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写真:冬のLake Tahoe。青く澄んだ湖に、一面真っ白い雪に覆われたビーチ。ぽつんと置かれたデッキチェアには、誰も座っていない。今日は朝9時から夕方5時までEntertainment Managementの授業があって、大変疲れた。今日はハリウッドからユニバーサルスタジオのマーケティングディレクターをゲストスピーカーとして招き、今年の12月に劇場公開されるキングコングの映画について話を聞いた。期末試験の代わりに、このキングコングのリメーク版を、どうやってマーケティングすればいいかのプレゼンテーションをしなくてはならない。キングコングとゴジラの区別もつかない私は、とりあえず1933年に公開されたキングコングオリジナル版のビデオを見ることから始めなくては。。。映画業界で働くことはないので将来の仕事に役立つ授業とは言えないけれど、ハリウッド映画ってこういう風に作られるんだ、と舞台裏を覗くのは結構面白い。でも、全く知らない業界の話を英語で丸一日聞くのは、かなり疲れるものだ。本当は夜はGlobal Strategyのペーパーの準備をしようと思ったのだが、あまりにも疲れてしまって、結局Think like a Winnerを読んで終わった。この本は、そう目新しくはないけれど、結構いいこと書いてあった。明日は寮生活最後のSunday Supper(ディナーパーティー)。前回と同様、ゲストをもてなす役目を仰せつかった。春らしくピンクのカクテルドレスを着ていこうかな。とりあえず、朝は早く起きてペーパーに取り掛かろう。
2005年04月30日
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今日は午前中にマッサージで至福の85分間を過ごす。このところ肩に力が入っていたのか、首、肩、背中がコリコリ状態だったので、気持ち良かったなぁ。。。午後はConsumer BehaviorのPricingセクションを書いて、メンバーに送って一段落。Pricingのプロジェクトのほうも後はパワーポイントのスライドをちょっと手直しするだけなので、残るはBehavioral Financeの期末試験、Global Strategyのペーパーと期末試験、Entertainment Managementのペーパー(キングコングの映画をどうプロデュースしたらいいかを書くのだが、とりあえずキングコングの映画を観ることから始めるか。。。)そして学部生のOrganizational Behaviorの期末試験の採点をやって、引越しの準備をして、その合間にセミナーやら送別会に参加して、22日に卒業式、そして23日に帰国。5月は慌しくあっという間に過ぎそうだ。今日の夕食は面白かった。建築家で、バークレーの土木工学の博士課程にいる女性と、元弁護士で、今はバークレーの英文学の博士課程にいる男性と話す。女性のほうは、大学、大学院で生物学の修士まで取ったが、自分に向かないことがわかって、建築の大学院に入り直し、建築家として活躍した。そして今は土木工学と建築の学際的な研究をやるためにバークレーで勉強している。男性のほうは、エール大学で哲学を勉強し、コーネルのロースクールを出た後、ニューヨークにある一流の弁護士事務所で証券取引法専門の弁護士として働いた。が、どうしても文学に対する情熱を捨て切れず、弁護士を辞めてバークレーの英文学の博士課程に入り、今はラテン語や古代ギリシャ語を勉強して詩を研究している。2人とも自分がやりたいこと、自分のミッションをはっきりわかっている。金銭的には犠牲を払ってでも、自分のミッションを果たすことに情熱を注いで生きようとしている。そういう人を目の当たりにして話すと、とても励まされる。私も自分がやりたいこと、自分のミッションをもっと明確にして、それを実現するために一生懸命生きたいと思う。些細なことにいちいち悩んだり落ち込んでいる暇があったら、自分の夢を実現するためにあれこれ思考をめぐらせるほうが楽しい。元弁護士の男性は、ユーモアのセンスが自分と合うというか、話しているといつもほのかにおかしくてお互い笑ってしまう。よく人に「好きなタイプの男性は?」と聞かれるが、一つ絶対に言えることは、ユーモアのセンスが合う人。話していて面白く、話さないで沈黙していても気まずく感じない人。知的好奇心が旺盛で、いろいろな分野に興味を持っている人。でも、自分の本当にやりたいことはちゃんとわかっていて、それに情熱的に取り組んでいる人。感情の起伏が激しくなく、いつも穏やかで朗らかな人。自国の文化しか知らない・受け付けないという人ではなくて、いろいろな国の文化に興味を持っている人。こうやって挙げてみると、「こういう人に私はなりたい」と自分自身が目指している人物像と重なる。こういう人に出会いたかったら、まず自分がそういう人になることだな。
2005年04月29日
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今、バークレーのBusiness Plan Competitionから帰って来た。7時から9時過ぎまでFinalistに残った6つのチームのビジネスプランのプレゼンを聞いたので、結構疲れた。ちょっと頭痛がする。。。それにしても、本当にみんな凄い。バークレーに来てつくづく思うのが、同じ試験を受けて入ってきたビジネススクールの学生でも、そのPerformance(活躍度)にはかなり大きな差があるなぁということ。授業についていくだけで精一杯の学生もいれば、忙しいMBAの授業に就職活動、そして大学や会社でパートタイムで働き、さらにはビジネスプランコンペティションに応募して賞まで取ってしまう学生もいる。そしてそれは、能力的な差だけでなく、本人が自分が何をやりたいかわかっていて、それにどれだけ情熱を注いで取り組んでいるか、という精神的な差が大きいように思える。自分がやりたいことがわかっていて、それが世界を大きく良い方向に変える可能性があることもわかっていて、それに自分の人生をかけて情熱的に取り組んでいける、というのは何て素晴らしいことだろう。What should I do with my life? MBA留学して、組織開発関係のコンサルティング会社への就職も決まり、アメリカで新しい生活を始めることになって、もうこの質問の答えは見つけたと思っていた。でも、組織開発系の仕事をするとか、アメリカで仕事をする、というのはあくまでも手段に過ぎない。もっと大きなレベルで、私は世の中にどう関わっていきたいのか。たった一度しか生きられない人生を私はどう生きたいのか。私は自分が生きている間に何を成し遂げたいのか。恋愛して結婚して幸せな家庭を持つ。安定した収入を得てお金に困らない生活をする。Executive coach、コンサルタントとして、業界、国境を越えて活躍できるようになる。本を出版してベストセラー作家になる。大学で教鞭をとる。これは全部、かなえたいと思っている目標である。が、もっと大きなレベルで、私の人生の目標は何なんだろう。上記のような目標を達成することで、私は世の中に何をもたらしたいのだろう。「私はこのために生きているんだ」と思えるような使命が、自分にあるのかどうか、またあったとして、それが何なのか、わからない。人生は意外と短くてあっという間に終わってしまう。自分の人生を照らす羅針盤として、「自分は生きている間にこれだけは成し遂げたい」という目標を明確にしたいと思う。いや、しなければいけない、と切実に思う。
2005年04月28日
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今日は朝とても眠かったが何とか起きて朝食を取る。最近、朝食に中華粥みたいなものが出るようになったので嬉しい。中国人と韓国人とドイツ人と一緒になり、中国に派遣された外人(例えば日本人)が、中国人の従業員をうまくマネージするには何に気をつけたらいいのか、という話になった。実際に日本と中国の合弁企業から派遣されている中国人から生の話を聞くのはとても面白い。私の留学生活の価値の殆どは、I-Houseでの生活から来ているなぁと実感するひとときである。朝食後はひたすらConsumer Behaviorのプロジェクトの調べもの。午後のPricingの授業は今までの復習に入る。来週には全ての科目の授業が終わるため、どの授業も復習モードに入っている。もうこうやって学生としてキャンパスに行って授業を受けることはないんだなと思うと、何ともいえない気持ち。今までは、早く社会復帰してバリバリ仕事したいと思っていたけれど、2年間どっぷり浸った学生生活が終わるのは、やはり寂しい気持ちがする。夜のBehavioral Financeは今日が最後の授業であった。来週の水曜日に期末試験をやって終わり。この教授は若い頃はずっとヒッピーとして世界中を旅行し、40歳で大学の博士課程に入り、47歳で教授になったという、異色の経歴の持ち主。今日は授業の合間に20代の頃の写真を見せてくれた。腰まである長い髪にピアスにサングラスで、もうどこから見てもヒッピー。そしてこのヒッピーは、20年後にはBehavioral Financeの第一人者として数々の論文を出し、バークレーの教授として活躍している。人生ってわからないものだ。明日はもう木曜日。あっという間に週末である。プロジェクトがいよいよ佳境に入ってきて、明日は朝から夕方まで3つのミーティングをこなし、その合間にペーパーを書かなくてはならない。金曜日は久しぶりに至福のマッサージを受ける予定なので、がんばろうっと。
2005年04月27日
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今日は朝のConsumer Behaviorの授業の後に、グランドピアノで、来週木曜日に迫ったコンサートでの、フルートとのアンサンブルの練習をする。ランチはベジタリアンの和食のお店でご馳走になる。ナスの中に揚げ出し豆腐が入っていた煮物とほうれん草の胡麻和え、美味しかったなぁ。。。5月に日本に帰って母の手料理を食べるのが、今からとても楽しみである。午後は演奏時にバックに流す海の映像作りに没頭。曲が「春の海」なので、インターネットで春の海の映像を集めたが、自分が撮った写真も半分くらい入れた。こうやって見ると、なかなか私の写真もいいねぇ、と1人悦に入る。4時からマーケティングの大家と言われている名誉教授のDistinguished Lecture(訳すと、著名な大家による講義)に出席してみた。感想は、「うーん、何が言いたかったのだろう。。。」ブランド戦略は、企業の戦略と密接に関係がある、とか、よいブランド戦略を立てるためには優秀な人材を集めることが大切、とか、様々な目的を優先順位付けすることが大切、とか、高慢ちきになったらだめ、とか、協力的な企業文化を創ることが大切、とか。。。当たり前の常識のような気が。。。わざわざDistinguished Lectureというセミナーで講義する内容とは思えない。そもそも、レクチャーが終わっても、結局、レクチャーのテーマすらはっきりしなかった。この教授はマーケティングやBrand Managementの分野では有数の大家と言われているらしいが、こんなレクチャーをやったら、彼自身のPersonal Brandに傷がつくのではないかとすら思った。企業のブランドマネジメントもいいけれど、個人的には、Personal Brandを確立して、発展させていくPersonal Brand Managementなどに興味がある。バークレーでこういうセミナーをやったら大盛況になると思うが。夜は速読教室。読むのは早くなっても、英語の読解力はそうそう変わらないので、本当に英文の意味を理解しようとすると、一気にスピードが落ちる。眠くなってきたので、今日はこれまで。。。
2005年04月26日
