全26件 (26件中 1-26件目)
1
10数年前のこと、私は夏を前に大失恋をしてしまった。そのときの落ち込みようはすさまじく、めっきり食欲が落ちてしまった。ごはんくらい普通に食べられただろうに、と、今となっては思うけれど、仕方がない。当時の私の感情の受け皿は、その程度だった、ということだろう。あれから何年もの時がたち、三度目の年女になったような今、それよりもつよい衝撃をうけることが、幾度もあるけれど、長い間食欲がない、というような事態に陥らなくなった。おかげさまでというべきか、残念ながらというべきか、図太くなっているのだろう。けれど、図太さついでに言わせてもらうと、より強い衝撃を受けても、耐えられる体力を備えておくために、食べることは大切だ、ということ。ショックに対して鈍感になることも、ひとつの手かもしれないけれど、むしろ、そういった感情はしなやかにしておきたいと思うのだ。嬉しさも、悲しさも丸ごと受け止めて、なお前に進むためには、やっぱりエネルギーを蓄えなくっちゃね。
Nov 30, 2007
コメント(0)
実はこのところ体調を崩していて、家に一日中いるような日を幾日も続けていた。週明けからぼちぼち持ち直し、昨日久しぶりに買物に出かけたような状態だ。自宅を出るときに、車のエンジンキーを回しながら、ふとそれが、2週間ぶりの運転であることに気がつき、驚いてしまった。免許を取り運転し始めてからこの方、こんなにも長い間、ハンドルを握らない日があったろうか?一瞬焦り、自分の運転に不安を覚えてしまう。とまどいつつも、体は自然にアクセルを踏み込み、正しい角度でハンドルを切って自宅を出る。出発してすぐの「止まれ」でも、きちんとブレーキをかけることができた。その後もスムーズに加速し、普段どおりに運転できていることを確かめる。なんだ、大丈夫じゃない。よくよく考えたら、もう15年以上も運転を続けているのだ。普通に歩くのと同じように、体が覚えているに違いない。よかった、よかった。当たり前に運転できるということに、ちょっぴり安心。
Nov 29, 2007
コメント(0)
夏の暑い間、飲み物を摂る一番の目的は、のどの渇きをいやすため、であることが多いと思う。実際には失われた水分を補給する、というのが正しいのだろうけど、感覚でいえば、のどが渇いたと感じたから飲み物に手を伸ばすことが、ほとんどだ。そして、さっぱりとした液体を流し込み、気分をリフレッシュする。ところが寒くなると、体を温めるために飲み物を必要とする。そうなると、食後のお茶などをのぞけば、こっくりと濃い飲み物が、恋しくてたまらなくなる。リフレッシュするというより、冷えてこわばった体を、ふっとときほぐしてやりたくなるのだ。ミルクティー、ココア、スープ・・・。そういえば勤めていたとき、残業前に缶入りのコーンスープを、やたらに飲んでいたときがあった。お腹を満たしたい、というのもあったかもしれないけれど。そして今日、久々に行ったスーパーで、思わず甘酒の素を買ってしまった。甘さでいえば、かなり濃い目の飲み物だ。おまけになんとなく、野暮ったいような甘さ。でもねぇ・・・。今日のようにお日様もなく、冷たい雨が降りしきるような日には、ただただ甘いだけのこんな飲み物が、ぴったりだと思いますよ。日本人だしね。
Nov 28, 2007
コメント(0)
犬と猫、どちらが好きか?と問われると、ちょっと迷う。実は、犬は幼児体験で怖い思いをしているため、好き嫌い以前に、反射的に身がまえてしまう。吠え癖のあるような犬などは、そんな私を敏感に察知して、余計に吠え立ててくるから、頭にくる。もちろん賢い犬のかわいらしい仕草や、瞳を見ると、一緒に暮らしたら楽しかろう、とは思うんだけどな。以前通っていた活け花の教室で飼われていた猫は、私が行くと、みゃあ、なんてかわいく鳴きながら、稽古中の私の膝にちょこんと乗っかる。こんなことをされると、つい目じりが下がってしまう。けれど、猫は実は気まぐれで、相性が合うかどうか不安でもある。なんとなく、犬に比べて自己中心的な印象があるからだ。活け花教室の猫だって、寄って来るのは大抵冬で、お年寄りいってもよい生徒さんの多い中、若干長くふくよかな腿を持つ私に、狙いを決めていたような節もあったからだ。そこを含めても、実は私は、猫の方が好きなのかもしれない。というよりそんな身勝手なところが、愛すべき部分のような気がする。・・・なんて並べ立てては見たけれど、今まで生きてきて、飼ったことのあるペットは、オカメインコが最大の大きさなのです。なんとなく、意思の疎通ははかりきれてなかったような頼りなさ。とりあえず、家の前を通る犬や猫を見て、想像を膨らますことにしよう。
