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ちょっと頑張ってみた結果、言われたとおり、身体が痛すぎて眠れない。(T_T)でも、こうやってきっと良くなっていくんだ!と思って頑張る。今日はよく頑張った。
2013.07.31
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全快目標8月10日は無理そうだとして、10月に目標を立て直した。そこで、兼ねてから検討していた近所の病院が主催している下北沢メディカルランニングクラブに電話をして参加してきた。走ることはまだまだ無理なのはわかっているが、膝の悪い人、腰の悪い人なども参加しているし、リハビリの先生や、理学療法士、スポーツトレーナーもついているということなので安心して参加した。今日は体験ということで、歩くだけになってもいいとのことだった。私は、交通事故の後、何度も一人でチャレンジしてきたウォーキングとランニング。ウォーキングでも、まだまだ長時間は難しく、ランニングも50m走れるかなというくらいだ。1年前は時々5キロマラソンに出ていたが、回転性眩暈がでてからというもの、一生走れないんじゃないか、大げさではないけれど、一生ニートで社会復帰もできないんじゃないかと思っていた。でも、このままではいけない。気持ちをもっと強くもって、なんとしてでも立ち上がらないとと思ったわけである。で、今日の夕方は少し体調も良かったので思い切って電話してみた。ヨガは少しお休み。ヨガをしていても、ふらついて途中でリタイアしないといけない日も多いのだから、ランニングだって同じこと。ならば、両方を混ぜてやっていけばいいじゃないかと。人に迷惑かけるかもしれないけど、かけない手前でやめて、マイペースで。走ることができるようになれば、持久力もつく、足も身体も少しずつでもよくなっていけばいい。できれば、10月までに5キロは走れるようになりたい。そうなれば、復帰できるだろう。ま、とにかく、今日は参加してみた。家からすぐ側の病院だからだ。参加したい時だけ参加すればいい。料金は年間保険料2000円で、毎回600円。今日は体験だから、何もいらないと言われた。今日は長距離走10キロ。もちろん歩いてもいいし、途中でリタイアもしていい。途中リタイアは2人だけだったと思うが、私もそこに含まれる。ひとりだと50mも走れなかったが、前の人についていくことで、1キロは走ることが出来た。背中が張って吐き気もしたし、少しペースダウンすれば、すぐに眩暈がやってきて倒れそうだった。だけど、トレーナーの人が横についていてくれて、病院まで戻るのも一緒だったから心配ではなかった。病院にもどったら、受付にも人が数人いてとてもよかった。リタイアしたので、みんなより先に帰宅したけれど、やはり身体はボロボロな感じがした。今日は、回転性の眩暈がなかったことで参加できた。あったら、何かに捕まらずにはあるけないんだが。近所にこういうところがあったのも何かの縁だろうか。自分のペースで、しかも見てくれる人がいる中で体力をつけていける。私には安心だ。毎週参加できたらいいが、今の体調だと難しいかもしれない。だけど、少しずつでも確実に快復していきたいと思う。
2013.07.31
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今の自分の生活が、馬鹿げているだろう。闇の中に閉じ込められた。空気や時間の圧力で、扉を押し開くには体力と勇気がいる。夜にはすんなりと開く扉だが、外には本当の暗闇しかない。結局は朝にならないといけないのだ。朝になって扉を開こうと思うと、太陽が扉に光を放って扉は重たい。全ては錯覚だ。そう、全ては錯覚なのだ。私は自分勝手に迷子になっているのだ。思い出す大学時代。疲労で草臥れた身体の痛みを取り除けなかった。対処療法しか見当たらなかったが、よく助けてもらった。痛くても、前に進めた。若さだったとか言い訳はしたくない。ただ、体力が落ちているのだ。明らかに落ちているのだ。今の私はどうだ。体力が落ちすぎているのではないか。自信もなくし、前に進めるための武器も落としてしまった。何が残っているのか。そう、自分しか残っていない。今まで生かせてもらってきて、私は何もかもなくしてしまった。でも、自分だけは残っている。何かをやり遂げよ、何かの活かせとの使命があるのであれば、私はまたここから這い上がらなければならない。私に何ができるの。何がしたいじゃなくて、何ができるのか。私は役に立つのか。情けない。自分はもう懲り懲り。もう一度頑張ってみてもいいじゃない。諦めるには早い。諦めたら、それこそもう闇しかない。それも、自分が作り上げた闇である。馬鹿げている。光をつくるも、闇をみるも、全て私自身が作り上げるものだ。それこそ、馬鹿げているのだ。私の道をどうするのかも、私自身が決められて、馬鹿げたものにするのかも、何を感じたいのかも私が選んだもので決まる。それはどうしたいかだ。どう感じたいかだ。決まっているじゃないか。じゃぁ、立ち上がらなくちゃ。私は立ち上がらなくてはならない。痛み、痺れ、眩暈、いろいろと症状はある。良くなった時までにできることを今から初めておこう。準備が何よりも大切である。立ち上がる時がきている。
2013.07.31
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10年以上前に出版された本。英語の力が殆どなくなってしまったので、再度頑張ろうと思っているところだ。新鮮なところは特になかったが、ちょっとやる気が湧いてきた。
2013.07.30
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ここにメモをしておきたい。ー『パラレルワールド・ラブストーリー』東野圭吾よりー意識的あるいは無意識の願望から生まれる空想が、記憶に影響を与えているということ。時間が経てば忘れるっていうことがある。後から考えると、あれもいい思い出だ、なんて。自分が受け入れやすい形に、思い出を無意識のうちに加工しているんだ。その時の苦痛なんかは、記憶の中からかなり欠落してしまっているわけだ。それは、脳内麻薬の影響だという説がある脳内麻薬は記憶の改編に強く関わってくる。記憶の改編が行われて、本人は『たしかな記憶』だと思いこんでいる。嘘をついているという自覚は、ない。