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昨日、尼崎の列車脱線事故のニュースを知った。亡くなった人の中には、まだ10代、20代の若者もたくさんいた。もし朝寝坊して一本電車を遅らせていたら、今でも普通に生活していただろう。「あのときは危うく事故車に乗るところだったよ」なんて友達に話しながら。一昨日、カリフォルニア大学アーバイン校のMBA1年生が亡くなった。先週、UCバークレー、UCLA、UC IrvineでWater Polo(水球みたいなもの?)の対抗試合があったのだが、そのときにプールで溺れて重体となり、そのまま息を引き取ったらしい。もし、彼がその日、風邪気味だからと対抗試合に出なかったら、今でも普通に生活していただろう。「来週のFinalやばいよー」なんてクラスメートと話しながら。大学時代のクラスメートは外資系コンサルティング会社でコンサルタントとして活躍した後、ロンドンビジネススクールにMBA留学し、1セメスターだけUCバークレーにも交換留学した。MBA取得後は外資系製薬会社の財務部でバリバリのキャリアウーマンとして活躍していた。彼女は2年前の秋に、友人の結婚式に出席するためパリに行き、そこで交通事故にあって亡くなった。もし彼女が仕事の都合でパリに行けなかったら、今でも普通に生活していただろう。「仕事が忙しくて大変!」なんてメールしながら。ちょっとした偶然が、人間の生死を分ける。悪いことをしたから罰を受ける、とかそういう因果関係は全然存在しない。このことを思うと、改めて愕然とする。生きるのも死ぬのも、何か大きな力が決めているような気がする。これを「運命」というのかもしれない。自分は「生きている」というよりは、何か大きな力によって「生かされている」ように思う。ペルーの山奥で道に迷って、野犬に襲われて足を噛まれたときは、一瞬「もしかしたら死ぬかもしれない」と思った。幸い、道を見つけて村に帰り着くことができ、また狂犬病にもかからなかった。ペルーからアメリカに戻るとき、空港で荷物の中身を調べられた。検査官は私のバックバックの中身を取り出し一つ一つチェックする。そしてバックパックの底にスリーピングバッグが入っているのを見た上でOKした。スリーピングバッグは取り出さなかった。家に戻ってからスリーピングバッグを取り出したら、何とその下にコカの葉っぱが入ったビニール袋があった。ペルーではコカ茶は高山病予防のために、当たり前に店で売られている。私もアンデス山脈トレッキングのためにコカの葉っぱをクチャクチャ噛んでいた。そういえば残ったコカ茶を捨てようと思っていたのに見当たらなかったが、こんなところにあったとは。。。もし検査官があのときスリーピングバッグも取り出してコカ茶を見つけていたら、私は日本に強制送還されていたかもしれない。米国入国不可ということでビジネススクールも退学になっていたかもしれない。その他にも、空港でパスポートを落としたが、スチュワーデスが届けてくれたり、小切手詐欺にあって1000ドル以上盗まれたが、銀行と掛け合って全額返ってきたり、結構危ない目に合っていながら、ぎりぎりのところで、いつも助けられているような気がする。守護神のような存在に助けられ、生かされていることに感謝しながら、毎日生きて行こうと思う。いつの日か、生かされなくなる時が来るまで。
2005年04月25日
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さっき実家に電話したら、土曜日に祖父が亡くなったことを知らされる。95歳だった。最近調子が良くなくて入院していることは聞いていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった。5月に帰国したら真っ先に会いに行こうと思っていた。去年の夏、2ヶ月も日本にいたのに、会いに行かなかったことがとても悔やまれる。神戸からでも週末に新幹線で東京に行けば良かった。横浜の実家に4泊はしたのに、友達に会ったりで忙しく、祖父のことなど頭にも浮かばなかった。いつまでも元気で生きている、とどこかで思っていたのだろう。でも、そんなわけはないのであり、真っ先に会いに行くべきだった。神戸から祖父に電話したとき、もう直接神戸からアメリカに帰るので会えないという話をしたら、しきりに残念がっていて「もういっぺん会いたいなぁ」と言っていた。「5月に卒業したら帰るから、それまで元気でいてね」と言ったら「おじいちゃん、頑張るよ!」と言っていた。でも、もう二度と会えない。3月の春休みに日本に帰ろうかと思ったけど、結局帰るのをやめてバークレーに残った。あのとき、どうして帰らなかったんだろう。帰って祖父に会いたかった。2年前の夏、留学前に、祖父と母と新宿で食事をする。祖父は赤いネクタイに帽子にステッキと最大限のお洒落をしていた。足元がおぼつかなかったが、私の前では一生懸命元気に振舞っていた。祖父にとんかつとケーキをご馳走になる。美味しい美味しいとパクついている私を、祖父は目を細めて見ていた。バークレーから祖父に何通か絵葉書を送っていた。最後には必ず、「早く会えることを楽しみにしています。それまで元気でいてください」と書いた。母は電話で、祖父が私からの絵葉書を大変喜んでいたと伝えてくれた。そしてもう絵葉書を送る必要は無いと。。。取り返しのつかないことってあるんだ。祖父は私に会いたい会いたいと思いながら死んだんだろうか。亡くなる前にもう一度元気な姿を見せてあげたかった。日頃、親のことなど忘れていた私が、昨日、今日と久しぶりに親のことをいろいろ考えるようになったのは、祖父からのメッセージだったのだろうか。親もいつまでも生きてはいない。取り返しのつかないことにならないよう、親に感謝して、親孝行しなさい、という。私は死に目に会えなかったけれど、妹が祖父に会いに行ってくれたと聞いて、少し気持ちが楽になった。おじいちゃん、今までどうもありがとう。天国でおばあちゃんとまた一緒になって安らかに眠ってください。--------------------------------------------------------------------------昨日、夜中の3時頃に上記を書いて、泣きながら眠った。今朝起きたら目が腫れていたので人前に出たくなくなり、1人、部屋でブランチを取る。ふと思い立って祖父の名前「島村六郎」を検索してみたら、一件だけ出てきた。祖父は土佐勤王の志士島村衛吉の子孫なのである。以下、転載。古文書の権威の高橋史郎さんが島村衛吉の遺族、衛吉の養子(衛吉の兄の子つまり甥)の子の島村六郎(92才)さん寄贈の巻物を解読して下さり、とうとう平成13年5月に南国市教育委員会発行の本になった。 南国市(歴史民俗資料館)に寄贈されたこれらの島村衛吉の手紙類はいずれ公開されるという。島村六郎氏 ここで平成13年8月28日に会ってきた六郎さんについてお話しします。 島村衛吉の資料をやっと南国市に寄贈された島村六郎さんは92才で、東京・聖蹟桜ヶ丘におられます。 父の仕事などで北海道にいた六郎さんは親戚の島村が高知にいないとなげいており、今回ぼくが訪ねると大変喜んでくれました。 ぼくの過密スケジュールで1時間少々しか会えなかったのですが、タクシーで彼の家に案内してもらいました。 92歳でしたが足腰もその他もしっかりしており、声にも元気さが十分感じられました。 お宅には、官房長官の部屋での一緒の記念写真や迫水久常氏、福田赳夫総理の揮毫などがあり、煙草の販売事業組合長で最近まで活躍された方でした。 一緒に記念写真を撮ったりしました。彼はいつまでも話したがっていましたが、やっと聖蹟桜ヶ丘の駅前の食堂で離して貰いました。普通の日本人男性の平均寿命は78歳で、50代、60代で亡くなる人もたくさんいる中、祖父は95歳まで生きた。大往生といえるだろう。「XXちゃん、わしゃ、100歳まで生きるからね!」と言いながら背筋をしゃんと伸ばしていた祖父の姿が、懐かしく思い出される。祖母も祖父も幸せな人生を送ったのだと思いたい。こうしてみると、自分と家族がそこそこ健康に生きていられれば、それこそが幸せそのものであり、感謝すべきことなんだと、改めて実感する。それ以外のことは、ボーナスみたいなもので、得られたらもちろん嬉しいけれど、得られなかったとしても、悲しんだり不幸に思ったりすることではない。私がこうやって海外で勉強したりできるのも、日本にいる家族が健康でいてくれるから。自分が今おかれている状況への感謝を忘れないようにしたいと思った。
2005年04月24日
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昨日の日記についてのいろいろなコメントを読み、久しぶりに子供の頃の自分と親との関係を思い出していた。13歳で、全く英語が出来ない状態で、ドイツのインターナショナルスクールに通い始めた私は、授業に付いていけないどころか、周囲との意思疎通すらろくにできなかった。見かねた父親が、毎晩、夕食後に英語の特訓を始めた。夕食後、旺文社の「英文法の基礎」という本を使って、徹底的に英文法を勉強した。その後、学校の宿題も一緒にやった。特訓は毎日深夜まで及んだ。仕事から疲れて帰ってきて、夕食後くらいゆっくりくつろぎたかっただろうに、父と私の特訓は毎晩1年間続いた。1年後には、英語がすっと頭の中に入ってくるようになったし、学校の授業でも積極的に発言できるようになった。家で英文法をしっかり叩き込んだおかげで、一生ものの英語力が身に付いた。振り返ってみると、今の私があるのは、英語力のおかげとも言える。英語力がなかったら、高校にも大学にも合格していなかっただろうし、外資系企業にも転職できず、当然海外留学もできなかったし、海外で働くなんてあり得なかった。そしてこの英語力は、父が海外転勤になって私をインターナショナルスクールに入れてくれたこと、そして毎晩英文法の特訓をしてくれたからこそ、身に付いたと言える。ドイツに住んでいた頃、休みには必ず家族でヨーロッパ各国を旅行した。美術が好きだった父は、パリに行けば必ずオルセー美術館に行き、スペインではプラド美術館に行き、どこの国に行っても必ず美術館に行った。子供の頃から一流の芸術作品を見ることができた、という経験は、私や妹の感受性に大きな影響を与えたような気がする。特に妹の場合は、人生の方向性を決めた、と言っても過言ではない。妹は高校から油絵、日本画を描いていた。美大を受験するために日本画を描かなくてはならなかったのだが、どうしても思うような作品が描けないということで、「もうやめる!」と絵筆を投げたことがあった。そのとき父は何とかなだめようとしたが、妹は聞く耳を持たない。すると、父は、何としたことか、自分で絵筆を持って絵を描き出したのである。「お父さんの絵よりも、あんたのほうがずっとうまいなぁ」なんて言いながら、絵なんて描いたことも無い父親が、妹を励ますために、不恰好な絵を描いていた。妹は今、大学院の博士課程で美術史を研究し、海外を飛び回っている。あの時、父が自ら絵筆を持って妹を励まさなかったら、今の妹の活躍はなかったかもしれない。銀行員だった父はいわゆる出世コースからは外れて、子会社に出向となった。父は仕事から帰ってくると書斎に篭ってワープロに向かっていることが多かった。子会社を定年退職した後、父は私立大学に教授として招聘された。銀行員時代のキャリアと、在職中に出版した2冊の専門書が認められたのである。出世コースから外れたことで落ち込むことなく、逆にそれを、自由に使える時間が増えるチャンスだと捉え、コツコツと執筆活動を続けて専門書を出版した父。そしてその本が認められて大学教授として第二の人生を歩み始めた父。父が、成人した私と妹に、直接「勉強しなさい」と言うことは無くなったが、私と妹は、夕食後や週末に書斎でワープロに向かっている父の背中から、「人間、常に自己研鑽することが大切なんだ」というメッセージを受け取り続けた。父は2年の任期を一年間延ばして3年間教授を務めた。後から母に聞いたのだが、私の結婚式のときに、自分が無職であるよりは、大学教授という肩書きでいたほうが私にとっていいと思ったからだそうだ。父の「配慮」にも関わらず、私は父の任期中に結婚することはできなかったが。夜遅い時間に帰宅すると、父は「お、今帰ったか」と言って何事もなかったかのようにすました顔で新聞を読んでいた。が、実際は「あいつはまだ帰らないのか」と1分おきに母に聞き、心配のあまり家中をうろうろ歩きまわっていたそうだ。(後から母に聞いた)こうやって、父のことをいろいろ思い出すと、自分がいかに父から多くのものをもらったかに気付かされる。今の自分を形成している資質の多くは父からもらったものと言っても過言ではない。父は父なりに私のことを考えて大切に育ててくれたのだろう。もう父も70近い。母も年を取った。5月に日本に帰ったら親孝行したい。書いているうちに、涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまった。
