全3件 (3件中 1-3件目)
1

192この何年か、冬場にフジの枝をビシバシ切りまくっているので、今年はさすがに花をつけないだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみるとこうなった。うーん、お主ら、めっちゃしぶといのお。最初の写真はヤマフジである。一見すると、フジの木にフジの花が咲いているように見えるが、実は他の木の幹にフジの枝が絡みついて、放ったらかしにしていたら、いつの間にかこんなふうな姿になっていたという図である。2枚目の写真はノダフジの仲間だと思う。ヤマフジの枝を切りすぎたせいか、今年はこちらの方が目立っている。というか、同じ場所に生育しながら、きちんと棲み分けをしているように見えないこともない。193 「建築とアートを巡る」の記事より今、京都の二条城でアンゼルム・キーファーの「ソラリス(Solaris)展」をやっているというのは知っている。臨時収入でも入ってきて、なおかつ気力体力が一時的に漲っていたら、ちょっくら新幹線に乗って日帰りで見に行くのだが、今のところ、そういう展開になりそうな気配はない。そこで、いろんな人が書いている体験記事を読んで、この展覧会をざっと鑑賞した気になってみた。上の写真は「ラー」と名づけられた彫刻である。たぶんエジプト神話における太陽神の「ラー」だと思う。「ソラリス」というのがラテン語で太陽を意味するので、きっとそうだ。昔からそうだが、タイトルが意味深だったり、謎めいているのがキーファーの特徴の一つだ。ざっと例を挙げてみよう。「オシリスとイシス」「セラフィム」「アンドロメダ」「飛べ、コフキコガネ」「リリト、紅海をわたる」「君の金色の髪マルガレーテ」「モーゲンソープラン」「マイスタージンガー」「罌粟と記憶」「植物の秘密の生命 ー ロバート・フラッドのために」「オクタビオ・パスのために」などなど。たぶん作品を制作する過程で、この人は実にいろんなことを日々考えているんだろうなという気がする。ゲルマン民族の精神文化史のみならず、古代文明や神話、錬金術やカバラ思想、果ては宇宙論や物理学にまで視野が広がって、老いてますますオカルト三昧になっていくキーファー。意味はよくわからないけど、タイトルも作品そのものも超絶カッコいいキーファー。重厚で壮大な物質波のようなエネルギーでグイグイ押してくるけど、そのテクスチャーが不思議なまでに人を魅了するキーファー。特に際立っているのは、圧倒的な強度に達しているその廃物感!廃物感って何だ?まあ、要するに、廃墟、廃人、廃物などをイメージさせる感じ。キーファーの作品はそういう周波数を強烈に放射しているような気がする。だから、その手の趣味趣向の人にはたまらなくカッコいいのではないか。上の「ラー」を見て、反射的にカッコいいと思った人は、そうしたキーファー的廃物感に親和性の高い人ではないかと思われる。そんな人のために、数ある写真の中からあえて鉛色の空を背景にしたやつを選んでみた。パレットに生えた翼も鉛でできているからというだけの話ではない。この翼を見て、『ベルリン・天使の詩』を思い出した人のために、ついでに言っておくと、天使は人の心の声は聞けるが、色彩を感じることはできないんだよね。さて、『ベルリン・天使の詩』と言えば、ヴィム・ヴェンダース。昨年、キーファーをテーマにした『アンゼルム"傷ついた世界"の芸術家』という映画を撮ったロードムービーの巨匠である。また、ヴェンダースと言えば、一昨年カンヌ映画祭を賑わせた『PERFECT DAYS』の監督でもある。その『PERFECT DAYS』の中で樹木の精になり切って踊りを踊った田中泯が、このソラリス展のオープニングでも、「ラー」の前で鎌を片手に踊りを披露している。このお三方、それぞれがお友達で、なおかつ三人とも1945年生まれときている。田中泯の踊りを動画で見たけど、どう見ても80歳の踊りには見えんかった。元気よすぎるって。 