Nov 27, 2007
コメント(0)
車のエンジン音というのは不思議なもので、家族の乗るエンジンの音は、なんとなく、聞き分けられる。子どもの頃、父親の帰ってくる車の音は、家から50mはなれた交差点を、曲がるところからそれとわかった。もちろん、帰宅ラッシュの車の台数が多いときは無理だったけれど、その混雑時に帰ることは、ほとんどない人だった。大抵は夕飯を終え、自分の部屋で宿題なんかを片付けているとき。いい加減大きくなってからは、勇んで玄関に出迎えることもなかったけれど、ただ、帰ってきたんだな、という意識が頭のどこかに生まれる。特別な車種ではなく、普通におじさんが乗るセダンだったんだけれど。夫が長いこと乗っていた車は、ディーゼルエンジンの、ピックアップトラック。さすがにこれはわかりやすいエンジン音で、そうスピードを出してないのに、静かな住宅街にエンジン音が響き渡っていた。そんな車を今年の2月にさよならし、新たな車はガソリンエンジンのバン。それはそれは静かなエンジン音で、自宅の駐車場に入れているときに、ようやく気がつく。そんな具合だ。けれども半年以上過ぎた頃、ぼんやりテレビを見ていたときに、静かだけれど、確実に我が家に近づいてくるエンジン音に気がついた。あ、もしかして、と思う間もなく、夫の車が帰ってきた。結局のところ、家族の車固有のエンジン音というよりも、帰るために微調整するエンジンのリズムを聞き分けている、ということだったらしい。静か過ぎる夫の車で、気がついた。なにはともあれ、一日お仕事おつかれさまでした。
Nov 26, 2007
コメント(0)
夕方になって、薄暗くなって、お腹が空くと、なんだかさみしいな。木枯らしがぴゅうぴゅう吹いたりしたら、もっとさみしいな。子どもの頃からずっと、そう思っていた。大人になった今でも、やっぱり同じだな。こんな日は、早くあったかいお夕飯でお腹を満たさないとね。さみしい気持ちを、長く抱え込むのはよくありません。
Nov 25, 2007
コメント(0)
夏みかんぼうやが、おじいちゃんとの朝の散歩からもどってきた。朝のお散歩だね、と声をかけると、「柿を取ってたの。」とお話ししてくれた。一緒にいるおじいちゃんの付け足しの説明によると、近所の農家で柿を収穫しているところに居合わせ、参加させてもらったらしい。動き回って暑くなったのか、おじいちゃんの手にはぼうやの上着があった。食べ物を収穫するというのは、子供心に興奮するところがあったのか、軽やかな足の音が聞こえそうなリズムで、私の前を通り過ぎる。といって、夏みかんぼうやから柿ぼうやに、名前を変えるわけにもいかないけれど。私に季節を教えてくれる男の子であることに、まちがいなさそうだ。
Nov 24, 2007
コメント(0)
たまに優しくしてくれる、おかあさんやおねえちゃんには、弱いのです。自分が弱虫になっているときには、とくにその優しさがこたえます。そうしてやっぱり・・・。わかってはいたけれど、私って末っ子なんだなあ。とおもって、甘えることにしてしまいます。
Nov 23, 2007
コメント(0)
ニュースで、クリスマスイルミネーションの点灯式の様子が、ひんぱんに流れるようになった。気がつくと、お隣の庭の木にも電球が仕込まれている。電飾できそうな木は、我が家にもある。おまけに電源コンセントも、外にひとつは設置してあるので、やろうと思えば仕込むことはできそうだ。けれども・・・、けちんぼ夫婦のこの家では、一度もクリスマスイルミネーションなるものは、点けられていない。だって、冬場はただでさえ光熱費がかさむではないか。と言ってしまうと、みもふたもないか。いや、実はなんとなく、きらきらとした光を家や庭にまとうことが、気恥ずかしいということもある。それよりもなによりも・・・・。数年前ある人の文章で、イルミネーションに飾られた木々を、「縛られた樹木」と表現した一言を見て、ハッとしてしまったのだ。そして、その文章を書いた人は、その姿を見るのがつらい、と記していた。結局のところ、なんとなく感じていた違和感に加えて、この一文が胸に響いて、イルミネーションの仕込みはしていない。私の中に、そこまで明確な想いがあったかどうかは、わからない。けれど、冬の冴え冴えとした月の明かりに照らされた、魅力的な樹木の姿を思い出したことは確かだ。実際、銀色の月明かりの元に立つ、我が家のアカシアはとても素適なのだし。