2005年04月23日
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昨日早く寝たのに今日は昼近くまで寝てしまった。12時間以上寝ていたことになる。Think like a Winnerを読み続ける。これによると、自分に対する評価が低くてネガティブなものの見方しかできない人は、大抵幼少期に親から十分な愛情を受けていなかったか、あるいは条件付の愛情しか受けていなかった人が多いという。自分にも当てはまるなぁと思った。私の場合は妹が出来た頃から、親の関心が自分ではなくて妹に向けられているのを感じ、その頃から写真の表情が暗くなっている。良い成績を取ったり作文で表彰されると親が喜んでくれることを発見して、親に褒めてもらうために一生懸命勉強した。数学の試験で60点を取ったときは親に怒られる恐怖で答案を隠し、発覚した後はやはり怒られて、レストランで外食したときに、父親が箸の紙袋の裏に数式を書いて、料理が運ばれてくる間に勉強した記憶がある。とにかく良い成績を取ること、表彰されること、いい学校に入ること、難関資格を取ること、それが私が親から愛される条件であり、親にとっての私の存在価値の全てだったような気がする。私は親の期待に全て応えた。代わりに、友情、恋愛、青春といったものを全て失った。高校のとき、心理学に興味があることがわかり、そのまま付属の大学の心理学部に進みたいと思った。父親に相談してみたら、「何で国立に行かないんだ?」と言われる。東大卒の父親は娘にも横文字の大学なんかじゃなくて、東大、京大、一橋あたりに行ってもらいたかったらしい。結局一橋にしたのだが、やはり心理学をやりたかったので、社会学部を受けようとした。すると、「一橋の看板は商学部だろ。何で商学部を受けないんだ?」と言われる。私は高校の体育祭にも参加せず、猛勉強して、一橋の商学部に合格した。商学部の授業は全て面白くなく、やる気をなくして5月病になった。家で「商学部の授業は面白くない」と愚痴をこぼしたら、父親が「商学部の勉強なんて面白いはずがない」と言い放った。このとき、私の中で何かが壊れたような気がした。父親に対する絶対的な信頼が崩れた。このときから私は父親と殆ど口を利かなくなった。今は、親は親なりに私のことを愛してくれたんだと思うようにしている。こうやって大病もせずに無事に生きてこられたのも、親のおかげである。でも、今でもたまに思うことがある。もし、親が小さい頃の私に無条件の愛情を注いでくれていたら、「成績がよくなくたって、あなたはそのままで十分愛される価値があるのよ」と抱きしめてくれていたら、「心理学でも何でも、自分の好きなことをやりなさい」と言ってくれていたら、私の人生はどう変わっていたのだろうと。
2005年04月22日
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木曜日になると、「もう週末か、今週も早かったなぁ。。。」とつくづく思う。5月22日の卒業式まで後一ヶ月となった。授業は実質後2週間で、それからプロジェクトの提出や期末試験が続く。その合間に帰国準備をしたり荷物をSFに移したり、と怒涛の一ヶ月になりそうだ。Consumer Behaviorのペーパーが返ってきた。評価は"A"で、Excellent! Creative use of Cialdini's persuasion principles!!と褒めてあった。嬉しい。グループプロジェクトのほうは(私を含めた)メンバーのモチベーションが低くて今ひとつ進んでいないのだが、個人のペーパーで良い成績を取れたので、何とか卒業に必要な成績は取れそう。何か疲れが溜まっていて、朝の授業の後、ランチもスキップして午後のミーティングぎりぎりまで眠る。1時から3時までPricingのプロジェクトのミーティングに出席。エクセルを駆使してサーベイの結果を分析し、回帰分析やらConjoint Analysisやらを議論しているクラスメート達は本当に凄いと感心する。私もコアで統計の授業は取ったのだが、「この分野は自分の得意分野ではない」ということを明確に理解して終わった。統計やエクセルを駆使して数字を分析するのは本当に嫌いである。数字がびっしり入っているエクセルの表など見ると頭痛がしてくる。卒業後に就く仕事には数字の分析はないし、今後もそういう仕事には就くことはないだろう。ミーティングの後は日用雑貨を買うために外出する必要があったのだが、それも何かおっくうで、30分ほど横になる。相当疲れているみたい。やっとの思いで買い物を済ませ、卒業式に着るガウンの値段をチェック。ちょっと質は落ちるけど60ドルでガウンと帽子の一式を購入するか、あるいは質は高いけど値段も高くて65ドルで一日だけレンタルするかの選択となる。(買うと500ドルくらいする。。。)まあ、記念にもなるし買おうかな。クラスメートの多くは卒業式に親が来てその後一緒に旅行するらしい。私のところは来ない。一応誘ってみたのだが、興味ないみたい。夕食後はLiving Out Your Faith in the Business Worldというテーマのコンファレンスがあったのだが、何か直前になって行く気がしなくなって、やめた。敬虔なキリスト教徒であるCEOが自分の信仰とビジネスをどうバランスしていくか、みたいな内容だったと思う。Think Like a Winnerを読み始めたのだが、やはり疲れているみたいなので、今日はもう寝ようと思う。まあ、たまにはこういう日があってもいいだろう。疲れを感じたらこまめにケアしないと。
2005年04月21日
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Das Veilchen (J.W.von Goethe)A violet stood in the meadowStooped over and unknown;It was a charming violet.Then came a young shepherdess,Light of foot and with merry heartAlong the meadow, along the pathAnd sang."Oh" thought the violet, "If only I wereThe most beautiful flower in the wood.Ah, only for a little whileSo that the dear one would pluck meAnd press me to her bosom.If only, if onlyFor a quarter of an hour."Alas,alas, the young girl cameAnd did not even notice the violet,Stepped on the poor violet.It sank and died yet rejoiced,"I die because of herBut yet, I die at her feet."今日はお昼にキャンパスで定例の音楽会があった。今日はシューマン夫妻のラブソングを、ピアノの伴奏でソプラノ歌手が高々と歌い上げるというもの。ピアノの伴奏をした男性もソプラノで歌った女性もバークレーの学生で、しかも恋人同士でもあり、今回のコンサートにはぴったりであった。美しい声で愛の歌を歌う女性は笑顔が輝いていてとても幸せそう。ピアノを弾く男性もかっこよくて、ときどき2人で見つめ合ったりして、息のあった素晴らしい演奏であった。学生の演奏とは言え、こんなに美しい声を聞いたのは久しぶりのような気がする。2人が奏でる愛のメロディーに心から浸りきった。シューマンの歌曲の中で「スミレ」という小曲がある。スミレが愛する人の足に踏まれて喜んで死んでいくという詩に、涙が出そうになった。(英語訳は上記に)コンサートで隣に座ったユーゴスラビア人のおじいさんに話しかけられ、おじいさんのガールフレンド(?)の中国人のおばあさんも交えて、コンサートの後に会話を楽しんだ。と、おじいさんが紙切れに息子の名前を書いて「HaasのStudent Centerで働いている。まだ独身だ。背が2メートルもあるし英語もうまい。ぜひ会ってみて」と紙を渡された。中国人のおばあさんは私の手を両手で握ってしばらく話さず、「私の家にもピアノがあるので今度ぜひ一緒に弾きましょう!」と誘われる。この年代の中国人の人は日本に対して複雑な感情を抱いているだろうに、歓迎されてとても嬉しかった。午後のPricingの授業はとても面白かった。今までで一番面白かった授業のような気がする。今日はオークションの仕組みを勉強した。Dutch auction, English auction, 1st-sealed auction, 2nd-sealed auctionの4種類のオークション形式を理解するために、クラスの皆がそれぞれオークションに出すものを持参し、実際にこの4つの形態を使ってオークションをやったのである。私は以前アマゾンで購入したボーイジョージの自伝本を持っていった。私の本はクラス中の皆に受けまくった。そもそもなぜボーイジョージの自伝を持っているのか?もしかしてわざわざ買ったわけ?というところで受け、私がボーイジョージの自伝の解説をまじめにしたところがさらに受け、「ボーイジョージのサインはあるの?」と聞かれたので「無いけど、私が代わりにサインしてあげるわよ」と返したらクラス中がどっと沸いた。自分でもこんなに受けるとは思わなかったが、最近英語でユーモラスに切り返したり、ジョークの切れが良くなってきたので、嬉しい。クラスメートからのメールにAs usual, you were very funny in class today. You are quite the entertainer!!! と書いてあったり、You have a good sense of humor!と握手を求められたり(なぜ!?)、相当インパクト強かったみたい。私だけじゃなくて、皆結構変わったものをオークションに出しており、Bidderとのやりとりも面白く、1時間半の授業中、笑いが絶えなかった。結局私のボーイジョージ本は7ドルで落札された。夜のBehavioral Financeの授業が終わった後、アメリカ人クラスメートと一緒になり、途中まで一緒に帰る。彼はヘッジファンドの世界で生きる人ということで今までは殆ど接点が無かったのだが、実は日本文化に強い興味を持っていて、浮世絵や版画については私よりも詳しく、今年の夏に日本を訪れたいと思っていることがわかった。日本ファンの人に会えると嬉しい。夏にタイミングが合えば日本を案内してあげると約束する。卒業近くなってまた1人、クラスメートとの距離が近くなって嬉しかった。
2005年04月20日
