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昨日(3/25)、尾道市立美術館で開催されている「大津絵と浮世絵版画」展にMさんと連れだって行って来ました。上の写真はそのパンフレットの一部です。ブラタモリを見ている人なら見覚えがある絵かもしれませんね。たしか「東海道57次」という回で上の絵が紹介されたような気がします。これは歌川広重の「東海道五拾三次」で53番目に出てくる「大津宿」という絵です。「東海道五拾三次」と言えば、あの有名な「日本橋」とか「蒲原」とか「庄野」を思い浮かべる人が多いのではないかと思われますが、あれらの見慣れた図柄はみな保永堂版と呼ばれているバージョンなんですね。そんなことも今回の展覧会を見て初めて知りました。で、上の絵は、保永堂版に次いでよく知られている丸清版の「大津宿」です。つまり、今回私たちが見た浮世絵はすべて丸清版の「東海道五拾三次」というわけです。では、「大津絵」って何だ?初耳の人のために簡単に説明すると、大津絵とは「江戸初期から明治にかけて職人によって描かれた庶民絵画で、宿場町大津の土産物として旅人に売られていた絵」のことをいうそうです。上の絵の左上の部分に、その大津絵を売る店の様子が描かれています。入り口付近に立て掛けてある絵は当時人気商品だった「鬼の念仏」です。私もブラタモリを見て、この「鬼の念仏」のことだけは知っていたのですが、今回の展覧会では、それ以外のいろんな画題の大津絵をナマで鑑賞することができました。主だったところをざっと挙げると、「藤娘」「鷹匠」「猫と鼠」「瓢箪鯰」「座頭」「弁慶」「雷公」など、どれも素朴な味わいの絵がずらっと展示してありました。その中から、私が面白いと思ったものを一枚だけあげるとすれば、これです。これは「鬼の三味線」という絵で、見てのとおり盃と徳利を前にして、鬼が楽しそうに三味線を弾いています。まるでバンジョーを弾いているみたいです。 笑なんだかとっても和やかな雰囲気が溢れているような気がしませんか。鬼の中にも陽気で愉快なヤツがおるんじゃなあ。と思いきや、実は酒と音楽で相手を酔わせておいて、隙あらば悪さをしようと狙っているのだそうです、この鬼は。うはっ! ナイーヴなやつはいつの世もコロッと騙されるっちゅうことですね。 笑というわけで、この絵には「うまい話には裏がある」みたいな教訓が込められているようです。保永堂版丸清版さて、今度は歌川広重の浮世絵版画の中から「日坂宿 佐夜ノ中山」という絵を紹介しましょう。せっかくなので、保永堂版と丸清版を見比べてみます。見てのとおり、構図がまったく違います。難所として名高い佐夜の中山峠ということで、保永堂版では、その急勾配をややデフォルメ気味に誇張して描いています。一方、丸清版では急坂の分岐点あたりをクローズアップ(近景にして)して描いているようです。どちらの絵にも、中央に目印っぽい石が描かれていますが、これがかの有名な夜泣き石です。この山中で賊に襲われ殺された妊婦の霊が石に宿り、毎夜泣き声が聞こえたという伝説の石です。丸清版では、右手の三人連れのうちの先頭に立つ男がこの石を指差しているのがわかります。「おっ、あったぞ!これだ、これだ!」みたいな言葉を発しているのではないでしょうか。中山峠を越える時は、この伝説の石を見ていくのが旅人の慣わしだったようです。この絵に限らず、「東海道五拾三次」にはそれぞれ各地の見どころ、名所名物みたいなものが描かれていて、当時の人たちにとってはこれが一種のガイドブックみたいな役目を果たしていたのではないかと思われます。さて、さて、せっかく夜泣き石のことが出てきたついでに、石の持つ怪異なパワーみたいな話に雪崩れこんでもいいのですが、それをやるとまただいぶ時間を食ってしまうので、今日のところはやめにしておきます。それはまた別の機会に…最後にオマケにもう一枚。「東海道五拾三次」に描かれた人間以外の生き物で、一番登場回数が多いのは馬ではないかと思い、どれでもいいけど、まあ、これにしとくか、てな具合で、「吉原宿」を選んでみました。日本の昔の馬って、もっと貧相だと思っていたのですが、広重の描く馬は案外と馬格もあり、毛艶も良さそうに見えます。今すぐサラブレッドとしてJRAのレースに出してもおかしくないような見栄えのする馬たちです。 笑
2025.03.26
