全31件 (31件中 1-31件目)
1
今年も4月20日からクロアチア、スロベニア6ヶ国周遊10日間の旅行を申し込みました。今回も10年間連続で旅友のSさんとでツアー参加です。出発地は羽田空港、以前の成田空港と比べて非常に便利なツアー。 既にツアー開催は決定しています。10日間でOPツアーを入れて7ヶ国、7つの世界遺産をバスで巡る添乗員付きの相変わらずの『弾丸ツアー』なのです。 訪問地を★マークで示してみました。羽田空港からルフトハンザ航空でドイツ・ミュンヘンに直行。ここから専用バスでオーストリア・ザルツブルクで最初の宿泊。 2日目からこのツアーの観光開始。まずはスロベニアのブレッド湖観光。手漕ぎボートでブレッド島の聖マリア教会、ブレッド城へ。以下の観光地の写真は、各旅行ツアー会社のHPから転載させていただきました。観光後、国境を越えて、スロベニアの首都リュブリャーナへ。2日目の宿はこのリュブリャーナ。翌日3日目はこのスロベニアの首都リュブリャーナ市内観光。○三本橋、○竜の橋、○プレシェーレン広場を訪ねます。午後には、クロアチアの首都ザグレブへ。○聖母被昇天大聖堂、○石の門、○共和国広場、○聖マルコ教会を巡るのです。この日の宿はプリトヴィッツェ地方のホテルを予定。 4日目は 自然の神秘【世界遺産】◎プリトヴィッツェ湖群国立公園観光。2km、2時間のプリトヴィッツェ湖畔ハイキングで水の流れを楽しみます。そしてこの日の宿はドブロヴニク周辺。5日目は【世界遺産】ドブロヴニクの4時間観光。このツアーのメイン観光のドブロヴニクの○ピレ門、○フランシスコ会修道院、○プラッツァ通り、○ドブロヴニク大聖堂、○スポンザ宮殿、○旧港、○旧総督邸、○オノフリオ小噴水、○城壁等を徒歩で巡ります。アドリア海のミニクルーズで海からのドブロヴニクの光景も楽しみます。午後は自由時間ですが、OPツアーのモンテネグロ・【世界遺産】コトル観光(昼食付)を申し込む予定です。 そして再び戻りドブロヴニク近辺のホテルに連泊。6日目の朝は美しいアドリア海を望むドブロヴニク旧市街を一望できる絶景スポットへ。その後、国境を越えて、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルへ。○石橋、○旧市街を2時間ほど巡ります。この日の宿泊地はトロギール又はスプリット。7日目の午前中は中世の城壁に囲まれた古都【世界遺産】トロギール観光 ○聖ロブロ大聖堂、○旧市街を観光。この後、スプリットへ。ローマ帝国の面影を垣間見る【世界遺産】スプリット観光。次にクルカ国立公園観光へ。公園屈指の名所”スクラディンスキブク”で大迫力の滝を楽しむのです。この日の宿はオパティア泊。8日目はオーストリア・ザルツブルクへの長距離移動。 到着後は【世界遺産】ザルツブルク観光。◎ミラベル庭園、○大聖堂、○モーツァルト生家を巡ります。宿泊地はここザルツブルク泊。9日目が早朝に出発し、国境を越えて、ドイツのミュンヘンへ。着後は短時間のミュンヘン散策。そして空路、ルフトハンザドイツ航空直行便にて帰国の途へ。この10年間、旅友のSさんとの旅行の実績です。最初は4人の旅行でしたが、最近は怪しい関係のシニア男2人でのツアー参加、そしてツイン部屋での濃密な!??夜なのです。2007年 中国・九寨溝、黄龍2008年 スペイン・マドリッド、アンダルシア、バルセロナ2009年 南米・イグアスの滝、マチュピチュ、ナスカ地上絵2010年 ネパール・カトマンズ、ポカラ、エベレスト機上観光2011年 北欧・ノルウェー、スウェーデン、スカンジナビア半島フィヨルド2012年 トルコ・イスタンブール、カッパドキア・トロイ・パムッカレ・エフェソス周遊2013年 中欧・ハンガリー、スロバキア、オーストリア、チェコ、ドイツ、ポーランド周遊2014年 ロシア・エルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿、モスクワのクレムリン2015年 モロッコ・マラケシュ、フェズ、シャウエン、サハラ砂漠周遊2016年 アドリア海・クロアチア、スロベニア等7ヶ国周遊 今回も旅友のSさんの車で羽田空港へそして車は駐車場で我々の帰国を待っていてくれるのです。支払いも完了し、後はWIFIのレンタル申し込み、旅行保険の申し込みが残っています。この時期の現地の気温は日本と同じくらいとのことですので、長袖+半袖にジャケット程度で荷物は軽くなりそうですが・・・・??。地中海の海域の一つ、イタリア半島とバルカン半島に挟まれている青のアドリア海、そしてクロアチア沿岸部は複雑な地形をもち、風光明媚な景観を楽しめるのです。中でもドブロヴニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれる世界遺産であり城壁で囲まれた青い海と、赤い屋根のコントラストが拡がるこの歴史ある都市を大いに楽しみたいと思っている『アクティブ シニア』なのです。
2016.03.31
コメント(1)
我が家の庭のユキヤナギが真っ白な花をつけています。枝が弓状に湾曲して真っ白い花を咲かせるのでユキヤナギ(雪柳)の名前があります。ヤナギのように枝が枝垂れると言うだけで、ヤナギの仲間ではありません。中国名は「噴雪花」、名前の通り満開時は株全体が雪をかぶったように花で埋まるからです。枝の伸びの勢いが強い植物なので、ほおっておくと枝がたくさんでてきて、ごちゃごちゃした樹形になります。こうなると風通しが悪くなり株が蒸れたり、株の内部まで充分日が当たらなくなり、枯れ枝や生長の弱い細い枝がでやすくなってしまいますので、妻が剪定を行っています。この白い小花を米に見立てた「小米花(こごめばな)」という名前もあります。細い枝にぎっしりと花が咲いています。花弁は5個、雌しべも5個、雄しべは約20個ほど。この花が一斉に散ったあとの地面も雪がパラパラと積もったように見えるのです。
2016.03.30
コメント(0)
今日は朝から久しぶりの快晴。気温も上昇し17~18℃と本来の春が戻ってきました。そして朝から養蜂場のある趣味の菜園に行きました。農園で栽培していた聖護院大根は既に花を付けています。そして白菜も既に花を。そしてブロッコリーも漸く開花を始めました。それぞれの野菜は収穫を終わりましたが、残った株は片づけずにそのまま残し我が趣味の養蜂用に残し開花を待っていたのです。堆肥場には何の花か定かではありませんが、菜の花が開花の真っ盛り。無事越冬した西洋ミツバチの巣箱は菜の花に囲まれているのです。越冬用の発泡スチロールの保温箱はまだそのままにしています。今日は気温の上昇とともに巣箱から出てきて、飛び出して行きました。発泡スチロールの箱の穴と下部の隙間から頻繁に出入りしていました。女王蜂も産卵を開始している事が確認できました。菜の花に訪花し花粉と蜜を集めています。隣の農園には梨の木?が既に真っ白な花をつけています。青空をバックに純白の花が映えています。そして帰宅し、我が家の庭の『庭梅』にも我がミツバチ?が来ていました。我がミツバチが後ろ足に大きな花粉玉を付けているのが良く解ります。そして水菜の花とも戯れていました。蕪の花の前でホバーリング中のミツバチです。明日は更に気温が上昇するとのことですので、養蜂場の近くの桜の花も開花を始めるのではないでしょうか。そして桜の花にも我がミツバチは訪花を始めるのです。
2016.03.29
コメント(0)
チョット早いですが、里芋の植え付けを行いました。種類は土垂れ、タケノコ芋、赤芽芋、頭芋。昨年末に畑に穴を掘り埋めて保存していたものを掘り出しました。こちらは土垂れ。粘りがあってキメの細かい舌触りが魅力の品種。土垂れ(ドダレ)って変な名前?ですが、それはズイキの部分(茎から葉の部分)が成長すると葉先が地面に届くまで垂れ下がって来るのです。それで土に垂れる芋から土垂れ(ドダレ)と言われるようになったのです。赤芽芋はネットで購入しました。芽が赤いのが特徴で、セレベス又は赤目芋とも呼ばれています。また、「大吉芋」とも呼ばれているとのこと。セレベスはインドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)から伝割ったとされる里芋で、その島の名前がつけられています。親芋も食べられる親子兼用品種で、子イモも大きく、収量が多い事でも知られています。そしてタケノコ芋も。タケノコ芋は地上に頭を出している姿が筍に似ている事から「タケノコイモ」と名づけられていますが、「京いも」という名称でも流通している品種。肥料は化成肥料と発酵牛糞を。まずは化成肥料を一掴みずつ種芋の間に。そして牛糞を同様に。里芋は連作を嫌います。同じ場所で作り続けるとセンチュウなどの被害が出やすくなるのです。3年~4年(できれば5年以上)はあけると良いとのことですがなかなか・・・・・・。植えてしっかりと土をかぶせたら、その上から黒マルチをかけてやりました。そして、1か月ほど待つと芽が出てくるのです。芽が出てくるとマルチを突いて来るのでその部分のマルチを少し破ってやり芽を地上に出してやり育てていくのです。
2016.03.28
コメント(0)