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今日も舌のやけどが痛くて、気分が優れない。食べ物が美味しく食べれないってこんなに精神に影響を及ぼすものだったんだ。。。午後のOffice Hourには誰も来なかったので、インターネットで教科書問題や靖国問題について検索してみた。こうやって見ると、日本の島国根性も困ったものだが、中国も恐ろしい国だなぁと思う。どっちもどっちという感じだ。メディアに左右されないで自分なりの考えを持ちたいと思うが、情報が全てメディアから入ってくる今日、それは難しいことだなぁとつくづく思う。ただ、バークレーで出会った中国人や韓国人の一人一人と個人レベルで交流して、彼らが何を考えているかを直に知っていきたいと思う。窓の外から青い海とサンフランシスコの街並みをぼーっと眺めている。プロジェクトやら期末試験やらが迫っているがやる気が出ない。一ヶ月くらい、好きな本を読んだりしてぼーっと過ごしたいなと思う。と昼過ぎに書いて、夕方は韓国人MBA1年生のキャリア相談に乗ってあげて、夕食後は速読教室の2回目に参加した。速読教室自体はうーん、こんなものなのか。。。という感じなのだが、速読の題材として使っている本Think like a Winner!がとても面白い。Positiveなセルフイメージが成功するにあたっていかに大切かを心理学を始め、いろいろな学問や研究結果と結び付けて説明した本。ポジティブなセルフイメージって今の自分にいちばん必要なものだなぁと実感する。今までの自分を振り返ってみると、これはかなり当たっている。私は大抵の資格試験や入学試験には一発合格している。「自分は試験に強い」というセルフイメージが確立され、自信につながる。また、合格して喜んでいる自分の姿が容易に想像できるから試験勉強もつらくないし、実際の試験会場でも落ち着いて試験を受けられ、これが高得点につながる。同じように、就職の面接試験も、人前で話すことも、文章を書くことも、「私は得意である」というポジティブイメージを持っているので、大抵うまくいく。そしてうまくいった成功体験が、さらにポジティブイメージを強める。一方、恋愛に関してはこれの全く逆を行っている。素敵な人になかなか出会えない。出会えてもすぐに振られるか遠距離になって終わってしまう。二股かけられる。私に会う人なんているわけない。私は女性として魅力がない。私は将来一生孤独に1人で生きていくのではないか。といったネガティブな考えに囚われている。当然、そういったネガティブな思考が言動に現れて、恋愛がうまくいかず、それがさらにネガティブなイメージを強めてしまうという悪循環。これを断ち切るには、やはりセルフイメージ、特に恋愛に関するセルフイメージを変える必要があるのだろう。試験や就職面接ではこのイメージングがうまく行っているのだから、出来ないはずは無い。恐らく過去の様々な失敗体験によって潜在意識に染み付いているため、時間がかかるかもしれないが、少しずつ恋愛に対するセルフイメージを改善させていこうと決めた。この本に書かれていることが本当なのかを試すためにも、実験的にやってみる。成果はまたこのHPで報告することにしよう。
2005年04月19日
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先週土曜日のSpring Festでたこ焼きの形の崩れたやつを味見したときに、舌をやけどした。未だに痛くて味覚も鈍くなっているので憂鬱である。今朝は6時に凄い金属音で起こされた。私の部屋はゴミ捨て場の真上にあるのだが、そこに大きなトラックが来ていて、Spring Festで使ったテーブル等を運び出そうとしていた。テーブルをトラックに積むたびに物凄い音が鳴り響き、それが延々と一時間ほど続いた。夜は夜で夜中の1時くらいにガラス瓶を大量に捨てる音が鳴り響く。前にこの部屋に住んでいた人の聴覚を疑ってしまうくらい、この部屋はうるさくて、次に住む人には絶対に薦められない。夜寝るときはいつも耳栓をするのだが、それでも起こされる。まあ、後4週間だから何とか頑張ろう。次に住むところは絶対に静かなところがいい。朝、変なタイミングで起こされたことと、舌がやけどで痛むことと、昨日会った男性がいまいちで期待がもろくも打ち崩されてしまったこととで、何か今日は朝から調子が悪かった。朝、Pricingの予習を始めるも、やる気が沸かず、結局またベッドに戻って昼近くまで眠る。ランチはアメリカ人と香港人と一緒になり、中国の反日運動の話題になった。香港人の彼女とは同じ階に住んでいることもあり、結構仲がいい。今年の夏は娘と東京ディズニーランドに行きたいと思っているんだけど、他にどこにいったらいいかしら、といった話をしていた。ところが、今回は違った。彼女は、日本が、中国の反日運動に対して中国に謝罪を求めるのは間違っている。日本が中国にしたことを考えたら中国が日本に謝罪するなんて到底考えられない。従軍慰安婦のことを知っているか?今、中国で反日運動が強まっているのは日本が国連の常連理事国に加えられようとしているだけじゃなくて、教科書がまた改定されたからだ。本当は日本が中国に侵略してひどいことをしたのに、日本の教科書は、中国が日本に対して何かしたので、その報復として日本が中国に「進出」したと書いてある。だから中国人は怒っているんだ。いつもは穏やかで優しい彼女が、強い口調で言い放ったので、びっくりした。私は、確かに教科書問題、靖国公式参拝に関しては、日本は方針を変えないといけないと思っている。でも、日本政府に不満があるからといって、中国にいる日本人や日本大使館を攻撃するというやり方は間違っている、と言った。正直言って、まだ教科書問題がくすぶっていることに驚いた。日本がアジア諸国を侵略して現地の人々にひどいことをしたのは周知の事実なのだから、もういい加減「進出」じゃなくて「侵略」と書いて、過去を認めたらどうなのか。一部の右翼は怒るかもしれないけれど、中国や韓国、その他のアジア諸国を敵に回すのと、どっちがリスクが高いのか。中国人と話しているとよく「日本はドイツを見習うべきだ」と言われる。この件についてドイツ人の友人とも話した。ドイツではナチスがいかに民衆を洗脳したか、そしてナチスがいかに残酷なことをしたのか、全てのドイツ人に徹底的に教育されるらしい。義務教育の一環としてナチスの収容所を訪問し、子供の頃から過去の歴史、過ちを認識し、それを二度と繰り返さないような教育を受ける。ドイツでは「I am proud to be a German」と言うのはタブーらしい。ドイツ人であることを誇りに思う、と言った場合、ナチスの「アーリア民族は他の民族よりも優秀である」という思想を連想させるからだと言う。同じような理由で、ドイツにおいて、家や会社、車等にドイツの国旗を飾ることもしない。それに比べて日本の教育はどうなのか。私自身、アメリカに来るまで、教科書問題や靖国参拝は他人事で全く関心がなかった。今、日本で中国の反日運動がどう捉えられているのかはオンラインの新聞で読むくらいしか出来ないが、そういった反応をまとめてみると、以下の3つに大別できるらしい。1大勢の中国人がこれほど反日感情を持っていたとは驚きだ。教科書の 記述や首相の靖国参拝についてもう一度検討してみる必要がある。2このデモは中国政府あるいは、イトーヨーカドー、ジャスコ等の中国 進出で割を食った中国の店舗が裏で糸を引いている。3急激な発展で貧富の差が拡大している中、民衆の怒りが反日運動に発 展したもので、中国政府は、民衆の不満のはけ口が日本に向けられる ことを黙認している。私の個人的な感触では特に若者の間では1が多いのではないかと思う。四方をフランス、スイス、イタリアといった国に囲まれているドイツは、過去を認めて謝罪し、償いとしてEUの実現に貢献し、周りの国々と友好関係を築いていかなければ、国として生き残っていけなかった。一方、日本は良くも悪くも島国で周囲から隔離されている。島国根性なのか平和ボケなのか、日本は周囲の国々に対する関心が低過ぎたのではないかと思う。ある意味、アメリカさえ満足させていれば、周囲のアジア諸国を怒らせても、日本はやっていけるという考えがあるのではないかとすら思う。以前はそうだったかもしれないが、これだけ中国の力が大きくなってきた今、そういう考えは通用しない。夏に東京ディズニーランドを訪れる予定だった香港人の友人は、今日本に行くのは危険だからやめたほうがいいと夫に言われたので、行かないことにした、と言っていた。今日のPricingの授業で私は中国人のクラスメートの隣に座ったが、彼女とは一言も話さなかった。彼女が日本人に黙って日本軍の残虐な写真をクラスメートに流していることを知った後は、正直言って、彼女を好きじゃないという気持ちが強くなった。彼女としても日本人は嫌いだろう。やはり私には日本人としてのアイデンティティがあり、中国人には中国人としてのアイデンティティがあり、自分の国を攻撃されたり悪く言われると嫌な気分になるものだ。個人レベルで友好関係を築いていきたいと思っても、中国と日本の国交関係は個人レベルの友人関係にも影響を及ぼし始めている。国交関係の悪化が経済関係の悪化にもつながっていると新聞で読んだ。日本がアジアの中で孤立しないように政府の適切な対応を切に願う。私はバークレーで出会った中国人や韓国人の友達とずっと友達でいたい。
2005年04月18日
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今日は珍しく朝9時にスパッと目が覚めたので、Think Like Winnerの本で速読の練習をする。午後は友人に紹介されたアメリカ人のPhDの学生とお茶した。いい人だとは思うのだけどやはり恋愛感情はわかず。会うまでの期待感が高かった分、会った後は疲れがどっと出てしまい、寮に帰って昼寝する。(何やってんだか。。。)夕食の後はMBAクラスメートとWoody Allenの最新作Melinda & Melindaを観にいく。人生は悲劇と喜劇の繰り返し、でも一回限りだから精一杯生きなきゃ、というフレーズが印象に残った。夜はMBAクラスメートに頼まれ、一時間ほど明日の面接のための模擬面接をやってあげる。「すごくいいフィードバックで役に立った。ありがとう」と感謝され、嬉しかった。思えば、キャリアセンターのアルバイトとしてMBA1年生達に模擬面接をするだけでなく、寮で、ロースクールにいる韓国人学生、エンジニアリング専攻のフランス人学生、コンピューターサイエンス専攻の香港人学生、MBAクラスメートのスペイン人、フィリピン人、インド人などなど、随分いろいろな学生に対して模擬面接をやってあげた。クラスメートが冗談でドアにKCC(Keiko's Career Center)と表札を掲げたらどうか、と言っていたが、自分でも、模擬面接と面接に関するカウンセリングはプロ級になってきたような気がする。今週末にでも、今まで自分が与えたフィードバックを面接ノウハウとしてまとめて書いておこうと思う。
2005年04月17日
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今日は一日中I-Houseで開催されたSpring Festに明け暮れた。各国のダンスや歌はいいのだけど、あまりにもたくさんいっぺんにやられると、途中で飽きてくるというか、どれも同じに思えてしまう。インドのテーブルでヘナによるTatooをしてもらい、チベットとタイのピアスをいくつか購入する。後はひたすら日本のテーブルでたこ焼きと団子を売りまくった。閉幕に近づいてきても、まだ団子が相当売れ残っていたので、「Buy One, Get One Free」キャンペーンを実施する。一つを50セントで売るよりも、一つを一ドルで売ってもう一つただであげたほうが、より早く売り上げられる。後は「今がタイムサービスで安いよー!!」「もうすぐ売り切れるよー!!」と叫ぶ。PricingとConsumer Behaviorの授業で学んだことを実践してみた。後片付けを終えて部屋に戻ったのが6時近く。夕食はアメリカ人の友人とバークレーの日本料理屋に行き、お寿司をご馳走になる。彼と会うのはこれで4度目だが、だんだん気が重くなってきている。彼は私のことが好きなようで、会うと必ず、来週はいつ会えるか聞いてくる。彼は友人としてはとてもよい人だと思うし、友人としてはずっと仲良くしていけたらと思うが、恋愛感情は持てない。私の場合は最初の段階でわずかでも恋愛対象としての興味が持てないと、それから友情が恋愛感情に変わることは無いので、彼に対する気持ちが変わることはまずないだろう。彼が私に告白したり何らかのはっきりした態度を取ってきたら、「私はあくまでも友人として付き合いたいと思っている」とこちらも言えるのだが、そういうものがなくて、毎週末のように食事等に誘ってくる場合、どうしたらいいものか。これ以上2人で会うのは私も疲れるし、相手の誤解を生む可能性もあるので、週末は全て予定が入っていると言って断るしかないと思う。