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私達は日々、「より良い人生の創造」を目指して、自分の力で人生を切り拓く努力をしています。従って、私達は主体的に自分で「生きている存在」であると言えます。このように自分の力で事を「なす」姿を、「自力」ととらえてみましょう。 一方で私達は、大宇宙の法則(大自然の法則)に支配されながら生きています。私達はこの宇宙を動かす大法則に反して生きていくことはできませんので、宇宙の法則に従うことによってのみ、生存が許されている存在であるとも言えます。 私達は、この宇宙を秩序正しく休みなくコントロールし続けている、偉大なる何者か(サムシング・グレート)によって「生かされている存在」とも言えます。このように他者の力に支えられて事が「なる」姿を、「他力」ととらえてみましょう。 すると、私達は大きな法則に支配され、支えられながら「他力」によって生かされつつ、その枠の中の自由裁量が許される範囲内で、主体的に選択をしながら「自力」で生きている存在、ということになります。 そこで法則(神仏の働き)に従う「他力」の生き方をするには、「物事を正しく受止め、乗り越えるための法則(原理・原則)」を理解する必要があります。 また、法則を活用して主体的に人生を切り拓いていく「自力」の生き方をするには、「豊かな人生を創造するための法則」を理解していなければならないことになります。 水野教授の説かれる「受動の知」と「能動の知」というキーワードを借りれば、前者に必要なのが「受動の知」であり、後者に必用なのが「能動の知」と言えましょう。 病気や様々な避けがたい人生上のトラブルに出会った時、この難題とどう向き合い、どう受止め、何を学ぶことが「大いなるものの意図」に叶うのだろうかと、自問自答する中から、水野教授の言われる「神仏の心に出会う」境地が開けるのではないかと、賢ちゃんは痛感しました。 私がうつ病になった時、この病を天からの恩寵的試練と受止め、「天は我に、この難題を通じて何を学ばせようとしているのだろうか」を考えることができたのは、モラロジーが「受動の知」となって、私を支えてくれたお蔭と、心から感謝しています。 そして今、コーチという素晴しい職業を得て、いきいきと楽しく自分らしい人生を歩めるのは、あの“うつ病”があったればこそであり、「我、幸いにして“うつ病”を得たり」の心境です。この試練を与えてくれた天の恩寵に、心から感謝しています。 今回のモラロジー研究所での研修で、コーチングは『人が内側に持っている無限の能力を引き出し、その人らしい「いい人生」を創造していくのを支援することのできる、素晴しい「能動の知」である』ことを確信でき、大いにエンパワーメントされました。賢ちゃん元気百倍です。 コーチを天職とし、「受動の知」と「能動の知」をバランスよく身に付けた、人間力豊かなコーチを目指して精進することを、心に誓った瞬間でした。
2008年03月10日
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今回は、モラロジー研究所本部の研修における、麗澤大学外国語学部長の水野治太郎教授の講義をダイジェストでレポートさせて頂きます。 水野教授は「生と死を考える会」の活動を通じて、がん患者のターミナルケアや遺族の悲しみを癒す活動に10数年関わってこられた、この道の日本での第一人者です。--- 「生と死を考える会」の3つの活動、「死への準備教育」「ホスピス運動」「痛みの分ち合い」を通じて、私は人々の人生途上で起こる様々な「受難」に立ち会って来ました。 人々の受難の痛みを共有する体験から1.生と死を受容する「従う知」2.人の「弱さ」の隠された意味3.死者に詫びる遺族の心に触れての、因果律の尊さなどを学ぶ機会を得ました。 人生途上で必ず出会うのが死別の悲嘆であり、それを分ち合うことで、神仏の本当の慈悲に出会うことになりました。 「痛みを分ち合う」集いは、「二人で分ち合えば喜びは倍になり、悲しみは半分になる」という考えに基づいて開かれ、毎月の集いに20名ぐらいが参加されます。 ここでの約束事は「お互いのプライバシーは絶対に護られます。スタッフは心を込めて聴かせてもらいます。どんな発言も非難されることなく受容されます。住所・氏名を名乗る必要はありません」というものです。 ここで私が行っているのは、ただひたすら死別の悲嘆を聴かせてもらい、泣く場所を提供することだけで、出口を示す(アドバイスする)ことは一切していません。 