2013.07.30
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冒頭の京浜東北線と山手線が平行線に走るのがとても印象的だった。以前私は、山手線も京浜東北線も停まる駅の近くに住んでいて、東京に来たすぐのころは不思議に感じたものだ。近づいては離れ、ぶつかるんじゃないかって思った程近くに寄ってくる車両の中が見えるから恥ずかしく感じた。冒頭で二人の関係を上手く表現している。本を読み進めるにつれ、どうなっているのか粗方オチはわかったものの、彼の本の組立とかそういったものが非常に面白くて飽きずに読むことができた。東野圭吾の本はおもしろい。具体的で、細かい動きまで想像させてくれる。昨夜全く眠れなくて読み始めたものの、さらに眠れなくなったよ。
2013.07.30
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I'm having a bad day. I cannot tell how I used my time today. I could have done many things to do if I moved myself, but I didn't. I should have done those things. I'd like to have a good day. I always have guilty feeling to my time, my parents, my life and myself.I'd like to remove presence of pain, aching heart, edema etc...Today I had to go to the hospital in Ochanomizu. I should get my treatment information from my doctor for tomorrow. Hopelessly behind my schedule... holy moly...I should get well asap.
2013.07.29
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整骨院まで時間があったので、パラパラっとみた程度。少し歳が離れているからか、私がテレビを殆どみないからか工藤夕貴さんのことは名前しかしらない。この本を通して、彼女がどのようにして米国でたたかってきたか。逃げずにひたむきに歩いてきたかが書かれている。みんなすごく努力をしていることは分かるが、そういったことはなかなか見えない。成功者としていうべき彼女の体験が書かれているこの本から、私は勇気をもらうことができた。今、悩んでいること、つっかえていることがまたひとつ外れた。私の次の通過点にピンが打たれた。
2013.07.28
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いろいろとやることが溜まっているのだが、部屋を片付けるためにまずは足元にある本を読んで本を業者に持って行ってもらうことにした。メールや歯のことなど、やるべきことも溜まっているのだが、東京に戻ってきてからやはり体調が悪い。ヒールなんてもってのほかだ。先日も、東京戻ってからすぐに出かけたのだが、電車はダメだった。2時間くらいで限界がきた。そういった理由で、殆ど家にいるのだ。で、できることといえば、ストレッチをし、病院へ行き、注射をしてリハビリを受け、本を読む。それくらいのことしか、やはり今はできない。大阪に帰った時は、もうちょっと動けたのに。
2013.07.28
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羽生さんさんが好きで、友人が貸してくれた本。苦手な対談形式の本だけれど、読みやすかった。勝負哲学というよりは、人生哲学といったほうがいいかもしれない。2人のもの捉え方の違いをみていても面白い。羽生さんはどちらかと言うと、感覚的な面が多く、淡々としており自然体を好む。岡田さんはどの発言も理論的で具体的、激しい。そういった印象を受けた。私はサッカーを全くみていないので、岡田さんがどういう人物で、サッカーがどういったスポーツなのかは分からなかった。ただ、グループで行うサッカーと個人競技の将棋。環境がずいぶんと違うので、ふたりの違った面は興味深く、解りやすい。ある意味対局にいる2人ではあるが、超一流にいる2人には共通するものも多い。将棋は”道”(茶道・華道など)の世界であるとして、勝ち負けどちらにも、美しさがある。きれいな負け方があるという。一方、サッカーは最後の一秒までやりぬくのだから、それはないということが書かれていた。環境によって、何が美しいのかは変わってくるだろう。二人が共通していたことで、自分自身もそうしないといけないと思ったのは、やはりこういうことだった。”くり返しと積み重ね。ひとつひとつを自分で考えながら、試行錯誤を重ねて時間をかけて自分のものにする。ひらめきによって一足飛びにジャンプするということはなく、段階を一個一個踏んで高いところへ行く”くり返しと積み重ねが大差をつける。具体的に何になるのか、何をするのか、どうしたいのかを描いて、ひとつひとつ進んでいかなければいけない。
2013.07.28
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この手の本には賞味期限がある。ずいぶん放置しすぎた。パラパラとみた程度。
2013.07.28
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体のよさそうなことがいろいろと書かれている。入門書のようなものか。後半には、いくつかレシピが載っている。以前この中のレシピを作ったことがある。黒豆と昆布のお茶:美味しいものではないけれど、生理前とかにいいというのでやってみた。効果はよくわからなかったが、継続するとよくわかるのかも?
