不安や不満を煽るのが共産党だ>。田中康升さんの投稿でした。
2016.08.30
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2016.08.30
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バカなことをした。ひさしぶりに自宅で夕飯。もう満腹だとわかっていたが、大好きなおかずがまだ残っていたので、全部食べようと思った。このおかずは、珍しく僕が料理したものだからだ。おかずだけ食べるではもったいないと思い、少しだけ、御飯をおかわりした。.御飯とおかずを一口ずつ食べた時点で、もうこれ以上食べられないと脳は指令を出していた。でも、おかずはあと少しだけだし、おかわりした御飯を残しては、もったいないと胸のなかで独り言をつぶやき、おかずを平らげた。というか、飲み込んだ。その直後、椅子に座っていられなくなった。 倒れ込むように床に寝そべり、動けなった。妻が胃腸薬を勧めてくれたが、何だか悔しくて最初は断った。10分くらい我慢したが、こらえきれず、妻から胃腸薬をもらい飲んだ。スッキリした。そのまま20分ほど横になった後、完全に復調した。台風のため懇親会が中止になり、フリーな時間を手にした満足感から、普段なら絶対にしないバカなことをした。そういえば、食べ過ぎたのは わたしのせいよ、なんて歌がありましたね。
2016.08.30
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昨日は190分、今日は90分。懇親会が中止になったのに、ペースダウン。明日の懇親会も中止だから、明日は頑張ります。
2016.08.30
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字の汚さ、他人には読めない字を書くことには自信があります。学生時代から会合でも登壇者の話をすべてメモしています。今も基本的にそうしています。中学3年生から日記を書き、誘導される形で、音楽教室の廊下で交換日記をしていました。僕の中学は1学年9クラス、山あいにある姉妹校は1学年1クラス。学級委員長だったので、泊まりがけで姉妹校交流に行き、一緒にキャンプファイアをした、確か8人の中学生と文通しました。1対8で、向こうから手紙が届くと、かならず返事を続けました。一人の女性とは二十歳くらいまで文通をつづけました。大学2年くらいから新聞記事を丸写ししたり、松本清張の小説の風景描写を写していました。1年の時に新潟水俣病の取材をして、展示原稿を書き、新聞記者に憧れたからです。手紙を書いていた頃は判読可能な字でした。日記と丸写しが原点かな。字の汚いことを否定しない文章に出会ったので、ついつい昔話を書いちゃいました。
2016.08.30
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GSファンです。http://gossiple.com/person-11559/movie/29/
2016.08.28
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去年8月11日の木村正人さん執筆の記事です。「北朝鮮は核兵器20個に相当する濃縮ウランを保有」北朝鮮からとんでもないニュースが飛び込んできた。国際軍事情報会社IHSジェーンは11日、衛星写真の分析から北朝鮮が寧辺(ニョンビョン)に2つ目のウラン濃縮施設を完成させ、稼働させている恐れがあると指摘した。これが何を意味するかと言えば、北朝鮮がウラン型だけでも年間3.2 個の核兵器を製造できる能力を獲得した可能性があるということだ。先のエントリーで紹介したストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計では北朝鮮が保有する核弾頭は6~8個と推定されている。しかし、「中国の専門家は今年初め、北朝鮮は20個の核兵器を製造できる量の濃縮ウランを保有している可能性があると指摘しました」と英シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のマーク・フィッツパトリック不拡散・軍縮プログラム部長は筆者に語る。IISSや他のシンクタンクの推定はその半分の核兵器10個分の濃縮ウランを北朝鮮は保有しているというものだった。ウラン型は、「爆縮」という極めて高度な技術を要するプルトニウム型と違って、砲身状の構造を用いる粗雑な核兵器を簡単に製造できるとフィッツパトリック氏は警鐘を鳴らす。このためテロリストグループはこれまでにもウラン型の核兵器には強い関心を示している。テロリストへの核兵器移転をにおわせる北朝鮮「北朝鮮の外交官は少なくとも過去に2度、テロリストグループへの核兵器移転に関与する可能性について警告を発しています」とフィッツパトリック氏は言う。日本国内では日米同盟を強化する安全保障関連法案について「戦争法案」「違憲」とレッテルをはる反対論が強いが、日本の安全保障についてもう少し冷静に考えた方が良い。観念論や感情論、一国平和主義の幻想に浸っているだけでは日本の平和と安全を守れない。筆者は安倍晋三首相とそのシンパの偏った歴史観や国家観にはまったく賛同できないが、安全保障関連法案の目指す方向は間違っていないと確信する。政権が交代しても必要不可欠な法律である。安倍政権は幅広い国民の理解を得るよう説明に努め、何が何でも今国会で成立させるべきだ。
2016.08.28
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雨で昨日の川越花火大会は開催できず、今日に延期されました。夜9時ごろまでは雨が降らない予報です。準備にあたられた皆様のためにも、雨よ降らないで。先週は大雨に備えて僕から会食を中止にし、さきほどは火曜日の会食が台風接近のため中止の連絡が。そのほかの会食も諸般の事情で中止が相次いでいます。おかげで胃腸が休息できます。
2016.08.28
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東松山市で、痛ましい少年殺人事件が起きました。今朝の埼玉新聞によれば 、少年たちの暴行は一時間以上に及んだそうです。 殺された少年、暴行した少年四人、暴行を見ていただけで制止しなかったと供述している少年一人。 記事は、命の尊さを教えきれなかった教育や地域にふれた後、殺害された少年が深夜にも帰宅していなかった証言を掲載していた。 丸ごと教育について考える必要もあるでしょうが、中田さんの問題提起にも目を向ける必要があるでしょう。 一昨日、川越少年刑務所を視察し、出所後の社会復帰に向けた受刑者の職業訓練のもようなどを約二時間見せてもらいました。ここでは、少年が床につくことを確認する大人がいます。...川越少年刑務所は26歳までの受刑者を収容していますが、性犯罪を犯した受刑者は年齢に関係なく収容します。 受刑者の生活は、規則正しいの一言で表現できます。朝起きてから寝るまで、ずっと刑務官が、見続けています。刑期2年以内の受刑者の再入所率は約1割で、9割が更正しています。 作業場、訓練室などすべて冷房はありません。☆川越少年刑務所を視察した時に、所長さんたちから、再犯に及ばない出所者は、まず、帰る場所がある、次に働くところがあると、お聞きしました。 我が子の帰宅、就寝に関心をもたなければ、帰る場所としての家庭といえないのでは。 川越少年刑務所の視察は、3回目でした。今回は藤林県議が出所後の社会復帰に焦点を当てた視察に蒲生県議とともに同行しました。前回は2年前、刑務官ら職員宿舎の劣悪な住環境を視察なさる森田実先生に同行しました。☆子供の深夜外出の是非を考えたい 痛ましい事件が起きるたびに、考えさせられることがある。なぜ事件は防げなかったのかと。大阪府寝屋川市の中学1年の少年少女が遺棄された事件もまた、社会に重い課題を突き付けた凄惨な事件だった。... 2人とは面識がなかったという被疑者が逮捕されてからまもなく一週間になる。報道では、過去の犯罪歴や犯行に至る経緯、犯行前後の行動の異常性まで次々と明らかになっているが、この事件を振り返ってもう一つ大きな疑問があるとすれば、2人はなぜ深夜外出ならぬ「プチ家出」という行動に走り、周りの大人たちはそれを止められなかったのかという点である。 確かに、思春期の子供が心に抱える悩みや葛藤を周囲の大人が理解するのは難しい。スマートフォンが普及し、LINEやSNSといったコミュニケーションツールが多様化した今の時代であればなおさらである。閉ざされた情報空間の中でごく限られた交友関係だけが深まり、子供の心の微妙な変化がつかみにくくなった―。それは最も近くにいる親であっても、きっと同じ思いだろう。 むろん、2人を連れ去り、殺害・遺棄した犯人への許しがたい憤りや、将来ある2人を奪われた家族の心痛は、察するに余りある。ただ、事件に巻き込まれる前に、被害に遭った2人を守る手立ては本当になかったのか。