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学生の頃、上京してじきにホームシックにかかってしまった。一人暮らしの開放感で、前向きな気持ちが強かったせいか、毎日めそめそ、ということはなかったけれど・・・。下宿での生活が2日目のこと。その日は昼間、買物に出かけて道に迷った。おまけに生活用品を買い込みすぎて、ウデがちぎれるんじゃないか、くらいの情けなさで部屋に戻った。その時点では、まだなんとか持ちこたえていたのだ。ところが夕飯時、初めて一人用の電気釜で炊き上げたご飯を口にした瞬間に、ぽろぽろぽろっ・・・。涙がこぼれた。おいしくない・・・。実家の水道は、そのころまだ地下水を汲みあげていて、蛇口をひねればおいしい水がいくらでも飲めた。それが当たり前だったのだ。東京の水が口に合わないことはわかっていて、お茶用の水は、汲み置きしていたのだけれど・・・。まさか、炊飯にまで気を使わねばならないとは、思いもよらなかったのだ。噛むごとにカルキ臭が鼻につき、昼間の疲れがどっと全身を駆け巡った。漫画のようだけれど、まずいようまずいようとつぶやきながら、涙を流し続けた。そうして、泣いてる自分が、部屋に一人きりでいることを思い知らされた。そのあとのことはあまり覚えてないけれど、実際に学校が始まってしまうと、そんなことに気をとられている場合ではなかったのだろう。まずは、毎日の生活をきちんと営むことと、(いえまあ、後半はそんな立派なものじゃなかったですが)学校でのあれやこれやをこなしていくことに、気持ちが移っていったのだと思う。つい最近、夫と話していて、このときのことが話題に出た。さすがに今では、笑い話になってしまうようなエピソードだ。それでも話しているうち、ほんのちょっとだけ熱いものがこみ上げてきた。ありきたりだけれど、若かったんだなあ・・・。そんなことが、泣けるほどつらいと感じてしまうなんて。
Jul 31, 2007
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隣の隣にある公会堂から鳴り響く、ラジオ体操の始まりの音楽ふりそそぐように、木々の上から聞こえてくる蝉の声なかなか暮れない夕方の、幼いこどもらのはしゃぐ声近所の若者達がふざけて上げる、ロケット花火の音一晩中響き渡る蛙の鳴き声ここしばらくは、夏真っ盛りであることを、耳から感じ取る日々が続きます。
Jul 30, 2007
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夕方から出かけ、庭への水遣りを暗くなってから始める。相変わらずツキミソウ、マツヨイグサが咲き乱れる夜の庭は、なんとなく魔法がかかったかのような別の顔。今晩は、空の月もほぼまん丸で、まさにマツヨイグサのような黄色で地上を、照らしている。幻想的に見える真夏の夜の庭で、現実的に気をつけねばならないことがある。かえるちゃん・・・。大小合わせて、右へ左へ飛び交っている。いちいち驚いていたらキリがない上に、声を出そうものなら、近所迷惑になることは間違いない。必ず、必ず!足を踏みだす前に、ホースで水を撒きまくること!彼らの場所を確認することが肝心です。夕方からのお出かけの理由は、夫の母の還暦祝いのため。私とは、干支でいうところの2回り違うことになる。決して短くはない60年目を、元気に迎えられてなによりのこと。小柄だけれど、パワフルに行動する彼女には頭が下がります。なにはともあれ、よき祝いの日となりました。トルコキキョウ、アスター、バラ、スモークグラス、ワイヤープランツ、さらしみつまた
Jul 29, 2007
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庭を育てていくときに、何か果物の樹が欲しいと夫からのリクエストがあった。とはいえ、かんきつ類は手もかかりそう・・・、りんごはこの地の気候では、暖かすぎるだろうし・・・。どちらも樹が大きくなりそうだし。迷ったあげく、ブルーベリーを植えることにした。コレならば枝が細くて扱いやすいだろうし、たくさん採れたら、ぱくぱく食べられて楽しそう。以後数年来、さまざまな紆余曲折を経て(ちょっとオーバーか)ようやく今年、収穫といってもいいかしら?といえるくらいの量を、食べることができました。でも、ほんとにちょっぴりなんですけどね。ヨーグルトにトッピングしていただきました。今年から、地に下ろしての栽培に切り替えた。来年は、もっとたくさん採れるといいな。
Jul 28, 2007