Nov 20, 2007
コメント(0)
姉のだんなさん、つまり私にとって義兄にあたる人は、おっとりとしているようで、ユーモアもあり、私たち一家の騒々しい中にいながら、自分のペースがあった人のように思う。独身時代、5年ほどを両親、姉達一家の2世帯住居の中で暮らしていた。私だけの部屋もあったけれど、それ以外のどこかには、大抵誰かがいたものだ。一度、そばにおにいさんのいることに気にもかけず、盛大なため息を、何度かついていたことがあった。(自分では気がついていない)すると、「ため息は、つくたびにシアワセが逃げていくぞ。」と、ニコニコしながら言ってくれた。自分にとって色々悩みも多かった時期ではあり、もしかして、姉を通じて八方ふさがりの私の事を、聞いていたのかもしれない。一瞬きょとんとしてしまったけれど、相変わらずニコニコと私を見ているおにいさんをみて、思わず、「そうだよねえ。たくさんしちゃったから、ソンしたな。」と照れ隠しに笑ってしまった。相談にのるでもなく、かと言って無視するでもなく・・・。近すぎないけど、遠すぎない、そんななぐさめ方が、なんだか嬉しかった。実家をでて、ずいぶん時間が経ってしまったけれど、大量にため息をついてしまったときなど、なんとなくこの言葉を思い出し、いけない、いけない。と口をおさえることがある。なんでもない一言だったんだけどね。私にとっては、意外な格言になりました。
Nov 19, 2007
コメント(0)
うかうかしていたら、すっかり寒くなってしまった。そう、ほんとうに過ごしやすい時期は、あっっという間に終わってしまう。昨日の朝は、エアコンを暖房に切り替えて運転。そうして、今日はいつ寒くなってもいいようにストーブを準備。よおーし、冬がどっから来ても負けないぞぉ。あっ、ホットカーペット出し忘れた!
Nov 18, 2007
コメント(0)
いただいた果物は、ラ フランス。Yさんのお宅でお取り寄せしたものを、おすそわけしてもらった。なにしろ、大きい。そしてとってもおいしそう。スーパーで売っているものは、片手で持てるものなのに、両手で支えないと取り落としてしまいそうだ。少し、調子のでなかった私にはとびっきりの差し入れ。明日の朝、早速いただくことにしました。楽しみだな。
Nov 16, 2007
コメント(0)
数年前、製菓器具・材料の専門店で、計量スプーンを買った。特にそこで買わねばならない理由は、なかったのだけど、たまたま友人と会うときに、立ち寄る先の近くに、その店があったのだ。ついでだから、と足を延ばし店内に入ってみると、それはそれはステキなお道具が、ところ狭しと並べられていた。とはいえ、あくまでついでに入ったお店で、大型の製菓器具を買うほどの勇気もなく、ほんのおしるし程度に、計量スプーンを買うことにした。それはステンレスでできていて、表面に少しつや消しの処理がほどこされ、全体的にしっかりとした厚みがあった。とにかくすんなりと手になじむ。実は、それまで計量スプーンなどなく、目分量に頼っていた。別にそれでも問題はなかったけれど、きちんと計る、というのは安心感があり、とても気に入っていた。ところが、そのスプーン達は次々と姿を消してしまい、4本あったうちの3本が、行方不明になってしまった。いまや、手元にあるのは2.5ml用の極小のものだけだ。キッチンで作業をするのは、基本的に私しかいない。思い当たるのは、調理台で処理した野菜の屑などと一緒に、生ゴミ入れに入れてしまったか・・・。でも、それはきっと勘違いで、変なところにしまっちゃったに違いない。そのうちどこかから、出てくるだろうと願っているのだけれど・・・。スプーン達はいっこうに姿をあらわさない。やっぱり犯人は私?