今回の事件を通して、どうしても考えたいのは、子供の安全を守る親や大人の責任だと思う。 本日のテーマの中で紹介した元横浜市長、中田宏氏のブログによれば、市長時代の平成15年、子供の「夜間外出禁止令」を提案し、保護責任のある親への罰則も含めて検討したことがあったという。 現在、各都道府県で定められている青少年健全育成条例では、子供の深夜外出自体は禁止していない。罰則を定めて禁止しているのは、正当な理由なく子供を連れ回す行為であり、深夜外出については保護者への罰則はなく、「努力義務」とされている。これは事件が起きた大阪府も同様である。 それだけに中田氏の提案は、親の責任の所在を明らかにし、かなり踏み込んだ中身だったと言えるが、結局実現には至らなかった。それでも中田氏自身が述懐するように、「罰則化が目的ではなく問題提起することによって世の中がもう一度、意識しなおすきっかけにしたかった」という思いは、共感できる。 ただ、罰則化の導入については、検討する余地がいくらでもある。ネット上では「法律で規制して片付く問題ではない」「夜間外出が悪いのではなく、外出して何をするかが問題」「親のしつけの問題であり、短絡的すぎる」などといった意見も多く、こうした声も決して無視はできない。 だからこそ、今回の事件を契機に大人が子供の夜間外出の是非について真剣に議論し、子供の安全を守るより良い方法を模索するべきではないのか。子供の深夜外出には常に危険がつきまとう。警察の補導強化や地域の見守りといった側面からだけではなく、子供にとって最も身近な存在である親の責任についても真正面から向き合うことこそ、大人の責務であると信じたい。(iRONNA編集長、白岩賢太)
2016.08.28
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10秒切れていない4人がなぜ銀メダル? 最強メンバーが下した「ちょっと怖かった」決断withnews 8月25日(木)7時0分配信 リオデジャネイロ五輪の陸上男子400メートルリレーで、山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥の4人で臨んだ日本が、37秒60のアジア記録を出し、この種目で初の銀メダルを獲得しました。国別ではジャマイカ、米国に次ぐ世界歴代3位となる驚異の記録が出た背景には、予選から決勝にかけて4人が下したある決断がありました。(朝日新聞スポーツ部記者・増田創至)【画像】ドン小西が憤慨した日本代表の五輪ウェア「せっかくの活躍が…」 「半足にする?」「いや、4分の1でいこう」 シューズ4分の1足分、7センチほどに込めた勇気が、日本陸上界の歴史を塗り替えました。 決勝の前日にあった予選は、全体2位で通過したものの、タイムは37秒68。このままでは決勝ではメダルに届かない、と判断した選手たちは話し合いました。「半足にする?」「いや、4分の1でいこう」。一体、何のことなのでしょうか。 選手たちはリレーのスタート前、自分がスタートする地点から、自分の靴を使って逆方向への距離を測り、テープを貼ります。そこに前の走者が来たら自分がスタートする、という目印にするためです。この位置を、2走の飯塚は、予選より靴4分の1足分、遠ざけました。「半足分だとちょっと怖かった」 予選では、バトンパスのところで完全にはスピードに乗り切れていませんでした。前の走者がより遠くにいる時点でスタートすれば、それだけスピードに乗ったところでバトンを受け取ることができます。ただし、テイクオーバーゾーンと呼ばれる受け渡し区間内でバトンをもらえず、失格になるリスクも増えます。 「半足分だとちょっと怖かった」と飯塚。時速40キロ近い世界だけに、数センチの差でも影響が大きいからです。「気配はなかったけど、信じていた」 1走の山県がスタートダッシュを決めます。2走の飯塚がつけたマークを、山県が通過。それを見て、飯塚がスタートしました。 2人の距離はなかなか縮まりません。それでも、飯塚は走りを緩めませんでした。「気配はなかったけど、来ると信じていた」。山県は、ゾーンぎりぎりで追いつきました。 3走の桐生は予選より4分の1足分、ケンブリッジは半足分、テープの位置を遠ざけていました。これが、予選より0秒08、記録を詰めることにつながりました。予選の記録のままなら、タイムは米国(結果的に失格)とカナダを下回っていました。 代表が固まってから、合宿を通じてバトンパスを熟成させ、「絶対に失敗しない」と自信を持っていたからこそ持てた勇気。誰一人として100メートル10秒を切れていない4人が、金メダルまで後一歩のところまで迫り、世界に衝撃を与えたのです。
2016.08.26
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明日、地球が滅びればいいと思うくらい辛いことや嫌なことと向き合った時、絶体絶命の時こそが宿命転換のチャンスだと大先輩から教わりました。二十歳の時です。 乗り越えれば、何十年経っても色褪せることのない心の財になります。 悪戦苦闘を突き抜けるとは、実現を阻む困難な壁を打ち破るというよりも、嫌な思いが重なるなかを逃げずに突き進むことだと盟友から教わりました。まだまだの僕ですが、新たな挑戦を昨日から開始しました。
2016.08.26
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脳ドックと血液検査の結果をトワーム小江戸病院の二人の医師からお聞きしました。お二人とも口を揃えて、うらやましいくらい正常ですと。 嬉しかった。
2016.08.23
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何が卑怯だ! どうして市民グループという表現などを使うのか。朝日デジタルの記事です。 東京・霞が関の経済産業省の敷地に、国の原発政策に反対する市民グループが設置していた「脱原発テント」が21日未明、強制撤去された。立ち退きを命じた東京高裁判決が7月の最高裁決定で確定したことを受けて国側が申し立て、東京地裁の執行官が強制執行した。 市民グループの代理人弁護士らによると、21日午前4時前に、執行官らが撤去作業を始めた。テントの中には当時、5人がいたという。執行官らはバリケードをつくって一角を封鎖し、約2時間で撤去を終えた。周辺には強制執行の知らせを聞いた市民グループのメンバーらが集まり、「撤去すべきは、テントではなく原発だ」などと抗議の声を上げたという。
2016.08.23
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蓮舫氏の代表戦出馬の会見のニュースをテレビで見ました。 「岡田代表が大好きです。ただ一緒にいて、つまらない男だと思います(笑)」。 呆れました。 「つまらない男」。 こんなひどい言葉を口にするのが、この女性の日常なのだろうと思った。 政治は、いけてる男との遊びの世界ではない。 岡田氏をかばうつもりはないが、政党の代表は「つまらない仕事」の連続に耐えなければならない。いい加減な言葉を、遊び半分で口にできない。この女性には、政党の代表を務める資格はない。
2016.08.23
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こちらも2014年8月の投稿です☆☆今朝の読売新聞は、左肩(2面に続く)の連載で、中東地域の現状についての米国専門家のレポートを掲載していました。しみじみと「呑気な日本人」であってはならないと思いました。かといって、戦争には反対し続けなければなりませんが。 「石油」は今も日本の存立の生命線ですが、先の大戦でもそうでした。「あの戦争と日本人」から再び転載します。 <対米英戦の最大の問題は石油でした。戦争がはじまった後は、線量した東南アジアの資源地帯より石油を運んでくることで、長期戦にも十分に耐えうると指導層は即断していました。石油補給の予定は一年目が85万キロリットル、二年目が260万キロリットル、三年目が530万キロリットル……前途洋々のはずで、そのうちナチス・ドイツがイギリスやソ連に勝って、アメリカは継戦意欲を失い、戦争は日独伊の勝利をもって終わると目論んでいたのです。 現実はどうであったか。一年目が85万キロリットル、二年目が250万キロリットルとここまではよかったんです。しかし昭和19年の三年目は、日本まで運んでくる船舶がつぎつぎと撃沈されて、わずか100万キロリットルに、四年目の昭和20年にいたってはほとんどゼロ」> 半藤さんは、日露戦争に踏み切る前から明治政府が「和平」工作を開始し「いつ終わらせるか」を冷静に見据えて開戦に踏み切った経緯に照らして、他人任せ、戦争はやってみなければわからないといった姿勢のまま奇襲戦法という作戦で開戦に踏み切った当時の政権を、丹念に集めた資料に基づいて痛烈に批判なさっています。 昭和19年にサイパン島をとられた段階で、本土空爆が不可避になっただけでなく、石油の補給も絶望的になった事実。にもかかわらず、一億総特攻といって、戦争を継続し、本土空襲、原爆投下によっておびただしい民間人の命が奪われ、神風・回天などの特攻、戦艦大和の特攻作戦を遂行したのが、日本政府です。