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真夜中に眼が覚めた。窓の外を見ると、赤くにごった月が、南西の空に低くひっかかっている。昼間の暑さをなんとかしのいでも、夕飯を作り終えるとさすがに暑さに耐え切れず、エアコンのお世話になる日が始まった日の夜のこと。外気温が下がらないまま真夜中になってしまったことが、容易に感じ取れるような月の色だった。そして今朝、朝の新鮮な空気を、部屋に取り込もうと窓を開け放つと、かすかではあるけれど、空気がすでに熱気を含んでいることに気がついてしまう。昨日の昼間から一度も気温が下がらぬまま、という気がしてしまう。あぁ、遅れたとはいえ、今年も夏の暑さが体にこたえることは間違いなさそう・・・。
Jul 27, 2007
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にがうり・・・。夏になると恋しくなる。実家では、父だけがこの味を好み、苦味に弱い母は勘で味付けをしていた。その味付けは味噌味が基本。おかずというより酒のつまみに近いもの。父だけが食べるそれが、うらやましかったけれど、子どもの頃は手を出すたびに、後悔していた。ところが年齢的にオトナになる頃からは、その苦味がうまい、と思う舌に変身したようだ。沖縄ブームでゴーヤーと呼ばれることが多いけれど、これも夫にはNG食材。まあわかるけど・・・・。あの苦味は、好みがはっきり分かれるところだろう。先日、友人がわざわざ大きなゴーヤーを届けてくれた。やったね、初物!いつものように昼食に自分だけで、炒めて食べた。そう、いわゆるゴーヤーチャンプルー。その日は、本場の材料と少しかえて、ゴーヤー、たまご、ツナ缶でいただきまーす!あんまりおいしかったので、翌日の夕飯にも同じものを作って食卓に出してみた。おぉ、なんと、少しだけれど箸をつけている。感想を聞くと、「あんまり苦くないから、ちょっとなら食べられる…。」のだそうだ。苦くないからかあ。コドモだなあ。まあ、食べてくれたからよしとするか。ごちそうさまでした。
Jul 26, 2007
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思うようにことが進まなくて、立ち止まったり、振り返ったり。なのに、カレンダーを見ると確実に日付が過去へと送られていく。毎日、鏡を見て歯を磨き、顔を整え、髪を梳く。とりたてて、前の日と変わったとも思わずにきたその風貌も、通りすがりのガラス戸に、歳を重ねてきたことが意地悪く写しだされてしまう。二十歳前後の頃、なにかに焦り、早く歳をとって落ち着いたオトナになりたい。と願っていた。なんて、無謀な思いだったんだろう。そんなこと願わなくても、時間なんて確実に流れていくものなのに。あれからずいぶん時が経ってしまったけれど、落ち着いたオトナになれた実感はまるでない。ただ、ただ、過ぎてしまった時間の膨大さと、今も確実に過ぎていく毎日に、右往左往するばかり。得した日も、損した日もあっていいけれど、無為に過ごしたと、後悔する日を持つことはせめてありませんように。
Jul 25, 2007
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主人の実家で取れたプラムを、一月ほど前にいただいた。二人ではとても食べきれないほど・・。毎朝一人2個づつ食べていたけれど、ざるに盛られた状態で、いつまでたっても底が見えない。熟してくると甘みは強くなるけれど、このペースでは傷んでしまう。と判断して、ジャム、というかピューレ状にして瓶におさめておいた。数日前から続く暑さのなか、今日はさすがに冷たいデザートが恋しくなり、そのピューレを使って、ミルク&プラムの2色かんをこしらえてみました。寒天で作るか、ゼラチンで作るか迷うところだけど、ゼリーのとろとろ感より、さっくり歯ごたえを楽しむことにした。果物は、保存するときかなり砂糖を使うけれど、プラムの場合、甘くしてもどこかに酸味が残る気がする。そこがまた、プラムらしくていいのだけれど。ミルクの甘さと一緒にどうぞ。今晩のデザートです。
Jul 24, 2007