2013.07.28
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ていねいに生きること
2013.07.28
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これは勉強法の本というより、自伝の入ったアドバイス本といった方がいいのかもしれない。途中で投げ出さずに最後まで読んだ。思うところがあったからだ。一番印象に残ったのは、「バカは何人よってもバカ」。誰とでも仲良くする必要はない。誰とでも仲良くは、子どもの頃にこそ必要な論理だった。だけど、時間は有限。本も人も、自分で選ぶことができる。自分で選択できるときは、自分で選んでいかねばならない。私のように、NOと言えないようじゃだめ。ちゃんと嫌なものは嫌と言えるようになろう。上手いこと、時間を作れるようになって、選択していかなければならない。なんでも、素直に受け入れすぎずに、調整していかなければならない。------風吹不動天辺月 雪壓難摧澗底松 (普燈録)風吹けども動ぜず、天辺の月雪壓(お)せども摧(くだ)け難し、澗底(かんてい)の松風が吹くと地上の草木はすぐにざわざわと揺れ騒ぐ。天空の雲も風に煽られ形を変えて流れ去る。だが天上の月だけはどんな風が吹こうと動ずることなく、何処吹く風とばかり無心にして輝く。また、雪が降り積もれば、多くの草木はしおれたり、おしつぶされてしまうが、谷あいの厳しい環境の中で生え育った松は大雪にもびくともせず緑あざやかにして、また無心に松声を吟じている。このように人も、どんな誘惑や扇動にも惑わされず、また、どんな艱難困苦に会おうとも決して負けることのない強い。信念や意思をもって、堪え忍ぶことの大事さを示す言葉である。
2013.07.28
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図書館から借りてきた。アマゾンにも売っていない。面白い一冊!ジョージ・マーティンの生い立ち、人生の岐路になったときの出会いとエピソード、ビートルズとの様々なエピソード、音楽的なこと。もう一度読みたいので、古本屋さんで購入しよう。
2013.07.26
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非常に興味深い本であった。このようにして、いままで本を読んだことがない。分析をしながら、あまり読んだことがないと思った。夏目漱石が、比喩を多様しているなどといった風に感じながら読んだことはない。ただするするーっと読んでいっていたが、そういう読み方をしてみても面白い。楽譜と同じか。だとすれば、楽譜も小説みたいなものなのだ。じっくりと、この本は読まなかったし、このように意識をして良い文書を書けるかといわれたら無理だということを自分でおもっているのだ。国語、本当に苦手だ。本を読むのも。喋るのも、こうやって書物をするのもだ。まぁいい。これは、自由な日記だ。前に、考えて書こう!とか自分に縛りを与えていたのに、全くだ。さてと、本を読むのにも、1つ楽しみができた。
2013.07.26
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「体の不調は慢性上咽頭炎がつくる。」というフレーズが表紙にかかれている。読み進めていく。この中身が本当のことだとすれば、すごいことだなと思って読んでいた。だけど、どうして広がらないんだろう。もしこれで治るのであれば、私もやってほしいものだ。塩化亜鉛を塗布すること毎日。出来なければ、定期的に通えばいいとのことだ。これを続けて焼いてしまうと書いていた。書かれている症状や確認方法をみても、どれも当てはまる。というわけで、早速この本を持って、耳を診てもらうついでに聞いてみることにした。先生は一蹴り、「古い医者の考えることだ。ぼくは信じない」という感じであった。この本にも、普通の耳鼻科医はそういうのだと書いていたが、その通りのことが起こった。まぁいいや。とりあえず、こういう方法もあるのだということだけ、頭にいれておこう。万が一、ひどい状態が続くことがあれば、診てくれる病院にいけばいいんだ。と、思うことにした。慢性上咽頭炎ね。
2013.07.26
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断定ではない。調子のよい今日の検査でも検査結果は悪くでた。おそらく調子の悪い日は、こうなるだろうと先生は指さした。まぁ、確かに。先日のシンセやエレクトロニックな音、特に高音に差し掛かると鼓膜が割れそうだと思うほど、振動しているのが分かる。異常は確かに感じている。特に体調が悪い日には、スピーカーから流れ出る音もダメなのだ。耳が痛い。先生はそれは錯覚だという。異常があるという印で、それが錯覚を起こしているのだと。ふむ。だが、私が予想していったものとは違っていた。メニエールじゃないことを祈りつつも、先生はメニエールの薬を飲むべきだと言った。いま、漢方飲んでいるしと、これもかわそうとおもったがダメだった。処方せんをもって、処方薬をうけとると、なんと!ダンボールに入れられた水薬が毎日朝昼晩1袋ずつ。まずそうだ。副作用、摂取期間をきいたら、副作用はほとんどなく、症状をみてやめていいとのことだった。再発したら、また飲みなさいと。治る病気ではないのだから。まぁ、とりあえず、メニエールの可能性を持っている人だから、消せるものは消しちゃいましょうとのことだ。イソソルビド内用液70%「あすか」(あすか製薬株式会社)