笑その田中泯が言うには、キーファーも頑丈な肉体の持ち主で、さらに哲学者のような顔をしているけど、ダジャレを連発するような人らしい。やっぱりね。あんな作品を作る人って、やっぱりそうでなくちゃ。戦争の焼け野原が原風景であるようなタフな人たち…ちなみに、このブログに名前が出てきた人たちの中で1945年生まれというと、エリック・クラプトンとタモリがいる。クラプトンはまた今年も来日公演を果たし、タモリもブラタモリを復活させるなど、80歳にしてバリバリの現役である。あ、そうそう、余談ついでに言っておくと、今回のソラリス展には、坂本龍一が所蔵していた「SOLARIS − Harry 」という作品も展示してあるらしい。そうか、坂本龍一もキーファーのファンだったのか!いかにもって感じだなあ。そう言えば、坂本龍一と親交のあった浅田彰が90年代によくキーファーを取り上げて論じていたっけ。せっかくなので、当時キーファーの名前を一躍有名にした例の鉛の本をちょっくら紹介しておこう。『20世紀イメージ考古学』より「古倉庫のような無機的なだだっ広いからっぽの空間に、写真、印刷物の断片、砂、絵の具、泥などが折り込められた二〇〇冊あまりの鉛の本の入った鋼鉄製書架が放置されている。一冊の本は一メートル四方で、書架の幅は七メートル、高さは四メートルにもなる、巨大な黒い本の神殿。」 by 伊藤俊治「ザ・ハイプリーステス」( The High Priestess ) というタイトルのこの大作は、キーファーが1985年から5年がかりで作りあげ、ロンドンのリヴァーサイドスタジオという所で初公開されたそうだ。とにかくでかいし、重い。一冊の本がたしか100kg以上あるんじゃなかったっけ。(300kgという説もある)このスケールと重量感、そして廃棄物感漂う鉛の質感、これぞまさにキーファーって感じ。他の誰もこんなもん作らないって。 笑ちなみに「ハイプリーステス」というのは、タロットカードの二番目のカードの名前である。さらに副題としてつけられた「ツヴァイシュトロムラント」というのは、英語にすると、The Land of the Two Rivers ということになり、どうやら、古代都市メソポタミアを取り囲むチグリス川、ユーフラテス川の河口を意味するそうだ。オカルト好きならそそられるネーミングではなかろうか。さて、さて、この辺で恒例のオマケタイムに移りますか。ここまでに紹介した作品からして、アンゼルム・キーファーってインスタレーションや彫刻が専門のアーティストかと思った人もいるかもしれないが、決してそういうわけではなく、絵画も精力的に制作している。絵画といってもキーファーだから一筋縄ではいかないけどね。絵筆のタッチが荒々しいというか、暴力的というか、決しておとなしい感じではない。しかも、藁や鉛や衣服などを画面に貼りつけたりして、やはりここでも物質性を前面に押し出すって感じ。わしが美術館で実際に見たのは、「樹とパレット」と「橄欖山」という作品なんだけど、これらは表現主義的な画風ながら、まだそこまで過激な物質性は認められない。オマケとして最後に一つあげるとしたら、それらよりは「マイスタージンガー」あたりがちょうどいいような気もするが、今回はせっかくソラリス展のことを話題にしたので、そこから一つ、「ライン川」なんてどうだろうか。これは2023年の作品で、「キャンバスに乳剤、油彩、アクリル絵具、シュラックニス、金箔、電気分解による沈殿物」というデータが記してある。どのへんがライン川なのかはさっぱりわからないが(笑)、緑青色と金箔という最近のキーファーの傾向というか、好みがよくわかる作品ではある。
2025.04.28
コメント(0)