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先週のこと、牛乳宅配のサンプル訪問を、つい受けてしまい、玄関先にまで顔を出す展開になってしまった。そのとき、販売員のお姉さん(おばさん?)が「ここ、ニオイすごいですね!溶接のニオイですか?!」と、しきりに口にしていた。確かに日によって、機械油のような独特なにおいはするけれど、実は、私はほとんど気にしたことはない。塗装工場のそばの方が、もっと強烈だろうな、くらいの感覚。秋の終わりごろ、たまたま我が家によった姉が、「なにココ!どっかでわらかなんか燃やしてるの?!すごく煙たいよ!」と言っていた。確かに近所の農家でなにか燃やしていたのは、知っている。けれど、こちらもいわゆる鼻につくほどではなかったのだ。稲わらを燃やすにおいなど、今住んでる場所とそう変わらない実家で、姉だって同じようにかいでいたはずなのに、昔からそのにおいがダメだった。私に比べて、のどを痛めることの多かった彼女にとっては、実際にダメなのは、煙の方だったのだけれど・・・。でもきっと、においだけで煙までも吸い込んでしまった感覚に、おそわれてしまうのかもしれない。そう考えると販売員さんも、敏感に機械油を嗅ぎ取る何かが、過去にあったのかもしれない。・・・いろいろ想像してしまいまった。牛乳?えーとサンプルはありがたくいただきましたが、注文はしませんでした。ごめんね、販売員さんがんばってくれたのに。
Jul 23, 2007
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久しぶりに晴れ上がった午前中、お隣の三兄弟の会話が聞こえてきた。「ほら、ほら!そこにもあそこにもいるよ!イモガエル!」3人が庭で遊ぶのに、どうやらカエルがぴょんぴょん跳ねているのが、気になって仕方ないらしい。田んぼが近いせいか、我が家の庭にも小指の先ほどの小さなカエルがやたらにいる。それにしてもイモガエル?長年この近辺で過ごしてきたけど、イモガエルは聞いたことがない。子どものことだから、勝手に名づけたんだろう。くらいに思っていた。夕方、またもや庭ではしゃぐ子ども達、「また!またいるよ!イボガエル!」あー・・・、イボガエル、ね・・・。はい、納得しました。といって、イボガエルという名前が、正しいのかは実はよくわからない。今庭にいるカエルたちは、おたまじゃくしからの変貌をとげたばかりで、土っぽい色をしており、背中にも斑点模様が見てとれる。たぶん、その姿からの呼び名だろうと合点がいった。実際、自分が子どもの頃も、そういう姿のものをイボガエルと読んでいた記憶がある。このあと、成長してアマガエルになるのかヒキガエルになるのか・・・。少なくとも、イモガエルにならないことだけは確実ですね。
Jul 22, 2007
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夕方、眼鏡を買い換えるために、出かけた。起きた直後と寝る前は、眼鏡。外に出かけるときは、コンタクトレンズを装着する生活で、裸眼で過ごすことは、私にとって生活を放棄するに等しい行為だ。つまり、それほど眼が悪いということ。当然眼の調子が悪ければ、外出時も眼鏡を使う。ちなみに外出するときと、自宅にいるときはちがう眼鏡。今回買い換えたのは、外出用のほう。すぐにずり落ちるようになり、夜の運転には若干不安を覚えるようになってしまったから。新しい眼鏡は薄紫で、透明なセルフレーム。以前のものより細身のレンズで、ちょっぴり、おすましな雰囲気。うれしいな。残念ながら、左眼の近視が更に進み、若干度数を上げることになってしまった。それにしても、眼鏡、安く早く手に入るようになったんですねえ・・・。おまけに私ほどの目の悪さでも、牛乳瓶の底と形容されるような厚さにならずに、あつらえることができる。ところで、以前使っていた外出用眼鏡、今日眼鏡屋さんでつるのところを締めてもらったら、意外にもずり落ちなくなってしまった。うーん・・・。これはこれで、運転しないときに使えばいいか。
Jul 21, 2007
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増えすぎてしまったローズマリーを刈り取って、リースに仕立てる。そのまま玄関に飾り、乾燥したところを細かく刻んで、ストックしておく予定。以前、ここでも書いたように染材として確保するための作業だ。リースにするのは、手間のかかることのように思うけれど、香りも楽しめるし、たまには玄関のアクセントにもいいでしょう。大急ぎで作ったから、ちょっと鳥の巣っぽいのだけれど・・・。私にとって草木染めは、家事の合間にやれてしまう程度の気軽さで、身の回りの植物にお世話になりながら楽しめるもの、として位置づけている。実際に試してみようと思ったのも、テレビの教養番組で手軽さを紹介していた、というのがきっかけだ。そのあと、買ったり、借りたりした資料も台所でできるレベルのものが中心だった。でも、そのあと色々な書籍を見ていくにつれ、その奥深さと崇高さにかなり衝撃をうけた。染色家として活躍される方の文章からは、色を求めるという行為に、全人生をかけるほどの気迫が感じられるのだ。かといって、そこには植物を組み伏して、色を絞り取るような傲慢さはなく、祈りを込めて自然に引き出すような、あくまで謙虚な姿勢がうかがえる。そういうものを読んで、自分の手軽さがちょっと後ろめたいような気持ちにまでさせられてしまった。もちろん自分の場合は、これでプロを目指すというものでは全くないのだけど。草木染を楽しむという行為の中に、謙虚さを加えることも大切かもしれない。一色一生/志村ふくみ