Nov 14, 2007
コメント(0)
ちくちくと、針を進めて雑巾を縫い上げる。布地は、古くなった顔拭き用のタオルだ。別に縫いあわせなくても、ちょっとした汚れを拭うには、事足りるのだけどね。いざというとき、パッとつかめた方がいいかな、と思って・・。細かな汚れは、もっと細かく裁った、使い捨てのぼろ布が常備してある。そういうものは、着古したTシャツの方が適していて、タオルだと切った端から、ぼろぼろと繊維が出てきてしまうのだ。きれいに拭きあげているつもりが、実はゴミを撒き散らしていた、なんてことがたびたびあり、タオルの流用はやめてしまった。大急ぎで仕立てたいのであれば、ミシンで縫う方が効率がよい。まあ、でもたまにはいいではないか。今日は暖かで、指先がかじかむこともない。小学校の家庭科を思い出して、運針の練習もしておかないとね。
Nov 13, 2007
コメント(0)
あっという間に日が暮れる時間帯、夕飯の下ごしらえをする前に、少しだけ、なにかお腹に入れたくなる。おやつ、という時間をとっくに過ぎているのは承知しているから、ココアで一息入れよう。ココアを用意した後、飲む前にシャッターを降ろすことにする。居間のカーテンを開けると、向かいの工場もちょうど仕事を終えたようで、入り口の大きなシャッターが、半分ほど降りている。その前で、従業員の誰かが木枯らしに背を向けるように立っていた。今日は、この秋一番の気温の低さだった。そんなところに立っていたら、寒いだけだ。早く閉めて、帰り支度をしたほうがいいんじゃないのか、とおせっかいな気持ちがよぎった瞬間、黒っぽい影の胸元に、ぽっ・・・、黄色の火がともり、一瞬後に赤い火がぽつん、とまぶたに残る。そうか、仕事終わりの煙草を一服つけていたのか。煙草はほんとは好きじゃない。けれど、勤めを終えた人が一息入れる光景に、煙草があっても悪くないな。少なくとも、目の前の男性(けっこう高齢)がココアを飲み始めるより、ずっと、絵になる。
Nov 12, 2007
コメント(0)
日曜の夕方、電話が鳴る。ベルが鳴ったら、受話器をとるのは大抵私なのだけど、手が離せず、夫に頼む。夫が受話器をとろうとした瞬間、ぷつり、と音が止んでしまった。その後、もう一度かかってくるかと思いきや、結局電話は鳴らずじまい。なんだろうな。とり損ねた電話って、なんだかとてもソンしたような気持ちがする。今日の夕方、我が家に電話をかけたのはどなたでしょう?
Nov 11, 2007
コメント(0)
雨の上がった朝は、鳥たちの声であふれていた。ヒヨドリ、スズメ、セキレイ、ムクドリ・・・、雲はまだ少し残っていたけれど、気分がいい。鳥たちは、ある程度の集団にまとまってあちらこちらに、姿をみせる。その中にはカラス達もいて、朝っぱらからなにやら鳴き声を交わしていた。ところで我が家の庭には、道路際の一隅に電柱が一本立っている。宅地として造成中に、どうしてもこの位置に電柱がないと、都合が悪かったらしい。こちらがうんも、すんもないうちに決まってしまったのだけれど、カラス達は、よくこの電柱で羽根を休めている。今朝も数羽の姿を確認する。でも、その中の一羽のカラスの鳴き声が、おかしい。「あー」とも「かー」ともとれる声で数回鳴いた後、「あわわわわわぁ」と鳴くのだ。まるで人間の声そのままに。一瞬聞き間違えか、と思うくらい間の抜けた発声だ。けれど、一度や二度でなく、何度も何度も、「あわわわわわぁ」を繰り返してる。声を伝えられないのが惜しいぐらい、見事、というか、間抜けな鳴きっぷりで、思わず笑ってしまうほど。そのうち、他のカラスはどこかへ飛んで行ってしまったのに、そのカラスだけは、仲間が飛んでいった方向に向かって、「あわわわわわぁ」を繰り返していた。カラスでも、笑っちゃうような愛嬌があるんだな。それにしてもあの「あわわわわわぁ」は、どんな意図があったんだろう?