2013.07.26
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耳鼻科にてやはり味覚障害だった。この味覚がおかしくなったのは、数週間前の高熱の時である。先生に食生活が問題かと尋ねたが、ストレスが原因だという。おそらく亜鉛欠乏だということで、胃薬?のようなものがでた。また薬か・・・。嫌だよ。飲みたくないと言ってみたものの、もう飲むしか方法はないと言われ、食生活がどうのこうのでダラダラいくより、さっと飲んで良くなって薬もやめたほうが早い!と言われた。根本治療じゃないかもしれないけど、大嫌いな胃薬飲むとするか。そう、出されたのは胃薬らしい。プロマックD75 朝晩の食後
2013.07.26
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怖いけど、いかなくちゃ。
2013.07.25
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aikoのコンサートは、これで何度目かな。今日は体がボロボロ。バスは今日は運が悪く、隣の人のにおいと大きさで眠れなかった。
2013.07.24
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今回は割りと長く滞在した大阪。東京にいくのがつらかった。父母の顔をみると、ずっと一緒にいたくなる。今日は堀江まで送ってくれた。東京にいくバスにのる前に、直ちゃんとお茶をするからだ。なんと、両親が送ってくれた車を降りて、約束のカフェに目をむけると、カズとはじめてデート連れてきてもらったカフェだった。
2013.07.23
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自分を守ることで精一杯なものしか見えてこなかった。
2013.07.22
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関西の鰻。関東のフワフワのものと、ぜんぜん違う!蒸して焼くの方が、私は好きだ。でも、関西風もそれはそれでいい。
2013.07.22
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同名の友人に今日はあった。年上の先輩。ご飯を食べたりするのは、これが初めてだったということに気づいたのは帰るころで、それもびっくりだ。結婚して、子供を産んで、親子3人ですごしている。なんだか素敵だなとおもった。悩みは付きなさそうだけど。
2013.07.21
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翻訳者である神田さんの本を全書読んできた私にとって、この本は彼の今までの出版してきたものを読めば十分だと感じた。こちらの分厚い本を読むよりも、彼の本の方がすっきりしていて、勢いも有り、わかりやすい。彼の本を読んできたから、この本を読んで、神田さんが実際に実践してきたのだということも解った。そういう印象をもったのでパラパラっとめくってみた程度だが、感想といえば、それくらいだろうか。
2013.07.19
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うなぎは東京!鰻重の前に、まずは白焼。因みに今日は、「江戸」が「東京」に改称された日。疼痛も治まらないし、五感まで麻痺してるし、舌までしびれてるのに表参道の病院の先生はとてもおかしなこというけど、こうやって美味しいものを食べたりしていると、一瞬でもそんなこと忘れられる。しばしの休憩というものか。しばしの休憩って・・・、ご飯を機嫌よく食べてる間。まぁ、それでもいいかな。早く良くなりますように。
2013.07.17
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夜行動するタイプの人と、私のように早起きのタイプの人がいたとしたら、どのようにすればよいのだろうか。夜の電話だと、朝早くに起きることができない。私が起きる時間まで電話が続いていたらいするからだ。そうすると、電話を切った後、もう起きているはずの時間だから眠る気にもならない。そして、予定が大幅にずれる。
2013.07.16
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適当に書き出し------座っていられない。歩くのも大変で危険。味がわからない。音がうるさい。口の中まで痺れだした。ずっと痺れてる。電車は駅までいくのにも交通事故に遭いそうなる。ぐるぐると眩暈がして真っ直ぐ歩けず、到着できない。動悸が激しくなり呼吸が乱れ、発作が起こる。家にいても、お風呂やお手洗いに行くのもいろんな所にぶつかり、大変である。耳鼻科の眩暈の薬(メリスロン)も効果がない。真っ直ぐ歩けない。手を引いてもらっても、ふらついてつらい。字もかけない。パソコンで書くのがやっとだ。言葉もちゃんと喋れない。以前と随分変わってしまった。私の人格も変わってしまったのを感じる。