Jul 20, 2007
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7月にしては涼しい日が続き、ほんとうにサボりがちだったウォーキングを、週明けからかなり熱を入れて再開。といっても、きちんと運動する体力を持たないまま大人になってしまった私は、ウォーキングですら慎重にやり始めることが大事。いきなり激しく、たくさんやるのはタブーなのです。足首を痛めてしまい、せっかくやる気があっても長続きしなくなるのがオチだから。(ちょっと年寄りみたいだなあ)ここ何年かは、そんなに間を空けることなく続けていたものが、今回は、珍しく一ヶ月以上サボってしまった。用事が続いたことと、天候の悪さが重なったとはいえ、あんまり怠けすぎ。意識して歩いてみると、実はそのときの体調がはっきりとわかってしまう。調子が悪いと、いつもと同じ距離を歩いても急激にだるくなったり、何でもないところで、足がつっかかってしまったり。逆にそんなときは、無理をしないですぐに引き返すようにしている。今週は、久しぶりに歩いてみて調子のよいことが確認できた。足もきちんと上がっているし、いいペースで歩けている。よかった。運動音痴な私でも、当たり前だけれど歩くことはできる。長く長く歩いていける体力ぐらいは、これから先もきちんと持っていたい。
Jul 19, 2007
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会社勤めをしていた頃、その職場環境もあり、早い段階でインターネットを利用していた。だからメールのデビューは、パソコンから。けれど携帯電話を携帯するようになったのはかなり遅く、その使用頻度からいまだに、プリペイド式のものを愛用している。つまり携帯でメールをやり取りすることは、かなり限られた人しかいない。おまけに携帯電話の機能が極端に少なく、今世の中に出回る携帯電話用語は、相変わらずチンプンカンプンなまんまである。いや、もちろん色々できることは知っている。携帯電話という手のひらサイズの機械に、いろいろな機能を詰め込める技術力は、高いものと評価していいものなのだろう。でも、もはや通信機器としての存在を超えてしまったそれは、携帯しなくていいものまで、しょわされているように私には見えてしまう。大体私には、電話をしながら歩くだけでも、違和感を感じてしまうような人種なのだから。・・・プリペイド式、なくならないといいのだけれど。イン・ザ・プール/奥田英朗
Jul 18, 2007
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母に聞きたいことがあり、実家に寄る。中学の頃、アイドルが着ていたカーディガンのデザインが気にってしまい、母に同じようなものを編んでもらったことがある。機械編みで作ってもらったそれは、実はこの春先までずっと愛用していた。さすがに汚れも目立ち、度重なる洗濯により、袖も着丈もつんつるてん・・・。それでも、自分の手で捨てることができないような感情にとらわれてしまい、とりあえず、ほどいて毛糸玉の状態にしようと思いついた。ほんとうのところ、私は編み物ができない。だから、きれいにほどいていく知識が全くないのだ。実家に寄ったのは、母にその手ほどきを受けるため。もう20年も前に編んだものなのに、そのときの手順を母はよく覚えていた。袖、身ごろ・・・、まずはパーツごとに分解するところからのスタート。ほどくのも一瞬でできるわけでない。機械編みとはいえ、1枚を編み上げた母には頭が下がる。毛糸玉にしてしまったら、とりあえず草木染をしようと思っている。その先は・・・、どうしよう・・・。実家への用事は、もうひとつ。姉のバースデイだったので、気持ちだけ。夏の花を贈りました。アスター、ナデシコ、アカシアちなみに姉も編み物上手。最初の子どもが生まれたとき、彼女はモチーフ編みをつなげて、かわいいひよこの上掛けを編み上げました。なぜか、私だけが編み物ができないまま、いい歳になってしまったなあ。
Jul 17, 2007