この日は、幼馴染みに誘われ、2度目の相模湾の船釣りに挑戦。相模川のマリーナに9時前に到着。この日のメンバーは幼馴染みの弟さん、甥御さんそして私の4人。船の台車には保護用、案内用の太い塩ビパイプが台車の両側に設置されていた。 弟さんがホイールローダーにて台車を押し相模川に船を下ろす。 無事に船も相模川に浮かび、船と台車を切り離し台車を丘に引き上げる。 相模湾に向かって船を慎重にゆっくりと走らせる。東海道線下りの鉄橋下を潜る。この辺は浅瀬が多く操舵は慎重に。 無事浅瀬を通過し、船は速度を上げ相模湾に向かう。 幼馴染みの船長は安全運転で。無線、GPS魚探も完全装備。遠く箱根の山々が見えてきた。二つのコブの左が下二子山、標高1,056mと右が上二子山、標高1091m。その右が駒ケ岳、 標高1,357m。そして一番右が神山、標高1,438m。正月の箱根駅伝の際などは二子山無線中継所がTV放送の拠点となり、毎年紹介されている。現在は自然保護のため、一般の入山は禁止されているとのこと。雲の合間から白き富士山も写真左に、僅かに垣間見えた瞬間も。 この日は三浦半島、佐島沖に向かう。左手に江ノ島、その中央に江ノ島灯台が見えてきた。 水面には多くの白きヨットが。 約40分程で目的地の佐島沖に到着。佐島マリーナのは天神島にあり、この天神島と笠島および周辺の海域(約54ha)は、夏に開花する南方系海浜植物ハマオモト(ハマユウ)の分布の北限地として神奈川県の天然記念物に指定されているのです。船を留めた近くには定置網が置かれていた。 そしていよいよ、この日も師匠の指導の下、海釣りに挑戦開始。30分程するといきなり強い引きが我が竿に。慎重に糸を巻いて行くと、ピンクの魚の姿。約30cm強の真鯛を釣り上げたのであった。正に【beginner's luck】とはこの事。師匠が記念写真を撮ってくれました。甥御さんは60~70cmのサメを釣り上げましたがこれをリリース。 海鳥が私の腕を心配げに見に来ていました。 遠く三浦半島の山の上には巨大な建物が見えました。NTT横須賀研究開発センター。先進的な「情報処理技術」「メディア処理技術」「セキュリティ技術」などをに取り組んでいる研究開発センター。約4時間の船釣りを楽しんだのでした。相模湾の陽光も強く、風も殆どなく凪の状態の時も。暑くて防寒着を脱ぐ時間もあったのです。そして帰路へ。三浦半島がだんだんと小さくなって来ました。 再び江ノ島が右手に見えてきた。江ノ島岩屋の第一、第二への洞窟の連絡橋も見えたのです。江ノ島のこの角度からの景色を直に見るのは生まれて初めて。そして茅ヶ崎市の沖合1,200 m付近にある無人の岩礁群が見えてきた。最大の岩礁は烏帽子の形をしているため、一般に烏帽子岩(えぼしいわ)とも呼ばれている姥島(うばしま)。釣り人のために茅ヶ崎漁港から渡し船が運航されているのです。 そして無事アリーナに到着。箱根の山には夕日が。船を丘にあげ水道水で船全体を洗浄し塩を落としこの日の釣りを終えたのです。 自宅に戻り、この日の私の釣果を妻が大きなザルを出して綺麗に並べてくれました。 『真鯛』。赤く、背中などにコバルト色の斑紋が散る。目の上にはアイシャドウのような濃い筋が。『イトヨリダイ』赤に黄色い線が入り非常にきれいな魚。この赤と黄色のしましまが金糸を撚る様だから糸撚と言うと師匠から。 そして真鯛は刺身で楽しんだのです。 海鮮汁も油が美味。 そして翌日はイトヨリダイのオリーブオイル焼きは尾頭付き。 そろそろ、my釣り竿そして電動リールを買おうかな。
2016.03.27
コメント(3)
先週はお世話になった会社の応援の一環で津市内にある事業所に2泊3日で行ってきました。事業所からの帰路は同僚の車で津駅まで。車窓には君ヶ野ダムが。 雲出川支川の八手俣川をせき止めた多目的ダム。 1週間後?のダム湖畔に約2千本の桜が咲き吉野に近い景観を示すとのこと。そしてそれらがダム湖に映る姿は圧巻と。ダムからは放水中。 ダムの下の八手俣川の河原には巨大な岩石がゴロゴロと。 津駅からはJRみえ号で名古屋駅を目指す。鈴鹿駅のホームには 神戸城(かんべじょう)の名所案内が。神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532年 - 1555年)に築城し、本拠地を澤城(神戸西城)から移した。滝川一益の侵攻に和睦し,養子にうけいれた織田信長の3男神戸信孝により、より強固に修築された。城主は度々代わり、関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入ったと。四日市工業地帯を通過。 揖斐川を渡る。中州の先には長良川が。隣は近鉄名古屋線。そして次に木曽川を渡る。近鉄名古屋線の奥には国道1号線の尾張大橋(おわりおおはし)も見えた。 そして定刻に名古屋駅に近づく。奇抜な格好をした高層ビル「モード学園スパイラルタワーズ」が右手に。らせん状のデザインは、「時代の最先端を行くエネルギーをもつ学生が、切磋琢磨し絡み合いながら上昇して、社会へ羽ばたいていく様」を表していると。 そして新幹線に乗り換える。名古屋駅新ビル群。左から「JRゲートタワー」(地上46階、高さ211.1m)「JPタワー名古屋」(地上40階、高さ195.74m)「ミッドランドスクエア」(地上47階、最高高さ247m)そして夕焼けを背景に浜名湖そして弁天島が。
2016.03.26
コメント(0)
我が家の庭のスイセン(水仙)もいろいろな花の種類が開花真っ盛りです。以前に球根を購入し植え付けたものが殆どです。 既に花が終わった日本水仙、ミニスイセンもありますが、八重のものも開花中。 こちらはミニよりは大きい花。 黄色のリップに皺のはいったもの。 こちらのリップはやや小柄。 昔のままの八重種? こちらはリップの縁が濃いオレンジ色。 ピンクのリップの白い水仙。 花全体が同一色の黄色。 水仙の英語名「ナルシサス」はギリシャ神話の美少年の名前で、泉に映った自分の姿に恋をして毎日見つめ続けたら いつのまにか1本の花になってしまった。”ナルシスト”の名はここから来ているのだと。
2016.03.25
コメント(0)
我が家の横の農園の入り口に白き可憐な花が開花しています。釣鐘状の花がスズラン、幅がある細長い葉っぱがスイセンに似ているところから、スズランズイセンとも呼ばれているのです。 地際から花茎を1~数本伸ばして、その先端に数輪の花を咲かせています。 径1.5cmほどで釣り鐘状、白色で花びらは6枚、それぞれの花びらの先端には緑色の斑点が可愛く入っています。 名前の似た球根植物にスノードロップがあります。花色も同じ白で、混同されがちですが分類上も全く異なる植物。スノードロップは早春に花を咲かせ、スノーフレークはサクラの咲くこの時期に開花するのです。
2016.03.24
コメント(2)
三日ほど仕事の応援で三重に出張してきました。帰宅してみると、我が庭の『庭梅』が満開状態。 『庭梅』はバラ科・サクラ属の落葉低木で、株立ち状の樹形。ピンク色の5弁の花が今が盛りと開花中。繊細な可憐な花。別名『リンショウバイ』(林生梅)とも呼ばれています。中国原産の落葉低木で、かなり古くからある歴史ある花木であると。 7月頃に、ふよふよの丸い実がなるのです。食べられるらしいのですが・・・。「ゆすらうめ」の実によく似ているのです。 桜は気温が上がらず開花のスピードが遅れていますが、この庭梅は気温上昇が待てないとばかりに開花真っ盛りなのです。
2016.03.23
コメント(0)
今年も趣味の養蜂のシーズンが始まりました。ミツバチのとって天敵のオオスズメバチは女王蜂以外、冬を越えることができません。働き蜂は、秋までに全て死んでしまうのです。オオスズメバチは女王蜂1匹で越冬して、4月、冬眠から目覚めたスズメバチの女王は蜂の好む場所へ巣を作る活動を始めるのです。つまり、 最初は働き蜂がいないので、女王蜂自身が餌集めをします。この女王を捕まえてしまえば、1つの群れを壊滅させることになります。蜂が増殖してから働き蜂を際限なく捕らえるより、こちらのほうがはるかに効率的。すなわち女王蜂が飛び回るこれからの時期に一匹捕獲するとひとつの巣まるごと退治したことになるわけです。巣は秋になると大きな巣では千匹近い集団になるから女王蜂1匹を減らすとごとにハチを減らす効果は絶大なのです。この春の時期に沢山スズメバチの女王を捕獲すると、その地域では秋の出現が大幅に減ることになるのです。 ネットのトラップ作りを参考にし、ペットボトルを加工しました。2リットルのペットボトルの上部に2cm程度の穴を4ヶ所開けるのです。Hの文字を90度回転した形で、ナイフで切り目を入れ、上部は雨が入らぬように外向きに折り曲げ、下の部分は内側に折り曲げ、スズメバチの誘因と内部に入った女王蜂が逃げ出せないようにするのです。誘因液は色々あるようですが、これもネットを参考に。日本酒、砂糖、酢、蜂蜜そして梅酒も混ぜて見ました。 早速、ペットの口を紐で固縛し、養蜂場のある菜園の木にぶら下げました。 かなりピンぼけですが。 一夜明けてみると、西洋ミツバチが何匹か捕獲されてしまったと思い確認したところ、我がミツバチではありませんでした。ミツバチより大きさが小さい虫。状況次第で場所は変えてみたいと考えています。そして何とか越冬してくれたミツバチ群です。女王蜂の産卵も始まっています。女王蜂も下部に確認できました。
2016.03.22
コメント(1)