そうやって何度か断って相手が察してくれることを望む。その人と私の共通の友人の方に私はとてもお世話になっていて、今後もいろいろ係わり合いを持つことになるので、彼と気まずい関係にはなりたくない。私の恋愛で多くあるパターンが、私が好きになる人と私を好きになってくれる人がまず一致しないということ。私も自分が一方的に好きになった相手をしつこく食事やら映画に誘って、相手も数回は付き合ってくれるのだが、そのうち私の気持ちが重くなってきてやんわり断られるようになる。最初のうちはこの断りのサインを読み取れず、ますますしつこく誘って、バシッと痛い目にあったり、あるいは断られたことを逆恨みしたりした。でも、断るほうもストレスたまると思う。特に友人としては仲良くしたいけど恋愛感情は持てない、ということはよくあることなので、それに対して怒るのは筋違い。去年のSpring Festの日、私は図書室で何とか勉強をしようと努力していたが、全然集中できなかった。そんなときにドイツ人からメールが着て数回メールのやりとりをした。夜になって「退屈だー、何やってるの?」みたいなメールが着て、映画の話になって「Lost in Translation」という映画を観たいという話になる。そのとき私はDVDを持っていなかったのだが、「持ってるから一緒に観ようよ」とメールに書いて、急いで寮に住んでいるクラスメートの部屋に駆け込み、Lost in TranslationのDVDを借りてきた。寮にやってきた彼のブロンドの髪は綺麗に流されていて、赤いセーターに濃紺のジーンズが似合っていた。彼が「スナックを持ってきたよ」と手に持っていたM&Mの包み紙は青かった。もうあれから1年経つのにあの日のことが色鮮やかに蘇ってくる。もう一度、あんなふうに心がときめいて、あんなふうに人を好きになれたらいいな。
2005年04月16日
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昨夜も深夜過ぎの帰宅となったのだが、今日は頑張って10時には起き、またサンフランシスコへ。今日は朝から晩まで家探しである。バスターミナルからマーケット通りをミッション地区まで歩く。途中で風俗の店などが出てきて、歩いている人達も浮浪者みたいな感じで、「ちょっとここには住みたくない。。。」と思った。ミッション地区のマンションを二つ見たが、とにかくエリア的に気に入らなかったので、パス。ミッションから今度は北に向かって歩く。既に2時間近く歩いているので、ヘトヘトだが、アメリカに来てから歩くことが少なくなったので、今日は健康のためと「どこまで出来るか試してみよう」という(無謀な)チャレンジ精神のもと、サンフランシスコ市内を全部徒歩で廻ることにしたのである。さらに30分以上、坂を上がったり下りたりしながら、ようやく次のマンションにたどり着く。このマンションはResidence Clubといって、寮みたいなところである。部屋にキッチンはなく、その代わり朝食と夕食を大食堂で取るようになっている。今住んでいるI-Houseと同様、いろいろな人と知り合うには最適の場所だと思うが、キッチンが無くて和食を作れない、そして決まった時間に決まったものを食べなくてはならない、というのはかなり苦痛である。また、夕食の時間が7時までなので仕事を始めたら殆ど間に合わないだろう。そうすると部屋で1人でカップラーメンか外食ということになってしまう。それに2年間の寮生活にも疲れてきたということもあり、やはりマンションに1人で住むことにした。その場合「孤独」が心配ではあるけれど、異業種交流会か何かに入って友達を作れば何とかなるかな、と思ったり。Residence Clubからまた急な坂を上ったり下りたりすること1時間。「私は一体何をやっているのだろう。。。」と思いながらも、ようやくノースビーチにたどり着く。ここではマンションのリース会社が車を出してくれて、ノースビーチ、マリーナ、パシフィックハイツの3つのエリアにあるマンションを見せてくれた。どれも月々の家賃が大体1300ドル前後(14万円くらい)でちょっと高いけれど、ミッションやマーケット通りに比べるとずっと周りの環境がいいし、職場まで歩いていけるのも魅力である。やはりノースビーチのマンションにしようと決める。実際は6月末に日本からサンフランシスコに戻ってから契約することになるが。夜7時過ぎに足が棒のようになりながら帰宅する。夕食の後は寮のキッチンに日本人学生達で集まり、明日のSpring Festというカルチャーフェスティバルのために、団子を作る。日本チームはみたらし団子とたこ焼きの屋台を出すことにしたのだ。夜8時から延々と4時間、団子の粉をこねて丸めてゆでて、という作業を繰り返す。高校、大学の頃の私は、体育祭や文化祭には殆ど参加しなかった。こういうイベントは準備、本番、後片付けに非常に時間がかかるのだが、そういう時間は無駄だと考えていたのである。しかしながら、社会人になってみて、こういうイベントでいろいろな人と力を合わせて何かを成し遂げるスキルが、いかに重要かようやくわかった。カッコいい言葉で言えばリーダーシップとチームワークのスキルということになるが、それは座学で学ぶのではなく、経験でしか学べない。スキルを身につける以前に、こういう活動を通していろいろな人と仲良くなれるだけでも、非常に有意義である。それがわかってからは、Asian Business ConferenceやAsian Cultural Night、フルートコンサート、Spring Festと、積極的に主催者側に廻って参加するようにした。確かにハーバードのケースを読む時間は削られるけど、そんなものを読むよりもずっと有意義な時間の使い方であることは、今ならよくわかる。高校、大学時代に実現できなかったことを、ビジネススクールで実現することができてよかったなと思った。そういえば、Asian Cultural Nightだが、これは大成功だったと思う。特に日本の文化のプレゼン、空手、盆踊り、書道教室、茶道は、大好評であった。私はMCとして日本文化のプレゼンをやったのだが、何度も笑いを取ったし、自分としても満足の行く出来であった。ただ、中国と台湾が最初は一緒にプレゼンすることになっていたけれど台湾側が異議を唱えて別々のプレゼンになったとか、韓国のプレゼンで日本のことがちょっと悪く扱われ、日本人の参加者からブーイングが起こったりとか、若干コンフリクトが生じた。これもやはり複雑なアジアのポリティックスを反映しているのだろうか。アジアのポリティックスになると、日本は分が悪い。中国と韓国両方から反感を買っている。日本文化は中国や韓国から大きな影響を受けているとプレゼンで強調したが、本当にこの3国は共通点が多いので、お互い分かり合って仲良くやっていけたらいいと思う。
2005年04月15日
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前日帰宅したのが深夜過ぎで、今日は朝6時半に起きたため、睡眠不足が溜まっていて、朝のConsumer Behaviorの授業の後、昼まで眠る。最近こういう風に不規則な時間帯に眠ることが多くなって、いかんなーと思う。日本でもよく通勤電車の中で眠っていたが、こうやっていったん起きた後にまた二度寝入りするのは、老化と痴呆を誘発する、みたいなことをどっかで読んだ覚えがある。気をつけなきゃ。午後にPricingのプロジェクトのミーティングを済ませた後、夜はサンフランシスコでバレエを観にいく。先週見たバレエと異なり、今回はかなり現代風にアレンジされたモダンダンスで、正直言ってあまりよく理解できなかった。ただ、そのダンサーの中に日本人女性も2人いて、ここにも異国で頑張っている日本人がいるなぁと応援したい気持ちになった。バレエの後は凄い久しぶりにBar of the Weekという、ビジネススクール主催で毎週木曜日の夜にやっている飲み会に顔を出す。今回はダンスホールのようなクラブで開催された。既に11時を過ぎていたため宴もたけなわで、酔っ払って男性クラスメートに抱きついている女性クラスメートとか、なんだか凄いことになっていた。韓国、中国、日本といったアジア系の学生は皆無で、殆どがアメリカ人。カクテルを飲みながらしばらくクラスメートと話していたが、正直言ってこういう場は苦手である。一年生のときは4-5回ほど参加したが、2年生になってからは今日が初めて、そしてきっとこれが最後になるだろう。2時間ほどしてから寮に戻った。
2005年04月14日
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今日は朝10時から2時間、フルートとピアノの音あわせ。「春の海」はフルートとピアノの掛け合いで成り立っているので、タイミングを合わせるのが結構難しい。昼はアメリカ人に人気の和食の店Kiralaでフルートを演奏する日本人の方にご馳走になる。偶然、その日本人の方の友人の日本人とも一緒になり、3人でテーブルを囲んだ。二人ともグリーンカードを持ちカリフォルニアで仕事をしているのだが、1人はアメリカが気に入っていて、日本の家を売り払いアメリカに家を買った。もう日本に戻るつもりはないと言う。もう1人は、やはりアメリカの暮らしには馴染めない、アメリカ人と本当の意味では親友になれない、老後は日本に帰るだろう、と言っていた。同じ日本人でも人によって随分感じ方が違うみたいだ。私はどっちのタイプになるのだろう。。。午後はPricingの授業が終わった後、サンフランシスコに行く。Japan Societyという日本に興味を持っている人達の会のミーティングに参加するためだ。先週初めて会員になった。これからサンフランシスコで暮らしていくにあたって、やはりこういう会に入っておくことは重要なんではないかと思ったのである。以前日本の大使をしていたアマコスト氏が日本、韓国、中国を軸としたアジアの政治経済について話した。7時に終わると同時に急いで会場を出て、Ferry Buildingまで歩く。今度はそこでバークレーMBAの卒業生を中心としたセミナーに参加した。詳細はウェブサイトのURL付きで下に転記するが、ようは、どうやって自分の人生を充実したものにしていくか、どうやって社会をよく変えていくかを、リーダーシップ論、企業の社会的責任論と結び付けて考える。スピーカーはExecutive Coachやリーダーシップセミナーの講師として活躍している人で、聴衆を飽きさせないスピーチのやり方を見るだけでも、かなり勉強になった。話の中で印象に残ったことが3つある。一つはナッシュ均衡理論の「Greatest goods for greatest number of people leads to greatest goods for individual」つまり、各人が個人の損得勘定に走らないで全体のベネフィットを考えて行動すると、それが結局各個人のベネフィットの最大化につながるというもの。二つ目は、現在多くの企業はGain→Grow→Give、すなわち、まず消費者を搾取して利益を上げ成長することに専念し、それから寄付活動などを始める。(マイクロソフトのビルゲイツなどはその典型例)。しかしこれからはGive→Grow→Gain、すなわちまず消費者や社会の利益になることを考え、消費者や社会と共に成長し、そこから利益を得る、と発想を変えることが必要だと言うこと。UTICorpはこのモデルを取っている。三つ目は、It is not what happened to us in the past. It is our vision that determines our future. ヒットラーは子供の頃父親に虐待され続けた。彼はナチスを作り上げた。ウォルトディズニーも子供の頃父親に虐待され続けた。彼はディズニーワールドを作り上げた。虐待され続けた過去をどう解釈して未来をどう形成していくかは、その人のビジョン次第である。過去にどんなことがあったとしても、人の未来はその人のビジョンによって変えられる。このセミナーで日本人女性に会った。