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久しぶりに東の川を越えて、灯台のある海岸までドライブ。台風の後、当然のことながら海岸にはさまざまなものが打ち上げられ、見渡す海原では、にごった海水を巻き上げ、おおきな波頭があちこちで荒れ狂っていた。波の音は、それでもやはり心地よく耳に響いてくる。海にそう遠くない場所に住んでいるとはいえ、いつもこの音が聞けるわけではない。でもきっと、母なる海という表現があるくらいだから、誰にでも記憶に刷り込まれた音なのかもしれない。ただ一度だけ、海から聞こえる波の音は、落ち着かない。胸の中をかき乱されるようで。といった人がいた。それよりむしろ、川のせせらぎを聞いていたい、と。その人の住んでいる街は、たしか山が近く、海への道のりはかなり遠かったと記憶している。どちらにしても、水の音には変わりないけれど。
Jul 16, 2007
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例の激安スーパーで、先週無料配布されていたモノ。なんでしょう?そして開くと・・・。じゃーん!このところスーパーや新聞店で、色々と粗品をもらったけれど、どれもイマイチパッとしない中、これはかなりのすぐれもの。つばが広いだけでなく、かぶった内部も広いつくりになっていて、髪の毛を束ねても、邪魔にならずにおさまる。なにしろ、久々のあご紐つき帽子。今日のように台風一過の強風の中でも、飛ばされる心配がない。そうして日差しは、ばっちりさえぎられるわけです。本当なら、今日は知り合いの方が出るガーデンコンサートがあり、楽しみにしていたのだ。それが、台風のせいで中止となり、晴れても行わないことが決定してしまった。なんとなくすっきりしないまま、切れ切れの青空を眺めていたら、強風で倒されてしまった植物が眼に入る。夕方涼しくなってからでもいいか、と見てみぬフリをしたけれど、どうやら、夫の方が気が気ではないらしい。ちぇ、仕方ない、やるか。と重い腰をあげる。でも・・・、コレをかぶって庭仕事をしていたら、なんだか楽しくなってしまった。ちょっとダサくて、でもかわいいでしょ?
Jul 15, 2007
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2年ほど前、改装のために取り壊されていたスーパーが数ヶ月前に復活した。もともと、金、土、日の3日間だけの営業で、強烈な安さが売りだった。再開したら、毎日の営業に変わってしまい、ほんのちょっと前よりも割高感がある。それでも、他のところよりもかなり安い品物も健在で、時々のぞくことにした。つい、足を止めてしまうのは、魚売り場。切り身ではなく、丸ごとの魚が売られていることが多く、その豊富さに驚く。ただし、我が家の場合2人家族のため、調子に乗って買いだめするのは、タブーである。だから・・・、足が止まっちゃうんです。わー、お刺身安いけど、今日中だよね・・・、うーん、こっちのカマスおいしそう、いつまで持つかなあ・・・。そう、魚はちゃちゃっと食べないと、日持ちもしないし、味もがくんと落ちてしまうから。焼き魚なんて、焼きたてを食べないともったいない、と思えば、夫の帰る時間にも左右されてしまうし。すごく、悩む・・・。それにしても、食べたい、と思ったものを選ぶのに迷うなんて、贅沢な生活だ、と買い込んだ品物を冷蔵庫に入れながら思う。明日は、そのスーパーで安く手に入れたえびを使って、エビチリでーす。
Jul 14, 2007
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午後、近所のドラッグストアに歩いて出かけようとしたけれど、準備が終わり出かける段になって、雨足が強くなってしまった。もう少し小降りになったら・・・、と思いソファで外を眺めているうち、裏庭の物置に落ちる雨粒のリズムに合わせて寝てしまった。パタン、パタン、パタン・・・。ちょうど一秒感覚で音がしていたから。結局目覚めたあとも雨は降り続き、おまけに薄暗く辛気くさい。ちょっとの距離なのに、車で出かけてしまった。何かを吹き飛ばしたくて、カーステレオがんがんにかけながら。このままでは、本当に運動不足になってしまいそう。いろんな意味で、パッとした青空が恋しくなってきた。Universal/Nate James
Jul 13, 2007