このような中で人々は次のようなステップ(作業)を経て心の痛みから解放されていくことが分かってきました。 第1段階は「死者を悼む喪の段階」で、死者を悼み詫びる作業です。 第2段階は「意味探求の段階」で、回想作業は苦痛を伴います。しかしここで死者の魂との一体感が得られるようになります。なぜ自分はこんなに苦しまなければいけないのかという受難への疑問を経て、神仏に出会うことでその回答を得ていきます。 第3段階は、死者の魂を背負いつつ、自分の人生を「回生」する段階で、体験者はこの作業を意識的、無意識的に行いながら、新しい人生を構築していきます。 具体的にはこんな例が上げられます。(実際には3つの事例を紹介されましたが、ここでは1例の紹介に留めます) 念願の大学に入学した直後の新入生歓迎コンパで、多量の飲酒を強要されて死亡した息子の父親は、、深い苦しみと悲しみに沈みました。 大切な、今後を期待していた息子を失ったのみならず、飲酒を強要した先輩が誰かも分からず、一人も謝罪に来る者がなかったからです。 この父親は、飲酒を強要した先輩達を許せないまま、悲嘆の日々を過ごしていました。 ところが数年後、この先輩達が「良心の呵責」に耐え切れず、ついにこの父親のところに詫びに来たのです。 この時、この父親は彼らを許し、息子の分まで精一杯生きるように伝えたのです。これを聞いた先輩達は、許された自分に深く安堵し、泣き崩れたのです。 この先輩達の「罪の意識」が、詫びる行動を引き起こしたことから、良心が体内に存在すること、神の因果律が働いていることを知りました。 また、息子を亡くした父親や、罪の意識に苦しむ先輩達のスピリチュアルペイン(全人的苦悩)から、生と死、善と悪を包括的に支配する「大いなる存在」に出会いたいという、人間の持つ願いに気付いたのです。 弱いからこそ神仏の恵に出会うことのできる彼等の姿に、深い畏敬の念を抱かずにはおれませんでした。--- 水野教授のスピリチュアルケアに取り組む心の奥深さに、強く心を打たれました。 自分はコーチとして、一体どれぐらい相手の心の痛みを感じ取り、一緒に寄り添い、痛みを分ち合うことのできる感性を持っているんだろうか? そんな問いを自分に投げかけた瞬間でした。 続きは次回に譲ります。
2008年03月06日
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望月教授のお話の続きを紹介させて頂きます。--- 人は「自分のことは、自分が一番よく知っている」と考えています。だから「人に言われなくても分かってる」と思いがちです。 ところが、この考え方も変えた方がいいのです。 人は自分に対する考え方を「自己像(自己イメージ)」として持っています。そして多くの人は自己像を低いレベルに置いて、自分自身を「過小評価」しています。「自分には能力がない」「性格が悪い」「容姿がよくない」・・・ これが問題なのは「自分のことを悪く思うと、悪い自分が存在してしまう」というところにあります。ですから自己像を「自分は切りがないほど素晴しい!」に変えることが極めて重要なのです。--- コーチングでは「人間力(その中核は品性)」を構成する3大要素の1つに「自己イメージの高さ」を据えています。 コーチングでは、1.「自己イメージ」が「つぶやき(self-talk)」をつくる2.「つぶやき」が「行動」をつくる3.「行動」が「習慣」をつくる4.「習慣」が「人生」をつくる従って、「自己イメージが人生を決める」「人生は自己イメージどおりになる」と考えます。 自己イメージが低くて、「自分はダメな人間だ、できない人間だ」と思っている人は、「自分にはできない、ムリだ」とつぶやきます。 するとその人の行動は「やらない」、どうしてもしなければならないことは「嫌々やる」ことになります。 嫌々やっても成功することがあります。そこで自信を得て自己イメージが上がれば「自分はやれる人間だ」に変わりますが、「たまたま成功しただけで自分はできる人間ではない」と思い続けていれば自己イメージは上がりません。 失敗すれば「やっぱり自分はできない人間なんだ」と再確認してしまいます。そして「次回からはやらないことにしよう」という選択をします。 このような行動から、この人は「諦める習慣」を身に付けていきます。そして「できない人生、むなしい人生」を創って行きます。 つまり、「自分はダメな人間だ、できない人間だ」という低い自己イメージは、「できない人生、むなしい人生」を創ってしまうのです。 これに反して「自分はできる人間なんだ、自分には可能性があるんだ」という高い自己イメージを持っている人は、何事にも「やれそうだ、やってみよう」とつぶやきます。 