彼女は大学から渡米し、アメリカ企業で働いて、MBAを取り、アメリカ人と結婚するも離婚し、会社のレイオフにあって、今は1人で独立事業主として仕事をしている。もうアメリカに来て20年以上経つが、年老いた母親が日本にいるので、いずれは日本に帰って親の面倒を見たい、と言っていた。アメリカで暮らす日本人にも、いろいろな人生がある。私はどういう人生を歩むのだろうか。Description: 'What is your dream?' That's the compelling question WillMarre has been asking everyone from CEO's to students for the past 25 years.Lately, the answers have radically changed. Research is clear that more andmore of us and especially the 126 million members of the next generation(Ages 15 to 40) are dead set on designing the life they want to live totruly pursue happiness, rather than fleeting episodes of satisfaction.People are looking for new answers to live with more optimism, less stressand deeper satisfaction. Will's presentation focuses on the research of theAmerican Dream Project www.americandreamproject.org that reveals the newdirection of the goals, ideals and lifestyles that will change the future ofnearly everyone. What we will discuss: - An inspiring new way to discover how your unique abilities reveal yourdeepest desires. - How to combine the new trends of open mindedness, tolerance, communitygood with emerging technologies to shape a new future. - How to change the world and still be home for dinner.
2005年04月13日
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今週は怒涛のような忙しさで、日記を書く時間が取れなかった。今寝ると4時間寝れるけど日記を書くと3時間になる、さぁ、日記を書くか眠るか、という選択になると、疲れているし明日の授業もあるから、早く寝なきゃということになって、日記が後回しになってしまった。でも、こういうときこそ、毎日書きたいことが山ほど沸いて来るんだよな。火曜日はまた学部生の採点の件でOffice Hourを設ける。最初は自分の成績に納得いかないと不満顔で来る学生も、ちゃんと説明したら納得顔で帰っていく。良かった。それから6時に迫ったAsian Cultural Nightのプレゼンの最終仕上げに入る。15分という短い時間で日本の伝統的、そして今のカルチャーを様々な側面から伝えるにはどうしたらいいか考える。と、そのとき一通のメールが届いた。それはスペイン人クラスメートからで、中国人クラスメートがビジネススクールの多くの学生(日本人は除く)に送ったと思われるメールが転送されていて、そこにはこう書いてあった。Sorry for the spam. But almost all my friends in China sent me this one. Ifelt like that it is my obligation to forward out.ワードのファイルが添付されていたので開いてみたら、びっくりした。以下、転送する。中国語はわからないけれど、英語の訳と漢字から判断すると、日本にひどいことをされた過去を忘れるな。日本を叩き潰せ、みたいな感じらしい。そして、その後は、日本軍に殺された中国人の死体や切り取られた頭、レイプされた女性など、残虐で吐き気をもよおすような写真が延々と続いていた。ショックだった。このメールを送った彼女は一緒に旅行に行ったりもして、結構仲がいいと思っていただけに、いっそうショックだった。私を含めて日本人クラスメートには黙って、こういうメールをビジネススクールのクラスメート達に送っている彼女の真意は何なのか?同じ過ちを繰り返さないためにも、過去を忘れてはいけない、というのが真意ならば、いちばん忘れてほしくない日本人にまず送るべきではないのか。彼女の行為は、私には、単に反日感情を高めるための卑劣な嫌がらせとしか思えない。彼女はかつて私に向かって「私は日本が大嫌いなので日本には絶対に行かない」と言い放った。アメリカのビジネススクールで教育を受け、卒業後も多国籍企業で働く彼女なのに、この日本に対する憎悪はいったい何なのか?中国、韓国、日本が合同で開催するAsian Cultural Nightの開催3時間前にこういうメールを受け取り、怒りとやるせなさと悲しさで震えが止まらなかった。中国と日本がお互い憎み合っても、そこからは何も生まれない。今夜のAsian Cultural Nightは何としてでも成功させたいと思った。中国と韓国と日本がお互いに協力してイベントを開催し、お互いの文化を理解する。一人一人、個人レベルで、中国人、韓国人、日本人が理解し合い、仲良くなる。そうすれば、政府やマスコミ、教育が反日感情、反中感情をあおりたてようとしても、「でも、私は素晴らしい日本人を知っている」「でも、私はとても信頼できる中国人を知っている」と言うことができ、政府の反日プロパガンダを鵜呑みにしない。草の根的だけど、このような中国人、日本人を増やしていくことが、両国の友好関係に非常に重要なのではないかと思う。私1人の力で反日運動を抑えることはできないけれど、せめてこちらで知り合う中国人の1人でも多くに「日本人だっていい奴はいるよ」と言ってもらえるようにしたいと思っている。そして、積極的に中国人と交流を持つようにして、彼らが日本に対して何を思っているのか、オープンに話し合うようにしている。この件に関しては、かなり長くなるので、また別のコラムで書きたい。(中国人クラスメートが送ったメール)Be used as a Chinese,I feel shock with the humiliation!!Japan.We want to forgive does he fuck what?We forgave, how to have to rise the Chinese of these dyingses!Treat Japan, I never would be calm!http://nj.nu18.com/This is true, is also a pathetic history!This is ours humiliation.1.were murdered and rape the feminine corpse 2.were sprinkled the last gasoline order the corpse that fire be burned 3.were raped by turn the photograph clapped behind4 drive women whom the stomach of Split open kill after raping by turn5 drive Chinese skull in what Japan's Imperial Army murder 6 Yangtze River side the top is thousandsly drive corpse of burnt Japan's Imperial Army 7 thousands women were after being rape, rape by turn killed, the among them a lot of is a nonage child 8 edge of knife already over, the head were already cut down 9 grounds of last a line of persons' heads 10 Proceed to kill people the game of Yetanye(Left) or Sangjiminlin(Right) 11 shocking!!!! 12 the 60-to-70- year old and old Women also does not let pass13 Nanking streets are everywhere therefore child corpse 14 the pond of full corpses in a bubble in suburb in Nanking 15 a butchery ground of south rain flower sets 16 Japanese soldiers intercept Chinese women on the avenue 17 Japan's Imperial Army the spot that Chinese bury alive 18 Japan's Imperial Army military officer priest how the soldier chop down kill the Chinese captive 19 Japan's Imperial Army take person's head 20 Japan's Imperial Army soldier dig an a Chinese heart provides to take with wine to use21 Japan's Imperial Army meet for great battle in the state of XuZhou the captive Chinese soldier in lieutenant general stabs the dead 22 monks also do not let pass 23 ocean oceans take a picture to keep as memory the shameless satisfiedly 24 a women were bound to rape by turn on the chair 25 use the live person proceed to assassinate the training26 put the head positive by hand in order to chop down the bottom smoothly 27 finally of a piece:This photograph is first to announce in 1938 to watch from a distance in the United States 《Laowan》 magazine top Be used as a Chinese,I feel shock with the humiliation!! Japan.We want to forgive does he fuck what? We forgave, how to have to rise the Chinese of these dyingses!Treat Japan, I never would be calm!