いつもしんどくてイライラしていて、止めようと思ってもできない。ひどい頭痛があると、更にひどくなる。増々酷くなってきた。酷い時は、記憶力低下、イライラしやすい、集中力低下、疼痛、眩暈、酷い頭痛、物忘れ、呼吸不正、五感が鈍っている。音、味、触った心地、匂い、視覚効果、など感覚の邪魔をする。全身に症状がある。第6感だけが、研ぎ澄まされて行く。頭痛がひどすぎる。殴られ続けている。前からも後ろからもだ。全身の倦怠感、眩暈、吐き気(実際、急に吐いた)脳の神経がやられている間隔がある、眠れない、睡眠障害、視力が低下、視覚的に気持ち悪くなり蕁麻疹がでる、音も同じく、背中が痛い、頸部、腰部の疼痛、顔面が蒼白になる、動悸がひどくなると顔まで痺れだす、痺れや震えで呼吸困難になる、座っていられない、体中が痛む、耳鳴り、いてもたってもいられなくなる、アレルギー症状、たんなるムチ打ちじゃないと感じる、グルグル回る眩暈、回転している、ずっと続くのだ、吐き気、冷汗は止まらない、脈がはやくなれば症状も悪化する、寝て良くなるものでもないが少しだけましだ、小脳系が何かなってるんじゃないかと思って調べた。小脳梗塞ではないか。脳神経外科?脳髄液減少症があてはまる。
2013.07.16
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症状が悪化している。体が過敏に反応しているだけかと思うようにしていた。本当にダメだなって思う、今通院しているクリニックに相談したところ、そう言われたからだ。自分のことだから、そうじゃないということは分かってはいたんだけど、先生の言う神経性過敏症とかじゃない。そして、疼痛も、線維筋痛症だと言ったけれど、整形外科の先生に相談したら、絶対に違うと言った。あの、こころのクリニックの先生は、絶対にどうかしてる。薬もどうして朝昼晩寝る前で、10錠以上飲まないといけないのだ?10何種類も薬がでるのはおかしい。薬局の薬剤師も、私がダントツ1位だで種類と量がでていると心配していた。もう少しの我慢だろうか。かかとを地面に押し付けても、ちょっと頭を振っても、びんっと脳に伝わって、体がびくっとする。これが1秒に1度、頻繁に続く。寝ていても、おそらく反応しているだろうか。そういった夢ばかりみるのだ。目眩だけじゃない。痺れももちろんそう。2週間とちょっと前に風邪をひいた。風邪なのかな?まぁいいや。それで、中耳炎にまで発展してしまったから、病院に行った。結構悪化していて、その前からの症状で、高熱が続いていたり、疼痛も目眩も酷くなってた。それも、熱がずっと続いて、その時の症状でつらいなとかじゃなくて、真っ直ぐ歩けなかったり、椅子に座ろうとしてるのに、椅子から落ちそうになったりして。目眩も、いつもの目眩じゃない。ぐるぐるぐるぐるまわっている。自転車が曲芸に思える。だけど、ないと病院にいけないから細い道で行く。そうとう危ないけどね・・・。何していても、体がぐるぐるまわっているのだ。つらい。で、ふと思い出した。ここ最近、もっともっと激しくなっているのだ。どうしてだろう、何か変わったことはないか、と思ったところ、ひとつ思い出した。耳鼻科で、このことを相談したところ、薬がでた。その薬を咳止めと同時にやめたのだ。目眩の薬。調べてみたら、メニエール病に使われる薬だった。確かに薬を飲んでいた時は、1日目は効果を感じられなかったけれど、咳とどうじに治まっていた気がする。完全ではないけれど、よくなってたと思う。やめた途端に、悪くなったというか、戻った。メニエールについて調べると、完璧にあてはまるのだ。内耳のことも先生は触れていたとおり。ただ、中耳炎が治ったらとは言ってた。なんだか、やだなぁ。。。とは言え、こんな様態を誰にいうでもなく、自分で解決するしかないのだ。70間近の両親に言えない。ましてや、離れているし、両親も自分たちのことで、いろんな問題をきっ持っているはずだ。周囲には、家族に言わないなんておかしい!と言われるけれど、重々承知なのだ。だけど、言えないんだ。子供の頃から、元気を装ってきたからか?心配されて、心配させすぎて、体を悪くさせてしまったらと思うのだろうか。そういうことが過去にあったから、余計に事後報告の体制になってしまった。兄だったら間違いなく、しんどい、つらいと両親に告げただろう。だけど、私は昔から言えないんだ。言おうとしたら、怒られる、そのしょうもない過去の擦り込みが定着してしまっているのか!?まぁいい。まだ大丈夫だ。直近で心配なのは、近々中高の部活の同窓会があることだ。体調を考えると、夜に出るとは私には危険だ。もちろんお酒は苦手なので飲まないが、こんなグルグルと疼痛がある状態で、夜に出かけるとは危険なのだ。だけど、家にいたら、どうしてかと問い詰められるだろう。ならば、無理していった方がいいのかもしれない。元気!大丈夫!心配ない!と笑うのは、私には簡単なのだ。だけど、今回ばかりはちょっときついな。さぁ、どうするべきか。今回は、いろいろとやることが多い。特に、時間制限のある、歯のこと、会社の手伝いのこと、これだけは何としてでも、今度の帰省時にはいい状態をもって東京に戻りたいのだ。帰省までに、やるべきこともある。ロゴシールや、製品のパッケージの作成に必要なシールの入稿。それまでのデザイン作成。大丈夫かな・・・。痺れてる場合じゃないんだけど!五感が鈍り過ぎて困ります。六感だけが、過敏になっているのだ。今日は、特に味覚がおかしい!