Nov 10, 2007
コメント(0)
ブログを更新しようとして、テレビもラジオも消してみた。特に物音がしているわけではないのに、気持ちが集中しない。おかしいな・・・。ふと、気がついた。春の終わりか、初夏の頃からずっと続いていた家の外の物音が、ほとんどしないのだ。聞こえてくるのは、冷蔵庫のモーター音だけ。それがかえって、気持ちを散漫にさせている。おけら、かえる、こおろぎ、鈴虫・・・・。ほんとにいなくなってしまったのか、なんとなくそわそわしてしまい、思わず玄関のドアを開け、なにか音がしないか確かめてしまった。草取りで積まれた雑草の山から、こおろぎの声だけが、はかなげにころころと聞こえてきた。それ以外は、時折幹線道路を通り過ぎる車の音くらい。風情がある、ということであれば、こういうシチュエーションこそが、日本のわびさびなのだろうけど。子どものころから、秋から冬へ入っていく、表現しようのないこんな夜のさみしさが苦手だ。折り悪く雨までしとしと降ってきてしまった。真夏の頃へ戻れとは言わないけれど、もう少し過ごしやすい秋の時間は、増やせないものなのだろうか。
Nov 9, 2007
コメント(0)
いつもの市場に出かけると、入荷される野菜の顔ぶれが、ずいぶん変わったことに気がつく。みかんもおなじみの黄色になってきたし、冬野菜が増えてきた。真夏は、種類も品数も少なく、物足りない印象だった分、にぎやかな市場を見るのは楽しい。まだ少し高めだけれど(市場としては)、ブロッコリーが出回り始めた。好きなんだよねぇ、ブロッコリー。結婚したての頃、フルで勤めていた私にとっての料理の基準は、・手がかからない・満腹感がある・栄養もあるが重要なポイントだった。ブロッコリーなど、まさにこのポイントを抑えた優良野菜だ。その頃は、市場に行く余裕などなかったけれど、スーパーでだって、旬ともなれば安価に出回る野菜のひとつだ。確かに、ひんぱんに食卓に載せていたかもしれない。けれど私にとっては、基準を満たしているし、旬の食品、くらいの感覚。気に留めることもなかったのだ。ところが、ブロッコリーシーズンも、2度目を迎えた頃、夫に、「ブロッコリー、よくメニューに出てくるよね。」と言われてしまった。この頃になると、好き嫌い大王であることも承知しているので、意地悪く、これもキライな野菜なのか、でも食べてるじゃん。とからかうと、「いや・・・、食べるけど、たぶん今までの人生分のブロッコリーを、結婚してから食べたと思うんだよね。」ははははっ。これには、笑ってしまった。キライ、というほどのインパクトではなくても、またか!と思わせる野菜では、あったらしい。たまねぎやピーマンなどは、どんなに使ってもこんな感想は出てこない。そこで、こう答えてみた。今までの人生分が、この2年の分で満たされるんじゃ、足りてないってことなんだよ。と。そんなわけで、その後もシーズン中は、ばんばんメニューに入れている。幸い、食べられないほどの嫌悪感はないようなので、こちらも神経質にならずにすむ。さあ、今年で8度目のブロッコリーシーズンの始まりです。
Nov 8, 2007
コメント(2)
カラスは、攻撃的な鳥と言われているけれど、ふと目にする戦闘の様子は、それよりも前に意地悪さを感じてしまう。お向かいのミイちゃんは、子猫時代、よくカラスにつつかれていた。農家の納屋の屋根、家の前の道路、場所を選ばずカラスが急降下する。ミイちゃんも反撃をするものの、瞬間的に高いところに飛び去る。平地で悠々と飛び回るトンビを、数羽のカラスが追い回しているのを、よく見かける。カラス達は、決してトンビに一騎打ちを仕掛けない。週末、庭に出ていると、見慣れない鳥がおびえたような声を出して、家と電線をつなぐ、屋根と壁とのわずかな隙間に飛び込んできた。辺りを見回すと、電柱の上からカラスがその様子をじっとうかがっている。視線に怯えて、そこからも逃げ出す鳥は、よくよく見たら、まだ幼さの残るトンビだった。カラスは、その幼鳥のトンビに追い討ちをかける勢いで近づいていった。他にも目撃現場はいくつもあるけれど、どの攻撃態勢を見ても、ちっとも勇ましさを感じない。