2016.08.20
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2014.8.19の投稿から☆☆「お子さんは諦めるようですね」。 医師からの辛い宣告だった。 兵庫医大へ妻の治療のため通院していた、34年前。 肩を落とす妻を抱き寄せ、医大から阪神電車の武庫川鉄橋に並行して架けられた歩行者用の橋を渡った。 左手を見上げると、六甲山系。下を見ると、武庫川の川面に映った月が揺らいでいた。 武庫川駅から野田阪神駅まで行き、地下鉄・千日前線に乗り換え、僕の職場のある西長堀駅を過ぎて、鶴橋駅で下車。ガード下の炉端焼きのお店で、少しばかりの料理とビール1本を飲み、近鉄・奈良線に乗り換え、小阪駅から徒歩8分くらいの賃貸マンションへ帰宅するのが1週間に1度の通院だった。 妻の病気が治るという確信は、もてなかった。 妻は、たとえ一駅でも、一人では電車に乗れなかった。だから、西長堀の職場を出て、妻を迎えに行き、帰ってきた路線を二人で乗って、西長堀駅を通り過ぎて、武庫川駅まで向かっていた。 作家の宮本輝さんに「同じ病気や。この病気になる人は、優秀」と言われたことを思い出すと、少し、うれしかった。 長男は、昭和56年の六段円筒の頃に、妻が身ごもり、その年の12月に生まれた。長女は、それから数年後に授かった。きのう、今日と、感謝の思いと書いたのは、11年前の県議選で長男が、7年前の県議選で長女が遊説隊で頑張り、最終日には、僕の演説の何十倍もの話をマイクを通してしてくれたことを思い出したからです。武庫川の歩道橋を渡る姿を思い出すのは、決まって真冬の光景です。六甲から吹き降ろしてくる北風に肩を震わせていたことが忘れられません。 「お子さんは諦めて」という医師の言葉は、僕たち夫婦への「負けたらあかんで」という励ましだったということを、あとで知りました。大恩ある女医さんです。
2016.08.20
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政務活動費について2014年に書いた投稿です。なお、郵送はやめました。20年続けていると、他界なさった方も多く、失礼にあたるからです。新聞折り込みだけに変えました。☆☆☆きのうに続き、3時間端座。今こうして元気に動けることに感謝の思いでいっぱいです。先にシェアした投稿にコメントがよせられていましたので、少しだけ政務活動費について書きます。シェアしたところにも同じ原稿を載せました。☆僕はHPを今、全く更新していません。理由は、自分で更新するだけの能力がないので、外注することになり、月...数万円の費用がかかることと、政務活動費で更新すれば、「県議会の話しか書けない」からです。このFBやブログであれば、拙い技術ですが、「何でも書けて」しかも「無料」です。本当にありがたいです。 僕の選挙区は川越市ですが、人口は約34万人です。「県議会議員って何やってるか分からない」と言われますので、県議会ニュースを新聞全紙に折り込めば、約11万5千部印刷します。新聞を購読なさっていない人もいますので、約13万部は印刷します。版下作製費、印刷代、折り込み費用を想像なさってください。1年に1回が限度です。HPに26万円なんて回せるわけがありません(人口6万人くらいの市であれば、この負担は5分の1で済みます。その代わり定数1・川越市は定数4)。おびただしい金額の「切手を購入」していた県議もいます。僕は、折り込みをしない時に、県議会ニュースを「メール便で配達」してもらっています。ニュースを制作、印刷し、差出人の名前入りの封筒を印刷し、ニュースを封入し、宛名ラベルを印字して封筒に貼り付けます。すべて外注ですから、各段階で費用が発生します。発送数は議員としての「企業秘密」ですが、折り込みを若干下回る金額が必要です。〇千通の発送するのに、いちいち切手を買うなんてことはできません。1期目で千通程度のころは、郵便局へ封筒を持参していましたが、自分で料金別納のスタンプを押しました。辛い作業でした。少し学習し、今度はあらかじめ封筒に「料金別納」を印刷しましたが、窓口へ持って行くことには変わりません。ですから、10年くらい前から「メール便」の業者さんに、封入済みの封筒の引き取り、宛名ラベルの印刷・貼付から発送までを委託しています。「切手」を大量に購入することは間違ってもありません。なお、政務活動費を用いますので、「県議会の話題」しか書けません。政治の話であっても、県政に関わらないことを書いた場合、紙面全体に占めるその面積の割合について、政務活動費を使用することはできません。その分は、自己負担になります。繰り返しますが、FBやブログはとてもありがたいです。この原稿を県議会ニュースに掲載すれば、自己負担になるでしょう。こんなふうにやっている僕などから見ると、一連の「?!?議員」と同列に見られることが、残念でなりません。
2016.08.20
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国民と共に喜びたいリオ五輪・日本選手団の活躍 山口代表 スポーツ政策さらに充実 公明新聞2016年8月19日(金)付公明党の山口那津男代表は18日午前、東京都新宿区の党本部で記者会見し、開催中のリオデジャネイロ五輪での日本選手団の活躍について、「目覚ましいものがあり、国民と共に喜び合いたい。これからも活躍が期待できるので、大いに力を出し切って頑張ってほしい」と語った。また、「こうした勢いを次の東京五輪・パラリンピックにつなぎ、新たな力を蓄えたい。政治でもしっかり支援したい」と力説した。その上で、トップアスリートの強化拠点「ナショナルトレーニングセンター」の整備などスポーツ振興に向けた公明党の取り組みに触れ、「施設などを整えて、選手を強化してきた点も好ましい結果に結び付いているのではないか。スポーツが充実する社会、政策を進めていくのは、スポーツ庁をつくった目的からしても、大事な方向性だ」と強調した。
2016.08.20
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FBの友達・山口秀明さんの投稿です=平和安全法制を廃止の陳情が佐渡市に出されました。それに対し、反対が13人、賛成が8人でした。民進党や共産党、福島瑞穂氏を応援している人は賛成するのは分かります!何せ彼らは「戦争法」と呼びますから!福島瑞穂氏は日本をスイスみたいな国にしたいって言う人ですよ!スイスは中立国で自国の防衛を徴兵制で行ってる国です! 日本には日...米安保が有り、同盟国が助けてくれる様になってます。今回の改正は日米の連係強化で抑止力を高めるもので、「戦争法」などと揶揄される事では有りません!民進党が言っている「個別的自衛権」で米軍を援護すれば、「個別的自衛権」は拡大解釈されて、国際法に違反します。米軍を援護した時点で国際的には「集団的自衛権」になります。自衛隊が行動するために、厳しい歯止めを設けて国会承認を義務づけました。何よりも国民の生命、財産を護る事が大事なのです。平和外交が一番です!新人の議員の皆さんに何を基準に賛成したのか、理由を聴きたいです!
2016.08.20
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今朝は公明党埼玉県本部の議員夏季研修会でした。山口代表を迎え、団結第一、大衆とともに、自己研さんという原点を確認しました。 萩原県議、石渡県議の活動報告は、率直でいてとても中身が濃くて素晴らしかった。 塩野県議の幹事長報告は、あらゆることを網羅しつつ簡潔にまとめていました。僕は幹事長を降りて2年。こうした重要行事でも、すっかり気持ちが楽になりました。川越市議団との写真には、近藤議員は受付役員でしたので写っていません。
2016.08.20
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http://kinpy.livedoor.biz/archives/52169322.html2016年08月16日12:40 裁判で小遣いを稼ぐ?・安保法制違憲訴訟・女の会しんぶん赤旗安保法(戦争法)の強行によって憲法が保障する平和的生存権などが侵害され現実に精神的苦痛を受けたとして、北海道から沖縄までの女性106人が15日、国に1人10万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしました。 原告は「安保法制違憲訴訟・女の会」メンバーで40代~80代。ジャーナリストや元教師、介護や航空業界など幅広い経歴の持ち主といいます。 訴状は、原告が「平和憲法を誇りとし、差別や暴力に挑み続けた」人々だとして、同法の制定に向けた政府の行為が原告の信頼を裏切ったとします。 また、同法による権利侵害は将来の集団的自衛権の行使によって生じるのではなく、「現在存在している」と強調。「原告らをテロや戦争の危険にさらし、女性に対する差別や暴力の危険を現実のものとしている」といいます。 何を言っているのか意味不明な主張だが、一人10万円のお小遣いを稼ぐ活動のようである。憲法違反を問うのではなく、損害賠償を取ると言うのだから。それにしても差別や暴力に挑み続けたという人たちってどんな人たちなのだろうか?本当にそんなエライ人たちなら赤旗はこんな小さな記事ではなく、それぞれの人たちの紹介をして「こんな凄い人たちがやってる!」とやればいいのに。実際は、みんな共産党のひも付きだったりしてw