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昨日のこと。なんだか気分がパッとせず、買物に出かけるのをためらってしまった。雨も降ってるし・・・、まあ、食材はなんとか間に合うからいいかあ。ちょっぴり投げやりな気分。それでも夕方少し日が射してきて、気晴らしに庭にでて花ガラを摘んでみる。すると、斜向かいの畑のおばさんが、ぴゅーっと自転車でやってきておしゃべり。この方とてもパワフルで、こちらの様子などお構いなしでしゃべり通しなんです。なにしろ、愛用の自転車が電動アシスト付きで、本当にどこまでもそれで行ってしまうそうだ。お歳は70歳をすぎているらしいのだけれど・・・。話が一区切りしたところでおばさんは畑に、私は部屋へともどろうとしたところ、まだ!家ン中入らないでよ!と、そして、無農薬だから!を連発して、私の両手に次々と畑の野菜を載せていく。あのあのあのぅ・・・。ことわる暇など与えぬ早業だ。結局、買物に行かずして、インゲン豆、きゅうり、ピーマン、しその葉が手に入ってしまった。恐るべしおばさんパワー・・・・。でも、こういうのキライじゃないなあ。おばさん、ごちそうさまでした♪
Jul 12, 2007
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母がよく、一人で生きられる、くらいの気持ちがどこかにあった方が、ないよりいい。と言っていた。おそらく、一人でも行動できるようにしなさいよ。ということなんだろう。それは確かにそうで、最終的に自分の行動を決めるのは他の誰でもない自分。(それにしても、もう少しこどもにわかる言葉で話してほしかったなあ。)それでも・・・、沈んだ気分でいるときに、やさしい言葉をかけてくれる人がいる、というのは救われる。自分が前を向いて歩いていくために、そんなきっかけを与えてくれる人たちが、いないより、いてくれた方がいい。・・・というよりもいてくれてありがとう。
Jul 11, 2007
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ぐずぐずと明けない梅雨空のもと、一足早く夏の花が咲き始めた。我が家の庭には珍しく、真っ赤な小花のルコウソウ。こどもに、赤いお星さまを描いてごらんといったら、まさしくこの花の形、と思わせるようなかわいらしい姿。しべの部分がぽちん、と白いのも好き。ここへきた最初の夏、ご近所の庭先にあったこの花がほしくてしょうがなかった。願いが通じたのか次の年、風に飛ばされた種が庭にやってきて、根を下ろしたらしい。(いえいえそんな、取ってきたりはしてないですよ。ホントに。)そうして、黄色といえばこの庭の定番。たぶん、ここの黄色の中では一番やさしい色合いではないでしょうか。ハマボウは、日本固有の野性ハイビスカス。数年前、この地域で行われた大規模な花のイベントの会場で、無料配布されていた。本来は水辺の植物ということで、この庭に根付くか不安だったけれど、そこは野性の強さ。難なく落ち着いてしまった。秋になると葉っぱはオレンジ色に紅葉し、季節の移ろいが楽しみな草花の一つ。どちらもタダな上に、手間がほとんどかからない。なんちゃってガーデーナーである私の、お気に入りの子達です。
Jul 10, 2007
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このところサボりがちだったウォーキングに、久しぶりに出かける。暑さが増してきたせいか、近所のおばあちゃん達のいう、散歩、に近い速度。今日のウォーキングには、実はちょっとした目的がある。この時期しか見られない光景を見るためだ。蓮のつぼみ本当は、朝の日差しが強くなる前に出かけていくのがベスト。なぜなら、この花が美しく咲き誇る時間は、そこしかないから。でも、朝はなかなかに慌ただしく過ぎてしまい、気がつくと日は高くなってしまう。蓮の花が咲くとき、音がする、なんてことがよく言われるけど、本当だろうか?私のイメージでは、音もなくふわりとほどけていく方が、しっくりくるのだけど。この蓮田、実はレンコンを収穫するためのもので観賞用ではない。本当に住宅街の隙間に、こっそりとあるのです。そうして秋になると、1、2日間の短い間だけレンコンの販売をする。今年は、ちょっと覗いてみようかな。
Jul 9, 2007
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天気が変わるとき、前触れとして風向きも変わる。それを感じるのは、音だったり、においだったり・・・。家を取り巻く環境が、それを知らせてくれるのだ。家の前は小さな町工場で、毎日忙しげに皆さん働いている。(えーと、お世辞にも立派な構えとは言えないのですが)いつもは鳴らない鉄の扉が、キィー、キィーと寂しげに鳴る。あぁ、風向きが変わったと最初に気がつく瞬間だ。すると、外からの空気の中に、炒めたにんにくのにおいが混じっているのを感じる。これは、ちょっと情緒にかけるのだけど仕方がない。なぜなら、我が家の東側100mのところにお気楽なイタリアンレストランがあるから。そうして遠くから、かすかに電車のがたごとという音が聞こえてくる。結婚する前は線路の東側にいたから、いつも聞いていた音だ。都会の電車と違って速度も遅いし、6分に1本というのんびりした間隔。子守唄ではないけど、聞こえてくるとちょっとほっとする。ところで風向きが変わる前、つまり普段の西から吹く風のとき、どんな音が聞こえているのだろう。不思議なことに元の風向きにもどったときは、なにかに気がつく、ということはないみたいだ。