昨日、3月20日(日)は2016年の「春分の日」。秋分の日と同様に、昼と夜が『同じ長さ』になる日。いよいよ本格的な春の到来。日増しに強くなる陽射しを感じながら全国の桜の開花を聞く、1年で一番心がうきうきする時期ではないでしょうか。ニュースでは、福岡市、名古屋市では桜が開花したと。平年に比べて4~7日早いとのこと。また学校、職場での送別や転居など、生活の変化が多いのもこの時期。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあります。そして彼岸とは、毎年「春分の日」と「秋分の日」を中日として、前後3日間を合わせた7日間のことをさします。お彼岸に入る日のことを「彼岸の入り・彼岸入り」といい、お彼岸が終わる日のことを「彼岸の明け・彼岸明け」というのです。天文学上の太陽が「春分点」に来る日が春分の日と定められています。太陽の動きは正確に1年で1周ではありませんから、年によって春分点がずれます。すなわち春分の日がずれるのです。ちなみに、2012年は3月20日2013年は3月20日2014年は3月21日2015年は3月21日そして今年2016年が3月20日 と、微妙に違いがあります。「春分点」とは下図の中央地球の少し下の赤い丸。地球を中心に考えて、太陽がぐるりと軌道を描いている道(黄道)と天の赤道が交差するのが2ヵ所あります。そののうち、南から北へ交わる方の点が「春分点」です。因みに天の赤道(てんのせきどう)は、地球の赤道面を天球にまで延長し、天球上に交わってできる大円のことなのです。天文学的には「春分」はこの点を太陽が過ぎる「瞬間」のことを言うので、何日の何時何分何秒ということになります。ちなみに今年2016年の春分点通過時刻は、3月20日午後1時29分48秒とのこと。 春分の日の昼の長さと夜の長さは同じと思っていましたが、「ほぼ同じ」が正解とテレビの気象予報士から。 実際には昼の方が若干長くなると。どのくらいというと、平均で約14分昼が長いのだと。因みに、調べてみると、私の住む市の20日の日の出は5時46分そして日の入りは17時53分。よって昼間は12時間7分、夜の時間は11時間53分、なるほど昼が14分長いのです。日の出は太陽が水平線から顔を見せた瞬間で、日没は水平線から消える瞬間と定義されているのだと。ということは日の出、日の入でそれぞれ半径分ずつ、併せて太陽1つ分、太陽が移動する時間分だけ昼の方が丁度半分の12時間より長くなるのだと。ここまではついて行けましたが、その他の理由は私にも難しくてよく理解できませんでしたが、興味のある方はhttp://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/100921.htmlを参照願います。 【フリー イラストより】我が家の桜の木は十年ほど?前にケムシ対策の為伐採してしまいましたので桜の開花の進捗状態は身近に撮せませんが、ほぼ桜より1週間ほど前に開花すると感じている我が家の庭の「庭梅」の状態です。見た目はあまりサクラっぽくないですが、分類上はサクラの仲間なのです。漸く開花が始まったのです。よって我が家の周りの桜は来週の日曜日の27日前後には満開になりそうです。 庭の白のヒヤシンスも満開です。 そして各種スイセンも開花の真っ最中。 雨に濡れていましたが大輪のスイセンです。 そして、前日にキジ君が逃げ込んだ我が農園の近くの休耕地の草むらにはツクシ(土筆)の集団が顔を覗かせていました。「ツクシ」の語源は、スギナにくっついて出てくる事から「付く子」、袴のところで継いでいる様に見えることから「継ぐ子」となった説が有力とされていると。また、漢字の「土筆」は、土から出てきた胞子茎が伸びきる前は先端まで「袴」に覆われており、その形状が「筆」に似ている事から「土筆」と言う字が当てられるようになったのではないかと考えられているようです。 まさにこの状態が「土筆」?そして今日は孫家族4人が私の実家のお彼岸の墓参りに来るとのこと。 【フリー イラストより】妻は昨夜から孫に食べさせようと、深夜まで台所で料理に腕を奮っていました。そして今日は我が趣味の農園の片隅で栽培?している『ヨモギ(蓬/よもぎ)』の若芽を摘んで『よもぎ餅(草餅)』を作るのだと張り切っています。
2016.03.21
コメント(0)
昨日の午後、雨が上がったので養蜂場のある農園へ自転車で。すると我が農園の前の農地で、雄のキジが迎えてくれました。キジも雨上がりの午後の独りでの散歩でしょうか。初春のこの時期でも、雄のこのキジ(雉)は綺麗な緑色の羽を持ち、顔には赤い肉腫れがあるなど、かなり目立つのです。反面、雌のキジは同じ鳥なのかと疑いたくなるくらい地味で、雄から緑色を奪って茶褐色にしたかのような外観。大きさも雄と比べると小さいのですがこの時は姿を見せませんでした。私の存在に気がついたのでしょうか?横の荒れ地の方に逃げていきました。私も腰を屈めて静かにその後を追ったのです。そして、逃げながらも瞬間的に私を振り返り「しつこいな、独りにさせてよ」と。そして再び、私を背にして妻の待つ?場所へと。このキジは地震感知能力があるのです。数年前に、突然近くでいつもの鳴き声と異なり、けたたましく?鳴き声を発したのです。今日の鳴き声は何故かいつもと違うなと感じていた数秒後に、屋外の農園にいる私でも感じた震度4の地震を体感したのでした。キジは足の裏に振動を察知する感覚器官を持っているとされ、そのため地震を予知する能力を持っていると言われているのです。キジ君、今年もあまり我が農園でオイタをせずに仲良くやっていきましょうね!!
2016.03.20
コメント(3)
我が家の横の趣味の菜園のアスパラガスが芽を出して来ました。昨年の晩秋に入り茎葉が完全に黄変してきたので、地際部のところをかまで刈り取って、処分しました。その後、油かすと糠を施し、根株を埋めるように、畝上に土を大きく上げておきました。こうすることで防寒できると教わっているのです。既に1cm以上の太さの芽が10cm以上に成長しています。こちらは支柱に仲良く寄り添って。アスパラガスは、ユリ科アスパラガス属に分類される野菜で、原産地は南ヨーロッパ近辺といわれ、紀元前から栽培されていたようです。緑色のアスパラガスでも、芽が出たすぐ後や、低温にあたった時など、下の写真の如く穂先が紫色になっていますが、これも成長するに従って緑色になって来るのです。こちらの株も2本仲良く。そして奥にも1本、穂先が覗いています。20cm以上に成長したものを2本、今年の初物として収穫しました。この日はシンプルに茹でて、春の訪れを感じながらマヨネーズで楽しんだのです。みずみずしく大地のミネラルを蓄えた春アスパラは甘かったのですが、写真は撮りわすれました。アスパラの名前の由来は『たくさん分かれる』、『激しく裂ける』と言うギリシャ語が語源となっており『新芽』という意味を指していると言われています。これから次々に出てくる新芽を、株を痛めない程度に収穫し、楽しみたいと思っているのです。
2016.03.19
コメント(0)
我が家の横の趣味の菜園のスナップエンドウにネット掛けを行いました。昨年の晩秋に防寒と防風を兼ねてネットでトンネルを設けました。 そのトンネルを今日の午前中に片付けました。一畝は順調に越冬、成長してくれましたが、手前の畝のものは寒さにやられた株も。春蒔きの苗でこれを補充しました。 何故、これだけの差が出たのかは不明です。2種類の種を蒔き、定植したのかもしれませんが記憶が定かではありません。 支柱を立て、結束バンド(インシュロック)でしっかりと固縛しました。その後、つるもの用ネットを張りました。伸びたつるを、ひもなどでネットに誘引して這わせるのです。もう一畝も同じ作業を繰り返しました。 苗の伸びたつるがこのネットに絡みつくのです。 日に日に成長していって欲しいのです。 害虫捕獲粘着紙も取り付けました。薬剤を使用しない、あざやかな黄色の粘着式捕虫紙です。 スナップエンドウの葉を食害するハモグリバエ対策なのです。ハモグリバエの幼虫は、ウジ虫形状で体長約2~3mm。(成虫は食害しません)不規則に蛇行した白い食害跡を葉に残し絵を描いたように見えることから、ハモグリバエの幼虫は別名エカキムシとも呼ばれているのです。何故か?ハモグリバエは黄色に誘引されるので、黄色い粘着テープを設置しておくと被害を減少させられるのです。 早速、虫が粘着テープに捕獲されました。角のようなものがあることから、ハモグリバエではなさそうですが。さやえんどうのシャキシャキ感とグリンピースの豆の甘みをいっしょに味わえるのがこのスナップエンドウ。夏のビールに最高の一品なのです。
2016.03.18
コメント(0)
先日、夏野菜の種まきを行いました。種は今年も事前にネットで購入しました。まずは、トウモロコシ「F1サニーフェスタ」 ネットによると最高糖度22度(平均19度)にもなる甘いコーン。ジューシーでフルーティー、しかもまろやかな甘味はまさにフルーツのよう!粒皮も口に残らないほど柔らかく、生臭さもほとんどありません とのこと。 一粒づつポットに種蒔きしました。今年は初めて「ポトフ」にTRY。リーキ(ポロネギ)とも呼ばれています。 ネギのように円筒形の白い部分を食用とするのです。ネギよりは太くて重く、下仁田ネギに似ています。ネギと違い、葉は硬く平らにつぶれているのです。根深ネギと同様に軟白化した部分を煮込み、スープ、サラダなどに利用。緑色の部分も若く柔らかい物はニラの様に利用できると。 こちらは箱蒔きに。そして今年のスイカは「ゴスペル」。大玉の黒皮スイカ。果重は7~8kg以上。見た目より重量があり、ずっしりとした大玉。果肉色は濃桃紅色。果肉の硬さは普通。適度なシャリがあり、歯ざわりが良いと。誰の口にも合う食味を持ち、糖度は容易に13度を記録する。条件が良ければ14度を超えることもあると。一粒ずつ丁寧に。 カボチャは「栗みやこ」 。果重1~1.2kgの小型種です。粉質のおいしいカボチャ。煮物はもちろん、スープやてんぷらに最適とのこと。 ナスは「黒あかり」果実は濃黒紫色でつやがあり美しい品種。 こちらはポットに数粒ずつ。ピーマンは「極早生秀緑ピーマン」肉厚で美味。耐暑性強く丈夫で栽培簡単。長期間収穫可能とのこと。 自宅の横の菜園に発芽を早めるためにビ二トンを設置し、その中に入れて発芽を待ちます。いずれも発芽温度が20~25℃なのです。水もたっぷりやりました。1週間から10日間で発芽する予定ですが楽しみなのです。
2016.03.17
コメント(0)