2016.08.18
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心労は歯にきた。日疋には上の奥歯がほとんどない。「裁判の結果が出る日とか、朝起きると口の中がジャリっとする。吐き出すと歯の欠片」。借金問題が片付いてようやく歯科医院に行ったが、すさまじい歯ぎしりで神経まで傷ついてしまい、抜歯するしかなかった。「うちのやきとりは柔らかいねって言われるけど、私に歯がないから」と日疋は笑う。■「やきとり屋」の意味 日疋は広告企画業から、見るのも嫌だったやきとりに本腰を据え始める。川越商工会議所の勉強会や経営研究会に通った。しかし、裏社会の狡猾(こうかつ)な男たちとのやりとりに慣れ切った日疋は、商工会議所の説く「正直な商い、正しい経営」に「ぬるいことを言っていると足元をすくわれる」と疑心暗鬼だった。 「自分のやりたいことを数字と言葉で表せないものは事業ではない」という教えにも手をこまねいた。特に「言葉」が見つからなかった。なぜ、やきとり屋をするのか―。 裁判に勝訴し、戻ってきた550万円で97年、3店舗目を作る。3坪にも満たない小さな店の前である日、老婆が手を合せて拝んでいた。店を建築した大工の母親だった。「不景気で首をくくるところだったが、ここの仕事をもらえて息子夫婦は助かった」と感謝の言葉を口にした。 日疋はすぐさま店に戻り、領収書の控えを見た。近所の草野球チーム、団地の寄り合い、学校の保護者会...。店は地元の人々に支えられていた。「地域の商業も、工業も、農業も、人々の暮らしも一本の串に刺して、街を誇りに思える名物を作るのが私の使命。たかがやきとり、されどやきとり。埼玉は東京のおまけなんかじゃない」■借金問題終結 金融機関との交渉の末、99年5月、父が連帯保証した残り2億円ほどあった債務の放棄が決定。借金問題は終結した。「ほっとしたけど、私も父も感情の神経が壊れてるのか、喜んだわけじゃなかった」 父の文爾(ぶんじ)も最後の力を振り絞った。支払いの滞りがあってもパートは辞めず、業者も納品を続けてくれた。「迷惑をかけた。でも、よくついてきてくれた」。文爾は不払い分を全額支払った。 弁護料もろくに払えなかった日疋親子の借金問題に力を貸し続けた安斉勉弁護士(60)が「聞いてもいいか」と日疋に尋ねた。「私はこの手の裁判をたくさん見てきた。まるまる10年の案件になると、たいていは子供が親を見捨てて逃げる。なぜ、あなたはそうしなかったのか」 周りは皆、物心ともに幸せなのに、なぜ自分だけこんな目に遭うのかといつも思っていた。「でも、親を憎む気持ちも、見捨てるという選択肢もなかった」 日疋は46歳の文爾と40歳の一枝が授かった、たった一人の息子。両親が自分にしてくれたことを思い返す。「そうしたら、きっと乗り越えられるだろうと根拠もなく思っただけ」■相次ぐ入院 2000年、大学院を卒業した胡文が入社した。社員3人、パート数人のまだ小さな会社だった。この頃、食品偽装事件が相次いで起き社会問題化したが、「トレーサビリティー」という言葉がまだ耳慣れない時代。養豚養鶏時代から当たり前に行っていた出所追及の仕組みが注目され始める。 クレームには日疋自身が謝りに出向いた。愚直な姿勢はやがて丸広百貨店の目にも止まり、01年丸広日高店との契約を皮切りに、店舗を拡大する足掛かりをつかんだ。 しかし、同年10月、文爾が脳梗塞で倒れ、半身不随に。その1カ月前に、同居していた叔父ががんで入院したばかりだった。さらに不運は続く。11月、今度は母の一枝が親戚の葬式参列中に脳出血を起こし、緊急搬送された。 日疋は三つの病院から呼び出され、付き添いに走り回った。転院も数カ月ごとに迫られ、受け入れてくれる病院を探した。3人分の高額な医療費はまたもや日疋を苦しめた。
2016.08.17
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8.1付け埼玉新聞から。 中小企業経営革新支援法の承認を受け、自身で勉強会も立ち上げた2002年頃から、日疋は会社の経営に一見関連しないような対外活動を積極的に行うようになる。 工場や店舗を任された胡文(こぶん)は「現場は私に任せっきり。社長とよく衝突した」と不満も漏らすが、この時の日疋の行動が、後になって種をまくような意味のある行動だったと気付くことになる。■新機軸打ち出す 03年、川越や埼玉の世界ブランド化の可能性を模索する「川越style倶楽部」を発足。埼玉の魅力の世界発信とともに、価値や魅力の逆輸入で地元にその良さを再発見してもらいたいという考えもあった。 07年に米ニューヨーク総領事公邸を貸し切ったイベントを開催し、大反響を呼んだ。初めは「売名行為」と批判的だった地元も、それ以降毎年続くようになった世界各地でのイベントを応援するようになった。 日疋は、ニューヨークイベント以来のメンバーで、県内の大学で教壇に立つ矢澤則彦(52)の力を借りて、従来のトレーサビリティーを進化させた新システムの構築にも取り組み始める。 二人は矢澤の研究室にこもって議論を重ねた。生産・流通過程の開示だけでなく、生産者の思いと消費者の反応を双方向で共有し合う「ハートマイレージ」を考案。この概念をシステム化したものを11年に特許として登録。食品企業が特許を持つのは異例で、食の安全安心に一石を投じた。 矢澤は日疋の先を見通す目や感性に舌を巻く。「左手首に保険まで掛けて踏ん張ってきた根性が、普通の考え方や枠組みを超えさせ、彼の感性を支えている」■全国組織結成 日疋は05年、やきとりで地域おこしをする5市(現在7市)とやきとり業界初の全国組織「全国やきとり連絡協議会」(全や連)結成にも動き出した。 頑固一徹で職人肌の一匹狼たちがそろう。皆「自分のやきとりが一番だ」と譲らない。代表世話人になった最年少の日疋は、仲間の店に足しげく通った。信頼を得るのに10年近くかかった。 全や連は、地域ごとに特徴を持つやきとりの魅力を伝え、やきとり屋の地位向上に取り組む。福島県福島市の「鳥安」の店主安田雅樹(63)は「福島は戦後の闇市から始まった。串に刺すモツは非主流。全や連に入るまで肩身が狭かった」という。 福岡県久留米市の「鉄砲」の店主木下敏光(65)は「この間、皇室の人が店に来て驚いた。やきとり屋はずっと下に見られてきたからね」。「でも、だからこそ強い」と北海道室蘭市の「やきとりの一平」店主の石塚和義(68)が声を張る。「やきとりは底辺の大衆を支えてきた食べ物。大衆の心から離れたら商売じゃない。俺たちはそれを人生かけてやってきた」 日疋は今、各店が一堂に会す東京大手町の「全や連総本店TOKYO」で、それぞれの味とのれんを任されている。■両親と箱根に 日疋は、家族孝行な胡文の姿を見て、自分も一回ぐらい親孝行してみようかと思い立った。川越style倶楽部を発足した後、文爾(ぶんじ)と一枝を箱根旅行へ連れ出した。 文爾も一枝も車いす。バス会社に車いす専用のタクシーを頼み、ケースワーカーが一人帯同した。「箱根は遠いと思ったけど、専門の宿もあるから大丈夫だと。でも、思うように進まなくて」。朝に出発し、箱根に着いた頃には真っ暗になっていた。 倒れた01年から文爾も一枝も入院生活を余儀なくされた。せめて父と母は一緒にしてあげたいと、片っ端から探し歩いた末、一緒に暮らせる介護施設を見つけ、二人を入所させた。一つ肩の荷を下ろし、ようやく親孝行が果たせるはずだった。 箱根への道中、ケースワーカーが山道でものを落としたり、転がりそうになった。文爾は自由の利かない車いすの身なのに、車中ずっとケースワーカーを気遣った。それが日疋が元気な文爾を見た最後になる。
2016.08.17