いつだって、弱いものいじめか、数にモノを言わせた卑怯な手口。とは思うものの・・・。カラスほど、意思を感じ取れる鳥は、他にいないという気もする。だってほら、電線からじっと自分を見下ろす視線を感じて、本能的に、ヤバイって思うことはないだろうか?下手に追い払おうものなら、こっちが攻撃されてしまいそうな・・。そもそも意地が悪いと思うのは、人間に抱く感情だ。そこまで明確な意思をカラスから感じ取れるなら、もうちょっと気持ちのよいものを、伝えてはくれないだろうか?そうしたら、他の鳥を見かけたときのように優しい気持ちになれるのに。なんて、カラス自身そんなこと望んでもいないか。
Nov 7, 2007
コメント(0)

花が咲いてうれしい植物はたくさんあるけれど、食べられる果実以外で、実が熟していい気分になれる植物は、この庭にはそうたくさんはない。引っ越してきて半年ほどたった6月くらいから、庭の植栽を始めた。縁起物も少しは植えようよ、ということになり、赤い実をつける植物をいくつか植えてみた。千両、十両などを知り合いにわけてもらい、はりきって植えたものの、新しすぎる庭は、日差しが強すぎたようで、残念ながら絶えてしまった。しばらくしてホームセンターに、ピークを過ぎた苗が安い値段で売り出されていた。その中に南天を見つけてしまったのだ。実はついてなくて、丈も数十センチという小ささだ。売る側としては、あの赤い実がついてないと商品価値がないのだろうけど、こちらとしては、苗が丈夫でさえあればなんの問題もない。今度こそと、迷わず購入した(なにしろ安いし)。枯れることもなく、すくすくと大きくなったものの・・・・。1~2年たってもなかなか実を付けない。よく考えたら、花を咲かしていたかどうかも記憶にない。いつになったら実をつけるのかと思っていたら、今年はまず、濃いクリーム色の花が、密集して咲いているのを見ることができた。これは、今年こそは・・・、と目論んでいたら、ついに!4年、待った甲斐がありました。うん、やっぱりいいですね。居間からもちらりと目に入るし、他の部分が色づいてきたら、道行く人にも楽しんでもらえるだろう。赤い実だから縁起物というより、南天は名前に由来すると言った方がいいかもしれない。何しろ、難を転じて・・・、なのだから。庭に集まる鳥達には、格好の食料かもしれないけれど、うーん。お正月までは待ってくれないだろうか?
Nov 6, 2007
コメント(0)
思うようなデザインに仕上がらない。うまいことできても、ステンレスの棒から外れない。でき上がって、しめしめと持ち帰ったら翌日真っ二つに割れる。そんな無茶な過程を経て、どうにかとんぼ玉の作品展へ出品することができた。紐に通したり、編み込んだり、身に付けるものから、とんぼ玉そのものなどなど・・・、なんだかんだで10数点。ディスプレイすると、我ながらなんとなく楽しい気持ちに浸ってしまう。けれど、そこに至るまでに犠牲になったいくつものガラスのかけらが、まぶたから消えることはないようだ。期間中、遠いところから足を運んでくださった方々、どうもありがとうございました。まだまだ入り口に、足を踏み入れたところですが、これからも精進を重ねて行きます。作品展のディスプレイの様子は、またページを設け、後日、この場で報告する予定です。
Nov 5, 2007
コメント(0)
壊れかけの目覚まし時計、応急処置ではなおらなかった。ひと月もしないうちに同じ症状が発生したのだ。やっぱりそんな単純じゃないよなあ、と、当の夫も承知のあきらめ顔。そんなに思い入れがあるわけではないし、特別にこだわりのあるデザインでもない。ありふれたメーカーの、ホームセンターで買える程度の代物だ。それでもやっぱり、電池を入れさえすれば正確に時を刻み続けるものを、お払い箱にしてしまうことにためらいがある。新しい目覚まし時計を買うよ、と言いつつ重い腰が上がらない。本当にあの時計を使いたいのか?と夫に問われても、う~ん、そんなにこだわってるわけでもないけど・・・。と煮え切れない返事をしていた。分解好きの夫の気持ちに火がついたらしい。電気部品の専門店に出かけ、汎用のスイッチを手に入れてきた。二階でごちょごちょと、目覚まし時計をいじりだす。数十分後、少しだけ得意そうに、私に目覚まし時計を差し出す。今度はとりあえずの処置ではないらしい。なにしろ得意そうに差し出すくらいなのだから。よーし、今度こそ10年先まで使わなくちゃね。ちなみに取り替えたスイッチの値段は、¥68だったらしい。・・・買い換えたとしたら、とうていこれでは済まされない。長持ちって、経済的なのね。