2013.07.15
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パソコンのデスクトップにあるファイル整理をしていた。大した数ではないが1つのファイルに、昔の日記が書かれていた。楽天ブログに書く暇がなく、一時帰国中ワードにタイプしたファイルだった。涙がでてきた。自分が意図的に名前を消して書いている日記、人の名前、それがどうしてそうしたのか、私はちゃんと覚えていた。きっと未来にその人はいなくなるからだ。その時の心情と今が変わっていなところとか。なんか涙がとまらないや。涙もろい。この日記は、Berkleeに行っていた時のものだ。兄につれられて、ツユムにメガネを買いにいった。髪にボンバーなパーマをかけた。その理由も覚えてる。Berkleeであまり知らない生徒にストーキングにあい、嫌がらせを受けた。私の精神面は衰弱しかかっていて、誰にもモテナイ髪型で、アメリカに戻った時に私という存在に誰も気づかれないくらい変わっていたいと思ったからだ。美容院で「オタクっぽく、今までのイメージと正反対にしてください」と言ったことを覚えている。全く落ち着かない格好だった。悔しいけど、それも過去になって思い出だ。もっと強くならないとって常に思ってきたけど、頑張らなくてもいい、強くならなくてもいい部分ってあるんだなって思った。過去の日記を見返すと、あの時分からなかったことも、見えていなかったことも、その時の自分自身についても改めて考えさせられて、あの時の自分に教えてもらった。ーー<2007年年始>ーー1・4何年ぶりか。いっこーくんに会った。天王寺にある市大病院に入院する彼に本を買っていった。お見舞い。私が大学四年の時にしたコンサートに来てくれて、それ以来あっていなかったから4年ぶりだ。少しでも早く様態、良くなって欲しい。出発するまでにもう一度だけでも会いに来られますように。その後、梅田まで出て、用事で東京から来ていた友達にほんの30分ほど会う。お互い音楽をやっていて、いつか一緒に何か音楽を通して世の中に発信するものを共に出来たらと思っている。彼は傾ける情熱の熱さがとても私と似ている気がする。1・5やっと年賀状を出した。久しぶりに年賀状も書く。1・6コンタクトを購入。父の会社の新年会、ふぐを食べに行く。1・7兄に連れられて兄の薦める眼鏡屋に眼鏡を買いに行く。兄にもらった眼鏡のフレーム、とても気に入っていたんだけど、私の視力に合わせてレンズを作ってもらうと分厚くなりすぎてしまうのでこの眼鏡には向かないということで、フレームから買いなおすことになった。hieroの眼鏡を気に入り、hieroの眼鏡を購入した。いやみのない紫色のセルのフレームに内側がピンク色のが欲しかったが、兄に飽きると反対され茶色に内側が肌色の色違いのものになった。1・8母と祖母の病院へ行き、眼鏡屋さんまで送ってもらった。いい仕上がりでとても気に入った。パープルの色違いにとても未練があるけれども、今回はこれということであきらめることにした。帰りに甲賀流のたこ焼きを買って食べたけれど、やはり私の中でナンバーワンは豊中、阪急宝塚線服部駅前にあるたこ焼き屋さんだ。だいぶんと多くのたこ焼きめぐりをしたけれど、ここを越したところにはまだ出会ったことはない。帰宅後、なおちゃんに会いに難波へ急いだ。彼女に預かっていたダウンジャケットを持っていくためだった。1・9コンタクトが合わないので交換してもらいにいった。ところが、岸和田店は休み。和泉府中店へ送ってもらい、在庫がなく泉ヶ丘までとりに行くことになった。うどんを食べに行き、ゴルフの練習場に行き家に帰った。最後の家族との晩餐。なんだかいつもと違って、なんだか増してすごく寂しかった。また会えるのに、また会えるから。けど、健康でいられるかどうか、地震のことも心配事は多いから。どうか、みんな元気でいてと思う。母は泣いてばかりで心配。父は涙は見せないけれど、すごく寂しいって思ってるのが痛いほど伝わってくる。兄はいつも笑わせてくれるけど、寂しさと優しさでずっと今日は傍にいてくれた。ありがとう。夜、あっさんから電話がありすごく嬉しかった。私の唯一の小学校からの友達だ。1・10兄が私の出発まで家にいてくれて見送ってくれた。母の運転する車で父の会社に向かい、父と手を振りまたねと別れた。すごく涙が止まらなくてつらかった。私は家族が大好きだから。そんな父と私のしばしの別れを見て、また母は横でボロボロと涙を流していた。空港に行く前に祖母の病院に行くと、何も言わなくても祖母は私が行くんだと察していた。
2013.07.14
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昼はホットヨガ夕方はゆきんこの用事につきあうのに銀座にでたが、すでに用を終えていたようだった。意味がわからないけど、まぁいいや。銀座の田中屋にいって、蕎麦をたべてチャラ。
2013.07.13
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修辞学やレトリックを調べる。------>「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」----これを見て思い出したのが、「修辞学」という学問です。これは、簡単に言えば、よりうまく、説得力のある言葉の使い方研究する学問です。修辞学的世界観と哲学的世界観というものがあり、哲学的世界観とは、この世にはすべての事象に対して絶対的真実(真理)があることを前提に事象を研究します。しかし修辞学的世界観には、この世には絶対的真実はないということが前提になってます。では真実とは?それは周りに対して真実だと受け入れられたものが真実であるということなんだそうです。ですので、最も重要になってくることは真実の追究、研究、ではなく、自分が真実だと思うことを、周りに対し演説し、真実であると評価されることに重点を置くのです。哲学的世界観では、真実は真実ですので、周りに受け入れられなくても真実であることに変わりはありません。しかし修辞的世界観を持つものには受け入れられてこそ、初めて真実だと言えます。だから、言葉のうまい使い方を研究するんですね。かつてプラトンが修辞学に対してこう言ったそうです。「真実を虚偽にし、虚偽を真実にしうるもの」しかし修辞学において絶対的真実とは初めから存在しないのですから、別に虚偽を真実にしようとかいうこと事態おかしな話です。真実がなければ虚偽はないんですから。この修辞学のことを英語でレトリック(rhetoric)といいます。>「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」この一文は、修辞的世界観によるものに見えます。真実に他者による理解が必要であるならばそれは、絶対的な真実ではなくどんな内容であっても他者の理解があれば真実になると言えますから・・・。
2013.07.12
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ヒカリエランチラ・ボデガ スペイン料理美味しかったが、騒がしかった。
2013.07.11
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「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」衝撃的なこの言葉が頭に残る。家族にも、最小単位といってもいい家族社会というものがある。生まれてから、既に家族という集団の中にいて、その家族という社会集団の中で生活し、家族愛を知り、親子、兄弟姉妹、 血縁関係の信頼を維持発展をしながら社会集団とかかわりをもつ。家族は最も基礎的な社会集団なのだ。そこが私の原点で、私が生まれた故郷だ。大きく経つに連れ、社会生活もどんどんと複雑になってくるだろう。どんなに大変なことがあっても、どんなに家庭内で複雑なことがあっても、家族は家族なのだ。そして、私は直接触れ合ってなくとも、守られているのだ。誰かに。この小説は、後半はボロ泣きしながら読んだ。非常に読みやすい日本語と小説である。調べたら、映画もあったのね!?