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8.8付け埼玉新聞 「借金健康法だ」。父・文爾(ぶんじ)はそれまでも動脈疾患で何度か手術をした。その度に日疋にこう言った。「返済すべき借金がある限り、元気でいなきゃいけないからな。いい健康法だ」 再び病床の文爾は、もう何も言わない。「真面目にやってれば本当に幸せになれるのか。人の人生って一体何なのか。自分にはうまく説明できない」■一番の不幸 箱根の宿に着いたのは夜。車いすでつづら折りの山道を越え、疲労困憊(こんぱい)した文爾と母・一枝。夕食の時間はとっくに過ぎていたが、料理を出してもらい、慌ただしく食事をした。その時、文爾が湯葉を器官に詰まらせる。意識を失い、すぐに熱海の病院へ緊急搬送された。 文爾は低酸素脳症で植物状態になった。 日疋は、文爾が背負わされていた連帯保証の借金のせいで、どこからも信用されなかった会社を懸命に立て直し、ようやく追い風が吹いてきたところだった。「状況が良くなってきて油断したんだ」。日疋はほぞをかむ。 旅行会社に行き、車いすの両親のために特別仕様で計画を立て、初めて旅行へ連れて行った。ただ普通の親孝行をしたかっただけだ。「当たり前の幸せを願って実行した瞬間に、一番の不幸をしでかした。他人と同じ幸せを欲しいなんて、自分にはぜいたくだった」 眠るように横たわる文爾。日疋は自分を責め続けた。■因果な「やきとり」 地道な種まきのかいあって、徐々に日疋の名前と会社は知れ渡っていくが、チューブにつながれた文爾を見るたびに心はふさいだ。 旅行から2年後の2005年に丸広東松山店にテイクアウト店を、08年には駅前の一等地に東松山駅前本店を開店した。だいだい色に染められた「やきとりひびき」の大きな看板を、行き交う地元の人々が見上げた。 東松山のやきとりの歴史は、昭和20年代後半に在日韓国・朝鮮人たちが食肉処理場で仕事を手伝い、捨てられていた豚のかしら肉を分けてもらって商売にしたのが始まり。今も個人で商う昔ながらのやきとり屋が市内に点在する。 日疋は「常に仕掛けていかないと会社は倒れる。立ち止まっている余裕はない」と、経営上の理由を話すが、入り組んだ感情ものぞかせる。 祖父・道夫と文爾が養鶏・養豚を営んでいた東松山に店を出すのは日疋の念願だった。同時に、一家を苦しめた借金の元凶もここにある。地元のやきとり業界との温度差もあった。 「世間もそうだが、見返したかったのはむしろ『やきとり』そのもの。『やきとり』が自分たちに与えた運命とか理不尽さが悔しかった。でも、嫌いにもなれない。簡単に捨てられればどんなに楽か」 それに向きあうために、日疋はこの地に戻らなければならなかった。■ゼロになる覚悟 当時、日疋の右腕として働いていた小島淳一(46)には、日疋が口癖のように言っていた言葉が印象に残っている。「よく『前に倒れろ』と言っていた。たとえ倒産しても、後ろ指さされての倒産じゃなくて、懸命にやった末の倒産にしようと」 ひびきのミニコミ誌制作に携わったのを期に、04年から日疋に密着してきたライターの森田純子(60)も「いつゼロになってもいいと覚悟を持っている人」と話す。 06年、日疋はやきとりのイベントで初めて和歌山県を訪れた。森田も一緒だった。「海南市の生みの親、信亮のひ孫が来たと市は大騒ぎ。市役所で名刺交換をしていたら、ある職員が首をかしげた。『匿名で寄付金が送られてきている。現金封筒の消印は川越。あなたではないか』と」 違うと言う日疋を職員は駅までしつこく付いてきた。「そこでやっと『私です』って白状したの」と森田は笑う。 「選択の余地のない人生だったのにふてくされず、業界のため、地元のため、世のためただ汗をかいている。でも、汗の分報われてない。だから、私のような日疋応援団がたくさんいるの」(敬称略)
2016.08.16
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5回目の記事です。■飲食業・ひびき(川越市)/日疋好春社長(5) 「もうしないって約束したのに、なんでまたしたんだよ?」。母の一枝が父子のけんかを心配そうに見つめる。 フランチャイズ店を開店にこぎ着けたものの、自らも借金を背負った23歳の日疋。父の文爾(ぶんじ)の借金も膨大な額が残っている。毎日、暴力団に脅される文爾に日疋は会社の通帳を預けた。文爾は通帳から自分の借金だけでなく、日疋の会社の支払い分まで引き落とすようになった。■やきとりひびき誕生 「このままだと共倒れになる」。通帳と印鑑を持って実家を出た日疋は、大学に入学が決まった胡文(コ・ブン)と富士見市のアパートで同居を始めた。 日疋のもとに仙台市のイベント企画が舞い込む。 出張に向かう新幹線の窓越しに見える「仙台名物 牛タン」の看板。「高級部位でない牛の舌が東北最大都市の名物になっている」。父のやっていたみそだれやきとりをぼんやり思い出した。「でも、やきとりだけは触りたくなかった。うちに迷惑を掛けてくれたのは、(倒産して負債を背負わせた)やきとり屋だから」 1994年7月、本川越駅の駅ビル「PePe」で物産展企画を請け負った時、直前で1ブースが出店をキャンセルした。悩んでいる時間はなかった。「よし、うちで埋める」。文爾が細々と続ける工場から串刺しを運び、看板を立てた。「本場東松山名物 みそだれやきとりひびき」。これが飛ぶように売れた。 それを見ていた川越新富町商店街振興組合が、場所を貸すから販売してみないかと声を掛けてくれた。日疋は商店街にあるキムラヤの駐車場を土、日曜日だけ借り、テント販売を始めた。■恩義と悔しさ 本業の企画広告の仕事や、偽物の借用書で取り立てにくる暴力団との裁判も抱えながら、日疋は満身創痍(そうい)で働いた。「始めはワンボックスカーの後ろのドアを開けて売っていた。ようやくテントを買えたけど、風に弱くて、片手で支えながら焼いていた」と、胡文も毎週末手伝った。 休日、商店街は家族連れが楽しそうに行き交う。2人は一日中煙に包まれた。店が終わると、売れ残ったやきとりで腹を満たした。 日疋はその後、川越商工会議所に入会。商店街や商工会議所の計らいで借りた物置を改装し95年、第1号店「やきとりひびき 川越八幡通り店」を開店した。会社の拠点も嵐山町から川越市に移した。 しかし、商工会議所の会員たちからは「あいつは気持ち悪い」と噂された。「川越は初対面で出身小学校を尋ねるようなところ。彼は借金取りに追われてるから、住む場所も素性も言わない。誤解されていたんだ」。 スガ人形店の専務、須賀栄治(46)は中傷に耐える日疋を間近で見てきた。「『川越に拾ってもらった』という恩義と同時に、『川越に自分を認めさせたい』という気持ちもあったはずだ」■仮差し押さえ命令 97年ごろ、文爾の借金の債権を手に入れたある暴力団が訴訟を起こす。日疋の会社と取引企業が一斉に仮差し押さえ処分を受けた。裁判で容易に勝訴できるでたらめな訴状だったが、仮差し押さえで金の出入りを封じられた日疋は、裁判の供託金7百万円を準備できない。「この時ばかりは本当に終わったと思った」 当時、川越商工会議所の経営指導員だった藤倉正人(62)は、事情を察知すると即座に会社の決算書を精査した。「ここはこう書け」「ここはもっと具体的に」と申請書の書き方を教え、国民金融公庫(現日本政策金融公庫)の融資に推薦した。 2週間後、「日疋、良かったな。550万円満額出た。金利2・1%だ」と藤倉から電話が来た。「見たことのない金利だった。初めてまともな融資を受けられた」 藤倉はテントで商売する日疋の姿を見ていた。「借金は彼のせいじゃない。彼は被害者。地獄を見たけど、金の苦労もしてない連中とは違う。いつかはい上がるんだという思いが前に進むエネルギーだったんだろう」
2016.08.16
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埼玉新聞の連載記事から。すいません、4回目からです。■飲食業・ひびき(川越市)/日疋好春社長(4) 日疋はその時、テレビのサスペンスドラマを思い出した。冒頭に登場する指の欠損した女性。そこから回想シーンが始まる。普通の主婦が夫に言えない借金をサラ金から重ね、返済の万策尽きて、保険に掛けられた指を失う。 日疋も傷害保険の申込書の事項を黙って埋めていった。■個人で広告企画業 1990年、借金の取り立てに追われる中、日疋は高校を卒業した。父の文爾(ぶんじ)の会社は廃業寸前だった。 文爾は「申し訳ないが、月に100万入れてくれ」と日疋に頼む。途方もない額だが、それでも借金の金利にもならない。会社勤めをしていても仕方がないと考えた日疋は、当時浦和市(現さいたま市)で開局したばかりのラジオ局エフエムナック5に何のつてもなく突然訪問した。 「できたばかりの放送局だから、何かしら仕事があるだろうと思って」 人手になればと出入りが許され、雑用から番組構成までありとあらゆる仕事をした。仕事を覚え、人脈を得ると、イベントの請負やプロモーションなど、個人で広告企画の仕事も始める。 「大手広告代理店とか行政機関の仕事も受注するようになるけど、自分なんて豆粒みたいなもの。必死にクライアントと腹の探り合いと駆け引きをして、数字をはじく。借金を返済するのに稼ぐことしか頭になかった」 日疋は稼いだ金のほとんどを文爾に渡した。■ひびき設立 92年、20歳の日疋は有限会社ひびきを設立する。法人化で体は整えたものの、自営業の時の即金払いとは違い、支払いは数カ月先。運転資金が滞った。 そんな時、大手製パン会社のフランチャイズ展開の話が舞い込む。開店費用のための融資の本審査には、不動産の契約書や工務店への発注書が必要だった。契約を結び、店の建設も始まるが、土壇場で融資見送りの連絡が来る。 「身内に連帯保証による債務者がいるから1円も出せないという。父が死んで自分が相続放棄すれば、その限りではないと。毎日けんかしたけど、父に死ねと言ったことは一度もない」 今回の借金は自分の責任。「工務店は手付金も取らず、信じて待ってくれた。何としても支払う必要があった」 家に張り付く取り立て屋の男たちが、「元気ないね」と日疋に声を掛けた。