我が養蜂場のある趣味の菜園の空豆の成長の様子です。昨年末に防風と防寒を兼ねてネットをかけました。空豆の苗は、大きくなりすぎると耐寒性が低くなるので、苗は定植前に大きくなり過ぎないように注意が必要です。 3月中旬になり、気温も上がってきましたので被してあるネットを外しました。 アブラムシにやられたのか、やや葉が縮れて成長が不足している株もありましたが、概ね順調に越冬してくれました。 成長の早い物は高さ40cm程度になっています。早速、アブラムシ対策として いつも使っている『モスピラン液剤』を噴霧しました。アブラムシをはじめケムシ類まで幅広く退治し、しかも効果は約2週間持続する浸透移行性の殺虫剤なのです。 アブラムシは茎の先端の新芽に発生しやすいのです。茎の先端は皮が薄く、どうも葉の汁を吸いやすいからそこに付くようです。葉の汁を吸うので、空豆全体の生長や、さやの肥大を止めてしまうのです。既に開花を始めた株も。 ソラマメの花は、野菜の花の中でも非常に綺麗な花。紫色の花をたくさん咲かせて収穫までの間、楽しませてくれるのです。 何とか越冬してくれた我がミツバチも既にこの花にも訪花していましいた。先ほどテレビで空豆のいろいろな食べ方を紹介していました。その中で、そら豆のベッドの如き、莢の中にあるフワフワした白い組織、これは若い実を寒さや乾燥から守る働きをしていますが、この綿も食べることが出来ると。 この写真は昨年撮影した写真ですが。空豆を莢ごと焼くのだと。表面に焦げ目つくくらい焼くと出来上がり。はさみで切れ目を入れ空豆を開き、とりあえず豆は後回しにしてスプーンで白くトロトロしたワタをスプーンですくうのだと。スプーンに塩を少し載せて直接食べたり、ご飯の上に載せて楽しむのだと。空豆を開くとワタはどんどん消えて行くので時間勝負なのだと。 【http://recipe.rakuten.co.jp/recipe/1230010039/】より転載 今年は私も初体験ですが、TRYしてみたいと考えているのです。
2016.03.16
コメント(0)
我が趣味の農園のカリフラワー、ブロッコリーの収穫はほぼ終わりましたがこの時期にロマネスコはまだ収穫の最後を迎えています。ロマネスコはカリフラワーとブロッコリーをかけ合わせたもの。その他の名前として「カリッコリー」、「カリブロ」、「ブロッコリーロマネスク」とか「珊瑚礁ブロッコリー」・・・等々。「ロマネスコ」または「ロマネスク」はローマ近郊で開発されたのでこの名前がついたとのことで、ヨーロッパで広く流通して人気のある野菜なのです。葉っぱもカリフラワーよりも更に大きく、ロマネスコの蕾の姿は葉の中に隠れています。葉の中を覗いてみると、色は黄緑色で、何よりこのロマネスコの面白いのはその幾何学的な配置。個々の蕾が規則正しい螺旋を描いて円錐を成しているのです。 収穫して来ました。それは見事なまでの相似形で、大きな円錐から小さな円錐を見ると、またその中に、同じような円錐があり、さらにその小さな円錐を見ると、もっと小さい円錐がぎっしり詰まっているのです。更にこれがもっと・・・・と無限に続くのです。それは、息を呑むような美しさと正確さを形作っているのです。 横から写して見ました。まさに学生時代に学んだ『フラクタル図形』そのものなのです。 こんな事にも、自然の神秘さを感じながら、一方ではミツバチのハニカム状の巣の構造に幾何学の不思議さ・美しさを実感しながら、日々自然と戯れている『アクティブ シニア』なのです。 夕飯には、この収獲したブロッコリー3兄弟をシンプルに茹で、マヨネーズで楽しんだのでした。 そして日曜日のテレビで「黄緑カリフラワー」と言う品種が出来ていることを知りました。ロマネスコに色はそっくりですが、凹凸が目立たずに幾何学的な配置もはっきりしません。個々の蕾が規則正しい螺旋を描いて円錐を成していないので白のカリフラワーの色違いなのです。 【ネットからの写真を転載】そしてカラフルなカリフラワーの写真も。様々な色が品種改良されていることが解ったのです。【http://officedeyasai.jp/app/webroot/wp/wpcontent/uploads /2015/10/e36637c559a4e86d6405841fe68f45ce.jpg】私も今年は白のカリフラワー以外の色のものを『いろいろと』栽培したいと考えています。
2016.03.15
コメント(0)
京口千人溜から京口御門を見る。京口千人溜の先には土産物屋が並んでいた。 引き返し再び関所内に。厩(うまや)。5頭の馬をつなぐようになっていましたが、幕末には2頭しかおらず、空いた場所に掃除道具や火を消す道具などが納められ、納屋と兼用であったと。 芦ノ湖遊覧船の「十国丸」の姿が。芦ノ湖を360度見渡せる展望甲板が最上階にあり、視界の遮りのない景色を風に当たりながら眺めることが出来るのである。回送状態であろうか、客の姿は確認できなかった。大番所・上番休息所。関所の一番主要な建物。二棟が継がれている建物で、街道側が大番所、湖側が上番休息所と呼ばれています。共に江戸口門、京口門等と同様に栩葺(とちぶき)と言われるうすく割いた杉板を重ねた屋根を持ち、また外観は、渋墨で塗られた黒い建物。真ん中でお茶を入れている人が中間(ちゅうげん)。左側の人が番士(ばんし)で、旅人が差し出した箱根関所を通行するための証文が本物かどうか改めたり、旅人から聴取した行き先などを記録したりしていたと。そして一番右側が足軽。 土間にて下番(しもばん)が関所役人の食事の準備をしている姿。 火吹竹(ひふきだけ)で火をおこす下番。私も子供の頃、この火吹竹を使ったことを想い出す。火吹竹とは一端に節を残して小さな穴があけてある長さ40~50cmぐらいの竹筒。湯殿には風呂桶は無く、「たらい」に湯を汲んで湯浴みをしていたのであろう。人見女。「入り鉄砲と出女」と言って江戸に入る武器類と人質として江戸に居住させている大名の妻子が国許へ逃亡するのを防止する為、監視の目を光らせていたと言われている。ここ箱根関所では、入り鉄砲検査は行っておらず「出女」に厳しい関所という特徴があったと。 女性に対しては女性専門の取り調べ係りがいて、身体検査や髪の毛の中まで調べられたとか。取り調べの人見女の顔が妙に怖かったのであった。取調べする定番人(じょうばんにん)、番士(ばんし)の面々。説明板によると 定番人箱根宿に住んでいる人で、小田原藩から雇われていました。関所役人の補佐をして、旅人の通行改めなどを行っていました。番士 旅人が差し出した箱根関所を通行するための証文が本物かどうかを改めたり、旅人から聴取した行き先などを記録していました。伴頭(ばんがしら)小田原藩から箱根関所に赴任してきた侍の責任者にあたります。関所の日常の運営や管理についての責任を負っていました。 横目付(よこめつけ)伴頭に次ぐ人物で、伴頭の補佐役です。伴頭以外の侍や足軽、定番人、人見女などの人事の管理をしています大番所・上番休息所の前には家紋入りの垂れ幕が。この関所にあった家紋、上がり藤の一種の、大久保家の家紋の大久保藤紋。箱根関所を管轄する小田原藩の藩主が大久保氏、つまりは、小田原藩の家紋とのこと。この紋の特徴は、藤の花は、垂れ下がって咲くので「下がり藤」が普通ですが、「上り藤」となっている事とさらに「大」の字が入っていること。それも専門家は、剣大文字と呼んでいて普通の「大」の字ではないのです。箱根海賊船も芦ノ湖面に。箱根海賊船は「ビクトリー」「バーサ」「ロワイヤルII」の3隻が運航中と。緑のこの船は、17世紀前半「北欧の獅子」と呼ばれたスウェーデン王グスタフ・アドルフが建造した大鑑「バーサ号」をモデルとした豪華な彫刻に飾られた船。最後に箱根関所資料館に。館内は全て撮影禁止でしたが、各種の関所手形をはじめ、象が関所を越えた話や関所破りの記録、関所日記書抜などの古文書、武器類などを展示してあり、箱根関所の歴史を詳しく学ぶことができたのです。また、箱根関所復元工事の映像も放映していました。ここでも中国語の会話が飛び交っていましたが。すべての観光を終了し帰路に。途中、我々の車の横に個人タクシーが。しかし初心者マークが何故か車体に??。初心者マークが義務付けられているのは[普通免許(1種)]だけで普通2種を取って1年未満でも初心者マークは不要ですよね。ドライバーの遊び心、でも利用する立場では・・・・・???。 箱根神社一の鳥居を通過。再び雨がやや激しくなってきた。 左手にお玉が池が。帰路は国道1号線ではなく732号湯本元箱根線 をカーナビが選択。小田原市内への抜け道としても機能するが、観光シーズンには交通量の多い国道1号を避ける徒歩の観光客や自転車などが多く特に見通しの悪いカーブも多々ある道路。関所破りの罪でお玉と言う少女が処刑され、彼女の首が洗われた池がこのお玉ヶ池になったという話を箱根関所の展示物を見て再確認したのであった。箱根大天狗山神社(はこねだいてんぐさんじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡箱根町に本部がある新宗教の宗教法人。 渋滞もなく順調に西湘バイパス、真鶴道路の分岐点を通過。 西湘バイパスを平塚方面に向かう。 二宮でOさんを降ろし、大磯・東海道松並木を車は走る。 海岸道路を左折したこの道は、昔の茅ヶ崎・サザン通り入口付近であるが・・??。 1999年に「サザン通り」の愛称で呼ばれていた茅ヶ崎駅からサザンビーチちがさきまで続く道の商店街を「サザン通り商店街」と改名したのだと。サザンオールスターズのボーカル桑田佳祐の出身地であることから、彼ゆかりの店や商品が並ぶと。なるほど出口付近に、「サザン通り商店街」の文字が小さく。 茅ヶ崎駅南口が左手に。 そしてSさん宅に13時前に無事到着し、自分の車に乗り換え帰宅したのであった。今回もいつもと同じ、慌ただしい、欲張りな1泊2日の伊豆、箱根への4人旅であったのです。ドライバーのNさん、安全運転、お疲れ様でした。ありがとうございました。
2016.03.14
コメント(0)