2013.07.10
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やっとカルテとレントゲンが届いたそうだ。
2013.07.09
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過ぎたるは猶及ばざるが如し---辞書によると、度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じで、どちらも正しい中庸の道ではない。考えるのはいいこと、考えすぎは苦悩の元まじめなのはいいこと、まじめすぎは楽しくない人に気を遣うのはいいこと、気を遣いすぎるのは気苦労の元"過ぎる"のではなく、力を抜いて、いいことをできればいい。幸せになるためには、心の余裕がないとね。
2013.07.08
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前向きにがんばろう。友達が言うように、これも仕事だと思ってがんばろう。そして休むときも作ってあげよう。
2013.07.08
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今日もふらっと、家の近くを散歩して最寄り駅まで歩いた。下北沢音楽祭をやっているから人も多い。今日はCharも出ているので見たかったのだが、近所のゆきちゃんがサニーデイ・サービスが好きだということ行くことになった。到着が遅そうだったので、整理券をもらいにいってあげようと思ったら、既に終わっていた。仕方なく、並ぶことにしたんだけれど、整理券もらえなかった人の列は1番目。待つこと1時間以上。そう、私がこんな体調でずっと立ち続けることが出来るわけがないのだけれど、友人が兼ねてからみたいといっていたのと、先に来てしまったので引き返すのもなと思った。場所は、昨日と同じ小田急の下北沢駅改札口、元駅舎の方だ。正直、疲れて終わった後、家まですぐなのに歩けなくなっていた。で、タイトルに書いた曽我部さんのライブは、思った通りの感じだった。私がサニーデイ・サービスを知るようになったのは、Kachanが好きなバンドだったからだ。サニーデイ・サービス時代の楽曲の方が、私には馴染むみたいだ。いろんなプロフリーライブが下北のあちこちで行われていた。けれど、意外と私の心を掴んだのは、デビューはしているんだけれど、10年以上売れていない、私がはじめてきくアーティストだったりした。そこには情熱とか、純粋な気持ちとかがあったからかもしれない。それと、歌詞もよかった。取り留めなく書いたけれど、今日は一度はみてみたかった曽我部恵一さんのライブでした。観られてよかったです。
2013.07.07
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これを全部みようとおもうと、何日もかかるだろうが、三国志を楽しんでいるので、どんなものかと1だけ借りてみた。悪い部分を言えば、作品が荒削りで、ここを省略して、ここをのばすの?と思うところがあったが、きっと製作者たちにも理由が何かあったのだろう。予算の問題もあるのか、映像的におかしな部分があった。例えば、ここを映さないで、絵をつかってるのだろうか?と言ったものだったり、ドラマだなって思わせる部分があったり、と思えば、いいシーンだー!と思うところもある。1本目に出てくる呂布、不覚にもかっこ良く映る。そうとう強かったんだろうなぁ。ドラマ仕立てのこのシリーズは、覚悟を決めてみないと終わらないだろう。曹操中心としてかかれたドラマも出ている。この視点からみるのも面白いだろう。流石に、DVDをシリーズ全て借りてきてみようとは思わない。でも、わかりやすいし、人間模様をみているのも面白い。
2013.07.06
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横山さんの三国志を読み始め、後5巻ほどで完読になる。赤壁の戦いの場面は終わっているので、この映画をみることにした。三国志が大好きだ!という人たちからの勧めで、この映画のことを知った。歴史物を題材にしたものは、だいたい面白いのだけれど、これは本当に面白い!パート2は、貸出中になっていたので来週みることにする。漫画との違いは、かなり圧縮されている。映画の内容とは関係ないが、金城武はいい!