成人した日疋を次の食い物にしようと手ぐすねを引いて待っていた。日疋が訳を話すと、「担保なしで金貸してやるよ」と持ち掛けた。 「でも、一つ条件がある。これに入ってもらうよ」。男たちが差し出したのは、体の部位に掛ける傷害保険だった。「返せなかったら、これで返してもらう」 日疋は迷った。「でも、店は完成して、船は出てしまった。後戻りはできない」。日疋は利き手ではない左手に決めた。ほかに方法はなかった。■出会い 父と自分の借金返済に明け暮れる93年、大宮ソニックシティの映画祭イベントのマネジメントを請け負う。その時、ボランティアで会場に来ていたのが、中国出身の女性、胡文(コ・ブン)だった。 海外に出ることなど夢のまた夢だった北京で大学生だった胡文は、外の世界を見たいと92年に来日。アルバイトを掛け持ちして学費と生活費を稼ぎながら、日本語学校に通っていた。 「日疋さんから電話が掛かってきたので、折り返し電話したら『掛けてない』って」と胡文(44)は笑う。「変だなと思ったけど、じゃあ次回ドーナツでも食べに行こうと約束した」。日疋は日本語を勉強中の胡文のために、会うときはいつも、日々の出来事を記した手紙を書いて行った。 「父がよく手のひらを見ろと言ってた。しわの数でその人がどのくらいものを考えてるか分かると」。日疋はある時、胡文の手のひらを目にする。「緊張や疲れがあったのかもしれないけど、手のひらがしわだらけだった」 手紙は、次第に自分の気持ちをつづるものになっていった。
2016.08.16
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森田実先生のフェイスブックから転載します。「最も正しき戦争よりも、最も不正なる平和を取らん」(キケロ) 「8・15」は「6・23沖縄」、「8・6ヒロシマ」、「8・9ナガサキ」とともに、平和を誓い、平和を守り抜く決意を新たにする日です。 第二次大戦が終わってから71年が経ちました。戦争の悲惨さを体験した者は少なくなっています。平和は国民の悲惨な体験によって支えられてきました。平和意識は未体験世代に継承されているとはいえ、体験者の減少によって平和の意識は弱くなってきていることは認めざるをえません。 政治の世界では憲法改正を断行しようとする動きが強まり、憲法改正が政治の現実的課題になりつつあります。野党とマスコミは「改憲勢力」が衆参両院で三分の二を占めたとして、憲法改正がすぐに行われようとしていると宣伝しています。世界のマスコミも日本の憲法改正が近づいていると報道しています。 私は一カ月ほどまえ、月刊政治雑誌の『月刊日本』に「大錯覚の時代」と題するエッセーを書き、「改憲4党が衆参両院で三分の二を占めた」というのは野党とマスコミの錯覚ではないか、と指摘しました。主たる理由は、公明党が自民党と同じ改憲勢力ではない、という点にあります。公明党衆議院議員のなかに「公明党は改憲に賛成」と発言している者がいることは事実ですが、公明党は「改憲」よりも「加憲」の立場をとっています。公明党が自民党と同じ改憲勢力と位置づけるのは正しくないのです。公明党は現憲法の平和主義・国民主権・基本的人権の尊重の三原則は変えてはならないとの立場をとっています。自民党と同じ改憲勢力の一員ではないのです。 憲法改正の中心テーマは「憲法第九条を改正するか否か」ですが、公明党が第九条の抜本改正に賛成することはありえない、と私は判断しています。公明党が賛成しなければ、国会としての発議はできません。 また、たとえ国会が憲法第九条を含む憲法改正案を発議したとしても、国民投票では九条改正が可決される可能性は低い、と私は判断しています。 私の友人のなかには、小泉純一郎首相(当時)による郵政民営化のように、安倍政権はマスコミを動かし世論を誘導するため、憲法改正は実現する、と考える者が少なくありません。たしかに、そうなる可能性はないとはいえませんが、平和がつづいている状況下では、国民は憲法第九条を守るだろうとみています。 ただし、日本の周辺で戦争が起き、日本が巻き込まれることになれば、国民世論は変わります。もしも憲法改正をめざす政権が、国民世論を改正の方向へ誘導するために東北アジアで戦争を起こせば、世論は変わるでしょう。私は日本周辺での日本を巻き込んだ戦争が起これば憲法改正は実現すると思います。しかし平和がつづく間は第九条の改正はできないと思っています。 それに、激動するいまの世界情勢、日本の経済社会状況のもとで取り組むべき重要な政治課題よりも憲法改正を先行させるのは正しい政治のすすめ方とはいえないと思います。憲法改正よりも優先させるべき政治課題は多々あります。それらの課題を棚上げして第九条を含む憲法改正を先行させることまで公明党が賛成することはない、と私は思います。繰り返しますが、公明党が賛成しなければ、国会で憲法改正を発議することは不可能なのです。公明党は憲法改正のキャスチィングボートを摑っているからです。 安倍首相は憲法改正に熱心ですから、安倍政権がつづく限り憲法改正の議論はつづきます。これをもって安倍首相がすぐに憲法改正を強行するとみるのは早計です。憲法議論は徹底的に行うべきです。野党のなかには安倍首相の改憲まえのめり姿勢をおそれて憲法議論を避けようとする傾向がみられますが、これは愚かなことです。議論は必要です。 私は日本の政治における最大の対立点は軍事問題だと思っています。大日本帝国時代の日本と同じように軍事力を行使できる国にするか、それとも専守防衛の軽武装国として生きるのかの対立です。専守防衛に徹する軽武装国として生きるのであれば、憲法九条は今のままでよいのです。 軍事問題以外の諸問題は、とくに憲法改正の必要はないと私は思います。「公共の福祉」によって軍事問題以外は解決可能です。憲法問題は議論することに意味があるのです。 8月15日は日本国民が平和への決意を新たにする日です。
2016.08.16
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森田実先生のフェイスブックから転載します。「本年秋〜冬にかけての解散」の可能性について「虚栄心は、それが満たされるときでなければ道理を聞き分けない」(ジュベール)... 友人から次の質問を頂きました。 「本年、晩秋から初冬にかけて実施されるといわれている衆議院の解散・総選挙の可能性はどのくらいですか? また安倍内閣には解散の大義はあるのですか?」 結論から申しますと、本年、晩秋から初冬にかけての衆議院解散の可能性はかなりある、と私は予想しています。数字であらわせば60%程度だと思います。 第一の理由は、安倍首相が衆議院を解散したいという考えがあると私は判断するからです。 ただし、私は本年末の解散総選挙はすべきでないと思っています。安倍首相は2012年12月の衆院選で勝利して第二次安倍内閣を成立させました。さらに2014年12月に総選挙を行いました。衆議院の任期は4年ですが、実質2年にしてしまったのです。今年もし総選挙を行いましたら、衆議院議員の任期はまた2年に短縮されてしまいます。衆議院議員の任期4年は憲法上の規定です。安倍首相は衆議院議員の任期を、2度も半分にしてしまうのです。これはやり過ぎです。憲法無視です。憲法違反です。 しかし、いまのほとんどの衆議院議員とマスコミは衆議院の解散権は首相一人にあると思い込んでしまっています。じつは衆議院解散権が首相個人にあるとの考えは錯覚ですが、政治家もマスコミもこの錯覚のとりこになってしまっているのです。これは不治の病のようなものです。 安倍首相はやる気だと私は思います。それは安倍首相の郷里の山口県の自身の選挙区での動きをみれば明らかです(「首相の1日」参照)。安倍首相の郷里における活動をみれば、政治を知っている者なら安倍首相の「やる気」を感ずるでしょう。 「解散の大義名分」は「TPP批准問題」です。 安倍首相は秋の臨時国会の主たるテーマは「TPPと補正予算だ」と語っています。 米国大統領選の二人の候補者ともTPP反対を明言していますが、オバマ大統領は、大統領選終了から新大統領が就任するまでの間にTPPを成立させようとしていますが、安倍首相は、TPPの盟友のオバマ大統領への支持のためにも、日本で一足先にTPPを仕上げようとしています。 野党が解散をおそれれば、TPPは成立します。安倍首相にとっては、どちらも安倍内閣にとっては好都合です。 2016年末に総選挙で勝てば、2018年の自民党総裁任期の延長もしやすくなるでしょう。2020年の東京オリンピックの開会式に日本国の総理大臣として出席することも可能です。安倍首相が衆議院解散をしようと思えばできるのです。ただし、そうならないことを願っています。 私は「解散の可能性は60%」だと予想しています
2016.08.16