恩賜箱根公園前の駐車場に車を停める。県立恩賜箱根公園は、「旧函根離宮」跡地に広がります。観光地「箱根」の中心かつ離宮跡地だけあって、公園からの眺めは秀逸 。ツツジ、サツキの開花シーズンは絶景となると旅友Sさんより。公園から箱根関所に向かうと、駐車場の横に「箱根八里」の歌詞が刻まれた石碑が。♪♪箱根の山は 天下の険 函谷関も 物ならず 万丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支う 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす ・・・・・・ ・・・・・・・♪♪ 小学校時代に学び、歌った、作曲:滝廉太郎の「箱根八里」の懐かしき歌。階段の下に「箱根関所資料館」が見えてきた。 資料館前からの芦ノ湖。天気が良ければ、右隅に白き富士山が見えるとのことであったが・・・。 江戸口千人溜。江戸口御門の手前にあり、旅人たちが関所改めを待つ待機場として利用された広場。入場料400円(100円のシニア割引)を支払いチケットを購入。箱根関所資料館も本チケットで入場できると。江戸時代、幕府は江戸を守るため、全国に関所を設置。江戸時代初期には、豊臣方の残党などの脅威があり、関所は軍事的な拠点として機能。やがて平和な時代となるにつれ、関所の役割も治安維持のための警察的機能へと移り変わっていきました。江戸時代260年間にわたって機能してきた関所も、幕府が倒れた後、明治2年にその役目を終え、廃止されたのだと。 箱根関所 全体配置図。上が江戸方面。 箱根関所 江戸口御門。高麗門という形式の門で、その高さは6.1m。屋根や外観は「栩葺(とちぶき)」、「渋墨(しぶずみ)塗り」。栩葺とは杮葺(こけらぶき)の一種で板厚は1~3センチメートルの最も厚い板(栩板)を用いる方法。箱根関所の復元建物では、史料により杉の赤身が使用されているとのこと。渋墨塗りとは柿渋と松木を焼いた煤(松煙)を酒類(アルコール)溶剤に混ぜた塗料。防虫・防腐効果があるので、建物の化粧として用いられていると。パウザー状の松煙を膠(にかわ)で固めたものが書道で使う墨であると。いずれにしろ日本古来の伝統技術。 江戸方面から来た場合には、この門から中が箱根関所の構内で、西へ向う旅人はこの門の前で身支度を整え、関所の中へと入ったのだと。 国指定史跡 箱根関所。箱根関所が江戸幕府によって、この地に設置されたのは元和5年(1619)とのこと。全国に設置した53箇所の中でも規模が大きく重要な関所。まずは左手の足軽番所へ。昼間は足軽が控えていたり、夜は足軽が寝ていた場所。建物内には足軽のための部屋や休息所、不審な武士などを留め置く「揚屋(あがりや)」関所破りをした罪人などを一時的に拘置する獄屋(牢屋)などがあった。獄屋(牢屋)。もちろん窓はなく太い格子で囲まれており、頑丈に造られていた。「お玉が池」と呼ばれる由来のお玉は、伊豆の実家が恋しくなってしまいこの箱根関所破りを行い、捕まってしまったのであったがこの獄屋に入ったのであろう。足軽番屋の建物で実際に使われている「継手(つぎて)」のサンプルが置かれており、自分の手でこの継手を外したり、組んだり出来るようになっていた。継手とは木材を長く使うために同じ方向に木材を継ぐ事。 そして見上げると、この継手が組み込まれた屋根裏の梁材が確認できた。 土台の光付け(ひかりつけ)も見事に。デコボコした石の上に木材をぴったり取付ける加工技術のことを光付けと呼ぶのだと。もともと、物の形を合わせるために転写する事を「光る」というので、この作業全体も「光付け」と呼ばれるのです。土台を石垣の上に光付けする方法はまず、柱の下部に白紙等を巻き付けコンパスの先で石をなぞりこれをもう一方に付けた鉛筆等で石の凹凸を写し取るのです。次に写し取った石の凹凸形状にしたがって柱の下部を加工。内部断面も同様に数本の対角線を引き、これをなぞり、必要箇所の石の凹凸を写し取ります。石の上部に石灰を撒き、木材と石の密着具合を石灰の付着量で確認しながら仕事を進めると。全体に石灰がまんべんなく付くようになるまで、木材を削っては石に乗せて確認し、ひっくり返してはまた削り・・・と延々と気の遠くなるような作業を繰り返すと土台の光付けが完成するのだと。 足軽番所の休息所にはマネキンがいて当時の雰囲気が。 関所役人の下で江戸口御門や京口御門の門番をはじめ遠見番所での芦ノ湖の見張りなど、種々の仕事をしていたのだと。高札所。かなり達筆ですべては読めず。昔の人はこれが読め理解できた?高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを梅、杉、檜等の木の板札に墨で書き、人目を引く場所に掲示しておく場所及び物。すなわち掲示板。帰宅して調べてみると、この高札の掟書きの内容は以下の通りだと。一、関所を出入る輩、笠・頭巾をとらせて通すべきこと一、乗物にて出入る輩、戸を開かせて通すべきこと一、関より外に出る女は、つぶさに証文に引き合わせて通すべきこと 附、女乗物にて出る女は、番所の女を差し出して、相改むべきこと一、手負・死人並びに不審なるもの、証文なくして通すべからざること一、堂上の人々(公家)・諸大名の往来、かねてよりその聞こえあるは沙汰に及ず、 若し不審のことあるにおいては、誰人によらず改むべきことこのように箱根関所では、出女・けが人・死体、また不審な人やものを厳しく改めていたことが理解できたのです番所の裏には「雪隠」が。 雪隠とは、便所のことです。足軽が利用するためのもので、旅人は利用できなかったと。中が丸見え。 雪隠の横から木柵沿いに階段を上り遠見番所へ。 箱根関所で唯一の二階建ての建物。四方に開かれた大きな窓から二名の足軽が昼夜を問わず交代で、芦ノ湖や街道沿いを見張っていたのだ。 外繋。足軽番所と京口御門の間にあり、旅人の馬をつなぎ止めるために、頑丈な太い柱と桁を組んだもの。京口御門。江戸口御門の対面側にあります。江戸口御門と同じく高麗門という形式の門で、その高さは6.1m。京口千人溜。 当時、関所の近くに宿があって、関所改めを待つ旅人たちに場所を提供していたと。この写真には当時の宿の様子が写っていると。
2016.03.13
コメント(1)
本殿右側の絵馬殿の見事な彫刻。 絵馬殿の裏の安産杉。良い子を授かりますように! 元気な子を産みますように!と若いカップルがこの老杉に手を当て記念撮影されていました。穴の様子が母胎の象徴ということで、安産杉という名前がついたのです。周囲を厳重に囲ってある意味が男として理解できたのです。お賽銭箱の横の「なで小槌」。願い事をして3回なでると叶うそうです。初穂料500円と。 正参道を芦ノ湖方面に見下ろす。 見事な老木が箱根の空に向かって。 御輿庫。 ガラス張りの神輿庫には2台の神輿が展示されていました。 巨木「箱根神社の矢立杉」(神奈川名木100選)。平安時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定に、また陸奥守源頼義が安倍氏追討に際して、この杉に表矢を献納したと伝えられている。この老杉も樹齢1200年と。階段を下りて行くと、途中横断歩道で道路を渡り、この階段は湖畔までまっすぐに続いていました。湖面に立つ箱根神社の「平和の鳥居」 。芦ノ湖の湖上にある水中鳥居で、今上陛下の立太子礼と講和条約締結を記念して昭和27年に建立。その後鎮座1200年と東京オリンピック開催を記念し、講和条約の全権特命大使として調印した吉田茂元首相の真筆の「平和」の額が掲げられ、それ以来「平和の鳥居」と親しまれていると。水の中に立っている鳥居は、宮島が有名ですが、それより歴史は新しいがここも観光では負けない人気のスポット。陸から見るもよし、また遊覧船から見れば同時に富士山が見える事もあり、箱根にはなくてはならない観光名所の1つ。芦ノ湖の中で胸まで浸かっている釣り人の姿も。 ここにも苔むした、歴史を感じさせる石灯籠が対になって。 再び湖岸からの階段を上ると四の鳥居が見えてきた。左右の老杉は樹齢1200年以上とのこと。直径2m弱、そして樹高は35m強か?宝物殿。5年前に新築されたという宝物殿は、箱根神社に関わる貴重な絵画や古文書などが展示されています。関東最古の肖像彫刻・萬巻上人坐像(重要文化財)は特に有名。 源頼朝や関東管領北条氏の資料は必見、歴史好きでなくてもお勧めの宝物館。休憩所で温泉卵「たまごくん」を購入。 大涌谷の温泉池で作られている黒たまごが欲しかったが現在箱根山の噴火警戒レベルにより大涌谷は未だ立ち入り禁止。どこかで温泉を使って黒たまご製造販売されていないかと店員に尋ねたが販売しているのはこの燻製卵のみとのこと。 最後に忘れずに御朱印帳を受け取りました。 九頭龍神社の御朱印も併せて戴けば良かったと反省中です。そして車は最後の目的地の箱根関所へ向かう。二の鳥居が車窓前方に。そして箱根神社一の鳥居を潜る。左横には成川美術館があったがここは次回にと。次回とは、暖かくなってからの、箱根湯本~元箱根間の箱根旧街道・石畳ハイキングを計画しているのです。
2016.03.12
コメント(0)