2013.07.06
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何もしていないのに、椅子に座っているだけでくるこの感覚。一体何なのでしょうか。気持ちが悪い・・・。
2013.07.06
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10日後に取り壊しが決まっている下北沢駅の旧駅舎で、下北沢音楽祭の一貫として「らいぶはうすEKI」が設置されていました。下北を愛する人たちの情熱によって作られています。例えば、飾付けや駅の電光掲示板も、地元のアーティストや鉄ちゃんが自ら持参し、取付けられたもの。いかに大勢の人に愛された駅であり、街なのかということが、どこを見渡しても伝わってきます。http://www.ukproject.com/que/special/livehouseeki.html私は何の縁か分からないですが、会社まで歩いていけるという単純な理由と音を出してもいい環境ということで本郷からここに引っ越してきました。家のQualityは落ちたけれど、生活に与えるQualityはUP。アーティストが集まる下北は、アメリカでいうとNashvilleみたいな感じなのかな。
2013.07.06
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パン屋さんにパンを買いに出かけたが、帰ってきたら広島風お好み焼きになってた。そう、今日は下北沢音楽祭なのだ。http://shimokita-fes.com/23rd/今日、食べられる様態じゃないけれど、おばちゃんの頑張る姿に負けてしまい、負けたるから買ってよーの言葉にも負けてしまい買って帰りました。ちょっとだけ、食べてコロンとしよう。
2013.07.06
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今日は友人のバンドのヘルプの予定が入っていた。数時間であれば、外出も可能だし、少しずつ歌うことへも復活したいとおもっていた。ということもあり、友人を助けたいという思いもあり、正式加入は行ってから考えさせてほしいという条件つきでOKした。しかし、ここ1〜2週間でさらに体調が悪化。中耳炎になってから、さらに悪化。熱はひいたと思っていたら、再度出てくる始末。まだ微熱は出たままである。一昨日辺りから、何を食べてもお腹いっぱいと感じず、どれだけ水分を摂取してもした気持ちになれない。感覚が鈍っているのだろう。外出は、フラフラで出来る状態ではない。整形外科や整骨院へすら行けなかった。最低限、絶対にやらなければならないことだけは、頑張ってやりきっているのだけれど、その後の疲労感といえば、悔しい気持ちだ。で、昨夜から睡眠もちゃんと取れず、やっと眠れたと思ったら3時に目が覚め、ムカムカする体調があったので、すっきりするためにスイカを食べた。すると、また再度寝にはいったと同時に吐き気があり、バスルームにいくと2時間近く嘔吐。でも、胃腸炎になったときよりは嘔吐時のつらさはなかった。ふらふらになりながらも、落ち着いたので、うがいをして再度ベッドに横になった。無理してでも、迷惑をかけないように、今日の予定はキャンセルせずにいたのだが、全てキャンセルすることにした。家の中を歩くだけでも、めまいがとまらないのだから、外にでるのは危険だということは言うまでもない。
2013.07.06
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Wow Just wow! Amazing...http://youtu.be/Zc41LWRFqZMすっごくかっこいいし、尊敬する。こうやって情熱をかけられるものに、正直に生きている人が心底かっこいいと私は思う。私は情熱を傾けてきたと思っていたものから、引き離されてしまって、そのままの流れになっている感が自分自身にあるのだけれど、今一度考えなさせられた動画でした。
2013.07.06
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先日、友達が、私の昔の話を聞いて太宰みたいだと言っていた。桜桃を読むと、そうだなと頷くところが前半に多くあった。晩期の作品はあまり読んだことがなかったのだが、この作品を読んでいてなんだか最後の辺りに差し掛かると悲しくなった。私は生きよう。私は生きなくちゃいけないんだと思った。------私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創つくる事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。いや、それは人に接する場合だけではない。小説を書く時も、それと同じである。私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。 人間が、人間に奉仕するというのは、悪い事であろうか。もったいぶって、なかなか笑わぬというのは、善い事であろうか。 つまり、私は、糞真面目で興覚めな、気まずい事に堪え切れないのだ。私は、私の家庭においても、絶えず冗談を言い、薄氷を踏む思いで冗談を言い、〜
2013.07.05
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【赤い宝石箱】父からのプレゼント父が、時々こんな風にプレゼントを送ってくれます。私が高熱を出していると知り、送ってくれた山形さくらんぼ、佐藤錦1Kg。重い。食べてみると、アメリカンチェリーの甘いものよりも勝る甘さと質。酸味がない。自分で買って食べているものとは違い、柔らかく水々しい、大粒で粒が揃っている。そして、みんなお行儀が良い!(この置並べ状態、私は視覚的に苦手なんですが)もう3分の1減ってしまった。と言うことは、体重は300g程増えてるはずだ。気をつけよう。なんか、中耳炎も良くなってきた。
2013.07.05
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“Youth is not a time of life; it is a state of mind”青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。-----『Youth』Samuel Ullman (1840-1924)青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く 驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。http://blogs.law.harvard.edu/shortword/2009/06/15/youth-is-not-a-time-of-life-it-is-a-state-of-mind/-----若さとは、自分のこころの持ち方。若さに限らず、何事も自分の選択、自分次第である。
2013.07.05
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週末は、Char、曽我部恵一、真心ブラザーズetc... たまには近所を徘徊してみようかな。http://shimokita-fes.com/23rd/
2013.07.05
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