Jul 8, 2007
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夫が休日の朝、用事がなければ当然いつもより遅く起きる。それでも体は正直なもので、よっぽど夜更かししなければ、いつも目覚ましがなる時間にいちど目が覚めてしまう。そうして、休みであることをちょっぴりシアワセに思い、再び眠りにつく。でも、こうして二度寝したときは、たいてい妙な夢を見てしまう。今朝は、中学校の授業に、勤めていた会社の取締役が教師として登場してきた。その時点ですでにめちゃくちゃ。なのに、それを当たり前として受け入れているのだ。それでも夢の物語が進むにつれ、じわじわと違和感が広がって目が覚める。あぁ、よかった。夢で・・。(当たり前だ)そういえば会社勤めの頃、仕事に関する夢はほとんど見なかった。そのかわり、仕事がうまくいっていない時に見る夢は決まっていた。なぜかいつでも自分が学生で、体操服や水着を忘れて右往左往する、というもの。教科書を忘れる夢もあったけど、それは違うクラスの子に借りることができて、あぁ、よかった、という結末になる。ここでポイントなのは、右往左往してうなされるのは「体操服か水着」というところ。運動が苦手な私は、体育という教科にかなり劣等感があったのだろう。きっとそれがトラウマになって・・・・。なんて、心理学には疎いので、うまく分析できません。どちらにしろ、早く起きて活動しろ、と体が訴えているんだろうけど。
Jul 7, 2007
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珍しく日のあるうちに帰ってきた夫が、言っていた。家の近くの曲がり角で近所の女子中学生が、おしゃべりに夢中。人数も多く、車が曲がれない。クラクションを鳴らすのもなんとなく気がひけてしまい、ごめんね~、通してね~。と窓を開けながら声をかけて通してもらったのだそうだ。おしゃべりに夢中になるのは、女の子の特権ですよ。つい最近、中学時代の同級生とランチに行った。(彼女は、2年生のときのクラスメートで、3人のママである友人とは、違う子)彼女のお勤めの都合で年に数回会うくらいだけれど、会えばおしゃべりに花が咲く。当たり前です、女の子ですから。中学校からの下校途中、やっぱり彼女とのおしゃべりが止まらなくなり、私の自宅から50 mほど離れた電柱の下で、薄暗くなるまでよく立ち話をしていた。家の方角は、学校を基準にそれぞれ北東と北西。彼女にしたら結構な遠回りだったはずだし、私の家が目の前にあるのだから、寄っていってもらえばよかったと思うけれど、別れを惜しんでのおしゃべりが、なんだか楽しかったのだ。卒業して20年過ぎているのに、こんな風に会って話し込むようになると、セーラー服で学校指定のナップザックをしょった私達が、まだあの電柱の下で、夢中でおしゃべりしているような気がしてしまう。クラクション鳴らさずに通ってきてくれてありがとうね。
Jul 6, 2007
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午前中の早いタイミングで、蝉の声を聞く。ついにきてしまったか・・・、と、ついうっとおしく感じてしまう。どうしても、炎天下の中あえぎながら歩いている状態を連想してしまうのだ。もしくは、部屋の中でじっとしていても滴り落ちる汗だとか。蝉から連想されるイメージは、そんなものばかり。蛙と同じように幼い頃から聞きなれている声なのに、どうしてこうも印象が異なるのか。水辺の生き物と、太陽の下に生きる生き物との違い?7年も地中にたうえに、一週間しか生きられらない。そんな彼らのせっかくの初鳴きに対して、マイナスのイメージばかりでは、申し訳ないとは思うけど。季節も過ぎて、ツクツクホーシの鳴き声に変わってしまうと、とたんに寂しくあわれな気持ちがもたげてくる。勝手な私の、勝手なイメージ。蝉さん、気にせずに力いっぱい鳴いてね。
Jul 5, 2007