昨日(4/13)、コンベックス岡山で開かれているミネラルマルシェという天然石の展示販売会にMさんと一緒に行ってきました。鉱物にちょっとばかり関心があるので、社会見学の一つとして初参加してみた次第です。日曜日ということもあってか、会場はこちらの予想をはるかに超える混雑ぶりでした。若者から年寄りまで、男女を問わず、これほど多くの人がたかが石を見るために集まって来ているのかと思いながら、ちょっと呆気にとられてしまいました。ユリイカが石の特集を組んだり、『宝石の国』が大ヒットして、フォスフォフィライトが有名になったりしているご時世を反映しているのかもしれません。 笑数十店のブースが出品している中、アクセサリー、ジュエリー系はスルーして、ざっと一回りするだけでも2時間以上かかりました。展示品の大方は天然石ですが、中には化石や隕石の類いも混じっていました。展示の仕方は各ブースでまちまちですが、大別すると、二通りになるような気がします。一つは上の写真のように、まさに標本という感じでケースに入れてあったり、アクリル台に立ててあったりするパターンです。これらの石はサイズが小さい(サムネイルやミニチュアがメイン)のが特徴です。高品質な上に種類も豊富で、明らかにマニアックなコレクターを対象にしているような感じです。時間があれば、こうした石をじっくり一つ一つ眺めてみたい気もしましたが、そんなことしてたら日が暮れてしまうので、適当なところで切り上げて次のブースに移らなくてはなりません。もう一つの展示方法は同じ種類の石を台の上に無造作に置いたり、紙の小箱に入れて並べたりというパターンです。こちらの方が初心者向けかなという気がします。上の写真を例にとると、左側には糸魚川産の翡翠、真ん中にマダガスカル産の天青石(セレスタイト/セレスタイン)、右側にはブラジル産の水晶が並べてあります。一般的によく買われそうな石で、しかもビギナーにもなんとか手が出せそうな値段で売られています。私もここに並べてある天青石の一つを買わせてもらいました。記念の品としては、本当はこの石一つでもよかったのですが、気分が高揚していたのか、ついつい調子に乗ってもう3個ゲットしてしまいました。もうこのくらいの規模の展示会に来ることもないだろうから、安物の記念品4個なんて可愛いもんだよ。と今は思っているけど、これが石沼にハマる第一歩だったりして。 笑ナミビア オコルス鉱山のフローライト(蛍石)フランス産のブルーハライト (天然岩塩)ブラジル産のアメシスト(紫水晶)
2025.04.14
コメント(2)

黄梅 (モクセイ科ジャスミン属) かな?この前、日野啓三の 『Living Zero』を読み返していて、思い出した。そういえば、この人もブライアン・イーノの音楽が好きだったんだよなあ。特にハロルド・バッドとの共作になる『鏡面界』と『パール』がお気に入りだったらしい。単調で静謐な音響空間がお望みの人にはもってこいの音楽だ。日野啓三によると、イーノの音楽は感情に訴えないところと形(構造)がない点がいいらしい。感情に対応しないということは、要するに、脱人間的波動領域の音楽と言ってもいいかもしれないね。もっとわかりやすく言えば、非人間的な音楽(人間をテーマにしていない音楽)ということになるのかな。日野啓三流に言えば、こうなる。「この間、ある人が奥さんの遺骨をサハラ砂漠に置いてきた、というカラー写真を見せてもらった。骨の上を砂がさらさらと流れていた。やがて骨も少しずつ砕けて粒になって、砂と一緒に風に吹かれ、流れてゆくだろう。イーノの音楽はそんな光景にぴったりなんだ。」これ、ちょっと笑っちゃうよね。でも、とてもわかりやすい喩えではある。砂というのは、とりもなおさず鉱物ということであり、イーノの音楽は日野啓三が好きな鉱物ととてもよくマッチするということだと思われる。『鏡面界』に収録されている「フィールド・オブ・クリスタル」という曲なんか、日野啓三にとってはタイトルからして「まさにJ・G・バラード・ワールドの音」ということになる。鉱物だけではない。タイトルに光や空気や風といった単語がくっつくだけで、この人は敏感に反応してしまう。 笑例えば、「ウインド・イン・ロンリー・フェンス」にはこんなコメントをつけている。「廃屋敷の傾いた垣根に鳴る風。アンドリュー・ワイエスの絵の中で鳴っている音だ」なるほど、そうきたか!確かにアンドリュー・ワイエスの絵の中ではよく風が吹いている。