翌日も早朝起床し6時に保養所の温泉に向かう。浴場には未だ人の姿はなく、暁の温泉を独り占め。 温泉の水面は朝の周囲の樹木の姿を静かに映していた。この温泉に入り、この絵画を壊してしまうのが勿体ないほどの光景。 朝の温泉を独りでたっぷり楽しみ部屋に戻ると、保養所の周囲の山に朝の陽光が。 宿り木が部屋の窓から。宿主の枝から垂れ下がって、団塊状の緑の株を形成。宿主が落葉しているこの時期、この形が遠くからでも見て取れるようになっていた。 4人で朝食を済ませ、8:45過ぎにいざ保養所を出発。再び仙石原のススキ野の横を通過。 箱根杉並木。 そして箱根神社の再奥の駐車場に車を停める。箱根神社 全景案内。札所に立ち寄り、御朱印を依頼するため、御朱印帳を預け参拝開始。 正参道の入り口となる第4鳥居 。このにも多くの中国人の姿が。手水舎でお清めを。 第5鳥居に向かって階段を上る。ここが正参道。素晴らしい景観の清々しい参道。両脇にそびえる老杉の巨木からはパワーがみなぎっているよう。 この老杉に抱かれてほどよい踏高の石段を90段ほどゆっくりと進んで行く。途中右手に武道場が。剣道場・柔道場(100畳) 弓道場(6人立)があると。 左手には曽我神社が。御祭神は 曽我十郎祐成之命と曽我五朗時致之命。1193年(建久4年)5月28日、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟は、父河津祐通(祐泰)の仇として工藤祐経を討ち果たした。「曽我物」では、五郎時致は、箱根権現(箱根神社)の稚児の頃、父の仇工藤祐経と会うが、討ち果たすことが出来ず、祐経の人形を作って調伏したと描かれていると。曽我兄弟が仇討ちを決行したのは、源頼朝が富士裾野で行った巻狩りの時。兄祐成は仁田忠常に討たれ討死し、弟時致は御所五郎丸に捕らえられ、後に処刑されたと伝えられているとのこと。曽我神社 造営之碑。平成5年に曽我兄弟800年を記念して奉賛会を組織して拝殿を建立、境内整備、武道場の建設等を行ったとのことである。神社の左前方には兄弟杉という杉の巨木の切株があるが、五郎はこの杉を相手に剣の腕を磨いたという。 神楽殿とその右に社務所。 御本殿入り口。創建は1259年前の天平宝字元年(757年)とのこと。左手の狛犬。狛犬の苔むした雰囲気も歴史を感じさせてくれた。御本殿 箱根神社の中心に位置し、箱根の中心で構える御本殿。芦ノ湖湖畔に立つ平和の鳥居から、石段が続く正参道を登ると朱色の御本殿が姿を現します。県の天然記念物でもある姫紗羅鈍林や老杉に囲まれた、自然豊かな社殿。拝殿から下がって幣殿そして御本殿と一体となった造りが特徴の権現造りの建物。箱根神社は、古来より関東総鎮守箱根大権現として敬われてきた名社。ご祭神は、箱根大神(瓊瓊杵尊/ニニギノミコト 木花咲耶姫命/コノハナサクヤヒメノミコト彦火火出見尊/ヒコホホデミノミコト)お祀りし、特に交通安全・心願成就(俗に勝負に強い神)に御神徳の高い神として信仰されている。今年の干支の猿の巨大絵馬。 九頭龍神社新宮。九頭龍神社の本殿は、芦ノ湖の湖上に立っているため、今までは船でしか渡ることが出来ませんでした。そこで、平成12年に箱根神社の境内に分社として箱根神社の横に、新宮を建立。九頭龍神社の側の階段を降りると見えてくるのが、ずらりと並んだ9つの龍・神水龍。石で刻まれた駒ケ岳、神山を背に、芦ノ湖を象った水盤に霊水が溢れます。辰年御縁年の箱根神社御鎮座1255年を奉祝記念して作られたとのこと。 龍の口から水が流れ落ちているのは、境内から湧き出たご神水。口に含むと不浄を清め良い物を引き寄せると言われています。成就水盤。この正月から、境内の龍神水舎左側に新しく「成就水盤」がおめみえ。これは、新たに授与が始まった 誓願符 と 呼ばれる願文を、この成就水盤に注ぐ清冽な龍神水で流し納め、九頭龍大神への誓願を戴くもの。
2016.03.11
コメント(0)
この日の宿の箱根・仙石原に向かう途中に、静岡県駿東郡清水町にある、そして日本の名水100選・日本の秘境100選に選ばれている「柿田川湧水群」を見に「柿田川公園」へ立ち寄りました。 柿田川は、静岡県清水町を流れる一級河川。流水のほぼ全量が富士山からの湧水からなっているのです。しかも全長は約1.2kmで日本で最も短い一級河川。水質が良く、静岡県東部地域の飲料水・工業用水として大切な水源ともなっていると。柿田川湧水群は、1985年(昭和60年)、名水百選に選定。またこの柿田川の水源地泉頭付近には戦国時代に築かれた城郭・泉頭城(いずみかしらじょう)の遺跡もあるのです。泉頭城は、1555年~1558年頃に小田原北条氏によって、甲斐武田勢に対抗するため築かれた城なのです。柿田川公園案内図 約3.3ヘクタールという広大な公園の中には様々な散策路が設けられているのです。柿田川公園内の柿田川湧水群は、透き通った富士の伏流水が湧き出てくる様子をすぐ目の前で観察することができるのです! 霊峰富士の名水 柿田川を守り続けて子や孫に….。右に行くと「第1展望台」、左に行くと「第2展望台」で順番道り「第1展望台」へ。母子像。 第1展望台案内板。 富士山に降った雨や雪解け水が、溶岩流に浸み込み、地下水となって流れ、長い年月を経て湧き出た水・・・それが柿田川湧水。つまり1)富士山周辺に降った雨や雪どけ水が地下にしみこむ。2)しみこんだ水は、水を通しやすいたくさんの穴のあいた地層(三島溶岩流)と 水を通しにくい地層(古富士泥流)の間を数ヶ月流れ下る。3)やがて、三島溶岩流の南端である柿田川公園付近で一気に開放され湧き出す。 清流で知られ、水温は季節を問わず15℃前後。流量も年間を通してほぼ一定を保っていると。第1展望台からの眺め。水が地下から湧き出しているところがハッキリ見える「わき間」と呼ばれる湧水源が。さらさらとした砂地から、ポコポコと輪を描いて透明な水が湧き出る様子は感動的!。 こちらにも。過去の仕事から砂濾過器の逆洗時の濾材表面の状況を想い出す。 日本の自然100選・名水百選・静岡の自然100選の認定証。 別の場所のわき間。 第2展望台案内板。 こちらのわき間は感激のエメラルドブルー。超神秘的な色合いに感激。わき間の水面には周囲の樹林が映り鏡の如し。まさに水鏡。昔の紡績工場が使用していた井戸の跡とのこと。公園内の最強パワースポットだそうです。柿田川公園の奥に鎮座する貴船神社。参道は「えんむすび通り」と呼ばれているようです。訪れた方々に良縁を授けるという言い伝えから、「ふじのくにエンゼルパワースポット」に登録されているとのこと。 木製八ツ橋付近。散策路には自然を踏みつぶさないように遊歩道が設けられ、木造の橋が張り巡らされていた。八ツ橋は、柿田川上流部の川幅が広い場所にあり、小さな湧き間が所々に。木製八ツ橋あたりのわき間がここにも。泉頭城舟付場にある湧き間は昔の製紙会社が利用していた二つの井戸とのこと。砂が舞い上がる様はないが、静かにコンクリートの壁から溢れ出していた。木製八ツ橋からの眺望。 この八ツ橋からは、柿田川の川面の上に吹き出ているわき間が数カ所で見えた。私もこうありたいと願うのであったが・・・・・??。 この湿地にはクレソン、セリ等が青々と繁茂していた。湿地を管理されている係員と信じたい写真。柿田川の水面の波紋も美しかった。 これから日に日に新緑を増して行くであろう光景。初夏にはホタルが飛び交い、美しく幻想的な光を放つのだと。この後、車は337号線を利用し箱根・湖尻峠を経由しこの日の宿の箱根・仙石原へ。仙石原一面に広がる黄金のススキの草原が車窓右前方に。 3月9日(水)に予定されていたこのすすき草原の山焼きは、昨日の降雨によりススキが湿っている為、3月15日(火)延期することになったとネットニュースで。 会社の仙石原保養所に予定通り18時前にチェックイン。Nさん、早朝4時からの運転、お疲れ様でした。Nさんと我々二人の「若手」は和室を。「ご老体」お二人は布団の上げ下ろしが不要の洋室をご希望。 夕飯を楽しむ。 夕食後はアルコールの勢いも手伝って、ご老体二人はカラオケで多いに盛り上がった様子。
2016.03.10
コメント(0)
伊豆半島最南端にある道の駅 農林水産物直売所「南伊豆湯の花」に立ち寄る。季節によって変わる新鮮な旬の野菜や海産物、加工品、民芸品などを販売していた。温州みかん、ポンカン等々様々な柑橘果物が味見付きで販売されていたのです。 日本ミツバチの蜂蜜を発見。500gで4600円と高価にビックリ。 西伊豆をめざしてマーガレットラインを西へ。妻良港(めらこう)。 規模は小さいが、昔から天然の良港といわれる妻良港。風待ち港として子浦とともに栄えた妻良港。幕末、勝海舟が長崎に向かう途中、風待ちのために一時滞在したと。(安政2年・1855年9月)マーガレットラインを進むと特徴的なレトロなタワーが現れる。「伊豆自然郷果蜂苑(いずしぜんきょうかほうえん)」というところで、ハチミツを売っているのだとか。この日は休苑日?それとも休業中?夕日ヶ丘休憩所でトイレ休憩。展望台からは眺望が広がり、11月~1月の間は波勝崎へ沈む夕日が見ることができる人気スポット。展望台から左側を眺めると、二十六夜山・妻良湾そして 宇留井島が眼下に。右側は波勝崎方面。真下の伊浜地区は、マーガレット栽培が盛んで全国でも有数の出荷量を誇っているとのこと。展望台から見える伊浜のビニールハウス群。ハウス内では、マーガレット栽培がされているのだと。展望台近くには今年の干支の五猿(ご縁)の像があり、像は、野猿の生息地として知られる『波勝崎苑』の方角を向いているのだと。3頭の猿はすぐ解りましたが、あと2匹いるとは。 お昼は、伊豆漁協仁科支所の『沖あがり食堂』へ 。 沖あがり食堂の「看板おじさん」が迎えてくれた。店内には色鮮やかな大漁旗が掲げられていた。沖あがり食堂は、刺身イカを乗せた「イカス丼」、 漬けたイカと卵の黄身で夕陽をかたどった「夕陽丼」、 刺身イカと漬けたイカを乗せた「いか様丼」など”イカ”と”丼”にこだわるユニークなそしてネーミングのおもしろい食堂。4人とも仲良く「いか様丼」を注文。皆あくまでも他人指向型?ごまと海苔をまぶした酢飯に短冊切りのスルメイカのお刺身と漬けをダブル乗せ、さらに若鶏の卵の黄身と薬味を配したイカ好きにはたまらない丼!!味噌汁付き。赤い「フノリ」の 塩の香を楽しんだのであった。食堂前の伊豆仁科港。西伊豆町仁科沢田にある小さな港で、近くに歩いて行ける防波堤や磯場もあり、シーズンごとにメジナ、ブダイ、アオリイカ、アジなどが釣れる、こちらも釣り人の人気スポット。。ウミネコ?がのんびりと。 石部の棚田に立ち寄りましたが、田植えシーズンではなかったので・・・・。想像して棚田を楽しみました。この後は細い山道を、地元の農家の小型トラックを追う。