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[古森義久]【習近平主席は日本を不当に悪魔化している】~英「エコノミスト」巻頭論文に載った批判~Japan In-depth 9月1日(火)20時0分配信9月3日の北京での「抗日戦争勝利記念」の軍事パレードを閲兵する中国の習近平国家主席こそ歴史をねじ曲げて、自国の将来の野心に利用し、日本を不当に悪魔化している――こんな厳しい批判がイギリスの大手雑誌「エコノミスト」の巻頭論文に載ったことは日本の私たちも知っておくべきである。天安門での大パレードの解釈の一つとして有益だろう。エコノミスト誌8月21日号は表紙に習主席がライフルとペンとが一緒になった銃を持って立つ写真とともに、「習の歴史の教訓」「中国はいかに将来を支配するために過去を修正するか」という記事の見出しを載せた。そして巻頭論文で「中国共産党は現在の野心を正当化するために歴史を悪用している」という見出しの主張と解説を掲載した。この巻頭論文の要点は以下のようだった。・中国共産党は今回、初めて対日戦争勝利を単なる儀式だけでなく軍事力の誇示で祝うが、その行動は周辺諸国に中国のいまの力を宣伝する威圧効果を必然的に生む。同共産党は現在の野望を正当化するために過去の歴史を改ざんしているのだ。・中国は過去の犠牲の大きさのために自国が今後のアジアの秩序で最大の発言力があると考え、日本は今また他国への侵略を始めかねない危険な存在だと宣伝する。・だが中国の主張する歴史は、日本と戦争をしたのは共産党ではなく国民党であり、現在の日本が帝国主義の日本とは根本から異なるという点で大きく間違っている。いまの日本は平和主義に徹し、高齢化が進み、核兵器を忌避する民主主義の国なのだ。・中国が日本を悪魔化することは不公正であるだけでなく危険である。中国共産党が自国内の反日感情をあおり過ぎると、国民の反米感情までを高めて、アジアでのアメリカとの対決を求めるようになりかねないからだ。・習近平主席は歴史から本当の教訓を学び、歴史を改ざんして自国の有利な方法でのみ利用することを止めて、アジア地域の安定を多国間の協議で進めることが望ましいのだ。以上の主張は9月3日に天安門の高い檀上に立って、一大軍事パレードを閲兵する習近平国家主席に向けられた言葉なのである。日本側としてもこの「抗日戦争勝利記念」の行事がそもそも日本に対する不当な悪魔化から始まっていることを改めて銘記しておくべきだろう。*トップ画像:エコノミスト誌8月21日号表紙・The Economist-Official Siteより古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)
2016.08.16
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こちらも去年の投稿から☆戦後70年の読売新聞連載が終わりました。読み応えのある記事ばかりでした。 今朝は国連事務次長を務められた明石康さんでした。明石さんの発言から。 「(戦後)国際社会に復帰した日本は、国連中心主義を掲げる一方、米国との友好・同盟関係を基礎として平和国家の道を歩んできました。この選択は正しかったし、それ以外の道はなかったと思います」 「日本は戦前の拡張政策でアジアの周辺諸国に言葉で表し得ないような辛苦を与えた。我々は加害者でもあった。そうした不幸な歴史の事実の前では今後も検挙であるべきです」 「憲法の精神は大事ですが、9条を守り、平和を祈っていれば平和が保てるわけではありません。日本はそうした『祈るだけの平和』ではなく、『創る平和』を目指すべきです」 「『創る平和』というのは、途上国の開発や人道支援、国連平和維持活動(PKO)への積極的な参加を通じ、世界の安定化のために一汗も二汗もかくことです。 「戦後70年という言葉に違和感を感じる。単なる戦後ではない。日本は悲惨きわまる戦争に敗北した。それから70年たつ。敗北後70年なのだ。それを肝に銘じておきたい」。 記事は「未来を語るのは大切だが、一方で敗戦の事実とそれにまつわる悲劇を忘れないこと。不毛な戦争の教訓を語り継いでいくことだ」(趣旨)と結んでいる。ちなみに僕は「終戦」という言葉よりも「敗戦」と表現することが多いです。「終戦」という言葉には、鬼畜米英と言っていいた教師が敗戦の翌日から「これからは民主主義だ」と言い出したように、「戦争が終わった」ことの喜びなどが込められていると思います。しかし、いきあたりばったりの作戦で敗北したことが忘れられる危険な側面もあります。ですから「敗戦」を用います。まだまだ、勉強中ですが。
2016.08.16
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去年の投稿です☆「デビュー作『指の骨』では、南方の戦線を描きましたが、戦闘行為による死がほとんどありません。餓死や事故で亡くなった場合ばかりです。戦闘で亡くなるならまだしも、餓死などを『戦死』と言えるのかと思いました。むしろ戦死よりもっと悲惨なことになるのかなと」。読売連載の高橋弘希さんの言葉です。 半藤一利さんは「陸海軍合わせて240万人の戦死者のうち、7割が餓死か栄養失調か、それに伴う病死でした」と。 南方戦線に向かう輸送船が次から次へと撃沈され、水没者は約30万人だったと記憶しています。 敗戦まで続いた、人間(兵士)の命を「軽く」見る思想のもたらしたものだと思います。
2016.08.16
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公明党の山口代表は「近年の日本を取り巻く安全保障の環境は、確実に厳しさを増しており、こうした状況に憲法9条の範囲で対応するために、平和安全法制を作って、切れ目のない体制を作る基盤を整えた」と述べました。そのうえで、山口氏は「平和安全法制を整備する議論の中で、憲法9条に対する考え方を再確認したので、それをみずから否定する議論をするつもりはない。こうした考え方で、今後も日本の安全と国際社会の平和への貢献をなし得る努力を進めていかなければならない」と述べ、憲法9条を改正する必要はないという認識を重ねて示しました=NHKニュースから転載。15日の街頭演説で僕も9条改正はしなくてよいというのが公明党の考え方であり、参院選の後、マスコミが改憲勢力が国会で3分の2を越えたと報道したのは、公明党を改憲勢力と捉えた報道でありミスリードだと強調させていただきました。
2016.08.16
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http://lenon.tokyo/kangae/6074/2トイレ掃除をしている女性をバカにした学生→そこに居合わせた1人の男性が言い放った言葉が心に響く…!女性が経験した嫌なこと清掃中はトイレの前に「清掃中」の看板を立てているにも関わらず、利用者はどんどん入ってくるのだそうです。利用者たちは彼女たち清掃員のことを特段気に止めませんが彼女も気に止めず、彼女にとってはそれぐらいが丁度良いのだそうです。しかし、ちょうど1年前に彼女はとても嫌な経験をしました。それはいつも通り、男子トイレの清掃をしていた時のことでした。彼女の働くビルはビジネスタワーであり、丁度どこの企業も新卒採用を行っている時期であったこともあり、リクルートスーツに身を包んだ大学生などの若者が頻繁に出入りしていたそうです。そして彼女が小便器を丁寧に清掃している時、大学生2人がトイレへ入ってきて、彼女に向かってとても酷い言葉を呟きました。大学生の酷い言葉「こんな仕事イヤだよな。まじで嫌だわ、俺。」「いや、無理っていうレベルじゃないだろ!トイレの掃除とかキモい!とりあえずこうなったら人間のゴミだよな(笑)」とても酷い言葉です。女性は一生懸命聞こえないフリをしました。悔しい気持ちや怒りをなんとか我慢しました。なぜなら、言い返すことは認めることだと思ったからでした。しかしこの大学生2人は、この後、窮地に立たされることになるのです。1人の男性が放った言葉この大学生たちの後ろから入ってきたおじさんが、大学生の酷い言葉を聞いて、ボソッと大学生に言葉を掛けました。「君たちは就活生かい?だとしたら0点だ。なぜなら、君たちは仕事の意味を履き違えているからだ。どんな仕事でも、仕事があるということは“必要とされている”からなんだよ。誰にでもできる仕事じゃないことをしてくれる人がいるからこそ、君たちは便利に利用することができるんだ。いいかい?『ゴミ』なんて言葉を使ってはいけない。掃除をする人が掃除をして貰う給料は、その人に対しての“ありがとう”という報酬なんだ。きっと雇う側の人たちは、君たちのような考え方の人間には何も渡さないと思うが、どう思う?」おじさんの正体おじさんは、大学生たちがぶら下げている名札を見て続けました。「ふむ、面接か・・・、そのロゴは私の会社のシンボルだ。後で面接室で続きを話そう。」女性は一瞬この意味が理解できませんでしたが、大学生たちはすぐに悟ったようでした。どうやらこのおじさんは、彼らが面接を受ける会社の社長だったのです。女性はおじさんのことを何度か見かけたことはあるものの、まさか社長だったとは知らなかったようです。仕事の大切さ世の中には数え切れないほど多くの仕事があります。しかし、それらを比較したり差別することは決して良いことではありません。この日以来トイレで大学生を説教したおじさんは、女性を見かけるたびに「いつもご苦労様。」と声をかけてくれるそうです。ですが、彼女がその大学生2人を見かけることは、あの日以来一度もありませんでした。私たちは、いつも誰かの仕事によって便利に生活することができています。そのことを忘れず、このおじさんのように感謝できる人になりたいものですね。