でも、この曲を聴いてアンドリュー・ワイエスの絵を思い浮かべるって、やっぱり初めからこの画家のファン以外にはあり得ないよなあ。日野啓三は気に入った人にはアンドリュー・ワイエスの画集をよくプレゼントしていたらしい。たぶんこの画家の画集を何冊も持っていたのではないか。わしは残念ながら、この画家のことはよく知らない。でも、二、三の絵なら印刷媒体で見たことがある。そう言えば、代表作の『クリスティーナの世界』は『2001年宇宙の旅』(小説)の中にも出てくるんだよね。今ふと思い出した。話の終盤、スペースポッドに乗って、さながら光の奔流のような異次元の宇宙空間を旅したボーマンが辿り着いた先は、上品なホテルの続き部屋みたいな空間だった。そして、そのリビングルームの壁にはゴッホの『アルルのはね橋』とワイエスの『クリスティナの世界』が掛けてあるんだよね。これって誰の趣味かなあ。この部屋を用意した謎の知的生命体がボーマンの頭の中からピックアップしたのだろうか?まあ、作者のアーサー・C・クラークの思惑が絡んでいるのは間違いないけど…ところで、この女性(クリスティーナ)は、こんな殺風景な丘の上で一体何をしているんだろう。実は、彼女、難病による下半身付随のため、歩くことがままならない状態らしい。それで、腕を脚がわりにして、家まで這って帰ろうとしているのだそうだ。なんでも、彼女は車椅子を使いたがらなかったらしい。まさに、脚がダメでも腕があるじゃないってことだろうか。いつもこんな感じで移動していたようだ。まあ、生き物としてはとても自然なこと。モロイだって脚がダメになると、腕の力だけで森の中を這い回ったではないか。そんなクリスティーナに対して可哀想と感じるのはちょっと的外れかもしれない。たぶん作者ワイエスもそうは思っていなかったのではないか。でも、画面にそこはかとなく漂う寂寥感は何なんだろう?それはただこのワイエスという人が、がらんとした空間に人がポツンと佇むことによって醸し出される「ひとりぼっち感」を気に入っていたというだけの話ではないだろうか。実際、インタヴューに答えて彼はこんなことを言っている。「私は今に至るまで人生の大半をひとりぼっちで過ごしてきました。それが気に入ってもいるのです。」「もし私の作品が生きているとしたら、それは人びとから妙に離れている感じがするせいかもしれません ー一種の孤立感です。」どうやら、ワイエスという人はひとりぼっちで自然の中を動物のようにほっつき歩き、あたりに潜む何やらマジカルなものの波動を感じとるのが好きだったようだ。また、小鬼や妖精や魔法使いといったハロウィン的なもの、超常現象や亡霊や廃墟といったゴシックホラー的なものにも強く惹かれていたようだが、それはこの画家がアメリカンゴシック的想像力の系譜に連なっている証かもしれない。『海からの風』『November First』「風の強い秋の日にとうもろこし畑の中でただじっとして、かさかさという乾いた音に耳を傾ける、これほど胸が高鳴ることはないと思います。」「実際雪は私を酔わせる。ぞくっとするほど感動してしまいます。 ー あの静謐。信じられないくらいだ。」「私は冬と秋が好きですが、その季節にはいわば風景の骨格とでも言えるものが感じられる。 ー そしてその寂しさ、冬の何もかもが死に絶えた感じなども。だが何かがその下で待っている。」幼い頃から病弱で、終生アメリカ東部の片田舎から出ることなく、水彩やテンペラ画を描き続けたアンドリュー・ワイエス。 その絵は一般的にはリアリズムと言われているが、それらをマジックリアリズムと呼ぶ人もいる。それはリアリズムという手法を通して、自然の中に息づく「抽象的なきらめき」をマジックのようにあぶり出すみたいな意味合いかもしれない。そして、画面に漂う不穏な空気、あるいは異世界に通じるかのような霊的な気配。日野啓三もそうしたものに惹かれていたのかもしれない。
2025.04.03
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1