Nov 4, 2007
コメント(2)
明け方、まだ日の昇らない時刻に目が覚めた。一瞬、朝なのか夜中なのかがわからない。ぼんやりと目をあけたまま天井を見ていると、ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッと、聞き慣れない鳴き声が耳に入り込んでくる。鳥なのか、虫なのか・・・、集中して聞き取るほどの意識は働かず、再び眠りに落ちた。次に目が覚めると、辺りはすっかり明るくなり、いつもの起床時刻を過ぎていた。あぁ、今日は休日だからいいんだ、もう少し寝ていても・・、と回らない頭で、わずかな思考を巡らせていると、ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッ再びあの声が聞こえてきた。今度こそ、意識を集中させるところまでたどり着き、虫ではないことを確信する。声は確実に頭の上から、聞こえてきている。鳥であることは明らかだけれど、全く聞き覚えがない。考えているうちに目が冴えてきて、そのままおきることにした。日が高くなり庭に出ていると、もう一度またもや、ヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒッと声がする。思わずその方向に顔を向け、正体を捉えようと目を凝らす。いた。電線に止まっている姿はオレンジ色の胸に黒灰色の羽。姿を認めて、ジョウビタキであると確信したけれど、鳴き声に自信が持てない。というより、この鳥が鳴くところを見たことがなかったのだ。とりあえず、眠りをじゃました犯人は、突き止めたからよしとしよう。図鑑で確認したところ、ジョウビタキで間違いないことが判明。鳴き声も、全く耳にしたとおりのものだった。冬になると、人家の辺りに姿をあらわす野鳥。そうか、本当に季節が変わっているのだな。ねじまき鳥クロニクル/村上春樹
Nov 3, 2007
コメント(0)
験をかつぐ、というのは案外悪いものではない。3度目の虹は、幸運を運んでくれるしるしだった。と考えた方が、心が弾む。妄信してしまうと、ちょっと神がかり的になってしまうけど、験をかつぐというのは、お気楽なおまじないのようなものだ。そういえば、前回のサッカーワールドカップで、オーストラリア戦を前に、日本の勝利を願う験かつぎに、オージービーフを食べたっけ。負けちゃったけどさ。それでもやっぱり・・・あの日の虹は、良いことのおきる前兆だった、と思うことにしよう。
Nov 2, 2007
コメント(2)
寒いと感じて、自分の周りの空間をなるべく小さくしようとするのは、動物でいうところの、冬ごもり、ということだろうか。手っ取り早いところで、家の窓。過ごしやすい気温であれば、可能な限り解放して外気を取り入れる。多少にぎやかでも、外の世界に触れることが苦にならない。それがひやりとするようになると、ぴっちりと窓を閉めて外の世界を遮断する。そうする方が、快適に過ごせるから。辺りが薄暗くなれば、雨戸を閉め、隣の部屋との引き戸を閉め、廊下へのドアを閉める。今いる部屋をきっちりと独立させ、自分の居心地がいいようにしつらえる。このまま季節が進めば、ホットカーペットが登場し、ストーブに火がともる。何もない野原で、吹きさらしのまま冬眠する熊なんて、熊なんて聞いたこともない。やっぱり暖かな巣穴にもぐりむんで、眠りをむさぼるのが正しいスタイルだ。人間もそろそろ冬ごもりの準備をする季節になってきました。けれども人間ですので、眠りをむさぼるだけ、というわけにはいかないか。
Nov 1, 2007
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1