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189山茶花 3/1 撮影紅梅 3/7 撮影たしか去年も山茶花と梅をセットにして記事を書いたような記憶があります。ウチの山茶花は満開になるのが遅いということを話題にしたのではないかと思います。今年も3月というのに、余裕で蕾を残しています。一方、梅の方も厳しい寒波の影響か、たぶん今までで一番遅い開花となりました。3月に入ってようやくポツリポツリと綻び始めた次第です。ただ、数日後にはほぼ満開になりました。見てのとおり、枝数が少ないからです。実は、2/19に植木屋に頼んで強剪定をしてもらったのです。素人が透かし剪定をするのとは違って、めっちゃスピーディーな作業でした。要はどの枝を切るかではなく、どの枝を残すかなんですね。残す枝以外は躊躇なく全部バッサリなんです。 笑おかげで、あんなに騒々しかった我が家の梅が、今ではこんなに静かになりました。下手くそな喩えでよければ、ヒッピー並みのロン毛からリクルートカットにイメチェンしてサッパリしたみたいな。(ヒッピーなんて今どきおらんぞー 笑)梅って、やっぱりこのくらいの風情が丁度いいのかなあ、なんて思ったりします。まあ、そんなことより、しばらくはあまり世話をしなくてもよくなるのが、自分としては一番ありがたいことなんだけどね。 笑190これは昨日、妹が送ってくれた写真です。どっかのうどん屋の店先で撮ったそうです。ぱっと見、柿かなと思ったのですが、幹とか、実のヘタの部分が違うような気がしました。ところがどっこい、やっぱりこれ、老爺(ろうや)柿といって、渋柿の一種なんだそうです。(老鴉柿というのが正式名らしい)もともとは中国原産で、日本に入ってきたのは第2次大戦中のこと。たぶん盆栽が趣味の人なら知っているのではないでしょうか。1984年に展示会でこの老爺柿が初めて飾られた時は、盆栽界に大きな衝撃が走ったそうです。というのも、従来の日本産の柿というのは盆栽仕立てにするのが難しいという背景があったからです。というわけで、以来、愛好家や栽培家によっていろんな品種が作られるようになり、盆栽のみならず庭木としても広く用いられるようになったのだとか。へえ〜、知らんかったなあ。また初めての植物に出会ったら、知ったかぶりして紹介します。紹介するふりをしながら、実は自分がそれに出会った(実物かどうかにかかわらず)という痕跡を残しているだけかもしれませんが。 笑191何かを読んだり、何かを見たり聞いたりしている時に、ふとこれは他の何かに似ていると思うことが誰にでもあるのではないか。わしは特にそう思うことが多い。以下に、最近経験した「(何かが何かに)似ている事例」を二つほどあげてみる。【その一】先月読んだユリイカの石特集号の中で、橋爪太作という文化人類学の学者さんがクロード・レヴィ=ストロースのこんな言葉を引用しておられた。「私が言っているのは、人間は、人間がいつまでもこの地上に存在し続けるのではないこと、この地球というものもいずれは存在しなくなるだろうということ、そしてその時には、人間が作りだしたすべてが消えて何も残らないだろうということを十分知ったうえで、それでも生活し、働き、考え、努力しなければならない、ということなのです。」これを読んで、わしは釈迦の最後の言葉を思い出した。「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」両者は何となく似ているような気がするのだが、ひょっとしてそれはわしの思い違いなのだろうか。【その二】近頃、暇な時は『岩石・鉱物図鑑』(クリス・ペラント/ヘレン・ペラント 著 ) という本を開いて、異様に美しい鉱物の写真にぼうっと見入っていたりする。中には笑えるものも混じっている。これなんかどうだろう。これは紅亜鉛鉱という酸化鉱物の一種である。「亜鉛の鉱石として重要であるとともに、コレクターや鉱物学者に希少性を高く評価されている」そうだ。なるほど、そうなんだ。でも、わし的には、この写真、どう見てもステーキなんだけどね。 笑共生している方解石の部分がさしずめ脂身ってところかな。しかし、鉱物って面白いなあ。自らは無機質でありながら、その対極にあるはずのお肉(アミノ酸系)のふりをするなんて、凄すぎる。 笑
2025.03.10
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