何とか再びマーガレットラインに戻ると道路脇に安全運転 誓いの塔が。どなたかこの場所で亡くなったのであろうか? 土肥温泉街より南に8kmほど行ったR136号沿いの「恋人岬」と書かれた看板に導かれるように駐車場に車を入れて、モニュメントのある高台に立つと、堂ヶ島方面の海が望めた。 この手の形、何故か気になったが、世界手話協会で定めた『I love you』(私はあなたに敵意をもたない・歓迎する)との意味を手話で表したものなのだとネットで理解。恋人たちの聖地と言われる恋人岬。 少し下るとお地蔵様が。京都鈴音寺の幸福地蔵さまの分身だと。願をかけた人のもとへ願いを叶えに歩いて来てくれるのだと。天気はよければ富士山が見えるはずであったが・・・。写真を見ながら、白き富士山の姿をこの場所でも想像するのであった。 ここにも菜の花と戯れる西洋ミツバチが。 ミツバチにとっても、菜の花は恋人!!。どうやらここに来たカップルは結婚するらしい? 「恋の定期券」の「2.14 まで」というのは、バレンタインデーだから?。右上のナンバーの01151は『いい恋』?あくまでも拘りの定期券なのです。更に歩を進め富士見遊歩道を約700mほど行った先端は、180度以上のパノラマが拡がり、富士山や駿河湾を一望にする景観のよい岬に愛の鐘「ラブコールベル」があるのだと。 この鐘を3回鳴らしながら愛しい人の名を呼ぶと愛が実るといわれていると。「恋人達の聖地」ともいわれ、恋人達や観光客で賑わうと。オジサン4人には、無縁の世界なので我々は、幸福地蔵のすぐ下にある近めの直営店「恋人岬ステラハウス」に立ち寄ったのです。入り口には「波濤を越えて」の像が。撮ってきた写真の説明書きを一生懸命読んでみると、このモニュメントは、恋人岬・グアム恋人岬姉妹提携15周年を記念して設置したと。ちなみに作者の彫刻家 堤直美さんは、西伊豆町生まれと。説明書きは土嚢で支えられ?仮置きのごとくであったが・・・・??。恋人岬ステラハウス内には大きな招き猫?が幸せそうに爆睡中。 更に西伊豆海岸を上ると、土肥と駿河湾を隔てた静岡市の隣の町である清水とを結ぶ駿河湾フェリー乗り場が左手に。 駿河湾の青、富士山の白、そこにかかる虹をイメージした?カラフルな船体。土肥金山が右手に。この金山は明治から昭和にかけては、佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量があったと。1965年に鉱量枯渇のため閉山。観光坑道内には当時の鉱夫らの人形が再現されているのです。また、砂金採りの体験もできるのです。金山資料館「黄金館」には、土肥金山に関する資料や鉱石などが展示され、ギネス世界記録にも認定された250kgの世界一の巨大金塊などもあるのです。新天城ドーム(しんあまぎドーム)が山の上に。愛称は、BIG-SUN(ビッグサン)。ソフトボールの日本代表チームの強化合宿に頻繁に使われるなど、静岡県のソフトボールのメッカ的役割を持っている他、テニス、フットサルなどの各種球技に幅広く使われているのです。屋根は開閉式。人工芝は砂入りのものが採用されているとのこと。
2016.03.09
コメント(0)
大堰から折り返して再び河津桜を楽しむ。葉がかなり芽吹いている株も。 河津川にはくちばしの先だけ黄色いカルガモ?のつがいがノンビリと餌を探していた。 菜の花にはセイヨウミツバチが花粉玉を付けて。 川沿いのミカン畑には大量のミカンが積み上がられていたが廃棄処分? 花の萼が星形の濃いピンクに。 東洋一の大噴湯と峰温泉の案内板。 大正15年11月22日正午、爆音と共に地上約50mの上空を突き刺し誕生したと。以来80数余年ひとときも絶えることなく毎分600リットル、100℃の温泉を噴き上げ続けている自噴泉。昨年は訪ねたが、今年は時間の関係上諦める。 その代わりに川沿いに新たに出来た足湯を楽しむ。 我が足もあっと言う間に桜色に。観光客との足湯混浴をしばし楽しむ。 峰温泉から湯を引き温調していると。もちろん源泉かけ流し。 そして今年見納めの河津桜。 駐車場に戻り、再び車で次の訪問地の南伊豆町を目指す。 下田港横を通過。 そして南伊豆町・日野(ひんの)「菜の花畑」に到着し駐車場に車を停め散策開始。 青野川河川敷には1月下旬頃から4月上旬頃まで黄色い菜の花が約27,000m2の辺り一面に咲き乱れているのです。この開花時期は早咲きの桜である河津桜の開花時期とも重なり「みなみの桜と菜の花まつり(2/5~3/10)」が開催され、多く観光客で賑わっているのです。見渡す限り黄色一色。 赤は「であいばし」の欄干。 絶景かな、絶景かな。菜の花畑の中を迷路の如く散策する観光客の姿があちこちに。 「第18回 みなみの桜と菜の花まつり」のポスター。
2016.03.08
コメント(1)
河津川の堤に到着すると、いきなり満開の河津桜が迎えてくれた。 毎年2月10日前後から3月10日前後にかけて河津桜まつりが開催される。河津駅近辺の河口から河津川にそって「河津桜並木」が約3km続いており、毎年この時期になると大勢の観光客でにぎわう。夜にはライトアップされるのです。青空を背景に河津桜が濃いピンクの花を。 花びらの中心は更に濃く。オオシマザクラ とカンヒザクラ の自然交雑種であると推定されていると。 河津川沿いの河津桜の並木が続いていた。 青とピンクの競演。 白木蓮も負けじと。 周囲の河津桜よりも更に濃い一株の桜も。 ミカンも撓わに。 川の白きせせらぎを背景に。 釣り人の姿も。 新緑の葉も白とピンクとBEST MIX。 今年から開設された河津桜見晴台が見えた。 太い幹から力強く小枝が。 沢田 ねはん堂 に到着。 ここに祀られている涅槃像は漆の上に金箔を施した造りで1796年頃に作られた古いもの。釈迦が生涯をとじて涅槃に入る時の姿を現しているのです。 涅槃堂入り口には可愛い六地蔵が迎えてくれた。 この涅槃堂は寛永年間(1624~1643年)に建てられ、控寺(住職の休憩寺)と伝えられていると。町指定文化財で全国的にも稀少とされている。涅槃像は、全国にも三十四例しかなく、静岡県内では唯一ここでしか見ることができないとのこと。涅槃像とは、釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたもの。寝仏、寝釈迦像、涅槃仏とも呼ばれている。10時から見学可能とのことで、ガラス戸は閉まっておりガラス越しに涅槃像を覗き見る4人の姿が写っていたのであった。 10時以降には、堂内に入ることが出来、涅槃像の前で専門家より説明を聞くことが出来るのであったが・・・・。釈迦如来涅槃像 「桧一本造り 漆箔 全長2.5m (8尺)」と。見晴台からの光景。満開時にはピンクの濃い2本の帯の道が浮き上がったのだと。 見晴台には早めの鯉のぼりが泳いでいた。 見晴台の隅には日本ミツバチの巣箱らしきものが。出入りする日本ミツバチの姿は確認できなかったが。 全身の金箔や、髪の紺色、唇の紅色など鮮やかに色が残っているのだと。ほとんどの像容は右手を枕とするか、もしくは頭を支える姿である。基本的には、頭は北向き、顔は西向きとされる。これが後に、一般の俗人が亡くなった時に「北枕」とされる由縁となったのである。下の写真は売店に貼られていたポスターより。 お釈迦様に向かって、左側の群像とのこと。 2016 「河津桜まつり」ポスター。満開の原木が中央に。再び河津川堤沿いの桜を楽しむ。川の段差には白き帯が何筋にも。 さらに桜並木は続く。 清らかな流れと河津桜。 上流の堰の所までで桜並木は終了。
2016.03.07
コメント(0)
今年も「元」同僚4人で伊豆 河津桜を見に行ってきました。途中の渋滞を避けるために茅ヶ崎に住む旅友Sさん宅に早朝6時に集合。都内・練馬からの参加のNさんは朝の4時に愛車で自宅を出発したとのこと。幸い圏央道の開通により1時間強で茅ヶ崎に到着したとのこと。Sさん宅でNさんのワゴン車に乗り換え伊豆に向かう。途中、二宮でOさんと合流し4人で西湘バイパスを利用。空は曇っていたが回復の兆しあり。 小田原に入り真鶴道路方面に向かう。 小田原ブルーウェイブリッジを通過。エクストラドーズド橋が3径間連続しており、橋長は270mで小田原漁港に架かる道路橋。雲の合間から朝の陽光が海面にオレンジの筋を。 熱海城が山の上に。 熱海海岸の桜も満開。 135号線を南下。小山臨海公園前を通過。 ホテルサンハトヤが前方に。かつて、動物の剥製を展示&即売していた(らしい)野生の王国。伊豆半島の珍スポットとして有名で出会った場所。駐車場にいる巨大ゴリラ。空も明るくなってきた。 黒根崎手前。稲取漁港と稲取温泉が眼下に。 そして8:30過ぎに河津に到着。「河津桜まつり」 の巨大ポスターが道路脇に。駐車場を目指して河津駅前を右手に。 河津桜の「かじやの桜」は原木と並ぶ名木。やや葉桜になりつつありましたが未だピンク色を留めていてくれました。 駐車場に車を停める。料金は500円。駐車場横の菜の花は見事な黄色。そして河津川添いの河津桜が迎えてくれました。 海に近い河津桜は既にかなり葉桜に変わっていましたが、海から2Km程離れたこの場所の桜は未だ満開状態を何とか維持。 河津川に向かう途中に。温室で栽培中のカーネーションの収穫に勤しむ園芸農家のオジサンの姿が。
2016.03.06
コメント(0)