2005年04月12日
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火曜日に迫ったAsian Cultural Nightの打ち合わせやプレゼンの準備などで忙しい。4時半から6時までは速読セミナーに参加する。速読の技術を身につけることが一番の目的なのだが、速読の練習用に読む本がThink Like a Winnerという自己啓発本でなかなか面白そう。この本自体から学ぶことも多そうだ。夜6時から9時半までのGlobal Strategyの授業では、P&G(Max Factor)が出している高級コスメティックのSK-IIのケースを取り上げる。日本人女性は世界で一番化粧品を消費し、洗顔にかける平均時間はアメリカ人女性の5倍(アメリカ人女性の一分に対して5分)だと書いてある。確かに私も日本にいたときはお肌のお手入れにかける時間は今よりもずっと長かったような気がする。朝なんて洗顔して基礎化粧してメイクが完成するまでに余裕で30分はかかっていたような気がする。今は15分で全部終わってしまうけど。そのクラスには日本人女性は私1人しかいなかったため、教授が何度も私を当てるのだが、そのたびに日本人女性の肌に対するPassionを力説した。色の白いは七難隠す、じゃないけど、やはり肌が綺麗だと若く見えることは確か。どうして欧米人は日焼けしてシワとシミを増やしたいのか理解不能である。そういえば去年この授業を取っていたドイツ人の彼が「SK-II使ってる?」といきなり聞いてきたり「日本人の女性って肌のお手入れにとても時間をかけるんだよね」と言ってきたので「何でそんなこと知ってるの!?」と驚いたのだが、きっとこのケースを読んだんだな。彼は春休みにコスタリカとニカラグアを旅行したらしく、友達と楽しく旅行している写真が送られてきた。もう私へのメールの文面も完全に友達扱いになっていて、仕方ないことなんだけど、ちょっと悲しかった。メールは読んだ後に削除した。10時近くに帰宅してから火曜日のAsian Cultural Nightのプレゼン資料作成にとりかかる。能と歌舞伎の違い、盆踊りの由来など、知らなかったことが多くて、3時近くまでインターネットで調べていた。今日は3時間くらいしか寝られなさそう。。。(そして明日の予習する時間もなさそう)
2005年04月11日
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写真:カナダの有名なスキー場ウィスラーにて。リフトの上から日の出を見た。早朝だったので周りには誰もいない。「神々しい」とはこういうことを言うのかもしれない、と思った。金曜日、土曜日と忙しかった。金曜日は朝いったん起きたのだが、雨が降っていたため、モチベーションが下がった。不動産屋に電話して午後からに時間を変更してもらい、また眠る。何度も目覚ましで起きてはかけ直して眠ることを繰り返し、12時半にようやく観念して起きる。ブランチの後、バスでサンフランシスコへ。ちょっと気持ちが下がり気味だったので、浅見帆帆子の「あなたは絶対!運がいい」という本をバスの中で読む。この本は留学中に落ち込んだときに何度も読んだ、私にとっての精神安定剤みたいなもの。バスターミナルからチャイナタウンを抜けてNorth Beachへ。この辺りはChina Town、Financial District、Fisherman's Wharfに歩いていける。また、Little Italyと呼ばれ、イタリア風カフェがたくさんあるお洒落なエリアである。職場からも歩いていける便利なところがいいため、このエリアでアパートを借りようと思っている。日本でも寮か実家にいたため、不動産屋に関わったことが無い私が、ついにアメリカでデビュー、というほど大げさなものでもないのだが、不動産屋にアパートの部屋を何タイプか見せてもらった。ワンルームマンションで月々の家賃が1100ドルから1300ドルくらい。値段の違いは、うるさい道路に面しているか、静かな中庭に面しているか、2階で景色が見えないか4階で景色が見えるか、といったところ。日本のワンルームよりもずっと大きくてスイミングプールやジムもついているので、なかなかいい感じ。うるさいのはこの寮生活でこりたので、ちょっと高くても静かで景色のいい部屋を選ぼうと思っている。この大きなマンションは500室近くあるらしい。「どんな人達が住んでいるんですか?アメリカ人が多いんですか?それともアジア系?」と聞いてみたら、「そりゃー、いろいろな国からの人が住んでますよ。ここはサンフランシスコですから」と言われる。そうだ、全米でもニューヨークと並んで移民の多い街、サンフランシスコだ。私もいずれは移民の1人としてここに骨を埋めることになるんだろうか…。部屋を見た後はNob Hillという高級住宅地を歩いてみる。途中、有名な教会に立ち寄って、オペラハウスまで歩く。こうやってのんびりサンフランシスコの街を歩いて観光するのは初めてかもしれない。歩くのは大好きだし、また来週も家探しでサンフランシスコに行くので、いろいろ歩いて廻ってみようと思った。夜はオペラハウスでバレエを見る。後ろのバルコニー席だったが、双眼鏡を持ってきたので、よく見えた。美しい音楽の生演奏、ダンサーの鍛え抜かれた肉体美、流れるような筋肉とすっと伸びた背筋、力強い跳躍、軽やかなステップ。魅了に魅了された2時間だった。夜、地下鉄に乗り込んだら、「あれ、それは日本語の本ですか?」と知らないアメリカ人に話しかけられる。浅見帆帆子の本を手に持っていたからだ。そのアメリカ人は日本に友達がいて何度か日本にも行ったことがあるらしい。日本語はまだ話せないようだが、日本の話で盛り上がった。今日は、天気と同様、私の心も雨模様で始まったけれど、最後は晴れていい一日だった。土曜日の話は日曜日の欄に書こう。
2005年04月10日
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あれ、金曜日の日記を日曜日のところに書いてしまった。せめて土曜日の日記は土曜日のところに書こう。。。金曜日、深夜の帰宅になったにも関わらず、土曜日は朝9時から夕方5時までEntertainment Managementの授業があったので、疲れた。。。でも、本場LAのハリウッドから広告宣伝のプロデューサーが2人やってきて、いろいろな話をしてくれたのは面白かった。彼らはユニリーバが出している男性用デオトラントAXEのプロモーションに携わったのだが、広告宣伝のやり方が今までとは一風変わっていて面白い。一般人の男性二人を選んで、女性を誘惑する手段をいろいろな専門家から聞き出して、実際に試してみるという「女性を誘惑するロードトリップ」に出てもらい、その経緯をブログに書いてもらう。http://www.evanandgareth.com/home.htmそして、その経緯を元に「女性を誘惑するマニュアル」を作り、オンラインの「女性誘惑ゲーム」(実名はMojo Master)を作るというもの。視聴者はもうTiVoなど使ってコマーシャルをどんどんスキップしているし、従来の広告宣伝のやり方ではお金をかけても注目度が低くて効果が出ない。そこで、上記のような、ロードトリップとブログとゲームを組み合わせたイベントを打ち出して、視聴者参加型で注目が集まるやり方を取ったらしい。従来の広告宣伝費用の1/3以下の費用で、ターゲットとしている若い男性の注目度は抜群だとか。。。Mojo Masterのゲームの一場面を見せてもらったのだが、女性が腰を振る(Ass Winkというらしい。。。)仕草をしたら、それは誘っているわけであり、男性は手を女性の腰の高すぎず低すぎない場所に置かなければならない。それをしないとMojo Meterが下がってゲームのポイントを失う。出来るだけMojo Meterを高く保って数多くの「女性」を獲得した人が勝ち、というゲームらしい。このコンセプトは数多くのカードを集めたら勝ちというポケモンから取ったらしい。「誘惑」をテーマにしたゲームは初めてだとか言っていたけど、日本にも確か「ときめきメモリアル」という似たような恋愛ゲームがあったような気がする。私はゲーム自体にはあまり興味が無いのだが、アメリカにおける誘惑の行為や解釈が日本とはどう違うのか、といったクロスカルチャルなところに興味がありますな。それにしても、不思議な授業であった。。。授業の後はSFへ。アメリカ人の友人が、彼の友人の誕生日パーティーに誘ってくれたのだ。誕生日パーティーを開催した友人はかなり裕福な弁護士らしく、パシフィックハイツという高級住宅地のマンションに住んでいた。行ってから知ったのだが、彼が前に勤めていた弁護士事務所の元同僚達が集まっていたらしく、私以外は殆どが弁護士であった。友人は42歳で、誕生日を迎えた人も42歳で、皆30代後半から40代前半であった。留学してからは、こういう年齢層の人達と接する機会が少なかったので、ちょっと緊張したというか、慣れるまでに時間がかかった。また、離婚経験者がたくさんいたのには驚いた。やはり離婚率が50%を超えているアメリカならではか。私の友人も離婚していて、別れた妻と交互に1人息子の面倒を見ているし、そのパーティーに来ていた女性弁護士も離婚していて今は1人暮らし、猛1人の女性弁護士は離婚した後再婚。お互いの連れ子2人ずつと、2人の間の新しい子供と、計5人の子供がいるとか。。。また深夜の帰宅となり、睡眠不足でぐったり。ベッドに倒れこむ。
2005年04月09日
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Happy birthday to you! How was your trip? I hope your life journey will be exciting and happy as well. April is a memorial month for me. It is your birthday month, and the month I met you last year...4月9日は彼の誕生日だ。今は世界のどこを旅しているのだろう。先日もらったメールの返事は、バースデーメールにした。私の留学生活に、いや、私の人生に、きらめくような、素敵な思い出をたくさん残してくれて、どうもありがとう。あなたの人生が幸せなものとなることを、遠くから祈っています。
2005年04月08日
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昨夜なぜか眠れなくなってしまい、結局3時半頃まで起きていた。今朝は6時半に起きたので、30分ばかり昼寝するも、何か頭がぼーっとする感じ。Office Hourに、学部生がやってきた。彼女の答案にはC+をつけたのだが、ショックだったらしく、ポロポロ泣き出してしまった。。。文学部出身で、ビジネスケースの書き方に慣れていなかったらしい。とは言われても、やはり相対評価で25%にはCをつけなくてはならないし、他の学生と比較した場合、やはり彼女の答案はC+レベルなので、成績を変えるわけにはいかない。ビジネスケースの書き方を教えてあげて、期末試験のときにはもっと良い成績が取れるように一緒に頑張ろう。質問があったらいつでも連絡して、と励ましてあげる。でも、何だか10歳以上年下の女の子がポロポロ涙を流しているのを見ると、「私って鬼!?」と複雑な心境。私は大学生の時に悪い成績を取って泣いたことは無かったが、監査法人に入ってから、上司にPerformance Evaluationでひどいことを書かれて、ショックでトイレに篭って泣いたことはあったな。その上司の評価表には、感情的でひどい言葉だけが書いてあって、どうやって改善したらいいのかといったフォローアップも一切無かった。同じことを伝えるのでも、言い方一つで、受け手の印象が随分変わるものである。また、自分の鬱憤を晴らすために、相手を傷つけるために、言うのと、相手のことを思って言うのとでも、随分違う。あの上司の評価表はよい反面教師になっている。夜は香港人の友人2人と広東料理を食べに行く。美味しかった。。。。
2005年04月07日