2016.08.12
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長男と二人で9日の午後9時半に自宅を出発し、10日の午前5時半に姫路城へ到着。写真撮影と散策を少しした後、実家で過ごしました。午後9時半に実家を出発し、さきほど11日午前5時に自宅へ舞い戻りました。僕と長男と二人で片道約600キロをほぼ半分ずつ運転しました。お堀端の径は高校時代にただ並んで歩くだけのデートをした場所です。
2016.08.11
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参院選の最中に購読の契約のきれていた会社19社に公明新聞を拡大しました。新規も1部。超うれしーい。最高にうれしいことです。深夜から長男と二人で姫路に向けて出発します。姫路には明日の夕食まで滞在し、舞い戻ります。往復約1300キロ。楽しい旅です。今日は妻の誕生日です。一緒にデニーズで昼食をとりました.お店に入ると同時に「あら、福永さん」と若い女性から声をかけられました。「有名人ですからね」とも言われました。うれしさと緊張の走る瞬間でした。いろんなところで「テレビで見たよ」とも言われます。西田さんを応援してくださった皆様です。感謝。
2016.08.09
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森田実先生のフェイスブックから転載します。「狂気の沙汰」とバッサリ。民進党は「衆議院議員選挙においても民進党と共産党の選挙協力を行う」という考え方を持つ民進党議員を新代表に選出する方向になりつつありますが、民進党はそれで本当によいのですか?「過ちを改めざる、是を過ちと謂う」(孔子)... 民進党は次の衆院選でも共産党との選挙協力をつづけようとしているようですが、私は「狂気の沙汰」ではないかと思います。 民進党の三人の友人から電話を頂きました。 三氏とも同じ話をしました。 A氏;「9月、民進党の代表選挙では蓮舫氏が選ばれるでしょう。民進党内の大勢は蓮舫支持です。皆、勝ち馬に乗ろうという空気です。蓮舫氏は『民共選挙協力』には疑問があると言いながら、次の衆院選で『民共選挙協力』を行う考えの持主です。このままでは民進党は、今後の政治活動を共産党と一緒に行うことになります。こんなことで本当にいいのでしょうか」 B氏;「あるOBが、民進党国会議員のあるグループの会で『民共選挙協力は、今後はやめるべきだ。少なくとも政権選択選挙の衆院選では民共協力はやるべきではない』と発言したところ、総すかんを食ったそうです。いまの民進党の党内では『民共選挙協力反対論者』は排除されるような空気が支配しています。民進党内は『共産党の票は有難い』の空気一色です。自由な発言ができないような有様です。どうしたらいいですか?」 C氏;「連合は、衆院選でも民進党が共産党と選挙協力することに反対です。民進党が共産党と一体化すれば、連合は民進党を支持することができなるなると思います。少なくとも連合の加盟組合のなかには自主投票が増えるでしょう。民進党幹部は東京都知事選で、なぜ鳥越氏が惨敗したのか分かっていないのです。それでも、今の民進党の候補者は共産党の票を欲しがっています。民進党は危機です」 驚くべきことです。民進党の主流は、今後、共産党との選挙協力で生きて行こうと、真面目に考えているようです。 日本の政治が根底から乱れ始めたように感じます。 関西地方では民進党は惨敗しました。最大の敗因は「民共選挙協力」にあったことを関西の民進党の心ある党員は認めています。民進党が共産党と選挙協力したため、従来民進党を支持していた保守層が民進党から離れ、おおさか維新と自民党に移ったのです。 愛知県では民進党は勝利しましたが、これは民進党が共産党と全力で戦った結果得たものでした。 東北地方その他の一人区での民進党の勝利をもって、民進党が今後も、しかも政権選択選挙である衆院選でも共産党と選挙協力をつづけようとしていることに、党内に不満がくすぶっています。しかし、岡田代表らの主流は強引に「民共協力」路線を守ろうとしているのです。 民進党が政権選択選挙である衆院選でも基本理念の異なる革命政党の共産党と選挙協力するのは、民主政治の基本に反する行為で、許されることではないと思います。 民進党国会議員は理性を失ってはいけません。反省すべきです。立ち止まって考えなおすべきです。
2016.08.09
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7月29日は午前6時の新幹線に乗り、京都で勉強なさり、午後11時に御帰宅なさいました。すごい。以下本文から抜粋 <久しぶりに真面目に、そして一生懸命に勉強しました。充実した一日でした。人生は「一に勉強、二に勉強、三、四がなくて五が勉強」という中学生、高校生の頃自分自身に言い聞かせた言葉をつぶやきながらの一日でした>。
2016.08.09
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今夜の公明党埼玉県本部幹事会において参院選で初当選した宮崎勝氏が、副代表に選任されました。重層的な県本部へ一歩前進しました。塩野幹事長からは下半期の活動について、全国代表者会議を受けて発表がありました。特に日常活動の強化について、議員の発奮を促す内容でした。議員夏季研修会の大綱も発表されました。塩野幹事長は、選挙後も絶えずさまざまな課題を考えて県本部を牽引しています。8月に入ってから少しぼんやりとしていた僕ですが、発奮することができました。組織はありがたい。僕は、幹事会会長という要職にあります。当選回数が多いだけで、実力に不相応の役職です。幹事会の進行役です。午前中は、このところ目覚ましい活躍というか、これまで希望を胸に抱きしめながら屈することなく前進し続けてきたことが脚光を浴びている経営者と、久しぶりにお会いしました。うれしかった。午後からは、埼玉県の新5か年計画、地域医療計画、国保改革について県議会公明党議員団の勉強会を3連発。勉強から遠ざかっていたので、睡魔との闘いでしたが。でも、大いに触発されました。このところ市民相談も相次いでいます。深刻な課題ばかり。向き合うこと、活路を開くため知恵を巡らせることで、僕自身が元気を取り戻しています。ありがたいことです。「新たな挑戦」を僕自身の下半期のテーマにします。今まで同じように動いていても党勢拡大はできません。そのバロメーターを公明新聞の拡大に置き、倦まずたゆまず「新たな挑戦」を開始します。8月に入ってから続いていたスランプから抜け出しつつあります。
2016.08.08
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この前はいつだったのか。マッサージ機で寝てしまうのは、よくあることですが、昨夜は8時過ぎから寝ちゃいました。 妻が声をかけてくれたので、午前1時ごろ目覚めましたが、今度は床に転がり、そのまま5時過ぎまで、しんしんと眠りました。 おかげさまで頭はすっきりしました。 選挙戦が終わると、もぬけの殻のようになりがちですが、今年は、自分の前に立ちふさがっている別の課題への取り組み方を巡る取り組み方についての考え方の相違とぶつかったせいもあり、なかりモチベーションが下がっています。 その影響のせいか、大事な行事が入っている日に、別の予定を入れてしまったり。結果的に、裏切り行為になってしまいました。 スランプなのでしょうか。 少し勉強します。このところあまりかいていませんでしたし、小休止します。
2016.08.08
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2日は愛媛県で視察。今治小松自動車道の工事現場で。県土都市整備委員会の視察です。トンネルなどの構造物から先につくっていきます。
2016.08.04
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2日は広島市に宿泊しました。広島で見つけた中学校、小学校の吹奏楽の演奏会のポスターです。ゴージャスな色調と明快なデザインに感動して、パチリ。来年のエレキアゲインの参考になります。もう1枚は、部屋からの夜景です。
2016.08.04
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広島カープの本拠地の地下には、周辺一帯の大雨の時の浸水防止のため、大規模な貯水池が、野球場建設に先立って設けられました。3日午前中に視察しました。
2016.08.04
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