今日、3月5日は「啓蟄」。二十四節気の一つで、「冬ごもりをしていた虫たちが出てくる」という日。啓は「ひらく」、蟄(ちつ)は「土中で冬ごもりしている虫」の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃という意味。英語では"awakening of insects" →「虫たちの目覚め」二十四節気(にじゅうしせっき)は太陽の動きによって、一年を24等分し、その分かれた日付に名称をつけたもの。一年の始まりは「立春」とされます。二十四節気は、「立春」から始まって「雨水」そして「啓蟄」となります。よって、啓蟄は二十四節気の3番目。我々人間も、さすがに土中で冬眠はしませんが、早春の陽光に誘われて戸外に出、さわやかな風に吹かれたくなるのはこの頃。我が家の庭にも「啓蟄」に似た姿が。チューリップの芽も大夫大きくなって来ました。オダマキも新芽が日に日に大きくなって来ています。百合の芽も。庭梅の蕾もピンクの色を覗かせています。ユキヤナギも小さな可愛い花を一輪、そして一輪と。早秋の陽光が川面に反射して。そして堤防に咲く菜の花にはミツバチが訪花。後脚には黄色の花粉玉を付けて。今年2016年の啓蟄は3月5日の今日。
2016.03.05
コメント(0)
一昨日3月2日は「ミニの日」とのことでした。3月2日の「32」が「ミニ」と読めることから。MINIの輸入元であるBMWジャパンが制定。小さいもの、ミニチュアものを愛そうという日。BMWジャパン(ビーエムダブリュージャパン)は、ドイツの自動車会社・BMWの日本法人、ビー・エム・ダブリュー株式会社、の通称。と言うことで、この時期に我が家の庭に咲いている「ミニな花」を紹介します。まずは紫の「サフラン」。こちらは黄色の「サフラン」。「ローマンヒヤシンス」。1本の茎に付く花の数は少ないですが、ひとつの球根から数本の花茎が出ています。球根は自然分球しやすくよく増えるのです。ローマンヒヤシンスは草丈が低いこと、花が小さくまばらにつくことなどが特徴。そして黄色のミニ「スイセン」。リップのかわいい「キブサスイセン(黄房水仙)」。中央には濃い黄色の盃状の副花冠(ふくかかん)がありその先端に皺がないのです。ポッと灯りが点った如し。我が家の庭には春を告げる草花として古くから親しまれている各種スイセンが開花の準備を続々と始めているのです。 そして養蜂場のある農園にも黄色のミニの花が。「サッシュユ(山茱萸)」の花。早春のこの時期、葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることから、「ハルコガネバナ(春黄金花)」とも呼ばれているのです。稗搗節(ひえつき節) (宮崎県民謡)「♪♪庭の山椒(サンシュユ)の木に 鳴る鈴かけて ヨーホイ 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれ・・・♪♪」に歌われている木であることは、昨年秋に韓国の世界遺産・慶州を訪ねた折りに韓国人ガイドのオバチャンから教えてもらったのです。 ミツバチが好きな花とのことで、苗を植え付けましたがこの日も暖かくなって、我がミツバチも活動を開始し訪花していました。そしてユキヤナギ(雪柳)も白きミニの花を開き始めていました。
2016.03.04
コメント(0)
今日は3月3日、五節句の一つである桃の節句・雛祭りの日。今年も妻が半世紀以上前の自分の親王飾りを屋根裏から持ち出し、6畳の部屋に飾ってくれました。そして、一昨年、親王飾りだけでは寂しいと、妻が通販で各種の段飾り雛や道具を購入し、何と七段飾りが6畳の部屋に鎮座しているのです。 妻の親王飾りも見事な状態を維持しています。金屏風も歴史を感じさせる輝き。 女雛。桧扇(ひおうぎ)を持っています。 そして男雛。笏を持つ手が反対? 太刀は?今、気がつきましたが。冠(かんむり)は直線ではなく時間を感じさせてくれる曲線美。2段目以降は妻が通販でそろえた物。雛人形は、宮中の様子を再現しており婚礼の儀を表していると。まずは三人官女と高杯(たかつき)。高杯には紅白の鏡餅が。並び方も決まっているようです。中央には鎮座する女官。おそらく年かさの官女長。あとの二人は若い女官。向かって右側には長柄銚子を持っている官女。チョット乱れ髪。左側には銚子を持った官女。これらの銚子は今でも結婚式の三三九度で使われるもの。そして3段目には五人囃子。元気な子に育つようにと応援する音楽隊とのこと。もちろん、五人囃子にも順番が。 向かって右から謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓と音の大きい順に並んでいるようです。菱餅は下から赤、白、ピンク、緑、黄色の5段。赤色=太陽、白色=雪、桃色=桃の花、緑色=蓬、黄色=月 を表してます。「春になり太陽の陽光で雪がとけて、桃の花が咲き、大地にも草が芽生え、空には黄金の月が輝く」と。この「菱」というのがなかなか謎めいているのだと。繁殖力旺盛な菱の実を白餅に入れる説、御菱葩餅(おんひしはなびらもち)に由来する説、女性器の菱形を象ったという説等々…私もネットで知ったのですが。4段目は随臣・右大臣、御膳、菱台、左大臣。右大臣は若者で弓矢と太刀を持ち向かって左側に。 左大臣は老人で背矢と太刀を持って向かって右側に。 そして5段目には仕丁(じちょう)。向かって左側から怒、泣、笑の表情の衛士(えじ)。身分が低い分、怒った顔、泣いた顔、笑った顔とそれぞれ豊かな表情をして楽しませてくれます。泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸で知られる表情豊かなこれら三人上戸は、表情豊かな子に育つようにという願いが込められているのです。それぞれ箒、沓台、立傘を持っています。そして6,7段目はお道具。6段めと7段めの飾りに、はっきりした決まりないようですが、食器や箪笥、化粧道具などは段の上に、駕籠(かご)や御所車は下の段に置くと調和がとれるとのこと。嫁いだ娘家族も、孫二人を連れて先週末に我が家に。妻は今年もちらし寿司を作ってくれました。孫娘もマゼマゼを手伝ってくれました。 干し椎茸や干瓢の煮しめ、茹でたニンジン、酢蓮根 、田麩、錦糸玉子や刻み海苔、キヌサヤ、紅生姜・・・・・・・とたくさんの具を混ぜ込んでくれたのです。卵、人参、キヌサヤなどの華やかな彩りが食卓に春を呼んでくれたのです。 はまぐりの吸い物も。はまぐりは、平安時代には「貝合わせ」遊びなどで知られ、ひな祭りの代表的な食べ物。はまぐりの貝殻は、対になっている貝殻でなければぴったりと合いません。このことから、仲の良い夫婦を表し、一生一人の人と添い遂げるようにという願いが込められた縁起物なのです。孫娘は今年もスプーンで心配するほどの量をほお張っていました。孫息子は別部屋から仲間に入れて欲しいと泣き出しましたので布団ごと食堂に連れてきて高見ではなく下見の見物を。来年は同じテーブルで食べていること間違いなし。今年も子供達、そして孫達の末永い健康と幸せを願ったのです。食卓の会話も弾み、おなかだけでなく、心も満たされたのでした。 孫娘もこの日は7段飾りをを触ることもなく満足げに見つめていました。
2016.03.03
コメント(0)
今日は我が農園で栽培しているイチゴに黒マルチを敷きました。今朝はかなり冷え込みまだ土が凍っていました。イチゴは寒さに非常に強く、5℃以下の寒さに一定の時間あたらないと花芽分化しないのです。しかし冬の間に枯れ葉も多くなりました。既に花を持つ株も。まずはイチゴの枯れ葉や周りの雑草の除去を丁寧に実施。次に2列になった株の間に溝を作り米ぬかを蒔き土を再び被せました。そして畝の両側に追肥用に鶏糞をばらまき、三角の草削りで土を被せて準備完了。そして黒の極薄のポリエチレンフィルムである「黒マルチ」を敷きました。とりあえず両端をマルチ押さえで固定。そして上から優しく手のひらで撫で、イチゴの位置を確認しマルチを指で破り芽を損傷せず、葉柄を切断しないように、人差し指を差し入れ、指先でイチゴの根本を撫でるように1周、指に掛った葉を強引に引き出したのです。大きすぎる穴は、マルチの効果(抑草や保温の効果)を減少させるので穴を開ける位置に注意が必要なのです。片側の苗を引き出したら今度は反対側。芽の周辺に付いている短柄の花は以後も柄が十分に伸長することはなく、また霜害やミツバチの不在など様々な理由で利用価値のある実にはならないので除去、更に古い葉や枯れ葉も取り除くと病害の発生を防ぐのに役立つのです。そして最後にマルチ押さえでマルチを固定し、更に土を寄せて完了。同様に別の場所のイチゴ苗にも、完了後は株の周りの土を除去する事も兼ね水やりを。3月中旬以降にイチゴの花が咲き始めますので、より確実な収穫を目指して、開花から3日~4日後を目安に温室栽培の場合は人工授粉を行うのですが、我が家は露地栽培ですし、しかも我がミツバチがこの仕事をやってくれるのです。花から花へみつを吸うためにとびまわることで受粉交配を行ってくれるのです。昨年の晴天の朝にイチゴに訪花する我が家のミツバチ?の写真です。今年も順調に生育し昨年の如く、多くの甘い実をつけて欲しいのです。
2016.03.02
コメント(0)
我が家の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の2月の実績です。発電積算は553KWと1月の519KWより2日少ないにもかかわらず34KWプラスとなりました。また2月の東京電力さんへの売電量は327KWH、15,696円です。2月のスタートは好天に恵まれ発電量も順調でした。毎日の発電、売電、買電、消費電力のデータです。2週目もこの時期にしては好調。3週目は週半ばに天気が不良。4週目は全体的に不調。5週目はやや取り戻しました。2月26日のこの日はこの月の最高の発電量31KWHを達成。この日は私が終日、仕事で不在であったことが消費量を下げています。緑が発電量、そして黄色が売電量。発電したものの殆どを売電していることが解るのです。逆に2月1日はこの月最低の発電量3KWH。売電量は1KWHでした。だんだん春が近づいて来ましたので、我が太陽光発電も発電量を増やして行って欲しいのです。
2016.03.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1