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時々薄日が射すような曇り空、蒸し暑いうえに空気が重い。重たいジーンズと、七分の袖では肌にぺったりと貼りつくよう。ちょっと迷ったけれど、薄手の半そでブラウス、スカート、裸足にサンダル、といういでたちで買物に出かける。念のため、カーディガンは持参。自宅を出て店に着くまでは、この格好で大正解だったのだ。手芸店と雑貨屋に寄ったときは、カーディガンを持参した自分に拍手。スーパーに入った瞬間、寒い、寒い、寒い、寒いーーーーっ!生地に全く覆われていないふくらはぎより下が、冷え切って痛いくらいの感覚だ。大慌てで必要な品物を買い込み、逃げるようにスーパーの外に出る。・・・・ダメなんでしょうか・・・私には。いつもスニーカーにジーンズなんて味気ないから、せっかく選んだ夏の格好だったのに。なんとなく落ち込んでしまうのは、店内にタンクトップにショートパンツ、といういでたちの女性が、そのむき出しの手足で悠然と買物をしていたからだ。よっぽど、体冷えるとよくないですよ!と言ってやろうかと・・・。それにしても、あんなに冷やさなければ、食品の鮮度を保てないのかしら。
Jul 4, 2007
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いつの頃からか、紅茶やコーヒーに砂糖を入れずに飲むようになった。食後や何らかのお菓子とともに飲むのに、いつまでも口に残る甘ったるさが、だんだん気になるようになってしまったのだ。(カフェオレなどはときどき強烈に甘ーいのが飲みたくなるけれど)このところの暑さで、麦茶を作り置きするようになった。冷えた麦茶をぐっと飲み干すと、その独特の甘みがのどに心地よい。そういえば、子どもの頃は麦茶に砂糖を入れて飲むのが好きだった。当然いつも入れていたわけではなく、たまに母親から許可がおりたときだけ。冷たい麦茶に砂糖がきちんと溶けることはなく、コップの底にいくにつれ甘みが増し、じょりじょりと砂糖の感触を舌先で楽しんでいた。ガムシロップなんて気の利いたものは、私が子どもの時分にはなかったのだ。コーヒーや紅茶に比べて、砂糖なしで飲むようになったのは、わりと早くからだったと思う。苦くもない麦茶にさらに砂糖を入れていた味覚が、今では信じられない。けど、あの砂糖のじょりじょり・・・。悪くなかったなあ。
Jul 3, 2007
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蒸し暑いのに、ぶりとごぼうの煮付け・・・、作ってしまいました。ぶりって、夏場は旬じゃないのだけど、スーパーのお買い得コーナーに、ひとつだけ置いてあった。きちんと切り身になったものではなく、ぶつ切りにされたアラ。切り身のものより3倍ほどの量で、値段は半分以下。お買い得以外のなにものでもないではないか。それを見たら、もう煮付け以外のメニューが思いつかなくなってしまった。旬じゃないものはおいしくないかと思ったけど、できあがりは上々。ま、暑いときこそ、熱いものを食べた方がいいって言うものね。明日になったら、煮こごりができてるかなあ。煮付けは時間がたつと、違うおいしさになるのが魅力だね。
Jul 2, 2007
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この辺りの地形は、台地と平地がはっきりと分かれている。ここ10数年ほどで、台地の上と下をつなぐ道路が増え、行き来するにはずいぶん便利になった。その便利さをたっぷりと受けてはいるものの、地形がまるきり変わるほどの変貌ぶりを見ると、複雑だ。少し狭めの道を、うねうねとのぼっていく(またはくだる)のは、運転に不慣れな頃はどきどきしたものの、慣れてしまえばなんのことはない。覆いかぶさるように生えた木々を走り抜けていくと、あぁ、今私って運転してるなあと感じながら、台地の上と下を緩やかに移動していた。新たな道路は、台地と平地をつなぐ坂をずどんと貫き、最短距離で行き来できる。ほとんど無意識に、そこを通りぬけてしまう。おそらく、それが道路と呼ぶのにふさわしいものなのだろう。何車線もあり、多くの車を大量かつ、短時間移動させることに成功しているのだから。まだ祖父が生きていた頃、祖父の住む街から私の街へ移動するのに、すでに新幹線を利用できた。なのに、いつでも鈍行でやってくるのだ。一度、新幹線でくればいいのに、と言ってみたことがあった。「うーん、早すぎて疲れちゃうんだよな。鈍行の方が景色も分かるから。」という返事がきたときは、全く理解できなかったけれど・・・。今、台地の上と下という小さな単位で、繰り返しそれを体感している。いくら中央分離帯に植物を植え、両側に街路樹を繁らせたとしても、それらに目を配る余裕がない限り、無意味な景色でしかないのかもしれない。
Jul 1, 2007
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