そして「やる」行動を起こします。そうすると失敗する場合と成功する場合が生じます。 失敗すれば、失敗から学びまた別の方法を考えて挑戦を繰り返します。するといつか成功します。 このようにして挑戦し続ける人には「諦めない」習慣が身につきます。そして「成功の人生、できる人生、喜びの多い価値ある人生」が得られることになります。 つまり「自分はできる人間なんだ、自分には可能性があるんだ」という高い自己イメージを持っている人は、「成功の人生、できる人生、喜びの多い価値ある人生」を創造することになるわけです。 従って、望月教授の言われるとおり、「自分は切りがないほど素晴しい!」と思う(考え方を変える)ことが、極めて重要になります。 これも、考え方を変えると「直ちに莫大な効果が得られる」一例と言えましょう。 自分を過小評価するのをやめて、「自分には内側に無限の可能性がある」「自分は切りがないほど素晴しい!」と考えて、自己イメージを高く保つことが、いい人生を創造する鍵と言えましょう。 しかし、自己イメージを高く保つことで、高慢になって「鼻持ちならない人間」になってしまっては、信頼関係を失い心豊かないい人生を創造する事はできません。 賢ちゃんは、常に謙虚さを失わないで、しかも自己イメージを高く保つためには、「天から、許され、支えられ、生かされている自分に常に感謝しながらも、天に護られている自分に誇りと自信を持ちつつ、自分に与えられた天命を果たすためにベストを尽くして生きる」ことが重要ではないかと考えています。 いかがでしょうか?
2008年03月02日
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更に、望月教授の講義の続きをダイジェストで紹介させて頂きます。--- 私達はあらゆるものに自分なりの評価点数を付けています。 ピアノを買う前は、ほとんどの人がピアノにかなり高い評価点数を与えています。ところが、買ってしまうと「なんて邪魔なんだろう!」と点数を下げる人が結構多いのです。 奥さんも結婚前は評価点数が高かったのに、結婚すると次第に点数が下がってくるのです。「あばたも笑くぼ」で、誤解して結婚してしまうので、次第にイメージダウンしていくわけです。(爆笑) でも、何年経ってもお互いに本当のところは、結局は分からないのです。私は家内と30数年一緒に生活していますが、いまだに家内が何者なのか分からないのです。(大爆笑) お互いに誤解しながら生きているわけですから、良い方に誤解して生きていくことが大事なんです。私はきっと「良い夫と思われているにちがいない」と。(大爆笑) そして幸せに暮すには、結婚当初の「あばたも笑くぼ」の時の評価点数に戻す(イメージを上げる)ことが大切です。 周りの人に対する評価点数を上げて行くと、その分だけ心が豊かになって、喜びが増え幸せになります。 そのために最も有効な方法は、「周りの人を尊敬する」ことです。自分の周りの人は全て「宝物」と思うことです。特に「嫌いな人、ダメな人と思っている人こそ尊敬する」ことが重要です。 値打ちが低いと思っている人に、高い点数を付けることで、直ちに莫大な効果が得られるのです。--- コーチングでは「事実と思い込み(解釈・意味付け)を区別する」ことの大切さを学びます。私達はほとんど思い込みで生きていると言えましょう。望月教授の「この世の中は誤解で成り立っている」に通じますよね。 例えば、Aさんが仕事上の失敗で上司に叱られ、「上司にダメな奴だと思われてしまった。もうダメだ!」と落ち込んでいたとしましょう。 この時の事実は「上司に叱られた」であり、「上司にダメな奴だと思われてしまった。もうダメだ!」はマイナスの思い込みです。 これをプラスの思い込みに変えるのがコーチの仕事です。 コーチの支援を得て、Aさんが「上司は、部下に成長してもらいたいという願いと期待から叱るものだ。自分は上司に期待されているから、叱ってもらえたんだ」という、プラスの思い込みに変えることができたら「自分は、いい上司に巡り会えて良かった」とハッピーになれるわけです。 「マイナスの思い込みをプラスに変え」「どうせ誤解するなら、良い方に誤解して」「嫌な人ほど尊敬」しながら、人生を心豊かに生きたいですよね。 今日も1日、賢ちゃんは多くの「宝物」に囲まれて生きられたことに、心から感謝しています。ありがとうございました。
2008年03月01日
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