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写真:夕暮れ時に、フットボールスタジアムから見たビジネススクールのキャンパス。そういえば、私が撮る写真は夕暮れ時が多い。なぜだろう。今日は12時15分から1時までキャンパスのホールでNoon Concertがあり、ジャズとコーラスの素晴らしい演奏を楽しんだ。日中は日差しが強くて、サングラスがないとまともに前を向いて歩いていられないくらい。午後のPricingの授業は半分寝かかってしまった。教授はとてもいいのだけど、Subjectがどうも自分には合わないようだ。人間の心理等に関係しない数値分析になると必ず眠くなってしまう。夜のBehavioral Financeは結構面白かった。何かここ最近、細々した用事がたくさん入っていて、結構忙しい。明日の予定はこんな感じ。8:00-9:30 Consumer Behaviorの授業11:00 MBA1年生からたこ焼き器を借り受ける(学部生に盆踊りを踊ってもらう代わりにたこ焼き器を貸してあげることになった)11:30-13:00 オフィスアワー 学部生のOrganizational Behaviorの答案採点に関して、学部生の質問を受け付けなければならない。学部生は成績に非常に敏感なので、Cをつけた学生からは「採点を見直してくれ」というクレームが来そう。13:45日本に帰国した友人が置いていった荷物を日本に送り返さなければならない。そのためには車を持っているクラスメートに車を出してもらうよう頼み込んで、また規定サイズのダンボール箱を探してきたりして、結構面倒な作業。14:30-16:00Pricingのグループミーティング16:00-17:00 またまたオフィスアワー18:00-20:00 友人と会食夜は絶対にピアノの練習をしないとならない。もう1週間近くピアノを練習していないのだが、来週水曜日の朝にフルート奏者と一緒に音合わせをやるので、そのときまでに仕上げておかないと。金曜日は朝からSFで家探し、夜はバレーを観にいく。土曜日は朝から夕方までEntertainment Managementの授業があって、夜は友人のホームパーティでSFへ。日曜日は夕方から4月16日に行われるSpring Festの打ち合わせ。そしてその後は4月12日のAsian Cultural Nightの準備。あれ?いつ勉強するのだ?予習、復習、プロジェクトの準備もやっておかなきゃ。。。まあ、就職活動が無いだけいいか。
2005年04月06日
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写真:去年の夏は神戸にいた。誰もいない静かな夕暮れの海。あの頃、私は、何を待っていたのか。昨夜、教室に落ちていた「速読教室」のチラシがふと目に留まり、今日はその説明会に行ってみた。私がこの2年間悩み続けたことの一つは、英語を読むのが遅くて苦痛だということ。ハーバードのつまらないケースを大量に読まされたせいで、「読むこと」自体が苦痛になってきてしまった。どの授業でも必ず読まなければならない資料があるのだが、まず何ページか見て、ため息をつきながら読み始める。そして途中で何度も気が散ったり睡魔に襲われたりしながら、3時間くらいかけて何とか読み終えるものの、翌日には何が書いてあったか覚えていない。。。こういうのは本当に非効率だし、何とかならないものかと、読みながらアンダーラインを引いたり、メモを取ったり、自分なりに工夫してみたのだが、やはりだめだった。後6週間で卒業というこの期に及んで英語の速読を学ぶんだって仕方ないじゃん、という意見もあった。が、今後も英語環境で仕事していくわけだし、英字新聞や英語の本をたくさん読んで中身を理解しておくことは絶対に必要だから、「何事も遅すぎることはない」というポリシーのもと、受講することに決めた。今日は60分間の説明会だけだったが、それでも、いろいろなヒントを得られて、読むスピードが上がったような気がする。来週から毎週一日3時間のコースを4回受ける。一回3時間の授業は70ドルだが、非常に質の低かった統計学の授業90分に200ドルを払っていたことを考えると、破格の値段だと言える。(というか、ビジネススクールがぼったくっている)何か新しいことを始めるのはワクワクするものだ。特に英語を今までよりも最低2倍のスピードで読解できるようになるなんて、飛び上がるほど嬉しい。今日はこれから明日の課題の資料を読んで、夜10時半からエンジニア専攻の学生の模擬面接をやってあげて、それからピアノの練習でもするか。5月1日と3日に演奏する。止まらないで、どんどん前に進んでいこう。
2005年04月05日
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写真:去年住んでいた私の部屋。たくさんの思い出が詰まっている。今住んでいる部屋も似たような間取り。今日のバークレーも快晴だった。私の心はうす曇という感じか。大きな悲しみ、苦しみが無い代わりに、大きな幸せも感じない。毎日を淡々と過ごしている。Consumer BehaviorとGlobal StrategyとPricingでグループプロジェクトを抱えていて、面倒だなとは思う。あまり勉強に熱意が沸かない。早く卒業して日本の実家でのんびりしたいなーと思う。ちょっと疲れているのかもしれない。
2005年04月04日
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写真:ある晴れた日の夕方、ジョギングしながら見た夕陽。真っ赤な太陽がサンフランシスコのベイに沈んでいく。今日は10時半に起きたはずだったのだが、実は11時半だった。今日から夏時間に切り替わるのである。ブランチの後にConsumer Behaviorのペーパーを書くためにパソコンに向かうが、全くはかどらない。卒業後に働く会社が売っているウェブベースのプログラムを日本の顧客に売るにはどうしたらいいか、というテーマで書いている。が、基本的にそのソフトウェアの日本語版が出ない限り絶対に売れないだろうというのが、会社の意見でもあり、私も同感である。つまり、Consumer Behaviorというよりはプロダクト自体の問題であり、Consumer Behaviorに結び付けて書くことが非常に難しいのだ。筆が進まないものだからついメールなど見てしまう。Asian Cultural Nightや、同じ週の土曜日に開催されるSpring Fest(これはI-Houseで行われるCultural Event)に関するメールを書いたり何だかんだしているうちに4時。ありゃー、今日も何もやってないうちに終わりそう。。。と慌ててジョギングに出かける。途中で雨が降ってきたが構わずに走る。冷たい雨に打たれながら走るのも、自分が浄化されるような感じで、意外といいものだった。私は実はマゾなのかもしれないと思った。夜は日本人学部生達のミーティングに参加する。Asian Cultural Nightで彼女達に盆踊りを踊ってもらうことになっているため、私としても彼女達に協力しないといけないなーと思って参加したのである。いわゆるGive&Takeの関係、これをConsumer BehaviorやNegotiation、Power&Politicsで学んだ専門用語で言うと「Reciprocation」と言う。協力はいろいろな形で出来るしE-mailでのコミュニケーションで事足りると言えば足りるのだが、ここはやっぱり日本人。顔を突き合わせてのミーティングが大事なのである。同じような理由で先日はMBA一年生の飲み会にも参加し、Asian Cultural Nightでの一年生の協力を得やすいようにした。そんなことを考えながらシャワーを浴びていたら急にひらめいた。そうだ、この一連のプロセスこそ、Consumer BehaviorのPersuasionそのものではないか。いかに人をモチベートして貢献してもらうか。今まで自分がやってきたことは授業で学んだPersuasionの原則がそのまま当てはまりそうなので、その観点からペーパーを書き始めたら結構すらすらと書けた。今日一晩寝かせて明日結論を書いて明後日提出しよう。
2005年04月03日
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写真:晴れた日のジョギングコース。木漏れ日がまぶしい。今日のバークレーは快晴。今日の明け方に飲み会から帰ってきたのだが、社費留学生と私費留学生の生活の違い、パートナーがいる留学生といない留学生の生活の違いなど、いろいろ考えてしまった。結局眠りに付いたのは6時過ぎで、12時過ぎまで寝てしまった。私費留学でお金に余裕がなくて、パートナーもいない私。こんな天気が良い日に、車も無くてどこにも行けず、部屋でペーパーを書かなきゃならない私。こんな天気が良い日に、一緒に出かける相手もいなくて、一人ぼっちの私。自分と他人とを比べるのは間違っていると思いつつ、つい比べてしまい、自分が惨めに思えてしまう。自分で自分の人生を楽しめるようにならなきゃ、といつも思っているのだが、ふと気を緩めると、不安とか寂しさとか惨めさといったネガティブな感情がどばーっと溢れてきてしまう。お金は無くても今すぐ食べるのに困るわけじゃないし、卒業後の仕事も見つかった。五体満足で健康に毎日を過ごしているし、両親も健康である。これ以上、何を望むのか、十分幸せじゃないか、と自分に言い聞かせてみる。後は、もう何も考えないようにして、目の前にある課題(Consumer Behaviorのペーパー)を終わらせることにする。考えてもしょうがないことは考えないほうがいい。と午前中に書いて、夕方にジョギングに出かける。半袖のTシャツでは肌寒かった。夕食時には弁護士から詩と文学の博士過程に転進したアメリカ人と、韓国人、香港人と一緒になり、楽しい話で盛り上がった。夜8時から、インド人の友人と大学の交響楽団の演奏を聴きに行く。学生の演奏なんていかがなものかと思っていたが、期待を遥かに上回る素晴らしさであった。これで$3なんて安い。これからは毎週通おうと思った。コンサートの後、インド人がお茶でもしないかと言ってきたので、ShattuckにあるMelsでミルクシェークを飲む。彼も結婚したいのになかなかいい出会いが無いと悩んでいるみたいだ。それにしてもI-Houseは今が春真っ盛りというべきなのか、本当にカップルだらけである。ダイニングホールでも、廊下でも、エレベーターでも、あちらこちらで熱い抱擁が。。。目のやり場に困るし、一人身の寂しさが一段と増してしまう。去年の春はどうやって乗り切ったんだっけ?と思い返してみれば、ちょうど去年のこの時期は自分自身も恋愛の真っ只中にいたんだったな。もうあれから1年が経とうとしているのか。。。いいことも悪いことも一つずつ終わっていく。
2005年04月02日
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今日は夜8時からバークレーとスタンフォードの日本人の飲み会に参加した。私以外全員1年生で、殆どが社費留学生だった。「夏の間は働いたらいけないことになってるんです。無給だったらいいんだけど、無給では働く気になんないですよねー」「毎月会社にレポート出さなきゃならないのが面倒で」なんていう話を聞くと、やはり社費留学生と私費留学生の間には大きな隔たりを感じる。学費とその他諸々の経費を会社が出してくれて、また給料とボーナスも出て、さらには留学中に昇進もする社費留学生と、仕事を辞めて、貯金を全部はたいて、借金もして1200万円を用意し、減っていく銀行残高をにらみながら、就職活動する私費留学生。境遇がこれだけ違うと、集まったときの話題も全く違う。私費留学生の場合は、必ず就職に関する話になる。スタンフォードの1人が、名前の次にいきなり年齢を聞いてきたのにはびっくりした。これって日本人と韓国人以外はあり得ないよなぁと思う。さすがに女性の私には聞いてこなかったが、隣にいたバークレーの学生が36歳だと知ると「ええー!!」と驚いて「バークレーの日本人って年齢高いですよねー。学校の方針なのかなー」と言う。彼自身は27歳と若いらしい。私が「バークレーは年齢で人を判断しないからだと思いますよ」と言ったら「でも、スタンフォードとこれだけ違うんだから、やっぱり学校の方針があるでしょ」と言う。まあ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、相手が何歳で自分より何歳年上か年下か、ってどうでもいいことじゃないか、というのが私の本音。そういう話題で延々と盛り上がっている理由がわからない。バークレーでは日本人と韓国人以外は誰も年齢のことを話題にしない。2次会はバークレーの学生の家で。その学生の奥さんの友人が日本から遊びに来ていた。彼はオカマなのだが、とても話が面白くていい人だった。年齢にやたらこだわるスタンフォードの学生が27歳と知ると、「えー、あなた年齢の割には皴が多くない?」とズバッと突っ込んだので、みんな大受けする。その人は38歳なのだが、肌も艶々していて、正直、そのスタンフォードの学生よりも若く見えた。オカマ話やその他いろいろ盛り上がり、結局3時過ぎに帰宅する。今日はいろいろな人と知り合えてよかった。確かに自分とは違う世界の人達だなぁとは感じるけれど、それはそれで視野を広げることにつながるから。
2005年04月01日
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